『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 71』




LXXT・比叡山潜入戦〜恭也奮戦

 その空間には二つの染みがあった。
 一つは青い染み。もう一つは黒い染みだ。もちろん、染みには名がある。青い方は新生龍の五色不動・アルフレッド=カーマイン。そして黒い方は永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術・高町恭也と言う。
 小太刀二刀流か。やや前傾に重心を置き、初速から素早さを利用した斬撃を繰り出すタイプか。
 恭也の自分と対峙している構えを見て、冷静にアルフレッドは分析した。元々小太刀自体が速度を利用した武器であるので、考えは間違ってはいないのだが、それでも小太刀の特徴を思い出すと、ただ攻撃だけには思えなくなる。刀には三つの用途によって刃の長さが三種類に分けられている。一つは世間一般的に刀と呼ばれる大刀だ。刃が長く、人を切り易くする為に切っ先に向かって少しだけ反り上がっている。次は大刀と合わせて用いられる脇差だ。大刀と違い手首の返しだけで細やかな動きを表現できるこれは、技を要求されるものだ。そして小太刀は守りに入った時に鉄壁とも言える防御を誇る。大体人の肩幅より少しだけ長い刃は防りと言う一点に重点を置いた場合に最大の効果を発揮する。
 だがこの大剣トルーデンの前では防りなど具の骨頂。
 改めて力を篭めて柄尻を握り締めるアルフレッドの顔に、油断など微塵も存在していなかった。
 同じく恭也もまた相手のエモノから、その攻撃方法を思考の中に算出させていた。
 あの巨体も隠してしまうほどの大きな剣か。だけど構えは日本の古い剣術のスタイルに似ているな。
 現代の剣道では足は摺り足を中心として、正面に竹刀を持つ正眼の構えを使用する。だが、古流剣術ではまるで構えなど存在しない。基本形は流派によって存在するが、それはあくまで基本であって固定ではない。その中でアルフレッドの構えは両足をベタ足で踏ん張るように広げ、人体急所の並ぶ正中線を隠すように左肩を前に突き出している。見た目は腰を中心に上半身と下半身が直角に交わっているようだ。大剣を右肩に近い位置で天を貫くかの如く真上に先端を向けている。よく昔の文献を調べると出てくる剣豪・佐々木小次郎が好んで使用していた、長剣大剣型のスタイルだ。一撃を重んじるタイプであるのは明白だ。尤も超重武器に関しては振り下ろす、薙ぐ以外の攻撃方法は重量の問題から存在しないと言われているが、佐々木小次郎の燕返しはただ一瞬光が見えるだけで、急激な方向転換を可能にした技だと言う。アルフレッドが燕返しを使えるとは思わないが、片手で大剣を持ち上げられる筋力を備えているのだから、間違い無く油断はできない。
 情報が少ない。まずはうってでるか。
 そう考えを纏めると、恭也は下腹部に大きく吸い込んだ空気を蓄積するかのように集中させると、数メートルはある間合いに一歩踏み出した。それを見たアルフレッドはすぐに大剣を信じられない速度で振り下ろした。剣閃が確認できない訳ではなかったが、それでも残像を残すレベルの剣速は恭也の二の足に踏鞴を踏ませる。何とか前髪数本を犠牲にして無傷で済ませると、落ちかけた速度を落とさぬためにすぐに回り込むために方向を変えた。人間は横に動くものには特に敏感に視神経が反応する。アルフレッドも例に及ばず、視線が恭也を追いかけた。
だがそこに罠がかけられていた。唐突に風を切る音が首元に迫ってくるのを聞き取り、アルフレッドは床ぎりぎりに止められた大剣を、恭也の迎撃ではなく音へと向けた。途端に数個の金属同士が衝突した空中で三本の苦無に似た小刀が暴力によって吹き飛んでいくのが見える。
何故誰もいない場所から小刀が――?
疑問が僅かに大気に生まれていた違和感を鋭く捕らえる。それは小刀の持ち手部分をしっかりと、それでいて適度な緩みで撃ち出すように細工された注意しなければわからないほどの鋼糸。すぐに彼の同僚に当たる御神剣士・不破夏織を思い出し、己の迂闊さに太くなり散漫になった注意が恭也を探し始める。その時には黒い疾風はアルフレッドに近接していた。

御神流・奥義之弐・虎乱――。

構えから派生する乱撃が、獲物を捕えるために剥き出しにされた虎の牙や爪のように縦横無尽にアルフレッドに向けて振るわれる。タイミング的に絶対に回避不能な一撃に、普通であれば目を見開き、これから自分を襲うものを走馬灯のように見ているのに、アルフレッドは無表情に眉を吊り上げた。
瞬間!
彼の体を包んでいた筋肉の鎧が、更に一回り膨れ上がった。
それ見て、今度は恭也が驚愕する。しかし止まらない技は多少の気の迷いを含みつつもアルフレッドの左脇腹を斬り裂いた……かに思えた。だが千切れ飛ぶ布の下から覗いたのは、無傷の鍛え上げられた筋肉。さすがの恭也もそれには冷静な思考を中断して、動きが止まる。その隙を見逃す相手ではないのは、次の瞬間に眼前に迫った大剣によって再度認識させられる。
技の発動後でしっかりと踏ん張れた訳ではないが、それでも完治した右膝を使い威力を半減させるために後方へと飛びのく。体の前に戻した小太刀を十字に交差させた直後、鋼の塊である大剣が衝突した。衝撃が一気に肩口まで走り抜ける。びりびりと組み合わさった小太刀が弾き飛ばされそうになるのを必死に堪えながら、恭也の七十キロの体が小石を投げられたように吹き飛んだ。
歯を食いしばり、空中で九十度体を回転させて背中からではなく何とか足から壁に着地する。しかし、アルフレッドの余りに強靭な筋肉から生み出された破壊力は並ではなく、体を通り抜ける慣性の大きさに、恭也の口から苦痛が零れた。すぐに慣性は消え去り、重力に引かれて体が床の上に落ちた。
「今のは……硬気功……?」
「知っているのか?」
「一度だけ……それを使う相手と闘った事がある。だがその時は互いに決定打がなくて引き分けだった……」
「ならわかるだろう? 硬気功に隙は無い。諦めて道を譲るか、屍を曝すか選ぶがいい」
 鍔を鳴らし、硬気功を解いていないアルフレッドは、大剣を剣幅だけで真っ二つにできる真横にした刺突の姿勢をとる。
「御神に敗北は無い。必ず勝ち、そして守るべき人達の元に帰るのが使命だ。今俺が守るのは先に行った二人。そのために負けない」
 一刀を納刀し、小太刀僅かに床に水平な状態に構えると恭也は深く深呼吸した。
 前に硬気功と闘った時、まだ恭也は薙旋しか奥義を使えなかったくらいに幼い頃の闘いの記憶だ。御神としての心構えは持っていたが、まだ実行する勇気はなかった。だから絶対に倒す事が出きる箇所があるのに気付いても、攻撃できなかった。引き分けに終って、相手が去っていく時にも同じ事を言われた。
 だが今は違う。
 その手で命を奪おうとも、後悔はしない。
 まだ八割の成功率しか持っていないが、恭也は全てをこの一刀に篭める。
「ならば死ね」
 アルフレッドの宣言が一旦緩和した空気を再度凍り付いたものへと変えて行く。物音一つしない空間の中で、ピンと張り詰めた一本の糸が、じわじわと火に炙られて繊維を焼ききられていくかのように、短い時間がそのままで経過する。だが次の瞬間、二人は同時に互いに向けて駆け出した。
 アルフレッドの剣には名前はない。その巨体と巨大から生み出される剣は普通のどんな攻撃でさえ必殺になってしまうからだ。しかしその中でもこの刺突だけは好んで使っている。特に理由がある訳でもないのだが、必ず相手を仕留める時には使っていた。水平に構えた大剣を、問答無用で相手の腹部に突き刺し、更に上下に肢体を両断する。もそ横に逃げても両刃の剣で振りきれる。
 硬気功で倍増した筋力が空気を焼きながら恭也へと凶牙を向けた。そして切っ先が本当に数ミリだけ獲物の腹部に刺さった時、恭也の姿が文字通り消えた。最初はこれが御神の神速だと考えて、すぐに視線を左右に振ってみるが、姿はない。飛んだか剣の下に潜ったのかとも考えたが、影一つ存在しない。
 ならば何処に――?
 ほんの刹那の間にこれだけの思考を巡らせたアルフレッドの視界が、途端に黒一色に包まれる。そして黒の中から生み出された対極図の光を示すような輝きを確認した瞬間、彼の頭部は空中を舞っていた。
「御神流……奥義之極・閃」
 少しだけ破れた服の合間から覗く皮膚を血で濡らしながら、恭也は大きく肩でしていた呼吸に言葉を重ねた。首を完全に跳ね飛ばされても最初に出ていた命令を実行したアルフレッドの肉体は、噴水の如く血液を撒き散らしながらも大剣を壁に深く打ち込んでいた。
 完治したとはいえ、それでも神速を超える領域を動く奥義を使用すると圧し掛かってくる負担は、小太刀を杖代わりにしなければ立っていられない程だった。いやそれだけではないだろう。昨年のフィアッセを救出する時は、こんな疲労感はなかったし美由希が三年前に美沙斗を止めるために使った時も、別段変わりはなかった。結局は膝を手術によって完治させて僅か一年では、剣を教え初めてから筋力のバランスをとっていた美由希と違って、足腰の筋肉バランスが悪いという事なのだろう。だから緊迫した戦闘内での精神的負担を伴ってどっと疲労が沸いたのだ。
「やれやれ。俺もまだまだだな」
 一人ごちて恭也は部屋の端まで飛んで転がったアルフレッドの首元まで歩いていく。まだ頭部に残された血流だけで意識を残していたアルフレッドは、出血によって光を失った眼をぎょろりと恭也に向けた。
「硬気功の弱点である首を狙ったか」
「どれだけ筋肉で覆っても、格闘技ならまだしも剣で戦った時、首の筋肉は他の場所に比べて薄すぎる。だから狙った」
「カイゼル様を守れなかったのは心残りだが、お前のような剣士と最後に戦えたのは誇りだな」
「俺も絶対に忘れないさ」
「クククク。また地獄で剣を交えよう」
 最後まで擦れる事無く呟いて、アルフレッドは永遠に言葉を話す事はなかった。
そんな彼に胸の前で小さく十字を切ると、恭也はまだ走れない体で美沙斗達の後を追うのだった。

同時刻。
東京のとある総合病院で源柳斎の容態を見守っていた剣心と雫は、唐突に騒がしくなった院内に眉を顰めていた。
「なんだ?」
「何かあったのかしら?」
 不信そうに声音を変える母親に、仕方なく剣心は真夜中十二時を過ぎた院内の廊下に病室から顔を覗かせた。と、そこへちょうど一人の看護士が走ってくるのが目に入った。
「あ、すいません」
「はい? え、えと、なんでしょうか?」
 胸に「美坂」と名札をつけたショートカットの女性の看護士は、立ち止まりたくない思いを表面にあからさまに表しながらも、ぎこちなく顔の筋肉を駆使して笑顔を作り上げた。
「ええっと、何かあったんですか?」
 そんな彼女に悪い事をしたなぁと心の中で謝罪しつつ、疑問を口にする。
「海鳴市で爆弾テロがあって、どれだけの負傷者が出るかわからないって事で受入体制を整えてるんです。ごめんなさい。今急ぐので」
「あ、す、すいません」
 剣心の謝罪すら聞かずに美坂はぱたぱたと足音を鳴らして、廊下の向こうに消えていった。だが顔は反射的にそれを見送っていたが、しかし、彼女が言葉にした地名に、剣心は呆然と口の中で反芻した。
「海鳴で……テロ?」
 瞬時に思い浮かんだのは居候先の栄治に、仲良くなった高町家の人々とさざなみ寮の面々。すぐに駆けつけたい気持ちにかられるが、剣心は何事もなかったかのように清潔感と無機質が混在する病室に戻る。
「なんだったの?」
窓際につけられた源柳斎が横たわるベットの隣で座っていた雫は、戻ってきた剣心に問い掛けた。
「あ、い、いや、近くで事故があって、それで忙しいんだって」
「あらあら。海鳴はそんなに近かったかしら?」
「か、母さん!」
 何で知っている? と、聞き返そうと思ったが、僅か六畳程度の部屋の入り口で看護士と話をしていれば嫌でも聞こえる事に気付き、ややあって剣心は落ちつきを取り戻した。
「でも行った所で何もできないし、後で連絡でも入れるよ」
「……それでいいの?」
「よくは……ないけど、じいちゃんをこのままにして置けない」
 力の限り握り締めた拳を震わせて、剣心は海鳴から目を背けるように雫から顔を外した。
「飛天御剣流の理を口にしなさい」
「何を今更……」
「いいから」
 何を考えているのかわからないが、ただ微笑んでいる雫に首をひねりつつ、幼少の頃から教え込まれた言葉を口にする。
「飛天御剣流は弱者のために牙となる剣。人を守る剣」
「今海鳴にいる貴方の御友達は、助けを必要としているでしょうね」
「それは……」
「それに、おじいさまもこう言うわ。『せめて自分を犠牲にしても、目に止まる人々を守るのが飛天御剣流だ』って」
 はっと弾かれたように雫に顔を戻した剣心に、母親は満面の笑みを浮かべた。
「行ってらっしゃい。そして神谷と飛天の理を胸に、助けてらっしゃい。友人は隣にいるだけで心が強くなるのだから」
「……はい!」
 力強く、それでいて迷いなど一切なくした眼差しを輝かせて、剣心は頷いた。




まずは、恭也の勝利。
美姫 「他の面々はどうなるのかしら」
そして、海鳴は今、一体どんな状況に?
美姫 「美沙斗と夏織の勝負も気になるけれど…」
海鳴がどうなっているのかも気になる〜。
美姫 「続きがとても気になるわ」
虚空を見詰めながら、あ、妖精さんだ〜と呟きつつ、次回を待て!
美姫 「それじゃあ、ただの危ない人だって」



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