『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LX・譲れないもの

 女性用のテントの窓から射し込む太陽をぼんやりと眺めながら、美沙斗は昨晩起こった出来事をもう何百回と繰り返し思い出していた。そのたびに湧きあがる殺意を必死に堪えながら、一睡も出来ずに赤く腫れ上がった瞼を擦った。限界まで腫れた肌は触れるだけでひりひりと痛み、微妙に入り混じった睡魔のおかげで少々気持ちが悪い。胃の中に残っていた昨晩の夕飯が食道を逆流してくるたびに、初めて自分の目的のために罪無き人を斬り殺した瞬間が目の前に浮かび上がり、更に古傷と同じ箇所を切り刻んだ斎藤への殺意が舞い戻る。
 そんな心の悪循環に囚われている自分にまた嫌気がさし、野暮ったくなった顔を隠す事無く朝日を浴びに外に出る。一応寝て気分転換を。と、弓華に強引に装備は取り上げられてしまったので、特に手にする小太刀もない。黒のメンパンに黒のタンクトップという昨晩と変わらない服装で昇ったばかりの太陽の下に出る。
 徹夜明けで視神経が疲労しきった状態には少々辛いらしく、目の奥が小さく痛んだ。
 手で影を作り、比叡山潜入本部となっているキャンプを離れ、ふらふらと風通しの良い場所を求めて歩く。テントが張られているのは比叡山から少し離れた丘の上に作られている。直線距離で僅か十キロにも満たないが、木々の密集状態や監視のしやすさから蔡雅と香港警防がここに決定した。だが隠密に適しているかどうかの一点に趣を置いたため、テントにもまるで風が届かない。
 美沙斗はより涼しい場所を求めて丘を登る事にした。
 普通は山頂に向かうに従って草木は覆い茂っていくのだが、元々の標高差がそんなにないためか、大体が同じ生育速度を保っている。
 それならと、美沙斗は近くにあった気の中程まで登り、幹に背をつけて大きく溜息をついた。まだ早朝の微風は熱りすぎた瞼に心地良い。
 水でも持ってきたら良かったな……。
 胸がはちきれんばかりに透明な空気を吸い込むと、朝型まで沸点を大きく超えていた血潮がようやく冷えていくのを自覚した。
 昨日は確かにどうかしていたのだろう。激情に駆られて剣を抜き、そしてあっさりと負ける。そんなのは愚の骨頂であり、これから原因となった龍に潜入するというのにあの程度の挑発でキレていては、役立たずどころか周りを死なせてしまう。
 頭の冷静な部分ではそう理解していても、絶対に許せる事と許せない事がある。斎藤一がしたのは、明らかに後者だ。
 太陽がほぼ全身を明らかにして、山際がオレンジから緑へと本来の色を取り戻していく風景を眺めながら、荒海から漣へと変わった心に再度新鮮な空気を送り込んだ。
 その時、足元から会話が聞こえてきた。
「……弓華と確か……エリスだったか?」
 視線を降ろした先には、キョロキョロと何かを探しているのか、顔を左右に振りながら弓華がエリスを伴う形で進んでくる。
 木の上から一体何を探しているのかを思案したところで、エリスがあっさりと答えを口にした。
「ミサト、何処行ったんだろう?」
 どうやらテントから居なくなった美沙斗を探しにきたらしい。
 そう言えば、誰にも断らなかったな。と、どれだけ冷静さを失っていたのかを改めて自覚する。
 このまま何時までも涼んでいる訳にもいかないので、二人の前に降りていこうと体を動かし始めて、もう二度と聞きたくない名前を耳にして美沙斗の体は凍り付いた。
「でも、昨日のハジメの言葉は、酷スギまス。アレ、ミサトが動かなかったら、私が動いてましタ」
 これは本当である。
 美沙斗が刹那の差で動いてくれたからこそ、タッチで弓華は踏鞴を踏む事が出来た。それに対しては、落ち着かせるために美沙斗を連れ出した後で恭也と話す時間が取れた。その時に彼もまた同じタイミングで小太刀を抜きかけたと言う。
 過ぎ去ったからこそ苦笑を浮かべられるが、エリスは顔の前にある細い枝を動かしながら困ったように眉を歪めた。
「ああ、私も最初は辟易したものだけど……、あれはハジメなりの優しさだから許してやって欲しい」
「優しさ……デスカ?」
「ああ見えて、かなり繊細なんだ。それに何時も他人に合わせる……」
 世界にある言葉の中で、これほど斎藤に似合わない言葉は無いと思える単語が二つも並び、弓華だけでなく木の上の美沙斗まで珍しく目を見開いた。それは慣れているのか、今度は表情を苦笑に変えた。
「そうだな。終始あの調子だからわかり難いんだけどね」
 ま、あの仏頂面じゃ仕方ないよね。と、再三の溜息をついてエリスはそれ以上何も語らず、美沙斗探しに集中して丘を登っていった。弓華も慌てて後ろを追って行く様を上から飛び降りて見送りながら、エリスの真意を確かめるように言葉を反芻する。
「優しく……繊細?」
 全く理解できない。
 昨晩の言動を見る限りでは一切の容赦も情けも微塵すら感じ取れない。しかしあのエリスがそんな無責任な事を口にするだろうか?
 しかし、ここで首を捻っていても答えが出る筈も無く、仕方なくテントに戻ろうかとして、目の端に人影が映った。すぐにそちらへ顔を向けると、小枝の陰に隠れるように空也と斎藤の姿があった。何か打ち合わせでもしているのか、二人で時々頷きながら身振り手振りを混ぜている。
 折角落ち着いた気分が、乱した張本人の顔を見てまたかき混ぜられる。だが足はキャンプではなく、何故か二人に向かって歩いていた。無意識に御神流の気殺で気配を完全に消して、風下に回り込み。茂みに身を隠しながら聞き耳を立てる。
「……そんな感じだ。食料は大して運ばれていないから、どうやら作戦前と考えるのが自然だろう」
「外出していく雑魚共はいるのか?」
「今のとこはいないが、もし龍ならばHGSにより転移での移動は考えられる」
「と、なると、昨晩火影が調べてきた食料の多さから予測するしかできないか……」
「そうだな。現在も俺の配下が数人忍び込んでいる。昼までには一度連絡がはいる手筈だ」 声の端端に、相手に対する多少なりの遠慮が抜けている事から、二人は顔見知りとわかる。すでに火影が調べてきた内容を、会議前に吟味しているようである。本来ならリスティや美沙斗にも相談があっていいのだが、現場を仕切っているのは、今回は蔡雅である。別に現場の指揮権と言う体裁に拘らない美沙斗にはどうでも良いので、後の会議で提示されてから考えようと朝食まで冷えてくれた頭を休ませるために場を離れようとして、またもやタイミングを逸する発言にはっと息を飲んだ。
「それと、斎藤、昨日の発言は余りに酷かったな。今回の作戦関係者は内通者を出さないために、資料を渡しておいただろう?」
「ああ。全員分を頭に叩き込んである」
「お前が元々御神美沙斗を追っていたの知っているが、そんな鬱憤をあんな形で晴らすお前じゃないだろう」
 元々、私を追っていた――?
 それは香港警防に入る三年以上前の話だろう。特に追ってくるICPOなど小煩い蝿程度にしか認識していなかった。まさかそれが斎藤であった等考えも及ばない。
 しかし、その事実は美沙斗をその場に釘付けにした。
「別にそんなつもりなどない」
 何処からとも無く煙草を取り出して吸い始める彼に、空也は小さく溜息をついた。
「つもりは無くても行動には出る。忍者に隠せると思うか?」
 紫煙を胸深くまで吸い込み、大きく吐き出す。
「……エリスが過剰反応し過ぎるからか」
「別にそれだけじゃないんだがな」
 どれだけ冷静沈着であろうと、絶対に譲れない一線というものは誰にでも存在する。例えば美沙斗には昔の龍の話は未だに触れられたくなくい。絶対に心の中の境界線は人を惑わせる。忍者はそんな僅かな変化を見逃さない。空也はそれを斎藤に見つけたのだろう。
 一向に普段の冷たい感情しか表に表さない彼に、空也は俯いて呟いた。
「斎藤、まだ両親を殺した美沙斗を許せないのか?」
 ――!
 まるで頭を巨大なハンマーで殴られたような衝撃が脳を揺さぶった。
「それは……」
「関係ないとは言わせない。あの時のお前は、今の美沙斗と同じだ」
 初めて斎藤の瞳に殺気を含んだものへと変わる。しかしそんなものに怯む様子もなく、後を続けていく。
「感情のままに復讐を求めて身を削る姿なんて、傷に触れられて怒った彼女となんら変わらない。そんなお前が、気付かない訳無いだろう?」
「ふん」
 しかし斎藤は鼻で笑うと、多少誤魔化しを入れて木々の隙間から覗く太陽を見上げた。
 その様子に、仕方ないと言わんばかりに肩を竦める。
「とりあえず、会議は午後一だ。遅れるな」
「わかって……ん?」
 その時、草木を掻き分けて誰かが走り去る音がして、柄に手を当てつつ風下方向の茂みに顔を向けた。
 そして走り去る女性の後姿を確認して、じろりと空也を睨みつけた。
「はめたな?」
「何の事か」
 そらとぼける空也に、嘆息しながら、斎藤はやれやれと頭を掻いた。
「ち……。これだから忍者は……」



うーん、複雑な人間関係が…。
美姫 「それは兎も角…」
60話到達、おめでとうございます〜〜。
美姫 「いやー、60話だなんて、凄いわね」
うんうん。
美姫 「どこかの誰かさんにも見習わせたいわね」
おーい、どこかの誰かさん、呼ばれてるぞー。
美姫 「アンタの事よ、アンタの!」
ギ、ギブギブ。タップ、タップ。
美姫 「うるさい!あんたに夜上さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいわ」
だ、だから……、と、とりあえず、く、首を……、か、解放し…………。
美姫 「大体、アンタはいつもいつも……って、聞いてるの!
って、うわぁーー。気持ち悪いな。何白目で泡なんか吹いてるのよ」
(お、お前、それはさすがに酷すぎないか……)
美姫 「隅の方に転がしておけば良いよね。うん。
えっと、それでは夜上さん、これからも頑張って下さいね。次回も楽しみにしていますので。
それでは!」



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