『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




L\・足りないモノ

「と、言う訳で今週一杯出稽古に来てくれました、永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術の皆伝、高町美由希さんです」
 夕飯時全員揃った食卓で、やはり何処かふわふわとした話し方をする雫の紹介で、昼間打ち合わせで自宅に居なかった件の父親・緋村良と、剣心が実家に戻ってきた目的でもある緋村源柳斎は、席を立ち上がって恥ずかしそうに一人一人に頭を下げている美由希に、歓迎の拍手を送っていた。
「いやぁ、驚いたよ。出稽古に来たいって友人が居るとしか聞いてなかったから、まさかこんな可愛らしい女の子だと思わなかったよ」
 茶色のチノパンに黄土色のシャツを着ている良は、銀色のフレームをした眼鏡の下に線は細いが朗らかな笑顔で、大皿の上の天麩羅から特大の海老二匹を小皿に移すと美由希と単なる付き添いの筈のなのはの前に置いた。
「それに付き添いのお嬢さんもね」
「あやや……。わ、私はそんなー!」
 単なる役立たずですー! と、言いそうだったが、笑顔の中にも有無を言わせぬ強みを感じ、恐る恐る海老を一匹持った。
 すると一言で言い表せば、それまで懐いていなかった猫がようやく自分の手から餌を食べてくれたような満面の笑みを浮かべた。
 さすがにここまで表情豊かな、まるで桃子の男性版のように百面相していく良に思わず体を引いた。
「ふむ。しかし、この時期に出稽古とは……。美由希さんは大学生と言う事で時間は取れるだろうが、なのはちゃんは大丈夫なのかい?」
 今は五月三十一日で、火曜日と完全に週のど真ん中だ。通常であれば間違いなく学校がある。源柳斎の疑問も尤もなものだ。
 昔気質なのか真っ黒な短髪の下に厳格な太い眉と口髭を蓄え、作業衣に近い着物の上から薄手の半纏をまとっている。最初、剣心に祖父だと紹介されても、嘘でしょ? と、首を捻らせてしまう程に若々しい。
「え、えと、実は明日は創立記念日で……お家が喫茶店で中々旅行できないから、偶にはお姉ちゃんと一緒に楽しんできなさいって」
 実はこの質問は予想されていた範囲内だった。平日の真中に幾ら姉の付き添いとはいえ海鳴から東京へ出てきたら疑問に思われてしまう。なので前もって聞かれた場合の対処方法を決めておこうと十種類程回答バリエーションを作っておいたのだ。設定は六月一日が私立清祥女学院の創立記念日で、それに合わせて母が休暇をくれたというものにしている。 しかし自営しているという本当の設定は、源柳斎だけではなく雫も反応し、右手を頬に当ててあらあらと微笑みながら小首を傾げた。
「そういうお話なら遠慮無く寛いで」
「あ、はい」
 ちょっとだけ冷や汗をかいたなのはを挟んで、美由希と剣心は視線を合わせてほっと一息ついた。と、言うのも、東京に来る前に剣心からこんな注意がなされていた。

「で、美由希さんも来るんだよね?」
 念を押すために何度目かの問いかけに、少々力無く美由希は頷いた。
「今のままだと……私はあの槍の人に勝てない。だから少しでも強くならなくちゃ……」
 どこか思いつめたような膝上の手を握り、瞳の奥に本来は持っていないだろう黒い影を潜めて美由希は剣心を見つめた。
 結局、彼女の様子は劉閻に負けて以来、なのはの危惧するような脆さを感じさせた。こういった場合、本来であれば兄弟子でもあり師でもある恭也が注意を促したり、何かしらの行動を起こすのだろうが……。
 いや、何もしないか。
 おそらくこっちが正解だろう。負けて心に闇を作ってしまうのは個人の問題であり、それは周囲が後押しして解決させる事じゃない。
 剣心も昔は同じく負ける事が嫌いで、他流との試合に負けた後などは美由希より程度は軽かったが、同じ状態に陥った。ただ心も体も子供だったので、自分の殻に閉じこもるのではなく、周囲に当たって発散していたが。
「ま、少しでも気晴らしに……て状態か」
「え?」
「いやいや。こっちの話。それより、問題は……」
「なのは、ですか。でもどうして突然一緒に行くなんて?」
 今まで美由希や恭也の修行に付き合うなど一度も口にした事の無い妹の心境の変化に、彼女も少し戸惑いを隠せないでいる。それに関しては剣心は油を注いだ原因なので何も言えない。公園で胸を貸して伝言を頼んだ結果として、何かなのはの中で火を着けてしまったらしい。すぐに剣心を引っ張ってきて、続いて美由希を高町家の居間に連れ出して、堂々と宣言したのは僅か三十分程前だ。その後、買い物に行ってくると二人を残して飛び出してしまったが、結局それは彼女が大好きな姉のために選んだ行動なのだろう。
「それでなのはちゃんも来るなら一つ注意があるんだ」
「注意?」
 別に聞かれて困る内容ではないのだが、思わず周囲を見回して口元に手を当てて美由希の耳元で囁くように顔を近づける。
「実は家の母さん、理由無しにルールを破るの嫌いなんだ」
「ルールを破る、ですか?」
 何気に敬語になってしまったが、疑問をそのまま聞き返す。
「例えば校則とか法律とか……そうやって決められた事ね。美由希さんの場合は大学の講義休みを利用しての出稽古で十分なんだけど、さすがになのはちゃんはねぇ」
 実は前に夏休みの講習を内緒でサボり、友人の家でゲーム三昧をしていた経験が剣心にあるのだが、その時、担任が雫に連絡を入れてしまい、般若と化した母親が友人の部屋に乗り込み半壊させた経歴がある。
 その時の惨状を思い出し、小刻みに顔面を真っ青にして震え出す剣心に、たらりと冷や汗を流しながらもこれ以上触れてはいけないと心の何処かで鳴らした警鐘に従って必要な話だけを促した。
「確かに……どうしましょ?」
「ありきたりなのは創立記念日?」
「ああ、そうですね。だったら翠屋も使いましょう」
「……どうやって?」
 そんなやり取りの中で組み上げられた設定は、どうやら雫の心にクリーンヒットしたらしく、「ああ、あまり家族で遊びに行けなくて、それでこの機会に楽しんできてほしいという親心! はっきりと理解できます!」的な妄想をありありと見せびらかせて、すっかりなのはを可愛がるモードに突入している。左右斜め前からひっきりなしに差し出されるおかずの数々に、困り果てて目を回している。
「緋村さん、一ついいですか?」
「はい?」
「……え〜っと……楽しい御家族ですね……」
「御恥ずかしい限りです」
 もう昼間のほのかといい、とんでもなく肩身の狭い剣心であった。
 しかし、そんな家族を完全に無視している浩とは違い、妹は何故か睨むようにただ剣心を見詰め続けていた。
「とにかく、出稽古なら腕前を確認しておいた方が良いだろう。食事が終ったら道場に来なさい」
 どうやら、冷静なのか慣れてしまっているのか、源柳斎はそう言って変な雰囲気の食堂を出ていった。
 ……いや、こんな状況で厳かな言い回しを出来てる時点で、同類なのかもしれない。

 時刻は夜の九時を少しだけ回ったところだった。
 約六十畳の板張りの道場は、正面入り口から対面に床の間のようなスペースが存在し、そこから右手に渡り廊下へと繋がる廊下と男女更衣室がある。四方を囲む年季の入った壁には入り口より左側に師範、師範代、門下生の名前を記載された札が、ざっと数えて二十はかけられている。
 大きく道場の空気を胸いっぱいに吸い込むと、自宅で兄や母と鍛錬する小さな稽古場と同じ懐かしい匂いがした。
「あら。二人とも外から回ってきたんですか?」
 と、そこへ渡り廊下方面から胴衣に着替えた雫とほのか、そして何故か同じく上下紺の胴衣に着替えて上から白外套を着た、源柳斎がそれぞれ手に木刀を持って現れた。門下生が入ってくる正面入り口から中を覗いていた美由希と案内してきた剣心は、道場に一礼して中に進んだ。
 三人は源柳斎を中心にして右に雫、左にほのかが背筋を伸ばして正座する。それに合わせて剣心を上座に二人も道場の中心に腰を降ろした。
 どこか張り詰めた空気が五人の間に流れていく中、源柳斎が徐に剣心を見て口を開いた。
「さて剣心。御主、負けてきたな?」
 あまりに直球で、的を得た一言に美由希の隣で剣心が身を硬直させた。しかし、ここに来て口を噤むつもりはなく、だが言葉にするにはまだ決心を足りず、小さく首を縦に振る事しかできなかった。
 源柳斎の隣でほのかが息を飲んだ音が聞こえた。
 彼女も神谷活心流を学ぶ一介の剣士だ。一年に一ヶ月にも満たないが一緒に暮らしてきて、兄の剣腕を把握している。まだ奥義は取得していないが、まともな打ち合いで未だに一本取れた事が無い。
 そんなお兄ちゃんが負けた?
 一概に信じられない事実に、ほのかはちらりと横に並ぶ祖父と母に視線を走らせるが、質問を投げかけた源柳斎はともかく、雫までが平然としている。気付いていなかったのは自分だけだったと知り、剣心に問い詰めたい波打つ心を必死に静める。
「相手は?」
「……槍使いです」
「なるほど。だが、只者ではなかったと?」
「彼女と一緒で戦いましたが……殺気を当てられただけで……」
「嘘でしょ! お兄ちゃんがそんな!」
「ほのか、静かに」
 さすがに我慢できなくなったのか、腰を上げた彼女をただ黙していた雫が一喝した。感情のままに矛先を向けかけた彼女だったが、ぐっと胸に飲み込むと数回深呼吸をしてから座り直した。
 それを微笑んでみてから、今度は雫が剣心に視線を移動させた。
「しかし、一様に信じられないものがあります。飛天は弱者を守る牙となるべく剣。そして活心は弱者を守る盾となる剣。この二つの理を知っている貴方が何もせずに負けたと?」
「……はい」
「理解しているのに、何もしなかった。たった二ヶ月でそこまで腑抜けになりましたか」
「緋村さんは悪くありません! 私が役に立たなかったから!」
 短いながらも剣心を責める内容へと変化し始めた話を遮り、いたたまれなくなった美由希が叫んだ。そんな彼女の気持ちをわかっているのか、押し留めたのは剣心本人だった。
何か言いたげに眼鏡の奥で涙を浮かべている彼女に、小さく首を振った。
「ならばどれだけ腕が落ちたのか見てやろう。この……」
 その時、源柳斎が立ち上がった。続くように雫とほのかも立ち上がる。
「この十九代目比古清十郎が」
 宣言と同時に膨れ上がったのは、道場内を完全に埋め尽くす威圧感だ。
 これって……あの槍を使う人と同じくらい……強い……。
 びりびりと肌に突き刺さる空気に、美由希の眉が耐えるように吊りあがる。そして背後からかけられた声に、再度彼女は驚愕を浮かべる事になる。
「貴方の御相手は私が致します。御神美由希さん」
 何時の間に移動したのか、雫の後ろにはたった今まで源柳斎の隣に立っていた彼女が、今はただ人を殺すだけの銃火器のように、降り返った美由希に剣気が突き刺さる。だがそれは威圧的なものや劉閻の殺気のような気ではなく、言うなれば……。
 まるで水の流れ……。
 渇ききった喉に、水分が飛んだ粘っこい唾液が纏わりつく。気の流れからまだ雫が全てを開放している訳ではないのは瞬時に理解できた。指向性ではあるが、気の大きさも恭也より小さい。なのに美由希は体に纏わりつく剣気は、今まで感じたどんなものよりも強く感じる。
 そんな不可解な気に圧倒されながらも、持ってきた小太刀を抜き放った。
「ああ、神谷活心流は主流が木刀なのでお気になさらずに」
 まるでペースを変えずに微笑む雫に対して、美由希はまるで余裕など存在しない。気付いたら抜かされていた小太刀の切っ先は得体の知れない気に反応した心を反映してカタカタと小刻みに震えている。
 すっとほのかが二組の様子を確認して立ち上がった。
「それではこれより練習試合を開始します。立会いは私緋村ほのか。ルールは相手が戦闘不能になった場合。負けを認めた場合と致します」
 簡単な説明が為された後、すっと木刀を持たぬ手が姿勢よく上げられた。
「初め!」
 そして躊躇なく始められた試合に、源柳斎と美由希が床を蹴った。もちろん心に荒れ狂う感情は大きくかけ離れている。特に美由希の頭には隣にいる剣心を考える余裕などすでに存在していなかった。あるのは目の前の人を倒さなければ、反対にやられるという恐怖心と、雫に被さるように浮かぶ蒼劉閻の姿――。
 練習用の刃を潰した小太刀と言えど、それ以上の鋭さを持てば切断でき、自重を乗せれば刺突も容易い。これは練習に真剣を用いる場合に絶対に忘れてはならない事だ。確かに真剣を使用した方が実践向きで多いに心構えから鍛え上げられるのだが、自分自身でコントロールできない感情で動いた剣は、容赦など微塵も感じさせなかった。

 御神流・奥義之参――射抜!

 大気を貫く白刃の一撃が一直線に雫の喉元に向けて飛ぶ。それはまさしく光の矢と見紛う程である。
 でも、その程度なら――。
 立会人として場に存在するほのかは、驚嘆しながらも予測を立て、そして頭に思い描いた図と同じ状態になっている母の試合から目を背けた。
「中々ですが……これでは私は殺せません」
「う、嘘……」
 擦れた疑惑しか感情がない呟きに、美由希は呆然と己の腕の先を見た。
 たった二本の指に挟まれただけで、完全に動きを封じられた必殺の一撃を。
「これが神谷活心流奥義の防り・刃止め。どんな技と言えど、感情が伴う技に負ける筈もありません。そして……」
 母から伝授された技をいとも容易く打ち破られたショックに呆然とした彼女に、一切の加減のない一撃が首筋に打ち込まれる。殆ど反射的に防ぐために片手を首元に持っていくが、僅かに及ばず木刀が美由希の首にめり込んだ。
「あ……」
 一瞬で頚静脈の流れを寸断され、一瞬で意識が遠のく。
「貴方に足りないものがわかりました……」
 その中ではっきりと明言する雫の声を聞いたような気がした



雫さん、強いな…。
美姫 「予想外だったわ。まさか、雫さんが美由希に剣術を教えるなんて」
さて、美由希に足りない物とはいったい何なのか。
美姫 「そして、それを克服した時、美由希は更なる飛躍を遂げるのか」
次回も楽しみに待っています。
美姫 「ではでは〜」



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