『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LV・愛の獣医師物語

 その日も、さざなみ寮オーナーであり海鳴市藤見町商店街から五分ほどの場所にある槙原動物病院の院長の槙原愛は、午前中に行ったフェレットの大怪我を治療し終えてようやく遅い御昼に入ろうとしていた。看護士に休憩を与えて、彼女もようやくぐったりと自分の机に突っ伏した。
「はぁ〜。ようやく休憩〜」
 四月からすでに二ヶ月。やはり新学期の影響か新しい患畜の検診に、入院患畜の増加は殆ど自宅に帰れない状態を作り出し、その結果、彼女の預かり知らぬ場所で大切な人達が傷つくという状態になっていた。しかし戻ったのは片手を吊った夕凪と氷那、そして小鳥と真一郎で、最愛の夫である耕介は回復が芳しくないため、まだ夕凪の実家で静養している。それだけでも心配なのに、電話越しの彼の声は元気そうに聞こえるが、まるで覇気がない、愛が知っている耕介とは別人のようだった。
 本当は側にいたい……。
 そう気持ちを口にした。だが耕介は苦笑しながら断った。愛さんには愛さんのやるべき事があるでしょう? と。確かにそれは間違いではなく、彼女が目標としているR.E.Dという二十四時間完全看護と治療を掲げている動物病院は、命に対する認識は人間動物分け隔てなく治療する。中には肉親の死にも立ち会えない人もいると聞くが、そこまでの意識を持つのは尊敬の一言では足りない。もちろん、実際であれば許可と患畜の数さえ問題なければ急用は問題ないのだろう。特に今回は耕介も体ではなく純粋に静養だけで済むと言っている。本当に迎えに行くだけで十分なのだろう。しかし、妻として女としては居ても立ってもいられないのは通常の反応であり、今日も危うく関係ない部分を縫ってしまいかけた。
 これは気を引き締めなければ……。
 そうは思うが、最近身近で極度に事件が起こり過ぎている気がする。いや気のせいではないだろう。間違いなく事件は起き、そして大事な人達が掠り傷から重傷まで怪我してくのをみるのは辛い。
 思考が堂々巡りになってしまったのに気付き、愛はコツンと自分の頭を叩いた。
「いつまでも閉じこもってちゃ暗くなっちゃうもんねー。うん。今日は御弁当でも買って公園で食べよう」
 静かにして鬱に入るより外に出て気分を晴らした方が良い。
 愛は白衣を診察用の円椅子に置くと、背伸びしながら動物病院から出かけた。外は見渡す限りの青空で、快晴と言っても過言ではない程清々しい。今年の梅雨は空っ梅雨かしらね〜。と、ぼんやりと感想を内心で呟きながら、いつも懇意にしている御弁当屋に向かう。耕介程の味を出すわけではないが、家庭料理の味をしっかりと出して、どこか懐かしさを感じさせる味わいが愛には嬉しくあるもので、週にニ、三度は御世話になっている。毎回御馴染みの「お? 今日は旦那の愛妻弁当じゃないのかい?」という店長の会話に二言三言付き合い、そのまま散歩がてら潮の香りがする風を吸いこみながら五分ほどで目的地に到着する。そこは臨海公園のように大きく開かれているのではなく、団地の合間に作られた小さな児童公園だ。幼い頃、この近くに同じ小学校の友人が住んでいて、よく遅くまで遊んでいた記憶がある。その友人も今では東京に進出し、結婚して三人の子持ちだ。そう言えば耕介と愛の結婚式以来電話していない事を思い出し、今日は早く仕事を終えて電話でもしてみようと考えた。
 何処からともなく聞こえてくる子供の元気のいい声と、ぽかぽかとした陽気に満たされたお腹が拍車をかけ、うとうとと瞼が落ちてくる。時計を見るとまだ休憩時間終了まで三十分以上残っている。ぼんやりとしていた思考はどんどんと暖かい闇の中に落ちて行き、愛はあっさりとそのまま眠りに落ちた。

「……ちょ……」
 ん〜……耕介さん、もう少し寝かせてください……。
「いん……て……さい……」
 最近徹夜で患畜見てて、すごく疲れてるんですよ〜。
「いんちょう……いいかげんに……」
 あれ? 耕介さんじゃない?
 そこでようやく愛の意識の糸は夢の世界と現実世界に接続され、一気に浮上した。瞼を刺すような強い日差しが、容赦なく彼女を覚醒させる。それでもまだ半分は眠りの世界にいる愛に、トドメの一声がかけられた。
「院長! いい加減にしてください! 急患ですよ!」
「え!」
 絶対に聞き過ごせない一言に、がばっと体を起こす。と、そこで何故横になっていたのか? という事が疑問に登り、起き抜けに小首を傾げた。
「やっと起きた。そりゃ最近特に忙しかったですけど、休憩時間までには帰って来てください」
 そこにここ数ヶ月聞き慣れた声が聞こえ、ようやく自分が休憩中に公園で寝てしまったのだと思い出した。左頬がひりひりとしているので、そちら側が下にして眠っていたのだろう。そんな愛に溜息をついて、看護士の小島樹は精悍な顔立ちを困ったように歪め、頭を掻いた。
 彼はちょうど今年の初め頃、愛の通っていた獣医学部の教授の伝でやってきた、れっきとした獣看護の資格を持つ青年で、まだ二十二ながら愛よりもしっかりとして何時の間にか古株の看護士よりも経理に詳しくなり動物病院を切り盛りしている。ただ見た目は金髪にピアス、それに一度だけモデルをやった事があるという容姿は、大体初対面の人物には引かれ、そしてその後惹かれるという感じだ。唯一全くもって態度が変わらないのは愛くらいか。
 とにかく樹は今後は正式な獣医師の国際免許取得を目指して、現在愛の元で勉強していると言う訳である。
 最近の若者にしてはしっかりしているというか、ある意味小姑の如く何かあるとぶちぶちと言う当たり、外見とのギャップで微笑ましく思えるが、あくまでそれは端から見ている時であって、病院に戻っている最中に自分に向けられる小言は勘弁してもらいたい。だが、原因が彼女自身にあるため藪を突付くような真似は出来ないので、甘んじて御説教を受けている。
「いいですか? 出かけるなら出かけるで行き先をホワイトボードに記載してくとか、メモに書いてくとかしてくれないと、俺等もみんな困るんですから。金掘さんも大木さんも今頃ひっきりなしに走り回ってますよ」
「うう……ご、ごめんなさい」
 しょんぼりと肩を落としてしまった愛に、ちらりと横目で後ろ覗いて、言い過ぎたかな? という思いが一瞬頭を掠めるが、ここで許してしまえばまた同じ事の繰り返しと心を鬼にする。
「とにかく、今後は気をつけてください。今回は急患と言ってもただの切り傷なんで、塗り薬でも与えれば問題ないような大きさですから」
 完全にぐうの音もでなくなってしまった愛は、とぼとぼと樹の後ろをついていく。もう何と言うか、借りてきた犬が叱られたみたいな感じだ。錯覚だとわかっているが垂れ下がっている犬耳まで見えてきそうだ。
 さすがにそこまでへこまれると体裁が悪いのか、樹は小さく嘆息するとポケットから数枚のチケットを取り出した。
「はい」
「え? 何?」
「俺のライブのチケットです。院長、ここしばらく忙しそうだから、息抜きがてら遊びに来てください」
 樹は上は二十七から下は十七までの年の差のあるバンドの一員として活動している。全員が全員夢があり、それが音楽ではないため気楽な活動をしている。海鳴ではそこそこの人気を博しているのは、愛も聞いている。
「あ、じゃあ、御金……」
「ま、今回は奢りです。気に入ったら次回は金払って来てください」
 こんな調子だからこそ、樹はあっという間に槙原動物病院の中でも地位を確立できたのだろう。誰にでもこの調子で、音楽の話も同じように彼に慰められた看護士の女の子が聞かせてくれたものだ。
 愛は差し出されたチケットを受け取ると、笑顔で頷いた。
「それじゃさっさと病院戻りましょう。もう患畜が一杯でダメなんですから」
「うん。そうしましょ」
 どちらにしても、こんな自分を頼ってくれる人達がいる限り余程の事がなければ病院が気になるんだろうなぁ。と、何処かで思いながら、愛は見えてきた病院に駆け出した。



今回は日常編といったお話だよ。
美姫 「うん。今までの展開から、少し力を抜いてほのぼの〜とした感じね」
良いね、こういうのも。
美姫 「あー、心が和む」
次回がどんな風な話になるのかも気になるけれど…。
美姫 「ここらでちょっと一休み〜」
それでは夜上さん、頑張って下さい。
美姫 「次回も楽しみにお待ちしております」
ではでは〜。
美姫 「またね〜」



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