『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XXXY・嵐去ってまた一難

「本日は材料切れのため閉店させて頂きまーす! 大変申し訳ありませーん!」ざっと数えて五十人はいたであろう野次馬に疲労困憊の体に空元気と言う笑顔を貼りつけて、桃子はやって来る客に最後の小麦粉で作ったクッキーを先着で配布している。さすがに一人に任せておけないと普段は厨房の松尾も同様に表に立っている。と、言うのも普段はウェイトレス要員として働いている蓮飛と晶、そして休日返上で出勤となった月村忍は、かつて経験した事の無い労働に、テーブルにつっぷしている。
「し、死ぬかと思った……」
「ウチも……」
「話には聞いてたけど、ここまで凄いとは……」
 殆どテーブルに横になっている状態でカウンターを見る。
 そこには別の意味で撃沈している操と、食べ過ぎでようやく動けなくなったみなみが対照的な色を顔に浮かべていた。
 三人同時に溜息をつくと、晶は忍の呟きにもそもそと重くなった頭を動かして反応した。
「あれ? 前の時は忍さんもいませんでしたっけ?」
 前というのは数年前にみなみが作った翠屋飢饉事件だ。言うなればみなみに全ての材料を食い潰されたのである。
「バ〜カ。前の時は忍さんとまだ知り合いじゃなかったんや。いなくて当然……」
 だが晶の言うのも蓮飛にはわかる気がした。
 たった四年程度だが忍とは幼い頃から家族ぐるみで付き合っていた感覚がある。
「……そういう言い方されると微妙に傷つくけど、まぁ、まだ恭也の事も知らなかったしね。前の時はつまらない一族の行事に参加させられていたわね。そういう晶もいなかったの?」
 ほんの少しだけ眉を顰めたが、「忍さんも……」というという部分に反応し、疲れた首を持ち上げて、顎をテーブルに預ける形で晶に疲れで糸目になった顔を向ける。
「オレはその時館長と合宿に行ってたんですよ」
 館長とは彼女が通う明心館空手・本部道場館長巻島十蔵の事である。すでに五十を超える年齢と言うのに、精気に満ち溢れた豪快な中年は今は亡き高町士郎の友人で、幼い頃から高町家とは懇意にしてきた。その伝で晶は明心館に入門し、その後本部道場へ通う運びとなった。
 忍はそうなると翠屋の手伝いは誰がしたのだろうと首を傾げて、前回も参加したであろう蓮飛に首を動かした。
「あ〜、前の時はお師匠と美由希ちゃんと、フィアッセさんがいましたから」
「それもそれで大変そうだね」
 戦闘になれば恭也仕込みの剣術家になるが、普段は平均より更に下回るドジを発揮する。山となった皿を持って何も無い場所で躓き、一気に陶器のゴミを作ったのを想像してチーフウェイトレスの立場から大きな溜息を吐いた。同じ事を想像したのか蓮飛と晶が同時に乾いた笑いをあげた。
「はぁ〜。やっと満足ですー」
「うう……今月の給料が……貯金が……」
 正反対に知り合い兼客はお腹を擦り、被害者一名は財布の中を見て同時に感想を呟いたのを見て、ウェイトレス三人組は同時に同情の溜息をついた。その時、ようやくクッキーを配布し終えた桃子と待つが店に戻ってきた。
 一斉に労いをかける店員達と客に、桃子は疲れたがやり終えた満足感を微笑みに浮かべて手を叩いた。
「みんなお疲れ様。今紅茶でも淹れるから飲んで行ってね」
「あ、あたしももらっていいですかー?」
「いい加減にせんかい!」
 底の知らないみなみの胃袋に、とうとう堪忍袋の緒をプチンと切らせて操が血の涙を流さんとする程の勢いでみなみに噛みついた。そんな哀れとしか言いようが無い姿に、桃子がたらりと一筋の汗を流しつつ助け船を出した。
「まぁまぁ。おごっちゃうから、貴方も飲んで行って」
「え? い、いや、俺はこれから行かなくちゃいけないところもあるし……初対面の人に……」
 元々みなみに高町に行くにはどうしたらいい? と質問して連れて来られたのが翠屋だった。到着して早々に彼女は喫茶店内部に突撃してしまい、財布を忘れた彼女の代わりに代金を負担する羽目になったのだが。
「あたしは高町桃子。貴方は?」
「あ、ドモ。俺は四乃森操って言います」
「はい。これで知り合いでしょ?」
 あっけらかんと言い切る桃子に、ポカンと操は口を開けた。
「だから紅茶飲んでいってね」
 どうにか断る言い訳を頭に巡らせるが、背後から飛んできた桃子への援護射撃に諦める事にした。
 しかし次にふと浮かんだ疑問に、思わず言葉にして反芻した。
「……高町?」
 表情から色が抜け落ち、瞳が鋭くなった彼に桃子はキョトンと目を瞬いた。
「何?」
「え? あ、いや、色々と……その……」
 そう答えてまたもや墓穴を掘った事を自覚して、急いで口を塞ぐがすでに時は遅く、桃子は小悪魔的に見惚れてしまう笑顔のまま、操の肩を叩いた。
「とにかく、お茶しながら聞きましょっか?」
 忍らしからぬ迂闊さに、耳元でトライアングルが鳴った気がした。

 美由希は焦っていた。
 珍しく朝からお昼過ぎまで講義予定が入っていて、ようやく長い日程を終了した直後に、大学入学直後に興味本位で入部したミステリー研究会とは名ばかりの読書クラブの友人に、まるで連れさらわれた猫の子供のように拉致された。彼女も女の子であり恋愛話は好きなのだが、相談を受ける羽目になり、更に相手が知り合いのためしどろもどろになりながら話していた時に、母親からの電話で喫茶店のヘルプを頼まれた。しかし、相談を無碍にする訳にも行かず、結局東京大学の姉妹校であり、北海道赤レンガ庁舎のような作りをした校舎を駆け足で飛び出したのは電話を受けてから二時間後の午後五時だった。
 急ぐ足をもつれさせる緩やかな坂道を出口に向かっていく。
 前八学部十六学科を有する敷地は、どれだけ走ってもゴールに到達しないのではないか? と錯覚さえ覚えさせる。
 先に電話を入れておこうかな?
 駅までの十分の道程を神速の連続使用で考慮し始めた時、経済学部の校舎陰から不意に人影が現れた。危うく衝突しかけた美由希だったが、寸でのところで身を捩って回避した。途端、足元にあった数センチにも満たない石を踏んでしまった。
「あ……」
 思わず呻き声が零れた。
 バランスを崩した体がは重力加速度を伴って、みるみる地面に近付けていく。しかし突然腹部に挿し込まれたモノが激突の危機を防いだ。
「大丈夫?」
 兄の友人として、高町家のイベントや事ある毎に収集され、自宅の道場に時々竹刀を振りに来る男性は、清潔な白いカッターシャツニジーンズというラフな格好で、無愛想な兄と違って爽やかな印象を与える知り合いに、美由希は顔を真っ赤にした。
「あ、赤星さん……すいません。急いでたもので……」
 その時になってようやく自分が赤星に後ろから抱かれる格好になっている事に気付き、慌てて腹部を支えている腕から飛びのくように離れた。そんな相変らずの親友の妹に、赤星勇吾は苦笑混じりに手を引いた。
「いや、こっちこそごめん。それより急いでどうしたの?」
 赤星に指摘されて、美由希は一瞬で頭から飛んでいった目的を引き戻す事に成功した。あっと小さく唇を動かす。
「実は、母からのヘルプ依頼がありまして……でも友人から相談を受けてて……」
「抜けるに抜け出せなかったんだ。美由希ちゃんらしいね」
 ハハハ。と、笑う赤星に、いや、赤星さんの事を相談されたんですけど……と内心でゴチておく。
「それじゃ俺も帰るから送っていくよ」
 そう言ってポケットから愛車のシルビアのキーを取り出す。
「え? 良いんですか? 藤代さんを待ってるんじゃ?」
「今日は実験で徹夜だって」
赤星の高校時代からの恋人である藤代は生物学部に在籍しており、時々急な実験で予定がキャンセルになってしまう。今日も図書室で待っていたところ、藤代から謝罪のメールが延々と三十行にも渡って送られてきた。
食事がパーになったよ。と、冗談めかす赤星に美由希も釣られて笑ってしまった。
「それなら翠屋までお願いします」
「了解」
 大学の最寄駅から海鳴までは線路の都合で三十分以上かかるが、車で最短コースを行けば約十五分で到着が可能だ。
 美由希はほっと一息つくと、先に歩き出した赤星の隣に並んだ。

そんな二人を夕暮れに包まれた校舎の屋上から見ている人物がいた。
一人は大阪でみなみを襲ったセルゲイ=デュッセルドルフ。そしてもう一人は中世で使われていた刃付槍であるハルバードの刃を五倍に巨大化させたような歪な槍を手にして、背中に虎の刺繍が入った中国拳法着を身に着けている。
「獲物を追ってきてみれば、まさかオマエさんがいるとはな」
 楽しそうにセルゲイは、赤星の車に乗った美由希を見て、脂ぎった唇を舌なめずりした。
「美味そうな娘だ。アレが?」
 槍の男はセルゲイの質問に小さく頷いた。
「カイゼルの指令にあった御神だ」
「もったいないな。どうせ殺すなら俺の手下にした方がいいだろうに」
「カイゼルは生首を御所望だ。首だけでも生きている死者では意味があるまい」
 ふん。と、鼻を鳴らし校門を出ていく車をしばし視線で追う。そして見えなくなってからセルゲイは槍の男に振り返った。
「しかし、そろそろ潮時だ。俺達はアイツに協力しているに過ぎないからな」
「それは同感だ。旭川では兆冶達が最終段階に入っている頃合だ」
 二人は片や邪悪に、片や無表情に頷くと、夜に突入する戦場となる海鳴を見つめた。



おおー。段々と海鳴もきな臭くなり始めましたな。
美姫 「本当よね〜。槍を手にした男は何者かしら」
とても楽しみでござる。
美姫 「ござるって、アンタ…」
はははは。まあまあ。
美姫 「まあ、別に良いんだけどね」
さて、次回の舞台が海鳴なのか北海道なのか。
どちらの続きも気になる〜。
美姫 「そんなこんなでまた次回をお待ちしております〜」
では!



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