『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XXXX・北海道は暑かった

世界は異常気象の真っ只中である。
一世紀以上放出し続けた二酸化炭素は、今更エコロジーを叫んでも無駄な程に大気に溢れている。本来は浄化しなければならない森林は人口増加と農業の発展によって伐採され、おかげで砂漠は年に数センチという驚異的な速度で広がっている。二十世紀に入って普及したフロンガスは、空に大きなオゾンホールを開け、有害な宇宙放射線は無作為に地上に降り注ぎ、環境破壊に一枚手をつけている。二極の凍りは二千三十年までに溶け切ってしまうと科学雑誌ニュートンに発表されて以来、業界はにわかに混乱しているが、全てが手遅れの状態で慌てる姿は滑稽の一言につきる。しかし日々の生活を営む一般人にはそんな世界規模な事など頭の片隅置いて、普段は忘れて暮らしている。例えそれが妖や化け物といった世間一般に広がっている常識から逸脱した理由で日本最北の地にやってきた相川真一郎一行と言えども、それは例外ではなかった。
「暑い……」
 時期は五月半ば過ぎ。
 関東や関西のような湿気の肌に纏わりつくような蒸し暑さと言う訳ではないが、例年より十度以上高い三十度は予定外だ。真夏日となった北海道の空の玄関口・新千歳空港の硝子張りの自動ドアを出た真一郎は、再度暑いと呻いた。
「今年は昨年に輪をかけて気温が高いってお天気お姉さんが言ってたなぁ」
 出発前に必ず見ているフジテレビの天気予報を思い出し、九州生まれで暑さに強い筈の耕介も、額に滲んだ汗を拭いながら後ろに控えている女性三人組に視線を向けた。
 何故か真一郎ではなく自分に懐かれてしまった氷那を運ぶ為渋々同行する運びとなった夕凪は、縫ぐるみと強引に偽った氷那をここまで抱いてきて、夏でも滅多にない暑さにへばり、耕介と同じ九州出身である瞳は薄手の運動用Tシャツに着替えて何とか涼を得ている。そして最後に飛行機に酔ってしまい青白い顔色のまま、自分の荷物を椅子代わりに座り込んでしまったのは小鳥だった。
 そんな自分の婚約者に心配そうな表情で真一郎はしゃがみ込んだ。
「だから家で待ってろって言っただろ?」
「う、ううん。大丈夫……」
 昨日マンションに戻った後、北海道に行く用事ができたと言った真一郎に、小鳥だけではなく栄治も不思議そうに首を傾げた。しかし、池の側で美緒と瞳から話を聞いてしまった剣心は、彼の婚約者である小鳥に隠しておく事ができず、栄治が風呂に入っている間に告げた。話を聞いて当初困惑した顔をしていたが、見る間に表情は強張り、唐突に泣き出してしまった。そして着いて行くと言い出した彼女を説き伏せる理由も言い訳も見つからず、結局同行を許してしまったのだ。
 だが……と真一郎は思った。
 こんな無理をさせるんだったら、来させるんじゃなかった。
 弱々しく手を振って、体調の良さを示そうとしたがそれは四人を更に心配させただけだった。
「とりあえず小鳥ちゃんを休ませましょう」
「そうだな。まだ真雪さんが手配したっていう迎えの人もいない見たいだし、中の喫茶店でも入るか」
 今回、真一郎達の北海道行きを手配したのは驚く事に真雪だった。最初、自分が居なければ寮の機能が完全に停止してしまうと断り、代理として那美と久遠を派遣すると提案したが、それは話題に上った那美本人によって断られた。話によるとザカラが突然居なくなってしまい、現在海鳴はとてつもなく霊的に不安定な状態になってしまっている。そのため、無霊的スポットに悪霊や雑霊が入り込んで、土地に災いをもたらしてしまうため、ザカラ帰還まで代理神と集まる霊の供養が必要で、それを久遠と那美が行わなければならないらしい。霊力の使い方までは習ったが、それ以上の事は愛との結婚で修行を止めてしまった耕介は頷くしかなく、彼への依存率百パーセントの真雪の行動を疑問に感じながら、真一郎に着いていく事に決めた。
「そう言えば真雪さんがよく北海道行きに賛成してくれたわね?」
 時折そよぐ風が唯一の涼になるが、湿気の無い日差しの暑さが骨身に染みる。
 小鳥を早く休ませるために港内に戻った一行は、入り口右脇にある喫茶店に入った。
 さすがに空港内は異常気象にも対処できる作りをしており、入った途端丁度良い空調が熱った体を冷やしてくれる。
 店内に入るとウェイトレスが五人を窓際の席に案内し、そのまま腰のポシェットから注文用の小型入力機を手にした。
「ご注文はお決まりですか?」
 簡単に流すように広げたメニューを眺めて、耕介はロイヤルミルクティ、夕凪は隠れている氷那とイチゴサンデー、瞳と真一郎はミルフィーユのケーキセット、そして小鳥は気分をすっきりさせるためにソーダ水を注文した。
 マニュアル通りの礼をして、ウェイトレスは厨房へ伝票を貼りに向かうのをしばし眺めて隣で水を飲んでようやく一息ついたのか、小鳥は大きな溜息をついた。
「大丈夫か?」
「うん……。大分落ちついた……。ありがと……」
「大分落ちついたか」
 そう言った真一郎の横顔を見上げて、小鳥は気付いた。
 昔、幼馴染三人で大人に内緒のピクニックを計画した事がある。と、言っても隣町の矢後市にある森林公園まで遠足気分でいこうという子供が考えそうな、しかし、当時の三人にはとても心湧き躍る計画だ。ばれないように御菓子を集め、いつも御弁当を作っている小鳥は深夜に三人分の御弁当を作り、朝早いのに前日の夜は何時までたっても寝つけなかった。しかし当日問題が起こった。今も時々やってしまうのだが、唯子が何時まで立っても待ち合わせ場所の海浜公園に姿を見せなかった。もしかして事故にでも遭ったのか? そんな無言の沈黙が小鳥と真一郎の間に流れ始めた時、唯子は姿を見せた。小鳥は安堵の笑みを零し、真一郎はどうやって苛めてやろうかと思案したに違いない。だが、次の瞬間、唯子の後ろにいる人物に、二人は息を飲んだ。事もあろうに唯子は母親の車でやってきたのだ。案の定真一郎と唯子は大喧嘩をし、計画は永遠に実行される日は訪れなかった。
 そんな幼い頃から真一郎は代わっていない。仕草も言葉使いもそして癖も。
 イライラして自分の思い通りにいかない時、彼は右眉を小さく上げるのだ。
 だが小鳥以外に気付いた者は一人も居なかった。
 もし誰かでも良いから不信に思えば、少なくとも小鳥の心に暗い影を落とす事はなかっただろう。しかし実際は今後、どう動くかと顔を向けた真一郎も交えて話し合っていた。
「本当なら俺も那美と一緒に海鳴に居た方がいいと思ったんだけどな」
 つまり神咲本家に連絡し、代わりに誰かを派遣してもらうという方法だ。だがこれは真雪が首を横に振った。
「その判断は正しいと思うわよ。何せ前の時だって耕ちゃんと薫が二人がかりでダメだったじゃない」
「う……。だ、だったら余計に俺が来るのは場違いで、薫に頼んだ方が……」
「那美さんに聞きましたけど、薫さんは今リスティさんと一緒に行動してて連絡取れないって」
「じゃ、じゃあ葉弓さんとか……」
「ヨーロッパに旅行中だって真雪さん言ってたじゃない。だから現地に居る楓ちゃんと、ザカラとの戦闘経験のある耕ちゃんが北海道に行くのが一番妥当でしょ?」
 瞳の理論攻めに、耕介はグウの音も出せずに沈黙した。
「でも何で瞳さんも一緒に?」
「あら? 私だってザカラ関係者なのよ」
 確かに夕凪から見れば妖怪と闘った等と言う経験を持つ人間が多いのは嬉しい事だが、それを言えば美緒や真雪にも一緒に来てもらいたかった。話からすると唯子も関係者だろう。
 しかし実際は雪と氷那がいなければ、どうなっていたのかまるで予測が立たない。
「ま、今は待つしかないか」
「お待たせしました」
 と、タイミングよくトレイに注文した五品を乗せてウェイトレスがテーブル脇に立った。一つ一つ注文を確認しながら各人の前に置いていくと、注文を取った時と同じく感情の無いマニュアル対応で去っていった。
 ウェイトレスの登場で話が途切れてしまったが、確かに今は待つ以外に方法がない。土地感が多少あるとはいえ、夕凪の出身は札幌の隣にある北広島市だ。それにまだ体調が万全ではない小鳥に、今動けと言うのも酷である。
 しばしの休憩ってところかしらね。
 そう内心で呟きながら、瞳は自分の前に置かれたミルフィーユにフォークを入れた。
 全員が少し遅いティータイムとなっても、耕介は今後の行動について考えを巡らせていると、窓の外に人気の四輪駆動オフロードマシン・パジェロが止まったのに気がついた。
 そういえば免許取ったけど車持ってないなぁ。あんなの買って寮のみんなで旅行っていうのもいいかもしれないな。
 そんな未来を想像しながら大して美味しくないミルクティを口半分位含んだ時、パジェロの助手席のマジックミラーが開き、中から出てきた人物を見て、大きく噴出した。
「わぁ! こ、耕介さん! 何してるんですか!」
 隣で氷那にちょくちょくアイスを挙げていた夕凪が、耕介の突然の暴挙に体を引かせた。
「ゲホ……ゲホゲホ……」
 大きく咽て辛そうな耕介だったが、しかし地獄は目の前で噴火の秒読みを始めていた。
「耕ちゃん……」
 必死に何かを耐え忍んでいるように声を絞り出した瞳に、瞼の端に涙を溜めながらようやく落ちついた耕介だったが、顔を向けた途端、一気に血の気が落ちた。
 一番通路側に座った小鳥は、突然の惨劇に大きな汗を一筋たらし、真中の真一郎は体を半分小鳥に預けるように身を引いている。そして一番窓側で耕介の対面に居た瞳は、怒りに震えて青筋をこめかみに浮かばせていた。その普段は凛々しい顔に少しだけ白をプラスした琥珀色の液体を斑につけて。
「い、いや! ち、違うぞ! 別に狙った訳じゃ……」
 学生時代に秒殺の女王と言う異名を持つ彼女の閉じていた瞼が開かれ、隙間から怒りに燃え狂った光が見えた。慌てて助けを求めようと視線をちらりと振るが、全員が一斉に明後日の方向に顔を背けた。氷那まで背けている事に、耕介の胸は涙で溢れ返った。
「狙ってないなら、何なのかしら?」
「い、いや、あの……」
 ま、まずい……。このままだと、あの時の二の舞だ……。
 中学に上がった瞳が制服姿を見せに来た時だ。あまりの可愛さに思わず理性が飛んだ事がある。気づいたら壁に叩き付けられて肋骨が数本折れ、目の前には恥ずかしさと怒り、そして悲しみを浮かべた瞳がボタンが無くなったワイシャツを必死に抑えて床に座り込んでいた。
 今では瞳も耕介の事を許しており、仲の良い友人という関係を続けているが、今彼はその関係を破棄する寸前に立たされていた。まさしく背水の陣だ。さざなみ寮の管理人に就任して以来めっきり低下してしまった頭を必死に回転させ、この危機を乗りきるべく最高の妙案と思しきひらめきを見せた。
「あ、あれを見て驚いたんだ!」
 まぁ結局他人に擦り付け様としている時点で、出会った頃の美緒レベルと言う事ではあったが。
 しかし、窓の外を指差した効果は覿面で、瞳だけでなく全員が止まっているパジェロに注目した。そして全員が絶句した。
『な、何で御架月がパジェロに乗ってるの……?』



真一郎たちはついに北海道にやって来たましたか。
美姫 「次回の舞台はどこかしら?」
このまま北海道なのか、それとも再び海鳴へと戻るのか。
美姫 「そして、別々に起こった事件は一つに繋がるのか」
次回を待って舞います〜。
美姫 「じゃあね〜」



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