『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』



[・二階堂平法

 最初に動いたのは男だった。
 野太く深いな笑いを洩らしながら、一気に恭也との距離を詰めた。剣術の構えなど一切無視して、だらりと下げた刀を力任せに切り上げた。しかし、そんな基本を無視した一撃など通じる筈もなく、左に半歩体をずらして右下方から吹き上がる白刃を避けた。
 そこへ恭也の左小太刀が切りつけるが、男は開いた右手で脇差を半分だけ引きぬくと、体の回転を使って恭也の小太刀にぶつけた。
 弾かれた小太刀が戻っていくのを確認すると、そのまま脇差で切り払う。だが今度は恭也が余った小太刀で受け止めた。
 力が均衡し、両者が同時に腕に力を込める。
 だが表情は正反対だった。
 瞳に怒りを含めた冷静な歯を食いしばる恭也に対し、男は本当に新しい玩具をもてあそぶ子供のように黄ばんだ歯を禍禍しく露出して笑っていた。
「いいねぇ、いいねぇ! こちらが見せる隙を逃さずに打ち込む一撃! 久しく感じる事がなかった緊張感だ!」
「確かに強者と戦うのは、同じ剣士として望むところだが、おまえのような奴と楽しむ気は毛頭ない」
 同時に二人は後方へ飛び、間に数メートルの距離を取った。
「ン〜フフフフフフフフ。いいぞ。本当にいいぞぉ。これならもっと高みで楽しめる!」
 両手を開き、夜空に向かって高笑いを発する男は、最初は大きく、次第に体をくの字に折り曲げて、ただ只管笑っていた。
 しかし恭也は一言も発せず、二刀小太刀を逆手に構える。
 男の笑い声は何時間にも感じられる程続き、そして突然ぴたりと止んだか思うと、すっと急に神妙な面持ちを上げた。
「様子見の第一戦は終わった。ここからは……」
 男はそう言いながら、両手で胸の前で刀を横一文字になるように刀を構えた。
「死合の第二戦だ」
 言い終わるが早く、男の目が大きく見開かれた。途端に噴出す悪気と剣気は大蛇が纏わりつくような肌触りを残して恭也と美由希を襲う。
「ぐぅ……!」
「な、何これ……?」
 纏わりついた気を振り払うべく体を動かそうとして、二人は同時に驚愕を上げた。
「体が……動かない?」
 呆然と末端部分に力を込めるが美由希の体は、螺子の切れたロボットのように小刻みに動くだけだ。見ると恭也は美由希程ではないが体を動かしている。
「さて、どうする? ん? もう終わりか? それならそれで、俺は生肉を切り裂いてアツアツの生き血が吹き出る様を楽しむだけだぁ!」
 神妙な面持ちは一瞬で元の狂喜が滲む表情へと戻った。
 美由希の背中に冷たいものが走った。
 普段であれば美由希でも男の斬撃を回避していくのはできるが、急に動かなくなった体では例え神速を使ったとしても避けきれない。
 男は人差し指を恭也と美由希を交互に指し、どっちを先に刃にかけるか選んでいる。
 頭で「どちらにしようかな」が場違いな状態で流れている自分に内心苦笑を零しつつ、美由希はできるだけ何が起きても迎撃できるように小太刀を握る手に力を込めた。
 そして男の指は美由希で止まった。
「女から逝くかぁ!」
 体を硬直させる気が更に強くなった。
「くぅ!」
 今までは蛇が絞めている感触だったが、今度は拘束着で両手足を縛られた状態にレベルが上がり、美由希は苦痛を浮かべた。
「いい! いいねぇ! そのもがく表情! イってしまいそうだ!」
 垂れ流される涎を拭いもせず、男は美由希に向けて歩き出した。
 これから行われる惨劇と悪夢がリアルに脳に描かれ、美由希の顔色が蒼白に変わる。
 だが男が二歩目を踏み出た瞬間、紫色の三日月光が動いた。両手を上げて刃を下に向けた男の日本刀が火花を散らし急激な力に抗って大きくブレる。しばし動かなかった火花は、生まれた時と同様急に存在を闇に消えた。
「ほう! アレを解いたか!」
 男は嬉しそうに火花の元へ歯を剥き出した。
 あまりに唐突に行われた攻防に、美由希は何が起きたのか把握できずにいた。だがいつの間にか失われていた冷静さが戻ってくると、男の前に良く知る影がある事に気付いた。
「恭……ちゃん?」
 まだ拘束は解かれていない筈なのに、どうして恭也は動けるのか? そんな疑問に答えるようにきつく引き絞った瞳で男を射抜く恭也は、右足を後ろに引き刺突の構えを取った。「昔、父さんと武者修業していた時に立ち寄った道場で、同じ技を見た事がある。確か二階堂平法・心の一方という一種の催眠法だった」
 今でもはっきりと覚えている。
 錆びれ、たった一人の主しかいない廃屋のような道場で、精悍な顔立ちの高町士郎は、齢六十を超えた老人は、互いに獲物を手にして睨み合っていた。そして次の瞬間老人が放った気に、恭也と士郎は動きを封じられた。だが持ち前の洞察力と、恭也曰く吊橋をささえるワイヤーを数千本束にしたような神経を持つ士朗は、一瞬で技の本質を見抜き、老人を打ち倒した。
「詳しいな」
 男は恭也の言葉に肯定するように頷くと、腰から抜いた脇差持って二刀流にすると、漢数字の八を描くように構えた。
「だが二階堂平法は後継ぎがいなくて、そのまま潰えたと聞く。おまえは何者だ?」
「……そういえば名乗ってなかったな。俺は二階堂平法免許皆伝・元新撰組、そして維新志士の人斬り鵜堂刃衛」
 維新志士?
 今から二百年前に日本中で革命を起こした集団の総称に、恭也は問い返そうと口を半分開いた時、刃衛は構えを刀を直角に交差させるものへと変化させた。
 それは記憶にある父親と老人の決闘の際に見た事のあるもので、繰り出される斬撃の鋭さは今も脳裏にこびりついていた。
 恭也は開きかけた口を閉じ、また話すために閉じていた意識を広げた。
「いくぞぉ!」
 刃衛が気勢を合図に、今度は恭也が初歩を動かした。
 二本の小太刀を連結させるように構えたまま、十メートル余りを数歩で走りきる。
「中々速い!」
 刃衛は十文字の縦にした脇差を一瞬固定し振り下ろし様に、横軸の日本刀を弾くように薙いだ。ほとんど同時に襲いかかる唐竹の脇差を前に置いた小太刀で力の軌道のみを変え、薙ぎの刀を、剥き出しの柄に小太刀の柄をぶつける事によって最少動作で捌く。背後で硬い音が聞こえたが、恭也はそのまま溜めていた小太刀を突き出した。
「御神流・奥義之参!」
 
 射抜!

 御神の技の中で最速と最強の貫通力を誇る奥義が、刃衛の顎へと刃を突き立てる。
 しかし――。
 仮面の下にある血走った眼がぎょろりと恭也を睨みつけた。いや、微々たる抵抗をする窮鼠を眺めるように、笑ったのだ。
 なんだ?
 ほんの刹那の瞬間に脳裏に過る不安が、美由希の一言に反応した。
「恭ちゃん!」
 たった半歩にも満たない分、恭也の体が後方へ引かれた。
 瞬間! 腹部を横一文字に走る熱い塊に踏鞴を踏みながら後ろへよろめいた。
 ボタボタと塊の走った部分から鮮血が校庭に零れ落ちた。
「な、何が……?」
「ふん。逆手に持ってしまったから致命傷には至らなかったか」
 少し距離を置いて見ていた美由希には、一瞬の攻防の全容が見えていた。
 恭也の小太刀に押される形になった刀は遠心力と勢いを乗せて、腕の回転限界まで捻ると、恭也の一撃で脇差を飛ばされて空手となった腕が背中越しに刀を受け取ったのだ。逆手に持たれた刀はそのまま射抜が到達するより先に、恭也の腹部を切り裂いた。恭也の背後で鳴った金属音は、わざと放された脇差の音だった。
「まぁ、逆手の背車刀ではこんなもんか」
 刃衛は刃に付着した血液と脂を美味しそうに舐め回す。
 その姿に、美由希はどこか数ヶ月前に起きた友人である世界的歌手フィアッセ=クリステラの母親である故ティオレ=クリステラの遺産を巡る闘いで、それまで伸ばしていた美由希の三つ編を切り取った戦闘狂の青年を思い出した。十字架を模した大剣を振り回し、ただ闘いと人を斬る事だけを生甲斐としていた青年が、刃衛と重なった。
「まぁ、これからはただの挽肉ショーだ」
「く……まだま……」
 美由希のおかげで内臓まで達しなかった傷から手を離し、小太刀を納めようとして急に手から力が抜けた。肉体の損傷からではない、強いて言うなら魂の奥底から抜け落ちていく虚脱感が脳から考える力もじわじわと奪っていく。
 ついに体を支える事も出来ずに肩膝をつく。
 その時下から見上げて、恭也が刃衛の刀がおかしい事に気付いた。
 抜いた時は月明かりで紫に光ったのだと思ったのだがそうではなかった。
 刃全体から湯気のように紫の光が立ち上り、光は大気に溶け込む様に消えていく。その様子に恭也は見覚えがあった。
「美由希……」
「な、何?」
「心の一方を自力で解けるか?」
 恭也と刃衛の攻防に忘れてしまっていたが、美由希も心の一方を受けているのを思い出す。
「え? わ、わかんない……けど、大丈夫」
 先程の恭也の言う事が正しいとすれば、気迫を高めれば刃衛の呪縛から開放される。そして少しでも体を動かす事ができるのは、解ける可能性があると考えた美由希は、力なく頷いた。
「なら、急いでさざなみ寮に行け。那美さんを呼んでくるんだ」
「え?」
 小太刀を杖にして立ちあがると、恭也は疑問しか浮かんでいない美由希にきっぱりと言い放った。
「あれは……霊障だ」
 現象はまるで違う。
 だが、雰囲気がそっくりだったのだ。暴走した妖狐・久遠が己の体から発した雷が大気に紛れる様と。
「さぁ、第三戦……逝こうか」
 心行くまで舐め尽くした刃衛が幽霊のように左右に揺れながら、凶刃を煌かせた。
「早く行けぇ!」
 小太刀を二本とも鞘に納めて発した大声に、美由希は弾かれたように頷いて、一拍の気合と共に心の一方を打ち払った。
 それが合図となった。
 動きが鈍くなった恭也に、力を込めた一撃を振り下ろす。
 だが大振りになった斬撃など例え鈍くなったとはいえ恭也に通じる筈もなく、あっさりと後方へ飛んで回避する。だが刃衛も予測していたのだろう完全に振り下ろさずに途中で刀を振り戻し、再三に渡って唐竹割を見舞っていく。その全てを紙一重で避けていく恭也も驚嘆する身体能力だが、それ以上に刃衛の上腕二等筋は驚くべき筋力だ。
 自分も加勢するか一瞬判断を迷うが、霊障と言う恭也の言葉が真実ならば自分では力にならないと頭を振って気持ちを切り替えた。
「ま、待っててね!」
 そう叫ぶと、美由希は一目散に校門へ走る。
「逃がすかぁ!」
「させない!」
 背後で体を張って刃衛を止める恭也を信じ、美由希は夜の町へと飛び出した。
 壁の向こうへと消えていく美由希を気配で感じながら、恭也は刃衛に意識を集中させる。
 ピンと張り詰めた空気が数分間互いの間を埋める。
「一人逃がしたか。まぁいい。高町恭也ぁ。おまえは逃がさん」
 一の構えから横薙ぎ、そして首への二弾突きへと変化する切っ先を、頭部を左右に振ってかわす。
「ここでおまえを倒す!」
 少し斬撃が反れた隙をついて飛針を放つ。だが信じられない事に飛針は刃衛に当たる前に素手で受け止められた。
「これで御終いか?」
「まだだ!」
 下ずむ刃衛に、恭也が吠えた。
 直後、刃衛の膝裏に細い何かが当たり、上半身が揺れた。何もない校庭で膝裏を抑えられるなど思わなかった刃衛は、初めて焦りを感じて首を捻り、そして目を見開いた。
 そこには飛針に固定された釣糸より細い一本の糸が刃衛の足を絡め取るべく待ち構えていた。
 これが御神流最後の武器鋼糸である。
 本来は相手に直接ぶつけて絡めとり、首を締めたり武器を絞め落としたりと言った使い方をするのだが、恭也は最初の飛針を囮にし先端に錘をつけた鋼糸を操作して刃衛の背後に罠を張った。
 完全に上体の崩れた刃衛の目の端に、白刃の光が届く。
「御神流・奥義之陸!」

 ――薙旋!

 納刀された小太刀が白み始めた空を投影しながら、黒塗りの鞘から引き抜かれた。
 どれだけ態勢を崩していようとも刃衛も只者ではない。抜刀術から繰り出された一撃が何とか体の前に移動させる事に成功した刀に衝突した。
「ぐぅ!」
 刃衛の口から苦悶が落ちる。
 だが一撃目が戻される前に何時の間に抜いたのか、もう一刀の二撃目が更に押し込まれる。そして一度引いた一撃目が再度刀を直撃し、ついに限界に達した刃衛の腕と共に頭の上まで吹き飛んだ。
 そこへ――。
「!」
 四撃目が刃衛の胸部を深深と切り裂いた。
 二メートル近い巨体が白目を向けた頭部を乗せたまま後ろに傾き、そして地響きを立てて倒れこんだ。
「ぐぅ……」
 しかしそれは恭也も同じだった。
 背車刀を受けた傷から、じわじわと細胞の一つ一つまで侵食していくような苦痛が、神速を使う余力を奪い去っており、最後の薙旋が残った力の全てだった。元々のポーカーフェイスのおかげで刃衛に気付かれずに済んだが、避けられれば間違いなく恭也の死で幕を閉じていただろう。
「終わった……」
 体力の限界でその場にへたり込み、恭也は朝露が降りる時間帯の冷たく澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。少しだけ侵食されていく感覚が弱くなり、ほっと息をついた。
 本来は神速から薙旋へと連携させる事で威力を上げるのを得意とするのだが、何とか手持ちの武器だけで薙旋を当てられた。
「霊障であれば回復させるには那美さんか十六夜さんでないと難しいだろうな」
 霊障とは霊によってなされた障害の事である。大体は浮遊霊や自縛霊の種類から直接的に生きている者に危害は加えられないが、長い時間を介して力をつけた霊は物理的に生きている者に傷つけるだけではなく、傷に呪いや独特の毒を混ぜるタイプもある。恭也は刃衛にもらった一撃から霊障ではないかと推察した。
 力は抜けていくが、それでも進行がゆっくりと進んでいるのが不幸中の幸いである。遅くても那美が来るまで一時間はかかるだろうが持ち応えられるだろう。
 小さく嘆息して数秒だけ瞼を閉じ、そして開いた時、恭也を黒い影が包んでいた。
「なっ!」
 慌てて振りかえると、そこには振りかぶった刀を振り下ろす瞬間だった。
 恭也の手が無意識に腰に向けられる。だが、そこにあるべき小太刀は地面の上に転がっている。
 間に合わない……。
 鋭い物が接近する冷たいものを頭に感じ、恭也は無理だとわかっていても飛針を抜いた。
 しかし――。
 刀は恭也の前に現れた影が一度だけ見た黒塗りの鞘に受け止められていた。
「よ、大丈夫か?」
「おまえは……」
 白で胸に大きな猫のイラストが描かれているTシャツに、ハーフパンツという姿の緋村剣心が、そこに立っていた。



最後の最後に剣心登場ですね〜。
美姫 「まさに危機一髪という所」
さて、次回は剣心対刃衛になるのでしょうか。
美姫 「急いで次回へ!」
では、また後ほど〜。



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