不可視結界・外伝

絆 (繋がれた想い)

鞍林寺


平城の都より東行する事二十日余り、遥か彼方、阪東の地に立つこの寺は鞍林寺

と呼ばれ、阿弥陀如来を本尊とする陀羅尼宗の総本山である。

周囲には人家も無く、見渡す限り荒涼とした荒れ野が広がり、悠久の時の流れから

も取残された様な場所にこの寺が建立されてから既に三十年余の歳月がゆったりと

流れ去っていった。

 乙巳の変で、蘇我氏宗主である入鹿に組した為、中大兄皇子に滅ぼされた蘇我氏

一族の豪族達の根城の跡地に、その鎮魂の為に建てられた寺のひとつである。

中大兄皇子の追求は熾烈を極めた。それは討っ手に出された命令からも判断できた。

大陸から渡来してきた者たちが持つ異民族に対する本能的な残虐さが、今時代を遡り

子孫の代で発露したのかもしれない。


 陽が沈みかけている。柔らかそうで、それで居てどこか退廃的な感じを抱かせる西日

の中で鎌子は中大兄皇子に進言した。

「皇子、ここで蘇我の残党を徹底的に討ち取って置かねばなりません、そうしておかねば

 必ず残党どもが結集し、皇子に反旗をひるがえす事となりましょう。将来禍根を残す事の

 無い様に、今、根絶やしにしておく事が大事かと思われます」

それを受けた倉山田石川麻呂も、

「鎌子さまの言われる通りだと思います。もし、ここで放置して、将来、皇子に敵対する者

 どもが現れたときに、彼らの力を利用せんとも限りません。入鹿に組みした彼らは確かに

 蘇我ですが、彼らは蘇我であって蘇我ではない存在です。全て弓矢の家柄です、他の

 蘇我とは根本的に違います」

中大兄皇子は、鎌子と石川麻呂、この2人の意見の意味するところの裏を考えた。

 入鹿暗殺の後、政局の安定に向けて宮中の大広間に豪族達が集められて、孝徳帝に

忠誠を尽くす事を誓約したあと、乙巳の変の立役者達が残って談合を行なっていた。

誓約が行なわれた際に、人心の安定をはかる方策に関して彼ら豪族達に確認を行なった

結果、このままで民は安定すると中大兄皇子と軽皇子は考えていた。

中大兄皇子は、入鹿だけを討ち取れば事は成ると考えていた。一族郎党を皆殺しにするなどと

は考えても居なかった。軽皇子にしてもそれは同じで、入鹿独りを討ち取ればそれで終わりの

はずだった。しかし、鎌子にはこのままの収束はなんとしても避けなければならない重要な

場面であった。このまま行けば入鹿の意図する結末は実現しない事になる。

鎌子にしても、入鹿が望む結末こそが蘇我にとて最良のものであると信じて疑わなかった。

顔には出さないがこのまま流されてしまえば終わってしまうと感じた鎌子は焦った。

『此処はなんとしても討伐隊を結成して、入鹿様に歯向かったものを、蘇我の大願成就に

 棹差したやからには、蘇我の名にかけて思い知らせなければ為らない。たとえ同族と言え

 どもそれは変わりのない事だ。いや、同じ蘇我なればこそ絶対に許す事はできない。』

此処まで考えて、鎌子は一計を弄し中大兄皇子に進言したのだ。

彼の性格を知り尽くした鎌子なればこその罠を仕掛けた。

それは、中大兄皇子の心情を揺さぶった。

『確かに、今は入鹿に対する反感が結果的には追い風となって自分に有利な方向に向い

 てはいるが、いつ、自分が入鹿と同じ立場に為らないとは分からないのだ。

 叔父の高徳帝にしても、権勢の力に惑わされ自分に敵対するかもしれないし、孝徳帝を

 担ぎ上げて自分を排斥するものが居ないとは断言できない。

 鎌子にしても石川麻呂にしても、自分に組したことが知れ渡っている。自分が倒され

 たならば彼らもまた倒される。先に進むしか道が無いのだ、もう後戻りは効かないのだ。

 彼等も又、自分と同じ立場なのだ、彼らも自分同様、前に進むしか方策が無いのだ、全て

 を自分に賭けてくれたのだ、彼ら一族の運命を自分に賭けてくれたのだ。』

その事に思い至ったとき、中大兄皇子は、倉山田石川麻呂に命じた。

「1人も逃すな、女子供、赤子にいたるまで誅戮いたせ」

兵士達は命令のままに殺戮を行なった、赤子に到るまで正確に命令を遂行した。

最初のうちは中大兄皇子に対する気持ちから冷ややかな眼で見ていた人々であったが、

討伐が進むにつれ、余りの惨たらしさに反感が湧き起こりつつあった。

民衆の反感が芽生えたのと時を同じくして、中大兄皇子とその周りに異変が起きた。

血まみれの入鹿の姿を見かけた、という話が実しやかに囁かれた。

討伐で手柄を立てた者の中には、発狂するものが現れた。

これは討ち死にした蘇我一族の怨念のせいだ、何とかしないと祟り殺される、こんな声が

中大兄皇子の周りから湧き上がった。

鎌子は宮中に参内して、中大兄皇子に進言した、

「皇子、ここは人心の安定を図るためにも神社仏閣を建立して鎮魂しなければなりません」

 祟りを恐れた中大兄皇子は中臣鎌子の意見を取り入れ、怨霊封じの為の要として各地

 に神社仏閣を建立した。


 政変後、実母である皇極天皇を退位させ、叔父の軽皇子を孝徳天皇に推し、自らは

皇太子となる。十四年後、有馬皇子を謀殺し、その三年後の661年に天智天皇となった。

いろは四十七文字、この歌の作者は誰あろう有馬皇子である。中大兄皇子に対する

恨みを後の世まで伝えるべく、暗号化されて詠まれた歌は現代に結ぶ。

い  ろ  は  に  ほ  へ  と

ち  り   ぬ  る  お  わ  か

よ  た  れ  そ  つ  ね  な

ら  む   う   ゐ  の  お  く

や  ま   け  ふ  こ  え  て

あ  さ   き   ゆ  め  み  し

ゑ  ひ   も  せ  す

最後の文字を拾って読むと、

と  か  な  く  て  し  す

”咎無くて死す”

この歌を後世に伝えのは、陀羅尼宗の僧侶である。

わらべ歌として、子供の心に残るように。彼らが大きくなった時、自分達の子供に歌って

聞かす様に。未来永劫、中大兄皇子の残虐非道が決して消え去る事の無い様に。

歴史の裏側に潜む棘々しい事実が日の当たる場所に出る事はない。中大兄皇子は、

後に天智天皇となるが、正統で行くと有馬皇子が天皇の位に就くのが本筋である。

日本書紀には、有馬皇子の他に孝徳天皇の子は書かれていない。


 蘇我満智を始祖とする蘇我一族は、入鹿を最後に、蘇我氏は滅ぶ。しかし。すで

に蘇我満智は、一族の女を天皇に納めて天皇家と姻戚関係を結んでいた。自分達の

血筋で天皇位を独占するする事が蘇我氏の目的であった。

表立っての支配では、大陸系の蘇我氏に対して、半島系の高句麗や百済系の皇族や

豪族に反発を買う事になる。全ては闇の中で達成される目的。その目的達成の為に

蘇我氏は在る時期を境に四つに分かれた。


 六四五年、宮中で事件が持ち上がった。大化の改新と呼ばれている事件が起きた。

中大兄皇子、中臣鎌子、倉山田石川麻呂の三人が、皇極天皇の前で入鹿を暗殺した。

同時に蘇我一族への討手が掛かり、蘇我一族はその大半が刃の露と消えた。

 乙巳の政変がこの様に巧く運んだ裏には、蘇我一族からの内通者の存在が挙げられる。

入鹿に命じられて軽皇子に近づいたその人物は倉山田石川麻呂。蘇我氏一族の最有力

豪族で、弓矢の家柄であった。もう一人は、中臣鎌子、裏に潜んで久しい蘇我の一族。

 入鹿は、かねてより軽皇子と中大兄皇子の動向に気配りしていたのだ。朝廷内部か

らの謀反に備え、入鹿は到る所へ眼を放っていた。それは一人の女が入鹿暗殺計画の

在る事を報告をした時からである。

「東国の蘇我柄人宿禰のもとに軽皇子の使者が赴いた由お伝えいたします」

それだけいうと女は消えた。

その日を切っ掛けに、入鹿は眼を放った。その範囲は武蔵から筑紫までの己が一族の

有力者全てに対して監視の目を付けた。

蘇我柄人宿禰、彼は入鹿と言えど無視できない存在であった。

その彼に軽皇子が使者を送ったという事は忌々しき問題であるが、現況は入鹿の予想

を遥かに上回る最悪の状況であった。


『やはり内通者は居たか・・・』

切羽詰った状況の中、入鹿は山背大兄を思い出していた。

大化643年、乙巳の政変の2年前、蘇我の推す山背大兄が何物かに暗殺された。

世評では入鹿が下手人であるとの風評が流されたが、入鹿にとって山背大兄は

大事な権力基盤の天皇候補であ利、息子でもあった。叔母である刀自古郎女と厩宿皇子と

の間に生まれたことになってはいるが、事実は刀自古郎女と入鹿との間に生まれた不義の

子であったた。山背大兄は天皇を狙える位置にいる。

だが結局の所、下手人は分からずに終わった。

この時、入鹿は、何か途方も無い事が起こりつつある予感を感じた。

『内通者がいる』

この報に接した時、確信に似たものが入鹿の背筋を走った。

山背大兄は、立場上、その身辺警護は厳重を極め、周りには居所さえぼやかして居たにも

係らず、暗殺された。

入鹿には内通者の存在以外に考える事が出来なかった。

探し出して粛清しなければ、こんな考えが浮かんだが、明確な証拠も無く、動きたくとも

動けないのが現状であった。

女の報告を聞き、逃げ切れぬと悟った入鹿は、この状況を利用する事を思いついた。

『幸い畿内の宗家一族はまだ大丈夫だ、この機会を利用して内通者たちを粛清する』

急遽、入鹿は、中臣鎌子と倉山田石川麻呂を密かに呼び寄せた。

この日を想定して、闇に潜んだ蘇我宗家直系の一族である彼らを呼び寄せたのである。

3代にわたり、蘇我氏との関わりを極力隠蔽してきた中臣氏。同様に、蘇我宗家との確執

が世上で取沙汰される蘇我一族の倉山田石川麻呂、隠された一族を此処に来て呼

び寄せ彼らに策を授けると。今度は家臣団の主だったものを集め指示を与えた。


 宮中での蹴鞠の会で、中大兄皇子が鞠を蹴ったその時、勢いの余り自分の履いていた

沓が脱げて中を舞い地面に落ちた。鎌子はその沓を拾い上げ中大兄皇子に履かせた。

自分の沓が脱げ易い様に細工されていたとは露ほど知らぬ中大兄皇子は鎌子の態度に

心を打たれた。これが入鹿の策謀とも知らず、何かにつけ鎌子を招いた。

中大兄皇子の沓が脱げ易い様に細工したのも中臣鎌子の配下の者だった。

これが切っ掛けとなり、中大兄皇子と中臣鎌子の関係は急速に、しかし、不自然さを

感じさせず、ゆっくりと中大兄皇子との信頼関係を結び中大兄皇子を取込んで行った。

入鹿の専横や、蘇我一族に関することだけではなく政治に関しても、個人的な事も話

せる程の信頼関係が構築されていった。

 そんな中、中大兄皇子が入鹿誅殺を打ち明けた。鎌子にすれば、此処で迂闊に

反対するわけには行かない。なぜなら、試されているかも知れないからだ。仮に真実で

在ったとしても、今はその時期ではない。入鹿の考えている時期とは程遠いのだ。

山背大兄皇子の一件から、蘇我一族の中に居るであろう内通者を焙り出す為にはまだ

時期尚早なのだ。鎌子は中大兄皇子を諌めて、安全策を取った上で中大兄皇子の気

を引く事も忘れなかった。諌めながら鎌子は、入鹿の親書の内容を思い出して居た。

『やはり入鹿様の判断は正しかった。ここは入鹿様のお指図通りに動いて、何処ま

 で広がっているのか慎重に調べよう。』そう決意する鎌子。

「皇子のお心は、この鎌子とて御理解できます、がしかし、兵は如何なされます。

 権勢並びなき蘇我入鹿に抗う者達が居ると御思いですか。其れに大方の者の協力は

 無いものと覚悟致しておかねばなりますまい。東国でも屈指の豪族の1人が、都から

 使いが来て、大臣にするから力を貸せと頼みに来た、などと吹聴しております。

 その豪族が何者かは問題ではありません、どうせ入鹿の手の内だと思います、そうで

 なければ、その様な事を口にする筈が有りません」

鎌子の声が遠くから聞こえる様な錯覚に陥りながら、中大兄皇子は、蘇我柄人宿禰を

頼った自分が腹立たしかった。

「此処まではよろしいですか、皇子」

鎌子の声に現実に引き戻された。

「うむ、続けてくれ」

「それでは続けます、この事は取りも直さず、その豪族に合力を依頼した者は手兵の

 数が少ない事を自ら広めて居ると言う事実です。誰も合力したいとは思は無いでしょう。

 引いては、負ける方に組する者など誰もいない、入鹿に歯向かうなど無謀だ、と言った

 噂もこの事が原因で広がりつつあります。誰が合力を頼んだのか今のところ名前は聞き

 ませんが、この鎌子が知る以上、入鹿とて承知していると思わねば為りません。

 誰が言ったにせよ、入鹿と闘うだけの力が無いと言われて居るのと同じ事なのです。

 今は時期では有りません。志を同じくする者たちを集める事が先決だと思いますし。

 私自身も、その者たちに少し心あたりが有ります」

「鎌子、それは一体誰なのか」

「倉山田石川麻呂と申す者です。蘇我の一族ですが、祖母は物部守家の妹で、物部

 の血を引き弓矢の家柄です。入鹿とは折合が悪く常日ごろから入鹿を批判しており、

 何かと役に立つかも知れません、しかも、表立ってではありませんが、入鹿の人望に

 失望した蘇我の家臣団の中にも不満を持つものはいます。

 彼らは石川麻呂と連絡を取り合っている様子で、彼の人徳を慕って集まる様です。

 石川麻呂自身は公正な人柄で有りますから、その辺りが原因と思います。

 必ずや皇子に組する様に不祥の臣、中臣鎌子が説得致しましょう」

中大兄皇子の心に楔を打ち込んだ事を鎌子は確りと感じていた。

その後直ぐに中大兄皇子の元を辞した鎌子は、その足で倉山田石川麻呂を訪ねた。


時を遡る事、数ヶ月前。入鹿の前には、中臣鎌子、倉山田石川麻呂の姿があった。

「今までご苦労であった。2人の一族には稲目様以来、理不尽な勤めをさせて来

 たが、それが今役に立つ、 中大兄皇子が動き出した」


 中臣鎌子  〜中臣一族 隠された蘇我一族〜

 蘇我稲目、馬子親子は、自分達とは関係の無い氏族を創設しようとしていた。

自分たちの勢力に反対するものが必ず現れる、その時、蘇我と無関係の所に居て、

情報を収集する者が必要になる。ほんの少しの噂でも、常日ごろから集めて置けば

大凡の姿は見えてくる、それが何時なのか稲目にも馬子にも分からない。

『しかし、必ず其のときは来る。』

信念の様なものが稲目、馬子の胸の内に在った。

 かつて祖先が大陸に居た頃、中央アジアの覇者たらんと戦いを重ねて居た時、

その野望は内部造反の為に脆くも潰えしまった。やっとの思いで命からがら日本へ

流れ着いた祖先達は、じぶん達の居場所を確保する為に又闘争の中に身を置かねば

為らなかった。この事は拭い切れない記憶として、蘇我宗家一族に語り継がれた。

何代か後に、稲目が宗主の地位を継いだ。彼の辺りから勢力を確実に伸ばして来た。

何年にもわたり弱小豪族を支配下に置き、有力豪族と姻戚関係を構築し、その勢いを

固めつつあった。父稲目の名代で東国の所領に出かけた馬子はその帰り道、閃くも

のがあり、馬子は行動を起こした。

随行していた境部摩理勢(渾名を松ヶ枝)を死亡した事にしてこの遠国の地で中臣一族を

創りあげた。


 蘇我倉山田石川麻呂 〜蘇我氏一族 隠された一族〜

馬子は、旅から帰り、父稲目に事の次第を告げた。

「ただいま戻りました」

「ご苦労であった。松ヶ枝は如何にして落命したか聞かせてくれぬか」

「父上、実は松ヶ枝は生きております」

「生きて居るとな、それはまことか」

「はい、生きております。隠れた一族を創りあげる為、東国にて勢力を蓄える

 様にせよと申し付けまして御座います。その為に・・・」

余人の考えも及ばない遠大な構想を語る馬子であった。

聞き入る稲目の顔には、驚愕の色が現れていた。

語り終えると、馬子は更なる計画を父稲目に語る。

「次に表立って、蘇我宗家に対抗する蘇我を創らねば為りません。

 私は倉麻呂にその役目を与えようと思っております、物部との因縁が良い隠れ蓑に

 なるかと思っております」

倉麻呂。母は物部守家の妹で、馬子の正室である。

長男は蝦夷、次男が倉麻呂である。

石川麻呂は倉麻呂の長男で、物部の血を引き、その勢力も自分の一族に包括していた。

蘇我一族の中で宗家に次ぐ豪族で、その勢力は一族全体の2割近くを占めていた。

入鹿は、自分の計画を目の前の二人に話した。



蘇我一族内部に入鹿に対する謀反の兆しが存在する事を告げた。

「それはまことですか、従兄上、俄かには信じがたい話です」

「従兄上、鎌子も薄々感じていた事では有りますが・・・」

「うむ、これを利用する者が現れんとも限らん、両名とも注意しておいてくれ」


 時は戻って、石川麻呂の屋敷に赴いた中臣鎌子は、石川麻呂に中大兄皇子との会話

の一部始終を告げた。話終えると、

「朧様、聞いてのとおりで御座います、早急に入鹿様にお知らせ願います」

その日の深夜、入鹿の寝所の中に朧さまと呼ばれた女が座っていた。

入鹿は朧の報告を聞き終え暫らく考えていたが硯箱から筆を取出し親書を認めた。

「我に反するものはたとえ一族といえど見過ごす事はできん。鎌子と石川麻呂に我が親書

 を届けよ、それに認めた通りにせよと入鹿が申しておったと伝えよ」

親書の内容は、蘇我柄人宿禰初めとして、入鹿に反対する、蘇我一族の豪族達の名前が

書連ねられていた。

親書の最後に一筆、

この者たち、入鹿と同腹の者どもなれば、入鹿共々天誅を与えられるべし。

種は捲かれた。粛清と、新たなる支配の種が。


時を同じくして蘇我宗家の家臣団が入鹿と対立し、その多くが石川麻呂の陣営に走った。

東国の部曲の検分に蝦夷が出かけ、今、入鹿の周りには数十足らずの年老いた手兵しか

居ない。畿内の氏人達も夫々の部曲の在る西国や東国へと出かけている。

家臣団の大方は、畿内には居ない。



それを見計らったように急遽、宮中からの呼び出しが入鹿に告げられた。

『いよいよ、だな』

宮中から差し向けられた輿に揺られながら入鹿は、これから起きるであろう惨事を他人

事の様に感じていた。長い廊下を歩く入鹿、あと数歩で右に曲がると言う所で、襖が開き

中から入鹿と見紛う位よく似た男が現れた。

部屋から出てきたその男は、廊下の入鹿に頭を少し下げると急に前を向き歩き出した。

瞬く間に角を曲がり入鹿の視線から消えた。

後姿を見送った入鹿も襖の中に身を隠し、黙祷するかのように瞑目した。

皇極天皇の御座所に招かれた入鹿はそのまま歩を進めるが衝立の後ろに隠れていた

軽皇子、中大兄皇子、中臣鎌子、倉山田石川麻呂の三人に声を上げる間も無く刺し殺

された。


 こうして乙巳の変が始まった。各地で蘇我一族が討たれその戦いは熾烈を極めた。

石川麻呂に拾われた旧宗家の家臣団の働きは目ざましいものがあった。彼らは東国

に派兵され、蘇我柄人宿禰の一族を殲滅した。中大兄皇子の発した命令どおり、全てを

皆殺しにした。

石川麻呂は中大兄皇子に対し、旧家臣団が完全に自分の隷下に在る事が今回の討伐

により証明された事を告げ、辺境の防人として阪東の地に留める事を進言した。

朝廷の支配力確立の為、遠隔の地に留まる事を命じられた彼らは後世、阪東武者と

呼ばれた。


入鹿誅殺のあと一族の3分の一までが消えた。

あとに残ったのは、石川麻呂と同じく入鹿の反対勢力と思われて居る存在だけであった。

大化の改新は、蘇我一族内部の粛清をも兼ねていた。

入鹿に反対するものを、中大兄皇子を利用して殲滅する事が目的であった。

中大兄皇子は入鹿に利用されたのである。

軽皇子の企みを知った入鹿はそれを利用した。

中臣鎌子と倉山田石川麻呂に命じて中大兄皇子に近づけた。

それが入鹿の計画とも知らず、かれらは計画を進めて行った。


 中臣は神道を司る一族では在るが、実際は蘇我氏の氏神を祀る一族であった。

蘇我独自の氏神。神道でも仏教でもない、蘇我氏が大陸から渡来する以前より信仰して

いた龍神、それが一族の祀る氏神であった。代々蘇我の次男がその役目に着いた。

モンゴル平原で蘇我の始祖が龍と戦い、死闘の末に龍の右目を切り裂き、勝利を得た。

龍の命を取る事をせずに傷を癒した。その事で龍は自分の持つ神通力で子々孫々に

至るまで守護神と為る事を誓った。その龍神の名は「黄龍」と呼ばれた。

しかし、時が過ぎ、蘇我宗家だけが黄龍を祀り、他の一族は、蝦夷や入鹿達親子への

反発から神道や仏教に帰依する者が続出した。そんな折、山背大兄皇子が暗殺された。

内通者を洗い出し、一族内部の粛清の必要を感じていた入鹿は、興味深い情報を手に

入れた。それは、入鹿本人を誅殺する計画が秘密裏に進行していると言う情報だった。

首謀者は軽皇子、そして軽皇子の企みに乗せられた中大兄皇子。

入鹿の書いた筋書きに沿って、入鹿の影を入鹿本人と思い込み、宮中で暗殺した。

そんな彼らを利用して一族の大粛清をやり遂げた入鹿の消息は途絶えた。

大化の改新は、蘇我氏一族内部の大粛清を隠蔽して余りある事件であった。


 乙巳の変後、朝廷の手で各地に寺院が建立された。討ち取られた蘇我一族の怨念を

鎮ずめる為であった。大化の改新の主役である倉山田石川麻呂が帰依する陀羅尼宗に

も寺が与えられた。

その寺に付けられた名称は鞍林寺。

奇しくも、蘇我鞍作とも蘇我林太郎とも呼ばれていた入鹿の別名から採った様な寺院の

名称であったが、遠隔の地に建てられた所為なのか、気付くものは居なかった。

蘇我氏が滅亡して三年後、鎌子は没した。

鎌子が没して遅れること数ヶ月後に倉山田石川麻呂も後を追うように他界した。

2人とも遥か遠隔の地に建つ鞍林寺にその墓所が設えられた。

菩提を弔う為に、彼らの直属の中から総勢二千を越す兵士たちが鞍林寺へと旅立った。


 乙巳の政変後14年経った時、1人の皇子が世を去った。

将来を嘱望され前途有為の青年。その名を有馬皇子、19歳で闇に葬られた。

蘇我倉麻呂の三男の赤兄の謀略で、中大兄皇子に討たれた。

山背大兄を暗殺された恨みが未だ消えて居ない事を知らしめるかの様に。

蘇我宗家は山背大兄の仇を討った。そして689年、24歳で草壁皇子も死んだ。


 歴史の裏に消えた蘇我も居た。桓武天皇の平安遷都に私財を投げ打って支援した秦氏

である。平安京が完成しこれから秦一族に脚光が当たると誰もが考え恩恵に預かろうと諂う

ように秦一族の周りに集まった豪族達は当てが外れた。秦氏が女を天皇家に嫁ずかせはしたが、

権力の中枢に入る事は無かった。

権力から一歩引いた所で常に居た、宗家の徹を踏まない為にも。

やがて秦一族も藤原姓を賜り、新たな蘇我の氏族に戻って来た。


 鞍林寺初代管長は、朧幽水と名乗る尼僧であった。彼女の周りには屈強の僧兵がいて、

鞍林寺の警護に当たっていた。警護は、夜の組と朝の組に振り分けられていた。夜の警護

は菩提番と呼ばれ、朝の警護は焔岳番と呼ばれた。

いつの頃からか、警護の長の呼称となっていた。

 本堂の阿弥陀如利像の後ろに、不可視結界に包まれた空間が隠されていた。

そこには陀羅尼宗の本尊である龍の彫刻が置かれており、その龍の顔は額の中央

あたりから右頬にかけて傷が彫られたあった。

 鞍林寺東塔、七層の塔の最上階に設えられた回廊の欄干に墨染めを纏った壮年

の僧侶が、西の空を眺めていた。両脇には、菩提、焔岳の長が控えている。

気配を感じ2人は振り返る、その人物も暫らく佇んで西の空を眺めていたが。

「院主さま」

院主と呼ばれた僧侶は、声が掛けられてはじめて気が付いた様にゆっくりと振り返る。

そこには鞍林寺管長が微笑みながら立っていた。

「漸く終わりましたな、あれから随分と時間が流れました。天智も没し、いづれは

天武も。しかし、一族の血は滅ぶ事無く、すべての女に引き継がれています。

未来永劫、我が血筋は絶える事無く・・・・・」

「そうじゃな、朧。やがて黄龍様が降臨し、四つに分けた一族が、再びひとつに

なるその日まで。もっとも、我らがそこまで生きる延びる事は無さそうじゃがな。

そうじゃろう、菩提、焔岳」

「御意に御座います」

「その日に備え、この地を一族の本拠として使えるようにせねばなるまい。

誰の眼にも映らず、この国を支配するためにもな」

鞍林寺の存在が時間の狭間から消滅した。大きく口を開いた切り立った断崖が続く

深い谷が残された。



初投稿ありがとうございます。
美姫 「ございます〜」
昔、昔の物語〜。
美姫 「でも、いろはに〜、って言うのに、あんな意味があったとはね」
うんうん。知らなかった。
美姫 「次の作品も楽しみにしてますね」
ではでは。



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