「袁紹様。前線が押されています。このままでは戦線を維持することは困難かと」
「ええい! あんな小物相手に何をしていますの! 兵力ならこちらが上でしょうに!」

 近衛隊の隊長からの報告に、怒り心頭の袁紹。だが、隊長はあくまでも冷静だ。

「ですが、敵将が最前線で圧倒的な戦闘力を見せることでこちらを威嚇しております。我が軍の兵士たちは怯み、士気は著しく低下しています」
「情けないですわねっ!」
「御意」

 袁紹の近衛隊はあくまでも袁紹の忠実な部下として、袁紹を守り、袁紹の言葉には逆らわない人間だけで構成されている。そのため、袁紹が白と言えば、どんなに黒いモノでも白いと断言する。そんな人物だらけだった。

「こうなれば……近衛隊以外の兵力を全て前線に回しなさい! 敵将が強いと言っても、物量には敵うはずがありませんわ! 圧倒的な兵力で押し潰してしまいなさいっ!」
「御意」

 だからこそ、こんな初歩的な……大将が自らの周りをがら空きにするという愚策にも即座に頷き、実行してしまう。
 そして……最後まで無能なままの大将と、その大将に率いられた軍は、あまりに呆気ない最後を遂げることとなる。
 遠くから響く銅鑼の音と共に──。























『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第五十章






















「銅鑼の音っ! みんな、行くよーっ! 袁紹軍を叩き潰すのだーっ!」

 袁紹軍の左手の森からは、鈴々を先頭にした別働隊が。

「今だ! 我らの力を袁紹軍に見せてやろうぞ!」

 右手の岩山からは星が率いる奇襲部隊が。
 まったく同時のタイミングで、前のめりになっていた袁紹軍の横っ腹に食いついた。
 まったく予期しなかった奇襲、挟撃に袁紹軍はパニックに陥る。その動揺は瞬く間に袁紹軍全軍に伝わり、

「敵が浮き足立っているぞ! 一気に叩き潰せっ!」
「おっしゃーっ! あたしの前に立ってるヤツは全部ぶっ倒してやるぜーっ!」
「敵が動揺しているぞ! だからこそ、こっちは冷静に対処しろよ!」

 それを見て取った最前線の愛紗、翠、流夏の三人はさらに勢いづいた。高町軍の、袁紹軍への圧力はさらに強まる。
 しかも、

「誤射だけは気を付けて! 敵はあんなにいっぱいいるんだから、確実に当てなさい!」

 本隊後方からの弓兵部隊の正確無比な援護射撃は袁紹軍にさらなる恐怖心を植え付けていた。
 もはや数の優位など袁紹軍の兵士たちの頭からは綺麗サッパリ消えている。今の彼らを支配するのは、単純な恐怖。
 この場にいれば確実に死を待つだけ……その事実に、兵士たちの心は完全に折れた。

「冗談じゃねえよ! こんなところで……死んでたまるかよーっ!」
「俺も……家族を田舎に残してるんだ。死にたくねえっ! 逃げろーっ!」

 手にしていた武器を捨て、上官の命令を無視して逃げ出す兵士。
 高町軍に命乞いをして助けを求める兵士。
 挙げ句の果てには、戦いを強要する上官を殺して脱走する兵士まで出る始末だった。
 数で勝っていたはずの袁紹軍は完全に瓦解し、瞬く間にその数は激減していく。
 その様を本陣で見ていた袁紹は、さすがに茫然自失となっていた。

「な、な、なんですの……これは? どうして逃げるのです?」

 あまりにも脆い自軍の姿を前にして、さすがの袁紹も怒鳴る気力すらもなくなっている。
 そこへ、

「ぐあああああっっ!?」
「っ!?」

 近くで突如響く断末魔の声。
 気が付けば、袁紹と近衛隊は、その周囲を完全に包囲されていた。
 包囲しているのは……高町軍の精鋭部隊。そして、その部隊を率いるのは──

「敵将袁紹……とお見受けする」
「なっ、なんですのあなたはっ!?」
「我が名は趙子龍。この名を忘れるな……貴様を負かす将の名だ」

 ──もちろん趙雲である。
 悠然と佇む姿は凛とした美しさがあり、その整った顔立ちには余裕を感じさせる笑みすら浮かんでいる。そして、その笑みが追い込まれた袁紹の癇に障った。

「ふざけるんじゃないですわよっ! 皆の者、叩き潰しなさいっ!」
「御意」

 袁紹の怒りに満ちた命に従い、近衛隊が星に殺到する。
 が、この近衛隊……袁紹に忠誠を誓った者で構成された部隊ではあるが、決して腕利きの集団ではない。つまり……

「この程度の連中で私を叩き潰す? 片腹痛いっ」

 ……趙子龍の敵ではないのだった。
 数十人いた袁紹の近衛隊は、ほんの数分で星一人の前に敗れ去ったのである。
 そして残ったのは……袁紹ただ一人だけ。
 周囲は精鋭部隊に囲まれ逃げ場はなく。
 袁紹の目の前には、一騎当千の武将──星がいる。
 まさに絶望的とも言える状況。
 しかし、それでも袁紹は、最後まで袁紹だった。

「こうなれば……わたくしが自ら殺して差し上げますわっ!!」

 目の前で、星の槍捌きを目の当たりにしたにもかかわらず、袁紹は負けを決して認めず、腰に下げた剣を抜き放って斬りかかったのである。
 星は、自分に向かって闇雲に剣を振り回してくる袁紹を醒めた目で見ていた。

(私の槍捌きを見てもなおかかってくるのだから、どれほどの腕かと期待してみれば……スキだらけではないか)

 星はあえて、他の精鋭部隊の兵士たちの動きを制止して、袁紹の相手をする。相手をする……なんて大層なモノでもないのだが。
 袁紹の剣技は、はっきり言えば大したことがなかった。これなら高町軍の一般兵の方がまだマシと言えるくらいに無様で、

「あたり……なさいっ!」
「…………」

 達人の星からすれば、それこそ“目を閉じていてもよけられる”レベルである。普通の人間ならば、自らの攻撃がまったく当たらない事実を受け入れ、その実力差を認めようモノなのだが、袁紹はそれがない。

(ここまで来ると、滑稽を通り越して哀れだな。袁紹は何も見えていない……敵の実力も、自分の実力も、なにもかも。あるのは分不相応な矜持だけ、か)

 自分より上の人間などいるはずがない──それが袁紹の全てなのだ。
 名門袁家の後継者として何不自由なく育ち、その名門の名にすがって生きてきた独裁者の末路がこれなのである。

(一番哀れなのは、こんな女に従わなければならなかった兵士であり、将官たちなのだろうがな)

 星に斬りかかってから、ほんの数分で体力も尽き、振るう剣筋も波打つようになっていく袁紹。それでも彼女は負けを認めず、星に戦いを挑む。
 もはや見るのも忍びないと思った星は、槍を構え、穂先ではなく石突きで袁紹の腹への一撃を繰り出す。

 どすっ!

「か……は……っ」

 すでに疲れ切っていた袁紹にそれを避ける術もなく──もっとも万全の状態でもかわせるとは思えないが──呆気なく袁紹は昏倒した。
 そして、

「敵将袁紹はこの趙子龍が捕らえた! 我ら高町軍の勝利だっ!」

 星の勝利宣言が戦場に響き渡るのだった。























 袁紹は星によって捕縛され、戦いは終結した。
 逃げずに戦場に残っていた袁紹軍の兵士たちも、大将が捕まったという報を聞くと、無駄な抵抗はせずに、その場で投降した。
 投降した敵兵の数は一万を超えていたが、恭也は彼らに対し厳罰を与えることはなかった。敵兵は全て武器、防具を没収した上で放免。聞けば敵兵の大半は農村部の働き盛りの男たちを強制的に徴兵したとのこと。それを知った恭也は、

「これからは地元の村に戻って、農業に専念して欲しい」

 と声をかけ、解放したのだった。
 その言葉に多くの者は感謝し、地元へと帰っていったが、中には、

「あんたみたいな大将様にお仕えしたい!」

 という者もチラホラと現れていた。恭也の寛大な心に惹かれたようだ。
 こうして最終的には兵数は戦前よりも増えてしまうという形になった高町軍。
 その後、袁紹を倒した軍の次の目的地はという話になり、

「このまま、袁紹さんの本拠地である南皮に向かいましょう」

 本国に帰る前に、冀州の南皮を制圧すべきと朱里が主張した。

「今回の袁紹軍の退却は、冀州国境に曹操軍が迫っていたからです。ということは、曹操軍も南皮の街を狙っている可能性は高い。袁紹さんを捕らえた今、私たちが冀州を制圧する絶好の機会なのに、南皮の街を曹操さんに奪われるのはまずいんです。後に曹操さんとは戦うことになりますから……」

 朱里は先のことを見据えている。
 袁紹を倒した後、恭也たちの前に立ちはだかるのは、大陸中央部と西部を制圧している曹操と、大陸南部で幅を利かせている孫権の二人の王。その二大国家と戦うためには幽州だけでなく冀州をも平定する必要があるのは恭也にも分かっていた。
 そのためには、冀州の主要都市である南皮を曹操軍に抑えられるわけにはいかないのである。それは恭也をはじめとして、他の面々も理解を示した。
 しかし、恭也には懸念すべき不安がある。

「南皮だってカラッポではないだろう? 守備兵が残っているはずだ。ともなれば、攻城戦を覚悟する必要が……」

 しかし、その不安も朱里があっさりと否定した。

「それなら問題ありません。こちらはすでに敵の大将を捕縛しています。そのことを南皮に籠もる敵兵さんに教えれば十中八九、無血開城してくれますから」

 朱里は“控えめに”十中八九と言ったが、ほぼ確信している。先ほどの戦いでの袁紹軍の結束力のなさを目の当たりにした朱里は、戦いにはならないと予測していた。
 そんな朱里の自信に満ちた助言に、恭也は重い腰を上げる。

「ならば……南皮へ!」

 こうして、高町軍は南皮へと進軍するのだった。























 結果として、南皮は朱里の予測通り袁紹捕縛の報を聞くとほぼ同時に無血開城。高町軍へと投降した。あっさりと南皮への入城を果たした恭也たちは、そこで息を抜くわけには行かない。冀州の国境にいるはずの曹操軍を警戒せねばならなかったから。
 しかし、それは徒労に終わる。

「……曹操軍は、もういない?」
「はい。斥候の皆さんの報告によると、数日前にもう退却していたようです」
「結局何がしたかったんだ、曹操軍は? 南皮の兵たちの話では、一度も攻撃せず、ただただ国境付近に陣を張っていただけだと言うではないか」
「それは、私にも……」

 曹操軍の奇妙な動きに、朱里も愛紗も首を傾げるばかりだった。
 しかし、恭也だけはなんとなくではあるが、曹操の意図を感じ取っていた。

(曹操のヤツ……あえて俺たちをアシストしたということか)

 今回の曹操軍の出兵で、得をしたのは恭也たちである。曹操軍が動いたことで袁紹軍は退却を余儀なくされ、その背後を攻撃出来たのだから。恭也たちのために彼女らが動いたとしか考えられない。
 だとすれば、それは何故か?

(……あえて俺たちに力を付けさせ、その上で正面から叩き潰す……か。アイツらしいな)

 曹操と顔を合わせたのはたった三回。
 しかし、その三回だけで充分すぎる強い印象を残した少女を恭也は恭也なりに理解していた。

(俺たちが国力、兵力を上げたとしても、それでも己の自信は揺るがない……恐ろしいヤツだ)

 恭也は南皮の街で、あらためて曹操の底知れなさを静かに実感するのであった。













 南皮制圧後、恭也たちは南皮に守護兵を幾分か残して、軍を啄県へと戻した。
 その後は兵を少し休ませてから、あらためてかつての袁紹の直轄地や、袁紹に付き従っていた地方の小軍閥などの制圧に乗り出した。袁紹の直轄地はもちろんあっさりと戦うことなく制圧に成功し、幽州東部と冀州の大半は高町軍の領土となった。
 後は、袁紹と繋がっていた小軍閥との戦い……となるはずだったのだが、当然彼らにも袁紹敗北の報は届いており、高町軍が兵を動かすという噂を聞いただけで震え上がり、進んで恭也の元へと恭順の姿勢を見せたのである。
 戦わずして降る小軍閥の連中に、愛紗は武人としての憤りを覚えていたが、恭也としては戦いなど回避出来るのならそれが一番という考えがあるため、こっそりと安堵の息を漏らすのだった。
 こうして、幽州、冀州をはじめとする大陸北東部は高町軍の統治下に収まったのだった。
 そして、恭也はようやく、この袁紹との戦いにおける“戦後処理”を行うこととなる。























 ──幽州、啄県の居城にて。
 袁紹との戦いからすでに一ヶ月が過ぎ、ようやく恭也たちも落ち着きを取り戻していた。
 そんなある日。
 城の玉座の間に、高町軍の幹部が集められていた。
 玉座には当然、恭也の姿が。
 そして玉座の両脇を固めるのは、軍師の朱里と将軍である愛紗。
 その周囲を固めるように鈴々、星、紫苑。さらに客将として流夏と翠も同席していた。

「さて、揃ったな。じゃあ……朱里?」
「はい」

 集合をかけたメンバーが揃ったのを見計らって恭也が朱里に合図を送り、朱里は玉座の間の扉付近に待機していた兵士に命じる。

「三人をここへ」
「はっ」

 兵士が玉座の間を出ていく。
 それからしばらく、玉座の間には静寂が続いていた。
 その場の独特な緊迫感のせいか誰一人として言葉を発しようともしない。普段からこういった雰囲気が苦手な鈴々ですら、神妙な表情で沈黙を守っていた。
 確かに、これからここで行われる事を考えれば、気軽におしゃべりなど出来るはずもない。それをこの場にいる全員が理解しているからこそ、現在の玉座の間には緊迫した空気が蔓延しているのだ。
 そして──

「連行してきました!」

 先ほど朱里の命を受けた兵士が玉座の間に戻ってくる。出ていった時は一人だけだった兵士だが、今は計六人の兵士と三人の女性……計九人に増えて戻ってきた。兵士たちは、それぞれ二人一組となって一人の女性の両脇を固めるような位置取りで玉座の間へと入り、恭也のいる玉座から三メートルほど離れた場所に連行してきた女性三人を座らせる。そして彼らは女性達の後方へと控えた。
 それを見計らって、恭也の脇に佇む愛紗が宣言する。

「それでは、これより先の戦いにて捕縛した三人の敵将……顔良、文醜、袁紹の処遇を決める!」

 今回、こうして先の戦いで活躍した面々を集合させた理由はコレだった。
 先の袁紹軍との戦争において捕らえた敵将三人──袁紹、顔良、文醜をついに裁く時が来たのである。もっとも、本来は戦後すぐに行うつもりだったのだが、その後の幽州、冀州の平定に時間がかかったため、一ヶ月も経ってようやく行う時間が出来たのだった。
 鈴々をはじめとする高町軍の幹部たちが神妙な顔をしているのは、これから実際に目の前で敵将を裁くからこその緊張感からだった。実際問題、この場にいる誰もが、ある程度の覚悟をしているからである。
 ──死罪を申しつけるという裁定結果を。
 そして、その覚悟はこの場に引っ張り出された敵将──顔良や文醜も覚悟は出来ているようだ。文醜の表情はどこか諦めたようなさばさばした顔をしているし、顔良はどんな罰も甘んじて受けると言わんばかりに瞳を閉じたまま。
 まあ、もちろん“例外”もいるのだが。

「んーーっっ! んんーーーーっっ!」

 その“例外”は、何故か見た目も例外で、一人だけ猿ぐつわを噛まされていた。
 言うまでもなく袁紹である。
 彼女は投獄されてから絶えず恭也たちへの罵詈雑言を繰り返し、別の牢屋に投獄されている他の罪人達が、その甲高いわめき声のせいで寝不足に陥るという大迷惑を被っていたため、袁紹に限り黙らせるという名目で食事時以外は猿ぐつわを噛まされていたのだ。
 そして彼女は今も元気に唸りを上げている。
 そんな三人を見据えつつ、恭也は厳かに口を開いた。

「では、これより敵将三人の処遇を決めようと思う……が、その前に一つ。みんなに頼みたいことがあるんだ」
「頼みたい……こと?」
「ああ」

 これまで、捕らえた敵将の処遇を決めてきたのは恭也である。虎牢関の戦いの後の呂布──恋の時もそうだったし、洛陽での董卓──月たちの時も恭也の意見を重視された。
 もちろん、その場面場面では恭也の意見に難色を示した愛紗たちだったが、今になって考えると彼の判断は間違いではなかったと思えている。だからこそ、今回も恭也が敵将を裁くのだと思っていたし、どう裁くのかは興味があったのだが、今回に限ってはどうやら毛色が違うようだ。

「今回、この三人の処遇を“ある二人”に決めて欲しいと思っている。出来れば……その二人の裁定を尊重して欲しいんだ」
「……ある、二人、ですか?」
「ああ」

 これまでとは違う裁定方法を取ろうとしている恭也。その恭也の真意がどこにあるのかわからない面々は戸惑うばかりだったが、敵将の裁定という、ある意味人間の命すら左右する決断において、恭也が妙なことを仕掛けるとは思わないと判断したらしく、彼の言葉に従うことにした。
 だが、恭也がその“二人”の名を告げた時、この場にいた全員が目を丸くして驚くことになる。

「じゃあ……顔良、文醜の二人に関しては公孫賛に。袁紹への裁きは、黄忠にお願いしたい」

 よりによって恭也が挙げた二人とは……それぞれに因縁がある二人だったからだ。
 黄忠──紫苑からすれば、袁紹は愛娘を拐かした連中の親玉で、かつて彼女が治めていた楽成城の住人や兵士たちにも多大な迷惑をかけた原因。そこに恨みの感情がないと言えば嘘になるだろう。
 ただ、それよりも根深いのはやはり公孫賛──流夏と、顔良たちの方だ。なんと言っても、顔良と文醜は流夏の国を滅ぼした張本人だ。しかも最後まで流夏を守ろうとした忠臣、田楷までもが文醜の豪剣の前に命を落としているのである。その因縁たるや相当のモノだ。
 だからこそ驚く。
 恭也の指名は、ある意味三人とも死刑だと言っているようなモノだと、この場にいるほとんどの人間が思ったからだ。これまで、戦場以外では極力殺生を避けてきた恭也らしからぬ決め事に驚かないはずがない。
 戸惑いと驚きで玉座の間はざわめいた。
 そんな中でも、裁かれる側である顔良は相変わらずの神妙な表情のままで目を閉じ、ただただ裁定を待ち、文醜は「あーあ、これで終わりかぁ」と観念した様子で沈黙している。袁紹の方は……まあ、相変わらず唸ったままだが。
 そんな、動揺のざわめきが収まらない玉座の間で、沈黙を守っていたのは三人。
 指名した恭也と、指名された流夏、紫苑。
 恭也はただただ黙って指名した二人を見据え、流夏と紫苑もそんな恭也の意図を読むかのように、彼の瞳を見据えていた。
 そして──

「……了解した。高町殿の“恩情”に感謝し、不肖この公孫伯珪が顔良、文醜の両名を裁かせてもらおう」

 ──まずは流夏から動く。
 流夏は客将としての礼儀で恭也に感謝の意を述べた。あえて“恩情”という言葉を交えて。
 その言葉を聞いて、玉座の間は水を打ったような静けさを取り戻した。
 顔良、文醜の両名を裁くという行為を受けたことに関して、流夏は“恩情”という。それはつまり、公然と恨みが晴らせるという意味合いなのだと、愛紗も、朱里も、鈴々も、翠も、星も思ったからだ。
 ──もっとも、そんな中で一人……恭也だけはばつの悪い顔をしていたのだが、それに気づいたモノはいない──流夏と紫苑以外は。

「まずは文醜──」

 まず、流夏は文醜と向き合う。
 文醜はあらためて流夏と対面し、視線をぶつけ合った。
 流夏の瞳は何の感情も見せない無機質なモノ。一方の文醜の方は、決して媚びることのない真っ直ぐな光を瞳に宿していた。それは、どんな裁定でも受け入れる覚悟のある武人の眼差しだった。
 その二人の視線の交わりを見ていた面々の中で一人、動きを見せる人間がいる。それは愛紗だった。
 最後に文醜と一騎討ちをして刃を交えた愛紗は、まだまだ未熟なれど武人としての意識の高さを感じさせた文醜を死なせるのは惜しいと感じている。

(このままでは……流夏は文醜に死罪を言い渡すだろう。しかし……なんとか止めることは出来ないだろうか?)

 今回、文醜の裁定を流夏に任せると断言したのは恭也だ。主君の決定を覆すことは、忠臣愛紗からすればとんでもない行為だということは彼女自身が一番分かっている。それでも……愛紗は忠義となんとかしたいという気持ちの狭間で揺れ動いていたのだった。
 そんな愛紗の葛藤を余所に、流夏は言葉を続ける。

「──私がかつて治めていた遼西を攻め滅ぼし、我が家臣団、精兵たちを死に至らしめた罪は死を持って償ってもらう……」

 その言葉はあまりに重く、誰も口を挟むことが出来ない。文醜を死なせるには惜しいと思っていた愛紗ですら、死を申しつける流夏の冷酷な表情を見てしまっては、文醜の嘆願を申し出ることは出来ずにいた。
 しかし、

「……ってのは、かえって軽すぎると思うんだ」

 不意に、流夏の表情が劇的に変化する。というか彼女の雰囲気そのものが突然軽くなり、それまでの重々しい口調も、いつもの彼女らしいさばさばとしたモノへと戻っていた。
 その変化に、愛紗たちはもちろん、文醜までもが呆気にとられる。そんな周囲の表情を変化を楽しむかのように、流夏は悪戯めいた笑みを見せた。

「そもそも、私の部下たちを殺した責任を、文醜一人の命で賄えるはずないし。そんな大した命でもないだろ?」
「なっ!? なんだとこんにゃろっ!」

 死を持って償う……そんな覚悟が出来ていた文醜だったが、そんな覚悟を前にして「大した命じゃない」とまで言われてしまっては、さすがにカチンと来たらしい。しかし、

「そうそう。文醜のしおらしい顔ってのは気持ち悪いんだよ。お前はそんな感じで感情を表に出した方がそれらしいって」
「む……っ」

 流夏はようやく感情的な表情を見せた文醜を歓迎するかのような言葉を返していた。それがどうにもバカにされてる気がした文醜は、悔しくなったのか、再び口をつぐむ。その反応が子供っぽく、流夏は苦笑を浮かべた。

「まあ、そんなわけだから。私としては……そうだな、領土拡大で人手が足りない高町軍でこき使われるのが妥当じゃないかと思うんだが? ただ雇うのは罰にならないから……そうだな、給金は通常の半分で。これでどうだ、高町?」

 それが、流夏が下した裁定だった。
 誰もが予想し得なかった処遇に、高町軍の他の面々はおろか、裁かれる側である文醜もただただ驚くばかり。
 そんな中、恭也だけはどこか満足げに頷いていた。

「俺としては構わないが……どうせなら、どこで働かせるかも決めてくれないか?」
「そこまでやらせるか? まったく……随分と横着をしてくれるな」
「すまんな」
「しゃあない。じゃあ……」

 流夏は玉座の間にいる全員の顔を見回した後、一人の女性のところで視線を止めた。
 そこにいたのは……

「愛紗の副官、なんてのはどうだ?」
「なっ!?」

 高町軍の将軍、関雲長。
 突然名指しされ驚きの声を上げる愛紗に、流夏は意地の悪い笑みを見せて言う。

「生真面目な愛紗の部下になれば、そりゃもうこき使ってもらえるだろうし。なにより……愛紗も文醜を気に入ってるフシもあったからな」

 どうやら、裁定を下す寸前の愛紗の葛藤の様子は流夏に見られていたらしい。見透かされた愛紗としては、

「なっ! 何を言うか!? 私は別に……っ」

 慌てて反論するが、

「これでどうだ? 高町」
「……まあ、問題ないだろう」
「御主人様もっ! 私の話を……っ」
「決定だ。頼むぞ、愛紗」
「〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!」

 流夏も恭也もまったく取り合ってくれず、赤面したまま声なき唸りを上げるばかりだった。
 こうして文醜の処遇は決まったのだが、こうなると自然ともう一方の──顔良の処遇も見えてくる。

「じゃあ、続く顔良だけど……」
「お待ち下さい。公孫賛将軍」

 そこへ待ったをかけたのは……これから裁かれるはずの顔良本人だった。
 これまで文醜の驚きの裁定を聞いてもまったく反応しなかった顔良が、ここに来てようやく閉じていた瞼を開けて、流夏と向かい合う。

「本当に……よろしいのですか?」
「…………」

 その問いかけには、言葉以上の重みがあった。
 顔良にはわかる。先ほどの文醜への裁きは見事だったとはいえ、それが流夏の“本音”からの裁きではなかったことくらいは。顔良とて武人であり将だ。戦場でより多くの敵兵を殺めてきた報いは、敗北した時に受ける──それくらいの覚悟は出来ている。そして、それが公孫賛が下すモノならば、死罪だって当然だと思うし、彼女にはそれを言い渡す権利はあると思っていた。
 だからこそ、顔良はあらためて問うのだ──これでいいのか、と。
 顔良の問いの意味は重い。それがわかっていても、流夏は清々しい笑みを浮かべて答える。

「お前は、ホントに苦労を背負うヤツだな」
「え……?」
「ま、そんなんだから本初の世話だって出来たんだろうけどな」
「あ、あはは……」

 その評価には苦笑を返すしかない顔良。もはやその苦労性は染みついてしまっているのだ。

「顔良、あんたがウチを攻めたのは、あんたの私怨からじゃない……だろ?」
「そ、それはもちろん」
「だったら、その責任を背負うのはあんたじゃないさ」
「公孫賛将軍……」
「それに、だ。実は興味本位ってのもあるんだ」
「興味……ですか?」

 不意に出てきた意外な単語に、顔良は首を傾げる。

「ああ、興味さ。顔良も文醜も、無能な大将の元ではその力量が存分に発揮出来なかっただろ? だからこそ気になるんだ。高町のように、部下の力を引き出せる主の元で働いた時、あの“二枚看板”がどれくらいの力量を見せるのか……がね」
「……将軍……」

 これは流夏も感じていたことだった。
 今回の袁紹との戦いで、高町軍の強さを知らされた流夏。彼に従う武将たちも兵士たちも、誰もがその能力を遺憾なく発揮していた。それは、朱里が適材適所の策を授けたからでも、愛紗たちが常日頃から兵士たちを鍛えているからでもない──もちろん、そこも要因の一つではあるが。
 そこにあるのは、揺るがない信頼関係。兵士たちはもちろん、愛紗たち将たちも恭也を信頼し、恭也は、彼らを仲間として信頼する。そんな関係が成り立っているからこそ、恭也の指揮の元、愛紗たちは迷いなく戦えるのだと。
 それこそが恭也の大将としての器なのだと流夏は感じたのだ。
 だからこそ、流夏は興味を持ったのである。
 顔良たちが恭也の元で働いた場合、どれくらいのパフォーマンスを見せてくれるのかを。
 ちなみに、

「んんんんーーーーーーっ! んんんんんんんんんっんんんんーーーーーーーっっっ!」

 今のやりとりの中で平然と“無能な大将”呼ばわりされた張本人は、猿ぐつわをされて声を出せないクセに、反論する気満々で唸っていた。

「そんなわけで、顔良に関しても文醜と同じく、給金半分でこき使うってことでいいよな?」

 流夏はあらためて顔良の裁可を問う。
 それに恭也は頷くのみ。
 他の面々も、流夏が決めたことには異論はないようだった……ここまでは。

「んじゃ、その所属だけど…………っと」

 流夏は玉座の間にいる面々の顔を見渡していき、ある人物のところで動きを止める。それはなんと、

「高町の副官ってことで」
「なっ!?」
「え……ええええっっっ!?」

 総大将である恭也だった。
 それにはさすがの恭也も驚きの声を上げ、顔良も慌てふためく。
 捕らえた敵将の裁定としては前代未聞と言えるだろう。ついこの間まで敵だった武将を総大将の副官に据えるなどというのはあまりにもあり得ない。先ほどの文醜への裁定だって随分と特殊だったが、これは特殊という言葉では収められないだろう。
 その表れと言うべきか、即座に、

「そっ、そんなことが認められるかーーーーーっっっ!」
「だ、ダメですっ! そんなの許しませんっ!」

 恭也の両脇に立つ二人──愛紗と朱里が猛然と反対していた。
 高町軍一の家臣を自負する愛紗と、軍師である朱里が、この状況を黙って見逃すはずがない。

「敵将だった者を御主人様の副官になど……そんな羨ま……っ、出来るはずがないだろう!」
「あ、愛紗さんの言う通りですよ〜っ! 何か、その……間違いが起きたりしたらっ」

 しかし、二人が慌てて口にした反対理由は、将軍と軍師としての立場で語るはずが、どこか本音が見え隠れしていた。
 文醜が高町軍に加わることが決まった今、顔良も同じ立場で加わると言うこと自体は二人とも反対する気はさらさらない。しかし、それが恭也直属の副官となれば話は別だ。
 愛紗と朱里は、反董卓連合の時から気づき、警戒している。顔良が恭也に対し、異性としての想いを抱いていることを。その顔良が恭也の副官になった事を想像すれば……胸の奥がざわめいて仕方がなくなってしまうのだ。

「そ、そもそもどうしてよりによって御主人様の副官なのだ! 文醜の時同様、他の家臣の副官でもいいではないか!」
「そ、そうですよ〜。顔良さんが裏切るとは言いませんが、それでも御主人様の副官となれば、人選は慎重にしないと……」
「まあ、二人の言いたいことは分かるけどさ。私もそれなりに考えた上で高町の副官を薦めたんだよ」

 しかし、そんな二人よりも冷静な流夏は、愛紗たちの反論を受け止めた上で切り返す。

「今回の戦いを見ても思ったけどさ。高町ってけっこう戦場だと無茶をするよな?」

 その問いに、その場にいる全ての人間が迷うことなく頷いた。そんな反応に、

(何も全員一致で頷かなくてもいいんじゃないだろうか……)

 恭也はちょっぴり凹む。
 そんな可哀想な君主をさておいて、流夏は言葉を続けた。

「しかも、領土も戦力もこれからどんどん拡大していく中で無茶ばかりされたら、愛紗たちだって困るだろう? ならばこそ、今の高町には歯止め役としての副官が必要だと思ったんだよ」
「そ、それは……」
「流夏さんの言う通りですけど……」
「そういう意味で、顔良はうってつけだと思うんだ。なんと言っても、長年に渡り“あの”袁紹に仕え続けてきた女なんだ。これ以上副官の適正があるヤツがいるか?」
「「……………………」」

 袁紹の傍に仕える……それがどれほどの苦行かと思うと、愛紗も朱里も言葉を失う。それに耐えてきた顔良ならば、確かに副官としては最適とすら思えてくる二人だった。
 そこへ、流夏はとどめを刺す。

「それに……さ。愛紗たちの言いたいことも分かるけど……これまでずっと袁紹のお守りをしてきて苦労した顔良のことを考えるとさ……そろそろ、アイツにもいいことがあってもいいんじゃないかって思うんだよ……」

 しんみりした声で諭すように語る流夏。
 その言葉を聞いて、愛紗たちは全員が、

「んーんーんんんんんーっ! んんんんんんんんんんんんんんーーっっ!(どーゆー意味ですのーっ!
 失礼にも程がありますわーーっっ!)」

 唸ったまま怒りを露わにする袁紹を見た後、いまだに恭也の副官という指名を受け、その喜びを表現出来ずに戸惑ってしまっている顔良を見て、

「うう……確かに…………」
「顔良さん……可哀想です……」
「袁紹のおもり……悲惨すぎるのだ……」
「大変だったんだな……顔良のヤツ」
「なんて……哀れな……っ」
「苦労したモノが報われる……そうでないとな……」

 高町軍の列強の武将達が全員、同情の涙を流していた。
 それぞれが持つ袁紹像から、その壮絶とも言える苦労を想像すると、涙しないモノはここにはいない。もっとも、

「なんで斗詩が高町の副官になるのがいいことなんだよ?」
「……それならもっといい役職を与えてあげればいいんじゃないか?」

 文醜と恭也の二人は泣き所が理解出来なく、首を傾げていたのだが。
 愛紗たちをはじめとする、家臣団の様子を見て、流夏はもう反対はないと確信する。あとは、本人の了承だけだ。

「まあ、そんなわけで高町?」
「む?」
「お前はどうなんだよ? 顔良がお前の副官になるのは反対か?」
「…………」

 流夏の問いかけを受けて、恭也はあらためて顔良を見据える。
 反董卓連合内で初めて顔を合わせた時から、彼女に対して悪い印象を受けたことがなかった。温厚で優しく、人を思いやれる女性──それが恭也から見た顔良の第一印象。そして、今回の戦いにおいても彼女の武将として、そして武人としての実力と度量は“袁家の二枚看板”としての片鱗を見せていた。もっとも、彼女が袁紹のせいで発揮出来なかった能力をしっかりと出されてしまえば、先の戦いももっと苦しいモノになっていただろうが。
 それはさておき。
 恭也は顔良から視線を外すことなく、流夏の問いに答える。

「まあ、顔良さんが謀反を起こすようなひとではないと俺は思うし、なにより彼女が味方になってくれるのは心強いと思う。だから……俺としては、助かるかな」
「よし! んじゃ、決まりってことで……顔良、文醜も。お前らもそれでいいよな?」

 恭也の了承を得たところで、流夏はあらためて処分を受ける二人へと確認を取る。本来ならば、一方的に申しつける形になるのに、そこで確認を取るあたりが、なんとも流夏らしかった。

「……まあ、あたいとしては命を取られないだけで儲けもんだし、斗詩も一緒ならまったくもって問題ないけど……斗詩は?」
「も、ももも問題どころか……その、本当にいいんですか? 私なんかが……」

 文醜は相変わらずの単純思考で頷いている。しかし顔良からすれば、それはもう処分どころか栄転と言っても差し支えない内容で、戸惑いを隠せない。そんな、あまりにも“幸せ慣れ”していない顔良の姿に、流夏は苦笑を禁じ得なかった。

「さっきも言ったけどさ……顔良はそろそろ報われてもいいんだって。反董卓連合の時にさ……袁紹の宥め役をやらされたけど、あの時だけでも一苦労だったんだ。それを年中あんたがやってると想像するだけで、こっちはもう……」
「あ、あはははは……」
「まあ、そんなわけだから。今度こそはあんたもその腕を存分に発揮しちゃってくれ。高町の傍でさ」

 案外似たもの同士なのかもしれないこの二人。
 だからこそわかる顔良のこれまでの苦労を労うように、優しい言葉を掛ける流夏。
 本来ならば恨まれてもおかしくない自分に対して、ここまで気を遣ってくれる流夏の優しさと懐の深さに、顔良はホロリと涙を流して、

「……ありがとうございます。公孫賛将軍」

 それでも笑顔で、感謝の言葉を返すのだった。






 こうして、文醜は愛紗の副官として。
 そして、顔良は恭也の副官として。
 高町軍に加わることになったのだった。






あとがき

 ……流夏が一番格好良かったかも(汗
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 今回は袁紹編の決着と戦後処理について。今回は見事なまでに流夏さんが男前なところを見せてくれましたね。そして、顔良に対して「苦労が報われてもいい」と言ったのは、ある意味書き手の言葉なのかもしれません。なんというか……原作のゲームでも、あの顔良さんの気苦労の多さは泣けてきます。もしかすると「気苦労をしてない顔良なんて顔良じゃない!」なんて意見も出てくるかもしれませんが、僕としては、彼女がある程度幸せになってくれたら……と思い、こういった形を取りました。だからといって将来、顔良さんがメインヒロインに昇格すると言うわけではありませんので、勘違いしないように(笑
 さて、次回は残る一人の処分ですが……読者さんからすれば「普通に死刑でいいと思う」なんて意見が多そうなのが怖いですが……まあ、それなりの形を取ろうと思いますので。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



何とか無事に袁紹軍との戦いも決着したみたいだな。
美姫 「袁紹も捕縛したしね」
新たな武将も獲得できたし、残るは袁紹の処分だけか。
美姫 「それだけじゃないわよ。今回は出てきていないけれど、陳宮の事も気になるわ」
確かに。その辺りも含め、次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」
ではでは。



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