袁紹軍先陣が攻城戦を仕掛けてから一時間が経過した。
 優に三万という大兵力での攻撃は迫力があり、南門の破砕は時間の問題と思われる。
 その苛烈なまでの攻撃に対し、高町軍の兵士たちは必死の抵抗を見せていた。城壁の上からの弓矢による攻撃や投石、落木など。
 それらは門や城壁にへばりついていた袁紹軍にダメージを与え、門破壊に集中させずにいた。
 そんな中、攻城戦当初は陣頭指揮を執っていた文醜と顔良も、その高町軍の予想以上の抵抗に手を焼き、今は一旦兵たちに前線を任せ、自分たちは本陣へと戻っていた。

「あー、やっぱし攻城戦はめんどくさいわ。腕の振るいようがねーしよぉ」
「城壁や城門もけっこう頑丈だし、思った以上に敵の士気も高いもんね……まいったなぁ」

 二人揃って愚痴をこぼす袁家の二枚看板。
 文醜は単純に野戦ではなく攻城戦という、自分の武が発揮出来ない状況に不満を持ち。
 顔良は高町軍の想像以上の士気の高さと、想定外の城壁の堅固さに自軍が手を焼いているという現状に焦っていた。

「このままじゃ姫がこっちに到着しちゃう……その前に、なんとしても制圧したいのに……っ」

 袁紹がこの場に追いついてきては、全てが台無しになる──そんな追い詰められた考えが、彼女本来の冷静な思考を奪っていた。
 高町軍がここまで抵抗出来ているのは、何も相手の士気が高いからだけではない。
 城壁からの攻撃の手が多いこともその一因であることを顔良は気づけないでいた。顔良は、いまだに高町軍の兵力は連合にいた時と大差がないと思い込んでいる。
 それは何故か?
 今回の遼西から啄県への連続の幽州統一遠征は、実は遼西を攻める前から決まっていたことだった。遼西を攻める前は、顔良がしっかりと公孫賛軍の概要を調べ上げ、その兵力などもしっかりと把握していた。だが、高町軍の戦力に関しては、遼西遠征中に袁紹の方で調べ上げるはずだったのだが、

「おーーーほっほっほっほっ。あんな弱小なんて調べる価値もありませんわ。どうせ連合にいた頃と大差ないですわよ」

 そんな無根拠な理由でロクに調べもしなかったのである。
 顔良としてはその話を聞いて一抹の不安を覚えたのだが、あらためて斥候を送って情報収集をするヒマもないまま出陣するハメになったのだった。
 だが、高町領内に入ってすぐの場所にあった支城を落とした時の敵の抵抗の弱さが、彼女の心にわずかながらの油断を生ませる。いくら本拠である啄県に戦力を集中させたいからとはいえ、その支城での高町軍の惰弱さは、

「もしかして、本当に姫の言う通り……高町軍はそんなに兵力がないのかも」

 と彼女に思わせるには充分すぎたのだ。
 昨晩、楽勝ムードの袁紹を諫めた顔良ではあったが、実はその言葉は自分にも向けていたのかも知れない。今の彼女の中では、高町軍の兵力予想は一万にも満たないのでは、という楽観的な推測すら生まれていたのであった。
 本来の彼女であれば、そんな短絡的な考えはしないはずである。
 だが、今の彼女は焦りから本来の思考能力が奪われていたのだった。
 そして──

 じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん…………っ

 遙か遠く……おそらくは啄県の城壁の中からであろう銅鑼の音が顔良と文醜の耳にかろうじて届いたのとほぼ同時に──

「んー? なんだ今の音?」
「銅鑼の音……だと思うんだけど……?」

 ──顔良は思い知らされることになる。
 指揮官の焦りは、軍を窮地へと追い込むという事を。


















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第四十章


















「大変です! 文醜様、顔良様! 伏兵による奇襲です! 右手の岩山からと、左手の森からです! それぞれ真っ直ぐ、この本陣を目指して迫っています!」
「なっ!?」
「なんで……っ!? 籠城してる高町軍にそんな兵力があるなんて……」

 全く予想だにしていなかった奇襲攻撃に、文醜は絶句し、顔良にも動揺が走る。先ほどの銅鑼の音は奇襲のタイミングを知らせるモノだったらしい。
 だが顔良はすぐに我に返り、報告してきた兵に問うた。

「旗印は?」
「右手の部隊には関の旗。左手の部隊には張と……錦の文字が入った旗です!」

 そして、キビキビとした兵士の答えに、今度は顔良が絶句する。
 関の旗印は、おそらく高町軍自慢の猛将関羽に間違いはなく、張の旗印は、その関羽と並び称されるほどの一騎当千の将、張飛だというのは誰にだって分かることだった。
 しかし、ここにもう一つ旗印がある。
 錦の一文字の旗。

「錦? 錦ってーと……」

 先に硬直から抜け出した文醜が、覚えがあると言わんばかりにその旗印の将を思い出そうとするが、それよりも先に、

「涼州の領袖、馬騰の娘の錦馬超っ!?」

 顔良が硬直から脱する方が早かった。
 彼女はその旗の主が誰であるのかが即座に分かっていたからこそ、硬直していたのである。顔良の言葉でようやく思い出した文醜は、この危機的状況の中で、何故か嬉しそうに笑っていた。

「あ、それだそれだ! おーっ! 良いじゃん良いじゃん! 強敵が揃い踏みじゃんかっ! あたいは攻城戦じゃなくてこーゆーのを待ってたんだよなぁ。くぅぅ! 腕が鳴るぅぅ〜〜っ!」

 攻城戦でストレスが溜まっていたところでの強敵出現に、文醜は本気で喜んでいる。その様子からして、遼西での失態はすでに忘れてしまっているようだ。
 そんな呑気極まりない相棒の姿に、顔良は大きな溜息を漏らした。

「う……なんだよ、斗詩ぃ? その溜息は……」
「溜息も吐きたくなるよぉ……だって錦馬超だよ? 水関でも虎牢関でも大活躍した、関羽ちゃんや張飛ちゃんと並ぶほどの猛将だよ?」

 先の反董卓連合軍での戦いで、大陸中に名を轟かせた将は数人いる。
 そのうちの一人が涼州連合で槍を振るっていた馬超だった。
 軍の先頭に立って、誰よりも多くの敵兵を華麗な槍捌きで殲滅し、敵軍のど真ん中に突撃していくという勇猛果敢な彼女の姿は殺伐とした戦場の中でもなお華があり、多くの人間の目を惹きつける。水関や虎牢関では敵将こそ討ち取ってはいないが、もっとも多くの敵兵を倒したのは馬超だったのではないか、という噂がまことしやかに流れるほど、彼女の武は突き抜けていたそうだ。
 その馬超が、今は何故か高町軍にいるのである。
 顔良からしてみれば、関羽と張飛だけでも怖い相手なのに、そこに錦馬超まで加わると聞いて、文醜のように喜んでなどいられるわけがなかった。

「どうして高町さんの元にそんな凄い人たちが集まるの……もう、イヤにもなるよぉ〜」
「まあ、斗詩の言いたいこともわからなくもないけどさ。嘆く前に、やることがあるだろ? まずは関羽たちを迎え撃たないと」
「あ、うん……そうだよね」

 珍しく文醜に冷静に諭されたことで、動揺していた顔良もどうにか落ち着きを取り戻す。冷静になった顔良はまず、この本陣を目指しているという奇襲部隊の戦力を把握すべく、先ほど奇襲の報告を伝えてきた兵士に再度尋ねた。

「で、敵の戦力はどれくらい?」
「はっ! 目算ではありますが、それぞれ五千前後の兵を率いているかと」
「…………」
「…………」

 そしてその兵士の返答に、再び顔良が言葉を失う。
 今回ばかりは文醜もそれを聞いて息を飲んだ。

「マジかよ……奇襲部隊だけで一万はあるってのか? じゃあ……今立てこもってる兵も含めたら一万五千以上はいるじゃんか! 高町軍って五千ちょっとじゃなかったのか!?」

 文醜もまた、袁紹のいい加減な目測のせいで高町軍を寡兵と信じていたため、この奇襲の兵力には驚きを隠せない。

「ちっくしょ……もしかして馬超が援軍でも従えてきたのか?」
「それはないよ。錦馬超は涼州の将でしょ? そこから兵を連れて幽州まで来るなんて事は……」
「じゃあ、どうして……?」

 高町軍の兵が増えている理由が分からない文醜。
 しかし、ここに来て落ち着きを取り戻した顔良はあっさりとその答えに行き着いた。

「簡単だよ。高町軍は連合解散後、幽州西部を治めたことで兵力を増やしてたんだと思う」
「……でも、領土が増えればすぐ兵力が増えるワケじゃないだろ? この短期間でここまで?」

 文醜にしては珍しく正論。
 領土拡大は確かに戦力増強に繋がるのだが、それを早急に行うというのは難しい作業である。それまで別の軍の兵士だった者たちを新たに自分たちの軍に再編成するというのは、決して楽な作業ではないのだ。それは、袁紹軍の軍務を任されている二人は良く知っている。
 そんな時、顔良はふと思い出した。
 初めて恭也と顔を合わせた時のこと。彼の傍にいた小さな軍師を名乗る少女を。

「……諸葛亮ちゃん、か」
「ん?」
「高町軍の軍師さんのこと。多分、その軍師が良い軍師さんなんだよ。だから、こうして短期間でも戦力をまとめられたんだと思う」
「軍師かぁ……うちの軍にはいないもんなぁ。そこまで優秀なのは」

 軍師ならば誰でも出来る仕事ではないのだが。
 それでもやはり、知性に優れた人間がいるといないでは戦い一つをとっても、大きな差が出てしまう。袁紹軍では将である顔良が主に軍略を練るという役割も背負っていた。しかし顔良自身は決して頭がいい方ではないと自ら認めている。

(うちにも前はいたんだけどなぁ……軍師さん。でも……)

 頭脳明晰で、顔良とも仲が良かった軍師はいたのだ。
 しかし、その軍師の少女と袁紹の相性が抜群に悪かったのである。袁紹は元々独裁者タイプの暴君なので軍師の助言に耳を貸さず、そのくせ物事が失敗すると軍師のせいにするのだ。顔良から見てもあれは酷いと思うほど。


「斗詩。悪いことは言わないわ。貴女も早めに見切りをつけた方がいいわよ。長居して情が移ったりしたら、それこそ未来はない。あの君主では近い将来、この軍は確実に崩壊するんだから」


 袁紹に軍師として仕えていた少女は、最後に袁紹軍崩壊を予言し、その悲劇に顔良が巻き込まれないようにと助言を残して、袁家を去っていった。
 それ以来、袁紹軍には頼れる賢者はいない。
 知恵者の不在という現実を今になってあらためて痛感したところで、ようやく顔良はある事実に思い至った。

(今回の高町軍との戦争で、確かに私たちは兵数では優位だけど……他に勝ってる部分なんてないんじゃないかな……)

 武将の質。
 そして優れた軍師の有無。
 更に言えば、総大将の器も。
 どんなに優秀な将や軍師がいたとしても、それを使いこなす主がいなければ宝の持ち腐れとなってしまうのだ。実際問題、顔良と文醜が遺憾なくその能力を発揮できているかと問われて、少なくとも顔良は首を縦に振れない。実際、ここまでの間顔良が焦っていたのは、総大将の無能のせいなのだから。
 そしてその焦りが致命的な状況を生みだしたのだ。

「斗詩……考えてる時間はないぜ。この本陣には三千程度の兵しか残ってないんだ。これじゃ左右から迫る高町軍にやられちまう」

 迫る敵兵は一万前後。
 本陣を守る兵の数は三千。
 しかもあっちは完全に不意を付いての奇襲攻撃だ。迎撃態勢もロクに取れていない状況では話にならないだろう。さすがの文醜も焦っていた。
 そして、それは顔良だって勿論理解している。
 彼女は即座に決断した。

「本陣を放棄するしかないよ文ちゃん」
「……やっぱり、それしかないか」

 顔良はきっぱりと自分の案を言ってから、先ほどの兵士へと向き直る。

「ごめんなさい、伝令を頼んで良いかな?」
「はっ!」
「これより本陣の私たちは現在攻城戦を行っている前方の軍に急いで合流します。あなたは前方の軍に一足先に向かって、攻城戦の停止命令を伝えてください。そして、左右から迫る奇襲部隊を迎撃するようにと」
「了解しました!」

 兵士は顔良の言葉を前方の本隊に伝えるべく、全速力で本陣を後にした。
 そして再び文醜と向き合う。

「とにかく、城門にへばりついてる本隊と急いで合流しよう文ちゃん。本隊にさえ合流すれば、兵数ではこっちがまだ勝ってるから、何とかなると思う」
「ん。関羽たちに背を向けるのはちょっち不満だけどさ。この兵の差じゃどうしようもないからな。ここはまず本隊に合流してから反撃だ!」

 文醜は、顔良の指示に頷くと、すぐさま本陣を出て、本陣を守っていた兵を率いて本隊へと合流すべく馬を飛ばした。顔良もまた文醜に並ぶようにして馬を走らせていたが、その表情は暗い。

(例え本隊と合流したとしても、奇襲を受けた動揺は兵士たちにも伝染してるはず。苦戦は免れないよね……あうぅ……)

 文醜には、その場の勢いで「なんとかなる」と言ってしまったが、単純な兵の数でどうにかなるほど甘い状況ではないということは、顔良が一番分かっていた。
 そして、

(私のせい、だよね……私の焦りのせいで文ちゃんや兵士たちまで……)

 この状況を引き起こしたのは、全て自らの焦燥感のせいであることも。






















 俺は南門の前で、そのタイミングを待っていた。
 頑丈な門扉の向こう側では、袁紹軍が必死にその門を破るべく攻撃を繰り返しているのが、何度も門に丸太のような木杭を打ちつけている音からわかる。袁紹軍の攻撃は苛烈ではあったが、城壁の上から攻め立てる袁紹軍を迎え撃ってる味方の兵たちの奮戦ぶりのおかげで、まだまだ守りに余裕はあった。
 そして──

「……門を攻撃する音が止んだな」

 不意に、耳をつんざくほどの門扉からの轟音が途切れる。
 さらに、城壁の兵士からの報告。

「門を攻撃し、城壁を登ろうとしていた袁紹軍の兵士が、左右から迫る我が軍の奇襲部隊へ迎撃態勢を取ろうとしています! 完全に門への攻撃をやめてます!」

 ──待っていた瞬間がやってきた。
 袁紹軍の意識が完全に愛紗たちに向けられている。
 そこが最大のチャンスとなる!

「よし、今だ! 門を開けろ! 今こそ袁紹軍に我らの強さを見せつけろ! 啄県の民を守るんだ!」

 俺の声に呼応して、門の前にて待機していた五千の兵士たちが雄叫びを上げる。
 そして俺の命令に素早く反応した兵が、袁紹軍がなかなかこじ開けられなかった門をいともあっさりと開放した。

「全軍突撃! 連中を幽州から追い出すぞっ!」

 それと同時に、俺は軍の先頭に立って左右に気を取られている袁紹軍の正面に向かって突貫した。






















 本陣を捨ててまで、本隊と合流すべく馬を飛ばす文醜と顔良。
 しかし、関羽達の奇襲部隊もそれをすぐさま追撃し、馬で移動する顔良たちに比べ、歩兵達はどうしても逃げ遅れてしまい、奇襲部隊に飲み込まれてしまっていた。
 本陣を守っていた三千の兵のうち、半分近くがその奇襲部隊に殲滅されてしまったが、それでも二人はようやく本隊に合流した。
 本隊もこれまでの攻城戦で兵を減らしており、現在の無事な兵数は全部合わせて二万五千。現状ですでに五千近い戦力を失っていた。
 それだけでも痛手だというのに、本隊に合流した二人に、さらなる悪い知らせが届く。

「またしても奇襲です!」
「今度はどこからだよ!?」
「こちらが攻城戦を停止して左右の部隊への迎撃準備を始めた瞬間、突如門を開け放ち城内にいた敵部隊が我が軍に突撃してきた模様! 門から出てきた部隊には大将旗が掲げられていて、部隊の先頭には見慣れぬ白い衣服に身を包んだ男が見られたそうです!」
「それって……高町さん!?」

 左右からの奇襲で、本隊の兵士たちにも動揺が走る中、今度は閉ざされていた門を自ら開放しての奇襲攻撃。そんなモノに動揺していた兵たちが対応など出来るはずもない。袁紹軍先陣の二万五千の兵は大混乱に陥ってしまった。
 そして混乱しているのは兵ばかりではない。

「だったら話は早い! その門から出てきた連中をぶっ倒して、そのまま街の中へ入っちまえば──」
「そんなの無理だよぉ! 今になってやっと左右からの攻撃を迎撃する準備を始めたって言うのに、ここでまた命令変更なんてすれば、それこそ兵士たちはもっと混乱しちゃう」
「じゃあ、どうすりゃいいのさ!?」
「そ、それは……」

 文醜と顔良の二人も、ここに来て冷静さを完全に失っていた。
 高町軍の二段構えでの奇襲に、完全に追い詰められてしまったのである。文醜は短絡的で策を考える能力はなく、顔良は咄嗟の判断力が弱く臨機応変には立ち回れなかった。
 的確な命令を下すことが出来ない指揮官。
 そして、その指揮官の迷いはそのまま兵士たちの混乱を助長することとなる。
 顔良は言った。
 命令の変更は兵たちに混乱を来すと。
 しかし、それは状況に応じて変わる。
 兵たちの視線から考えると、攻城戦をしていたのに、突如左右からの伏兵が現れ、そこで命令が下り迎撃態勢を整えていた。そこへ今度は敵の城門が開いて、中から新たな敵兵が突撃をして来るという目まぐるしいまでの状況変化。この新たな変化に対して、指揮官からの命令が来ないというのは、かえって兵士たちの不安を煽るのだ。
 短時間での命令の変更は、確かに混乱を招く恐れがある。しかし、戦況の変化に応じて適切な命令が来ないと、兵士たちは現場での判断に苦しみ、余計に混乱してしまうのだ。
 刻一刻と変わる状況の中で、上からの命令はない。
 そうなった時の兵士たちはどう判断するか?

「……こうなったら、もう上の命令を待ってる場合じゃない! こっちの判断でやらせてもらうぜ!」

 誰もが独自の判断で勝手な動きを取り始めるのだ。ある者は命令に殉じて左右から迫る伏兵部隊を迎撃し、ある者は門の向こうから現れた軍に特攻し、ある者はこの状況を命の危機と認識して逃亡を始める。
 それは、軍の統制の崩壊を意味していた。
 二万五千の袁紹軍先陣は、完全な烏合の衆へと成り下がり、統率の取れた高町軍に蹂躙されていく。
 そこにもう、兵数による優勢は消えて無くなった。














「皆の者! 私に続けーっ! 我は幽州の青龍刀! 高町が一の家臣、関雲長! この青龍偃月刀の餌食になりたい者は、かかってこい!」

 右手から突進してきた関羽隊は、愛紗を先頭に混乱している袁紹軍の側面を深く抉る。







「うりゃりゃりゃりゃーーーっ! 燕人張飛見参っ、なのだ! 街の人たちを困らせるお前らを鈴々は許さないのだーっ!」

 張飛隊の先頭は、もちろん鈴々。超重量武器である蛇矛を自在に操り、動揺する袁紹軍の兵士たちを吹っ飛ばしていく。
 だが、今日の張飛隊は彼女だけではなかった。

「こちとら何も出来ないままに西涼を追い出されてムシャクシャしてたんだ! 悪いが八つ当たりさせてもらうぜーっ!」

 速さと力強さを兼ね備えた槍が、次々と敵兵を貫いていく。
 誰も彼女に触れることは出来ない。
 誰も彼女を止めることは出来ない。
 誰も彼女の槍を受けることも出来ない。
 涼州の若き英傑──錦馬超が、鈴々と並ぶようにして部隊の先頭で敵を狩る。
 この、大陸屈指の猛将二人が袁紹軍の側面を斬り裂いていった。









 側面からの怒濤の攻撃にさらなる動揺が走る袁紹軍。
 だが、それだけでは終わらない。

「──ふっ!」

 短い呼気から放たれる剣閃は、まるで稲妻のごとく。
 二刀の小太刀は、ある時は敵を容赦なく切り捨て。
 またある時は峰を叩きつけ、敵兵の骨を粉砕する。
 戦闘時に恭也が身に纏う、白を基調とした聖フランチェスカの制服は陽光を浴びて光を反射し、自らの存在を誇示し続ける。
 だがそれでも、敵兵は恭也の動きを追いきれなかった。

「は──っ!」

 常に動きを止めず、相手の視界から消えるほどの体捌きを見せる恭也に刃を向けられる敵はおらず、ただただ小太刀の餌食となっていく。その恭也の奮戦ぶりに勇気づけられ、兵士たちも恭也に続けとばかりに袁紹軍に襲いかかった。























 顔良と文醜の二人が、高町軍の奇襲を受けて大混乱している頃。
 さらなる悪い知らせが、遅れて啄県へと進軍していた袁紹軍の第二陣──本隊の総大将、袁紹の元に届いた。
 それは……

「な……なんですって!? 我が袁家の本拠地に、戦を仕掛けるというのですか、あのクルクル小娘はっ!」

 ……袁紹の本拠である冀州からの急ぎの伝令。
 領土拡大のために連戦を繰り返している袁紹軍のスキを狙って、魏から夏侯惇将軍率いる八万の軍勢が主無き本拠地、冀州に向かい始めたという報告だった。
 今回、先陣三万、第二陣五万の兵を出している袁紹軍ではあるが、それでも本拠地冀州にだって守備兵は残している。だが、その守備兵の数は二万弱。それでは魏の精兵八万を抑えておけるはずがない。さすがの袁紹もそのくらいは理解出来ていた。

「くっ……このままではいけませんわ!」

 袁紹は悔しさのあまり、唇を噛みしめる。
 しかし悔しがってる時間など、今はないとばかりに伝令兵に命令を伝えた。

「先陣の文醜さんと顔良さんに伝えなさい。私はこれより冀州に撤退するから、二人もさっさと戻ってきなさいと」

 袁紹はなんの迷いも躊躇いもなく、あっさりと撤退を決めた。
 このあたりの決断力はさすがというべきか──もっとも、考え足らずの可能性も高いのだが。
 伝令兵に命令を託した袁紹は、自らが率いている五万の兵たちに、冀州への撤退を命じ、軍を転進させた。とはいえ、五万の大軍の転進には時間がかかる。
 袁紹は軍の転進準備の間、この場にはいない小柄な少女の顔を思い出し、怒りの炎を燃やしていた。

「全く……あの小娘はいつもいつも私の邪魔をしますわねっ! ホンッッッッッッッッッッットにむかつきますわ!」





















 啄県の街の付近での戦いは、高町軍の圧倒的有利という状況だった。
 高町軍はさほど兵の犠牲はなく、逆に大混乱中の袁紹軍は次々と兵士が倒され、そして逃げ出していく。
 今ではもう数の優位すらなくなり、野戦に出てきていた高町軍の兵数一万五千と袁紹軍先陣の兵数は並んでしまっていた。
 そんな中、大将の文醜の元に袁紹本人からの伝令が届く。

「撤退ぃ〜〜〜〜〜〜っ!? なんでまた!?」
「はっ! どうやら冀州の国境付近に魏軍が押し寄せてきたらしく、すぐに戻って迎え撃つためかと」
「曹操か……ちっ、仕方ねーな。全軍に通達! 冀州に向けて全速前進!」

 撤退と言わないあたりに、文醜の意地が垣間見えた。
 が、その文醜と伝令兵のやりとりを隣で聞いていた顔良はその命令を慌てて止める。

「ちょっ!? 待ってよ文ちゃん! ここで敵に背を向けたりしたら、それこそ攻撃してくださいって言ってるようなモノだよ! 全滅しちゃうよ!」

 すでに大混戦となっている中で撤退命令が出れば袁紹軍の兵士たちは皆、それこそ我先にと逃げ出し始めるだろう。現状では袁紹軍の誰もが、敗色濃厚であることを自覚しているのだから。
 だが、今は高町軍の各部隊がしっかりと袁紹軍に張り付いていて、転進なんて出来るはずもない。

「……もう、しょうがないか」

 この現状を打破することなど、それこそ優れた軍師でも思いつくことは出来ない。ならば、何かしらの犠牲は必要とするのは、文醜でも理解出来た。
 だからこそ、彼女は決意する。

「この戦は負けだわ」
「そうだね……」

 まずは、この戦いが敗戦であることをしっかりと認めた上で、その覚悟を口にする。

「となれば、やることは一つ。あたいはこの先陣の司令官として責任を果たしますか」

 口調こそは軽いが、その言葉に含まれた文醜の悲壮な覚悟を見逃す顔良ではなかった。

「責任……か。残った兵隊さんたちを逃がすために、前に出るんだね?」

 相棒がしっかりと自分の意志を汲んでくれたのが嬉しかったのか、文醜はにかっと笑う。

「そゆこと。さすがは斗詩。あたいのことわかってくれてるねぇ。愛の力ってヤツ?」
「……バカ」

 冗談じみた文醜の言葉につれない返事をする顔良は微苦笑を浮かべていた。
 顔良もまた彼女と同じ覚悟を決めているから。

「私もついていくよ。文ちゃん一人じゃ危なっかしいもん」
「……そう言ってくれると思ってた」

 文醜はこの先陣の大将としての責任を負い。
 顔良も、今回の戦いの敗因が自分の焦りにあったことを認めて、その責任を共に負う。
 敗軍の将としての決意の重さをあえて二人は表に出さず、いつも通りのスタンスで言葉を交わしていた。

「んじゃま、前回の遼西では恥かいちゃったし。今回は関羽たち相手にして、良いトコ見せにいくとすっか!」
「……また恥をかく事になっちゃうと思うけどね」
「そう言うなよ斗詩ぃ〜」

 どちらも相棒の覚悟を感じながら、二人は死地へと赴く。
 せめて少しでも、自分たちに付き従ってくれた兵士たちを逃がすために。























「おい、朱里。袁紹軍の動きが……」
「はい。徐々に撤退を始めてます。それに……先ほど新たな情報も入りました。こちらに向かっていたはずの袁紹軍の第二陣も転進を始めたそうです」
「どういうことだ? 確かに先陣が自分たちの不利を悟って撤退するのはわかるが、第二陣は五万の兵がいるんだろ? それまで引き返そうとしてるなんて……」

 最初こそ城で待機していた朱里と流夏だったが、恭也が門を開けて突撃したという知らせを聞いた後は、城壁へと上がり、戦場の様子を俯瞰の視点でチェックしていたのだ。
 そして、袁紹軍先陣の動きを把握したのである。

「考えられるのは……おそらく曹操さんが動いたんじゃないかと」
「曹操が?」
「はい。昨日、翠さんが幽州まで逃げ延びてきました。そして馬騰さんがすでにお亡くなりになってると言うことは、魏によって西方諸国は制圧されたと見るべきです。となると、曹操さんが次に目をつけるのは──」
「袁紹が治めている大陸の北東部か」
「はい。孫権さんが治めている南部も残ってますが、現時点ではまだまだ魏と呉の戦力は互角ですし、守りに入った呉を崩すのは容易ではありませんから。それならまだ」
「……バカの袁紹の方が倒しやすいってことか」
「そういうことです」

 ……何げに容赦のない公孫賛と朱里だった。

「これはあくまで予測でしかないですけど、袁紹さんが目の前の幽州制圧を諦めてでも戻る理由は、それくらいだと思います」
「……言われてみれば確かに。いやはや、さすがに凄いな。高町軍の名軍師は」
「はうっ! そ、そんなことは……」

 朱里の明晰な頭脳をあらためて見せつけられた流夏は手放しで褒めそやし、褒められた朱里は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
 そんな姿も微笑ましいのだが、今はそこで朱里をからかう時間はなかった。

「さて、そうなると……ここはやっぱり追撃を掛けるべきじゃないか?」
「そうですね。わざわざ大軍でやってきた敵が、こっちに背を向けてるのにそれをみすみす見逃すなんてもったいないですから」

 流夏の提案に同意した朱里は、すぐさま伝令兵を走らせ、袁紹軍先陣を叩いている各部隊の将たちに撤退する袁紹軍先陣──そしてその先にいるであろう第二陣の追撃を命じたのだった。






あとがき

 ……いざ戦いが始まると展開は早いなぁ(汗
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 ついに開戦となったら、けっこうサクサク進んでる状況に、自分でも戸惑ってしまってます。この話を見ていると、やっぱり顔良たちは運がなかった……としか言えない気がしますね。上司があれじゃあねぇ。
 恭也たち高町軍と、顔良・文醜軍との戦いは次回で決着となりますが、この袁紹編はもう少し続くことになりそうですので、しばらくおつきあい下さいませ。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



指揮していた者の焦りや動揺が完全に兵たちに影響してしまったな。
美姫 「兵力差があったけれど、それも烏合の衆となってしまったものね」
それでも将として責任を取ろうとする二人か。
ああ、どうなるんだろうか。次回が、次回がとっても気になる〜。
美姫 「早く続きが読みたいわね」
うんうん。次回も楽しみにしてます!
美姫 「待ってますね〜」



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