「どうした賊徒よ! 我はまだ健在ぞ! 我が命を脅かすものはおらんのかっ!」
「どうした! 下衆といえども男であろう! 我と思うものは名乗りを上げよ!」

 二人の嘲弄するかのような挑発に、再び敵兵が殺到するが、

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「せぇぇぇぇぇいっっ!」

 二人の裂帛の声と共に振るわれる槍と青龍刀が、その全てを打ち砕く。
 その様は、この世でもっとも美しき鬼神──。
 この世のモノとは思えぬほどの凄惨な光景に、多勢なはずの黄巾の賊徒たちはついに恐怖が狂気を上回り、突撃する脚を止めてしまった。
 いかに兵数が多かろうと意味がない。
 この二人を前にすれば等しく与えられるのは死あるのみ。
 暴力に狂った獣たちも、やはりどこかに生存本能はあるのだ。
 死にたくない──そう思うのはどんな生き物とて同じこと。
 最初の勢いが完全に消え失せた黄巾党軍の様子を見て、

「そろそろ頃合いか──」

 そう呟いた時だった。

 じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ、じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ、じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!

 高町の本陣から響くは三度の銅鑼の音。
 それこそが作戦の第二段階へと移行する合図。

「やはりさすがは朱里だな……見事なまでの眼力か」

 愛紗は本陣に居るであろう小さな軍師に感服しながら、

「合図だ。趙雲殿、退くぞ!」
「応っ!」

 愛紗は趙雲に声を掛け、部隊を一旦本陣前まで退かせ始めた。


















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第九章


















 本陣へと転進してきた関羽隊を最初に見つけたのは、高町軍軍師──諸葛孔明──朱里だった。

「あ……ご主人様! 愛紗さんたちが撤退してきますっ! 趙雲さんも一緒です! それを追いかけるように、黄巾党の先陣も続いてきてますよ!」

 彼女の報告を聞いて、荒野へと目を凝らす。
 すると俺の肉眼にも、黄巾の群れを引き連れるようにしてこちらへ向かってくる関羽隊の姿が確認出来た。
 愛紗も無事のようだし、趙雲もこちらの指示には従ってくれている。
 全てが朱里の作戦通りだった。

「よし……ここまでは順調だな。では、今度は」
「鈴々たちの出番なのだ!」

 すでに手はずは整っている。
 展開する部隊は、左翼が俺の部隊。右翼が鈴々の部隊。そして正面が今撤退してきている関羽隊。
 この三部隊で敵の先陣を半包囲するのだ。

「朱里。君は合流する関羽隊と共に、ここで本陣を守ってくれ」
「はいっ」
「鈴々。右翼から敵を押さえ込むのはいいが、決して相手の退路を断つなよ?」
「まかせるのだーっ」

 本陣より出て左翼より攻撃を仕掛ける俺は、本陣に残る朱里と右翼の部隊を指示する鈴々へと声を掛ける。二人は共に威勢のいい返事と自信に満ちあふれた笑みを見せてくれた。
 これで心おきなく、俺も出撃出来る。

「兵たちよ! 今こそ俺たちの強さを示す時だ! 黄巾党の賊共に、思い知らせよう! そして二度とこの啄県を襲おうなんて思わないほどに完膚無きまでに叩き潰してやろう!」
「皆さん頑張りましょう! この戦いに勝てば、啄県に必ず安寧の時がやってきますから!」
「みんなで悪い奴らをやっつけるのだーーっ!」

 俺たち三人それぞれの威武の声を上げた。
 それに、兵士達が雄叫びで応えてくれる。
 もう……これで全てが揃った。

「総員戦闘配置!」

 俺は兵士たちへと号令を掛け、軍の展開を始める。



 ──対黄巾党の包囲戦が幕を開けた。




















 関羽と趙雲の二人に恐怖を感じていた黄巾の先鋒たちは、その二人が背中を見せて撤退した姿を見るやいなや、再び暴力の意志が蘇り自分たちに屈辱を与えた二人を許すまじとばかりに猛追を開始したのだ。それまで停滞していたことで足踏みをしていた後曲は、前線の変化に戸惑い、すぐに追いかける事が出来ない。
 それが結果として、黄巾党の先陣“だけ”が本隊から引き離された形となった。
 釣られた敵先陣を高町軍が包囲する。プライドだけが分不相応に高い敵兵は怒りのままに関羽達を追いかける末に、包囲されているという現実に気づき、パニックを起こした。そこへ、撤退していたはずの関羽隊が転進。
 前面には関羽と趙雲が。
 右翼からは張飛隊が。
 そして左翼は俺が率いる部隊が。
 賊徒を殲滅すべく一斉に攻撃を仕掛けていく。
 混乱している黄巾党の兵と、士気の高まってる俺たち。
 戦局は一方的な状況となっていた。
 三方から攻めてくる兵士たちを前にすると、敵兵達の多勢による勢いも、屈辱をバネにした怒りも消沈してしまう。そして次に考えるのは、この死地をいかにして抜け出すか、ということ。そのことが頭をよぎった時、彼らは見つける。自分たちの後方はまだ包囲されていない事に。
 それはもちろん朱里があらかじめ用意していた退路なのだが、彼らがそれに気づくはずもない。
 早くこの場から逃げ出そうと、黄巾の兵士たちは後方へと殺到する。しかし、この時多勢である事がネックとなった。我先にと退路に向かう兵士たちに仲間を思いやる余裕など無い。邪魔をするなら、頭に黄色い布を巻いた同志であろうと叩き潰す──そんな醜く浅ましい考えが蔓延していった。
 結果として退路を目指す仲間同士でつぶし合い、逃げ遅れた者は俺たち啄県の軍の兵士たちに倒されていく。
 こうして、敵の先陣のほとんどを殲滅していた──のだが。
 忘れてはいけない。

 これはまだ、あくまでも“敵の先陣”との戦況に過ぎないのだと。

 敵の先陣の大半を殲滅した頃、ようやく“それ”はやってきた。
 先陣と引き離されていた、敵の本隊である。
 先陣を潰したとはいえ、敵軍の兵数はいまだこちらの倍以上が健在なのだ。
 ここから俺たちは、敵の本隊相手に戦線を維持し、公孫賛の軍が背後を突くのを待たなければならない。
 ここからが踏ん張りどころなのだった。




















 朱里の指示で、敵本隊が接触する前に陣を再構成する。
 方円陣を布き、敵の大軍を迎撃。
 これでなんとか戦線を維持しなければならないのだが、

「ふふ……なかなかに面白いですな。この状況は……武人冥利に尽きるというか。一騎当千の将たちと肩を並べて、というのも」
「楽しむのもけっこうだが、すべき事を忘れないでいただきたいな趙雲殿。私たちの役目はあくまで戦線の維持。先ほどのように突出しても、今回は助けませんぞ」
「鈴々はちゃんとわかってるもんねー。ちゃんとみんなを守って敵をやっつけるのだ!」
「……余裕だな、みんな。まあ、頼もしい限りだが」

 さほど楽観的な考えを持たないタイプだと自認していた俺だが、今はまったく不安がなかった。
 それは、この最前線に居並ぶ一騎当千の勇将たちの姿があるからだろう。
 関羽──愛紗。
 張飛──鈴々。
 そして、趙雲。
 この三人が居る限り、負ける気がまったくしないのだ。
 そんな自分の甘い考えに苦笑しながらも、俺たちは黄巾の大軍を迎え撃つ。

「これからが勝負だ……みんな、生き残るぞ!」
「承知した!」
「必ずやご主人様に勝利を!」
「鈴々にまかせるのだーっ!」

 四人はそれぞれの得物を構えるのだった。




















(……意外だったな)

 神速とうたわれる槍捌きで並み居る敵兵を討ちながら、趙雲は一人の男に視線を向けていた。
 それは公孫賛の陣で視界の端で捉えていたが、その時はさして意識もしていなかった青年。
 見た事もない不思議な衣服を着た、端整な顔立ちの男。

「あの時は、随分な優男と思ったが……なかなかどうして」

 関羽と張飛の二人を知っていた趙雲である。当然その二人の主である“天の御遣い”の噂も耳にはしていた。しかし、武人である趙雲には武勇で名を上げていた関羽達に比べると、天の御遣い──高町恭也の戦場における噂は聞こえてこなかったためか、さほど興味は抱けなかったのである。
 しかし、こうして彼の戦う姿を直に見てみて、趙雲はその認識を改めた。
 これほどの大軍を前にしても、あえて最前線で剣を振るう事が出来る胆力。
 そして関羽達と並んでも見劣る事のない実力。
 それは、十二分に“英傑”と呼べるモノだ。
 しかし……ならば、何故これほどの男の武勇の噂が趙雲の耳に届かなかったのか?
 その疑問は趙雲の脳裏にも当然浮かんだのだが、

「なるほど……不可思議な事だ」

 恭也の戦いぶりを見ているうちにその答えを見出す事が出来た。
 それは、横で戦う関羽や張飛の戦いぶりと比較すると、実にわかりやすい。
 関羽や張飛の戦う姿は、実に絵になるのだ。関羽のような美しい少女や張飛のような小柄な女の子が、自分の身長よりも長い得物を自由自在に振り回し、敵兵を薙ぎ倒していく。その姿は実に派手で見栄えがするのだ。
 それに比べ恭也の場合は、普通の剣よりもやや短めの見慣れぬ地味な片刃の剣──小太刀──を振るい、実に無駄のない動きで敵を屠っていく。その恭也の戦いぶりは普通の人間から見れば地味と映るため、実際にそれを目にした人々の話題に上らないのだろう、と趙雲は予測していた。それよりも彼の服装──ポリエステル製の制服──の方が周囲の人間にはインパクトがあり、彼の容姿ばかりが噂になっていくのだろう、と。
 しかし、だからと言って彼が凄くないのかと言えば決してそんな事はない。

「……これは多分、ある程度の実力がある武人でなければ、彼の凄さには気づけないのだろうな」

 むしろ彼には関羽達にもない独特の凄みがあった。
 無駄が無いという恭也の戦い方は、その全ての動きが合理的だと趙雲は感心していたのである。決して関羽のようにパワーがあるわけではなく、攻撃の速さで言うなら恐らく趙雲の方が速いはずだ。しかし、ではこの二人が恭也よりも強いか、と問われたら即答は出来ないだろう。

 ──その理由は、恭也の優れた体捌きと卓越した戦闘技術にあった。

 古流剣術、という古めかしい武術を修めている恭也ではあるが、彼が自分の世界にいた頃に行っていた鍛錬は、実はスポーツ生理学を学んだ上での近代的科学的なトレーニングが多かったりする。実際に義妹であり弟弟子の美由希のトレーニングメニューも、しっかりとその分野の文献を熟読して作っていたくらいだ。二十一世紀のトレーニング理論に基づいて鍛え上げた恭也の基礎運動能力は高いレベルでバランスが取れており、それがハイレベルな体捌きを実現可能とさせていたのである。
 そして抜きんでた戦闘技術に関しては、実戦型剣術として何代も前から裏社会という実戦の中で技術を積み重ねてきた“小太刀二刀御神流”を恭也が修めているからこそである。いかに効率よく人を倒すか、という目的で研鑽を続けてきた御神流の技術はおそらく、この時代では異質すぎるのだ。もっとも御神流の剣術は本来、戦場で発揮すべき流派ではないので、それゆえの不自由さも恭也にはあるのだろうが。

 恭也の戦う姿を見れば見るほど、趙雲は彼に興味を抱いていく。
 常に孤高で、周りにいたどんな男よりも強かった彼女にとって、興味を抱く男性という存在自体が珍しかったのだ。

「……面白い。実に面白いな!」

 自分の中で急速に膨らんでいく恭也の存在感に、戦慄にも似た不可思議な高揚感を感じつつ、趙雲は槍を振るうのだった。






















 戦線は膠着していた。
 それはまさに俺たちにとっては狙い通りではある。
 しかし、だからこその焦りも生まれていた。
 俺たちが敵を引き付けてる間に、公孫賛が敵の後方を突く。別れ間際にそう決めていたのだが、実際に俺たちがどれほどの時間、戦線を維持すればいいのかはわからない。全ては公孫賛次第なのだ。
 ゆえに、目標もなく俺たちは戦い続ける。
 しかし、本来圧倒的に兵数が多い敵を前に戦線を維持するのは至難の業なのだ。一騎当千の武将が三人も居たとしても。

「朱里! 公孫賛の軍はまだ現れないのかっ?」

 愛紗の焦りを滲ませた声が飛ぶ。
 だが、焦っているのはみんな同じだ。

「分かりません! もう頃合いですけど、公孫賛将軍がどう動くのか──」

 朱里の返答は悲鳴に近いモノがある。
 しかし……そんな時だった。

「敵後方に砂塵と、白馬にまたがった騎兵の姿が!」

 味方の兵からそんな報告が舞い込んできた。
 その報告にいち早く反応したのは趙雲。

「旗はっ!?」
「公孫! お味方の援軍です!」

 その報告とほぼ同時。
 敵──黄巾党軍の兵たちに動揺が走ったのが、見て取れた。
 それで俺たちは確信する。
 公孫賛の奇襲が成功した事を。
 そして今こそ、今回の戦闘の最終段階へと突入したのだと。

「やったぁ! 愛紗さん!」
「ああ! 今こそ我らも攻勢に移る時だ! ご主人様!」
「よし! 防戦はここまでだ! 公孫賛軍と共に挟撃に移そう!」

 愛紗の呼びかけに俺は頷いた。
 もう後は動揺した敵に反撃するだけなのだから。
 愛紗は俺に確認を取ってすぐ、全軍に雄々しい大号令を発した。

「全軍突撃ーーーーーーーーーーっ!」



 この後、俺たちの軍と公孫賛軍による挟撃が敵軍を殲滅するまで一時間もかからなかった──。




















 この戦いの勝敗が決し、逃げ崩れた黄巾党軍の掃討を公孫賛軍に任せた俺は、ようやく一息つく事が出来た。自分たちの陣へと戻り、小太刀の刃に付着した血を使い捨ての手ぬぐいで拭き取ってから、ゆっくりと小太刀を鞘に納めた。そしてそれを見計らったかのように、みんなが陣へと戻ってくる。
 その中には、愛紗に連れられた趙雲の姿もあった。
 俺はまず朱里、鈴々、愛紗へ労いの言葉を掛けた後、あらためて彼女と対面する。

「……お怪我は?」
「これは高町殿。お気遣いかたじけない。幸いに怪我はありません」

 その彼女の顔は、戦いを終えた事による満足感で少し紅潮していた。そして彼女の視線は会話を交わす俺に向けられているのだが、その瞳には好奇心の光が見え隠れしている。

「それは何より。しかし、戦場で見させてもらいましたが、見事な槍捌きでした」
「高町殿にそんなお言葉をもらえるとは……武人としては誉れとなりましょう」
「……大袈裟ですよ」
「大袈裟? とんでもない。高町殿ほどの達人からのお言葉となれば、その重みは測り知れません」
「勘弁してくれ趙雲さん……」
「ふふっ……高町殿は照れ屋なのですな」

 何故か俺への評価が高すぎる趙雲の言葉に辟易する。そんな俺の表情を見て、彼女は楽しんでいるようでもあった。
 どうやら彼女は厄介な性格のようである。
 ただ、趙雲は今のところ、俺の事を憎からず思ってくれているようだ。
 彼女のような英傑に武人として認められているのも嬉しいが……それもこれまでだ。

「さて……一人の戦闘者としての俺の言葉はこれまでだ」
「……? 高町殿?」
「これからは啄県県令であり、軍の大将として、君に言いたい事がある」

 それまでの友好的な空気が一変したのを肌で感じたらしい趙雲はきょとんとしている。そこへ──

 ぱぁんっ!

 乾いた音が一つ。

「なっ!?」
「うにゃっ!?」
「──っ」

 愛紗と鈴々は驚き、朱里はきつく目を閉じていた。そして、

「…………」

 趙雲──“俺に頬を平手ではたかれた”張本人は、何が起きたのか理解出来ないらしく、打たれた頬を手で押さえながら呆然としている。
 そんな彼女に、俺は怒鳴りつけたい気持ちを出来る限り落ち着けて、声を抑えて口にした。

「君は現在、公孫賛軍の客将だと聞いていたが……ならば、尚更今回の一件は許してはおけない。公孫賛軍と共同で戦った軍の大将としてな。君の軽率な行動が、両軍にどれほどの動揺を与えたと思っている?」
「ちょっ!? ご主人様──」

 呆然としている趙雲に対して厳しい言葉を浴びせる俺を止めようとしたのは、最初趙雲を助けると言った時に渋い顔を見せた愛紗である。おそらく、趙雲の傍で戦って彼女の実力に感じ入り、戦友と認めているのだろう。さらに今回の彼女の行動は武人ゆえのモノ、というのも理解しているので、愛紗も気持ちが分かる分、かばおうとしたのだ。
 しかし、

「愛紗さん。出てはいけません!」
「……朱里?」
「今回だけは、出ないでください!」

 その愛紗を止めたのは朱里だった。前に出ようとする愛紗の腰にしがみつくようにして止める朱里の眼差しには強い光がある。愛紗はその朱里の強い意志を秘めた瞳の前にのまれてしまい、何も言えなくなってしまった。
 今、愛紗に出てこられると厄介だっただけに、俺は止めてくれた朱里に心の中で感謝しつつ、更に続ける。

「そして、武人の矜持を満足させようと言う君の行為が、俺たちの軍の選択肢を狭め、より厳しい負担を強いられたのだ。そしてそれは公孫賛軍も同様だろう」

 今はなんとしても趙雲に言わなければならないから。
 しかし、彼女もいつまでも呆けてはいなかった。

「……そうは言うが、私は武人だ! 武人としての己を高めようとすることが罪と言うのか!?」

 彼女の切れ長の瞳が、怒りをたたえて俺を睨みつける。気の弱い人間なら即座に目を逸らしたくなるほどの鋭さだが、俺はそれを真っ向から受け止め、逆に強い視線で彼女の瞳を射抜いた。

「君が武人である事は承知しているし、自らを高めようとすることが悪いとは言わない。だが、今の君は将だ。将ならば、まず考えるのは己よりも自分が率いる兵たちのこと。ひいては所属する軍をいかにして勝利に導くのかを第一に考えるのではないのか?」
「それはもちろんだ。だからこそ私は公孫賛軍を勝利に導くために大軍に立ち向かったのだ! そして結果として今、勝利を収めている!」

 確かに結果として勝利を収めてはいる。
 だが──

「その代償として、多くの兵の命が失われたがな」
「それは……」

 一瞬だけ言葉に詰まった趙雲。だが、彼女は退かなかった。

「……武器を持ち戦場に立った以上、命を惜しむのは武人としては恥であろう!」
「兵の全てを武人と見るな。むしろ兵の大半は戦を嫌っている。ほとんどは自分たちの大切なモノを守るために仕方なく武器を持った者ばかりだ。それがわからないとは言わせない」
「──っ! それでもっ、戦において兵の犠牲は必然だ! それをとやかく言う事こそ、大将としての度量が問われるぞ!」
「兵の犠牲が必然? そんなことはわかってる……わかってるからこそ、俺たちはその犠牲をいかに抑えるかに心血を注ぐ必要があるんじゃないのか?」
「…………それは」

 趙雲の言葉は間違ってはいない。
 戦争でどんなに策を巡らせたところで、味方の兵が無傷のままで凱旋するなんてことはほぼあり得ない。実際にこれまでのいくつかの戦いでだって、犠牲者は必ず出ていたのだから。
 しかし、だからと言って兵の犠牲は必然なのだから、結果勝てばいいのだ──なんて理屈は、俺は絶対に認めるわけにはいかないのだ。

「武人として己を高めるのは結構。俺は武人としての趙子龍は素晴らしいと思う。それでも、俺は将としての今の君は絶対に認めない。武人として槍を存分に振るいたいのなら一兵卒でやってくれ。そうでなくては、君の下に付く兵たちが迷惑だ」
「なっ……!?」

 俺は自分の言うべき事を言い終え、趙雲が自らを否定された事で怒りを爆発させようとした時、一人の伝令兵がやってくる。

「報告します! 公孫賛軍の敵の掃討が終了したようです!」
「そうか……では、あらためて公孫賛殿の陣へ挨拶をしないとな。愛紗!」

 俺は伝令の報告を受けた後、愛紗を呼び寄せた。

「あの……ご主人様? 私に何か?」
「ああ。先ほどは作戦立案の役目もあったから朱里を連れて行ったが、今回は一番手柄の愛紗を連れて行って、公孫賛殿と顔を合わせてもらおうと思うんだ。だから付いてきて欲しい」
「は、はあ……それは構いませんが」

 先ほどまでの舌戦を意識してか、どうにも反応の鈍い愛紗。
 しかし俺はそらとぼけて、愛紗を連れて自陣を出る。その際に、

「朱里、しばらく兵たちを休ませてやってくれ。鈴々も戦いっぱなしで疲れもあるだろうから、ちょっと休んでおくように」

 残る二人にも声を掛けておいた。
 ……怒りで顔を紅潮させた趙雲を無視するように。






















「……とんだ見込み違いだ! なんだあの男は! 天の御遣いなどと呼ばれてるのだから、どれほどかと思えば、なんと狭量な!」

 恭也と愛紗が陣を出ていき、すっかり無視された形となった趙雲は膨れあがった怒りの矛先を見失ったまま、その不満を爆発させた。その趙雲の激怒した様子には、さしもの鈴々もどうしていいかわからず、困惑している。
 しかし、

「──そ、それ以上、ご主人様を悪く言うのはやめてくださいっ」

 そんな趙雲に向かって立ち向かったのは、なんと朱里だった。
 策を講じる時以外は弱気な面が表に出るタイプの朱里の、蛮勇とも思える行動には、さしもの鈴々も呆気にとられてしまう。今の怒りに支配された趙雲は、野生の虎よりも恐ろしいはずなのに。

「悪く……だと?」

 趙雲の殺気すら含んでいそうな眼光が朱里を捉える。朱里はその視線を受けて、その圧力に震えたが、それでも目を逸らそうとはしなかった。それが気に入らないのか、趙雲は本来怒りの矛先を向けるには相応しくない朱里に噛みつこうとするが、

「私の言葉は全て真実ではないか! 天の御遣いなどと嘯く不届き者では──」
「あの方の真意もわからないあなたに、ご主人様を否定する権利など在りません!」

 自分の言葉を遮るようにして放たれた、小さな軍師の言葉の中に、気になるモノを見つけたのである。それは──

「……真意、だと?」
「そうです……ご主人様が何故、あなたを叩いてまでして、あのような厳しい言葉をぶつけたのか。どうして──あれほどまでにお辛そうな表情で、自分が認めた相手を罵らなければならなかったのか」
「つら……そう?」

 瞬間。
 趙雲は頭から冷や水を浴びせられたかのように、自分の中にあった怒りの炎が鎮火された。
 趙雲は思い出す。
 彼と言い合っていた時は、怒りで我を忘れていて気づかなかった。しかし今になって思い出してみれば、確かにあの時の恭也の顔は──声こそ怒りを無理矢理封じ込めたような抑揚のない声だったが──辛そうにしていたように思える。
 だが、それは何故なのか?

「……どうしてお兄ちゃんがツライのだ?」

 その疑問を素直に口にした鈴々に、朱里がわかりやすく答えを教えた。

「ご主人様は、公孫賛様から趙雲さんの話を聞いた時から、趙雲さんを尊敬していたんです。だから、そんな人に罵声を浴びせるのは、苦痛でしかなかったの」

 そして、その応えに誰よりも驚いたのは、

「……尊敬? 彼が、私を?」

 趙雲である。
 もはや何もかもが理解出来ず、混乱して呆然とする趙雲に、朱里はあらためて言葉を紡ぐ。恭也の真意を語るために。

「公孫賛様からお聞きしました。あなたはこの乱世で苦しむ庶人を助けるため、と言って客将になったのだと」
「……確かにその通りだが」

 頷く趙雲。そこへ鈴々が少し驚いたような顔で割って入る。

「おおー。趙雲もなのかー」
「私も、とは?」
「鈴々と愛紗もね、一緒なのだ! 弱い人を助けたいから戦うのだ」

 自らの願いを胸を張って言う鈴々。

「そしてそれは私も同じ思いです」

 そこに朱里も同意する。この願いこそが誇りとして。
 その上で、話を続けた。

「そしてもちろん、この願いは我らのご主人様も同じです。だからでしょう……あなたが単身敵軍に突撃した時、誰よりも先に趙雲さんを助ける事を明言したのはご主人様でした」
「…………」
「ご主人様が本当に天の御遣いなのかどうかは、実のところ私にも分かりません。ですが、あの方が他の人にはない“何か”を持っているのは間違いないのです。その“何か”の中の一つが、卓越した慧眼です」
「慧眼?」
「あの方は、公孫賛軍の陣内であなたの姿を一目見て、趙雲さんが英傑であると見抜いていたようでした。そしてそんなあなたが自分たちと同じ願いを持っている事を知ったご主人様は、即座に決断したのです。趙雲さんはこの乱世に平和をもたらすために絶対に必要な人間だから、絶対に死なせないと」
「そんな……っ」

 今、朱里が語った事は恭也が口にした事ではない。
 しかし、あの陣内でのやりとりの間も恭也の一挙手一投足をしっかりと見ていた朱里の目は、恭也の思考をある程度推察出来ていたのだ。
 そしてその推察には、決して根拠はないがそれでも自信があるからこそ、こうして断言出来ているのである。

「事実、最初にお二人が語り合ってた時は、ご主人様はあなたのことを認め、褒め称えていたはずです。それがご主人様の本心だったのでしょう。ですが、ご主人様はそこで終わらせるワケにはいかなかった。何故なら、高町軍の軍師としてはっきりと言えますが、今回の戦いは趙雲さんの暴走さえなければ、もっと味方の被害は抑える事が出来ていたから。趙雲さんを助けるために、自分以外──愛紗さんと多くの兵士さんたち──に無理をさせたからです」
「…………」
「人一倍お優しいあの方がそれを許すわけにはいかなかったのです。ご主人様のお考えとして、自分が無理をするのは問題ではないのでしょうけど、自分の指示で、自分以外の誰かに負担がいくのは許せないのです……誰よりも自分が。だからあの方は辛い思いをしてまで、自らが認めた相手を糾弾したんです」

 朱里は恭也の考えを理路整然と語る中で、自分の中にある昏い感情がもたげているのを感じた。しかしそれでも、今は自分の口を止める事は出来ない──。

「そして……趙雲さん、正直に応えてください。あなたは先ほどご主人様に、自分は将として味方の勝利を考えて、単身敵軍に突撃したと言いましたが、あの行為は武人としての意識の方が強かったのではありませんか?」
「……それは、否定は出来ない」

 先ほどまでの怒りに心を支配されていた時ならば、首を横に振っていたかもしれないが、今の趙雲は意地を張ることは出来ないでいた。

「それは当然ご主人様も見抜いておられたんだと思います。ですから、あの方はあえて苦言を呈したのですよ。あの方は武人としての趙雲さんも認めてますが、将としての趙雲さんにも多大な期待をよせているのです。いずれ大軍を率いて戦い、その理想を叶えて欲しいと思っているから」
「あ……っ」
「つまりご主人様は、誰よりも趙雲さんを高く評価していて……趙雲さんのような優しい理想を持って、それでいて強く在ろうとする人が好きなんですよ」

 そう──それが朱里にもわかっているからこそ……朱里は趙雲に嫉妬していたのである。
 だが、恭也の真意を語ると言った以上、ここまで言わなければ嘘になってしまう。朱里としては言わざるを得なかったのだ。これもまた主のためとして。
 そういう意味で言えば、朱里は恭也の仲間となって間もないが、見事なまでの忠臣ぶりを見せてくれたのだった。
 そして、こうして恭也の“真意”を聞かされた趙雲はどうしているのかと言えば……今はうつむき、肩を震わせている。
 もしかして泣いているのだろうか、と思った朱里と鈴々だったが、

「…………くっくっくっくっくっ……」

 それは見当違いだった。

「はーっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 趙雲はうつむいていた顔を上げると、大声で笑い始めたのである。そのリアクションはさすがに想定外だったのか、朱里も鈴々も驚いて目を丸くしていた。
 そんな二人の様子も目に入ってないのか、趙雲は愉快そうに笑い続ける。それは、あまりにも滑稽な自分自身へ向けた笑い。恭也相手に感情のままに言葉を返していた自分。そんな恭也の真意を朱里に教わるまで気づけず、この場から居なくなった男を罵っていた自分。それがいかに醜く、情けないモノだったか──。
 そしてひとしきり笑い終わった趙雲は、突然神妙な面もちとなって朱里と向かい合うと、彼女は清々しいくらいに深々と頭を下げた。

「軍師殿。この度は失礼な物言いをしてしまい、誠に申し訳ない。そして、この愚か者に高町殿の真意をご教授頂いた事、感謝の極みです」
「あ、いえ……その、私はただ……ご主人様のことを誤解して欲しくなかったから……」

 趙雲の謝罪と感謝の言葉に戸惑う朱里。朱里もまた、趙雲という人物が本来は聡い人間である事は見抜いている。今回に限っては彼女にとっての“譲れないモノ”に触れたがゆえにこうした諍いが起きてしまったが、これが彼女の本質だとは──きっと恭也も違うと理解しているはずだ。
 その証拠に、というわけではないが、

「しかし……」
「はぃ?」

 ゆっくりと頭を上げる趙雲。徐々に見えてきた彼女の顔は、口の端を上げる悪戯っぽい笑みをかたどっている。そして切れ長の瞳には怪しい光が。

「良かったのですかな、軍師殿? あなたのおかげで、この趙子龍。高町殿に“色々な意味で”心酔しそうなのですが?」
「え……えええっっっ!?」

 色々な意味──それを深読み出来る朱里が、驚き慌てふためく。そんな少女の様子を見て、趙雲は愉快そうに笑った。

「一軍の大将としても、そして男としても。彼は奥深く、そして興味深い。このままお側で添い遂げたいと思うほどに……な」
「は……はわわ……はわわわわっ!」

 その趙雲の言葉は、朱里をからかうためのモノなのか。それともあるいは──。
 彼女の言葉の真意を読みとれない……いや、読みとりたくないのか。どんどん混乱する朱里を尻目に、鈴々はいたってマイペース。

「趙雲のおねーちゃんが仲間になってくれるなら、鈴々は嬉しいのだ」

 彼女は二人のやりとりを全ては理解していないフシがあったが、それでも同じ一騎当千の勇将として、趙雲が同志になる事を純粋に歓迎していた。
 だからこそ、趙雲は嘘がつけなくなってしまう。

「やれやれ……軍師殿相手ならばまだしも、張飛殿相手では虚言は出せませんな」

 趙雲は毒気を抜かれたかのように苦笑し、そして再び表情を引き締めた。

「私はこれまで、庶人を救いたいという願いの元、乱世を鎮める事が出来る英雄を捜し求め、旅をしていたんだ。そしてその英雄に仕える事こそが本懐であると。そして、今までの旅の中で二人ほど“これは”と思う英雄は確かに居た──魏の曹操と呉の孫権だが。その二人はいずれも大陸の覇権を争えるほどの傑物だったが、それでも自分が仕えるとなると、どこかに漠然とした疑問が残った」

 趙雲の語りに、朱里と鈴々は真剣に耳を傾けている。

「ゆえにまた旅の空に流れ、今回は伯珪殿の元へと身を寄せたのだが……」

 ──ちなみに伯珪、とは公孫賛の字である。

「……今の言い方からすると、公孫賛様はあなたが認めた英雄ではないのですか?」
「ああ。決して無能ではないが、乱世を制し、民を守る王の器ではないな。人となりは立派だとは思うが、王道を歩むほどでもない」
「……なかなかに手厳しいのだ」

 趙雲のシビアな人物評に、鈴々も複雑な表情を見せていた。
 それを見て小さく微笑む趙雲は話を続ける。

「しかし、今回初めて曹操や孫権に仕える事に抵抗感があった理由がわかった。それは──私が真に仕えるべき人物はただ一人だけだからだ」
「あ……」
「それがお兄ちゃんなのか?」
「……その通りだ、張飛殿よ。私はきっとあの方に仕える運命だったのだと。だからこそ、曹操や孫権と言った英雄の資質を持つ王を前にしても、槍を預ける気にはなれなかったのだろう」

 運命──その言葉を大袈裟と捉えるのかどうかは人次第だが。
 少なくとも朱里は大袈裟とは思えなかった。
 彼女もまた、自分と恭也の出会いは運命であると信じているから。趙雲の思いが分かる気がしたのだ。だが、

「だが、私はまだ高町殿の配下にはなれない。もうしばらく旅を続けようと思う」
「えっ!? どうして?」
「そ、そうですよ……趙雲さんが私たちの仲間になって下さるなら、とても心強いのに」

 彼女はその運命に従おうとはしなかったのである。
 その言葉に、鈴々も朱里も目を丸くした。

「お言葉は有り難いが、私は今回の一件で自分がまだまだ未熟である事を痛感したのでね。高町殿が私に期待をしてくれているのなら、その期待に応えられる自分──武人としても将としても一流──になって初めて彼に槍を預けたいと思ってるんだ」

 そんなことはない、と。鈴々は引き留めようとする。しかしそれよりも先に、

「……わかりました。私は趙雲さんの意志を尊重します。頑張ってくださいね。私はいつまでも……趙雲さんが私たちの仲間になってくれる日を心待ちにしていますから」
「かたじけない。一日でも早く、ご期待に応えるべく精進しよう」

 朱里が彼女の決意を受け止め、趙雲はそれに清々しい笑顔で礼を言った。
 朱里には理解出来たのである。これこそが彼女のプライドなのだと。恭也が自分に期待してくれているのは理解したが、彼は言ったのだ──今の君は認めない、と。
 恭也の元で槍を振るいたい。しかしそれはあくまで、彼に認められてからでないと意味がないのだ。
 しかし、そんな彼女の矜持を理解出来ない鈴々は、

「仲間になりたいなら、素直にそう言えばいいのに……」

 趙雲の行動に首を傾げるばかりだった。










「お二人とも。では、また会おう」

 実に短い、彼女らしい別れの挨拶で、彼女は高町軍の陣を去っていった。
 颯爽と去っていく彼女の背中を見送りながら、

「……今の趙雲さんなら、ご主人様はきっと認めて下さると思いますよ」

 誰にも聞こえないほどの小さな声でそう呟いた。




















 公孫賛は諸手をあげて俺と愛紗を迎え入れてくれた。
 黄巾の大軍を相手に戦線を維持した俺たちを高く評価し、自分たちを信じてくれた俺の事を盟友として扱ってくれた。
 彼女は今回の一番手柄である愛紗にも素直な畏敬の念を持ち、愛紗もまた好人物である公孫賛を気に入ったようだ。
 今回の戦いは、公孫賛軍抜きでは厳しかった事を理解出来ている俺は、礼の意味も含めて彼女を啄県の街へと招待しようとした。それは愛紗も賛成してくれたのだが、

「気持ちは有り難いけど、けっこう長く自分のねぐらを空けて居るんでね。さすがに急いで帰らないと民に顔を忘れられそうなんだ」

 と冗談交じりながらも、丁重に固辞されてしまった。元々遠征軍の帰り際だった彼女にとって、今回の一戦は大きな寄り道だったのだ。それを考えると俺も彼女を無理に引き留める事は出来ない。

「この礼は、何らかの形で必ずする。何か困った事があれば、なんでも言ってくれ」

 そんな俺の言葉に、彼女は爽やかな笑顔と、その言葉ゆめゆめ忘れるなよ、という言葉を残して啄県を後にしたのだった。
 そして俺と愛紗は自分たちの陣へと戻る──前に、すこしだけ寄り道をするのだった。










 戦いが終わり、兵士たちの怒号も悲鳴もなく、そこにはただ荒野の風の音しかない。
 この大陸では決して珍しくない風景を見ながら、俺はただその場に立ちつくしていた。そして当然その傍には、

「……ご主人様?」

 愛紗が控えてくれている。

「陣に戻らなくても、よろしいのですか?」

 背中越しに聞こえる彼女の声はどこかこちらを気遣う声色だった。
 それはまるで落ち込むモノを励ますような。
 黄巾党の大軍を撃破し、公孫賛とも確かな友の絆を結べた。そこに、俺が落ち込む要素などはないはずだ。
 事実俺は落ち込んではいない。
 しかし、気遣われる要因は確かにあった。

「……愛紗は、俺の彼女に対するあの一件に対しては言いたい事があるのだろう?」

 彼女の事──これが誰の事を差しているのか、は言うまでもない。

「ご主人様のお言葉はまったくもって正しかったと。それは間違いありません」

 愛紗は淀みない口調ではっきりとそう返した。
 そこには気遣いによる嘘も何もない。見事なまでの肯定の意。

「俺もそうだ。自分の言葉に偽りはなかったし、あの場で言う必要があったんだ」
「……ご主人様が、彼女に多大な期待を掛けているからこそということも、今ならわかります」

 さすがは愛紗と言うべきか。
 そう──俺は趙雲という少女に期待していた。それは彼女の名前が“趙子龍だから”というワケではない。肌で感じた英傑の雰囲気と、彼女自身の瞳に宿る知性の光。そして何より、彼女が愛紗達と同じ……尊い願いを胸に秘めていたから。
 だからこそ、武名を上げるための今回の短慮な行動と、その考え方に腹が立ったのだ。
 しかし──

「俺はあの時、怒りを抑え、冷静になろうとする事で必死だった。だからこそ言葉を選べなかったのかもしれない。それを今になって痛感してな……もっと言い方もあっただろうし、あれではただの狭量なお山の大将と、彼女の目には映ったのではないかと……そんな事を考えてしまうんだ」
「そんな……」
「彼女は間違いなく、この大陸を平和に導く英傑だ。だが、そんな彼女に認められない俺が天の御遣いなどと……滑稽な気がしてな」
「そんな事はありません!」

 俺の弱気な言葉を愛紗は真っ向から否定する。

「ご主人様は間違いなく天の御遣いです。そしてこの大陸を平和に導く英雄です! 貴方様がいかにご立派なのかは傍で仕える私が一番理解しておりますから!」

 そして、いつしか愛紗は俺のすぐ側までやってきて、制服の袖口をきゅっと掴んだ。

「もっとご自分を信じて下さい。そして……趙雲の事も。彼女ならばきっとご主人様の真意を理解してくれますから」

 それはもう、懇願するかのような声。
 そんな愛紗らしくない声色に、俺は心の中で反省した。
 自分の言動に自信が持てず、愚痴をこぼすなんて……弱いにも程がある。
 俺は、隣にやってきた愛紗へと顔を向け、安心させるべく笑顔を見せた。

「すまない愛紗。弱音を吐くなんて……恥ずかしいところを見せてしまったな」

 愛紗は何故か頬を赤らめ、一瞬だけ目を逸らしたが、すぐに視線をこちらに向けてくれる。

「いえ……ですが、ご主人様は多くの人間を束ねる立場ですから。人前ではそれは見せないようにして下さい。その代わり……私で良ければ、いつでもおつきあいしますので」

 弱音を吐きたい時は自分に……そんな彼女の気遣いは素直に嬉しかった。
 だから俺は心からの礼を彼女に言う。

「ありがとう……愛紗」
「……帰りましょう。ご主人様」
「ああ」

 弱さを出す時間は終わった。
 俺は表情を引き締め直し、鈴々達の待つ陣へと戻ろうとした──その時、

「あれは……」
「……趙雲?」

 ちょうど、俺たちの陣がある方から歩いてくる人影が一つ。
 荒野の中でより映える白の着物に、無骨ながらもどこか雅な槍を携えた少女が真っ直ぐとこちらに向かって来たのだ。
 俺と愛紗は足を止める。そして彼女の姿が自分たちの視界の中で大きくなるのを待っていた。
 そして──

「おや? なにゆえにお二人がこのようなところに?」

 俺たちの前までゆっくりと歩み寄ってきた趙雲は、本当に意外そうにそう問いかけてきた。その彼女の様子に、俺と愛紗は顔を見合わせてしまう。そして、愛紗は瞳だけで笑みをつくった。
 彼女の瞳が、良かったですね、と語る。
 確かに、今の趙雲には怒りの色は全くなかった。
 自分のつたない言葉でも、真意を読みとってくれたのだろう……彼女の聡明さには、俺の方から感謝したいくらいだ。
 しかし、だからこそ疑問が残る。今の彼女の姿はまるで、

「俺たちは少しだけ寄り道をしていただけさ。それよりも趙雲さん。君はまさか……?」

 今から再び旅に出るのか。
 そんな俺の言葉を先読みするかのように、こくりと頷いた。
 しかも彼女が向かう先には遼西はない。つまり彼女は、客将として腰を据えていた公孫賛のところに戻る気もないということか。
 しかし……実に残念だ。俺としては、公孫賛の元へと戻らないのであれば、俺たちの元にいて欲しかったのだが。先ほどのやりとりに関して、こっちの思いを理解してもらえたのなら尚更。

「我らの元に残る、と言う事は出来ないのか? 趙雲殿」

 そんな俺の気持ちを代弁するかのように、そして彼女自身の願いでもあったのだろう、愛紗が趙雲を引き留める。しかし、彼女は首を縦には振らなかった。

「……正直な事を言えば、私も高町殿にお仕えしたいとは思ってはいるのだ」
「ならば……っ」
「だが、こればかりは意地のようなものなのだ。今よりも己を高め、高町殿に請われるほどの“将”となってからでないと。高町殿の配下には相応しくないのでな」

 こうも言われてしまっては、引き留めるなんて事が出来るはずがない。正直な事を言えば“今の”彼女ならば、俺からお願いしてでも仲間になって欲しいと思う。しかし、彼女はそれを良しとしないのだ。将としての自分を高めるため──そんな事を言われれば、止める事自体が無粋極まりない。

「……それならば仕方がないな」
「ご主人様!?」

 あっさりと彼女の希望を認めた俺のことが意外だったのか、愛紗が慌てふためいた。しかしこれはもう決めた事だ。
 あらためて俺は趙雲と向かい合う。

「ならば俺も精進しよう。いつかまた会えた時、今度は俺の方が君に認めてもらえるような男になっていないとな。次に会う時は、君は間違いなく大陸中の太守たちが召し抱えたくなるほどの将になっているのだろうから」
「これはこれは。また随分と買い被ってくれますな。重圧を感じてしまいますぞ」
「それはお互い様だろう? 俺とて今から死にものぐるいで精進しなければならないのだからな」
「ふふっ」
「はははっ」

 互いに軽口を言い合って、小さく笑い合う。
 そこには、先ほどの諍いが嘘ではないかと思うほどの、親密さがあった。
 それは、脇で二人の様子を見ていた愛紗が仲間はずれにされたと思ってか、不機嫌そうな表情を見せるほど。
 しかし……この二人の親密さは、その諍いによって起きた口論がなければ、こうはならなかったはずだ。あれが、俺たちのためには必要だったのである。
 それがわかっただけでも、俺は救われた気がした。
 彼女と分かり合えた事で、俺たちは一緒にいる事自体が心地よく思い始める。だからこそ、これ以上一緒にいると旅に出られなくなると思った趙雲が、ここで別れの言葉を口にした。

「さて……これ以上ここにいると、旅立てなくなりそうですからな。このあたりで、そろそろ失礼しましょうか」
「ああ……そうだな。次に会える時を楽しみにしているよ。今日のところは我慢するが、今度は遠慮無く口説かせてもらうからな。覚悟しておいてくれよ?」
「これはまた……強烈すぎる殺し文句ですな。高町殿も人が悪い」

 趙雲は最後の最後まで爽やかな笑みを残し、

「では、私はこれで。関羽殿も……また会おう」
「ああ……貴殿との再会を楽しみにしている」
「では」

 俺たちに背中を向け、荒野へと歩み始める。
 その彼女の颯爽とした姿は、色褪せた荒野の中でも異彩を放ち、人の目を惹きつける。俺と愛紗はそんな彼女の後ろ姿を見送る──はずだったのだが、

「おっと、忘れるところだった」

 別れの挨拶から一分もたたずに趙雲が振り返った。
 彼女はまだ何か言い足りない事があるのか小走りで俺の元へと戻ってくると、

「高町殿との再会の約束の証を残す事を忘れておりました」
「約束の証? 何を──」

 残そうというのか、という問いかけを言葉に乗せようとした俺の口を……彼女はいきなり塞いでしまう──自らの唇で。

「──っ!?」
「な……なにぃぃぃぃぃぃぃっっ!?」

 素早く懐に入り込んだ趙雲は飛びつくように俺の首に腕を回し、互いの胸を合わせ、俺の唇を奪ったのだ。女性特有の、ほのかに甘い香りと、美しくも瑞々しい彼女の柔らかい唇の感触が、俺の頭を真っ白にし、愛紗は絶叫してしまう。
 そして、どれほどの時間だろうか? 一瞬だったのか、それとも一分近くだったのか。
 合わせていた唇を離した趙雲は、呆然とする俺に向かい、悪戯が成功したガキ大将のような笑みを見せた。

「さて、これで証は残せたでしょう? それでは私はこれで。必ずまた、会いましょうぞ、“我が主”よ!」

 そして、決して悪びれることなく、今度は俺たちの前を走り去っていく。
 俺はそんな彼女の走り去る姿を呆然と見送りながら、

「速い速いと思っていたが……こんな奇襲攻撃にまで、速さを使わないでくれ……」

 俺は、もうこの場にいない少女へ抗議の言葉を向けるのだった。




















「……帰りますよ、ご主人様っ!」
「ぬおっ!? 襟首を掴まないでくれ……というか、引きずるな愛紗っ! 自分で歩けるからっ!」
「もう……知りませんっ!」
「あ、愛紗……っ!? 痛い、痛いんだって! というかどうして怒って……?」
「怒ってなどおりませんっ!」


 戦いに勝利して、凱旋した俺たちだったが……愛紗の機嫌は結局その日のうちに好転する事はなかった──。







あとがき

 ……ここのお話は、自分なりの考えを出してみました(ぇ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 原作ではけっこう穏やかだった趙雲とのやりとりですが、ここは少し波風を立たせてみました。そもそも原作をプレイしていた時も、ちょっとここでの趙雲の行動は軽率だった気がするなぁ、と思っていただけに、そんな考えも踏まえて恭也にはああいう行動を取ってもらいました。趙雲ファンがどう思うかは怖かったのですが(汗
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



黄巾党との戦いも一先ずは決着〜。
美姫 「恭也の行動も朱理のお陰で趙雲にちゃんと伝わったしね」
まあ、時間が経てば自分で気付いたかもしれないけれどな。
美姫 「しかし、去り際に騒動を残していくのがらしいと言うか」
あははは、確かに。
恭也にとってはある意味、戦いよりも困難な事に頭を悩ます事となった訳だ。
美姫 「趙雲との再会が楽しみね」
いや、本当に。次回も楽しみにしてますね。
美姫 「待ってます」



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