『とらいあんぐるハート 〜猛き剣の閃記〜』




目の前にいるのは非常識な物体。
身の丈90cmはあろうかというその体躯は、もはや鼠と呼べる代物ではなかった。
これがあと二倍近く身長があって、かつ愛くるしい程デフォルメされた顔だったら――つまり、
千葉にあるのに頭に『東京』という冠詞がついた某レジャーランドにいる鼠だったら――と、明日香は考えていた。

「こ、こ……」

別段、彼女の前世は鶏ではない。まして、彼女の特技に『鶏の物真似』という項目は存在しない。

「こ、来ないでぇぇ〜〜〜〜っっ!!」

明日香の口から出た言葉は、『悲鳴』。つまり、彼女は恐怖しているのだ――目の前の獣に対して。

「なんで!?どぉして、こうなるのぉ!?」

今日は彼女にとって、『ラッキーday』になるハズだった。
弓道の全国大会の代表に選ばれて、練習においても絶好調。
矢を射れば『的中』以外の結果は残らず、流石に家を出る前にチェックした『今日の運勢』で、
No.1を飾っただけのことはある――そう感じていた。
……ついさっきまでは。

「えっとぉ、さっき地震が起こってから鼠さんが出てきてぇ〜〜」

現状を把握中。鉄火場においても冷静さを失わないことは、良いことである。
しかし、その声には悲哀の情が込められていた。
つまりは涙声。必死に鼠から逃げ惑うその姿は、
虫が嫌いな子どもが虫から逃げている……ようにも見えないことはない。
……実際はそんな生易しいモノではないが。

「……こういうピンチの時って、颯爽と『タキシードとシルクハットを着た男の人』が、
『大丈夫ですか?怪我はないかい?』とか言って、助けてくれるんだよねぇ?」

その問いかけに答える人はこの場にはいなかった。
否、いたとしても『ソレって、タ○シード仮面!?』と反応するしかなかっただろう。

『グァァァァァァァッッ!!』

少女が妄想に浸っている時も、鼠は容赦なく少女を追いかける。
自ら仕事に対して熱心なのは良いことだが、もう少し場の雰囲気を読む能力を磨いた方が良いかもしれない。
……まぁ、そんな能力があったのならば、この後に起こることも予想できたのだが。

『グァ――――ッッ!!』

「えっと、『誰か助けて――――!!』……で良いのかな?」

自分の死が、すぐそこまで迫っているかもしれないという惨状での、この余裕。
一体、彼女は将来どんな大物になるのだろうか?
それとも、彼女は誰かが助けに来るのを分かっていてそうしたのだろうか?

『――――』

刹那、風景が歪む。つい数瞬前まで明日香の目の前に存在していた鼠は、
今はやや離れたところに投げ出されていた。
代わりに目の前に存在していたのは、大きな背中。

「明日香ちゃん、大丈夫だったかい?怪我はないかい?」

つい先刻に思った妄想通りの台詞を口にしたのは、つい一ヶ月前にできた、『恭也お兄ちゃん』だった。
明日香の悲鳴を聞きつけてきたのだろう。彼にしては珍しく肩で息をし、心配そうに妹分を見つめている。

「お兄ちゃん……来るタイミング、狙いすぎだよぉ〜〜」

ホッとした妹分は、開口一番でそう言ってのけた。

「す、済まない……」

理不尽な要求にも律儀に応答する恭也の頭には、
『何故自分が怒られているのだろうか?』という気持ちで一杯だった。





第二十二話 第一章 悲運の主人公





「……消え、ちゃったね……」

「……あぁ。さっきから同じような奴らを相手にしてるのだが、皆あのように消えていくんだ」

鼠が消えた地点を見ながら、二人はそう言った。
恭也にとっては既に見慣れたモノになったが、明日香にとっては初見の、それも異質な出来事。
その光景にただ感想を述べることしかできなかった。

「ともかく現状を整理しよう……正直、俺にも良く分からない部分が多いのだが……」

「……っていうか、この状況をすぐに理解できる人がいたら、それはそれで怖いと思うんだけど……」

明日香の発言はもっともである。
ごく普通の人生を歩んでいる人々にとって、こんな事態は一生に一回もないだろう。
それ程までにこの事態は異常であり、また日常からかけ離れた出来事。
普通ならありえないだろう。
しかし――

「(……俺のまわりでは、日常茶飯事に起こるからな。この手の事態は……)」

『常識とは何だ?』という言葉を言わなくなってから久しい。
それほどまでに恭也の人生は、日常からかけ離れたところにあった。
既に軌道修正が不可能な程までに。

「さっき起こった地震発生後に、あの鼠が出現した――コレは間違いない」

「うん、そうだね……原因はわからないけど……」

「そして、下校途中の生徒達が消えている……」

「……うん。さっきまでいた弓道部の友だちもいなくなってるし……」

状況を一つずつ確認していく二人。
大地震の後の獣たちの出現。繋がらない携帯電話等。
まるで『アノ』物語の焼き直しのようなシーンの数々。
恭也はこの状況に当たりをつけていたが、その物語の筆者の娘は未だにその事態を把握できていないようだ。

「……明日香ちゃん、『出雲物語』を読んだことは?」

コレは一つの仮定。つい一月前にその物語を知ったハズの自分がその可能性を感じるのに、
その筆者の娘が知らないというのは――

「えっ!?…………じつは難しくて、先延ばしにしてたり……」

語尾が消えかかりそうになりながらの弁明。
これで明らかになったのは、明日香が事態を把握していないということ。

「でも……それがどうかしたの?」

まさか、『実は今の状況は、君のお母さんが書いた物語ソックリなんだ!』というワケにもいかず、
恭也は途方に暮れた。
言ったところで理解してもらえるとは思えないし、理解できたらできたでソレはかなり嫌な気がする。
――せめてこの娘だけは、常識の世界の住人でいて欲しい――恭也のその願いは、もはや一縷の希望だった。

「?……もしかして、その『出雲物語』の状況ソックリなの?」

「!?あ、明日香ちゃん!?どうしてソレを!?」

日頃の――いや、一緒に暮らしている家族でさえも見たことがないような破顔。
……本来の破顔の意味とはかけ離れているが――とにかく驚きと恐怖が入り混じったような顔つきの恭也は、
狼狽しながら明日香に尋ねた。

「え?だって昔お母さんが、
『このお話はねぇ〜、昔お母さんたちが本当に体験したことを書いたお話なのよぉ〜』って言って……」

「…………」

普段の精悍な顔つきは何処へ行ってしまったのだろうか。
今の彼の顔をFCのメンツが見たのならば、間違いなく卒倒する――ソレほどにレアな表情だった。

「…………」

まだ回復に至らない。
かつてこれ程長い時間、呆けていたことがあっただろうか。
戦場では、一瞬の油断が命取りになる。
その定義でいけば、今の恭也は間違いなく十回は殺されているだろう。
敢えて彼の気持ちを代弁するのなら、
――『自分一人であれこれ悩む前に、筆者である綾香さんに聞いてみるべきだった』――
というものだっただろう。

「恭也お兄ちゃん……大丈夫?」

心配そうな眼差しを向ける明日香。
その声と視線で、恭也はやっと現実に回帰した。
……けっしてなのはと同じように、『妹に非常に甘い』というスキルで甦ったワケではない……多分。

「あ、あぁ……心配ない。ちょっと、世の中の理不尽さに憂いていただけだ……」

……訂正。彼はまだ現実に戻りきれていないようだ。
普段の彼から決して出てこないような言葉遣い。
彼のような甘いマスクの持ち主が言えば甘言となるが、
普通の人間が言えば間違いなく『変人』のレッテルを貼られそうな台詞を口にするあたり、
まだ現実逃避の旅に、片足を突っ込んでいるように見受けられる。


◆◇◆◇◆ しばらくお待ち下さい ◆◇◆◇◆


「……というわけだが、何か質問とかはあるかい?」

「恭也お兄ちゃんが前衛で、あたしが後衛から矢を射れば良いんだよね?」

今度こそ現実に回帰した恭也は、この異界の地と化した出雲学園を脱出するまでの流れを説明した。
先の鼠のような獣に遭遇した際には、恭也が前衛に徹し、動きを止めた獣に対して明日香が矢を射る。
そうして流れを掴みつつ、校舎内にいる友人たちを救出・合流。そして出雲学園からの脱出。
コレが現状で考えうる、最も優れた案だった。
しかし――

「俺は無手でやるしかないが、明日香ちゃんは――矢をどれぐらい持ち運べるかが問題だな……」

「う〜ん、やっぱり10本くらいが限界かなぁ〜」

弓道の矢は、普通大量に持ち運びに適したモノではない。
まして、背中に背負えたとしても10本くらいが限界であるし、使えば消耗していく。
再利用できたとしても、とてもこの広大な学園を抜けるまでもつとは思えない。

「……かと言って、明日香ちゃんに近接戦をやらせる訳には……」

そうなった場合、可愛らしくグーを作って『えぃ!やぁ!!』とかやるのだろうか。
それとも、弓を鈍器に見立てて攻撃するんだろうか。
……どちらもありそうなだけに、どちらも危険であることには変わりなかった。
相手が人間だったら――それも、特定の趣味に走る人間だったのならば、
『うわぁ、やられたぁ〜〜♪』とか言って、喜んでやられるかもしれないが、相手は獣たちだ。
そんな反応、された方が困惑してしまう。

「……仕方がない。明日香ちゃん、他に武器になりそうなモノを弓道場から探そう」

現在弓道場は、本来の静けさを取り戻していた。
一歩外に出れば、再び獣たちが襲ってくるであろうこの状況では、ココで武器の調達をするしかない。

「う、うん……何かあると良いんだけど」

そう言いつつ、『まずは、あたしのロッカーからだね!!』と意気込んで探し出すあたり、やはり女性は強い。
普段から強い女性たちがひしめく……ではなく、集まる海鳴という特殊な土地に住んでいる恭也は、感心した。

「あれ!?この弓なんだろう?」

明日香が自分のロッカーで発見した弓。
ソレは装飾から判断しても大量生産品などではなく、その道の名人の至高の作であり、
かつ達人が使用していたことを雰囲気で理解させる程の逸品だった。

「コレ……つい最近まで、誰かが使ってたんだと思う……すごい弓だよ!!」

「あぁ。門外漢である俺にも、その凄さが分かる程だ……」

会話している最中でも、明日香はその弓から目を離すことはない。
すっかり虜にされてしまったかの如く、まるで手に吸盤がついてしまったかのように、
手から離すことをしなかった。

「――――――――」

実際に矢をつがえることはしないものの、素引きをしてその弓の調子を確かめようとする。
その行為については、特に咎める必要があるものでもないし、
自分の目の前に逸品と呼ばれる小太刀があったら――と自分の立場に置き換えた結果、
恭也は明日香を叱りつけるようなことはしなかった。
……もっとも、自分の立場に美由希――刀剣マニアの妹が座った場合は、
容赦なく叱りつける可能性はあったが……恭也はそう考えていた。

『恭ちゃんの、恭ちゃんのシスコン〜〜〜〜!!』

またしても聞こえる幻聴。
海鳴在住のT町美U希さんの、義兄に対する魂の叫び。
しかしその内容が、自分の首を絞めているとは露ほども思っていないらしい。
もし恭也が本当にシスコンだったのなら、
『なぜ自分は対象にならないのか!!』という疑問が湧かないのだろうか。
……人間、気が付かない方が幸せなことがある。恐らく彼女のソレもその一つなのだろう。


「……也お兄ちゃん!恭也お兄ちゃん!!」

「……ん?済まない、どうやら考え事をしてたようだ」

頭の中を駆け巡る愉快な一幕。
堅物の恭也にはそんなものを考えることは不可能。
だとすると、『アレ』は宇宙から電波……それも、頭に『毒』が付くほど強力な電波に違いない。

「もう〜、ちゃんと聞いててよね!!……じゃあ、最初から説明するね!」

「済まない……」

自分に非があったせいか、それとも彼は本当に妹のような少女たちに弱いのだろうか。
真偽のほどは定かではないが、とにかく恭也は明日香の言うことを素直に聞くことにした。

「あのね、この弓……素引きしただけで矢が出てくるの!!」

「……ほぅ。それはすごいな……」

至極淡々と、これ以上はないというぐらいの棒読みで、恭也は反応した。

「なんか……あんまり驚いてるようには見えないんだけど……」

頭に一滴の大きな汗をかいた明日香は、苦笑顔で目の前にいる無表情男に返した。

「……済まない。驚くことに慣れていないんだ……
(俺の人生において『驚く』という感情は、きっと宇宙の果てに位置する……そうに違いない)」

室内だというのに、上を見上げれば空がくっきり『視える』。
天空に位置する星々は、何故か一人の男の顔を構成しているように見える。

『恭也――!!次は北海道に行くぞ〜〜っ!!』

鹿児島にいるのに、次に瞬間にそう言った父の台詞が木霊する。
恭也にとって――普通の人間にとってはもっとだろうが、トラウマになりかねない事象が次々と、
それこそ走馬灯のように鮮明に甦ってくる。

「……恭也お兄ちゃん、泣いてるの……?」

恭也の目からは、涙は出ていない。しかし、その背中から漂うのは『哀愁』、『悲哀』。
どちらも、恭也程の年齢で醸し出せるモノではない。
明日香は、その異常な雰囲気を察したのだろう。
恭也の心中は、恐らく涙の海が出来ているということを感じ取った。

「大丈夫だ……それより先を」

「う、うん……と、とにかく矢を出してみるね!!」

『これ以上は立ち入ってはいけない』……恭也の様子からソレを察知した明日香は、
暗く沈んだ雰囲気を和ませるべく、いつもよりも更に明るい声を出してから、弓を構えた。

「――――」

凛とした空気が弓道場に広まる。
武道というモノは、弓道に限ったことではないが、独特の空気――言い換えれば雰囲気を形成する。
その空気で形成された空間の中心で、少女は素引きを行っている。
――訂正。既に質量を以って実体化した矢をつがえている。

――――トン!

的中――そして残心。

「ねっ!!スゴイでしょう!!」

「……確かに。どういう原理かは知らないが、これなら矢のことを考えずに済みそうだな……」

原理は不明。しかし現実に目の前で展開される『事実』。


――――コレで、また一歩常識から遠ざかった――――


悲運の青年はゆっくりと、だが確実に何か大切なモノを失っていった。

「……ともかく、これなら外に出られそうだな……」

「うん♪」

猛たちが即席タッグを形成したのほぼ同時に、ココでもまた一つのコンビが誕生した。
――――二人は気付かなかった。明日香が手にした弓に、『水瀬』と刻印されているということを。










あとがき

今回は、恭也と明日香メインのお話でした。

原作では解明されなかった明日香の弓の謎。
そのままスルーしてしまうには惜しかったので、話に絡ませてみました〜
……さて、今後どう影響が出るのやら……

いつもよりもギャグ色を濃くしてみたので、違和感が出てるかもしれませんが、
そこは大人の心で一つ多めに……見てはくれませんかね(笑)


それでは今回は 、このあたりで失礼します〜




前衛と後衛とバランスの取れたタッグが結成〜。
美姫 「ただ、恭也がまだ武器を手に入れてないのよね」
まあ、それでも何とかなるだろう。
美姫 「さーて、次回はどうなるのかしらね」
いやいや、楽しみ。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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