「じゃあ、自己紹介の時間の始まりでーす」

 

  人をどこかしら惹き付ける魅力を放つ、ウェーブのかかった桃色の髪の少女――――劉備こと桃瑚は満面の笑みを浮かべながら、城に帰ってきたばかりの一刀に言う。

 

  その後ろにいた数名の人々は、そんな小躍りしかねない劉備こと桃瑚の様子に、慣れているのか、一切表情を変えない。

 

「先ずは、馬良くん! どうぞ!」

 

  そう言うと何の変哲もない青年が一歩前に出る。しかし、パッと見普通に見えた青年にも、明らかに常人とは違う部分があった。

 

  眉毛が真っ白だった。

 

  一刀より歳上であろうが、どう考えても眉毛が真っ白になる様な歳には見えなかった。

 

「どうも、馬良です。政務は割と得意な方ですので、そちらの方でご用の際は遠慮なくお声をかけて下さい」

 

「ああ、よろしく」

 

 頭を下げる馬良にスッと手を差し出す一刀。

 

 その手を馬良は小首を傾げながら、見る。

 

「握手だよ、握手」

 

「あ、ああ、はい……」

 

 劉備以外の今まで仕えてきた者とはあまりに違う態度に驚いた様子のまま、馬良は求められるままに一刀と握手を交わす。

 

「割と、だなんて謙遜、謙遜。馬良くんはねー、『馬氏の五兄弟、みんな優秀。でも、常季――馬良くんの字(あざな)だよ――が一番だよ!』なんて言われるくらいに優秀なんだよ!」

 

  握手を終えると、桃瑚が馬良の言葉にそう付け加えた。

 

  馬良は自信たっぷりの不敵な笑みを浮かべながら言う。

 

「そんな大それた者では………まあ、あるかな?」

 

 あはは、と笑いながら、自分の才能に余程自信があるのか、自画自賛としか取れない言葉を呟いた。

 

「お世辞なのに真に受けるなんて、馬良くんってやっぱり面白い!」

 

「え? いや、ホントに言われてるンだが…」

 

「それじゃ、次、孫乾(そんけん)ちゃんどーぞ!」

 

「無視すんな!!」

 

  そんな馬良の叫びを無視しながら自己紹介は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十九話:劉備の仁徳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  桃瑚は次の人物――――孫乾の名を呼ぶが、沈黙が続くばかりで一向に名乗りを上げない。

 

「孫乾ちゃん……?」

 

  桃瑚は後ろを振り向き、もう一度そう呼びかける。

 

  すると、フードを深くかぶり、そのフードから藍色の髪が覗かれる小柄な少女がビクッ、と体を震わせる。

 

  そのフードをかぶっている小柄な少女はあわあわと慌てふためきながら右往左往する。

 

  そんな少女を――――恐らくは孫乾を、一刀は不思議といった表情を浮かべながら見つめていると、顔を深くかぶったフードで附せていた孫乾と漸く視線が交わる。

 

  すると、孫乾はまたもや顔をフードで深くかぶり一刀の視線を遮る。

 

  そんな挙動不審な孫乾に一刀は「俺、嫌われてる?」と、内心心配になる。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

  孫乾の第一声がそれだった。

 

  その第一声に「何故謝る?」と、一刀は思い、またも不思議といった感情を抱く。

 

  しかし、周りに居る者たちはもう慣れているのか、特に気にした様子はなかった。

 

「え、えっと……それじゃあ自己紹介にならないでしょ、孫乾ちゃん?」

 

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!! 私なんかが、桃瑚様の――――ごめんなさい!!」

 

  桃瑚のいつも以上に優しい声で漸く自己紹介を始めた孫乾だが、言葉の途中でまたも謝罪を口にする。

 

「こ、今度はどうしたの?」

 

  いつもの陽気さはどこへやら。桃瑚は恐る恐るといった様子で孫乾に問いかける。

 

  孫乾はフードを更に深くかぶり、覗かれていた藍色の髪は最早全く見なくなっていた。

 

「わ、私の様なクズが、中山靖王の末裔であらせられる劉備様の真名を呼ぶなんて!! 本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!! 生まれてきてごめんなさい!!」

 

「えっと〜……だ、大丈夫だよ! 孫乾ちゃんは私が真名を呼んでいいって言ったんだから。それに、孫乾ちゃんがいなければ、今、私たちはここにこうしていなかっただろうし、孫乾ちゃんは生まれてきて感謝される存在で――――」

 

「いえ! 私なんかがおらずとも、万物の正の法則は変わりませんでした!! むしろ、私の様なクズでトロ臭くて、うじ虫みたいな人間――――いえ、生物がいるせいで、万物の負の法則があるのです!! ごめんなさいごめんなさい!! 私、消えます!! ごめんなさい!!!」

 

  孫乾は息継ぎもせずに一息で言い終えると、フードを深くかぶせたまま踵を返し、部屋の外へと走り去っていった。

 

「ああ、もう! 孫乾ちゃんの悪いクセがまた出た! ご主人様、私、孫乾ちゃんを追うから。あーちゃん、後は任せたよー」

 

  そういうと、桃瑚は逃げ去った孫乾の後を追った。

 

  一刀は孫乾のあまりにあんまりな卑屈さに、かわいそう以外の感情を抱けなかった。

 

「それでは、僭越ながら私が後任に勤めさせていただきます……」

 

  ただの自己紹介なのに、まるで戦や政の時と同じ様な雰囲気で、美しいという言葉しか当てはまらない黒髪を右の方に纏めている女性――――関羽こと愛紗が一歩前へと歩み出る。

 

「……ところで、あの孫乾っていう娘は今までどんな任務をこなしてきてたんだ?」

 

  馬良は内政が得意と言った。恐らくは、それぞれに役割的なモノを持っているのだろう。

 

  そうなると、あの“超”という文字すら生温いくらいにネガティブな孫乾にも、何らかの得意なモノがあると考えるのが普通だろう。

 

  まあ、それが戦闘に類するモノではないというのは、言うまでもないと思われたが……。

 

「彼女は私たちが各地を点々としていた頃に、受け入れ先などを確保してくれていました」

 

  なるほど。外交官、とでも言うべきポジションにあったのか。

 

  一刀は愛紗の説明を聞いて、そう判断した。

 

  だが、一つ疑問があった。

 

「あの娘に、外交ができるのか?」

 

  今のところ、一刀は孫乾が謝っているところしか脳裏に焼き付いていない。

 

  そんな娘が赤の他人に、何か物事を要求するなどという姿が想像もつかなかった。

 

「はあ………。私も失礼ながら、そう感じる時がございます。しかし、彼女が外交官として相手のところへ出向けば、大概の要求は承諾されてきました」

 

「え……? じゃあ、スゴい優秀ってことか?」

 

  愛紗から今までの成果を聞いて、普段はあんな風にとてもじゃないけど外交ができるとは思われない孫乾だが、もしかしたらそれはそう装っているだけで、実はめちゃくちゃやり手の外交官なのか?

 

 一刀はそう思い始める。

 

  しかし、その考えは愛紗がかき消す。

 

「……いえ、恐らくは哀れに感じて、かと……」

 

「………」

 

  頷けた。

 

  もし、自分の元にネガティブ度3000%の少女がお願いに来たら、大概のことは受け入れてしまいそうだ。もし断れば、その場でリストカットしそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も数名自己紹介が続いたが、呉とは違って、人数は割りと少なかったので予想より早く終わりを迎えようとしていた。

 

 自己紹介の最中ではあったが――名前と顔はある程度覚えたが――どうにも最初の二名――――馬良と孫乾の印象が脳裏から離れなかった。

 

 まあ、最初の二名――特に孫乾が――のキャラが濃すぎたため、それは仕方がないことの様に思えた。

 

「では、次は――――」

 

「はいはーい、私だよー!!」

 

 愛紗が名を呼ぶ前に、大きなリボンで黒い髪を一本に縛っている一刀と同い年くらいの少女が元気よく跳ねながら、手を高く上げる。

 

 名前を紹介していない内に勝手に名乗りを上げたのが気に食わなかったのか、愛紗は眉間にシワを寄せ、あからさまに不機嫌といった表情を浮かべる。

 

「糜芳(びほう)といーまーす。お金に困ったら、遠慮なく私にご相談くださーい。超特別な低金利での融資を、お約束しまーす!」

 

「あ、ああ、ありがとう……?」

 

 君主から利子取るつもりかよ!?

 

 一刀は笑顔で借金を提案する糜芳に内心そう思うものの、一応良心から出た言葉っぽいので口には出さなかった。

 

「貴様、天の御遣いであらせられるご主人様から、金を取ろうという気か!?」

 

 一刀が言わなかった台詞を愛紗が口にする。

 

 ただ、先程までとは違い、明らかな怒気を孕んだ声であった。

 

 清廉潔白をモットーとする愛紗故に、主君から――――しかも、天の御遣いである一刀から余分に金を取ろうという糜芳の言い草が逆鱗に触れたらしい。

 

「あのねー、関羽殿。世の中、ただなんて言葉は存在しないの。お金を貸してる間、私たちは極貧性格を強いられる訳だよ? その間の苦労を、お金に換算できるなら、それにこしたことはないでしょ?」

 

「主君のために自らが苦境に立つのは当然だ!! それが、主を仰ぐという事だ! それがイヤなら、今すぐここから去れ!!」

 

「お、おい、愛紗!」

 

  尋常ならざる怒気。

 

  愛紗は糜芳に向かい、まるで戦場にあるかの様な覇気を発する。

 

  軍神の発する圧倒的なその覇気に、この部屋にいる文官たちは思わず一歩どころか二歩、三歩と後ろに後退る。

 

  真っ正面から浴びた糜芳は武官であるにもかかわらず、二歩も後退ってしまう。

 

  しかし、流石にこれ以上下がるのは一武官としてのプライドから、何とか踏み止まる。

 

  間に割って入ろうとする一刀をそっちのけにして、再び舌戦を行う。

 

「やだね! 大体、あんたや桃瑚様に貸した金は、全然返ってきてないンだよ? あ、もしかして、踏み倒す気だったの?」

 

「な――――っ……!? 誰に向かってものを言っている!! 関羽雲長、借りた物はきっちり返すに決まっておろう! 第一、貴様から金を借りた覚えは――――」

 

「無いなんて言わせないよ」

 

  先程の覇気を浴びて尚、糜芳は引き下がろうとしない。

 

  寧ろ、負けてなるものか、と一歩前へと踏み出す。

 

  糜芳の言葉に、愛紗は記憶を探るが、どう考えても糜芳から金を借りた覚えがなかった。

 

「お姉ちゃんに口止めされてたけど、もーう我慢できない!!」

 

「子方(しほう)ちゃん!!」

 

  全く覚えのないといった表情を浮かべる愛紗に、更に大きく一歩前へと踏み出る。二人の距離は、最初より近くなった。

 

  あの軍神関羽を相手にタメをはる糜芳の様子を、一刀は有り得ないと評価しつつ、どうにかしようと考えていた矢先、糜芳の字(あざな)――子方――を呼びながら二人の間に割って入る女性がいた。

 

「退いて、お姉ちゃん! 今日という今日は、私も堪忍袋の緒が切れたわ!」

 

「いいえ。退きません…」

 

  その女性はどうやら糜芳の姉らしい。

 

  妹に退去を命じられるが、姉は淑やかな雰囲気を感じさせる立ち居振る舞いで、首を左右に振り、黒髪を揺らしながら全くそれに応じる気配がなかった。

 

「糜竺(びじく)、退いてくれ……」

 

  やはり、姉相手には多少の遠慮があるのか、糜芳が大人しくなりつつあったにもかかわらず、意外なところから退去を願われた。

 

「関羽さん……?」

 

  愛紗が、神妙な面持ちで糜竺に退去を願った。

 

「しかし――――」

 

「知らなければならない……。私は、私たちのために行動を起こしてくれた事を。そして、その内容を……」

 

  愛紗は最早、覇気を放ってはいなかった。

 

  それでも、その神々しさは損なわれることなく、寧ろ、より増していた。

 

  愛紗の神々しさは、愛紗の武と、清廉潔白がもたらすモノ。今ここで、愛紗の意思を曲げれば、それが損なわれる。

 

  糜竺にはそれが解ったのか、愛紗の言われるままに、二人の間から退く。

 

「糜芳、教えてくれ。私たちは、いつ、なぜ、どれだけの金をお前たちから借りたのかを……」

 

「………」

 

  糜芳は思わず呆けてしまう。

 

  それほどまでに、今の愛紗は常人離れした“気”を発していたからだ。

 

  しかし、その“気”は先程までとは違い、相手を威圧するモノではなく、まるで惹き付けられるかの様な感覚を覚えるモノだった。

 

  それが、愛紗の――――軍神関羽の本質だと気付くモノは少なかった。

 

 

「子方ちゃん……?」

 

  じっと身構える愛紗に対して、一向に言葉を発しない妹を不思議に思い、糜竺は妹を字で呼び掛ける。

 

  そこでハッ、とした表情を浮かべ、首を左右に振る。それと同時に、大きなリボンで一本に纏めた黒髪も波をうつ様に揺れる。

 

  恐らく、今の愛紗が放つ“気”に触れたのは直接浴びた糜芳と、一刀くらいだろう。

 

「そこまで言うなら教えて上げるわよ」

 

「子方ちゃん!!」

 

「よい、糜竺。糜芳、続けてくれ…」

 

  妹――――糜芳の改めようとしない不遜な態度を糜竺は諌めようとするも、当の本人に容認され、糜竺も押し黙る。

 

「私が知ってるだけで、まず徐州で最初に仲間になった時ね。その時の兵3000人分の兵糧ね」

 

「兵糧…? 待て、あれは徐州州牧の陶謙(とうけん)殿から配給された分では…?」

 

「元々、徐州の財源は私たち糜家の寄付に因(よ)るところが大部分なの。それと、貴女の義妹が普通の人の二十倍は食べるから、私たちの私財を使って兵糧を余分に確保していたの」

 

  糜芳の台詞を聞いて、一刀は驚愕する。

 

  糜芳の言うことが本当なら、一つの州の公費を高々一つの家がほとんど歳出していたということになる。

 

「なあ、馬良?」

 

「んぁ? 何すか?」

 

  横で成り行きを見守っていた、眉毛が真っ白な青年――――馬良に一刀は小声で話しかける。

 

「徐州の国庫を糜芳たちが負担してたって、マジ?」

 

  にわかには信じ難い。

 

  例え豪商であろうとも、国庫を補えるとはとてもじゃないが思えない。

 

  故に、馬良に訊ねた。政務を担当していた馬良ならば、そこら辺の事情に明るいだろうと判断してのことだ。

 

「……いや、俺が玄徳さんの臣下になったのは、割りと最近なんで徐州にいた頃のこたぁちょっと判んないッスねぇ」

 

「そっか……」

 

  とゆうことは、糜竺、糜芳は割りと古株ということになるのか。

 

「でも、糜家についてなら、多少知ってますよ」

 

「なら、それについて教えてくれ……」

 

 一刀が願いでると、馬良は内心では君主たるもの、そう簡単に頭を下げるべきではないと思いつつも、それが一刀の普通の君主とは違う“器”だと感じ、あえて口にはしなかった。

 

 馬良は「あいよ」と軽く相槌を打って糜家に関する情報を話す。

 

「糜家は代々徐州に住まいを構える豪商の家系で、一万の使用人とそれら全員に耕す土地を与えれるくらいに莫大な財産を持っているとかで……」

 

「い、一万!?」

 

  国やら何やらの勅命を以てしても、数千程度の義勇兵しかあつまらないにもかかわらず、糜家は金だけで一万の使用人を抱え込んでいた。

 

  歴史書には、曹操が青州で三十万の兵を得て「魏武の強、コレより始まる」とあるが、感覚としてはそれに勝るとも劣らぬ程の凄さである。

 

「正確には、10024人ですけどね……」

 

  一刀がそんな途方もない数字に驚愕していると、横から声が聞こえてきた。

 

  振り向くと、そこには愛紗に借金の詳細をくどくどと言い続ける糜芳の姉――――糜竺が苦笑いを浮かべながらいた。

 

「申し遅れましたわ。わたくし、現糜家の当主、糜竺と申します」

 

  そう名乗ると糜竺は、恭(うやうや)しく頭を下げる。

 

  名乗りを上げただけにもかかわらず、彼女の存在は大富豪のお嬢様らしく、実に淑やかさを感じさせるモノであった。

 

  腰まで伸びた黒髪も、愛紗に負けないくらいに艶があり、実に綺麗で、彼女の淑やかさに拍車をかける。

 

  糜竺が挨拶を終えると、馬良が再び口を開き説明を開始する。

 

「無名の義勇兵隊の隊長である玄徳さんたちが各地で受け入れられたのは、糜家という後ろ楯が幾らか影響してるんすよ」

 

「へぇ〜……」

 

  確かに、使用人一万とそれぞれに土地を与えて尚、桃瑚たちを金銭的にサポートしてきた程の大富豪ならばそれぐらいの影響力を持っていて何ら不思議はない。

 

  一刀は馬良の説明を聞いてそう思った。

 

「そんな、大それたモノではありません……。わたくしたちは玄徳様を、玄徳様の仲間を、そして、玄徳様が主と仰ぐご主人様を信じているだけです…」

 

  一刀の方を見上げて、やはり淑やかさを感じさせる微笑みを向ける。

 

  その微笑みに思わず、一刀は見とれてしまう。

 

「っ………!」

 

  ボケっと糜竺の笑顔に見とれていると、横にいた馬良の肘鉄で意識を取り戻す。

 

「何でそんなに玄徳さんに固執するンだ? 天下には、もっと有力なモノが山ほどいるだろう?」

 

  自分のことは棚に上げ、尚且つ、自分の主に失礼極まりないことを言う馬良。

 

  だが、それは一刀も知りたいことでもあったので、その意見を黙殺する。

 

「そうですね……」

 

  そう呟くと、一刀を見上げていた顔を真っ正面を向く。

 

  糜竺と同じ方向に視線を向けると、今までくどくどと借金の詳細を説明していた糜芳と、その説明を受けていた愛紗もこちらを見ていた。

 

「わたくしは玄徳様に賭けているのです」

 

「賭ける……?」

 

  一刀は糜竺に言葉をおうむ返しする。

 

  その言葉に対し、糜竺は「はい」と頷き、言葉を続ける。

 

「蓄財とは、何もしなければ、減るモノです」

 

  人とは、生きていくだけで多少なりともお金は必要になってしまう。

 

  それは一刀や他の者も解っているのか、説明を求める声は上げない。

 

「わたくしたちぐらいの豪商になると、やはりできることが限られてきます…」

 

  中央集権と絶対君主制を敷く後漢王朝において、国とは引き離された勢力――糜家の様な商人など――が金銭的に力を持ち過ぎると、国政に影響を及ぼす危険性がある。為に、どうしても一部規制を受けてしまう。

 

「それなら、ワイロとかでどーにでもなったでしょ?」

 

  馬良がそう言うと、愛紗が鬼の様な、という言葉がしっくりくる表情で馬良を睨み付ける。愛紗の前でワイロなど、そういった不正なお話は禁物だ、と一刀は深く胸に刻む。

 

  とはいえ、それはその通りだと言わざるを得ない言葉だ。

 

  このご時世、ワイロさえ送っていれば間違いなく身の安全が保証される。

 

  何せ、三公と呼ばれる国のトップスリーの役職まで金さえ積めば、絶対手に入るのだから。商業の規制をちょっと緩和してくれという願いなら三公を買うワイロに比べれば、月とスッポンと言える程に安くつく。

 

  しかし、糜家は――――糜竺はそれをしない。それは何故か。

 

「糜家の家訓なのです…」

 

「え……?」

 

「『不正はするな。正々堂々と、相手を出し抜け』というのが、糜家の家訓なんです」

 

  力強く家訓を述べる糜竺に、先程の糜竺の微笑みに見とれてとはまた違った意味で、思わず一刀は呆けてしまう。

 

 愛紗は言葉にこそしないが、感心しているということが簡単に感じ取れる表情でうんうん、と二度頷く。

 

  それとは真逆に、糜芳はやれやれ、と呆れたといった表情で首を左右に振る。

 

「そんなの守ってるのは、お姉ちゃんと父さんぐらいだよ……。しかも、お姉ちゃんに限っては、もう一つの家訓も忠実に守ってるし……」

 

「もう一つ? まだあるのか?」

 

  確かに立派な家訓だが、今のご時世、それで金儲けをしようなどというのは無謀である。まあ、それをなしている人間が目の前にいるので否定はできないが…。

 

  その上、更に自主規制があると、それこそ潰れるんじゃないか?

 

  一刀はそう思いながらも、糜竺にもう一つの家訓を訊ねた。

 

「『稼いだお金は自分たちのためだけに使うな。世話になった人、困っている人のために使え』というのもあります」

 

  にっこりと、淑やかな笑みを浮かべて糜竺は言う。

 

「一万の使用人は、他とは比べモノにならないくらいの待遇と奉禄(ほうろく)だしね……。お姉ちゃん、人が善すぎるよ……」

 

「でも、収益は他より上ですよ」

 

  笑顔の糜竺がそう返すと、糜芳は反論できず、押し黙る。

 

  待遇や給料が他より良い分、より一生懸命に働く。そうなれば、より収益が上がる。

 

  単純なように思えるが、実に理の通ったことである。

 

「要するに、玄徳さんがあまりに哀れだったから、助けたってことか?」

 

「斬るぞ!?」

 

  馬良のあまりに不遜な物言いに、愛紗が壁に立て掛けてあった青龍堰月刀を即座に握り、行動に移す気満々な様子で声を荒げる。

 

 流石に身の危険を禁じずにはいられなかった馬良は、慌てて弁明する。

 

「ちょ、ちょちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ! 玄徳さんが困ってたのは、事実だろ!?」

 

「言い方というモノがある!! 貴様の物言いには、悪意が感じられる!!!」

 

「んなの、ねぇーッスよ!! 俺は超純情青年馬良くんと呼ばれてるんッスよ!!」

 

  何じゃそりゃ?

 

  一刀は内心そう思いつつも、流石に有能な文官が斬られのを黙って見ている訳にもいかず、止めに入る。

 

「愛紗、身内での刃傷沙汰は勘弁してくれ」

 

「しかし、主人様――――」

 

「愛紗、頼む」

 

「むぅ……。解りました……」

 

  忠義に厚い愛紗は一刀に頭まで下げられては流石に引かざるを得ない。

 

  一刀の後ろで、馬良は安堵の息を吐く。

 

「だが――――」

 

  今度は辺りに散らさず、殺気をピンポイントに――一刀に庇われている――馬良に向ける。

 

「――――次は…………無いと思え」

 

  静かな、静かな声だった。

 

  先程までの怒涛といった言葉がしっくりくる怒りの様子より、寧ろ、今の様な静かな怒りの方がより恐ろしい。

 

  その殺気に当てられた馬良は血の気の引いた顔をただ超高速でこくこく、と動かすしかなかった。

 

「馬良殿の言う通り、玄徳様が困っていたというのも一理あります。ですが、わたくしは…玄徳様に賭けたのです」

 

「さっきから『賭けた』って言っているけど、桃瑚たちに何を願って賭けたンだ?」

 

  どうにも解らない。

 

  馬良の言う通り、当時桃瑚が困窮していたのは否めないらしいが、糜竺は先程から桃瑚を支援する理由を『賭け』であると強く主張する。

 

  ベットは糜家の財産だとして、糜竺の求める見返りとは何なのか。

 

「玄徳様なら、より多くの人々を救える。確かに、天下には力を持つ英傑が数多存在します。ですが、わたくしが知る限り、玄徳様以上の仁徳を兼ね備えた方は見たことがございません!」

 

「つまり、糜竺は桃瑚が最も多くの人々を救える。そう考えて、桃瑚に『賭けた』のか?」

 

  一刀の言葉に糜竺は静かにこくり、と一つ頷く。

 

「まあ、私もそんな世界なら金儲けもし易そうかな、って思って賛同したんだけど……」

 

  姉――――糜竺とは違い、純粋に商人の性(さが)に従っている妹――――糜芳はそう言い終えると、後悔をたっぷりと感じさせる盛大な溜め息を一つ吐く。

 

  そんな糜芳に、糜竺がゆっくりとした足取りで歩み寄る。

 

  その歩き方にまで、淑やかさが漂う。

 

「――――子方……」

 

  例によって、妹を字で呼び掛ける。

 

  先程までと同じ、淑やかさを感じさせる声色。

 

  だが、一刀は違和感があった。

 

「お、おねえ……ちゃん?」

 

  頬から顎へと、つぅ、と一筋の汗が伝う。明らかに、冷や汗だ。

 

「……………貴女、自分で考えて、わたくしのこの『賭け』に了承しましたわよね?」

 

「は……………い………」

 

  怯え。

 

  一刀の方向から見える糜芳の顔は、その感情しか伺えない程に真っ青になっていた。

 

  見ると、糜竺の顔が直視できる位置にいる愛紗も同様に顔面蒼白になっていた。

 

「………………どうやら、まだ互いに“話し合い”が足りなかったようですわね……」

 

「―――――――――ッ…………!?」

 

  足腰に力が入らなくなったのか、糜芳は尻餅を着く。

 

  更に、愛紗程の武人が一つ後ろに歩を移す。

 

  一刀には判らない。見えない。だが、判りたくないし、見たくもない。

 

  今、糜竺の淑やかな笑みの後ろに映る――――般若(はんにゃ)を……。

 

「ご主人様……」

 

「は、はひっ!?」

 

  いきなり話しかけられた一刀は、脳髄反射で背筋をピンっ、と伸ばす。

 

「わたくし、子方と“話し合い”をしてきます……」

 

「ど、どうぞ!!」

 

  判った。今、違和感が判った。

 

  今まで「子方ちゃん」と呼んでいたのに、今は「子方」と呼んでいる。

 

  いや、それ以前の問題だったようにも思えるが……。

 

  一刀の許可を得ると、糜竺は腰を抜かしている糜芳を引きずられる様な形で部屋から出ていく。

 

  引きずられている糜芳は「ドナドナ」を口にしていた。

 

  こうして、自己紹介は数名の失踪者を出して終わった。

 

  この自己紹介で判った事。

 

  馬良は残念。

 

  孫乾は超ネガティブ。

 

  糜芳は商人気質の守銭奴。

 

  そして、糜竺は怒ると軍神・愛紗を後退りさせる程に――――怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、俺は何をすれば良いんだ?」

 

  少帝を保護し、自らを董卓と騙る左慈は隣にいる于吉に問う。

 

「そうですね……。では、手始めに、少帝を廃位してください……」

 

「……できるのか、そんなこと?」

 

  少帝の危機を救って、確かに通常では得ることなどできない程の権力を手にした。

 

  とはいえ、漢王朝の最果の地――――涼州から来た董卓――実際は左慈――に全権を掌握させるのを善しとする者はほとんどおらず、未だ抵抗勢力は数多くいるために、全権は掌握できていない。

 

  そんな状況で、皇帝の廃着を決めるなどという暴挙が董卓の独力で可能であるとは到底思えなかった。

 

「普通はできないでしょう。でも、一つだけ方法があります……」

 

  左慈には于吉の言う方法が全く判らなかった。

 

 そんな左慈に于吉は人差し指で眼鏡の位置を修正しながら続ける。

 

「涼州から連れて来た騎馬軍団。あの軍事力をちらつかせれば、その程度のこと、造作もありません」

 

  常に異民族討伐などの実戦で鍛え上げてきた騎馬軍団。その力は今、朝廷にいる勢力を見渡してみるが、独力でその騎馬軍団に対抗できるだけの軍事力を有している勢力はない。

 

「ちらつかせる? 具体的にはどうするんだ?」

 

「先ずは、司空(しくう)――――張温でも殺しておきましょう……」

 

「ほお………」

 

  于吉の言葉に、心底嬉しそうな笑みを浮かべる左慈。

 

  左慈にとって、この外史に存在する傀儡(くぐつ)は誰であろうと憎むべき存在だ。

 

 そんな連中の中でも、首座にある三公――漢王朝の中でもトップスリーに値する役職。名誉職――の一角を手にかけることができる。

 

  それだけで、左慈は極上の喜びを感じる。

 

  その喜び故に、くつくつ、といった笑いが押さえきれなかった。

 

  その後、司空――――張温はさしたる理由もなく董卓――左慈――によって殺された。

 

  世間では、先の涼州で起きた反乱を鎮圧する際に何かしらの揉め事があったのだと囁かれたが、その理由は定かではない。

 

  この一件により、ある者は董卓軍を恐れ、またある者はより強い反発を抱いた。

 

  だが、一部を除いてほとんどの者たちは董卓軍の軍事力を恐れ、行動を起こそうとする者はいなかった。

 

  そして、前大将軍・何進の立てた皇帝――――少帝が廃位へと追い込まれたのは、それから僅か四日後のことだった。それと同時に、先帝の時代に皇位継承権第二位だった劉協が献帝(けんてい)として即位した。

 

  この一連の政変を、人々は董卓が自らの権勢を誇るがためだけに行ったとして、反感を募らせた。

 

  特に、少帝の廃位及び献帝の即位は多くの者が異を唱えた。

 

  何故宦官は討ち滅ぼされたのか?

 

  それは、何進を暗殺した――と沮授が見せかけた――からだ。

 

  その何進が立てた皇帝を廃位に追い込めば、諸将が反発するのは目に見えていた。

 

  ここに、反董卓連合の兆(きざ)しが漢土に駆け巡った。

 

  それは自らを董卓と騙る左慈と于吉の思惑通りの流れであった。

 

 

 

 

 

 

 

 益州巴郡の政務室。

 

 一刀は一気に変化した統治体制を取りまとめるべく、膨大な量の書類や竹簡と格闘を繰り広げていた。

 

「何スか、この名簿?」

 

  眉毛が真っ白の青年――――馬良は、手渡されたリストを見て率直な疑問を口にする。

 

  そのリストには、地元の有力者たちの名前がズラリと並んでいた。

 

「厳顔に、そいつらを捕まえて、私財を没収するように伝えてくれ」

 

「は…………?」

 

  一刀の要求に、馬良は理解が遅れて、思わず唖然としてしまう。

 

「ちょ、本気ッスか!? こいつら、ここいら一体を占めてる奴らッスよ?」

 

「知ってる。だから、厳顔に――――って言ったじゃないか?」

 

  一刀の要求を全て理解した馬良に、一刀はあくまでいつも通りの平静を保ちながら答える。

 

  益州で相当な実力と発言力を持つ厳顔なら、いくらこの巴郡一体を占める有力者でも一刀の指示通り、私財の没収もできよう。

 

「理由は……何スか?」

 

  しかし、今ここで地元の有力者を排斥する理由が馬良には解らなかった。

 

「こいつらは全員、俺に賄賂(わいろ)を送ってきた。それが罪状だ」

 

「たった……それだけッスか?」

 

  馬良の驚きをしり目に、一刀は静かに一回頷いた。

 

  現在の日本ならば、公人の収賄(しゅうわい)など絶対許されない行為だ。

 

  しかし、この時代において、賄賂・収賄は自分の地位を保つためには絶対に必要なモノだった。

 

  そのため、実力より金がある者の方が出世する可能性が高い。その弊害で、黄巾の乱が張角、張梁の計画していたより遥かに早く、遥かに強大なモノになったのだ。

 

  ともかく、賄賂とはこの時代には重大な罪にはなり得ない。人前であろうが、当然のことの様に行われていた。

 

  それを一刀は厳しく裁くと言ったのだ。

 

  太守に就任して、僅かしか経っていない、一刀が、だ…。

 

「こんなに多くの有力者たちを裁けば、成都にどっしり腰を下ろしてる上役が黙ってないッスよ?」

 

「何度も言わすな……。だから、厳顔にやってもらうンだ。厳顔なら、そいつらの批難も黙殺できる」

 

  一刀の言っていることは正論だ。

 

  張任が味方である今の状況なら、監査官である厳顔の力ならば、大抵のことはどうとでもなる。

 

「それも問題なんッスよ……」

 

「『それ』…?」

 

  何とも言えない様な表情で、頭をポリポリと掻きながら馬良は一刀に新たな問題を投げかける。

 

  しかし、一刀には『それ』では伝わらず、一刀は馬良の言葉に首を傾げる。

 

「厳顔さん、孟達さん、そんでもって法正さん。この三人を自分の家臣の様に使っているのは、何かと問題があるんッスよ…」

 

「ああ、判ってる」

 

  バツの悪そうな表情を浮かべる一刀。

 

  一刀とて、今の状況があまり良いモノとは思っていない。厳顔たちは一刀の家臣ではなく、あくまでも監査官なのだ。

 

「とはいえ、厳顔の力は新参者の俺には全くないンだ……。言葉は悪いけど、利用させてもらう」

 

「そりゃ解るッスけど、これは……」

 

  今までも何回か厳顔に頼み事をしてきた。

 

  その度に厳顔は、面倒くさいだの何だのとぼやきつつも、一刀の要求通りのことをしてくれてる。

 

  今回も快くとはいかないものの、了承してくれる可能性が高い。

 

「判ったッス……。話ぐらいはしてみるッスよ…」

 

「……悪いな」

 

「でも、どうしてここまでするンスか? これをやるのは、正直骨ッスよ」

 

  例えそれをやるのが、厳顔だとしても、間違いなくこちら一刀側にも何らかの被害が出るかもしれない。

 

「正直な話、ただの財源確保だ」

 

「………随分と危険を孕んだ財源ッスね」

 

  訊いた馬良は、意外に冷静だ。恐らく、理由は想像がついていたのだろう。

 

「これをやれば、民草からの支持も高まるし、資金も集められる。でも……」

 

 民衆は、今の政治にうんざりしている。賄賂を厳しく取り締まるという行為は、当然のことのようだが、民衆は確かな変革を感じるだろう。

 

 その上、有力者から私財を没収し、財政も潤う。

 

 正に、一石二鳥である。

 

 しかし、当然良いことばかりではない。

 

「上層階級の奴らからの批難は免れられないッスよーね……」

 

  はあ、と馬良は盛大な溜め息を吐いた。

 

「仕える奴を間違えたか?」

 

  その溜め息を一刀はそう解釈した。

 

  苦笑いを浮かべる一刀に向かい、馬良は不敵な笑みを浮かべ、答える。

 

「いいえ。それでこそ、貴方を主君と仰いだ甲斐があるってもんッスよ…」

 

  一刀は馬良のその答えを聞いて、一瞬驚いた様な表情を浮かべるも、スグにそれは笑みへと変わる。

 

「ふっ……。頼りにしてるぞ、馬良……」

 

「当然ッスよ、ご主君」

 

  いつもの自信に満ちた表情で馬良は言った。

 

「んじゃ、無駄話はここまで。政務にもど――――」

 

「あにさま………!」

 

  馬良の横を小さな紅い影が走り抜ける。

 

  小さな紅い影――――張宝こと神麗(しぇんれい)は椅子に座る一刀に飛び付く。

 

「うわっぷ!!」

 

  喜色満面を浮かべる神麗に飛び付かれた一刀は驚きの声を上げる。

 

「あにさま、シェンとあそぶ…!」

 

  無邪気に。ただ無邪気に自らの願望をぶつけてくる神麗。

 

「あ〜……シェン。悪いンだが、今は……ちょっと…」

 

  机の上に積まれた書類・竹簡が神麗の純粋無垢な願いを拒否しろと訴える。

 

  一刀とて、可愛い義妹をかまってやりたいという気持ちは十分ある。

 

  厳顔に連れられ、州都・成都に行った時から、かれこれ十日は経っており、その間ずっと政務政務の一点張りで息抜きもあまりしていない。

 

  だが、机の上から拒否しろという命令の言霊が聞こえてくる。

 

 一刀が拒否しようとしているのが伝わったのか、神麗は抱き付いたままだった手を離し、床に着地する。

 

「あにさま、シェン、キライになった……?」

 

「え? ど、どうしたんだ、急に?」

 

  神麗は顔を俯せたまま、震える声で訴える。

 

 俯せているために一刀には見えないが、その目にはうっすらと涙が溜まっていた。

 

  その机の上にある書類・竹簡などより遥かに心を揺さぶる声に、一刀は慌てた様子で、なだめる意味も籠めて、神麗に話しかける。

 

  その狼狽っぷりに、控える馬良は一刀がシスコンなんだと、薄々気が付き始めた。

 

「だって、あにさま、シェンとあそんでくれなくなった………」

 

「いや、それは、なあ……」

 

  純然たる事実。否定のしようがない。

 

  仕事だなんだといったところで、それは仕事を優先して自分をかまってくれないということで、つまりは、自分より仕事の方が大事なのだと言っていると、取られかねない。

 

  一刀は今、正に、「仕事と私、どっちが大事なのよ!!」的な危機に陥っていた。

 

  普通なら、相手の方が大事と言いつつ、仕事の大切さを説くところだが、神麗はまだ幼い。

 

  イエスかノーかの、二つの答えしか理解できない。

 

  そんなどん詰まりな状況にある一刀に、天使の一声が響く。

 

「今日は休みにすりゃいいじゃないッスか…」

 

  見かねた馬良だった。

 

「いや、でも……」

 

  今は自分たちにとって大切な時期だ。

 

  それが痛い程解る一刀はそう簡単に休みを受け入れる訳にはいかなかった。

 

「いいから。その娘を、泣かせる気ぃッスか?」

 

「ぅ………」

 

  それを言われると弱い。

 

  シスコンの一刀には義妹の涙は何より避けたいことの一つだ。

 

「それに、主君が一日不在だった程度で、政務が滞る程、俺たち無能じゃねぇーッスよ」

 

  肩を竦めながら馬良は言う。

 

  確かに、馬良と糜竺なら何日もいないとキツいかもしれないが、一日程度ならどうとでもなる。

 

「……判った。今日一日、頼む」

 

「うぃっす…」

 

  そう言った瞬間、神麗は一刀が遊んでくれると悟ったのか、笑みが浮かび上がった顔を上げる。

 

  その神麗の無邪気な笑顔につられて、一刀も笑顔になる。

 

  その光景を見て、馬良はやっぱり一刀はシスコンなんだなあ、と再認識をした。

 

 

「あ、でも、これだけは読ませてくれ」

 

  そう言われた瞬間、神麗の表情はまたも一転。不機嫌なモノになる。

 

  その神麗の表情の変化にまたしてもつられて、一刀は苦笑いを浮かべる。

 

「これは本当にスグに終わるから。だから、待ってくれないか?」

 

「………………(こくん)」

 

  やや長い間があったが何とか許可を一刀は得た。

 

  しかし、こんな小さい子どもに振り回される君主で大丈夫だろうか? と馬良は密かに不安を抱く。

 

「親書……ッスか? そういや、何か全く関係ない方からも幾つか来てたッスよねぇ」

 

  一刀が左手に持つ書類を見て、馬良は思い出したように言う。

 

  その言葉に一刀は「ああ」と、頷く。

 

「一時期、各地を放浪してたからな…。その時、世話になった奴らからだ」

 

  確認しただけで、公孫賛、皇圃嵩(こうほすう)、盧植(ろしょく)、そして、魏と呉からも来ていた。

 

  ちなみに、魏の差出人は程イクだった。

 

  不幸の手紙じゃ、ないよな……?

 

「俺が言える立場じゃないッスけど、それって、自分から出すべきじゃないんスか?」

 

「ぅ……。いや、俺も親書が届いた時、そう思ったんだが……つい……」

 

  その他の政務が忙しくて、ついつい忘れてた。

 

  初めてのことだらけで、仕方なくも思えるが、これは間違いなく一刀の凡ミスだ。

 

「まあ、いいッスから、ちゃっちゃと読んだ方がいいッスよ」

 

  顎をクイッ、と動かし、一刀の視線を促す。

 

  その誘導先には、一刀の服の裾(すそ)を握り締める神麗が、頬をプクー、と膨らましながら、そこにいた。

 

「はは……」

 

  空笑いをしながら、神麗の頭を撫でて機嫌を少しでも良くしようとする。

 

  すると、やはりまだ小さい子どもである神麗は気持ちよさそうに目を細める。

 

  ちょっとかもしれないが、神麗の機嫌を回復させると、一刀は呉から届いた親書を手にする。

 

  この世界に来て、右も左も解らない一刀を興味本位からだろうが、保護してくれた国。

 

  だからということもあるが、一刀が届いた親書の中から一つだけ、どうしても呉から届いた親書を早く読みたい理由はもう一つ理由ある。

 

  差出人が周瑜だ。

 

  魏の親書の差出人が程イクなのは解る。曹操は一刀にほとんど興味を持っておらず、逆に程イクは異常な程に興味を持っていたからだ。

 

  しかし、呉の場合は違う。

 

  孫策こと雪蓮(しぇれん)は、一刀のことを超気にかけていた――――というか、ぶっちゃけ好きだった。

 

 逆に周瑜は一刀のことをあまり好きではない。呉から出る時に、雪蓮からキスをされたのが主な原因だろう。

 

  だが、差出人は周瑜だ。

 

  普通なら周瑜に代筆を頼んだのだと考えるのだが、何故かこれを見た時、胸騒ぎがした。

 

  一刀は親書を広げた。

 

「そんな………ッ!!!」

 

  その親書を読み終えた一刀は声を荒げながら椅子から勢いよく立ち上がる。

 

  突然の一刀の行動に服の裾を握っていた神麗だったが、裾から手を離してしまう。

 

「どうしたンスか?」

 

「そんな………」

 

  馬良の呼びかけは一刀には届かなかった。

 

  一刀は呆然と、呉から送られてきた親書を眺めるばかりだ。

 

「あにさま……?」

 

  いつもなら条件的に反応する義妹の声にも、一刀は反応しない。

 

  一刀の虚ろな視線の先にある呉からの親書。

 

 それには、周瑜の綺麗な字で、信じ難いことが書いてあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『雪蓮、凶刃に臥す。

 

 医者に見せるも、これを治す法、未だ見付からず。

 

  雪蓮は最期に、お前に会いたいと言っている。

 

  頼む、来てくれ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

  周瑜からの手紙は、雪蓮の危篤を報せるモノだった。

 

 

 

 


あとがき

 

自己紹介、ムダに長くなった……。

 

ども、冬木の猫好きです。

 

いやあ、毎回毎回、あとがきは反省だらけになってしまいますね…。

 

新キャラを特徴的に描こうとした結果、ムダに長くなってしまいました。

 

しかも、馬良以外あんまり出番は少なそうだし…。

 

なんか、ミスった感満載でした。

 

宮廷では、左慈扮する董卓が諸侯の反感を煽りつつ、更に少帝の廃位及び劉協こと一葉(かずは)を献帝として即位させましたが、本当はこの辺ももっと詳しく画くつもりだったのですが……いや、計画性の無さが、ここにきて響いています……。

 

ともあれ、呉からの緊急の手紙。次回は久々に呉勢の出番です。

 

話はうって変わって――るのかは、微妙な気もしますが……――真・恋姫†無双が発売中です。

 

エンディングは呉・蜀の二つは微妙……。天下というモノを明らかに軽んじたエンディングだと私は感じます。あ、でも呉の最後の最後は個人的にはおもしろかったです。

 

魏ルートは納得の一言。そして、最後は泣かせてもくれる。

 

ただ、呉ルートは量が少なかったので若干消化不良気味です。

 

呉ルートのSS書こうかなと、思っています。

 

キャラに関しては前作の無印同様素晴らしい、の一言。特に、無印では敵だったため、あまり良い印象を残さなかった周瑜こと冥琳がやう゛ぁい。

 

なんというか……いい女すぎます。大人なだけではなく、人をからかったりなど、茶目っ気のある一面も見せてくれました。

 

発売後人気投票は呉勢の中では孫権(蓮華)の一位は不動でしょうが、上位には食い込んでくるのでは? っと、勝手に期待。

 

呉勢の他には、呂蒙こと亞莎(アーシェ)は想像以上に良かった。あと、期待していた孫策こと雪蓮(シェレン)は想像していた通りに超フリーダムで、私がこの小説で好き勝手に描いていた雪蓮と近いモノを感じました。

 

蜀では、馬岱(ばたい)ことタンポポが案外良かった。ロリは生理的にちょっと……と思う私でも、自然に受け入れられた。ここにいるぞー!

 

公孫賛こと白蓮(ぱいれん)は出番が増えていて良かった。死亡フラグを立てるなどのネタキャラ的な立ち位置にはなったが、無印から比べると格段に扱いは良くなった。

 

魏では、正直余り期待していなかった程イクこと風、郭嘉こと凛が突出していました。華琳は相変わらずのツンデレでしたな……。あと、春蘭のバカっぷりに磨きがかかっていた。

 

好き勝手な感想を述べましたが、総じて言えばやはり恋姫は面白かったです。

 

ただ、純粋に三國志を知っている者としては、もう少し地名などに気を使って欲しかったなと思います。

 

では、今回はこの辺で。また次回、更新の時にお会いしましょう。




少しずつ力を付けようとしている時に。
美姫 「まさか、あんな親書が来るなんてね」
次回は呉へと舞台が移るみたいだけれど。
美姫 「雪蓮はどうなるのかしら」
うーん、無茶苦茶気になるな〜。
美姫 「次回も待っていますね〜」
ではでは。



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