『選ばれし黒衣の救世主』










 授業が終わり休み時間となった教室。
 多少の雑談はされているものの、生徒たちはどこか暗い表情をしている。
 そして、それがもっとも顕著な者たち。

「お兄ちゃん、授業終わったよ」
「わかってるよ」

 大河はほとんど寝ているような体勢で机に座っていたが、眠ってなどいなかった。もっとも授業を聞いていたわけでもない。
 大河が顔を上げると、声をかけた未亜だけでなく、リリィを抜かした救世主候補たちがいた。
 だが、リリィ以外にも足りない者たちがいる。

「リリィは?」

 大河はため息をつきながら聞く。

「授業が終わってすぐに出ていってしまいました」

 ベリオが暗い表情で返事をする。
 いや、彼女だけではなく、全員の表情が重い。

「まだ、恭也殿たちは見つかっていないらしいでござる」

 カエデがほとんど呟くようにして言う。
 恭也たちがいなくなって、すでにそれなりの日数が経った。だが、彼らが見つかることはなかった。
 その間も探索が続けられていたらしいが、成果はまったく見えない。
 恭也が身を隠そうと思えば、そう簡単に見つけられないと思うが、恭也には連れがいる。そのため当初は簡単に見つかるだろう、という予測……いや、願望があった。だがそれは簡単に裏切られてしまった。

「そうか」

 大河はため息をつきながら頷いた。




赤の主・大河編
 
 第十七章 進む者と残された者     
 




 恭也たちが学園から失踪したことは、それを知る者たち全員が口止めされていたのにも係わらず、すでに噂という形で知らない者はいなくなっている。
 やはり失踪した時期が悪く、破滅の仲間ではないかという噂まであるぐらいだった。ただそれを否定する者は救世主クラスの者たちだけではなく、他のクラスにも大勢いた。
 彼らは学園において、本当に慕われていたのだ。
知佳は食堂でウェイトレスをしながらも、生徒たちの話し相手になったり、相談を聞いたりで頼られていた。
 耕介は美味しい料理を作るコックで、やはり男子生徒からよく相談なんかを受けていたらしい。
久遠は狐の可愛らしい姿で、この学園のマスコット的存在になっていた。
 なのははまだ学園の中では幼いながらも、ウェイトレスの仕事を頑張っていたし、さらに救世主候補としても頑張っていたのは周知の事実であり、やはり慕われ、可愛がられていた。
 そして恭也は、その戦闘能力もそうだが、外見的な意味ででも、内面的な意味ででも慕われていたのだ。
そんな彼らがいなくなった。
たった四人と一匹がいなくなっただけで、この学園は少し変わった。
そんなことを考えながら、大河はもう一度ため息をついた。

「あいつら、本当にどこ行っちまったんだか」

 それは大河にしては珍しい、どこか暗い声音。
それに他の者たちまで反応して、さらに暗い表情になってしまう。
 いつもの大河ならば、それを見て何か言ったかもしれないが、今は何も言えなかった。

「リリィは大丈夫そうだったか?」
「あまり顔色は……よくありませんでした」

 大河の質問にリコが答えるが、その言葉は全員に当てはまるものだ。
 ただし、リリィはさらに輪をかけてひどい状況なのだ。
 
「リリィは恭也さんにかなり影響を受けていましたから」

ベリオの言うことは、全員が理解できる。
 恭也は、救世主候補全員に影響を与えていた。だがその中でも、特にリリィは強い影響を受けていた。
それはリリィとの付き合いが、ベリオとリコよりも短い大河たちも理解していた。
無論、リコや未亜たちとて強い影響を受けていて、彼がいなくなったことは辛いのだが、それでも彼女らにはまだ拠り所として大河がいる。
 だがリリィには、大河は拠り所にはなり得なかった。
 強く影響を与えられ、その根底すら恭也に変えられた彼女は、その彼を失い、昔よりも周りに人を寄せ付けなくなってしまったのだ。
前は燃え上がるような炎の苛烈さで人を寄せ付けなかったが、今では氷のような冷たさで寄せ付けなくなっていた。
だが前はほとんど性格故のものであったため、その炎に耐えられるベリオたちがいたが、今は彼女たちすらもリリィに近づくことができなくなってしまっている。

「これから……どうなるのかな」

 あの禁書庫で戦っていたときのような強い心を、またも失ってしまった未亜が小さく漏らした。
 だが、それはその場にいる全員が聞きたいことであった。




王宮に居場所を移していた恭也たち。
 恭也と知佳、耕介は、クレアの私室で彼女とこれからについての話をしていた。
 なのははやることがあるということで、この場にはいない。ついでに久遠もなのはが連れていった。
ちなみに霊剣十六夜はあるのだが、十六夜自体はここにいない。

「問題は白と赤の主が誰なのか、だね」

知佳がそう言うと、クレアが頷く。

「そうだな。だが赤の方は問題ない。学園には私の諜報員が潜入しておる」
「学園に諜報員?」

 耕介は首を傾げながら言う。
 王立の学園に、なぜわざわざ王室の諜報員がいるのかわからないのだ。

「王宮としても、学園の内情は知って置きたいってことかな」
「うむ、中からでなくてはわからぬこともあるからな。それと王宮というよりも私の直属だ」

 クレアは知佳の問いに頷きながら答えた。
それらを聞いていた恭也は、少しだけ考えるような仕草をとったあとに、ゆっくりと口を開く。

「おそらくはダウニー先生かダリア先生……いや、諜報員ということならダリア先生か?」

そう聞くと、クレアは心底驚いたという感じの表情を浮かべた。

「恭也、そなた、気づいておったのか?」
「まあな。元々あの二人には気をつけていたんだ」
「なぜだ?」
「レティアに俺が救世主クラスに入れられたのには裏がある、と言われてな。元々最初に俺を救世主クラスに入れるよう促したのは、ダウニー先生とダリア先生だった。おそらくは俺を監視するためだったんだろうが。
 だからこちらもその行動を追っていけば自ずとわかる」

 ダウニーにもそれなりに色々と探っている所があったが、それ以上にダリアの動き方は堂に入っていたし、自分たちの担任ということで、恭也としても彼女の姿を見る機会はいくらでもあった。
 だからこそ、恭也はなるべくダリアの前では、自分の力を晒したくなかったのだ。
 最終的には切り札の二つを見せることになってしまったが、それでも恭也はダリア……だけでなく、救世主候補たちにすら自分の全ては晒していない。

「ふむ、まあよい。それでダリアに誰が赤の主であるか調べさせようと思うのだが……」

 クレアはそこで言葉を切る。

「だが?」

 続きを耕介が促すと、クリアは軽く肩を竦めた。

「どうやって調べさせるかと、ダリアにどこまで話すかが重要でな」
「なるほど」

 何かを調べさせるには、やはり事前に何かしらの情報を与えなくてはならない。
 単純に赤の主を探れ、などと言っても、ダリアにはその意味すら理解できないのだから探りようがない。
だがそれを説明しようとすれば、芋蔓式に多くのことを教えなくてはならなくなってしまう。

「まだそなたらがここにおることも話しておらぬからな」
 
 そこで、全員がどうするかを考え始める。
 赤の主が誰なのかを探る方法。
 大河と未亜、リコの三人は、禁書庫から無事に帰ってきたらしいから、大河と未亜のどちらかを主にしたはず。もしくは主を選ばずにイムニティを撃退できたという可能性もある。
 
「恭也君」

 知佳が不意に顔を上げて、呼びかけて来たので、恭也は彼女の方を向いた。

「恭也君はレティアさんと契約してるよね?」
「はい」
「それじゃあ、何か見ただけで簡単に契約しているってわかるような事ってないかな?」

 そう言われて、恭也は再び考え始めた。
 確かに恭也はレティアと契約している。ただそれは生まれた時からであって、恭也が承諾したわけでもない。
恭也自身、レティアと出会うまで、彼女と契約しているなどということには気づいていなかったのだ。
そのため、外見的な特徴で見分けるのは無理だ。

(いや、外見で無理なら……)

一つだけある。
 無論、それがリコも一緒だという確証はないが。

「クレア、救世主候補たちが、それぞれをどう呼び合っているかを調べてもらってくれ」
「呼び方……なるほど」

 それだけで、クレアは恭也が何を言いたいのかを理解した。
 それに続いて、耕介と知佳もわかった。

「リコちゃんもレティアちゃんと一緒の呼び方をしているなら、主をマスターって呼んでるかもしれないってことか」
「もしくはそれに近い呼び方」
「でも、なんでわざわざ全員のを調べさせるんだい?」

 調べるなら、リコがそれぞれをどう呼んでいるかを調べてもらえば事は足りるはずだ。

「やはりまだダリア先生には教えるのは早いと思いますから」
「救世主候補の人たちとこれからもつき合っていくもんね」
「まあ、それだけやりにくくなってしまうかもしれませんけど」

 教えるならば段階的にするべきだろう。

「リコだけのそれぞれの呼び方を調べろ、なんて言ったら怪しまれます。救世主クラスのそれぞれの親密度を調べるために、どう呼んでいるのか探れとでも言えば、それほど怪しくはないでしょう。まあ、そのへんはクレアに任せますが」
「なるほど」

耕介も納得したのか頷く。
 そこでなぜかクレアは苦笑を漏らす。

「潜入させている諜報員を騙すというのも、何か変な感じがかるのぉ」
「まあ、それはそうなんだがな」

恭也もそのおかしさが理解できて、クレアに苦笑を返す。
 味方は多いならば多い方がいい。だが救世主伝説の裏にあることを知る者は、できるだけ少なくしておきたいのだ。

「何にしろ、消されてしまうというのを、俺たちは座して待つわけにもいかん。だがそれを話すにはまだ早い」
「うむ」

 クレアだけでなく、知佳と耕介も恭也の言葉に頷く。
それから知佳が再び口を開ける。

「とりあえず白の方はどうしよう?」
「赤は監視があるからいいんだろうけど」

 耕介の言う通り、赤の方へのスタンスは決まったが、白への介入ができない。

「そちらは今のところ無視だな」

クレアが腕を組んで答えると、耕介はやはり首を傾げた。
その理由を恭也が答える。

「白側……つまり、イムニティと白の主はどこにいるのかもわかりませんからね」
「赤と違って監視のしようがないってことか」
「ええ。とりあえず、俺たちがするべきことはリコとイムニティ、赤の主と白の主の四人を誰も殺させないことです。その時点で救世主が誕生してしまうわけですから。
少なくとも、イムニティと白の主が同士討ちなんてことをするわけがありませんから、今は赤側だけに注意を向けていれば構わないんですよ。白側が赤側に戦闘をしかけてくれば、それを止めに入る、もしくはその時にイムニティと白の主を捕縛するというスタンスで構わないと思います。
 そうして時間を稼いでいる間に、レティアにヤツがいる次元を探してもらうしかありません」 

 そして、最終的に……

「恭也君……」
「大丈夫ですよ。最後は俺がうまくやります。レティアも力を貸してくれますし」

知佳が何かを言う前に、恭也はそれを遮るようにして言った。
クレアと耕介も、どこか辛そうな表情で恭也を見ている。

「そんな顔をしないでください。元々御神の剣は誰かを守るためにある。守るためなら、相手がなんであろうと御神流は負けない」

そう言いながら、恭也は視線を天井へと向けた。

「本当は特別な力を持っていようが、救世主だろうが、個人や少数が世界の命運なんていうのを背負ってはいけないのだろうが」

本来、世界を救う救世主などという個人はあってはならない。
 なぜなら、それがこの世界の現状なのだから。
 それは心のどこかで自分ではない誰かが、世界を救ってくれるという願望を抱かせてしまう。
自分でなくとも構わない、もしくは自分でなくてはいけないという考え。
 それではまた世界に危機が訪れた時には、致命的なことになりかねない。
世界がどうにかなってしまうのなら、それはその世界全ての人間でどうにかしなくてはならないことのはずなのだ。
この世界は現実として存在し、ゲームではない。
 その世界全てを個人が背負うというのは、どんな人間であろうと、本来あってはならない。

「だからと言って、事を成せる人間が少ないのだから、どうしようもないのかもしれないがな」

 今回に限っては自分にしかできないのだから、仕方がない。
 そう割り切っている。

「そこまでの道は、俺たちが作るよ」

 耕介は真っ直ぐに恭也を見つめて、そう真剣な声で言った。

「うん。最後には恭也君に頼ることになっちゃうけど、でも恭也君一人でなんて戦わせない」
 
知佳も胸に手を置いて、ゆっくりとした口調で誓う。

「私は戦いでは力になれないからな、だから他のことでお前たちの支援をさせてもらう」

 クレアも力強く言う。
その三人に、恭也は少しだけ笑って頷いた。

「さて、もう少し話を煮詰めよう」

 知佳が笑って三人に向けて言うと、やはりそれぞれは笑って頷くのだった。




「はあ! はあ! はあ!」

 広野の真ん中で手足を伸ばしながら、大きく息継ぎを繰り返す少女。
 その少女の周りには、まるで隕石が落下したかのように、幾つもクレーターができあがっていた。

「っ! 足りない! 全然足りない!」

 少女……リリィは、拳を握りしめて叫ぶ。
周りの大きな穴は、全て彼女の魔法が作り出したもの。
恭也たちがいなくなってから、リリィは授業が終わるといつも学園から外に出て、この広野で魔法の訓練をしていた。
いや魔法だけではなく、体術の訓練も重ねていた。
それは無茶と言ってもいいほどの過密で、過酷。確実に身を削る訓練。

「こんなんじゃ、足りないのよ!」

自分は弱かった。
弱かったから……また失った。
あの時、地上に戻らず、最後まで恭也と共にあったなら……もしかしたら、彼はまだ自分の傍にいたかもしれない。
もしくは、恭也が怪我をして地上に戻ったとしても、自分が怪我などせずに彼と共に地上へと戻り、傍にいたなら……もしかしたら、今、自分は彼と共に行けたかもしれない。いなくなった理由がわかったかもしれない。
だからもっと強くならないと。
リリィは周りからプライドが高く、人を見下すような所があると思われているが、その心は繊細で、臆病。
 そして、何より誰かを失うことを恐れる少女だった。
 彼女はすでに一度、全てを失っている。だからこそ、また失ってしまうかもしれないという思いから、人と係わることに臆病になってしまい、知らずのうちに高圧的な態度をとり、あまり人を寄せ付けなかった。
だけど、また失った。
そいつは自分の心に勝手に入ってきて、自分の生き方や考え方まで変えさせたくせに、勝手にいなくなった。

「もっと強く……強くならないと」

また失ってしまう。

「けど、なんで私、強くなろうとしてるのよ……」

 だって、もう失ってしまったじゃないか。
なんで自分は強くなろうとしているのだろう。
もう自分には失うものなんてなかったはずで、元の世界の人たちのためと、尊敬する義母のために救世主になって、破滅を滅ぼすために強くなろうとしていただけ。
だが、彼女は手に入れてしまった……失いたくない存在を。
初めて、自分と共に戦ってくれると言ってくれた人。
 だけど、その人はいなくなった。
 自分を置いて。
 それは再びリリィに全てを失わせて、彼と出会う前に抱いた戦う理由すら忘れさせてしまっていた。
何のために自分は強くなろうとしているのか、何のために戦おうとしているのか、何のために破滅を滅ぼそうとしているのか……何のために救世主になろうとしているのか。
いや、かつての自分の戦う理由はわかるのだが、それが本当に自分の戦う理由だったのかが思い出せなくなっているのだ。

「アンタが悪いんじゃない……」

 いなくなったアイツが悪い。
 寄りかかる場所に、頼れる者になってくれたのに、何も言わずにいなくなったアイツが。

「頼らせてくれるんじゃ、なかったの……恭也」

 恭也は一度も自分を頼れなどとは言わなかった。だけど、リリィの軽口に同意してくれたはずだった。

『言っておくけど、アンタを馬車馬のように使うことを納得したってことよ』
『な、なに?』
『アンタは救世主を巡るライバルじゃないしね。
私は救世主になる。そして、アンタはその私の手助けをすればいいのよ。ま、アンタが困ったら、私も少しぐらいは助けてあげるわよ』
『ああ。わかったよ。覚悟しておこう、
 それと、俺がもしものときは頼む』

 リリィは頼りにするなどとは言っていない。恭也も自分を頼りにしろなどとは言っていない。
 けど、それでも、同意してくれたではないか。
なのにいなくなった。

「……どうしてくれるのよ。私、弱くなっちゃったじゃない」

 頼ることを覚えてしまったら、一人はどうしても心細かった。

「どうして……くれるのよ……」

 小さく呟いて、リリィは眩しい太陽を遮るためなのか、腕を目の前に翳した。




王宮の長い廊下を、恭也はゆっくりとした歩調で歩いていた。
 先程まで行っていた深夜の鍛錬を終えた恭也は、クレアの私室に近い場所に割り当てられた自室へと戻る途中だった。
現在、耕介たちの王宮での立場はクレアの大切な客人となっている。さらにその裏側では、恭也がクレア直属の部下という形になっていたので、こんな無茶も通った。
恭也は廊下を歩きながらも、考え事をしていた。
それはクレアたちにも話していないこと。
恭也のもう一つの覚悟。

(大河と未亜のどちらかを……殺さなければならいなこともありえる)

 赤の主となってしまった者を殺すこと。
 正確に言えば、もし万が一にも救世主が誕生してしまった場合、その救世主を殺すこと。
 その資格を持つ赤の主が、大河なのか未亜なのかはわからないが、救世主なってしまうのであれば、恭也はそのどちらでも殺さなくてはならない。
 これはレティアに言われたわけではない。
 単純な恭也の覚悟だった。
いかなる理由であろうと、救世主を誕生させる訳にはいかない。
 誕生してしまったとしても、その瞬間に殺さなくてはいけない。
これが学園から離れた理由の一つでもあった。
未亜であろうと大河であろうと、恭也は殺したくなどない。そばにいては、きっと殺す覚悟が薄れてしまう。

(だが、救世主を誕生させてはならない)

恭也は、自分が何でもできるなどという傲慢な考えは持っていない。何より恭也は救えなかったという事実を背負っているのだ。
 これから大きな戦いが起これば、自分の力など及ばす、白の主かイムニティが死んでしまう可能性はある。
 それはつまり赤の主……恭也たちの考えでは、未亜か大河が救世主になるということ。
もちろん赤の主が死に、白の主が救世主となる可能性もあるが、そちらは誰かわからないのだから、今考えるべきことではない。もっともそれは同時に、恭也たちが……いや、恭也が赤の主を守れなかったということと同義なのだが。

(こればかりは、他の誰かにやらせるわけにもいかない)

救世主になれば、未亜か大河を殺す。
 それは残った一人に……未亜を殺せば大河に、大河を殺せば未亜に恨まれるということ。さらに救世主候補たちや、赤の主に付き従う書の精霊であるリコにも恨まれることだろう。
それらを全て受ける覚悟も持っていた。
学園に身を置いて。彼女らのそばに居れば、その恨みも自分に向けにくくなってしまうだろう。
だから……

「いかんな」

 歩くスピードを落とし、ため息をつきながら恭也は呟いた。
 今から失敗したときの可能性を考え続けてどうする?
そうやって自分に言い聞かせる。

「これは最悪の時の手段として、今は閉まっておけばいい」

 いつでもその覚悟が引き出せればそれでいい。
 もしものときになれば、その覚悟を再び取り出せばいい。心を殺し、意思を殺し、殺意の塊となり、ただ不破として救世主を殺せばいいのだ。
 不破の在り方は攻勢防御。
 相手が行動を起こす前に、被害が出る前に、その災厄の元を潰し、殺すことで……守る。
そう結論をつけた時だった。

「ん?」

 廊下のちょうど真ん中……そこから見えるバルコニーに、小柄な人影が見えた。そして、その人影の頭には特徴的な大きな帽子。

「クレア?」

 その人影の名前を呟くと、恭也はバルコニーへと足を向けた。
クレアとの距離がなくなり、その真後ろまで来たにも係わらず、彼女は恭也に気づくことはなかった。別に気配を消しているわけでも、歩く音を響かせないようにしているわけでもないのだが。
クレアは、ただバルコニーから見える夜空を見上げているだけだった。
まったく自分に気づかないクレアに、恭也は首を傾げたが、ここはやはり驚かせてやるべきか、といういじめっ子体質が久しぶりに現れる。

「クレア」
「うひゃあ!」

 突然、真後ろから声をかけられたためだろう、普段は聞けないような声音で叫び、飛び上がった。
そうして、すぐに恭也の方に振り向いた。

「きょ、恭也、驚かせるな!」

 声で背後にいたのが恭也だと確信していたようだ。
その反応に、恭也は苦笑を漏らす。

「いや、まるで気づいてくれないから、こちらとしても寂しくてな」
「む」
「おかげでクレアが驚く顔という、珍しいであろうものが見れた訳だが。あとは珍しい声も聞けたが」
「そなた、なのはの言うとおりイジワルな所があるようだな」

憮然と言い放つクレア。
 いつのまになのはとそんな話をしていたのか。
 王宮に来てから、なのはとクレアが会話をしているのを何度も見てはいた。それはこれからのことではなく、友人同士の会話であることを恭也も知っていた。
 最初は、なのはが王女であるクレアを様付けで呼んでいたのだが、今では周りに恭也たちしかいなければ、ちゃん付けで呼んでいる。年の近い二人は、どうやら良い友人関係を築いているらしい。
 
「それより護衛も付けず、こんな所で何をしているんだ?」
「ここは王宮だぞ? 護衛など必要なかろう」

 少し問題発言にも聞こえたが、恭也はとりあえずそれについては流しておいた。

「で、何を?」
「ただ星を見ていただけだ」

 そう言って、クレアが夜空を見上げたので、恭也もつられるようにして視線を夜空へと向けた。
 しばらく二人の間に沈黙が降りる。
 恭也はクレアが何かを言うまで待つつもりだったのだ。
 いつもは王女としての威厳に満ち、大きく見えたクレアの身体。だが先程背後から見た後ろ姿は、本当に年相応の少女に……そして、儚い姿に見えたから。
驚かせたのも、イタズラ心だけではなかったのだ。

「恭也……」

 恭也が自分の言葉を待っている、というのを感じ取ったのか、クレアはゆっくりと口を開いた。
恭也はそれに応えることなく、沈黙という手段で先を促す。

「私はな、救世主の言い伝えの全てを信じてなどいなかった。
 真実は忘れ去られ、歪曲され、捏造される。それを私はよく知っている。だから、救世主の全てを信じてなどいなかった、全てを鵜呑みになどしていなかった」
「そうか」

 恭也が小さく応えると、少しだけクレアは震えた。
 クレアと同じく夜空を見上げる恭也には、その姿が見えることはない。だが、確かにそれを感じ取っていた。

「だが、それでも……信じていたのだ、救世主を。
 この世界を救ってくれる救世主は必ず存在すると。
 いつか、このアヴァターを救ってくれる救世主が現れるよう願っていた」
「……そうか」

 ああ、そうだ……彼女はまだ少女なのだ。
 まだ幼い少女。
 その少女は自らの小さい肩に、この世界に生きる全ての人たちの命を背負っている。
 だがそれでも彼女は、本来ならば親の庇護を受け、平穏に暮らしていてもいいぐらいの幼い少女なのだ。
 その少女が救世主を信じて何が悪い。
無力感からでも、助けてもらうためでも、憧れからでも、何でもいい。信じて、願って、何が悪いのだ。
大人と違い、まだそれを願い、憧れてもいい年頃のはずだった。
だが、それを砕いたのは……

「ふふ、真実の全てが……幸福に繋がるものではないと、わかっていたつもりだったのだがな」

笑い声が聞こえるが、それはおそらく自嘲なのだろう。それは本来、やはりクレアの年では似つかわしくない笑い方のはず。
真実と願いの違い。
 救世主は人々を救うようなものではなかった。

「俺を……恨むか?」

だから恭也はそれしか言えなかった。

「なぜ……私が恭也を恨まねばならぬ」
「俺と係わることがなければ……俺が怪我などしなければ、クレアがあの場にいることはなかっただろう。そうすれば、お前は全てを知らずにいられた」

 そう、あの真実は重い。
 知らぬままでいられたならば、その方がよかっただろう。
だがクレアは恭也の言葉を聞いて、弾かれるように視線を夜空から彼へと移した。
それを感じ取った恭也も、顔を下へと向けた。
 そこには憤怒……とまでは言わないが、かなり怒った表情で見上げてくるクレアがいた。

「もう一度言うぞ。なぜ私が恭也を恨まねばならないのだ」
「だから……」
「確かにあの真実は重い。だが、知らなければ何もできなかった」
「クレア……」

 恭也がその名を呼ぶと、クレアは不敵に笑ってみせる。

「私を……クレシーダ・バーンフリートを舐めるでないぞ、恭也」

その堂々として言葉を聞いて、恭也は苦笑する。

「そうか……そうだな。すまない、馬鹿なことを言った」

そう、彼女はクレアでありながら、クレシーダ・バーンフリートなのだ。
少女としての顔は多少弱気になったとしても、王女としての彼女は常に戦う姿勢を崩さない。
その二つの姿の両方がクレアという人物なのだ。
 先程の言葉は、そのどちらのクレアも侮辱しているような言葉だ。
 それは真っ直ぐな強さ。
誰から強制されたわけではなく、自らの意思で王女としてあり、民を守ると。
 彼女は幼くして、自らが信じた道を迷わずに進んでいる。
 それは恭也とはまた違う覚悟の在り方。

「すまない」

 ただ謝罪の言葉を漏らす。
だがクレアはそれに首を振り、両手を上へと伸ばして、恭也の頬に触れた。

「恨まれるのも、謝罪するのも、私の方であろう」
「なぜ俺が」

恭也こそ、クレアを恨む道理がなければ、謝罪される理由もない。
 本当に思いつかない。

「結局、最後は恭也に全てを任せるしかない。そなたに世界の全てを背負わせてしまう」

やはりその言葉で恭也は納得してしまう。
世界の王は、それが許せないらしい。そして、それが世界の王たる彼女が、恭也に恨まれる道理であり、謝罪する理由になっている。

「そんなつもりはない。俺の剣は大切な人たちを守るためにある。
 だが俺はクレアのように多くの命を背負っているわけじゃない。正直、世界中の人たちのために、なんてことは考えていないんだ。ただ、大切な人たちを守ることが『世界』を守ることに繋がるだけだ」
「そうか」

 クレアは先程の不敵な笑みではなく、どこか寂しそうな笑みをみせた。
 だがすぐにどこか嬉しそうに笑った。

「やはり私は救世主を信じておるよ」
「だが救世主は……」
「わかっておる。私が信じている救世主は、赤と白の精霊が選んだ者ではない。いや、そもそも精霊が選んだということ自体関係ないのだ」
 
 恭也にはクレアが言いたいことが理解できず、頬を触れさせたままで首を傾げる。
 それを見ながら、クレアは笑みを深めた。

「私の信じる救世主は……目の前にいる」
「……俺?」

確かに恭也は紅の精霊の主だが、それは救世主とはまったく関係のない立場だ。クレア自身も、精霊など関係ないと言っていた。
 しかし、意味がよくわからない。
 
「単純に私が恭也を信じている、と思ってもらえればいい」

 恭也がよくわかっていないことに気づき、今度は苦笑へと笑い方を変えてクレアは言った。

「よくわからんが、期待には添えるようにしよう」
「期待、ではないのだが……」
「む? そうなのか。それはそれで釈然としないぞ」
「ふふ、では期待もしている。そして……」

 クレアはそこで一度言葉を切り、恭也の目を一心に見つめる。

「いつも黒衣ばかりを身に纏う、私の……黒の救世主を信じる」

 クレアの言う意味は、やはり恭也にはわからない。
 恭也は救世主などではないのだから。
 だが、それでも彼女の真摯な願いとも言うべきものは伝わった。
恭也は苦笑して、自分の頬に触れるクレアの手を取り、そのまま中腰になる。

「ああ。その期待と信頼、違えぬことを誓おう」

まるで騎士が主君に敬意をはらうかのように頭を垂れると、その手の甲に口づけた。
恭也は顔を上げ、クレアと見つめ合う。
 そして、どうしてか二人は笑い出したのだった。



それは世界の王と、世界を救うことを宿命づけられた異端の救世主の二人だけが知る、誓いの夜の出来事だった。

 







あとがき

 あんまり話は進んでないないなー。
エリス「なんか救世主候補組と恭也たちの温度差が凄いね」
恭也たちは自分たちがいなくなった影響は、それほど大きくないと思ってるからね。
エリス「それにリリィが……」
 あ、あはは。こんなのリリィじゃない! と思った方、ごめんなさい。けど自分、彼女はあの中でも得に心が弱いと思っているので。
エリス「本当の意味で、昔の恭也と似たような状況になってきてる」
そんな感じ。理由も同じような感じに
エリス「次回も恭也たちの暗躍みたいな感じになるの?」
 うーん、いっきに進めてしまうのもいいんだけど、まだ考え中。話を進めてしまうか、それとも恭也たちの生活を出すか。どっちにしろしばらく大河たちは出てこないかもしれない。
エリス「うーん、でも王宮での恭也たちの立場ってあんまり出てないよね」
 それなんだよ。自分があんまり王宮についてとか、王室についてとかわからないから、どんな立場にするか迷ってる。いっそ恭也はクレアの近衛騎士にでもしたろか、とか思ったけど。現在はとりあえず作中で語った通り、あまり知られてない直属の部下。
エリス「とりあえず、こっちはクレアが目立つ感じかな」
 大河たちよりかは目立つかな、そのための分岐だから。こうなると、大河編というよりも王宮編に名前を変えるべきか悩むけど。
エリス「確かに大河があまり活躍しないのに、大河編っていうのもね」
 まあ大河編というのは、あくまで赤の主が大河ですよ、っていう意味だけなんだけどね。こっちは恭也編よりも、とらハ組の独壇場になりそうな気がするし。少なくとも耕介たちが恭也編よりも目立つ。
エリス「まあ、とにかく次へ行く。本当に投稿が滞ってるんだから」
 はい。
エリス「それでは今回もおつきあいありがとうございました」
 また次回もよろしくお願いします。






大河編〜。
美姫 「最後の恭也とクレアの会話シーンがとっても良いわね」
うんうん。とっても気に入っちゃったよ〜。
リリィの滅茶苦茶な鍛錬風景も良いな〜。
何となく納得できる。
美姫 「こっちはこっちで恭也編とは別の人たちが活躍するのよね」
とっても面白いよな〜。
美姫 「テンさん、次回も楽しみにしてますね」
待ってます!



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