『青砥縞花紅彩画』




          一幕  新清水の場


小坊主一「おおい、待て」
小坊主二「どうしたのじゃ」(箒を手にしている)
小坊主一「そんなに掃除ばかりして。一体何があるのじゃ」
小坊主二「おう、実はある方がここに参拝されるのじゃ」
小坊主一「参拝!?一体誰がじゃ」
小坊主二「お主は何も知らんのか?」
小坊主一「ついこの前まで京におってな。昨日この寺に帰ってきたばかりじゃ」
小坊主二「そうだったのか。それでは仕方がないのう」(そう言いながら頷く)
小坊主三「おう、そこにおったか二人共」(彼も箒を手にしている)
小坊主一「お主も掃除か」
小坊主三「おう、何しろ今日は大切な方が来られるからな」
小坊主一「それは一体誰じゃ?さっきから聞いておるがどうもよくわからん」
小坊主二「千寿姫じゃ」
小坊主一「千寿姫」
小坊主三「そうじゃ。知らんのか?」
小坊主一「おいおい、わしだってそれ位は知っておるぞ。小山の判官様の姫君じゃろう」
二人   「うむ」
小坊主一「で、その姫様が何故ここに」
小坊主二「供養の為じゃ」
小坊主一「供養」
小坊主三「そう、供養じゃ。姫様のお許婚のな。信田家の御子息のな」
小坊主一「信田家というとこの前の北条光時様の謀反に加担しておったな」
小坊主二「そう、その咎で断絶したのじゃ。それは知っておろう」
小坊主一「おう」
小坊主三「それで小太郎様もその時にご自害されたらしい。まだお若いのに気の毒なことじゃが」
小坊主一「それでそのご供養にか」
小坊主二「そういうことになる。まだ祝言もされておらぬというがな」
小坊主一「それで姫様はこれからどうなされるのじゃ。ご供養の後は」
小坊主三「何でも寺に入られるらしい。頭を剃ってな」
小坊主一「まだお若いだろうにそれは惜しいことじゃな」
小坊主二「わしもそう思う。じゃが姫様はもう決心されたらしいぞ」
小坊主一「なにそれは何と。じゃがその千寿姫様がこの初瀬に御信心とはせめてもの救いかのう」
二人   「それはどういうことじゃ?」
小坊主一「いや、ここは千手観音が本尊じゃからのう。これがまことの千寿観音じゃと思って」
小坊主二「お主はまた何をいわっしゃる」(思わず吹き出す)
小坊主三「冗談も程々にしてお主も掃除をせんか。今は少しでも人手が欲しいのじゃ」
小坊主一「おう」
 三人は箒を手に掃除を再開する。だがすぐに場所を変える。そして舞台から消える。
 それと入れ違いに武士達が姿を現わす。先頭の二人はとりわけよい服を着ている。一人は千原主膳、もう一人は薩摩典蔵。その後ろに何人か侍女や侍達もいる。
典蔵「さて」(後ろに顔を向ける)
典蔵「姫様は如何為されておる」
主膳「はい」(彼が答える)
主膳「まだその御心は悲しみに満ち満ちておられる御様子です」
典蔵「そうか」
主膳「やはり小太郎様が亡くなられたのが相当な傷となっておられるようでございます」
典蔵「そしてあれを常に持たれておるのだな」
主膳「はい」
典蔵「胡蝶の香合、信田家から結納として贈られた宝を」
主膳「そのお手に大切そうに持っておられます」
典蔵「やはりな。今やあれだけが姫様と小太郎様の結び付きの証だからのう。致し方あるまい」
主膳「姫様の御心、察するにあまりますな」
典蔵「じゃが何時までも悲しんでおられるとかえってよくない。どうしたものかのう」(首を捻りながら言う)
女一「それでしたらお花なぞは如何でしょう」
典蔵「花、とな」
女二「はい、ここは花の名所でありますから。桜を見れば姫様の御心も楽しまれることでしょう」
典蔵「ううむ」
主膳「それもいいかも知れませんな」(女達の声に頷き)
典蔵「お主もそう考えるか」
主膳「はい、ここの桜は吉野のそれに勝るとも劣らぬものです。きっと姫様の御心も安んじてくれることでしょう」
典蔵「皆はどう思うか」(後ろを振り向き他の者にも問う)
一同「我々も主膳様と同じ考えです」
典蔵「では姫様にはその様にお勧めするか」
主膳「それが宜しいかと存じます」
典蔵「わかった。では私から申し上げてみよう。実はある噂話を耳に挟んでおるしな」
主膳「それは」
典蔵「後で話す。よいな」
主膳「わかりました」
 ここで籠がやって来る。そこから声がする。その中にいるのが千寿姫である。
千寿「もし」
一同「ハッ」(それに応える)
千寿「もう着いたのでしょうか。初瀬の寺に」
典蔵「はい、ここが初瀬寺であります。さあ、どうぞおいで下さい」
千寿「わかりました」
(そして中から出て来る)
 その出で立ちは桜色の衣装。いかにも姫といったもの。眉目秀麗であるが物憂げな顔をしている。その手には漆塗りの豪奢な箱がある。
千寿「長い旅路でした。今までの共御苦労です」
一同「いえ、そのような」
典蔵「ところで姫様」(早速声をかける)
千寿「はい」
典蔵「この寺の名物は御存知でしょうか」
千寿「噂では桜の名所だとか」
主膳「はい、是非その桜を御覧頂きたいのですが」
千寿「(躊躇いつつ)しかし今のわたくしには」
典蔵「どう為されましたか」
千寿「小太郎様の菩提を弔う身。桜なぞ見ていいものでしょうか」
典蔵「(あえて笑いつつ)これは面妖なことを仰る」
千寿「面妖とは(少し怒る)」
典蔵「はい、小太郎様とはまだ盃もいたしてはおりませぬ。それに拙者はある話を聞いております」
千寿「それは」
典蔵「小太郎様のことですが」
千寿「あの方がどうしたのですか?」
典蔵「まだ生きておられるかも知れないのです」
主膳「(あっと驚き)何と」
千寿「本当ですか、それは」
典蔵「はい、ですからまだ髪を落とされるには早いかと存じます」
千寿「それが本当だとすると」
典蔵「それに姫様はまだこれからです。人の世は楽しまなければなりませんぞ」
千寿「そうですね、まだ諦めるには早いですね」(自分に言い聞かせる様に言う)
主膳「では今はその御心を安らかにされるべきかと存じます。桜なぞを見て」
千寿「そうするべきでしょうか」
一同「はい」(それを促す様にあえて大声で答える)
典蔵「(それをまとめて)是非そうなさるべきです」
主膳「皆もそれを望んでおります」
千寿「(それを受けて)それでしたら参りましょう。ただこれは」(ここで手に持つ箱に目をやる)
千寿「千手の観世音に捧げなければならないでしょう。その為にこちらへ参ったのですから」
一同「はい」
千寿「では参りましょう。そしてそれから花を楽しみましょう」
典蔵「そう為されるのが宜しいかと」
千寿「ではそうさせて頂きます」
 そして共の者と共にその場を後にする。後には典蔵と主膳が残る。
典蔵「とりあえずはこれでよし。姫様の御心も少しは落ち着かれるだろう」
主膳「しかし先程のお話はまことですか」
典蔵「何がじゃ」
主膳「小太郎様が生きておられるという話です」
典蔵「あくまで噂じゃがな」
主膳「それがまことだとすると厄介なことになりますぞ」
典蔵「どうしてそう思うのだ」
主膳「今我等は三浦殿の御後見を受けてようやく持ち堪えております。その御子息である良村様との御縁談を進めていかなければならないというのに」
典蔵「それはそうだがな」
主膳「ましてや信田家のあれは讒言だという話もあります。それもまことだとすると」
典蔵「話は複雑になってくるのう。姫様は操の固い方であるし」
主膳「どうしたらよいでしょう。三浦様は今や日の出の勢い」
典蔵「あの方と御一緒だと何の気懸りもない」
主膳「はい、その三浦様の奥方となれば姫様も安泰です」
典蔵「ただ小太郎様だけが気になると」
主膳「左様です。小太郎様が無事だと姫様のこれからにも何かと暗いものがかかるかも知れませぬ。ただでさえ信田の家の者達が何かと動いているというのに」
典蔵「らしいな。それも聞いておる」
主膳「今のうちに手を打っておきますか」
典蔵「そうしておくか」
主膳「ではここで話すと何かと聞かれる怖れがあります。場所を変えまするか」
典蔵「うむ。そうするか」(それに賛同する)
主膳「それでは」(典蔵を右手に案内する)
典蔵「うむ」
 そして二人は消える。暫くして粗末な身なりの前髪立ちの少年がやって来る。何処か中性的な女の様な感じのする美しい少年である。彼が赤星十三郎である。
赤星「もう春だというのにこの我が身の侘しさはどういうことか」
(嘆きながら言う)
赤星「花が舞い小鳥が唄う時にわしは流浪の身。主信田様も腹を切られ御家は断絶した。昨日の錦は今日のつづれ、世の習いとはいえ哀しいことだ」
(辺りを見回す)
赤星「三日見ぬ間に桜か。美しいが」
(溜息をつく)
 ここでまた誰かがやって来た。深い編み笠を被った浪人である。
赤星「浪人か。わしと同じか」
頼母「待て、その声は」
赤星「(こちらもその声に気付き)むっ」
頼母「十三郎ではないのか」
赤星「その声は」
頼母「(編み笠を脱いで顔を見せる)わしじゃ」
赤星「叔父上、どうしてここに」
頼母「うむ、実はちょっと用事があっての」
赤星「用事」
頼母「ぞうじゃ、それにしてもよいところで会うた。その用事を手伝って欲しいのじゃがよいか」
赤星「他ならぬ叔父上の頼みなら」
頼母「よし、では言おう。実はわしは今信田様の後後室を御守りしておるのじゃ」
赤星「生きておられたのですか」
頼母「うむ。この前偶然巡り会うた。幸運なことじゃった」
赤星「それは何より」
頼母「ところが御苦労がたたったのか今病に臥せておられるのじゃ。かなり重い病でのう」
赤星「大丈夫でございますか」(心配そうに尋ねる)
頼母「(渋い顔をして首を横に振りながら)難しいの。日に日にやつれていっておられる。わしも貧しい中で何とかいたしておるのじゃが」
赤星「左様ですか」
頼母「薬があれば御命は救われるのじゃがな。如何せん金がない」
赤星「どれだけ必要なのですか」
頼母「かなりの額じゃ」
赤星「どの程度で」
頼母「百両程じゃ。今のわしにはとても。それを何とか工面してもらいたいのじゃ」
赤星「拙者の力を」
頼母「うむ、そなたの剣はかなりの技じゃ。それで悪党でも懲らしめてその報酬でも手に入れてもらいたいのじゃ」
赤星「拙者の力を」
頼母「うむ、そなたの剣はかなりの技じゃ。それで悪党でも懲らしめてその報酬でも手に入れられぬか。丁度今この辺りで日本駄右衛門という盗賊が暴れておるが」
赤星「日本駄右衛門ですか」
頼母「うむ、お主ならあ奴を成敗することもできるのではないか」
赤星「そうしたいのはやまやまですが(残念そうに首を振って答える)」
頼母「無理か」
赤星「はい、日本駄右衛門は盗賊ながらその名を天下に知られた男、その剣もかなりのものと聞いております」
頼母「それ程凄いのか」
赤星「伝え聞くところによるとこれまで多くの捕り方に囲まれたことが幾度もありましたがその度にその剣で逃げおおせているとのことです」
頼母「それは凄いのう」
赤星「そしてその下には忠信利平という者もおりますがこの男もかなりの腕前と聞いておりまする」
頼母「まだおるのか」
赤星「はい、しかもその手下は一千余り、とても拙者一人で太刀打ちできるものではございません」
頼母「そうか、では仕方ないな」
赤星「他の方法しかないでしょう」
頼母「ではどうしたらよいか」
赤星「他にないわけではないですぞ」
頼母「というと」
赤星「はい、何しろ今まで色々と歩いてきましたから。心当たりがないわけでもありません」
頼母「(それを聞いて急に顔が明るくなる)それはまことか」
赤星「はい、嘘ではありませぬ」
頼母「では頼めるか、そなただけが頼りじゃ」
赤星「お任せください(胸を叩くがやや軽い)」
頼母「では頼むぞ。わしはわしで動く故な」
赤星「はい」
 こうして二人は別れる。頼母は舞台から消え赤星だけになる。
赤星「さて、問題はこれからじゃ。受けたもののやはり百両ともなるとどうしたものか」
(首を捻って考える)
赤星「やはり日本駄右衛門を倒すしかないかのう。まともに刀を交えて勝てる相手とは思えぬがそれしかあるまい」
赤星「(ここでハッとする)待てよ」(右手に顔を向ける)
赤星「そうじゃ、ここは寺じゃった。とりあえずは神頼みといこう」(そして右手に向かう)
赤星「参拝してみよう、そうすれば御加護が得られるかも知れん」
 そして赤星は消える。入れ替わりに千寿姫と侍女達が左手から出て来る。
侍女「姫様、元気になられましたか」
千寿「(微かに微笑みながら頷いて)はい」
千寿「ようやく落ち着いてきました」
侍女「それは何より。皆心配しておりました故」
千寿「心配をかけました」
侍女「いえいえ、姫様が元気になられて何よりです。ところで」
千寿「はい」
侍女「香合はお持ちですね」
千寿「ええ、ここに(手に持つ箱を見せる)」
侍女「それならばよろしいです。近頃この辺りを荒らす盗人共が出ておりますから」
千寿「盗人」
侍女「はい、日本駄右衛門とその一党です。千人余りの大盗賊だそうです。あの者達が何処にいるかわかりませんから御気をつけ下さい」
千寿「わかりました」
侍女「それでは辺りを御覧下さい。素晴らしい眺めでしょう」
千寿「そうですね、まるで鎌倉が全て見渡せるようです」
侍女「金沢の能見堂、そして入海。そちらが」
千寿「江の島の弁天様ですね。あそこが八幡様」
侍女「左様です、よく御存知ですね」
千寿「話に聞いておりましたから。それにしても何と美しい」
 二人は次第に右手に寄る。そして左手から二人の若い男が出て来る。
 一人は前髪立ちの何処か女性的な若者、中々立派な服を着ている。彼が弁天小僧菊之助。
 もう一人は髷の男。相方よりやや年上。従者の身なりで何処かひょうきんな感じ。彼が南郷力丸。二人はあちこちを見回している。桜を見ているのである。弁天の動きはゆったりとしているが南郷はせっかち。
弁天「いい眺めじゃのう」
南郷「はい」(それに頷く)
弁天「春の花は桜が一番じゃ。まさに金花よ」
南郷「おや、若様あちらを」(ここで千寿を指差す)
弁天「(千寿を見て)おお」
南郷「美しき姫様ですな」
弁天「全くじゃ。花が花見るとはこのことじゃ」
 ここで千寿も弁天と南郷に気付く。
千寿「あれは」
侍女「また格好のよい若様ですね」
千寿「はい」(思わず弁天に見惚れている)
侍女「(ここでふと思い立ち)お話してみますか」
千寿「(やや躊躇っている)けれど私は今は」
侍女「(宥めて)まあそう仰らずに。お話するだけなら問題はありませぬ」
千寿「そなたがそう言うのなら」
侍女「それではよろしいですね。後は私にお任せ下さい」
千寿「わかりました。それではお願いします」
侍女「はい」
 侍女は二人の方へ行く。弁天と南郷はそれを横目に見ながらひそひそと話をしている。
弁天「兄貴、向こうから来てくれたぜ」
南郷「おう、これは好都合だ。弁天、上手くやれよ」
弁天「おう」
 二人はあくまで気付いていないふりをしている。侍女はそんな二人に近付く。千寿はそれを心配そうに見ている。
侍女「もし」
南郷「何用でございますか」
侍女「そちらの方はどなたでしょうか」
南郷「私の主のことでしょうか」
侍女「はい、見ればかなり高貴な方も見受けられますが」
 弁天は白扇で口を隠して何やら考えているふりをしている。侍女は彼に目をやりながら南郷に対して言う。
侍女「私共も武家の者、宜しければお話して頂きませんか」
南郷「そうは言われましても(困った顔を作る)」
侍女「何か不都合でもあるのですか」
南郷「いや、それは」
侍女「もしそちらに事情がおありでしたら下がらせて頂きますが」
南郷「ううむ(考えるふりをする)」
侍女「駄目でございましょうか」
南郷「何と言えばよいのか。内緒にして頂けるのなら」
侍女「それは武門の誇りにかけて」
南郷「約束して頂けますね」
侍女「(強く頷いて)はい」
南郷「よし、それなら言いましょう。若君、宜しいでしょうか」
弁天「私の方は(ここで二人は目配せをする)」
南郷「(頷いて)それなら」(そして侍女に向き直る)
南郷「お教えしましょう」
侍女「はい」
南郷「(侍女の耳に近寄り)実はですね」
侍女「ええ」
南郷「この方は高貴な方でして」
侍女「して、何方でしょうか?」
南郷「信田家の御子息なのです。御嫡男の小太郎様です」
侍女「(思わず声をあげそうになるが咄嗟に口を覆ってそれを防ぐ)本当ですか!?」
南郷「はい(頷いて)」
侍女「それではまさか(ここで千寿を見る)」
南郷「如何なされた」
侍女「いえ、実は私共は小山の家の者なのですが」
南郷「それではあちらの姫様は」
侍女「はい、千寿の姫様でございます(頭を垂れて)」
南郷「左様でしたか。何ともはや(これには流石に驚いている)」
 弁天はそれを黙って見ている。だがやがて南郷に声をかけた。
弁天「これ駒平(当然偽名である)」
南郷「はい」
弁天「一体何時まで内緒話をしておるのか」
南郷「そういうわけではないですが」
弁天「言い訳はよい。如何致した」
南郷「はい、どうやら今あのお方に当月の御遷座は下寺か御本坊か御伺いしていたのです」
弁天「ここにその様なものがあったのか?」
南郷「その様で。どう為さいますか」
弁天「決まっておろう。そうとわかれば是非参るとしよう」
南郷「わかり申した」
 そして二人は舞台の右手に向かう。そこで千寿達と擦れ違う。
千寿「(弁天に目をやり)はっ」
弁天「(彼も千寿を見やる)むっ」
 二人は互いの顔を見る。そしてつけ回し(相手に心を置きつつ向かい合って独楽の様にじりじりと回る)に入る。それから別れて弁天は右に消える。千寿はそれから目を離さない。南郷もそれを思い入れて見ている。
南郷「では俺も行くか(と出て行こうとする)」
 その南郷を侍女が止める。
侍女「お待ち下さい」
南郷「(彼女に顔を向け)何用でござるか」
侍女「まだお話したいことがあるのですが」
南郷「(ここで少し嫌な顔をする)御供をしなければならないのですが」
侍女「ほんの少しの間ですので」
南郷「(渋々と)そうでしたら。して何でしょうか」
侍女「姫様がそちらの若様の御許婚というのは御承知でしょう」
南郷「(ギクッとして)ええ、まあ」
南郷「(独白)いかん、すっかり忘れてった。そうであった」
侍女「それでお願いなのですが」
南郷「はい(汗を流している)」
南郷「(ここでまた独白)まずいことになったな」
侍女「小太郎様に是非お話しておいて頂けるでしょうか」
南郷「何をでしょうか」
侍女「これはまた意地の悪い。決まっているではございませんか」
南郷「はあ」
侍女「姫様のことを。お願いしますよ」
南郷「しかし若様はあのお年で大層堅い方でして。女子の話はお嫌いなのです」
侍女「まさか」
南郷「私は前それで叱られたことがあるのですよ。男子がみだりにその様な浮ついた話をするな、と。ですからねえ」
侍女「ではどうしたらよいでしょう」
南郷「そうですなあ(ここで考えるふりをする。それからはたと思いついて)そうだ」
侍女「何が名案が」
南郷「はい、ここにうちの若が来られて私が言い出します。するとお堅い若のことですからならぬ、と仰るでしょう。そこでそちらの姫様が一芝居打たれるのですよ」
侍女「一芝居とは」
南郷「はい、小刀を喉に向けられる。そうすれば若も止められるでしょう。そこから入る。これでどうでしょうか」
侍女「悪いお話ではありませぬな」
南郷「そうでござろう。これで如何でしょうか」
侍女「ではそれで(頷き千寿の方に向かう)」
侍女「姫様」
千寿「はい」
侍女「実はあちらの方のお話ですが。耳をお貸し頂けますか」
千寿「わかりました(そして顔をそっと傾ける」
侍女「(その耳に顔を近付け)実は」
 そして話をはじめる。話を聞き終えた千寿はにこりと頷く。
千寿「わかりました。私はそれでいいです」
侍女「左様でしたら(彼女も頷く)」
 そして再び南郷のところに戻る。
侍女「姫様は御了承して下さいました」
南郷「そうですか、それなら大丈夫でござる」
侍女「はい、ではそれで」
南郷「行きましょう」
 ここで弁天がやって来る。
弁天「これ駒平」
南郷「はい」
弁天「参拝は済んだ。戻るぞ」
南郷「いえ、少しお待ち下さいませ」
弁天「何かあるのか」
南郷「はい、実は若様にお目にかけたいものがありまして」
弁天「わしにか」
南郷「はい、宜しいでしょうか」
弁天「一体何じゃ(ここで問う)」
南郷「はい、こちらの御方です(ここで左手に控える千寿を案内する)」
南郷「こちらの姫様でございますが」
弁天「(不愉快そうな顔を作って)これ駒平」
南郷「はい」
弁天「前にも言ったであろう。わしの前で女子の話はするなと」
南郷「左様でしたが」
弁天「言い訳はよい。一体何のつもりじゃ」
南郷「こちらの姫様が是非貴方様とお話がしたいとのことですが」
弁天「話すことはない(ぷいと横を向く)」
南郷「そう仰らずに」
弁天「ないと言っておろう」
 弁天は左手に去ろうとする。南郷がそれを止める。そこへ千寿が出て来る。
千寿「あの」
 だが弁天はそれを無視する。
千寿「お話したいことがあるのですが」
弁天「(冷たく)拙者にはござらん」
千寿「そう仰らずに」
弁天「二言はござらん、ではこれにて」
千寿「左様ですか」
弁天「左様、これ以上言うことはござらん(そして去ろうとする)」
千寿「それでは」(ここで小刀を取り出す。そしてそれを喉に当てる)
千寿「生きていても仕方ありませぬ。ここで命を絶ちましょう」
南郷「えっ(驚いた演技)」
弁天「何と(こちらもふりでしかない)、お止めなされ」
千寿「元より命んぞ惜しくはありませぬ。こうなっては自ら命を絶ち小太郎様の下へ参りましょう」
弁天「待たれよ(ここで小刀を取る)」
千寿「何でしょうか」
弁天「先程小太郎と申されましたな」
千寿「(顔を上げて)はい」
弁天「それは拙者が名ですが」
千寿「(驚いて)えっ」
弁天「拙者の名は信田小太郎と申しますが」
千寿「貴方様が小太郎様ですか」
弁天「左様、そしてそこもとの御名は」
千寿「私は千寿と申します。小田の千寿と申します」
弁天「それでは貴女は私の許婚ですか」
千寿「はい。そして貴方は」
弁天「そう、貴女の婿となる男です。今はこの有様ですが」
千寿「(首を横に振って)いえ」
千寿「決めておりました。私は小太郎様にこの命を捧げると」
弁天「まことですか」
千寿「はい。それが適わぬと知り尼になろうと思いましたがその必要はございませんね」
弁天「はい、拙者は今ここにおります故」
千寿「それではお話をしたいのですが」
弁天「(頷いて)はい」
弁天「ではあちらへ参りましょう。あそこでゆうるりとお話しようではありませんか(と言いながら左側を指差す)」
千寿「わかりました」
 こうして二人は左手に消えていく。後には南郷と侍女が残る。
侍女「これでよろしいですね」
南郷「(頷いて)はい」
南郷「まさか千寿の姫様とは思いませんでしたが」
侍女「それはこちらもです。まさか小太郎様が生きておられましたとは」
南郷「(これには思うところある顔をして)まあそうでござるな」
侍女「確か騒ぎの中で行方知れずとなっておられたのですね」
南郷「追っ手がありましたので。身を隠していたのです」
侍女「左様でしたか」
南郷「ところで若様もおりませんし暫し骨休みとしますか」
侍女「(頷いて)ええ。ではあちらにでも(ここで右手を指す)」
南郷「参りますか」
侍女「はい」
 こうして二人は右手に消えていく。それと入れ替わりに赤星が出て来る。
赤星「わしに何か用か(左手に顔を向けて強い声で言う)」
侍一「(左手から出て来ながら)何を言うか」
侍二「(同じく出て来ながら)よくそんなことが言えたものだ」
典蔵「よし、逃がすでないぞ(ヌッと左手から現れる)」
典蔵「まずは懐をあらためい」
赤星「お主等に出来るかな(不敵な様子で言う)」
侍一「(憤りながら)何、小僧っ子の分際で」
侍二「懲らしめてくれるわ」
赤星「やってみせよ。できるならな」
 ここで赤星も侍達も刀を抜く。
赤星「ここは丁度寺じゃ。供養の心配はいらぬぞ」
侍一「それはこちらの台詞じゃ」
侍二「覚悟せい」
 三人は打ち合う。だが赤星が強く忽ち二人を打ち倒してしまう。
赤星「もう終いか」
侍達「ぬうう(呻きながら倒れている)」
赤星「他愛のない。峰打ちじゃから安心せい。(ここで典蔵に顔を向ける)さて」
赤星「次はお主が相手になるか(刀を構えながら」
典蔵「(顔を顰めさせて)おのれ、何という奴じゃ」
赤星「さっさと逃げるがいい。さもなければ痛い目をみるぞ」
典蔵「(ぬかせ、若僧が(ここで彼も刀を抜く)」
赤星「そうでなくてはな。行くぞ」
典蔵「参る」
 二人は打ち合う。激しいやりとりだが赤星が勝っている。典蔵は次第に追い詰められていく。
赤星「さあ、どうした。これまでか」
典蔵「おのれ」
 結局典蔵は負ける。打ち倒した赤星は背を向ける。
赤星「それではな。さらばだ」
典蔵「(起き上がりながら)待て」
赤星「(顔を向けて)まだ何か用か」
典蔵「名乗れ。何者だ」
赤星「拙者の名か。赤星十三郎という」
典蔵「お主がか。信田家きっての剣の使い手という」
赤星「巷ではそう言うらしいな」
典蔵「我等を小田の家の者と知ってのことか」
赤星「(それに驚き)何!?」
典蔵「どうした、何がおかしい」
赤星「それはまことでござるか(急に態度を改める)」
典蔵「如何にも。嘘を言ってどうする」
赤星「(首を横に振りつつ)ああ、わしは大変なことをしてしまった」
典蔵「?どういうことじゃ」
赤星「先程あの御二人に問われたことですが」
典蔵「うむ」
赤星「これのことでございますな」(ここで懐から包みを取り出す)
典蔵「それはまさか」
赤星「はい。これは先程そちらからとったものです。貴方達の御言葉通り私はこの百両を盗んだのでございます」
典蔵「何故そのようなことをした」
赤星「(俯いて)それは」
典蔵「申してみよ。お主程の者がその様なことをするのには訳があろう」
赤星「はい、実は主の奥方様が病に臥せっておられるとのことで。何としても金が欲しい状況でありまして」
典蔵「信田の奥方がか」
赤星「(頷いて)はい」
典蔵「そうだったのか。生きておられたのか」
赤星「しかし最早かなり危うい状況でございます」
典蔵「それは知らなんだ。あの元気な方がのう」
 ここで先程赤星に倒された二人の侍が起き上がる。
侍一「おのれ」
侍二「やはり盗んでおったか。覚悟はできておるな」
赤星「もとより(観念した様子で)」
侍一「ならばよい」
侍二「今ここで手打ちにしてくれる」
典蔵「(二人を止めて)待て」
侍一「如何されたのでございますか」
侍二「盗人に情をかけられるなぞ」
典蔵「待てというのだ。先程お主達はこの者に情をかけられたのであろう。それを忘れるな」
侍一「はっ」
典蔵「それでは典蔵殿に免じて」
 二人は後ろに控える。典蔵はそれを確かめた後で再び赤星に顔を向ける。
典蔵「さあ、続きを申してみよ」
赤星「(申し訳なさそうに)かたじけない」
典蔵「先程の言葉、偽りではないな」
赤星「はい」
典蔵「左様か。なら致し方ない。(その百両を手に取って)この程度はわしにとってははした金じゃ」
赤星「それはどういう意味でござるか」
典蔵「今申したとおりじゃ。この程度の金はどうにでもなるということじゃ」
赤星「それは」
典蔵「取っておくがよい。小田の家とは切れたもののあの奥方様とは縁があった。その方が苦しまれるのは忍びない」
赤星「本気でござるか」
典蔵「戯れ言でこの様なことは言わぬ。持って行くがよい」
赤星「本当に宜しいのですか?」
典蔵「わしも武家じゃ、二言はない。さあ取るがよい(そして受け取った百両を差し出す。赤星はそれを受け取る)」
赤星「有り難き幸せ」
典蔵「礼はいらぬぞ。(後ろの侍達に向き直り)その方達も他言は無用じゃぞ」
侍一「わかり申した」
侍二「典蔵殿に感謝するがよいぞ」
赤星「(頭を垂れて)はい」
典蔵「ではこれでな。我等も用事がある」
赤星「わかり申した」
典蔵「あと一つ言っておく。このこと、奥方様にも内緒でな。今我等は三浦様と近き故」
赤星「はっ」
典蔵「さらばじゃ」
赤星「お元気で」
 こうして典蔵達は右手に消えていく。赤星は立ち上がり思い深げにその包みを見ている。そこに頼母がやって来る。
頼母「十三郎(強く厳しい声で)」
赤星「叔父上(彼の顔を見ると明るくなる)」
頼母「(だが彼の顔は険しい)うむ」
赤星「百両用意できました。どうかお受け取り下さい」
頼母「その気持ちは有り難いがな(まだ態度は厳しい」
赤星「受け取られないのですか」
頼母「見ておった。それだけでわかるであろう」
赤星「(うなだれて)はい・・・・・・」
頼母「そういうことじゃ。悪いがな」
赤星「わかり申した」
頼母「受け取るわけにはいかぬ。その百両、お主への餞別としておけ」
 そう言うと踵を返し左手へ去る。赤星はそれを止めることもできない。
赤星「こうなっては致し方ない」
 うなだれて右手に消える。それと入れ替わりに左手から主膳と別の侍達が姿を現わす。
主膳「それはまことか」
侍三「はい、この目で見ました」
主膳「話は聞いておったがな」
侍三「私もこの目で見るまでは噂だろうと思うていました」
主膳「まさか生きておられたとはな」
侍四「そして小太郎殿は何処だ」
侍三「(左手の方を指して)あの茶屋の中に。姫様と一緒に」
主膳「(それを聞いて血相を変える)姫様とか!?」
侍四「それは厄介なことじゃ」
侍三「その通り、如何致そう」
主膳「(考え込んで)ううむ」
侍四「(はたと思いつき)いっそのこと踏み込みませぬか」
侍三「踏み込むのか」
侍四「左様。とりあえず我等がそういう動きをすれば小太郎殿も驚かれて立ち去られるであろう。そして我等も姫様と御顔を会わせずにすっと去れば姫様も恥をかかれることはござらん。主膳殿、これで如何でしょうか」
主膳「(考えながら)そうじゃのう」
 暫し考えるがやがて決断する。
主膳「よし、それでいこう。ただし姫様に気付かれぬようにな」
侍四「はっ」
侍三「わかり申した」
 こうして左手に入る。入った途端に押し返される。
侍三「ややや」
侍四「何奴」
 浪人が姿を現わす。逆熊の髪をしている。色悪の趣がある。忠信利平である。
忠信「いやいや、男女の話に入り込むのは無粋ではなかろうかと思いましてな(笑いながらそう言う)」
侍三「無粋とな」
忠信「ええ。ここはそっとしては如何ですかな(鷹揚な物腰で)」
侍四「何を戯言を言うか」
忠信「戯言?拙者が(とぼけて言う)」
侍三「そうじゃ、こちらにも都合があるのじゃ」
侍四「関係のない者は黙っていてもらおう」
忠信「(首を横に振って)いやいや、そういうわけではございませぬぞ」
侍三「邪魔をする気か」
忠信「そうではござらん。確かに拙者は浪人ですが」
侍四「それは姿だけでわかるわ」
忠信「まあ話は最後まで聞かれよ。浪人であろうとも武士は武士、例え半時でも借りた座敷は武士の城ではありませぬか。無礼はなりませぬぞ」
侍三「おのれ詭弁を」
侍四「どかぬというのならこちらにも考えがあるぞ」
 ここで主膳が前に出て来る。そして二人を制止する。
主膳「まあ落ち着け」
二人「しかし」
主膳「(そんな二人を宥めるように見やって)ここはわしに任せよ。よいな」
二人「(ようやく落ち着き)わかりました」
主膳「うむ。(忠信に向き直り)さて」
忠信「はい」
主膳「そこもとはいずれのお方でしょうか」
忠信「拙者は武者修行の身です。諸国を回っている中この鎌倉にたまたま立ち寄ったのでございます」
主膳「左様でしたか」
忠信「そしてこの寺に立ち寄ったところ貴殿達に遭うたわけです」
主膳「成程、そうした事情でござったか(納得したように頷く)」
忠信「これでよろしいでしょうか」
主膳「はい、そしてこちらの願いですが」
忠信「通して欲しいというわけですな」
主膳「いかにも。よろしいですかな」
忠信「残念ですが」
三人「(これには驚き:)何と」
忠信「先にも申し上げました通り武士の城です。お通しするわけにはいきませぬ」
侍三「おのれ、もののわからぬ奴だ」
侍四「こうなったら何としてでも通らせてもらうぞ」
忠信「(目を光らせて)ほう」(ここで柄に手をかける)
忠信「ではお相手して頂けるのですな」
侍三「望むところ」
侍四「丁度寺だ。供養には困らぬぞ」
忠信「如何にも。では参りますぞ」
 三人は刀を抜こうとする。だがここで主膳が再び間に入る。
主膳「まあ待て」
侍三「主膳殿、おのき下され」
侍四「この男、許すことはできませぬ」
主膳「だから落ち着けと言っておるのだ。よいな」
二人「(彼に言われて)はあ」
主膳「だからここは任せておけ。さて」(忠信の前に出る)
忠信「(それを見てとりあえずは柄から手を離す。だがよく見ると左手はまだ微かについている)はい」
主膳「こちらにも事情がありましてな。ここは引いて下さらぬか。(そう言いながら懐から何かを取り出す)」
主膳「(そしてそれを忠信の袂へ入れて)悪いようにはしませぬ故」
忠信「(それを見てあえてきっとする)これは何ですかな」
主膳「(とぼけて)はて」
忠信「拙者はその様なものは欲しくはありませぬぞ」
主膳「何、あっても困るものではありますまい」68
忠信「そういう意味ではござらん」
主膳「拙者からの心づくしです。やましいことはありませぬぞ」
忠信「(考えるふりをして)ううむ」
主膳「お受け取り頂けますか」
忠信「例え拙者が返したとしてもお受け取りはせぬでしょう」
主膳「もう貴殿のものですからな。拙者は人様から金を貰ったりはしませぬ」
忠信「わかり申した。では少し酒でも楽しみに行くことにしましょう」(そう言ってそこから離れる)
忠信「ではこれで。ご機嫌よう」
 こうして忠信は右手に消えていく。あとには主膳と二人の侍が残される。
侍三「ようやく行きましたな」
主膳「ふむ、厄介な御仁であった」
侍四「まああの男もいなくなりましたし入りましょうか」
侍三「うむ」
主膳「では参ろう」
 三人は左手に向かうだがすぐに慌てて出て来る。
侍三「何処にもおりませぬな」
侍四「さては小太郎殿は姫様を連れて行かれたのか」
主膳「これは一大事、すぐにお探しするぞ」
二人「はっ」
 こうして三人は左手に去る。入れ替わりに弁天と千寿が侍女を連れてやって来る。
千寿「(侍女に顔を向けて)先程はどうも」
侍女「いえ。あまりに桜が綺麗でしたので。是非姫様にもと思いまして」
弁天「茶屋でゆっくりとお話するつもりでしたが。桜を見るのもよかったですな」
千寿「(それに頷いて)はい」
侍女「丁度入れ替わりに茶屋の方で騒ぎが起こりましたし。離れてよかったかも知れませんね」
千寿「その前にも何か騒ぎが聞こえましたし。何かと騒がしい寺のようですね」
弁天「そうでしょうか」
千寿「その様です。しかし私は幸いそれには遭うておりませぬ。これも香合の御加護でしょう」
弁天「(それを聞いて不思議そうな顔をして)香合」
千寿「はい。小太郎様が結納に贈って下さったあの香合です。覚えておられますね」
弁天「はい、無論。(いささか慌てている)」
千寿「先程仏事に御供えしたのですが近頃この辺りに盗人がはびこっていると聞きましたので。それで今も持っているのでございます」
弁天「左様でしたか」
千寿「はい」
弁天「しかしそのまま姫が持たれていては何かと騒動が起こりますな」(心配そうな顔を作って)
侍女「何か御考えが」
弁天「はい。拙者が預かりもうそうか」
千寿「小太郎様が」
弁天「はい。それは元々我が信田家のもの。拙者が一時お預かりしても問題はありますまい」
千寿「(頷いて)それもそうですね」
弁天「では是非」
千寿「はい」
 千寿は香合の箱を弁天に手渡す。弁天はそれを受け取る。ここで南郷が左手から出て来る。
南郷「あ、若様茶屋におられたのではなかったのですか」
弁天「うむ、ちと気が変わって桜を見に行っておったのじゃ」
南郷「左様でしたか。それならばよろしいのですが」
弁天「何かあったのか?」
南郷「(ここでまずそうな顔を作って)はい、追っ手の姿が見えましたので」
弁天「(演技に合わせて)ふむ、それは厄介じゃのう。(ここで千寿に顔を向ける)姫」
千寿「はい」
弁天「まだ拙者は日陰にいる身、申し訳ござらぬがこれで失敬」
千寿「(驚いて)何処に行かれるのでしょうか」
弁天「少し姿を隠す為に。縁があればまた」
 立ち去ろうとする。だが千寿はその裾を掴む。
千寿「お待ち下さい」
弁天「申し訳ござらぬ。時が来れば」
千寿「来ぬかも知れませぬ。時とは気紛れなもの」
弁天「されど」
千寿「お願いです、私もお連れ下さい」
弁天「今の拙者の歩む道は暗闇の道、そこに姫をお連れするなどと」
千寿「お願いです。暗闇も怖くはありませぬ故」
弁天「されど」
千寿「全ては覚悟のこと。小太郎様、どうかこの千寿を供にお願いします」
南郷「(ここで思い入れあって)若様」
弁天「どうした」
南郷「追っ手はそれがしが引き受けまする。どうかここは姫様をお連れして」
弁天「よいのか」
南郷「主を御守りするのは家臣の務め、どうかここはお任せ下さい」
弁天「(頷いて)わかった。(そして姫に顔を向ける)姫」
千寿「はい」
弁天「参りましょう」
千寿「わかりました」
侍女「では私も」
千寿「そなたは残って」
侍女「(驚いて)どうしてですか」
千寿「迷惑がかかる故。私も追われる身ならば」
侍女「よろしいのですか?」
千寿「はい。御父様にはよろしくお願いします」
侍女「わかりました。それでは」
千寿「さようなら」
 二人は別れの挨拶をする。それが終わると弁天は千寿の手をとる。
弁天「では参りましょう。それがしの仮住まいへ」
千寿「はい」
 侍女は右手に去る。弁天と千寿は左手に。そして後には南郷只一人が残る。
南郷「さて。(ここで右手を見る)」
南郷「何やら怪しげな男が二人程いる様子。あの二人、お上の手の者か。だとしたらここで何とかしねえとまずいな」
 そう言いながら右手へ去る。入れ替わりに右手から典蔵と主膳が姿を現わす。
典蔵「そなたも会うたか」
主膳「(頷いて)はい」
典蔵「わしは前髪立ちのやけに強い男だったが」
主膳「接写は若い男でしたぞ。どうやら二人程いるようですな」
典蔵「(それを聞いて考え込み)ふむ」
主膳「如何思われまする」
典蔵「どうやら何かよからぬ動きがあるようじゃな」
主膳「と言われますると」
典蔵「うむ、我等が三浦様と結びつくのを快く思わぬ者がいるのではなかろうかと」
主膳「それは」
典蔵「信田の家の者じゃ。実はわしが会った前髪立ちの若者じゃが」
主膳「はい」
典蔵「信田の家の者だった。あちらの奥方をお救いしようとしておったのだ」
主膳「それはまことでござるか」
典蔵「そうじゃ。そしてその茶屋にいた男ももしかすると」
主膳「(考え込んで)ううむ」
典蔵「気をつけねばな。御家の為にも」
主膳「はい」
典蔵「とりあえずは姫様を御守りせねばな。何かあっては話にもならん」
主膳「はっ」
 こうして二人は左手に消える。忠信がそれと入れ替わりに右手から出て来る。
忠信「どうも長居をしてしまったわ。(上を見上げて)まさかここで月を見るとは思わなかったのう(言葉を続ける)」
忠信「花見がてらにぶらぶらとしているだけで金も入った。(ここで袖に目をやる)これだからこの生業はやめられねえ」
 忠信が中央まで行くと南郷が右手から出て来る。
南郷「(忠信に声をかけて)もし」
忠信「(振り返り)拙者がことでござるか」
南郷「(頷いて)はい」
忠信「何ぞ用でござろうか」
南郷「いえ、実はね。先程の茶屋のことですが」
忠信「(それを聞いて顔を曇らせる)あの時のことがどうしたか」
南郷「いえ、あそこで我が主が危ないところだったのですが」
忠信「(とぼけて)そうだったかのう」
南郷「それを助けて頂いて。まことにかたじけのうございます。(と言いながら頭を垂れる」
忠信「(鷹揚に)いやいや」
忠信「人助けは武士の勤め、何ぞ感謝されることはありませぬぞ」
南郷「(顔を上げて)左様でございますか」
忠信「うむ」
南郷「そして他にもお願いがあるのですが」
忠信「何じゃ」
南郷「先程貴方様が小田の家の方より貰い受けた百両のことです」
忠信「(それを聞いてまた顔を曇らせる)それがどうかしたか」
南郷「いえ、それをあちら様に返して頂きたいのですが」
忠信「(ムッとして)何故じゃ」
南郷「それが信義だと思うからです」
忠信「妙なことを申すのう」
南郷「妙でござるか」
忠信「その通り、これはあちらから譲り受けたもの、どうして返す必要があろう」
南郷「それでは道義にもとりますが」
忠信「わしの道義では誤りではない」
南郷「世の道義とは違うと思われますが」
忠信「はて、ではわしが世の道義に逆ろうておるとでも言うのかな」
南郷「残念ながらそうなりまする」
忠信「(にやりと笑って)確かにそうかも知れぬな。だがわしのいる世界ではこれは道理」
南郷「といいますると」
忠信「日本駄右衛門という者を知っておろうな」
南郷「名前だけは。何でも千人の手下を抱える盗人の大親分だとか。盗みはすれど非道はせずの男だそうですな」
忠信「左様、その手下の一人に忠信利平という者がいるのは知っていよう」
南郷「日本駄右衛門の手下の中でもとりわけ腕が立つとか。主に寺や神社に押し込むとか」
忠信「その通り。そしてここは寺じゃな」
南郷「はい」
忠信「そしてその忠信利平の姿形はご承知かな」
南郷「残念ながら。剣の腕前だけは伝え聞いておりまするが」
忠信「今何処にいるか知りたいか」
南郷「出来ることでしたら。こちらも興味がありますので」
忠信「そなたの目の前じゃ」
南郷「(あっと驚いて)何と」
忠信「左様、忠信利平とはわしのことじゃ。(笑いながら言葉を続ける)」
忠信「近頃まとまった仕事もなかったがこうして上手く手に入ったのじゃ。おいそれと渡すわけにはいかぬぞ」
南郷「(がらりと態度を変え)成程、そういうことかい」
忠信「(その様子に何かを見て)ほう、お主も只の侍ではあるまい」
南郷「わかったようだな。南郷力丸を知っているか」
忠信「海賊のか。相当派手に暴れているそうだな」
南郷「それがこの俺よ。相手があの日本駄右衛門の手下だからといって引き下がると思うてか」
忠信「面白い、やるつもりか(そう言いながら刀を抜く)」
南郷「やらいでか(ここで後ろにあった開帳札を引き抜いて構える)」
忠信「行くぞ」
南郷「おう」
 二人は互いに睨み合う。ここで月が隠れて舞台は闇の中となる。
忠信「むっ」
南郷「月が隠れたか」
 中でだんまり模様の立ち回り。月が出て来た時には忠信は左の出入り口の側にいる。南郷は右手の出入り口の側。
南郷「どうやらお流れじゃな」
忠信「南郷よ、また会おうぞ」
南郷「その時こそその百両貰い受けてやる」
忠信「できるのならな」
 忠信はそのまま左手へ消える。南郷はそれを黙ってじっと見ている。ここで拍子木の音、幕がゆっくりと降りてこの場は閉幕となる。





おおー、これはまた今までとはちょっと違う感じ。
美姫 「台詞回しがやっぱり日本って感じよね〜」
そうなのか?
美姫 「ほら、何となく歌舞伎の動きが浮かび上がって…」
すまん。歌舞伎なんか見たことないから分からん。
美姫 「はぁ〜。これだからアンタは…」
あははは〜。褒めるなよ。
美姫 「褒めてないって」
まあ、冗談はさておき、これから一体どうなるのかな?
美姫 「かなり楽しみよね」
うんうん。オペラも良いけれど、歌舞伎も面白いな。
美姫 「次回も楽しみね〜」
次回も待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ