終幕 炎の剣


 ユリウスの右手が前に大きく出される。開かれた五本の指のそれぞれの爪から黒い瘴気が放たれる。
 セリスとユリアは左右に跳びその瘴気をかわした。ユリウスはそれに対し右手で十字を切った。
 床から十字の形で瘴気が噴き出す。二人はそれもかわした。
 ユリアが巨大な光球を放つ。ユリウスも黒い瘴気の球を放つ。
 黄金色の光と暗黒の闇が撃ち合った。凄まじい衝撃を辺りに飛び散らせ光と闇は相殺された。
 セリスが両手にティルフィングを持ち渾身の力で剣撃を繰り出す。ユリウスは左手に瘴気を纏わせた。その瘴気は蛇の様にしなりティルフィングを受け止めた。
 逆に黒い蛇が鎌首を擡げセリスに襲い掛かって来た。セリスはそれを撃ち返した。撃ち返された蛇は地に落ち床を黒く溶かした。
 ユリウスが両手を大きく掲げた。すると黒い天から無数の夜の天よりも黒い闇が生じそれがセリスとユリアに降り注いだ。
 セリスはティルフィングで、ユリアはナーガの結界でその黒い雨を防いだ。防がれた雨は床に落ちると蒸気と胸に来る悪臭を放ちつつ床を溶かす。
 ユリウスの力は二人を圧倒していた。その邪悪な暗黒神の力は二人の攻撃を全く寄せ付けず逆に二人を次第に追い詰めていった。
 ユリウスの手から放たれた複数の黒い流星をセリスは後ろに跳びかわした。
 セリスは着地し考えた。このままでは勝てないと。ミレトスの時とは比べものにならない。最早ユリウスは暗黒神そのものとなっているようだ。
 その禍々しく変貌した容姿がそれを物語っている。瞳も牙も爪もまるで暗黒竜の様だ。
 だがそれはいつも魔力を発動する時に生ずる様だ。普段は人の姿と全く変わらない。
 邪悪で全てを飲み込む様な気は普段から強く発せられている。しかしミレトスでの闘いの時の気は完全に消えていた。
 バーハラ城でユリアを手にかけようとした時もそうであったらしい。何かに必死に叫びながらもがき苦しんでいたのも同じだ。
 そういえばユリウスの声が人のものと獣のものの二つが同時に聞こえるのは何故だろうか。この様な事は有り得ぬ筈だ。
 レヴィンは言った。神器はそれぞれ自分の心を持つと。ならば暗黒神の力が込められた暗黒竜の書も己が心を持つ。
暗黒竜とガレの心が混ざり合った暗黒神の心が。
 ふと考えた。ユリウスは器に過ぎず暗黒神に操られているだけではないだろうか。だとすれば彼を倒すべきではない。
 だが確信が持てなかった。ユリウスが次の攻撃を放たんと構えを取ったのだ。セリスは咄嗟にユリウスを見た。
 その時彼の足下を見た。影が月の光に映し出されていた。その影は人のものではなかった。禍々しく笑う竜のそれであった。
 確信した。自分の考えは正しかったと。為すべきこともわかっていた。
「ユリア、ユリウスの足下を狙え!」
 ユリアはすぐにそれに従った。光の球をユリウスの足下に向けて放った。
 右手に瘴気を貯めそれを雷光の様に放とうとしていたユリウスであったがユリアが光球を放って来たのに対し跳んでかわそうとした。
 光球はユリウスの身体にはかすりもしなかった。だがその影は別であった。
 光が床に映るユリウスの影を直撃した。するとユリウスの状況が一変した。
 床に着地できず転げ落ちるとそのままもがき苦しみだした。
 瞳から竜眼が消え爪が引っ込み牙も無くなっていた。指で喉を掻き毟り口から泡を吹き出し野獣の断末摩の様な呻き声を出し激しく痙攣している。
 全身からあの禍々しく邪悪な気が消え去った。それまでドス黒かった表情も一変し穏やかなものとなった。
 ユリウスはしゃがみ込みつつ二人の方を見た。その顔には最早敵意も殺意も無かった。
「セリス皇子・・・・・・ユリア・・・・・・!?」
 声も少年の声であった。元の高く張りのあり力強さに満ちそれでいて澄んだ声であった。
「元の自分を取り戻せたな」
 セリスはそれを見て言った。ユリアはユリウスの下へ駆け寄った。
 そっとその両手で抱き締める。その瞳に涙が浮かんできた。
「ユリア、済まない。私は・・・・・・」
「良いのです、兄様は暗黒神に操られていただけです。そして今こうして私の下に戻って来て下さいました。それだけで、それだけで・・・・・・」
 兄を強く抱き締めつつ涙をとめどなく流す。
「ユリア・・・・・・」
 ユリウスも涙を流した。その涙が手の甲に落ちた時炎よりも熱く感じられた。
「油断するな、二人共。戦いはまだ終わってはいないぞ」
 セリスの言葉にハッとした。消えた筈のあの気が感じられた。そちらを振り向いた。そこには見た事も無い様な巨大なおぞましい怪物がいた。
 月まで届くかと思える程の巨体、幾千年を経た樫の様な首、岩石の如き手足、無数の生物の様に蠢く筋肉、毒を滴らせる象牙色の牙と爪、蝙蝠の様な翼、地獄の炎の如く殺意と憎悪に赤く燃える眼、鋼鉄より固く星も月も人の心さえも塗り潰してしまうような漆黒の鱗、目の前にいるこの怪物が何であるか三人はすぐにわかった。
「暗黒神・・・・・・。遂に姿を現わしたな」
 セリスがその巨体を見上げて言った。
「ヨクゾ我ガ影に気付イタ、バルドヨ、褒メテヤロウゾ」
 地の底から響き渡る獣の様な声であった。獣が人の声色を真似ているような、そんな声であった。
「今までユリウス皇子の身体を器としその心を幽閉しこのユグドラルを暗黒教団の世にしようとしていたのは貴様だな」
「ククク、如何ニモ。何レソノ心モ喰ライ我ガモノニセント欲シテオッタガ。ダガ貴様等三人ヲ倒シソノ力ヲ取リ組メバ良イダケ。ククククク」
「クッ、貴様ァッ!」
 今までクグツとして操られてきた憤りであろうか。ユリウスは怒りの表情でフェンリルを放った。
 悪霊達が無気味な唸り声をあげロプトゥスへ襲い掛かる。全て竜の急所を直撃した。ユリウスはそれを見て勝利を確信した。だがすぐにその確信は驚愕に変わった。
 魔竜ですら一撃で倒してしまうであろうユリウスの闇の魔法を暗黒神は何事も無かったかのように受けていた。
 笑ったようにも見えた。長く鋭い牙が連なる暗黒神の口が開いた。
「無駄ダ。闇ノ権化デアル我ニ闇ノ魔法ハ効カヌ」
「くっ!」
 ユリアがナーガを放つ。巨大な光球が暗黒神を直撃する。しかしそれすらも効果は無かった。
「ナーガノ力サエモ今ノ我ニハ無力。最早我ヲ阻ムモノハコノ世ニハ無イ」
 口をさらに大きく開いた。爪をゆっくりともたげる。
 三人はそれぞれ散った。そして暗黒神を取り囲んだ。死闘が始まった。
 全てを消し去るような闇の息と爪、そして巨体を武器に襲い来る暗黒神に対し三人はそれぞれの卓越した技量と見事な連携で闘った。
 ユリウスは闇の魔法から炎の魔法に切り換えていた。父の血を受け継いだのであろう。その腕と動きはシアルフィ城でのアルヴィスを彷彿とさせるものがあった。
 ユリアもナーガを放ち続ける。冷静かつ的確に狙いを定め撃つ。徐々にではあるが効果が表われてきたようだ。
 セリスの剣技はここでも冴え渡っていた。暗黒神の攻撃をかわすと素早い動きで剣撃をいく太刀も浴びせる。そして離れ飛び込み再び攻撃を繰り出す。何時にも増して見事な剣捌きであった。
 死闘は幾時も続いた。つきがその輝きを弱め夜の闇の帳が次第にその幕を開けていく。その白い世界と黒い世界の狭間の中で三人と竜の闘いは一進一退のまま続いていた。
 階段からレヴィン達諸将が上がって来た。誰も欠けてはいない。天主での最後の戦いに勝ったのだ。
 だがまだ戦いは終わってはいない。彼等は今目の前で行なわれている最後の光と闇の戦いを見守っていた。
「ユリウス皇子、目覚めましたね」
 サイアスは果敢に魔法を放つユリウスを見て言った。
「ええ。今まで己を縛っていた忌まわしい呪縛から解き放たれ本来の自分を取り戻しています。もう心配はいりませんね」
 クロードが言った。
「ユリア、成長したな。もうこれで一人で立つことが出来る。なあオイフェ」
「え、ええ」
 オイフェはレヴィンの言葉に顔を赤らめた。
 一同がとりわけ注目していたのはセリスであった。一太刀一太刀ごとにその剣は速さと威力を増していく様であった。次第に暗黒神を追い詰めていった。
 ティルフィングに白い炎が宿ったように見えた。その炎は刀身全体を包み暗黒神を撃ちはじめた。
「オイフェ、シグルドの母は確かバーハラ王家の者だったな」
 レヴィンはその白く燃え盛る剣を見てオイフェに問うた。
「ハッ、前王アズムール様の妹君エルダ様であらせられます」
「そうか、だからか」
「えっ!?」
 オイフェは思わず声をあげた。
「セリスはバルドだけではない。ヘイムの血も強く引いている。二柱の神の血を強く受け継ぐ者はそれだけ強力な力を持っているのだ」
 レヴィンは一同に対して言った。
「レーヴァティンの話は知っているな」
「はい。炎の神ローゲが自らの治めるムスペルムヘイムの居城の奥深くに保管している剣ですね。ラグナロクの時
ワルキューレの一人ブリュンヒルテの手で放たれるという」
 サイアスが答えた。
「それが今セリスが手にしている剣だ」
「えっ!?」
 これには一同驚いた。
「正確にはレーヴァティンの魂がティルフィングと一時的に同化したのだ。暗黒神を倒す為ティルフィングの守護神であるバルドにレーヴァティンの所持者であるローゲが力を貸したのだろう」
「しかし何故ローゲが・・・・・・」
 ローゲは気紛れで悪戯好きの神として知られているのだ。
「気紛れかも知れんぞ。ローゲは天邪鬼な行動を好む男。元はムスペルムヘイムで燃え盛る炎であったのが心を得て神となりヴォータンの義兄弟としてヴァルハラに出入りするようになったのだからな。炎の様に消え現われる。同僚である神々に対して悪質な悪戯をする事も多い。知恵は回るがその行動と性質が常に矛盾している。基本的に暗黒神と対立する位置にいるがどうかな。今度の行動も気紛れだろう」
「そうですか」
 一同その答えにいささか拍子抜けした。だがレヴィンはそれとは逆のことを考えていた。
(レーヴァティンがセリスの手にあるということは・・・・・・。このユグドラルにおける私の仕事はもう終わりだな)
 レーヴァティンを手にするのには相当の力が無ければ出来ないのは言うまでもない。またこの世の週末に放たれるというこの剣は己を持つ者の心をも厳しく見る。ローゲがこの剣をどうして手に入れたか誰も知らない。だが一つだけ言えた。世界を滅ぼし焼き尽くせるこの剣に選ばれた者は世界に平和をもたらし統べるに足る者でもあるのだ。

 ユリウスがその左腕に稲妻を宿らせる。バチバチと音が鳴り緑の筋が血管の様に左手で動く。
 右手には炎を宿らせた。赤く燃え盛りユリウスの右半分を照らし出す。
 同時に胸に風を出した。それはすぐに竜巻となり炎と雷の両方を巻き込みはじめた。
 両手をクロスさせその三つを一斉に放った。相互の螺旋を描いて絡み合いながら暗黒神に襲い掛かる。
 ユリアが静かに瞳を閉じた。黄金色の光がゆっくりとその全身を包んでいく。
 光はユリアを包み光の球となった。その中で彼女の薄紫の長い髪と柔らかい衣が波打っている。
 瞳を開いた。紫の瞳と青の瞳が水晶の様に澄み切っていた。
 両手を合わせ前へ出した。光球が目の前に立つ邪神に向けて放たれた。
 ユリウスとユリアの攻撃を受けさしもの暗黒神も呻き声をあげた。今までの傷もあるのだろう。その巨体が一瞬グラリと揺らいだ。
 セリスはそれを好機と見た。白い炎を宿らせたティルフィングを両手で強く握り締め全速で駆け出した。
 跳んだ。これも剣のちからであろうか。背にツバサが生えたかの様であった。
 苦しみもがく暗黒神の頭上を越えた。剣を逆手に握り直しそのまま急降下する。剣が向けられたその足下には角をはやした漆黒の頭があった。
 空中で一度大きく振り被った。竜の眉間へ向けて渾身の力を込めて突き降ろした。
 根本まで突き刺さった。セリスも竜もその動きが止まった。時がその刻みを止めたかの様であった。
 セリスは根本まで突き刺さった剣をゆっくりと引き抜いた。剣身を包んでいた白い炎は徐々に消えていき完全に消え去った。
 暗黒神から飛び降りる。着地し今しがた渾身の一撃を加えた敵を見る。
 竜の頭を白い炎が包んだ。その炎はすぐに首や胸、翼、やがては全身を包み込んだ。
 暗黒神は白い炎の中に消えていった。炎がその最後の一片を消した時竜もまたその姿を消していた。
「やった、か」
 レヴィンは思わず会心の笑みを漏らした。諸将が一斉にセリスに駆け寄る。
 セリスはその輪の中にいた。皆喜びを分かち合っている。中には涙を流している者もある。辛く長い戦いが今ようやく終わったのだ。
 城の内外からも勝利と戦いの終わりを喜ぶ声が木霊する。ユグドラルを覆っていた闇の帳が振り払われ光が取り戻されたのだ。
「夜明けか」
 気が付けば月が姿を消し暁が姿を現わそうとしていた。その中ユリウスは一人輪の中に入らず階段を降りようとしていた。
「一人で行くのか」
 誰も気付かなかったがレヴィンだけが気がついていた。他の者に知られることなく呼び止める。
 ユリウスは黙って頷いた。だがレヴィンは言った。
「一人で行くより二人で行った方が良いだろう」
 この言葉に流石のユリウスも驚いた。しかしレヴィンはまた言った。
「それが御前の歩むべき道なのだ。今までの罪を償うのならばその方が良かろう。どうだ?それを選ぶのも選ばないのも御前の自由だが」
「・・・・・・・・・」
 ユリウスはしばし沈黙し考え込んだがやがて頷いた。レヴィンはそれを見て微笑んだ。
 勝利を祝う声が木霊する。それは新たな時代の到来を告げる声でもあった。



遂に全ての根源であった暗黒神を倒したセリス。
美姫 「操られていたとはいえ、自らの犯した過ち故に、人知れず立ち去るユリウス」
兎も角、こうして新たな時代を迎える事となる。
美姫 「いよいよ、物語は本当に最後の時を」
次回、いよいよ最終話。



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