第十幕 闇の血脈


 シアルフィ平原において対峙した翌日解放軍九十万と帝国軍三十三万は同じシアルフィ平原において再び対峙した。だが今回は単なる顔合わせではなかった。両軍の将達がそれぞれの軍が睨み合うその中間点で武装し立ったまま会談を行なっていた。その内容は無論講和などではなかった。改めて宣戦を布告する為の会談であった。
 古来よりユグドラルにおいては戦端を開くにあたり双方の将達が一同に会しその場において宣戦を布告するのが慣わしとなっていた。これは最後のその場で戦乱が生ずるのを何とか防ごうという考えによるものだがユグドラルにおいては由緒正しい騎士としての儀礼となっていた。マンスターにおける解放軍とトラキア軍のそれもである。だがこの様な慣わしは戦争においては己が野心を遂げんとする野心家達にとっては無意味なだけでなく邪魔なものであった。そういった輩達によりこの宣戦の会談は無視されるようになった。
 とりわけアルヴィスはそうであった。彼は今まで叛徒を討伐すると称してこの会見を持ったことが無かった。その彼も今では一連の謀議が明るみになったことにより彼自身が簒奪者、反逆者として非難され討伐される側となってしまった。会談を申し入れてきたのは帝国側であったがアーダンやアレク等シグルド以来の将達は宣戦なぞ行なわず謀反人としてアルヴィスを討伐すべしとセリスに提案したがセリスはこの申し入れを受けることにした。それが騎士として正しい在り方だと思ったからである。
 バーハラにおいてのアルヴィスの騙し討ちをよく知る彼等は何かあれば帝国軍の将達を皆殺しにしそのうえで帝国軍を一兵残らず掃滅出来るように武装を整え服の下に鎧や暗器を仕込ませ軍を臨戦状態に置いた。そのうえで解放軍と帝国軍の将達、セリスとアルヴィスの会談が執り行なわれた。
「よく私の申し出に応じてくれた、セリスよ。このアルヴィス心から礼を言おう」
「はい」
 父の仇、と思った。だが憎しみは生じなかった。むしろアルヴィスから発せられる力強く、かつ熱い気に惹かれるものさえ感じていた。
「それにしてもそちらから会談を申し出されるとは流石にお見事な神経ですな、アルヴィス卿」
 オイフェが言った。皇帝とあえて呼ばなかった。
「今度は一体どの様な奸計をお考えですか?」
 オイフェは敵意を露わにしている。
「オイフェ・・・・・・」
 制止しようとした。だがそれ以上言葉を出せなかった。
 オイフェだけではなかった。解放軍のどの者もアルヴィスと帝国軍の諸将を憎悪の眼差しで睨んでいたのだ。
 無論セリスも帝国を嫌っていた。だがそれは帝国の悪行を嫌っていたのであり帝国の者を嫌っていたのではなかった。当然憎んでいたのでもない。
 だがセリスの様な考えを持つ者は少なかったのだ。
 人間の業の一つとして憎しみがある。これは罪や悪といった抽象的なものより人や物等実質的なものに向けられる。それはその対象として実体の無いものよりあるものの方が向けやすい。
 罪を犯した者や悪人ばかりがこの世にいるわけではない。だが人間という不完全な思考回路を持つ生物は憎しみの対象をしばしば憎む者がいた組織のそれとは直接関係の無い者や罪を犯したわけでもない縁者にまで向ける。それが今まで多くの陰惨な悲劇を引き起こしてきたにも拘わらず、だ。
 この時それを知ったセリスは幸運であった。後に彼がユグドラルを治めるにあたりこの認識が大いに生きた。その事が彼を『聖王』と後世の歴史家や詩人達に称えさせることになるのだがこの時神ならぬ彼はその事をまだ知らなかった。
 セリスはオイフェを制した。そして向き直り改めてアルヴィスと向かい合った。
 アルヴィスも自分に向けられている強烈な憎悪の念の強さをよく認識していた。だがそれを表には出さなかった。
「今日この場に来てもらったのは他でもない。この度の卿の我が帝国に対する反乱の事だ」
 アルヴィスの言葉に対しセリスは一言も発しない。アルヴィスは言葉を続ける。
「速やかに兵を解き投降するならば罪は問わぬ。卿をシアルフィ公、及び帝国軍務相に任じ他の者達の地位と安全も保障しよう」
 セリスはまだ一言も発しない。
「受け入れられぬか?ならばグランベル帝国皇帝の名において卿等を叛徒として征伐せねばならぬが」
 セリスはその言葉に対しゆっくりと口を開いた。
「叛徒は・・・・・・アルヴィス皇帝、貴方ご自身です」
 アルヴィスの眉がピクリ、と動いた。セリスは続けた。
「貴方が先の大戦においてランゴバルト公やレプトール公等と結託しクルト王子を謀殺し大陸各地に兵乱起こさせその罪を我がシアルフィに着せ死に追いやった事、アズムール王を暗殺した後帝位を簒奪し各国を滅ぼし虐政と弾圧により多くの罪無き人々の命を奪ってきた事は天下の知るとおりです」
 セリスの弾劾の口調は淡々としている。だがそれが一層非難の強さを増していた。
「その悪を討ち滅ぼし私の祖父と父、そして貴方により自らの命や愛する者を奪われた者達の無念を晴らす為に・・・・・・。アルヴィス皇帝、私は貴方と貴方が帝位に就いているグランベル帝国に対し宣戦を布告します」
「・・・・・・そうか」
 わかっていた事だった。アルヴィスは動ずる事無く儀礼に従い言葉を発した。
「良かろう。卿の申し出を受けよう。只今より我がグランベル帝国と卿等シアルフィは戦争状態に入る」
 言葉を続ける。
「それでは騎士として互いの家紋と武器を見せたい。よろしいか?」
「はい」
 セリスは頷いた。
 双方の後ろに控える軍勢の中からそれぞれの家紋を掲げた大軍旗が高々と掲げられる。両者はそれを見て次の儀礼に移った。
 双方の盟主が互いの武器を見せ合う。これは自軍と敵軍に己が力量を誇示する為に行なわれる剣や斧、槍や弓等は出すだけで良い。杖や魔道書といった魔法ならば手に出して見せなければならない。
 セリスは腰からティルフィングを抜いた。鞘から抜かれた剣が白銀の光を発する。
(パルマーク、やってくれたな)
 アルヴィスは眩いばかりに輝く神器を見て口の端だけで微かに笑った。だがこれは誰にも気付かれなかった。今度はアルヴィスも見せる。ゆっくりと構えを取り両手の平からファラフレイムの赤き炎を出す。
 だが出なかった。アルヴィスの顔に驚愕が走る。慌てて手の平に目をやる。しかしそれでも炎は出なかった。
「やはりな。今までの悪行の報いだ。アルヴィス、貴様はファラ神に見放されたのだ」
 レヴィンが言った。
「な、何っ!?」
 冷徹に言い放たれたその言葉に両軍の将達も驚愕する。皇帝の手から聖なる炎が発せられぬ事に帝国軍の兵士達も動揺する。
「ダーナにおいて十二神が十二聖戦士にそれぞれ授けた神器は十二神の分身。石を持ち己を所有すべき者をそれぞれの血脈の中から選ぶ。力強く志正しく高き者が持てばそれだけその力を引き出す事が出来る。だが神器を持ちし者が邪な心を持ちはじめたならばその力は弱くなりやがては見放され力を出せなくなる。アルヴィスよ、最早貴様は聖戦士ではない」
 そう言うと懐から何かを取り出した。それは夜の様に黒い表紙の魔道書であった。
「貴様に残されたのは暗黒神の血のみ、闇と結託し暗黒神の現身であるユリウスを生み出した貴様が最も忌むべき暗黒神の血だ」
 その書をアルヴィスの足下に投げ付けた。
「使え。貴様が使うに相応しい闇の魔道だ。それも暗殺用のポイズンの魔法だ。どうだ?今まで奸計と謀略に生きてきた貴様の為にあるような魔法だ。喜んで使え」
「レヴィン・・・・・・」
 セリスはレヴィンのあまりにも冷徹な言葉を咎めようとした。しかし彼の緑の瞳の光が冷たくそれでいて怒りで燃え盛っているのを見て沈黙した。
「セリス、同情などすることはないぞ。御前の父と二人の祖父はこの男により死に追いやられたのだ。御前の目の前に立つ者は自らの野心、いや弱さにより多くの者の命を犠牲にした。セイラムを見よ、サラを見よ、己が血脈から逃げず自らの信念をもって戦っている。だがこの男はそれに怯え逃げ、それと引き換えに多くの者を殺した。聖戦士でもヴェルトマーの当主でも皇帝でもない。単なる卑劣漢なのだ。さあどうした?早く使うがいい。それとも魔法ではなくまた陰謀を使うつもりなのか?」
 容赦なく続けられるレヴィンの鞭の様な言葉をセリスとクロードが制した。二人のとりなしで会談はとりあえず終了となった。帝国軍は逃げるように帰って行った。
 シアルフィは言うまでもなくセリスの故郷である。シグルドの地である。先の大戦の後反逆者であるバイロン、シグルド父子を出した地として冷遇されてきた。いや、それは迫害というべきか。かっての主を懐かしむ気持ちと迫害への反発により反帝国感情は以前より強かった。アルヴィスによる一連の謀議が公にされた時は今にも大規模な反乱が起こりそうな状況であった。その地に今アルヴィスと帝国軍はいた。
 会談より数日、会談でのことは既にシアルフィの者達の耳にも入っていた。そして目と鼻の先のユングヴィには主であるセリスと彼が率いる解放軍の大軍がいる。彼等は今やセリスがその軍と共にシアルフィに帰って来るのを当然の予定として考えていた。それは帝国軍に対してはっきりと態度で示されていた。
 補給されてくる食糧や武具が多量に紛失した。それは何時の間にか解放軍の方へ流れていた。
 帝国軍の情報を解放軍に流す者が続出した。昼には鳩が、夜には馬が次々とユングヴィへ向かっていった。
 シアルフィ城内や野営地で露骨なサポタージュや嫌がらせが始まった。居酒屋の親父は帝国兵の酒に一服盛り腐ったものを出した。夜の巡検の上から汚物が落とされ飯炊きや雇い人が金や食糧を持って消えた。
 こういった事が次々と起こった。帝国の戦闘能力は急激に失われようとしていた。しかもこのシアルフィの市民達の行動に対し帝国軍は全く何も出来なかった。何かすればそれが即大規模な反乱になり帝国軍の方がその中に潰されかねない状況にあった。
 この事態に帝国軍の最高幹部である十一将は御前会議を開く事をアルヴィスに提案した。彼はそれをよしとした。
 内城の会議室における御前会議は紛糾した。一人一人がそれぞれ今後の行動について異なる意見を持っていた。様々な意見が出るがどれも結果が見えていた。やがて十一将の顔を暗雲が覆いはじめる。
「もう良い、これ以上の議論は不要だ」
 それまで沈黙を守っていたアルヴィスが口を開いた。
「我が軍は最早絶望的な状況にある。どう動いても我々を待つ運命は決まっている。これでは犬死にになりかねぬ」
「・・・・・・・・・」
 一同俯いた。アルヴィスの言う事は真実をついていた。
「こうなってしまったのは全て私の責任だ。報いは私だけが受ければよい。皆までもが受ける必要は無い」
 言葉を続けた。
「只今をもって帝国軍は解散する。皆故郷に帰るなり新たなる道を見つけるなりして幸せに暮らせ。私などの為に命を捨てる必要は無い」
 皆何も言えなかった。アルヴィスの心を痛い程よく解かっていたからだ。
「今まで私などの為によく働いてくれた。だが別れの時が来たのだ。セリス皇子は若いながら仁徳を兼ね備えた人物、卿等の事を決して粗末にはすまい。これからは新しい世の為に生きよ」
 そう言うと席を立った。
「さらばだ」
 扉の方へ行き部屋を出た。後には俯いた十一将だけが残った。
「・・・・・・・・・」
 何も話さない。いや、話せなかった。しかし一同のその顔に何かが宿った。
 互いに顔を見合わせ頷き合う。そして席を立った。
 深夜であった。城を出る一人の男がいた。
(今行けば昼にはユングヴィ城のシアルフィ軍の陣に着くな)
 男はアルヴィスであった。意を決した顔である。
(私ひとりが死ねばそれで全てが終わる。こうするのが最も良い方法だ。さて・・・・・・)
 野営地を見回す。手頃な良い馬を検分している。その時だった。
 野営地に灯りがボッ、と灯った。
(ムッ!?)
 それは一つではなかった。二つ、三つと暗闇の中に灯る。すぐにそれは見渡す限りの炎となり夜の闇を払った。
「陛下、何処へ行かれるのです」
 灯りの下には帝国軍の将兵達がいた。先頭に立つ十一将の中央に立つオテロが進み出てきた。
「シアルフィ軍の待つユングヴィへ向かわれるおつもりでしょう。我々も御供させて下さい」
 フォードが言った。
「そなた達・・・・・・。軍は解散したと言った筈だが」
「何を冷たい事を言われるんですか」
 ザッカリアは主君の言葉を笑い飛ばして言った。
「我等炎騎士団は陛下に忠誠を誓ったのです。陛下ご自身に」
 ラダメスも言った。
「私に・・・・・・?主君を暗殺しその罪を無実の罪に着せた簒奪者の私にか?聖戦士の血を引きながら暗黒教団と手を結び大陸を血の天幕で覆った私にか?」
 アルヴィスは半ば自嘲するように言った。
「守護神にまで見放され神器も使えず暗黒神の血脈しか残っていない私にか?」
「それが一体どうしたというのです」
 ジェルモンは主の言葉を打ち消した。
「陛下は他の大陸より流れ着いた者や奴隷の者であろうとも暖かく迎えられ重く用いて下さいました。奴隷を解放し貴族の横暴を抑え弱き者達に生き方と力を活かす道を示して下さいました。今の我等があるのも陛下の御力あってのことです。その御恩を忘れたことは一日たりともありませぬ」
 キンボイスが言った。彼は元々はヴェルトマーの闘技場に売り飛ばされた剣奴隷であった。
「ここにいる者は皆陛下と共に生き共に死ぬ事を望んでいる者達ばかりです。炎騎士団三十三万ヴァルハラまで陛下の剣となり盾となりましょう。そうであろう、皆の者!」
 アイーダの声に三十三万の将兵が一斉に応えた。その声が夜のシアルフィに木霊する。
「そなた達・・・・・・」
 アルヴィスはこの時ようやく悟った。自分を信じついてきてくれる者がこれだけいるという事の幸福と有り難さを。そして今までそれに気付こうとしなかった己の独りよがりと思い上がりを。
(本当に愚かな男だな、私は。今まで側にこれだけ私を信じついてきてくれる者達がいたというのに気付くこともなく生きてきたのだからな)
 顔を上げた。目の前には瞳を輝かせアルヴィスを見る将兵達がいる。彼の口から命令が発せられるのを今かと待ち望んでいるのが解かった。
「全軍すぐに出撃の準備に取り掛かれ。我がグランベル帝国に反旗を翻す反逆の輩達を殲滅する」
「進撃する場所は?」
 アルヴィスはフェリペの問いに対し会心の笑みで答えた。
「決まっていよう、ユングヴィだ。あの地に集結しこのシアルフィを奪わんとするシアルフィ軍を撃破し帝国千年の礎を
築くのだ!」
 アルヴィスの言葉に帝国軍の将兵達が地を揺るがさんばかりの大歓声で応えた。やがてその歓声は皇帝万歳、皇帝万歳の合唱となっていった。

ーユングヴィ北東解放軍野営地ー
 帝国軍動く、の報はユングヴィ北東において陣を張る解放軍の許にすぐに届いた。セリスはその報を本陣に置かれた大天幕の中で受けた。
 大天幕の中には解放軍の諸将が集まっていた。その中には円卓や椅子は置かれてはいなかった。燭台に照らされた中には端々に解放軍の旗が立てられ諸将はその中で武装したまま立っている。これといって整然と並んでいるわけではない。だが盟主であるセリスは後ろに掛けられたシアルフィの軍旗を背に解放軍の中心であるシャナン、オイフェ、そしてレヴィン等と共に上座といってよい場所に立っていた。
 諸将はセリスの口から来るべき時が来た事が告げられるのを固唾を飲んで待っていた。そしてセリスの口がゆっくりと開かれた。
「皆、心して聞いて欲しい。たった今帝国軍がこのユングヴィに向けて進軍してきているとの報告が入った」
 場がさらに静まり緊迫し、空気がその度合いを一層高めた。セリスは一同を見渡した後話を再開した。
「兵力は三十三万、全ての兵力を投入してきた。そしてヴェルトマーの大軍旗が掲げられている」
 それが何を意味するか、解らぬ者はいなかった。
「帝国軍は我が軍の奇襲に警戒しつつ進撃してきている。あと数日でこのユングヴィに達するだろう」
 さらに続ける。
「我が軍としてはこのまま手をこまねいているわけにはいかない。全軍をもって帝国軍を迎撃する」
 そこまで言うと一息つき目を閉じた。そして目を開くと声量を高めて言った。
「出撃は明朝、皆今日はゆっくりと休んで英気を養ってくれ」
 腰に吊り下げているティルフィングに手を掛けた。そしてそのままサッと引き抜き右手で高々と掲げた。白銀の光が辺りを照らす。
「この戦いでユグドラルの運命が決する。皆、持っている力を全て出し切るつもりでこの戦いに挑んでくれ!」
「おおーーーーーーっ!」
 一同その手にする武器や拳を掲げ叫ぶ。それは勝利を手にせんと奮い立つエインヘリャルの雄叫びのようであった。

 翌日日の出と共に解放軍は陣を発った。黄金色の光がその進軍を照らす。戦史に永遠にその名を残し後世の多くの芸術家達に描かれてきた『シアルフィ平原の戦い』がいよいよ幕を開けようとしていた。




いよいよ、決戦の時が迫る!
美姫 「果たして、この戦いの先に待っているものとは」
次回も楽しみです。



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