第八幕 金銀妖瞳


 ーシアルフィ城ー
 青い宮殿の中の城主の間においてアルヴィスは四つの絵を見ていた。
 見ればどれも肖像画である。彼はそれ等の絵を一つ一つ見ていた。
「父上・・・・・・」
 最初の絵は赤い服に身を包んだ紅髪の男性である。髪は長く波打ち顔には険がある。先代ヴェルトマー公にしてアルヴィスの父ヴィクトル公である。
 幼い頃から母に手を上げ多くの愛人を持っていた父を憎く思っていた。だが父の母に対する辛いまでの愛と執拗な自身に対する苦悩を知った今では愛している。
「母上・・・・・・」
 薄紫の髪の神秘的な美しさを持つ女性であった。アルヴィスの母シギュン、闇の血脈に生まれ夫とクルト王子への二つの愛に揺れ不幸を招き寄せてしまった母。
 何時か必ず帰って来ると信じていた。帰って来た幸福を知らなかったとはいえ自らの手で打ち壊してしまった。
「ディアドラ・・・・・・」
 母と同じ薄紫の髪の儚げな女性である。
 真実を知ったのは彼女が世を去ったその時だった。自分の腕の中で目を閉じようとする彼女が兄と自分を呼んだ時全てを悟った。そして自分が今の今まで、そしてこれからも道化でしかないことも。
「アゼル・・・・・・」
 最後は赤い神と瞳を持つ若者であった。優しい微笑みを自分に対して向けているように見える。
 父と母が自分の前から去った後アゼルだけが家族だった。シグルドとレプトール公の戦いの後戻って来たがバーハラの戦いの直前に自分が陰で行なってきた謀略を知りシグルドの下へ走った。それが永遠の別れとなった。別れた袂は二度と戻らなかった。野心の為にかけがえのないものを失ってしまった。
「結局私は愚かな道化だったのだ。他の者を見下しながらも何もわかっておらず何も見えてはいなかった。この世にいる誰よりも愚かな男だったのだ」
 目を閉じ自嘲を込めて言った。言葉に無念さと血が滲んでいる。
 扉を叩く音がした。入るように言った。
 一人の騎士が入って来た。サッとヴェルトマー式の敬礼をした。
 それを手で制した。用件を聞いた。
「パルマーク司祭が来られました」
 かってシアルフィの司祭を務めバイロン、シグルド二代に渡って仕えてきた男だ。誠実で謹厳な人物として知られている。
 入るよう言った。程無くして白髪の小柄な老人が連れて来られた。
 顔中皺だらけである。青い法衣に包まれた身体はその上からでも痩せ細っているのがわかる。白い髪は薄くなり弱々しく法衣に覆い被さっている。
 騎士に退室するよう言った。後には二人だけが残った。
「久し振りだな、パルマークよ」
「・・・・・・・・・」
 答えようとはしない。主を陥れ死に追いやった男など本当なら見たくもないのだ。
「答えぬか。まあ良い。卿に渡したいものがある」
「渡したいもの・・・・・・」
 パルマークはようやく口を開いた。
「そうだ。祭壇の底に隠されているものだ」
「何故それを・・・・・・」
 パルマークはその言葉にハッとした。
「私とて聖戦士の直系だ。それ位すぐにわかる。そしてこれがどういう意味かわかるな」
「・・・・・・・・・」
「それを持って城に残されている子供達を連れて逃げろ。追っ手が来ぬうちにな」
「は・・・・・・はい」
 パルマークはその身体からは考えられぬ速さで部屋を後にした。アルヴィスはそれを見届けると今度は別の者を呼ぶよう命じた。

 ユリアが入って来た。ペルルークで双瞳の老人にさらわれて以来アルヴィスが全力を尽くして手元に保護していたのだ。それには理由があった。
「御父様・・・・・・」
 自分と父と呼んだ。紫の瞳が潤んでいる。
「私、全てを思い出しました・・・・・・」
「そうか」
 唇を噛む。滲み出る血が悔悟の血となり口中を満たす。
「あの日マンフロイ司祭に連れて行かれたユリウス兄様は戻って来られた時別人の様に禍々しい魔力に包まれていました。そして私を殺そうとしそれを庇った母様が倒れられ最期の力で私を・・・・・・」
 粒の様な涙が零れ落ちる。アルヴィスはそれを見てうなだれた。
「私は馬鹿だった。マンフロイに踊らされているとも知らず・・・・・・。気付いた時には全てが手遅れとなっていた」
「御父様・・・・・・」
「御前には済まない事をした。私を恨んでいるだろうな」
「そんな・・・・・・」
 ユリアは首を横に振った。
「私にとって御父様はイツまでも優しい御父様です。いつも可愛がって下さった・・・・・・」
「御父様か・・・・・・」
 アルヴィスはその言葉に唇を再び噛み締める。両方の拳が強く握られる。悲しい苦渋が顔に満ちる。
「ユリア、最後に一つだけ言っておきたいことがある」
「えっ・・・・・・」
 そう言うとそっとユリアの左の瞳に自分の右手の平を当てた。そして何かしら唱えると白い光が手の平から溢れ出した。
「見なさい」
 鏡を手渡した。ユリアが覗き込むとそこには信じられないものが映っていた。
「そんな・・・・・・」
 鏡に映るユリアの右の瞳は元の紫だった。だが左の瞳は・・・・・・違っていた。
「こんな・・・・・・」
 父も兄も瞳の色は赤である。アズムール王やクルト王子は黒だったという。これはバーハラ王家の色だ。左の瞳はどの色でもなかったのだ。
「御父様、これは・・・・・・」
「その瞳の色を御前はよく知っている筈だ」
 アルヴィスは顔を俯けて言った。ユリアから顔を背けている。
「あっ・・・・・・」
 すぐに悟った。この瞳の持ち主を。それはいつも自分を包んでくれた心優しき騎士の瞳であった。
「その瞳はシアルフィの瞳だ。ユリア、御前はシアルフィの娘なのだよ」
「それではセリス様は・・・・・・」
「そうだ、セリス皇子は御前の実の兄、そして御前の本当の父は・・・・・・かって私が陥れバーハラの戦いで死に追いやったシグルド公子なのだよ」
 ユリアの心が割れた。地に落ち砕け散った。今までの自分が自分ではなかったのだ。それまで父と呼んでいた人がそうではなかった。何もかもが嵐の中の花の様に乱れ様々な色彩が心を不規則に染めていった。
「かってマンフロイが私の前にディアドラを連れて来たとき既に御前は彼女の中に宿ろうとしていた。そしてユリウスも宿った。
「・・・・・・御前とユリウスは双子だが父が異なるのだ。・・・・・・あの子は私の忌々しい闇の血脈を受け継いでしまった」
「そして私が光の・・・・・・」
「そうだ。私が謀殺していったヘイムの血だ。・・・・・・ここにいるのは御前の父ではない。お前の父と二人の祖父、そして御前の一族の者達を次々と殺した卑劣な簒奪者だ。・・・・・・私を恨み、憎むだろう。私は御前にそうされる事をしてきたのだからな」
 アルヴィスはそう言うとユリアに背を向けた。最早顔を見せる事すら値しないと思ったのだ。
 だがユリアは違っていた。アルヴィスの背に歩み寄るとその両肩にそっと手を置いた。
「ユリア・・・・・・」
「御父様をどうして恨んだり憎んだり出来ましょう。いつも私に優しくして下さった御父様を」
「・・・・・・済まぬ」
「そして御父様は私の御父様です。私のお友達であるアルテナ王女が私に言われた事があります。私には父が二人いるのだと。それでは私も御父様が二人おられる事になります。シアルフィとヴェルトマーの」
「ユリア・・・・・・」
 目からは流れなかった。だが心で泣いた。涙が止まることなく溢れ出てきた。この優しい少女に、自身の罪をも包んでくれたこの少女の心に対して。涙は止めどなく流れた。
「ユリア・・・・・・」
「向き直った。紫と青の瞳が自分の顔を見上げている。
「パルマーク司祭と共に早く逃げなさい。そして御前の兄のところへ帰るんだ」
「はい・・・・・・」
 ユリアはそれに対し静かに頷いた。これが最後の別れだと思った。だがその時であった。
「これは困りますな」
 不意に声がした。しわがれた老人の声だ。二人はハッとして声のした方を振り向いた。
 そこには黒い渦が生じていた。それは次第に大きくなり人程の大きさになった。見れば二人を取り囲む様にそれと同じ渦が幾つも生じていた。渦からあの男が出て来た。
「その娘はナーガの血を引く者。逃がすわけにはいきませぬ」
「マンフロイ・・・・・・」
 アルヴィスが彼の姿を認めて呻く様に言った。
「しかも独断で子供達まで逃がしてしまわれるとは。この様に勝手な事ばかりされては困りますな」
 彼は口の端を歪めて言った。
「勝手な事だと!?」
 アルヴィスはその言葉に顔を歪ませた。
「貴様は私が誰だかわかって言っているのか!」
 語気を荒めた。だがマンフロイはそれに対して怖れもしない。否、侮蔑でもって返したのだ。
「フン、何時まで皇帝でいるつもりだ」
 それは皇帝に対する物言いではなかった。蔑みと嘲笑と悪意で濃く味付けされた醜い料理であった。まるで用済みとなった死にかけの家畜に対する様な言葉であった。
「貴様はユリウス様の使い捨ての駒に過ぎぬ。忌まわしきファラの血筋とはいえ皇家の血を引くからこそユリウス様も我等も今まで生かしておいたのだ。それを忘れるな」
「クッ・・・・・・」
 何も言い返せなかった。今の自分がどれだけ無力な存在であるか、それは他ならぬ彼自身が最もよくわかっていたからだ。
「フン、ようやくわかりおったか、この愚か者が」
 マンフロイはそう言うと渦の中から出て来ていた周りの者達に目配せをした。暗黒の司祭達がユリアを取り囲みアルヴィスから引き離す。
「連れて行け」
 彼は強い口調で命令を出した。ユリアは両手を暗黒司祭達に掴まれ何処かへ連れさらわれようとする。
「御父様・・・・・・っ!」
 悲痛な声だった。しかし父はその娘の声に対して苦渋に満ちた表情を浮かべるしかなかった。
「ユリア、済まない・・・・・・。今の私には御前一人救う力さえ無いのだ。だが・・・・・・」
 懐から何かを取り出した。それは黄金色に輝くサークレットであった。
 彼はそのサークレットを魔力で宙に浮かばせた。それはそのまま浮遊しユリアの小さい頭に覆い被さった。
「これは・・・・・・!?」
 ユリアはそれを見上げて問うた。
「御前の母、ディアドラの形見だ。御前の身に何かあったならば必ずや御前を救ってくれるだろう」
 彼は静かに言った。
「何をしておる、早く連れて行け!」
 痺れを切らしたマンフロイが部下達に命令した。ユリアは左右の手を掴む暗黒司祭達と共に黒い渦の中に消えていく。
「御父様・・・・・・!」
「ユリア、これが最後になる」
 父は娘に対して言った。
「私とディアドラの分まで生きろ。決して私のような愚かな道を歩んではならぬ」
「はい・・・・・・」
「そしてこれだけは知っていてくれ」
 彼は言葉を続けた。
「私は何時までも御前を見守っている。そのことだけは忘れないでくれ。そしてユリウスを・・・・・・」
 その時だった。
「あっ・・・・・・」
 ユリアの声がした。彼が言い終わらぬうちに彼女はその黒い渦の中に消えた。それを合図にマンフロイや他の暗黒司祭達も次々と渦の中に消えようとしていた。その時マンフロイが部下達に別の命令を発していた。
「この城から逃げた子供達を追え。見せしめとして一人残らず殺してしまえ!」
「ハッ!」
 司祭達は渦の中で敬礼するとそのまま姿を消した。後にはアルヴィスだけが残った。
「少女一人の命すら救えないとは・・・・・・。これも罪の報いか」
 アルヴィスは誰もいなくなった大広間で一人呟いた。
「私がこの世で果たすべき事はもう殆ど残ってはいないな。残された事は・・・・・・」
 南西の方の窓を見た。
「因果の決着を着ける事だけか。そして・・・・・・」
 後ろの壁を振り返った。そこにはヴェルトマー家の炎の紋章があった。
「炎を本来の場所に戻しておかねばな」
 紅の炎の紋章、魔法戦士ファラにより定められたヴェルトマー家の紋章である。かっては悪しきものを焼き滅ぼす正義の炎と称されていた。だが今は邪悪の炎と呼ばれ蔑まれている。
「そうしてしまったのは私自身だ。野心と保身に狂い多くの者を血の中に沈めてきたのだからな」
 首に架けているペンダントの中を開けた。そこには中世的な容姿の青年の肖像画がある。壁にかけられている青年と同じだ。
「アゼル・・・・・・御前は今の私を見てどう思うかな」
 自嘲して笑った。力の無い弱々しい笑いであった。
「言わずともわかっているか。やはり御前が正しかった。私はそれすらもわからぬ愚者だった・・・・・・」
 アルヴィスは力無い足取りで部屋を後にした。夕闇が迫る中大広間は黒い色彩の中に消えていった。



ユリアに告げられた驚愕の真実!
美姫 「連れ去られたユリアは、無事にセリスたちの元へと戻れるのかしら?」
非常に気になる〜。
美姫 「それじゃあ、また次回で」



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