第四幕 ターラの花


 レンスター地方西南に位置するターラはトラキアとレンスター間の貿易で栄える商業都市として知られている。土地は肥え豊かな作物が採れ、西には天然の良港と漁港を控えている。王制を敷かず、ターラ公爵家を市長とする共和制と君主制の中間の様な独自の政治体制を採っている。先の動乱のフリージ軍進駐の折には中立を宣言し自主性を守る事に成功した。しかしターラ公がリーフ王子を匿った咎で帝国に惨たらしい拷問によって処刑されると帝国が送り込んできた代理公主とターラ公の娘リノアン公女を立てようとするターラ市民達との間で対立が生じターラは一触即発の状況となった。だがイシュトー王子がメルゲン城主になりレンスター西方の統治を行なうようになると代理公主は廃されターラに大幅な自治を認めるようになった。ターラに平安が戻った。だがそれは表面的なものであり市民の間には依然反帝国、反フリージ感情がくすぶり続けていた。それが表面化したのはシアルフィ家のセリス公子率いる解放軍によるイザーク解放であった。これにより勇気付けられたレンスター王家の遺児リーフ王子の挙兵に呼応する形でターラにおいてもフリージからの独立の気運が立ち込めてきた。それを見て口実とばかりにトラキア軍が侵攻の気配を見せてきた。これ等の動きに対しイシュトーはイリオス将軍と二万の軍を派遣したがターラは城門を閉ざしフリージ軍を入れようとはしなかった。数日後トラキア軍の精鋭竜騎士団がターラ南に現われターラを包囲するフリージ軍と睨み合う形となった。ターラ、フリージ軍、トラキア軍、三つの勢力の間で膠着していた。

 −ターラ城ー
 ターラ城は厚く高い三重の城壁に囲まれた城塞都市として知られており、その堅固さは難攻不落をもって知られているレンスターの諸都市の中でも群を抜いていた。そのターラの一番外側の城壁の上に一人の少女が立っていた。
 腰まである桃色の髪と赤紫の瞳を持つ気品のある非常に美しい少女である。手袋も上着も足首まであるスカートやマントも全て白で統一されている。この少女こそが前ターラ公爵の娘リノアンである。年齢はセリスと同じ位か。凛とした、だが憂いを含んだ表情で城壁の外を見ている。外には城壁を取り囲むフリージ軍とその外で陣を張るトラキア竜騎士団が見える。
 「リノアン様、あまり外に出られてはいけません、危のうございます」
 市民達が城壁の上のリノアンの姿を認め思わず駆け寄る。
 「すいません・・・・・・。少し考え事をしておりましたので・・・・・・」
 レンスターを流れる河の様に澄んだ美しい声である。その声に市民達は今まで元気付けられてきたのだ。
 「リノアン様に何かあっては私達は今まで耐え忍んできた意味がありません」
 「そうです、リノアン様は我等の宝です。リノアン様あってのわし等です」
 市民達は口々に言う。そんな市民達にリノアンはうっすらと微笑んだ。
 「皆、有り難う」
 だがすぐにその顔を憂いの帳が覆った。
 「・・・・・・けれど御免なさい。皆をこんな危機に追いやってしまって」
 「危機!?」
 市民達は一斉に笑った。
 「何言ってんですか、あんなフリージの雑兵なんてめじゃありませんよ」
 「そうですよ、わし等にはこの城壁と武器、それにリノアン様がおられます」
 「トラキアの奴等なんかこの弓で射ち落としてやる」
 「そしてトラバントの野郎からグングニルを奪い取ってやるんだ」
 「そうとも、あのハイエナ野郎には神器なんぞ勿体無いわ」
 リノアンは勇気付けてくれる市民達に思わず涙を落としそうになった。しかし泣かなかった。
 「皆・・・解かりました」
 リノアンは必死の思いで喜びの表情を作った。
 「頑張りましょう、セリス公子がターラに来られるまで!」
 市民達がおおっと叫び声をあげる。リノアンはその喚声の中胸のペンダントを握った。幼い頃父が誕生日のプレゼントにくれた物である。
 (父上、ターラを御護り下さい・・・・・・)
 少女は密かに祈った。

 セリス達解放軍はメルゲン城を発ち一路ターラへ向けて進軍していた。その速さは十四万の大軍とは到底思えぬ程であり一人の落伍者さえ出していなかった。
 「行こう、皆!ターラを救うんだ!」
 セリスは軍を激励しながらターラへ進む。軍は整然と並び剣や槍が煌いている。それをオルエンとフレッドは黙って見ている。
 「・・・・・・」
 「どうしたのよ二人共、黙りこくっちゃって」
 セリスと二人の間に入る様に パティがニョッキリと顔を出した。
 「わっ、卿は何だいきなり。失礼ではないか」
 面食らったオルエンが慌ててパティに抗議する。
 「失礼?大体捕虜なのにセリス様と同行したいっていう事自体おかしいんじゃないの?」
 「何っ、私はただセリス公子が騎士にあるまじき不埒な行いをしないかどうか監視に来ているだけで・・・・・・」
 「ふ〜〜〜ん」
 パティはまじまじとオルエンの瞳を見る。
 「な、何だ!?」
 「素直じゃないなあ」
 「何!?」
 「本当はセリス様が好きなんでしょ。だからメルゲンでじっとせずにわざわざターラまで一緒について来るんだ」
 「ば、馬鹿を言うな。何故私が帝国に弓引く反逆者を・・・・・・」
 「そう言う割りにはこの前セリス様に包帯を変えてもらった時紅くなってたじゃない」
 「あ、あれは敵に情をかけられた屈辱で赤くなっていたのだ!」
 「まあセリス様は誰に対してもそうなんだけど。かどいい加減素直になったら?何時までも捕虜のままじゃ嫌でしょ?」
 「どういう意味だ?」
 「解放軍に入ったらって誘ってんのよ」
 「き、貴様ぁ!」
 オルエンは頭から湯気を出し懐から白手袋を取り出すとそれをパティに投げ付けようとする。フレッドが驚いて後ろから両腕を羽交い絞めにして制止する。
 「お止め下さい将軍、敵軍の真っ只中ですぞ!」
 「ええい、止め給うなフレッド殿、この騎士道をわきまえぬ不埒なシーフに思い知らせてくれるのだ!」
 「あ〜〜〜ら・・・・・・」
 尚も言い返そうとするパティをレスターとロナンが止めに入った。
 「止めろ、馬鹿。捕虜とはいえ客人に対して何て事言うんだ」
 「とにかく二人共落ち着いて。今は進軍中ですよ」
 レスターが後ろからパティの口を塞ぎロナンがオルエンを前から押さえる。
 「気が付いたらちょっかい出しやがって、一体誰に似たんだ」
 「ヴェルダンの父様と母様よ」
 「ヴェルダン!?ヴェルダンの人達は皆大人しくていい人達ばかりだと父上と母上にお聞きしているぞ。どうせ御前なんかオーガヒルの九官鳥と一緒に育ったんだろう」
 「九官鳥!?失礼ね。これでも私はユング・・・・・・」
 五人の間に今度はシャナンが入ってきた。目を固く閉じこめかみをピクピクと震わせている。
 「・・・・・・とにかく先へ進もうな」
 「解かりましたあ」
 それを少し離れた場所でダグダとオーシン、タニアの三人が歩いていた。
 「本当にパティって口が減らないわね」
 タニアは誤認を見ながら嘆息混じりに言う。
 「誰かさんみたいだな」
 オーシンがポツリと呟く。
 「・・・それってあたしの事?」
 ジロリとオーシンを見上げる。
 「さあなあ」
 オーシンの素っ気無くではあるが的確な皮肉にタニアは切れた。
 「・・・・・・あたしの何処が口が減らないっていうのよ!」
 「それが口が減らない、って言うんだよ!」
 「フン、この短絡男!図体ばかり大きくなって頭の方は空っぽなくせに!」
 「空っぽ!?そういう御前はこの前メルゲンをメガデルなんて言ってただろうが!」
 「そんな小さな事言うの!?でかい図体してせこいのね!」
 「何ィ!?」
 「やるの!?」
 「止めないか二人共」
 ダグダが巨大な両手でタニアを抱え上げる。タニアは両手両足をじたばたとさせもがく。
 「全く顔を合わせたらすぐ喧嘩するなあ」
 ハルヴァンがオーシンを羽交い絞めにながらぼやく。
 「本当に皆さん仲がいいですね」
 ユリアが周りを見ながらにっこりと微笑む。
 「・・・・・・あんた今何言ったの?」
 ジャンヌが目を点にしてユリアに言った。
 「はい、皆さん仲がいいですね、と」
 ジャンヌにも微笑んだ。
 「・・・・・・それ今のあたし達見て言える?」
 見るとジャンヌは林檎を巡ってラーラと取っ組み合いを演じており間にマナが入っている。
 「ええ。とっても」
 「・・・一体何処を見て言ってんの?」
 ラーラがマナに離されながらユリアに言った。
 「解放軍の皆さんを」
 「本気!?」
 マナもようやく二人を引き離した後言った。
 「はい、喧嘩する程仲が良いというじゃないですか」
 「だけどね・・・・・・」
 ユリアはまた微笑んだ。
 「喧嘩してても皆さん助け合って笑いながらやっておられるでしょ。仲が悪いとそんな事出来ませんもの」
 「う・・・・・・」
 三人は絶句した。的を衝いていたからだ。
 「ユリア〜〜〜」
 「はい〜〜〜い」
 フィーとフェミナに呼ばれユリアはそちらへ行った。そこでは カリンとフェルグスが何やら言い争いをしていてアーサーとアミッドが間に入っている。マナは彼女の後ろ姿を見送りながら言った。
 「ユリアって凄い天然なんだけれど言う内容は鋭いのね」
 ジャンヌも同調した。
 「あと何か雰囲気がセリス様にそっくりなのよね。ぽや〜〜〜〜っとしてるけどね」
 「あ、そういえば」
 ラーラも頷いた。
 「何でだろ?」
 三人はいささか疑問に思ったが隣でパーンとリフィスが言い争いを始めた為そちらの収拾に向かった為その疑問も忘れた。

 フリージ軍二万はターラ城を包囲しながらトラキア竜騎士団と睨み合っていた。フリージ側は自分達の力だけで解決出来ると主張しトラキアに帰るよう言うがトラキア側は是非助力したいと言い陣を解こうとしない。
 「糞っ、何が何でもターラに介入したいらしいな」
 イリオスはターラの南に陣を張るトラキア軍を望遠鏡で見つつ忌々しげに呟いた。
 「どう為されますか?トラキアの申し出を受けますか?」
 将校の一人が尋ねる。
 「馬鹿を言え。そんな事をしたら報償とか何とか理由をつけられてターラが掠奪されるぞ。その時に工作員を送り込んで我々が去った後ターラが何かトラキアに仕掛けたとか言って侵攻して自分の領地にするに決まっている。しかもターラの市民を皆殺しにしてな。まさかトラバント王のやり方を知らないわけじゃないだろう?」
 「はい・・・・・・」
 「だからここは無理にでもトラキアに退かせるんだ。さもないと多くの血が流れる事になる」
 イリオスはその将校に説き聞かせた。今度はターラの城壁を見た。
 「トラキアさえ退けば後はターラと交渉するだけだ。リノアン公女は若いながら聡明な人物だし状況を見れば矛を収めてくれるだろう」
 「将軍、大変です!」
 そこへ伝令の将校が一人入って来た。
 「どうした?」
 「あちらを・・・・・・」
 将校が指差したのはトラキア軍の陣地だった。イリオスは再び望遠鏡を覗いた。そこにはレンスター、いや大陸の全ての者が忌み嫌う災厄の紋章があった。
 「グングニルを中央にあしらったこげ茶の大旗・・・・・・。トラバント王か。連中何が何でもターラを手中に収めるつもるだな」
 「将軍、これは容易ならざる事態になりましたな」
 「ああ・・・・・・」
 将校の言葉に頷きながら大旗を見ていた。

 竜騎士団の歓声に包まれ三頭の竜が大地に降り立った。
 最初に降り立ったのは長い赤茶色の髪を風にたなびかせた背の高い女騎士だった。茶の瞳を持ち燃える様な唇を持つ大人びた美しい顔立ちである。赤い軍服に白いズボンと漆黒のブーツ、そして白マントを身に着けている。
 次に降りてきたのは長く豊かな茶色の髪と黒の瞳を持つ端正で涼しげな顔立ちの青年である。深い青の軍服に同じ色のズボンを着、濃灰のマントを羽織っている。ブーツは軍服と同じ色である。引き締まった長身の持ち主である。
 最後は濃緑色の長髪に切れ長の黒い瞳を持つ長身の壮年の男である。濃い緑の軍服とズボン、こげ茶のズボンを身に纏い、くすんだ赤のマントを羽織っている。その左手には塚に豪奢な装飾が為され刃の両端には円月状の刃が取り付けられた槍がある。これこそトラキア王家に伝わる十二神器の一つ天槍グングニルである。それを手にする者は一人しかいない。そう、彼こそユグドラル大陸にその悪名を轟かせている竜王トラバントその人であった。
 『トラキアの南には野獣が棲んでいる』
 大陸の者は言う。それはトラバント王の事を指しているのは言うまでもない。その軍略と武勇はかって聖戦で活躍しトラキア王国の祖となった十二聖戦士の一人竜騎士ダインに勝るとも劣らないと言われている。だがダインが神格化すらされているのに対しトラバント王のそれは悪名と呪詛ばかりであった。
 その理由はトラバント王のやり方にあった。彼は勝利の為には手段を選ばず平然と相手を欺き陥れてきた。非戦闘員、女子供、老人問わず手にかけた。各地で戦乱が起こると傭兵として介入し戦利品と称し掠奪の限りを尽くした。
 仲でもレンスター軍との間で行なわれた『イードの戦い』はトラバント王の悪名を大陸全土に知らしめる事となった。戦いの前の年にレンスターとの間に不戦条約を結んでいたにもかかわらずイード砂漠盟友シグルド公子の援軍に向かうべく妻エスリン王女と共に槍騎士団を率い北上キュアン王子を条約を反故にし急襲した。エスリン王女はトラバント王に殺され連れていた愛娘アルテナ王女を奪われた。娘の命を楯にトラバント王は要求した。死ね、と。
 娘を楯に取られたキュアンはゲイボルグを棄てグングニルに胸を貫かれた。精鋭槍騎士団は一人残らず戦死しアルテナ王女はトラバント王により放り投げられグングニルで刺されたと言われている。
 この卑劣極まる行いに皆口々にトラキアを批難した。粗暴で知られたダナン公子や冷徹なブルーム公子、帝国の実権を掌握していたアルヴィス公でさえ露骨に嫌悪感を示し批判した。
 だがトラバント王はそれに一切構わずレンスター侵攻を開始した。マンスター宰相 グスタフ候、コノート将軍レイドリック男爵等の内応を誘い例によって奸計でレンスター王カルフとレンスター、コノート連合軍をマンスター北に葬ると一挙にマンスター、コノート、そしてレンスターを落とし掠奪の限りを尽くした。多くの市民や農民を殺し、王族や有力貴族達の一族を幼子に至るまで全てレンスターの民達の前で首を刎ね晒しものとした。その中にはリーフの祖母の姿もあった。
 勢いに乗りアルスターへ侵攻し城を包囲した。これでトラキア制覇は成ったと思われた。しかしこの時帝国の軍勢がレンスターへ到着した。圧倒的な帝国の大軍の前にトラキアは止む無く兵を退き条約を結んだうえで帝国の同盟国となった。
 今でもトラバント王の名を聞けば心ある物は皆顔に嫌悪の色を浮かべる。しかし祖国トラキアでは違った。これといった産業も無く貧窮に苦しむトラキアの民にとって祖国を豊かにする為自らグングニルを手に戦うトラバント王は祖国を救う英雄であった。だから竜騎士団は王を歓呼の声で迎えたのだ。
 万歳の声が響き渡る中トラバント王は本陣となっているひときわ大きな天幕の中へ入っていった。将校達が一斉に右手を肩の高さに横に上げ肘から上を直角にに指を合わせ手の平を掲げるトラキア式の敬礼を取る。
 王はそれを手で制しながら天幕の中央に置いている机へ向かった。机の上にはターラ城を中心とした地図が置かれている。城の周囲にはフリージ軍を表わす緑の駒が置かれその南にはトラキア軍を表わす濃茶の駒が置かれている。
 「どうやらフリージの奴等、我等の力を借りるつもりは無いらしいな」
 トラバント王は地図を見ながら言った。
 「まあ良い。口実なぞ幾らでも作れる。フリージが動いたらわし等も動くぞ」
 王は天幕まで連れて来た二人の若者の方を見た。王の左右でそれぞれ地図を見ている。
 「アリオーン」
 右の男の若者を呼んだ。
 「貴様は三千の兵を率い軍の右翼となれ」
 「はい」
 「アルテナ」
 左の女の若者を呼んだ。
 「貴様は三千の兵を率い左翼となれ」
 「解かりました」
 「中央の四千はわしが率いる。ターラの富は我等がものぞ!」
 「はっ!」
 将校達は敬礼し持ち場へ移っていった。後にはアリオーン、アルテナが残った。
 「良いか、上手くいけば富だけでなくターラも我等が手中に入る。気を引き締めていくのだぞ」
 トラバント王は後ろに控える二人の方を向き言った。
 「父上、ターラの民は如何致します?」
 アルテナが王に問うた。
 「決まっておる、従うなら良し、逆らうなら皆殺しだ」
 王は平然と言い放った。
 「しかし父上、それでは世の者がまた父上を・・・・・・」
 「フン、それがどうした」
 王は傲然と言い放った。
 「世の者共が何を言おうと何と思おうと知った事か。奇麗事を言う暇があったら槍の練習でもしておればよいのだ」
 「ですが父上、近頃諸国は傭兵として来た我等の掠奪を警戒して監視を付けるようになっております。いささかやり方を考えるべきかと」
 アリオーンも父王を窘める様に言った。だが王はそれを聞き入れようとしない。
 「アリオーン、だから御前は甘いというのだ。そんなものは無視すればよい。大体傭兵を雇っておいて何を言っているのだ」
 王はさらに続ける。
 「アリオーン、アルテナ、御前達二人はトラキア統一の為にわしの両腕となるのだぞ。そんな事でどうするのだ」
 「・・・申し訳ありません」
 「浅慮でした」
 二人は答えた。王は二人に言った。
 「良いか、明日からターラ及びフリージ軍への工作を強化する。そして斥候をより広範囲に出すぞ。それ等の指揮は御前等が執れ」
 「はっ!」
 二人は敬礼し天幕を出た。既に夜となっていた。篝火の中二人は見回りの兵士達の敬礼を受けながら陣の中を歩いていた。アルテナはふとアリオーンに話し掛けた。
 「・・・・・・兄上、どう思われます?」
 「何がだ?」
 少し眉を顰めるアルテナに対しアリオーンはあえて表情を消して言った。
 「父上のお考えです」
 「父上の?」
 「はい。父上は手段を選ばれず武器を持たぬ者達でも容赦無く手にかけられます。これは武人として間違っているのではないでしょうか?」
 「アルテナ」
 表情が厳しいものになる。
 「は、はい」
 アルテナも思いもよらぬ兄の厳しい表情と声に少し困惑した。
 「御前は父上の御本意が解っていない」
 「父上の・・・・・・。それは・・・・・・」
 「いずれ解る時が来るだろう。いずれな。だが御前はその時・・・・・・」
 「その時?」
 アリオーンの表情は次第に暗くなっていったがアルテナの言葉に彼は表情を元に戻した。だがそれは無理に戻したようだった。
 「・・・・・・いや、何でもない」
 「はい・・・・・・」
 何かある、と感じたがアルテナはそれ以上聞かなかった。
 「もう夜も遅い。今夜は休もう。明日から激務が待っているぞ」
 「はい」
 アルテナは敬礼し自身の天幕に向かった。アリオーンはその後ろ姿を見ながらポツリと呟いた。
 「因果は巡る、か。血は争えないか・・・・・・」
 そして彼も自らの天幕へ戻った。

 翌日トラキア軍の動きは活発化した。偵察の竜騎士がフリージ軍のすぐ近くの場所や思いもよらぬ遠方まで飛び不穏な動きが一層顕著になった。それに対しフリージ軍もターラも警戒を強めた。
 「フフフフフ、見ろ。フリージもターラも我等の一挙手一投足に慌てふためいておるわ。馬鹿な奴等よ」
 トラバント王は竜に乗り天空を舞いながら傍らの竜騎士に言った。その眼下にはターラ城とそれを包囲するフリージ軍がある。
 「奴等の間で衝突が起こるのは時間の問題よ。そうすれば我等の思うつぼだ」
 不敵な笑みを浮かべる。その白い顔が陽に照らされより白くなる。見ると陽が既に高く昇っている。
 「陽も高く昇ったか。そろそろ陣へ戻り休みを取りその後また作戦を練るとするか」
 「はっ」
 「アリオーンとアルテナにも伝えよ。陣に戻り軍議に出よと」
 二騎の竜騎士がそれぞれ左右に飛んだ。王が竜騎士達を連れ陣へ戻ろうとしたその時だった。
 「陛下、大変です!」
 一騎の竜騎士が血相を変えて飛んできた。
 「何事だ?」
 普段は至って冷静な男である。それが酷く狼狽している。何かある、そう確信した。
 「・・・何かあったな。申してみよ」
 「は、はい・・・・・・」
 騎士は呼吸を整え落ち着きを取り戻してきた。そしてターラの北西を指差した。
 「あれを・・・・・・」
 「むっ!?」
 望遠鏡を取り出して見た。そこにはトラキア思いもしなかった者達がいた。解放軍であった。

 解放軍の大軍がターラに現われた事によって事態は一変した。待ちに待った援軍にターラ市民達は狂喜し城の守りは更に堅固なものとなった。トラキア軍は動きを止めターラ城を挟んで解放軍と睨み合う形となった。
 とりわけ微妙な立場に置かれたのはイリオス率いる二万のフリージ軍だった。今まではターラを牽制しつつ兵力的に劣るトラキア軍と交渉していたのが新たに圧倒的な兵力を持つ敵軍が後方に現われたのだ。兵士達は浮き足立ち部隊を率いる指揮官達もイリオスの下に集まり軍議を開いていた。
 「正直言って勝ちめはありません。このままでは我が軍はターラ、トラキア、シアルフィに攻められ全滅です」
 参謀の一人が天幕に掛けられたターラの地図を棒で指し示しながら意見を述べる。イリオスはそれを黙って聞いていたがやがて口を開いた。
 「他に何か考えのある者は?」
 いなかった。皆同じ事を考えていた。
 「・・・・・・だろうな。北西にはシアルフィ軍、南東にはトラキア軍、我等には最早逃げ場は無い」
 イリオスは更に話を続ける。
 「かと言って戦って死のうにも何故レンスターの者がグランベルの為に死ななくてはならないのか、と考えているな」
 その通りだった。この軍はほぼ全員がレンスター出身の者で構成されており将校達もそうであった。イリオス自身もアルスターの市民の家の出身である。
 「となれば考える事は一つ、降ろうと。だがレンスターの宿敵トラキアに誰が降ろうか。それならレンスター解放の為に来たシアルフィ軍の方がいいな」
 イリオスの話の内容はここにいある指揮官の考えを完全に把握しているものだった。皆一言も発せられなかった。
 「さて、どうする?ここで犬死するか解放軍に降り生き長らえるか、だな」
 イリオスは指揮官達を見た。皆下を向き黙りこくっている。
 「前置きが長かったが言おう。シアルフィ軍にはリンダ王女もおられる。例え投降してもそれはフリージ家への裏切りにはならない」
 一同の顔が明るくなった。それを見てイリオスはニヤリ、と笑った。
 「今から我等はターラを守る為、イシュトー殿下の願い通りリンダ王女を御護りする為、そして憎きトラキア軍と戦う為解放軍につくぞ!異存は無いな!」
 異存は誰にも無かった。それどころか叫び声が木霊した。翌日の朝イリオスは解放軍へ赴きセリスと会見し投降の意を表わし片膝を着いた。セリスはすぐに彼を立たせ二万の兵共々解放軍の一員として迎え入れた。

 新たに二万の兵を加えた解放軍はターラ城へ入城した。市民達は解放軍を歓喜の声で迎え街は喜びに沸きかえった。
 大歓声の中セリス達は街の大通りを進み公爵家の館の前に来た。白を基調とした大人しい造りである。全体的に質素であるが気品漂う館である。階段の上に褐色の樫の木で造られた扉がある。扉がゆっくりと前へ開いていく。その中から可憐な少女が現われた。
 「初めまして、セリス公子。ターラのリノアンです」
 「貴女がリノアン公女・・・。僕はセリス。解放軍の盟主を務めています」
 二人は互いに礼をして返した。リノアンはペコリと頭を下げセリスはシアルフィ式の敬礼をした。リノアンが階段を降りセリスへ歩み寄って来る。
 「ターラに来て頂き有り難うございます。市民に替わって御礼申し上げます」
 美しい笑みを浮かべる。今までの深い憂いをたたえたものではなかった。
 「いえ、トラキア軍の非道さは我々も良く知っております。彼等を再びレンスターに入れるわけにはいきません。それに窮地に陥っている者を救わないのは騎士の行いではありません」
 「セリス公子・・・・・・」
 「リノアン公女、城の守りを我等が任う事をお許し下さい。トラキア軍を退けてみせます」
 「はい」
 解放軍本軍は夕方にターラに入城した。城内だけでなく城外にも多くの兵が布陣していた。陣はトラキア軍の方を向いており明らかに彼等に対抗していた。城の内外から志願兵が殺到しその数は千を越えた。
 そんな中黄昏のターラでミーシャとアズベルは街中を二人で歩いていた。夕食は何にしようか、と話し込んでいる。
 「アズベル君は何が食べたいの?」
 ミーシャは周りの店を見回しながらアズベルに聞いた。アズベルは少し考えながら言った。
 「え〜〜っと・・・。パスタかなあ」
 「パスタ?」
 ミーシャが尋ねた。
 「はい。麦を練った生地を麺にしたり煙管みたいな形にしたりしたのを茹でて色んなソースをかけて食べるものらしいです」
 「ふうん、美味しそうね」
 「はい。それに何処でも食べられる手頃な料理らしいですよ」
 「よし、それにしましょ。そうね、あのお店なんか良さそうね」
 「はい」
 『ファルスタッフ』と書かれた大きな看板を掲げた店に二人は入ろうとしていた。その時だった。
 店の窓から木製の椅子が投げ飛び続いて皿やフォークが飛んできた。店の中から何やらけたたましい喧騒の声が響いてくる。
 「まさか・・・・・・」
 解放軍の誰かかも、ミーシャは夜になる度に起こる解放軍の面々のドンチャン騒ぎに思いを巡らせた。それが発展して喧嘩になったとも考えられる。
 「ラクチェかしら?それともホメロスさん・・・・・・。タニアやヨハルヴァさんも危ないか・・・・・・。なんかこんな事には候補者が多いわね」
 フゥッと溜息をつき右手で髪をかき上げながら店の方へ歩いていく。その後をアズベルがついていく。
 店の入口の扉が思いきり叩き壊された。中から二人の男が取っ組み合いながら出てきた。
 「どうやらうちじゃないみたいね」
 ホッと安堵の表情を浮かべた。
 「けれどお店の方は迷惑してますし見て見ぬふりは良くないですよ」
 「解かってるわ。さて、と」
 腰帯から剣を鞘ごと取り外した。できるだけ相手を傷付けないようにするつもりである。その時だった。
 「止めるんだ、この様な公衆の場で」
 壊れた入口から一人の男が出てきた。黒い長髪と細面の白面が店の入口から溢れ出る灯りで照らされる。瞳の色は黒の様だ。紫の丈の長い上着の下に水色の服とズボンを着、腰には大きな剣を下げている。
 「どうしてもというのなら私が相手になるぞ。このイザークのシャナンがな」
 「えっ!?」
 ミーシャとアズベルは思わず顔を見合わせた。
 「何だ、手前は」
 「シャナム?知らねえな」
 男の眉がピクリと動いたようだ。
 「・・・・・・フ、死にたいらしいな」
 「やかましい!」
 「お前が死ね!」
 「愚かな・・・・・・」
 男はフッと口の端だけで笑うと腰から剣を抜いた。片刃の剣だ。
 酔っ払い達が襲い掛かって来る。男が動いた。
 男と二人の酔っ払い達が交差した。酔っ払い達は動かなかった。やがてゆっくりと崩れ落ちた。
 「安心しろ。みね打ちだ」
 剣を鞘に納めた。
 「これぞ十二神器の一つ神剣バルムンク、流石だな」
 男は得意げに語る。ミーシャとアズベルは男に歩み寄ってきた。
 「あの、すいません」
 アズベルが声をかけた。
 「ん、何かな?悪いがサインなら勘弁してくれ給え」
 「そうじゃなくて・・・・・・」
 「ん?」
 「・・・私達解放軍なんだけど」
 ミーシャが前にでてきた。
 「何ィ!?」
 かくして男は二人に捕まりシャナンの前に突き出された。
 「私も有名になったものだな」
 シャナンはクックック、と笑いながら言った。特に怒っているわけではないようだ。
 「シャナン様、笑い事ではありませんぞ。この男貴方様の名を騙り何かとつまらぬ事をしていたらしいのです」
 オイフェが縛られて小さくなっている男を前にシャナンをたしなめる。
 「まあそう言うな。どうやら悪い奴ではなさそうだしな。そうだ、名は何というのだ?」
 「・・・・・・シャナムです」
 男は俯いたまま答えた。しゅんとしている。
 「そうか、シャナムか。名前まで似ているな。何だか気に入ったぞ。おい、我が軍に入るつもりはないか」
 「え!?」
 今度はシャナムの方が驚いた。てっきり斬り捨てられるとばかり思っていたのにまさか解放軍に入るよう勧められるとは。しかも名を騙った当の本人から。
 「嘘・・・・・・でしょ!?」
 「嘘なものか。話を聞いたらそこそこ腕はたつし正義感もある。是非うちに入って欲しい。どうだ?」
 「よ、喜んで!」
 二つ返事で承諾した。元々シャナンに憧れて名を騙っていたのだし。
 「しかし、私の物真似だけは止めてくれよ」
 シャナンは悪戯っぽくウィンクして言った。

 ターラ城とその外の無数の篝火をトラバント王は竜の背から忌々しげに見ていた。
 「おのれっ、わざわざ我が軍に対して敷いておるわ。シアルフィの小僧っ子が」
 「どう為されますか。夜襲を仕掛けますか?」
 「無駄だな。兵力差がありすぎる。それに夜襲を察して守りをしかと固めておるわ。見よ、あの陣を」
 王は暫し考えていたがやがて傍らの騎士の方へ振り向いた。
 「シアルフィの小僧に伝えよ。会見の場を設けたいとな」
 王は笑っていた。何か良からぬ策を計っている、それを感じさせるふてぶてしい笑みだった。

 「どうしよう、オイフェ」
 トラバント王の申し出はすぐにセリス達の下へ届いた。それを聞いたセリスは側に控えていたオイフェに問うた。
 オイフェは暫し考え込んだ。トラバント王の奸計はよく知っているつもりだ。全く信用出来ない。だが会見の場での交渉次第ではトラキア軍をターラから撤退させ軍をレンスターに向けられる。悪い話ではない。しかしリスクも大きい。どうすべきか、オイフェは思案を巡らせた。
 「場所は?」
 シャナンが問うた。
 「我が軍の陣中です」
 使者は素っ気無く答えた。絶対何か企んでいる、オイフェは直感した。だがそれを破る策はある、決断した。
 「セリス様、お受け致しましょう。トラバント王は大陸にその名を知られた御方、一度お会いしてみるのもよろしいかと存じます」
 セリスはその言葉に頷いた。
 「よし。使者殿」
 セリスは騎士の方へ向き直った。
 「トラバント王にお伝え下さい。この申し出謹んでお受け致します、と。明日の正午にはそちらへ向かいます」
 「我が君の申し出お受け頂き有り難く存じます。それでは」
 使者はトラキア式の敬礼をし自軍へ帰っていった。部屋を出る時微かに笑ったのをオイフェは見逃さなかった。
 「オイフェ、おそらくトラバント王は何か良からぬ事を考えているね」
 セリスは使者が去った後オイフェに言った。
 「おそらく。あの男のやりそうな事です」
 「けれども僕に会見の申し出を受けるように言ったのは何か考えがあっての事なんだろう?それは・・・・・・」
 「はい、それは・・・・・・」
 オイフェはセリスだけでなく諸将も集めて言った。夜が更けた。運命の陽が明けた。
 



セリスとトラバント王の会談…。
美姫 「果たして、どんな事が待っているのかしら」
トラバント王は一体、何を企んでいるのか。
美姫 「全ては次回!」
という訳で、一足先に次回へ〜。



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ