昨日発生した国連軍横浜基地保有の演習場内におけるBETA出現によって防衛線内の警戒態勢を大幅に強化する運びとなったのは、国連極東方面軍のみならず日本帝国軍および帝国斯衛軍も同様であった。
ついては戦術機を中心とした機甲戦力の増強は必須要素であり、かつ即戦果を挙げることに繋がる手段として横浜基地で開発中の新型OSの早期採用が城内省にて非公開ではあるが決定された。
その先駆けとして白羽の矢が立ったのが、月詠真那率いる第十九独立警備小隊であった。基地上層部とは非公式のパイプラインで繋がっている日本帝国陸軍は根回しも早く、彼女達の乗機である武御雷はOSの換装作業を始められていた。そのため、12.5事件の折に殿下の警護として帝都まで同行していた第十九独立警備小隊は横浜基地にとんぼ返りする羽目になったがこれも任務である。
XM3。
新世代型制御システムと謳われるそれの性能は、昨日の一件における被害状況を見れば一目瞭然だった。
戦術機大破…4機。中破…8機。衛士死亡数…13人。
演習に参加して戦闘に巻き込まれた戦術機の数はゆうに五十機を超えている。その全ての戦術機が『非武装であった』にも係わらず、過半数が無傷といっていい状態で生還したのだ。今までの常識から見れば劇的な数値である。
しかし―――――
「奴の考案したものが、そんなに不服か? 中尉」
「いえ、そういうわけでは」
アルフィ・ハーネットに図星をつかれ、真那は眉をひそめた。二人は今、基地の屋上で顔を合わせずに並んで立っている。眼下の廃墟と、その先に広がる太平洋より吹き上げる風が二人の髪を大きく揺らし、その乱れを正す仕草は見る者が居れば流麗さに見惚れることは間違いない。
「奴は日本人でもなければ、JFKの所属でもないのでありましょう? そんな輩の造った物など……」
「実際に造ったのはこの基地の技術者と副司令だがな」
「う」
「それに白銀武の身元は私が保証している。あまり酷いことを言ってくれるな」
彼の者が計画に必要な人材であり、円滑に事を進めるために様々な情報操作を行なっていることは真那も多少は聞き及んでいる。それでもあの男が白銀武だということを認めたくは無かった。考えるだけで胸のわだかまりが一層重くなる。
「奴が、あの時の少年などと……」
「言わんとすることは分かる。お前がかつて出会った子供が、アイツなのかもしれんことはな。だが今は私情を挟むべき時ではないだろう」
「は。無礼をお許しください。ところで特尉?」
質問を返す真那は、普段の彼女に戻っていた。
「特尉は特別任務で、千葉の官営工場へ参られるご予定だったはずですが?」
「そのことか。二つアクシデントがあってな、出立は明朝となった。期間も繰上げだ」
「アクシデント、といいますと?」
「一つは弐式の搬出が手間取っていることだ。昨日、白銀の奴が無茶をやってくれたおかげでな。向こうの技術班にオーバーホールを頼むことになった」
何せ近接短刀だけでBETAの群れに突入した挙句、無手で奴らと取っ組み合いの大乱闘をやらかしたのだ。おかげで機体の基本フレームはもとより、各部関節の駆動系、推進装置、各種センサーなどなど、何から何まで総点検せねばならなくなった。
元々精密機械の塊である戦術機の駆動系は非常に複雑な構造を持っており、柔軟な動きを可能とする反面、技術的にも物理的にも克服しがたい脆さがある。よほど熟達した衛士でなければ、武のような格闘戦を行うと関節や骨格は磨耗して最後には機能不全――――『イカれて』しまうのだ。
そうして消耗した部品を交換するにも上記の通り構造の複雑さが仇となり、装甲を全て取り外して大々的なオーバーホールを行なわざるを得ないことも少なくない。
「戦闘映像は先ほど拝見致しました。私も神代たちも驚くやら呆れるやら」
「あれでも一応JFKの機甲部隊にいた男だ。もっとも、あんな芸当をやってのける馬鹿はそういないが」
「…………それで、もう一つの厄介事とは?」
果たしてアルフィは黙り込んでしまった。よほど言い辛いことなのだろう、目を伏せ……一拍置いて話し始めた。
「神宮司軍曹が亡くなった。今朝方のことだ」
「彼女が……まさか、昨日の襲撃で?」
「戦闘終了後、演習場内の管制施設などを巡回中に残存していた小型種に襲われてな。救援は間に合ったのだが、その時の負傷が原因だったらしい」
属する陣営は異なれど、一度は肩を並べて戦った仲である。軍曹の人としての器量と衛士としての技術、そして同じ日本人として一目おいていた真那だけに驚きも大きかった。
しばし沈黙がその場を覆いつくす。
「月詠。一つ、頼みがある」
「何か」
「今日手が空いたらでいい。白銀に会ってやってくれないか」
如何に彼女の頼みと言えど、こればかりは安請け合いは出来なかった。一斯衛兵として、スパイ容疑の掛かっている人間と不用意に接触することは立場上抵抗があったのだ。
無論、個人的な感情を交えるのであれば絶対に御免被りたいぐらいなのだが。
「何故……そのようなことを?」
「一番ショックを受けているのは奴だ。最期を看取ったことに要らぬ責任を感じているはず。それに腑抜けたままでは困るからな、できれば今日中に立ち直らせてやってほしい。それと――――」
「それと?」
「月詠の探している答えを、奴なら知っているかもしれん」
沈み始めた夕陽が影を作り、世界を闇に染めてゆく。
人の気配を失った町並みは漆黒の帳に飲まれて一色と化す中を、真那の瞳は彷徨うのだった。
MUV−LUV Refulgence
~Another Episode of MUV−LUV ALTERNATIVE~
W.パラダイム・ドライバー
明朝七時五十二分。
中隊専用のブリーフィングルームに集められたA02ことイスミ・ヴァルキリーズ中隊のメンバーは、普段参加しない香月副司令の登場に困惑の色を隠せなかった。彼女の表情は隊長である伊隅大尉と共に暗く、険しい。それが一同の心を震撼させる前触れだったとは、知る由も無かった。
今日から正式に配属となる207訓練小隊B分隊のメンバーの紹介よりも先んじて、伊隅は簡潔に事実を述べた。
「神宮司軍曹が亡くなった」
主語と述語が一つずつ。極めて短い言葉の中に、彼女達に深い悲しみをもたらす一つの結末が示されていた。自然とどよめきが起こる。
「先日のBETA奇襲の折、敵殲滅後に演習場内を巡回中だった軍曹は残存していた兵士級BETAと遭遇。敵個体は警備部隊の救援によって撃破したが、彼女は右腕を負傷した。その傷が原因でICUへ搬送され、今朝方容態が急変……間もなく死亡した」
今朝方、つまりたった今のことだ。自分達が起床し、朝食を摂り、こうしてブリーフィングルームに集合している間に敬愛すべき師は命を散らせていた。
衝撃に震えるヴァルキリーズの面々に、さらに夕呼が追い討ちをかけた。
「それから一つ、付け加えておくわ。軍曹が奴らの餌にならずに済んだのは、最後まで巡回を続けていた白銀少尉がいち早く事態を察知し、身を挺して彼女の救助を試みたからよ。大陸帰りの衛士は、警報が解除されたからって早々に退散するアンタ達と格が違うということをよく憶えておきなさい。この件は、副司令として中隊の能力を疑わざるを得ない結果であるということもね。
ついでに白銀は特別任務でしばらく基地からいなくなるから、合流は一週間後になるからそのつもりで」
「連絡は以上だ。質問は一切認められない。ブリーフィングを始めるぞ」
冷静に徹する伊隅の声は、震えていた。
「あんたも人が悪いわね。汚れ役はあたしの領分だってのに」
ブリーフィングを終え、シミュレータールームへ移動する伊隅を捕まえて夕呼は言った。つい先ほど、中隊の面々にあれだけの毒舌振りを発揮していたとは思えないほど落ち着いた態度だ。
「自分も現場に立ち会った以上は、これぐらい当然でしょう。第一……」
伊隅は一瞬だけ振り返り、抱えた苦悩に眉をひそめる。
「我々は白銀に、彼女のすべてを押し付けてしまった」
彼を英雄に仕立てることで、背負う業をさらなる重荷にしてしまった。全ては全体の効率を重視した結論。周囲には決して悟られてはならない、指揮官としての判断だった。
◇
「それで、彼はどうだね?」
司令専用のオフィスで、黒皮のチェアに座るパウル・ラダビノットは内線を通じてそう尋ねた。一介の衛士について慎重になる司令官は珍しいかもしれないが、その衛士が人類を全滅の危機から救うキーパーソンならば話は変わってくる。少なくともラダビノットは、そう副司令である夕呼から聞かされていた。
『今は処置室で眠っています。あと一、二時間もすれば意識も回復するかと』
「状況を発見した伊隅大尉の通報が午前の七時前。それから各種処置を受けた後に我々の事情聴取……昨日の戦闘から一睡もしていなかったことを鑑みれば、超人的な精神力と評するべきか」
普通は消毒処置中に一度は眠ってしまうものなのだが(静脈注射される薬物の性質上、眠気を催してしまう)、処置を行なった衛生兵の話では白銀少尉は一度も眠らなかったのだという。
「それで、問題はないのかね?」
ラダビノットの言わんとすることは、すなわち今後も彼が衛士として戦い続けられるのか――――――計画にとって重要な役割を果たすことが出来るのかどうか。
もし白銀武が使えないというのであれば、日本帝国陸軍と合同で発案されたあの計画も一から見直さなければならない。今日から予定されていた彼の特殊任務もその計画の一端であるならば、尚更のことである。
『心配はご無用ですわ、司令』
「ほう」
『この程度で逃げ出すような男を、私が使うとお思いですか?』
そして内線は切れた。皮肉交じりの香月夕呼の声は、僅かに最後だけ上ずっていたことに……ラダビノットは正直安堵したのだ。
「やはり、お互い鬼にはなり切れんな」
今から十年以上も前のことだ。かつて大陸戦線にてある基地の指揮官に赴任した頃のことを思い出す。
赴任から一年も立つと補給は来なくなり、司令部との連絡は途絶え、彼と共に戦い続けてきた基地の兵士達も残り僅か二百余名まで減っていた。そのうち三割から四割は収容した避難民からの志願兵だった。兵士達は往々にして若く、必ずBETAを殲滅して平和な時代を取り戻すのだと、その瞳は希望に輝いていた。
戦術機による対BETA戦略がようやく一定の戦果をもたらすほどになって間もない頃で、祖国が米国から購入したF‐15『イーグル』が当時は最新鋭機だった。まだラプターが登場していない時代の話である。
BETAとの戦闘で負傷し、手足を失い、もはや死を待つばかりの兵士たちに安息を与えてやることは、ラダビノットにとって彼らにしてやれる最後の手向けだった。
そうして身を粉にして戦い続けた数多くの戦士たちの無念を背負い、ついには国連の准将という地位まで上り詰めた。だが現実として今も昔も若者を死地へ追いやるばかり……此度の件もラダビノットにしてみれば、本来ならば自分が担うべき役割だったと悔いるものだ。
―――――願わくば、その行く末に光あらんことを。
彼に今してやれることは、そう祈ることだけだ。
◇
うっすらと目を開ければ、そこはもう見慣れた医務室のベッドの上だ。恐ろしく長い時間眠っていたのか、夢に出ると思っていた○○○ちゃんの最後さえ、俺は見ることはなかった。
周りに人の気配はない。医務室の時計はすでに夜の九時を少し回ったところだ、そりゃあ衛生兵の人だって晩飯ぐらい……
「そういや、腹減ったな」
昨日の演習の前の水飲んだっきりか。PX、まだ食うもん残ってっかな?
とりあえず着替えは、と。ご丁寧なことに用意してあった尉官用の制服は綺麗なもんで、返り血なんか全然付いてなくて……
「う、ぐっ!?」
猛烈な吐き気が腹のそこから一気にせり上がって来る。
待て、何で制服に返り血が――――いや、そもそも一体誰の血だってんだ?
(何を、俺は何を忘れているんだ!?)
とても大きくて大切なことが、頭の中からぽっかり抜け落ちてる。まるで脳みそをごっそりとくり貫かれた様な感覚だ。クラクラして立ってられないぜ。
「そう、だ……大切なことを……」
大切なことを、言おうとしたんだ。
でも、駄目だった。
(駄目って、なんだよ)
もうここには居ないから。
死んでしまったから。
「死んだ……」
何故死んだ?
どうやって?
どんな風に?
どんな顔して?
どんな気持ちで、どんな、どんな、どんな、どんな、どんな、どんな、どんな、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナ、ドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナどんなドンナ―――――
殺された。
殺した。
この手で。
俺の手で―――――――――!
「うわぁぁあアァァァァァァァァアァァァァァァァァァァッ!?」
なんで忘れていたんだ!? まりもちゃんは俺が……俺が撃ったんじゃないか! 俺がこの手で引き金を引いたじゃねえか!
そうだ、他の皆はどうしているんだ? まさか知らされないまま――――ってことはさすがに無いとは思う。
「うぅっ……今度は悪寒かよ」
気持ち悪いし頭はクラクラするし、吐き気は治まらない上に寒気とはな。
けどこうしちゃ居られねえ。とにかく皆に会って確かめないと。
「……でも、冥夜たちってどこにいるんだ?」
この時間ならもう部屋かもしれないな。さすがにPXでたむろっては……まあ、何処に行くにしたってまずは服を着替えないと。
制服に袖を通して廊下に出る。まずPXに向かおうとして歩き出すと、曲がり角でちょうど夕呼先生と霞に出くわした。
「あら、もう起きたの?」
「ええ、おかげさまで」
会話が続かない。話したところでお互い腹の探り合いにしかならないだろうけど。
「何処に行くつもりだったのかしら」
「PXです。冥夜たちには、午後の演習から顔を殆ど合わせてませんから」
「そう……悪いけど先にあたしの部屋に来てもらえる?」
「―――――分かりました」
全てを言わずとも向こうの意図は分かる。
場所を先生の部屋に変えてソファに腰を下ろした。先生は向かいのシングルチェアで偉そうに足を組んでいる。いつもどおりだ。
「まずはまりも……神宮司軍曹が死亡した件についてね。公にはBETA襲撃の際の負傷が原因の急死、という風に出してあるわ。アンタはその辺りだけ辻褄を合わせてくれれば、後は何を話しても自由よ」
「…………」
やっぱり、あの事実は隠すのか。
「先生」
「何かしら」
「まりもちゃん――――いえ、神宮司軍曹の肉体に起こった変化について、分かったことはありますか? 言える範囲で構いません、教えて下さい」
気にならないといえば嘘になる。いや、気にならないはずがない。前までの世界で、BETAが人間の体を侵食するなんて一度も聞いたことがなかった。
「あたしの方でも調べたけど、詳しい結果はまだ出てないのよ。大雑把で、かつ上辺だけの内容になるけど、いいわね?」
「構いません」
一度髪をクシャクシャと掻いて、先生は話し始めた。その両目が一層鋭く感じるのは、内容の重さだからだろうか。
「解剖の結果、軍曹の体組織のおよそ八十パーセントが人間以外の何かに造りかえられていたことは分かったわ。筋肉の強化、四肢の拡張、用途不明な内臓器官の出現……これらの著しい変化はBETA化と表現しても過言ではないわ。さらにこれらの劇的変化には、BETAの体細胞が関わっていることはまず間違いない。
そしてある仮説に辿り着くわけなんだけど……BETAの体って、ところどころ人間に酷似したパーツがあるわよねぇ」
何が言いたいんだ、先生は? 結局、詳細な内容を教えてくれているし……それに、BETAと人間の似ている部分なんて、どこにあるんだ?
「何故、地球外から飛来した彼らが、人間と酷似した手足や口といった器官を持っているのか。BETA側にも人類と同タイプの個体がいる、と言ってしまえばそれまでだけど……」
「まさか――――」
信じられない。
けれど、俺はそれを否定できないことを思い出した。BETAが純夏に行なった人体実験。オリジナルハイヴの中枢である『あ号標的』が冥夜にしたこと、そしてたまの亡骸を指して何と言ったかを知っている以上は……世界移動でうやむやになっていた記憶がようやく鮮明になってくる。
「信じられない?」
「十分信頼できる説ですよ。これは」
「あら、意外ね。白銀はこの手のことは信じられない、とか言いそうだったのに」
「残念ながら心当たりがあるんですよ。BETAの親玉が人間の死体を指してこう言ってたんです……兵士級に再利用される標本だ、ってね」
どんな方法で人間を兵士級にしていたのかは分からない。だが少なくとも言える事がある。奴らは絶対に俺たちを生命体だとは認識しないってことだ。
「ちょっと待ちなさい。アンタ今、BETAの親玉って言ったわね? それって――――――」
「オリジナルハイヴの動力炉です。正確に言えば生体コンピュータって奴かな」
「何ですって!?」
「つまり、BETAは異星起源の生命体ではないってことですよ」
だから奴らをこの地球から叩き出さなきゃならない。
「奴らは所詮、資源収集が目的の生体兵器だ。人類がかつて夢見ていたような異星人なんかじゃない」
「なるほど、ESP発現体のプロジェクションが通用しないわけね。その辺り、もうちょっと詳しく聞かせてもらえる?」
「駄目ですよ、先生」
「なんでよ」
「これ以上俺が情報を提供すれば先生はかなり的確な対策を打つことができます。けれど、そうすればBETAもそれに対抗して違うアクションを起こす可能性がある」
ははぁ、と先生は頷いた。
「つまり、歴史が変わるわけね。アンタの知る歴史じゃなくなる、と。でもそうなるとこの間のクーデターもマズいんじゃないの?」
「大丈夫ですよ、たぶん」
「どういうことかしら」
「結局、俺の力じゃ歴史は変えられなかった」
結果は変わらなかった。軍曹は死に、俺は生き残った。前と何も変わらない。
「そう」
「だから、俺と00ユニットが居ればオリジナルハイヴは潰せます。このままの歴史で行けば、ですけど」
「分かったわ。引き止めて悪かったわね」
「いえ。失礼します」
オフィスを出て、来た道を戻る。
PXに着いた時にはもう午後十時を過ぎていた。人の気配はなく、照明も厨房以外は落ちている。まあ、残り物ぐらいは食べさせてもらえるだろう。
「おばちゃん、居る?」
「タケルかい? どうしたんだい、こんな時間にさぁ」
「夕呼先生の仕事を手伝ってたらこんな時間になっちゃたんだよ。もう飯も食わせてくれねぇのなんのって」
いつも通りの京塚のおばちゃんに笑って返す。だけど神宮司軍曹の訃報はここにも届いていた。
「まりもちゃんねぇ。いい子だったのに……」
「俺も手だけは、合わせてきました」
「いくらそういう時代だからってねぇ、やっぱり辛いもんだよ」
おばちゃんがお蔵出しの合成日本酒をグラスでちびちびとやる横で、俺は正直居辛かった。散っていった仲間のことを誇らしく語り継ぐ……それが衛士の弔いの心得だけれど、
(自分の手で殺した仲間は、どうすりゃいいんだよ……ッ)
思えば委員長、彩峰、たま、美琴、そして冥夜。最後の戦いのとき、全員俺が殺したようなもんだ。別行動だったから、どういう最後かまで分かるのは冥夜ぐらいだけど。
それでも、同じことだ。
「でもねぇ、タケル」
「おばちゃん?」
「あの子もね、きっと幸せだったと思うんだよ。アンタみたいな立派な教え子に助けられて、そりゃあ教師冥利に尽きるってもんだよ? 成長した生徒の勇姿を見られるってことは、さ」
「京塚のおばちゃん……俺、もう行くよ」
駄目だ、もう限界だ。
罪悪感と悪寒に駆り立てられてPXから飛び出した。この現実から逃げるつもりは毛頭無い。
けれど、それでも、自分のしてしまったことを隠し続けるられるほど俺は狂っちゃいない!
(チクショウ……チクショウ!)
俺は無力だ。
目の前から道が消えていくような錯覚。この先、また同じ事を繰り返さなければならない現実が、何より耐えがたかった。
俺はまりもちゃんを犠牲にして、その上でさらに純夏を見殺しにしなきゃならない。00ユニットである以上、純夏は長く生きられない。俺が未来を知っているからといって、どうしようもないことがある。まして本来の流れならヴァルキリーズの仲間だって見殺しにしなければならない状況だって在り得るんだ。
伊隅大尉。
速瀬中尉。
涼宮中尉。
柏木、そして207小隊のメンバー。
それに名前も知らない衛士たち。再突入駆逐艦の艦長たち。他にもたくさん居るはずだ。
「俺は、俺は……」
助けられるのか? 皆を犠牲にせず、戦っていけるのか?
答えはわかっている。自分の考えがただの理想論だってことぐらい、理解しているつもりだ。でもどうすればいい。どうすれば……
そのまま座り込んで、壁に背中を預ける。宙を仰いでも見えるのは真っ暗な天井だけで、答えなんか何処にもなかった。
「ちょっと、ちょっと! 大丈夫?」
どれぐらいそうしていたのかは分からない。そんな自分に声をかけてきた暇人を、俺は見上げようとして気を失ったのだった。
◇
思えば、白銀武という男は不可解な存在だった。
座学・兵科ともに優秀、戦術機の操縦は適性も含めてトップクラス。クーデター事件においては訓練機で第三世代の最新鋭機を撃破し、先のBETA奇襲の際には獅子奮迅の活躍を見せた。同時に副司令お抱えの部下であり、様々な特殊任務に従事しているという。その正体は大陸帰りの凄腕衛士で、国際的戦術機開発局のお抱え部隊の隊員らしい。
聞けば聞くほど優秀なエリートで、わざわざ訓練校に入り直す必要のある人間ではないと誰もが思うだろう(私こと柏木晴子もそう思う)。
しかし白銀武は配属初日である今日、一度も部隊のメンバーの前に姿を現すことは無かった。
時刻はもう十時過ぎ。同僚の涼宮茜に借りていた資料を返して自室へ戻る道すがら、その姿を見かけるまでは……
(あれ?)
通路の影に僅かな気配を感じて足を止めた。自分が女である以上、その手のことで襲われる可能性は何度か考えてみたことはあるが、生憎そんな物好きと出会ったことは一度も無い。
忍び足で近づき、角から顔を出して様子を伺うと、
「ちょっと、ちょっと! 大丈夫?」
なんて台詞が思わず出るほど憔悴しきった顔で床に座り込む白銀武の姿がいた。目を泣き腫らし、空に視線を彷徨わせる男は、つい先日自分と話をした天才衛士と同一人物とは思えない。
それほどまでに、白銀は消耗していた。
「………」
白銀はこちらを見ると、どこか安心しきった表情で笑い、そのまま倒れてしまった。慌てて脈を取ると鼓動は規則正しく感じられる。呼吸も問題は無い。見るからに疲労衰弱が原因だろうが、このまま医務室に担ぎ込むのも憚られた。
この時間に、男と女が一緒にいることが周囲にどんな影響をもたらすのか考えれば人目につくことは避けたい。
(部屋も近いし……)
と、彼を担いで部屋に戻ったのが三十分前。見かけよりも遥かに筋肉質な体つきだった白銀の体重は中々に重く、掻いた汗をシャワーで流して戻るとちょうど白銀が目を覚ましたところだった。
もちろん床に転がしておくわけにはいかなかったので、仕方なくベッドに寝かせてやっておいたけど。
「お目覚めだね、白銀少尉」
「柏木……? 俺は、いったい」
「寝ぼけて廊下に座り込んでいたんだよ、たぶん」
「なんだよ、たぶんって」
「それはこっちが聞きたいよ」
ブリーフィングの不参加。
夜遅くに何故あんな場所にいたのか。
そもそも、今日一日何をしていたのか。
体に巻いたバスタオルを直しながら返答を待つけど、たぶん答えてくれはしないだろう。こっちから多少強引にでも聞き出さない限り。
「………」
「神宮司軍曹のことと、何か関係があるのかな?」
「っ……!」
ガリ、と俯く白銀の歯軋りの音だけが部屋に響く。
「軍曹が兵士級のBETAに襲われて、その時の傷が原因で今日の朝に急死したことは……ブリーフィングで聞いたよ。白銀が軍曹を真っ先に助けに行ったことも」
「……めろ」
「でも、だからって自分一人で抱え込んでも解決しないよ。少しぐらい周りを頼ったって――――」
「やめろッ!」
白銀の叫びに気圧されて、思わず肩を強張らせてしまう。以前の会話の時のような、冷静さなどは微塵もない……胸の底から吐き出されるような独白。
「俺は助けられなかったんだ! これは俺の責任なんだ!」
「白銀はやれるだけのことをやったはずだよ」
「俺にはまりもちゃんを助けられたはずなんだ。いや、今度こそ助けなければならなかった……それが、俺の義務だ」
「義務って、そんなこと」
確かに救える命ならば救うべきだ。だがそれは義務ではなく、あくまで倫理や道徳の観念に基づく感情であり、自らの立場によっては律することさえ求められる。少なくとも軍とは、そういう場所だ。
しかし、白銀の口ぶりはまるで……
「昔、同じことがあったの?」
「ああ。俺がドジったせいで、まりもちゃんはBETAに殺されちまっれた」
「白銀、それはどういう―――」
「まりもちゃんだけじゃない。冥夜、たま、美琴、彩峰、委員長……犠牲になった人たちを救うために、俺はもう一度ここからやり直そうとしたんだ」
御剣たちはちゃんと生きている。つい何時間か前まで一緒に訓練をし、ブリーフィングを行い、食事をして別れたばかりだ。考えられるとすれば、白銀が前の部隊にいた時の記憶と、現在の状況が混在していることだ。
「白銀……」
「今、俺が頭おかしいとか思っただろ?」
「うん」
「じゃあ聞くけどさ。過去の記憶がごちゃ混ぜになるような奴が、基地のbQと直に会って新型OSの開発を持ちかけることが出来るのかよ」
そう、経緯はどうあれ白銀が新型OS・XM3の基礎概念の発案者であることに変わりはない。それを基にして副司令たちが完成させただけで、物事の大本は彼にある。少なくとも彼の精神は正常であり、かつ優秀な衛士であることは他ならぬ私自身も含めて周囲が認めている。ましてや、国際戦術機開発技術局から派遣されている人材だ。万に一つも不安材料が在ってはならないし、在る筈が無い。
「じゃあ、白銀は……」
「俺は――――」
今まで、ただの一度も外には開かれることの無かった扉の鍵が音を立てて外れていく。私はそんな感覚に陥りながら、次の言葉を待つ。
「俺は、未来から来た人間だ。BETAに敗北し、人類が全滅した未来から、な……オルタネイティヴ4が成功しなければ、2年後には人類は地球を放棄せざるを得ない状況まで追い込まれる。地球がBETAによって滅ぼされる未来を阻止するために、俺はここにいるんだ」
危うく巻いていたバスタオルを落しそうになる。あんまりに突飛な事で一瞬頭がついていかなかった。
「まいったなぁ」
「信じられねえよな、やっぱ」
「ううん、その逆だよ。逆」
困ったことに、私こと柏木晴子は……
「香月副司令の脇を固める白銀が、普通の人間なわけ無いもんねぇ」
事ここに至って何もかも納得してしまった。
状況の詳細は一切合切理解不能だ。人間がどうやったら未来から過去にやってきて、『人類を救うために来ました』なんて言えるのか想像もつかない。
けれどそれが事実ならば、白銀に感じたある種の違和感について納得がいくのだ。すべてにおいて辻褄が合ってしまうのだ。
昨日の合同演習中に初めて会った時……白銀は私を見てとても辛そうな顔をしていた。嬉しさを上から悲しみに塗りつぶされたような、そんな顔だった。それは彼の言う未来の中で、柏木晴子は―――――
「これから死んじゃうのかな、私」
「死なせねえ」
険しい顔で見つめ、白銀は断言した。
「お前も、ヴァルキリーズの皆も……誰一人、死なせねえ。それが、俺の存在意義なんだ。俺の生きる意味なんだ。だからそんな事、言わないでくれ」
そっか……
「でも白銀が死んだら駄目だよ」
「分かってる。死んじまったら何も出来ないからな」
「違うって」
「なんだよ」
「白銀が死んだら、今の白銀みたいに悲しむ人がいるってこと。一応部隊の仲間だからね、私だって悲しむかもしれないよ」
絶対に悲しむ、とは恥ずかしいので言わないでおく。
「………ありがとよ」
私がベッドに座って見つめるとそっぽを向いて、それでも小さな声で白銀は答えてくれた。赤らめた頬をポリポリと掻きながら、照れ臭そうに。
「もう少し、話を聞いてもいいかな? 神宮司軍曹のこともだけど、白銀のことをもっと知りたいんだよね」
ブリーフィングで大尉は簡潔に巡回中に軍曹がBETAに遭遇し、その時の負傷が原因で急死した、と説明してくれただけだ。副司令曰く、白銀がBETAに遭遇した軍曹を間一髪助けたらしいけれど、彼の顔にはまだ何か隠している表情があった。
「白銀……」
「誰にも、話すなよ」
機密に関わることなのかもしれないと、彼の表情を見ればその内容がどんなものなのか窺い知ることが出来る。
「パラレル・ワールドって分かるか? 平行世界とか、そういうの」
「ぱら……ゴメン、無理」
話の冒頭で挫折する。かなり専門的な話みたいだけど、自分がついていけないなんて凄く落ち込むよ……
「俺は最初、ここの訓練兵だった。ちょうど冥夜たちと次期は被ってて、俺は同じ分隊に配属されたんだ。必死こいて訓練をこなして、総合戦技演習に合格して、戦術機の操縦訓練が始まって――――色んな事があった。
けど……俺たちが任官する前にオルタネイティヴ計画は次の段階……オルタネイティヴ5に移行した。横浜基地は解体・接収されて戦力は再編成された」
「オルタネイティヴ5って、何?」
「人類の太陽系外への移民計画と、G弾の大量投入によるBETA殲滅作戦がセットになっているんだ。今もラグランジュポイントで移民用の宇宙船が建造されているはずだ」
え、ええと……かなり機密レベルの高い話だよね、これ?
「俺の小隊……といっても結局は訓練時代の分隊と同じなんだが、大陸のBETA殲滅戦に参加した。BETAの圧倒的物量とG弾のもたらす重力異常で地球に残った人類は全滅した……はずだ」
「曖昧だね」
「仕方ないだろ。俺は戦死してて、その辺りの記憶はぼんやりとしか憶えていないんだ」
「戦死って……」
「それで気付いたら、もう一度訓練校に配属される前に戻っていた」
死ぬと時間が戻るってことかな。まあ、非常識を通り越してることは確かだね。
「で、人類が敗北したと思われる記憶がある俺は、その未来を回避するために色々と行動したわけだ。結果だけ言うとオルタネイティヴ4は成功した。けど、多くの犠牲を払ってようやく成し遂げた事なんだ。神宮司軍曹も、その一人」
「じゃあ、白銀が言う今度こそっていうのは……」
「今のところ、歴史は俺が体験したとおりになっている。昨日の演習もクーデター事件も、俺にとっては二回目のことなんだよ。前のとき、軍曹は戦闘後の演習場で俺と話をしていたところをBETAに襲われて……殺されてしまった」
「それで白銀はあんな無茶をやった上に、戦闘終了後の巡回にも最後まで参加していたんだ……軍曹を死なせないために」
「ああ。けど結果は知っての通りだ。巡回から戻った俺は偶然、格納庫のゲートの近くで軍曹と会った。そして機体から降りて話をしていたところを襲われて――――」
もうBETAは殲滅した。そう誰もが確認していたからこそ、白銀も神宮司軍曹と話をしようと思ったんだ……確かに戦闘終了から数時間が経過して、各種センサーに引っかからない以上、敵は全滅したと判断するのが普通だよ。
「大尉が言ってたよ。白銀が軍曹を庇ったって」
「違うんだ。それは」
違う? 大尉が嘘を吐いているというの?
「軍曹は俺を庇って負傷したんだ。兵士級に片腕を食いちぎられながら、軍曹は持っていた銃で戦った……俺は負傷した軍曹を連れて逃げただけだ」
「でも、二人とも助かったんでしょ。確かに白銀を庇った傷で軍曹が亡くなったのは負い目に感じるかもしれないけど、白銀が一緒に逃げなかったら二人とも死んでたかもしれない」
「確かに、そうかもな」
それでも俺には、と白銀は首を横に振る。
「軍曹は、急死じゃないんだ」
目尻には涙。
歯を食いしばり、嗚咽を堪えながら彼は自らの罪を告げた。
「軍曹は……俺が殺したんだ」
「えっ!?」
「俺を庇った傷からBETAの細胞が体内に入り込んで、軍曹の体を侵食していたんだ。今日の朝、俺が軍曹に面会した時点で、もう……体の殆どはBETAの細胞によって造り変えられていて、手の施しようはなかった」
「そんな……そんなことって……」
「軍曹は自分の状況を見て、まず助からないと考えたはずだ。そしてこのままでは自分の存在が周囲に被害をもたらすことを、自分があの化け物に変じてしまうことを恐れた。例え今すぐではないにしても、可能性は極めて高かったと思う。だから、俺にこれを渡したんだ」
「拳銃……?」
「軍曹の銃だよ。これで自分を殺せ、軍曹はそう言ったんだ」
恐らく徹底的に消毒されたんだろうね。銃は新品と見間違えるほど綺麗で、それでも使い込まれた証である細かな傷はそのままだった。
「俺には皆を救う資格は無いんだろうな。結局、誰かを犠牲にしなきゃ生き延びられない俺には」
「……もう、いいよ」
「ゴメン。邪魔、したな」
立ち上がろうとする白銀の手を、私は思わず掴んでいた。
「謝らなきゃいけないのは、私たちの方だよ。白銀だけが背負い込むことはないよ」
「柏木……?」
「白銀は、私たちにできないことをしたんだ。少なくとも、私に軍曹は撃てなかったよ。だから―――――」
掴んだ手を引く。よろめいた彼の体を抱きとめるように、そのままベッドへ引きずり倒した。天才衛士にしては呆気無いけど、だいぶ消耗していたから仕方ないのかな。
「柏木っ! いきなり何しやが……る」
「だからせめて――――白銀の悔しさとか、悲しさとかを感じていたいんだよね。何も出来ない自分が悔しくて、惨めに思えちゃうからさ」
背ける白銀の顔を強引に自分の方へ向けさせる。
白銀は泣いていた。
「何も知らないままね、ただ軍曹が死んで悲しいなんて言うのは嫌。それに白銀に何もかも押し付けちゃったままにするのは、もっと嫌なんだよね」
「柏木」
「っ……なに?」
「泣いてるぞ」
だったら泣かせたのは白銀だよ。
そんなこと言ったらたぶん、再起不能になっちゃうよね。
「俺のせいだよな」
「あらら、それを自分で言っちゃうかな」
「やっぱりそうか」
「カマ、かけたの?」
「まあな。柏木は一応ポーカーフェイスだからな、駆け引きは大事だろ……んぐっ」
キスした唇を離して、ようやくバスタオルがはだけていたことに気付く私。まあ、最終的には見せる予定だったので問題なし(予定はついさっき入ったものだけれど)。
「もしかしたら、白銀に恋人とかいるかもしれないからね。今夜だけ」
「………気ィ遣うぐらいなら押し倒すなよ」
「しばらく特殊任務で基地を離れるんでしょ? 戻ってくる頃には私が忘れてるかもね」
私の腰を抱く白銀の腕に力が篭もった。まるで、忘れないでくれと言わんばかりに強く、抱きしめてくる。
「忘れるなよ」
「じゃあずっと憶えとく。それにまた夜にでも襲いに行こうかな。後から何言っても聞かないからね」
「返り討ちにしてやるから、やめとけよ」
最後に灯りを消すことだけは忘れない。ほら、女の子って事の最中に色々見られると恥ずかしいしね。
・
・
・
・
・
部屋の明かりが消えて、再び灯ったのは明くる朝の六時を少し回ったぐらいか。白銀の制服に着替える衣擦れの音で、私はようやく目を覚ました。肌寒さを誤魔化すようにシーツを抱き寄せて、その背中に声をかける。
「もう行くんだ?」
「ああ。ちゃんと起きろよ」
スーツのボタンを留め終えた白銀が、ベッドに引き返してきた。そのまま前屈みになって、私の頬にキスをする……本気で惚れてやろうか、コイツ。
「これで目、覚めたな」
「ん……もう一回」
今度はちゃんとした口付けで、白銀の体の熱さを感じて……よし、目が覚めた。
「じゃあな、柏木……忘れるなよ?」
「白銀こそね」
「何でだよ」
「忘れっぽそうだから」
反論できないところがあるのか、白銀は黙ってしまった。そういう意味ではからかい甲斐のある、可愛い奴なんだよねぇ。
「時間いいの?」
「げっ! もう半じゃねえか……二度寝はするなよ」
「分かってるって」
そしてドアの向こうに白銀の背中が消えて、一夜限りの恋人関係は終わりを告げた。
後悔は無い。けれど名残惜しさを堪えるのは辛かった。
◇
冬の朝に吹く一陣の風は肌を刺すように冷たく、だがその清々しさは同時に新たな道を指し示すに相応しいようだった。
柏木との出来事を、冥夜はたぶん許してくれないだろう。霞はぎりぎりセーフだと信じたい。他のメンバーは冷ややかなコメントが殺到するな。純夏は……考えただけでも恐ろしい。頭下げるしかねえか。
ともかく今は任務に集中しよう。滑走路のど真ん中に停められた一台のジープに颯爽と乗り込み、居住まいを正して俺は助手席のシートに体を預ける。
「随分とスッキリした顔だな。胸の底のしがらみは吐き出せたか?」
寒風に蒼い髪を揺らしながらアルフィ・ハーネットが問いかけてくる。国連軍の軍服を着込んだ彼女は、何故かスカートの丈が短かった。あえて突っ込まないことにする。
「やっぱり俺は甘かったんです」
「ほう」
「世界の、運命の厳しさは人間なんかじゃ到底太刀打ちできないのかもしれない。どうやっても乗り越えられない壁があるのかもしれない」
「だから、諦めるのか?」
まさか。
俺は自分を曲げることだけは嫌だ。例えその道が間違っていたとしても、投げ出すようなことは出来ない。そう、誓ったんだ。
皆に。
柏木に。
純夏に。
「だから今度こそブチ破ってやりますよ。絶対運命って奴をね」
右手で握り拳を作る。自然と、力が湧いてくるような気がした。
「なら、今日からの特別任務はお前にとって有意義なものになるだろう」
特尉は悪戯っぽく笑うとジープを発進させた。
向かう先は千葉県川崎官営工廠。武御雷を開発した富嶽重工と日本帝国城内省が共同で運営する、日本の兵器開発の最先端だ。武御雷の生まれた場所でもあるらしい。
だだっ広い演習場や滑走路の脇を抜けて、辿り着いたのは巨大な格納庫だ。目測で縦1km横800mといったところか。
「やっと到着か。待たせてくれたな」
俺たちを迎えに現れたのは長身の豪傑だった。精悍な顔立ちに走る古傷が男の歩んできた道の壮絶さを物語っている。
「アルフィ・ハーネット特尉ならびに白銀武少尉、これより特別任務に着任致します」
真剣な面持ちで敬礼する特尉に倣って俺も敬礼する。すると一変して表情を崩したアルフィ特尉が男の肩を叩きながら言った。
「紹介しよう、白銀。こちらは帝国陸軍技術廠・第一開発局副部長、巌谷榮二(イワヤ・エイジ)中佐。瑞鶴(ズイカク)の開発に携わった伝説的衛士だ」
「ず、瑞鶴のですかっ!?」
瑞鶴とは、史上初の戦術機であるF−4・ファントムに帝国独自の改修を加えたライセンス生産機のことだ。現在の帝国陸軍の主戦力と言っていい。
「中佐、こいつが噂のトップガン・白銀武だよ」
「ほほう、君が……ラプターに97式で挑んだ衛士か。随分若いな」
豪快に笑いながら、巌谷中佐は建物の中へ案内する。しかし中佐に道案内をさせるなんて……特尉って一体何者なんだ?
まず見えてきたのは、戦術機用の巨大な整備ガントリーが幾つも立ち並ぶ区画。今も何機かの陽炎や激震がガントリーに固定され、下では各種装備のメンテナンスが行なわれている。
「ここは各種戦術機の整備用区画だ。昨夜届いた電子戦改修型不知火のオーバーホールも行っている。君たちが横浜に戻る頃には間に合わせる予定だ」
「オーバーホールって……いつの間に?」
呆然とする俺の頭を、特尉が小突いた。
「お前がBETAと取っ組み合いなんぞするから、こういう要らん手間が増えるんだ。もう少し機体を自愛しろ」
「は、はぁ。スンマセン」
やっぱりあれだけ派手に暴れまわると相当ガタが来るよな。まあ、短刀だけであそこまで持ち堪えたんだから勘弁してほしいけど。
「どういうことだ、特尉? 俺はそんな報告は聞いていないぞ」
「あ、ああ……一応タカムラには言っておいたんだがな」
一昨日の横浜基地襲撃事件の戦闘について、特尉が掻い摘んで説明すると中佐は文字通り目を丸くした。それから俺の肩をがっしりと掴み、
「白銀少尉」
「は、はいっ!」
「帝国陸軍に来ないか? 今より給料はいいぞ?」
「すみませんが、それはちょっと……」
いきなり引き抜きに掛かる中佐を、アルフィ特尉が苦笑混じりに止めた。
「やるだけ無駄だよ。コイツは第四計画の中心メンバーだからな」
「そうか、第四計画の……そいつは残念だ」
悔しげに唸る中佐の元へ、一人の士官が駆け寄ってきた。手にした書類を指し示しながら何やら報告しているようだったが……中佐は二言、三言指示を出してから俺たちに向き直った。
「君たちに見てもらいたいものはこっちだ。ついて来たまえ」
さらに奥の通路へ案内される。厳重にロックされた隔壁を何枚も潜り抜けたその先、声紋暗証を入力して開閉するドアの向こうには……
「こ、こいつは……ッ!?」
天井が吊り下げられているのは、巨大なロボットの頭部だ。まだ組み立て段階なのか、内装は剥き出しでマスキングテープなんかも貼られたままだ。
「ハイヴ殲滅戦を想定した、対異星生命体最終決戦兵器……それが武御雷・極(キワミ)だ」
「これ、戦術機なんですか!?」
「その通りだ、少尉。設計は城内省と富嶽重工が行い、それを基に国連軍横浜基地の第四計画技術部が部品を製造し、そして造られたパーツをこの川崎官営工廠で組み上げる。帝国と国連が共同で開発しているBETAへの切り札だ」
まさか、こんなものが……だって頭部だけで戦術機の胴体ぐらいはあるんだ。もし完成すれば全長何メートルになるんだ? しかもオルタネイティヴ4も一枚咬んでるってことは、夕呼先生も無関係じゃないはずだ。
「では中佐。自分は作業の監督へ」
「うむ、頼む」
そう言って特尉は階段を下りていってしまった。作業を監督するってことは、かなり重要な役割を担っているんだろう。もしかしたらコイツの開発にかなり初期から関わっているのかもしれない。
「さて少尉。君にもやってもらうことが山ほどある」
「はい」
「まずは電子戦型不知火の運用のために必要な知識を詰め込んでもらう。もちろんオーバーホールの際に行う操縦系の微調整にも参加してくれ。XM3については君のほうが詳しいだろうからな」
「了解です。電子戦型不知火っていうのは、弐式のことですよね」
「うむ。こちらが正式名称でな、帝国陸軍ではこの呼び名を使っている。弐式は開発段階のものだ」
なるほど。じゃあ特尉はその開発段階から関わっていたのかな?
「まだあるぞ。先ほどの武御雷・極に搭載する兵装、効果的な運用法、機体システムの構築などについての検討会議にも出席してもらう。専門知識が求められるかもしれないが、そう硬くならなくていい。詳しいことは……」
と、そこで中佐の後ろから一人の女性士官が現れた。黄色の〇式強化装備……斯衛部隊か!
「こちらの篁唯依(タカムラ・ユイ)中尉に聞いてくれ。この五日間、少尉のサポートも彼女が担当する。……中尉、後は頼む」
「はっ!」
ぴしり、と敬礼する篁中尉に合わせて自分も敬礼し、名乗る。
「白銀武少尉であります! よろしくお願い致します!」
「篁唯依中尉だ。期待しているぞ、少尉」
「はっ! 有り難う御座います!」
◇
「では、例の作戦に彼を……?」
「殿下のご采配だ。いかに各行政機関との関係が是正されたとはいえ、その勅命は絶対。今の彼ならば殿下への謀反は考えられん、と城内省も納得している」
「優秀な衛士は獄中よりも奈落の戦場が相応しい、ということか」
監獄と呼ぶにはあまりに清潔感の溢れる通路を抜け、斯衛の軍服を纏った二人の男は暗証認識のドアを開け放った。
「……今や逆賊として極刑を待つ身である私に、如何用か?」
ドアの向こうは独房だった。汚れ一つない白壁に薫る畳、質素な机には筆と硯が置かれ、囚われの身にあるはずの彼は部屋の奥に正座し暮れる陽を見つめている。
伝令役と思しきと二人は、窓より目線を外さぬ男の後ろに座り率直に切り出した。
「政威大将軍、煌武院悠陽殿下より直々の御言葉を伝えに参った」
「殿下が―――――」
「いかにも……近々、帝国陸軍は国連軍と共に佐渡をBETAより奪還すべく大規模作戦を展開する。貴殿には、その作戦に参加していただきたい」
「!?」
驚き伝令へ向き直る彼の前に一通の書状を置き、二人の男は立ち上がった。
「我等の言葉では貴殿の信用は得られまい。まずは殿下より賜った書状を読まれるが良いであろう。明日、返事を頂きに参る」
「かたじけない。心遣い、感謝する」
「では、失礼」
◇
特別任務三日目。
(しかし、これは辛いな……)
最初に俺の肩に重く圧し掛かったのは電子戦やら情報戦やらの事細かな知識だった。あれこれ言われても、正直分からない部分が多い。いくら座学でやったとはいえ、基本的な知識だけだ。
次に食事、寝泊りなども全て、このでかい工場の中で過ごさなきゃならんということだ。外出は任務期間の満了まで不可能。つまり外出=基地に帰るってことになる。
さらに武御雷・極の仕様検討会議に出席すれば、要求されるスペックの高さが開発陣を二進も三進も行かないところまで追い詰めている現実を目の当たりにしてしまった。具体的に言うのであれば、ようやく実用段階に到達したばかりの荷電粒子砲の機体の両肩への搭載だ。現状使用可能な動力では発射に必要な電力を確保できないため、実装しても使用不可能なのだという。
そして最大の重責は、篁唯依中尉の視線である。月詠中尉と部署が異なるためなのか、俺が死人だとかそういう発言はまったくない。問題なのは、俺の『類稀なる戦果』とやらが彼女に無茶苦茶な期待を抱かせているということだ。
「それで米軍のF‐22との格闘戦では、どんな戦闘機動を?」
「どんな、と言われましても……殆ど自分の直感と経験だけで動かしてますから。たぶん、教則書の類には乗ってないかと」
「特定のマニューバの無作為的な組み合わせ、ということ?」
「というよりは、機動の創作みたいなもんですよ」
あ、眩暈。
フラッと宙を仰ぐ中尉は何かに打ちひしがれた表情で黙り込んでしまった。
「さ、さすが次世代型OSの基礎概念を提唱した衛士……」
「その基礎概念が分かれば、多少は説明しやすいんですけどね」
「あれはまだ国連軍のみの採用で、帝国陸軍には出回ってない。できれば是非とも使ってみたいものだが」
ちなみに現在は工場内に設けられた特設のPX(造られてからかなり長いのか、色々増設されていて殆ど普通のPXと変わらない)で夕食中なのだが、篁中尉はガジガジと合成ニンジンのサラダバーを悔しそうに齧っている。
「お、唯依ちゃん。そんな眉間に皺寄せてると老けるぞ?」
「ちゅ、中佐!?」
最初とは打って変わったフランクな笑顔で話しかけてきた巌谷中佐。どうも中尉とは親しい間柄のようだ。
「……恋人っすか?」
「親戚だっ! 中佐は私の叔父なんだ、勘違いするんじゃない!」
顔を真っ赤にして力一杯否定する唯依ちゃん、テラカワユス。
……ハッ! 何なんだ今の変な思考は!? いかん、いかんぞ俺! こんなところで廃人になるわけにはいかないんだ!
「と、ところで中佐」
「どうした少尉。篁中尉の昔の写真は見せてやれんぞ?」
「い、いえ……結構です。そうではなくて、一つ聞きたいことが」
「中尉のスリーサイズは俺にも分からん。本人に聞いてくれ」
「叔父様ッ!?」
あわや引っ叩かんばかりの勢いで怒る篁中尉をなだめつつ、俺はさっきから……いや、初めて会ったときから気になっていたことを尋ねてみた。
つまり、
「アルフィ特尉は、いったいどんな人なんですか?」
「アイツのことか……ふむ、なんと言ったらいいものか」
不知火、武御雷の開発に携わった人間であり、JFKに所属する衛士。俺が知り得ている事はそれだけなんだが、もっと人物像的なことが聞ければとは思う。
「ハーネット特尉は、94年に不知火の試作壱号機が技術研究部隊へ引き渡された時に、その専属衛士を務めておられた。外国人でありながら帝国陸軍の戦術機運用方針、ひいては武士の信念の何たるかに至るまで深く理解されており、JFKとの契約満了の95年3月まで基礎機動システムの構築に尽力されていた」
さすがだ、と頷く篁中尉
それにしても本当に不知火が配備された初期の段階から関わってたんだな。でも武士の信念とか……日本の文化にもある程度詳しいってことなのか?
「さらには昨年配備された武御雷の基礎設計にも参加し、試作された機体の試験運用にも携わっている。明星作戦の折には改修中の電子戦型不知火で出撃し、帝国軍の援護に参加してな。城内省も彼女を斯衛部隊に引き入れようと躍起になったほどさ」
「そ、そこまで――――」
篁中尉の説明に巌谷中佐がさらに付け加える。それだけで、アルフィ・ハーネットという人物が人間なんて規格から外れた存在だと気付かされた。
「まあ実際はかなり無茶が過ぎる女でな。さっき言った明星作戦じゃあ、『刀が一振りあれば事足りる』と、本当に長刀一本でBETAの群れに突っ込んでいったらしい。もっとも、ああも気性が激しくては、婿の務まる男などそうそうおらんだろう」
『すでに亭主がおりますが、何かご不満が? 巌谷榮二中佐殿』
見るからに豪傑の巌谷中佐が固まり、誉れ高き斯衛の篁中尉が青ざめる。今のアルフィ・ハーネットの顔はまさしく……
「は、は、般若だァァァァァッ!?」
特別任務が終わっても、夜は一人で眠れそうにないんだぜ。
・
・
・
・
・
特別任務最終日。
不知火・弐式のオーバーホールも完了し、武御雷・極の兵装についても一つの解決策が浮かび上がった。防御面と整備性を重視し、荷電粒子砲は外付けのオプションとして取り付ける、というものだ。
だが時が経つのは早く、今日で俺たちの任務は終了する。
「諸君の協力に心から感謝する。今の職場に飽きたらいつでも帝国陸軍に来い。やってもらいたいことは山ほどあるからな」
そう言って篁中尉はにやりと笑みを浮かべ、敬礼する。
会議のため帝都へ発った巌谷中佐に代わり、篁中尉が俺たちを見送ってくれた。答礼し、俺は不知火・弐式のコックピットへ乗り込む。
弐式は改良された駆動系のテストも兼ねて、横浜基地まで俺が操縦していくことになっていた。その旨は横浜基地も了承しているらしい。
「それはいいんですけど……」
「細かいことは気にするな。いつもどおり操縦しろ」
「めっちゃ狭いんですけど特尉!?」
何でアルフィ特尉と相乗りせにゃならんのだ!? 普通に車で基地に帰ればいいじゃねえかよ……
「そうは言ってもな、先程絶対防衛線の内側でBETAの反応が確認された」
「なっ! 早すぎる!」
奴らの地下茎が本土の太平洋側に到達するまでもう少し猶予があったはずだ。
佐渡島のハイヴから日本侵攻のためにBETAが地下トンネルを掘り進めていることは間違いない。12月29日の時点で群馬との県境まで到達していたはずだ。
今はまだ12月17日。でも、もしかしたら地下通路はすでに防衛線の内側まで到達していて、単純に使用するタイミングが異なっていただけなのかもしれない。
「現在帝都防衛部隊の一部が敵殲滅のため派遣されている。幸い確認された敵の数は多くない。弐式のテストも兼ねて出撃するぞ」
「くっ……」
確かに、ここで万が一敵が横浜基地まで辿り着いて、基地を奪われることになれば人類はお終いだ。その可能性が限りなくゼロに近いとしても、阻止しなければならない。
「不知火・弐式、出るぞ! 隔壁開けろぉっ!」
◇
「目標、南下を続けています。到達進路予想……当横浜基地です!」
国連軍横浜基地の管制室でも敵の出現は察知していた。確認した限りでは大隊規模のBETAが群馬の県境付近に出現、真っ直ぐにこの基地を目指していた。水面下では来る12月25日の大規模作戦の準備を進めている今、絶対にこの基地を危険にさらしてはならないというのに……
「ハーネット特尉から暗号電文! 『ワレラ、ニシキニテ、コレヲメッスル』!」
(白銀達が動いた……なら、あの事実を確かめる良い機会ね)
夕呼は踵を返し、副官のピアティフに後を任せて副司令室へ急ぐ。だが彼女の目指す先はさらに奥、あの脳髄を納めたシリンダーの置かれていた部屋だ。
「社、いるわね!?」
「はい」
普段以上に真剣な面持ちの霞が部屋の中央で立って待っていた。その隣で大きなリボンを揺らし、国連軍の軍服に袖を通した少女に夕呼は視線を向ける。いよいよ、彼女の力が必要になったのだ。
白銀武という存在が孕む、宇宙の謎に挑むために。
「アンタの言葉が真実かどうか、確かめるわよ。鑑」
◇
途中、帝国陸軍の戦術機中隊と合流して推進剤の補給を受ける。横浜基地からの搬出するために一度武装は全て取り外した弐式には、川崎工廠で通常の36ミリ突撃砲と短刀、長刀の他に試作型の電磁投射砲が装備されていた。
なんでも篁中尉と巌谷中佐からの餞別らしい。もっとも前日に見かけた中佐は青痣だらけで頭や腕に包帯を巻いていたが……
「白銀、今のうちにレールカノンの説明だけしておくぞ」
「はい」
「こいつは弾丸を発生させた磁界のローレンツ力で撃ち出す運動エネルギー兵器だ。しかし磁界を発生させるには大量の電力が必要になり機体の電力消費も馬鹿にならないため、本来ならば弐式では電力不足に陥ってしまう。そこで今回は大容量バッテリーを左肩に装備してこれを補っている。こいつが切れれば砲はただのデッドウェイトにしかならん、投棄しろ」
携行する弾薬の量といい、口径120ミリのロングバレルと巨大な冷却装置を組み合わせた本体といい、確かにデッドウェイトだ。ここに来るまでの匍匐飛行でも、コイツのおかげで何度バランスを崩しかけたことか。
今、俺たちは敵の進路上にある山岳地帯で待ち伏せをしている。左右に山が連なる自然の回廊とでも言うべきだろうか。ここなら火力を前面に集中することが出来るのだという。
「ここからは具体的な作戦行動だ。弐式はまず帝国の戦術機中隊の前面に位置し、進行するBETAへ向けて電磁投射砲による全力射撃。後、遊撃隊として友軍を支援する。なお友軍に戦闘支援車両などは配備されていない。後方からの支援砲撃はないと思え。なお、この戦闘における弐式のコールサインはエッジヘッドだ」
「了解!……ところで、作戦は向こうも承諾してくれたんですか?」
「ふん、私の提示した作戦を断る指揮官など帝国軍にはいないさ」
皮肉っぽく答えると、特尉は再び正面を向いた。強化装備の皮膜で強調された胸が大きく揺れる……しかも訓練兵用の強化装備だから皮膜は半透明、いやモロに透けてるし。正直、目の毒だ。他に無かったのかよ……
「問題は敵の増援だ。今はこの戦力で十分対処できる数だが、セオリー通り増え続けると考えると厳しいぞ」
「は、はあ……そうですね」
「なんだ、やる気のない返事だな」
「結局は俺たちが何とかしなきゃいけないんだ。後のことなんか気にしてられないでしょう」
操縦桿を握りなおす。
ペダルに添えた足の位置を直し、俺の思考に反応して不知火・弐式が前屈みに即応態勢を取った。
どうやら話している間に敵はかなりこちらに接近していたようだ。ソナーが敵の歩行音を拾って波形に変換、俺の網膜に表示している。推定個体数、大型種70体、小型種1500体……レーザー属種の有無は不明。
「外部電源接続! 99型電磁投射砲、起動!」
甲高い駆動音と共に投射砲の砲身に火が入る。初弾を装填。目標……敵突撃級!
「エッジヘッドより各機! 支援砲撃三十秒! 頭を押さえたら喰らいつけ!」
特尉が無線で友軍の指揮官に指示を出す。どうやら俺たちは作戦の中枢的ポジションになっていたらしい。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇっ!」
トリガーを引き絞る。
チェーンガンの如く撃ち出された120mm砲弾が次々に突撃級の堅牢な甲殻を突き破り、骸の山を築き上げていく。完全にBETAの頭は押さえ込んだ。
『全機、続けぇっ!』
帝国軍のストライクイーグル・陽炎が山の斜面を足場に両側面から36ミリ突撃砲の掃射を浴びせかける。正面と左右から大火力の嵐を受けて、たちまち大型種も小型種もただの肉片と化してしまう。
BETAの物量による一点突破戦術を逆手に取ったこちらの作戦勝ち、といったところだ。
(なんだ?……何か、気になる)
友軍が近接戦に移行したことで役目を終えた電磁投射砲を停止させ、バッテリーを充電モードに切り替える。外付けといっても、機体からの電力供給があれば再充電はできるのだそうだ。
「特尉、妙じゃないですか?」
「そうだな。確かに呆気なさ過ぎる」
手応えの無さが気持ち悪い。何か、引っかかる。
念のためにソナーをチェックしようと意識を逸らしたその時だった。
「白銀、上だ!」
「くっ!」
降り注ぐ熱線を間一髪、ブーストジャンプで回避する。だが逃げ遅れた友軍は瞬く間にレーザーに焼かれ、爆砕していく。
両翼を山岳に塞がれた回廊。
頭上から放たれたレーザー。
あっけなさ過ぎるBETAの抵抗。
「ちっ……陽動かよッ!」
峰にぞろりと立ち並ぶ小型のレーザー属種は軽く200体。そしてその背後から続々と現れる、全長60メートルを越える要塞級の数は30といったところか。恐らく大量の小型種による振動飽和を利用してこちらのソナーを掻い潜ったのだろう。
要塞級ならいざ知らず、三桁の照射源から放たれるレーザー攻撃をこの至近距離で回避することは難しい。現に、
「白銀……友軍は全滅だ。退路は絶たれ、敵は強大。これはいよいよだな」
炎上し、黒煙を上げる12機の陽炎。成す術もなく散っていく命たちが無念の叫びを上げている。大地に崩れ落ちた残骸を墓標に名も知らぬ衛士たちはその生涯を終えたのだ。
俺たちもこのままでは危ない。かといって今から救援を呼んでも間に合わないだろう。
だけど、俺は絶対に諦めない。諦めるわけにはいかないんだ。
ここで死んだ彼らの為に、これから掴む未来の為に。
「おい、どうするつもりだ?」
兵装チェック。36ミリ砲と近接用長刀、短刀は未使用……電磁投射砲の残弾はおよそ320発。
間もなくレーザー級のチャージが終わり、再照射が始まる。一斉にレーザー級の発射レンズに光が灯った。
(今だっ!)
「なっ、白銀何ををヲヲヲヲッ!?」
「避けろぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ペダルを一気に踏み込み、急発進。同時に降り注ぐレーザーの幕間をトップスピードで潜り抜ける。機体を回転させながら投射砲の狙いを絞った。
「んなろぉっ―――――!」
まずは左側のBETAだ。着弾した砲弾が炸裂し十数体のレーザー級を吹き飛ばす。運動エネルギー兵器として破壊力の拡散性と打撃力に優れる120mm砲弾は、同時に要塞級の多脚まで粉砕していた。
ビィィィィィィィィィッ!!!
「右腕兵装、パージッ!」
弾切れの警告とバッテリーの電力切れ、そして左舷のBETA全滅は同時だった。一度山の向こう側へ退避してレーザー級の攻撃を凌ぎ、一息つく。
「機体損害なし……あの対空網を無傷で抜けたというのか。貴様、化け物か?」
「そんなことはどうだっていい! 敵の増援は!?」
「後続は確認されていない。後は山の向こうの連中だけだ!」
「よし、行くぞ!」
地中からの移動音源は確認されていない。敵の構成はあのデカブツとレーザー級だけ。だったら――――――
「ま、また何をする気だガッ!?」
最大噴射跳躍で一気に山一つを飛び越えて、奴らの頭上を取る。レーザー属種を相手にする際に決して行ってはいけない、
「空中戦で片付けてやるっ!」
投棄した電磁投射砲の代わりに36mm砲を右手に持たせ、左手にも同じく36mm砲。もっともこっちは、撃破された友軍機の装備を拾ってきたものだ。
「うおおおおおおおおおっ!」
要塞級は足が非常に長く、頭部や胴体は地上数十メートルの高さにある。足自体も決して太いわけではなく、その重量を足の本数で支えている。つまり、奴の胴体の下は……
「がら空きなんだよっ!」
要塞級の腹の下へ飛び込み、レーザー級を片っ端から片付けていく。レーザー級も要塞級を中心に展開しているため、一体の要塞級の周りを掃除したら次の要塞級へ、とまるで蜜を集める蜂のように飛び回るだけであっという間に敵に数は減っていく。
もちろん、飛び回っている間にレーザー照射を受けることは何度もあるが、
「気合で避けりゃなんでもねえっ!」
十八番のブーストキャンセルと回避機動で対空網を突き破り、最後の一体を片付けた時……同じく最後のスーパーカーボン製の長刀が真ん中から綺麗に折れていた。
焼き払われた山々。
焦土と化した大地。
爆砕し、散らばる戦術機の残骸。
「各機、任務完了……あんたたちの分も頑張るからよ。安心して眠ってくれよ」
立ち昇る黒煙の影で、彼らが笑ってくれていると思いたかった。
◇
基地に戻った俺と特尉は不知火・弐式を整備班に預け、副司令室に出頭していた。特別任務の結果報告のためなのだが、部屋に入って早々に特尉はつまみ出されて俺と夕呼先生だけが残された。
「先生、報告は……」
「んなことは後でいいの。白銀、アンタがこの世界に現れた理由が分かったわ」
「そ、それはどういうことですか?」
そもそも俺がBETAと戦うこの世界に連れてこられたのは、(誤解覚悟で言えば)純夏が俺を呼び出したからだ。それで俺は因果導体という体質になって、時間をループすることになったんだ。
「説明の前に、アンタに会わせなきゃいけない子がいるのよね。さ、入りなさい」
シリンダーの部屋へ続くドアが開き、
「な……っ」
霞に手を引かれて部屋に入ってきたのは、
「タケルちゃんっ!」
「―――――純夏っ!」
駆け寄ってきた純夏を抱きしめる。国連の軍服を着ていても、かつて感じた温もりは間違いなく、純夏のものだ。
「お前、もう目を覚まして……動いていいのか?」
「大丈夫だよ。私だってタケルちゃんの力になりたいし」
さらに強く抱きしめようとする俺たちを夕呼先生が呆れ顔で引っぺがす。
「いちゃつくのはせめてこの話が終わってからにしなさい。さもないと、去勢するわよ?」
『し、失礼しましたッッ!』
最後の一言の辺りで言葉に出来ないほど冷たい殺気を感じ取り、俺と純夏はその場で跳ね上がるように敬礼した。
「よろしい。じゃ、続けるわよ。
まあ、話の仮説自体は考えてみれば簡単なものだったのよ。そもそもアンタの話だとかつて鑑純夏によって因果導体となっていた白銀は、自らの意思とは関わりなく一つの世界に閉じ込められていた。しかし白銀から因果導体の性質が除去された今、時間をループすることはできず、『前回の世界』に留まる事も出来なかった。そうね?」
「そうです」
「本来なら再構成された元の世界に戻るはずだった白銀は、何故かもう一度この世界に戻ってきてしまった。原因自体は簡単に推測することは出来た。その原因は白銀、アンタ自身よ」
俺自身が、ループの原因だって? 因果導体から開放されて普通の人間に戻った俺に、どんな原因があるっていうんだ。
「俺にはもう、因果導体の性質は無いはずですよ?」
「ええ。確かに因果導体の性質は消滅したでしょう。けれど因果導体足り得る白銀武という器は残った。私はね、アンタが自分の意思でもう一度因果導体の性質を獲得したと考えたのよ」
「そんな、何のためにですか!?」
「決まってるじゃない。もう一度歴史をやり直すためよ。
言ってたじゃない、仲間を助けたいって。仲間を犠牲にせず、BETAに勝つ。そのためにアンタは無意識にでも歴史をやり直す力を求めたはずよ」
それじゃあ、俺はまた因果導体になってしまったのか?
「安心しなさい。アンタは因果導体じゃないわ」
「どういうことですか?」
「アンタ達の詳しい事情はそこの鑑からすべて聞いたわ。情報が正しければ、アンタが因果導体である限り自分の意思でループはできないはずなのよ。そもそもループしていたのは鑑純夏の縛りがあったからで、アンタも自分の意思では平行世界の移動はできないって言っていたでしょ?」
「え、ええ」
「つまり、白銀武は因果導体を超える存在になったのよ。世界――――いえ、宇宙を織り成す因果律を自らの意思で操作し、異なる平行世界に自分という存在の因果を組み込むことで平行世界への移動を可能した……いわば位相因果操作能力。鑑のデータ観測に拠れば、今日の戦闘でもアンタはその能力を発揮していたわ」
投影型モニターが作動し、様々なデータが表示される。その中から夕呼先生は一つの映像ファイルを開いた。
「これは?」
「弐式のミッションレコーダーから抽出した戦闘データを元に、客観視点から再現した立体映像よ。複数の照射源から放たれた至近距離のレーザーは、戦術機の運動性では回避は困難。事実、機体に直撃するレーザーは百発以上ログに記録されていた。にも拘らず、不知火・弐式の装甲にはまったくレーザー照射を受けた形跡が無かった。データにも被弾したことによるダメージコントロールなどのログも無かったわ」
「つまり、どういうことですか?」
「分からない? アンタは因果律を操作してレーザーを当たらないようにしていたのよ。もちろん、白銀の操縦技術が低いとか言ってるわけじゃない。いくら因果律を操作できても、人間の脳の処理能力では百発のレーザーをすべて無力化できるわけがない。実際、データを検証してみてもレーザーの因果操作が行なわれていたのは同時に三発までだったわ」
あくまで奥の手、というわけなのか。それに俺には使い方が全然わからない。戦闘の時も、いつもと同じようにやっていただけだ。でもBETAのレーザーを無力化できるのならかなり強みになる。
「でも、俺は使い方なんか分からないですよ」
「恐らく無意識領域が大きく関わっているんでしょうね。だから気をつけなさい。下手にマイナス思考に囚われたりすると……」
「ま、まさか―――――」
俺の意識が、意思が世界を変えてしまうとしたら。
もし、俺の心が破滅を願ってしまったら。
「白銀の力が果たして本当に世界を変えてしまうほど強いのかは分からない。だけどそれが白銀の手にした力と可能性。ささやかな願いがこの世界を狂わせてしまうかもしれない。
それが位相因果操作……パラダイム・ドライバーなのよ」
俺が、世界を壊してしまうっていうのか……
そう望むだけで世界が変わっちまうなんて信じられねぇ!
「大丈夫っ!」
俯く俺の手を握って、純夏が頷く。
「タケルちゃんが世界を滅ぼすなんて絶対無いんだから!」
「お、お前なぁ。もうちょっと現実を見ろって」
「うるさぁぁぁぁぁぁぁいっっ!」
どりるみるきぃぱんち(アッパー仕様)が俺の顎をヒットし、一瞬で俺の頭は天井にのめりこんでいた。
「私の知ってるタケルちゃんは、何があったって絶対諦めないもん! 諦めないで、信じて、信じて、信じ抜くのがタケルちゃんだもん!」
霞に下から引っ張ってもらって何とか天井の穴から脱出した俺に、純夏が笑いかけてくる。まったく俺を疑っていない、昔から変わらない笑顔。
「ほら、大丈夫だって!」
「お、おう」
忘れかけていた。
この笑顔を見るために戦い始めたのだと。
この笑顔が世界に広がればいい、と戦い続けてきたのだと。
戦いの時は迫る。
甲21号作戦発令まで、あと七日間。
筆者の必死な説明コーナー(復活の男編)
ゆきっぷう「倒れていった者の願いと、後から続く者の希望!」
武「二つの想いを二重螺旋に織り込んで、明日へと続く道を掘る!」
ゆきっぷう・武『それが天元突破! それがグレンラ○ン! 俺のドリルは、天を創るドリルだァァァァァッ!』
ぱきゅーん ぱきゅーん
アルフィ「満足したか、アホどもめ」
ゆきっぷう・武『あばよ、ダチ公……ぐふっ』
冥夜「それで、今回はまたやけに長かったようですね。本編のみでA4用紙40ページ越えはさすがに浩殿にご迷惑をおかけするのではないでしょうか?」
アルフィ「小説は文章量、らしいからな。30ページに収まらないと分かった時点でかなり開き直っていたし、当然といえば当然の結果か。もっともこれからが佳境ゆえ、本編のみで50ページ越えも充分在り得る。はた迷惑な奴だよ、全く」
冥夜「特尉、武の追加設定などはどうなのですか?」
アルフィ「まあ落ち着け。色々とオリジナル情報が錯綜しているからな。一度ここでまとめよう」
冥夜「ではまず、特尉はどのようなキャラクターとして登場を」
アルフィ「女版アヴァン・ルースだ」
冥夜「は?」
アルフィ「それに私には亭主と娘が一人いる。今はそれしか言えん。許せ」
冥夜「……次に、JFKとは何ですか?」
アルフィ「これもゆきっぷうのオリジナルだ。1970年代の世界に戦術機がいきなり登場するとなると、かなりの技術的革新が発生する必要がある。そこでゆきっぷうが考えたのが、60年代に暗殺された米国大統領ジョン・F・ケネディの遺産を資本にした技術開発局の設立だ。JFKも大統領の名前をまんま使っただけという安直なネーミングだが、実はJFK初代局長は暗殺されたはずのケネディだったらしい」
冥夜「無駄にこだわっているのですね。そうなると今回登場した巌谷中佐と篁中尉も……」
アルフィ「いや、あれは『MUV−LUV Alternative TOTAL ECLIPSE』という原作メーカーが作っている外伝からの参照だ。本来ならばオルタ本編では篁中尉はアメリカのユーコン基地にいるはずなのだが、そこは妄想ということで勘弁してくれ」
冥夜「……で、ではタケルの追加設定みたいなものは?」
アルフィ「グレンラ○ン」
冥夜「?」
アルフィ「失礼。ドリルと生命エネルギーと男のロマンが融合した結果としか、今は話せない」
冥夜「特尉、仰る意味がよく分からないのですが」
アルフィ「いやなに、ゆきっぷうが前回のPTSDから立ち直る際に服用した劇薬なのだが……やはり悪影響が出てしまったな」
ゆきっぷう・武『友の想いをこの身に刻み、無限の闇を光に変える! 天上天下一機当神、超銀河グレンラ○ン! 人間の力、見せ―――――』
冥夜・アルフィ『地獄で一生眠ってろ、この大馬鹿共め!』
ぱかーん ぱかーん
次回予告
これは、絶対運命に立ち向かう男の物語。
ついにかつての仲間達と合流した武は佐渡島のハイヴ攻略戦に挑む。
だがBETAは武の予測以上の戦力を投入し、
武は窮地へ追い詰められてしまうのだった……
MUV−LUV Refulgence
~Another Episode of MUV−LUV ALTERNATIVE~
X.佐渡を駆ける
晴子「ところでさ、私と伊隅大尉ってどうなるの? 原作通りだと、次かその次の話で出番終了だよね?」
ゆきっぷう「いい感じで次回予告出した後に出てくるなよ……」
みちる「こっちも死活問題なんだ、勘弁しろ。それでその辺りは決まっているのか?」
ゆきっぷう「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な……」
みちる・晴子『ちょ、それは―――――!!!』
またしても精神崩壊寸前まで行くのかと思ったけれど。
美姫 「それは何とか立ち直ったみたいね」
だな。純夏も初めからちゃんと感情を持っているし、次はどんな展開を見せてくれるんだろう。
美姫 「とっても楽しみだわ」
本当に。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」