視界を深い闇が覆いつくし、天一刀ははたと我に帰った。
体はぴくりとも動かない。というよりも感覚が無かった。まるで意識だけが宙に浮いているような、そんな感覚。
ともかく今自分はどこにいて、なにをしているのか。それが分からなければ対処もへったくれもない。状況を把握しようと細い細い糸を手繰るように記憶を紐解いていく。
(俺は、魔王の華琳を止めようとして、それで……)
真王山に赴き、その頂上で魔王と戦い、皆の力を借りて光の龍になって真ドラゴンとぶつかり合った。あの巨体の胴体に確かな一撃をくれてやった。
そこで記憶は途切れている。
どうやら自分はそこで力尽きたようだ。
仕方ないと思うし、それで良いとも思う。結果として真ドラゴンは墜落したようで、魔王の野望も挫けた筈だ。後の事は皆が何とかしてくれるだろう。
やれやれ、と肩をすくめる彼の眼前にゆっくりと光の固まりが現れ、近づいてきた。天一刀がいぶかしんでいると、やがて光は人の形へ変わり、語りかけきたではないか。
いつぞやの瓜大王かと思い身構える。
しかし彼の耳に届いたのは、重く低い声。あの男とは違う。
『目覚めよ。戦うのだ』
馬鹿な。
俺はもう死んだはずだ。
そもそもこの相手は一体何者なのだろう。自分のことを知っているようだが、生憎とこんな人外の知り合いはいない。
『目覚めよ。戦うのだ。進化の時は来たれり』
進化?
まさかこれは。目の前に居るこいつは。
(お前、もしかして)
『天一刀、時間が無い。神を騙る者たちの計略が破滅を呼ぶ』
(!?)
『目覚めるのだ、天一刀。そして戦え……それが進化を司る者の意志だ!』
語りかける光に対し、天一刀は叫んだ。
「ならどうすればいい!? どうすれば魔王を止められる!?」
正直に言おう。自分には『華琳』を殺すことは出来ない。例えそれが別の歴史から現れた存在だとしても、どれほど邪悪に染まっていたとしても。
彼女がホンゴウカズトの愛した女である限り、自分は彼女を殺める術を持たないのだ。
そして何より、この手を振り上げてみて確信した。殺したくない、助けたいと。
「頼む、教えてくれ……どうすれば彼女を、華琳を助けられる?」
『いいでしょう。それがご主人様の望みならば―――――――』
真(チェンジ!)
恋姫†無双
―孟徳秘龍伝―
巻の十弐・神天
「う……?」
闇が掻き消え、瞼を開けばそこは見たこともない機械的な空間だった。根拠こそ無いが、天一刀にはそこが真ドラゴンの体内だと瞬時に理解できた。
冷たい床に寝そべっていた体を起こす。幸い五体満足で、特に体調も悪くは無い。双戦斧も健在で、しっかりと右手で柄を握り締めている。
見回せばどうやら此処はかなり大きい広間のような構造になっていた。周りには一緒に突撃してきた武将たちが、まだ寝ている者も居ればすでに目を覚まして行動を開始している者もいる。広間の奥のほうでは壁を突き破ったゲッタードラゴンの頭だけが見えた。華佗があれに乗っていたことをふと思い出し、視線を巡らせれば、すでに怪我人の手当てに奔走していた。
見たところ、全員無事であることは間違いない。
しかし気がかりなのは広間―――――というよりは真ドラゴン全体を包むように漂う異様な気配。全身にまとわりついて、それでいて身を刺すような冷たさとおぞましさをない交ぜにしたような……まさしく邪気そのものだ。
これの出所が魔王なのか、あるいは真ドラゴンなのかまでは分からないが、少なくともまだ戦いが終わっていないことだけは確かに感じ取れる。
(これからどうするか……だな)
記憶が正しければ自分たちが体当たりをかましたのは真ドラゴンの腹部だったはずだ。そして真ドラゴンの操縦室は頭部にある。
つまり、目指すは。
「上か」
しかし悠長に構えている時間は無い。天一刀たちが真ドラゴンの中に居ると分かっている以上、魔王も何がしかの対策を練っているはずだ。
例えばそう、今自分たちが居る場所に鬼を向かわせたり。
ふと視やればたった一つだけ、ぽっかりと開いている広間の入り口に数匹の鬼がちょうど姿を見せたところだった。その禍々しい視線と自分のそれがぶつかり合った瞬間、鬼の群れは躊躇無く一斉に飛び出した。
どうやら向こうが一枚上手だったようだ。
無理もない、相手は曲がりなりにも元はあの覇王である。
しかし天一刀が握っていた双戦斧を振り上げるより速く、
「敵五体、正面です!」
「承知!」
「………………(コクッ)」
紅蓮の槍と長大な斧が鬼たちを薙ぎ払っていた。
「諸葛亮! それに星、恋……!?」
広間の入り口から次々に這い出てくる鬼を前に、天一刀を庇うように趙雲と呂布の二人が立ちはだかる。二人とも服こそ傷だらけだったが、まだまだ元気そうな様子だ。
「天抱翼! ここは我らに任されよ!」
「っ……しかし!」
「案ずる暇があるなら魔王を止めるのが先決だ。それに此処には我らと同等の武将があと何人控えていると思っている。お主の一人や二人が抜けても穴にはならん」
言われてみればその通りだった。
この広間には趙雲たち三国随一の武将が五十人以上も居るのだ。しかも普段は武器を持たない軍師たちさえも、各々に棍棒やら石飛礫やらを持って臨戦態勢を取っている。
「………………御遣い様」
「れ、れ――――――――んっ!?」
そして神速の踏み込みで懐へ飛び込んできた呂布の唇が、天一刀の頬を撫でる。あまりに唐突で突拍子のない行動に場の空気が凍りついた―――――りはしなかったが、それでも天一刀の脳みそは爆発寸前である。
つい、と見上げてくる呂布がぽつりと一言。
「…………いってらっしゃいの、ちゅー」
「そ、そうか。ありがとな」
背後から突き刺さる無数の視線が天一刀に恐ろしい苦痛を与えていたが、当の呂布には知る由もなかった。
「あと、ついでに俺たちも居るぞ?」
「つ、士!?」
極めて不機嫌そうな士が天一刀の肩を叩いた。正義の味方としては彼の破廉恥な振る舞いは許せないものがあるのだろう。
しかし冷静に考えてみれば三国の最精鋭に加えて仮面ライダーの面々が一堂に会しているのだ。案ずることなど何も無い。むしろ鬼のほうが多勢に無勢ではないだろうか。
「行ってこい。お前の居場所ぐらいは守ってやる」
「――――――――すまない」
頭を下げる天一刀を門矢士はすました顔で曹操の隣へ突き出した。思わずたたらを踏む天一刀だったが、それでも最愛の少女の手を握ることだけは忘れない。
「行こう、華琳。今度こそ終わらせよう」
「もちろんよ、カズト」
◇
半ば傾いた真ドラゴンの玉座で魔王はただ呆然と立ち尽くしていた。
認めない、いや認められない。
自分が今まで絶対の力と信じてきた真ドラゴンは天一刀の放った黄金の輝きの前に屈した。それはまさに伝承に聞く『救世の力』そのもので、奇跡を体現する光だった。
では自分が手にした力は何だったのか。
紛い物。
魔王と化したこの腕がもたらしたのは救世でも奇跡でもなく――――――
(いいえ、違う。私はカズトを奪われた!)
そう、天にこの愛の全てを否定された。注いだ愛も、注がれた愛も、守る愛も、守られる愛も。
(取り戻す……カズトを、私の全てを!)
轟と魔王の全身から熱波が噴き出し、彼女の肉体を赤熱化させていく。顕現した力は確かな実体――――――魔王を護る鋼鉄の鎧となった。身に纏った真っ赤な鋼は爆炎そのものであり、帯びる熱は大気を激しく歪ませている。
同時に、激しい振動と共に何かが砕ける音が玉座の間に響く。
気だるい仕草で視線を巡らせると、立ち込める土煙の向こうに二人分の人影が見えた。どうやら決着を付けに来たらしい。
「決着をつけましょう、覇王」
魔王の声が煙幕を掻き分けて踏み出す覇王に問う。
「いいわ、魔王」
どちらが『私』に相応しいか。
魔王がその胸に秘めし願いを果たすのか。
あるいは覇王が勝ち得た物を護り通すのか。
「っ!?」
覇王に付き添う天一刀を突風が襲い、思わず閉じた目を彼が再び開くと眼前では目まぐるしい攻防が始まっていた。もはや彼女たちの一挙一動は見えないが、それでも迸る二つの火花が戦いの軌跡を描いている。
二人の曹操はすでに己の武器を捨て、その五体を頼りに戦いに挑んでいた。
紅く燃える魔王の拳が無数に刺突を繰り出し、掠めた覇王の頬を焼く。
白く輝く覇王の脚が鋭く弧を描いて飛び、交差した魔王の腕を阻む。
頭二つ分あるはずの体格差など微塵も感じさせない、ただ熾烈さだけが加速していく決闘だ。
「人間のままで、こうも出来るか!」
一度間合いを離した魔王が吼える。真ドラゴンから無類無双の力を得ている魔王に対して、生身の覇王が互角の条件下で匹敵し得るはずがなかった。しかし現実に覇王・曹操は全身に激しい光を纏って魔王に迫る勢いで戦っている。
「忘れたのかしら。この世界には万物を司る力が満ち溢れ、命の活力となる。人は其れを氣と呼び、積極的に取り込もうと先達たちは幾重にも技を磨いてきた。私はそれを踏襲したのみよ」
「馬鹿な、そんなものが―――――」
通じるはずがない、と魔王は首を幾度も横に振った。
仮に世界中にそういった力が存在したとして、だがすでに魔王はその全てを打倒した筈だ。その手で真ドラゴンへの道を切り開いたときに、世界の全てを敵として打ち破った筈だ。
魔王の往く前に敵は無く、魔王の往く後にも敵は無い。
「いいえ、通じるわ。貴方が『私』ならば分かるでしょう?」
「煩いっ!」
「貴方の敵は誰でもない、自分自身よ」
淡々と語りながらも覇王の攻勢は激しさを増していく。絶えず襲い掛かる乱撃は魔王を次第に追い詰め、ついに姿勢を崩した彼女の眼前で覇王が拳を振り上げた。
「それでも、それでも私に届くものか!」
刹那、覇王の視界が赤一色に染まった。
とどめの一撃を狙った覇王よりも一呼吸だけ速く、魔王が闘気を練って創り上げていた鎧を熱波に戻して解き放ったのだ。その威力は岩石よりも硬い広間の床が溶け出すほどの高熱である。人間などほんの一瞬で消し炭になってしまうだろう。
「所詮はこの程度なのよ、『私』」
自分を赤々と照らしあげる炎に消えた宿敵に、諭すように言葉を投げる。
『でも……忘れているものがあるわ』
「!?」
一面に広がる紅蓮の中から返ってきた答えに魔王がたじろいだ。
激しく燃え上がる炎を双戦斧で切り裂いて姿を現した天一刀。その腕は護るように覇王・曹操を抱いている。
「言ったはずだぜ、魔王。『華琳』に手を出すなら許さないって」
「くっ」
その眼光に魔王が怯む。
「もうやめるんだ、魔王。もうこれ以上は……」
「い、嫌っ! 嫌よ、認めない、認めないわ!」
たじろいだ様子だった魔王は、しかし次の瞬間には足元の床に大穴を形成して階下へ飛び降りてしまった。曹操と天一刀が追いかけようとするが、穴は瞬く間に塞がり、その行く手を阻む。
天一刀は状況の悪化に舌打ちした。
床を突き破ることは双戦斧を使えば容易で、すでに双戦斧は魔王を追うべく変形を始めている。だが問題は魔王の行き先であり、その場所に天一刀は心当たりがあった。
ゲッター炉心。
周囲から大量のゲッター線を取り込み、莫大なエネルギーに変換する真ドラゴンの心臓部であり、現在の魔王が持つ力の源泉だ。もし彼女が炉心に接触すれば、その暴走はいよいよ止められなくなってしまう。
「追うわよ、カズト。手遅れになる前に!」
「分かってる!」
覇王・曹操も天一刀の意図はすでに理解していたようだ。
旋風螺旋槍で掘り進み、一気に炉心があるであろう円筒型胴体の中央部を目指す。炉心の正確な位置は分からないので、方向は当てずっぽうだ。廊下の壁に丁寧な見取り図が張ってあるわけでもない。そんなこんなで十枚目の床を突き破ったところで激しい縦揺れが二人を襲った。
振動は一瞬のことではなく、それどころか収まる気配さえない。
十一枚目の床を突破。今までは広めの通路でしかなかった空間が、ここにきて巨大な空洞へと変わった。眼下に円筒形の装置が無数に整列し、その中央に一際巨大な塔が立っている。
その根元に揺れる人影が一つ。
そして遠く離れている二人にも伝わる、濃密なまでの狂気。魔王は今まさに最後の扉を開こうとしている。
「カズト!」
「ああ! チェンジ、ドラゴン!」
破壊した床は空洞の天井でもある。足場も何も無く、落下を始めた体を捻り天一刀は全身の氣を開放した。
身に纏う鎧の構成を体を分離させずに変形させ、天一刀は背中から一対の翼を鋭く延ばした。翼―――――マッハウィングから生まれる確かな揚力と推進力が天一刀に一時的な飛行能力を付与する。
目の前の空間ごと飛び越えるような速さで空を駆け抜け、炉心へと手を伸ばす魔王目掛けて強烈な蹴りを叩き込んだ。衝撃が周囲の床や装置に亀裂を走らせるが、魔王はその一撃を左腕一本で受け止めていた。
視線を交わすのは一瞬、覇王を抱えたまま天一刀は飛び退いて間合いを取る。蹴りを放った右足は痺れ切っていて感覚が無い。
動けぬ天一刀と覇王を見やり、魔王は再び右手を炉心へと伸ばした。
「よしなさいっ!」
「私は悪鬼の王。例え外道と成り果てても、我が悲願は必ず遂げてみせる」
「その願いさえ捨てるつもり!?」
此処に宿る力が何であるか覇王・曹操には分からないが、それが人の身には有り余るほどの物だという事だけは確信できる。
覇王の問いには答えず、魔王は炉心の隔壁を解き放った。
噴き出す光の奔流が魔王の肉体を包みこみ、次々に彼女の体内へと吸収されていく。それはかつて暴走した天一刀さえ歯牙にもかけぬほど強大な力の脈動だ。相対する本人が直感的にそう悟ったのだから間違いない。
もはや彼女を救う術はない。
もはや世界を救う術もない。
最後の賽は投げられたのだから。
「これまで……か」
片膝を着き、天一刀は愛する主を抱き寄せながら変貌を始める魔王を見つめる。これが最後ならば、せめてその姿だけでも記憶に刻もうと視線を向けた。
ふと、魔王の胸元で何かが光った気がした。
(なんだ?)
そもそも彼女の全身がすでに激しくうねる光の渦の中にある。
しかし自分が見たのは、もっと鈍い、金属的な光沢のようで―――――
(あれは、銅鏡?)
天一刀の視界で再びそれが煌いた。
今度は間違いなく見えた。
やや黒ずんだ、金属質の円盤が魔王の服にはめ込まれている。
「知っている……俺、あれを知っているぞ」
記憶がフラッシュバックする。
今まで脳髄の片隅へと追いやられていた記憶が蘇る。
何故に西暦21世紀を生きる自分が古代中国へと渡ってきたのか。
ごく平凡な日常の中に居た自分を、何が侵略と闘争の支配する世界へ放り込んだのか。
「っ――――――!」
もし仮に、自分が触れたあれが人の運命を変える程の力があるとするならば。
もし仮に、魔王が持つあれが自分の知る物とまったく同じだとしたら。
「華琳」
「何か策を思いついたようね」
「俺を投げてくれ」
「……分かったわ」
天一刀の視線の先―――――――魔王の胸にある銅鏡を見て覇王が頷く。
最早残された時間は無いに等しい。
巨大な斧へと姿を変えた天一刀を、覇王が渾身の力を込めて投擲する。最初にぶつかった魔王の大鎌を圧し折り、次いで熱波の鎧を砕き、だが無数の雷光が結界となって天一刀の侵攻を阻む。
あと一歩。
ほんの少し踏み込めば手の届く距離から天一刀は前に進めない。
(まだだ……)
此処で止まるわけにはいかない。
まだ終わるわけにはいかないのだ。
「まだだ……!」
ここで止まったら全てが無駄になってしまう。
自分が犠牲にしてきたものが全て、その意味をなくしてしまうのだ。
だから手を伸ばす。
だから、諦めない。
『華琳』を守る為に自分は居るのだ。
「とぉおおおどぉおおおおおおけぇぇえええええええええええっっっ!!!」
◇
「む!?」
「鬼が……アイツ、やったか」
鬼たちを屠り続ける事数刻。互いに背中合わせで剣を振るう夏侯惇と門矢士はその異変に声を漏らした。
あれほど苛烈に押し寄せていた鬼の群れが一斉にもだえ苦しみ、ドロドロに溶けていく。魔王から流入する鬼の原動力が断たれて肉体を維持できなくなったのだろう。そして何より漂っていた邪気が完全に消え失せていた。
決着はついた。魔王の敗北という形で。
勝利に沸く武将たちは互いに手を取り合い、無事を確かめ合った。
「だが、華琳様はご無事なのか?」
そうして安堵する一行の中でぽつりと夏侯淵が呟く。
はたと我に返ってみれば、未だに天一刀と曹操は戻ってきていない。
「まさか、華琳様が……!?」
肩を震わせる荀ケの脳裏に『死』の一文字が駆け巡る。居ても立ってもいられず、彼女は広間を飛び出そうと駈け出した。
魔王の撃破は邪気の喪失と鬼の全滅で説明がつく。しかしいずれも曹操の生存を裏付けるわけではなかった。相討ち、という最悪の結末さえ想像に難くない。
「華琳様、変態全身精液(中略)種馬男から今お助けいたします! 華琳様ぁぁぁぁぁ―――――わぷっ!?」
どんな想像をしたのかは分からないが、恐らく本筋から大分それていることは確かだ。それでも一心不乱に走る荀ケだったがちょうど広間の出口で行く手を阻まれ、勢い余って尻餅をついてしまった。鈍痛を主張するお尻をさすりながら、ふと視線を上げると、
「あら、桂花?」
彼女の敬愛する君主の姿があった。
何事もなかったように、いつもの様に王は微笑みかける。
「か、華琳様!? 華琳様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
抱きついてきた荀ケの頭を優しく撫でる覇王・曹操に、武将たちが駆け寄った。
「曹操さん、無事だったんですね!」
「当然でしょう。この覇王はそう簡単にやられないわよ、桃香」
「えへへ、そうでした」
舌を出して笑ってみせる劉備の隣でしかめっ面を作っているのは孫策だ。彼女の視線の先には、重そうに何かを背負ってよたよたと歩く天一刀の姿がある。
「殺さなかったのね、華琳」
彼が背負っているのは気絶したままの魔王・曹操。一連の騒動の首謀者が未だ存命とあっては、孫策が渋面を作るのも仕方あるまい。三国が被った損害を鑑みればその命を以ってしても償いきれるものではない。
天一刀の返答次第ではもう一戦交えん、とばかりに身構える孫策を遮ったのは誰であろう、貂蝉と卑弥呼だった。
「さっすがご主人様ぁん。ちゃんと呪いは解けたみたいねぇん」
「は? 呪い?」
「さっき言いそびれちゃったんだけどねぇ、ご主人様なら何とかしてくれるって信じてたわ」
(何故早く言わないし)という非難の目線を他所に、貂蝉は不気味に微笑むばかりだ。
そもそも貂蝉と卑弥呼は天一刀と曹操が最終決戦に赴く際に伝えようと考えていたのだが、二人揃って『どちらが先に華佗の治療を受けるか』で激しく口論していてうっかり忘れてしまったそうな。
気が付いたら時既に遅く、天一刀は出発した後だった。
「魔王の呪いも解けて鬼も消えた。じゃあ、これで一件落着なのね?」
貂蝉と卑弥呼への仕置きを姉に任せ、孫権が要点を纏めた。
「うん。あとは帰るだけさ」
背後から響く漢女の悲鳴は聞こえないふりをして、天一刀は頷いた。
そうと決まれば武将たちの行動は早い。真ドラゴンを降りた彼女たちは各々に下山の準備を始めた。まだ意識の戻らない魔王・曹操についても頂上に置き去りにするわけにはいかないので、三羽烏が丁重に運ぶことになった。
そして後は出発するだけになった頃、ふと夏侯淵は気付いた。
「姉者、華琳様をお見かけしなかったか?」
「そういえば……私は見てないぞ」
「出立の刻限をお知らせせねば」
すでに一部の将が先行して下山の進路の確保に向かっている。長くは待てないだろう。だが何処を探しても曹操の姿はない。それどころか……
「ホンゴウまでおらんだと!? いったいどうなっておるのだ!」
天一刀までも姿が見えないときた。どこかで二人寄り添ったりしているのではないか、とも考えられるが状況が状況なので在り得ないだろう。
ではいったいどこに、と頭を抱える夏侯惇。後ろでは出立の連絡に来た関羽が状況を把握しきれずに首をかしげている。把握できていないのは魏の将たちも同じだったが。
その時だった。
激しい地響きと共に真ドラゴンが動き出したのは。
「むお!」
「まさか、華琳様とホンゴウか!?」
上下に揺さぶられ、手近な岩にしがみ付く。山がひっくり返らんばかりの揺れの中で、夏侯惇たちは天へ昇る龍の背を見つめることしか出来なかった。
真ドラゴンの頭部に位置する魔王の玉座こそ、この怪物を操るための場所でもあった。玉座に腰掛けた天一刀の前には無数の操縦桿が突き出し、これらを使うことでその絶大な能力を解き放つ。
今や真ドラゴンは成層圏を抜け、地球の衛星軌道上に到達していた。特に天一刀が何かをしたわけでもない。それどころか彼は、まだ操縦桿に触れてさえいなかった。この巨大な龍が独りでに動いたのだ。
宇宙。
西暦2000年を越えてなお未知の領域である此処へ、まさかこのような形で訪れるとは天一刀も思っても見なかった。しかし感動などしている余裕はない。まだやらねばならないことがあるのだ。
「さて、ぶっ潰してやるか」
天一刀が真ドラゴンの内部に残っていたのには理由がある。
一つは、このオーバーテクノロジーの塊をあるべき場所に帰す為。
もう一つは、これに魔王・曹操を取り込ませた『本当の首謀者』を抹殺する為。そしてその居場所には真ドラゴンが導いてくれるだろう。
真ドラゴンの中で意識を失っていた時に見た夢の中で、光の声が教えてくれた。かつて魔王となる前の曹操がホンゴウカズトを失った事に苦悩していた頃、彼女に偽の伝承を伝えて狂気に走らせた者がいたのだ。
その名は―――――
「左慈と、于吉……ね」
「え!?」
玉座の間に響く自分以外の声に天一刀が振り返る。
つかつかと足早に歩み寄り、天一刀の膝の上に腰を下ろした声の主は実に不機嫌そうに眉根を寄せていた。
「もう一人の『私』から全て聞いたわ。それに貴方が一人で片をつけようとするぐらいお見通しよ?」
「華琳……」
膝元で不敵に微笑む曹操に天一刀も笑うしかない。
そう、いつだってこの少女にはお見通しなのだ。
操縦桿を固く握る天一刀の手に、曹操の手が重なる。
「ちゃんと動かせるんでしょうね?」
「さあね。俺だって触るのは初めてなんだ」
「呆れた……そのくせ一人でやってやろうなんて思ってたのね。私が乗り込んでなかったらどうなっていたことやら」
「感謝してるよ、華琳」
胸元にすっぽり収まっている少女の額にくちづけて、天一刀は操縦桿を握りなおした。
「来るわよ、カズト。月の方だわ」
敵はすでに真ドラゴンの動きを察知していたようだ。月の海から不気味に蠢く靄のようなものがあふれ出し、真ドラゴンの行く手を阻むように宇宙へ広がっていく。
いや、狙いは真ドラゴンの遥か向こう……地球だ。
「どうやら怨念とかの類みたいだな。神様気取りが随分と落ちぶれたもんだぜ」
ほんの僅かに蘇った記憶を振り返り、靄がかつて相対した男たち――――――左慈と于吉の成れの果てだと天一刀は理解した。
靄から聞こえてくるのは呪詛のような唸り声ばかりだ。意識も知性も何もかも失くして、ただの悪霊に成り果てたのだろう。真ドラゴンと魔王を使って何を企んでいたのか、その意図も目的も『それ』には関係ない。ただ悉く計画を挫いてきたホンゴウカズトへの憎悪が全てを占めている。
真ドラゴンは全身から光を放ちながら靄へ向かって突き進んでいく。程なく二つは激突し、やがて静寂だけが訪れた。
◇
あの戦いから一月の時間が流れた。
魏、呉、蜀の三国は今日も平穏無事である。鬼の脅威が払拭されたことで停滞していた交易も活発さを取り戻し始めていた。人の行き来が増えればそこから経済は発展し、新しい需要が生まれる。それを満たすために新しい供給が生まれ、そして次の展望が見えてくる。失われた命が蘇ることはなかったが、残された者たちの瞳には明日への希望が輝いている。
ただ、魏の政府には大きな変化が起きていた。
魔王との最終決戦を終えた時、彼らの中に曹操と天一刀の姿はなかったのだ。恐らく天へ還った真ドラゴンの中に居たのだろう、というのが武将たちの見解だったがさりとて納得できるものではない。何より差し迫った問題として、疲弊しきった三国の復興をせねばならず、魏はその中心国として先導していく立場にあった。そんな時に王が行方不明では進む話も進まない。
故に、影武者の擁立が求められたのは夏侯惇たちが帰国してすぐだった。
そして適任の人物が彼らの中に居たことは紛れもなく僥倖だったと言えるだろう。
今まさに会議を終えて、玉座に腰掛ける王の姿こそ件の影武者。
すらりと伸びた細い背と手足に、床まで届く金の髪。右目の眼帯は先の戦いで受けた傷を隠すためだという。
「この一月で各都市の機能は完全に回復を遂げています。見事な手腕です」
「…………昔取った杵柄、よ。称えられるほどの物ではないわ」
王の表情に負い目を見たのか、夏侯淵が小さく囁くが王は自嘲するように笑うばかりだ。
「再び王として復興に尽力する。これで少しでも償いになれば良いけれど」
そして祈るように瞼を閉じる彼女は、かつて魔王と呼ばれた曹操その人である。
政治的な空白と混乱を避けるため、そして彼女自身の贖罪のために彼女はもう一度魏の国へ戻ることを選んだ。彼女が魔王であることは公には伏せられており、また追求する者も居ない。元が曹操本人なのだから本物であることに間違いないのだから当然といえばその通りだ。
「しかし……戻ってくる気があるのかしらね、あの二人は」
宙を見つめ、曹操がぽつりと呟く。
「華琳様にはご壮健で在って頂きたいものですが」
「『私』よりもカズトの心配を……しなくてもいいわね。あれはもう、殺して死ぬような男ではないもの」
都の大通りはいい天気で、ごった返す人の波は途切れることを知らない。その中を縫う様に歩いていれば、街が今日も平和であることが見て取れた。
そんな町並みに軒を連ねる商店の一軒から大柄な男が刀を振り回しながら飛び出してきた。男の脇では人の頭ほどの大きさの皮袋がじゃらじゃらと金の音を鳴らしている。
何処から見ても押し込み強盗だ。
「そらぁうちの娘の嫁入り道具買う金なんでぇ! 返せってんだよ、この人でなしめ!」
店主が大声で怒鳴りつけるが、強盗が刀をチラつかせれば黙るしかない。
それは野次馬たちも同じで安全な距離から遠巻きに事の成り行きを見守るしかなかった。すでに住人の何人かが警備隊を呼びに走っているが、駆けつける前に強盗は逃げおおせてしまうだろう。
それは強盗も分かっているようだ。下品な笑いを浮かべ、持った刀を振り回して邪魔な野次馬を散らして道を開けようと……
「………………へ?」
キンッ、と甲高い金属音がしたかと思うと、強盗の持っていた刀は真ん中から綺麗に折れている。
次の瞬間、強盗は皮袋を放り出して地面に叩きつけられていた。
警備隊はようやく一人、二人と到着し始めたばかり。
店主は箒を振り上げて威嚇しているだけだ。
では、誰が……
「まったく。警備の質が落ちているんじゃない?」
「耳が痛いよ。とほほ」
「戻って早々にこれでは、仕事も大分溜まっていそうだわ」
そう言って嘆息するのは金色の髪を螺旋に結わえた少女だ。その気品溢れる立ち振る舞いから高貴な生まれだということが伺える。その隣で気絶した強盗を手持ちの荒縄で縛り上げている青年はさしずめ下僕だろうか。
「さあ、凱旋するわよ! カズト!」
「了解、了解……って華琳、置いてくなよ!」
人物紹介
魔王
正確には『魔王・曹操』(真名:華琳)。三国統一後、ホンゴウカズトが帰還出来なかった外史の覇王・曹操が真ドラゴンによって変貌した姿。ゲッター線によって身体能力を大幅に強化されており、その完璧超人さに拍車が掛かっている。真ドラゴンと何万という鬼の大軍を統率し、悲願である『カズトの奪還』を成就すべく時空の壁を突き破って襲来した。その行動原理はすべてホンゴウカズトを手に入れることに根差しており、真ドラゴンの使用はあくまで威圧のみに留めるなど徹底している。ゲッタービームの一撃で大陸が沈みかねないので、カズトと生きて再会したいのであれば当然といえば当然である。
覇王時代、真ドラゴンを得る為に世界中の国家と民族を相手に戦争を起こし、当時の地球人口の半数以上を虐殺。その折、最後に対峙した腹心・夏侯惇の刃を受け、右眼を失った。その後、ゲッター線を取り込んだ影響で肉体が大幅に成長し、長身怜悧かつグラマラスなナイスバディとなっている。胸はGカップ。
結論すると、世にも恐ろしいヤンデレ曹操である。持ち前の行動力と高い能力に加え、真ドラゴンというバックアップが付いた事で誰にも止められないスーパーヤンデレヒロインと化している。トマホークで地球を真っ二つに引き裂いて『やっぱり中には誰もいないじゃない』とか言いかねないほど。カーナシーミノー、ムーコウーヘトー……
もっとも、その暴走の半分ぐらいは銅鏡による洗脳措置によるもの。銅鏡を破壊された後はしっかり正気に戻っている。
原作のシナリオ次第で、こんなチート仕様の病気系ラスボスヒロインが生まれてしまうのだから世も末である。というよりもホンゴウカズトがしっかり気張って消えないようにしてれば何の問題もなかったのだ。
おのれ、ホンゴウカズト! 乙女心の破壊者め!
夏侯惇(鬼化)
魔王がかつて従えていた腹心・夏侯惇が鬼と化した姿。ホンゴウカズトを失ったことで心を病み、暴走を始めた曹操を阻止するために単身立ち向かい、死闘の末に戦死した。その遺体を魔王・曹操が鬼として蘇らせたのである。
生前の記憶と意識は残っているが魔王の強力な精神支配によって自由意志は奪われている。彼女が本来の魂を取り戻したのは、死の間際であった。
あとがき
ゆきっぷう「皆様、本日は『真(チェンジ!)恋姫†無双 ―妄徳秘龍伝― 巻の十弐・神天』をお読み頂きありがとうございます。ついに魔王の野望は阻止され、大陸に平和が戻りました。やったね!」
曹操(覇)「その代償は大きかったわ」
曹操(魔)「原作改変、設定捏造……もはや恋姫の世界観など殆ど残っていないじゃない。主に真ドラゴンで」
ゆきっぷう「そ、そんなことナイヨー。だってこんなに幸せ一杯じゃないか!」
曹操(覇)「どこにそんなものがあるというの!」
ゆきっぷう「ほら、カズト帰って来たじゃん?」
曹操(魔)「ググ……カズトヲ、カエシナサイ!」(ヤンデレ病再発)
ゆきっぷう「なんか違うスイッチが入ってる!?」
◇
ゆきっぷう「えー、というわけでですね。このチェン恋はあともうちょっとだけ続きます」
曹操(覇)「そうなの?」
ゆきっぷう「むしろ今までが前座みたいな感じだね」
曹操(魔)「―――――――やっぱりやるのね」
ゆきっぷう「まあね。もともとその為に書き始めた訳だし。っつうわけで次回予告をどうぞー」
曹操(魔)「次回、『真(チェンジ!)恋姫†無双 ―妄徳秘龍伝― 禁書:胡蝶の夢・天』。それは少女の憧憬の果て、それは少年の夢の対価……」
曹操(覇)「これが、最後の闘いなのね」
無事に魔王を倒したみたいだが。
美姫 「洗脳めいた物も解けたみたいだし」
黒幕らしき者も倒したしな。これで平穏な日常が。
美姫 「そうなるのかしらね」
意味深な後書きの台詞が気になるな。
美姫 「一体どうなるのかしらね」
そんな気になる続きは……。
美姫 「この後すぐ!」