優しい歌 第2部 第4話 断ち切る鎖
*
「う〜ん、今日もいい天気だ」
俺は大きく伸びをして天を仰いだ。
ここは横取家の客人用の寝室。俺は龍さんとの戦いで光神剣の力の一部をものにすることができた。まだほんの一部にすぎないがこの力は龍王剣の比ではない。
「この力で美優希を守る」
俺は光神剣を確かめるように拳を握りしめた。
「朝から燃えてますね〜、ご主人様」
不意にそんなのんびりとした声がすぐ横から聞こえてきた。
「うわっ!?あっ天美いつからそこにいた」
「何を言ってるんですか。わたしはいつでもどこでもご主人様のお側に控えています。それに昨日はご主人様のほうが寝かせてくれなかったじゃないですか〜。ああ……あんなことやこんなことまで、夜通しわたしを求めてやまないご主人様……いや〜ん、わたしご主人様なしじゃ生きていけない体になっちゃったらどうしよう」
「……どこかに縛るものはなかっただろうか」
一人布団の上で頬を赤らめて悶える天美を無視して俺は紐を探す。
「ああん、ご主人様はそういうのもお好みなのですね。でもあまり痛くしないでくださいね。わたしそういうの初めてなので、だから昨夜みたいに優しく天美を可愛がってください」
さらに悶える天美、もう俺には手におえん。
「はあ、もういい。朝から疲れた。それに前提が間違ってる。俺は昨日天美に何もしていない」
「そんな〜、冷たいこと言わないでください。あんなことやこんなこと、わたしといっぱいしたじゃないですか」
「付き合ってられん、一人でやっててくれ」
「あ〜ん、そんなあ。ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないですか〜」
俺は布団の上で手足をじたばたさせている天美をほっといて、顔を洗いに部屋を出て行った。
*
わたしは夢を見ていた。
天から降り注ぐ光の奔流、地から放たれる無数の矢。
それはわたしが、この世界から争いをなくそうと決意したあの戦いだった。
*
「漣、起きて。もう朝よ」
甘く耳元で囁かれるフィリスの声にわたしはうっすらと眼を開けた。
「もう……朝?」
「うふふ、そうよ。今日もいい天気だし、どこへ出かけようかしら?」
ベッドの脇に腰掛けてフィリスが微笑んでいた。
わたしはそんなフィリスの手を引っ張って抱きしめる。
「どうしたの?」
わたしの腕の中でフィリスが優しく問いかける。
「少しだけこのままでいさせて欲しい。フィリスのぬくもりを感じたいから」
「漣……」
フィリスは眼を細めて、猫のように頭をわたしの胸に擦り寄せてくる。
わたしはフィリスのぬくもりと匂いを感じながらこれから自分がすることへの覚悟と彼女への想いを確かめていた。
うん、大丈夫だ。このぬくもりが消えない限りわたしはやれる。
「今日はフィリスに手伝って欲しいことがあるんだ」
「わたしに?」
「そう、わたしがフィリスを守るためにわたしの失われた力を取り戻す方法」
「わたしにできることなの?」
「フィリスじゃなきゃ駄目なんだ」
「わたしにできることだったら何でもするわ」
「この方法はすごく大変なことだよ?たぶんすごく苦しいと思う」
「それでもあなたの力になれるのならわたしは構わない。だってわたしはあなたを信じているもの。前にも言ったでしょ。あなたの力になれるのならなんだってできるし、どんなことであってもどうということはないわ」
「ありがとう、フィリス」
そう言ってわたしはぎゅっとフィリスを抱きしめた。
もう二度と離しはしない。過去ではなく今の彼女をこれからずっと愛していくために。
そのためにも過去の鎖を断ち切り、柚那と訣別しなくてはならない。
彼女の意識は未だにあの忌まわしい呪いと共にフィリスの中に眠っている。
わたしがケジメをつけるためにも柚那を解放するためにもあの儀式を乗り越えなくてはならない。
――連魂の儀。
それは完全な魂の融合。
一つの器では抱えきれない力、例えば使い方を間違えれば破滅へと導く龍神の力。
邪悪な思念で押し潰そうとする呪いや人の心に巣くう負の力。それらを二つの器で打ち消す。
それがあの時わたしが見つけた連魂の儀の力だった。
わたしが柚那を全てのものから守るために見つけた秘術。
だけどあの時、わたしは最後の一線を越えられなかった。
柚那を守ることだけを考えていたわたしに超えることはできなかった。
連魂の儀にはもう一つの可能性があった。
それは二つの器に宿る魂が一つに結ばれることによって生まれる新しい力。
二人の想いが重なったとき見えてくる希望の光。それこそが聖龍の本来の力であった。
今度こそ迷わない。今なら解かる、あの時柚那が悲しい眼をしていた理由。
ただ守ることだけが優しさじゃない。この街の優しい人達が教えてくれた。
今度こそきっと大丈夫だ。やってやる。
わたしは決意を胸にフィリスを抱きしめる腕に力を込めた。
「あ〜、ごほん。仲睦まじいのは結構だけどさあ、一応あたしもいること忘れないでくれる?それに、そろそろ朝ごはん食べたいんだけど。フィリス。下で鍋がやばいことになってるよ」
「わっ、シェリー!?ごっごめんね。すぐ行くから」
部屋のドア口に立っていたシェリーさんに気づいたフィリスが驚いて飛び上がる。
それから大急ぎで階下へと降りていった。
「まったく、朝っぱらから見せ付けてくれちゃって。あたしが居るの気づいてたでしょ?」
シェリーさんがジト目でわたしを睨んでくる。
「ははは、ばれてましたか」
「あたしがいなかったらもっと先までやってたでしょ?」
「さて、何のことやら」
「よく言うよ。……それにしても、漣もずいぶんとここに溶け込んでるね」
「それは皆さんのおかげですよ。シェリーさんもそうだったのでしょう?」
「うん、そうだね……。この街の人は優しいよ」
「この世界に生きる人間の皆が皆優しい人ではありませんけど、こんなにも暖かい人達は確かにいるんです。だからこそわたしは人間が好きなんですよ」
「ありがとう」
シェリーさんは柔らかく微笑んだ。すごく綺麗だと思った。
「ところで今日……本当にやるんだね?あの儀式」
「はい。連魂の儀は満月の夜に行うことが絶対条件なんです。ですから、今夜。大丈夫です。わたしはもう迷いませんから」
「そっか。……頑張ってね。あたしはフィリスに幸せになってほしいから。フィリスのことよろしくね」
「はい。ただ、儀式の最中は無防備となるので」
「そのへんは任せといて。誰にも邪魔はさせないから」
そう言ってシェリーさんはにっこりと笑った。
「そろそろ降りましょうか。朝食の準備も整ってきたみたいですし」
階下から漂ってくる味噌汁の匂いに食欲をそそられてわたしは言った。
「そうだね。あたしお腹ぺこぺこだよ」
*
さざなみ寮に程近い、飲食店FOLX。そこに一人酒を片手に嘆く男の姿があった。
「あ〜、どうしてあんなところまでいって逃げ出すんだ。もう俺のばかばか〜」
いわずとしれた仮面ライダー、もとい高町士朗である。
嘆く士朗に他の客が遠巻きに迷惑そうな視線を投げかけている。
「ここにいましたか、探しましたよ士朗。さっ、こんなところで嘆いてないでいきますよ」
そこへ現れたのは救世主でも勇者でもない。ただの変態シルフィスである。
「うう……、行くってどこにだ?」
「貴方が一番会いたがっている人のところですよ。もういい加減このノリは飽きてきたので早急に解決してもらいます」
「なっ!?ちょっと待て。まだ心の準備が」
「待ちません。さっさと片付けてください」
そう言ってシルフィスは士朗をずるずると引きずっていった。
「いや〜っ!助けてくれ、桃子〜〜」
「今から会いにいくんじゃないですか。やれやれ、なんだかんだ言ってほんとは会いたいんでしょ?まったく世話が焼ける人ですね」
まだ何かぶつぶつと呟く士朗にシルフィスは大きく溜息を吐いた。
「そろそろイレギュラーな方々も動きだすころでしょうし、わたしも疑われない程度には働くとしましょうか。まだアレの存在を知られるわけにはいきませんからね。ふっふっふ……」
*
「よし、それじゃあ行くか」
俺は天美を伴って横鳥家の玄関に立っていた。
「祐介、待つのじゃ。わしも同行させてもらうぞ」
「えっ?」
「真の腕が鈍っとらんか確かめたいんじゃ。なに、お主等の邪魔はせんよ」
「確かに龍さんがついてきてくれれば心強いと思いますけど」
「それに秋子殿にも頼まれておるし、現状は理解しておるつもりじゃ。数の暴力でこられるといくらお主等といえども不利じゃろう?戦力は少しでも多いほうが便利じゃぞ」
「そこまで言うのならお願いします」
「よし、そうと決まればさっそく出発じゃ」
「祐介君、お義父さんのことお願いね。お義父さんもあまり無理をなさらないでくださいね」
雪美さんが見送りに出てきてくれた。
「わかっておるわい。留守の間よろしく頼む」
「では、行ってきます」
そう言って一礼すると俺達は横鳥家の門をくぐった。
するとそこへ息を切らした茜と澪がやってきた。
「はあ……はあ……なんとか……間に合ったみたいですね」
「茜に澪、どうしたんだい?そんなに急いで」
「(お兄さんに伝えたいことがあってきたの)」
澪が肩で息をしながらスケッチブックを見せる。
「俺に伝えたいこと?」
「はい」
どうにか息を整えた茜が真っ直ぐに俺を見て言った。
「私達もあなたについていきます。このままお別れというのも寂しすぎます。もっとあなたと一緒にいたいんです」
澪もそれにこくこくと頷いている。
澪は純粋に俺ともっと一緒にいたいという思いからだろう。だけど茜は……。
後ろで天美が唾を飲み込むのが解かった。
ここが修羅場ということか、まっもとから心は決まっているのだが。
「二人の気持ちはすごく嬉しい。でも俺にはやらなくちゃいけないことがあるんだ。それに二人を巻き込むわけにはいかないんだ」
俺の言葉に澪は泣きそうな顔をして俯いてしまうが、しばらくすると顔を上げてにっこりと笑った。
「(あまりわがままばっかり言ってちゃだめですよね。でもこれだけは約束してほしいの。必ずまた澪達の所へ会いにきて欲しいの。澪、せっかくお兄さんができたのにこれでお別れなんて悲しすぎます)」
「ああ、約束だ。必ず会いに行く。今のごたごたが落ち着いたら、真っ先に会いに行くよ」
澪の心の声に頷くと、俺はそっと澪の頭を撫でた。
うん、澪は強い子だ。きっとこの子はこのさきも力強く生きていくのだろう。
こんなことを言ったらリーアが嫉妬しそうだが、澪は人に自慢できる素敵な妹だ。
一頻り澪の頭を撫でると、俺は今度は茜と向き合う。
澪はもう大丈夫だろう、約束もしたし。さて問題なのは茜のほうだな。
茜は澪と違って親愛を求めてるのではない。だけど、俺はそれに答えることは出来ないから。
「茜、君が俺のことをどう思っていても、俺は君を悲しませることしかできない」
「……っ!?」
気づかれているとは思っていなかったのだろう、茜が息を呑む。
「俺は遠い過去に一時の迷いで本当に大切な人を失いかけたことがあるんだ」
「それは、祐介の……」
「良いから聞いてくれ」
思わず何かを言いかけた茜を制して、俺は言葉を続ける。
「辛かったよ、俺も彼女も。だから、もう二度とあんな想いをしないように、させないように俺は彼女を守ってきたつもりだし、これからも守っていく。だから、俺は君の気持ちには答えられない」
俺は真っ直ぐに茜を見つめてそう告げた。彼女の気持ちに敬意と誠意を持って。
「それでも私は祐介のことが好きです。この気持ちは誰にも譲れません。たとえこの想いが叶わぬ恋だとしても、あなたの傍にいたいんです。もう置いていかれるのは嫌なんですっ!!」
そう叫ぶ茜の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「茜さん、とても素敵です。そんな大切な気持ち、簡単に諦めることなんてできないし、しちゃいけないと思います。これからもその想いを大切にしてください」
いままで黙っていた天美が突然そう言った。
「天美さん……ありがとうございます」
茜はそれに涙を拭って笑って答えた。
――おい、天美。どういうつもりだ。俺はどうあっても茜になびくことはないぞ。
俺は予想外の展開に困惑しながら、天美に問うた。
――確かにあなたは美優希さんを守ることにある種の執念のようなものを持っていますし、なにより美優希さんのことを本当に愛しています。
――当たり前だ。美優希は俺が強くなれるたった一人の守りたい人なんだから。
――そう、あなたのその想いは純粋でとても強い。
だからこそ絶対的な力の干渉に弱いのです。
あなたの心は定まっていて定まっていない。愛や誓いは形のない不確かなものです。
だけど、力は確かな存在をもってそこにあるもの――。
それは俺が抱いている恐れであり弱みでもあった。
確かに俺は美優希を愛し、必ず守ると誓った。
だが、それと同時にシュウのような自分を越える悪意を持った力を恐れてもいる。
――だから、あなたに証明してほしいんです。あなたがその想いを貫き通すことができるか。
そう語る彼女は真っ直ぐに俺を見据えてくる。
そう、あの時俺達に光神剣を託した時の眼差しで。
俺はそのとき気づいた。どんなにそうは見えなくても、天美はやはり天龍王なのだと。
彼女は試そうとしているのだ。俺に光神剣を託した意味、俺が俺であることの意味を。
――俺は確かに何度も自分を見失いそうになった。でも、この想いに嘘も偽りもない。
なによりそれは自分の誇りであり誓いなんだ――。
そう言って俺は片時も手放したことのない翼のペンダントを掲げた。
俺がこれを持っている限りこの想いは揺らぐことはない。
信じる心は力となる。愛も誓いも見えないけれど確かにそこにあるものなんだ」
それは美優希からもらったお守りだった。
天美はそんな俺を見つめて、しばらくしてにっこり笑った。
――なら、大丈夫ですね。わたしからはもう言うことはありません。
「さっ、出発しましょう、茜さんも澪さんも何か足りないものがあったら一度家に帰って支度をしてきてください」
「えっ?」
「なっ!?ちょ、ちょっと待て、天美」
「何ですか?ご主人様」
困惑する俺達に天美は楽しそうににこにこしている。
俺はその瞳で全てを悟った。
「あ、あんたは……」
「このくらいは彼女にも権利があります」
「あの、いいんですか?」
茜も察したらしく俺を見上げてくる。
「あー……」
俺はしばらく逡巡してから結局頷いた。
「茜とはちゃんとケジメをつけたいし、何より幸せになってほしいから」
「祐介……」
茜は感極まって眼をうるませていた。
「そうやって落としていくんですね」
「なかなかの手際じゃな」
そんなことを言う天美と龍さんは無視しておいて、俺は澪のほうを見た。
彼女は迷っているようだった。
「(あの、本当にいいんですか?澪達お邪魔じゃないですか)」
そう俺に問いかけてくる。
「俺の責任でもあるし。いいよ、おいで」
それを聞いて澪が眼をキラキラさせながら俺に抱きついてきた。
「(やったーなの♪)」
そんな無邪気な澪を茜も微笑ましそうに眺めていた。
うん、なんとか治まったみたいだ。この後が大変そうだけど、まあなんとかなるだろう。
「それじゃあ私達は準備をしてくるので」
「ああ、急がなくていいからな」
嬉しそうに言う茜と澪に手を振って俺は頷いた。
二人は俺達に一礼してから一旦自宅へと戻っていった。
「さて、どうしてくれようか」
「だって、中途半端なのはよくないと思ったのでちょっとしたお節介です」
「やっぱあんたは天龍王だよ」
「どうしたんですか?改まって」
「またそんなのほほ〜んとした顔しやがって」
「えへへ、でもあなたも解かっているのでしょう?」
またあの眼で俺を見つめる。
「ああ、大丈夫。ちゃんと伝わったから」
「ならいいんです」
そう言って天美はにっこりと笑った。
*
喫茶翠屋。
そこは私の夢と思い出がたくさん詰まった大切な場所。
「今日も忙しくなりそうね」
まだ開店前だというのにお店の外にはお客さんの姿が見える。
恭也達はここ最近、さざなみ寮に入り浸っている。
何でも新しい出会いがあって、その中に自分と同じ剣術家がいて鍛えてもらっているとか。
あの子以上の剣士なんてそうそういないと思ってたけど、世の中って広いのね。
美由希やフィアッセも新しい友達ができて楽しそうにしている。うん、良いことだわ。
今は春休みで、平日のお客さんも学生を中心に多くなっているから人手は欲しいんだけど。
まあ、バイトの子も入ってくれてるし、大丈夫かしら。
大分準備も終わって後少しで開店の時間になるというときに、松っちゃんが少し困った顔をしてやってきた。
その後ろには長身の男性が立っている。
この人は確か前にうちに来てくれたお客さんだったはずだ。
とりあえず松っちゃんに訳を聞いてみよう。
「どしたの松っちゃん?」
「実はこの人が店長に話があるとかで」
どうも要領を得ない松っちゃんの説明に背後に経っていた人が口を開いた。
「忙しい時に大変申し訳ないのですがこちらも急を要するのでどうかご了承ください。わたしの名前はシルフィスです。以前こちらにお伺いしたのを覚えてらっしゃいますか?」
どうやらあの時の人で間違いなさそうだ。
「ええ、覚えていますよ。あの時は沢山買っていってくれましたものね」
「とても美味しかったもので」
「ありがとうございます」
「それで話というのはあなたに会っていただきたい人がいるのです」
「今からですか?」
私は思案げに尋ねた。
「そうです。彼の決心が鈍る前に、そうでないと逃げてしまいますからね」
「そうなんですか?」
私はそれを聞いてあの人のことを思い出して小さく笑ってしまった。
「だから無理を承知でお願いします」
私は頭を下げるシルフィスさんに時計をちらりと見ながら考える。
行列ができているとはいえ、客足がピークに達するのは昼時から3時くらいの間である。
それでも自分が抜ければ他の子達に負担がかかるのは否めない。
「店長、行ってきたらどうですか?」
「松っちゃん……、でも」
私は外の様子を伺った。外にはそれなりの数のお客さんが並んでいた。
「あのくらいなら私達だけでもさばけますよ。それに行けば何かいいことがあるかもしれませんよ?」
そう言って松っちゃんが意味深に笑った。
「……そこまで言うんなら解かったわ。でもなるべく早く帰ってくるからね。その間お店のことお願いね松っちゃん」
「はい。任せてください」
松っちゃんが大きく頷くのを確認してから私はシルフィスさんのほうへ向き直った。
「それじゃあシルフィスさん、案内してください」
「はい、それじゃあ行きましょう」
シルフィスさんは外に止めてある車を指し示して歩き出した。
*
二人が出て行ってしばらくして松尾は小さく溜息を吐いた。
「店長、大丈夫かな?あの人の話が本当だとしたら……店長驚くだろうな」
松尾は最初に事情を聞いていたのである。
未だに信じられないが、彼女が帰ってくれば解かることだろう。
「さあ店長がいない間は頑張らなくちゃ」
軽く気合を入れた松尾は厨房の中へと消えていった。
*
わたしはフィリスとリスティさん、シェリーさんを連れてさざなみ寮の裏山にある湖の辺
まで来ていた。
ここである人物から連魂の儀に必要なある物を受け取ることになっていた。
人目を避けたかったので、待ち合わせ場所は人があまり来ないここを選んだ。
湖の辺に着いたときリスティさんが眼を細めた。
「……今はもう大丈夫みたいだな」
「リスティさん?どうかしたんですか」
「ああ、いや。ここに来ると思い出すんだよ、雪と共にやってきて幻のように去っていったあいつのことをね。あれから何年になるんだろうな……。まあこれはボクの感傷だから気にしないで」
そう言ってリスティさんは手のひらをひらひらと振って笑った。
ここで何かあったのだろうか。
確かにこの湖には何か大きな力が眠っている。だけど悪意は感じられない。
きっとすでに終わっているのだろう。
わたしがそう納得していると反対側から二人の男性が現れた。一人は辰巳さん、もう一人は……。
「……総族長」
「久しぶりじゃな、漣」
そこに立っていた老人はわたし達龍神族の総族長だった。だけど何故こんなところにいるんだろう。
「辰巳に頼んでついて来たのじゃ。おまえが全てを賭けて守ろうとした人間をこの眼で見ておきたかったのでな。今まで皆の報告だけでしか人間を知らず、この眼で見たことがなかった。だからこそあのような選択をしたのじゃろうな。その選択が正しかったのか否か、それを見極めるためにも人間という生き物をこの眼で確かめておきたかった」
わたしはその眼をまっすぐに見据えて口を開いた。
「人間は面白い生き物ですよ。人間は美しくもあり醜くもあるんです。確かに今までに総族長が耳にしたような残忍な一面も持っています。だけどそんな暗いこととは無縁で、ただひたすらに優しくて暖かい心を持つ人間だっているんです。わたしはどちらの人間とも接してきたからこそそうだと言えます。だからわたしは好きなんです。人間が」
「変わらんのじゃな、あの時から」
総族長は眼を細めてそう呟いた。
「変わりませんよ。それにあれから時代も人も変わっていきました。いい意味で変わらないものもありますが」
そう言ってわたしはフィリス達のほうを見た。
今も昔も変わらないぬくもり、それがそこにあった。
「そうじゃな。わし等だけが変われずにいたのじゃな、こんなにも長く生きるわし等が古い鎖に囚われているとは皮肉なものじゃな」
自嘲気味に笑う総族長にフィリスは首を振った。
「そんなことはないと思います。過ちに気づいたのならそこからやり直せばいいと思います」
「フィリス」
「わたしのこの身は歪んだ方法で生み出され、殺戮の道具として育てられました。他のことを何も知らなかったわたしはそのことに疑問を持つことなく命じられるままに何十人という数の人たちを殺してしまいました。けれど、姉がそれを止めてくれて、家族が温もりを教えてくれたから、わたしは過ちに気づけたんです」
一息にそう言うと、フィリスはほぅ、と溜息を吐いた。
「まぁ、これが医者を目指したのもそんときの償いって部分が大きいからね」
「あたしもだよ。この力で、一人でも多く助けられたらッていつも思ってる」
「おまえの場合は多分に無茶が過ぎるけどな」
「もう、二人ともそれくらいにしなさい」
言い合う二人を軽く窘めつつ、フィリスは済みませんと頭を下げる。
総族長はそんな彼女たちを見て穏やかな微笑を浮かべていた。
「人間の娘さんよ、そなたは強いのじゃな」
「そんなことありません、人はとても弱い生き物です。一人じゃ何もできないもの、だから誰かを求めて寄り添って生きていくんです。そうすれば、強くなれます。かけがえのない大切なもの。守りたいものがあれば人は強くなれるんです」
「心と心の強い結びつきは何者よりも大きな力となる……信じる心が力となる…か。それこそが我々の属する力の根源であったはずなのにな。いつの間にわし等はそれを忘れてしまっていたのじゃろうな」
「総族長、それに気づいたのならまたそこからやり直せばいいんですよ」
フィリスの言葉をかみ締める総族長にわたしは力強く頷いてみせた。
「そうじゃな。それでよかったんじゃな……やはり直接出向いてきてよかった。人間とはこういうものなんじゃな。今ようやっとあの時の答えがだせそうじゃ」
総族長はそう言って満足げに笑った。
「ですがやはり人間にも悪意に満ちた悪鬼羅刹のごとく残虐な人間も存在します。だから人間も変わらなくてはいけないんです」
「そうか、こちらも大変なのじゃな。だがここに来て本当によかった。そうじゃ娘さん、名を教えてくれんかの。またいつか出会ったときのために覚えておきたいのじゃが」
「フィリス・矢沢です」
「そちらのおふた方は何というのじゃ?」
総族長はフィリスの後ろで所在無げにしていたリスティさんとシェリーさんに眼を向けた。
「わたしの姉と妹です」
フィリスに促されて二人は挨拶をする。
「姉のリスティ・槇原です。ボクに言わせれば外見なんてどうだっていいと思うんだけどね。大事なのは本当はどう思っているかだと思う」
さすがリスティさん、初対面なのに思いっきりタメ口だ。
「はじめまして、妹のセルフィ・アルバレットです。悲しいことはいっぱいあるけど、そんなとき優しく抱きしめてくれる温かい場所だってあるんです。あたしはこの街にたくさんのことを教えてもらいました」
そう言ってシェリーさんは丁寧にお辞儀をする。うーん、リスティさんとは正反対だな。
「確かにこの街には不思議な力を感じる。こんなにも穏やかな力は初めてじゃ。だからここに眠る魔神も穏やかで居られるのじゃろうな。わしの名は焔。他の龍神からは総族長と呼ばれておるが、所詮はただの年老いたじじいよ。またどこかで会えるときを楽しみにしているよ」
そう言って総族長はまた愉快そうに笑った。
「総族長、そろそろいいですか?」
辰巳さんが頃合いを見計らって口を開いた。
「おお、そうじゃったな」
そう言って総族長も頷いた。それを確認して辰巳さんはわたしに細長い包みを渡した。
「旦那に頼まれた通り持ってきましたよ。“空の剣”」
「ありがとうございます」
わたしは受け取った包みを解いて空の剣を引き抜いた。
それは透き通る水のように光を反射してきらきらと輝いていた。
「……今度こそ、迷わない」
わたしは決意を胸にぐっと拳を握り締めた。
*
私はシルフィスさんに連れられて藤見台にある小高い丘の上までやってきた。
「ここって……」
「あなたにとっては馴染みの深い場所かもしれませんがね」
そうここは、今は亡き夫の士朗が眠る場所だった。
ここを選んだってことは、士郎さん縁の人かしら。
そう思って辺りを見回してみたけれど、自分達以外に人の姿はなさそうだ。
シルフィスさんも辺りを見回して溜息を吐いている。
「やれやれ……あなたも往生際が悪いですね。そこにいるのは解かっているのです、でてきなさい」
シルフィスさんが墓の一角を見据えてそう言った。
「……しぶといですね。これ以上粘ると桃子さんの前で無様な格好をさらすことになりますよ?」
その言葉に墓の裏で何かが動いたのが解かった。
しばらくしてその墓の裏からゆらりと背を向けた人物が立ち上がる。
その人は拳をぐっと握ると、意を決したようにこちらを振り向いた。
そこに立っていたのは……。
「あなた……!?」
「や、やあ……久しぶりだな。桃子」
そこに立っていたのは本来あり得ない人物だった。
「本当にあなたなの?」
私は夢を見ているんじゃないかと我が眼を疑った。
「ずっと、会いたかった」
照れくさそうに頬を掻きながら微笑む姿は、自分の最愛の夫そのものだった。
「生きて……無事に」
あまりにも突然のことに、それ以上なにも言えなかった。
驚きと喜び、戸惑いと怒り。それらがない混ぜになってうまく心が整理できない。
「その様子だと恭也はちゃんと約束を守ってくれたみたいだな」
「えっ?」
士郎さんの言いようからすると、恭也はこのことを知っていたっていうの。
「直接は会っていないが渡すものは渡した。顔を合わせずらかったから。ほら、俺一応死んだってことになってるから」
「だからって、連絡くらいくれてもいいじゃないっ!!あの時あなたが死んだって話を聞いてすごく悲しかったんだから。恭也はあなたを追いかけて無茶をするし、美由希は塞ぎこんじゃうし、私どうしていいか解からなかったんだから」
溢れ出してくる激情を止めることはできなかった。
だってもう二度と会えないと思っていたから、もう抱きしめて笑ってくれないと思ったから。
「すまん、沢山悲しませてしまったな。俺は今まですっと迷ってたんだ。本当はあの爆発のあと病院で眼が覚めて、すぐにでも桃子達のところに会いに行きたかった。だけど今出て行って皆の迷惑にならないかと不安だったんだ」
「そんなこと……そんなことどうだってよかったのに。ただあなたが生きてることさえ解かれば信じて待っていられたのに……あなたのバカ」
「そうだな、確かに俺はバカだ。最初から迷うことなんてなかったのかもしれないな」
そう言って私を優しく抱きしめてくれた。
「桃子、俺をまだ夫だと思ってくれているのなら。もう一度俺と一緒に未来を歩いてほしい」
「はい、あなた。もうどこにも行かないでくださいね」
「ああ、約束だ」
わたしはもうここに来て泣くことはないだろう。
泣いていい場所は、弱くなっていい場所はもっと暖かい場所に変わったから。
もう大丈夫。
これからは無理をすることなく頑張っていける。子供達の成長を穏やかに見守っていける。
私はもう大丈夫だ。
あとがき
こんにちは、堀江紀衣です。今回は漣さんがフィリスさんを襲う準備をするのと、だめだめな士朗さんがシルフィスさんの手引きにより桃子さんと再会するお話です。
麗奈「祐介が女の子二人を土産にするのも忘れずにね」
佐祐理「あはは〜、祐介さんが帰ってきたら面白いことになりそうですね」
真雪「美優希の木箱が唸るのか?」
知佳「三枚おろしじゃすまなさそうな予感が」
麗奈「ま、当然の報いでしょうね」
真雪「こっちは大変なことになってるっていうのによ」
佐祐理「まったくですね。やはりこれはさざなみ寮のお仕置き部屋に入れるべきです」
麗奈「お仕置きか……ふふふ、いい響きじゃない」
真雪「おっ、やっぱ蛇坂もそう思うか?気が合うな」
麗奈「ええ、あの感触が溜まらないのよね」
真雪「うんうん」
知佳「こらこら、そこの二人。何、危険なネタで意気投合してるの」
佐祐理「あっ、そういえば今回は紀衣さんが由衣さんを襲うんですよね」
麗奈「そういえばそうだったわね。ついに紀衣も本性を現したか」
紀衣「なっ、何言ってるんですか!?そんなわけないでしょ」
真雪「でも襲うんだろ?」
紀衣「いや、だから……」
佐祐理「それじゃあ、あとがき物語行ってみましょう♪」
紀衣「人の話を聞け――――――――――――――――――っ!!!!」
ようやく桃子と再会〜。
美姫 「そして、儀式がいよいよ始まるのね」
さてさて、動き始める事態。
美姫 「何が待っているのかしら」
そして、祐介は無事に済むのか。
美姫 「次回は地獄絵図画展開されてしまうのかしら」
次回も待っていまーす。
美姫 「待ってますね〜」