『トゥーランドット』




        第一幕  氷の姫


 高い城壁がある。まるで天に達するのではないのか、という程にまで高く、それでいて厚い壁である。
 そして城門もまた厚い。鉄で作られたその扉はまるで地獄へ向かう門のようである。
 城門の側には一つの銅鑼がある。それは普通の銅鑼よりもずっと大きかった。そしてそのすぐ脇には数本の柱が立っている。
 その柱の上には何かが刺さっている。見ればどれも若い男の首である。
 皆それを溜息混じりに見ている。何か嫌な思いでもあるのだろうか。
 長い歴史を誇り繁栄するこの国の都北京。今この街には一つの厄介な悩み事があった。
「良いか皆の者」
 夕暮れの街で鎧兜に身を固めた一人の武官が宮城の門の前で民衆に向かって文を読み上げている。見れば宮城の門も城門と同じく重く厚い。やはり地獄の門に似ている。
「姫からのお達しである」
 皆それを聞いてザワザワと声をあげる。
「我がトゥーランドット姫は自らが出された謎を解いた者を夫とすると布告されている」
 皆それを聞いて顔を見合わせた。
「若しかして・・・・・・」
 皆何かに期待しているようだ。
「だがペルシャの王子は謎を解くことが出来なかった。よって今日の月の出と共に死刑に処される」
「・・・・・・・・・」
 皆それを聞いて深い溜息をついた。
「場所はいつもの処刑場である。姫も来られるとのことである。以上」
 そう言って武官はその場を後にした。
 民衆達は彼の後ろ姿を見て落胆した声をあげた。
「また駄目だったのか」
「一体これで何人目なんだ」
 彼等は憂いに満ちた表情で口々に言った。
「どうする、そのペルシャの王子様の最後を見に行くか」
 誰かが言った。
「男前の王子様だったけれどな。何か可哀想だよなあ」
「しかし姫様も来られるんだろう、やはり見に行きたいよな」
 別の者がそう言った。
「ああ、姫様はお目にかかりたいな」
 一人の男がそれに賛同した。
「確かにお美しい姫様だけれども」
 その中の一人が言った。
「しかしその心は氷の様に冷たいときたものだ」
 皆そう言って落胆した。
 それでも処刑場へ見に行く者はいる。だが誰もその表情は晴れない。
「何か暗い雰囲気ですね」
 宮城の前を歩く一人の少女が彼等を見て言った。
 長く黒い髪を後ろで束ねた小柄な可愛らしい少女である。黒い瞳は大きく愛らしい。
 その白い肌は夕陽に映え更に美しく見える。漢人の服ではなく白い胡服を着ているところを見るとどうやら異民族であるらしい。
「そうなのか、わしにはよく見えぬが」
 その後ろにいる老人が言った。白い髪に白い髭を生やしている。腰は曲がり顔には深い皺が刻まれているがその物腰からは気品が漂っている。やはり胡服を着ている。
「陛下、やはりご気分が優れませぬか」
 少女はその老人を気遣って声をかけた。
「いや、そうではない。ただ今日はどうも目の調子が悪くてな」
 彼は弱々しく笑って答えた。
「あまり遠くのものが見えんのだ。耳は聞こえるからよいのだが」
「そうでございますか」
 少女は少しホッとしたようである。
「それにしてもここでお会い出来ると思ったのですが」
 少女は哀しそうな声で呟いた。
「カラフのことか」
 老人はそれを聞いて言った。
「はい。折角この街におられると聞いて文を送りお約束までしたというのに」
 彼女はさらに哀しそうな声を漏らした。
「リューよ、そう悲観するものではない」
 老人は少女の名を呼んで慰めた。
「あ奴は約束を破るような男ではない。必ずここにやって来る」
「はい・・・・・・」
 リューは頷いた。その言葉に少し元気付けられたようである。
「あ奴はこのわしの息子じゃ。だからこそよくわかるのじゃ」
「そうでしたね」
 リューはそれを聞きようやく微笑んだ。
「このティムールのな。といってもわしは自分の国さえ守れなかった愚かな男じゃがな」
 彼は自嘲を込めて言った。
「いえ、それは違います」
 リューはティムールを慰めるようにして言った。
「陛下がお国を守れなかったのは陛下のせいではありませんわ。全ては天の時です」
「そうなのかの、実の弟の邪な企みに気付かず国を追われたのはわしが愚かであったからじゃが」
 彼は苦渋に満ちた声で言った。
「お気になされないよう。あの男もいずれ天の裁きを受けます故」
「うむ・・・・・・」
 彼は表情を暗くした。どうやら彼は実の弟の反乱により国を追われたらしい。
「父上」
 そこで声がした。二人はその声を聞いて思わず顔を上げた。
「あ・・・・・・」
 そこには青い胡服を着た若い男が立っていた。
 背は高く体格は堂々としている。彫りの深い顔は引き締まり威厳と知性をかもし出している。黒い髪は後ろで下に束ねられている。黒い目には強い光が宿っている。
「殿下・・・・・・」
 リューは彼の姿を見て思わず声を漏らした。
「カラフ、無事であったか」
 ティムールも彼の姿を認めて思わず声を漏らした。
「父上、リューお久し振りです。まさか再びお会い出来るとは思っておりませんでした」
 彼はそう言うと二人を抱き締めた。
「本当に、とくご無事で」
 リューはその手の中で涙を流しながら言った。
「ああ、そなたも無事で何よりだ」
 彼はそんなリューに対して言葉を返した。
「そんな、勿体のうございます」
 リューは彼の手から離れて謙遜して言った。
「いや、そんなことはない。私が父上とこうして再会出来たのへ全てそなたのおかげなのだ。このカラフ、心から礼を
言わせてもらうぞ」
「殿下・・・・・・」
 リューはそれを聞いて涙で服を濡らした。
「ところで父上、ペルシャの王子が処刑されるようですね」
 カラフは処刑場へ向かう民衆を見て言った。
「お主は知っているのか?」
 ティムールは息子に対して問うた。
「はい、この街に止まって暫く経ちます故」
 カラフは暗い表情で答えた。
「この国の姫は自身の求婚者に謎を出すのです」
「ほう、そして」
 ティムールはその話に興味を持った。
「答えられればそれで良し、しかし答えられぬ場合は・・・・・・」
「死か・・・・・・」
 ティムールはそれを聞いて思わず呟いた。
「はい。そして今までに何人もの尊い命が散りました」
 彼は顔を俯けて言った。
「そうなのか、惨い話よのう」
 ティムールもそれを聞き表情を暗くさせた。
「しかしそれでも尚姫を求める者が出て来るのだ?聞くところによるとこの国は男しか国を継げぬというが」
 彼は息子に問うた。
「それは姫があまりにも美しいからです。伝え聞くところによると姫はこの世のものとは思えぬ程の美しさだとか」
 彼は父に対して答えた。
「湧き上がる心は抑えられぬということは例え命をかけようとも」
「はい。しかし既に多くの者が首を刎ねられました」
「それが城門に刺さっていた首・・・・・・」
 リューも暗い顔をして言った。
「そう。答えられなかった者は月の出と共に首を刎ねられあの場所に晒されるのだ」
 彼は言った。
「そして今日もまた一人か」
 ティムールはうなだれて呟いた。
「はい、気の毒なことですが」
 カラフは死にいくペルシャの王子に同情して言った。
「しかしそのお姫様とはそれ程美しいお方なのですか?」
 リューが問うた。
「私はそれは知らない。だが絶世の美女だという話だ」
 カラフはそう答えた。
「絶世の美女ですか」
 彼女はそれを再び聞いて興味を持った。
「陛下、殿下」
 そして二人に対して言った。
「もしよろしければそのお姫様を見に行きませんか?」
 そして二人にそう提案した。
「あの姫をか」
 彼はそれを聞いて言った。
「そうだな・・・・・・」
 そして彼は考え込んだ。
「他ならぬそなたの頼みだ。私には異存は無いが」
 そう言うと父のほうに顔を向けた。
「父上はよろしいでしょうか?」
 そして父に尋ねた。
「わしは構わんぞ」
 ティムールはしわがれた声で言った。
「そなた等がそれを願うのならな。そなた達の好きにするがいい」
「わかりました」
 二人はそれを聞くと彼に頭を垂れた。
「では行くとしよう」
「はい」
 こうして三人は処刑場に向かった。

 処刑場には多くの人々が集まっていた。台の上には首切り役人が大きな刀を持って用意していた。
「おい、まだか」
 民衆の一人が言った。
「まだだ、月は出ていないぞ」
 処刑場の中に警護を務める兵士の一人が言った。
「そうか、そういえばお役人はまだ刀を磨いているな」
 みれば首切り役人はその刀を念入りに磨いている。
「しかしあの人も忙しいよな」
 民衆の中の誰かが言った。
「ああ、あの刀が乾く日はないんじゃないか」
 別の者が言った。
「本人はあまり乗り気じゃないみたいだけれどな」
 見ればその表情が暗い。
「そりゃそうさ。誰だってあんな仕事はしたくはない」
 そうであった。首切り役人の気は晴れなかった。
「またこうして罪も無い者の首を切るのか」
 役人は磨き終えた刀を見てそう呟いた。
「一体こうしたことが何時まで続くんだ」
 暗澹たる気持ちだった。だがそれを顔に出すわけにはいかない。
「そろそろ月が出る頃だな」
 彼は暗くなった空を見てそう言った。
「銅鑼が鳴れば全ては終わりだ」
 見れば刑場の端にある銅鑼の前で銅鑼を叩く兵士も空を見ている。彼もまたその表情は暗い。
「そろそろだぞ」
 民衆達も空を見ている。そして言った。
「出るぞ」
 城門の上に明るいものが姿を現わしてきた。皆その顔が暗くなる。
「出たぞ・・・・・・」
 遂に月が姿を現わした。首切り役人も銅鑼の前の兵士も暗い表情で配置についた。
 銅鑼が鳴った。蒼白い月の下その音が刑場に響き渡った。
「来たぞ」 
 馬に乗った将校を先頭に兵士達の一団がやって来る。それぞれ手に槍や剣を持っている。
 その中央に両手を後ろで縛られた若者がいる。浅黒い彫の深い顔をしている。服はペルシャの貴人の服だ。彼は蒼ざめた顔で前を歩いていく。
「まだお若いというのに」
 民衆は彼の姿を見て気の毒そうに言った。
「ああ、だが謎を解くことが出来なかったからな」
 彼に聞こえないように小声で言う。だがそれはおそらく耳に入っている。
「はじまるのですね」
 刑場の中でも特に見通しのいい場所にいたリューは隣にいるカラフに対して言った。
「うむ、あの若者の命がこの血生臭い場所の露となる」
 カラフは唇を噛み締めて言った。
「お情はないのですか!?」
 リューは問うた。
「無駄だ、姫は氷の様に冷たい心を持っているという。彼の命は今ここで終わる」
「そんな・・・・・・」
 リューはその言葉に絶望して言った。
 見れば民衆もリューと同じ考えである。
「おい、何とかして恩赦はないものか!?」
 誰かが言った。
「そうだ、謎を解けなかったというだけで死刑なんて酷過ぎるぞ!」
 別の者が言った。
「頼むから今回は恩赦を!」 
 その声はやがて刑場に満ちていった。
「助けてやれ、助けてやれ!」
 だがそれはたった一人の声で打ち消された。
「黙りなさい!」
 冷たく高い女の声だった。澄んではいるがその響きは何処か人のものではなかった。
「姫・・・・・・」
 皆その声がした方を振り向いた。そこは刑場を一瞥する高座であった。そこに一人の女が立っていた。
 その女は豪奢な金と銀に輝く丈の長い服を着ていた。頭には美しく装飾された冠を着けている。その美貌はこの世のものとは思えぬ程であった。肌は白く雪のようである。鼻は高く口は小さい。そして切れ長の黒い瞳はまるで鳳凰のそれのようであった。その全身からは神々しいまでの気が発されていた。
 黒い髪は後ろに下ろされている。床にまで達さんとするそれはまるで絹のようであった。
「あれが姫か・・・・・・」
 カラフはその眩いまでの姿を見て思わず息を飲んだ。
「噂は真だった。まさかこれ程までの美しさだとは・・・・・・」
 彼は姫から片時も目を離すことが出来なくなっていた。
「我が夫となる者には謎を出す。そして答えられぬ場合には死を与える」
 彼女は民衆を見下ろして言った。
「それは法で定められた通り。逆らうことは許しません」
 彼女は刑場全体に響くその冷たい声で言った。皆その声に沈黙してしまった。
「はじめなさい」
 彼は首切り役人に対して言った。役人はそれを聞くと彼女に対して一礼した。
 銅鑼が再び鳴った。王子が処刑台の上に来た。
「いよいよか」
 民衆はそれを見て絶望した気持ちになった。王子は跪き首を差し出した。
 刀が振り下ろされた。王子の首は血飛沫と共に飛んだ。
「終わった・・・・・・」
 皆それを見て落胆して言った。首は床に落ち役人に拾われた。
 それを見届けた姫はその場から立ち去った。民衆も一人また一人とその場を後にした。
「終わりましたね・・・・・・」
 リューは蒼ざめた顔で言った。
「姫様は何故あのようなことを・・・・・・」
 彼女の顔は哀しみに満ちていた。
「全くじゃ。謎が答えられぬことが罪だというのか」
 ティムールもその顔を暗くさせていた。
「・・・・・・・・・」
 その二人に対してカラフは沈黙していた。ただ姫がいたその場所を見つめていた。
「トゥーランドット・・・・・・」
 彼はふと呟いた。
「それは何のことですか?」
 リューが尋ねた。
「あの姫の名だ」
 カラフは答えた。
「トゥーランドット・・・・・・不思議な名ですね」
「うむ。この世の者の名ではないようじゃ」
 ティムールもそれを聞いて言った。
「父上、リュー」
 彼は二人に顔を向けて言った。
「殿下、どうなさいました?」
 リューが問うた。
「私はあの謎を解きたくなりました」
「え・・・・・・」
 それを聞いた二人の顔が再び蒼白となった。
「私はあの姫の心を手に入れて見せます!」
 彼は二人に対して叫んだ。
「馬鹿な、何を言っておるのじゃ!」
 ティムールは息子に対して叫んだ。
「そうです、もし答えられない場合は・・・・・・」
 リューも懸命に諫めようとする。だがカラフは聞かない。
「心配無用です。何故なら私は必ずその謎を解くからです」
 彼は自信に満ちた声で言った。
「いかん、いかんぞ!」
 ティムールはそんな息子に対し強い口調で言った。
「あのペルシャの王子を見ただろう、むざむざ殺されに行くつもりか!」
「違います、私は勝利と栄光を勝ち取るのです!」
 カラフはそんな父の声を聞こうともしない。
「そう、私にかかれば謎など!」
「お止め下さい、お願いです!」
 リューも必死に諫める。だがカラフはそれでも引かない。
「二人共御覧あれ、私があの姫を勝ち取るのを」
「一体何を騒いでおるのじゃ!?」
 そこでかん高い声が響いてきた。
「む・・・・・・」
 見れば官服を着ている。役人らしい。しかもその服が豪奢であるところを見るとかなり位の高い者達のようだ。
「全くよりによってこのような場所で」
「そなた達も早く何処かへ行き休むがいい。見ていていいものではなかったであろう」
 彼等は不思議な響きのするやけに高い声で言う。
 三人共髭が無い。そして顔立ちも何処か中性的である。宦官のようだ。
 中国だけでなくトルコやエジプト等にいた者達である。皇帝やその妻妾達の身の周りの世話をする為に去勢された男達である。古来より存在していた。
 彼等は皇帝の側にいた為時として辣腕を振るった。中には腐敗の中心となった者もいる。
 その為に彼等は時として忌み嫌われた。宦官というだけで排斥され殺されたこともある。だがそれでも尚存在し続けた。何故か。皇帝の身の周りを世話するには必要な存在であったからだ。
「ところでお主」
 彼等はカラフのところにやって来た。
「先程何と申した?」
 そして問い詰める。
「決まったこと。姫に結婚を申し込むのだ」
 カラフは毅然として言った。
「またここに愚か者が一人・・・・・・」
 彼等は首を横に振って言った。
「さっき何があったのか見ておらぬわけではあるまい」
 彼等のうち一人が言った。
「勿論」
 カラフはその尊大とも見える態度を崩すことなく言った。
「ならば止めておけ。むざむざ死ぬこともなかろう」
「そうじゃ、折角親からもらった命じゃ、粗末にすることはないぞ」
 彼等はカラフを諭す。
「のう、そこの娘、そなたもそう思うであろう?」
 彼等はリューに対し問うた。
「はい、お役人様の仰るとおりです」
 リューは彼等にすがるようにして言った。
「そうであろう、そなたは心優しい娘じゃ。のう、お主よ」
 彼等はカラフの方に再び顔を向けた。
「この娘もそう申しておる。見たところそこにいるご老人はそなたの父君のようだが親より先に死ぬなどということがあってはならぬぞ」
「そうじゃ、それは一番の親不孝」
「むざむざ首を切られに行ってすることではないぞ」
「いや、それは違う」
 カラフは諭す彼等に対して昂然として言った。
「私は草原の狼の子、その高貴なる血が私に力を与えてくれている」
 彼は自信に満ちた笑いをたたえて言った。
「その血がある限り私は勝つ。そして姫を手に入れるのだ」
「だから言っておろう、それは愚か者の戯れ言だと」
 彼等は呆れたような顔をして言った。
「今までそう言って何人もの者が命を落としている」
「お主もそうはなりたくはないだろう、いい加減に聞き分けよ」
「そんなに行くというのならまずはあれを聞いてからにするがいい」
 そう言うと城壁の方を指差した。
「?」
 カラフ達は宦官達が指差した方へ顔を向けた。そこは城門の方である。
「そなたも知っている筈だ。あの城門のところに何があるかを」
「勿論」
「ならばあの姿も声も見え聞こえる筈だな」
 城門の上の壁に多くの影が現われた。
「あ・・・・・・」
 ティムールとリューはそれを見て声を失った。そこに現われた者達の身体は半ば透けていた。そしてその姿は虚ろであったのだ。
 亡霊であった。彼等は虚空を見上げていた。
「あれは・・・・・・姫に愛を告白した者達だな」
 カラフはそれを見て言った。見れば先程首を刎ねられたあのペルシャの王子もいる。
「そうだ。そして若い命をこの場で落としたのじゃ」
「生きておればまだ多くのことを楽しめたというのにのう・・・・・・」
 彼等は悲しそうな声で言った。
「聞くがいい、あの者達の嘆きを」
 そこから何かが聞こえてきた。
『ためらうまいぞ、再び姫に会うことは。だが我等は最早この世の者ではない』
 彼等は恨めしそうな声で言っている。まるで地の底から響いてくるような声だ。
『もう一度命を与えられたなら再び姫の下へ、そして今度こそ愛を我が手に』
 彼等はそう言うと姿を消した。後には蒼白い月だけが残った。
「聞いたか、あの声を」
 宦官達はカラフに顔を戻して言った。
「この世にまだ未練があるがああして浮かばれず縛られているのだ。あれ以上の苦しみがあろうか」
「そう、お主もああはなりたくあるまい」
「これでわかったじゃろう。さあ、早く立ち去るがいい」
 だがカラフはそれにも耳を貸さなかった。
「素晴らしい、死しても尚愛を忘れぬか」
 彼はあの亡霊達の言葉に感嘆して言った。
「なっ!?」
 これには宦官達も呆れた。ティムールもリューも驚愕した。
「それ程魅力のある人ならば是非とも手に入れたい。そして我が妻とするのだ」
「・・・・・・・・・」
 宦官達は沈黙した。そして再び口を開いた。
「いい加減に人の話を聞かぬか!」
 最早完全に激昂していた。
「そうして自分の命を粗末にするなと何度言えばわかるのじゃ!」
 彼等は口々にカラフに対して怒鳴りつける。
「そなたには親もいるのだろう、そうして死に急ぐなと言っておるのだ!」
 だがカラフはそんな彼等に対しても心を動かされない。
「こちらも何回も言っているだろう、そんな心配は一切不要だと」
「貴様は人の話が理解出来んのか!」
 三人は一斉に怒鳴った。そこに宮廷の侍女達が現われた。
「もし」
 彼女達は宦官達に対して言葉をかけた。
「ムッ、何じゃ?」
 彼等はそちらに顔を向けた。
「姫様はもうお休みですので。あまり叫ばれると」
 侍女達は彼等を嗜めに来たのだ。
「おお、そうであった」
 彼等は姿勢を正して宮城の方を見た。刑場のすぐ側にもその豪壮な城はあった。
「いかんいかん、危うく我等の首が飛ぶところであった」
 彼等は気を鎮めながら言った。
「まだ死にたくはないからの」
「はい、お気をつけあそばせ」
 そう言うと侍女達は去っていった。後には再びカラフ達と宦官達が残された。
「成程、あの城に姫がいるのか」
 カラフは宮城を見上げて言った。
「そうじゃ、それもすぐそこに姫のお部屋がある」
 宦官達は宮城の一部を指差して言った。
「そなたも感じるじゃろう、あの氷の様な冷たさを」
 彼等は小声で言った。
「のう、もうわかったじゃろう。姫様は半ばこの世の方ではない」
「そう、仙界に住む神のような不思議な方なのじゃ」
 彼等は小声でカラフに対して言った。
「人は女神とは結ばれぬ」
「ただその美しさを遠くから見るだけなのじゃ」
「だから、の・・・・・・」
 そして彼等は一息置いてこう言った。
「大人しく諦めるがいい」
 しかしカラフはそれでも首を縦には振らなかった。
「そうか、女神か。それはいい」
 不敵に笑って上を見上げた。
「益々私に相応しい女だ。是非ともこの手にしなくてはな」
「まだ言うか・・・・・・」
 彼等は呆れ果てた声で言った。
「そうだ、姫に求婚することの宣言にはあれを使うのだったな」
 カラフはそう言うとその場を足早に立ち去った。
「あっ、お待ち下さい!」
 リューとティムールがそれを追う。
「ええい、待つのじゃ!」
 宦官達も追う。カラフはそれに構わず刑場の端へ向かった。

 そこにある銅鑼の前に来た。その前には一人の兵士が立っている。
「それを貸してくれ」
 カラフはその兵士に対し彼が手に持つ棒を指し示して言った。
「えっ、正気ですか!?」
 彼も今までの騒動は端から見ていた。だが本当にやるとは夢にも思っていなかったのだ。
「私は冗談は言わない。さあ、それを早く」
「・・・・・・後悔なさいませんね」
 兵士は彼に対して言った。まるで止めるように。
「当然だ。私の生き様に後悔などというものはない」
「・・・・・・わかりました」
 彼はその言葉に内心呆れ果てながら棒を手渡した。
「殿下・・・・・・」
 そこにリューがようやく追いついてきた。ティムールや宦官達がそれに続く。
「リュー・・・・・・」
 カラフは彼女の顔を見た。見れば必死に哀願する顔である。
「殿下、どうか私の言葉をお聞き下さい」
 そう言って話しはじめた。
「あの姫の氷の様なお姿とお心を思うだけで私の胸はその恐ろしさで引き裂かれそうです。もし殿下が謎を解かれぬ場合にはあの城壁の上に現われた気の毒な方々と同じ運命を歩まれることでしょう。お願いです、どうか思い留まって下さい!」
 そう言うとその場に泣き崩れた。そこにティムールと宦官達がやって来た。
「そうじゃ、その娘の言う通りじゃ」
 宦官達は彼に対して言った。
「さあ、早くその棒を捨てよ。そうすればお主は愚かな夢から覚める」
「そして現実の世界へ帰るのじゃ」
 彼らはカラフを宥めるように言った。
「・・・・・・いや」
 だがカラフはその言葉にも首を横に振った。
「私は現実の世界にいる。今ここに。そして夢をこの世で掴み取るのだ」
 そしてリューに顔を向けた。
「リューよ、泣く必要はない。御前の言葉は私の心に染み入る。しかしな」
 彼はそこで姫のいる宮城の方を見上げた。
「御前が心配することはないのだ。何故なら私はあの姫のその氷の様な心を溶かす炎なのだからな」
「そんな・・・・・・私の言葉を聞き入れて下さらないのですか?」
 リューは顔を見上げてそう言った。カラフはリューに顔を戻した。
「違う。私は勝つ。そのような心配は無用だというのだ」
 そしてまた言った。
「御前はただ父上を助けてくれ。いらぬ心配は無用だ」
「お主は本当に人の話が理解できぬのか!?」
 宦官達はそんな彼をまだ止めようとする。
「その娘の気持ちがわからぬわけではあるまい。一体それ程までに頑なになって何を求めようというのだ!?」
「愛を」
 カラフは答えた。
「命をかけてまでか。まことの意味での愚か者だな」
「いや、それは違う」
 カラフはその言葉に対して反論した。
「愛とは命を懸けて手に入れるもの。それだけのものがなければ本当に手に入れたいとは思わない」
「そして他の者を悲しませてもか!?」
「私は勝つ運命、だからそのような心配は無用だと言っているだろう」
 カラフは昂然と言い返した。
「だからお主は聞く耳は持っておらんのかと言っておるのじゃ」
「そうじゃ、人の話を何故聞こうとせん」
「それは決まっている」
 カラフはまた言った。
「ほう、何がどう決まっているのじゃ!?答えてみよ」
 宦官達は彼に対して問うた。
「私が姫を我が手に入れると決めたあらだ。そうとなれば最早他の者の言葉など何の意味もない」
「我が子よ・・・・・・」
 ティムールは息子に対して言った。
「もういい加減にするがいい。御前に先立たれたならわしはこれから何を心の支えに生きておればよいのじゃ!?」
「父上、ですからそれは単なる杞憂に過ぎないと先程から」
「もういい、誰かこの男を取り押さえよ」
 痺れを切らした宦官達が言った。先程まで銅鑼を持っていた兵士が頷き同僚達を呼びに向かった。
「そのようなことをしても無駄だ」
 カラフは彼等を見据えて言った。
「無駄ではない、愚か者の目を覚ますことが出来るのだからな」
 彼等は言い返した。
「お主は今夢を見ておる。今それを覚ましてやろう」
 先程の兵士が戻ってきた。同僚達を連れている。
 彼等はカラフの周りを囲んだ。そして取り押さえようとする。
「さあ、早くその棒を捨てるがいい」
 宦官達はカラフに詰め寄った。
「否」
 カラフはそれを拒絶した。
「ならば致し方ない。兵士達よ、この愚か者をひっとらえよ!」
「そう、そしてトラ箱で頭を冷やさせよ!」
 兵士達がその言葉に頷きカラフに襲い掛かろうとする。だがカラフはそれより先に動いた。
「無駄だと言っておろう!」
 そう言うと銅鑼を大きく振るった。
「トゥーーランドォーーーーーット!」
 姫の名を叫んで銅鑼を叩いた。その音が夜の街に響いた。
「ああ・・・・・・」
 それを見、銅鑼の音を聞いた一同は絶望の声をあげた。
「トゥーーランドォーーーーーット!」
 もう一度叫んだ。そして銅鑼を叩く。
「遂にやりおったか・・・・・・」
 宦官と兵士達をそれを見て絶望の奥底に落ちた顔で言った。
「自分から地獄に行こうとは・・・・・・」
「早速処刑の準備に取り掛かるとするか」
 彼等は首を横に振ってその場を後にした。後にはカラフとティムール、そしてリューが残った。
「さあ、これで私は名乗りを挙げた」
 彼は銅鑼を見て不敵に笑った。
「今の音は姫も聞いている筈」
 そう言って再び宮城を見上げる。
「その心は私のものに」
「ああ・・・・・・」
 ティムールとリューはその下に泣き崩れていた。だがカラフはそれに一瞥すらせずこれからの自身の勝利に想いを馳せていた。



おお、何か今までとは少し違う感じのお話。
美姫 「一体、どうなるのかしら」
しかし、氷の姫か。(じ〜)
美姫 「何々? あ、私の美しさにやっと気付いたのね」
はぁ〜(心が氷というのは、そっくりだな…)
美姫 「アンタ、今、とんでもない事考えてるでしょう」
と、とんでもない。
美姫 「ジト〜」
あ、あははは。いやー、次回が本当に待ち遠しいな〜。
美姫 「ジ〜」
早く次回が読みたいな。続きを楽しみに待ってますね〜。
美姫 「ジー」
う、うぅぅぅ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
美姫 「やっぱり! この馬鹿!」
ぐげぇっ。
美姫 「ふぅ〜。さっぱりした所で、また次回を待ってますね〜」



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ