『トロヴァトーレ』




           ジプシーの息子


 修道院前での衝突からまた数ヶ月が過ぎた。内乱はその間に状況が変わり皇太子側に有利となっていた。それはこのカステルロールにおいても同じであった。
 今ルーナ伯爵とその軍はマンリーコ達が篭る城を取り囲んでいた。城の周りには無数の篝火が灯り、そして白い天幕がその中に映っていた。
 その中で一際大きく豪奢な天幕があった。それこそ指揮官であるルーナ伯爵の天幕であった。
「もうすぐだな」
 その前にいる兵士達がそう話していた。
「ああ、もうすぐだ」
 別の者がそれに答えた。
「この刃で武勲を挙げる時だ」
 一人の兵士が手に持つ槍の穂の手入れをしながら言う。
「敵を倒し武勲を挙げる。今その時が来ようとしている」
「その通りだ」
 ここでフェルランドが彼等のところに来た。
「もうすぐ援軍が到着する。そうしたら総攻撃に移るぞ」
「はい」
 兵士達は彼の言葉に頷いた。
「その時まで英気を養っておけよ」
「わかっております」
 ここで高らかにラッパの音が陣中に響いてきた。
「おっ」
 皆ラッパの音がした方に顔を向けた。
「来たか!?」
「来たぞ!」
 遠くから一人の兵士が駆けて来た。勇ましい音楽と共に弓を持った兵士達の一団がやって来た。
「遂に来たか!」
「待っていたぞ!」
 それは援軍であった。彼等は胸を張り陣中を行進していた。
「これで全ては整った」
 フェルランドは彼等を見ながら満足気に笑った。
「明朝攻撃予定だ。あの城には何があるかわかっているな」
「はい」
 兵士達は強い声でそれに答えた。
「勝利と栄光、そして」
「戦利品だ」
 フェルランドはそれを口にして兵士達の士気を高めることにした。
「あの城には宝の山があるそれも諸君等のものだ」
「おお」
「戦いに勝てばそれは全てそなた達のものだ。それだけではない」
「まだあるのですか」
「うむ。報酬だ。あの城を陥落させればこの戦いは終わったも同然だ」
「はい」
「殿下より特別の報酬が与えられる。貰えるのはあの城にあるものだけではないのだ」
「それはいい」
 兵士達は期待に眼を輝かせた。
「我等を勝利と栄光、そして富が待っている」
「そして今それが手に入ろうとしている」
「勝たなければな」
「ああ」
 兵士達の士気は天を衝かんばかりになった。そしてそれぞれの持ち場に戻って行った。
「よし」
 フェルランドはそんな兵士達を見て会心の笑みを漏らした。そして彼は伯爵のいる天幕に入った。
「兵士達の士気はどうか」
 伯爵はフェルランドにまずそれを聞いた。
「まさに天を衝かんばかりです」
「そうか」
 彼はそれを聞いて満足したように笑った。
「やはり援軍の到着がきいたようだな」
「そうですね。そして栄光と褒美を約束しました」
「当然だな。勇者に栄光と褒美はなくてはならない」
「はい」
「私からも褒美を出すと伝えておけ。城壁に最初に登った者、最初に城内に入った者は」
「はい」
「私から最高級のワインをプレゼントする。よいな」
「わかりました」
 フェルランドはそれを聞いて頷いた。
「あと城内の財宝は全て兵士達に分け与えよ」
「伯爵は宜しいのですか」
「私は財宝には興味はない」
 彼はそう答えた。元々裕福な育ちであるのでそうしたことには興味が薄いこともあった。だが主な理由はそれではなかったのは言うまでもない。
「レオノーラさえ手に入ればいいのだ」
「左様ですか」
「うむ。私は他には何もいらない」
 その声に熱がこもる。
「レオノーラさえいればな。他には何も必要ない」
 そう言いながら城のある方に目をやった。
「あの城に彼女がいる」
「はい」
「夜明けと共に総攻撃だ。私も行く」
「伯爵もですか」
「そうだ。指揮官が先頭に立たなくてどうする。それに」
「それに」
「あの男を倒しレオノーラを手に入れるのは私の仕事だ。私以外に誰が為すというのだ」
「いえ」
 フェルランドはそれを止めようとはしなかった。伯爵のその彫の深い顔が篝火に照らし出される。端整であるが何処か悪魔的に見えた。それは篝火のせいであろうか。
「明日だ。明日で全てが決まる」
 彼はまた言った。
「待ち遠しいものだ。彼女を一刻も早くこの手の中に置きたい」
 声にさらに熱がこもった。だがここで一人の兵士が天幕の中に入って来た。
「何かあったのか」
 まずフェルランドがその兵士に声をかけた。
「はい」
 兵士はそれに応えて頷いた。
「陣の近くを一人の女がうろついておりました」
「女が」
 フェルランドはそれを聞いて首を傾げた。
「一体何の用件でだ。ここが戦場なのはわかっているだろうに」
「はい。ジプシーの女でして」
「ジプシーの」
「はい。何分怪しい女でして。問うたところ逃げようとしました」
「その女、敵の間者ではないのか」
 話を聞いていた伯爵が兵士に対してそう言った。
「敵将はジプシーと縁がある者だからな」
 それがマンリーコであることはもう言うまでもないことであった。
「そうでしたな」
 フェルランドもそれを思い出した。
「ジプシー達が周りにおりますし」
「あの曲もジプシーの者だった」
 伯爵はマンリーコが奏でていた曲にも言及した。
「だとするとその女かなり怪しいな。そしてどうなった」
「逃げたのか?」
「いえ」
 兵士は伯爵とフェルランドの問いに対して首を横に振った。
「既に捕らえております」
「それは何よりだ」
 伯爵はそれを聞いて満足したように頷いた。
「ではすぐにここに連れて来るように。私が直々に取り調べよう」
「わかりました」
 こうして程なくしてそのジプシーの女は伯爵の天幕に連れて来られた。見ればアズチェーナであった。
「放しておくれよ」
 彼女は手を縛られ、左右を兵士達に押さえられながら天幕の中に連れて来られた。
「あたしが一体何をしたっていうんだい」
「それを今から聞きたい」
 伯爵は天幕に入って来たアズチェーナに対してそう言った。
「見たところジプシーのようだが」
「そうだよ」
 彼女はふてくされた態度でそれに答えた。
「ジプシーなのが悪いっていうのかい」
 少なくとも迫害される立場にはあった。欧州においてジプシーとはユダヤ人と同じくことあらば迫害され、弾圧される立場にあった。これは事実であった。アズチェーナもそれはわかっていた。
「そうは言ってはおらぬ」
 だが伯爵はここはマンリーコに対する憎悪を抑えることにした。彼にとってはジプシーよりもマンリーコの方が遥かに問題であったのだ。
「これから私の質問に答えよ」
「質問に!?」
「そうだ。嘘をつかずにな」
「ふん、まあいいさ。じゃあ答えたら放してくれるんだね」
「それは御前の心得次第だ」
 まずそう前置きをした。
「ならばいいな。では答えよ」
「フン」
「何故ここに来た。ここが戦場なのは知っているだろう」
「知っていたさ」
 アズチェーナはそう答えた。
「知っていたのか」
「そうさ」
 ふてぶてしい口調であった。
「それでもここに来たのだな。その理由は」
「あたしはジプシーだよ。ジプシーは当てもなくさすらうものさ」
「ほう」
「だからふらりとここに来たんだよ。あたし達にとっちゃ大空が屋根、世界中が故郷だからね」
「それは戦場でも変わらないということか」
「そうさ」
 彼女はその質問には滞りなく答えた。伯爵もそれには満足したようであった。
「それはわかった。では質問を変えよう」
「次は何だい?」
「御前は何処から来たのだ」
「ビスカヤからさ」
 アズチェーナはそれにも答えた。
「嘘ではないな」
「嘘をついたら唯じゃおかないんだろう?」
「その通りだが」
「だから正直に言うよ。あたしはビスカヤの禿山にいたんだ」
「何っ」
 それを横で聞いていたフェルランドの顔色が変わった。
「あの山にか」
 その心を疑念が急激に覆っていくのがわかった。そして彼女を見る目が先程とは全く変わっていた。
「貧しかったけれどね。満足していたよ、その山での暮らしに。仲間達もいたしね」
「ジプシーのか」
「他に誰がいるのさ。それに息子もいたし」
「息子が。今もビスカヤにいるのさ」
「出て行ったさ。あたしと同じジプシーなんでね」
 彼女はいささか自嘲を込めてそう答えた。
「そうか。ジプシーというのも難儀なものだな」
「生憎ね。それであたしはその息子を探して当てもなくさすらっているのさ。これでわかっただろう」
「そうだな。私からは早くその息子が見つかればいいなとしか言えぬが」
「有り難うよ」
「あの女の顔」
 フェルランドは瞬きもせず彼女を見据えていた。
「まさか」
「ところでだ」
 伯爵はまた質問を変えてきた。
「今度は何だい?」
「ビスカヤの山でどれ程暮らしていたのか」
「何でそんなことを聞くんだい?」
 アズチェーナはそれを聞いていぶかしんだ。
「一つ聞きたいことがあるのだ。御前がジプシーならな」
「言っとくけれどジプシーだからって虐めるのはよしてくれよ」
「騎士の名にかけてそのようなことはしない。だがな」
 伯爵はそう前置きしたうえで問うてきた。
「伯爵の息子のことを知っているか」
「伯爵の!?」
 それを聞いたアズチェーナの顔色がサッと変わった。フェルランドはそれを見逃さなかった。
「やはり!」
 彼はそれを見て呟いた。
「城から攫われたのだ。もう二十年近く前の話だが」
「それが一体どうしたんだい!?」
 アズチェーナは青い顔でそれに答える。
「あたしに何かそれで聞きたいことでもあるのかい?」
 必死に冷静さを保とうとする。しかしそれは難しかった。
「御前がジプシーなら知っていると思ってな。何処に連れて行かれたのかを」
「知らないね」
 彼女はしらを切ることにした。
「あたしが知っている筈ないじゃないか」
「そうか」
 伯爵はいぶかしりながらもそれに頷いた。
「では仕方ないな」
「ああ。それじゃああたしはこれでね」
 アズチェーナはここを去ることを申し出た。
「息子を探さなくちゃいけないから」
「待て」
 だがここでフェルランドが前に出て来た。
「どうしたのだ」
「伯爵、騙されてはいけませんぞ」
 彼は伯爵にそう答えた。
「伯爵の弟君を殺したジプシーの女を私は知っております」
「知っているのか」
「はい。そしてその女こそ」
 彼はそう言いながらアズチェーナに顔を向けた。
「この女です!」
「何っ!」
 それを聞いて伯爵だけでなく護衛の兵士達も思わず声をあげた。
「フェルランド、それはまことか!?」
「私も話を聞いていて最初は半信半疑でしたが」
 彼はそう断ったうえで伯爵に対して言った。
「先程話を聞いて確信しました。この女こそあの時伯爵の弟君を攫い火の中に投げ込んだ忌まわしい女です」
「しかしあの女は」
「死んだ筈ではなかったのですか?」
 兵士達が彼に問うた。
「私も今まではそう思っていた」
 彼はそれに答えた。
「だが今の話を聞いていて確信した。あの女は生きていた。そして」
「今ここにいると」
「はい。その通りです」
 伯爵にそう答えた。
「では赤子を生きたまま焼いたのはこいつか」
「はい」
「私の弟を殺したのも」
「その通りです」
 フェルランドは沈痛な声でそう答えた。
「全てはこの女が為したことであります」
「嘘をお言いでないよ」
 だがアズチェーナはここでこう反論した。
「言うに及んで何を言うんだい、この嘘つきが」
「私が嘘を言うだと」
 しかしフェルランドはそれに対してすぐに言い返した。
「騎士の名にかけて戯れ言なぞは言わぬ」
「そうだな」
 伯爵は彼の言葉を認めた。
「そなたが嘘を言ったことはない。それは認めよう」
「有り難き幸せ」
「ということは女よ」
 そう言いながらアズチェーナに顔を向ける。
「御前が嘘をついているということになる」
「クッ」
「そして御前は私の弟を攫い殺した忌まわしき悪魔だ。今その天罰を受ける時が来たのだ」
「そうするつもりだい」
 ここまで来てしらを切るつもりはなかった。ふてぶてしい態度でそう返した。
「締めよ」
 伯爵は兵士達にそう命じた。すると兵士達はアズチェーナの縄をさらに強く締めた。
「あああっ!」
 それを受けて苦悶の声をあげる。
「何てことをするんだい!」
 彼女は叫んだ。
「これが人間のすることなのかい!」
「その言葉そのまま貴様に返そう」
 伯爵は怒りに満ちた声でそれに応えた。
「我が弟の恨み、今こそ晴らしてくれる」
「フン、どうやらあんたはあの親父よりもずっと酷い奴のようだね」
「何とでも言え」
 しかし伯爵の怒りは収まらなかった。
「精々地獄でも喚くのだな」
「天罰が下るがいいさ。そして死ぬまで後悔するがいい」
「後悔は貴様が地獄に行ってからにしろ。そしてな」
 アズチェーナを見据えたまま言葉を続ける。
「貴様の息子とやらも近くにいるのだろう」
「フン」
 だがアズチェーナはそれには口を割ろうとしなかった。
「おおかたあのマンリーコがそうではないのか」
「確かに」
 フェルランドがそれに頷いた。
「あの男の周りには肌の浅黒い者が多いですし。あの奏でる曲も」
「そうだな。ジプシーの調べだ」
 二人の指摘は当たっていた。
「女よ、そうではないのか」
「だとしたらどうするつもりだい」
 アズチェーナはそれを認めるしかなかった。
「一体何をするつもりなんだい」
「決まっている」
 伯爵は先程とはうって変わって冷徹な声になった。
「貴様の息子も一緒に始末してやろう」
「是非そうなさるべきです」
 フェルランドと兵士達がそれを支持した。
「悪党にはそれに相応しい最後を。薪を積みその中で焼き尽くすべきです」
「そしてあたしのお母さんみたいにするつもりかい!」
「そうだ!」
 伯爵達は一斉にそれに答えた。
「それこそが神の定め給うた裁きなのだからな」
「貴様はその邪悪な魂を永遠に焼き尽くされることとなるのだ」
「糞っ、それでも人間かい!」
「そうとも、我等は人間だ」
 兵士達がアズチェーナの呪詛を受けてそう返した。
「だからこそ邪悪なものを許してはおけない。貴様も母親と同じく地獄へ行け」
「何てことだい!」
 アズチェーナは思わず叫んだ。
「ここにいる連中はどいつもこいつも地獄にいる悪魔共だよ!あたしに味方するのは城の中にしかいないのかい!」
「今城の中といったな」
 伯爵はその言葉を問い詰めた。
「ではあの男は間違いなく貴様の息子になる。それでよいな」
「・・・・・・・・・」
 アズチェーナは顔を下に向けて沈黙した。しかしそれはもう既に言っている。だからこれ以上何を言っても無駄であった。しかしそれでも沈黙せずにはいられなかったのだ。
「わかった。これで全ては決まった。フェルランド」
「ハッ」
「すぐに処刑の用意を」
「わかりました」
「ただし二つだ」
「と言いますと」
「一つはその女のぶん。そして」
 伯爵は酷薄な笑みを浮かべながら語った。
「もう一つは息子のぶんだ。女は火炙りにせよ」
「わかりました。そしてあの男は」
「斧を用意しろ」
 伯爵は冷たくそう言い放った。
「斧を」
「そうだ。この女の目の前で首を撥ねよ。よいな」
「ハッ」
「何て奴だい」
 アズチェーナはそれを聞いて声に憎悪を宿らせた。
「何処まで酷い奴なんだい。御前はそれでも人間かい」
「貴様には言われたくはないな」
 伯爵は怒りに満ちた声でそう返した。
「貴様は私の弟を殺した。だから私は貴様の息子を殺す。それだけだ」
「あたしのお母さんを殺してもまだ飽き足らないのかい」
「あれは天罰だ」
 伯爵はそう言い返した。
「父上は貴様の母親に天の裁きを与えられただけなのだ」
「そして今度は御前がかい」
「そうだ。私が行うのは神の裁き」
 そこには異端を忌み嫌う心もあった。そして憎い仇を討とうとする心が。恋敵であることもあった。
「貴様にもそれをくれてやる。ゆっくりとな」
「炎でかい」
「貴様はな。息子は斧だ。さっき言ったようにな」
 伯爵はまたそう言い放った。
「まずは息子の首を撥ねる。貴様の目の前で。そして」
 言葉を続ける。
「貴様を焼き殺す。神の炎で魂まで焼き尽くされるがいい」
「そうなったら御前を未来永劫恨んでやるよ!」
「好きにするがいい。私は貴様のような者を恐れはせぬ」
 伯爵は相手にしなかった。
「処刑は二人揃ってからだ。楽しみにしておれ」
 そう言うと天幕を後にした。
「お待ち、何処へ行くんだい」
「決まっている」
 呼び止めるアズチェーナに顔を向けた。
「貴様の息子を捕らえる罠を張るのだ。貴様を使ってな」
「おのれ、何処まで卑劣な奴なんだ!」
「卑劣?おかしなことを言う」
 怒りに燃えるその目は赤く光っていた。闇の中に伯爵の怒りと憎悪の光が輝く。
「貴様にだけは言われたくはないな。弟の仇に」
「クッ!」
「あの世で私の父と弟に詫びろ。そして地獄に落ちるがいい」
 最後にそう言うと天幕を出た。アズチェーナはそれを憎悪に燃える目で見ていた。奇しくもその光は伯爵が先程放っていたものと同じであった。

 この頃マンリーコ達は篭城しながら戦いの準備を執り行っていた。所々で弓をつがえ、刃を磨いている。兵士達は戦いに備えていた。
 その中レオノーラは城の中の礼拝堂に続く広間に一人いた。その後ろにはバルコニーが広がっている。
 婚礼の白い服を身に纏っている。本来ならば晴れ晴れしい筈であった。しかし彼女の顔は戦場の中にあるせいか暗く沈んでいた。
「レオノーラ」
 そんな彼女を呼ぶ声がした。
「マンリーコ様」
 彼女は声がした方に顔を向ける。そこには戦装束を身に纏ったマンリーコがいた。黒い服とマントを羽織っている。
「今まで何処にいらhしたのですか?」
「城壁にいた」
 マンリーコは彼女の問いにそう答えた。
「戦いが迫っている。それは貴女もわかっていると思う」
「はい」
「隠すことは出来ない。敵の援軍が到着した」
「敵の援軍が」
「そうだ。そしておそらく明日の朝には総攻撃が行われるだろう。今までで最も激しい戦いになる」
「そんな、それでは」
「だが心配は無用だ」
 マンリーコは微笑んで彼女を安心させるようにしてそう言った。
「我々は数においては彼等に劣っている」
「はい」
「だがそれ以上の勇気がある。だから決して負けはしない。それを今神と貴女に誓おう」
「誓って頂けますか」
「ああ。今誓う」
 彼はここでやって来たルイスに声をかけた。
「ルイス」
「おう」
 彼はそれに応えた。
「私は暫くここにいる。済まないがその間頼む」
「了解」
 彼は快くそれに頷いた。
「頼んだぞ。手抜かりはないようにな」
「わかってるさ。それじゃあ」
「ああ」
 こうしてルイスは城壁に向かった。マンリーコとレオノーラは再び二人になった。
 その二人をバルコニーから見える月が照らしていた。だがその月は雲に隠れ光は殆どなかった。
「何と弱い光なのでしょう」
 レオノーラはその月の光を見て不安になった。
「心配することはない」
 しかし彼はその不安を取り除こうとした。
「不吉な予感は何も生まない」
「けれど」
「今から私達は永遠の絆を結ぶ。それなのにどうして暗くなる必要があるのか」
 マンリーコは優しい声で彼女にそう語りかけた。その目の光も優しいものとなっていた。
「貴女が私のものとなり、私が貴女のものとなる。崇高な愛、神の愛が貴女の心に語り掛けるのが聞こえないだろうか」
「神の愛が」
「そうだ」
 マンリーコは言った。
「私にはそれが聞こえてくる。そしてそれが私に強い力を与えてくれているのだ」
「私にそれを分け与えて下さいますか?」
「勿論だ」
 マンリーコは強い声でそう言った。
「貴女は私のものなのだから。当然のことだ」
「マンリーコ様」
「若し神が私の命を望まれるとしよう。しかし私はそれだけは受け入れない。例え心臓を死神の鎌で貫かれようとも私は貴女の許に行く。そして愛の力で甦るだろう」
「それ程までに私を」
「ああ」
 マンリーコは頷いた。ここで礼拝堂の方からオルガンの演奏が聴こえてきた。
「あのオルガンの曲を聴いて欲しい」
 彼はレオノーラにそう囁いた。
「あれは私達を祝福する神の御声だ」
「神の」
「そうだ。だから貴女は心配することはない。神の御加護があるのだから」
「はい」
「そしてそれは私にもある。だから気をしっかりと持ってくれ。いいね」
「わかりました」
 レオノーラはそう答えて身を彼の胸に預けた。彼はそんな彼女を受け入れ強く抱き締めた。そして互いの絆を確かめ合った。しかしその時だった。
「マンリーコ!」
 ルイスが慌てた様子で広間にやって来た。
「どうした!?」
 マンリーコはそれを見てレオノーラから離れてそれに応えた。
「大変なことが起こった」
「敵が攻めて来たのか。夜襲か!?」
「いおや、違う。バルコニーからも見える。見てくれ」
「バルコニーから!?」
「そうだ、早く。気を落ち着けてな」
「あ、ああ」
 ルイスの唯ならぬ様子に戸惑いを覚えていた。しかし彼は何が何だかわからず彼に言われるままバルコニーに出た。
レオノーラもそれに従った。
「あそこだ」
 ルイスはある場所を指差した。
「あそこか」
「ああ」
 マンリーコはそこに目をやった。そしてその顔を見る見る紅潮させていった。
「これは一体どういうことだ!」
「マンリーコ、見たな!」
「ああ。悪漢共め、何ということを!」
 最早怒りで我を失っていた。レオノーラはそんな彼を恐ろしげに見ていた。
「あの」
「どうした!?」
 彼はその紅潮した顔をレオノーラに向けた。闇の中でもわかる程興奮していた。
「どうなされたのですか、そんなに興奮されて」
「怒るのも道理」
 声までも怒りに震えていた。
「あれが見えるだろうか」
 そして彼も指差した。レオノーラに見せる為だ。
「はい。あれは」
「処刑台だ。火炙りにする為の。そしてそこに引き立てられているあの女性は」
「はい」
 無数の篝火の中に一人の女がいた。ジプシーの女だ。
「私の母なのだ!」
「何と!」
 それを聞いたレオノーラの顔も驚きで今にも割れそうになった。
「あそこにいるのは私の母なのだ!今殺されようとしているのだ!」
「そんな、何ということ!」
「おのれ、祖母だけでなく母まで殺そうというのか!」
 マンリーコは怒りを爆発させた。そして感情のおもむくままに叫んだ。
「ルイス!」
「ああ!」
 ルイスもそれに応えた。
「すぐに兵を集めてくれ!全軍だ!」
「全軍か!」
「そうだ!そして奴等を皆殺しにする。いいな!」
「わかった、暫く待っていろ!」
「ああ!」
 ルイスはすぐに姿を消した。そしてマンリーコは怒りに震える目でその処刑台を見ていた。
「あの処刑台に灯される赤い邪悪な炎が俺の身体にも灯る。そして俺の怒りの心を燃え上がらせる。悪魔共よ、今すぐにその炎を消せ!さもなければ俺が貴様等の血でその炎を消すだろう!」
 叫ぶ。それはまさに狂気そのものであった。愛による怒りに満ちた狂気であった。
「レオノーラ」
「は、はい」
 急にレオノーラに顔を向けてきた。
「私は貴女を愛する前からアジュチェーナ、お母さんの子だった。だからあえて言おう」
 声に狂気がさらに満ちてきた。
「貴女の悲嘆も嘆願も私を引き止めることはできない。お母さん、今行く!そして必ず救い出してみせる。それが出来なければ・・・・・・」
 興奮のあまり言葉を詰まらせた。ルイスもいる。
「死ぬ!死ぬ時は一緒だ!」
「マンリーコ!」
 彼の後ろから呼ぶ声がした。見ればバルコニーに戦士達が集結していた。
「俺達の命はあんたに預けたぞ!死ぬ時は一緒だ!」
「よし、頼むぞ!」
「おう、戦いだ!共に戦い、共に地獄に行こう!」
「頼むぞ!すぐに出撃だ!総攻撃だ!」
「よし、敵を皆殺しだ!一人残らず殺すぞ!」
「この城を奴等の血で染め上げろ!そしてこの灰色の岩の城を奴等の血で赤く染め上げ死体で覆い尽くせ!」
「哀れな母よ、今行く!」
 マンリーコはまた叫んだ。そして腰の剣を引き抜き天に突き刺した。
「必ず救い出す。さもなければ死だ!」
「戦いだ!共に地獄に落ちようぞ!」
 全ての兵士達がそう叫んだ。そして皆戦場に雪崩れ込んだ。こうして最後の戦いが幕を開けたのであった。
「神様・・・・・・」
 レオノーラは誰もいなくなった城で唯一人立っていた。彼女に出来るのはバルコニーから戦の成り行きを見守るだけであった。
 暗闇の中篝火が揺れ白刃の銀の煌きが映し出される。そしてそこから断末魔の叫びと怒号が聴こえてくる。だがマンリーコの声は聴こえてはこない。
 ただそれを見、顔を蒼ざめるしかなかった。しかし彼女はこの時決心していたのであった。
「逃げるわけにはいかない」
 そう呟くとバルコニーから姿を消した。何処かへ姿を消した。バルコニーには月の光しか残ってはいなかった。そしてその月の光は白銀から血の様に赤くドス黒い色となっていた。





おお! 一体、どうなってしまうのだろうか。
美姫 「本当にどうなるのかしら」
いやはや、次回が楽しみで仕方がないよ。
美姫 「本当よね。この後、どんな運命が待っているのかしら」
次回も楽しみにしてますね。
美姫 「待ってますね〜」



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