最終話






恭也は木にもたれ掛かって息を吐いた。
辺りは僅かにしか月の光が入らない森の中。
いつも深夜の鍛錬に使う、那美が働いていた神社の裏にある場所。今日も今日とて恭也は先ほどまで鍛錬をしていた。
もっとも今は、深夜と言えるほどの時刻ではない。夜であることには 変わらないが、早寝の者が、寝始めるというぐらいの時刻。
美由希は今日はいない。というよりも、今は美沙斗に会うのと同時に、訓練を受けるために香港にいる。
恭也にもお呼びがかかったのだが、たまには親子二人で過ごせと恭也は断った。しかし、その返答に根底には、なのはのことが気になるというのがあったからに他ならないが。
なのはもこの頃は、前のように辛そうな表情を浮かべることはあまりなくなっていたが、その分何かを考えているようだった。その彼女が気になってということだ。
なのはとの関係。なのはの想い。
それらに答える切欠になりえるものを、今の恭也は持っていた。

「……これで全てが決まる、かもしれないか」

呟いて、恭也は着ていたジャケットの内ポケットから封書を取り出した。
その中には鑑定結果が入っているはずだった。
それは……なのはとの関係がどんなものであるのか。
親しい人のツテは借りず、恭也だけが持つ限りなく裏に近いツテで、彼はなのはと自分のDNA鑑定を行った。そのために唾液やら血液やら毛根やらが必要で、自分のはともかく、なのは本人や他の家族にばれないように、なのはのそれらを手に入れるのはなかなか難しかったが、まあどうにかなった。
そして今日、その鑑定結果が届いたのだ。
それを手にして、恭也は迷っていた。

「結果がどうでも、なのはは妹だ」

血の繋がりは関係なく、恭也はそう思っている。
妹として恭也はなのはを愛しているから。娘として恭也はなのはを愛しているから。
これは切欠になればいいと思って調べたにすぎない。もちろんそれがどんな切欠になるかは恭也にもわかっていない。ただ今の足踏みしているような状態から抜け出すために、どんな一歩であろと、ただ一歩を踏み出す切欠になればいいと思って調べたすぎなかった。
だが、本当に血が繋がらなかったとしたらどうするのだろう。
そのときは、なのはの想いに答えるのか?
それでいいのだろうか?
なのははきっと妹でいたいとも思っている。だから彼女は悩んでいるのだろう。
なのはの想いに答えるだけでは意味はない。
何より、自分はそれでいいのか。
異性を本気で愛するということを、本当の意味で知った今、それでいいのか。

「俺は……」

恭也は封書を手に持ったまま目を瞑った。
そして、恭也は思い出す。まるで気を静めるために、己のその半生を脳裏に描く。
それなのはと過ごした日々だった。



恭也が初めてなのはと出会った場所は病室。
桃子の腕の中にいた生まれたばかりの彼女。
そして、桃子から彼女を受け取り、その小さな身体を恭也は抱いた。壊れてしまいそうな儚い身体。彼女は恭也の腕の中で嬉しそうに笑っていた。

「俺がお前の……兄だぞ」

その笑顔を、生まれたばかりの無垢な笑顔を見たとき、恭也はそう言葉にして決めた。
自分が彼女を護ろうと。
どんなことからでも、この笑顔を護ってみせると。
兄として、そして父親代わりとして。ずっと見守り、護り、幸せにしてやろうと誓った。
剣の鍛錬が忙しくても、それでも赤ん坊であったなのはの世話を放り出したことは、恭也はなかった。
もちろんいつも面倒を見られたわけではないが、それでも兄として、父として出来る限りのことはしていたつもりだ。
少しずつ大きくなっていく彼女を見守るのが、美由希が剣士として成長していくのを眺めるのと同じくらい……いや、それ以上の幸せだった。
だが、少しずつ、恭也は無理をしていった。
自らを鍛えるために、無茶を、無謀を犯す。
それは、美由希を強くするためというのもあった。彼女に御神の技を伝えるために、自分が強くならないといけないという考えが、無謀なことをさせた。
何より士郎の代わりとなるために。
師の代わり、父親代わりではなく、士郎の代わりになるために。
だけど同じく、

「強くならないと、家族を……なのはを護れない」

それも同じぐらいに強く思ったことだった。
なのはを護るために強くならないといけない。父親代わりである自分は、本当の父である士郎に早く追いつかなくてはいけない。いや、自分が士郎にならなければならない。
それらが少しずつ恭也を蝕んだ。
そして一度膝を壊した。
まだ完全に成長しきっていない身体に無理をさせすぎて。
だが、その怪我もまだ酷いものではない。それを若さに任せた治癒力で回復させ、元に戻すと、恭也はまた無謀を繰り返し、そしてとうとう彼は家を出た。
今のままでは美由希に全てを伝えられない、家族を、なのはを護れないと、彼は武者修行の旅に出たのだ。
他の人が聞けば、それこそ子供が何を考えている、漫画の見すぎだとでも言われるのかもしれないが、それでも恭也は美由希の師として、なのはの兄として、士郎の代わりとして強くならなければならないという強迫観念にも似た思いから、それをこなす。
その旅をしている間、なのはを護れない、傍にいてやれないということに気付かないまま。
それでも確かにその旅は恭也を強くした。御神の剣士が辿り着かなければならない神速の世界が、その旅によって開いた。
だが、それが恭也の無謀をさらに押し進めた。神速の過剰使用。人の限界を超えた力。それをまだ成長しきっていない幼い身で使いすぎたために、酷使された恭也の身体の疲労は限界を迎える。
疲れが溜まった身体。その身体のせいで、普段ならば避けられた車に衝突した。
元より膝に負担がかかっていた。そこへさらに外部からの強い衝撃によって、恭也の膝は完全に砕けた。
そのとき桃子に叩かれた頬も痛かったが、それ以上にまだ片言しか喋れないなのはに泣かれたことの方が痛かった。
周りの人たちに幸せになってほしくて、笑っていてほしくて恭也は剣を握っていたはずだった。なのに、その自分自身が大切な妹を泣かしている。
その事実が、恭也にとっては何より痛かったのだ。
それからも色々とあった。那美と出会って、おまじないをしてもらい、リハビリに力を入れ、何とか剣を振れるようになり、それを傍で見ていた晶が心を許してくれた。
そして、再び恭也は誓った。

「もうお前を泣かせないから」

なのはの頭を撫でながら、もう同じことを繰り返さないと誓ったのだ。
恭也は決して自分が士郎にはなれないと気付いた。士郎の代わりというのは、あくまで父親の代わり、立場の代わりでしかない。代わりではあるが、それは決してそれそのものにならなければならないわけではない。恭也が士郎を超える必要もなければ、士郎とまったく同じになる必要もなかったのだ。
それを恭也は理解した。
それからは美由希の剣士としての成長を、なのはの身体と心の成長を穏やかに見続ける日々。
それはきっと幸福と言える日々だった。
色々なことがあったが、それでも恭也は幸せだった。美由希が御神の剣士として成長をしいくのを、なのはが成長していく姿を見るのは確かに幸福と言える時間だったのだ。
その後もやはり様々なことがあった。
風芽丘の最終学年の時には、それこそ何度も大怪我を負って、家族に心配をかけた。だがそれでも最後にはみんなが笑ってくれたし、なのはも説教をしつつも笑ってくれていた。だから間違いだったとは思っていない。
美由希も美沙斗と再会することができた。
その二人になのはも複雑なものがあったであろうが、祝福していたのを知っている。
それからはゆったりとした時間ながらも、やはり色々とあった。大学に入学し、本格的に護衛の仕事を始め、怪我をしたりもした。
そのたびに家族には悲しそうな顔をさせてしまったが、それでもみんな最後には笑ってくれたから、なのはも笑ってくれたから、きっと続けることができた。
笑顔を崩さずにいられたから。
そして蛍と出会い、愛し合い、別れた。
たぶん、そのときこそ本当になのはの笑顔を奪ってしまったのかもしれない。
誓いを破っていしまったのかもしれない。

まだ二十と数年ほどでしかない人生にしては、本当に色々とあったと思うが、そのまだ長くもなく、短くもない高町恭也の人生の中で、やはり中心にいたのはなのはだった。
いつも一番に考えていた……などとは言えないが、それでも中心にいたのはきっとなのはだったのだと思う。
『御神の剣士』としての恭也の中心にいたのは確かに美由希だった。何より大切に彼女を育てることができた。
だが、ただの『高町恭也』としての彼の中心にいたのはなのはだった。
恭也がこの世で一番愛していたのは……なのはだった。
その愛が、兄としてなのか、父としてなのか、そんなことは関係なく、一番に愛していたのはなのはだったのだ。




「ああ、そうか」

今までの自分と、そしてなのはと接して来た自分を思いだして唐突に、本当に唐突に恭也はわかってわかってしまった。

「はは」

恭也は久しぶりに心から笑い、嬉しそうな声を上げた。

本当に簡単なことだったのだ。

「俺はなのはを愛してる」

それは昔から変わらない。なのはが生まれた時から、恭也はなのはを愛し続けていた。
それは妹としても、娘としても。
そして……女としても。
女としてはいつからだったのかはわからない。それこそ最初からだったのかもしれないし、血が繋がなっていないかもしれないと知ったときかもしれないし、なのはの想いを知ったときなのかもしれない。
だが、それも今となってはどうでも良かった。
つまり簡単なこと。
恭也は高町なのはを愛しているのだ。
彼女が生まれた時から。彼女と出会った時から。
高町なのはの全存在を愛している。血が繋がっていようが、繋がっていなかろうが、絶対にそれは変わらない。そこには血の繋がりも関係なく、血が繋がっていなくとも妹として愛していける想いがあり、血が繋がっていても女性として愛していける想いもある。
だから、なのはの想いを否定も肯定もできなかったのだ。
妹でなかろうが、娘でなかろうが、女でなかろうが、それこそ人以外の何かであったとしても関係なかった。
ただなのはを愛している。
誰よりも愛している。
関係のどれかが……いや、全てがなくなったとしても、それでも彼女を愛することができる。
愛の質などどうでもいい。それが兄妹愛でも、父性愛でも、異性愛でも。そんなものは関係なく愛している。もしくはその関係の全てで愛している。
ただけそれだけなのだ。
なのはが高町なのはであれば、それだけで愛していける。
それはきっと、恭也となのはの関係だからこそ生まれた感情だ。恭也がなのはの唯一の兄であり、父であり、男だったから。それだって普通の感情ではないだろう。
だが、恭也にとってそれが何よりの……唯一無二の答えだったのだ。
何より、遠い昔に誓ったではないか。もうなのはを泣かせないと。辛い思いをさせないと。彼女を幸せにしてみせると。
その誓いに反した今の状況をどうにかしなくてはならない。
そして、それはどうしようもなく簡単にどうにかできてしまうことだった。

「本当に簡単だったんだな」

そんな簡単なことを理解して、恭也は再び笑い、いきなり走り出して、暗い森を駆け抜けた。
その途中、恭也は鑑定結果が書かれた封書を宙に投げ出し、一瞬で小太刀を抜刀するとそれを粉微塵に斬り刻んだ。
確かにそれは恭也に切欠を作ってくれた。しかし中を見る必要はない。
だからもう、こんなものは必要ないのだ。



◇◇◇



「妹とか、女とかは重要じゃない、か」

パジャマに着替え、すでに眠る準備を済ませたなのはは、電気が消えて暗い部屋のベッドに腰掛けて、あのとき臨海公園で蛍に言われた言葉を呟いた。
それはきっと蛍の立場だから言える言葉だ。彼女が自分の立場だったら、同じことを言えない、となのはは思う。
ただの高町なのはとして恭也を見る。それができたらどれだけいいだろう。
だが、確かにその通りでもあると思うのだ。
なのはは妹としても女としても恭也が好きなのだ。それはもう変えようがない。
この世界の誰よりも大事で、誰よりも愛している。

その想いがいつに生まれたのか、それはなのはもわからない。最初はただの憧れだったのかもしれないし、何か切欠があったのかもしれない。本当にいつの間にかだったのだ。
妹としての感情が生まれたのは、そして女のとしての感情が生まれたのはいつだったのだろう。
それは今まであまり重要なことではなかった。それらがいつ生まれたかを考えることに意味はないと考えていた。だって今その想いがあるのだから、想いに理由を、動機を求めることに意味はない。
そう思っていた。

「私はいつおにーちゃんのことが好きになったのかな」

再び呟きながら、なのはは足をベッドの縁にかけたまま、上半身をベッドの上に沈める。

今はそれが重要な気がした。
ただの高町なのはとして考えるなら、いつ自分は兄を、恭也を好きになったのだろう。
だから思い返す、自身の記憶を。恭也との思い出を。



なのはにとって兄はいつのまにかいたとしか言いようがない。
高町なのはとしての自我が芽生えた時から、恭也はいたのだ。どこまで記憶を遡ろうと必ず恭也は存在している。
それだけ恭也はなのはにとって近い人物であった。
もしかすると、仕事で忙しい母である桃子よりも近くにいてくれたかもしれない。
決して多弁ではない恭也は、会話らしい会話はなくとも、ただ傍にいてくれたことの方が多い。
なのはが遡れるところまで思い出しても、恭也はやはり隣にいる。
それでも恭也は恭也で忙しい。
学校、家の手伝い、剣の鍛錬、姉への指導……
恭也もまだ子供ながら本当に忙しい少年だった。
それを確かになのはも寂しいと思ったことがあった。だが、なのはが本当にその寂しさで押しつぶされそうになると、必ず兄は何を捨て置いてもなのはの元に駆けつけた。
なのはが何も言っていないのにも拘わらず、それをちゃんとわかってくれたのだ。
なのはが小学校に上がって、バス停まで送り迎えのとき、兄が送ってくれると、迎えに来てくれるととても嬉しかった。
頭を撫でられると、その日一日はずっと幸せでいられた。
でも、どこかでわかってくるのだ。例えなのはが幼くても、自分は……否、自分たちの家族は普通とは少し違うと。
なのはには優しい母がいて、厳しいがやはり優しい兄がいて、多くの姉がいた。
だが足りないし、何か普通の家族ではない。
足りないものはすぐに理解できた。
父親が……いない。
友達が多くなればなるほど、それが理解できるようになる。うちの家族は何かが足りないと。
そして、やはりそれを聞いてしまったのだ。母にはではない。恭也にだ。家族について何かを聞くなら、なのはには母よりも兄に聞くべきだと思っていた。
だがなのはの場合このときに、死、というものを幼いながらも理解させられた。このへんが恭也のスパルタとも言える教えだった。恭也は幼いなのはに、すでになのはの父である士郎が二度と会えないところにいると教え、死という概念を叩き込んだ。
今思えば、恭也も自分がいつ死ぬかわからないから、というものがあったのかもしれない。実際に、恭也は幼いないなのはに、自分も遅かれ早かれそうなるだろうと告げたのだ。だからこそ幼いうちに死というものを教えようとしていたのだろう。
そのときなのはは泣いた。泣きじゃくった。あまり泣かないなのはではあったため、恭也も自分がやりすぎたかと思ったのか、彼にしてはひどく狼狽し、慌てていた。
すでに父親が会えないから泣いた。
死というのがなのは自身にも訪れるから泣いた。
恭也はきっとそう思ったのだろう。
……だけど違った。

「おにー……ちゃん……が……ひっく……死んじゃったら……やだぁ」

なのはは会ったこともなく、そして二度と会えない父のことより、いずれ自分が死んでしまうことより、兄が……恭也が死んでしまうことが、恐ろしかった。
兄に会えなくなることが一番嫌だった。恐かった。寂しかった。
もう二度とお父さんのことなど聞かないから、だから兄だけは傍にいてほしかったのだ。
そのとき恭也は笑った。本当に優しく笑った。そして、涙を流すなのはを抱きしめ、耳元で告げた。

「なのはが望むなら……俺は死なない。傍にいてほしいと言うのなら、離れない。
本当のとーさんの代わりになることはできないが、それでも……父親代わりぐらいにはなれる。悲しくなったら俺に言え、寂しくなったら、俺のところに来い。俺はなのはの傍にずっといるから。とーさんができるはずだったこと、俺がしてやる」

恭也はきっと、なのはが泣く理由を履き違えていたのかもしれない。なのはは、死というものを恐れ、父親のように自分がいなくなってしまうことを恐れた上に、父親がいないことになのはは泣いた、と思ったのだろう。
だからきっと、父親代わりなんて言葉が出た。
幼いなのははそんな言葉の機微などわかるはずもなく、だがらこそ安堵した。
自分が望めば、兄はずっと傍にいてくれるのだと。
そして、それは確かに正しかった。
恭也はそれからずっとなのはを見守っていてくれた。常に優しい兄というわけではない。厳しいときは本当に厳しいし、なのはを常に甘やかすような兄ではなかった。それでも時折優しさを見せる兄。
厳格な父と、優しい兄の顔を持つ恭也。
そんな恭也がなのはは大好きだった。
そのときになって、なのはは自分は兄が好きなのだと自覚してしまった。それは兄として、父としてだけではなく……異性として。
それがおかしいことだとわかっていても、止まることはなく……想いが小さくなることもなく。

そして、それからしばらして、なのはは知ってしまう。
恭也と兄妹ではないかもしれないことを。
それからとて本当に色々とあったが……結局のところ変わらなかった。
なのはは、兄として恭也が好きだから、血が繋がらないことを恐れた。
なのはは、男の人として恭也が好きだから、心のどこかで、血が繋がらないことを求めた。
悩んで悩んで悩み抜いたが、結局それが変わることはなかったのだ。
どれだけの時が経っても、恭也に……一時とはいえ……恋人ができても。
そして、どんなになのはがそんな想いに翻弄されようと、自身に色々な変化が起きても、兄はいも傍にいてくれたのだ。
それを考えれば答えなんて最初から決まっていたのかもしれない。




「あは」

なのはは笑った。
本当に嬉しそうに。
久しぶりに心の底から笑った。

恭也と初めて出会った時……つまり高町なのはが、自身を高町なのはと認識した時まで思い返してみても、恭也はいつも傍にいてくれた。
もちろん四六時中一緒にいたわけではないし、……なのはは覚えていないが……一年ほど恭也が旅に出たこともあった。だけどなのははそんな物理的な距離を思ったのではない。

「おにーちゃんはずっと、私の心の傍にいてくれたんだね」

そう、いつも自分の中にいて、ずっと見守っていてくれていた。
それは兄として、父として。
きっといつもなのはの心を護ってくれていた。
だからなのはは恭也を好きになった。愛した。
兄として、父として……男として。
そして、自分の傍に常にいてくれた高町恭也の存在を丸ごと愛した。
それはいつかとかじゃない。それは当然のことであり、最初からだったのだ。
だから、

「本当に関係なかったんだ」

蛍の言うとおり本当に簡単なことだった。
兄の存在を丸ごと愛しているから、だから今更兄妹でなくなろうが、親子でなくなろうが、それこそ赤の他人になってしまったとしても、関係ない。
自分はもう、高町恭也を丸ごと愛している。
常に自分の心の傍にいてくれた恭也の全存在を。
それに兄妹でなかったとしても、今まで自分が妹であったことは変わらない。その絆が失われることはない。

「私はおにーちゃんを愛してる」

彼が歩んできた道も、これから歩んでいく道も、彼が護っていった人も。彼の全てを。
その行動の全てすら愛し、どんな関係ですら愛し続けていられる。
女としての自分が拒絶されても、妹としての自分が否定されても、高町なのはという存在自体が拒絶され、否定されなければ、それは変わらない。
元々もう無理だったのだ。
恭也を愛する以外の答えなどなくて、それを恭也から否定されてしまったとしても、もう止まることもできそうにない。
だから、

「簡単だったんだね」

なのはは笑ってそう呟き、ベッドから跳ね起きた。
そして着替えもせずに部屋を飛び出た。



◇◇◇



恭也は走った。
木をかわし、藪を飛び越え、走る。

なのはは走った。
玄関を勢い良く開け、暗い道路に飛び出して走る。

今すぐに会いたい。
今すぐに言わなくてはならない。

「待たせてしまっからな……」

恭也はずっとなのはを待たせてしまったから。

「時間がかかっちゃったから……」

なのはは当然のことに気付くのに長い時間がかかってしまったから。

だからこそ今すぐに会いたい。
今すぐに言いたい。
たった一言を。
ずっと昔からあったはずで、それでも気付くのに長い時間を要してしまった二人の当たり前の気持ちを。

だから二人は急いだ。

恭也は森から飛び出て、神社の境内に出る。

なのはは住宅街を走り続け、そして神社の境内の続く階段の前へと飛び出た。

そして、二人は出会った。

「「あ……」」

神社の階段を境に、二人の視線がぶつかった。
暗いはずなのに、なのはの目にも恭也の姿が……目が見えた。
そして、二人は走るのを……急ぐのを止めた。

一歩ずつ、恭也は階段を下る。
一歩ずつ、なのはは階段を上る。

ただお互い視線を離さず、一歩ずつ二人は近づく。
そして、階段の中間で、二人はお互いを見つめたまま止まった。
あとは言葉にするだけ。
なのはが生まれたときから、すでに決まっていた答えを、言葉にするだけ。
だがなのはと恭也の心臓は早く、強く鼓動した。
それはきっとここまで走ってきたことでの疲れではない。

「おにーちゃん……! 私、私は……!」
「なのは……俺は……」

しかし、なのはは恭也の落ち着いた声を聞いて、自分の心を落ち着かせる。
そして、恭也も見た目以上に落ち着きがなかった心臓を黙らせ、その心の内を落ち着かせる。
二人とも言う言葉なんて決まっている。
相手が何を言うのかがわからなくても、自身が言うことは決まっている。
だから二人は同時に口を開いた。


「私は……高町なのはは、高町恭也を愛してます」


「俺は……高町恭也は、高町なのはを愛している」


そんな愛を同時に囁いた。
妹として、兄として、そして女として、男としてという言葉はない。
二人の複雑な関係だからこその言葉はない。
ただ、目の前にいる人を愛していると告げる。
そして次の瞬間に、恭也はなのはを抱き寄せる。なのはもそのまま恭也の胸の中に飛び込んだ。

「おにーちゃん、おにーちゃん」
「なのは……」

ただ愛している。
妹であるとか兄であるとか、父であるとか娘であるとか、男であるとか女であるとか、そんなものは一切関係ない。
二人は、相手の全てを愛していた。その全ての関係で愛した。その存在の全てを愛した。
その関係のどれかが途絶えても、その他の関係で愛していける。いや、その関係全てがなくなっても傍にいられる。
ただ相手が相手であるだけで愛していける。
高町恭也が愛しているのは高町なのはであり、高町なのはが愛しているのは高町恭也だった。それ以外にはない。
お互いに相手が高町恭也であり、高町なのはであればそれで良かったのだ。
ただそれだけ……それだけだった。

「なのは……」

恭也は抱きしめてる愛しい人の顎に手を添えた。

「おにー……ちゃん……」

本能的にそれが何を意味するのかがわかり、なのはは目を閉じた。

「ん……」

そして、二人の唇が重なった。

「なのは、これからも一緒に歩いていこう」
「うん。私はずっと、おにーちゃんと一緒に歩いていく」

どんな関係だっていい。
兄が《なのはが》望むなら、兄妹としてでもいい。
なのはが《兄が》望むなら、恋人としてでもいい。
お互いが望むのなら、親子としてだっていい。
お互いがその全ての関係を望むなら、それでもいい。
ただ、ずっと一緒にいる。

「愛してる」
「私も……愛してる」

ずっと愛していく。
ただそれだけ。
それだけだ。

「帰ろう、なのは」
「うん、おにーちゃん」

そして、二人はお互いの手を握り、どんな関係であれ、全ての関係であれ、これからもずっと共に歩いていく人とともに……元々あったはずの、だが新しい道を歩き始めた。














あとがき

これでこの作品はエンドです。複雑な恋愛模様と言いながらも答えはシンプルであったいう。
エリス「えー、結局二人は兄妹なのか、そうでないのかもわからないんだけど。しかも色々と唐突だし、最後は凄いあっさりしてるし」
もはやこの二人にはそんなのは関係ない。
エリス「まあ、そうだけど」
いや、この終わり方が一番いいと思ったんだよ。まあ確かに色々と唐突だろうけど。
エリス「だけど何か消化不良」
えーと、実は先の話もあります。あと二話ほど。こっちは蛇足なような気もするし送るか迷いましたが。
エリス「結局送ったんじゃない」
当初はそれらが最終話だったんだけど、書いてたらこの終わり方でいいんじゃないか、と思ったんで。どちらにしろ、最終話はこっちです。蛇足の話はイフという感じで。
エリス「まあ元々長くなっちゃったしねぇ」
最初は七話完結を目指していたのに、いつのまにか十話を越えて長編並に。ただグダグダと長くなってしまった感じだし。
エリス「確かに無駄に長くなってるけど、少し削ったんじゃないの?」
当初はなのはが御神関係で狙われるというのがあり、それを恭也がなのはの目の前で殺すっていう展開も書いたんだけど。
エリス「なんか血なまぐさいね」
うん。しかも黒衣の追想と似通うし、この話に戦闘はいらないということで消した。それでも長くなったし、あと二話は蛇足な感じがするから、あくまでおまけのあり得るかもしれない未来という感じで。
エリス「とりあえずこの話は終わりです。蛇足の話はあくまで蛇足です。もしかしたらの未来です。この終わりでいいという人は、ここで終わっておくのがいいと思います」
ここで一応の完結です。
エリス「それではお付き合いありがとうございましたー」
ありがとうございましたー。



完結おめでとうございます。
美姫 「ございます」
最後にちゃんと互い思いに気付けて良かった。
美姫 「本当よね。色々あったけれど、ハッピーでよかったわ」
素晴らしい作品をありがとうございました。
美姫 「ありがとうございました〜」



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