この作品は、少しとらハから離れた方がいいと思って書いた作品です。
 銀魂の二次創作であります。以下のことに注意を。

 前述の通りとらハではなく銀魂。
 原作のようなギャグはなし。
 激しく設定に捏造、改変あり。
 銀時×(←)神楽の狂愛。ただし微狂愛。狂想のようなのをお求めの場合は回れ右。
 銀時があんまりマダオじゃない上に、ほぼ全編において天邪鬼でもなく、話の絞めのかっこいい銀さん状態。
 微妙に銀時も狂愛気味。ただし正確に言えば銀時→神楽かつ銀時→神楽(?)。意味は読めばわかるかと。
 ハナクソほじるゲロインはログアウト……しませんでした。しかし、神楽が男に関してはとんでもない潔癖に。
 神楽←沖田ですが、沖田が色々な意味で報われない。ドSの彼が逆に、神楽に物理的、精神的に。かつ一方的に攻められまくる。沖田ファンは絶対に回避。
 この作品は意識して擬音を多様。
 劇場版完結編がかなり話の根幹に絡んでいますので、劇場版を見ていないとまるで意味がわからない。
 心理描写優先、会話文状況描写少なめ。
 十五禁?
 一部微ダーク。
 きちゃない表現あり。食後や何か食べながら読むのは注意。

 これらに拒否反応がある場合、または銀魂の内容を知らないという方は回避を推奨します、






 銀色に狂ったウサギの愛






 ザラザラと、ザラザラと音がした。
 彼女が苦手としながらも、しかし同時に思い馳せていた晴天を思わせる、輝くような青々とした輝きは、もはやそこにはない。
 ザラザラと、ザラザラと音がする。
 小さな鉄と鉄が擦れ合うかのような耳障りな音と、かつての戦場で嗅ぎなれた血の匂い。
 ザラザラと、ザラザラと音をだす。
 唯々一つを求め、それと交じり合いことしか興味のない青。

「私……銀ちゃんが欲しい」

 鈍く、暗く輝く青い瞳と違い、聞きなれたサラサラとした澄んだ声がした。
 彼女を象徴する赤いドレスは大きくはだけ、すでに服としてはほとんど機能していない。
 窓から覗く月の銀越しに浮かぶ肢体は、ほんの僅かな幼さを残しながらも、しかし初めて出会ったときのようななだらかなものではなく、均整がとれつつも、メリハリのある美しいものとなっていた。
 五年の時の流れを、女の身体で感じることになるとは、などと彼……坂田銀時は場違いなことを考える。
 どうしてこうなってしまったのか、わかるようでわからない。 

「ね、銀ちゃん……」

 一つだけでわかることがあるとすれば。彼女をこうしたのは自分であるという事実だけ。


「私は、銀ちゃん以外、いらないアル。銀ちゃんだけが欲しいヨ」

 今の自分だけではなく、すでになくなってしまった全ての時にいた自分たちが、彼女をこうしたと漠然とながら理解している。

「銀ちゃん……」

 己の腰に跨る少女から大人の女になった彼女は、鈍く輝く瞳を潤ませて、狂気を宿し、唯自分を見つめていた。

「神楽……」

 少女の名を呼んで、銀時は右手を伸ばし、頬に触れた。
 少女……神楽は、それに嬉しそうに顔を輝かせる。
 その笑顔は昔のままのはずなのに……
 こうして彼女を壊してしまったのは、間違いなく自分なのだ。
 彼女の背後に浮かぶ月に、ウサギは見えない。
 なぜならウサギはここにいる。
 月の銀色に中てられて、狂ってしまった可愛いウサギは、今彼の上でザラザラとした鈍い色に輝く狂気の瞳を浮かべて妖艶に身体を揺らす。
 それはもしかしたら……夜兎の女の本性なのかもしれない。



 ◇◇◇



 神楽にとって坂田銀時とはどんな存在だったのか。
 『当初』それは神楽自身にもよくわからなかった。
 そもそもここまで誰かと同じ時間を共有した存在など、それこそ亡くなった母親と兄ぐらいだった。
 しかし当然その二人とは違い、家を空けてばかりであった父親とも違う。
 周りの者たちは、この星での父親代わり、兄貴分とよく言った。
 それを神楽も完全には否定しない。
 一番近い関係は……家族。
 父親のような、兄のような、しかし違うからこそ、家族としか形容できない。
 そこに男女の差はなく、言葉にこそ出さないが大切な存在。
 銀時も似たようなことを思ってくれていると疑ってもいなかった。
 だが、そこにキリキリとヒビが生じた。
 家族。
 その実態は曖昧なものでしかないのだと突きつけられた。
 銀時の身体から女の匂いを感じるようになったのはいつからだろうか。
 いや、きっと最初からだろう。ただ神楽がそうと気付かなかっただけで。
 銀時に付き合っている異性はいない。しかし、付き合っていなくとも、男と女は重なり合うことができるというのは、当時幼かった神楽でもわかっている。
 そのためだけの関係なのか、一夜限りの関係を幾人もの女と重ねているのかはわらないが、確かに銀時には、多くの女の影があった。
 それはその日もそうだった。

「おーう、神楽ちゃーん、たでーまー。銀さんが帰ってきたよー」

 間延びした声、乱れた服と千鳥足。まさしく酔っ払いという風体で、銀時が帰ってきた。
 玄関にまで向かい、『このマダオが』と罵りながらも、神楽は仕方ないやつだとばかりに彼には気付かれないようわずかな苦笑を浮かべる。
 そして、肩を支えてやると鼻につく匂い。
 香水の匂い。銀時が放つアルコール臭と混ざってしまいわかり辛いが、おそらくは柑橘系の爽やかなもの。

(また……違う女アルか)

 前に嗅いだ匂いとは違うもの。先日はもっと匂いが濃いものだった。
 それが=違う女とは限らないが、毎回違う匂いを発するのだから、そういうことなのだろう。
 まれに石鹸の匂いや香水の匂いとはまったく違う、はっきりと性を感じさせる匂いを発していることもあるのが始末に終えない。

(銀ちゃんがもてるのなんて今更ネ)

 マダオだとか、天パだとか、死んだ魚のような目だとか、給料払えよなどと罵倒される……それらを言うのはだいたい神楽自身なのだが……ことも多いが、坂田銀時という男は男前だ。
 確かにそこまで顔が良いわけではない。少なくとも真選組に所属するサド野郎やニコ中マヨラーのようなわかりやすい美形ではなかった。
 だが、決して不細工などということはないし、いつも口では馬鹿にしているが、天然パーマだって悪くはなく、むしろはねた髪が愛嬌のようなものを感じさせる。
 平時は駄目男でも、ここぞというときには誰よりも頼れる男。顔も広く、何より誰かを笑わせることができる男。
 神楽の持論として美形と男前は違うというのがある。
 少なくとも神楽にとっては、美形と男前、どちらに心惹かれるかと問われたら、……素直に答えるかはわからないが……一時も迷わず後者を選ぶ。この辺りはチャラついたものが嫌いという彼女の性質もあるだろう。
 そして、銀時は確かに男前であった。
 もちろん身内として彼を持ち上げすぎている部分もあるだろうが、このかぶき町には神楽と同じ、もしくは似た嗜好の女性というのは少なくない。
 だからこそ銀時はもてるのだ。
 しかし、この男は身近な女には手を出さないという不文律があるようで、周囲の者でそのことに気付いているのは、恐らく一緒に暮らしている神楽ぐらいであろう。
 そして、恐らくは……

(そんなに『予防線』を張らなくても……)

 少しばかり下唇を噛んでしまう。しかし、それを銀時に気付かれたくないと、すぐさま口から力を抜いた。
 これは銀時なりの予防線なのだ。
 わざわざ女の残り香を漂わせて帰宅するのは、自分には女がいますよ、という神楽への無言の圧力。
 何のことはない。銀時は気付いているのだ。
 神楽が銀時を男として愛していることを。
 神楽もそれを隠しているつもりはないので、当然と言えば当然。

「銀ちゃん、ちゃんと歩くヨロシ。じゃないとこのままソファにブン投げんぞ」

 しかし、そんなことは知ったことかと神楽は、出会ったときから何一つ変わらない強気な笑顔と態度で言い放った。



 ◇◇◇



 そもそものところ、この気持ちを植え付けたのは、その他の女の匂いだったのだ。
 初めて嗅いだときは、どうせどこかでそういう女を買ったのだろうと思っていた。それこそ吉原にでも通っているのだと。しかし、その頻度の問題である。
 さすがに数が多すぎる。そんなに金が払えるなら、今頃神楽にも真っ当な給料が支払われていたはずだ。いやまあ、このマダオならば、それすら隠して、銀の玉を門に突っ込む機械と戯れていそうではあるが。
 何にしろ銀時は金など払っておらず、自分の魅力だけで女を抱いているとすぐに神楽も理解できたし、むしろ納得ではたことだ。
 先ほどの通り、神楽は銀時が男前であることを疑ってはいなかったのだ。その彼がもてるのはある意味当然のこと。
 最初のうちはそこまで気にはしなかった。
 銀時も二十代半ば、そんな女がいたっておかしくはないし、そういうものに……対象が自分でない限り……一々汚れを抱くほど神楽も子供ではない。
 妙などとの関係を疑ったがそれもなかったため、身体だけの関係、一夜限りの女など、やはりどうでもいいことであった。
 そんな女たちよりも、自分の方が銀時と強い絆で結ばれているという自信が確かにあったのだ。
 しかし、それが何度も続けば、神楽の心にも響いてくる。
 銀時がいない深夜、今彼は誰かを抱いているのかもしれないと思うと、どうにも眠れなかった。
 それは当時、まだ嫉妬ではなかったのは確かだ。
 浮かんだのは嫉妬ではなく恐怖。
 他の女に銀時が奪われるという恐怖ではなく、『銀時がいなくなる』という恐怖である。
 今銀時が抱いている女が、銀時を自分の知らないどこかに連れて行ってしまうのではないか。その女に連れられて、銀時はもうここには帰ってこないのではないか。
 その恐怖を自覚したとき、神楽はガチガチと歯の根を合わせて、全身を震わせた。
 ザリザリの視界が揺れる。
 まるでテレビの砂嵐のように視界が乱れ、目の前の光景がわからなくなる。
 だが、その中にまるで神楽の脳に植え付けるかのように、砂嵐の間に人影が浮かんだ。
 白いチャイナドレスと、銀時がいつも着ている着流しをミックスしたかのような服を纏う美女。
 彼女は泣いていた。
 美しく長い髪とともに頭を下げていて顔は見えないが、彼女はその両目から大量の雫を零している。

『銀ちゃん……銀ちゃん……』

 銀時の名を呼んで泣いている。
 自分の身体を掻き抱いて泣いている。

『銀ちゃん……やだよおぉぉぉぉぉぉ……!』

 まるで最も愛しいものを手離したくないと訴えるかのように。
 まるで最も愛しいものを忘れたくないと天に祈るかのように。
 まるで迷子の子供のように泣いている。

『帰ってきてよ……! また神楽って呼んでよっ……! 目の前で銀ちゃんって呼ばせてよっ……!』

 嗚呼、彼は帰ってこなかったのだ。
 『昔の彼』は帰ってきたけれど、でも『彼女』にとっての『今の彼』は帰ってこなかった。
 どちらも同じ人だというのはわかっている。
 そこに真偽もなければ優劣もない。そんなことは言われるまでもなくわかっているのだ。
 それでも思ってしまうことを止められない。
 違う、と。
 目の前にいる『過去の彼』と、自分と同じ五年を自分以上の孤独の中で歩み、世界を、自分たちを必死に守ろうとして、己のせいで穢れ、爛れて、腐り果て、崩れていく世界を眺めながら、ただ孤独の中で己の終わりを願い、己に殺されることを待ち続けた彼は……

『忘れたくないよぉ……!』

 みんなが帰っていく。
 何もかも忘れて帰っていく。
 あの人の苦痛を知らず、あの人の絶望を知らず、あの人の恐怖を知らず、あの人の羨望を知らず、あの人の希望を知らず、あの人の涙を知らずに。
 みんなが帰っていく。
 そうして、自分が帰っていくことも止められない。
 けれど……
 みんなが忘れてしまっても……――

「いやだいやだいやだ、やだヨやだヨやだヨっ……! 私だけは忘れたくないっ!」

 神楽は何を忘れたくないのかを必死で繋ぎ止める。

「銀ちゃんが頑張ってたこと……! たった一人で私たちを守ろうとしてくれてたこと……!」

 けれども……零れていく。
 たった今自分が口にしたことが何であったのかすら、記憶することができなかった。
 彼の努力が世界から忘れられ、自分の中からも消えていく。
 しかし、
 けれど、
 そうだとしても、
 何を忘れてしまったとしても、

 この想いだけは――
 この願いだけは――
 絶対に忘れたくない……!

 それは願いだった。
 純粋すぎる想いだった。
 例えその先に再び絶望しか広がらないとしても。世界が、そこに住まう全ての人が再び不幸になってしまうとしても。それが世界の摂理を歪めてしまうものだったとしても。
 それでも『彼』と一緒にいたいという純粋すぎて、真っ白で、真っ黒な願い。
 世界の理を曲げて、今ここに届く。
 『彼女』の白く黒く暗い想いと願いが、『種』とともに神楽の心に根付いた。
 神楽は『彼女』と同じように己の身体を掻き抱いて願う。

「忘れたくないヨ……私が……銀ちゃんを愛してることを……!」

 『あの彼』は『今の彼』ではないけれど、今の神楽にとっての『彼』は『今の彼』だから。
 目の前に映る美女が顔を上げた。

『銀……ちゃん……』

 その瞳はザラザラと揺れていた。
 彼女が苦手としながらも、しかし同時に思い馳せていた晴天を思わせる、輝くような青々とした輝きは、もはやそこにはない。
 小さな鉄と鉄が擦れ合うかのような耳障りな音と、かつては嗅ぎなれたくなかった血の匂い。
 唯々一つを求め、それと交じり合いことしか興味のない青。
 狂気に歪んだ鈍い輝きを放つ瞳。
 砂嵐の世界にいたのは確かに神楽だった。
 顔つきも、体つきも、多くのものが変わってしまっていたが、そこにいたのは、自分であると、神楽は理解したしたのだった。
 その狂気が世界の理を捻じ曲げたのだ。
 それと同時に、もう一人の神楽は消えていく。

「っ……! っ……!」

 万事屋の押入れの中。小さい世界で、己の身体を掻き抱いて、神楽は寒さに震えるように縮こまった。
 今まで何を見ていたのか、何をしていたのかもはや正確にはもう思い出せない。
 だけどたった一つだけ忘れずにいられたことがある。

「銀ちゃん……! 銀ちゃん……!!」

 先ほどまでは、ほんの少しだけ燻っていただけの願い。
 いずれ開花したかもしれないが、しかしそれはもっと先になっていたはずの大切な想い。

「好きだヨ……銀ちゃん!」

 ずっと胸の内にありながら、見ないようにしていた恋心。
 それがただただ膨れ上がる。
 それは、決して誰かの願いを受け継いだからではなく、今の神楽自身の確かな『想い』。それを誰にも、脳裏に僅かに残る『彼女』にも否定させはしない。
 そうして、神楽は己の恋心を自覚し、同時に銀時と自分の関係の曖昧さ理解する。
 父親と娘のような、兄と妹のような……
 どこまでいっても『ような』という曖昧な言葉がついてしまう関係。簡単に崩れてしまう関係。
 いつ崩れてしまうかわからない関係でしかなかったことを、今更理解した。
 そして、そんな関係を恐怖し、そんな関係から脱却したいと願う。

「銀ちゃんが欲しい……」

 現在、過去、未来。
 全ての彼が欲しい。
 『もう二度と』決して自分から離れないように。
 今このとき他の女を抱いているかもしれない銀時。
 そんな女ではなく、自分を抱いてほしい。
 銀時にも自分が欲しいと願ってほしい。
 銀時への恋心を、愛情を自覚したらもう駄目だった。
 それはもう壊れたダムのような状態。
 滝のように溢れていく想いを止めることができない。
 それは神楽のうちから溢れる愛情であることは間違いない。しかし、そこにあったのは二人分の想いと願い。行き場をなくしてしまったどこか世界の想いが、神楽の想いを相乗させていく。
 銀時がいれば、もう他は何もいらない。
 銀時だけが欲しい。
 一分一秒、銀時への想いが募る。



 ◇◇◇



「銀ちゃん、横になるネ」

 意識を今に戻した神楽は、和室まで銀時を運ぶ。
 そして布団を敷いてやると、銀時を聊か乱暴に転がしてやった。

「ほら寝る前に着替えるアルヨ、銀ちゃん」
「うあー、かぐらー、手伝ってー」
「仕方ないアルなぁ」

 口を尖らせるが、こういうのもまるで奥さんになったようで悪くはない。
 それから銀時を着替えさせ、彼が寝息をたてはじめたのを確認すると、少しだけ笑い、部屋を出た。
 和室の扉を閉めると、自分も寝床である押入れに向かう。
 しかしふと足を止めて考える。
 今日、銀時が抱いた女は、どんな女だったのだろう。
 そう考えながら、今神楽が思うことは一つ。


 ――コロシタイ


 あの匂いの元である女を殺したい。
 それは戦いたいという夜兎の本能とは確実に違うもの。
 いや、そんなことはない。
 これはきっと『夜兎の女』の本能だ。
 今から探し出せるだろうか?
 ああ、でも自分が知るのは匂いだけ、これだけで探し出すのは無理か?
 でも、銀時が飲みに行くような店はほとんど頭に入っている。女が同伴だからと、そこまで大した違いはないだろう。
 その店で聞き込んでみるか。
 しかしそんなことを考えていると大きな音が響き、神楽が着替えさせた寝巻き姿のままだが、その手に木刀を握り、銀時が転がるようにして部屋から飛び出てきた。
 そして、見慣れた木刀を神楽に突きつける。

「…………神楽?」

 しかし銀時は、自分が木刀を突きつける相手が神楽であると気付き、呆然と眺めた。
 さすがはかつて白夜叉とまで呼ばれていた男というべきか、寝ていても、酔っ払っていても、一瞬神楽から漏れ出た僅かな、しかし遊び心の欠片もない殺気に反応し、飛び起きてきたようだ。

「どうしたアルか、銀ちゃん? 寝ぼけてんじゃねーヨ。これだから酔っ払いわ」

 しかし神楽は銀時が反応した理由を理解しながら、慌てるでもなく、半眼になって辛辣に言ってやった。
 すると銀時は疑いもせずに、首を傾げながら木刀を下ろす。
 が、なぜかすぐに木刀を投げ捨て、口を両手で覆った。

「うげ、いきなり動いたから酔いがまわって吐き気が……オロロロロロロロロロ!」
「って、こんなところで吐くなヨ、この駄目天パがぁぁぁぁぁぁ! 見てたら私もせり上がってきたアル! オロロロロロロロロ!」
「うお、お前の見てたらまた……オロロロロロロロロロロ!」
「だから吐くなって言ってるネ! また私も……オロロロロロロロロロ!」
「この貰いゲロスパイラルどうにかしてぇ! オロロロロロロロロロ!」
「なんでこんなときにあのダメガネはいないアルか! だからあいつはダメガネなんだヨ! オロロロロロロロロロ!」
「新八こいっ! 俺たちのゲロの処理にこい! オロロロロロロロロロ!」

 もう深夜と呼ばれる時間、ここにいるわけもない同僚兼家族兼ツッコミに勝手なことを言い合いながら、二人は吐き続ける。
 ……そうして二人は、暫くの間仲良く臭い仲であり続けることになったのであった。



 ◇◇◇



 銀時と出会っ【再会し】て三年、銀時への想いを自覚して二年が経ち、神楽は十七歳となった。
 しかし、二人の関係に大した変化はない。
 変わったことと言えば、神楽が昔よりもはっきりと、素直に銀時に甘えだし、また恋心を隠さなくなったことぐらいだろう。
 とはいえ今でも毒舌や手は向かう。
 また銀時が神楽を子供扱いすることは変わらなかった。
 ただ銀時が酒を飲んでくる機会が減り、また女の匂いを残して帰ってくる頻度が減って、家にいる時間が増えた。
 その程度だ。
 神楽は銀時が欲しいと思っているが、それを急いではいない。あと『二年』はゆっくりやっていくつもりだ。
 仮に銀時に特定の女ができたとしても、排除してしまえばいいと思っているので急ぐ必要がなかったのだ。
 女の影が完全に消えたわけではなく、そこに相手の女への嫉妬と殺意こそ浮かぶが、それは今のところ押さえ込んでいる。
 銀時は神楽を子供扱いしているが、それでも今の神楽に何も感じていないわけではないことは、神楽もわかっているのだ。
 なぜならこの三年で、神楽の身体は急成長を遂げた。
 身長は伸び、胸もかなり大きくなり、まだその成長を止めてはいない。ほとんど凹凸のなかった身体も、今では出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。
 むしろ三年前までが、年齢に対して小柄で身体の成長が追いついていなかったのが、ここにきて、逆の意味で年齢不相応な体つきになり始めていた。
 髪も伸ばして、お団子頭をやめ、ツインテールか片方だけを留めるようになった神楽からは、幼さが急激に抜けた。
 そんな彼女に、毎日くっ付かれ、恋心を向けられる生活を続けているのだ。いかに銀時が、本当に神楽を子供として扱っていたとしても、まったく女を感じないというわけがない。
 むしろそんな銀時を見て、神楽の方が楽しんでいる始末である。
 それらがここ最近、銀時が家にいる時間が増えた理由であろうことは予想に難くない。
 そんなある日、その日は依頼もなく、神楽は好物の酢昆布を買いに出た。
 行き着けの駄菓子屋に向かう際も、買って帰る際もその足取りは速い。定春の背に乗せてもらいたかったところだが、さすがに寝ているところを起こすのは躊躇った。
 家を出るとき銀時は、愛読書……いや愛読週刊漫画を読み耽っていて出かける様子はなかった。だからこそ、そのときを利用して神楽も酢昆布を買いに出たのだが、へんに時間をかければどこかへフラフラ出かけかねない。
 早く帰ろうとショートカットのため、町中にある公園……というか、この辺りの子供たちがよく遊び場に使う広場をぬける。
 そんなときだった。

「よぉ、チャイナ」

 『敵』が現れた。

「こんなところで何やってるんでぃ」

 真選組一番隊隊長・沖田総悟。
 初めて出会ったときから、何かとちょっかいをかけてくる鬱陶しい男。
 見回りでもしていたのか、それともいつものようにサボっていたのか、沖田は唐突に現れ、神楽の目の前に立った。
 元々気に食わない男ではあり、嫌いなやつだった。しかし今の神楽にとって、この男はどうでもよく、同時にまさしく敵だった。
 好敵手なんてものじゃない。
 気に食わない男でもない。
 本来なら敵意さえ向けたくないいっさいどうでもいい存在でありながら、排除しなければならない忌々しい敵。
 今のように、いつだって自分と銀時の時間を邪魔する敵だ。
 別に同じ場所、時間にいるのは構わない。新八だって、かなり長く銀時と自分の時間と場所を共有する人間だ。しかし、彼は決してどうでもいい理由で、銀時と神楽の邪魔はしない。
 とくに新八は、昔から……それこそ神楽自身が自覚する前から、彼女の銀時に向けるほのかな感情に気付いていたようで、今のむしろはっきりと銀時に甘える神楽を見て、仕方ないなと喜んでいるぐらいだ。
 新八は神楽にとって邪魔になる存在ではなかった。だから新八のことは、昔と同様に大事にしていて、今なお身内という括りの中に入れられている。
 だが、この目の前の男は違う。
 愛しい人の隣にいるときに、もしくは今のように愛しい人の元へ少しでも早く向かいたいときに限って現れる。
 神楽の居場所は常に銀時の隣だ。それを子供のようなちょっかいで引き離し、邪魔をしてきた。また今のようにすぐにでも銀時の元へ帰りたいのに、その時間を引き延ばす。
 昔ならば気に入らないという理由で買っていた喧嘩。
 だが女として成長した今となってはただ鬱陶しく、面倒くさく、邪魔であり、怒りと憎悪という負の感情が蓄積されるだけであった。
 これで敵でなければ何が敵だというのか。
 神楽にとって、銀時の隣にいること、共にいる時間を邪魔する者、引き離そうとする者は全てが敵であり、その中でこの男は筆頭と言えた。
 だからこそ神楽の冷めた瞳が沖田を貫く。
 それは炉辺にある邪魔な障害物を見るものでしかない。
 鼻で笑うことすらせず、神楽は視線を離し、

「どけアルヨ」

 その脇を通り抜けた。

「おっと、待ちな。まだ話は始まってもねぇぜ」

 しかし、すぐに沖田は身体を入れ替え、神楽の進行ルートを塞ぐ。

「どけヨ……!」

 またも邪魔され、神楽は苛立ちの感情を隠すことなく吼えた。
 そんな神楽に、なぜか沖田もまた苛立ったように眉間に皺を寄せる。
 そして、舌打ちを一つ。

「俺を見ろよ……」

 沖田の口から出てきたのは、そんな言葉。
 苛立ちながらも、しかしそれ以外の感情がまったくない、まるで変わらない神楽の目を見て、沖田はさらに顔を歪めた。
 別に沖田は、自分が神楽に好意をもたれているなどというメルヘンなことを思ってはいなかった。むしろ気に入らない、ムカつく男とでも思われていると予想していて、それで良いとも思っている。
 何の感情も向けられないよりは、それが敵意や怒りであっても、己を求める感情がほしい。
 しかし、今の二人の関係はそんなものですらなかった。

「気に食わない男でいい。嫌いな男で構わねぇさ。それでいいから俺を見ろよ!」

 神楽はまったく沖田のことを見ていないのだ。

「いつからだかわからねぇ、だがてめぇ、俺をその目の中から消したろう」

 沖田が気に入らないのはそれだけだ。
 あれはもう敵どころか、他人を見る目ですらない。
 単なるモノを見る目だ。
 いつからだか正確にはわからない。神楽は沖田の挑発にほとんど乗らなくなり、喧嘩どころか殺し合いの勢いで衝突を繰り返していた間柄が、それが敵意や怒りであったとしても、確かに己だけに向かってきていたはずの『惚れた女』の感情が、完全になくなった。
 今まで沖田が感じ続けていた苛立ちが、この場に神楽以外の存在がいないことと、神楽もまた僅かでも苛立ちを浮かべながらも、だがまったく変わらない目を見たことで膨れ上がった。
 こんな馬鹿みたいな独り相撲があってたまるかと、沖田は神楽のチャイナドレスの胸元を掴み上げ、彼女の身体を引き寄せた。

「お、まえ……!!」

 神楽は胸元に自分以外の体温を感じ、同時に自分の体温が急激に下がっていくことを自覚する。
 視線を下げると、男の手が自分の服を掴み上げていた。
 服越しに、沖田の手の感触が伝わる。

 触れた…………。
 ふれた……。
 フれた。
 フレた!
 フレタ!!

 服越しとはいえ、銀時以外の身内ですらない男が、偶然以外の理由で、己の意思をもって自分に触れた。
 下がっていた体温が、今度は急激に上がる。
 神楽は、頭の中でブチリと何かが切れる音を聞いた。
 堪忍袋の緒が切れる、とはこういうことを言うのだろうかと冷静な部分が考えるが、激昂した心は収まらない。
 ここのところ、この男とは一人のときより、銀時といるときに会うことの方が多く、『本気』で手を出すことはできなかったが……いい機会だ。
 カクジツニ、
 ゼッタイニ、
 マチガイナク、
 モウニドド、
 オナジコトガデキナイヨウニ、


 ――コロシテヤル


「……死ねヨ、ガキ」

 そう言って、神楽は掴まれたまま夜兎の象徴である番傘の先端を沖田の眼前に突き出し、柄にあるトリガーを一切の躊躇もなく、慈悲もなく、引いた。
 元々沸点が低いことを自覚している神楽ではあったが、こいつに関しては今までよくもったと自分を褒めてやりたい。
 殺意が込められた弾丸が放たれ、一直線に飛び、サド男の頭をスイカのように破裂させる……と思われた。
 思わず舌打ちした。
 生きている。
 さすがは真選組隊長であり、その中で天才とも呼ばれる男。銀時ほどではないにせよ、十分に人間を止めていた。
 銃弾が放たれるよりも前に、神楽の殺気に反応し、手を離して後ろに銃弾をかわしながら飛び退いている。
 体勢を整える沖田に、神楽は追撃をしかけなかった。
 
「私は、お前みたいに一々他人にガキくさいちょっかいかけてくる男に興味ないネ」

 ただそんな沖田を神楽は目を大きく開き、言葉を叩きつける。

「お前なんて本当は敵意さえ向けたくないヨ。心底どうでもいいアル」

 声には確かに怒気があった。
 しかし無表情は変わらず、それはまるで無機物を見るようなもので、沖田にとって不快な目であることに変わりは無い。
 明確に、躊躇いもなく殺そうとしたにも関わらず、今に至っても、神楽は沖田を見なかった。
 それに沖田は顔を歪める。

「……っ! 笑えとは言わなねぇさ。だがな、せめて昔みたいに子憎たらしい怒り顔の一つでも浮かべてみせやがれっ!」
「っざっっっけんなっ!!」

 神楽は、沖田の怒声をそれ以上の怒声で、被せるようにかき消した。

「好きな男との時間を邪魔されて、ニコニコ笑う女なんているか! テメーのしつこさに、もう私は怒りすら通り越してんだヨ!」
「は、好きな……男?」
「私と銀ちゃんの間に入ってくんな! しゃしゃり出てくんなっ! 邪魔なんだヨ、サドヤロー! テメーの性癖に私たちを巻き込んでじゃねーヨ! そんなもんそこらの適当な女に向けろや! 私にSっ気向けてくる男は、銀ちゃんだけでいい! 他の男なんていらないネ! 薄汚い手で私に触るな!! 私に触れていいのは銀ちゃんだけアルっ!! 私は銀ちゃん以外の全てがいらねーんだヨ!!」
「っ! お前、旦那のこと……」

 見開かれた神楽の目。
 無表情ながら、そこには沖田が今まで見たことも無い殺意の色だけしか映らない目と、怒りすら通りこした憎悪を湛えた瞳がある。
 もちろん沖田とて、神楽が銀時に好意を向けていたことなどわかっていた。
 いつもいつも、昔から『銀ちゃん銀ちゃん』と言いながら、笑いながら銀時の背を追い、隣に立っていたのを見続けているのだから嫌でも気付く。それに嫉妬を覚えたこととてあった。
 しかし、それは父親や兄に引っ付いて回る幼い少女の行動であり、彼に向ける愛情は親愛か、淡くすぐに終わってしまう叶わない初恋であると沖田は思っていたのだ。
 こんな炎さえも呑み込みかねない、マグマのように熱いものが眠っているとは露とも知らなかった。
 銀時以外はいらないと言い切る程の大きすぎる感情。

「もう一度言ってやるネ。私はお前なんかどうでもいいアル。次に私が銀ちゃんの隣にいる時間を邪魔してみろ。次に銀ちゃんのところに帰るための時間を伸ばしてみろ。次に服越しだろうが私に触れてみろ。今度こそ絶対に殺してやるヨ……」

 本当なら神楽は今すぐにでもこの男を殺したかった。息の根を止めてやりたい。
 しかし銀時以外に触れられた嫌悪感が、今のままでいることを拒否する。すぐにでも同じところを銀時に何度も触れてもらうか、熱い湯を浴びて汚れを落としたかった。
 神楽は、元より性別に関係なく他人に気安く触れられるのを嫌う性質である。昔からそれを許すのは、銀時や新八などの身内や友人に限られた。
 銀時を愛するようになって、その性質が潔癖とも呼べるものにまで変化している。
 銀時は当然としても、家族である新八が親愛として、そしてツッコミとして触れるのは許せるが、それ以外の男が自分に触れるだけで、吐き気さえ催す。というか口に指を突っ込むまでもなく、想像だけで吐ける自信があった。

「二度と私の前に立つな」

 神楽はもはや一瞥もくれることなく、沖田の脇を通り抜ける。
 どんな心情の変化か、沖田はもう神楽の邪魔をすることはなかった。
 残された沖田は、フラフラと広場と民家を遮る壁に背を預け、空を見上げた。

「女の成長ははえぇ、か」

 ほんの一、二年前まで、彼女の言うガキの行為に付き合っていたはずの女が、今じゃ何歩も先に進んで一瞥すらくれやしない。

「……情けねぇや」

 いつからかわからないが、自分から一歩も踏み込まなかった故に、それまで関係に満足してしまったが故に、沖田は置いていかれていたのだ。
 それを今更自覚した。
 とっくの昔に自分は負けていたのだと。

「ちくしょう。初めてタバコが吸いたくなったって言うのに、こんなときに限って土方の野郎はいやしねぇ。だから使えねぇんでさぁ」

 しかしこれでよかったのだ。
 これが一番、順当であり、穏当な終わりの自覚。
 もし、もしも沖田の神楽への好意が少しでも、それが毛程であったとしても伝わっていたならば、間違いなく神楽はもう一度彼を殺しにかかっただろう。次回になど持ち込まない、この場で決着をつけた。
 先ほど以上の憎悪と殺意をもって。
 その感情で銀時にちょっかいをかけようものなら、それこそ塵一つ残さない。
 一人の女を複数の男が取り合う。漫画にありそうなシチュエーション。世の少女たちはそんな状況を望むのかもしれない。
 しかし、男にはわからないだろうが、ただ一人の男を決めた女にとって、それ以外の男の好意など邪魔でしかないのだ。むしろそれで唯一人の男に疑われては目も当てられない。
 そして今の神楽はそれ以上に、銀時以外の自分に向ける好意など欲していない。それは神楽にとって銀時との間を邪魔すること以上の禁忌に等しく、触れられる以上の生理的嫌悪しか浮かばない虫唾の走る感情であった。彼女が嫌いな油虫が全身を這い回るような嫌悪の対象。
 だからこそこの世から、その感情ごと魂まで消そうとしていただろう。
 それは沖田の言うように女の成長なのか、それはわからない。
 ただ、喧嘩をし合い、気の置けないライバルのような沖田と神楽の関係は、彼が知るよりもずっと前、とうの昔に終わっていた。
 彼の恋もまた、とっくに終わっていた。
 それこそ神楽が銀時と出会う以前から。
 それだけの話だ。



 ◇◇◇



 ガラガラと玄関の引き戸が開かれる音がした。

「ただいまヨー」

 銀時にとってすでに聞きなれた声が響く。

「おかえりー」

 銀時は何も答えなかったが、台所で夕食の準備をする新八の声が聞こえた。

「銀ちゃーん!」

 バタバタと落ち着かない足音を響かせ、帰宅した神楽が万事屋の事務所兼リビングになだれ込む。
 そして、そこのソファに寝転びながら漫画を読む銀時を確認すると、一切迷うことなく彼に向かってダイブした。

「ぐえっ!」

 そんな行動に出るとは想像もしていなかった銀時は、彼女を支えられるわけもなく、潰れたカエルのような声を吐き出す。
 しかし神楽はそんなこと知ったことではないとばかりに、銀時の首に両手を回し、思い切り抱きしめた。

「うん、待とうか。冷静にいきたいけど、まったく冷静になれないんでいつもどおりのテンションで突っ込ませてもらうわ。なんで帰ってそうそういきなり抱きついてきますか、この小娘は!?」
「身体を綺麗にするためアル」
「意味わからねー!」
「そこは言わずとも理解するか、わからなくても黙って抱き寄せるのが男の甲斐性ネ。あ、銀ちゃんは最初からそんなもんなかったアルな、ごめんヨ。うん、ホントごめんね」
「謝られると腹立つわー。ホント腹立つわー とくに最後、イントネーション普通で謝られたのが本気で腹立つわー!」

 神楽は抱きつきながら胸元を擦りつけてくるため、必然的に胸を擦りつけられ、銀時としてはたまったものではない。
 神楽の着るチャイナドレスは、薄手の上、今着るノースリーブ型や肩が開いたものを着るときはなんでか知らないが、薄いサラシを巻くだけらしく、先端部分の淡い感触まで感じ、銀時としては最高でありながら、同時に最悪の瞬間であった。

「ちょっと神楽ちゃん! 外から帰ってきたならまず手洗いうがい!」

 やはり台所から響いてくる新八の声。しかし、そこから出てくる様子はない。

「お前は母ちゃんですかー!? いいからこっちにきて、この馬鹿娘引き離せ!」
「馬鹿はお前ネ、このクソ天パ侍。うぜーヨ」
「何でお前は、いつもいつもそんなに銀さんの天パを目の仇にしてるの!? っていうか言葉と行動が一致してねーんだよ! うぜぇなら離れんかーい!」

 神楽を引き離そうと、首から腕を引き離そうと力を入れるが、まるで効果がない。
 身体の成長とともに、夜兎としての身体能力も上がっているらしく、こうもがっちりと捕まってしまうと、男の銀時でもどうにもならない。というよりも振りほどくことは可能なのだが、かなりの確率で神楽の身体に傷を付けてしまうため、実行できないのだ。

「……やぁヨ」

 しかしそれでも何とか振りほどこうと銀時がのた打ち回ると、神楽はさらに力を込めて、銀時を胸元に引き寄せた。
 その身体が僅かに震えている。

「……なんかあったか?」

 銀時は、深々とため息を吐くと、神楽に抱きつかれた体勢のまま、やや乱暴に彼女の頭を撫でた。

「ちょっと……っていうか、すごくやなことあったネ」

 少しばかり声を落として言う神楽。
 しかし、

「でも、銀ちゃんにくっ付いてたら、嫌なこと忘れるアルヨ」

 すぐにまるで彼女が苦手とする太陽のような輝く笑顔を浮かべた。

「……そうかよ」

 その笑顔を見て、銀時は何も言えなくなった。
 いつからだろうか、銀時が神楽のことを娘のようなものとも、妹のようなものとも、家族のようなものとも思えなくなってきたのは。
 何より、それを神楽自身が望んでいることに気付いたのは、いつだったのか。
 いつからだろうか、神楽の顔に別の女の泣き顔がちらつくようになったのは。
 自分の着る着流しに似た白いチャイナドレスを着る女。
 その姿を初めて見たのは、それこそ神楽と出会う前から。いつだかの天人の傭兵団と戦ったあとから。
 だが、今ではその女が、神楽に重なる。
 しかもその女はいつも泣いているのだ。
 女が神楽の顔と重なる度に、銀時の中にある何かが叫ぶ。
 抱きしめろ。
 もう悲しませるなと。
 神楽の悲しそうな顔、泣きそうな顔を見ると、自分の中の何かが壊れそうになる。
 そこにさらに見たこともない女の影がちらつき、銀時を責め立てるのだ。
 何度あの涙を見せ付けられただろう。
 体中に梵字のような文字を浮かび上がらせ、同じく梵字のような文字が刻まれた包帯を全身に巻きつけ、錫杖を持った己が、あの女の涙を見続けていた。否、見せ続けられた。
 身体は動かず、ただ自分の大切な者が悲しむ姿を己に見せ付ける。
 泣いている彼女を抱きしめたいと近づこうとしても、己の身体は動かず、その姿を見せ付けられるだけ。
 触れたいと願う女に、自分に触れて欲しいと願う女に触れることができない。
 こんな絶望があってたまるか。
 その姿を見て、何度自分を殺してやりたいと思ったか。
 幻想とも妄想とも言えない女に……銀時は懸想していた。
 それはいつしか神楽自身に向けられて……
 そして今、神楽にその女を重ね、その女に神楽を重ねるという矛盾した状況に陥っている。
 『銀ちゃん銀ちゃん』と笑いながら自分の後ろをついて回っていた少女。
 自分の妄想の中で泣き続ける女。
 その酷い対比に、銀時はその両者から目を背け、他の女に走るのが常であった。
 その匂いを撒き散らして、自分のことなど諦めてしまえと神楽を牽制する毎日。
 そうでありながら、今、神楽がこの人と付き合うことになりました、などと言って男を連れてきたなら、それが誰であれ斬り殺してしまうような気がした。
 身勝手な己を毒づきながらも、神楽を完全に拒絶することもできず、受け入れることもできず、他の女に逃避することを止めることができない。
 何のことはない。
 銀時は怖かったのだ。
 神楽を受け入れるのが怖い。

「神楽」

 銀時は何度も神楽の頭を撫でた。

「銀ちゃん?」

 いつもとは違う銀時に、不思議そうに首を傾げる神楽の顔。そこにやはりあの女の泣き顔が重なり、背筋に恐怖がせり上がる。


 ――こいつを受け入れたとき俺は、壊してしまうぐらいにこいつを愛してしまいそうで……


 受け入れてやれなかったどこかの時代の彼女ごと……
 孤独に耐える『彼女』を見ていることしかできなかったどこかの自分の想いまで継いで……
 壊してしまうほどに抱きしめてしまいそうで……
 怖い。
 何よりも、自分が神楽を愛しているのか、妄想の女を愛しているのかがわからないことが怖かった。
 目の前の神楽を愛しているとはっきり言えるなら、もうずっと前にこいつことを胸の中に引き入れているというのに。
 銀時が頭を撫で続けると、神楽はまるで猫のように目を細めた。

「銀ちゃん」
『銀ちゃん』

 まったく同じ声が、二つ重なって聞こえた。
 ゾクゾクと、先ほどとは違う意味で背筋が震える。


 ――アイシテル……


 彼女が、そして彼女に重なる『彼女』が、自分を『銀ちゃん』と呼ぶたびに、自分がどれだけの激情に耐えているのか、目の前の少女はわかっていない、
 滅茶苦茶にしてしまいたいほど、壊してしまいたいほどに、目の前の少女を、それに重なる『彼女』を愛している。
 もう限界に近いことを銀時は自覚していた。
 こんな体勢でもう一度でも、自分の名を呼ばれたら……

「銀ちゃん、どうしたヨ?」
『銀ちゃん、どうしたの?』

 もう無理に決まっているだろう。
 二人分の自分に向かってくる思慕と、二人分の自分の激情。
 そんなもの、どうして制御できるというのだ。
 銀時は、頭を撫でていた手に力を入れ、強引に、無理やりに神楽の顔を引き寄せた。

「銀ちゃ……」

 もはや吐息さえ鼻先に感じる距離に神楽の顔があった。
 だからこそ、もう止まれはしない。

「黙ってろ。嫌だったなら、あとでいくらでも俺を殺せよ。お前になら何度殺されたってかまやしねぇさ」

 抵抗の弱い……というよりも、まるでない神楽の顔をさらに引き寄せ、その唇に銀時は己の唇を押し付けた。

「っ!!」

 神楽が両目を大きく見開いた。
 しかし、そんなことは知ったことではない。
 驚きのためか、半開きとなっていた唇に、銀時は一切躊躇うこともなく、舌を差し込んだ。

「んっ!」

 途端に、神楽の身体が電流でも走ったかのように仰け反られたが、銀時が頭を押さえ続けたが故に、唇が離れることはない。
 一瞬仰け反った身体も、すぐに力が抜け、むしろ押し付けるかのように銀時の身体に圧し掛かった。

「ちゅ……ん……ちゅる……ふ……」

 前歯を一舐めしたあと、その歯茎を、次にその裏側を舐めたとき、銀時の舌に滑った感触が伝わる。

「ふぁ……銀ちゃ……ちゅ……んっ……はっ……くちゅ……んんっ」

 ようやく神楽の現状を理解して受け入れたのか、それとも本能だったのかはわからないが、オズオズとその舌先を銀時のそれに触れさせる。
 その瞬間、銀時はそのまま舌を伸ばし、それを絡めとった。

「ふあぁぁぁっ……銀ちゃぁ……ぁん……息……ちゅる……はぅっ……くちゅちゅっ……できな……」
「ん……ゆっくり鼻で……しろ」

 小刻みに震える神楽を抱きしめ、一度舌を自分の口の中に戻す。それから唾液を集めると、それを神楽の口に再び舌とともに流し込む。
 すると神楽は一つの躊躇もなく、銀時の舌とともに唾液を受け入れ、己の舌で絡めとりつつも、やはり何の躊躇いもせず嚥下した。

「んちゅ……んくっ……銀ちゃん……わた……しの……も……飲んで……ヨ……」
「ああ……いくらでも寄越せ」

 今までと違い、神楽の舌が銀時の口の中に進入してくる。
 その舌を絡めとりながら、送られてくる神楽の唾液を口内で味わい、ゆっくりと嚥下した。
 少しばかり酢昆布の味がする。

「銀ちゃんのもぉぉ……また……ちゅ……るる……また……んちゅ……ちょう……はぁ……だ……い? 一杯……んちゅ……ちょぉだぁい?」
「……いくらでも……やるよ」」

 もはや何も考えられない。
 それはきっと神楽も同じだろう。
 お互い以外の全ての事象を忘却に追いやり、相手の唇と舌、唾液だけに集中する。
 お互い考えることが同じだったのか、溜めた唾液をほぼ同時に舌とともに押し出した。

「ちゅ……銀ちゃ……はあ……銀ちゃん……ちゅぶ……もっと……もっとぉ……」
「神楽……」

 お互いの名を呼びながら、唾液とともに二人の舌が絡み合う。
 解け、絡まり、もはやどちらのものなのかもわからない唾液を嚥下した。
 それから一度、唇を離す。

「神楽、舌出せ」
「うん……」

 銀時が命じると、神楽はやはり何の躊躇いもせず、そのピンク色の舌を突き出してきた。
 それに銀時は己の舌で絡めとる。しかし、神楽の口内にも押し込めることも、己の口内に引き込むこともしない。
 唾液を滴らせながら、宙で二人の唇が絡まった。
 ボタボタと唾液が零れ、銀時の顔に零れるが、知ったことではないと銀時は神楽の舌を貪る。
 ジュルジュルとわざと音をたて、銀時は神楽の舌を唾液ごと舐るように絡めた。

「銀……ひゃ……ん……やあっヨっ……はふっ……音……恥ずかし……ネ……」
「俺しか……見て……ねぇし聞いてもねぇよ」
「ひゃん……だから……んちゅっ……余計に……んんっ……恥ずかしい……はむっ……アル……ヨ……ぉ……」
「知るか……いいからもっと寄越せ……新八に聞こえるぐらい音出してやる」
「やっ……はあっ……ぱり、銀ちゃ……も……ちゅる……ドSネ」

 銀時は神楽の『も』という言葉に反応する。
 その言葉に浮かぶ男は一人だ。

「誰のこと重ねてやがんだ……お前の前にいるのは……ふっ……総一郎くんじゃねぇし……俺以外にこんなことさせんじゃねぇ……よ」
「誰ヨ……ちゅっ……それ……それに誰とも……んんっ……重ねてなんかないネ……神楽様は……くちゅ……銀ちゃんと違って……ふはっ……一途……なんだヨ……銀ちゃん以外に……こんなこと……させな……ふぁっ! ……他の男がしようとしたら……ちゅぷ……絶対に殺してやるアル……私……キス……初めてネ……はぁっ……全部……ぜんぶ……女の子の……初めて……全部銀ちゃんにとって……くちゅる……あるんだヨ? 他の男なんて興味ない……んちゅ……アルヨ……ちゅっ……」
「神楽……」
「銀ちゃ……ぁん」

 唾液を落としながら、お互いの舌を、唇を、口内を貪りあう。
 痺れるような快感。
 神楽にとっては初めてかもしれないが、銀時にとっては、すでに慣れ親しんだ感触であったはずが、まるで十代のガキに戻ってしまったかのように夢中になっていた。
 ただのキスであるというのに、今までどんな女を抱いても得られなかった快楽。

「んっ!? んんっ! 銀ちゃん……! 銀ちゃんっ……!?」

 神楽の身体が仰け反り、それからくたりと力が抜ける。
 
「おい、お前、まさか……マジかよ」
「はあっ! はあっ! 銀ちゃぁぁぁぁぁぁんっ……!」

 ようやく二人の唇が離れるが、神楽の目に力がなかった。
 まるで劣情を帯びるかのように目をトロンと潤ませ、頬を桜色に染めつつ、短く何度も呼気を吐き出し、唇の端から銀時のなのか、自分のなのかもわかない唾液を流すその姿は、妖艶で扇情的……というか、より直接的に言うと、なんかもうよくわからんけど、とにかくエロい。
 カタカタと全身を未知の感覚に震わせる神楽に、銀時をどうしたものかと己の髪をかき乱す。
 キス一つでこれほどの快楽を与え、またこちらも与えられるとは思っていなかった。
 力の抜けた神楽を銀時は、身体の全部で支え、背中を何度もさすってやる。
 もはやその行為にすら快楽を感じるのか、神楽はビクビクと銀時の腕の中で震えていた。
 何度も胸を擦りつけ、チャイナドレスの間から伸びる足の太股が、銀時の足に絡む。その間から張り付くような、とろけるような、むせるような熱気が伝わった。
 これはまずい。
 なんかもうホントにまずい。
 神楽自身がどう思っているかは知らないが、完全に神楽の身体は無意識に銀時を誘っていた。
 ただのキスの一つで、彼女をこうしてしまったことに対する罪悪感と優越感が、銀時の背中を寒気のようにくすぐり、奮わせる。
 神楽の全てを手に入れたいと、今まで以上に思い、銀時は神楽の頬に手を触れた。

「銀ちゃん……」

 すると嬉しそうに、神楽は手に頬を擦りつける。

「神楽、愛し……っ……!」

 神楽に対して、これまでの関係を崩す言葉をかけしようとしたとき、

『銀ちゃん……』

 またも重なった。
 涙を流して、愛おしそうに自分を見てくる女。
 神楽に似た女。
 いや、神楽そのものとも言っていい、だが違う。
 『まだ』彼女と神楽を同一視してはいけないのだ。

「銀ちゃん?」
「何でもねぇよ」

 情けないと銀時は内心でため息を吐く。さすがにこの状態、神楽を目の前にして本当にため息を吐くほど、銀時も馬鹿ではない。どんな誤解をされるかわかったものではない。
 幻影を追いかける己に、頭がおかしくなってしまったのか、そう思ったのは一度や二度ではなかった。
 しかし、確かに同時に神楽も愛していて、他の誰にも渡したくないと思っているし、『神楽』がいれば、他の何もいらないと思うほど……それこそ自分の年齢を勘違いしてしまいそうな激情を向けている。
 もうすぐに三十路にもなるおっさんが何をとも自分でも思うが、それが真実なのだ。

「銀さーん、神楽ちゃーん、どっちでもいいから少し手伝ってくれませんかー?」

 そんなとき天の助けと言うべきか、それとも最悪のタイミングと言うべきか、台所から新八の声が響いてきた。
 しかし、二人とも動かない。
 正確には動けなかった。
 神楽はまだ身体に力が入らないのか、起き上がれないし、その神楽に圧し掛かられて、銀時も動けない。

「銀さーん? 神楽ちゃーん? いるのはわかってるんですよー! 手伝ってくれないと晩御飯遅くなりますからね! いいんですか!?」

 続いた新八の声で、神楽の身体がビクリと震えた。
 新八がこちらに来るかもしれないと思ったのだろう。
 しかし、それが逆に良かったのか、それとも時間が経過したせいか、口元を拭いヨロヨロと神楽は立ち上がった。

「私……手伝ってくるネ」
「…………おう、たのまぁ」

 大丈夫かと問いたかったが、やぶ蛇になりそうだったので、銀時は止めなかった。
 神楽はふらつく足取りで、一歩、二歩と進み、それから暫く立ち止まると、急に再起動したかのように駆け出して、台所に突撃していく。

「きゃっほぉぉぉぉう!!」

 いや、もうホント文字通り突撃であった。

「ちょ、神楽ちゃん!? どうしたの!? なんでそんなテンションマックス!?」
「何すればいいアルか!? この神楽様に全部任せるヨロシ! 新八のメガネを壊せばいいアルか!? それともメガネがかけてる新八を壊せばいいアルか!?」
「何で壊すの!? というかメガネがかけてる僕ってなに!?」
「新八、私たちも大きくなったネ、そろそろ絶叫ツッコミから卒業するヨロシ。あ、でも中二病には走るなヨ。そうなったら私と銀ちゃん、他人のフリするアルヨ」
「いつもつっこませんのはお前たちだろうが! それに中二病になんかならねーよ!」
「どっかの私が嘘つけよと全力でツッコメと言ってるアルがまあいいか。それより何すればいいネ。今の神楽様は無敵ヨ、何でもできそうな気がするアル!」
「ああそれは……」

 そんな会話を聞きながら、銀時は自分の顔を手で覆う。

「元気あるじゃねぇか」

 手伝うためにテンションを上げたのではなく、本当に、自然に上がってしまったのだろう。
 それだけ神楽にとって、先ほどの時間は嬉しいものだったのだと理解させられる。

「つーかあいつ、下着変えなくていいのかよ。新八なら気付かないとは思うけど。テンション上がりすぎてあいつ自身気付いてないのか?」

 なんで言わなかったのかと、あとで理不尽に自分がぶん殴られそうな気がすると、銀時は嘆息した。いや、まあ、完全に理不尽というわけでもないのだが。

「あー、まずった。ファーストキスだった女相手に、いきなりディープキスはねーよなぁ」

 しかもシチュエーション的にどうなんだ、と言いたい。
 露出狂でもあるまいし、家の中なのはいいが、新八もいる場所で、お互い貪るようにしてしまった、

「たぶんもう無理だなぁ」

 もう色々と無理だ。
 おそらくもう神楽を完全に拒絶することはできまい。今まで付き合ってきた女は、もう切る必要がある。全ての女が割り切った関係だから、そこまでこじれることはないだろう。
 でなければそろそろ神楽に刺されそうな気がする。

「すんげー落差だな、おい」

 女の方は惚れた男から初めてのキスをされ、純粋な喜びで声を上げ、舞い上がっているというのに、男の方は、他の女を切ることを考えている。
 自分が汚れた大人であると思い出させられた。
 それもそうだ。
 神楽はまだ十代。
 銀時は三十路手前。十代の女から見れば十分におっさんの範疇だろう。
 
「でも、もう無理なんだよ」

 ふと神楽もいないのに、あの女が見えた。
 とはいえ神楽と出会ってから彼女に重なるようになっただけで、その前から見えていた幻影だ。今更驚きはない。
 涙を流して、自分見つめる女。
 ある意味銀時が苦手としている幽霊にも見えるが、彼は彼女を前にして恐怖はない。

「バカヤロー、心配すんな。俺はお前が帰ってくんのも待ってるさ。それまでは、さ。たぶんあいつと恋人になることはねえよ。俺はただお前が欲しいんだ」

 彼女はいつか帰ってくる。
 それがどういう意味なのかは、正直わからない。
 しかし、自分が帰ってくるのと同様に、彼女もまた帰ってくるというよくわらない各章があったのだ。
 無理だとは思う。
 もう拒絶はできない。しかし、今のまま神楽の恋人になることはできない。
 それでもたぶん……いつかその日は来るだろう。



 ちなみにその日の夕飯は、テンションマックスの神楽の暴走によって、本当に色々と壊されてしまい、結局卵がけご飯となった。



◇◇◇



 それからさらに一年の時が過ぎた。
 そのときの中で、神楽と銀時の関係に、大きすぎる変化が現れる。
 身体を重ね合うようになったのだ。
 なぜそんなことになったのかと言えば、あのキスが原因である。
 あの行為でタガが外れてしまったのだ。とはいえそれは銀時のではなく、神楽のであったのだが。
 銀時にキスされたことで、それから自然と神楽は銀時にキスをするようになってしまったのである。
 あのときのキスは、神楽にとってそれをすることを許された儀式にも等しかった。
 キスしていいかと問う……これは銀時もそうだったのだから人のことを言えないが……こともなく、日に何度もしてくる神楽。
 しかもあのとき銀時が、『まずった』と言ったように、ファーストキスが深いものだったのだが、さらにまずさに拍車をかけた。
 それまで誰とも付き合ったこともなかった少女が、いきなり深いキスを覚えてしまったのがまずい。
 そういう少女もいないわけではないだろうが、色恋に対して多感な時期は=男に対する潔癖性が高く同時に恋に夢見る年代でもあり、恋人同士……それが初めての相手となれば尚更に……であれ、ある程度行為に潔癖さと綺麗さを求める。
 性交もそうだが、深いキスでも拒否感を持つ少女は、決して少なくない。
 その女が純であるほど、男は時間をかけてそこまで持っていかなければならないわけだ。
 神楽は、おそらくその純な少女であったろうが、しかし銀時がそれをすっ飛ばしてしまったために、神楽に深いキスに対する嫌悪感や背徳感……とはいえ、神楽が銀時にそれらを覚えるともこともないだろうが……を抱かせなかったのである。
 つまり神楽のキスはディープキスが基本になってしまった。
 本当の問題は所構わずであったことだ。
 さすがに家族である新八や姉と慕う妙、母のような祖母のような存在であるお登勢、他にもたまやキャサリンなどの身内の前では、恥ずかしさがあるのか自重したが、それ以外の場面や人間の前ではまったく遠慮がない。
 しかも毎回触れるだけのフレンチキスではなく、相手の劣情を嘗め尽くすようなディープキス。
 銀時からすれば、別の意味でたまったものではない。
 しかし、最初にしたのは自分なわけで、それを拒絶することもできないという悪循環。
 新八が帰ったあと、事務所のソファの上で時間単位でキスをされ続けたときは、さすがの銀時も別の意味で死ぬかと思ったものである。
 さらには寝込みにまで入り込んでキスをしてくる始末。
 神楽のような美少女に寝床にまで入られ、深いキスをされて、そのまま帰せるほど銀時は男を捨てていない。
 気付いたときには神楽を布団の中に引きずり込んで彼女の純潔を奪い、彼女を女にしていた。
 お互いそれ自体に後悔はなかったし、神楽の方はことが終わっても、延々とニヤニヤ笑っていた。
 しかし、二人は恋人ではない。
 その日から何度も身体こそ重ねたが、神楽、銀時ともに、好きだとも愛しているとも告げていないのだ。
 普段の雰囲気からして、周りから見れば……新八も含め……、二人はもはや立派な恋人同士にしか見えない。また、それまで以上の親密さと、神楽に今までなかった肉体の成長だけでは出せない色香が芽生えたことで、下世話ではあるが、大抵の者が二人は肉体関係にあることを予想していた。
 しかし、二人自身が恋人であることを否定する。
 神楽に至っては、他人に銀時が好きであるかを聞かれれば、迷うことなくはっきりと肯定し、好きだと言い、他の男など欠片ほどの興味がないとまで付け加える。しかし自分たちは恋人ではないとも言った。
 素直じゃない銀時ならばともかく、神楽もそう言うのであれば、誰もが本当……神楽も銀時に似て素直でなく、天邪鬼なところがあるが……なのだろうと思ったが、納得もできない。
 ただ新八や妙などは、稀に二人の関係が怖いとも考えていた。
 あの二人は、お互いを思い合い、惹かれ合いすぎているように感じるのだ。
 愛情が深すぎる。
 それは確かに事実だった。
 二人に何かあれば、残された片方は欠片も迷わず……仮にその死が他者のせいであるならば、それを抹殺したあとに……己の命を絶つだろう。
 あの二人はきっともう、事実としてお互いしか見えていない。他に身内がいても、相手のために必要ならば、それすら迷わず切り捨てられる。
 異常とさえ言える深愛。

 肉体だけの、それこそかつて銀時の周りに溢れていた中途半端な状態は、さらにその後一年続く。
 神楽は十九歳となり、銀時はめでたく三十路に突入していた。

「銀ちゃん、起きてる?」
「……起きてるよ」

 暗い和室に敷いた一枚の布団の上で、神楽と銀時は裸のまま文字通りの意味で身体を重ね合わせ、寝転んでいた。
 神楽は、起きているかと問うただけで、それ以上会話を広げるつもりはないようで、ただ銀時の胸に頬を擦りつける。
 そのために話題提供したのは、銀時の方だった。

「なあ、お前さ、将来はえいりあんはんたーになるのが夢だって言ってなかったか? その夢どうしたんだよ?」

 彼女の父親の職業。
 かつて彼女はそれを目指していたはずだが、結局その夢に向かって神楽が行動することはなかった。
 今後もあるようにも思えない。それはもはや確信に近かった。

「じゃあ銀ちゃんは小さい頃、万事屋になるのが夢だったアルか?」
「それはないわぁ。銀さん、子供の頃は夢に溢れてたから。金持ちになって可愛い嫁さん貰うのは間違いなかったはずなんだけどねぇ」
「金持ちの銀ちゃんなんて銀ちゃんじゃないアル。あとてめーに可愛い嫁さんなんていらないダロ」

 うるせぇ、その口の悪さは誰に似たんだ、と銀時は苦笑して言い返す。
 嫁さん云々で、自分を出さないのは、神楽なりの自重なのだろう。
 いつもならもう少しツッコミつつ、話を大きくするところだが、さすがに今のシチュエーションに合わないことは自覚しているらしく、神楽に先を促す。

「でも、そういうことヨ……他にもっと大きなものがあって、未練がなくなったら、夢は本当に夢になるの。パピーには悪いと思うけど」

 夢は夢のまま終わり、現実は違うところに。
 もしくは違う夢を優先してしまったか。
 夢と何かを天秤にかけなければならないことは往々にしてよくあることだ。
 その対象が、他の夢なのか、それとも現実か、人であるかは、それぞれによって違う。
 それを理由に夢を諦めたとしても、それを本人が納得しているならば責めてはいけない。
 それに神楽の夢と天秤にかけた対象が何であったのかは、他にあるもっと大きなものがなんでなんであるのか、語るまでもなく、銀時でさえわかることだった。

「……よくわからねぇけど、大抵の親ってものは、自分と同じ職業には就いて欲しくないものなんだとよ」
「そうなの?」
「まあ実際、もし俺にガキがいたら、そいつに万事屋なんぞやってほしくはないな。仮にうちみたいに零細じゃないとしてもよ」

 たぶんあのハゲ親父も同じだろうと、銀時は言う。
 だからこそ、娘からえいりあんはんたーになりたいという連絡が一切ないにも関わらず、そのことを切り出さない。
 親としてはなりたいものになってほしいものらしい。

「零細なのは銀ちゃんがやる気ない上に、適当なせいアルヨ」
「はいはい、そうですー、全部銀さんが悪いんですー」
「子供か」

 神楽が言いながら鎖骨あたりを抓ると、銀時はいてーよと軽く手で払った。

「先生も同じだったのかね」
「先生?」
「……何でもねぇ」

 その返答に神楽はムッとして、もう一度抓る。
 すると銀時は、やはりもう一度それを払いながら、いつか話してやると告げ、少なくとも今話すことじゃないと言った。
 確かに場の雰囲気というのは大事だと、神楽は頷いた。
 少なくともこんな甘ったるい性の匂いが漂う一室で、爛れた匂いを発する布団の中で話すことではないのだろう。さすがに大人になって、そういう場の雰囲気で話せることと話せないことがあることは、神楽もわかっていた。

「じゃあお前、他になんか夢あんの?」
「…………夢はないヨ。けど望みはある」
「なに?」

 銀時はわかっていながら聞く。
 すると神楽は掛け布団を押しのけ、先ほどまでのように銀時の腰に跨った。

「さっき言ったヨ。私は銀ちゃんが欲しいの。銀ちゃんの全部が」
「…………」
「ね? 私、おかしいのかな? 壊れちゃったのかな?」

 神楽の声を聞きながら、銀時は昔よりも神楽の言葉遣いが、標準語に近づいてきたなと思う。それは『彼女』に近かった。

「銀ちゃんが手に入るなら、新八や姉御、定春、パピーを傷つけたって……殺してしまってもいいとさえ思ってるヨ」

 戦うことを本能とする種族でありながら、その本能とこそ戦いたいと語っていた少女は、だからこそ周りにいる人に害意を向けることを嫌い、守ることで友人を増やした。どこのかのサムライをみならって。
 しかしその願いさえ壊れた。
 もう銀時の目に、神楽にあの女が重なることはない。
 もう、一つになってしまっていた。

「お前、美人になったよな?」
「は? ぎ、銀ちゃん?」

 銀時の唐突な言葉に、神楽はらしくもなく顔を赤くさせた。
 真っ裸で男の上に跨っておいて、今更照れることでもないだろうにと、銀時は苦笑う。

「そう『ずっと言いたかった』」
「銀……ちゃん」
「俺らしくもねぇことは自覚してる。けどよ、ずっと言いたかったんだ。神楽、『お前』にずっと、美人なったな、ってよ」

 銀時は、先ほどと同じように下から手を伸ばし、神楽の頬に触れた。
 やはり先ほどと同じように、その手に頬を擦りつけながら、しかし神楽はなぜだが涙が溢れてくるのを止められない。
 そして漠然と思う。
 やっと、『全ての彼』が帰ってきた。
 意味はわかないが、そう思うのだ。
 それは銀時も同じだった。
 神楽の涙を受け止めて、意味はわからないが、やっと『彼女』が、帰ってきたのだと笑う。
 だからもう何も隠す必要はないのだ。

「俺もお前が欲しい。お前だけが欲しい」
「銀ちゃん」
「他に何もいらねぇよ。お前の言う通り、そのためなら誰だってブッタ斬れる、そのためなら『もう一度』この世界をぶっ壊してもいい」

 だから俺もおかしく、壊れてしまったんだろうと続けた。

「もう、お前のことしか考えられねぇ」
「うん……うん……!」
「お前をハゲがえいりあんはんたーにするとか言って、連れてこうとしても俺は殺すよ?」
「パピー殺すのは銀ちゃん一人じゃ無理ネ。私も手伝うアル」
「冗談じゃないんだがな」
「私も冗談で言った覚えはないよ」

 開かれた神楽の青い瞳がザラザラと揺れていた。
 その目が、邪魔をするのなら父親すら殺すと告げている。
 その目は神楽の兄が持つ以上の狂気を湛えていた。
 それは先ほどまでの比ではなかった。異様、異常、異形の瞳は、ザラザラとドロドロと銀時を絡めとる。
 どそれは夜兎の特性なのか……
 それは『彼女』が帰ってきたからなのか……
 この目を見たとき、彼女の父親と兄は何を思うのか……

「俺もそんな目してるのか?」
「してるヨ。ザラザラ音がするの」
「ああ、そうか」

 同じなのかと銀時は頷いた。
 
「いつから?」
「もうずっと前からネ」

 やはり銀時はそうかと頷いた。
 結局二人は同じだったのだ。
 同じものに囚われて、同じ狂気を抱いて、ただお互いだけが欲しいと願っていた。
 どこかの自分の想いさえ受け入れて、心の器に入りきらず、漏れ出したそれは全身を浸し、狂気を植え付けた。
 二人分の想いの前には、何もかもが足りなかったのだ。
 好きだという言葉では足りない。
 愛しているという言葉だけでは足りない。
 恋人という関係では満足できない。
 夫婦という関係では満足できない。

「ヅラが銀ちゃんをまた攘夷志士にするとか言って連れてこうとしたら殺してやる」
「ああ、それはいいな。俺も手伝うわ」
「冗談じゃないアルヨ?」
「俺も冗談を言った覚えはねーな」

 ザラザラと青と赤の二対の瞳が揺れた。
 邪魔をする奴は殺してやると。
 親だろうが、幼馴染だろうが関係ない。

「俺を壊したのは『お前』だ」
「私を壊したのは『銀ちゃん』だよ」

 ウサギは月の銀色を浴び続け、その愛を壊した。
 月はウサギにじっと眺め続けられ、その愛を壊した。
 夜兎も人間も関係なく、二人はきっと壊れていたのだろう。
 この世界が『再び』始まったそのときから……

「何より、俺はお前を壊したい」
「何より、私は銀ちゃんを壊したい」

 壊れなければ、この帰ってきた想いが溢れてしまう。
 共に壊れていかければ、二人分の狂気の愛情は満たされない。

「だからお前以外何もいらない。ただ邪魔だ」
「だから銀ちゃん以外何もいらない。ただ邪魔なだけ」

 それは好きだという告白。
 それは愛しているという睦話。
 それは恋人になってほしいという願い。
 それは夫婦になってほしいという誓い。
 そうとは聞こえないが、二人の言葉にはそんなものが全て含まれていた。

「いいのかよ、俺なんぞ十代のお前からみたらおっさんだろう?」
「ギリギリ十代なだけヨ。それに十四の頃から好きなんだから今更でしょう? そもそも私以外に銀ちゃん受け止められる女なんていないネ。私を受け止められる男も銀ちゃんだけアル」
「そうかよ。なら、これからの俺の全て、全部お前にやる」
「うん」
「だから、これからのお前を全部俺にくれ」
「……うん、上げるヨ、全部、私の全部を上げる、銀ちゃんに」

 もうお互い以外の全てがいらなかった。

「ねぇ、銀ちゃん」

 神楽が笑う。
 昔のような太陽の笑みではなく、妖艶さと美しさしかない、酷く恐ろしい笑み。
 神楽は銀時に頬を撫でられたまま、己の手を同じく銀時の頬に触れさせた。
 お互い以外の全てがいらないというのなら、答えは一つ。
 『種』はあった。
 星崩しの呼ばれる者たちが使ったものではない。
 世界を歪め、時間を歪め、時空を歪めた二人の想いは、そうであるが故に世界の理さえ書き換える。
 全てが帰ってきた今ならば、今だけならば可能だ。
 彼らの望む世界に。
 『種』は世界。
 彼らが望む世界だ。

「ああ……」

 神楽がその先に何を言うのか理解し、銀時は頷いた
 それを確認し、神楽は何度も銀時の頬を撫でる。
 そして、

「私と銀ちゃん、二人だけの世界。私たちだけの、私たち二人しかいない、私たちが私たちを壊し愛うだけの世界…………欲しくないアルか?」

 そう神楽が妖艶に微笑みながら問うたとき……
 彼女の手の甲に……
 禍々しい銀色に輝く……
 梵字のような文字が……
 浮かび上がった――




 終



あとがき

 神楽の表と裏の顔の落差が酷すぎー。
 作中、神楽はいったい何度「銀ちゃん」と呼んだのか。
 狂愛と純愛の狭間をやりたかったのに、なんでこうなってしまったのか。ちなみにこのエンディングは狂愛バージョン。銀楽が生まれる純愛バージョン……爛れた関係時に神楽が妊娠……もあるのですが、こっちの方がしっくりくる終わり方だったので、こっちにしました。タイトル変わってしまいますしね。
 銀ちゃんのぐらさん愛してる状態は白夜叉時代から。
 キスをエロく表現するのは難しいですね。しかしキスならどんなにねちっこく描いても十八禁じゃないのがすばらしい。前に恭也とイムニティのやってからすごくやりたかったんです。でも書いてたら興がのりすぎて新八がいるのに本番ありの完全十八禁までいってしまって、正気に戻ったあと急いで消したのは内緒。……十五禁で済んでますよね(汗)
 とはいえ久しぶりに狂愛チックの女性キャラ書けました。ネジが外れた恭ちゃんばかり書いてたので、少なくとも私は満足です。まあ、なのはに比べると神楽の狂い方が足りないというのはありますが。
 銀時の心理描写ももっと欲しかったのですが、それをやってしまうと文章量が倍ぐらいになってしまうので泣く泣く諦めました。
 ちなみに沖田だけでなく、さっちゃんも銀時との間を邪魔する怨敵状態。
 沖田は、神楽の銀時以外のキャラへの行動の対比として欲しかったキャラです。ラジオ体操の彼でもよかったのですが、性格がよく掴めなかったので。沖田ファンの方、本当にすみません。
 私は原作の神楽と沖田の関係は、(銀時と神楽が家族、親子のようなものでしかなく、それ以上の関係はありえないと言う人がいるように)お互い気に入らないけどライバルのようなものとしか考えておらず、それ以上の感情は芽生えない関係性と思っているので、沖田→神楽にするかどうか最後まで迷ったのですが、まあ二次創作なのだからいいかとこんな感じになりました。
 劇場版の神楽を見ると、銀時への感情が変な方向にいってもおかくしない、という感じだったことからこの作品ができました。
 劇場版ぐらさんが過去にタイムスリップ(未来帰還不可)して、ぐらさんが銀時の失踪の謎を追いつつ万事屋四人組となって本編再構成、大人神楽×銀時×幼神楽(自分は銀時とくっつく気まんまんだけど、あぶれた過去の自分が銀時以外の男とくっつくのを見るのもなんか生理的にやだという大人神楽の我侭のせい)やら、白夜叉時代に原作年齢の神楽と出会うという設定、年齢改変長編やとらハクロスやらのプロットもあるのですが、ギャグセンスないんでさすがにやりません。短編か中編で書くかもしれませんが、まあそのときはさすがに投稿はしないと思います。
 久しぶりに恭也以外の別作品主人公を書きました。
 でも初めてとらハ以外を投稿したので反応が怖い。



投稿ありがとうございます。
美姫 「今回は銀魂ね」
みたいだな。残念ながら、俺は未読だったりするけれど。
美姫 「これまた狂愛って感じね」
いや、神楽というキャラが本当に良い感じで。
美姫 「面白く読ませてもらいました」
そして多分だが、銀時に呼びかけたのとは違うのも含めて、神楽が銀ちゃんと呼んだのは62回だと。
美姫 「数えたの?」
いや、ついね。まあ、数え間違いなんかもあるかもしれないが。
美姫 「暇人ね。ともあれ、投稿ありがとうございました」
ありがとうございます。



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