夜空が見えた。
広くも深淵なる夜空が。
その広大な夜空を眺めるためなのか、彼は大の字で寝ころびながら、ただぼうっと、遠い……あまりにも遠い夜空を眺め続けていた。
「俺は……護れなかったのか……」
彼は感情の籠もらない声で……ただ、小さく呟いた。
ここがどこだが……どこの世界なのかもわからない。
だが、現実に自分はここにいる。
それは、つまり護れなかったという証拠。
自分一人が、のうのうと生き残ってしまった。
直前の彼女の言葉が思い出される。
『貴方は、私達のことなど忘れて……どこか、平和な世界で……すごしてほしいの』
彼は、その言葉を思い出し、拳を握りしめた。
「忘れることなどできるものか……今更、平和な世界になど戻れるものか……!」
爪が肉を抉り、それでもなお強く握り締め、血さえも滴らせながら、心が張り裂けそうなほどの感情を込めて、彼は言った。
「ロベリア……! イムニティ……!」
そして、彼……不破恭也は、自らが護れなかった最愛の二人の名を呼んだ。
赤と黒 二度目の出会いと別れ
「そ……んな……」
彼女……リコ・リスにとっては、何ら意味のない授業が終わり、いつも通りに食事をし、やはり力を失わないよう、いつも通り早い睡眠をとろうとしていた。
これかから寝間着に着替えようとしていた、そんなときだった。
感じたのだ。
ひどく懐かしい魔力を。
「そん……な……」
リコは呆然と天井を見つめながら、今一度、同じ言葉を漏らした。
忘れようがない、この魔力。
剣のように鋭くも強大で、包み込むような優しさをもった魔力の胎動。
(そんなわけない……!)
リコは心の中で叫んだ。
そう、ありえるはずがないのだ。
彼がこの時代にいるわけがない。
確かにあの時は、彼の抵抗もあったし、自分の心理状況からいって、正確に術を発動できたという確証はない。
だけど……何の因果で、同じ世界に、ただ時代だけを飛び越えさせて、送ってしまわなければならないのだ。
だから、自分の勘違いだ。
きっと似た人の魔力を受け止めてしまっただけだ。
だから、自分はこのまま眠ってしまえばいい。
そして、目を覚まして、意味のなさない授業を受けて、食事をして……ただ、いつも通りに明日をすごせばいい。
それでいいのだ。
だが……。
「恭也……さん……」
間違えるわけがないのだ。
だって彼は……自分が初めて好きになった人だから。
自分を書の精とは扱わずに、人間として扱ってくれた人。
初めて、心の底から好きになり、自分の主になってほしいと思った人。
だが、彼は自分の主になる資質は持ち得ていなかった。
それどころか……。
「確かめないと」
そう震える声で呟き、リコは呪文を詠唱する。
その間とて、実にもどかしくて長い時だった。
まさか呪文を間違えているのか?
そんなことはない、この呪文は自分が創り出されてから幾度も唱えてきたものだ。それを間違えるはずがない。
そして、リコにとっては、今まで使い、唱えた中で、最も発動に時間がかかったのではないかと思わせた魔法は完成する。
足下に魔法陣が浮かび、それが輝き、リコはその光の中へと消えていった。
「ふっ……!」
月明かりに照らされた黒光の刃が、闇の中で踊る。
その黒光が現れる度に沈んでいく異形たち。
「……どうなっている」
黒刃を操る青年がポツリと漏らす。
だが呟きながらも、その手は止まることを知らなかった。
―――――――御神流 奥義之弐 虎乱―――――――
繰り出されるは剣刃の乱舞。
見る者に美しいとさえ思わせる剣の結界。
その見物料は赤い赤い血。
舞う刃と舞い散る血。
その二つのみで構成された世界すらも、美しいと思わせる。
「しっ……!」
その美しい世界も終わりへと近づいていた。
この世界の主役が……主役を際だたせる最後の脇役を、血の海に沈めてしまったのだから。
「ふう……」
青年……恭也は血を払い落として、小太刀を鞘へと戻した。
彼の周りには、夥しい数の異形たちが息絶えていた。
それを冷めた瞳で見つめる恭也。
「……なぜ、こうも魔物たちが活発化している?」
この世界が、どこの世界なのかはわからないが、これでは先ほどまで自分がいた世界と同じではないか。
いや、あの世界ほどではないにしろ、これだけの数の魔物共が、本能の赴くまま……それも異種の集団で行動することは普通ない。
それこそ、破滅に取り込まれでもしないかぎり。
この魔物共は恭也が再び立ち上がり、しばらくすると群をなして現れ、襲いかかってきたのだ。
途中、魔法を使う魔物までも現れたが、この身に魔法は効かぬ。
だが、それももはや意味がないのかもしれない。
「ふっ……護る者がなくとも……俺は剣を振るのか」
今まで、あの圧倒的な世界を作り出していたとは思えない程、弱々しく恭也は呟いた。
護る者のない自分と、その手に握る剣に、どれだけの価値があるというのか。
恭也にとっては、ロベリアとイムニティを護る、それが全てだった。
そして、いつか全てが終わったとき、三人で静かに暮らせたらいい、と。
「未練、だな」
そんな未来は永劫にやってこない。
そんなものは、もはやただの空想だ。
自分だけが、切り離されてしまったのだから。
これからどう生きるか、そんな益体もないことを思う。
恭也は目的もなく歩き出そうとした。
「恭也さん!」
その声に……恭也は二重の意味で驚いた。
一つ目は、いるはずのない者の声だったから……二度と聞くことはないはずの声だったから。
二つ目は、恭也の知る彼女は、あまり叫ぶという行為……無論、皆無だったわけではないが……はしなかったから。
一つ目に比べれば、二つ目はなんと小さい理由か。
もしかしたら混乱しているのかもしれない、などと冷静な部分が言った。
だが、その声は間違いなく幻聴などではなかった。
恭也はゆっくりと振り返る。
そこにいたのは一人の少女。
胸に手を置き、儚げな印象を持つ少女。
ああ、そうだ、彼女は自分が護ると誓った少女ではない。
そんなことはわかってる。
それでも……そのうり二つの顔を見て、護るべき少女を思いだしてしまうのは、彼女と目の前の少女への冒涜であろうか。
「オルタラ……」
恭也は、自分でも意外と思えるほど、冷静に彼女の名を紡いでいた。
「おひさし……ぶりです」
少女は、どこか辛そうに、だが無表情に呟いた。
「俺にとってはつい先程のことだ」
そう、恭也にとっては、つい先ほど彼女たちと別れたばかりなのだ。久しぶりという感覚はない。
ただ、それでも……懐かしいと思えてしまう。
しばらくの間だけ、お互い、何かしら胸に去来するものがあるのか、無言の空間を作り出す。
それは凍った時間と空間。
だが、それを恭也が砕いた。
「千年か……二千年か? それとも万の時でも経ったか?」
彼女の存在と、彼女の言葉から、恭也は今、自分がどこにいるのか……否、何時(いつ)にいるのかを理解していた。
「……千年です」
「そうか」
ショックもなく、その事実を受け入れることができた。
なぜなら、まだ終わっていないからだ……いや、あの戦いはすでに終わった。
「再び……始まるということか」
「……はい」
オルタラは、恭也の短い言葉でも、意味が理解できたのか、頷いてみせた。
「お前は決めたのか?」
「いえ、まだです」
その問いも、意味が簡単に理解できたようだった。
なぜ、こんなにも穏やかに話しているのだろう。
オルタラ……いや、リコ・リスは自問した。
(違う……)
すぐにそう自分に反論する。
穏やかなのではない。
自分は、どうしていいのかわからないのだ。
彼を目の前にして……千年ぶりに出会った、敵であり、最愛の人でもあった彼を見て、何万という時を生きてきたはずの彼女は、どうしていいのかわからず、淡々としてしまっているだけなのだ。
「千年……か」
恭也は、小太刀の鍔に手を当てながら、首を上げて夜空を見上げていた。
変わっていない。
彼は最後に見たときと変わっていなかった。
それもそのはずだ。自分たちとの別れは、先程のことだというのだから。
彼には何ら感慨深いことでもないのだろう。
だが、リコからすれば、それは実に千年ぶりの再会であった。
長かった。
この千年という時は、もしかしたら今までの何万という時に匹敵するほどの長さではないか、と思わせるほどの長い時だった。
それはおそらく彼への罪悪感があったから……。
『くそっ! 俺はっ、俺はぁっ!!』
それが最後に彼から聞いた短い言葉……それは意味をなしていない言葉であったはずなのだ。
だけど、それまで聞いたこともなかった声音。
短い言葉なのに、色々な感情が乗せられた声音だった。
その感情が誰に向けられていたのか、恭也自身にであったのか、それとも自分たちに向けてだったのか……それは恭也にしかわからないだろう。
それがずっと、この千年の間、リコを苛み続けていた。
だが、あの時はあれしか方法がなかったのだ。
彼と戦うことはできない。だけど負けるわけにもいかなかった。だからああいう手段をとったのだ。しかし、彼の最後の言葉は……重く重く、リコにのしかかっていた。
あれは本当に正しかったのか、と。
それを千年の間、悩み続けてきた。
(でも……でも……!)
今ならば戻れるのではなかろうか?
リコもイムニティも主を決めていなくて、ルビナスとロベリアがまだ手を取り合っていて、ミュリエルやアルストロメリアたちがいて……そして、みんなの笑顔の中心に恭也がいて……。
おそらく、赤の精として存在しながらも、そんなこと忘れさせてくれるぐらい楽しかった時。
そんな幸せであった時に、今ならば……。
だって、まだ戦いは始まっていない。
まだ自分は主を決めていない。
だから……。
「恭也さん!」
知らずのうちに、大声で彼の名を呼んでしまった。
それに恭也は、驚いた表情を浮かべたが、それをすぐに苦笑へと変えた。
「そんな大声を出さずとも、こんなに近くにいるんだ。ちゃんと聞こえる」
「あ……」
リコは、二つの意味で顔を真っ赤させた。
大声を上げてしまったことが恥ずかしくて。
そして、月と星々を背にして笑う恭也の顔を見てしまって。
でも、彼の笑ったところを見るのは久しぶりで……。
もう一度、もう一度だ。
もう一度、彼の名を呼んで……。
「きょ……」
「オルタラ」
だが、笑顔を消した恭也の声が、リコの声を押し潰す。
そして……。
「イムニティは……どこだ?」
軋んだ。
胸が……ではない。
リコ・リスとしての存在の全てが、その一言により軋んだ。
「お前がいるということは、イムニティもどこかにいるはずだ」
「それ……は……」
なんで?
その言葉がリコの心を埋め尽くす。
どうして……いつも彼女が選ばれる?
元は一つの存在なのに……彼に選ばれるのは、もう一人の自分だけ。
今は、自分と二人だけのはずなのに。
なんで彼女の名前が出てくるのだろう。
リコは、無表情でありながら強く、強く、その拳を握りしめた。
「また……白に付くんですか?」
まるで今の救世主候補たちに向けるような、無機質で、感情のない声。
「白……に付くわけではない。俺はイムニティを護る、それだけだ。ロベリアはもういない。ならば、イムニティだけは、今度こそ護り通す」
恭也は、力強く小太刀の柄を握りながら言う。
それは悔恨の声。
だが、リコにはそんなものはわからない。
わかりたくない。
「どうして……」
リコは、顔を地へと向けて……本当に何とか声を絞り出す。
「どうして……なんですか? なんでいつも、私たち……私から離れて行ってしまうんですか……?」
その問いに恭也は答えない。
「イムニティはどこだ」
ただ、そう返す。
「っ!!」
力が抜けていく。
自分は精神の……心の精霊だというのに、その心があることを、ここまで辛いと思ったのは初めてだった。
どうして自分は赤なのだろう?
初めて自分が赤の精霊であることを呪った。
「イムニティは……封印されています」
「封印?」
「千年前に……封じました」
「そうか」
その一言で納得したのか、恭也は頷いた。
だが、それだけ。
「……どこに封印したのか、聞かないのですか?」
「護ると誓ったんだ。ならば自分で見つけだし、救いだす」
軋む。
軋む軋む。
軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む軋む。
リコ・リスの存在が軋む。
イムニティに、心の底から嫉妬しているのがわかってしまう。
それも心の一部だというのがわかるけど、辛かった。
恭也は、リコに背を向けた。
「恭也さん……」
「まだ、主を決めていないというのなら、敵ではなかろう……いや、イムニティに手を出さないというのなら、別に元々敵ではない」
そんなのは無理なのだ。
主が決まってしまえば、白の理を持つイムニティはきっと自分と……自分の主と戦うことを選ぶから。
また、繰り返すのか? あんな悲劇を。
「でも……できれば、俺はお前と戦いたくないよ、オルタラ」
「っ……!?」
伏せた目から涙が流れてくる。
「また仲間として、共に戦える時がくればいいんだがな……」
恭也は、そんな彼女には気づかず、ゆっくりと、千年の時が流れた地を踏みしめて、歩いて行ってしまった。
リコは、そんな彼を止めることはできなかった。
あの時のように……心に押し潰されて。
「あ……」
崩れ落ちる。
自らの身体を抱きしめて……ただ、崩れ落ちる。
「ひ……あ……ああ………ああぁぁぁぁあぁぁああぁぁぁぁぁ!!!」
リコは泣き叫んだ。
また、行ってしまった彼を追えず。
縋り付くこともできず、残され、心細い身体を抱きしめ、泣き喚いた。
「ひっ、ひっく……恭也さん……恭也さぁん!」
子供のように泣き、彼の名を呼ぶリコの声だけが……星が煌めく、夜の闇の中に響き渡った。
精霊の少女と共に泣いてくれるかのように、星が一つ流れた。
こうして、再び赤と黒は出会い、別れた。
早すぎたこの出会いが、後に複雑な結果をもたらすことになるとは、赤の精霊の少女も、黒の青年も、この時は気づいていなかった。
あとがき
おお、とうとうやってしまった、アハトさんの堕ち鴉の設定で。
エリス「無茶苦茶気合い入れて書いてたよね」
当たり前じゃないですかい、アハトさんのを元にして書くのだから、いつも以上のものを書かなくては。しかも、なんか書いてて無茶苦茶楽しかったし。
エリス「とにかく、フィーアさん、ありがとうございました!」
だから、アハトさん……。
エリス「それはあんたからでしょうが」
ありがとうございます、アハトさん!
エリス「でも結局リコとは別れちゃうんだ? しかも、すごいリコがかわいそうなんだけど」
うん。でも、この恭也が護るべきはロベリアとイムニティでしょう。少し重い話になってしまったけど。リコも破滅側にとか、恭也を止めるために、リコが戦うというのも考えたんだけどね。まだこの時代に来たばかりの恭也は、ロベリア生存も知らないし、イムニティのことしか頭になかった、と。
リコの泣く姿はDUELの最後の方を思い浮かべてください。いやあ、なんかこのごろリコの心が書きたくて仕方がないというのと、イムニティ相手に嫉妬させたくてこんな話に。リコにはいい迷惑でしょうが。
エリス「というかこのままじゃ、まず間違いなく、リコ、大河と契約できないんじゃない?」
うむ、主を決める前に恭也が生きているとわかった上に、あんなこと言われちゃあね。
続きはアハトさんか浩さんに任せます……いや冗談です。まあ、続きを書くかはわかりませんが。自分の書く堕ち鴉はこんな感じになりました。
エリス「そういえば私もフィーアさんを見習って、美姫お姉さまとか、フィーア姉様とか、呼んだほうがいいかな?」
何を言っとるんじゃ、君は。
エリス「なに、その言い方」
自分の歳わかっていないのかね? 君、おばはんどころか、お婆さんの領域を突き抜けて、ウン万光年先に先に行ってるほどの歳だぞ。君よりも年上の存在なんていやしない。
エリス「女性に年齢に関しての発言は禁止! 滅却!」
ごぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!
エリス「ふう、なんか、今回送った話は、全て重い話になってしまいましたが、許してください」
ご、ごめんなさい、今まで反動です、それではまた……がく。
エリス「それでは〜」
美姫 「女の子はいつだって、永遠の乙女なのよ」
いや、いきなり本編の感想と違う事を言われても…。
美姫 「とっても大事なことなのよ!」
ぶべらっ!
美姫 「アハトさんの堕ち鴉他作者ヴァージョン第二弾ね」
うーん、嫉妬して、悲しみにくれて涙するリコ。
良いね〜。
美姫 「き、鬼畜だわ」
おいおい、これぐらいで鬼畜扱いかよ!
美姫 「まあ、冗談はさておき、これもまた一つのお話ね」
うんうん。テンさん、面白かったですよ〜。
美姫 「それじゃ〜ね〜」