バレンタインデーで、チョコレートにいいかげん辟易していた恭也だったが、話はそれ

で終わらなかった。まだ、続きがあったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜あるひと時の風景〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恭也の日常は、変わる事なしに続く。

 バレンタインデーの翌日も、朝の鍛錬に始まって、普段通りに大学に通い、帰りは人手

が足りなければ、かーさんの〔翠屋〕を手伝う――はずが、今日は手伝わなくともよくな

って、そのまま家に帰る。

「ただいま」

 と、いきなりばたばたとした音が近付いて来た。

「お、お師匠、おかえりなさい……って、ちょう、ちょう」

「師匠、おかえりなさい……っと、早く早く」

「ん? 何かあったか?」

「とにかく……お師匠」

 高町家の中華料理長こと、鳳蓮飛(フォウ・レンフェイ)――レンと和食料理長――城島(あきら)の二人が急かす。そ

んなに急を要する事でも起こったのだろうか。少なくとも強盗が入ったとか、そういう話

ではなさそうだが、という見当は簡単に付く。

 流石にかーさんやなのはしかいない時、あるいは空き巣に入られたとなれば話は別だが、

晶やレン、あるいは美由希が側にいればまず心配はない――ひどい目に遭うのは、まず確

実に侵入者の方だ。

 話がずれてしまったので、筋を戻す事にしよう。二人に引っ張られるような格好でリビ

ングに入ると、そこには妹のなのはがいた。

「おかえりなさい、おにーちゃん」

「ただいま」

「ねぇねぇおにーちゃん。おにーちゃん宛てに、こんなの来てるよ?」

 言われて、テーブルの上に視線を動かすと、そこにはダンボール箱がひとつ、〔どん〕

と置いてある。

「む?」

 この時期に、何か贈られて来るような覚えもなかったが、箱に貼られていた伝票を見て、

声にならない唸りを上げた。と言うのも、送り主の欄に、

〔水野蓉子〕

 と、明記されていたからだ。

「師匠、水野さんって、確か大学の学園祭の時の……」

「そやそや。あの時来てた三人の……あ、四人やったか」

「うん、あの時の綺麗なおねえさんたちだよね」

 三人とも、初めて顔を合わせた時の事を覚えていた。

「けど、箱の中身って何……あー、そっか」

「そやなー。それしかあらへん」

 どうやら、晶もレンも察しがついたようだ。

「おにーちゃん、昨日すごいもらってたもんねー」

 なのはは、むしろ昨日の事を思い出していた。どことなくモテる兄に鼻高々、といった

風も垣間見える。

「……はぁ……」

 溜め息を吐く恭也。とは言え流石に、このままにもしておけない。ダンボール箱を持ち、

「しばらく、部屋にいる」

 リビングを後にすると、そのまま自室へ。

 座卓と小さな本棚、奥の床の間に普段は小太刀がかかっている刀掛けが置いてある以外、

特にこれといって目立つ調度がないこざっぱりとした部屋の中、恭也はダンボール箱をお

もむろに床に置き、テープをはがして蓋を開けてみる。

 すると、箱の中には緩衝材に埋もれた格好で、四つの包みが入っていた。昨日の今日な

だけに、それが何であるかくらいは分かる。

「わざわざ、こんな事をせずとも良いものを……」

 呟いてはみるものの、蓉子や聖、そして江利子と令が、心づくしに贈ってくれたものを

粗末に扱う事など、恭也に出来るわけもなかった。

 

 

 

 

 

 蓉子と聖は共にチョコレート、江利子はチョコクッキー、令はパウンドケーキ――チョ

コチップが入っている――だった。

 恭也が甘いものが苦手、という事を知っているとは言え、そこはやっぱりバレンタイン

デーだから、なのだろう。

(仕方あるまい。とにかく……食べてみる、か)

 胆を決めて、恭也は最初に蓉子のチョコを手に取る。特に順番を意識したわけではなか

った。たまたま、それが一番手に取りやすいところにあっただけの事だ。

 紙包みを開くと、ひと口大のチョコレートが数個。口に入れて、

「ん……」

 気付いた。アーモンドを始めとするナッツが、それぞれビターチョコにくるまれている。

ビターチョコの苦味とナッツの食感が、口に心地好い。久々に甘いものに対するテイステ

ィングの感覚が、蘇った感がある。

 次に江利子のチョコクッキー。

「ふむ……」

 甘さは控えめながら、蓉子のものより幾分甘い。そうは言ってもしっとりした食感は、

(プロ、とまではいかぬにしても、大したものだな……)

 恭也を唸らせるに充分だった。ふと、

「何もしてないけれど、江利子は一度見たものなら、大抵のものは出来るからねー」

 聖がそんな事を言ったのを思い出した。あれは、いつだったか――少し考えて、それが

つい数ヶ月前だった事に、軽い驚きを感じる。

「もう、それだけ経っているのだな」

 やけにたそがれたようなひと言を呟くと、次に聖のチョコレートを口にした。こちらは

オーソドックスなビターチョコ。蓉子のように何かしら加えているわけではないが、

(ふむ……かなり甘さが抑えられてるな)

 ビター、と言うよりむしろ、ブラックと表現したくなる。恭也にしてみると、聖のこう

した一面は、普段の茶目っ気が多い印象が強い分、

(いささか意外)

 に思えぬ事もない。が、聖が本当は繊細な面を持っている事もまた、恭也は知る事が出

来た。だからこそ、彼女なりに考えてくれた事が良く分かる。

 そして――

「……」

 令のパウンドケーキに、恭也は声なき呻きを吐いた。

 そりゃそうだ。何せケーキと言うだけで、大体チョコレートよりもかさばるのが普通な

のに、令のそれは三薔薇さまのチョコ達より明らかにでかく、ダンボール箱の底にまさし

く、

(鎮座まします)

 状態だったのだから。

 一体どうしたものかと迷ったが、結局、行儀悪い事この上ないのを承知で、ケーキをひ

と口分ちぎると、口の中に放り込む。

(……これは、甘いな……美味い事は間違いないが)

 もちろん恭也にしてみれば、であって、実際は甘さ控えめのチョコパウンドケーキであ

る。ただ、靴箱半分程度の大きさ――当然ながら存在感充分である――は、流石に恭也に

は重荷に過ぎた。

「仕方あるまい。これは後で、皆に分けるか」

 これ以上食べたら、シャレでなく倒れてしまうかもしれない。それはそれとして、

(ふむ……支倉さんはむしろこっちの方が、性に合っているのかもな)

 何となく、そう思う。

「かーさんが食べたら、さて……どんな評をするものだろうか」

 低く呟いて、一度部屋を出る。せめてお茶か何か飲まないと、これ以上は保ちそうにな

かった。

 

 

 

 

 

 ――夕食後、恭也は令のパウンドケーキを振舞った。

「わっ、美味しい」

「なのはも早く、こんなの作りたいなー」

「うわぁ……ほんとに美味しいや」

「ほんのり甘いのが、またよろしいなぁ」

美由希やなのは、晶やレンは手放しで絶賛していたし、

「これが支倉さんの……うーん、良く出来てるわねぇ。メレンゲの肌理(きめ)がもう少しだけど、

でも大したものだわ」

 かーさん――桃子の評価もまずまず。もっとも、先にちぎった周りの分は、

「このくらい、責任持って食べてしまいなさい」

 厳命され、恭也自身が平らげる羽目になった。ちなみに、

(何とかする)

 為に消費したコーヒーは、マグカップにして三杯である。

 恭也にとって苦行としか言いようのないデザートタイムが終わり、後片付けも完了する

と、皆それぞれ寝るまでの時間を思い思いに過ごす。が、寝る前に、恭也と美由希はひと

つの日課を必ず行う。

 それは御神真刀流――御神流の剣士としての鍛錬だ。今は亡き父、士郎より受け継いだ

剣術は、二人にとってある種の〔絆〕でもある。恭也は父との、美由希は香港にいる実の

母親との。

 西町の神社――八束社の裏手に広がる森で、二人はいつものように鍛錬にいそしんでい

た。月光は木々に阻まれ、周りは闇の色彩に彩られている。

「よし、五分休息」

「はい」

 息を整えつつ、しばらく額に浮き出る滴を拭き取っていた美由希が、

「ねぇ、恭ちゃん」

 ふと、聞いてきた。

「うん?」

「好かれてるね」

「……」

「でもさ? 甘いもの食べようとしない恭ちゃんが、ちゃんと食べたって事は……」

「……美由希」

「ん、何?」

「父さんは、かーさんがいてなお、御神流の剣士として、アルバートさんを護り抜いた」

「うん」

「かーさんは、父さんと離れていてなお、父さんにとって大切な人であり続けた」

 美由希は、恭也の唐突な言葉の意図を測りかねた。普段、こんな事を口の端に上せるど

ころか、そもそも恋愛に関わる事を意識しているのかどうかすら、長く疑問に思っていた

ものだが――

「大事な何かを考えようとせず、己の生命(いのち)を厭わずただその場で誰かを護る、と言うだけ

であれば、こんな事は考えずに済むんだろうが」

 恭也の台詞がまるで、自分を投げ捨てているような物言いに聞こえ、美由希は思わず噛

み付こうとした。が、

(あ、れ?)

 言葉だけ聞いたら、何とも無責任で投げやりに聞こえる。しかし夜目に映る恭也からは、

そうした雰囲気が全く感じられない。美由希は勢いを殺がれてしまった。

 それを見て取ってか取らずか、

「……剣のみにて護るに非ず。己の赤心もて、護るべし」

 その、ほとんど独り言じみた言葉に、美由希が呆然とする様を特に気にする風でもなく、

恭也は淡々と告げた。

「美由希、そろそろ休憩は終わりだ」

 

 

 

 

 

 ――夜中の鍛錬が終わって家に戻ると、美由希は先に風呂に入って寝てしまう。恭也は

その後で風呂を使い、最後の日課として寝る前に、全ての火の元を確認する。

 夜、睡眠に使える時間は、世の平均に比べても決して長くない――その分を大学で取り

返しているとは、周りの専らのウワサだったりする――のだが、こうした日課もまた、恭

也にとって、

(剣士としての良い修行)

 なのであった。

 風呂から上がり、リビングに入ると、そこには桃子がいた。

「ん、かーさん。まだ起きてたのか」

「うふふ。ちょっと、ね」

 テーブルの上にはリキュールの瓶とグラス。仕事が忙しかった日など、桃子はたまに少

量の寝酒を飲む事がある。

「やはり、手伝った方が良かったんじゃないか?」

「うぅーん……喫茶の方の客足は、それほどでもなかったんだけどね。シュークリームが

売れちゃって売れちゃって」

 何だかんだ言いつつ、ほくほく顔の桃子が手にしたグラスに、恭也はリキュールを静か

に注ぐ。

「ありがとう…………はぁ、美味しい」

 一日の疲れを、そっと押しやるような微笑を浮かべた桃子は、

「あ、ねぇ恭也。水野さん達からの贈り物、美味しかった? 支倉さんのケーキだけじゃ

ないんでしょ? 当然」

 唐突に聞いてきた。その瞳には、いささかいたずらっぽい光が見え隠れしている。

「とりあえず、全部口にした」

 憮然とした表情で、恭也は質問に答えた。

「考える時間だけは……まだあるからな。本当なら、早く答えを出して欲しいのだろうが

……」

「そうね。でも、それだけ恭也の事を考えてくれてるんだもの。ある意味、みんな恭也に

はもったいないかもね」

「それについては、否定しない」

 少しの間、桃子はリキュールに舌鼓を打ち、恭也はその間に、冷蔵庫からレモンウォー

ターを取り出して来た。

「酒でないし、ペットボトルだが」

「いいわよ……乾杯」

「乾杯」

 グラスとペットボトルが触れてから、二人してそれぞれの中身を飲む。

「恭也」

「うん?」

「もし決めたら一度、お店じゃなくてここに、連れて来てあげなさいな。それと、フィア

ッセには、後でちゃんと話しておくのよ? 何と言っても、恭也の〔姉〕なんだから」

「ん……そうする」

「よろしい。さて、明日も早いし……そろそろ寝るわ」

「うん。ああ、このままでいい。片付けておく」

「そう? 悪いわね。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 桃子が自室に戻って行くと、静かな空間に恭也が一人、残された。ソファの背に身体を

預け、そっと瞳を閉じる。

(我ながら、未だに結論が出ないと言うのは、何とも情けないものだな……)

 誰かと手合わせしている時の方が余程マシだとは、一体折に触れ、何度思った事だろう。

「……片付けて、寝るか」

 未だ答えが出ぬままに、恭也の一日は今日も終わる。

 

 

 

 

 

 時間の経過は、その時によって長くも短くも感じ得る。が、その実時間は誰に対しても

平等に訪れ、そして過ぎて行くものだ。

 そして恭也には、決断の時が確かに近付いていた。




リリアンと海鳴でのそれぞれのバレンタイン。
美姫 「今回は直接会ってとかいうんじゃかいけれど」
何か優しい気持ちになってしまうな。
美姫 「恭也も少しずつだけれど変化しているみたいだし」
どんな結論を出すにせよ、その時は確実に近付いているな。
美姫 「いつもと変わらない日常を送りつつも、悩み考える子たち」
この先どうなるのか、楽しみにしております。
美姫 「次回も待ってますね」



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