〜冬の情景〜
第五話
高町家。
既に夜も更けて、なのは、晶やレン、そして仕事が終わったかーさん――桃子は部屋に
戻っている。
しかし、恭也はそんな夜中にも関わらず、外出の準備に余念がない。今頃は妹――正確
には従妹の美由希も、同じように準備しているはずだ。
刃引きした練習用の小太刀、投射武器である飛針――忍者の使う手裏剣に近い暗器や、
本来の用途以外にも使える、鋼糸と呼ばれるワイヤー状の武器。
小太刀を除けば皆、御神流と呼ばれる――正確には御神真刀流――剣術をたしなむ者だ
けが扱う、実戦の為の武器である。
御神流は、今でこそ剣術と呼ばれているものの、その実は総合武術として位置付けられ
るべきものである。しかも、要人警護や犯罪組織などとの闘争を経て、極端なまでに〔殺
人術として特化された〕流派でもあった。
その〔殺人術〕をたしなんでいる事を、恭也は三薔薇さまに話していない。せいぜいが、
「古流の剣術を、少々たしなんでいます」
そんな程度である。
恭也が、周囲との関わりを持つにおいて必ずと言って良いほど、一歩も二歩も退いたス
タンスを取る事が多いのは、正にこれが為だ。
そして今、恭也のスタンスは、周りがさほど気にかけない内に、少しずつ、確実に変化
しつつあった。
御神流の剣士と言うべき部分、これは変わりないものの、それ以上に、
(高町恭也、という人間)
としての部分が、表に顔を出し始めていた。その事が、果たして良いのか悪いのか――
聖とのやり取りを思い出し、しかし恭也は先送りにする事に決めた。
部屋から出ると、夜の冷気を吸い込み、気を引き締める。まずは、今宵の鍛錬に意識を
集中するべきだ。
――その晩の、とある電話のやり取りに耳を傾けてみたい。
「ごきげんよう。珍しいわね? 江利子」
[ごきげんよう、蓉子。たまには、ね]
「で、本当にどうしたの? その話し方だと、それほど急いでるってほどではなさそうだ
けど」
[そう、ねぇ……とりあえず確認、ってところかしら?]
「なぁに? その確認って」
[聖、本気みたいね。恭也さんのこと]
「……江利子もそう思うのね? だったら、私の見立ても少しはアテになるみたい」
[私の勘より、蓉子の推測の方がよほどアテになるわよ……ねぇ、もしかしてあの一件、
聖は恭也さんに話したんじゃないかしら?]
「うん、そうね。きっと話したと思うわ。そして恭也さんは、どんな形でかは分からない
けれど受け止めた……そんなところじゃなくて?」
[うーん、ライバルいっぱい、楽しみもいっぱい……ってところね]
「ふふっ、相変わらずね、江利子。でも正直、恭也さんは何を思っているのかしら」
[分からないのはそこかな。そう言う蓉子は、どう見ているの?]
「どうって、そうね…………江利子、これは私の仮説だけど、それでもいいかしら?」
[構わないわ]
「恭也さんが鈍いかどうかって、私にとって大した意味はないわ。でも、ひとつ……理由
は分からないけれど……恭也さんは、明らかに私たちと〔壁越し〕に話しているわね」
[壁越し?]
「そう。聖を受け止めたからと言っても、恭也さんの話し方は全く、変わっていなかった
でしょう? 恭也さんは、まだ私たちに対して距離を置いてると思うの」
[言われてみれば、そうね……でもそれでいて、ちゃんと気にかけてくれてるけど?]
「うん……それは多分、恭也さんが優し過ぎる人だからだと、私は思うわ」
冬の夜空は、何となく澄んだ感じがする。
部屋の窓越しに見上げる漆黒の帳は、何故か同じ色の瞳を連想させた。
「はぁ……」
今頃、あの人は何をしているのだろうか? そう思っている自分に気が付いて、聖はそ
の事におかしさを覚える。
(これじゃ、栞の時と大して変わりないじゃない)
しかし、そう思うだけの余裕が、今の聖にはある。もしかしたら、それがあの人の言っ
た、
(乗り越えた)
という事なのだろうか。
「そう言えば……あの頃は、周りなんか全然……見えてなかったっけ……」
見えていなかったのではない。見ていなかったのだ。もっと正確に表現すると、見よう
ともしていなかったのだ。
言い換えてもいいかもしれない。
(栞だけしか、見たくなかったんだ……去年の、私は)
一度、身震いした。あの時の私は、〔生きる〕という言葉を、なんと軽く口走っていた
事だろうか。そして、駆け落ちしたとしても、その行き着く末に訪れたであろう〔死〕を、
なんと軽々しく考えていた事だろうか。
あの時私は、どうして栞に配慮出来なかったのだろうか。今ならば、分かるような気が
する。栞を、私だけのものにしたかったから――
(あの人は……恭也さんは、どんな気持ちで、私の話を聞いてたんだろう?)
少なくとも恭也は、おざなりに話を聞いていたのでは、決してない。それが証拠に、彼
は聖を受け止めたではないか。そして、あの後〔翠屋〕で聞いた恭也の祝福の言葉は、聖
の心に深く、しみ込んだのだった。
「聖さん。遅ればせながら……誕生日、おめでとう」
冬ならではの冷たい風が一陣、吹き抜けていく。
恭也と美由希は鍛錬を終え、深夜の住宅地を歩いている。朝の鍛錬に始まり、夜の鍛錬
に終わる――御神流をたしなむ者はなべて、そうして来たのだ。
そんな、一日の日課を終えての帰り道。小さな、ささやくような声で会話の口火を切っ
たのは、美由希だった。
「ねぇ、恭ちゃん。リリアンの三薔薇さま……どうするの?」
答えない恭也を見て、美由希は盛大に溜め息を吐いてのける。
「恭ちゃーん……いくら何でも、東京のお嬢様学校の生徒が、〔翠屋〕だけ目当てにそう
何回も、遠くから足運んで来ないってば。それでなくたって恭ちゃん、今まで全然接点が
なかったリリアンに、もう二回も行ってるじゃない」
「まぁ、それはそうだが」
「三人とも、絶対恭ちゃんに好意持ってるよ? でなきゃ、わざわざ来ないよ」
その事を分かっているのか、それともいないのか。こういう時の恭也の内心は、長い付
き合いの美由希ですら、にわかに察し難いところがある。
前から。そう、ずっと前から。自慢の恭ちゃんは、自分自身の事をいつも、後回しにし
てきた。晶やレン、なのはにかーさん、そしてフィアッセにわたし。何だかんだ言いなが
ら、恭ちゃんは常に〔家族〕を第一に考えていた。でもそろそろ――
「御神の剣の事、話してもいいんじゃないかな? きっと、分かってくれると思う」
何の前触れもなく、美由希の頭が小突かれた。
「いたっ!?」
「このばか者。もっと、相手の事を慮るようにしろ」
話は終わりだとばかりに、恭也は口をつぐんで先に進む。
「ああっ、待ってよ恭ちゃん」
慌てて美由希は後を追う。結局、恭也の本心がどこにあるのか、美由希は掴む事が出来
ずに終わったのだった。
「どうするの、か……」
正直、恭也は自分の内心を持て余し気味だった。
これまで、ほとんど自分自身の事を顧みる事なく、ただまっすぐ歩いてきた。それが間
違っていたとは、思わない。
これまで、出会いと別れをいくつも経て来た。ただ、
(御神の剣士)
である、という自覚――それは、私心を、我が身を捨てる、と言うべきものだ――は、
常にどこかで恭也の精神、行動を縛り続けている。
(こういう時……父さんだったら、どうしたろうか……)
自室の、畳張りの床に敷いた夜具の上にどっかとあぐらをかいて、ふと考える。
今は亡き父、士郎は、かーさんの作るお菓子にひどく感激していたが、それだけが結婚
を決めた理由でない事くらい、恭也は最初から分かっていた。もっとも、その本当の理由
をおぼろげながらも理解する事が出来たのは、士郎が亡くなってしまって後、己を追い詰
めた末に右膝を傷めてしまってからだったが。
(そう言えば、剣の事以外で父さんならどうするか、など……考えた事もなかったな)
口元がいささか、自嘲にも似た風合いに緩む。
いや、結局――いつかは態度を明らかにしなければならない。他の誰でもない、自分自
身が決めなければならぬ。その時、自分はどんな形であれ、選ばなかった者を結果として、
傷付ける事になるのだ。
(やはり、難しいものだな……人との関わりというものは)
静かに息を吐き、
(……俺は多分、それほど遠くない内に事をひとつ、決めねばならなくなるかもしれない。
今まで考えまいと思ってきていたものだから、まだ時間はかかるだろうが……父さん……
せめて、見栄えの悪い終わりようになったとしても、笑ってくれるな)
恭也はその一日を終えたのである。
――来たるべき新たな年は、果たして彼等に何をもたらす事だろうか――
聖から語られた昨年の出来事。
美姫 「恭也との出会いによって、聖も少し変われたという事かしらね」
ゆっくりとだけれど、恭也もまた何か変わってきているみたいだし。
美姫 「緩やかな変化って感じよね」
ああ。これからどうなっていくのかは分からないけれどな。
美姫 「益々、続きが気になってしまうわね」
ああ。次回もまた楽しみにしております。
美姫 「待ってますね」
ではでは。