〜冬の情景〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三話――リュッケルトの詩集「亡き児を偲ぶ歌」からの引用による

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間、果たして運命の出会いと言うものはあるのだろうか?

 少なくとも、聖には、あった。

「リリアンに通ってる生徒がこんな事言うのも何だけど……私、キリスト教なんて、うう

ん、神様なんて信じてないの」

 言っても、恭也は別段、表情を変える事はなかった。

「去年の春、だったかな……何をしたいというわけでもなくて、何をしたいかってのもは

っきりしてなくて」

 ある日、聖は学園内の聖堂に入って、壁際の椅子を選ぶと横になり、ずっとそのままで

いた事があった。

 どのくらいそうしていたのか。気配に気付いて跳ね起きると、最前列の真ん中よりの席

に、新入生だろう、一人の生徒が驚いた表情でこちらを振り返っていた。

「久保栞…(しおり)…それが、彼女の名前だったの」

 それまで何に対しても興味を示さなかった聖が、初めて会ったその生徒の事だけは、ど

うしても知りたい、そう思った。

 元々は東京の生まれだそうだが、小学生の時に両親を亡くし、長崎の叔父の下で中学卒

業まで育った。推薦でリリアンに合格して学園の女子寮に移ってきた。

「私の方がよっぽどぶしつけだったんだけど……でも、何も言わずに赦してくれた彼女の

心の広さは、すごく心地好かった」

 急速に、聖は栞に興味を持ち始めていた。

 はらはらと降っていた雪が、いつの間にか止んでいる。恭也はただ沈黙を守り、聖の話

に耳を傾けている。

 

 

 

 

 

 ――夜を、私の中に住まわせてはいけない。それを、永遠の光の中に沈めなければなら

ない――

 

 

 

 

 

「前から私って、どこか普通の人とは感性が違うような気がしてた。何て言うのかな、魂

が適合しない、って言えばいいのか」

 コーヒーをひと口飲んで、唇を湿らせる。大分、ぬるくなっていた。

「きっと、栞に救ってもらいたかったのかもね」

 彼女は、敬虔なクリスチャンだった。だからこそ、彼女は聖堂にいたのだ。だからこそ、

初めて会ったあの時、ステンドグラスの光を受けた彼女は神々しく見えたのだ。だからこ

そ、栞に〔救い〕を見出したのだ。

 親しくなるのに、時間はかからなかった。

「元々、薔薇のつぼみになってからも、あまり〔館〕の方に顔を出す方じゃなかったんだ

けど。栞と仲良くなってからは、ますます行かなくなったかな」

 忠告は、それこそ何度も受けた。

「特に蓉子は、栞との距離の取り方を考え直しなさい、って、何度も言ってたよ」

 恭也は、その言に得たりと頷いた。

(蓉子さんは、そういう点で確かに聡明だろうから、な)

 聖は、ちょっとだけ微笑むと、

「でも私はね、のめり込む一方だったの。それが、他の全てを排除してしまうんだって、

分かってて……ね」

 もちろん、それが意味するところは明らかだった。

 聖は、栞と共に過ごす為に、勉強も頑張った。成績は当然上がったし、教師達の覚えも

決して悪くはなかったが、皮肉な事に校内では、更に孤立していく事になった。

 日常の生活を厭い、学園の存在に何故か、息苦しさすら覚えるようになっていく。

 その頃の聖の精神は、余裕というものをもはや、失っていたのだ。

 

 

 

 

 

 ――目をあざむく運命の織り成した霧の為に、私には分からなかったのだ!――

 

 

 

 

 

 栞の側にいたい、離したくない。

 日に日にその思いは切実になるばかり。この気持ちが何なのか、それが自分でも分から

ず持て余し、恋愛小説から果ては生物の生殖行動に関する本まで、およそ答えを書いてい

そうなものは、読める限り読み漁った。

「でも、満足のいく答えは出なかった。結局、なんで性別なんかあるんだろう、そんな事

考えてたよ」

 ミミズやカタツムリに、羨ましささえ感じた事もある。そう言って、聖は笑った。

 その年の学園祭が終わると、聖はまた栞と過ごす時間にのめり込んでいったが、ある時

とうとう、それに水が差された。

「蓉子から、聞いたんだ。彼女、高校卒業したらシスターになる、って。信じられなかっ

た……あんなに、お互いを必要とし合っていたはずなのに」

 栞とひとつになりたい――頂点に達したのは、多分その時だろう。

 聖は、栞をつかまえてその真偽を問い、本当だと分かると、なりふり構わずに選択を迫

った。

「私の事が好きなら、シスターなんかになるのはやめて、って」

 唇を近づけて、聖は頬に鋭い痛みを覚えた。栞が、初めて聖を拒絶した瞬間だった。

「マリア様が見ているから……私は今ここにいるのに、二千年も前の〔幽霊〕にすら、敵

わなかった。それがおかしくて、かえって涙も出なかったなぁ……」

 それからは、何をする気力も失せて、成績も授業態度も急速に下降線をたどった。その

反面で、なお聖は栞を慕う気持ちを、失ってはいなかった。

 期末試験を控えた試験休みの一日、母親と共に呼び出しを受けた聖は、学園長に自分の

気持ちを見抜かれた事を悟る。

 

 

 

 

 

 ――私は貴方の側にいたいけれど、運命がそうする事を赦さないのです。私をよく見て

いてね。何故なら、すぐに遠くに行ってしまうのだから! 今、あなたを見ている私の瞳

は、来たるべき夜には星になってしまうのです――

 

 

 

 

 

 ひとつの事にのめり込んで、周りが見えなくなるのは寂しい事ではないか――学園長は

そう言った。それでも、聖は諦められない。

 クリスマスイブ。終業式でもあったその日、聖は昼のミサに参加した栞と、ようやく会

う事を得た。そして彼女も、自分の事を考えていたのだと、知った時。

「その時は、ただ栞しか見えなくて。一緒に逃げよう、知らない場所に行って誰にも邪魔

されずに生きていこう、って」

 それに応えた栞の微笑みは、今でも鮮明に思い出せる。

「でも、結局……栞は来なかった」

 ずっと待っていた聖の肩を叩いたのは、栞ではなく当時の白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)――つまり、聖の

〔姉〕だった。栞の代わりに迎えに来た――〔姉〕はそう言った。

 それでも栞を探そうとする聖の心は、数枚の紙に書かれた栞の訣別の文章を読んだ事に

よって、文字通りとどめを刺されたのだ。

 私のせいで、私と出会ってしまったせいで、栞は――涙を流す聖を〔姉〕は、受け止め

た。〔姉〕だけでなく、あれほど邪険にしてしまった蓉子が迎えに来ていた。

「やっと、蓉子に素直にごめん、って言う事が出来た……ファミレスの中で待っていれば

良かったのに、外でずっと、待ってたんだから」

 ひとつ、大きく溜め息を吐いた聖は、

「それから、お姉さまの腕時計のアラームが鳴って……」

 ――聖はそれが、自分の誕生日を迎えた合図なのだと、知った。

「他の誰かが、私の事をこんなに心配してくれてるなんて、あんまり考えてなかったんだ

けど……」

 物憂げに、聖はもうひとつ、溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 ――そう。あの子は、私より先に出かけただけなのだ。そしてもう、ここには帰って来

ないだろう――

 

 

 

 

 

「今思うとね……もし、栞と一緒にどこか知らないところに行っても、最後は一緒に死ぬ

しか、道はなかったんじゃないか、って」

 今でもそうだが、無力な二人が身の周りの最低限の物だけ持って、手に手を取り合って

駆け落ちしたところで、何が出来たとも思えない。

 遠からず、あの『いばらの森』と同じ結末――心中という結末を迎えただろう。

「最初は、私の前から姿を消してしまった事を恨んだし、側に栞がいなければ死んだも同

じだって思ってたけど……今は、そうじゃない」

 未来が過去を清算する――そう考える事が出来るようになった。

「今は、どこかで穏やかに暮らしていてくれれば、それで充分」

 それでも、忘れる事はない。久保栞というひとりの少女が、自分の心にどれだけのもの

を与えてくれた事か。

 あれから、長かった髪の毛を切った。

 それまでさぼっていた〔山百合会〕の仕事のツケを、必死になって払った。

「むっ!? そこ、笑わないの」

 聖は、恭也が目を細めるのを見て、目ざとく突っ込みに入る。笑っていたつもりなどな

かった恭也だったが、済まん、とだけ言って続きを促す。

「お姉さまは、卒業する時……」

 のめりこみやすいタイプだから、大切なものが出来たら自分から一歩、退きなさい。

 それが、最後の忠告だった。

「お姉さまには、本当に感謝してる。今は頼る事が出来ないけれど、こんな〔妹〕の面倒、

最後まで見てくれて。もちろん、蓉子にも、ね……」

 恭也は、聖の瞳からひと筋、涙が零れ落ちていくのを見た。

 

 

 

 


いわゆる「リュッケルト引用稿」の後書き

 

この稿は、聖の話をメインとしたこの「冬の情景」第三話執筆に際して、実は最初に書

いたものです。

しかし、その後バラトゥインスキーの「幻滅」からの引用も出来る事が分かった為、さ

てどちらを使うべきかと散々迷った挙句、止むを得ず「バラトゥインスキー引用稿」の方

を選んだ、というわけで、こちらは結果として使わずじまいとなりました。

ただ、第四話に目を移せば、自分が当初何を意図していたのか、という事はご理解いた

だけるものと思い、敢えてこの〔異稿〕とも言える「リュッケルト引用稿」も併せて掲載

する形にした次第です。

果たして、どちらの稿が物語の進行に合っているか……それは、お読みになった皆様各

自の考えにお任せしたいと考えております。

 ここで引用した「亡き児をしのぶ歌」ですが、元は19世紀の詩人フリードリヒ・リュ

ッケルトによって書かれた詩集で、この内五つに作曲家グスタフ・マーラーが曲を付け、

同名の歌曲として世に送り出しました。








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