〜冬の情景〜
第一話
肌寒い。
海鳴駅に降り立って、佐藤聖が真っ先に思った事だった。
先だって起こった、ちょっとした騒ぎもひと段落し、期末試験も終わってリリアン女学
園は冬休みに入っている。
ちょっとした騒ぎ、というのが聖自身に直接関わるものだった事は、本人の心の内に意
外な影響を及ぼしていた。
(吹っ切れている、つもり……だったんだけどな)
自分でも、分かっていたのだ。吹っ切れた――のではなくて、無理矢理閉じ込めていた
だけの話なのだ、という事は。それを改めて思い知らされたのだ。
(いばらの森、か……よく言ったものだよねぇ)
改札を過ぎると、さほどしない内に外のロータリーに出る。この二ヶ月かそこらの間に
何度か来たおかげで、すっかり見慣れた光景が目の前にあった。
どういうわけだろうか、心が落ち着く。新宿や渋谷、原宿や池袋などとは違い、目新し
い流行が、目を奪う刺激がそれこそ日替わりで並ぶわけでもない。時間も、ここでは東京
よりゆっくり流れているような感覚を覚える。
(押し付けがましい高層ビルが、あんまりないのもあるから、かな)
ないわけではない。駅の近くにはシティホテルや高層マンションがいくつか見受けられ
るし、〔ALCO〕を始めとする駅前の商業施設にしても、まぁそれなりの規模だ。しかし当
たり前ながら、東京の繁華街に比べると、及びも付かないささやかさである。
さっと、冷たい風が吹き抜けていった。吐いた息がほんのり白い。空を何気なく仰ぎ見
ると、太陽が曇り空に淡く自己主張している。
「はぁ、早く行こうか」
シニカルな微笑を一瞬だけ浮かべると、聖は普段と変わらぬ歩調で、商店街の方向に向
かって歩き始めた。
もう少しで、目的地に着く。
クリスマスが終わると、息つく間もなく年末年始。
商店街は、年の瀬になってもまだまだ忙しい。まるで年末のテレビ報道の風物詩、アメ
横の喧騒もかくや、と思いたくなるほど賑わっている。
そんな中を、聖はひとり、目的地に向かって歩いていた。今回は、蓉子も江利子も誘っ
ていない。かと言って、別に抜け駆けしたつもりもなかった。
ただ、何となく、ひとりで来てみたかった――そうじゃない。何となく、と言うには、
気分が妙にふさがっているような感じがする。
そろそろ目的地――喫茶店〔翠屋〕を臨む場所に来て、聖はひとりの後ろ姿を見とがめ
た。漆黒の髪、ダークブラウンの上下。そして、古の武士を髣髴とさせるような、隙のな
い凛とした雰囲気。
「あ……恭也さん」
気が付いた時には、恭也はそのまま歩き出していた。思わず、聖はその後を追って歩を
踏み出す。
(うわー、恭也さん捕まえて気晴らしでも、なんて思ってたのに……)
折角目の前にしたはずの〔翠屋〕の前を素通りして、そのまま恭也の歩いて行った方向
に進む。ほんの少し歩いてすぐに、聖は悟った。
「は、速ぁー……恭也さん、歩くのめちゃくちゃ速いじゃない……」
彼我の距離が、全然縮まらない。これでも聖は、それなりに歩くのが早い。少なくとも
そのつもりだった。ところが、恭也の歩く速さはそういう次元の問題ではない。
(今までは、私たちに合わせてただけなのかな?)
どうも、そう考えた方が良さそうだった。それにしても、歩く姿からして背筋が真っ直
ぐしているから、もの凄く見栄えが良い。
恭也は、商店街を抜けると左方向の道に曲がって行く。ここから先は土地勘も何もない
場所になるが、聖は今更引き返すつもりなどなかった。
(恭也さんがどこに行くのか、つきとめてやろう)
ちょっとした探偵気分だった。こういう気分は、そうそう味わえるものではない。
考えてみると、恭也の周りにはひいき目に見ても魅力的な女の子が、それこそ何人もい
る。そんな状況で特定の彼女が未だにいない、というのはどうも、ピンと来ない部分があ
った。
何か理由があるからかどうなのか――聖には、その辺が今ひとつ分からない。
(まぁ、周りでもはっきりと〔付き合って下さい〕なんて、言ってないかもしれないけど
ね。あまり近過ぎると逆に、言い出せないってのもあるし)
もっとも、恭也が恋愛感情に敏感な人となりだったなら、今頃とっくに海鳴一の女った
らしとして、ちょっとした〔顔〕になっているのではないか。
そんな仮定をしてみる。
(うーん……何かが、全然違う)
決定的に、イメージが合わない。柏木のような同性愛者ではないのは分かるが、かと言
って側に女を幾人も侍らせるような、ハーレムの王様じみた感じも全くしない。
反対に〔朴念仁〕と想像してみる。
(そう考えると、ぴったり合うんだけど……)
何と言うか、合い過ぎているのがまた不自然な気もした。おかげで、どこかひっかかっ
ているような感じも覚える。まるで、のどに引っかかった魚の小骨みたいに。
ともあれ、ひたすら後を尾行る。恭也が、こちらを振り向く素振りのひとつすら見せぬ
事に、特に疑問を持たぬまま。聖はただただ、恭也の後ろ姿を見失うまい、それだけを考
えている。
ちなみに、恭也が曲がって行った道は、海とは逆、高台の方向へと続いている。反対方
向に曲がって行くと臨海公園。その途中で実は、恭也の家がある町内にぶつかるわけだが、
聖はその事をまだ知らなかった。恭也が自宅の場所を聖に、むろん他の〔山百合会〕メン
バーの誰にも教えていなかったから、当然の事だったのだが。
冬ならではの濃い灰色をした曇り空の下、聖は歩いていた。
恭也の姿を見つけてから、何分くらい経っただろうか。まだ、目的地に着いていない。
それが証拠に、恭也はひたすら上り坂を歩き続けている。
(まだ、かなぁ? いいかげん、ちょっと疲れてきてるんだけどなぁ……)
人並みに、体力には自信があるつもりの聖だったが、足が少しずつ言う事を聞かなくな
り始めていた。もう歩けないと言う程深刻ではないけれど、出来る事ならどこかでちょっ
と座って休みたい。そう思う程度には疲れてきていた。
身体が、ぽかぽかと暖かい。
(そうか……コートにマフラーだしね)
苦笑して、マフラーを外す。が、コートを脱ぐにはやっぱり寒い。
ふと振り返ると、まだ高台の中腹であるにも関わらず、海鳴の中心部を、臨海公園を、
その先に拡がる海を一面に見渡す事が出来た。
「うわぁ……いい景色……」
いっとき、歩みを止めて眼前の光景に見入る。しかし、この時聖は振り返るべきでなか
った。気が付いた時には、既に恭也を見失ってしまっていたのだ。
(うっそぉ、折角ここまで追いかけてきたのに)
思わずしゃがみ込んでしまいそうになったが、気を取り直して、ちょうど近くを通りか
かったお年寄りに聞いてみた。
「あの、濃い茶色の上下を着たかっこいい男の人、見ませんでしたか?」
「ん? ああ……この道をそのまま上って行ったよ。今しがた、すれ違ったでね」
「あぁ、良かった。えっと、この道ってどこに続いているんですか?」
「初めてかね? ここは」
「はい、そうなんです」
「ほう……まぁ、ここら辺は藤見台って言ってな。道隔ててそっち側が西町じゃ。あっち
にゃ神社があるで。ずっと上れば展望台じゃ。後は、霊園かのぉ」
選択を迫られた。
神社か展望台、もしくは霊園。神社に行く道とは反対側の道を上って行った、という話
だったから、恭也の行動はこの時点で既に、二者択一と言っていい。
一体どっちだろうか、聖は迷った。それでも、歩は止めなかったが。
展望台であれば、場所柄もあるから見晴らしも良いだろうし、恭也の姿は割とすぐ見つ
ける事が出来そうである。
霊園となると敷地は広いはずだ。特に市営の共同墓地となると生半可な広さではないか
ら、恭也が何らかの用を済ませて、出て来るのを待つより他ないかもしれない。とは言え、
ただ待つには今は寒過ぎる。
(とにかく行ってみよう)
こうなったら、
「恭也さんが何しにここまで歩いて来たのか、見ないで帰るのも何か悔しいし」
半ば、意地になりつつある。
その時どのような勘が働いたものか、聖は自らの足の運びを、ひとつの方向に自ずと向
けていた。
直感、と言えばいいのだろうか。それは本人にも分かるまい。自然と足は動く。
そして、着いた場所は――
「……」
藤見台霊園。海鳴に住まう者達が、最後にその身を落ち着ける場所。永き瞑りに付く場
所である。次第に色が濃くなってきている曇り空の下、整然と建ち並ぶ墓標が、聖の眼前
でモノトーンの風景を形作っていた。
先程よりも冷え込んで来たみたいだった。一度外したマフラーを着け直す。敷地の中に
入り、周りを見回してみて――あまりに呆気なく、聖は見つけた。
「あっ……恭也、さん……」
モノトーンの風景に、はらり、はらりと白いものが舞い降りてきた。
今回は聖が海鳴に。
美姫 「来て早々ちょっとした運動をした感じになったけれどね」
時期的に考えて、マリみて原作では……。
美姫 「その辺りがどうなっているのか、ちょっと楽しみよね」
だよな。海鳴に一人で来たというのも何かあるのだろうか。
美姫 「続きがとっても気になるわね」
だな。よし、早速読むぞ。
美姫 「では、また後で〜」