〜蘭陵王舞 海鳴大学園祭〜
第一話
朝から、雲ひとつない快晴。
この日は、海鳴大学の学園祭、その最終日であった。
普段よりも人々でごった返す学び舎から少し離れた、大学の体育館。その中を覗いてみ
ると、興味深いものを目の当たりにする事が出来る。
見る人が見れば、一般のお客さんが多いのは当然だとしても、何故かその中で海鳴大生
――それも女子の比率が意外と高いのに、気付く事だろう。
一段高いステージに最も近い列、つまり最前列では、
「そろそろ、時間だね」
「そやなぁ……お師匠、どないな格好で出て来んのやろか?」
「んー、意外と羽織袴じゃないのか? もしかしたら、那美さんみたいに神社の服装だっ
たりして」
「舞楽、って言ってたくらいですから、社務用の服ではないですよぉ」
「那美さん、神社に勤めているの?」
「はい、そうですよぉ。バイトの巫女ですけど」
「それにしても高町さま、どんな服装で出てくるのかしら?」
「あ、それなら忍ちゃんにまっかせなさーい」
「あれ? 忍さん、何か知ってるんですか?」
「上下緋色の装束着るんだって。本人に聞いたから、間違いないよ」
「はぁ……そらまた……」
「師匠が嫌がりそうな……」
「あ、あははは……恭ちゃんの苦虫潰したような顔が、想像出来そうだね……」
「高町さまって、そんなに明るい色の服、嫌がるの?」
「はい……恭ちゃん、いつも暗い色の服ばかり着てるから……」
「ふぅん……あー、そう言えばそうだねぇ。私も、高町さんが明るい色の服着てるとこ、
見た事なかったわ」
「先生、いつの間に持って来ていたのですか? ハンディカムなんて」
「え? ああ、これね。貴女達の為よ、水野さん」
「あ、ありがとうございます」
高町家の〔かーさん〕こと高町桃子は、横で繰り広げられている光景を見て、
(呉越同舟ね、これって)
そんな印象を抱いた。
隣に座って、ハンディカムの準備をしているなのはを見る。
「なのは、準備は出来てる?」
「うん、これでおにーちゃんの姿、ばっちり撮れるよ」
「楽しみねぇ、恭也の晴れ姿」
「うんっ!」
無邪気に喜ぶなのはに、微笑ましい気分になる。
なのはの更に隣では、あっと言う間に意気投合したように見える美由希達が、恭也の事
を肴にあれこれと盛り上がっていた。
美由希達、そして最近恭也が知り合った三人の女子高生と、彼女達の通う学校の先生。
考えてみればみるほど、不思議な光景であった。つい三十分くらい前は、初対面ゆえど
ことなくぎこちなかったのに、今ではまるで、何年も前から友達付き合いをしているかの
ように見える。
(恭也も、いつの間にあんな綺麗なお嬢さん達を引っかけたのかしら……んー、でも、あ
の子にそういう〔軽さ〕はないものねぇ)
桃子から見た恭也は、単なる朴念仁なのではなく、常に物事を一歩退いたところから見
るような、非常に老成した視点を持っている。過去に起きた色々な事が、
(性格を決定付けちゃったのよね……でも、元々あの子は優しいから)
リリアンから来た、と言う三人が、最近恭也と知り合って、今こうしている理由。
(あの子は、美由希達の事を家族や友達としてしか、見ていないみたいだけど……この三
人は、どうなのかしら?)
もう少しで、恭也の晴れ舞台が幕を開けようとしている。
少し、時間をさかのぼってみたい。
白薔薇さま――佐藤聖と、黄薔薇さま――鳥居江利子が、予定の集合時刻よりも多少遅
れて来たのは、特にどうと言う事ではなかった。が。
江利子は、どうやら家から出る時、兄三人を引き離すのに失敗したらしい。それこそ、
彼女に兄達がまとわりつく様は、周りの注目の的だった。
紅薔薇さま――水野蓉子は、付き添いの山村先生と顔を見合わせ、同時に肩をすくめた
ものである。
「先生、蓉子、ごめんなさい」
遅れて来た聖が謝るのを、二人とも苦笑して受け容れた。彼女には、そうした憎めない
部分がある。
「んで、江利子は? って、あぁ……」
見ると、江利子はまだ、兄達と喧々諤々の論争を繰り広げていた。見かねた山村が仲裁
に入らなければ、なおも女々しく食い下がっていただろう、未練たらたらな約三名の見送
りを受けてようやく出発した頃には、陽が結構高くなってきていた。
三薔薇さまが目当てにしている海鳴大学園祭――高町恭也の舞が催されるのは、午後一
時の予定。時間はもう巻き戻せないから、とにかく間に合えば良しという事で気分を切り
替える。
聖は鼻歌なぞ歌いつつ、いかにも楽しげにしている。片や江利子の方は、疲れた表情で
山村が話しかけるのに応えていた。多分、あの三人の兄達の事を聞かれているのだろう。
横目にしつつ蓉子は、
(今は、全てが上手くいっているけれど……この後に来るものは、何なのかしら)
初めて恭也を見た時の事から思い返して、密やかな溜め息を吐いていた。
これまでは、恭也に惹かれていく自分が楽しかったが、その分裏返すと、不安が大きく
なっているように思えてならない。江利子も聖も、何だかんだ言いつつ恭也には好意を持
っているのが分かるから、なおの事だった。
(はぁ……余計な事を考えても、仕方ないわね)
ふと、恭也の優しい微笑を思い出す。さっきまで脳裏を占めていた不安が、あっと言う
間に追い出された。
(……私って、こんなに現金だったかしら……)
そう思いながらも、気分は次第に浮き立ってくる。
海鳴駅から大学への道のりは意外と楽なものだったが、大学の建物が見えた時には、ほ
っと、安堵の息を漏らした。
正門には、既に賑わしい往来が出来ていた。蓉子が付けてきた腕時計の針は、午前十一
時五十四分を指している。会場の体育館の場所さえ教えてもらえれば、辺りを回って時間
を潰せばいい、そう思って視線を何気なく上げる。
いた。すぐに分かった。
恭也の姿は、大勢の中にあってもすぐに見分けがつく。暗色の普段着、その容姿という
だけではない。そこにいなければ、いないとすぐに分かる。それだけの存在感を、蓉子は
恭也から感じている。
が、次の瞬間、蓉子だけでなく、江利子も聖も怪訝な表情になった。恭也の周りに、女
の子が何人も集まっている。しかも、えらく親しげに。だが、どうしようかと思っていた
のも一瞬の事だった。恭也が、こちらに気付いたらしい。何事かを周りに話すと、彼らし
い毅然とした歩きっぷりで近付いて来た。
「ごきげんよう、高町さま」
「こんにちは、水野さん。鳥居さんも佐藤さんも、来てくれてありがとうございます」
蓉子の挨拶に、恭也が目を和らげて答えた。江利子と聖も、恭也に笑顔を向ける。この
様を見ていた山村が、
「あなた達……そういう事だったのね」
呟いて苦笑している。
「初めまして、山村です。リリアン女学園高等部の教師をしていますわ」
「初めまして、高町恭也です。今回は、お手数をおかけしまして……」
「いいえ。元々は、この三人のわがままから始まったようなものですから」
「せ、先生……」
山村が笑顔でのたまった言葉に、聖が勘弁して下さい、とでも言いたげに額を片手で覆
う。江利子も蓉子も、揃って苦笑した。
恭也が、三薔薇さまと付き添いの先生を連れて戻って来た時、皆驚きを隠さなかった。
ただひとり、桃子を除いては。
美由希を始めとして呆然としている中、恭也は全く普段通りにのたまった。
「待たせた」
「……って、恭ちゃん……それだけ?」
「し、師匠……」
「お師匠ー、そないな事だけ言われてもー」
「ん、ああ……済まん」
小鼻を人差し指で少し掻くと、連れて来た四人を紹介する。
「ついこの前知り合ったんだが……こちらが、水野蓉子さん」
「ごきげんよう。初めまして、水野です」
「こちらが、鳥居江利子さん」
「ごきげんよう。初めまして」
「こちらが、佐藤聖さん」
「ごきげんよう。よろしくね」
「三人とも、リリアン女学園高等部の三年生だ。こちらが、山村先生」
「初めまして、山村です」
聞いた美由希達が、また呆然とした。当たり前である。リリアン女学園は、屈指のカト
リック系お嬢様学校として全国的に有名であり、海鳴でお嬢様学校として知られる、聖祥
女子以上のネームバリューなのだ。
「えと、初めまして、高町美由希です。恭ちゃんの妹です」
「初めまして。高町なのは、です」
「初めまして、城島晶です」
「初めまして。鳳蓮飛言いますー。レンと呼んで下さい」
「初めましてぇ。神咲那美です」
「初めまして。私が高町家の長男の、内縁の妻」
「し、忍さぁん……」
那美が苦笑して忍に声をかけ、高町家の面々もやはり苦笑するだけだったが、三薔薇さ
ま達の方は、そうもいかなかった。ただひとり、蓉子を除いては。
「……」
「痛っ、何するのよー」
すぐに、恭也のげんこつが忍の頭を軽くこづく。
「されるような事を言う月村が悪い。それに、誰が誰の内縁の妻だ?」
「いいじゃなぁーい、言うだけだったらタダだもぉん」
「月村、お前な……」
「あははは、忍ちゃんです。よろしくね」
「初めまして、高町桃子です。この子達の母親してます。三人とも、うちの店に来てくれ
て、ありがとう」
忍の発言に呆気に取られていた江利子と聖は、恭也の母親と言うには若い桃子を見て、
更なる驚きで二の句が告げない状態になっていた。そこは蓉子が知っていただけに、話す
と二人とも納得する。山村も鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になったが、すぐに立ち直っ
て話しかけた。
「……と言いますと、もしかして喫茶店の?」
「ええ、彼女達にはうちの店……〔翠屋〕という喫茶店ですけど、ごひいきにしてもら
ってます」
「そうだったんですか。一度は行ってみたいと思っていたんですけど、生徒に先を越され
ましたわね」
「今日は、息子が舞台に立つのを見に来たので、休みにしてますけど」
「そうでしたか。先程挨拶をしただけですけれど……立派な息子さんですわね」
「ありがとうございます。でも、普段が無愛想ですから……」
「うふふふ。何でしたら、恭也さんの写真を撮って、学校の〔かわら版〕にでも載せても
らいましょうか? 彼女募集中、という事で」
「あ、それお願いできます?」
「かーさん、それに山村先生……何気に無茶苦茶な事を……」
聞きとがめた恭也が憮然とした表情になって、全員がくすくすと笑い出す。それでも恭
也は何とか気を取り直すと、そろそろ時間という事もあって、忍に全員の案内を頼み、身
をひるがえして体育館の方へ駆けて行った。
少し時間を進めて、体育館のステージ脇。
簡単に言えば舞台の袖と言うべき小さな部屋の中、慌しく着付けを終えた恭也の姿を見
る事が出来る。
同好会の皆もそれぞれ装束に身を包んでおり、最後の準備を整えていた。龍笛を丁寧に
拭いている者、炭を熾した火鉢に笙をかざしている者もいる。
何でも、笙と言う楽器は中々にデリケートな代物で、使う前と後で、口の部分に付着し
た水分を除いてやらないと、あの独特の音が途切れたり、出なかったりするのだそうな。
最初見た時に疑問に思って聞いたら、そんな答えが返ってきた。
火鉢は、ちょっとした居酒屋なんかで見かけるような小ぶりの七輪より、わずかに大き
い程度のものだが、炭火のおかげか結構周りも暖かい。もちろん、通気に配慮して部屋の
窓は開けてあるし、いざと言う時の為に、水を張ったバケツも用意してある。
一度、電熱器なんかにかざすのは駄目なのかと、恭也は稽古の合間に聞いた事がある。
すると、笙を受け持つ会員から苦笑と共に、こんな答えが返ってきた。
「そんな事しちまったら、雅もへったくれもないだろう? それにさ、面白いもので、こ
いつは炭火にかざしてやんないと、いい音出してくれないんだ」
実際納得してしまうほど、炭火にかざして水分を取った後の笙は、霊妙な、息の長い音
を奏でていたものだった。
カーテンで外から閉ざされているステージの上には、既に太鼓などの準備がなされてお
り、中央で恭也が舞う事になっている。
当の恭也も、準備は整っていた。緋色の装束、唐織の裲襠を身に着け、時間が迫ったら、
龍頭の面を着ける事になっていた。
時間が近付くに連れ、緊張感もいや増してくる。何事かを成さねばならぬ時、大事なも
のを護る時、常にそれは身近にあって精神を締め上げてきた。時には快く、時には重荷と
なって。
だが、それに押し潰されてしまうのも、それを乗り越えるのも、結局はその時の自分自
身。瞳を閉じ、体の余分な力を抜き、呼吸を深くして心を落ち着かせる。
(出来得る限りの事はしたか? 最善は尽くしたか?)
自分に問いかける。
(出来得る限りの事はした。俺なりに、最善は尽くした)
答えを返す。
(ならば、これから己が成すべき事は?)
更に問う。
(ただ、ひたすらに無心なれ。今成すべきを、果たす事)
開演の時間が、いよいよ迫った。笙の手入れに使っていた火鉢が部屋の隅の方に寄せら
れ、それを新入の会員が管理する。
「さぁ、そろそろ時間よ」
久我講師の声を受けて、曲を奏でる全員がステージに粛々と出て行く。恭也も、金色の
面を着ける。鼻面の短い、いかつい龍面の下で、恭也は一度視界を確認すると、また瞳を
閉じた。
呼吸は既に整えられ、そこにいる気配すら感じられないのではないか、と疑いたくなる
ほど、身体から余分な力が抜けている。
(……よし)
右手の桴を握り直し、感触を確かめる。慣れ親しんだ小太刀より、はるかに細い握り具合。
気を研ぎ澄ます。体育館の中のさざめく気配がよく分かった。その中には美由希を始め
とする高町家の〔家族〕全員、忍や那美、そして山村の付き添いで来た三薔薇さまがいる
はずだった。久我に頼んで席は取ってもらってあったから、まず立ち見という事はない。
一度、ゆっくり息を吸い込む。
そして、顎を引きながらゆっくりと吐く。
アナウンスが聞こえたのは、その時だった。
「それでは午後の部に入ります。最初は、雅楽同好会による舞楽の演奏です。曲目は『蘭
陵王』。舞は、高町恭也さんです」
瞳を開く。
客席からの拍手と同時に、ステージのカーテンが開かれる。
時は満ち――始まった。
いよいよ恭也たちの舞楽が始まるのか。
美姫 「海鳴の面々とは顔見せも終わり、打ち解けた様子みたいね」
だな。後は蓉子たちの企みが上手くいくかどうかとかだな。
美姫 「その前に、この舞も上手くいくかよね」
さてさて、どうなっていくんだろうか。
美姫 「気になる次回は……」
この後すぐ!