〜さざなみ女子寮の風景〜
物干し竿の端に、トンボが一匹、羽を休めている。
それを横目に、ベランダで空を見上げるひとりの青年。
「ん〜、今日もいい天気だねぇ」
ちょっとした故あって、さざなみ女子寮の管理人になってしまった槙原耕介。今やこの
寮の管理人として、かけがえのない存在になっている。
最初の頃は、それはもう騒ぎだった。女子寮の管理人に若い男がなる、というのだから、
それで騒ぎにならない方がおかしいと言うものだ。
(でも、それも今となっちゃあ笑い話だよなぁ……いつの間にか、俺もこの空気に馴染ん
でしまったし)
本当に、人間の適応力は高いのだなと、妙なところで納得してしまう。
物干し竿には、洗濯した住人の服と敷布団のシーツがかけられ、時折そよ風に撫でられ
てふわふわと動く。
これで本当に何もする事がなければ、
(昼からちょいと一杯、ってのも悪くはないけどな)
しかし、これで管理人の仕事と言うのは意外に骨折りだ。思った以上に雑事が多いのだ。
とてもの事、女子寮の管理人と聞いて羨ましがるような輩には勤まるまい。
朝も早くから起きて風呂を沸かし、人数分の食事を作り、フロアや廊下、はたまた前庭
から裏手までの清掃、今やっているような洗濯仕事。更には備品のチェックや交換に至る
まで、従姉にしてオーナーの槙原愛を始め、住人の協力も当然あるが、基本的には彼が一
手に引き受けているようなものだ。そうそう、周りに住む猫たちの餌も、今や耕介の管轄
と言っていい。
ここ数日、良い日和が続いているおかげで、耕介の仕事は中々にはかどっている。多少
暑さを感じる程度に陽射しは強いが、
「これなら、今日中に乾くかな? 太陽様々」
そっとひとりごちると、ひと仕事終えた耕介はベランダを後にする。トンボはまだ、竿
の端に停まっていた。
平日なので、寮の中は閑散としたものだ。
寮の住人は何人もいるが、この昼近くになって寮の中にいるのは二人くらいのもの。
「耕介様」
中に足を踏み入れるとすぐに、声をかけられた。
「あ、十六夜さん」
寮の住人、神咲薫の所持する霊剣。その魂が具現化した、とでも言うべき存在。剣の銘
と同じ名を持つ美しい女性。
「今日も、いい天気ですよ。縁側、出ますか?」
「ええ。お願いします」
薫の部屋にちょっと失礼して、霊剣も一緒に外へ出す事にした。耕介には何故そうなの
か分からないが、刀身も陽の光に当てると、
(十六夜さんには、更にいいらしいんだな、これが)
元々が日向ぼっこの大好きな彼女の事である。もしかしたら、実体化しているその身に、
より強く感じるのかもしれない。が、本当のところはどうだろう。
(まぁ、深く考える事もないか)
縁側に刀掛けを置き、抜き身にした霊剣を掛ける。その隣に十六夜は腰掛けて、
「ああ……心地好いです」
柔らかく頬を緩めて、佇んでいる。
「薫も、最近はよく笑うようになりました」
「そう、ですね」
「きっと、耕介様のおかげですよ」
「いやぁ、俺は何も……でも、ここの住人には笑顔でいて欲しい。それだけですよ」
「ふふ。きっと、その想いが通じたのですね」
ありがたいものの、何となく気恥ずかしいものを感じた耕介は、せめてお茶でも持って
来れば、少しはごまかせたのにと、苦笑いするよりなかったのだった。
ひとしなみ日向ぼっこのひと時が過ぎて、霊剣を部屋に戻すと、
(さぁて、そろそろ真雪さんも腹が減ってくる頃だろう)
今度はキッチンへ。早速冷蔵庫の中を覗いてみる。元が洋食屋の次男坊だけに、特に厨
房のチェックは怠らない。
「ああ、明日辺り買い物かな? こいつは」
ともあれ、今はのろのろと降りて来るだろう、真雪の昼食だ。
「うお〜い、耕介〜」
考えている側から、真雪がリビングに姿を現して耕介を呼んだ。
「あり合わせでいいから、何か食わせてくれ〜」
「はいよ」
「ただし、あたしの嫌いなものは絶対に入れるなよ〜。入れたら殴る」
「はいはい」
草薙まゆこ、というペンネームで漫画を描いている真雪は、原稿を手がけていると昼夜
逆転も珍しくない。昨夜も殆ど徹夜だったはずだ。
あり合わせ、というリクエストに応えて、耕介はチャーハンを作る事にした。中華料理
は火力とスピードが勝負。ご飯と溶いた卵に高菜と焼豚を使い、あっと言う間に仕上げて
しまう。
「ほい、お待ちどうさん」
「さ〜んきゅ」
真雪がレンゲでひと口頬張る。
「うん、美味い」
「ありがとうございます。で、真雪さん。進み具合、どうなんですか?」
「うん。今はそんなに詰まったりしてないかな? でもま、最近スケジュールが押し気味
でさ……」
しばらく、耕介は真雪の昼食に付き合っていた。
少し遅い昼食を摂ってから、洗濯物の乾き具合を見に、またベランダへ。
そよそよと風がなびき、それに合わせて洗濯物が緩やかなダンスを踊っている、ように
見える。
「うん、もうちょっとしたら取り込むかね」
触り心地は悪くない。
ふと見ると、昼前は一匹だけだったトンボが、いつの間にか三匹に増えていた。その内
の一匹に、人差し指を向けてくるくる回しつつ近付く。が、もう少し、というところで逃
げられてしまった。
「ああっ、惜し……くもないか。最近のトンボは、頭が良くなったのかな?」
埒もない事を呟いて、また仕事に戻る。今度は、足りなくなりそうな備品のチェック。
(場合によっちゃあ、明日の買い物が大がかりになりかねないからな)
チェックが終わってから、洗濯物を取り込みアイロンをかけて――気が付けば、もう午
後の三時をとっくに回っていた。
「ただいま〜」
「おかえり」
「こ〜すけ〜、おやつ〜」
「ああ、ちょっと待ってな」
住人も三々五々帰って来て、寮は普段の賑やかさを取り戻している。これからが、耕介
にとっては更に忙しくなる時間帯だ。
(さぁ、気を引き締めて晩飯の支度だぞ)
これからずっと、こうした生活が続く事だろう。耕介は、この仕事にやり甲斐を感じて
いるし、誇りも持っている。
寮の住人達が快く過ごせるようにするのが、
(俺の成すべき事だ)
――そして今宵も、槙原耕介は存分に腕を振るう。
〜さざなみ女子寮の風景〜 了
今回は、とらハ2のお話〜。
美姫 「管理人の一日ね」
うんうん。日々是平穏が一番だよ。
美姫 「まったり〜」
いや、お前までまったりしてどうする。
美姫 「それもそうね」
うーん、今回のお話も良かったです。
美姫 「それじゃあ、まったね〜」