〜昼休みの風景〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜、ひと晩中降り続いていた雨もようやく止んで、海鳴に青空が戻って来た。

それまでずっと暑かったのが、今日になると涼しさを感じる程になっている。もう、秋

の声がすぐ近くに聞こえて来ている。

長い夏休みが終わり、風芽丘学園はいつもの姿を取り戻した。

「さ〜くら」

「先輩」

昼休み、相川真一郎は図書室に綺堂さくらを見つけ、声をかける。去年の冬に初めて言

葉を交わしたのが、まるで嘘みたいに思える程、二人の仲は良い。今日二人は、昼食後に

図書室で会おう、と申し合わせてあった。

「あ、それ……」

「購買部のおばさんに頼んで、ちょっとね」

「うふふ、きっと喜びますよ」

「じゃあ、出よっか」

「はい」

ベランダに出ると、そっと吹き抜ける風が心地好い。さくらの髪が、わずかにふわり、

と動いた。

その一瞬に目を細めた真一郎に、

「先輩?」

さくらは怪訝そうな表情を見せる。見惚れていた、と言うのもどういうわけか気が引け

て、真一郎は別の事を口にした。

「あ、ううん、何でもないよ。そろそろ来るかな?」

「はい……あっ、来ましたよ」

青空の下を流れるように、幾羽もの鳩が群れを成して通り過ぎ、やがて何度か円を描く

ようにベランダへと降りて来る。

その間に、真一郎はふたつ持っていたビニール袋のひとつを、さくらに手渡すと、残っ

た袋の口を開けて、その中身を掴み出す。と、不意に羽ばたきの音が大きくなるや、二人

の周りに鳩たちが一斉に降り立った。

 

 

 

 

 

「あ、こらこら……まだあるから、そんなにがっつかなくてもいいって」

「うふふ。いっぱいあるから、ゆっくり食べてね」

鳩たちは、入れ替わり立ち代わり二人の手の平から餌をついばんでいく。

二人の手の平にはパンくず。真一郎が、つい数日前に購買部のおばさんと交渉して、お

すそ分けしてもらったものだった。

学園には、他に犬や猫が集まる場所がいくつかあるようで、知らずにそこでご飯など食

べようものなら、いつの間にか自分の食べる分がなくなってしまう、なんて好意的な冗談

も囁かれるくらいだ。

(そう言えば、その場所のひとつも、さくらに教えてもらったんだっけな)

そんな事を思いながら、真一郎はそっとさくらを見やる。

満面の笑顔で鳩たちと戯れるさくら。

初めて会った頃は、どこか冷たい印象を彼女に対して抱いていたものだ。どこか、表情

に無機質なものを感じていた。可愛い、と言うよりも美人に見えるだけに、なおさらだっ

た。

少しずつ距離が縮まっていくに連れて、少しずつさくらの事を知り――流石に〔夜の一

族〕のひとりだと知った時は、ひどく驚いたが――今では、さくらの色々な表情を見るよ

うになった。

喜ぶ顔、怒る顔、哀しむ顔、楽しむ顔。ふとした瞬間に見せる表情の全てが、真一郎に

は愛しく思える。

(やっぱり、さくらは笑顔がいいな……)

多分、その美しい横顔にばかり意識が向いていたのだろう。いつの間にか手の平が直接

つつかれていた。

「あだっ、いたたた……ああ、分かったから分かったから」

おかわりのパンくずをひと掴み、待ちかねた鳩たちに振る舞ってやる。

つい先頃までそんな事はなかったが、真一郎の両の肩に一羽ずつ、鳩が停まってはまた

餌をついばんでいる。

 

 

 

 

 

まだ、鳩の扱いに苦戦しているような真一郎の横顔。

そのあどけない、見ようによっては活発な女子生徒にも見えなくもないその外見の奥に、

不思議なくらい違和感なく共存する、優しさと、青臭いまでの一途さと、心の強さ。それ

にどれだけ、さくらは助けられた事だろうか。

(先輩は、私に〔本当の居場所〕をくれたんですよ。私を救ってくれたんですよ)

付き合ってくれ、と言い寄って来る男子達が、まるで自分をアクセサリーの代わりにし

たい、そう見えて――愛想ない表情と態度を取る事で、他人を多く退けて来た。

でも、それは慣れていたはずの孤独を更に増幅させるだけだった。本当は、もっと笑い

たい。本当は、もっと泣きたい。本当は――最初、真一郎と会った時、実のところ特にこ

れと言った感慨はなかった。

(今の私は……前よりも笑う事が出来る。前よりも泣いて、怒って……)

自分でも予測しなかった形で正体を知られてしまった時、裸足で逃げ出したあの時。従

兄の氷村遊が、己の矜持を満たす為に起こした騒動で、真一郎に拒絶とも取れる態度を取

った時。

さくらは、これでもう二度と逢えないと思い詰めた。しかし、さくらの〔先輩〕は、我

が身の危険を冒して、

(私を捜し出してくれた……)

それだけではない。想いの強さ、前に進む事の大切さを、真一郎は教えてくれた。彼に

とって〔夜の一族〕なんか関係なかった。ただ、一途な自分への想いが力となったのだろ

う。

(きっと、先輩もいっぱい悩んだんじゃないかしら)

さくらは、それ以上余計な考えに沈むのを止める事にした。

(今は、こうして隣に先輩がいる。いつか時が来るとしても、それは今じゃない。ううん、

私は決めたの。死の顎にも、先輩は渡さない……)

気が付くと、さくらの手の平のパンくずも殆どなくなってしまっていた。

「あっ、ごめんなさい。すぐあげるからね」

 

 

 

 

 

それほど時間は経っていなかったが、用意したパンくずはとうとうなくなってしまった。

散々名残惜しそうにしていた鳩たちも、ようやっと諦めてまた何処かへと飛び去って行っ

た。最後に三度、二人の周りを旋回して。

「……はぁ……行っちゃったね」

「はい」

飛び去った方向を見て、二人ともしばらく何も言わない。いや、もう言葉は特に必要で

なかった。

グラウンドから、サッカーに興じる男子生徒達の声が、小さく、時に大きく聞こえてく

る。急にひと際大きく喚声が響いたのは、シュートが決まったか、それとも好セーブが出

たからか。

二人の手は、いつの間にかつながっていた。全く自然に。

「後始末して、中に入ろうか?」

「そうですね。もう少ししたら予鈴も鳴りますし」

「もうそんな時間なんだ……短いなぁ、昼休み」

「先輩ったら、うふふふ」

足下に散らばったパンくずの細かな残りを始末した頃に、予鈴が鳴った。もう五分もす

れば、午後の授業が始まる。

「それじゃあさくら、また放課後にね」

「はい、先輩」

自分のクラスの方に歩き出した真一郎がふと振り返り、

「あ、さくら」

「はい?」

「今日も、買い物付き合ってよ。んで、一緒にご飯作ろ?」

「はい、先輩」

満面の笑顔で、さくらは真一郎の誘いを受けた。来たるべき夕べのひと時に、思いを馳

せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜昼休みの風景〜 了





タケさん、投稿ありがとうございます。
美姫 「うーん、静かな感じよね」
うんうん。とっても良い空気のお話だった。
美姫 「いやー、本当に素晴らしいわ」
そんな当てこするみたいに、こっちを見ないでくれー!
美姫 「はいはい、馬鹿は放っておいて…」
ひ、ひどっ!
美姫 「ありがとうございました〜」



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