その日、朝一番の授業のために二年生の教室に入ってきたミスタ・コルベールは、教壇に置かれた机の上に、妙なものを置いた。長い、円筒状の金属の筒だった。側面からはこれまた金属のパイプが延びている。パイプはコルベールの足下に転がるふいごのようなものに繋がっており、円筒の頂上にはクランクがついていた。クランクはさらに、円筒の脇にたてられた車輪に繋がっている。そして車輪は、扉のついた箱にギアを介して接続されていた。装置全体の大きさは、大人ひとりが両手をいっぱいに広げてようやく抱え持てるぐらいか。

 何かの機械なのは一見して明らかだった。しかし、いったいどんな機械だろう。

 ルイズの付き添いで席に着いている才人を含む教室中の視線が机の上に集まるのを感じたコルベール教員は、嬉しそうに微笑んだ。

「それはなんですか? ミスタ・コルベール」

 好奇心にかられた一人の男子生徒が質問した。

 コルベールは、おほん、ともったいぶった咳をすると、語り始めた。

「えー、“火”系統の特徴を、誰かこのわたしに開帳してくれないかね?」

 コルベールが生徒達を見回しながら言うと、教室中の視線がキュルケに集まった。ハルケギニアで“火”といえば、まず連想されるのがゲルマニア貴族だ。ツェルプストーはその中でも名門中の名門。教師陣を除けば、“火”系統の魔法に関してキュルケよりも腕の立つメイジはいないだろう、とは衆目の一致するところだった。

 キュルケは授業中だというのに爪の手入れをしていた。彼女はやすりで磨く爪から視線をはずさずに、気だるげに答えた。

「情熱と破壊が、“火”の本領ですわ」

 なんともキュルケらしい答えだ、と才人は苦笑した。“微熱”のふたつ名を持つ彼女だが、恋に対する情熱は、微熱どころでは済まないことを彼は知っていた。

「そうとも!」

 自身も“炎蛇”のふたつ名を持つ“火”のトライアングル・メイジのコルベールは、にっこり笑って言った。

「だがしかし、情熱はともかく、“火”が司るものが破壊だけでは寂しいと、このコルベールは考えます。諸君、“火”は使いようですぞ。使いようによっては、色んな楽しいことが出来るのです。いいかね、ミス・ツェルプストー。破壊するだけじゃない。戦いだけが、“火”の見せ場ではない」

「トリステインの貴族に、“火”の講釈を承る道理がございませんわ」

 キュルケは自信たっぷりに言い放った。トリステイン出身のメイジたるルイズが、むっ、と顔をしかめる。しかし嫌味を言われたとうのコルベールは、変わらずにこにことしていた。

「それで、その妙なカラクリはなんですの?」

 キュルケは、きょとんとした顔で、机の上の装置を指差した。

 コルベールは宝物のレアカードを見せびらかす子どもの表情で両腕を広げ、机の上の装置を示した。

「うふ、うふふ。よくぞ聞いてくれました。これは私が発明した装置ですぞ。油と、火の魔法を使って、動力を得る装置です」

 異世界の貴族達は、ぽかん、と口を開けて、その妙な装置に見入った。他方、教室内で唯一の異世界人たる才人は、コルベールの口にした、油、と、火、の言から何を思ったのか、茫然とした眼差しを装置に注いだ。まさか。いやでも、そんな……。

 コルベールは教室内を見回すと、続けた。

「まず、この“ふいご”で油を気化させるのです」

 コルベールは、しゅこっ、しゅこっ、と足でふいごを踏んだ。

「すると、この円筒の中に、気化した油が放り込まれるのですぞ」

 慎重な顔で、コルベールは円筒の横に開いた小さな穴に、杖の先端を差し込んだ。呪文を唱える。すると、断続的な発火音が装置から聞こえた。しかし、発火音はすぐに爆発音へと取って代わった。装置の中で気化した油と、火の魔法が出会ったらしい。

 円筒の上にくっついたクランクが動き出した。油が爆発する際に生まれた力で、ピストンが激しく上下する。

 ピストンに伴って、クランクに接続された車輪が回転を始めた。回転した車輪は、箱についた扉を開く。するとギアを介して、ぴょこっ、ぴょこっ、と中から蛇の人形が顔を出した。

 才人は興奮した様子で、その装置に見入った。

「ほら! 見てごらんなさい! この金属の円筒の中では、気化した油が爆発する力で上下にピストンが動いておる! 動力はクランクに伝わり車輪を回す! ほら! するとヘビくんが! 顔を出してぴょこぴょこご挨拶! 面白いですぞ!」

 生徒達は、ぼけっ、と反応薄げにその様子を見守った。装置が動く姿を熱心に見つめるのは、才人ひとりだけだ。

 誰かが、とぼけた声で感想を述べた。

「……で? それがどうしたっていうんですか?」

 コルベールは自慢の発明品が、ほとんど無視されているので悲しくなった。だがすぐに、いつの世も先駆者は奇異の眼差しで見られるものだと自分を慰めた。おほん、と咳をして、説明を続ける。

「えー、いまは愉快なヘビくんが顔を出すだけですが、たとえばこの装置を荷車に乗せて車輪を回転させる。すると、馬がいなくても荷車は動くのですぞ! たとえば海に浮かんだ船の脇に大きな水車を付けて、この装置を使って回す! すると帆がいりませんぞ!」

「そんなの、まほうで動かせばいいじゃないですか。なにもそんな妙ちきりんな装置を使わなくても……」

 生徒の一人がそういうと、ほかのみなもそうだそうだと頷きあった。

 コルベールはくじけずに声を張り上げる。

「諸君! よく見なさい! もっともっと改良すれば、なんとこの装置は魔法がなくても動かすことが可能になるのですぞ! ほれ、いまはこのように点火を“火”の魔法に頼っておるが、たとえば火打石を利用して、断続的に点火できる方法が見つかれば……」

 コルベールは興奮した調子でまくしたてた。しかし、生徒達は、いったいそれがどうしたというのか? と、言わんばかりの表情であった。コルベールの発明に感心しているのは、教室中見回しても、才人だけであった。

「先生! それ、素晴らしいですよ! それは“エンジン”です!」

 才人は思わず立ち上がって、喝采した。教室中の視線が、いっせいに注がれる。

「えんじん?」

 コルベールはきょとんとして、才人を見つめた。聞いたことのない言葉だった。

「そうです。俺達の世界じゃ、それを使って、さっき先生が言った通りのことをしてるんです」

「なんと! やはり、気づく人は気づいておるな!」

 コルベールは才人が異世界からやって来た人間だという事実を改めて思い出した。自分の作った発明品が、彼の故郷ではすでに実用段階にいたっているとは驚きだ。そういえば彼らの世界には、魔法という力は存在せず、代わりに科学文明を発達させたのだったか。

 コルベールは、もっと才人の話を聞きたいと思った。しかし、いまは授業の真っ最中だ。時間も限られている。彼は輝く眼差しで、才人を見つめた。

「きみ、あとで時間があれば、詳しい話を聞かせてくれないか?」










永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:57「……わたし達の力は、ご理解いただけましたか?」










「エンジンについて聞かせてほしい?」

 コルベールを連れた才人の言葉に、柳也は思わず目を丸くした。

 一日の授業が終わって、これから楽しい楽しい鍛錬という時間のことだ。

 いつものように稽古の準備をしながらヴェストリ広場で愛弟子達を待っていると、先にやって来たのは才人だった。しかし、彼はひとりではなかった。才人は後ろにコルベール教員を引き連れていた。彼は小脇に、自身の研究ノートを抱え持っていた。

 才人は柳也に今日の授業のことを話した。ミスタ・コルベール入魂の発明品、飛び出すヘビくん。その機能と構造を聞かされた柳也は、先の授業における才人と同様、興奮した。「是非、現物を見せてほしい」と言う彼に、しかしコルベール教員は悲しげにかぶりを振った。彼は自らの両手で顔を覆うと、

「飛び出すヘビくんは、私の手の届かない遠い世界へと旅立ちました……」

「どういうことだってばよ?」

「ええと、その後授業でルイズが魔法を使うことになって、それが例によって失敗して、そのう……」

「ミスタ・コルベールの発明品は粉微塵に砕け散りました」

 話の途中でやって来たギーシュが、気の毒そうな視線をコルベールに注いだ。魔法学院随一の“火”の使い手が生み出した発明品には関心のない彼も、その末路には同情を禁じえなかった。

 場の空気は一瞬にしてどんよりとしたものになった。

 才人は気を取り直して、話を続けた。

「それで授業中に、俺達の世界のエンジンの話になったんです。先生の作った装置は、まさに俺達の世界にあるレシプロ・エンジンそのものでしたから」

 才人の口から飛び出したエンジンという初めて聞く単語に、コルベールは当然、反応した。彼は柳也達の世界にも自分の作った装置と似た機械があることを知り、俄然、それに興味を抱いた。 

「それで、俺達の世界のエンジンについて教えることになったんですけど……」

「けど?」

「いやですね、先生の頼みを承諾してから気づいたんですけど、俺、誰かに説明出来るほど、エンジンって物について詳しくは知らないよなあ、って」

 柳也は呆れた眼差しを愛弟子に注いだ。

「それで、俺に話を振るのかい」

「いや、柳也さんって、軍オタでしょう? 戦車の動力系とか、詳しそうじゃないっすか」

「そりゃまあ、通り一遍の知識は持っているが……。とはいえ、俺だってエンジニアとは違うんだ。あまり、専門的な知識は持っていない。それに、一口にエンジンとはいうが、色々と種類がある。知らないタイプについては、語って聞かせるだけの知識を持っていませんよ?」

 最後の方は、口調を改め、才人ではなくコルベール教員を見て言った。

 ミスタ・コルベールは「構いません」と、応じた。

「知っている限りのことを、教えてください」

 柳也は自分を見つめるコルベールの目をじっと見つめた。彼の瞳は、きらきら、と輝いていた。そこには未知の技術に対する純粋な好奇心と知識欲しかなかった。異世界の技術を自らの栄達のために利用しよう、などの目論見は、まったく感じられない。

 不意に、柳也は鏡を見ているかのような感覚に襲われた。コルベールの目の輝きは、戦車や戦闘機などを前にしたときの自分のそれとよく似ていた。柳也には、エンジンのことを知りたがる彼の気持ちが、よく理解出来た。

「……しょうがないなあ、もう」

 柳也は盛大に溜め息をついた。今日の稽古は中止だな、と胸の内でひっそりと苦い呟きをこぼす。稽古具をしまっているテントの中から椅子を取り出して、コルベールに勧めた。

 コルベールは「ありがとうございます」と、礼を述べて、椅子に腰かけた。









 才人とギーシュ、そしてミスタ・コルベールの三人は、椅子に座る柳也を取り囲むように自分達の椅子を置いた。

 話を聞く構えが整ったことを認めると、柳也はゆっくりと口を開いた。

「エンジンというのは、シンプルな言い方をすれば動力を生み出す機関の総称です。総称、という表現からも察せられるように、色々と種類があります。

 俺達の世界で初めてエンジンと呼べる機械を作り出したのは、アレクサンドリアのヘロンと言われています。アレクサンドリアというのは、古い地名とでも思ってください。俺や才人君が生きた時代よりも二〇〇〇年近く昔の人物です」

 紀元一世紀は五〇年の頃といわれる。

 ヘロンは今日、おそらくは世界で初めて蒸気機関を作った人間と目されている。彼の数ある発明品の中でも、特に有名なのがアイオロスの球と呼ばれる装置だった。蒸気の力で金属の球を回転させる、洒落た玩具として当時もてはやされた。

「金属の球と、その両側から一本ずつ突き出した二本の管とでできた装置です。管の先端はくの時に曲がっていて、さらに球は中が空洞になっています」

「ふむふむ」

「さてこの金属球に水を入れて火にかけると、やがてはどうなるでしょう?」

「球の中の水はやがて煮立ち、蒸気へと変わる……。ああ、なるほど」

 ミスタ・コルベールは得心した様子で頷いた。さすがは独力でエンジンの開発にこぎ着けた男。理解が速い。柳也の顔に、笑みが浮かんだ。

「そういうことです。水は蒸発すると、体積がおよそ一七〇〇倍にもなる。急激に体積を増した蒸気は狭い球の中ではとどまりきらず、やがて二本の管から噴き出し、その力で球は回転し始める仕組みです」

「なるほど!」

 ミスタ・コルベールは手を叩いた。彼の頭の中ではいま、想像のアイオロスの球が激しく回転していた。

「ヘロンの蒸気機関は、最初期のエンジンだけあってその力は微弱でした。それに、ヘロンが生きた当時のギリシア世界は、蒸気機関のようなものを必要としていませんでした」

 古代ギリシア人達は当時すでに、蒸気機関よりも優れた“機械”を持っていた。安い金で買うことが出来、どんな過酷な労働でもさせることが出来る、奴隷という“生きた機械”だ。

「蒸気機関が実用的な発動機に仕上がるためには、まだいくつもの改良と強化が必要でした。しかし、当時のギリシア世界は、その改良を必要としなかったのです」

 柳也の話を聞きながら、コルベールはとびだすヘビくんを見せたときの生徒達の反応を思い出した。とびだすヘビくんも、彼が授業中口にしたような使い方をするには、まだいくつもの改良と強化が必要だ。しかし生徒達は、自分達には魔法があるじゃないか、とその必要性をまったく認めなかった。

「俺達の世界でエンジンの開発が本格的に始まったのは、ヘロンの時代からゆうに一五〇〇年以上も後のことです。最初に実用化されたのは、やはり蒸気機関でした」

 一七世紀も後半の一六七九年、蒸気機関は再び発明された。そして今回の発明は、一軒の家の台所からすべてが始まった。

「フランス人のドニ・パパンは最初、蒸気機関を作るつもりはまったくありませんでした。彼が作ろうとしたのは、圧力鍋です」

「圧力鍋?」

 初めて聞く単語に、コルベールは鼻息荒く訊き返した。

 手元のノートに、素早くメモをする。

「蓋に特別な加工を施すことで、鍋の中を密封出来る調理道具です。こいつを使うと、調理時間を大幅に短縮できる上に、普通に作るより味も良くなります。俺も地球じゃ、たいそう世話になった便利グッズです」

 先にも述べた通り、水は蒸発すると体積がおよそ一七〇〇倍にも増大する。たとえば一リットルの水すべてを沸騰させたとすると、生じる蒸気は一七〇〇リットルにもなる計算だ。これを、密封した鍋の中で行うとどうなるか。内部で発生した蒸気はどんどん窮屈になっていき、やがては鍋全体を内側からぐいぐい押しつけるようになる。圧力鍋の名称は、こうした内部からの圧力が増大していくことから付けられた。

「一見、便利そうな圧力鍋ですが、誕生して間もないこの頃はかなり危険な調理器具でした。当時の技術では鍋の密封が上手くいかず、内側からの圧力に耐え切れなくなった蓋が吹っ飛んでしまう事故が多発したんです。良くて料理が台無し、下手すりゃ命に関わる大怪我に繋がりかねない事故ですよ。パパンの鍋は、当然ヒットしませんでした。

 そこでパパンは考え方を改めました。鍋を吹っ飛ばすほどの蒸気のパワー。こいつを他に有効活用出来ないか、と」

「そして作ったのが蒸気機関、というわけですな?」

 コルベールの問いに柳也は頷いた。

 パパンは蓋に小さな穴をあけた新しい鍋を作った。穴の部分にはピストンを入れた管を繋ぎ、鍋を火にかけた。中の水はやがて沸騰して蒸気を生み、蒸気は管の中のピストンをぐんぐん押し上げていった。

「パパンの実験は成功しました。再び発明された蒸気機関は、その後様々な人物の手によって改良を加えられ、徐々に実用的なエンジンへと仕上がっていきました。最初に実用モデルを完成させたのはイギリスのニューコメンで、彼の作った蒸気機関は、ポンプに繋げられて活躍しました」

 ニューコメンが蒸気機関の実用化に成功した一八世紀初頭のイギリスでは、無煙炭の需要が高まっていた。無煙炭は地中の深い場所に埋まっており、これを掘り出すためにはまず深い竪坑を掘ることから始めなければならなかった。しかし、その坑道からは水がよくしみ出し、炭鉱労働者達にとっては不快なだけでなく、ときには命を落とすほどの重大な事故の引き金となる厄介な存在だった。そこで水を汲み上げる大型ポンプの出番となったが、こいつを動かすためには何頭もの馬を用意せねばならなかった。

「馬だって生き物です。腹が減っていては満足に働けないし、体調だって悪い日もある。その力と持久力には限界があった。そこで、ニューコメンの蒸気機関がエンジンに使われることになりました。蒸気機関なら、馬と違って餌はいらないし、休憩も必要ない。燃料と水さえあれば一日中水を汲み続けることが出来ます」

 蒸気機関を使ったポンプはたいへんな人気を博した。ニューコメンの蒸気機関は、その後六十年以上にもわたって、イギリスの炭鉱の水を汲み上げ続けた。

 ミスタ・コルベールは今朝の授業にて、自らの発明品がいずれは荷車や船を動かす原動力となるだろう、との見解を述べた。しかし、エンジンをポンプに繋げるという発想はなかったらしく、彼は柳也の話を聞いて何度も感得の溜め息をこぼした。

「蒸気機関はその以降もさらなる改良を重ねられ、やがては大型の船舶を動かすまでに強化されました……。ところで、俺がここまで説明した蒸気機関は、現在では外燃機関という大きな括りに分類されています」

「外燃機関?」

「大雑把に言えば、機関部の外に熱源を持つエンジン方式です。さっきのパパンの例でいくと、水の入った鍋の外に、火はあったでしょう?」

「なるほど。……むむむ? それでいくと私のとびだすヘビくんは、外燃機関とは違いますね」

 コルベールの発明品は気化した油で満ちた円筒の中に直接火を送り込んだ。これは柳也の言う外燃機関とは違う方式に思えた。

 柳也は、まさしくその通りだ、と応じた。

「ミスタ・コルベールの発明品は、俺達の世界の分類法で言えば、内燃機関という括りにカテゴライズ出来ます」

「内燃……なるほど。こちらは熱源が機関部の中にあるわけですな?」

「その通り! この二つの方式には、それぞれに利点があります。内燃機関を採用することで得られる最大のメリットは、装置をコンパクトに仕上げられることです」

 外燃機関は熱源が外部にあるため、装置全体の小型化・軽量化が難しい。対照的に、熱源を機関部内に収めている内燃機関は、小型化・軽量化が容易で、パワーウェイトレシオを小さく出来る利点があった。そのため輸送機械の分野では、大型船舶を除いては内燃機関が主流となった。他方、外燃機関は、サイズをあまり気にしなくてよい発電所などで使われるようになった。

 柳也はスチーム・エンジン以外の外燃機関については一旦脇に置き、話題を初期の内燃機関の開発史へとシフトさせた。

「内燃機関も、外燃機関と同じで誕生自体は早かった。アイオロスの球ほどありませんが、ペルシアのアル・ジャザリーは八〇〇年も昔に、内燃機関の基礎理論を完成させています。ただ、当時の科学技術では、耐久性に優れる機関部を作ることが出来ませんでした」

 続いて内燃機関の製作に情熱を燃やしたのはあのレオナルド・ダ・ヴィンチだった。ルネサンス時代のイタリアに生を受けたこの偉大なる天才は、一つの大きな夢を抱いていた。すなわち、空を飛ぶための機械を作る、という夢だ。レオナルドが描いた飛行機械のデッサンや設計図は、今日も数百枚以上が残っている。

 レオナルドは長年の研究の中で、空飛ぶ機械を動かすには人間の筋力だけでは不十分だ、との結論を得た。そこで彼は、よりハイ・パワーな動力機関の開発を目指した。その一つが、火薬の力を使った燃焼機関だった。もっともこれは、彼の発明品の多くがそうであったように、設計図止まりで終わった。

 初めて実用的な内燃機関が生まれたのは、アル・ジャザリーから六〇〇年後、レオナルドの時代からはおよそ三〇〇年後のことだった。

 スイスの発明家フランソワ・イザック・ド・リヴァは、水素と酸素の混合物を動力に最初の実用モデルを作った。彼はこれを木製の自動車に載せたが、これは商業的に成功せず、普及はしなかった。

「自動車とは?」

「機械の力だけで動く車のことです。馬車では馬が、牛車では牛が動力となり、車輪という機械を動かします。しかし自動車では、エンジンという機械が動力を生み、車輪という機械を動かすのです」

「それは、まさしく……」

「そうです。今日の授業で先生が言っていた、馬のいらない荷車です」

 柳也の言に絶句したコルベールに、才人が微笑み言った。

 柳也も微笑を浮かべつつ頷きながら、

「リヴァの自動車は残念ながら普及しませんでした。けれど、およそ八〇年後に生まれた四サイクル式ガソリン・エンジンは画期的でした。ガソリンという特別な油が爆発するときの力で駆動するこのエンジンは、ピストン室で燃料を効率よく燃やすことが出来、リヴァの内燃機関よりも数段ハイ・パワーで実用的な装置でした」

 ドイツ人のニコラウス・オットーが発明したこの四サイクル・ガソリン駆動エンジンを自動車に載せようと最初に試みたのが、後にメルセデス・ベンツを創設するカール・ベンツだった。彼は一八八八年に世界初の三輪自動車ベンツ・パテント・モトール・バーゲンを売り出した。また同じ頃、ドイツにはもう一人の先駆者がいた。ゴットリープ・ダイムラーは相棒のヴィルヘルム・マイバッハとともに、世界初の四輪自動車ダイムラー・モトールキャリッジを世に送り出した。ダイムラーの死後、彼の自動車会社はベンツの会社と合併し、世に名高いダイムラー・ベンツ社が生まれた。

「自動車は、俺達の世界の歴史を変えた発明品の一つです。ベンツの三輪車から僅か二十年後、アメリカという国で生まれたT型フォードは、大量生産により単価を安く抑え、自動車の大衆化を一気に進めました」

 これが後に、第二次世界大戦でアメリカを勝利へと導いた原動力の一つとなった。ヒトラーのドイツ軍がポーランドに侵攻した一九三九年の時点で、アメリカではすでに一家に一台自動車があるのが当たり前の世の中だった。戦線へと赴いた若者達の多くは、軍隊の門を叩いた時点ですでに機械慣れしていた。彼らは戦車や飛行機といった兵器の扱いをすぐに習得し、また戦場で相棒のジープが壊れても、簡単な故障ならばその場で修理することが出来た。移民の国であるアメリカにはマニュアルの文化があり、これも彼らの習熟を助けた。ちなみにT型フォードは、全世界で一五〇〇万台を売り上げたという。

「……二つ、質問してよろしいですか?」

 自動車の基本的な仕組みをメモしながら、コルベールが訊ねた。

 柳也が頷くのを認めると、彼は丸縁眼鏡の奥の瞳を爛々と輝かせながら言った。

「先ほど口にされたガソリンとは、どんな油なのです? 聞けばその油を燃料としたことが、オットーのエンジンが成功した要因のようですが……。それから、オットーのエンジンはどうやって内部のガソリンに火を点けたのです? あなた達の世界には、“火”の魔法はないのでしょう?」

「……先に二つ目の質問から答えましょうか」

 柳也はテントから一本の木の棒を取り出すと、地面に突きたてた。土のカンパスに、四サイクル式のガソリン・エンジンの簡単な内部図解を描いていく。絵画はこの男の得意分野だ。燃焼室。クランク・シャフト。吸気弁。排気弁……。ものの十数秒で、自動車のエンジンが描かれた。

 地面に描かれた絵図を、コルベールは食い入るように見つめた。素早くノートにスケッチする。しかしペンを忙しなく動かしながらも、その耳は柳也の言の葉を一言一句聞き逃すまいと研ぎ澄まされていた。

 柳也は木の棒で絵図のある一点を示した。吸気弁と排気弁の間に挟まれた突起物だ。

「スパーク・プラグという装置です。電気放電によって、燃料に点火します」

「電気?」

「簡単に言うと、雷の力ですよ」

 雷の力、という表現はコルベールにも分かりやすかったようだ。雷は熱を持ち、樹木に落ちれば火花を散らして火事を起こす。

「俺達の世界では、雷を人工的に発生させる装置が発明されているんです。電気には色々な性質があります。自然に起こる落雷は、俺達人間にとって危険極まりない天災ですが、制御された雷の力は、人間の暮らしを豊かなものに変えました。……以前、才人君がノートパソコンという機械を見せたことがあったでしょう? あれも、実は電気の力で動いていたんです」

「なるほど……。その、電気というのも興味深い話ですなあ」

 うっとりと呟いたコルベールの言に、柳也は思わず苦笑した。知識欲旺盛な研究者らしい発言だった。

「次にガソリンについてですが……これは石油という、これまた特別な油から余分な物質を取り除いて精製した油です」

「石油?」

「地下の深いところに埋まっている油です。炭化水素……って言っても、分からんよなあ」

 柳也は眉間に深い縦皺を寄せて困惑した。言葉を言葉で説明することほど難しい行為はない。相手が異世界は魔法文明の中で生まれ育った人間では、尚更だった。

「……一般的には動植物の死骸が何百万年もの時間をかけてゆっくり変化していったもの、という説が有力です」

「有力? 確定ではないのですか?」

「ううん、まあ……。なんといっても、時間の経過によって動物の死骸がどう変化していくかを何百万年にもわたって観察し続けた奴がいないですから、ねえ……」

 柳也は諧謔めいた口調で呟き、肩をすくめた。

「ガソリンの説明に戻りますと、こいつは物凄く揮発性の高い油なんです。色々と種類がありますが、総じて沸点が低く、ちょっと加温してやればすぐに気化します。付け加えれば、とんでもなく燃えやすい性質 なので、扱いには細心の注意が必要です。

 ガソリンでエンジンを動かすことのメリットはいくつかあります。たとえばガソリン・エンジンは、排気量あたりの出力……つまり、サイズのわりに大きなパワーを望むことが出来ます。俺達の世界ではこの特性を活かして自動車以外の乗り物……たとえば初期の飛行機なんかにも搭載されました」

 ライト兄弟の偉業は、ガソリン・エンジンなくしてはあり得なかった。小さいながらも大きなパワーを発揮するガソリン・エンジンは、機体重量をなるべく軽くしたい飛行機のパワーソースにうってつけの発明品だった。

「飛行機とは?」

「文字通り人が空を飛ぶために作った機械ですよ。こっちの世界の飛行船とは、かなり違ったフォルムをしていますが」

 こんなのとか、こんなのとか。

 呟きながら、柳也は木の棒でいくつかの飛行機を簡単に描いてみせた。最初期の複葉機。第二次大戦時代の単葉機。冷戦時代に作られた、魅力あふれる機体の数々……。描いているうちに、だんだんと楽しくなってくる。

 地面に次々描かれていく異世界の機械に、コルベールは憧憬の眼差しを注いだ。いやコルベールばかりか、隣に座るギーシュまでもが興味深そうに柳也の画を眺めていた。彼らの世界にはこんな機械があるのか。こんな細い機体が、大空を舞うというのか。

 いったいどんな仕組みなのだろう。

 続くコルベールの言葉に対して、柳也はこころなしか弾んだ声音で答えた。

「空に浮くための力と、進みたい方向に進むための力は別物なんです。推力はエンジンが生み出し、揚力は翼が生んでいる。シンプルに言えば、エンジンのパワーが大きければ大きいほど、速度が出る。翼が大きければ大きいほど、飛ぶための力が得られます」

「なるほど……。おや? しかし、それでは矛盾しませんか? エンジンのパワーを大きくするいちばん簡単な方法は、装置の大型化です。しかし、そうすれば当然、エンジンは重くなってしまいます。同様に、翼も大きくすればその分だけ、機体の重量が……。しかし、それでは高速も、そもそも浮くことさえ……」

「その通りです、ミスタ・コルベール。だからこそ、飛行機の設計者達は日夜技術の開発に努めるのですよ。より軽量で、それでいてハイ・パワーなエンジンを。より大きな翼を持ちながら、軽く、しかも高速時の荷重に耐えられる十分な強度を持つ機体を、ね」

 柳也は、饒舌に答えた。ミリタリー・オタクの彼だ。自分の得意分野について話すとき、この種の人間は俄然、活き活きとし出す。調子に乗った柳也はそれから、コルベールが望んでもいなのに、エンジンの話そっちのけで飛行機の仕組みや、その発達の歴史……すなわち故郷の世界の戦史を語って聞かせた。

 “炎蛇”のふたつ名を持つ科学の探究者は、話が本題から脱線していることに気づきながらも、彼の言葉に耳を傾けた。たしかにエンジンの話からは少しばかり脇道にそれている。しかし、この世界には存在しない、異世界の機械にまつわる物語だ。関心を抱かないはずがなかった。

 このとき、柳也は自分の発言が、この世界にどんな影響を及ぼすか、まったく想像していなかった。

 久しぶりにミリタリー・オタクとしての自分をさらけ出す彼は、楽しさと解放感から、自分の持つ知識がこの世界の人間にとって禁断の果実であることを忘れていた。

 プロメテウスの火は、使い方一つで人を豊かにも、不幸にもする。

 いまの彼は、自分や才人が、ギリシアの神にも等しいイレギュラーな存在であることを、忘れていた。









「……あえて声を大にして言おう! ……暇だ。暇すぎる!」

 昼。

 新生アルビオンの帝都ロンデニウムにある、ジャン・ジャック・ワルドの屋敷。

 友人から貸し与えられた寝室のベッドで寝転がる赤毛のウィリアム・ターナーは、甘いマスクを渋面で彩り暇を持て余していた。

 本拠地の惑星ベゴヴェから援軍を呼び寄せたあの日から、すでに三日が経過している。空間や時間の連続性を無視して異世界同士を繋げる神剣魔法の使用は、第五位の神剣士の彼をして、三日三晩寝込んでしまうほどの消耗をしいていた。あの晩、疲弊から人事不省に陥った彼がようやく目覚めたのは今朝のことだ。

 意識を取り戻した後も、五体には思うように力が入らず、以来、ウィリアムはずっとベッドに縛りつけられていた。

 異界からやって来た男の体は、本を読むことさえ困難なほどに疲弊していた。そのくせ、三日三晩昏々と眠り続けたせいで、意識は横になっていてもはっきりしているから困る。

「暇だ。退屈だ。いっそ寝てしまおうにも、目が冴えてしまって眠れん!」

「……相当、辛そうだな?」

 天蓋付きのベッドのかたわらで椅子に腰かけ本を読むワルドが、呆れたように呟いた。

 ウィリアムは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべると、天蓋を睨んで応じる。

「ああ、辛い。人生で最も辛いものは、痛みではなく退屈だよ」

「チェスでもするか? 駒は俺が動かすが?」

「悪いけどパス。こっちのチェスのルールを知らない」

「楽団でも呼ぶか? 幸いにして、それぐらいの禄は貰っているが」

「それもパス。……っていうか、お前さんが汗水たらして得た稼ぎだろうが。そのカネは、お前さん自身のために使えや」

 そのとき、寝室のドアが三度外から叩かれた。プライベート・ノック。ウィリアムが「どうぞ」と、声をかけると、粛、とドアが開いた。

「失礼します」

 礼儀正しく一礼して入室したのは、一見、まだ年端もいかない小柄で華奢な印象の少女だった。菖蒲の花弁をそのまま溶かし込んだかのような青く長い髪を、頭の両サイドで少しアップ気味に結って垂らしている。背では、身の丈ほどもある長大な鉈が一振、抜き身のまま背負われている。灰色を基調とした制服は幼い少女が部屋着とするには武骨に過ぎ、彼女の可憐さを曇らせていた。

 マーイヤ・ブルーミニオン。三日前、ウィリアムが人事不省に陥りながらもなんとかこの世界に召喚したミニオンの一人だ。一見した限り、誰よりも年若い彼女が、一二人のミニオン達のリーダー格にあることは、すでにワルドも聞き及んでいた。

 マーイヤの手には椀を載せた盆があった。

 神剣士達の嗅覚を刺激する、美味そうな匂い。はて、いったい何の食べ物かと小首を傾げるワルドとは対照的に、地球出身のウィリアムは、椀の中身の正体に、すぐ気がついた。病人食の定番、塩粥だ。胃に優しく、生体には不可欠な塩分も摂れる逸品だ。

「おとっつぁん、お粥が出来ましたよ」

 マーイヤは病床のウィリアムの顔を見ると、愛らしい唇に微笑みをたたえて言った。

 直接の上司たる大隊長はにっこり笑うと、ワルドの介助を受けながら上体を起こして言う。

「いつもすまないね。俺がこんな体でさえなければ……」

「おとっつぁん、それは言わない約束でしょう?」

「……なんだ、この茶番は……?」

 ウィリアムの上体を支えながら、ワルドが怪訝な表情を浮かべて呟いた。

 「茶番とは酷い」と、唇を尖らせてウィリアムは言う。

「俺の出身世界における、定番コントの一つだよ。……まあ、三十年以上昔のテレビ番組が元ネタだから、最近じゃ若い世代には伝わらないことも多いが」

「先日、タハ乱暴が大学生のアルバイトさんに言ったところ、不審者を見る目つきで見られたんですよね?」

 あれは辛かったなあ。

 さておき、粥を食べるために上体を起こしたウィリアムは、盆を膝の上に載せるとレンゲを手に取った。一口掬って、白飯を頬張る。ほんのりと塩味がアクセントを効かせている白米をゆっくり咀嚼して、彼は「美味い!」と、微笑んだ。

「腕を上げたな、マーイヤ」

「ありがとうございます。昆布は?」

「いただこう。……ああ、そういえば」

 ウィリアムはレンゲを口に運ぶ手を一旦休め、マーイヤとワルドの顔を交互に見た。

「さっきから気になっていたんだが……」

「うん?」

「屋敷から感じられる神剣の数、三つばかり足りないが、どうしたんだ?」

 自分とワルド、そしてマーイヤら一二人のミニオン達。総勢一四名の神剣士が暮らしているはずの屋敷からは、自身が契約している〈金剛〉を含めて一一振分しか神剣の気配が感じられなかった。足りない気配は、緑が一つに、黒が二つ。

 買い物にでも行っているのか? そう訊ねるウィリアムに、ワルドはかぶりを振って応じた。

「例の威力偵察だ。下準備のために、動いてもらっている」









 夕刻。

 トリステイン魔法学院と王都トリスタニアとを結ぶ街道をはずれて西へと向かったその先に、その城はあった。

 ルネサンス時代のバロック建築を思わせる宮殿だ。王都にそびえたつ王城と比べても、遜色ない広大な敷地を抱えている。城壁の腕が抱く前庭はサッカースタジアムほどもあり、瑞々しい芝生は黄昏時の日差しを受けて、きらきら、と照り輝いていた。前庭には他に、目を休ませる目的で植えられた樹木が点在し、色とりどりの花を咲かせている。十数種が植えられているが、全体としてはコブシやスモモなど春に白い花を咲かせる品種が多い。

 “波濤のモット”のふたつ名を取る水メイジ、ジュール・ド・モット伯爵の邸宅だった。伯爵位ながらトリステイン有数の財を抱え持つ貴族だ。自身に特別際立った業績はないが、亡父より爵位とともに受け継いだ所領の収入は年間一五〇万エキューにも達し、あり余る財貨を投じて築いた屋敷は大きく、庭もまた立派な造りをしていた。前庭をデザインしたのは、年間六〇〇エキューの高給でゲルマニアから連れてきた庭師で、植えられている樹木は彼の嗜好によった。

「……美しいな」

 周囲の景観を見回して陶然と呟いたのは、天を衝かんばかりの長身の女だった。

 一九〇センチはくだらぬだろう身の丈。並の男とは比べ物にならない筋骨隆々とした逞しい体躯。墨を溶かしたかのような長い黒髪はシャープなラインを描く腰まで届き、やや釣り上がった大振りの瞳もまたトリステインでは珍しい黒をたたえている。前庭の中心に立ち、可憐に咲く花々に慈しみの眼差しを注いでいた。顔立ちから察するに、齢は二十半ばほどか。

 身に纏う衣服は、前をファスナーでとじるタイプのワンピースだ。灰色を基調とした武骨なデザインは軍服を連想させるが、女の巨躯にはかえってそれがよく似合っている。

 女の身は灰色の制服以外にも、要所々々が金属製のプロテクターで覆われていた。指先から肘までを覆う手甲。膝関節の動きを阻害しないよう綿密に計算された脛当て。制服を引き裂かんばかりに胸元の生地を押し上げる豊かな乳房をガードする胴鎧は、胸と背中のみを覆う簡素な造りをしている。どの部位の装甲も葡萄色で彩られており、灰色の服と同様、制服じみた印象を見る者に与えた。

 女を形作る容姿の中でも特に目を引くのは、背中に背負った鞘ぐるみの大太刀だった。刀身だけで三尺と八寸はあろう、長大な大刀だ。本来は騎馬武者が馬上にて振り回すような代物である。もし、これを背中に背負ったまま抜き放つのだとすれば、尋常な膂力の持ち主ではない。

 彼女の趣味なのか、蝋色の鞘には瀟洒な花の彫金が施されていた。椿の彫金だ。

 黒髪の女は目にとまったコブシの木に歩み寄ると、手近な枝の一本を人差し指と中指で手挟み、顔に寄せた。花の香りに酔いながら、うっとりと微笑する。

「いつの世もどんな世界においても花は美しい。……だが、惜しいな。この庭園には、わたしの好きな花がない。わたしの好きな、赤い、椿の花が」

 この屋敷の庭師は、冬に最盛を迎える花にはあまり関心がなかったのか。前庭には椿を含む冬の花の姿が一切見られなかった。それだけが残念でならない、と女は肩を落として悩ましげにかぶりを振った。

「……あなたが赤い花を好むのは、よく承知います」

 背後から、清流の如き涼やかな少女の声が、女の耳膜を撫でた。

 コブシの枝をつまんだまま、顔だけそちらへと向けてやる。

 楚々とした足取りでやって来たのは、女と同じ意匠の制服とプロテクターに身を包んだ少女だった。背丈は女よりだいぶ低く、ボディ・ラインも彼女に比べると女性らしい起伏に乏しい。それもそのはず、一見、目鼻立ちの整った少女の顔は、しかし、よく見ると所々まだあどけない幼さを残していた。歳は、過剰に見積もってもせいぜい一七、八といったところか。ストレートの黒髪は短く切り揃えられており、女を見つめる眼差しは、深い海の底のように暗い消炭色をたたえていた。

 腰には細い帯が巻かれている。左腰に差した鞘は、長髪の女が背負う大太刀ほど長大でなく、中身はせいぜい定寸刀と思われた。こちらは特に、装飾の類は施されていない。

「あなたが赤い花を好む理由も、よく承知しています。あなたにとって赤は特別な色、あなたの大好きな、血の色だから、でしたよね? ……この変態」

「野蛮な女と蔑んでくれるな。自分でも、異常な嗜好だとは思っているんだ」

 そう言いながらも、長髪の女は喜色の張り付いた笑みを浮かべた。

「そうさ。わたしは血が大好きだ。ミニオンとしてこの世に生を受けた瞬間から、血というものに惹かれた。血の色に。血の臭いに。血の味に。血という存在を形作るありとあらゆる要素に、心を奪われた」

 世の常識からは明らかにずれた、悍ましい言だった。

 己は異常嗜好の持ち主と、自ら評する女はうっとりと艶やかに微笑んで続ける。この場に男がいれば、発言の内容如何に関わらず相好を崩していたであろう、蠱惑的な笑みだった。

「特に、男の血はよい。中でも戦士と呼ばれる男の血は格別綺麗で、格別甘い味がする……。わたしは戦士の血を見るためならば、なんだってするよ」

「だから、この屋敷の警備兵全員、あんな惨い殺し方を?」

「ああ、そうだよ」

 大太刀の女は、レスポンス・タイムの素早く、満面の笑顔で頷いた。

 つい先刻まで花を愛でていた石炭色の眼差しが、好色な炎を灯して少女の背後へと注がれる。

 そこには、

 そこには――――――、




















 赤黒い、小さな池ほどもある大きな水溜まりの中で横たわる、幾人もの男の姿があった。

 すでに全員が事切れ、身体からは一切のぬくもりが消えてしまっている。揃いの兜と皮鎧、腰から吊るしたショートソードの鞘は、彼らが生前どんな役職にあったのかを示していた。この屋敷を守る、警備兵の一団だ。折しもいまは土くれのフーケの名前が、トリステインの貴族達を夜な夜な怯えさせているような時勢。いまだ捕らえられたという発表のない稀代の大怪盗に備えて、モット伯爵は実戦経験豊富な傭兵を何人も雇い、屋敷の警備にあたらせていた。

 死体の状態は、様々だった。袈裟がけに大刀を浴びせられた者。兜ごと脳天を叩き割られている者。刺突によって目玉をくりぬかれた者。四肢の腱をすべて斬られた上で首を撥ねられた者。

 胴を真っ二つに斬割された亡骸もある。死因はいずれも刀傷による失血死。みな例外なく凄絶に顔を歪めているのは、即死出来ずに苦悶の中で死んでいったためと思われた。

 各々の手が握るめいめいの武器は、彼らの生前最期の瞬間がどんな状況だったかを物語っている。男達はみな、戦いの中で息絶えたのだった。

 雲一つない快晴の空が柿色に染まり出した夕暮れ時。何の前触れもなく屋敷に押し入ってきた突然の襲撃者に対し、警備兵らは果敢に挑みかかった。しかし、奮闘もむなしく、彼らはみな見るも無残な死体へと変えられてしまった。

 かくの如き惨き死体をうっとりと眺めながら、大太刀の女は無邪気に笑う。

「苦労したぞ。殺すことはたやすいが、心臓が止まっては、それ以上血が流れ出してくれないからな。出血量が多くなるよう、斬る場所を考え、加減しながら剣を振るうのは大変だった」

 胸甲に覆われた胸を、自慢げに張った。

 どうだすごいだろう。わたしの手並みは大したものだろう。さあ、褒めろ。やれ、褒めろ。思う存分、褒めたたえろ……。ショート・ヘアの少女を見下ろす眼差しが、期待で、きらきら、と輝いた。

「……このド変態」

「ふふん。認めよう」

 なぜか得意気に笑う大太刀の女の様子に、ショート・ヘアの少女は深々と溜め息をついた。疲弊した溜め息だった。

「……ところで、パリスの方はどうだったんだ? 首尾は?」

 大太刀の女が、ショート・ヘアの少女に訊ねた。パリス、とは彼女の名前か。少女は紅い泉で溺れ死んだ男達を一瞥した後、淡々と答えた。

「上々です。キャメリアが警備兵の大半を庭の方に集めてくれたおかげで、屋敷内の制圧は容易でした。……ジュール・ド・モット伯爵、事前の調査通り、かなり好色な人物だったようです。使用人はみんな若い女性ばかりでしたから、なおのこと制圧は容易でしたよ」

「女ばかりか。つまらないな。女の血も良いは良いが……やはり、わたしは男の血の方が好きだ」

「誰も訊ねていないのにそういうことを言うのはやめてください。言葉の暴力です」

「活きの良い男はいなかったのか?」

「無視ですか。ああ、そうですか。……いましたよ。あなた好みの屈強な男が何人か。屋敷の中の警護を任されていた番兵でした」

「何人だ? 何人いた?」

 パリスからキャメリアと呼ばれた大太刀の女は、彼女の肩を揺すりながら問うた。表情を険しくするパリスだったが、六尺豊かな女丈夫の握力は、少しも緩まることがなかった。

「……あなたと違って、斬って捨てた男の数なんていちいち数えていませんよ」

 呆れた口調でパリスは、しかしとんでもない発言を口にした。平然と、当たり前のように、人殺しの事実を認めた。

 パリスは消炭色の目線をバロック調の宮殿へと向けた。

 キャメリアのように血に酔う趣味は、自分にはない。後の掃除が面倒だからと、邸内の人間はすべて、出血量が少なくなるよう急所だけを正確に狙って殺してやった。

 死臭の薄い邸内の様子を見たら、目の前の同僚はきっと文句を言うんだろうなあ。

 近い未来の出来事を想像して、パリスはまた溜め息をついた。









 およそ三十畳近くもある広々とした寝室だった。

 天井は高く、バルコニーへと通じる窓も開け放たれている。

 にも拘らず、室内には鉄の臭いが篭もっていた。

 絶えず血の臭いを発するものが、床に転がってた。

 薄手の、赤いドレスを着た若い、女の死体だった。

「……わたし達の力は、ご理解いただけましたか?」

 若い竹色の目線に射抜かれて、天蓋付きのベッドの上でジュール・ド・モット伯爵は胴震いした。

 焼き栗色の髪を短く刈った、中年の男だ。すでに今日の仕事は終えた後のようで、マントを脱ぎ、ゆったりとした着心地のガウンを羽織っている。この世界の貴族らしく、一七〇サントを超える長身は衣服の上からもそうと分かるほど肉付きよい。しかし、立派な口髭が特徴的な顔は血色悪く、怯えた表情が張り付いていた。僅かに開いた唇の隙間からは、何をそんなに寒がっているのか、カチカチ、カチカチ、と歯の打ち合う音が響いている。不安に揺れる視線は、寝台の前で横たわる愛妾の骸と、そのかたわらに立つ女の顔に交互に向けられていた。

 まだあどけない幼さが顔に残る、若い娘だった。二十歳に届くか、否か、といったところか。瞳と同じ若竹色の髪を腰まで伸ばし、後頭部のバレッタで纏めている。背丈は一六五センチほど。化粧っ気は薄いが、あらかじめ着衣に香を含ませているのか、淡い花の匂いが寝台に座るモット伯爵の方にまで届いた。

 灰色の衣服は、年若い少女の装いとしてはいささか野暮ったい印象だ。アメジスト色のプロテクターはなお武骨に過ぎ、さらに野暮天極まるは、彼女の両手が握る得物に由来した。

 少女の両手は、槍穂だけで二尺はあろう長大な大身槍の柄に添えられていた。柄丈は二メートル近くもあり、戦場で振り回すことを前提とした造り込みは、重ねをたっぷり厚く取っている。女としては長身の部類に入る彼女だが、同じ身長の男に比べれば肩幅は狭く、腕周りも細い。かくも華奢な体のどこにそんな膂力があるのか、中段に構えられた槍穂の切っ先は、モット伯爵の下顎へと向けられていた。

 槍穂の表面には、赤黒い滴が汗のように浮いている。

 まだぬくもりを宿した液体は、今宵の伽の相手を命じた愛妾の血に他ならなかった。

 

 

 正門をくぐって不審者が三人、屋敷の敷地内に侵入してきた。全員が若い女で、各々得物を持ってはいるが、杖を所持している様子はない。

 およそ四半刻前に警備隊長から斯様な報告を受けたモット伯爵は、思わず好色な笑みを浮かべた。

 トリステイン有数の富の持ち主として知られるこの男は、また、社交界では大の女好きとしても有名な人物だった。特に、親子ほども歳の離れた若い女を好む性癖があり、三人とも若い女と知った彼は、警備隊長に侵入者達の生け捕りを命じた。その後は身ぐるみを剥いだ上で自分の部屋へ連れてくるように、とも。主人の命令の意図を察した警備隊長は、自身もまたいやらしい笑みを浮かべて持ち場へと戻っていった。

 警備隊長の背中を見送ったモット伯爵は、寝室に篭もるとワインを呷って体を温めた。この後の甘いひと時を想像してまた歓呼の溜め息をつき、次いでワインを持ってきたメイドに、ドレスに着替えて再びこの部屋に来るよう命令した。

 メイドは、彼の愛妾だった。今年、数え年で一七になったばかりの、若い娘だ。一二のときに所領の農村から強引に買い取って以来、性に関することも含めて身の回りの世話をさせていた。伯爵には、こうした経緯で愛人とした娘が何人もいた。

 ――件の侵入者どもも、器量次第では私のハーレムに加えてやるとしよう。

 口元に淫蕩な笑みをたたえながら、モット伯爵は愛妾がやって来るのを待った。これからのお楽しみの時間を思うと、高鳴る胸を抑えられなかった。

 メイドが寝室を出ていってからおよそ十分後、寝室のドアがノックされた。

 愛妾か、警備隊長だろう。どちらにせよ、自分にとって喜ばしいものがやって来た、と疑わないモット伯爵は、板戸一枚隔てた向こう側に誰が立っているのか確認せぬまま、「入れ」と、応じた。

 「失礼します」と、聞き慣れない声が伯爵の耳朶を撫でた。

 おや? と、思う間もなくドアが開き、見知らぬ女が入室してきた。瑞々しい竹色の髪。宝石を嵌め込んだかのような碧眼。右手に槍を携え、左肩で薄手のドレスを着た女の骸を担いでいた。

 女の姿を見たモット伯爵は仰天した。彼女の担ぐ死体の顔に、見覚えがあったためだ。つい先ほど、ドレスに着替えてこの部屋に来るよう命令した、メイドの亡骸だった。

 女が、メイドの体を無造作に放り捨てる。愛妾の遺体は赤い絨毯の敷かれた床の上を転がり、寝台の前で仰向けになって倒れた。

 カッ、と両目を剥いた死に顔を晒す彼女と、視線が合ってしまい、モット伯爵は思わず顔をそむけた。

 彼は大身槍の女を睨むと、震える声で叫んだ。

「貴様……い、いったい、どうやってここまで……!?」

 目の前の女が例の侵入者の一人なのは明らかだった。自分好みの若い女で、大身槍という得物を携えている。警備隊長の口にした特徴と一致していた。おそらく、間違いないだろう。

 それにしても、いったいどのような手段を用いて、この警戒厳重な屋敷の中、自分の寝室までたどり着いたのか。警備兵らはいったい何をしていたのか。使用人達は……?

 内心の憤りを口調に載せて訊ねるモット伯爵に、大身槍の女は言う。

「……七二と、二六」

 女の口から飛び出した数字を聞いて、伯爵の顔が強張った。どちらも自分にとって馴染みのある数字。それぞれ、この屋敷を守る警備兵達と使用人の総数だった。

「まず謝罪いたします。土くれのフーケへの備えで、あなたが高いお金を支払って雇い入れた傭兵の皆さんには、全滅していただきました。ごめんなさい」

「……なに?」

 伯爵の口から、思わず呆けた声が飛び出した。

 七十人を超す傭兵達が、全滅? 不審者が屋敷の敷地内に足を踏み入れたとの報告を受けてから、まだ半刻も経っていないのに? それも、僅かに三人。メイジでもない女の手によってだと?

 ふざけるな! 嘘を申すでない!

 モット伯爵は声高に叫ぼうとしたが、それよりも早く、女が口を開いた。

「次いで謝罪いたします。やはりあなたが高いお金を出して買い取った愛人の皆さんを含む使用人の方々にも、全員死んでいただきました。ごめんなさい」

「ふざけおって!」

 モット伯爵はガウンのポケットに忍ばせておいたタクト状の杖を引き抜いた。

 寝台の上で仁王立ちすると、杖の先端を女に向ける。

「メイジでもない小娘三人が、七十人を超す傭兵を全滅させただと? 見え透いた嘘をつきおって。たとえ冗談でも貴族を騙そうとするなど不敬の極み! この私自らが成敗してくれる!」

「いえ。嘘ではありませんし、冗談でもないのですが……」

「黙れ!」

 親の七光りだけの男と揶揄されることもあるモット伯爵だが、なんといっても彼はメイジ。親の代より引き継いだ財力にも増して信を置くのは、やはり、己の身に付けた魔法の力だった。

 ルーンを唱え、杖を振る。

 タクトの先端から放出された魔力の作用で空気中の水分が集まり、ゴルフボールほどもある大きさの水滴をいくつも形作った。ウォーター・バレット。巨大な水滴を高速で撃ち出す、水系統の攻撃魔法だ。音速に迫る速さで射出された水の塊はまさに銃弾。肉は勿論のこと、骨をも砕く破壊力を持っている。

「あの世で自らの行いを悔いるがいい。この慮外者めがッ!」

 動揺の反動か、モット伯爵は自らを奮い立たせるように大声で吠えたてると、水滴の弾丸を発射した。亜音速の速さによる射撃。一間と離れていない女の身を銃弾が破壊するのに、そう時間はかからない……その、はずだった。

「アキュレイト・ブロック」

 水の弾丸が命中する直前、女の舌先が、言霊を紡いだ。

 大気の原始生命力にはたらきかける魔力を宿した、祝詞だった。

 女の持つ大身槍の槍穂が、燦然と光輝を放つ。

 女の足下に円形の魔法陣が浮かび、寝室の内を、一陣の強風が吹き抜けた。

 常人には知覚不可能な大地の力が女のもとへと集束する。

 次の瞬間、女の目の前に、若草色に輝く光の壁が出現した。

 空気を圧縮して固めた防御壁、アキュレイト・ブロックだ。

 重金属の領域まで密度を高めた空気は熱を発し、熱はまた光を発す。

 モット伯爵の放った水の弾丸は光の壁に触れた途端、運動エネルギーを失い、ことごとくが蒸発して消えていった。

 伯爵の顔に、愛妾の亡骸を突きつけられたとき以上の動揺が浮かぶ。

「ば、馬鹿な……!」

「わたしのアキュレイト・ブロックは、厚さ一メイルの鋼鉄にも匹敵する防御を有しています。ごめんなさい。あなたの力では、突き破ることは出来ませんよ」

「き、貴様……」

 モット伯爵は、わなわな、と身震いしながら寝台の上でへたり込んだ。どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 無理からぬことだった。メイジが最も頼みにする魔法の力が、目の前の女にはまるで通用しなかったのだ。伯爵の心の支柱は完全に折れてしまった。

 モット伯爵は顔面蒼白、驚嘆と怯えに揺れる眼差しを大身槍の女に叩きつけた。

 身だけではなく、声もまた震えている。

「貴様、その力は……? 貴様もメイジだったのか!?」

「いいえ。メイジではありませんよ」

 女はかぶりを振ると、大身槍を中段に構え持った。

 槍というよりは杭を思わせる巨大な槍穂の切っ先が、モット伯爵の下顎に向けられる。

「わたしも、わたしと一緒にこの屋敷を訪ねたあとの二人も、メイジではありません」

 女の言葉の意味が、理解出来なかった。

 ドラゴンやエルフといった人間とは異なる種族を別とすれば、メイジに対抗出来るのは同じメイジ、というのが、この世界を支配する理だ。しかるに、目の前の女は、どう眺めても自分と同じ人間にしか見えない。

 この世界の理の外に身を置く存在。いったい、目の前の女は何者なのか。

 女は、そこで一旦言葉を区切ると、言の葉に、明確な威圧の意図を載せて、ゆっくりと口を開いた。

「……わたし達の力は、ご理解いただけましたか?」

 若い竹色の目線に射抜かれて、天蓋付きのベッドの上でジュール・ド・モット伯爵は胴震いした。

 目の前の女が急に得体の知れない怪物に見えてしまい、震えが止まらなかった。

 未知なるものとの遭遇に怯えながら、彼は急速に乾きを覚え始めた喉を震わせ、必死に言葉を紡いだ。

「き、貴様らは何者だ? 誰に頼まれた!?」

 貴族社会では政争などは日常茶飯事。また、自分はよくカネにものを言わせて若い娘を調達している。恨まれる心当たりは数多い。伯爵は、目の前の女はそうした政敵や、女どもの家族達が送り込んだ刺客ではないかと推測した。

「誰に……と、訊ねられると、困ってしまいますね」

 大身槍をこちらに向けたまま、女は眉根を寄せた。彼女にとっては答えにくい質問だったのか。少しの間考え込み、やがて女はきっぱりとした口調で断じた。

「……たしかに、わたし達はあるお方からの命を受けて、いまこの場にいます。ですがその方は、あなたがいま、想像しているどの人物とも、違うと思いますよ」

「なに?」

「あなたは、わたし達があなたの政敵や、あなたが強引に買い取っていった女性達の家族に雇われた刺客だとお思いなのでしょう? どちらも違いますよ。

 ……まあ、あなたはトリステインの貴族ですから。広義の意味では、政敵と呼べなくもないかもしれませんが」

「そ、そんな縁遠い人間が、なぜ、私を襲う……!?」

「あなたが、わたし達の作戦の協力者として、いちばん都合の良い人間だったからですよ」

「作戦だと……?」

「ええ」

 槍を構えたまま女は首肯した。

「ウィリアム様……わたし達の上官はおっしゃりました。ある男の情報が欲しい。百聞は一見にしかず。百見は一触にしかず。その男と実際に会い、言葉を交わし、剣をぶつけ合うことでしか得られないデータが欲しい。そのための威力偵察作戦を、わたし達にやってもらいたい、と……」

 女はそこで一旦言葉を区切ると、深々と溜め息をついた。

 紫水晶の輝きをちりばめたプロテクター越しにも、たわわに実った二つの果実が上下に揺れるが分かった。

 普段のモット伯爵ならば鼻の下を伸ばしているところだが、槍穂を突きつけられている状況では、そんな僅かな動作でさえ、さらなる恐怖を喚起させた。

「ですがその一方で、わたし達の上官はこうもおっしゃっていました。……ただし、こちらからその男に直接アプローチをすることは許されない。“秩序の法皇”の思惑が判然としない現状、将来のことを考えると、我々の方から彼に積極的にはたらきかけるのは不味い。

 戦闘は、偶然起きたものでなければならない。彼の方からわたし達にはたらきかけ、彼の方から攻撃してきたために、わたし達も応戦せざるをえなかった。そういう、体裁を整えなければならない、と。そこで、わたし達は考えました。彼の方からわたし達にはたらきかけ、彼の方からわたし達に攻撃してくれる。そんな作戦を」

 その作戦には、あなたの協力が必要なんです。

 女はそう言って、可憐に微笑んだ。美しさから、かえって背筋が寒くなってしまう笑顔だった。

「ジュール・ド・モット伯爵、わたし達はあなたに、普段通りの生活を求めます」

「……なに?」

「普段通りに仕事をし、普段通りにお金で女の人を買っていただきます。ただし、買い取る女性は、こちらで指定させていただきます」

「まさか……」

 モット伯爵は表情を硬化させた。件の男の、近しい人間を自分に拘引せよというのか。そうすることでその男を、誘き出そうというのか。

 はたして伯爵の予想は的中する。

 恐るべき企みを頷き肯定してみせた女は、トドメとばかりに言い放った。

「協力していただけますね、ジュール・ド・モット伯爵?」

 愛妾を殺され、使用人達を殺され、傭兵達までもがみな殺された。

 その上で、自分の魔法が通用しない相手。いかに非道な計画と知っても、伯爵に断る術はなかった。




<あとがき>


 トリスタニア郊外の城を京屋敷と表記したのは、それ以外に適切な語句が思いつかなかったからです京都にある屋敷ではなく、王都(みやこ)にある屋敷という意味で書きました。また何か適切な語句が見つかったときには、そちらに変えたいと思います。

 さて、読者の皆様おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。今回もゼロ魔刃最新話を読んでいたたき、ありがとうございました。

 いやあ、毎度ながら今回の話も難産でした。新キャラ四人も投入とか、なんというマゾ・プレイ。友人からも、「お前はそんなに自分を苛めて楽しいか?」と、言われてしまいました。

 でも、まあ、そんな苦労の中で生まれただけに、愛着ありますキャメリア達。実はもう、限られた出番しかないということは決まっている連中ですが、可愛がっていただけると嬉しいです。あと、モット伯爵も(笑)。アニメオリジナルエピソードのみ登場の彼ですから、タハ乱暴の方でかなりキャラを作っています。もう、ほとんどオリキャラと言っていいぐらいに。

 さて次回は特撮ヒーロー大好きなタハ乱暴にとって、お馴染みの展開です。助けて、ライダー! 

 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




柳也の久々の講釈。
美姫 「今回は変態的な話じゃなくて軍というか、エンジン絡みの話ね」
だな。ちんぷんかんぷんになるかと思いきや、流石は独自にエンジンまでこぎつけただけあるな、コルベール。
美姫 「噛み砕いてちゃんと理解してたものね」
とは言え、ここで披露した知識が今後のコルベールの発明にどう変化を与えるかだな。
美姫 「どうなるのか楽しみね」
ああ。で、後半はウィリアムの悪巧みだな。
美姫 「これでターゲットにされるのは彼女、かしら」
さてさて、どうなるか。そんな気になる続きは……。
美姫 「この後すぐ!」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る