神聖アルビオン共和国、首都ロンディニウムに建つ一軒の屋敷の地下室に、第七位〈隷属〉のジャン・ジャック・ワルドと第五位〈金剛〉のウィリアム・ターナーの二人はいた。
もともと王党派に属していた貴族の屋敷だ。政変後は一時期レコン・キスタ軍の軍需物資集積所として使われていたが、内乱が集結してしばらく経ったいまでは、敵将ウェールズを討ち取った褒美としてワルドに与えられていた。地下室付きの三階建てで、部屋の数もたっぷりあることから、友人のウィリアムも厄介になっている。
五〇坪はあろう広大な地下空間には、二人の他は誰もいなかった。以前は食糧の貯蔵庫として使われていたのか、ひんやりとした空気が支配する部屋は、殺風景の形容がよく似合う景観をしていた。本来置かれていた瓶や棚は、物資集積所とする際にすべて取り払ってしまった様子で、がらん、とした印象を二人に与えた。
インテリアの類が一切欠如した広い空間を見て、ウィリアムは甘いマスクに満足げな微笑を浮かべた。
「うん。ちょうどいい。部屋を片付ける手間が省けた」
ウィリアムは懐から一本のチョークを取り出した。現代世界は地球の教壇でよく使われるタイプの白いチョークだ。ハルケギニア人のワルドが、見慣れぬ文具を見て興味深そうな表情を浮かべる。
「それは?」
「チョークっていう、俺の出身世界の文房具だよ。これで字を書いたり、絵を描いたりするんだ」
ワルドの質問に答えながら、ウィリアムは腰をかがめ、フローリングの床に何やら魔法陣を描き始めた。直径が十メートル近い円形の、大きな魔法陣だ。ハルケギニアの文化には存在しない図形や記号、楔型文字によって構成されている。またしてもワルドが、興味深そうに作業の様子を見つめた。
魔法陣を描きながら、ウィリアムはかたわらのワルドに話しかける。
「俺の所属する奇蛇神ミカゲ様の軍隊は、八個軍一六〇個の師団で構成されているんだ。一個師団の定数は通常一万五〇〇〇人で、当然、全員が神剣士だ」
「神剣士が一万五〇〇〇人か……一人百人力と考えても、およそ一五〇万の兵に匹敵する戦力となるな!」
「上手く連携すれば、戦力は二倍三倍に跳ね上がる。まぁ、それはいいとして……俺はそのうちの〈憤怒〉軍第九師団というところに所属している」
「師団における、お前の立場は?」
「大隊長。麾下の兵力はおよそ八〇〇人ぐらいだな。さっきの百人力計算でいえば、およそ八万の軍勢に匹敵するか」
「凄まじい戦力だな」
「状況にもよるが、場合によっちゃあ国一つ、あるいは世界を一つを滅ぼすに足る戦力だよ」
ウィリアムが床からチョークを離した。完成した魔法陣の見てまた満足気に笑う。
「俺達の軍ではな、中隊長以上には、ある特典が与えられるんだ」
「特典?」
「ああ。私兵として、ミニオンを持つことを許される」
ミニオン。初めて聞く単語に、ワルドは猛禽の眼差しに怪訝な色を浮かべた。
「ミニオンとは?」
「俺も詳しくは知らないんだけどな。まぁ、ざっくり簡単に言うと、第三位クラスの上位神剣が生み出した人工生命体だ。全員が特殊な低位の神剣を持って生まれてくる」
人工生命体、と口にしたウィリアムの表情に、嫌悪の色はなかった。かつてワルドに第一の獣として、鳥の遺伝子からクローン再生したティラノサウルスを与えたのはこの男だ。ウィリアムは遺伝子操作やクローン技術について、特に忌避の感情を持っていなかった。
一方、人工生命体という耳慣れぬ言葉にワルドは怪訝な表情を浮かべるばかりだった。この世に存在するすべての命は聖地に降臨した始祖ブリミルが作り出したもの、と幼い頃から聞かされてきた彼にとって、人の手で作られた命などというものは、想像力を逸脱した存在だった。
「ミニオンの容姿や能力は、親御さんの神剣がどうデザインするかで決まる。まあ、大抵の親御さん神剣は、眉目秀麗なヒューマノイドの女の子としてデザインするがな。……お前さん方の魔法風に言うと、ある程度自立行動が可能なゴーレムに近いモノ、と言えば、理解しやすいか?」
「なるほど、よく分かった」
ウィリアムの持ち出した喩えに、ワルドは得心した表情で頷いた。要するに、ギーシュのワルキューレのようなものか。
「保有が許されるミニオンの数は、階級によって決まる。俺達大隊長クラスでは、最大五〇人だ。私兵……とはいうが、各隊長によって用途はまちまちで、メイド代わりに側に置く隊長もいれば、性のはけ口に使う奴もいる。自分が消耗したときに備えた、マナのストックとして使う奴もいるな」
「お前はどうなんだ?」
「俺は、普通に大隊の戦力として組み込んでいるよ。さっき部下は八〇〇人いる、って言ったが、実際に定数を満たしていることはほとんどない。今現在俺がここにいるように、常に誰かが何らかの任務に就いて消耗しているからな」
ウィリアムは、この男にしては珍しく苦い表情を浮かべて、溜め息をついた。
ロウ集団という組織の性質上、大隊に所属する神剣士の敵は、多くの場合、自分達と同じ神剣士だ。強大な攻撃力を持つ永遠神剣同士をぶつけ合う対決だけに、通常、勝負は一瞬で決着する。勝敗が決するのが早く、引き分けという結果がほぼありえないことから、部隊の定数割れはむしろ日常的な状態でさえあった。
「定数割れを起こした分は、いつもミニオンで補っている。まぁ、ほとんど数合わせだが」
「そうなのか? 低位とはいえ、神剣士なのだろう? ……ああ。だから喩えにゴーレムを出したのか」
得心した表情で頷くワルドに、ウィリアムは「そういうことだ」と、応じた。
「この世界のゴーレムと同じで、一部の例外を除けばほとんどのミニオンは高度な思考能力を持っていない。あの敵をやっつけろとか、あの施設をぶっ壊せといった命令を理解するだけの知性はあるが……」
「命令の意図までは理解出来ない。たとえば、あの敵をやっつけろ、という命令の場合は……」
「なぜ、その敵を倒さねばならないのか。その敵を倒すことによってどんな影響が出るのか。そういうところまでは、考えが及ばない」
「考えが及ばないから、想定外の事態に弱い。臨機応変に動くことが出来ない、というわけか……。それで、いまからそのミニオンを呼び出そうと?」
「ミニオンは、数だけはいるからなぁ」
ウィリアムはチョークを放り捨てると、後ろ腰に差した鞘から一振りの短刀を抜き放った。第五位の永遠神剣〈金剛〉。その場にしゃがみこんで床に切っ先を突き立てると、魔法陣を描く白線が淡い光輝を発し始めた。きつね色の精霊光。〈金剛〉の刀身からもまた黄金色の光輝が溢れ出し、室内と、ウィリアムらを照らした。
「いくらすり潰しても、ミカゲ様に頼めばまた新しく作ってくれるし、補充は容易だ」
「威力偵察の兵員には、もってこいの人材というわけだ。……それで、どうやって呼び寄せるつもりなんだ? たしか、お前達の本拠地もまた、異世界にあるのだろう?」
「〈門〉を開く」
「〈門〉?」
「ああ」
おうむ返しに訊ねるワルドに、ウィリアムは首肯した。
「別の次元にある空間同士を繋ぐ、文字通り〈門〉の役割を果たす自然現象だ。俺も〈門〉を通って、この世界にやって来た」
すべての宇宙、すべての世界に存在する永遠神剣を砕き、一つに束ねる。森羅万象のすべてを、始まりの状態に戻す。ウィリアムらロウの思想の下集結した神剣士らの活動範囲は、組織の性質上無限に等しい。惑星間の移動は当たり前、任務遂行のためには次元の壁を越えることさえ珍しくない。いずれの場合も、尋常な手段では莫大なエネルギーと膨大な時間を必要とする移動距離だ。こうした惑星間、世界間といった規模の超長距離移動を、ウィリアムらは〈渡り〉と呼んでいた。
「いかに強靭な肉体を持つ神剣士といえど、数万年単位の〈渡り〉に耐えられるような怪物は少ない。俺だって無理だ。それに、仮に耐えうるだけの実力を持っていたとしても、あの暗く、広大で、孤独な宇宙空間を、何千、何万年も飛び続けていれば、肉体より先に精神がまいっちまう」
ウィリアムは小さな嘆息とともに言葉を吐き出した。
自身、光の速さをして何年もかかるような距離を旅した経験があるのか、甘いマスクには珍しく苦い表情が浮かんでいる。
ウィリアムの口にした宇宙空間なるものがどんな場所なのかいまいち想像出来ないワルドだったが、友人の暗い面持ちを見るに、よほど過酷な環境であることが察せられた。第五位の神剣士にあんな顔をさせるなど、尋常な世界ではあるまい。
「勿論、そのときの状況にもよるがな。まともな手段を用いた〈渡り〉は、あまりにもハードルが高い。となれば、裏技を使った抜け道を通るのが上策だ」
「その抜け道が、〈門〉というわけか」
「〈門〉を使った〈渡り〉の利点は、主に二つある」
ワルドの言葉に頷きながら、ウィリアムは続けた。
「一つは単純にエネルギーと時間を大幅に節約出来ることだ。〈門〉には空間の連続性を無視する性質があってな。分かりやすく言うと、〈門〉を使えば一瞬で一〇〇万キロメイルを移動することが出来るんだ」
「それは……凄いな」
ウィリアムの言にワルドは呻いた。
一般的な歩兵部隊一日当たりの行軍距離を二〇キロメイルとすれば、一〇〇万キロメイルを踏破するまでに要する日数は約五万日。人間の寿命では、生涯を賭しても実現出来ない距離だ。それが〈門〉を使えば僅か一秒もかからないという。凄まじい話だ。
「もう一つの利点は、敵対勢力に移動を感知されにくいことだ。なんせ自然現象にまぎれて移動するわけだからな。嵐の中を行軍するのと同じで、補足は難しい」
「被発見率の低下は作戦の成功率向上に繋がる、というわけだな?」
「流石軍人、理解が速くて助かるぜ」
ウィリアムは穏やかに笑って、しかしすぐに口調を硬いものへと改めた。
「ただ、〈門〉を使った〈渡り〉にはメリットだけじゃなく、相応のデメリットもいくつかある。最大の欠点は、扱いにくさだ」
「というと?」
「なんといっても、〈門〉は自然現象だからな。いつでも、どこでも、気軽に使える便利なツール、とはいかない」
人間の思う通りに雨が降ってくれるなら、この世の中に水不足や洪水といった事態は起こりえない。同様に、〈門〉もまた、人間が御せるものではなかった。
「〈門〉は普段、次元の狭間に隠れていて、見ることも触れることも出来ない。それが特定の条件が揃ったときのみ、見たり、触ったり出来るようになるんだ。俺達はこの状態を、〈門〉が開いている、と呼んでいるんだが、この特定の条件っていうのが厄介なんだよ。自然に揃う確率は、天文学的に低い」
〈門〉自体は、見たり触れたり出来ないだけで、宇宙のあらゆる場所に存在している。それこそ、いま自分達のいるこの地下空間にも、二つか三つあるだろう。しかしそれらの〈門〉が、自分達の求めるタイミングで開いてくれる可能性は、限りなくゼロに近かった。
「宇宙規模のマクロな視点に立てば、この宇宙、次元、並行世界のどこかで、〈門〉は常に開いているはずだ。俺達のすぐ近くにある〈門〉でないだけでな」
「なら、どうやってその、ミニオンとやらを呼び寄せるつもりなのだ?」
「裏技に、裏技を重ねるのさ」
時空間操作魔法、オープン・ゲート。限定された空間上に、〈門〉が開くのに必要な条件を人為的に揃える神剣魔法だ。よほどの幸運に恵まれない限り利用は絶望的な〈門〉を、制限つきながらいつでも使えるようにする反則技だった。ウィリアム自身も、ハルケギニアにやって来たときは、主のミカゲにこの方法で〈門〉を開いてもらった。
「オープン・ゲートの魔法を使えば〈門〉が開くタイミングを、俺達である程度操作出来るようになる。勿論、メリット相応のデメリットもあるけどな」
「具体的には?」
「発動に必要なマナが多い。詠唱時間が長い。〈門〉が開いている時間は術者の体力に依存する。一度に〈渡り〉が可能な質量も術者の能力次第。消耗が激しい。……とまぁ、そんなところかな。消耗が激しい、といっても、普通に何万光年も移動するのに比べればかなりマシだが」
「詠唱が長いと言ったが?」
「詠唱時間も、術者の実力によるんだがな。俺の場合は、半日は必要だ」
具体的な数字を挙げられて、ワルドは思わず絶句した。第五位の神剣士たる彼をして、詠唱に半日も必要な魔法とは……第七位の神剣士にすぎない自分が同じことをやろうとしたら、どれほどの時間が必要になるだろうか。
「それ以前に、詠唱途中でマナが尽きて死んじまうっての」
甘いマスクに柔和な微笑みを浮かべて、ウィリアムは、さらり、と恐ろしい発言を口にした。彼の言によれば、いままでに何人もの同胞達が、オープン・ゲートの詠唱途中で命を落としてきたという。口調こそ諧謔めいていたが、唇から紡がれる言の葉には、もう二度とあのような光景は見たくない、という真摯な願いが託されていた。
肉の薄い唇が、異界の呪文を紡ぎ始めた。
歌うようなテノールが地下空間に響くと、〈金剛〉の刀身が、内に溜め込んでいたマナを解放した。
ハルケギニアとは別な次元世界、次元宇宙に存在する、惑星ベゴヴェ。第九師団の兵営から、自らに与えられた私兵達を召喚するべく、ウィリアムは長い、長い詠唱を開始した。
永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー
ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃
EPISODE:55「かもな。世界は違っても、人間の心はみな同じ、か」
ルイズ達一行がアルビオンでの任務を終えてトリステインに帰還してから初めて迎えた虚無の曜日。
異世界ハルケギニアに召喚された地球人……桜坂柳也と平賀才人の二人は、トリステイン王国の王都トリスタニアに足を運んでいた。
勿論、二人きりではない。柳也も才人も、異世界についてはまだまだ知らないことの方が多い身だ。二人ともこの地で単独行動が出来るほど、異世界の地理についてまだ明るくなかった。
二人のかたわらには、ご主人様のルイズとマチルダ、そしてギーシュとケティの四人の姿があった。何とも珍しい組み合わせだが、これには勿論理由がある。柳也達が今日、トリスタニアに足を運んだのは、ギーシュとケティの二人から誘いを受けたためだった。
昨晩、ヴェストリ広場での稽古を終えた柳也と才人に、ギーシュは明日の予定を訊ねた。二人とも日々の勤め以外にこれといった予定はない、と答えると、金髪の貴公子は、わが意を得たり、と微笑んだ。
「それなら明日は、街に出かけませんか?」
「街に? 俺達と、ギーシュ君の三人でか?」
「いや、三人じゃなく、四人です。四人目はケティですよ」
「どういうことだよ、ギーシュ?」
額に浮かぶ玉のような汗をタオルで拭いながら訊ねる才人に、ギーシュは事情を説明した。
そもそもの発端はアンリエッタが魔法学院に行幸した日の夜のことだ。才人達ともっと仲良くなりたい、才人達にもっとこの世界のことを知ってほしい、と思ったギーシュとケティは、柳也達に王都を案内することを計画した。二人は次の虚無の曜日の柳也達の予定を確かめようとルイズの部屋を訪ねたが、そのときはアンリエッタの話を盗み聞きしてしまい、結局予定は聞けずに終わってしまった。
「というわけで、今度こそ王都を案内しようと思いまして」
「なるほどな。俺は別にいいぜ? るーちゃんが何て言うかによるけど」
「俺も同じだ。ただ、最近は有名無実化しているが、俺は一応、マチルダの監視役だからな。同志オスマンの許可を得ても、たぶん、マチルダは着いてくることになると思うが」
「構いません。べつに、人数にこだわりはないですから。多い方が賑やかで楽しいですよ、きっと」
ギーシュは端整な顔立ちに人懐っこい微笑みを浮かべて言った。
三人はそれから真っ先にルイズの部屋へと向かい、事情を説明した。ルイズは使い魔と従者に街行きの許可を与えた上で、「つ、使い魔と主人はなるべく一緒にいるべきよね。わたしも行くわ」と、柳也の方を、ちらちら、見ながら、同行する意思を告げた。才人とギーシュは、そんな彼女に生温かい視線を送り、ついで弁慶の泣き所を襲った痛みに顔をしかめた。顔を真っ赤にしたルイズの蹴りが、二人の男を悶絶させた。
ルイズの許可を得た三人は、さらにその足で学院長室へと向かった。マチルダの外出許可を得るためだ。三人が学院長室の戸をノックすると、扉の向こうからは「い、いまは駄目じゃ!」と慌てた声が聞こえてきた。怪訝に思った神剣士二人が耳を澄ませると、室内からは複数の女の、弾んだ声が聞こえてきた。さらには、ザバァッ、というかけ湯の音。柳也と才人は、ははあ、と不敵に微笑んで、顔を見合わせた。
「同志オスマン、さては女湯を覗いているな? 俺達にも見せろや!」
勢いよく扉を開けると、案の定オールド・オスマンは、魔法の鏡で女湯の様子を覗き見ていた。魔法学院の女子風呂には高度な魔法探知装置が取り付けられているが、腐ってもオスマンはスクエア・クラスの大魔法使い。探知装置に引っかかることなく、彼は風呂場の様子を覗き見ることが出来た(能力の無駄遣い)。
男達四人は仲良く肩を並べて女湯の様子をじっくりねっとり鑑賞した後、揃いも揃って妙に晴れ晴れとした表情を浮かべ、ようやく本題に入った。
「明日、マチルダと一緒に遊んできていいかなー?」
「いいともー」
「返事軽いなっ」
柳也とオスマンのやり取りを見て、才人が突っ込んだ。
するとオスマンは、いきなり真面目な顔になって才人達に言った。
「先のアルビオンでの一件でな、ワシの中ではもう、彼女は信用出来る人間という結論は出ているのじゃよ。先の密命では、逃げ出す機会はいくらでもあったはずじゃ。たとえばおぬしがラ・ロシェールで人事不省の重体に陥っていたときなどのう。しかし彼女は逃げなかった。彼女はその後もおぬしらと行動し、そればかりか、ワシの子ども達を……この魔法学院の生徒を守るために、身体を張って戦ってくれた。そんな彼女を、どうして疑えようか」
「同志オスマン……」
「とはいえ、やはり監視は必要じゃからの。同志リュウヤ、お前さんと常に行動しているという条件付きで、彼女の外出を認めよう」
「……ありがとう、オールド・オスマン」
柳也は好々爺といった風情でにっこり微笑むオスマンに、深々と頭を垂れた。
最敬礼。日本式に感謝の意を示す柳也に、オスマンは「楽しんでくるとええ」と、にこやかに笑った。
「給金の前払いじゃよ」と言って、少なからぬ小遣いを握らせてくれたオスマンに、柳也はますます頭の下がる思いだった。
柳也達は最後にマチルダのもとへと向かった。魔法学院の秘書ミス・ロングビルとして書類仕事に精を出す彼女に、「明日、俺達と一緒に街に行ってくれるかなー?」と、訊ねると、「べつにいいよ」と返事を寄こしてきた。快諾の返事にギーシュは素直に喜んだが、柳也と才人は、返答が「いいともー」でなかったことに内心がっかりしていた。三人はその後自室へ戻ると、明日を楽しみにしながら床に就いた。
翌朝――すなわち今朝――、その日に限ってやけに目覚めの早かったルイズにせかされながら集合場所の広場へ赴いた途端、才人は、うげえ、としかめっ面になった。広場にはすでに柳也達が勢揃いし、かつ六頭の馬が用意されていた。いまだに乗馬の苦手な才人は気乗りしない面持ちで手綱を握った。
「なんか乗馬が上手くなるコツとかないのかよ?」
「こればっかりは、慣れ、しかないと思いますよ」
才人の溜め息交じりのぼやきに、ケティが苦笑しながら答えた。
それから馬の背中に揺さぶられることたっぷり一刻半、トリスタニアに到着する頃には、才人の足腰はすっかりがたがたになっていた。乗ってきた馬を駅に預け、ようやく自らの足で王都の土を踏んだ彼の第一声は、「つ、疲れた」だった。神剣士となったことで武器を持っていないときも常人離れした体力を発揮出来るようになった才人だが、運動の質が違った。長時間の乗馬は、彼の心身に多大な負担を強いていた。
――これだったら、自分で走った方が楽だったんじゃ……。
三時間かけて辿り着いた王都の街並みを眺めながら、才人はそんな風に思う。人並み外れた運動能力を持つ神剣士だからこその発想だ。才人は早くも、自らの得た新しい力に順応しつつあった。
数日ぶりに訪れた王都の街並みを見た柳也達は、地球人、ハルケギニア人の別なく、等しく懐かしさを感じた。
前にこの顔ぶれで王都を訪ねたときは、アルビオンでの一件をアンリエッタに報告するため王城に立ち寄っただけで、城下街の方へは足を運ばなかった。また、あのときは過酷な任務を終えてきたばかりで、みな心身ともに著しく疲弊していた。とてもではないが、白亜の街並みを楽しむ心の余裕がなかった。
――実質、デルフリンガーを買ったとき以来か……、そりゃあ、懐かしくも感じるわな。
異世界の街並みを見て懐かしさを覚える自らを奇妙に感じたか、柳也は自身の精神活動の原因をそう分析する。
ブルドンネ街の武器屋でデルフリンガーを購入したのは、破壊の杖事件が起こる前日の出来事だ。あの日を境に、自分達の周りでは大小様々な事件が起こった。目まぐるしく移り変わる周囲の環境。襲いくるいくつもの脅威。そうした諸々の経験を経た上での、本日の都入りだ。一見した限りほとんど変化のない白亜の街の様子は、変化ばかりの日々に身を投じていた六人の心をほっとさせた。
「世の中どんどん変わっていきますしね」
「でも、変わらないものもあるさ!」
「それは……」
「「友情!」」
地球人二人のそんなやり取りを、ルイズ達ハルケギニア人は、何か奇妙なものを見る眼差しで見つめた。
才人ほどではなかったが、三時間の乗馬で疲れているのは、他の五人もまた同じだった。彼らは、何をするにしてもまずは腹ごしらえだ、と意見を一致させた。
「昼飯にはちょい早い時間だが……」
「何かご希望はあります?」
太陽の位置を確認しながら呟く柳也に、ギーシュが訊ねた。彼とケティは本日のホスト役だから、そのあたりの下調べも行っている。
「美味い店を紹介しますよ」
「希望を口に出来るほど、まだこの世界の食文化を知らないからなぁ。……っていうか、前々から気になっていたんだが」
「はい?」
「俺達の世界だと、宗教上食べちゃいかん食べ物っていうのがあるんだが、ブリミル教徒はどうなんだ?」
「そのあたり、始祖ブリミルは寛大だったのでしょうね」
柳也の問いに、ケティが諧謔めいた口調で答えた。やや童顔だが可憐な顔立ちの彼女が微笑むと、まるで何もない野にスミレの花を見つけたかのようで、思わず見惚れた。
ケティは柳也と才人を交互に見た。
「逆にお訊ねしますけど、お二人は食べられない食べ物ってあります?」
柳也と才人は顔を見合わせた。ニヤリと笑って、柳也が言う。
「そのあたり、お釈迦様は寛大だったということだな」
「大丈夫。そういう意味で食べられないものはないよ」
牛肉でも豚肉でも、美味い物ならなんだって大歓迎だ、と才人は笑った。
ギーシュとケティは、ブルドンネ街の市場へと四人を案内した。
柳也と才人の二人は、初めて海外を訪れた旅行者さながらに、きょろきょろと辺りを見回した。
ブルドン街に足を運ぶのはこれで二度目だが、過日は才人の武器を買うという目的がまずあったため、街をゆっくり見て回ることはなかった。しかしこうして改めて見ると、色々発見がある。ただ視界に映じる光景ばかりではない。神剣士だからこそ感じ取れる発見が。
――良いマナだな。
土地からも、人からも、活気あふれるマナの鼓動を感じた。
露店や小屋掛けの店から響く店主達の威勢の良い呼び込みを心地よく感じながら、柳也は微笑を唇にたたえた。
――どこの世界でも街は変わらない。人がいて、物があって、命の営みがある……。
トリスタニア最大の大通りの賑やかさは、柳也の心に懐かしい王都ラキオスの姿を連想させた。建築物の多くが木造か石造りで、中世ヨーロッパ風の景観を形作っているのも、それに拍車をかけていた。
「……なに、ニヤニヤしてるのよ?」
ルイズが、気味の悪いものを見る眼差しで訊ねてきた。
柳也は「いや」と、かぶりを振って、
「ちょいと昔を懐かしんでいた。前の世界でのことをな」
「前の世界って?」
今度は好奇心の強い才人からの質問だ。柳也がハルケギニアに来る以前、ファンタズマゴリアで戦っていたことを知る彼らだが、件の有限世界がどんな場所かは知らなかった。
見れば才人だけでなく、他のみなも自分に好奇の視線を注いでいる。
五対もの視線の集中に、柳也は恥ずかしそうにしながら答えた。
「俺が前に暮らしていたファンタズマゴリアのラキオスって国は、トリステインやアルビオンと結構似た文化を持っていてな。つい、この王都と向こうの街とを重ねて見ていた」
「そんなに似ているの?」
「ああ。建築物なんかは特にそうだな。素材は向こうも木材か石が主流だし、様式もわりかし似ている気がする」
「食べ物なんかも?」
「そうだな。品種とかの細かい違いはあるだろうけど、基本は一緒だった。得体の知れない動物の肉がテーブルに出てくるとか、びっくりするような味つけとかは、ほとんどなかったよ。……テーブルマナーなんかもそうだな。食器にナイフとフォークがあって、使い方も同じだった」
「そういえば……」
柳也の言を受けて、ケティが口を開いた。
「当たり前のことすぎて気づきませんでしたけど、お二人とも普通にナイフとフォークを使えてましたものね」
ケティの言葉に、ルイズは柳也達を召喚したあの日の翌朝のことを思い出した。二人を連れてアルヴェーズ食堂に向かった彼女は、彼らの朝食に薄いスープとパンを与えた。あのときはまだ、二人の『異世界からやって来た』という言を信じていなかったため特に気にせずにいたが、いま思い返すと、あれが柳也達にとってはこの世界での初めての食事ということになる。にも拘らず、二人は誰に教わることもなく、パンをちぎってバターを塗り、スプーンを使ってスープをすすっていた。後輩の少女の言う通り、あのときはあまりにも当たり前のことすぎて気がつかなかったが、あれは長年そうした作法・食べ方に慣れ親しんでいる証左だといえた。
「うん? でもそうすると、サイトがナイフとフォークを使えるのはどうしてなんだ?」
ギーシュが怪訝な表情を浮かべて首をひねった。
柳也は以前暮らしていたファンタズマゴリアがハルケギニアと似た世界だったからナイフとフォークの使い方を知っていた。では、才人は? 柳也と違い、ファンタズマゴリアには行ったことのない彼はどこで、この世界でも通じるテーブルマナーを身につけていたのか……?
「地球だ」
「うん?」
「俺や柳也さんの生まれた地球でも、ナイフとフォークはそうやって使っていたんだよ」
「ということは……」
才人の言を受けて、ルイズは柳也を見た。
異世界は地球からファンタズマゴリアを経てハルケギニアにやって来た神剣士は、言外に意図を察するや頷いてみせた。
「ああ。俺はファンタズマゴリアに行く以前から、ナイフとフォークの使い方を知っていたんだ。おかげでこっちでも向こうでも、随分ラクをさせてもらっているよ」
所変われば品変わる、という言葉があるように、異世界での生活では従来の常識がまったく通用しないことがしばしばある。異世界での生活に順応するためには、これまで慣れ親しんだ考え方を一旦捨てて、新しい常識や価値観をものにする必要があった。食という、人間が生きていく上で不可欠な行為に関する礼儀作法を新たに覚える必要がないというのは、それだけでも大助かりだった。
「……こうやって一つ一つ比べてみると、サイトさんたちのいた世界とこの世界って、意外と共通点が多いんですね」
ケティの口から感慨深い溜め息とともに呟きが漏れた。
地球と、ハルケギニアと、ファンタズマゴリア。まったく交流のない、成り立ちの異なる三つの世界だが、それそれの大地が育んだ文化には、食に限らず驚くほど共通点が多い。勿論、偶然の一致だろうが、ケティにはそれが神秘的な出来事に思えた。
ケティの言葉に、柳也は「そうだな」と、同意した。根がロマンチストの彼もまた、異なる世界同士の文化的特徴の一致に、少なからず感動していた。
「成り立ちはまったく違うのになぁ」
「同じ、人間だからでしょうか?」
「かもな。世界は違っても、人間の心はみな同じ、か」
才人の呟きに、柳也は莞爾と微笑んで頷いた。
◇
ギーシュが案内したのは、ブルドンネ街の通りに面した居酒屋だった。明るいうちは平民の労働者向けの食堂としても機能しているらしく、二〇坪ほどの店内は、昼前にも拘らず騒々しい賑わいを見せていた。
居酒屋を紹介された柳也と才人は、意外の感に打たれた。洒落者で伊達男のギーシュのことだから、てっきり貴族ご用達の高級店を想像していたが。
「そういう店もいいですけどね。でも、そういう高級レストランは、総じてテーブル・マナーにうるさいものです。それじゃあ、みんなでワイワイガヤガヤ楽しめないでしょう?」
ギーシュは同性の柳也達をしてうっとりしてしまう爽やかな微笑を浮かべた。
貴族でない柳也や才人を気遣っての配慮は明らかだった。しかしそれを直接口にしない細やかな気配りが、二人の地球人には嬉しかった。
六人掛けのテーブル席に腰を下ろした柳也達は、早速料理を注文した。店主の男はぞろぞろとやって来た貴族の客達を見て最初ぎょっとしたが、すぐに愛想の良い笑みを浮かべると、「最高の料理を用意します」と言って、厨房へと引っ込んだ。それから十分としないうちに最初の料理がテーブルに届けられ、柳也達は歓呼の声を上げた。
「手羽先うんめェ―――――――ッ!!」
「なんだコレ? バカじゃねぇのか!? すっげぇうめぇ!」
「二人とも、ちょっとオーバーなんじゃ……」
まるでハムスターのように頬を張らせながら大袈裟に舌鼓を打つ柳也と才人に、ケティが苦笑した。栗色の視線が見つめる先には、異世界からやって来た男二人の、屈託のない笑顔がある。人間は美味いものを食べると笑いしか起こらないというが、まさしくその通りだな、と思った。
柳也達ほど大袈裟なリアクションはないものの、ルイズ達もまた、大皿に盛られた料理に手を伸ばすペースは早かった。空腹だったこともあるが、なにより店主の腕が良かった。平民向けの店で並べられる料理だから、素材は普段彼女らが口にしているものより一等級も二等級も劣っている。しかし、熟練の技が生んだ味付けは、高級食材をふんだんに使ったアルヴィーズ食堂で出される料理にも負けていなかった。
テーブルに酒の姿はない。真昼間から酒を出すと仕事に差し支えるだろう、という判断からだろう。品書きの札にも、酒の表示はなかった。
「いやいや、酒がなくても十分美味いて」
「でしょう? この店、正直、料理だけでもやっていけますよね」
「んだんだ」
柳也の呟きに、この店の発見者たるギーシュが言った。聞けばギーシュも、酒というよりは料理の方に惚れ込んで、この店を贔屓にしているらしい。
「勿論、酒も美味いんですけどね。手頃な値段の、なかなか良い銘柄を揃えているんですよ」
「そいつは……うん。一度、夜にでも足を運んでみたいものだ」
柳也はうっとりとした口調で呟いた。もっとも、魔法学院の勤め人である限り、夜間、王都へ外出することなど許してもらえないだろうが。
「……それで、この後はどうするんだよ?」
胃袋を半分ほど満たしてようやく落ち着いたか、才人がベーコンとほうれん草の炒め物を飲み込んだ後ギーシュに訊ねた。街を案内する、と二人は言ったが、トリスタニアは広い。仔細に巡り回っては、時間がいくらあっても足らないだろう。となれば、案内してもらえる場所は、いわゆる名所に限られるだろうが。
「まあ、任せてくれよ」
才人の問いに、ギーシュは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「紹介したい場所は、実はもう決まっているんだ」
「お二人ともきっと気に入っていただけると思いますよ」
ギーシュに続いて、ケティも可憐に微笑み言う。きっとこの日のために何度もミーティングを重ねただろう二人の笑顔を見て、柳也と才人は期待に胸を膨らませた。
<あとがき>
柳也と才人のトリスタニア観光記は長くなりそうなので一旦ここで区切ります。
さてさてみなさんおはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。異文化コミュニケーションが主題の今回のお話、楽しんでいただけましたでしょうか?
今回の話で、ようやくギーシュとケティの計画が実現しました。思い返せば王都の案内の話が初めて登場したのが『風のアルビオン』編の最初の頃ですから、二人にとっては長い道のりでした。まぁ、すべてはタハ乱暴の遅筆と計画力、文章構成力のなさが原因ですが。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
ではでは〜
<最後に>
今年の四月九日、初代オールド・オスマン役の青野武さんが亡くなりました。
青野さんといえば、やはり有名なのは『ちびまる子ちゃん』のおじいちゃん役なんでしょうが、特撮好きのタハ乱暴としては、やはり同氏が演じられたザラブ星人が印象深いです。
ザラブ星人との出会いは、子どもの頃に見た『ウルトラマン』のビデオでした。当時は純粋にお話だけ楽しんでいましたが、中学生のときにもう一度ビデオを見返して、演じている声優さんに興味を持ち調べてみたところ、なんと青野さんご本人が着ぐるみを着て演技なされていたことを知りました。いまもそうですが、当時の着ぐるみは視界が悪く、熱も篭もりやすい。ザラブ星人の放送回は一一月でしたから、撮影はおそらく九月頃。たいへんご苦労なさったかと思われます。青野さんの役者根性には、感服するばかりです。
青野さんがお亡くなりになられたとき、『ゼロ魔刃』はちょうどEPISODE:53を書いているときで、オスマンの出番を作ることが出来ませんでした。今回ようやく登場とあいなり、遅ればせながら青野さんのご冥福をお祈りさせていただきます。
今回はほのぼのとした休日かな。
美姫 「そうね。ようやくの観光ね」
まあ、ギーシュだけで柳也とサイトを案内となるとちょっと不安だったが。
美姫 「ルイズもいるし、何より案内側にケティが居るから可笑しな事にはならないわよね」
戦いから離れた日常の続きは。
美姫 「この後すぐ!」