地球上に人間という種が生まれる、はるかな以前……。

 いまから一億四五〇〇万年前から六五五〇万年前までの約八千万年間は、地質学上、白亜紀と呼ばれている。一般に恐竜時代と呼ばれる中生代最後の時代区分で、地球の大陸の配置が現在の位置にほぼ定まったのも、ちょうどこの時期とされている。“白亜”の名前は、この時代を同定した地層が石灰岩層だったことに由来し、さらに白亜紀は、各地で発見された地質の特徴の差から、現在十一の時代に分けられていた。

 この十一の区分のうち、白亜紀の末期はマーストリヒト期と呼ばれている。七〇六〇万年前から六五五〇万年前までのおよそ五百万年間続いた時代だ。

 マーストリヒト期は、地球の生物史史上、最大にして最強の陸生肉食動物が繁栄を誇った時代だった。

 この時代の食物連鎖の頂点にあった者の名はティラノサウルス。暴君トカゲの名を与えられた、史上最大の肉食恐竜である。

 ティラノサウルスは、強力な顎と、巨大な体躯を武器に、現在の北米大陸の王者として君臨した。トリケラトプスなど、同時代に生息していた草食恐竜の化石からは、しばしば、ティラノサウルスに襲われたものとされる傷跡が見つかっている。成獣のトリケラトプスの推定体長と体重は、それぞれ八から九メートル、四・五トンから十トン。対するティラノサウルスは約十三メートル、七トンだから、人間でいえば、七十キロの成人男性が、一〇〇キロのツキノワグマに襲いかかるようなものだ。まさしく、白亜紀最強のプレデターだと言えた。

 ティラノサウルスは現在、最も研究が進んでいる恐竜の一頭である。最初にその化石が発見されたのは一八九二年のことで、当時はまったく別の恐竜として考えられた。初めてティラノサウルスの名前を与えられた化石は一九〇二年に米国モンタナ州で発見され、一九〇五年に、ティラノサウルス・レックスの名で、論文が発表された。

 一八二二年に最初の恐竜化石が発見され、その二十年後に“恐竜”という新たな生物ジャンルが作られた。ダーウィンの『種の起源』が発表される以前の出来事だ。それから十九世後半になって、アメリカで化石発掘ラッシュとも呼べるような時代が始まった。現在の恐竜図鑑に載っているレギュラーメンバーの多くは、この時期に発見された。アロサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス……新種の恐竜が次々と見つかり、アカデミーの賑わいは留まるところを知らなかった。そうやって場が盛り上がってきたところに、絶好のタイミングで、スターが登場した。この新種の恐竜は恐竜史史上、いや地球の生物史史上最大の肉食動物かもしれない。恐竜学者達は、盛んにこの新種の恐竜を研究した。

 一九七〇年代に恐竜温血動物説が囁かれ始め、一九九〇年に完全かつ最大のティラノサウルスの化石……スーが発見されると、その研究は加速度的に進んだ。

 また、九三年に公開された映画『ジュラシック・パーク』も、研究を後押しした。この映画の影響を受けて恐竜学者を志した人は数多く、彼らによって新説が次々と発表された。

 かくしてティラノサウルスは、現在最も研究の進んでいる恐竜となった。

 ティラノサウルスはアロサウルスの仲間ではない。顎の力は平均で約三トン、最大では八トンにも及ぶ。眼窩は立体視が可能な位置にあり、五感のうちでは嗅覚が特に発達していた。身体の小さな幼体期には羽毛で体温を保持し、身体の大きさで体温を保持出来る成体になると羽毛は抜ける。……そうした生態についての研究成果は、専門誌は無論のこと、今日では子ども向けの恐竜図鑑にも記載されていた。

 柳也も才人も、平均的な日本人家庭に生まれ、育った。

 幼少時代には当然のように書店の児童書コーナーで、恐竜の図鑑を手に取った経験があった。

 大昔の地球には、恐竜という動物がいた。その中でも最強を誇ったのが、ティラノサウルス。その圧倒的なパワー! 圧倒的なスピード! トリケラトプスと睨み合う復元図の迫力に夢中になった感動は、成長したいまでも、二人の魂の奥底に刻みつけられていた。

 そのティラノサウルスが、いま、自分達の目の前にいる! それも生きた姿で。異世界は浮遊大陸、アルビオンの地に。

 その事実は、二人の地球人に大きな衝撃を与えた。

 才人と柳也は、ワルドやルイズ達の存在を忘れて、しばし目の前の巨竜を茫然と眺め見た。

 かつて子どもの頃に夢中になった存在。ある意味、自分達人類の大先輩ともいうべき動物。起こりうるはずのない邂逅。亡者との対峙に、二人の心臓は自然、高鳴った。

「……本当に、本物の、ティラノサウルス?」

「……馬鹿な。ありえるはずがない!」

 柳也は自分自身に言い聞かせるように、言を紡いだ。

 茫然とした眼差しの先では、体長十五メートルはあろう巨竜が、己のことを、じぃっ、と見下ろしていた。

「恐竜は六五〇〇万年もの昔に絶滅している! それ以前の問題に、ここは地球ではない!」

 おそらくはハルケギニアに生息するドラゴンの一種だろう。それがたまたま、自分達のよく知るティラノサウルスに似ていただけのこと。柳也はそう考えて、隣に立つマチルダを見た。

 現地人の彼女ならば、自分の推理が正しいことを証明してくれるに違いない。そう、信じて。

 しかし、柳也の思惑ははずれた。

 逆にマチルダの方が、柳也に驚いた眼差しを送ってきた。

「リュウヤ……あんた達、あのドラゴンのことを知っているのかい?」

「…………」

 マチルダの問いに、柳也は答えなかった。答えることが出来なかった。答えは、柳也の方が欲しいくらいだった。

 柳也は視線をマチルダからワルドへと転じた。

 かつて友と呼んだ男の冷笑が、憎々しく思えた。

「その、ドラゴンは何だ……?」

「スーという。僕が、〈隷属〉を手に入れて初めて支配下に置いたしもべだ」

 敵からの質問に、ワルドは特に躊躇することなく答えた。

 情報を開示することで自分が不利になるかもしれないというのに、泰然とした態度を崩さない。余裕の表れに他ならなかった。

 「そもそも、僕が〈隷属〉を手に入れたのは、ある男と出会ったからだ。その男は僕に〈隷属〉と、最初のしもべとして、このスーを授けてくれた。……名前をつけたのは、僕だがね」

 ある男。その言葉が、耳の奥でやけに響いた。

 ワルドに永遠神剣を与えた男。そいつはいったい何者なのか。柳也は質問を続けようとして、それよりも早く、ワルドの言葉が彼の耳膜を叩いた。

「ああ、そういえば、彼はこうも言っていたな。『このドラゴンは、自分の故郷の世界で昔栄えた生き物で、いまは絶滅している。この個体は、自分の仕える主が、鳥の遺伝子構造を解析し、そこから恐竜の遺伝子を抽出。そのデータを基に再生したもの』とか、なんとか。……遺伝子、という耳慣れない言葉の意味は分からなかったが、とにかく、凄そうな印象を受けたよ」

「……凄そう、じゃねぇよ」

「うん?」

「凄い、だ。鳥の遺伝子からの恐竜再生だぁ? ジュラシック・パークじゃねぇんだ! そんなことを簡単に出来る技術なんて……超科学にも程がある!」

 柳也は苛立ち混じりに吐き捨てた。

 もはや、認めるしかなかった。目の前のドラゴンは、遠い異世界は地球の地で、かつて繁栄した暴君竜だ。

 おそらく、ワルドに神剣を授けた件の男は、自分や才人と同じ地球出身の人間だろう。『自分の故郷の世界で』なんて言い回しを、この世界の現地人が使うはずがない。何らかの理由でこの世界にやって来た彼は、契約者不在の永遠神剣を所持していた。そしてその神剣を、よりにもよってワルドに渡したのだ。

 なぜ、件の男は契約者のいない永遠神剣を都合よく持っていたのか。単なる偶然か、あるいは故意にこの世界に持ち込んできたのか。もし、後者だとすれば、彼はいったいどんな意図で、ワルドに神剣を与えたのか。

 気になることは、他にもあった。男が口にしたという、“主”とやらの存在だ。

 生き物の身体の仕組みや遺伝子工学については門外漢の柳也も、生物の遺伝子というものが、継ぎ足し、継ぎ足しによって作られていることぐらいは知っている。たとえば人間の身体には、魚だった時代の遺伝子や、両生類だった頃の遺伝子が残っている。だからこそ胎児は、最初は魚のような姿だったり、カエルのように手に水かきがあったり、という過程を経ながら、母体の中で大きくなっていく。生命進化六億年の歴史を、十月十日のうちに済ませるわけだ。

 恐竜が進化して鳥類になった、という説は最近よく聞く進化論だ。もし、その説が正しいとすれば、鳥類の体の中には、恐竜だった時代の遺伝子が必ず残っている。鳥類の中に眠っている、古の竜の遺伝子を見つけ出すことが出来れば、クローン技術を使って恐竜を現代の世に復活させることは、不可能ではないはずだった。

 とはいえ、柳也の知る限り、地球人類の科学力はまだ遺伝子構造のすべてを解明していない。竜の遺伝子を見つけ出す、とはいうが、それが出来ない。現生動物の遺伝子から絶滅種を再生させるなど、まだまだSFの世界の技術だ。それをいとも簡単にやってのける人物とはいったい……。

【ご主人様、いまは……】

 ――……ああ、そうだな。

 頭の中に、〈戦友〉のたしなめるような声が響いた

 柳也は、小さく頷いて思考を中断した。

 そうだ。いま考えるべきことは、会ったこともない男の思惑や、その主の正体についてなどではない。いま考えるべきは、この難局をどうやって切り抜けるか、その一点に尽きる。

 余計なことは考えるな。神剣士のワルドを倒し、古代から蘇ったティラノサウルスを倒す。そのことだけを考えろ。

 柳也は自分に言い聞かせながら、〈決意〉の一部を寄生させた父の形見の形見の脇差一尺四寸五分を、片手正眼に構えた。

 目の前の最凶タッグに油断のない視線を置きつつ、阿吽の呼吸を繰り返して、気力を充溢させる。

 ティラノサウルスを睨みながら、柳也は己の心臓の鼓動が激しく昂ぶっていくのを自覚した。

 相手は地球上にはもう存在しない、すでに滅んだ動物。それも中生代……いや地球の生物史上最強のプレデターだ。ワルドの方も、歴戦のメイジの上に神剣士。そんなコンビと戦えるとあって、この男の心は歓喜に打ち震えた。これから始まる戦いへの期待で、闘争本能が燃え滾った。

 ティラノサウルスの巨体を見上げながら、柳也は思わず苦笑した。こんな危機的状況にも拘らず、目の前の戦いを存分に楽しみたいと思っている自分の愚かさへの、自嘲の冷笑だった。

「言っておくが、スーは鎖を通じて〈隷属〉からマナの供給を受けている。運動能力は、かなり強化されているぞ」

 柳也の浮かべた苦笑を、余裕の態度と受け取ったか、ワルドの言葉が彼の耳朶を撫で上げた。

 それこそ望むところだ、と柳也は意気込んだ。戦う相手が強ければ強いほど、この男の好戦意欲は燃え上がる。

 ティラノサウルスのスーは、柳也のことを真っ直ぐ見つめていた。

 柳也の知るどんな爬虫類よりも表情豊かな双眸だった。

 ティラノサウルスの眼球は、人間と同様黒い水晶体と無色の角膜を持っていた。柳也を見下ろす眼差しはいわゆる白目の部分が赤く充血し、剣呑な輝きを発していた。

 柳也の口元に、また冷笑が浮かんだ。

 どうやら自分とこのティラノサウルスは相思相愛らしい。向こうも、自分を第一の標的と定めている様子だった。

 静かなる睨み合いの時間が、しばし続いた。

 柳也は激突のときを、いまかいまかと待ちわびた。

 やがて、ティラノサウルスが動いた。

 柳也の胴周りよりもなお太い下肢がしなやかに躍動し、礼拝堂の床を蹴った。

 七トン超の巨躯が軽やかに宙へと躍り出し、獲物と定めた標的めがけて、猛然と襲いかかった。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:41「暴君」

 

 

 

 静かなる対峙の時間を経て、試合開始のゴングを自ら鳴らしたティラノサウルスは、しかし、目の前の柳也には跳びかからなかった。

 それまでの睨み合いの姿勢から一転、まるで興味を失ったかのように、柳也には一瞥もくれず、一目散に彼の左側方をすり抜けていった。

 十トンを超える巨体からは想像も出来ない俊敏な動作だった。あっという間に柳也の脇を抜け、ティラノサウルスはそのまま直進していった。

「……なに?」

 ティラノサウルスは自分を襲ってくるだろう、と思い込んでいた柳也は、中生代最強のプレデターのこの行動に、思わず唖然とした呟きを漏らした。

 どこからでもかかってこい、と心身ともに構えていたのに、敵はその構えを見ようともしなかった。肩透かしを食らったようなもので、柳也は一瞬、茫然としてしまった。その心の虚が、次の反応が遅滞させた。

 ティラノサウルスの姿を追って振り返った柳也は、はたして、愕然とした。

 ティラノサウルスが目指すその先には、ルイズとケティの姿があった。先刻、ワルドのウインド・ブレイクに吹き飛ばされて、身動きの取れないでいる二人の姿が――――――、

「スーは優秀なハンターだ」

 ワルドの冷たい声が、柳也の耳朶を打った。

「狩りの鉄則は、ロー・リスク、ハイ・リターンだ。目の前で剣呑に構える好戦意欲旺盛な獲物と、僕がさんざん痛めつけて弱っている娘二人。どちらを狙った方が、より少ない労力で狩りを成功させられると思う?」

 それ以上、耳を傾けてやる余裕はなかった。

 もはや、戦いを楽しむなんて口ずさんでいる場合ではない。

 柳也は脇差を握る右手の手の内を練り直すや、投擲の構えを取った。

 ワルドの言葉通り、神剣の力で強化されたティラノサウルスの運動能力は凄まじい。瞬間的なトップ・スピードは、時速八十キロメートルに達していると思われた。いまから追いかけたところで、間に合いそうにない。

 射撃をもってその動きを止めるほかに、手立てはなかった。しかし、マナを著しく消耗しているいまの自分に、アイス・ブラスターなどの射撃魔法を撃つだけの余力はない。脇差を投げる以外に、方法はなかった。

 柳也は槍投げの要領で左手を前に突き出し、右手で脇差を振りかぶった。

 一尺四寸五分の脇差といえど、神剣士の膂力のすべてを篭めて投擲すれば、どんなに分厚い皮膚だろうと貫通出来るはずだった。

「初動の遅れを取り戻すよい判断だ。だが、そう易々と実行出来ると思うなよ?」

 ワルドの呟きが、柳也の耳膜を再び叩いた。

 直後、右側方より迫りくる、圧倒的な暴力の気配を感じた。

 過去に覚えのある、大気の震動。

 ウインド・ブレイクの猛撃が、自分とマチルダを狙っている!

 柳也は反射的に隣に立つご主人様を抱きかかえて、左斜め後方に跳んだ。

 脇差を投射する暇さえなかった。

 次の瞬間、つい先刻まで柳也達のいた空間を、ウインド・ブレイクの突風が襲った。

 まるで小さな台風のようだった。タバサの放つウインド・ブレイクとは桁違いの風圧が、木製のベンチを次々と吹き飛ばしながら進み、礼拝堂の出入り口をもみくちゃにした。あまりの強風に耐えかねて、床板は、ばりばり、と剥がれ、鉄製の重い扉さえもが留め金ごと吹き飛んだ。二枚の鉄の板は、礼拝堂の外へと飛び出し、廊下の壁にぶつかって、その箇所を破壊してようやく動きを止めた。ベンチの破片は天井近くまで舞い上がり、内壁上部のステンドグラスを叩き割った。細かいガラス片が広範囲にわたって、雨あられと降り注いだ。

 ウインド・ブレイクのもたらす破壊の一部始終を垣間見て、柳也とマチルダは慄然とした。

 なんという凄まじいパワーだ。標的の破壊を目的としていないウインド・ブレイクで、この威力とは。もし、床を蹴るのが一瞬でも遅れていたら、間違いなく二人とも死んでいただろう。

 ――ラ・ロシェールの港で仮面の男と戦ったときとは、段違いの出力だ。あん時は、手加減されてたってわけか!

 これが初速に優れるエア・ハンマーや、殺傷能力に特化したライトニング・クラウドだったら……柳也は思わず胴震いした。怯えからくる震えとも、武者震いとも取れる震えだった。

 床に着地した柳也は、すぐにティラノサウルスの姿を探した。

 はるか中生代より蘇った暴君竜は、苦悶する二人の少女を、間もなく至近に捉えようとしていた。

 近年の研究によれば、ティラノサウルスの狩りのスタイルは、獲物の大きさによって基本戦術が変わったという。自分よりもはるかに小さな獲物を襲うときは、七トンともいわれる自重を支える太い後足で踏みつけ、身動きを取れないようにしてから、顎で噛み砕いたという。

 その場からの身動きが取れないでいるルイズ達は、その後ろ足の蹴りの間合いの内に、補足されようとしていた。

 柳也の腕の中で、マチルダが杖を振った。

 ファイアボールの魔法が杖の先端から飛び出し、ティラノサウルスの背中を狙う。

 土メイジのマチルダだが、なんといっても彼女はトライアングル・クラスの魔法使いだ。専門外の系統の魔法とはいえ、発射された火球の勢いは、ケティやキュルケの放つそれに何ら劣らなかった。

 しかし、彼女の魔法は、ティラノサウルスの背中に炸裂しなかった。

 神剣士の運動能力を持って二人の正面に回り込んだワルドが、オーラフォトン・シールドを展開したためだ。正六角形の精霊光の盾に阻まれて、マチルダの火球はむなしく消滅した。

「ワルド!」

「だから、させんと言っているだろう」

 酷薄な口調。婚約者だったルイズの命など、なんとも思っていない様子だった。

 柳也は怒りに滾る眼差しでワルドを睨んだ。

 その背後で、ティラノサウルスがルイズ達に襲いかかるのが見えた。

 

 

 異世界からやって来た使い魔と従者が、“ティラノサウルス”と呼ぶ巨大なドラゴンが、猛然と迫ってくる。

 ワルドの魔法によって壁際に追い詰められたルイズは、自分の置かれている状況を速やかに把握した。

 いま、自分達はかつてない窮地に立たされている。あの凶悪な容貌のドラゴンが、手負いの自分とケティから始末しようと考えているのは火を見るより明らかだ。あのドラゴンがどんな力を持っているかは知らないが、大きな顎といい、後ろ足の鋭い爪といい、小娘二人を殺すのに十分すぎるほどの殺傷能力を持っているのは間違いなかった。

 このままここにいては、自分達は確実に殺されてしまう。

 早く迎撃の態勢を取るか、逃げるかしなければ。

 しかし、ルイズ達はそのどちらの行動も取れずにいた。

 先のウインド・ブレイクによるダメージが響いていた。

 永遠神剣の力で強化されたワルドのウインド・ブレイクは、天災とと呼ぶに相応しい威力を得ていた。喩えるなら、台風をぶつけられたようなものだ。ただ風が吹きつけただけで体力は著しく消耗し、壁に叩きつけられた痛みは、ルイズ達から敏捷な動きを奪っていた。

 特にケティは重体だった。床に落下した際に内臓を痛めたらしく、顔が土気色に染まっている。喉の奥からは赤いものが滲み出し、呼吸の度に、唇の端から鮮血が滴った。即死に至るような致命傷ではない。しかし、放っておいても自然に治るような傷でもない。一刻も早く、治療魔法を得意とする水のメイジに診せなければ危険な状態だった。

 いまの自分達は、戦える身体でも、逃げられる身体でもない。

 迫りくる死の恐怖に怯え、身をすくませる以外に、出来ることはなかった。

 怯えるルイズ達に向かって、巨大なるティラノサウルスは猛然と突進した。

 ワルドが〈隷属〉の力で召喚したティラノサウルスは、鼻先から尻尾までの長さが十五メートルはあろう、特に大きな個体だった。自重は、ゆうに十トンは下るまい。

 一歩床を踏む度に強烈な荷重で床板は、ばりばり、と音を立てて軋み割れ、地響きが、礼拝堂内の空気を震撼させた。まるで地震の震源が自ら近付いてくるかのようだった。まさに、圧倒的としか形容のしようがないパワーだった。

 ティラノサウルスが、ひときわ強く床を蹴った。

 十トン超の巨躯が勇躍、宙へと飛び上がり、ルイズとケティに襲いかかる。

 その巨体を支える後ろ足で二人を踏みつけ、動けなくしたところで、トドメを刺す作戦か。巨大なるティラノサウルスは鉤のように後ろ足の爪を立て、壁際の少女達へと跳びかかった。

 少女達は、とうとう目前まで迫った死の実感に恐怖し、思わず目を瞑った。

「うおおおおお――――――ッ!!」

 直後、まともに動けないルイズとケティの体を、一陣の旋風がさらっていった。

 デルフリンガーを右手に握った才人だった。

 抜き身の剣身で二人を傷つけないよう注意を置きつつ、彼は両脇にルイズとケティを抱え持つや、思いっきり地面を蹴った。横に跳んで、暴君竜の蹴りの間合いから離脱する。

 ティラノサウルスの右足が、たたらを踏んだ。

 激しい地響き。

 床板に亀裂が走り、ついには陥没し、その下にある、基礎建築の部分が露わとなった。

 才人の表情が、さっと青ざめた。

 もし、自分の踏み込みが僅か数センチ浅かったら。もし、自分が走り出したのがあと一秒遅かったら。今頃、ルイズとケティは……。

 両腕に感じる少女のぬくもりと、ありえたかもしれない未来の対比に、才人は胴震いした。

 他方、踏みつけた右足の手応えのなさに、ティラノサウルスは小首を傾げ、辺りを見回した。

 最初の獲物と定めた二人を抱え持った才人の姿が、やや黄ばんだ双眸に映じた。

 ティラノサウルスは才人に向かって吼えた。

 獲物を奪われたことに対する、怒りの咆哮だった。

「やべ!」

 才人は反射的に踵を返した。ティラノサウルスに対し背を向け、また思いっきり床を蹴る。腕の中で、ルイズが悲鳴を上げた。

 ティラノサウルスは今度は才人を追って床を蹴った。顎をめいっぱいに開き、尻尾を、ぴん、と張ってバランスを取りながら、前傾姿勢で、猛然と才人達を追いかけた。

 十トン超の巨体が一歩を踏み出す度に、礼拝堂に激震が走った。

 その振動に足をもつれさせながらも、才人は必死に逃げた。懸命に足を動かした。

 体が、羽のように軽かった。ともに小柄な娘とはいえ、人間を二人も抱えているにも拘らず、ほとんど重さを感じなかった。

 それどころか、五体にはかつてない活力が漲っていた。

 腕の中の二人を守らねば、という強い思いが、左手のルーンを燦然と輝かせていた。

 かたや永遠神剣の力で運動能力を強化された暴君竜。

 かたや伝説の使い魔。

 ともに風の速さで走る両者の、苛烈なる鬼ごっこが始まった。

 

 

 ティラノサウルスの踏み蹴りがルイズとケティに向けて放たれた瞬間、柳也は真実、もう駄目だ、と思った。

 手負いの小娘二人の力では、十トンの自重を支える脚力に踏みつけられて、逃げられるはずがない。その後は、あの大きな顎に呑み込まれるしかない。そんな最悪の未来を想像していただけに、才人が間に合ったのを認めた瞬間の喜びと安堵は、柳也の胸を熱くさせた。

 ――やってくれたな、才人君!

 柳也は満面の笑みを浮かべて、両脇にルイズとケティを抱え持つ愛弟子の姿を見つめた。

 いま、二人を助けに向かえば、自分もまたあの踏み蹴りの餌食になってしまうかもしれない。下手をすれば、自分もまた殺されてしまうかもしれない。二人を助けるべく走った才人だが、その際に感じただろう恐怖は、並大抵ものではなかったはずだ。しかし、その恐怖に打ち勝ち、才人は見事やってくれた。

 もし、恐怖心にかられて、踏み出すのがあと一瞬遅かったら。もし、死の恐怖に怯えて踏み込みがあと一寸浅かったら。ルイズとケティの命は、きっとなかっただろう。

 いまここが戦場でなかったら、抱きしめてキスをしてやりたいぐらいだった。それぐらいの大殊勲だった。

 安堵の時間は、束の間の一瞬しかもたなかった。

 踏みつけが不発に終わったことに気付いたティラノサウルスが、怒りの感情を剥き出しにして、才人達を追いかけ始めた。

 長い尻尾を水平に持ち上げた、前傾姿勢での疾走。その姿は、スピードスケートの選手が、空気抵抗を避けるために姿勢を低くするのに似ていた。

 ――不味い!

 柳也の胸中に、焦燥が生まれた。

 一見したところ、ティラノサウルスと才人のトップ・スピードはほぼ互角といったところだろう。しかし、人間とティラノサウルスとではもともとの歩幅に差がありすぎる。

 才人もティラノサウルスも、いつまでも全力疾走を続けられるはずがない。疲労が蓄積されれば、筋肉の運動量はたちまち低下し、逃げる足も、追う足も鈍り出す。そうなると、巨体を誇るティラノサウルスの方が断然有利だ。長い目で見れば、歩幅の差は才人を確実に追い詰めることになるだろう。

 ましてや、あの恐竜は神剣の力で運動能力を強化されているのだ。いかなガンダールヴといえど、いつまでも逃げ続けることは――――――

 柳也は表情を引き締めると、正対するワルドを鋭く睨んだ。

 炯々たる眼光で相手の動きを牽制しながら、彼は隣に立つマチルダに向けて口を開いた。

「……マチルダ、ここはいいから、才人君達の援護に回ってくれ」

「リュウヤ。けど、いまのあんたは……」

 その先は、言葉にならなかった。マチルダが何か言うよりも先に、続く柳也の言葉が、彼女の発言を遮った。

「頼む。お前しか、いないんだ」

  柳也は視線をワルドに注いだまま、切々たる語調でパートナーのご主人様に訴えた。

 いまのままではいずれ、才人達はティラノサウルスに追いつかれることになる。ルイズ達の安全を確実なものとするためには、あの恐竜を倒すのがいちばん手っ取り早い。しかし、両腕にお荷物を抱えている才人は逃げるのに必死で、とてもではないが、ティラノサウルスと戦う余裕はない。誰かが、ヘルプに回る必要があった。

 毒には毒を、が柳也が過去の戦史から学んだ戦いの原則だ。

 神剣士のワルドの相手は、同じ神剣士の自分が務めなければ。

 ティラノサウルスの相手は、マチルダに頑張ってもらうほかなかった。マチルダしか、頼れる人間がいなかった。

「頼む」

 柳也はもう一度、マチルダに繰り返し求めた。

 マチルダは何か言いたげに顔をしかめたが、それは一瞬のこと、やがて嘆くように溜め息をこぼして、「わかったよ」と、頷いた。

 「助かる」と、応じて柳也は不敵に微笑むと、

「安心しろ。俺も、すぐそっちに回る。……こんな奴、十秒でカタぁ、付けてやるよ」

と、好戦的な眼差しをワルドに注いだ。

 諧謔めいたその言葉に頼もしげに頷いて、マチルダは床を蹴った。才人達の援護に回るつもりだ。当然、そうはさせじとワルドが牽制のエア・ハンマーを放つが、

「おおっと!」

 柳也の右手から一条の光線が飛び出し、空気の鎚を斬割した。

 エア・ハンマーは圧縮した空気の塊で相手を殴りつける魔法だ。音速に迫る斬撃をもってすれば、切り裂けぬ攻撃ではなかった。

 攻撃に対しては、攻撃をもってこれを制す。直心影流秋の太刀筋。

 柳也の口元に、再び冷笑が浮かんだ。

「させねぇよ」

「…………」

 ワルドの薄い唇から、舌打ちが漏れた。

 しかしすぐにまた余裕の冷笑を浮かべると、「まぁ、メイジの一人ぐらいどうでもいいことだ」と、芝居のかかった仕草で肩をすくめ、うそぶいた。

「神剣士のきみさえ拘束出来れば、あとはどうとでもなる。……それに、最大の脅威たるきみもまた、いまならば容易く倒せる」

「……安い挑発だなぁ、おい」

 柳也は呆れた様子で呟いた。

「たしかに、俺ぁ好戦的な人間だが、いくらなんでもそんな陳腐な挑発にゃ、乗らねぇよ」

「挑発なんかじゃないさ」

 ワルドはかぶりを振って柳也の言葉を否定すると、不敵に微笑んだ。

「さっき、きみは僕を十秒で片付けると口にしたな? ……それはつまり、きみが神剣士として戦える時間は、あと十秒しかない、ということだろう?」

 確信の響きを孕んだ問いかけ。

 柳也は答えず、阿吽の呼吸も鋭く深く、静かに剣気を高めた。

 目の前の男がいつ、どう動いても、即座に必殺の斬撃を叩き込めるよう、五体に気力を充溢させる。

 その様子を見て、ワルドの微笑が深まった。早期決着の構えは、自分の推測が正しいことを示している。彼は喜色満面、にこやかな態度で、かつての友人に話しかけた。

「やはり、そうか。最初にきみと顔を合わせたときに比べて、いまのきみから感じられるマナは大分小さく、そして弱くなっている。今回の旅の道中で、ほとんどの力を使い果たしたみたいだね?」

「……単に、温存している力を悟られないように、マナを隠しているだけかもしれないぜ?」

「それはありえない」

 ワルドはきっぱりとした口調で断言した。

「こんな状況だぞ? 力の出し惜しみは無意味だろう。もし、そんな余力があるのなら、こんな問答は成立していない。余力のすべてをつぎ込んで僕を真っ先に倒し、然る後に、ミス・ロングビルと一緒に使い魔君の援護に回る。それが最善策のはずだ。それをしないということは、つまり、そういうことだ」

 柳也は強面のままワルドを睨みつけながら、小さく嘆息した。

 まいった。やはりこの男は強敵だ。腕っ節だけじゃなく、観察眼に優れ、頭も回る。敵に回すには、いちばん厄介なタイプの相手だ。

 単に腕っ節が強いだけの相手ならば、知略をもってこれを制すればよい。逆に奸知に長けるだけの相手ならば、正面からの力技で圧倒すればよい。しかし、その両方を兼ね備えた相手となると、これといった有効策が見つからない。

「どんなに強力な神剣士も、力の源たるマナを消耗した状態では、その戦闘力を十全には発揮出来ない。……だからといって、油断はしないぞ? 神剣士である以前に、きみは強力な戦士だからな。決して侮りはしない。僕の全力をもって、きみを倒す」

 サーベル杖と、羽飾りの二刀流を下段に構えて交差させながら、ワルドは呪文を唱えた。これまでに聞いたことのない詠唱の言葉だった。

 本能的に、不味い、と思った。

 あの呪文を完成させてはならない、と戦士の本能が告げていた。

 考えるよりも先に、身体が動いた。

 臍下丹田に溜め込んだ気力が一気に爆発し、全身、約六〇〇の筋肉を、ただ一つの目的のために突き動かした。

 それ自体刃の如く研ぎ澄まされた高出力のオーラフォトンが、一尺四寸五分の白刃をすっぽりと覆い、太刀行きを加速させる。

 音速からの一文字斬り。

 よく練り込まれた手の内の下、逆袈裟側から振り抜かれた。

 鋭い踏み込みとともに放たれた超音速の斬撃は、相手に防御の時間を与えることなく、対手の胴を真っ二つにする―――――――その、はずだった。

「……残念、こちらの魔法の方が早い」

 超音速の斬撃が炸裂する寸前、ワルドの呪文が完成した。小さく、サーベル杖の先端を振る。ワルドの永遠神剣は、魔法の威力だけでなく、詠唱に要する時間までも短縮させているらしかった。

 直後、柳也の脇差が白銀の閃光となって、ワルドの胴を薙いだ。

 その瞬間、柳也の表情が硬化した。

 手応えが、まったく感じられない。

 肉を断つ感触はおろか、刀身が何かにぶつかった抵抗感さえ手の内にこない。

 たしかに胴を斬ったはずなのに……まるで、霞か、雲を斬ったかのような感覚だった。

 胴を斬られたワルドは、苦悶の絶叫も、血煙も上げなかった。

 腹の裂傷を中心に、ゆらゆら、とまるで陽炎のように、柳也の目の前で、その像がぶれる。やがてワルドの身体は、跡形もなく消滅した。黄金のマナの霧を伴わない消滅だった。

「なぜ、風の魔法が最強と呼ばれるのか……」

 背後から、低い声が柳也の耳朶を打った。

 ワルドの声だ。

 左足を軸に最小限の動きで後ろを振り返った柳也は、油断なく剣を構えた。

 振り返った視線の先で、ワルドは何事もなかったかのように、悠然とたたずんでいた。

「その所以を、教えよう」

  ワルドが、余裕たっぷりの笑みを浮かべて言い放った。

 その瞬間、柳也の目の前で、男の体が、いきなり分身し始めた。

 比喩ではない。顔も背丈も、着ている服も、両手に握るサーベル杖と羽飾りの永遠神剣さえ、そっくりそのまま、瓜二つの容姿で、ワルドの体が二つに分かれた。

 二人になったワルドは、さらに分身を続けた。二人は四人に、四人は八人になり、八人が十六人になった。分身はなおも続き、最終的に、本体を含めて四七人のワルドが柳也を取り囲んだ。まるで、ミラーハウスの中にいるみたいだ、と包囲の輪の中心に立つ男は感じた。

「分身か……やはり、ラ・ロシェールの港で襲ってきたのも!」

『そう、分身体だ』

 四七人のワルドが、一斉に唱和した。

 四七人全員が、まったく同じ声帯を持ち、まったく同じイントネーションの癖を身に着けている。統制の取れた和音にも拘らず、ワルド達の斉唱を聴く柳也の表情はどこか不快そうだった。 まったく同じ顔の人間が四十七人、同時に声を発している現実を、気持ち悪く感じている様子だった。

「ただの分身と思ってくれるなよ?」

「風のユビキタス(偏在)だ」

「風は偏在する」

「風の吹くところ、」

「いずことなく彷徨い現れ、」

「その距離は意思の力に比例する」

「分身とはいえ、」

「その実力は本体と変わらない」

「さっき、」

「きみは十秒で僕を片付けると言ったな?」

「いまの僕は四七人」

「一人に割ける時間は、」

「コンマゼロ二秒しかないぞ?」

 一人のワルドが口を開き、二人目、三人目と言の葉を継いでいった。

 四方より次々と耳膜を叩く言葉の数々は、それこそ魔法の刃のように、柳也の心を抉った。自分と同格の神剣士が、四七人。対する自分に、戦う力はほとんど残っていない。

「……ったく。ムカつくぜ」

 柳也は忌々しげに歯噛みして、吐き捨てた。

「敬愛する赤穂の浪士と同じ人数っていうのが、余計に腹立たしい!」

 父の形見の脇差一尺四寸五分を、脇に取った。

 脇差の柄を握る、手の内を練る。

 状況は絶望的。しかし、退くわけにはいかなかった。

 阿吽の呼吸を繰り返す。大きく息を吸い、臍下丹田に落とし込み、気力と変えて、五体に充溢させる。

 残っているマナを、すべて解放した。

 四肢に漲る、原始生命力の活力。全身の運動能力が、爆発的に向上するのを自覚する。

 正面に立つワルドが三人、一斉に呪文を唱えた。

 エア・ハンマー。

 と同時に、左右からは、ウインド・ブレイクの嵐が殺到する。

 後方からはライトニング・クラウドの気配。

 ひんやりとした空気をうなじに感じ、柳也は、迷わず前へと踏み込んだ。

 

 子どものころに見た、映画の『ジュラシックパーク』とまったく同じ状況だった。

 大口を開いて迫るティラノサウルスと、必死に逃れようとする人間。

 少年時時代に初めてあの映像を見たときは、主人公達に感情移入して胸をハラハラさせたものだったが、現実に追われる側の立場になってみて、心臓の動悸は、ハラハラ、どころではなかった。

 ――クソッ、最近、俺、こんなんばっかりだ!

 両脇に二人の少女を抱えつつ、暴君トカゲの追跡を必死にかわしながら、才人は舌打ちした。

 破壊の杖事件のときといい今回といい、異世界にやってきてからというもの、自分はどうもデカイものに縁がある。

 しかも、いつも追われる側の立場だ。

 仏門の世界では、他生の縁といって、すべての出会いには前世からの因縁が関係しているという。だとすると、自分の前世は像か何かの大型動物だったに違いない。前世、小さな生き物を踏み潰す側だった反動で、今世では踏み潰される側に生まれたのだろう。

 ――次、生まれ変わったときは、ぜってー踏み潰す側に回ってやる!

 才人は胸の内で悲鳴を上げつつ、必死の形相で両足を動かし続けた。

 デルフを握っている自分と、ティラノサウルスの走行速度はほぼ互角。簡単には追いつかれないが、一方で、相手を大きく引き離すこともない。

 ゆえに、ちょっとの気の緩みも許されなかった。気の緩みは筋肉の怠けに繋がり、筋肉の怠けは、相手の接近を許すことに繋がる。そして、ティラノサウルスの接近は、三人の死に繋がる。

 事は自分一人だけの問題ではない。

 自分が捕まれば、ルイズとケティの命もない。

 両腕に仲間の命を抱きながら、才人は全力で足を動かし続けた。ただ一心に、前だけを目指し続けた。

「相棒、左を見ろ!」

 不意に、右手の中で、デルフリンガーが震えた。

 言われるままにそちらを見ると、少し離れた場所に、マチルダが立っていた。壊れた長椅子やら、床板やらを材料に、巨大ゴーレムを作っている真っ最中だった。体高だけならばティラノサウルスにも負けない、巨大ゴーレムだ。

 僅かな時間、目線が交差する。

 彼女の狙いが何なのか、すぐに分かった。

 毒には毒を。

 デカい物には、デカい物を、だ。

 ――マチルダさんは、あのゴーレムをティラノサウルスにぶつけるつもりだ!

 マチルダの意図を察した才人は小さく頷くと、右足に強く力を篭めた。床を強く蹴って鋭く方向転換、一直線に、マチルダの方を目指す。ティラノサウルスを、ゴーレムのもとまで誘導する腹積もりだった。

 才人の動きに応じて、ティラノサウルスも転進した。全長十五メートル、体重十トンという巨体は、大型バスとほぼ同じサイズだ。回転運動のためには莫大なエネルギーが必要になるはずだが、神剣の強化作用か、ティラノサウルスのターンはコンマ数秒とかからなかった。

 転進したティラノサウルスは、そのまま才人達の追跡を続行しようとした。

 しかし、すぐにその歩調を緩め、やがては足を止めた。

 ティラノサウルスの行く手を阻むべく、マチルダの作った巨大ゴーレムが立ちふさがったためだ。

 身の丈十メートルにもなんなんとする、木材メインのゴーレムだった。人間にほぼ準じたシルエットを持ち、特に腰回りと下肢の造り込みに力が注がれていた。上腕の太さは人間の胴二つ分ほどもあり、そのパワーは、古代より蘇った大型恐竜にも引けを取らないはずだった。

 プレデターとしての狩猟本能が警告したか、ゴーレムを前にしたティラノサウルスは、立ち止まったまま動かない。自分とほぼ同じ大きさの巨人を、明らかに警戒している様子だった。

 尻尾を掲げた前傾姿勢はそのままに、眼前の巨人を、注意深く睨みつける。どうやら、迂闊に動けばこちらが危ないと踏んだらしい。相手の出方を窺う、待ちの構えだった。

 ティラノサウルスが警戒心から立ち止まったその隙に、才人は巨大ゴーレムの背後へと逃げのびた。

 ティラノサウルスとの距離が開き、ようやくこぼれる、安堵の吐息。

 ルイズが慌てて才人の腕から離れ、ケティを介抱する。

「お疲れ様」

 ねぎらいの言葉が、耳膜を撫でた。

 歩み寄ってきたマチルダは、切れ長の双眸に剣呑な輝きを宿したまま、言う。

「安心しているところ悪いけど、もう一働きしてもらうよ」

 マチルダはティラノサウルスを睨みつけながら、才人に言った。

 手負いのケティをルイズにまかせて、才人はデルフリンガーを正眼に握り直す。

「破壊の杖事件のときのように、良質な土を選別して作った上等な代物じゃない。ありあわせの材料で作った、即席のゴーレムだ。パワーはともかく、耐久性は酷いもんさ」

「……つまり、どういうことです?」

「正面からの力比べじゃ、勝ち目はない。とにかくぶつけて隙を作るから、あんたはトドメを頼む」

「うっす」

 頷いて、デルフリンガーを下段に構えた。

 その隣で、マチルダがタクト状の杖を振るい、ゴーレムに命令を下す。

 巨大ゴーレムは腰を落とし、両腕を前に出したレスリング・スタイルの構えを取った。

 ティラノサウルスが、猛々しく咆哮した。どうやら目の前の巨人を知性ある動物として認識したらしく、牽制のつもりのようだ。

 ワルドが言ったように、ティラノサウルスは優秀なハンターだった。狩りの基本は、ロー・リスク、ハイ・リターン。眼前の巨人を脅威と思えばこそ、いきなり襲いかかるような真似はしなかった。

 先に動いたのは、巨大ゴーレムだった。

 腰を落とした構えから、ティラノサウルス目がけて猛然と突進する。

 体当たりだ。

 巨大ゴーレムを作る際に、マチルダは特に足回りを重点的に造り込んでおいた。強靭な下肢から繰り出されるダッシュのスピードは、初速の段階ですでに時速四十キロを超えていた。十トンを超える巨体は、莫大な運動エネルギーを有しながら、ティラノサウルスに迫った。

 対する暴君竜も、床を蹴って突進した。

 目には目を、の作戦だ。

 永遠神剣の力で強化された脚力は、やはり時速四十キロを上回る初速を、十トン超の巨体に与えていた。

 ともに十メートルを超える巨体と巨体が、激突した。

 衝撃波が、周りの長椅子を次々薙ぎ倒す。

 圧倒的な運動エネルギーが両者の体に分配され、ティラノサウルスが、ゴーレムが、たまらず悲鳴を上げた。ティラノサウルスの方は大口を開けて吠え、ゴーレムの方は、関節の軋む音が鳴った。即席のボディから、木片が飛散する。

 ティラノサウルスに肩からぶつかっていったゴーレムは、そのまま相手の腹を殴った。

 腰の回転を活かしたショベル・フックが、連続で暴君トカゲの胴体を連打する。

 その度に上がる、悲痛な咆哮。白濁とした唾。

 負けじと、ティラノサウルスも前肢を振り回す。

 退化して短くなったとはいえ、ティラノサウルスの前肢は、片手で二〇〇キログラムを持ち上げるだけの腕力がある。また、短いといっても、斯様な至近距離では、実用上問題にはならない。

 ティラノサウルスは二本の爪でゴーレムの肩関節を集中的に引っ掻いた。

 二〇〇キロを持ち上げる腕力からの斬撃に引き裂かれ、血煙の如く木っ端が噴出した。

 人間でいえば、腕と胴とを繋ぐ腱の部分が、どんどん削られていく。

 ボディの強度の差が、ダメージの差となって徐々に表れ始めた。

 ワルドが召喚したティラノサウルスは、神剣の力で身体能力全般を強化されている。その中には、皮膚は勿論、筋肉や骨格強度の強化も含まれている。

 対して、マチルダが作ったゴーレムは即席の粗悪品だ。実際、僅か数回の斬撃で、両腕が早くも千切れかかっていた。

 これ以上、胴体へのラッシュを続けても効果は薄い。そればかりか、こちらのゴーレムが消耗する一方だ。

 そう判じたマチルダは、再度ゴーレムに命令を飛ばした。

 巨大ゴーレムはティラノサウルスから一歩退くと、両腕で首輪付きの首根っこをロックした。プロレスでいう、サイド・ヘッド・ロックだ。

 マチルダの作ったゴーレムは、特に腕力に優れるパワー・タイプのゴーレムだった。しかし一方で、関節技を使いこなす器用さも持ち合わせていた。

 ティラノサウルスの最大の武器は、なんといっても最大八トンにもなるという咬合力を誇る顎の力だ。その最大の武器を封じると同時に、弱点にもなりうる頭部を押さえ込む。そしてその隙を、才人に叩いてもらう作戦だった。

 ティラノサウルスは当然、激しく抵抗した。巨体を震わせ、前肢を振り回し、滅茶苦茶に暴れて、ロックをはずそうとした。巨大ゴーレムの両腕が、みしみし、と軋み、全身の関節部から異音が生じた。その音を耳にしただけで、誰もが思わず顔をしかめてしまうような、不快な音だった。

 ゴーレムのロックも、長くはもたない。

 マチルダは才人に視線をやった。

 特別な指示は必要なかった。

 いま自分がどうするべきなのか、才人も重々心得ていた。

 才人はデルフリンガーを脇に取りながら、取っ組み合うティラノサウルスとゴーレムのもとへとひた走った。

 狙いはゴーレムが押さえ込んでくれている頭部だ。頭蓋に斬撃をお見舞いすれば、さしものティラノサウルスといえど無事ではすむまい。

 ――神剣の力で、どんだけ骨が硬くなっているかは知らないけど……!

 頭蓋を砕き、脳を潰す。それが無理なら、せめて脳震盪を起こす。

 脳を揺さぶれば、運動能力は大幅に低下する。たとえ一撃で倒せぬとしても、弱ったその隙を衝いて波状攻撃を仕掛ければ、勝機は十分にあるはずだった。

 ゴーレムが押さえ込んでくれているとはいえ、ティラノサウルスの頭部は高い位置にある。

 才人は思いっきり床を蹴って高く跳躍した。

 デルフリンガーを、上段にふりかぶる。

 大きく口を開けた。阿吽の呼吸。“あ”の口で息を吸い込み、“う”の口で臍下丹田に落とし込み、“ん”の口で気力と変えて、全身に漲らせる。直心影流に伝わる、独特の呼吸法。三百年間培われた、斬撃の威力を最大に高める要諦。

 剣の柄尻を握る左手のルーンが、まばゆい輝きを発した。

 左手から、全身の筋肉へと急速に熱が広がっていくのを感じた。

 伝説の使い魔とやらのルーンが力をよこしている、とおぼろに理解する。

 ティラノサウルスの頭部を押さえるゴーレムの左腕が千切れ落ちた。もともと、千切れかけの両腕だった。

 ゴーレムからの拘束が弱まり、俄然、勢いづいたティラノサウルスが激しく暴れた。

 才人は、上下に、左右にランダムに揺れる頭部に狙いを定めた。

「相棒、思いっきり振り下ろせ!」

「ああ!」

 デルフの指示に、才人は決然と頷いた。

 振り上げた剣を、真っ向に振り下ろす―――――――その、刹那だった。

 まるで天地の嘆きを思わせる、雷鳴が嘶いた。

 その、あまりの轟音に、才人は、マチルダは、眼前の強敵の存在さえも一瞬忘れて、音のした方を一瞥した。

 そして、凍りついた。

 思わず息を呑み、言葉を失ってしまった。

 雷鳴が轟いた、その方向……そこには、床に倒れ伏す、一人の男の姿があった。

 数十人のワルドに囲まれながら、桜坂柳也はうつぶせになって倒れていた。

 その身体からは、ゆっくりと、少しずつではあったが、黄金のマナの霧が噴出していた。

 才人達が、そちらに気を取られた、一瞬の間に、巨大ゴーレムの右腕が、ぶつり、と千切れ落ちた。

 


<あとがき>
 

 ……あかん。ちょっとワルドを強化しすぎたかもしれん。勝てる奴いるんかな、これ?

 さて、読者の皆様、おはこんばんちはっす。今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございました。今回の話は、いかがでしたでしょうか?

 圧倒的な戦闘力を誇るワルド。とんでもねぇパワーのスーちゃん。その脅威が上手く描写出来ていましたでしょうか?

 さて、そのスーちゃんについてですが、今回、怪獣好きのタハ乱暴にしては珍しく、彼女の鳴き声を描写する際に、一度も擬音を使わない、という試みをしてみました。ティラノサウルスはダントツの一番人気の恐竜です。読者の皆様の中にある、かっこいいティラノサウルス像を壊さないように、との配慮から、鳴き声に関しては読者の想像力に委ねる形にいたしました。

 皆様の頭の中で、スーちゃんはどんな声で鳴いたのでしょう? ゴジラみたいな声でしょうか? ライオンのような声でしょうか? ジュラシックパークに登場した、あのティラノのような声でしょうか?

 皆さんの頭の中に存在するかっこいいティラノ。それに少しでも近づけるよう、今後も精進していきたいと思います。

 ではでは〜

 

 

 

<おまけ>
 

 今回のおまけは思考実験です。いつぞやのオーク鬼のブレイバー君のときみたく、ティラノサウルスのスーちゃんの体当たりの衝撃力について考えてみたいと思います。ただ、前回同様運動エネルギーと平方メートル当たりの衝撃力を算出するだけでは芸がないので、もう一つ、違ったアプローチから、彼女の体当たりの凄まじさを考えてみたいと思います。

 まずはスーちゃんのプロフィールを求めてみましょう。

 作中、タハ乱暴はスーちゃんの体型について、全長は約十五メートル、体重は十トン超と書いています。体当たりの衝撃の強さを決めるのは、体重と速度ですから、まず、この十トン超という数字を、もう少しはっきりさせたいと思います。

 恐竜の体重はどうやって量るのか。言うまでもないことですが、恐竜というのはすでに絶滅した動物です。つまり、生きた標本が存在しない。正確に体重を量る方法は存在しないわけです。しかし、ある程度までなら、推測することが可能です。どうするかというと、いわゆるアルキメデスの法則を活用するのです。

 つまり、化石を基に骨格標本を作り、肉づけをした模型を水槽に沈めて、体積を量るわけです。一般に生物の身体の平均密度は一立方メートルあたり一トンですから、あとはその数字を当てはめてやればよい。この方法だと、だいたい誤差±十パーセント程度の精度で体重が量れます。一般に恐竜の体重測定では、この方法が用いられます。

 この体重測定法の欠点は、水槽に沈める模型のプロポーション次第で、体積の値が大きく変わってしまうことです。そのため、同じ恐竜の体重でも、二〜六トンとか、四〜七トンとか、様々な説が生じてしまうことがあります。

 模型のプロポーションを決定するのは、勿論、デザイナーの考え方一つなわけですが、それ以上に重要なのが、肉づけのベースとなる骨格標本の正確さです。そして、その骨格標本を制作する上でのベースとなるのが、化石です。要は、化石についての研究が進んでいれば進んでいるほど、正確な骨格標本が出来、骨格標本が正確なほど、模型のプロポーションも、実際にいたとされる恐竜のシルエットに近くなる。より正確な体重が量れるようになるわけです。

 作中でも描写したように、ティラノサウルスは、今日、もっとも研究の進んでいる恐竜の一つです。化石についても、全身の約九十パーセントというほぼ完全な化石(スーのこと)が見つかっています。体重は、四・五〜七トンまで幅広い説がありますが、スーの発見以降、成獣は六〜七トン前後というのがほぼ定着した感じです。手元にある双葉社刊行の「超リアルCG再現 恐竜」によれば、全長十三メートルの個体が体重七トンとのことなので、この値を使って、スーちゃんの体重を算出しましょう。

 ……いやま、レディに体重のことを訊くのは野暮ってもんですがね。

 

 スーちゃんの全長は15メートルだから、13メートルの約1.15倍。長さが1.15倍ということは、体重は『縦×横×厚み』なので、約1.52倍となる。よって式は、

 

 7,000(kg)×1.52=10,640(kg)

となります。

 

 

<走る、走る、俺たち〜♪>
 

 体重の次はスーちゃんの走る速さですが、これは思いっきり本編中に描写してあります。すなわち、時速八十キロメートル。日本の高速道路を走れるスピードです。秒速に直すと二二・二メートル。一〇〇メートルを四・五秒で走ることが出来ます。……一〇〇メートルを四・五秒。エクシードギルスと同じ速さだ。

 体重が、10,640kgで、速度が22.2m/s。では、いよいよこの値を使って運動エネルギーと衝撃力を算出しましょう。

 

● 運動エネルギー

  10,640(kg)×22.2(m/s)^2 ÷2=2,621,908.8(J)

● 衝撃力

 10,640(kg)×22.2(m/s)^2 ÷19.57=267,951.8kg/m^2

 

 それぞれ四捨五入して、262万2000ジュールと、平方メートルあたり268トンとしましょう。262万2000ジュールというのは、TNT爆薬六〇〇グラム以上が爆発したときのエネルギーに相当します。ダイナマイト一本が一〇〇グラムですから、ティラノサウルスが全力で体当たりしたときのエネルギーは、ダイナマイト六本分以上に相当する計算になります。

 

 

<きみは生き延びることが出来るか!?>
 

 最後に、運動エネルギーや衝撃力とは別なアプローチから、スーちゃんの体当たりの威力を検証してみましょう。何をするかというと、実際に我らが主人公・桜坂柳也が、スーちゃんの体当たりの直撃を受けた場合を想定して、どれくらいの負荷がかかるのかを計算するのです。

柳也「うぇぇ!? 俺!?」

 うん。お前。

 柳也のスペックは、ファンタズマゴリアに召喚されたばかりの時点で身長一八二センチメートル、体重七五キログラムです。体重七五キログラムの柳也が、無謀にもスーちゃんの体当たりを真っ向から受け止めたらどうなるか? 解答は、吹っ飛ばされるか、万が一にもその場で踏ん張ろうとするかで変わってきます。

 まず、体当たりの直後、柳也が吹っ飛ばされたパターンを考えてみましょう。

 話をシンプルにするために、状況は、完全に静止している状態の柳也に、スーちゃんが秒速二二・二メートルで突っ込んでいった、と仮定します。

 両者がぶつかる直前の運動量は、スーちゃんの運動量に等しくなります。運動量という、また耳慣れない単語が出てきましたが、要は力積です。kgm/sという単位で表されるものです(=質量×速度)。

 スーちゃんの運動量は、

 

 10,640(kg)×22.2(m/s)=236,208(kgm/s)

 

となります。さて、ぶつかった直後、両者が一体(75kg+10,640kg=10,715kg)となって速度Vで動いたとすると、その運動量は運動量保存の法則によって、上記の値に等しくなります。このことから、速度Vは、

 

 V=236,208(kgm/s)÷10,715(kg)=22.04(m/s)

 

という具合に、算出できます。つまり、柳也は体当たりの直後、このスピードで射出されるわけです。重力や空気抵抗によって徐々に速度が落ちていくとはいえ、彼は地面に落下するまでの間、基本的にこの速度で吹っ飛んでいきます。

 このとき、柳也の体にはどれぐらいの衝撃がかかるのでしょうか? 上記の計算の通り、柳也の衝突前の運動量はゼロで、衝突後は秒速22.04メートルで吹っ飛ばされるので、

 

 75(kg)×22.04(m/s)=1,653(kgm/s)

 

となります。

 力は、『増加した運動量÷力の作用時間』という式によって、求めることが出来ます。一般に体当たりのような“重い”打撃は、衝撃の作用時間は拳による突きよりも長くなるといわれます。ボクサーのストレート・パンチの衝撃作用時間が、〇・〇一秒あるかないかというぐらいなので、単純に十倍の〇・一秒と考えて計算してみましょう。……十倍の根拠? ありません。単に、キリの良い数字だったから採用しただけです。タハ乱暴はバリバリの文系大学出身なので、その辺の数字へのこだわりはあまりありません。

 

 1,653(kgm/s)÷0.1(s)=16,530(kgm/s^2)

 

 力積は、kgm/sの他に、キログラム重(kgw)という値でも表すことが出来ます。この場合は、柳也の体にどれぐらいの力がかかっているか、という意味で用います。kgm/sとの関係は、『1kgw・s=9.8kgm/s』となります。

 

 16,530(kgm/s^2)=1,686.7(kgw)

 

 分かりやすく、一七〇〇kgwとしましょう。つまり、体当たりの最中柳也の体には、平均で一・七トンの力が、〇・一秒間かかっていたことになります。瞬間の最大衝撃力は二〜三倍にもなったでしょう。人間の骨が耐えられる最大の荷重が一・六トンですから、神剣の強化がなければ、内臓破裂は無論、複雑骨折という事態もありえるでしょう。しかも、体当たりの直後、柳也の体は秒速二二・〇四メートルで飛んでいるわけですから、実際のダメージはもっと大きくなると考えられます。

 さて、次に万が一にも柳也が根性を出してその場で踏ん張ってしまった場合を考えてみましょう。

柳也「あの、俺、もうこの時点でぼろぼろなんだけど……」

 我らが主人公の意見は華麗にスルー。

 さて、スーちゃんの運動量は衝突前の236,208kgm/sから、衝突後のゼロに変化します。力の作用時間を前と同じ〇・一秒とした場合、柳也の受ける平均の衝撃力は、

 

 236,208(kgm/s)÷0.1(s)=2,362,080(kgm/s^2)=241,029kgw

 

となります。分かりやすく、241,000kgwとしましょう。平均の衝撃力は二四一トンとなります。最大衝撃力は二〜三倍なので、マックス七〇〇トン超の衝撃が、柳也の六尺豊かな体躯を駆け巡ることになります。人間の骨が耐えられる最大の荷重が一・六トンですから、神剣の強化がなければ……

柳也「いやいやいや、強化されていても、これは無理! これはキツイ!」

 

 

<いや、マジで生き延びることが出来るか、みんな?>
 

 ここまでの計算をまとめると、スーちゃんの体当たりのパワーは次のようになります。

 

● 運動エネルギー

 二六二万二〇〇〇ジュール …… ダイナマイト六本以上のエネルギー

 

● 衝撃力

 二六八トン/平方メートル

 

● 柳也のダメージ

 秒速二二・〇四メートルで吹っ飛ばされる。その際には、平均一・七トンの衝撃が〇・一秒間、体内を駆け巡る。ちなみに万が一踏ん張っちまうと、平均二四一トンの衝撃が〇・一秒間体内を駆け巡ることになる。

 

 ……なんか、計算すればするほど、恐ろしい数字が出てくるなぁ。しかもスーちゃんには、咬合力が最大八トンにもなるという顎の力もあるわけだし……勝てるんかな、柳也達? ってか、生き残れるんかな、あいつら?




ワルドが四十七人。
美姫 「それだけでも悪夢なのに、才人たちの方にはティラノまでだしね」
ピンチなんてもんんじゃないよな。実際、柳也も最後には倒れてしまってたし。
美姫 「おまけによる補足で改めてスーの凄まじさも浮き彫りだしね」
だよな。あの巨体であの速度ってだけでも恐ろしいのに知恵もある。
美姫 「折角チャンスを作ったけれど、それも最後の最後でどうなったのか分からないしね」
ああ、とっても気になる!
美姫 「そんな続きはこの後すぐ!」



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