始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂で、ウェールズ皇太子は新郎と新婦の登場を待っていた。
礼拝堂には彼の他にケティの姿があるのみで、他に人はいない。みな、来るべき総攻撃への備えで忙しいためだ。ウェールズ自身、多忙な中、なんとか時間を見つけての神父役だった。結婚式が終われば、すぐにまた軍の指揮を執るため司令部に戻らねばならない。ゆえに、ウェールズの装いは軍服のままだった。普通、この種の祝い事の席では、皇太子は専用の礼服を着用するのが通例だが、今回は着替える時間も惜しい。敵はもう、すぐそこまで迫っているのだ。
ブリミル像の前に立つ軍服姿のウェールズは、唯一の来賓たるケティに視線を向けた。
長椅子に腰かける彼女はどことなく眠たげだった。式の開宴は正午前のつもりで眠っていたところを、いきなりたたき起こされたのだから無理もない。瞬きのつもりがそのまま瞑目を続け、うつらうつらしては、はっ、となってかぶりを振る彼女に、ウェールズは気の毒そうな眼差しを送った。
「まだまだ寝たりないようだね、ロッタ嬢」
「はい……あ、い、いえ!」
ウェールズが気さくに声をかけると、睡魔と格闘中だったケティは、一度は首肯するも、慌ててかぶりを振った。つい条件反射で頷いてしまったが、すぐに自分の答えが恥ずかしいものだと気が付いて、前言を否定する。
それから彼女は、ウェールズの視線から逃れるように俯いた。この年頃の貴族の娘にとって、若い男性に寝姿を見られるというのはこの上なく恥ずかしいことだ。俯く彼女の顔は、耳まで真っ赤だった。
ウェールズは苦笑しながら、新郎新婦を待つ間の時間潰しのつもりで、なんとはなしに声をかける。
「ヴァリエール嬢とは、付き合いが長いのかい?」
戦争中のアルビオンに潜入し、進退窮まった王党派と接触、姫の手紙を回収する。斯様に過酷な任務に志願するくらいだ。チームの結びつきはさぞ深かろう。そう考えての質問だったが、対するケティの返答は、なんとも拍子抜けするものだった。
「いいえ、知り合ってまだ一ヶ月も経っていませんわ。ワルド子爵にいたっては、昨日今日のお付き合いです」
「一ヶ月未満? それにしては、ずいぶん仲が良さそうに見えたが」
「付き合いの長さと、友情の度合は、必ずしも比例しない、ということですわ」
ケティは破壊の杖事件や永遠神剣のことを伏せた上で、自分達の出会いのエピソードをウェールズに語って聞かせた。
魔法学院伝統の、春の使い魔召喚の儀の際に召喚された得体の知れない二人の男。彼らの示した圧倒的な力。当時、自分と付き合っていたギーシュは、ただの平民にすぎない少年の斬撃に敗れた。ただの変質者と思われていた男の鉄拳は、青銅のゴーレムのボディを一撃で破壊してみせた。自分はこのときはじめて、あの二人に興味を抱いた。敗れたギーシュが柳也に弟子入りを果たしたその翌日、自分は勇気を出して、彼らに話しかけた。
「平民が実力でメイジに打ち勝つ、か……それは凄いな」
才人とギーシュの決闘に至るまでの経緯と、その顛末を聞いたウェールズは、思わず唸り声を発した。
それから、思い出したように彼は言う。
「そういえば、あの二人の髪と瞳の色は、トリステイン人ではあまり見ない色だったな」
「……お二人とも、外国人なんです」
まさか異世界から召喚された、などとは言うわけにもいかず、ケティは曖昧に笑って言った。
実際、書物などによると、ハルケギニアよりはるか東方に位置するロバ・アル・カリイエでは、黒髪黒目の人種も珍しくないという。
「外国か。いったい、どんなところなんだろう?」
「さあ……お二人とも、あまり故郷のことは口にしないものですから」
言いながら、ケティははたと気が付いた。
そういえば自分は、才人や柳也が異世界人だとは知っていても、二人の故郷については何も知らない。二人の故郷がどんな場所で、そこで彼らがどんな生活を送っていたのか、何も知らない。
魔法学院に帰ったら、今度、才人達とそのあたりのことについて話してみようか。そうだ。そのときにはお茶会をしよう。今回の密命に参加した全員で、任務の成功を祝いながら、身の上話に花を咲かす。我ながら素敵なアイデアを思いついた、とケティは満足げに微笑んだ。
永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー
ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃
EPISODE:40「裏切」
礼拝堂の扉が、ゆっくりと音を立てて開いた。
ウェールズとケティがそちらを振り向くと、本日の主役達が並んで立っていた。勿論、ルイズとワルドの二人だ。仲睦まじく寄り添い合いながら、神父役のウェールズのもとに歩み寄ってくる。
そんな初々しい新郎新婦の入場に、ケティの口元には自然と笑みが浮かんだ。
しかし、すぐに「おや?」と、小首を傾げる。
なにやらルイズの様子がおかしい。茫然とした面持ちで、きょろきょろ、と礼拝堂の中を見回している。ワルドに促され、ウェールズの前へと歩み寄るも、どうも自分を取り巻く状況が理解出来ず、混乱している様子だった。
実際、ルイズはこの状況に戸惑っていた。今朝方はやく、いきなりワルドに起こされて、用件も告げられぬままここまで連れてこられたのだ。道中ルイズは、何度となくワルドに「どこへ行くの?」と、訊ねていたが、婚約者からの返答は「着いてからのお楽しみさ」ばかりで、まさか礼拝堂に連れてこられるとは思いもよらなかった。ましてや、礼拝堂にウェールズ皇太子とケティがいるなんて……。ルイズの当惑は、いよいよ臨界点へと高まっていった。
自分の知らないところで、自分に関係する何かが決められ、進められている。
事ここに至ってそう悟ったルイズは、不安を感じた。
不安から彼女は挙動不審になり、視線を方々に飛ばした。
隣に立つワルドは、そんなルイズの態度を緊張しているだけと判じたらしく、愛おしげに微笑んで、彼女の耳元で囁いた。
「いまから、結婚式をするんだ」
驚くルイズの頭に、ワルドはアルビオン王家がから借り受けた新婦の冠を載せた。冠は、魔法の力で永久にかれぬ花があしらわれ、なんとも美しく、清楚な造りをしていた。
さらにワルドはルイズの黒いマントをはずして、やはりアルビオン王家から借り受けた純白のマントを纏わせた。神父しか身に着けることを許されぬ、乙女のマントだ。
ワルドからルイズの黒マントを受け取ったケティは、先輩メイジの花嫁姿を見て、ほぅっ、と熱っぽい溜め息をついた。
「え? え? ワルド、結婚式って?」
「いいから。きみは、僕の言う通りにすればいい」
混乱した様子で訊ねてくるルイズの背中を押して、ワルドは始祖ブリミル像の前に立つウェールズに向かって一礼した。新郎の装いは、いつもの魔法衛士隊の制服だ。衛士隊の制服は、礼服としても通用する。
「では、式を始める」
王子の声を聞いて、ルイズはますます当惑した表情を浮かべた。
ワルドの発言や前後の状況から、彼の言う式が結婚式を指しているのは明白だった。では、いったい誰の式なのか? まさかとは思うが、自分の? ワルドと、自分の結婚式……?
混乱した頭で必死に現状を把握しようとする間にも、式の段取りは着々と進んでいく。
「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか?」
ワルドは重々しく頷いて、杖を握った左手を胸の前に置いた。
「誓います」
新郎の迷いのない返事に、ウェールズはにっこり笑って頷き、今度はルイズに視線を移した。
隣に立つワルドが、「さあ、きみの番だ」と、小さく囁く。
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」
ウェールズに朗々と名前を呼ばれ、ルイズはようやく、自分の置かれている現状を理解した。
間違いない。いまは結婚式の最中で、ウェールズ皇太子は神父役。新婦は自分で、新郎はワルド。幼い頃に憧れた、頼もしい子爵様。
両家の父が交わした、結婚の約束。幼い心の中に、ぼんやりと想像していた未来。それがいま、現実のものになろうとしている。
そう、認識したとき、ルイズは急に、胸の奥が苦しくなるのを自覚した。
ワルドのことは嫌いではない。好きか嫌いかでいえば、間違いなく好いている相手だ。社会的な地位だって申し分ない。彼の妻になれるのなら、こんなに誇らしいことはないだろう。
でも、それならば、どうして、こんな……
――どうして、こんなに胸が痛いのよ……。
痛い。
切ない気持ちで、胸が痛い。
どうしてこんな気持ちになってしまうのか。
どうしてこんなに、沈んだ気持ちになってしまうのか。
滅びゆく王国を目にしたから? 愛する者を捨てて、望んで死に向かおうとする王子を目の当たりにしたから?
違う、と、そう思った。悲しい出来事は、たしかに心を傷つける。けれど、このような雲を心にかからせはしない。深い、沈鬱な雲を、かからせはしない。
ルイズは女神の杵のバルコニーで、柳也と一緒にグラスを傾けたときのことを思い出した。
あの夜、ゼロの自分ではワルドの隣に立つのに相応しくない、と言った己に、異世界からやって来た従者は、突き放した口調と態度で言った。
『るーちゃんは、才能がないから、ただそれだけで、好きな人の隣に立つことを、諦めるのか? ゼロのルイズだから、というだけで、諦めるのか?』
その問いを受けて、ルイズは最初、「やっぱり無理よ」と、返答しかけた。ゼロの自分がワルドの隣に立ったところで、やっぱり惨めな思いをするだけだ。そんな悔しい気持ちに、自分の心は耐えられない。暗い気持ちになったルイズは、しかし次の瞬間、頭の中で想像してみた。
もし、隣に立つ相手がワルドでなかったら。たとえば、自分のことをいつも困らせてばかりいる、目の前の従者だとしたら。
諦めたくない、と思った。
諦めたくない、と思えた。
ワルドの隣に立つ姿を想像したときは、諦めかけたのに。
柳也の隣に立つ姿を想像したときは、諦めたくない、と思った。
気が付くと彼女は、「諦めたくない」と、答えていた。目の前の男の隣に立つ姿を想像しながら、自分の意思を告げていた。
なぜ、あのとき自分は、柳也のことを思い浮かべたのだろう?
彼の他にも、知り合いの男は大勢いるのに。なぜ、よりにもよって柳也の隣に立つ姿を想像してしまったのだろう?
なぜ、柳也のことを思い浮かべたときは、諦めたくない、と思えたのだろう?
なぜ?
あるいは、どうして……?
その理由に、気が付いて、ルイズは顔を赤らめた。悲しみに耐えきれず、昨晩、柳也の胸に抱きしめられるがままになった理由に気が付いた。
それは本当の気持ちだろうか?
わからない。でも、確かめる価値はあるはずだ。
なぜなら、異性の胸に抱きしめられて、身体を預けてしまうなんて……身体を許してしまうなんて、どんなに感情を高ぶらせたって、ついぞなかったことなのだから。
「……新婦?」
ウェールズが、怪訝な表情でこちらを見ていた。
ケティも、訝しげに小首を傾げながら、自分の横顔を見つめていた。
ルイズは慌てて顔を上げた。
式は、自分のあずかり知らぬところで続いている。現状を把握したにも拘らず、ルイズの表情からは戸惑いが消えなかった。今度の当惑は、状況を把握出来ていないことに対するものではない。ワルドとの結婚に対する、戸惑いと、躊躇だった。
どうすればよいのだろう? こんなときにはどうすれば……? ルイズは胸の内で何度もその言葉を呟いた。けれども、いくら胸の奥で訴えたところで、誰も答えてはくれなかった。答えられるはずがなかった。唯一、答えを持っているであろう従者は、いまは自分の側にいない。
「緊張しているのかい? 仕方がない。初めてのときは、ことが何であれ、緊張するものだからね」
だんまりをする自分に、ウェールズはにこやかに笑いながら続けた。
「まあ、これは儀礼にすぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして夫と……」
何度も、何度も、胸の内で呟いて。考えを巡らせて、ルイズは、ようやく気が付いた。
誰もこの迷いの答えを、教えてはくれない。
どうするべきなのかは、自分自身で考え、決断せねばならない。
自分はどうしたいのか、ちゃんと態度で示し、自らの口で、告げなければならない。
ルイズは、ゆっくりと深呼吸をして、小さく頷いた。
決然とした眼差しでウェールズを見て、彼の言葉の途中で、かぶりを振った。
ウェールズの、ワルドの、そしてケティの顔に、訝しげな表情が浮かんだ。
「新婦?」
「ルイズ?」
「るーちゃん?」
ルイズは、ワルドに向き直った。悲しげな表情を浮かべ、再びかぶりを振った。
「どうしたね、ルイズ? 気分でも悪いのかい?」
「違うの。ごめんなさい……」
「日が悪いなら、改めて……」
「そうじゃない。そうじゃないの」
ルイズは辛そうに呟いて、けれども真っ直ぐな視線で、ワルドの顔を見上げた。
かつての憧れの子爵様に、万感の思いを篭めて、言の葉を、紡ぎ出した。
「……ごめんなさい、ワルド、わたし、あなたとは結婚出来ない!」
「……新婦は、この結婚を望まぬのか?」
ルイズの発言に茫然と驚きながら、ウェールズは訊ねた。
ルイズは皇太子に向き直ると、深々と謝罪のため頭を垂れた。
「その通りでございます。お二方と、わたしの結婚を祝うためにこの場に来てくれた友人には、たいへん、失礼をいたすことになるますが。……わたくしは、この結婚を望みません」
ワルドの顔に、さっと朱が差した。顔の紅潮と同時に、わなわなと肩が震え出す。
ウェールズは困ったように首をかしげ、残念そうにワルドを見た。
「子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」
しかし、ワルドはウェールズを見向きもせずに、ルイズの手を取った。
「……緊張、しているんだ。そうだろう、ルイズ? きみが、僕との結婚を拒むわけがない」
「ごめんなさい、ワルド……。憧れだったのよ。もしかしたら、恋だったかもしれない。でも、今は違うわ」
ワルドがルイズの肩を掴んだ。
ルイズは思わず顔をしかめた。
女の細い肩を抱くには不適当な強すぎる力で、ワルドは彼女の肩を揺さぶった。
灰色の眼差しが、まがまがしく吊り上がる。表情が、ルイズの知っているいつもの優しいものでなく、どこか冷たいものを感じさせる、爬虫類じみたものに変わった。
「世界だ、ルイズ。僕は世界を手に入れる! そのために、きみが必要なんだ!」
ワルドは熱っぽい口調で、叫んだ。
いきなり豹変した婚約者の態度に怯えながら、ルイズは必死に首を振った。
「わたし、世界なんていらないもの」
ワルドはルイズの肩から手を放した。
圧迫からの解放に、ルイズの顔に一瞬だけ、安堵の表情が浮かぶ。しかし、本当に一瞬だけのことだった。ワルドは両腕を広げると、凄絶な形相で彼女に詰め寄った。ルイズの表情が、また怯えたものへと変わった。
「僕にはきみが必要なんだ! きみの能力が! きみの力が!」
ワルドの剣幕に圧倒されて、ルイズは慄然と震えた。優しかった彼が……憧れだった子爵様が、こんな顔をして叫ぶ姿を、ルイズは知らない。見たことがない。彼女は無意識のうちに後じさった。
「ルイズ、いつか言ったことを忘れたか! きみは始祖ブリミルに劣らぬ、優秀なメイジに成長するだろう! きみは自分で気づいていないだけだ! その才能に!」
「ワルド、あなた……」
ルイズの声が震えた。
自分の知っている、ワルドではない。
いったい何が、彼をこんな物言いをする人物に変えたのか?
得体の知れない未知への恐怖に、ルイズは自らの身体を抱きしめ、震えた。
◇
これ以上、ジャクソン号に留まる理由はない。
ドーチェスター卿の撤退の号令を耳にした柳也は、槍を放り投げ、代わりに才人を抱きかかえると、高射砲の射程から逃れるべく高度を上げる飛行船から飛び降りた。
これまで温存していたマナを開放し、極限まで運動能力を高める。
その上での高度二十メートルからのジャンプは、はたして、見事成功した。
柳也は才人を胸の内に抱きながら、背中から城の裏庭に落下した。着地の瞬間には、背中を中心にオーラフォトン・シールドを展開した。落下の衝撃はすべてシールドに吸収され、二人は落下のダメージなく帰還することが出来た。
背中から着地をするなりすぐさま立ち上がった二人を見て、王軍の兵士達は唖然とした表情を浮かべた。
二人はそんな彼らを無視して、ゴーレムによる投石を続けるマチルダのもとに駆け寄った。やけに慌てた様子だった。マチルダは怪訝な表情で二人を迎えて、彼らの話を聞いて、すぐに表情を硬化させた。
ゴーレムをもとの土くれに戻し、三人は鬼気迫る面持ちで城の裏口へと急いだ。
◇
ルイズに対するワルドの権幕を見かねたウェールズが、間に入ってとりなそうとした。
「子爵、きみはフラれたのだ。いさぎよく……」
しかし、肩に置かれた手を、ワルドは撥ね退けた。
「黙っておれ!」
ウェールズはワルドの言葉に驚き、立ち尽くした。ここにきて彼も、ワルドの態度が明らかに尋常ではないことに気が付いた。
ワルドは強引にルイズの手を取った。彼女はまるで蛇に絡みつかれたように感じた。
「ルイズ! きみの才能が僕には必要なんだ!」
「わたしは、そんな、才能のあるメイジじゃないわ」
「だから何度も言っている! 自分で気付いていないだけなんだよ、ルイズ!」
ルイズはワルドの手を振りほどこうとした。しかし、物凄い力で握られているために、振りほどくことが出来ない。異様な握力だった。単に、男女の筋力差では説明のつかない、万力のような握力だった。苦痛に顔を歪めながら、ルイズは呻いた。
「そんな結婚、死んでも嫌よ! あなた、わたしをちっとも愛してないじゃない。わかっわ、あなたが愛しているのは、あなたがわたしにあるという、ありもしない魔法の才能だけ。ひどいわ。そんな理由で結婚しようだなんて。こんな侮辱はないわ!」
ルイズは思いっきり暴れた。ウェールズが、再びワルドの肩に手を置いて、引き離そうとした。しかし、ワルドはまたしてもその手を払いのけた。そればかりか、左腕を振り抜いて突き飛ばした。
ウェールズの顔が、一気に紅潮し出した。皇太子は立ち上がると、懐から杖を抜いた。
茫然と成り行きを見守っていたケティも、ことここに至って、杖を手にした。その照準は、ワルドに向けられている。
「うぬ、なんたる無礼! なんたる侮辱! 子爵、いますぐにラ・ヴァリエール嬢から手を放したまえ! さもなくば、我が魔法の刃がきみを切り裂くぞ!」
ワルドは、そこでようやくルイズから手を放した。
それまでの酷薄な表情から一転、どこまでも優しい、慈愛の笑みを浮かべる。嘘で塗り固められた笑みだった。
「こうまで僕が言っても駄目かい? ルイズ。僕のルイズ」
ルイズは恐怖と怒りで震えながら言った。
「いやよ、誰があなたなんかと結婚なんかするもんですか!」
「……この旅で、きみの気持ちを掴むために、随分、努力したんだが……」
ワルドは芝居がかった仕草で天を仰いだ。小さくかぶりを振って、ルイズを見る。
「こうなっては仕方がない。ならば、目的の一つは諦めよう」
「目的?」
ルイズは首を傾げた。ワルドの言葉の意味が、まったく分からなかった。
ワルドは形の良い唇の端をつり上げると、禍々しい笑みを浮かべた。
「そうだ。この旅における僕の目的は三つあった。その二つが達成出来ただけでも、よしとしなければな」
「達成? 二つ? ……どういう、こと?」
ルイズは不安におののきながら、訊ねた。心の中で、考えたくない想像が急激に膨れ上がった。
ワルドは、右手を掲げると、人差し指を立ててみせた。
「まず一つは、きみだ。ルイズ。きみを手に入れることだ。しかし、これは果たせないようだ」
ワルドは残念そうに呟くと、次いで中指を立てた。
「二つ目の目的は、ルイズ、きみのポケットに入っている、アンリエッタの手紙だ」
ルイズの、ケティの表情が、はっ、と硬化した。
「ワルド、あなた……!」
「そして三つ目……」
ワルドの口にした『アンリエッタの手紙』という言葉で、すべてを察したウェールズが、杖を構えて呪文を詠唱した。
しかし、ワルドは二つ名の閃光のように素早く杖を引き抜き、呪文の詠唱を完成させた。尋常でない速さだった。
サーベル杖の剣身部が青白く輝いたのを見て、ウェールズの表情が驚愕で彩られる。
「エア・ニードル! 馬鹿なッ、こんな速さで詠唱出来るはずが……!?」
ワルドは、ウェールズの言葉には答えなかった。
風のように身を翻らせ、青白く光る杖で、皇太子の胸を貫いた。心臓の位置だ。
「き、貴様……レコン、キスタ……」
ウェールズの口から、ごぼっ、と鮮血が溢れた。
ルイズの、ケティの口から、悲鳴が上がった。
ワルドはウェールズの胸を光る杖で深々と抉りながら、ひっそりと呟いた。
「三つ目……貴様の命だ。ウェールズ」
どう、とウェールズは床に崩れ落ちた。
ルイズは、わななきながら怒鳴った。アンリエッタの手紙を狙い、ウェールズの命を奪った。やはり、ワルドは――――――
「貴族派! あなた、アルビオンの貴族派だったのね! ワルド!」
「そうとも! いかにも僕は、アルビオンの貴族派、レコン・キスタの一員さ」
ワルドは冷たい、酷薄な口調で、ルイズの問いに答えた。
慌ててルイズのもとに駆け寄り、彼女をワルドから引き離したケティが叫ぶ。
「どうしてですか!? トリステインの貴族であるあなたが、どうして!?」
「我々は、ハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の同盟さ。我々に国境という概念はない」
ワルドは再び杖を掲げた。
応じて、ケティもワルドに杖を向ける。
銃口を向けられているも同然のワルドは、しかし、平然と続けた。
「ハルケギニアは、我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし、“聖地”を取り戻すのだ」
「“聖地”、ですって……まさか、あなた達は!?」
「そうだ。我々は、あの蛮族ども戦う構えでいる。そして、そのための力もある」
ワルドは帽子に付けられた猛禽の羽飾りを取りはずした。
ケティの表情が、はっ、と硬化する。まさか、あの羽飾りは……。
ワルドの唇が、冷笑に吊り上った。
「気が付いたか? そうだ。僕こそが……」
「あなたが、仮面の男だったんですね……そして、その羽飾りが!?」
「そうだ。永遠神剣第七位〈隷属〉だ!」
ケティが呪文を詠唱し、杖の尖端からファイヤボールの火球が放たれた。
対して、ワルドは呪文の詠唱をせず、迫りくる炎の弾丸に向けて右手をかざした。
瞬間、突き出された掌から、黄金色の光芒があふれ出た。掌を中心に、六角形のオーラフォトン・シールドが展開される。ケティの放った炎球は精霊光の盾に吸い込まれ、そのまま消滅した。
敵の攻撃を防いだ上で、ワルドは悠然とサーベル杖を振るった。
ウィンド・ブレイクの魔法が発動し、天災そのものの突風がルイズ達を襲った。ルイズとケティは、二人まとめて吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられ、床を転がり、ルイズ達は苦しげに呻き声を上げた。内臓を痛めたらしく、ケティにいたっては顔面が蒼白になる。
ワルドはその様子を楽しそうに眺めながら、ルーンを詠唱した。礼拝堂内の空気が急速に冷え始め、ぱちぱち、と静電気がワルドの周囲に生じた。ライトニング・クラウドの呪文だ。
「婚約を結んでいた者への義理と、僅か数日とはいえ一緒に旅をした好だ。せめて、苦しまずに死なせてやろう」
ワルドは羽飾りの永遠神剣を構えて、冷たく笑った。
「〈隷属〉の力で強化された僕のライトニング・クラウドは、ドラゴンさえも一発で焼き殺す威力がある。安心したまえ。苦しむ間もなく、命を絶ってあげよう」
「……それなら」
その時、苦しげに左の腹を押さえるケティが、青色吐息の声を発した。
ワルドはケティの顔を見て、訝しげな表情を浮かべた。
少女の土気色の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。
「それなら、どうして、最初に撃たなかったんです? ライトニング・クラウド。それだけの威力があるのなら、直撃じゃなくったって、小娘二人、始末出来たはずです。ウィンド・ブレイクで吹き飛ばして抵抗力を奪って、一箇所にまとめるなんて手間は、必要なかったはずです」
「…………」
「矛盾、してますよ。あなたの言葉と、行動は。……矛盾しているということは、迷っている、ってことですよね? なんで、迷っているんです? あなたほどの人が。神剣士のあなたに、決断を躊躇わせる要因が……近付いてきているんですか? 神剣士のあなたには、その音が聞こえる?」
「貴様!」
ワルドが、激昂したように叫んだ。
羽飾りの永遠神剣を振り抜き、ライトニング・クラウドの稲妻を落とす。
ルイズと、ケティに向けてではない。
礼拝堂の、出入り口の扉に向かって。
次の瞬間、礼拝堂の扉が轟音とともに蹴破られ、オレンジ色のオーラフォトンの光芒が、雷の剣を、弾いた。
ワルドは忌々しげに扉の方を睨んだ。
オーラフォトン・バリアを展開した、桜坂柳也が、そこに立っていた。
◇
「貴様ら……」
ワルドは灰色の双眸に剣呑な輝きを宿しながら、礼拝堂の出入口を見た。
視線の先では、抜き身の脇差一尺四寸五分を片手正眼に構える柳也の他に、才人とマチルダの姿があった。
「なぜ、ここが分かった?」
「……以前、るーちゃんが言っていた」
ワルドの問いかけに、柳也が油断のない視線を向けながら答えた。
「使い魔は、主人の目となり、耳となる能力を与えられる、ってな。使い魔の見えるものが主人の目に映るんなら、その逆のパターンだって、起こりうる」
「……なるほど」
ワルドは得心した表情で頷くと、柳也の背後でデルフリンガーを正眼に構える才人を見た。
「主人の危機が、目に映ったか、ガンダールヴ」
「ああ、そうだ! ついでに、あんたの裏切りっていう、見たくないモン見ちまったけどな!」
「……最初にあの犬の怪物に襲われたときに、気が付くべきだった」
柳也は苦渋に歯噛みしながら、烈々たる視線をワルドに向けた。黒炭色の双眸が、凄絶な怒気に燃えている。
「今回のアルビオン行きは、姫さんと俺達以外には誰も知らないはずの密命だった。それなのに、どうして敵は俺達の存在を知ることが出来たのか? もっと深く考えるべきだった。そうすれば、正体までは分からずとも、内通者の可能性に辿り着いただろうに……」
「信頼が、きみほどの男をして、その眼を曇らせた。……もっとも、あの時点では、その信頼の大半は、ルイズを通してのものだったのだろうが」
「てめえ!」
才人が激昂して叫んだ。
「柳也さんは……るーちゃんは、てめえを信じていたんだぞ! 婚約者のてめえを……幼い頃の憧れだったてめえを……」
「信じるのはそちらの勝手だ」
「……残念だよ、ワルド」
柳也は憤怒の形相で、しかし悲しげに呟いた。
「俺は、あんたとは真実、心の底から、良い友達になれると思っていたのに……」
「僕もだ、リュウヤ。僕はきみ達にたくさん嘘をついたが……」
ワルドはそこで一旦言葉を区切ると、莞爾と微笑んだ。屈託のない、かつてルイズ大好きだった、優しい笑みが、そこにあった。
「あの夜の酒を美味いと感じたのは、本当だ。……なあ、リュウヤ、いまからでも遅くはない。僕たち、レコン・キスタに来ないか? きみの能力ならば、すぐに一国一城の主になれるだろう。僕たちの友情も、続けられる」
「……魅力的なお誘い、ありがとうよ」
柳也は、ワルドの提案を鼻で笑ってみせた。
「でも、残念だが、断らせてもらう」
「理由を聞いても?」
「聞くところによりゃあ、レコン・キスタの総大将……オリヴァー・クロムウェルは、三十代のおっさんらしいじゃねぇか?」
柳也はニヤリと笑った。
「そんなオヤジより、るーちゃんみたいな可愛い女の子に仕えた方が、気分が良い」
「……きみらしい、納得のいく答えだ」
柳也の笑みに釣られて、ワルドもまたニヤリといやらしい笑いをこぼした。
しかし、すぐに表情を引き締めると、右手にサーベル杖、左手に猛禽の尾羽を握った二刀流の構えで、鋭く柳也達三人を睨みつけた。戦闘力を失ったも同然のルイズとケティは、視野にも入れない。
「ならばやはり、きみたちは僕の敵だ。そして僕は、きみたちの敵だ」
「上等だ!」
才人が裂帛の気合いとともに踏み込んだ。
デルフリンガーを脇に取りながら、一陣の風となって、猛然とワルドに迫る。
逆袈裟への擦り上げ。
ガンダールヴの身体能力をもって放たれた初撃は、防御の構えすら許さぬうちに、相手の胴を斬割する……その、はずだった。
才人が踏み込むと同時に、ワルドもまた床を蹴り、後ろへと退いた。素早く、長い跳躍だった。
斬撃を避けたワルドは、優雅に着地した。まるで羽でも生えているかのような、軽妙な動きだった。ガンダールヴの才人と互角、あるいは、それ以上の運動能力がなければ出来ない回避運動だ。
「やる気は十分なようだな、ガンダールヴ」
ワルドは残忍に微笑むと、左手に握る羽飾りの永遠神剣を天高く掲げた。
「では、こちらも、本気を出すとしよう」
本気を出すとしよう。ワルドが嘯いた次の瞬間、柳也の表情が緊迫したものになった。
神剣士の感覚器官を刺激する、不穏なマナの気配。ワルドの体から感じられるマナが、急激に膨れ上がっていく。戦闘に際して、これまで隠匿していたマナを解放したのだ。始め、人間一人分にすぎなかったマナは、十人規模、二十人規模へと跳ね上がり、ついにはワルドたった一人の体から、数百人規模のマナが感じられるようになった。本調子の柳也と、ほとんど変わらない量のマナだった。
頭の中で、〈決意〉と〈戦友〉が揃って警告音を鳴らし、脳幹を揺さぶってきた。この男は危険だ。この男から感じられるマナは、消耗したいまの柳也よりもはるかに大きく、強い。戦えば、勝つにせよ、負けるにせよ、決して無事ではいられない。
二人に教えられるまでもなかった。
ワルドは鍛え抜かれた軍人で、経験も豊富な歴戦の勇士だ。武勇一辺倒の猪武者ではなく、機知にも富み、胆力にも秀でた不世出のスクエア・メイジだろう。これだけでも厄介な相手なのに、それに加えての永遠神剣と、この巨大なマナ……。強敵という以外に、この男を形容する上手い言葉はあるまい。
ワルドの、マナの増大が止まった。
本気を出す、という宣言の通り、戦闘用に貯蔵しているすべてのマナを解放したようだ。
柳也は一瞬だけ視界を赤外線モードに切り替えた。マナの増大に伴って、ワルドの筋肉の発熱量がどう変化したかを見る。すぐに、見なければよかった、と後悔した。ワルドの筋肉は、リラックスしている状態でさえ常人が運動しているときの数倍の赤外線を放射していた。つまりは、それだけ運動能力が強化されているということだ。筋肉をフルに動かしたときのパワーは、柳也をして想像がつかなかった。
残していた余力のすべてを解放したワルドは、柳也の後ろに立つマチルダを見た。
「さて、ミス・ロングビル、女神の杵の酒場では、あなたは僕の神剣について、素晴らしい推理を披露してくれたね。その、答え合わせといこうじゃないか?」
ワルドは、自らの力を誇示するかのように、芝居がかった口調で言い放った。
マチルダはそんな彼を苦々しげに見つめた。いまのワルドの態度は、かつて破壊の杖を手にしたときの自分を思い出させるものだった。永遠神剣という強大な力に溺れた、かつての自分の姿を。
「女神の杵で、たしかあなたはこう言っていたな。仮面の男の永遠神剣は、おそらく特殊能力特化型の神剣。正解だよ、ミス・ロングビル。僕の永遠神剣は第七位の〈隷属〉。羽飾り型の神剣さ。
……さて、それじゃあ、その特殊能力をご披露しよう!」
ワルドの足下に、魔方陣が出現した。神剣魔法発動のサインだ。ワルドの保有するマナが、左手の羽飾りに集中する。
させるか! と、才人が再び突貫した。
風の速さの袈裟斬り。
しかし、ワルドは体を捻って難なく避けた。
のみならず、カウンターのエア・ハンマーを叩き込み、才人の身体を吹っ飛ばした。
整然と並べられた長椅子にぶつかり、苦悶の声を漏らす才人。
悔しげにワルドのことを睨みつけるも、裏切り者の神剣士は、一瞥すらくれず、何事もなかったかのように、マチルダに視線を戻した。
「永遠神剣〈隷属〉の特殊能力……それは、あらゆる動物を自らの支配下に置き、意のままに操る能力だ」
ワルドはサーベル杖を鞘に納めると、右手を掲げた。
直後、掲げられた手の中に、突如として鉄製と思しきバングルが出現した。バングルは何もない空間から、突然、現れた。どうやら、神剣の力で召喚したらしい。
ワルドの握るバングルを見て、柳也達の顔が等しく硬化した。
鉄製のバングルに、一同はみな見覚えがあった。ラ・ロシュールを目前に、突如として襲いかかってきた犬の怪物。そして、女神の杵を襲った、サイクロプスとオーク鬼。これら幻獣達が身に着けていた首輪と、まったく同じデザインだった。柳也やマチルダが、幻獣達を操る装置と疑っている、あのバングルだ。
「このバングルを嵌められた動物は、僕と、〈隷属〉の支配下に置かれる。首輪を嵌められた動物にとって僕の命令は絶対であり、逆らうことは決して出来ない。逆らいたい意思があったとしても、首輪から注ぎ込まれる神剣の力が、絶対服従を強制するからだ。
首輪の数は全部五つ。一つの首輪につき、一体の動物を支配出来る。そして僕は現在、この首輪を、五体の動物に嵌めている。……言っている意味は、分かるね?」
ラ・ロシュールの街を目前にして襲ってきたワニの顎、犬の体躯を持った化け物。
鋼鉄の皮膚を持つ一つ目巨人、サイクロプス。
圧倒的な膂力と、高度な知性を持つオーク鬼。
この三体の他に、あと二体、まだワルドにはしもべがいるのか。はたしてそれは、どんな動物なのか。いまの自分達でも、対抗可能な存在なのか。
柳也は油断のない視線を、かつて友と呼んだ男に置いた。
「僕がしもべとしている獣はあと二体。そのうちの一体は、こういう、屋内での活動には向いていないが……」
ワルドは鉄製のバングルをもてあそびながら、冷笑を浮かべた。
「もう一体の獣は、屋内だろうと野外だろうと、十分にその力を発揮してくれるだろう」
ワルドは鉄製のバングルを宙へと放り投げるや、羽根飾りの永遠神剣を振るった。
足下の魔法陣がひときわまばゆい輝きを発したかと思うと、宙を舞うバングルが弾け飛んだ。
次の瞬間、ワルドの目の前に、巨大な、鏡のような“何か”が出現した。ラ・ロシュールで柳也達が目撃した、あのマーブル模様の鏡だ。何もない空間から、一つ目巨人のサイクロプスや、怪力のオーク鬼を召喚した、あの鏡だった。
「“隷属の軍門”。空間の連続性を無視して、瞬時にしもべの獣を召喚する魔法だよ」
出現したマーブル模様の鏡を見て、柳也達は絶句した。
ワルドが召喚した鏡は、サイクロプスやオーク鬼が飛び出してきたものよりもはるかに巨大だった。高さはおよそ十メートル、幅は最大で、八メートルはある。鏡のサイズが、召喚する動物の体格に合わせているとすれば、いったい、どれほどの巨体の持ち主が現れるのか。
絶えず変化を続けながらも、決して一つの色にまとまることのないマーブル模様の向こう側から、ズシン、ズシン、と規則的な地響きの音が聞こえてきた。どうやら、何か巨大な動物の足音のようだ。
柳也は女神の杵の中庭にサイクロプスが現れたときのことを思い出した。あの時も、鏡の向こう側から、一つ目巨人の足音が聞こえてきた。
鏡面の向こう側から聞こえる足音は、段々と大きくなっていった。
こちらに近付いている証左だ。
やがて、ぬぅっ、と巨大な鼻先がマーブル模様の鏡面から飛び出した。どうやら前傾姿勢で歩いているらしく、まず鼻先だけが飛び出した。濃緑色の皮膚、分厚い上顎と下顎が柳也達の視線を集めた。
次いで頭部のすべてが、胴体が、やがて全身が、鏡の中から飛び出した。
現れた獣を見て、柳也達は圧倒された。
巨大な、真実それ以外の形容が思いつかない、巨大な獣だった。
まず目を引いたのが巨大な頭部だった。顎の大きさなどは、人間をひと口で呑み込めてしまいそうなほどに大きい。次いで目を引くのは、そんなにも巨大な頭骨を支える、太い首だった。爬虫類を連想させる強固な皮膚越しにも、筋肉の層が幾重にも重なって首の骨を覆っているのが見て取れる。
頭部の大きさに比して、胴体もまた巨大だった。二本の足で礼拝堂の床を踏み、前足は地面に着いていない。二本の指を持った前肢は進化の過程で不要となったらしく、短かった。対照的に巨体を支える後ろ足は逞しく発達している。前傾姿勢時のバランスを取るためだろう、太く長大な尻尾を持ち、鼻先から尻尾の先までの全長は、ゆうに十五メートルはあろうかと思われた。
太い首には、あの鉄製のバングルが巻かれている。首輪からは鉄の鎖が伸び、やはり、マーブル模様の鏡面へと伸びていた。
現れた獣は、柳也達を見た。前へと突き出した口のやや後ろに、ぎょろり、と二つの目が前方を向いて並んでいる。人間と同様、立体視の出来る構造だった。
咆哮。
礼拝堂の空気が震撼し、柳也達の表情が慄然と引き攣った。
大きく顎を開いた獣の口の中には、大きなもので二十センチ以上はあろう、バナナのような長大な牙が並んでいた。
顎の大きさや開き具合から察するに、咬む力は、平方センチメートル当たりトン単位のパワーだろう。加えて、あの鋭い牙の群れだ。噛み付かれれば最後、即死は確実だった。
ワルドは最悪の未来を想像して怯える一同を見て、誇らしげに胸を張った。
「紹介しよう。僕の持つ最強に最大のしもべ……スーだ!」
スー。そう呼ばれた巨大なる獣の姿を見て、ルイズ達ハルケギニア人の口から、絶望した溜め息が漏れた。
「ドラゴン……」
ドラゴン。数いる幻獣の中でも、最強の名を欲しいままにする種。種類によって様々な能力を持ち、等しくその戦闘力は絶大。暴走したたった一匹のドラゴンに、軍の一個大隊が壊滅させられた、などという話はよくあることだ。
そんな最強の幻獣種が、自分達に牙を剥こうとしている!
ドラゴンという幻想動物が身近なハルケギニア人達は等しく戦慄した。
特に、ルイズの震えようは酷かった。目の前のドラゴンはどの図鑑にも載っていない、初めて見るタイプだ。しかし、歯を剥き出しにした凶悪な容貌とその巨体は、ルイズを怯えさせるのに十分な威圧感を発していた。
他方、柳也と才人、二人の地球人は、出現したドラゴンを見て茫然としていた。
ともに浮かべる表情は困惑の相。
あれはまさか……いやしかし、そんなことが……。
二人の地球人は現れた巨竜を食い入るように見つめ、己が目を疑い、しかし、一度抱いた疑念を捨て去ることは出来ず、やがて確かめ合うように呟いた。
「才人君、あれは、まさか……」
「……たぶん、柳也さんの思っている通りだと思います」
才人は、信じられないものを見る眼差しで、ドラゴンを見た。
死者との邂逅。その驚愕から、震える声で、彼は言った。
「間違いありませんよ。あれ、ティラノサウルスです!」
<あとがき>
なんか、予想よりも長くなっちゃったなぁ〜。もっと、スマートに話を詰め込む予定だったんだけど……だれてないかな? 読者の皆さん。
というわけで(相変わらずどういうわけかわからない)、はい、読者の皆様、おはこんばんちはっす。
タハ乱暴でございます。今回もゼロ魔刃をお読みいただき、まことにありがとうございます! 今回の話は、いかがでしたでしょうか?
今回のEPISODE:40を持ちまして、ついに風のアルビオン編最後の戦いへと突入しました。ワルドの裏切りの発覚。明かされる永遠神剣の秘密。そしてついに現れた巨大なる獣、ティラノサウルスのスー!
……ああ! やめて! 石を投げないで! 自分でも安直なネーミングだな、って思っていますから! 「手抜きか、タハ乱暴!?」とか言わないでください! でも、これ以外にしっくりくる名前がなかったんです! スーザン先生ごめんなさい! 読んでないとは思いますけどごめんなさい!
(以下謝罪の時間が続く)
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さて、読者の皆様と敬愛するべきティラノサウルス研究家諸氏への謝罪が終わったところで、説明をば。
ワルドの最後の獣をティラノサウルスにしようっていう案は、風のアルビオン編の構想段階から決めていたことでした。
原作の流れに沿った二次創作を書く以上、世に送り出す作品は、原作と同じか、それを超えるものでなければならない。客観的な評価はともかく、少なくとも意気込みだけは、原作以上のものを注がなくてはならない。
これはタハ乱暴が二次創作を書く上でいつも意識していることなのですが、いかにして原作の風のアルビオン編を超えるか、それを考えた際に思い浮かんだのが、敵であるワルドの強化でした。まず永遠神剣を持たせることが決まり、続いてその能力が決まり、そして最後に、ティラノサウルスの登場が決まったのです。
最終決戦では、ワルドと、ワルドのしもべの中でも最強の獣がタッグを組んで戦う。この路線が決定した段階で、じゃあ、その最強のしもべを何にするかで悩みました。読者の皆さんをあっと驚かせるような、パンチの効いた動物を如何にして描写するか。既存の動物か。オリジナルか。原作に登場した動物をパワーアップさせるか。あれこれ考えた末に、ティラノサウルスになったのです。
なお、今回登場したティラノサウルスのスーちゃんですが、外見の描写は、「ブリアンのティラノ」という有名な復元画のティラノサウルスをベースに、想像を膨らませて書きました。このブリアンのティラノ、オリジナルは五十年近く昔に描かれたものなんですが、現代の目から見ても実に素晴らしい! ティラノが、非常にかっこいいんです! 執筆の間は、写真を眺めつつ、もうウキウキした気分でキーボードを叩いておりました。
ちなみに、よく言われるティラノに羽毛があった説は、本作では採用しておりません。タハ乱暴は、ティラノには羽毛はなかったと信じている人なので。……っていうか、ない、って信じたいです。あったとしても、成体に成長した段階ですべて取り払われていると思いたいです。だって想像したらかっこ悪いんだもん!
さて、いよいよ次回からゼロ魔刃、風のアルビオン編は最終回となります。
次回もお付き合いいただけましたら、幸いです。
ではでは〜
結婚式の流れはケティが居る事を除けば、大よそ原作通りに。
美姫 「でも、ここからよね。柳也に加えてマチルダも居る状況」
とは言え、相手も切り札を投入だしな。まさか、ティラノサウルスが登場するとは。
美姫 「才人たちはルイズたちとは別の意味で驚きでしょうね」
だろうな。果たして、このコンビに勝てるのか。
美姫 「次回が非常に気になります」
次回も楽しみにしてます。