才人達を乗せた軍艦イーグル号は浮遊大陸アルビオンの複雑な海岸線を、雲に隠れるようにして航海した。三時間ばかりそうして進んでいると、やがて大陸から突き出した岬が視界に映じた。岬の突端には、高い城がそびえている。

 ウェールズは後甲板に立った才人達に、あれがニューカッスルの城だと説明した。反乱軍に追い詰められた王国軍は、現在あの城で篭城戦の真っ最中だという。

 イーグル号は真っ直ぐニューカッスルには向かわず、大陸の下側に潜り込むような針路を取った。

「なぜ、下に潜るんですか?」

 才人の問いに、ウェールズは城のはるか上空を指差した。

 遠く離れた岬の突端のさらにうえから、巨大な船が降下してくる途中だった。慎重に雲中を航海しているので、向こうからはイーグル号は雲に隠れて見えないようだった。

「叛徒どもの戦艦だ」

 イーグル号の優に二倍はある、巨大なガレオン・タイプの戦艦だった。あの船と比べると、マリー・ガランド号が玩具のように思えてしまう。

 巨大戦艦は、ゆるゆる、と降下したかと思うと、ニューカッスルの城めがけて並んだ砲門を一斉に開いた。どこどこどっこーん! と、砲声が腹の底に響いてくる。斉射の震動は、イーグル号まで伝わってきた。砲弾は城に着弾し、城壁を砕き、小さな火災を発生させた。

「かつての本国艦隊旗艦、ロイヤル・ソヴリン号だ。叛徒どもが手中に収めてからは、レキシントンと名前を変えている。奴らが初めて我々から勝利をもぎ取った戦地の名だ。よほど名誉に感じているらしいな」

 ウェールズは微笑みを浮かべながら言った。

「あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。あのように、たまに嫌がらせのように城に大砲をぶっ放していく」

 毛布にくるまりながら甲板に座る柳也は、神剣士の視力で件のガレオン・タイプを仰ぎ見た。特筆するべきはやはりその火力だ。上下二段の砲列は、片舷側だけで五十門近いカノン砲が並んでいる。また、甲板上には十数頭のドラゴンの姿が見て取れた。なんとなく、地球における艦上戦闘機を連想させた。

「備砲は量舷合わせ、一〇八門。おまけに竜騎兵まで積んでいる。あの艦の反乱から、すべてが始まった。因縁の艦さ。さて、我々の船はあんな化け物を相手に出来るわけもないので、雲中を通り、大陸の下からニューカッスルに近付く。そこに、我々しか知らない秘密の港があるのだ」

 

 

 雲中を通って大陸の下に回ると、辺りは真っ暗になった。大陸が頭上にあるため、日の光が差さないためだ。おまけに雲の中だから、視界はゼロに等しかった。

「頭上の大陸に座礁する危険があるからね。反乱軍の軍艦は、大陸の下には決して近づかないんだ」

 ウェールズはみなにそう語って聞かせた。ひんやりとした、湿気を孕んだ冷たい空気が、甲板の才人達の頬をなぶった。

「地形図を頼りに、測量と魔法の灯りだけで航海することは、王立空軍の航海士にとって、なに、造作もないことなのだが。……貴族派、あいつらは所詮、空を知らぬ無粋者なのさ」

 しばらく航行すると、頭上に黒々と穴が開いている部分に出た。直径三〇〇メートル近い大穴だ。マストに灯した魔法の灯りが照らす中、巨大な大穴がぽっかりと口を開けている様は、なんとも壮観だった。

「一時停止。知事停止、アイ・サー」

 掌帆手が命令を復唱する。命令一過、水兵達は手際よく帆をたたみ、穴の真下で、ぴたり、と停船させた。暗闇の中でもきびきびとした動作を失わないのは、日頃の訓練がいかに苛酷なのかを物語っていた。

「微速上昇」

「微速上昇、アイ・サー」

 ゆるゆる、とイーグル号は穴に向かって上昇していった。ちょっとでも操艦を誤れば船は大陸に激突し、沈没は免れられない。だというのに、王立空軍の勇士達の動きからは一切の迷いが感じられなかった。彼らは大胆かつ慎重に、イーグル号の高度を上げていった。

 無駄な動作は一切なく、ぴたり、と呼吸を合わせる船員達を眺めながら、ワルドが頷く。

「こそこそとまるで空賊ですな。殿下」

「まさに空賊なのだよ。子爵」

 ウェールズ皇太子は莞爾と微笑んだ。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:36「前夜」

 

 

 

 穴に沿って上昇すると、いつしか頭上に灯りが見えた。そこへ向かって吸い込まれるように、イーグル号は上昇を続けた。

 やがて眩いばかりの光に晒されたかと思うと、才人達の視界に、巨大な鍾乳洞の姿が映じた。地面をびっしりと発光性のコケが覆っている。どうやらここが、ウェールズの言った秘密の港らしい。

 岩壁の上では、大勢の人間が待ち構えていた。イーグル号が鍾乳洞の岩壁に近づくと、いっせいにもやいの縄が飛び交った。水兵達は手際よくその縄をイーグル号に結わいつけた。船が岸壁に引き寄せられ、車輪の付いた木製のタラップがごろごろ近付いてくる。艦に、ぴったり、と取り付けられたのを確認して、ウェールズはルイズ達を促した。

 タラップを降りると、鍾馗髭をたくわえた老人が一行のもとに近寄ってきた。老人とはいうものの、一八〇センチ近い長身はがっしりと肉付きよく、腰も曲がっていなかった。重い鎖帷子の鎧を、苦もなく着こなしている。鎧の上から羽織ったぼろぼろのマントは、老人がメイジであることを示していた。

「殿下、本日の釣果はいかがでしたかな?」

 老メイジはウェールズの背後に控えるルイズ達に束の間、怪訝な視線を向けた後、若き空軍大将の凛々しい顔立ちを見つめた。

 ウェールズは人懐っこい笑みを浮かべて、

「喜べ、パリー。硫黄だ、硫黄! それが六〇〇キロも手に入った!」

と、叫んだ。

 パリーと呼ばれた老メイジとともに集まっていた兵隊の口から、うおぉー、と歓声が飛び出した。

「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではござらぬか! これで我々の名誉も、守れるというものですな!」

 パリーは、おいおいと泣き始めた。

「先の陛下よりお仕えして六十余年……こんな嬉しい日はありませぬぞ、殿下。反乱が起こってからは、苦渋を舐めっぱなしでありましたが、なに、それだけの硫黄があれば……」

 老メイジが莞爾と微笑み、ウェールズもにっこりと笑った。

「王家の誇りと名誉を、叛徒どもに示しつつ、敗北することができるだろう」

 敗北。その単語を耳にして、ルイズの顔色が変わった。才人も、ぎょっ、とした表情を浮かべ、何かの聞き間違いではないかと思わずウェールズの顔を見やった。

 亡国の皇太子は、心底楽しそうに笑っていた。戦争における敗北とは、つまりは死を意味している。それなのに、ウェールズは笑っていた。

 ウェールズだけではない。パリー老メイジも笑っていた。笑いながら、また敗北という言葉を口にした。

「栄光ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。して、ご報告なのですが、叛徒どもは明日の正午に、攻城を開始するとの旨、伝えて参りました。まったく、殿下が間に合ってよかったですわい」

「してみると、間一髪とはまさにこのこと! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!」

「…………」

 ――この人たちは、死ぬのが怖くないのか!?

 才人は茫然とした面持ちで柳也とパリーの顔を交互に見比べた。

 楽しげに笑いながら自分たちの死について語る二人の心情が、彼にはさっぱり分からなかった。

「して、その方たちは?」

 パリーが再びルイズ達を見てウェールズに訊ねた。

「トリステインからの大使殿と、その一行だ。重要な要件で、王国に参られたのだ」

 パリーは思わず怪訝な表情を浮かべた。滅びゆく王政府に大使がいったい何の用向きなのか? しかし、表情の変化は一瞬のことで、老メイジは皺だらけで傷だらけの顔に柔和な笑みを浮かべた。

「これはこれは大使殿、殿下の侍従を仰せつかっておりまする、パリーでございます。遠路はるばるようこそ、このアルビオン王国へいらっしゃった。たいしたもてなしはできませぬが、今夜はささやかな祝宴が催されます。是非とも出席くださいませ」

 

 

 ルイズ達はウェールズに付き従って、城内の彼の居室へと向かった。鍾乳洞の秘密港とニューカッスルの城は隠し通路で繋がっており、移動はいたってスムーズに行われた。

 ウェールズの居室は、城の天守の一角に置かれていた。部屋の戸を開けると、とても王族の部屋とは思えない、質素な佇まいの空間が広がっていた。床面積こそ二十畳近くあるものの、インテリアの類といえば、木製の粗末なベッドに椅子とテーブルが一組、それから小さなクローゼットが一つあるくらいだった。どうやらカネになりそうな高級品は、戦費調達のためにすべて売り払ってしまったらしい。

 壁には、戦の様子を描いたタペストリーが飾られている。

 どうやら王子は、根っからのいくさ人らしい。

 王子は椅子に腰かけると、机の引き出しを開いた。引き出しには、宝石がちりばめられた小箱が入っていた。ウェールズは大切そうに小箱を取り出した。

「宝箱でね」

 一同の視線が手元の小箱に集中しているのに気が付いたウェールズは、はにかんで言った。

 首からネックレスをはずす。ネックレスの先には、小さな鍵がついていた。どうやら宝箱の開錠用らしい。ウェールズは小箱の鍵穴にそれを差し込み、箱を開けた。蓋の内側には、アンリエッタの肖像が描かれていた。このサイズの肖像画を絵師が描くことは稀だ。もしかすると、ウェールズ自身が筆を執ったのかもしれない。 

 小箱の中には、一通の紙封筒が入っていた。どうやらこれが、件の手紙らしい。ウェールズは愛しそうに口づけた後、中から二つ折りになった便箋を取り出した。羊皮紙のような動物性ではなく、植物の繊維から編まれた紙は、年月を経て黄色く汚れ、ぼろぼろだった。

 ウェールズはちょっと力を入れたらいまにも千切れてしまいそうな便箋を慎重な手つきで開くと、ゆっくりと読み始めた。おそらく、アンリエッタが手紙を渡したその日から、彼は何度も、何度も、それこそ数え切れぬほどの回数、数え切れぬほどの時間、読み返したのだろう。黄色い変色は年月の経過だけではなく、彼の指の油を吸ってそうなったに違いなかった。

 別れの精読だ。

 ルイズ達は王子の気が済むまで、無言で待った。

 やがてウェールズは手紙を丁寧にたたみ、封筒に入れると、ルイズに手渡した。まるで宝物を扱うような手つきだった。ルイズもまた、恭しく手紙を受け取った。

「これが姫からいただいた手紙だ。この通り、確かに返却したぞ」

「ありがとうございます」

 ルイズは深々と頭を下げた。手元の手紙を、何か思いつめたような様子でしばし見つめる。

 ウェールズはそんなルイズから視線をはずし、ワルドと柳也を見た。

 チームのリーダーは大使のルイズでも、軍事的な判断をするのはこの二人と、空軍大将でもある王子は見抜いていた。

「明日の朝、非戦闘員を乗せたイーグル号が、ここを出港する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」

「あの、殿下……」

 手紙を見つめていたルイズが、顔を上げた。鳶色の瞳に、当惑の色が宿っている。

「さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」

 ルイズは歯切れの悪い口調で訊ねた。この質問を目の前の相手にぶつけてよいか、口にしながらも迷っている様子だった。しかしウェールズは、しごくあっさりとかぶりを振ってみせた。

「ないよ。わが軍は三〇〇、敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない」

 ルイズはすがるような眼差しで柳也を振り返った。次いで、ワルドを見る。

 ともに数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の士は、揃ってかぶりを振った。無理だ。兵力差が一六〇倍以上で、しかもこちらは籠城の身。加えて制空権は相手に握られている。この状況を引っくり返せるような策などありえない。

「我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ」

 ルイズは俯いた。胸の奥から吐き出すように、けれども、かすれた声で呟く。

「……その中には、殿下の討死なさる様も、含まれているのですか?」

「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 ウェールズは莞爾と微笑んで言った。しごくあっさりと。当たり前のように、自らの死について口にした。

 亡国の王子の笑顔を真正面から見つめたルイズは、震える肩を必死になだめ、深々と頭を垂れた。この王子に、言いたいことがあった。そしてそれは、目上の人間にぶつけるにはあまりにも礼を失した内容、礼節に欠いた言葉だった。

「殿下、失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがあります」

「なんなりと、申してみよ」

「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは……」

「るーちゃん」

 柳也がたしなめた。さすがに、それは不味い。アンリエッタの手紙は扱い次第でトリステインに災厄を招くパンドラの箱だ。決して開いてはならない。開けば、要らぬ厄介事を呼びかねない。

 しかしルイズは、構うことなく続けた。きっと顔を上げ、決然とした眼差しをウェールズに注いだ。

「この任務をわたくしに仰せつけられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで、恋人を案じるような……。それに、先ほどの小箱の内蓋には、姫様の肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げなお顔といい、もしや、姫さまと、ウェールズ皇太子殿下は……」

 ウェールズは微笑んだ。ルイズが何を言おうとしているのか察したためだ。

「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」

 ルイズは頷いた。迷いのない首肯だった。

「そう、想像いたしました。とんだご無礼を、お許しください。してみると、この手紙の内容とやらは……」

 ウェールズは額に手を当て、しばし瞑目した。言おうか言うまいか、言うべきか言わざるべきなのか、悩んでいるようだ。

 いまならまだ引き返せる。そう思った柳也は、ルイズか、ウェールズが口を開くよりも早く、言の葉を紡ぎ出そうとした。

「……ミス・ヴァリエール。きみはとても真っ直ぐな瞳をしているな」

 タッチの差だった。柳也が口を開き、喉の奥から声を発そうとしたその時、ウェールズは目を開き、ルイズの顔を見つめた。

「その瞳を前に嘘をつくのは、私の誇りが許さない。きみの想像している通りだ。これは、恋文だよ」

 恋文には、アンリエッタの熱烈な愛の言葉が記されていた。彼女は始祖ブリミルの名において、永久の愛をウェールズに誓う、としたためていた。

「……知ってのとおり、始祖に誓う愛は、婚姻の際の誓いでなければならぬ。この手紙が白日の下に曝されたならば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまうであろう。ゲルマニアの皇帝は、重婚を犯した姫との婚約は取り消すに違いない」

 婚約の取り消しは、トリステイン・ゲルマニア同盟の不成立を意味する。もしそうなれば、トリステインは一国にて、貴族派の軍勢と立ち向かわねばならない。

 ウェールズはアンリエッタからの手紙がなぜ重要なのか、才人達に語って聞かせた。

 しかしルイズは、そんな政治の話には一切の関心を寄せなかった。熱っぽい口調で続ける。

「……とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であられたのですね?」

「昔の話だ」

 ウェールズはルイズから僅かに視線をはずすと、窓の外を見やった。岬の突端に立つ城の天守からは、雲の切れ間から広大なハルケギニア大陸を見下ろすことが出来る。そしてアルビオンはいま、トリステインの上空を浮遊している最中だった。

 はたして、従妹の姫が必死に守ろうとしている国を見下ろしながら、彼は何を思っているのか。

「殿下、亡命なさいませ!」

 憂いを帯びた眼差しで、想い人の住む大陸を見下ろすウェールズの耳朶を、甲高い声が撫でた。

 振り返ると、鳶色の瞳が真っ直ぐ自分を見つめていた。

「トリステインに亡命なさいませ!」

 柳也とワルドが、同時に彼女の肩に手を置いた。

 それ以上はよせ。いくらここが公式な場でないとしても、それ以上を口にするのは駄目だ。しかしルイズの剣幕は一向に収まらなかった。

「お願いでございます! わたしたちとともに、トリステインにいらしてくださいませ!」

「それはできんよ」

 ウェールズは笑って言った。

「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼き頃、恐れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変よく存じております! あの姫さまが、ご自分の愛した人を見捨てるわけがございません! おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっているはずですわ!」

 ルイズの脳裏では、幼き頃に一緒に遊んだアンリエッタの笑顔が思い浮かんでいた。久しぶりに再会した彼女の顔に、幼い頃見た快活な笑みはなくなっていた。思い出すのは物憂れげな顔ばかりだ。ルイズは、友人のそんな顔を見ていたくなかった。だから、今回のアルビオン行きを決意した。

 ここでウェールズが死ねば、またアンリエッタはあの物憂れげな表情を浮かべるだろう。いや、今度ばかりは気丈な彼女も泣いてしまうかもしれない。友人のそんな姿を、ルイズは見たくなかった。

 しかし、ルイズの思いとは裏腹に、ウェールズはかぶりを振った。

「そのようなことは、一行も書かれていない」

「殿下!」

 ルイズはウェールズに詰め寄った。

「私は王族だ。嘘はつかぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、亡命を勧めるような文句は書かれていない」

 ウェールズは苦しそうな口調で言った。演技の下手な男だ。その口ぶりからは、ルイズの指摘が当たっていたことが窺えた。

「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」

 ルイズは、ウェールズの意思が果てしなく固いのを見て取った。彼は、アンリエッタを庇おうとしている。臣下の者に、アンリエッタが情に流された女と思われるのが嫌なのだ。

 どうしてなんだろう、と思った。アンリエッタはあんなにも王子様のことを愛していて、ウェールズもこんなに彼女のことを愛しているのに。なんで、二人の思いはすれ違っているのだろう。なんで、こんな…………

 ルイズは徐々に自分の目頭が熱くなっていくのを感じた。

 悲しくて、苛立たしくて、真っ黒な感情がふつふつと込み上げてきた。

 ウェールズは、そんなルイズの細い肩を優しく叩いた。

「きみは、正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで、いい目をしている」

 ルイズは寂しそうに俯いた。肩が震え、目尻には涙のしずくが浮かんでいた。

「忠告しよう。そのように正直では、大使は務まらぬよ。しっかりしなさい」

 ウェールズは微笑んだ。白い歯がこぼれる。甘い、魅力的な笑みだった。

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰よりも正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」

 ウェールズは机の上に置かれた盆を見た。盆の中には水が張られ、針が浮いていた。どうやらそれが時計らしい。

「そろそろ、パーティの時間だ。きみたちは、我らが王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」

 柳也は悔しげに唇を噛むルイズの肩をそっと叩いた。ルイズは力のない足取りで部屋を出て行った。その背中を心配そうに見つめながら、ケティ、才人と続く。マチルダと柳也が出て、居室にはワルドとウェールズの二人だけが残った。

 二人きりになったのを認めて、ワルドはウェールズに一礼した。ルイズと同様、彼にもこの王子に言いたいことがあった。

「まだ、何か御用がおありかな? 子爵殿」

「恐れながら、殿下にお願いしたい議がございます」

「なんなりとうかがおう」

 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはにっこりと笑った。

「なんともめでたい話ではないか。喜んでその役目を引き受けよう」

 

 

 パリー老メイジは、ルイズ達に「ささやかな祝宴」と言った。

 しかし、実際にパーティ会場のホールに足を運んでみると、そこでは、ささやか、という表現が似合わない、華やかな宴が催されていた。王党派の貴族達はまるで園遊会のように着飾り、兵達は歌や踊りで宴会の席を盛り上げていた。

 テーブルの上には、宮廷料理人達が腕を振るって作った、様々なごちそうが並んでいた。酒類も豊富に取り揃えている。戦時下で、しかも籠城側の食卓とは思えないほどの充実したラインナップだった。どうやら今日のパーティのために、いままで節約してきた食材を開放したらしい。

 ホールの中央には簡易の玉座が置かれていた。装飾を一切省いた王座には、アルビオンの現王ジェームズ一世が腰かけていた。ウェールズは彼が五十を過ぎてからようやく生まれた、待望の嫡子だった。年老いた国王は、集まった貴族や臣下の者達一人々々の顔を、目を細めて見守っていた。

 才人達一行は、会場の隅に立って、華やかなパーティを見つめていた。

 ホールに集まった王軍三〇〇の勇と、その家族達は、みな上機嫌で笑い合い、騒ぎ合っていた。

 視界に映じる笑顔の数々を、才人は寂しげな視線で眺めていた。

「明日でお終いだってのに、随分と派手なもんだな」

「終わりだからこそ、だ。明日で終わりだからこそ、いまこの瞬間を、全力で楽しもうとしているんだ。いまこの瞬間を、大切にしているんだ」

 柳也の呟きに、ワルドも頷いた。

 軍隊経験のある二人は、決戦を控えた王軍の面々を見て、思うところがあるらしい。

 パーティ会場にウェールズがやって来た。貴婦人達の間から、兵達の口から、歓声が飛んだ。若く、凛々しい王子はどこでも人気者のようだった。彼は玉座に近づくと、父王に何か耳打ちした。

 ジェームズ一世は、すっくと立ち上がろうとした。しかし、途中でバランスを崩し、よろめき倒れそうになった。現王はかなりの高齢だった。ホールのあちこちから、屈託のない失笑が漏れる。

「陛下! お倒れになるのはまだ早いですぞ!」

「そうですとも! せめて明日までは、お立ちになってもらわねば、我々が困る!」

 ジェームズ一世は、そんな軽口に気分を害した風もなく、にかっ、と人懐っこい笑みを浮かべた。なんとも涼やかな微笑みだった。どうやらウェールズは、父親に似たらしい。

「あいやおのおのがた。座っていて、ちと足が痺れただけじゃ」

 ウェールズが、父王に寄り添うようにして立ち、その体を支えた。陛下が、こほん、と軽く咳をすると、ホールの貴族、貴婦人、兵達が一斉に直立した。

 柳也達も背筋を伸ばし、姿勢を正す。ただ一人、マチルダだけは、玉座の老王に、険を帯びた眼差しを向けていた。

「諸君。忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立て籠もった我ら王軍に、反乱軍“レコン・キスタ”の総攻撃が行われる。この無能な王に、諸君らはよく従い、よく戦ってくれた。しかしながら、明日の戦い、これはもう、戦いではない。おそらく、一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇な諸君らが、傷つき、斃れるのを見るに忍びない」

 老いたる王は、ごほごほ、と咳をすると、再び言葉を続けた。

「したがって、朕は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、巡洋艦イーグル号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らも、この艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるがよい」

 ジェームズ一世の声は、老いを孕んだしわがれたものだった。しかし、気迫凛然、敢闘精神漲る、張りのある声でもあった。老王の声は、ホールの隅々に至るまで届いた。

 しかし、集まった王軍の勇達は、誰一人として返事をしなかった。

 一人の貴族が、大声で王に告げる。

「陛下! 我らはただ一つの命令をお待ちしております! 『全軍、前へ! 全軍、前へ!』 今宵、美味い酒のせいか、いささか耳が遠くなっております! はて、それ以外の命令が耳に届きませぬ!」

 その勇ましい言葉に、集まった全員が頷いた。

 男達の声が、ホール内の其処彼処から響く。

「おやおや! 陛下のいまのお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」

「耄碌するには早いですぞ! 陛下!」

 あたりは喧騒に包まれた。

 老王は目頭をぬぐい、「バカ者どもめ……」と、短く呟いた。すぐに顔を上げると、ジェームズ一世は杖を掲げ、言い放った。

「よかろう! しからば、この王に続くがよい! さて、諸君! 今宵はよき日である! 重なりし月は、始祖からの祝福の調べである! よく飲み、食べ、踊り、楽しもうではないか!」

 老王の言葉をきっかけに、パーティは最高潮の盛り上がりを見せた。

 こんな時期にやってきたトリステインからの客が珍しいらしく、王党派の貴族達が、かわるがわるルイズ達のもとへとやって来た。彼は、悲観にくれたようなことは一切言わず、六人に明るく料理を勧め、酒を勧め、冗談を言ってきた。

「大使殿! このワインを試されなされ! お国のものより上等と思いますぞ!」

「なに? いかん! そのようなものをお出ししたのでは、アルビオンの恥と申すもの! このハチミツが塗られた鳥を食してごらんなさい! 美味さのあまり、頬が落ちますぞ?」

 彼らはみな、最後には決まって、「アルビオン万歳!」と、叫んで去っていった。

 アルビオン万歳! アルビオン万歳! アルビオン万歳! その言葉を聞く度に、才人は憂鬱になった。死を前にして明るく振る舞う人達は、才人の目には勇ましいというより、この上なく物悲しい存在に映った。

 同情してはいけない、と思った。共感してはいけない、と思った。同情すれば、彼らの気持ちに共感したら、きっと涙が止まらない。華やかなパーティの雰囲気を、ぶち壊しにしてしまう。せっかくの祝宴を、台無しにしてしまう。

 ちょっとでも気を抜くとすぐ熱を帯びてしまう目頭を押さえて、才人はテーブルから失敬してきた手羽先にぱくついた。

 料理に集中していないと、視線はすぐに悲壮なる三〇〇名の勇達に向いてしまう。視線を向けたら、またぞろ、目頭が熱くなってしまう。彼らに、同情の念を抱いてしまう。

「……どうした、るーちゃん?」

 料理の皿に視線を落としていると、耳朶を柳也の声が撫でた。

 そちらを見ると、ルイズが青い顔をしてかぶりを振っていた。目に見えて元気がない。柳也のるーちゃん発言に対する突っ込みもなかった。

「……ごめん。ちょっと気分が優れないから、出るわ」

 ルイズは小さく呟くと、柳也達の返事も待たずにホールから去っていった。どうやら、この場の雰囲気に耐えきれなかったらしい。

 普段は高慢な態度が腹立たしいルイズだが、根は優しい娘だ。アルビオンの勇者達を見て、感じるところがあったようだ。

 柳也は才人と顔を見合わせると、次いでワルドを見た。ルイズの出て行った方を、顎でしゃくる。

 ワルドは、心得た、とばかりに頷くと、婚約者の後を追いかけていった。

 その後ろ姿を眺めながら、才人はふと気が付いた。ルイズとワルドの他に、姿の見えない人物がいる。マチルダだ。いったいどこに行ったのか?

「あれ? そういえば、ミス・ロングビルは?」

「……同じだ。少し前に、気分が優れないらしく、出て行ったよ」

 返答までに、やや間があった。柳也は舌先で言葉を選ぶように、ゆっくりとした口調で言った。その表情は、どこか険しい。

「るーちゃんとは別の意味で、あいつにも、思うところがあったんだろう」

「別の意味?」

 才人はもっと詳しく聞こうとしたが、彼の望みは叶えられなかった。

 一行に気が付いたウェールズが、こちらにやって来たためだ。

「やあ、楽しんでくれているかい? ミス・ロッタに……」

 ウェールズは気さくに笑いかけ、柳也と才人の顔を交互に見た。

「ミス・ロングビルの使い魔の青年と、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔の少年だったね? しかし、人が使い魔とは珍しい。トリステインは変わった国だな」

「トリステインでも珍しいですよ」

 才人は疲れた声で言った。柳也も「右に同じく」と、曖昧に笑う。

「気分でも悪いのかな?」

 やけに疲れた様子の才人の顔を、ウェールズは心配そうに覗き込んだ。優しい王子様だな、と思った。この世界では、平民など路傍の石同然に思っている貴族だっているというのに。

 才人はウェールズの気遣いを嬉しく思う一方で、またあの物悲しい気分に襲われた。ウェールズは優しい。こんなにも優しい。そんな優しい人が、明日、死のうとしている。当たり前のように、死の未来を受け入れている。そのことが、才人にはやるせなかった。

 才人は顔を上げると、ウェールズに訊ねた。

「失礼ですけど……その、怖くないんですか?」

「怖い?」

 ウェールズはきょとんとした顔をして、才人を見つめた。何に対する、怖い、なのかさっぱりわからないといった様子だ。

「死ぬのが、怖くないんですか?」

 才人はもう一度、今度は足りない言葉を付け加えて言った。

 すると、ウェールズは莞爾と微笑んだ。

「案じてくれてるのか! 私たちを! きみは優しい少年だな」

「いや、だって、俺だったら怖いです。明日、死ななくちゃならない戦いに出かける前の日に、そんな風に笑えるなんて、思えません」

「そりゃあ、怖いさ。死ぬのが怖くない人間なんているわけがない。王族も、貴族も、平民も、それは同じだろう?」

 ウェールズは才人を見、次いで柳也を見つめた。視線の先にいる彼を、歴戦の戦士と見込んでの質問だった。

 思わず才人が振り返ると、柳也は「ああ」と、呟き、頷いた。

 柳也の返答を、才人は意外に少し意外に感じた。文字通り人外の領域に到達した武勇を誇る彼が、死ぬのが怖いなんて……。

 しかし同時に、そういえば、とも思った。そういえば自分は、この男の死生観や戦争観について、ちゃんと聞いたことがなかった。

 今回の機会は、普段素面では聞きにくいそうしたことについて、この男から話を聞けるよいチャンスかもしれない。

 才人は柳也の言葉に耳目を集中した。

「当然だ。誰だって死ぬのは怖い。死が怖くないなんて言う奴は、とんでもない化け物か、嘘つきのどっちかだ」

「それなら、なんで戦うんです?」

 才人と同様、柳也の話に興味を抱いたケティが訊ねた。

「戦えば、その怖い死が待っているかもしれないのに……」

「二つ、理由がありますね。ミス・ロッタ」

 ケティの質問に、柳也は少し悩んだ様子で複雑に笑って、やがてこう答えた。

「一つは、俺が戦うことが大好きな人間だからです。困ったことにこの男は、戦争という魔物に魅入られてしまったもので。戦いのない人生なんて、もはや考えられないのですよ。

 もう一つの理由は、それよりも怖いものを知っているから、でしょうか」

「死ぬよりも怖いこと?」

「自分の大切な人が死ぬことです」

 柳也は莞爾とはにかんで、迷いのない口調で言った。

 彼のその言葉に、才人とケティは、はっ、となった。破壊の杖事件の時といい、今回のアルビオン行きといい、この男が戦う理由は、いつだってそうだったではないか。いつだって、自分達を守るためではなかったか。

 柳也は優しい、途方もなく優しい面持ちで続ける。

「ミス・ロッタ。俺は、ちょっと腕っぷしが立つだけの、それ以外に見るべき取り柄のない男です。地位はなけりゃ、学もない。特に富なんてものとは、無縁の暮らしをしてきました。一人暮らしが長かったから、炊事、洗濯、針仕事に日用大工と、大概のことは出来ますが、その一方で、出来ないことも数多い。おまけに、根は寂しがり屋だ。断言します、ミス・ロッタ。俺は、自分一人じゃあ、とてもじゃないが生きていけません。みんながいなくちゃ、俺は生きていけない。俺はみんなに、生かされているんだ。みんなが俺を、支えてくれているんだ。

 俺はそんなみんなが大好きです。俺は、みんなを失うことがいちばん怖い。自分が死ぬよりも、大好きなみんなが死ぬことの方が、ずっと怖い。

 戦うことでみんなを守れるのなら、俺は喜んでこの身を戦火の中に投じましょう。戦うこと自体は、好きですしね」

 柳也は、最後の方は諧謔めいた口調で締めくくった。

 そんな彼に、才人とケティは何も言えなくなってしまった。二人は、身の内から湧き出でる喜びの感情に陶酔していた。自分たちは、なんと愛されているのだろう。自分たちはなんと幸福なのだろう、と。

「……殿下も、そうなのでは?」

 失うことが怖いから、自身の死の恐怖さえ忘れて、戦うことが出来る。

 目の前の王子にも、そういう大切なものがあるのではないか、と柳也は訊ねた。

 亡国の凛々しき王子は、かすかに、しかしはっきりと首を縦に傾けた。

「その通りだ。私にも守りたいものがある。その、守りたいものの重さが、私の心から恐怖を取り除いてくれるのだ」

「失礼ですが、それが何なのか、お訊ねしても?」

「この世界の未来だ」

 ウェールズの答えに、才人とケティの目が丸くなった。

 いったいどんな答えが出てくるのか、と彼の発言を待っていただけに、壮大すぎるその言葉はかえって現実感の薄いものに聞こえた。一瞬、ここが現実ではなく、芝居の舞台の上ではないか、と思ってしまう。

「我々の敵である貴族派レコン・キスタは、ハルキゲニアを統一しようとしている。“聖地”を取り戻すという、理想を掲げてな。理想を掲げるのはよい。しかし、あ奴らは、そのために流されるであろう民草の血のことを考えぬ。荒廃するであろう、国土のことを考えぬ。

 たしかに、もはや我らに勝ち目はない。なればこそ、我らはせめて、勇気と名誉の片鱗を貴族派の連中に、そして世界に見せつけねばならぬ。ハルケギニアの王家たちは弱敵でないことを示さねばならぬ。ハルケギニアの王家に手を出す者が、どれほどの出血を伴うか、見せつけねばならなぬ。やつらがそれで、“統一”と“聖地の回復”などという野望を捨てるとも思えぬが、それでも我らは、勇気を示さねばならぬ」

 絶望の中の、最後の抵抗。その意味。古今の戦史を知る柳也は、それがよく分かる。

 たとえば一六〇〇年の関ヶ原の戦い。小早川秀秋に端を発する相次ぐ裏切りにより、石田三成率いる西軍が総崩れとなった時、東軍の猛勢へと突き進む一五〇〇の兵の姿があった。指揮官は薩摩の猛将・島津義弘。世に名高い、島津の退き口である。

 島津勢の突進は、一見すると戦いの趨勢が決した直後の、破れかぶれの特攻のように思える。しかしそれは、実際には巧妙に計算された、撤退作戦だった。いまや背後は大将・石田三成を始めとする諸将が我先にと逃げようとし、混乱の坩堝と化している。また、背後に逃れるということは、敵に背中を見せるということだ。それよりは、敵味方入り乱れた戦場のど真ん中を駆け抜ける方が犠牲は少ないはず。義弘はそう考えたに違いない。島津勢は中山道を西に進軍する家康本隊の目前を素通りし、南東の方角へ向けて進んでいった。

 島津勢のこうした動きに対し、徳川家康は四天王の井伊直政、本田忠勝らを差し向けた。しかし、島津勢の反撃激しく、逆に井伊直政が負傷し、落馬する始末。また、直政はこのときの傷がもとで死んでしまった。

 かくして東軍の追撃を逃れた義弘らは薩摩に帰国する。

 戦後、家康は西軍に与した戦国大名を厳しく処罰したが、薩摩だけは所領を安堵された。家康の脳裏には、関ヶ原で見せた島津勢の戦いぶりが焼き付いていたのであろう。もし、薩摩を本格的に処断するとなれば、今度は一五〇〇どころか、島津の全戦力を相手取らねばならないかもしれない。そうなれば、どれほどの出血を強いられることか。家康は、薩摩に対してはあえて懐柔策を取ったのだった。

 ウェールズがやろうとしていることは、関ヶ原の島津とまさに同じことだった。

 最後に一矢報いることで、その先に繋がる未来を守ろうとしている。ハルケギニアを、愛するアンリエッタのいるトリステインを、守ろうとしている。

 ふと気になった才人は、ウェールズに訊ねた。

「トリステインのお姫様からの手紙には……」

「……愛するがゆえに、知らぬふりをせねばならぬときがある。愛するがゆえにに、身を引かねばならぬときがある」

 ウェールズは、曖昧に微笑んで、明確な返答を避けた。

 しかし、それだけで十分だった。先ほどはああ言っていたが、やはり、あの手紙には……。

 ウェールズは柳也を見、ケティを見、そして最後に、才人の目を真っ直ぐ見つめた。

「いま言ったことは、アンリエッタには告げないでくれたまえ。いらぬ心労は、美貌を害するからな。彼女は可憐な花のようだ。きみもそう思うだろう?」

 才人は頷いた。綺麗なお姫様だ。出来ることなら、彼女が悲しむ顔は見たくない。

「ただ、こう伝えてくれたまえ。ウェールズは、勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それで、十分だ」

「……お伝えしましょう。必ず」

 柳也が、ウェールズに跪いて言った。王族嫌いの柳也が、頭を垂れた。

 ラキオス王やアンリエッタとは違う。この若き王子は、敬意を払うべき人物だ。誠実な態度で、真摯に接するべき存在だ。そう思えばこそ、柳也はウェールズの言葉に頷いた。

「そしてもう一つ、お約束しましょう。あなた方の戦いを語り継ぐことを。あなた方の生き様を、語り継ぐことを。あなた方が、その戦いぶりを見せつけようとしている世界に向けて、語り継ぎましょう、その勇敢なるお姿を」

「語り継いでくれるか、きみが?」

「御意」

「そうか。ありがとう」

 ウェールズは嬉しそうに笑って、再び座の中心へと入っていった。

 

 

 騒ぎすぎて、少し疲れた。

 簡易玉座のジェームズ一世はそう言って、パーティ会場を後にした。会場を離れる際、ウェールズが気を効かせて伴をします、と言ったが断った。なんとなく、一人になりたい気分だったからだ。

 ジェームズ王は衛兵さえ連れずに、自室へと続く長い廊下を歩いていた。

 老いたる王の歩みは、決して早くはなかった。

 やがて一つ目の突き当りを曲がって、王は立ち止まった。角を曲がった先で、女が一人、待ち構えていたからだ。

 一七〇センチ近い長身の、若い女だった。凛々しい美貌に眼鏡をかけ、マントを羽織っている。見慣れた顔ではない。しかし、見覚えのある顔だった。

 女の顔を見て、ジェームズ一世は口元をほころばせた。懐かしげに、待ち構えていた相手に声をかける。

「久しぶりじゃな」

 微笑みながらの王の言葉に、対する女は無言で頷いた。

 きりり、と涼しげな眼差し。ぷっくりと厚い唇。ああ、懐かしい。ああ、懐かしい。最後に会ったのはいつだった。よくぞこんなにも美しく成長してくれたものだ。

 寄る年のせいか、ジェームズ王は最近すっかり緩くなってしまった涙腺を必死に締めて、再び声をかける。

「そなたが誰なのか、一目見て分かった。その美貌、そなたの死んだ母君に瓜二つじゃ。生き写しと言ってもよいじゃろう。よくぞ、成長したその姿を見せてくれた。……朕に話があるのじゃろう?」

 ジェームズ王の問いに、女はまた無言で頷いた。

 老王はにっこり笑って、「よかろう。二人きりで話せる場所を用意しよう」と、言って、女……マチルダを居室へと促した。

 


  <あとがき>
 

 何かと人気の分かれるウェールズ王子ですが、タハ乱暴は結構好きです、彼。

 読者の皆様、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。今回もアセリアAnotherをお読みいただき、ありがとうございました。今回の話は、いかがでしたでしょうか?

 今回の話は、前回のEPISODE:35と同様、ほぼ原作通りの話で、オリ展開はほとんどありません。それじゃああんまりなので、柳也の戦争観など書いてみましたが、楽しんでいただけたでしょうか?

 さて、次回はジェームズ一世とマチルダの対面からスタートします。のっけからクライマックスです。マチルダを愉快な仲間達に加えると決めた段階から、これだけは書かないと、と思っていた、因縁の会談です。

 原作には存在しないシーンですから、完全にタハ乱暴の妄想の産物となります。なので、あまり期待をせずにお待ちを。

 ではでは〜




決戦前夜か。
美姫 「この辺りは特に大きな変化もなくね」
今まではな。だが、最後にマチルダがジェームズの前に。
美姫 「かなり気になる展開よね」
ああ。一体、何が起こるのか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待ってます!



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