“女神の杵”を脱出した柳也達は、桟橋へと向かっていた。

 科学技術が未発達なハルケギニアの夜の街は暗い。民家は軒並み明かりを落とし、白亜の街並みは、ひっそり、とした佇まいを演出している。とはいえ、一同が歩行に困ることはなかった。科学が未発達ということは、大気の汚染も少ないということだ。煌々と輝く月明かりと、星々の光だけで、道は十分明るかった。

 一行はワルドの先導の下走り続けた。

 やがて、とある建物の間の階段に、ワルドは駆け込んだ。長い、長い階段だった。ワルドは一気にそこを上り始めた。

 才人が怪訝な表情で、ワルドの背中に声をかける。

「“桟橋”なのに、山にのぼるんすか?」

「ああ、そうだ」

 ワルドは前を向いたまま応じた。“女神の杵”を出てから走りっぱなしにも拘らず、彼の息は乱れていなかった。

「僕達の世界では、“桟橋”は山の上にも、海にもある。君達の世界では、違うのかい?」

「俺達の世界じゃ、桟橋といえば、海にあるのが普通だ」

 才人に代わって、柳也が答えた。

「かつては桟橋として使われていたものが、海が埋め立てられて、陸地にある、というケースはあるが」

「海を埋め立てる、か……僕には、そちらの方が信じられないがね」

 長い階段を上ると、丘の上に出た。

 長い坂道を上りきって、ようやく視界に映じた光景に、才人と柳也は、思わず息を飲んだ。

 そこにあったのは、一本の巨大な樹木だった。大きさが山ほどもある、本当に巨大な樹だ。四方八方に枝を伸ばしている。高さはどのくらいあるのかと考えて、二人は頭上を見上げてみた。夜空に隠れて、頂が見えない。地球出身の二人は、東京タワーを見上げる気分で、茫然とその樹を仰いだ。

「トトロに出てきそうな、樹だな」

「さすがファンタジー。たかが樹一本のことなのに、スケールが、でけぇ」

「樹齢、何万年だと思う?」

「前に、ネットで見たんですけど、地球で最も長命な樹は、樹齢四五〇〇年くらいだそうです」

「そいつの大きさは?」

「そこまでは覚えてないっすけど……写真で見た限りは、二〇メートルちょいくらいじゃないかと」

「何万年どころじゃないかもしれんなぁ」

 目を凝らしてみると、樹の枝にはそれぞれ、大きな何かがぶら下がっているのが見えた。樹同様に、巨大な木の実だろうか、と一瞬思うが、違った。なんとそれは、船だった。それも、地球の飛行船のような魚を彷彿とさせる形をしていない。昔、ディズニーの海賊映画で見た、帆船によく似た形態の船が、クルミのように枝にぶら下がっていた。なんともシュールな光景だった。

 才人と柳也は、思わず頬を引き攣らせた。頭の片隅で、さすがファンタジーだ、という思考が流れた。

「これが、“桟橋”? で、あれが、“船”?」

 才人が驚いた声で言うと、ケティが怪訝な顔で聞き返した。

「そうですよ。サイトさん達の世界では、違うんですか?」

「桟橋も、船も、海にあるよ」

「こちらの世界では、海に浮かぶ船もあれば、空に浮かぶ船もあります」

 ケティはこともなげに言った。ルイズも、「なに当たり前のことを聞いているのよ?」と、同様の表情を浮かべている。彼女達にとって、空に浮かぶ船は、当たり前の存在らしい。

 目の前の光景に圧倒されている異世界人二人を他所に、ワルドは樹の根元へと駆け寄った。慌てて柳也達もみなを追う。

 樹の根元は、巨大なビルの吹き抜けのホールのように、空洞になっていた。枯れた大樹の幹をうがって築いた空間らしい。ホールにはいくつもの階段があり、それぞれ各枝に通じているようだった。階段の入口には、鉄製のプレートが掲示されている。そこにはなにやら文字が刻まれていた。駅のホームを知らせるプレートみたいだ、と才人は思った。

 夜だからか、ホールに人影はほとんどなかった。

 僅かに柳也達と、ホールの中心に立つ、長身の男が、一人だけ。

 その男を視界に納めた瞬間、実戦経験豊富な柳也とマチルダ、そしてワルドの三人が、一斉に身構えた。

 三人のただならぬ様子を見て、ルイズ達も、男に視線を注ぐ。

 才人達の表情が、はっ、と硬化した。

 男は、黒いマントを羽織り、白い仮面で顔を覆っていた。

 目深に被った帽子には、猛禽の羽飾りが付いていた。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:33「激斗」

 

 

 

 再び現われた仮面の男を前にして、最初に動いたのは柳也だった。

 といっても、いきなり飛び掛ったわけではない。

 柳也の取った行動は、あらゆる軍事作戦における定石を踏んだものだった。すなわち、情報収集だ。

 柳也はみんなから一歩前に踏み出した。感覚器官の制御に優れる〈戦友〉の力を使って、五感を強化する。どんなに小さな異変も見逃さぬよう、全神経を集中させて、目の前の男を観察した。と同時に、少しでも相手の情報を得るべく口を開く。会話の中から、敵の保有する戦力や、どんな人格の持ち主なのかを探る腹積もりだった。

「よぉ、また会ったな?」

 まずは軽くジャブを放つつもりで、柳也は不敵に微笑みながら、気さくに話しかけた。

 馴れ馴れしい態度と口調。しかし一方で、仮面の男を見る眼差しは鋭く、剣呑だ。自分の発言に対して目の前の男がどんな反応を示すか、注意深く観察していた。

 会話は、相手の人となりを知る有効な手段だ。相手がどんな性格の人間で、どんなものを好むのか。どんなものを嫌い、どんなときに冷静さを欠くか。人物が分かれば、相手の取りうる戦術の傾向も見えてくる。人物が分かれば、相手の攻略法が見えてくる。柳也は、仮面の男の反応を待った。

 はたして、男は無言だった。柳也のことを警戒してか、それとも元々無口な性質なのか。立派な髭をたくわえた薄い唇を、真一文字に閉ざし続けた。

 芳しくない結果に小さく舌打ちして、柳也は、「だんまりとは、つれねぇなぁ」と、呟いた。この軽口に対しても、仮面の男は何のリアクションも示さなかった。仮面を被っているから、どんな表情をしているのかも分からない。

 ――野郎、こちらに一切の情報を与えないつもりか。

 やりにくい相手だな、と思った。相手のパーソナリティが、まるで見えてこない。相手が何を考えているのかが、読めない。

 古来より、著名な戦闘で勝利を収めた名将達の多くは、敵指揮官の人格にまで考察を巡らせ、戦術を立てた。中でも有名なのは、戦略の父と呼ばれたあのハンニバル将軍だろう。ハンニバルが戦った当時のローマ軍では、二人の指揮官が一日ごとに交代して指揮を執る制度を採用していた。有名なカンネの戦いにおいて、ハンニバルは、敵軍の将が慎重な性格のパウルスのときには無理攻めをせず、積極果敢なヴァロのときを選んで、勝負を挑んだ。ハンニバルはヴァロのローマ軍に対して、わざと弱点を晒した。不利な地形に不利な布陣を敷き、しかもローマ軍に先手を譲ったのだ。勇猛で知られたヴァロ将軍は、迷うことなく全軍に前進を命じた。かくして、ヴァロのローマ軍はハンニバルの罠に嵌まり、包囲殲滅された。ヴァロならばこう動くだろう、という予想の下で立てた戦術が、見事、ツボに嵌まったのだ。カンネの戦闘で、ローマ軍は歩兵六万五〇〇〇、騎兵七〇〇〇のという兵力を投入した。そして、そのうちの八五パーセントが戦場の露と消えた。

 このように、相手の人間性への考察は、勝利を得る上で重要な要素の一つなのだ。

 その人間性への考察が、仮面の男の場合成り立たない。情報が、あまりにも不足していた。異形の幻想動物を意のままにする特殊能力。永遠神剣の力によって強化されたハルケギニアの系統魔法。この二つの武器を使って、どんな戦術を用いてくるのか。まったく予想が付かなかった。

 柳也の顔から、微笑が消えた。

 仮面の男が、目深に被った帽子から羽根飾りを取り外した。羽根飾りの姿をした、永遠神剣を。

 柳也の背後に立つワルドが、反射的にエア・ハンマーをぶっ放した。圧縮された空気の鎚が、上方より仮面の男を襲った。

 迫る来る空気の鉄槌に向けて、仮面の男は、右手に羽根飾りを持ったまま、落ち着いた所作で左の掌を突き出した。瞬間、突き出された掌から黄金色の光芒が溢れた。オーラフォトンの輝きだ。男の掌から放出された精霊光は、たちまち正六角形の盾を形成した。精霊光の盾に、エア・ハンマーの一撃が炸裂する。空気の鉄槌が、弾け飛んだ。その光景を見て、ワルドの唇から舌打ちが漏れた。その舌打ちが、開戦の合図だった。

 

 

 ワルドの唇から漏れた舌打ちを、〈戦友〉の力で強化された柳也の耳膜が拾った次の瞬間、仮面の男から感じられるマナが爆発的に増大した。

 仮面の男が、神剣士として戦闘態勢に移った証だ。マナのみならず、身体から放出される熱量も増している。筋組織から毛髪の一本々々に至るまで、全身の細胞が活性化しているようだった。その意味するところは、あらゆる身体能力の飛躍的な向上だ。

「マチルダ!」

 柳也は背後に控えるマチルダを呼んだ。その手は、腰に差した鍛鉄棒に添えられている。

 背後に立つマチルダは、静かに頷いた。

 瞑目。

 外界の情報を遮断し、視線を、己の内側へと注ぐ。

 精神を集中すれば、色々なものが見えてきた。己の胸の内で鼓動する心臓。心臓よりもさらに深い場所にある、己の核。己の、魂。その、魂から伸びる一本の糸。この世界に、たった一本しか存在しない、自分と、自分の使い魔とを結ぶ、大切な糸。主従の、絆。その糸を、心の手で手繰り寄せる。

 絆の糸を掴むと、様々な情報が頭の中に流れ込んできた。柳也の記憶だ。糸は、使い魔の男の魂と繋がっている。桜坂柳也という男がこの世に生を受けてから今日に至るまでの年数、約十八年。その十八年分の知識が、経験の記憶が、情報の奔流となってマチルダの脳内に殺到した。

 マチルダの唇から、思わず呻き声が漏れた。

 不意に頭の中を駆け巡った激痛に、視界を閉ざしたことでバランス感覚を喪失した体がよろめく。踏ん張りを利かせ、なんとか転倒だけは避けた。

 頭痛の原因は分かっていた。頭の内に流れ込む情報の、あまりの量に脳が拒絶反応を起こしたためだ。

 もとより、人間の脳はそう頑丈に出来てはいない。まして、絆の糸から流れているのはただの情報ではない。柳也の記憶だ。一人の男がこれまで歩んできた道程、経験の記憶だ。流れ込む情報の一つ々々に、桜坂柳也という男の人格が宿っている。記憶を受け取る、ということは、自分ではない他者の人格を受け取るも同然のことなのだ。そんな情報の奔流を受け続ければ、最終的に脳がいかれてしまう。マチルダという女の人格が、壊れてしまう。

 マチルダは、このまま情報を得続けることが、自分にとって危険なことである、と理解していた。

 自分がいまやっていることは、他ならぬ自身の身を危うくすることだと、十分に自覚していた。

 しかし、彼女は絆の糸を握り続けた。

 苦痛に耐え、嘔吐感に耐えながら、流れ込む情報の検分を続けた。

 やがてその中に、目的の情報を見つけた彼女は、懐から杖を取り出した。ルーンを唱える。“錬金”の、ルーンだ。マチルダは“錬金”の魔法を、柳也の握る鍛鉄棒にかけた。

 素材の組成を解析する。分解。再構築。柳也の記憶から得た情報をもとに、形を練り込む。

 柳也の手の中で、鍛鉄棒が光芒を発した。

 そうかと思った次の瞬間、柳也の手の内から、鍛鉄棒が消えた。代わりに現われたのは、庄内拵の外装に覆われた豪剣二尺四寸七分だった。

 肥後同田貫上野介。

 柳也の亡き父が愛用し、恩師・柊園長を経て、柳也の手に渡った。有限世界では数多の命を奪い、ハルケギニアに召喚された際に一度失われた。そしていま再び、マチルダの“錬金”によって、その手の内に蘇った。桜坂柳也が、最も頼みにする刀だ。

 マチルダは瞼を開けると、柳也の手元に視線をやった。

 使い魔の手の中には、頭の中で思い描いたイメージと寸分違わぬ豪剣の姿があった。

 それを見て、マチルダの口元に笑みが弾ける。やるべきことを、無事にやり遂げた。そんな充足感に満ちた微笑みだった。

 絆の糸を手放す。脳幹を揺らす激痛が消えた。

 無事に錬金を終えて安堵したか、絶対に倒れまいと気を張っていた身体から力が抜け、大きくよろめいた。

 隣に立つワルドが、慌てて支えた。グローブに覆われた男の両手が、女の細い肩に添えられる。

 ワルドに支えられながら、マチルダは、「大丈夫だよ」と、呟いた。前を見る。同田貫を握る、自分の使い魔の背中を。

「思いっきりやっちまいな、リュウヤ」

「応。任せろ」

 マチルダの声援を背中に受けて、柳也は力強く頷いた。

 実用性一本の黒鞘を閂に差し替え、左手を鍔元に寄せる。右手を、柄に添えた。

 掌から、〈決意〉を寄生させる。手から柄へ。柄から刀身へ。そうして同田貫の強度を上げた後、柳也は、肥後の豪剣二尺四寸七分を抜き放った。

 月明かりを反射して、白刃に浮かぶ稲妻の刃紋が、ギラリ、と凶悪な輝きを発した。

 柳也は同田貫を正眼に構えた。

 仮面の男との距離は六間(約十・九メートル)ほどか。

 神剣士の運動能力の前には、あってないような隔たりだった。

 互いに戦闘準備は整った。柳也だけでなく、背後の才人達も各々得物を構え、仮面の男を威嚇する。

  先に動いたのは、仮面の男の方だった。

 ルーンを唱え、羽根飾りを振る。

 途端、ホール内の空気が激しく震動を始めた。

 空振が、柳也達の頬を騒がしく叩く。この世界にやって来てからというもの、すっかりお馴染みの感覚だった。エア・ハンマーの魔法だ。

 柳也は同田貫を八双に構え直すや五感を研ぎ澄ました。エア・ハンマーは圧縮した空気を鎚として対象を粉砕する打撃の魔法だ。ものが空気だけに、視力を以ってこれを捉えるのは難しい。攻撃の捕捉には、全身のあらゆる感覚器官をフルに活用する必要があった。

 聴覚を以って空気のかすかな震えを聞き取り、触覚を持って大気の流れを探る。そうして集めた情報を分析し、攻撃の来る方向と、その規模を把握する。

 はたして、攻撃の予兆を認めた柳也は、慄然とした。

 上方と左右、さらには正面の四方向から、数十発ものエア・ハンマーが迫っていた。

 エア・ハンマーは一度の呪文詠唱で一発しか発射出来ない単発式の魔法だ。熟練のメイジならば連続発射も可能だが、同時に複数発を発射することは出来ない。永遠神剣の力が、仮面の男の魔法を強化しているに違いなかった。

 ――不味いッ!

 数十発のエア・ハンマーは、それぞれが角度をつけることで死角をなくしていた。

 攻撃全部の回避は難しい。神剣士の自分やガンダールヴの才人はともかく、ワルド達の運動能力はノーマルな人間の域を出ない。自分がバリアを張って防ぐしかなかった。

 あの犬の怪物に襲われたときと同じだ、と思った。

 あの時はライトニング・クラウド。今回はエア・ハンマー。唱えられた魔法が違うだけだ。襲撃者の仮面の男といい、守らねばならぬ仲間の存在といい、状況は、あのときとほとんど変わらなかった。

 唯一、相違点を挙げるとすれば、それは自分の状態か。先回の襲撃の時は、戦闘用に貯蔵しているマナにまだ余裕があった。しかし今回は、マナの余裕はない。長期戦に耐えうるだけの体力が、いまの己にはない。

 柳也は忌々しげに舌打ちしながら、胸の内で叫んだ。

 ――くそッ。〈戦友〉、オーラフォトン・バリア、広域展開だ! 

【で、ですがご主人様っ、いまのマナのストックじゃ、広域展開は十秒も保ちませんよ!?】

 ――出力を四十パーセントまで落とせば、いまの俺でも二分は持続させられる!

 バリアの展開に必要な単位時間当たりのエネルギーは、出力と展開範囲の積だ。展開範囲はそのままに出力を絞れば、持続時間は延びる。

 幸い、エア・ハンマーは、数こそ多いものの、威力自体は強化されていないようだった。低出力のバリアでも、十分ガード可能だろう。

 柳也は八双の構えを解くや、同田貫を右腕一本、水平に掲げ持った。

 肩幅に開いた足下に、魔法陣が出現する。

 黄金色の精霊光の防御壁が、ドーム状に展開して、柳也達をすっぽりと覆った。

 遅れて、バリアのドームに、無数のエア・ハンマーが殺到する。

 目には見えない空気の鎚が、精霊光の壁を次々叩いた。

 圧縮空気のハンマーが炸裂するその度に、黄金のドームが、ビリビリ、と震えた。

 柳也の額に、大粒の汗が浮かんだ。睨んだ通り、エア・ハンマー一発々々の威力は大したものではない。出力を絞ったバリアでも十分、防御可能なレヴェルだ。しかし、先日のライトニング・クラウドのときと同様、いかんせん、数が多い。攻撃の持続時間が、長い。

 空気鉄槌の雨が降り注ぐ中、仮面の男が、再度呪文の詠唱を開始する。

 またしても、エア・ハンマーのルーンだ。

 どうやら敵は、波状攻撃に次ぐ波状攻撃で、こちらを休ませないつもりらしい。

「させん!」

 柳也の背後で、ワルドが吼えた。

 ルーンを唱え、サーベル杖を振るう。

 瞬間、柳也達の周りの大気が唸りを上げた。

 小規模ながら台風にも匹敵する強風が吹き荒れ、砂塵を巻き上げる。

 ウィンド・ブレイクの魔法だ。強風を叩き込んで相手を吹き飛ばすという、“風”系統の代表的な攻撃魔法の一つだった。

 猛る暴風は雄叫びを上げながら、仮面の男に正面から襲いかかった。スクエア・クラスのメイジが放った魔法だ。神剣士の頑強な肉体をもってしても、直撃を受ければ無事ではすまない。

 仮面の男の唇から漏れたかすかな舌打ちを、神剣の力で強化された柳也の耳膜は確かに聞いた。

 仮面の男は呪文の詠唱を中断するや、地面を蹴って左に跳んだ。咄嗟の跳躍にして、五メートル近い幅跳びだった。

 ウィンド・ブレイクが、つい先ほどまで仮面の男の立っていた場所を通過する。背後の壁に炸裂し、大樹の内部が微かに震えた。

 おや? と柳也の表情に訝しげな色が差した。

 攻撃を……避けた?

 先ほどワルドがエア・ハンマーを放った時は、精霊光の盾を展開して防いだのに、今回は、避けた? わざわざ呪文詠唱を中断してまで?

 ――さっきのエア・ハンマーの時と、ウィンド・ブレイクの時とでは、何かが違った?

 エア・ハンマーの時と、ウィンド・ブレイクの時では、何か条件が違った。だから、ディフェンス行動に差が生まれた。では、その条件の違いとは何か? ともに“風”系統に属する、二つの攻撃魔法の違いとは何か? その違いが分かれば、仮面の男攻略の糸口が見えてくるかもしれない。

 柳也に、ハルケギニアの系統魔法の知識はない。しかし、経験はある。エア・ハンマーも、ウィンド・ブレイクも、過去にタバサが放ったものをこの身で受け止めている。その経験から、二つの魔法の性能差を考える。

 ――……攻撃目的の違い、か?

 圧縮した空気を鎚をのように振るうエア・ハンマーは、対象の破壊を目的とする。

 他方、強風をぶっ放すウィンド・ブレイクは、対象を吹き飛ばすことを目的としている。

 目的が違えば、それぞれの魔法に求められる性能も違ってくる。破壊を目的とするエア・ハンマーは、エネルギーを一点に集中出来た方が良いだろうし、ウィンド・ブレイクは、確実に対象を強風で吹き飛ばせるよう、攻撃範囲はある程度広い方が良い。つまりは、“点”を狙うか、“面”で攻めるかの差だ。

 ――エア・ハンマーとウィンド・ブレイクでは、攻撃範囲が違う。この差が、“防ぐ”と“避ける”の違いを生んだ!?

 もし、そうだとすれば、一つの仮説が成り立つ。

 点を狙ったエア・ハンマーは防いで、面で攻めるウィンド・ブレイクを避けた。すなわち、仮面の男は……。

 ――仮説は立った。あとは、証明するだけだ。

 エア・ハンマーの嵐がやんだ。

 柳也は、同田貫を脇に取るや、仮面の男との間合を詰めるべく、猛然と駆け出した。

 対する仮面の男も、柳也の接近に気が付くや、そうはさせじと牽制のエア・ハンマーをぶっ放す。

 咄嗟のことで詠唱が不完全だったか、三発だけ、正面から襲いかかってきた。

 〈決意〉を寄生させた白刃二尺四寸七分が、マナを求めて凶悪に輝いた。

 かます切っ先が一条の光線と化して擦り上がり、空気の鎚の一発を斬割した。

 斬撃のエネルギーが、圧縮空気の塊をかき消した。

 返す刀が空中で弧を描き、一文字に振り抜かれる。

 残る二発のエア・ハンマーも真っ二つに切り裂かれ、衝撃が霧散した。

 肥後の豪剣はさらに勇躍し、上段へと振りかぶられた。

 手の内を練り、阿吽の呼吸を練り、気力を練る。

 肉迫。

 常から重量二十キロ近い振棒を振るって地力を鍛えている直心影流剣士の、真っ向斬りが振り下ろされた。

 仮面の男が、咄嗟に頭上へと掌をかざした。

 正六角形の精霊光の盾が展開し、斬撃を受け止めた。

 拮抗。

 反発。

 弾かれた。

 同田貫が。

 柳也は踵を上げたまま、すり足で素早く後退する。

 同田貫を左手一本で振りかぶるや、再度袈裟への斬撃を打ち込んだ。

 仮面の男が、頭上にかざした掌を、左へと滑らせた。

 正六角形のオーラフォトン・シールドが移動し、またしても斬撃を受け止めた。

 豪剣の一刀を、弾き返す。

 しかし、柳也の連撃はまだ終わっていなかった。

「世界の門番たる龍の骨肉の所持者として命ずる……」

 左手一本で同田貫を繰る間、柳也は空いた右手で、残り少ないマナを操って神剣魔法の準備を進めていた。

 袈裟への一刀が不発に終わったことを認めるや、柳也はゴルフボール大の青い光球を握る掌を突き出した。

 ひんやりとした冷気が、柳也の頬を突き刺した。光球とはいうものの、掌の上に熱は感じない。そればかりか、水色のマナの光球は、周囲の空間からどんどんエネルギーを奪っていった。

 桜坂柳也唯一の攻撃魔法、アイス・ブラスター。マイナス一五〇度の超低温の凍気を孕んだ、レーザービームの魔法だ。レーザーという言葉を使っていることからも分かるように、通常はマナのエネルギーを一点に集中させて発射する魔法だが、今回に限っては別だった。そのまま撃ち込んでは、仮説の立証にならない。

「凍れる光の霧となりて、わが眼前を白銀へと塗り替えよ!」

 イメージするのは、霧吹きだ。

 レーザーの集束率を下げ、威力を下げ、引き換えに、光の凍結粒子を広範囲にばら撒いてやる。

「アイス・スプラッシャー!」

 突き出した掌の中で、ゴルフボールが炸裂した。

 マイナス九〇度の凍気を孕んだ水色の粒子が、霧吹きのように掌から噴霧される。

 降り注ぐ凍気散弾を前に、仮面の男は精霊光の盾を前へと突き出しながら、左へと跳んだ。

 集束率を下げたために、神剣魔法は射程も短くなっている。なんとか間合から逃れようと、仮面の男は何度も地面を蹴った。

 やがて神剣魔法の射程から脱した仮面男は、安堵の息をこぼした。

 その溜め息を拾って、攻撃が不発に終わった柳也は、ニヤリと笑った。

 ――やはり、避けたかッ……。

 睨んだ通りだった。

 “点”を狙ったエア・ハンマーは防ぎ、“線”で攻める斬撃も受け止めた。しかし、“面”を狙ったウィンド・ブレイクやアイス・スプラッシャーは避けた。これは――――――

 ――見切ったぜ、テメェの弱点!

 あとはそれをどうやってみんなに伝えるか、だ。

 口に出して言うわけにはいかない。体内寄生型の永遠神剣と契約している自分ほどではないようだが、仮面の男も神剣の力で感覚器官を強化されている。どんなに声量を抑えても、口に出した時点で、聞き取られてしまう可能性がある。

 自分が弱点を見つけ出したことは、相手には気取られたくない。気付かれれば、相手の警戒を呼び込むこととなる。

 仮面の男に気取られることなく、みなにあの男の弱点を伝える方法はあるまいか。

「……これがいちばん確実か」

 思わず、溜め息混じりの呟きが漏れた。

 頭の中に浮かんだ伝達方法は、ただでさえ少ないマナをさらに消費する手法だ。その代わり、自分の意思を確実に仲間達に伝えることが出来る。

 いまは出し惜しみを出来る状況でない。

 柳也は決然と頷くと、同田貫を正眼に構えて仮面の男と対峙する一方、意識を足下に集中させた。

 両脚からブーツへ。ブーツから地面へと、〈戦友〉の分身を寄生させる。その数、全部で五つ。

 異世界の大地に寄生した〈戦友〉の分身達は、その場に留まることなく地中を移動した。

 少し離れたところに立つ、ルイズ達のもとへと向かう。

 やがて仲間達の足下に辿り着いた分身達は、今度は、地面からブーツへ、ブーツから足へと移動した。仲間達の身体へと、寄生を試みる。

 ルイズ……寄生完了。

 才人……寄生完了。

 ケティ……寄生完了。

 マチルダ…………元神剣士だからか、少し手間取りつつもなんとか寄生完了。

 ワルド……………………体内へ侵入する際に奇妙な抵抗を感じたが、彼への寄生も完了した。

 全員への寄生が無事に済んだのを認めた柳也は、よし、と頷いた。

 直後、睨み合いを続けていた仮面の男が、地面を強く蹴った。

 牽制のエア・ハンマー六発を放ちながら、大きく後ろへと跳ぶ。

 接近戦を得意とする自分からは距離を取りつつ、メイジが得意とする間合まで退くつもりか。

 柳也は、そうはさせじ、と前へ踏み込んだ。

 急所狙いのエア・ハンマーを時に同田貫で受け、時に斬り裂きながら、仮面の男を必死に追う。

 その一方で、みなの体内に宿る〈戦友〉の分身達に向かって、胸の内で声高に叫んだ。

 ――みんな、俺の声が聞こえるかッ!?

 

 

 逃げる仮面の男と、それを追う柳也。

 互いに己の得意な間合で戦おうとする二人の逃走劇は、ルイズの脳裏に、先の破壊の杖事件のことを思い出させた。

 あの時、破壊の杖を手に入れたマチルダは、その圧倒的な火力を活かすべく、敵と常に一定の距離を保とうとしていた。

 他方柳也は、相手の火力を殺し、かつ自分の得意な白兵戦を挑むべく、敵との間合を詰めようと尽力していた。

 いま、目の前で展開している戦いは、まさしくあの事件を再現しているかのように思えた。

 追う柳也と、追われる仮面の男。

 白兵戦を得意とする自分の師匠と、射撃戦を得意とする貴族派からの刺客。

 両者の戦いを見て、同様の感想を抱いたのは、ルイズだけではなかった。

 ルイズを挟むようにして両脇に立つ才人とケティも、同じ印象を感じていた。

「サイトさん……」

「ああ……」

 デルフリンガーを正眼に構えながら、才人は自分を呼んだケティに、目線だけ振り向いて頷いた。

「同じだ。あの時と……」

「ということは?」

「たぶん、あの時と同じ作戦が通用すると思う」

 才人は強い確信を胸に言った。

 その脳裏では、破壊の杖こと第五位の永遠神剣〈殲滅〉が宝物庫から盗み出されたあの夜の戦いの様相が、鮮明に蘇っていた。

 あの夜、〈殲滅〉の火力を頼って終始射撃戦を挑んだマチルダに対し、柳也は自分の得意とする白兵戦を挑もうとした。しかし、先制のコロナ・インパルスを受けて手負いだったこともあり、なかなか間合を詰めることが出来なかった。そこで才人とギーシュは、師匠のためにマチルダの足を止めようとした。相手の機動力を奪い、柳也に接近の好機を与えようとしたのだ。

 結果的に、このときの作戦は失敗してしまった。

 しかしそれは、トドメの一太刀を叩き込む寸前、柳也の武器が折れてしまったためだった。

 当時、柳也が手にしていたのは頼れる相棒・同田貫ではなく、数打ち物の刀だった。激しい戦いの中で、使い手より先に武器の方が音を上げてしまったのだ。敵の足を止め、柳也に接近の機会を与える、という作戦自体は成功していた。

 事実、才人達の活躍により、間合を詰めることに成功した柳也は、マチルダをあと一歩のところまで追い詰めた。武器さえ途中で折れていなければ、ああも事件が長引くことはなかっただろう。

 あの夜と違い、いま、柳也の手の中には、愛刀・同田貫の姿がある。

 日本刀についてよくは知らない才人だったが、柳也ほどの剣士が頼りにしている一事からも、相当な業物だと窺い知れた。

 あの夜の戦いでは、武器の方が柳也の剣技に着いてこれなかった。

 しかし、今回の戦いでは、同田貫が彼の剣技に着いていけないなどという事態は起こるまい。

 武器の強度を心配する必要はない。あとは接近さえ出来れば――――――、

「……あいつの足を止めるんだ。援護、頼めるか?」

「任せてください」

 力強い返答。

 ケティの言葉に莞爾と微笑んだ才人は、デルフリンガーを脇に取った。

 脇構え。

 剣術の基本、五行の構えの中でも、特に攻撃的性格の強い構えだ。

 別名“金の構え”。その由来は、懐中に黄金を秘め、必要に応じて思うままに使用し得る、という意味からきている。

 ここでいう黄金とは、剣身のことを指す。脇構えは、右脇に構えた刀を、左半身となることで相手の視界から隠すように構える。敵の出方に応じて、刀を長く、あるいは短く使えるようにするためだ。また、剣身を隠すことは、相手にこちらの間合を気取らせない効果も生む。

 デルフリンガーを脇に構えた才人は、呼吸を止めた。

 柄尻に添えられた左手のルーンが、淡く輝く。

 風の速さで仮面の男に飛びかかろうと強く地面を蹴った、その刹那、

 “きぃぃぃ―――――――んっっ!!”

「ッ!」

 突如として、耳の奥で金属を打つような甲高い音が響いた。

 耳膜を叩くことなく、直接、頭の中に響いてくる。

 同時に、鋭い頭痛が襲ってきた。細い針を打ち込まれたかのような鋭敏な痛みが、額から後頭部へと突き抜ける。

 これまでの人生のうちで、かつて経験したことのない痛みだった。

 初体験の頭痛に、才人の顔が苦悶に歪む。

 仮面の男に飛びかかろうとしていた足の動きが止まり、思わず右手で頭を抱えてしまった。額に触れた指先が、ひんやりとした感触を拾った。冷や汗だ。何もしていないのに、額から、じわり、と汗が滲んでいた。

「相棒? おい、どうした相棒!?」

 左手一本で支え持つデルフリンガーが、手の中で震えた。

 才人は答えず、苦しげに顔を紅潮させたまま、二、三度かぶりを振った。

 なんとかこの頭痛を振り払いたい一心での動作だったが、頭痛は一向にやむ気配を見せなかった。

 ――くそ……なんだよ、これ……!

 才人は隣に立つケティの顔を覗った。

 何の前触れもなく自分の頭を襲ったこの痛みが、他の者にも起きていやしないか、気になったためだ。

 はたして、才人はケティを見て愕然とした。

 なんとケティもまた、自分と同じように頭を押さえ、苦悶の表情を浮かべていた。

 ケティばかりではない。背後のルイズも、柳也の援護に努めていたワルドやマチルダも、揃って頭を抱え苦しんでいた。ただでさえ体力を消耗していたマチルダなどは、膝を着いてしまっている。

 一方で、激闘を繰り広げる柳也と仮面の男に、異変は見られなかった。二人とも、頭痛に苦しんでいる様子は見受けられない。

 なぜあの二人だけが無事で、なぜ自分達五人だけが頭痛に襲われているのか。

 いったい、この痛みは何なのか。

 針で刺したかのような頭痛は、連続的に才人達の頭を襲った。

 痛みを感じる度に、みなの耳の奥で金属音が響いた。

【……み…な…お…の…が……える……】

 やがてその金属音の中に、奇妙な雑音が混じり始めたことに才人は気が付いた。

 どうやら、誰かの声のようだ。

 何か意味を持った言葉を紡いでいるようだが、強烈な痛みを伴う金属音にかき消されて、ほとんど聞き取ることが出来ない。

【……み……俺…声…聞こえ……ッ!?】

 また、金属音が響いた。

 強烈な痛みと、甲高い金属音、そして雑音めいた声が、頭の中で三重奏を奏でる。

 雑音は、先ほどよりもはっきりと聞こえた。

 どこかで聞いたことのあるような気がする。

 はて、いったい誰のものだったか、と考えたところで、金属音とともに、今度はより鮮明な声が聞こえてきた。

【みんな、俺の声が聞こえるかッ!?】

 意味を持った言葉が、脳裏を焼いた。

 その言葉を契機に、それまで感じていた頭痛が、ぴたり、と止まった。

 いっそ拍子抜けしてしまうくらい、唐突な収束だった。痛みの原因を、外科手術か何かで直接取り除いたかのようだ。針の痛みそのものも、嫌な後味も残らない。

 痛みを感じなくなったのは、才人だけではなかった。

 周囲を見渡せば、先ほどまで頭痛に苦しんでいた五人全員が、突然の収束に戸惑いの表情を浮かべていた。

 やがてみなの眼差しは、等しく一人の男に向けられた。

 頭の中に直接響いてきた声。雑音のない明瞭な声を聞いて、みなは声の主が誰なのか気が付いた。心当たりがあるはずだ。耳の奥で響いた声は、あまりにも聞き慣れたものだった。柳也の声だ。

 柳也は仮面の男を相手に苦戦していた。

 果敢に接近を試みるも、牽制の射撃魔法の弾幕に阻まれ、思うように有効打を叩き込めずにいた。

 と、敵を前にしながら、柳也がこちらを一瞥した。

 才人と目が合う。

 ニヤリ、と師の口元に凶悪な微笑が浮かんだ。

【……どうやら、回線が正常に繋がったみたいだな】

 才人達の頭の中に、また金属音が響いた。

 同時に、またも柳也の声が響き、五人の脳髄を揺さぶった。

 才人達は再び柳也の方を見た。

 男の口は阿吽の呼吸でのみ開閉し、音を発していなかった。それなのに、声が聞こえる。それも耳膜を打たずに、直接頭の中に響いてくる。この現象はいったい……。

 怪訝な表情を浮かべるみなの脳裏に、また柳也の声が響く。

【みんな、この現象が何なのか戸惑っているだろうが……】

 金属音とともに響いた柳也の声は、切羽詰った印象を抱かせた。

【詳しい説明は、この鉄火場を乗り切った後にさせてくれ。とりあえず、結論だけ言うぞ。俺はいま、永遠神剣の力を使って、直接、みんなの頭ン中に話しかけている】

 体内寄生型の永遠神剣は、寄生した対象を支配することで契約者をサポートする。しかし、柳也が契約する〈決意〉と〈戦友〉は、なんといっても第七位の神剣だ。寄生し、支配出来る対象は限られる。

 例えば、刀のような意思を持たない道具への寄生は容易だが、動物への寄生は難しい、といった具合だ。特に、高度な知性を持った動物への寄生は困難を極める。寄生したとしても、支配することが出来ない。せいぜい、身体の器官の一部をコントロールするのが関の山だろう。

 無論、契約者の柳也は、相棒達のそうした特性を重々理解していた。理解した上で、〈戦友〉の分身を仲間達に寄生させたのだった。

 人間は哺乳類の中でも特に知能が発達した動物だ。第七位の神剣の力では、肉体全体の支配など到底不可能なことだった。

 それを承知の上で、柳也はなぜ、仲間達の身体に相棒の永遠神剣を寄生させたのか。

 その答えは、肉体を支配する必要がなかったから、に他ならなかった。

 同田貫に宿る〈決意〉にせよ、仲間達の身体に宿る〈戦友〉にせよ、寄生しているのはあくまで分身だ。神剣本体は、柳也の肉体と一体化している。そして本体と分身は、どんなに距離を隔てようとも、目には見えない回線で常にリンクしている。

 この回線こそが重要だった。

 例えば、柳也は〈決意〉の分身を寄生させることで同田貫の強度を上げているが、一連の命令は、柳也から〈決意〉本体へ、本体から回線を介して分身へ、と伝えられる。柳也からの命令を受けた〈決意〉の本体が、回線を通じて必要なマナを分身に送り込み、そのマナを使って、分身が同田貫を強化する、という具合だ。

 敵に気取られることなく自分の意思を仲間達に伝えたい。そう願う柳也は、〈戦友〉の分身達を仲間達の脳へと寄生させた。脳内に寄生した分身は、そこから〈戦友〉の本体へと回線を繋げた。柳也はその回線を通して、自分の言葉を分身達に伝えた。分身が受け取った言葉は、寄生対象の脳内でも響く。かくして柳也は、仲間達へ自分の意思を伝える手段を得たのだった。もっとも、柳也からの一方通行の伝達だが。

 仲間達への意思伝達の手段を得た柳也だったが、その仕組みについての詳細な説明を、彼はあえてしなかった。

 寄生という単語は、もともと医学や生物学からきている言葉だ。現代人の才人はともかく、ハルケギニア人のルイズ達に、その概念を理解させるのは難しいだろう。魔法文化を除いては、いまだ近世前半程度の文明しか持たないハルケギニアだ。それよりは、永遠神剣の力で、とした方が、説得力は大きいはずだった。

 実際、説明になっていない柳也の言葉に、ルイズ達は得心した表情で頷いていた。

 なるほど、先ほどからの頭痛や金属音、それにこの声は、永遠神剣の力によるものだったか。それならば納得がいく。

 やはり、普段から魔法というファンタジーな力と身近に接しているハルケギニア人達には、こちらの方が理解しやすいようだった。

 才人達の頭の中で、柳也の声は続けた。

【たぶん、みんなはこう考えていると思う。なんでこんな回りくどい真似をしたのか。話したいことがあるなら、口に出せばいいじゃないか、ってな。その疑問に対する答えとしては、これから話すことを、敵に気取られたくなかったからだ。

 単刀直入に言うぞ。仮面の男の弱点が分かった】

「な……ッ!」

 才人の口から、思わず当惑の声が漏れた。

 回線を介しての通信は、柳也からの一方的なものだ。神剣士は構わず続ける。

【そこを衝ければ確実に勝敗が決する、といった決定的な弱点じゃない。だが、ここを攻めると攻めないとでは、勝率がぐっと違ってくるような弱点だ】

「それは!?」

 ワルドがエア・ハンマーをぶっ放しながら叫んだ。

 空気の鎚が、仮面の男の左側面を襲う。

 仮面の男は正六角形のシールドを展開し、横撃を凌いだ。

 ワルドの咆哮は、神剣士の柳也の耳にも届いていた。彼は小さく頷くと、【それは……】と、口を開いた。

【それは、奴の防御にある。奴はおそらく、広範囲をカヴァーする、バリア系の防御魔法を持っていない!】

 神剣士の防御魔法には、大別して二種類ある。

 一つは、青スピリットのウォーター・シールドや赤スピリットのマインド・シールドに代表されるシールド系。

 そしてもう一つが、緑スピリットのアキュレイド・ブロックなどに代表されるバリア系だ。

 この二つの防御魔法には、それぞれ特徴がある。一般に、シールド系の防御魔法は展開速度が速く、マナの消耗も少ないため、即応性に優れる、といった長所がある。しかし一方で、展開範囲や強度ではバリアに劣り、広域制圧魔法や強力な打撃には弱い、といった短所も持っている。逆にバリア系は、防御範囲や強度には優れるが、展開にはやや時間を要し、マナの消耗も激しい、といった特徴を持っている。柳也の使うオーラフォトン・バリアなどはその典型だろう。

 柳也はそうした防御魔法の特性について素早く述べた上で続けた。

【さっきから奴は、俺の斬撃やワルド子爵のエア・ハンマーといった“線”や“点”の攻撃に対しては、シールドを展開して防御している。その一方で、ウィンド・ブレイクのような“面”の攻撃に対しては、避けることで対処してやがる。このことから察するに、奴はおそらく、“面”攻撃に対する防御手段を持っていない。手段がないから、避けるしかないんだ。

 ……おまけに奴は、さっきから掌を中心にシールドを展開していない。これがもし、掌からしかシールドを展開出来ないのだとすれば……】

 人間の腕は、二本しかない。

 もし、目の前の仮面の男が、掌からしかシールドを展開出来ないとすれば、同時に防御可能なのは二方向のみということになる。

 面攻撃だけではなく、三方向以上からの同時攻撃にも弱い、ということになる。

「……なるほど。ということは」

 ワルドの漏らした呟きに、柳也は小さく頷いた。

【ああ。奴の足を止めることが出来れば、勝機はある】

 防御手段がないから、避けるしかない。ということは、避けるための足を潰してやれば、勝率はぐっと上がる。

【まず奴の足を潰す。然る後、面制圧か、三方向以上からの同時攻撃で奴を仕留める。この作戦でいくぞ!】

 脳幹を震わす柳也の獅子吼に、才人達は頷いた。

 敵の機動力を削ぎ、その後に仕留める。柳也の提示した作戦は、図らずも才人とケティが考えていた作戦と似た概要をしていた。

 シンプルで分かりやすい作戦だ。迷う理由は、どこにもなかった。

 

 

「じゃあ、まずは一番槍を務めさせてもらおうじゃないかッ」

 同田貫の“錬金”の疲れから脱したか、マチルダが威勢よく啖呵を切った。

 次いで、濡れた唇が詠ったのは長い詠唱だった。

 やがて呪文の詠唱を完成させたマチルダは、タクト状の杖を地面に向けて振った。

 途端、ホール内の地面に激震が走った。バリバリ、と音を立てながら大地が割れ、赤土が盛り上がる。赤土には魔法の力が振りかけられ、徐々にヒトガタをなしていった。最終的に、全長八メートルになんなんとする巨大な土ゴーレムとなった。

 大怪盗、土くれのフーケ。

 かつてトリステイン中の貴族達を恐怖のどん底へと追いやった“土”の魔法が、仮面の男に牙を剥いた。

 土ゴーレムは地面を鳴らしながら、左側方より仮面の男へと躍りかかった。

 巨大な腕を振りかぶる。インパクトの瞬間、拳を鉄に“錬金”する、文字通りの鉄拳だった。

 ゴーレムの攻撃に合わせて、柳也も仮面の男へと肉迫する。同田貫を脇に地擦りに構え、摺り足で詰め寄った。

 二方向からの同時攻撃に、唯一仮面に覆われていない男の唇が、忌々しげに歪んだ。

 右へ跳んで土ゴーレムの鉄拳を避ける一方、柳也に対しては羽飾りの杖を向けて応戦する。

 ウィンド・ブレイクの暴風が、柳也を吹き飛ばさんと襲い掛かった。

 逆袈裟に擦り上げられた大刀が、強風の衝撃を斬割する。

 突風を頬に浴びながら、柳也は遅滞のない動作で仮面の男を追って左斜め前へと地面を蹴った。

 地から天へと斬り上げられた切っ先が、空に伸びやかな円弧を描く。

 返す刀が、頭上より仮面の男を襲った。

 仮面の男は咄嗟に、羽根飾りを握ったままの右手でオーラフォトン・シールドを展開した。

 袈裟への太刀筋を弾き返す。

 とはいえ、シールド越しにも柳也の打ち込みは苛烈だったか。踏ん張りを利かせるために、仮面の男の足が、僅かに止まった。

 その隙を衝いて、再びゴーレムの鉄拳が左方より振り下ろされた。

 両手を組み合わせた、ハンマーパンチだ。

 仮面の男は左手でシールドを展開、これを受け止める。

 ゴーレムの鉄拳とシールドが激突し、赤い飛沫が飛び散った。

 火花と、血飛沫だ。

 前者はゴーレムの鉄の拳から、後者は仮面の男の掌の皮膚が裂けて飛び散った。

「むぅ……ッ」

 仮面の男の唇から、はじめて声が漏れた。苦悶の声だった。

 さしもの神剣士も、巨大ゴーレムの一撃を受け止めたのは苦しかったか。

 たまらず、仮面の男は後ろに跳んだ。力強い跳躍だった。

 ゴーレムのハンマーパンチは、シールドを展開したまま前へと流した。

「へへっ、そう跳んでくるのを待ってたぜ」

 背後から、仮面の男の耳朶を、少年の声が打った。

 いつの間に回り込んだのか、ガンダールヴの俊敏さを持つ才人が、デルフリンガーを正眼に構えていた。

 仮面の男の唇から、再度声が漏れた。舌打ちだ。このままでは斬撃の餌食になってしまう。

 かといって、再度地面を蹴って跳躍の軌道を変えることは叶わない。

 柳也の斬撃と、巨大ゴーレムの鉄拳から少しでも遠ざかろうと、仮面の男は強く地面を蹴ってしまっていた。力強い跳躍は、その分、滞空時間も長い。他方、剣を執ったときの才人の動きは速い。仮面の男の足が再び地面を蹴るよりも先に、ほぼ確実に才人の打ち込みが極まってしまう。

 やむなく、仮面の男は素早くレビテーションの魔法を唱えた。

 空中を舞って、斬撃を避けるつもりだ。空中機動の自由度で言えば、フライの魔法の方がより効果的だったが、そちらは時間がかかるため、やめた。

 脇腹目掛けた鋭い薙ぎを、仮面の男は、ふわり、と天高く舞い上がって避けた。

 今度は才人の唇から舌打ちがこぼれた。

 しかし、相棒のインテリジェンスソードを振り抜いた彼の横顔に、悔しげな色はない。

 宙へと舞い上がった仮面の男を、ケティの放った小火球がすでに狙っていたからだ。

 

 

 まず敵の機動力を殺し、然る後、面制圧か、三方向以上からの同時攻撃でトドメを刺す。

 神剣の回線を介してみなに作戦の骨子をそう伝えた柳也は、続いて具体的な戦術について仲間達に指示を飛ばした。

 彼が呈示した戦術案は、作戦そのものと同様、やはりシンプルなものだった。

 すなわち、

【決して攻め手を休めるな。相手に休む暇を与えるな! 絶え間なく攻め続けることで、相手を疲れさせろ。集中力を掻き乱せ。神剣士なんてたいそうな名前を名乗っていても、所詮は人間だ。疲れが溜まりゃ、動きは鈍るし、判断力も落ちる。その隙を狙うんだ!】

である。

 要は、数の暴力を最大限に活かす戦術だった。 

 ドット・メイジのケティが唱えたのは何の捻りもないファイヤボールの魔法だった。しかし、さすがに“火”系統の専門家が唱えただけあって、仮面の男を狙うその弾道は正確だった。男の背後から忍び寄る。

 背中に熱波を感じた仮面の男が、そちらを振り向いた。

 ぎょっ、としたようにその身が硬直する。

 腰の辺りを狙って直進するファイヤボールが、すでに目前まで迫ってきていた。

 仮面の男は慌てて右手でオーラフォトン・シールドを展開、燃え盛る火炎弾を受け止めた。ファイヤボールが消滅する。その際に、飛び散った火の粉が男の鉄仮面を焼いた。

「まだ終わりじゃないぞ!」

 ワルドがサーベル杖を振り抜きながら言い放った。

 空中の敵に向けて、エア・ハンマーをぶっ放す。こちらも発射したのは“風”系統の専門家、それもスクウェア・クラスのメイジだ。空気の鉄槌は、正確に仮面の男の非利き手側を狙った。

 仮面の男はまたも左手を中心にシールドを展開して防ぐ。

 その様子を見て、柳也は冷笑を浮かべた。

 だんだんとデフェンス行動がパターン化しつつある。あと一息だ。

 柳也は再び右の掌にマナを集中させた。足下に、青い燐光をたたえる魔法陣が展開する。アイス・ブラスターの撃つつもりだ。

 柳也のマナの高ぶりに気が付いた仮面の男が、そうはさせじ、と羽根飾りを振ろうとする。しかし、呪文の詠唱までは至らなかった。ケティの放ったファイヤボールが邪魔をしたためだ。ワルドがエア・ハンマーを時間差で放ったのは、彼女の詠唱の時間を稼ぐためでもあった。

 再び背後より襲来した火球弾を、仮面の男は、今度は宙を舞って避けた。その間に、柳也の呪文詠唱が完成した。

「アイス・ブラスター!」

 柳也は天高く右腕を突き出した。

 掲げられた掌勢から、冷気を伴う光の奔流が飛び出した。

 仮面の男目掛けて。

 回避運動を取ったばかりで、空中での姿勢制御に手一杯の敵に向かって。

 光の槍が、突き出された。

 他方、仮面の男は、両腕を前に突き出した。

 双手から、正六角形のオーラフォトン・シールドが展開する。

 全長四メートルになんなんとする、巨大なシールドだ。ただ大きいだけでなく、オーラフォトンの出力も物凄い。シールドの表面には、大気との摩擦で、バチバチ、と高圧電流が迸るのが見て取れた。この盾で、アイス・ブラスターを迎え撃つつもりなのか。

 ――いいぜ? 望むところだ!

 ニヤリ、と笑って、柳也は右腕にパワーを集中した。

 残り僅かなマナのすべてを、右腕に集中させた。

 アイス・ブラスターの閃光が、よりいっそう激しく、眩く唸った。

 桜坂柳也という男の、生命の輝きが、生命の炎が、青色の閃光となって咆哮した。

 光の柱と、光の盾が、激突した。

 膨大なエネルギーが、大樹内の閉ざされた空間で、一気に爆ぜた。

 高熱を伴うオーラフォトンの盾と、凍気を孕んだ光線とがぶつかり合い、ぶわあっ、と白い煙が舞い上がった。瞬間的に生じた急激な温度差が、水蒸気を生んだのだ。蒸気の霧に包まれて、仮面の男の姿が、あっという間に見えなくなる。

「ワルド、いまだ!」

 なおもアイス・ブラスターの閃光を放出しながら、柳也が絶叫した。

 黒檀色の眼差しが鋭く見据えるその先では、すでに呪文の詠唱を終えていたワルドが、サーベル杖を悠然と振るうところだった。

「ああ」

 泥臭い戦いの場にあって気品さえ感じさせる優雅な所作で、サーベルを振るったワルドは力強く頷いた。

「特大のを一発、お見舞いしてやる」

 ホール内の空気が、急速に冷え込み始めた。柳也のアイス・ブラスターのせいもあるだろう。しかし、それだけでは説明のつかない、異常な冷え込みようだった。

 頬を刺す冷気の、馴染みのある痛みに、柳也の、才人の、みなの唇に、莞爾とした微笑が浮かんだ。

 “風”、“風”、“水”、“火”。

 “水”と“火”の温度差が、大気に雲を生み、“風”の二乗が刺激する。

 ライトニング・クラウド。

 スクウェア・クラスのメイジだけが使うことの出来る、雷のスペル。

 ワルドの言葉に呼応して空気が震え、ばちん! と、弾けた。

 サーベル杖から稲妻が飛び出し、空中の仮面の男を狙った。

 蒸気の霧に包まれた、仮面の男を。

 大量の“水”に取り囲まれた、仮面の男を。

 容赦なく、狙い撃った。

 閃光が、ホール内の空気を攪拌した。

 轟音が、ホール内の空気を引っ掻き回した。

 そして絶叫が、ホール内の空気を引き裂いた。仮面の男の悲鳴だった。

 喩えるならそれは、水の檻の中に閉じ込められたようなものだった。檻の中からは逃げられず、また檻自体が電気をよく通す液体で出来ている。

 ワルドの放った稲妻は、そんな檻の中で滅茶苦茶に暴れ、仮面の男の身を焼き焦がした。

 焼きゴテを無理矢理押し付けられたかのような凄絶な痛みが、男の総身を焼いた。

 仮面の男の体が、落下を始めた。あまりにも壮絶な痛みに集中が乱れ、レビテーションの魔法が解除されたのだ。背中から地面に落下し、受身も取れずに横転する。地面を転がる衝撃で、炭化した服が、ボロボロ、と崩れていった。

 苦しげな呻き声が、男の口から迸った。

 常人ならば即死ものの攻撃も、神剣士の強化された肉体には致命傷とはなりえない。

 しかし、有効打には間違いなかった。

 よろよろ、とした所作でなんとか立ち上がろうとする仮面の男だったが、結局は足に力が入らず、地べたに突っ伏してしまう。消耗は、明らかだった。その場から身動きが取れないでいる。

 畳み掛けるなら、いまをおいて他にない。

 柳也と才人、そしてマチルダの巨大ゴーレムが同時に動いた。

 囲むように、それぞれ別々の方向から殺到する。

 消耗しきった仮面の男に、同時に迫る三つの敵から身を守る術はない。

 三方より迫る濃密な殺気を、なす術なく迎え入れるしかない。

「ぐ、ぐ、ぐ……おの、れェ……!」

 仮面の男の唇から、怨嗟の叫びが漏れた。魔法で声を変えているのか、やけに中性的で、のっぺりとした声だった。

 最後の足掻きとばかりに、ルーンを唱え、羽根飾りを振るった。

 エア・スピアー。

 エア・ハンマーと同様、空気を圧縮して硬くした“風”の槍が、猛禽の羽の先から飛び出した。

 標的は、マチルダの操る巨大ゴーレムだ。

 貫通力に優れる空気の槍は、土くれのゴーレムの腰部を突き刺し、貫いた。

 二足歩行のゴーレムにとって、腰は上半身と下半身を繋ぐ要だ。その要を破壊され、巨大ゴーレムの体が、ぼろぼろ、と崩れ落ちる。上半身の重みを、下半身が支えきれなくなったためだ。

 エア・スピアーは、ゴーレムの体を貫通した後も勢いを殺すことなく、真っ直ぐ飛び続けた。

 才人は顔を青くしてその軌道を一瞥した。

 「あれ、やべーな」と、呟きを漏らした次の瞬間、才人の表情が硬化した。

 風の槍が突き進むその先には、ケティの姿があった。

 精神力を消耗しすぎたか、その足取りは目に見えて鈍い。回避も防御も、難しそうだった。  才人は反射的に柳也の方を見た。才人とほぼ同じタイミングで、柳也もエア・スピアーの軌道上にケティの姿があることに気が付いていた。

「柳也さん!」

「奴は任せろ。行けェ!」

 小さく頷き、才人は地面を蹴り、踵を返した。

  猛然と、烈風の勢いで地面を滑る。

 左手に刻まれた伝説のルーンが、煌々と輝いた。

 ルーンの輝きが増すにつれて、才人は五体に気力が満ちていくのを自覚した。

 体のどこかから、凄まじいパワーが溢れてくる。一歩前へと踏み出す度に、ぐんぐん、加速していく。

 エア・スピアーは、文字通り風の速さでケティへと向かっていった。 

 一方の才人は、風すらも追い抜く速さでケティを目指した。

 彼女のもとへ辿り着いた。

 振り返って、エア・スピアーの現在地を確認する。舌打ち。ケティを抱えて逃げ出そうと思っていたが、とても間に合いそうにない。かくなる上は――――――、

 ケティを背後に庇いながら、才人は前へと踏み出すや、デルフリンガーを正眼に取った。

 風の槍の打点を素早く見極め、未来位置に剣身を置く。エア・スピアーの軌道を、剣で受け止め逸らすつもりだ。

 それはあまりにも無謀な試みだった。エア・スピアーを剣で受け止めるなど、飛んでくる矢に石をぶつけて止めるようなものだ。ちょっとでも剣の位置がずれれば、剣と一緒に命を落とすことになる。

 無茶だ、とケティは思った。

 やめさせなければ、とも思った。

 やめさせて、せめて才人だけでも逃がさねば、と声を出そうとした次の瞬間、風の槍が、正眼に立てたデルフリンガーに正面から直撃した。

 その、刹那、

 才人の手の中で、凄まじい衝撃が暴れ出し、消えた。

 

 

 才人がケティのそばへと辿り着いた、ちょうどその時、柳也もまた、仮面の男のもとへと辿り着いた。

 “錬金”で作った同田貫を放り出し、無銘の脇差一尺四寸五分を抜き放つ。

 身動きが出来ず、地面にへたばるしかない男の、背後から馬乗りになった。

 左手で後頭部を押さえつける。

 抵抗はなかった。

 もはや男の身体に、抵抗するだけの余力はないようだった。

 柳也は右手の脇差を抱え引いた。

「……強いな、貴様ら」 

 仮面の男が、ぽつり、と呟いた。相変わらずの、中性的な声だった。

 脇差をいつでも振り下ろせる柳也は、警戒を解かぬまま莞爾と笑った。

「ったりめぇだ。俺の仲間だからな」

 荒々しい息遣いとともに、言の葉を吐き出す。先のアイス・ブラスターに、戦いに使えるマナをすべて注ぎ込んだ。柳也もまた、仮面の男と同様、消耗著しい身だった。

「……そうか」

 仮面の男の唇から、抑揚のない声が漏れた。のっぺりとした声にも拘らず、なぜだか、笑ったような気がした。

 だが、男はすぐに口調を改めると、静かに続けた。

「……それだけの力、使い道を誤らぬようにな」

「なに?」

「それだけの武を、捧げるべき相手を見誤らぬようにな、と言ったんだ」

「……状況、分かっているのか? いまここで貴族派に勧誘してどうするよ?」

「俺は、貴族派とは言っていないぞ?」

「あん?」

「その力で何をなすべきなのか。それだけの力を何のために使うべきなのか、よく考えてみることだな!」

 そう言い放った次の瞬間、仮面の男の口から、鮮血が噴出した。

 こいつ……! と、思った時には、もう遅かった。

 仮面の男の身体が、黄金のマナの霧へと還元され始めた。

「お前、舌を……」

「よく、考えろ……貴様の、その力で……何が、出来るのか……その力……ならば、“聖地”、を……」

 その続きを、柳也が聞くことはなかった。仮面の男の身体が、完全に蒸発してしまったから。

 契約者の死亡と同時に神剣から解放されたマナを啜って、〈決意〉と〈戦友〉が歓喜の声を発した。

 柳也は、屈託に彩られた表情で、脇差を鞘に納めた。

 

 

「……いまのって、いったい何なの?」

 脇差を納刀し、立ち上がった柳也のもとに、ルイズがやって来て訊ねた。

 自分を見上げてくるその顔には、不安と恐怖の色が滲んでいる。

 『いまの』というのは、仮面の男の肉体がマナの霧へと還元されたことを指しているのか。なるほど、自分達神剣士にとってはお馴染みの現象でも、知らない人間からしてみれば、人間が霧になって蒸発するなど怪奇現象以外の何物でもない。不気味に思うのは当然だろう。

「……肉体が死を迎えて、溜め込んでいたマナが解放されたんだ」

「マナ?」

「前に説明しただろう? この世界の万物に宿る、原始生命力のことだよ。……俺達神剣士の肉体は、高純度のマナで構成されているから」

 柳也は先ほどまで仮面の男が倒れていた場所を一瞥して、言った。

「神剣が壊れたり、肉体が死を迎えれば、ああやってマナの霧へ還っていくんだ」

 言いながら、説明になっていないな、と柳也は苦笑した。

 けれどもしょうがない。自分だって、マナという物質の正体について、本当のところは何も知らない。ただ漠然と、そうじゃないか、と考えているだけだ。

 だから、目の前の現象については、こういうものなのだ、と理解してもらう他ない。

「じゃ、じゃあ、あんたも死んだら……」

「ああ。死体は残らない。マナの霧になって大地に還るか、敵の神剣に吸収されるかの、どっちかだな」

 ふとルイズの方へと視線をやると、自分のご主人様は顔を青くし、不安げに己のことを見上げていた。

 何を考えているのか、すぐに分かった。きっといまの話を聞いて、自分がマナの霧へ還っていく光景を想像してしまったのだろう。

 柳也の唇に、自然と笑みがこぼれた。

 嬉しいな、と素直に思った。

 自分の身を案じ、自分なんかのことで不安そうな表情を浮かべてくれるルイズを見て、不謹慎だとは自覚しつつも、嬉しく思う気持ちを抑えられなかった。

 柳也はルイズの頭に手を載せた。

 ぽんぽん、と優しく叩いてやる。

 自分の大切な、優しいご主人様の少女を少しでも安心させてやりたくて、柳也はヤスデの葉のように大きな手を、優しく動かした。

 次いで柳也は才人の方を見た。

 仮面の男が最後の力を振り絞って放ったエア・スピアー。

 その切っ先の前に、ケティを守ろうと身を挺して立ちはだかった愛弟子は、とうの彼女にしこたま怒られていた。

「馬鹿っ、サイトさんの大馬鹿っ! どうしてあんな無茶をしたんですか!?」

「ああ、いや、だって……あん時は、ああするしかないと思ったから……」

 顔を紅潮させ、物凄い剣幕でまくしたてるケティの言葉に、才人は目を泳がせながら、おろおろ、と答える。

 結論から言えば、才人とケティに大きな怪我はなかった。

 エア・スピアーをデルフリンガーの剣身で受け止めた途端、どういうわけか、風の槍が消滅してしまったのだ。結果、二人は傷一つなく無事だったのだが……………………助けられた少女は、たいそうご立腹の様子で、助けた男に詰め寄った。才人が自分のために無茶をしたことが、相当許せなかったらしい。少年の身を案じるがゆえの、激しい剣幕だった。

「一歩間違えれば死ぬところだったんですよ!?」

「そうだけど……だからといって、ケティのことを見過ごすなんて、俺には出来なかったんだ」

 「ギーシュとも約束したし」という小さな呟きが、柳也の耳朶を叩いた。

 気恥ずかしさからか、かすかな声量で紡がれたその言葉は、ケティには届かなかった。

 彼女はいっそう激昂した口調で、「だからといって、サイトさんが死んだら元も子もないじゃないですか!」と、叫んだ。目尻にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。

 なるほど、正論だな、と柳也は思った。大切な人を守るために、自分が死ぬ。第三者からすれば美談に聞こえるかもしれないが、当人からすれば溜まったもんじゃない。

 ――まぁ、それでも、男には命を張らにゃならん時があるわけだが……。

 才人にとっては、さっきがまさに“その時”だったのだろう。その結果がこれというのは、同情する他ないが。

 さしもの伝説の使い魔も、女の涙には弱いと見えた。

 困り顔で視線を四方に飛ばし、助けを求めている。

 そんな彼を見かねたか、ワルドが近寄って、才人の手の中に視線をやった。少年の手は、いまだに抜き身のデルフリンガーを握っていた。

「しかし、不思議なこともあるものだな。エア・スピアーは間違いなく直撃したはずだが……この剣に触れた途端、綺麗さっぱり消えてしまった。……よくわからんが、金属ではないのか?」

「知らん、忘れた」

 デルフリンガーが答えた。

 ワルドは興味深そうに、喋る剣を、しげしげ、と眺めた。

「インテリジェンスソードか。珍しい代物だな」

「……なにはともあれ」

 やはりこちらも困り顔の才人を見かねたか、マチルダが戦闘の余波で服に付着した土埃を払いながら言った。

「なんとかこの場は切り抜けたね」

「そうだな。とはいえ、まだまだ油断は出来ない。貴族派の刺客が、いつまたやって来るとも知れない」

 マチルダの言葉に頷いて、ワルドが言った。

 視線を、デルフリンガーから階段の一つへと注ぐ。

「先を急ごう」

「そうね。行きましょ、リュウヤ」

 頭に載せられた手を振り払い、ルイズも頷いた。

 柳也を見上げ、先へと促す。

 そんな彼女に、柳也はかぶりを振った。

「悪い、るーちゃん……それにみんなも、先、行っててくれ」

「どうかしたんですか?」

 才人の質問に、柳也は曖昧に笑って答えた。

「さっきの戦闘で、マナを消耗しすぎた。もう少し、あいつの神剣から解放されたマナを、回収しておきたい」

 

 

 ルイズ達が階段を上っていったのを確認して、柳也は一人、ひっそりと溜め息をついた。

 静かに瞑目。

 精神を集中し、自分の内側へと意識を向ける。

 胸の内で、文字通り一心同体の相棒二人に語りかけた。

 ――なぁ、二人とも……気付いているか?

【……はい。ご主人様】

 自分の言葉に先に応じたのは〈戦友〉だった。続いて、〈決意〉も【うむ】と肯定の意を示してくる。

 柳也は頷くと、重苦しい感情イメージを二人に伝えた。

 ――あの仮面の男は、俺から見ても相当な遣い手だった。あの〈殲滅〉の泥人形なんかとは、比べ物にならないほどの強さだった。それなのに……・

【うむ。解放されたマナが、あまりにも少なすぎる……】

 苦い響きを孕んだ、〈決意〉の声が脳裏で響いた。

 自ら舌を噛み切って自害した仮面の男。彼の神剣から解放されたマナを、柳也達は当然、啜った。啜って、気が付いた。おかしい。あまりにも少なすぎる。全部回収しても、アイス・ブラスター一発分にもならない。あれだけの強さを誇る神剣士が、この程度のマナしか溜め込んでいないなんて、明らかに異常だった。

 気になる点は、他にもある。今回の戦いで、仮面の男は、永遠神剣の力をハルケギニア式系統魔法の強化や防御にしか使わなかった。奴の神剣には、オーク鬼やサイクロプスといった怪物を召喚し、意のままに操る能力があったはず。その能力を、今回はなぜ使わなかったのか。

 二つの不審点が疑問を呼び、疑問が、最悪の想像をかき立てる。これは、まさか――――――、

【……ご主人様、もしかして、わたし達は……】

 ――ああ……。どうやら、そうらしいな。

 柳也は、忌々しげに頷いた。

 内から湧き上がる憤怒の感情を抑えきれず瞠目した瞳には、苦渋の色が浮かんでいた。

 ――まんまと嵌められたわけだ、俺達は。

 どういう手段を使ったのかは見当もつかないが、おそらく、先ほど戦った仮面の男は偽者……あるいは分身だろう。自分達を消耗させるための、スケープゴートだった可能性が高い。もし、そうだとすれば、自分達は、敵の目論見にまんまと引っかかったことになる。先ほどの戦いでメイジ達はみな精神力をすり減らし、自分に至ってはマナを使い切った。こんな状態で、また敵の襲撃を受ければ、ひとたまりもない。

「クソッ! 俺としたことが……!」

 戦力の逐次投入は、戦略的には誤りだが、戦術的には正解だ。事実、自分達はいま、かなりのところまで追い詰められている。この消耗具合で、近いうちにやって来るであろう敵の襲撃を、凌ぐことが出来るだろうか。

 柳也は近い将来を憂いて、歯噛みした。

 


<あとがき>
 

 ……あれ、ケティのキャラ違くね?

 …………あるぇ?

 どうも、読者の皆様、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。

 今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございました。 今回の話はいかがでしたでしょうか?

 今回は、まぁ、見ての通りバトルばっかりのお話でした。しかもタハ乱暴の妄想入りまくりの……。ハイ。笑ってやってください。ライトニング・クラウドのアレ、なんだよ? 風の二乗に、火と水て……オフィシャルで紹介されていないとはいえ、まんま妄想じゃないか! ……いや、妄想せざるをえないんですけどね、アレ。本編でも、電撃の魔法としか表記されていないし……今後のゼロ魔本編で真っ向から否定されたらどうしよう?

 ま、まぁ、それはさておき、今回の話では、多人数を同時に動かすことの難しさを実感しました。

 なるべく全員に見せ場を与えようと思ったんですが、戦闘中はルイズが空気で、戦闘後はマチルダが空気に……くしょう。

 今後とも精進していきたいと思います。

 今回もお読みいただきありがとうございました。

次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




仮面の男再び、ってな感じかな。
美姫 「サイトも僅かとは言え成長らしきものが見えたわね」
とは言え、やっぱり分身体。
美姫 「柳也は気付いたみたいだけれど、既に遅いわね」
次に間を置かずに襲撃されたらかなり厳しいしな。
美姫 「一体どんな展開になるのかしらね」
気になる次回は……。
美姫 「この後すぐ!」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る