一三世紀から一四世紀まで二〇〇年間は、軍事史において、“モンゴルの竜巻”の時代と、呼ばれている。

 この世紀っていうのは、俺達の世界における年号の一種で、一世紀は一〇〇年間を意味している。つまり、西暦一二〇一年から、一四〇〇年までの約二〇〇年間は、モンゴルという国家が、竜巻の如く、周辺諸国を次々と侵略し、その版図を広げていった時代なわけだ。

 この、“モンゴルの竜巻”の時代を招いたのが、ジンギス・カーンという男だった。

 ん? ヘンテコな名前ですね? ま、まあ、異世界人の名前だからな。……俺達からすると、ギーシュ・ド・グラモンとか、キュルケ・ツェルプストーとかも、十分、変な部類に入るんだけどな。

 ああ、いや、なんでもない。話を戻すぞ。

 ジンギス・カーンは、今日まで俺達の世界の人類が創造し得なかった、最も優れた軍事編成、峻烈な訓練、厳格な軍律を達成してみせた男だった。彼の作った軍は、八〇〇年後の、俺達の時代においても、可能な限り追求するべき理想像とされている。それぐらいに、彼は優れた組織作りの名人だった。

 そもそも、彼が率いたモンゴル民族というのは遊牧民族で、土地に固執しない。土地に固執しないということは、大規模な集団になりえない、ということだ。つまり、民族で団結するという意識が少ない。個人対個人では勇猛であっても、集団戦闘には不向きな気質の民族だった。そのモンゴル民族を纏めた。この一事だけでも、彼の指導者としての適性を窺い知ることが出来る。

 ジンギス・カーンは、組織作りの名人であると同時に、戦の名人でもあった。彼の率いたモンゴル軍は、敵軍に比べて、多く場合兵力で劣勢だった。例えば、彼が生涯において経験した最大の戦闘は一二二〇年の“サマルカンドの戦い”だが、このときのモンゴル軍の総兵力は約二十万。対するトルコ民族・ホラズム王朝モハメド・アッシャーが擁する兵力は、約五十万だった。兵力差は二・五倍。まともに戦えば勝ち目はない。そこでジンギス・カーンは、自らの作った最高の組織と、最高の戦術を以って、これを撃破した。

 そんな彼と、彼の作ったモンゴル軍は、前衛部隊の運用が非常に上手かった。あらゆる戦闘は、まず敵を発見することから始める。発見した敵が小さい部隊であれば、前衛が正面から攻撃を仕掛け、拘束するか、わざと負けるふりをして、敵を罠の中へと誘い込んだ。主力部隊は前衛が戦っている間に包囲の態勢を整え、敵を撃滅した。

 逆に、相手が大軍のときは、前衛はまず敵の鼻っ面を引きずり回すことに努めた。つまり、敵の弱点を探したわけだ。主力部隊は前衛が探し出した、あるいは前衛が作り出した弱点に向かって集中攻撃・突破した。

 モンゴル軍は、相手の規模や戦場の状況に合わせて、この二つの得意技を使い分けた。兵達はこの二つの得意技を徹底して仕込まれ、指揮官達はこの得意技を基に戦術を練った。特に、前者の包囲戦術における、負けたふり、は効果的だった。損害軽微なうちに負けたふりをして、後ろに退く。その背後では、主力部隊が包囲殲滅の構えで待っている。敵からしてみれば、勝ち戦の興奮と勢いで良い気分になって敵を追跡していたところに、突然、自分達よりも優勢な敵軍が、しかも自分達を囲むように現われるわけだ。並の指揮官ならば、一瞬、思考が停止し、その隙に包囲が完成する。いわゆる名将と謳われる指揮官であっても、一度罠にかかったら、そこからの脱出は難しい。よしんば、包囲の輪から逃れたとしても、大損害を被ることは間違いない。

 ジンギス・カーンに限らず、負けたふり、を得意とした名将は多い。わざと弱点を晒すことで、敵の油断を誘い、そこに、必殺の毒針を撃ち込むわけだ。ジンギス・カーンは、その、負けたふり、が特に上手かった。

 つまり、だ、ギーシュ君。土メイジの君には、火のミス・ツェルプストーや、風のミス・タバサのような、直接的な攻撃力に秀でた魔法がない。つまり、火力面が弱い。そんな君が強大な敵と戦おうと思ったら、相手の弱点や油断を衝く必要がある。けれど、敵だって馬鹿じゃない。当然、弱点は隠すし、こちらを警戒するだろうから、油断を衝くのも難しい。そんな敵の、隠された弱点を暴き出したり、油断を誘ったりする上で、負けたふり、は非常に有効な手だと、俺は思う。

 べつに、負けたふり、に拘る必要はない。負けたふり、は手段の一つに過ぎない。利をもって誘い、乱して獲る。敵の陣形を崩すには、まず自分の弱点を敵に示せ。重要なのは、そういうことだ。

 ……さて、ギーシュ・ド・グラモン、君は、強大な敵を前にしたとき、どう動く?

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:32「青銅」

 

 

 

 ワルキューレの一体を犠牲にすることで負け戦を演出し、見事、オーク鬼とサイクロプスの分断に成功したギーシュは、宿の外に誘い出した亜人を、宿の中庭へとさらに誘導した。

 女神の杵は、古き時代には砦として機能していた。

 かつては練兵場の役目を与えられていた中庭は広く、ワルキューレの能力を存分に活かせる戦場だった。屋内のような限定された空間では、かえって大人数だと戦いにくい。常に移動し、相手の弱点に回り込もうとする運動戦などもってのほかだ。その点、野外の練兵場は、素早い動きが自慢の戦乙女達が活躍するのに十分な余地があった。

 もっとも野外の方が戦いやすいのはオーク鬼とて同様だ。オーク鬼の巨体と敏捷さは、野戦においてこそ際立つ。

 傷だらけのオーク鬼は、夥しい出血を伴いながら、中庭へと侵入した。

 猪頭の亜人が一歩踏み出すその度に、地面が赤黒い液体で染められる。

 屋内で繰り広げられた緒戦において、浅いが、無数の傷を負わされたオーク鬼は、傷を負わせたギーシュとワルキューレ達を睨みつける。怒りの雄叫びが夜気を裂き、乱暴に振り回された棍棒が、合板造りのコンテナをバラバラに砕いた。

 ギーシュとワルキューレの一団は、そんなオーク鬼と十メートルほどの距離を隔てて立っていた。

 第二ラウンドに向けた戦闘準備はすでに終えていた。

 青銅の戦乙女五名は、屋内の戦闘で愛用していたロングソードと盾を捨てて、騎兵用のランスを構えていた。本来は馬の突進力を上乗せした一撃を見舞う武器だが、そこは常人をはるかに上回る運動能力を持つワルキューレのこと。徒歩であっても、騎乗時と同等の威力を発揮することが出来た。

 ワルキューレ達の新たな武器を錬金の魔法で拵えてやったギーシュは、自らも薔薇の剣を片手正眼に構えていた。右手に剣を、左手に薔薇の杖を持っている。その額には、玉のような汗が浮かんでいた。五体ものゴーレムのために新たな武器を錬金したことは、彼を極度に疲弊させていた。

 ――魔法を使えるのは、小さなものであと二回か三回、大きな魔法だと一回きり、かな……。

 五体を襲う疲労の具合から、ギーシュは残された精神力をそう予想する。並の兵士が相手なら十分な余力だが、目の前のオーク鬼を相手取るには心許なかった。特に、長期戦に持ち込まれたら敗北は必至だろう。目の前のオーク鬼は大きい。身の丈だけでも、普通のオーク鬼の一・五倍はあろう。身体が大きいということは、それだけ体力に優れる、ということだ。あと数回しか魔法の使えない自分と、傷を負ってはいるもののいまだ脅威の身体能力健在なオーク鬼とが根競べをするとして、どちらが有利かは一目瞭然だった。

 ――キュルケ達にはああ言ったが、二人が来るまで、時間稼ぎに徹するのは難しいかもしれないな。

 長期戦は不利。であれば、短期決戦に活を見出す他はない。

 ギーシュは薔薇の剣の手の内を練った。柳也や才人ほどではないが、彼にも剣の素養はある。男の貴族の嗜みだ。実戦で試したことのない、いわゆる道場剣法だが、並の兵士よりかはましなはずだった。

 オーク鬼が、ギーシュ達の方へと突っ込んできた。

 十メートルの距離をあっという間に詰め、棍棒を振りかぶる。

 青銅の戦乙女を一体々々相手取るのは面倒臭い。

 ワルキューレの一団を一気に薙ぎ払うべく、一文字に棍棒を走らせる。

 オーク鬼が突進の構えを見せたときから攻撃を予感していたギーシュは、ワルキューレ達に素早く散開の命令を発した。

 五体のゴーレムは即座に反応し、密集を解いた。ギーシュ自身も、大きく後ろに飛び退く。

 直後、目の前の空間を丸太そのものの棍棒が勢いよく通過していった。

 圧倒的な風圧が、少年の頬をしたたかに打つ。頬肉が波打ち、全身が総毛立った。ギーシュの顔が、恐怖に引き攣った。

 着地したギーシュは視線を方々に走らせた。散開したワルキューレ達の安否を確認する。

 幸いにして、ワルキューレ達からは一体の落伍者も出なかった。そのうちの一体が、攻撃直後のオーク鬼の背後へと回り込む。さすがの脂肪の鎧も、背中まではカバーしきれまい、という推測に基づく行動だった。

 突進のスピードはともかく、小回りの利きはワルキューレの方が上だ。

 難なく背後に立ったワルキューレは、腰を入れ、思いっきりランスを突き出した。

 ドスン、と肉を穿つ重い音。

 次いで、オーク鬼の口から、ピギィィ、と凄絶な悲鳴が上がった。

 血飛沫が一瞬、物凄い勢いで噴出したかと思うと、急速に勢力を衰えさせる。諾々と流れる鮮血の量が、オーク鬼の被ったダメージの重さを物語っていた。

 オーク鬼の苦しむ姿を見て、ギーシュは怯えながらも冷笑を浮かべた。

 この巨大な怪物と戦い始めて、ようやく有効打と言える一撃を見舞うことが出来た。やはり、正面からの攻撃よりも、背後から攻め立てた方が有効のようだ。己の考えが正しかったことが証明され、ギーシュは勇気づいた。

 しかし、彼の余裕もそこまでだった。

 次の瞬間、オーク鬼の充血した眼差しに睨みつけられ、ギーシュは、ひっ、とすくみ上がった。端整な美貌からは笑みが消え、たちまち恐怖一色に彩られる。

 痛みからか、オーク鬼が狂ったように咆哮した。怒りの雄叫びだった。腹の底に響く絶叫に、ギーシュは全身が鳥肌で粟立つのを自覚した。

 と同時に、自分を取り巻く状況は、いまだ楽観を許さないことに気が付いた。

 いくつもの傷をその身に負わせた。たったいま、ダメージも与えた。しかしそれは、相手の戦闘能力を奪うほどではなかった。オーク鬼の戦力は、いまだ健在だった。

 オーク鬼は雄叫びを上げながら大地を踏み鳴らし、自らの胸板を激しく叩いた。ドラムリングだ。巨大な拳骨が胸板を叩く度に、バーン、と衝撃波のけたたましい音が鳴り響いた。

 三メートル近い巨大なオーク鬼の荒々しい威嚇行動に、ギーシュはすくみあがった。

 全身の汗腺が一斉に開いて、冷や汗が滲み出す。山の夜気と、自らの流す汗の熱と、オーク鬼の発するプレッシャーが、少年の体力を容赦なく奪っていく。

 言い様のない寒気を覚えたギーシュは、思わず自らを抱き締めた。足が震えていた。肩も震えていた。鎮まれ、鎮まれ……と、自分に言い聞かせるその呟きさえ、恐怖で震えていた。ガチガチ、と打ち合う歯の隙間からは、荒い息遣いが漏れ聞こえる。

 オーク鬼が、身体ごと後ろを振り返りながら棍棒を振るった。いまだ背後に立つワルキューレを狙っての一撃だった。

 オーク鬼の背後に立つ青銅の戦乙女は、亜人の背中からランスを引き抜くや後ろへと跳んだ。ネコ科の獰猛な肉食獣を思わせる、しなやかだが力強い動作だった

 しかし、オーク鬼が棍棒を振るう速さはそれ以上に速く、またその間合は長大だった。

 棍棒の先端が、ランスを支えるワルキューレの両腕を捉えた。

 そうかと思った次の瞬間、青銅の戦乙女の両腕が消滅した。あまりに巨大な運動エネルギーの衝突に、青銅製の両腕はあっさり耐久限界を迎え、もぎ取られてしまったのだ。恐るべき膂力だった。

 両腕を失ったワルキューレは、くるくる、と宙を舞った。

 棍棒の一振りがもたらす圧倒的な暴力は、青銅の少女から両腕を奪うのみならず、その身を吹っ飛ばした。

 バランス感覚を失ったワルキューレは地面に落下した。

 なんとか受身を取ろうと試みるが、両腕がないせいか、失敗してしまう。

 背中を強く打ちつけた。

 ゴーレムのワルキューレは痛みを感じない。しかし、落下の衝撃はワルキューレの体から軽快な動きを奪った。関節が軋む。鎧の隙間から、ひび割れた音と、火花が漏れる。

 なんとか起き上がろうとするワルキューレだったが、オーク鬼はその行為を許さなかった。

 再度の突進が、腕のないワルキューレを襲った。

 一トン近い巨大な質量が、石畳を踏み砕きながら迫ってきた。

 棍棒を振りかぶる。膂力の限りをつぎ込んだ、真っ向唐竹割り。

 いまだ上体さえ起こせずにいるワルキューレに、その攻撃を避ける術はない。

 ギーシュは思わず目を瞑った。

 金属の砕け散る凄絶な音が、夜の練兵場に鳴り響いた。

 次いで、勝利の雄叫びがギーシュの耳膜を叩いた。

 目を開けると、そこには、銀色の月を見上げながら咆哮する亜人の姿があった。

 怪物の足下には、ワルキューレの残骸が転がっていた。棍棒の一撃に押し潰されたか、胴体を失い、両脚だけが原型を保ったまま転がっていた。まるで人間の死体のようだった。

 顔を青くするギーシュだったが、すぐにその表情は緊張によって硬化した。

 振り返ったオーク鬼が、自分を見ていることに気が付いたためだ。

 邪魔なワルキューレを、また一体撃破した。興奮するオーク鬼は、次の獲物を、ギーシュに定めたらしかった。

 ――こいつ……。

 ギーシュは慄然とした表情で息を飲んだ。

 集団で襲いかかるワルキューレ達を同時に相手取っては分が悪い。なればこそ、多少面倒でも一体々々確実に潰していった方が得策だろう。では、その標的として、真っ先に倒すべきはどれか。他の何よりも優先して倒すべき敵はどいつか。その一体を倒すことで、敵集団に最も打撃を与えられるのはどの敵か。そういえば、あの人間の小僧は、鬱陶しいワルキューレどもに何度も命令を下していた。もし、あの小僧が連中のボスだとすれば、やつを倒せばワルキューレどもに大打撃を与えられるかもしれない。

 数いる敵の中で、なぜ、自分を標的と定めたのか。自分を睨むオーク鬼の眼差しからは、そんな洞察と推理が窺えた。

 どうやら目の前のオーク鬼は、人間と比べても遜色ない、高い知能を有しているようだった。

 オーク鬼が、地面を蹴った。

 一トンの巨体が、ギーシュ目掛けて猛然と迫ってきた。

 速く、そして、凄まじい勢いだった。

 人間の運動能力では、回避不可能の進撃だった。

 ギーシュの瞳に、死の恐怖が浮かんだ。

 ――不味い!

 ギーシュは慌てて残存する四体のワルキューレに集結の命令を下した。

 青銅製のワルキューレを一撃で粉砕するほどのパワーだ。そんな力を、まともに受ければ、人間の脆弱な身体など文字通りの挽き肉になってしまう。

 散開していたワルキューレ達が、ギーシュのもとに集まった。

 ランスを腰溜めに構え、正面から突っ込んでくるオーク鬼に対し、バリケードの陣を構築する。敵がこちらの間合に入り次第、四体のワルキューレが一斉にランスを衝き込む構えだった。オーク鬼自慢の脂肪の鎧も、四体ものワルキューレが一点に力を集中させた攻撃を受けては、たまらないはずだった。

 オーク鬼の進撃は止まらない。いや、止められない。巨体ゆえに凄まじい運動能力を持つオーク鬼は、しかしまた、巨体ゆえに、急な小回りが利かなかった。オーク鬼は方向転換さえすることなく、真っ直ぐ突き進んできた。

 前進するオーク鬼と、待ち構えるワルキューレ達。

 両者の相対距離は、ぐんぐん、縮まり、とうとうオーク鬼が、あと一歩でランスの間合に到達する距離まで迫った。

 青銅の戦乙女達は、その瞬間、一斉にランスを突き出した。

 寸分の狂いもない絶妙なタイミングでの、一突きだった。

 四体ものワルキューレの膂力のすべてを、一点に集中させた、一突きだった。

 標的の一点は、オーク鬼の左胸。心臓の一点。

 はたして、四本のランスは――――――

 はたして、四本のランスは、空を衝いた。

「な、に……」

 茫然とした呟きが、ギーシュの唇から漏れた。

 ワルキューレの一団を前にしても進撃を止めなかったオーク鬼。

 そのオーク鬼が、唐突に、走るのを止めた。

 両の足の踏ん張りを利かせ、左腕さえも地面に突き入れて、急ブレーキをかけた。

 オーク鬼の進撃が、ぴたり、と止まる。

 ワルキューレ達の突き出したランスの穂先から、僅かに二寸の距離を隔てて、止まる。

 オーク鬼がランスの間合に到達するまで、あと一歩。その一歩を、オーク鬼はなんとか踏みとどまった。

 苦悶の絶叫が、オーク鬼の口から迸った。

 赤黒い鮮血が、これまでに負った無数の傷から迸った。

 オーク鬼が自身に制動をかけてから、停止までに要した時間はコンマ一秒、距離にいたっては僅かに数十センチ。一トンを誇る巨躯が完全停止するには、あまりにも短い時間、短い距離だった。急な制動がもたらす肉体への負荷は、想像を絶する痛みを伴って、オーク鬼の身体を苛んだ。

 悲鳴に次いで、今度は愉悦の轟きが、オーク鬼の口から迸った。

 ワルキューレどもは攻撃の直後で、大きな隙を晒している。しかもありがたいことに、残存するワルキューレの全騎が、自分の目の前に集まってくれていた。狙った通りの展開だった。望んだ通りの展開だった。あの人間の小僧がワルキューレ達の司令塔であるならば、奴を狙えば、あのゴーレムどもの動きを自分の思い通りに誘導出来るかもしれない。やたらすばしっこくて鬱陶しい戦乙女達を一箇所に集め、拘束することが出来るかもしれない。そんな推測の下、実施した作戦は、見事成功した。たまらず、オーク鬼は歓声を上げた。

 事ここに至って、ギーシュはようやく、オーク鬼の企みに気が付いた。

 オーク鬼が自分を狙って進撃してきたのは、散開したワルキューレ達を再び一箇所に集めるため。真のターゲットは、自分ではなく、自分を守ろうとするワルキューレ達だったのだ。

 制動のために地面に突き入れた左腕と違い、棍棒を握る右腕はフリーハンドだ。オーク鬼はすかさず、右腕一本で棍棒を振りかぶった。

 対するワルキューレ達は、身動きが取れないでいた。

 先の一撃は、必勝を期した一突きだった。この一撃に、青銅の戦乙女達は渾身の力を篭めていた。すべての力を使い果たしたワルキューレ達は、攻撃の直後、すぐには動き出せぬ状況にあった。また、ワルキューレ達は、それとは別に重い足枷を嵌めていた。彼女達の背後には、司令塔たるギーシュがいる。もし、この状況でオーク鬼の攻撃を回避すれば、背後の主人はどうなるか。動けるはずがなかった。

 オーク鬼が、丸太の棍棒を、一文字に振り抜いた。

 横殴りの一撃を、四体のワルキューレ達は無抵抗のまま受け入れた。受け入れざるをえなかった。ギーシュの目の前で、青銅の戦乙女達が次々と薙ぎ倒されていく。

 猪の顎が、ニタリ、と微笑んだ。

 オーク鬼は倒れ伏すワルキューレ達に向けて、何度も、何度も、棍棒を振り下ろした。

 金属のひしゃげる絶叫が鳴り響いた。青銅の破片が、辺りに飛び散った。

 オーク鬼の攻撃は執拗であり、容赦がなかった。これまでの鬱憤を晴らすかの如く、怒涛の勢いで棍棒を叩きつけた。

 一体のワルキューレが、機能を停止させた。二体、三体と落伍者が続く。ついには、最後の一体までもが、ゴーレムとしての機能を停止させた。

 オーク鬼が、鬨の声を上げながら激しく胸を叩いた。

 勝利の咆哮。

 勝利のドラムリングだった。

 恐るべき亜人が勝利に酔いしれるその姿を、ギーシュは震えながら眺めていた。

 やがてオーク鬼は、視線をギーシュに戻した。邪魔なワルキューレどもはすべて片付けた。あとは、この小僧を始末するだけだ。

 激しい運動のせいか、ちょうど腹も空いている。

 オーク鬼は闘争本能と食欲に滾る眼差しをギーシュに落とした。

 ギーシュは慌てて薔薇の剣を構えた。

 オーク鬼の口元に、憫笑が浮かぶ。先ほどまで相手取っていたワルキューレども違って、この小僧にはパワーもスピードもない。加えてその得物は、自分が軽く小突いただけでへし折れてしまいそうなほど細い。ギーシュの持つ剣は一般的なロングソードで、剣身はそれなりの厚みを有していたが、オーク鬼にはそう見えた。

 オーク鬼は棍棒を振り上げた。

 棍棒は、いまや武器ではなく、料理のための道具だった。目の前の素材をミンチにすると同時に、硬い骨を砕いて食べやすくするための道具だった。

 オーク鬼は一歩前へと踏み出した。死を誘う足音が、石畳を踏み砕く。もはやこの巨大なる亜人の進撃を阻むものは、何もなかった。

 ギーシュの前に立ったオーク鬼は、躊躇なく棍棒を振り上げた。腰を据え、両脚に力を篭め、身体能力のすべてを、次の一撃に備えた。

 ギーシュの表情が、歪んだ。

 死の恐怖に。

 そして、勝利への、確信に。

 ギーシュの口元に、屈託のない微笑が浮かぶ。

 自らの企みが成功したことを喜ぶ、歓喜の笑みだった。

 次の瞬間、オーク鬼の身体が、沈んだ。

 比喩ではない。

 最高の一撃を放つために、力を篭めた太い両脚。その両足が踏む大地が、突如として、沈んでしまった。

 地盤沈下。地殻運動や堆積物の収縮などが原因で地盤が沈下する現象だ。一般に沈下の範囲が広域か、限定的かで大別され、今回の沈下は、オーク鬼の立っていた一画だけが陥没していることから、後者と類別出来た。

 沈下は不意に始まり、急激に進行していった。いままさに渾身の一打を振り下ろさんとしていたタイミングで起こった、不意打ち同然の事態に、オーク鬼は気が動転してしまう。猪頭の亜人は棍棒を振り下ろすのも忘れ、うろたえた。そうしている間にも、沈降はどんどん進んでいった。オーク鬼は脱出を試みたが、足場そのものが沈んでいる状況では、両足に上手く力を篭められない。両足に力が入らなくては、這い出すこともままならない。

 他方、沈みゆくオーク鬼に冷たい視線を向けるギーシュの足下の地面でもまた、変化が生じていた。もこもこ、と地面が盛り上がり、石畳を割って、地中より巨大な動物が顔を出す。熊の成獣ほどの大きさもある、巨大なモグラだった。ジャイアント・モールのヴェルダンデ。ギーシュの使い魔の、巨大モグラだった。

 ラ・ロシュールに到着したその晩、ギーシュは魔法学院に置いてきたこの巨大モグラを、密かに呼び寄せていた。最強戦力の一人である柳也が倒れたことで、今後任務を遂行する上で危機感を覚えた彼は、少しでも戦力をかき集めねば、と思ったのだ。

 魔法学院からラ・ロシュールまでは、かなりの距離がある。ギーシュ自身、馬を飛ばして一日を要したその距離を、ヴェルダンデは地中を掘り進むことで、半日ほどで踏破していた。土壌の状態が良好なら、ヴェルダンデは最大で、時速四〇キロメートルの速さで地中を掘り進むことが出来た。

「よくやった、ヴェルダンデ!」

 ギーシュは、さっ、とその場に屈みこむと、土だらけの巨大モグラの頬にキスをした。

 ヴェルダンデの方も、嬉しそうにご主人様にじゃれつく。巨大モグラの表情には、与えられた任務を見事やり遂げてみせた充足感が漲っていた。

 ギーシュはヴェルダンデに、オーク鬼の足下の土を、とにかく掘って掘って掘りまくるよう命令していた。文字通り、オーク鬼の足場を切り崩すための工作だ。ヴェルダンデの働きよって弱体化した地盤は、やがて一トンを誇るオーク鬼の重量を支えきれなくなり、陥没してしまったのだった。

 すべてはギーシュが狙った通りの展開だった。最初の威力偵察のときから、ギーシュは、オーク鬼の最大の脅威はそのスピードにある、と睨んでいた。そこで彼は、まずオーク鬼の機動力を殺す作戦を練った。すなわち、人為的に地盤沈下を起こして、オーク鬼から足場を奪う作戦だ。オーク鬼の脅威の身体能力も、足場がなければ発揮出来ない。足場を壊せば、オーク鬼もその身体能力を十全に発揮出来ず、戦力を激減させられるはず。ギーシュはそう考えた。

 作戦を立てたギーシュは、早速、そのための戦術を練った。

 最大の問題は、いかにしてオーク鬼を罠に嵌めるか、ということだった。

 魔法学院からラ・ロシュールまでを半日で踏破したヴェルダンデだが、その彼の能力を以ってしても、地盤沈下のような大きな現象を起こすのは難しい。ごくごく限られた範囲での地盤沈下が限界だ。その限られた範囲の内に、オーク鬼をどう誘い込むか。オーク鬼は頭の良い動物だ。下手な誘導は、かえって警戒心を煽り、作戦を失敗させかねない。オーク鬼に警戒心を抱かせることなく、沈下ポイントに誘い込む悪知恵をはたらかせる必要があった。

 ――何か効果的な餌はないか……このオーク鬼が、それを見た瞬間、思わず食いついてしまうような、そんな魅力的な餌は……。

 そう考えたギーシュの脳裏に、不意に蘇ったのは、今日耳にしたばかりの柳也の言葉だった。

 『……負けたふり、は手段の一つに過ぎない。利をもって誘い、乱して獲る。敵の陣形を崩すには、まず自分の弱点を敵に示せ。重要なのは、そういうことだ』

 敵の陣形を、崩す。敵の警戒を、敵の構えを、崩す。そのために、自分の弱点を示す。弱点を晒すことで、相手の油断を誘う。相手の警戒を、解く。では、自分の弱点とは何か? 自分達の弱点とは……。

 ――……僕こそが、ワルキューレ達の弱点だ。力も、体も、技も弱い……僕こそが、オーク鬼への餌だ!

 ギーシュは、敵の攻撃に合わせて、ワルキューレ達の密集隊形を解いた。自分の無防備な姿を晒し、オーク鬼が近付いてくるのを待った。

 案の定、オーク鬼は近付いてきた。ギーシュはワルキューレ達に、再び自分のもとへ集まるよう命令した。自分という餌に加えて、ワルキューレという餌を、オーク鬼に与えてやるためだった。オーク鬼は自分を襲ったことでワルキューレ達を一箇所に集め、その場に拘束したつもりだったようだが、それは違う。自分こそが、オーク鬼を一箇所に拘置してやったのだ。

 邪魔なワルキューレどもを破壊するために、オーク鬼は足を止めた。その間に、ヴェルダンデは着々と亜人の足下の地盤を破壊していった。

 そして、オーク鬼が最後のワルキューレを破壊した直後、ギーシュの策は完成した。オーク鬼の足下の地面が陥没し、沈下に巻き込まれて、脅威の亜人は身動きが取れなくなってしまった。

 最終的に、オーク鬼は腰の辺りまでが地中に埋まってしまった。

 体の下半分が地面に沈んで、ようやく、オーク鬼の目線とギーシュの目線が同じ高さになった。

 両者の視線が絡み合う。ギーシュは冷然とした微笑みを、猪頭の怪物に向けた。

 少年の美貌に浮かぶ微笑から何か感じ取ったか、オーク鬼は雄叫びを上げながら棍棒を振り回した。ギーシュを睨む眼差しは、憤怒の炎で充血していた。どうやらオーク鬼は、地盤沈下を起こした犯人は目の前の小僧だと、気付いたらしかった。

 繰り出される棍棒の連打を、ギーシュは後ろに下がって悠々避けた。

 間合の広さが厄介だった棍棒も、機動力を殺してやったいまでは、さしたる脅威ではなかった。

 棍棒の間合の外に出たギーシュは、左手で手挟んだ薔薇の造花を掲げ持った。堂々と胸を張り、朗々たる声で言い放つ。

「さあ、フィナーレの時間だ!」

 大根役者と揶揄された、このギーシュ・ド・グラモンの、華麗なる大殺陣に酔いしれろ!

 ――父上、姫殿下、僕に勇気を! 僕にこの怪物を倒すための力を!

 杖を振る。

 ルーンを唱える。

 “土”。 

 ドット・クラスのメイジのギーシュが、ただ一つ使うことの出来る系統。

 “土”系統の魔法は、万物の組成を司る。この世界に存在する森羅万象のすべての仕組みを分析し、その構造に干渉する。“錬金”の魔法はその最たるものであり、ゆえに“錬金”は土系統魔法の基本とされる。

 基本とは、すなわちその分野における奥儀だ。

 この局面でギーシュが唱えたのもまた、基本にして奥儀たる錬金の呪文だった。

 錬金の元となる材料は、足下に転がるワルキューレ達の残骸。青銅の組成を解析し、その構造を組み替える。銅。亜鉛。スズ。青銅が含む各種の元素の結合を一度解き、頭の中に思い浮かべたイメージの形に再構築する。

 やがてワルキューレの残骸の中から、一振の斧が出現した。ギーシュ自身の身の丈ほどもある、両手持ちの、長大なバトル・アックスだ。片刃の斧頭は青銅製で、重ねの厚い造りをしていた。

 ギーシュは薔薇の剣を地面に突き立てると、代わりに、“錬金”で作り出した青銅の斧を掴んだ。ずっしり、とした重みが、両腕の筋肉を圧迫した。

 青銅の斧は、斧頭の部分だけでもゆうに十キログラムはあるように思われた。柄の重量も含めれば、十三キロは下るまい。細身のギーシュの膂力では、持っているだけでも辛い重量だった。たしかに、これだけの質量の斧を振るえば、オーク鬼にも致命的なダメージを与えられるだろうが、自在に振り回せないのでは……。

 両腕を苛む鈍痛に顔を真っ赤にしながら、ギーシュは再びルーンを唱えた。

 唱えたのは、またしても錬金の魔法だった。

 組成を解析し、一度構造を分解、新たな形態に再構築する。

 錬金の元となる材料は――――――己の、両腕!

「ぐッ……ううあッ!」

 苦悶の絶叫が、ギーシュの唇から漏れた。

 青銅の斧を持つ両腕に、灼熱した痛みが走っていた。肉という肉が痛みを訴え、骨という骨が悲鳴を上げていた。

 青銅の斧を振るうために、ギーシュは自らの両腕に錬金の魔法を施したのだった。より強大なパワーを発揮出来るように、筋を、腱を、骨を、構造から作り変えようとした。

 それは、想像を絶する痛みを伴う儀式だった。

 錬金の魔法は、解析、分解、再構築の三つのプロセスからなる。骨を作り変えようと思ったら、一度骨を、腱を作り変えようと思ったら、一度腱の構造を、破壊しなくてはならない。自分の肉体が原子レベルで破壊さていく激痛は、言語という不完全な情報伝達ツールでは到底表現出来ようのない痛みを、ギーシュの身体にもたらした。

 痛みを身体の内側で処理出来なくなったギーシュは、思わず絶叫を発した。痛々しい声だった。枯れ果てた声だった。

 しかし、筆舌に尽くしがたい痛みを感じながらも、ギーシュは青銅の斧を軽々と振り上げた。

 総重量約十三キログラムの斧が、夜気を裂く。いまやギーシュは、青銅の斧の重さを感じていなかった。彼が感じていたのは、痛みだけだった。

 ギーシュは、地面を蹴った。

 斧の重さを感じさせない軽快なフットワークで、オーク鬼の懐へと飛び込む。

 無論、オーク鬼も易々とは近付けさせない。棍棒を振り回し、ギーシュの接近を阻もうとした。

 しかし、いまやオーク鬼は体の下半分が地面に埋まってしまっている身だ。後ろに回り込まれては、文字通り手も足も出ない。

 ギーシュはオーク鬼の背後へと回り込んだ。

 後ろを振り向くことが出来ないオーク鬼は、狙いも何もなく、ただ棍棒を振り回した。

 アトランダムな連打の乱舞を、ギーシュは時に避け、時に斧刃で受け止めて防いだ。錬金の魔法によって強化されたギーシュの膂力は、オーク鬼の怪力とも互角に渡り合える出力を有していた。

 右方向から棍棒が襲ってきた。

 やや袈裟気味に振るわれたスイング。

 ギーシュは斧刃をぶつけて迎え撃った。

 受け止めると同時に、上に向かって弾く。

 オーク鬼の手から棍棒が離れ、丸太同然の巨木が、くるくる、と宙を舞った。

 ギーシュは地面を強く蹴った。

 跳躍。

 青銅の斧を振りかぶり、オーク鬼の脳天目掛けて、一息で振り下ろす。

 渾身の一打が、背後よりオーク鬼の後頭部を襲った。

 ぐぎゃあああっ、と絶叫が迸った。

 頭蓋を叩き割られたオーク鬼の、断末魔の絶叫だった。耳膜はもとより、腹の底に響く咆哮だった。

 巨大な怪物の最期の雄叫びを耳にした直後、ギーシュの手の中から、青銅の斧が消えた。同時に、両腕に走る痛みも消える。“錬金”の魔法の効果が切れたのだ。

 オーク鬼の背中を蹴って地面に着地したギーシュは、思わず膝を着いた。

 肩で息をしながら、もがき苦しむオーク鬼の背中を眺める。

 オーク鬼は両手をばたつかせながら、苦しげに身悶えしていた。

 やがて数十秒間、その状態が続いた後、ぱたり、とオーク鬼の動きが止まった。

 上体が、石畳の地面に倒れ込む。

 その光景を見て、ギーシュはようやく、安堵の溜め息をついた。

 

 

「あら、もう倒しちゃったの?」

 オーク鬼を倒した後も膝を着き、必死に呼吸を整えるギーシュの背中に、不意に声がかけられた。

 誰のものかは、振り返るまでもなく分かった。

 ギーシュは脂汗の滲む顔ににこやかな微笑を浮かべると、立ち上がり、後ろを振り返った。

 そこにはサイクロプスとの戦闘を終えた、キュルケとタバサが立っていた。キュルケはオーク鬼の死体を見てつまらなそうな表情を浮かべ、他方、タバサは月明かりを頼りに本を読んでいる。

 ギーシュはタバサを見ながら「相変わらずだな」と、呟いた。それから、キュルケを見る。

「当然だよ。僕を誰だと思っているんだい? 僕は、トリスティンが生んだ偉大なる軍人、グラモン元帥の息子だよ? この程度の敵、楽勝だったさ!」

「……強がっちゃって。顔中、土だらけの埃まみれじゃない? ほら、いい男が台無しよ」

 キュルケは懐からハンカチーフを取り出すと、ギーシュの顔を拭ってやった。

 オーク鬼との戦いがいかに熾烈を極めたかは、ハンカチに付着した汚れからも察せられた。

「そっちはどうだい?」

「それこそ、楽勝だったわ。ね、タバサ?」

 キュルケに話を振られたタバサは、本に目線を落としたまま、静かに頷いた。

 ギーシュは「さすがはトライアングル・クラスだな」と、感心したように頷く。それから制服に着いた土埃を払う彼の耳朶に、

「いや、本当にすげぇなぁ。この世界のメイジって連中は。ポリュペモスだけじゃなく、ブレイバーまで倒しちまうなんてよぉ」

と、男の声が、触れた。

 ギーシュは、キュルケは、タバサは、一斉にそちらを振り返った。

 気が付くと、オーク鬼の死体の側に、誰かがいた。

 その場に屈みこみ、死体の二の腕辺りを、ぺたぺた、触っている。

 若い男だった。赤毛の髪。金色の眼差し。鋭利な刃物を思わせる美貌は端整で、甘いマスクには柔和な笑みが浮かんでいる。シックな色合いの茶の上下を纏い、その上に白いマントを身に付けていた。

 ――いったい、いつの間に……?

 男の姿を目にした途端、三人の頭の中に同時に浮かんだのは、そんな疑問だった。

 キュルケとギーシュがオーク鬼の死体から視線をそらしたのは、僅か一瞬こと。再び視線を戻したときには、もう、その男はそこにいた。

 いままでどこかに隠れていたのか。いや、隠れる場所などどこにもない。そもそも、最初から隠れてなどいないとでも言いたげに、男は、平然とその場所に座っていた。

 男は視線をオーク鬼の死体に向けたまま、動かない。

 他方、ギーシュ達は、このタイミングで新たに出現した不審な人間に、警戒の眼差しを注いだ。キュルケとタバサはすでに杖を構え、いつでも魔法を繰り出せる姿勢に移っていた。

「お前……」

「ジャン・ジャックからは、注意しないといけない相手は例の神剣士だけって聞いていたが……なかなかどうして。他のメイジどもも、大したもんじゃないか。こいつは、思った以上に苦戦するかもしれないなぁ」

 神剣士。男の口から飛び出したその単語を耳にした瞬間、ギーシュ達の表情が硬化した。

 神剣士。永遠神剣と契約を交わし、その能力を自在に操る者達の総称。

 聞き間違いか? いや、そうではない。たしかにこの男はいま、はっきり、「神剣士」と口にした。永遠神剣の存在を認めている、発言をした。ということは、まさか……!

 そのとき、練兵場に一陣の風が吹き込んだ。

 赤毛の男のマントが翩翻と翻り、一瞬、その腰元が露わとなる。

 ギーシュは、キュルケは、タバサは、その瞬間、己が両目を疑った。

 男の腰元には、一振の短剣があった。菱巻の柄。斑模様が特徴的な潤塗の鞘。鍔の形状は卵型で、丸みを帯びた鋭角は地面の方を向いている。鞘の長さから察するに、中の刀身は約二〇センチメートルといったところか。見知ったシルエットの短剣だ。あれはいったいどこで見たんだったかと考えて、三人はほぼ同時に思い出す。そうだ。長さこそ違うが、あれは柳也がいつも腰に差している剣と同じシルエットをしている。異世界からやって来た男の愛刀と、同じシルエットを。たしか名前は、カタナ、といったか。

 頭の中に、いくつも疑問が浮かび上がる。

 なぜ、赤毛の男の腰元に、あれと同じ形状をした短剣の姿があるのか?

 なぜ、この男は異世界の文化が生んだ武器を腰に差しているのか? 

 この男はいったい何者なのか?

 永遠神剣のことを知り、異世界の武器を持つ、この男の正体は……?

 まさか。

 まさか。

 まさか!

 驚愕から次の言葉を失った三人を無視して、赤毛の男は、なおも独り語りを続ける。

 腕を組み、何か思案するような態度を取りながら、立ち上がる。

「ふうむ……有象無象と思っていたメイジどもが、ここまでやるとなると……うん。やっぱり、俺も出しゃばるべきか」

 赤毛の男は、そう呟いてにこやかに笑った。

 赤毛の男は、それからようやく、ギーシュ達を見た。

「悪いな。俺ぁ、お前達には恨みもその他の悪感情もないんだけどよぉ……俺の友達の計画には、お前達の存在は邪魔なんだ」

 男は、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべながら、剣呑な眼差しを向けてきた。

 その右手が、腰元の短剣に伸びる。

「お前達をここで逃がして、連中と合流されても困る。お前達には、ここでリタイアしてもらうぜ?」

 柄に手を添えた。一挙動の下に、鞘から引き抜く。

 瞬間、

「安心しろ。命までは、取りはしないから」

 男の言葉が爆ぜると同時に、ギーシュ達は意識は、深い闇の世界へと飲み込まれた。

 

 

 ギーシュ達が再び意識を取り戻したとき、練兵場には、赤毛の男の姿はなかった。

 オーク鬼の死体も消えていた。どうやったかは分からないが、あの男が持ち帰ったらしい。この分だと、酒場のサイクロプスの死体も回収されていかもしれないな、とギーシュは夜空に浮かぶ月を見上げながら思った。

 ギーシュは練兵場の石畳に背中を預けながら、夜空を見上げていた。

 彼自身の意思で、こうなったのではない。目が覚めたときにはもう、仰向けに寝転がっていたのだ。ギーシュは当然起き上がろうとしたが、なぜか両足に力が入らない。腕も同様で、上体を起こすことすらままならなかった。自由なのは首の動きだけで、それとて鈍痛を伴うものだった。どうやら、あの男が何かしていったらしい。

「……ねぇ、ギーシュ」

 隣で自分と同じように仰向けに倒れるキュルケが言った。彼女も両手両足の自由を失った状態だった。目が覚めたのは自分よりも早かったらしく、身動きの取れないこの状態に、辟易としていた。

「わたしたち、何をされたのかしら?」

「……僕に聞かないでくれ」

 ギーシュは渋面を作って言った。

 何をされたのか、まったく分からなかった。なぜ、自分達はこのような状況に置かれているのか、まるで理解出来なかった。

 気付いたときには地面に倒れ伏していた。気付いたときには、手足の自由を失っていた。意識を失っていたことは、起きてからはじめて知った。

「……本当に、何をされたんだ?」

 ギーシュの口をついて出た疑問に、答える者は、誰もいなかった。

 


<あとがき>

 ギーシュは周りの環境さえ整えてやれば、化ける才能の持ち主だと思います。はい。

 どうも、読者の皆さん、おはこんばんちはっす。

 タハ乱暴でございます。

 今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとう……って、これ、読んでくれている人、いるんかな? 今回は、いつも以上に需要が見込めないんだがぁ。男っ気すげぇし……。あれ? これ、ゼロ魔の二次創作だよね? 才人も、ルイズもいない上に、女性陣がキャッキャウフフしてねぇぞ? ……あるぇえ?

 ま、まぁ、それはさておき、今回の話はいかがでしたでしょうか?

 今回の見せ場はなんといってもギーシュとオーク鬼の死闘……っていうか、それしかやってない! なんなんだ、この話は!? 文量に対して、時間の進行が遅すぎる!

 ま、まぁ、それもさておき、ギーシュとオーク鬼の戦いは、このような形で落ち着きました。相手の機動力を奪った上で、急所目掛けて強力な一撃を叩き込む、というのは、古くからある戦い方の一つです。原作のゼロ魔を読んだ限り、どうも土メイジと水メイジは、直接的な攻撃力が不足しているみたいなので、まず外堀を埋めていく作戦を展開してみました。トドメの一撃に錬金を使ったのは、ちょっとしたこだわりです。オリジナルで、強力な土の魔法を作ってもよかったのですが、ドット・メイジのギーシュじゃ、使っても説得力ねぇよなぁ……と思い、あのような形にしました。

 さて、次回は宿を脱出した柳也達の動向ですね。

 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜

 

 

 

 今回のNGシーン

ギーシュ「ヴェルダンデ、超振動波だ!」

ヴェルダンデ「モグ〜〜〜〜!」

 

 

柳也「いや、たしかにヴェルダンデ、地面掘ってたけどよ。ゴモラはねぇよ。ゴモラは……っていうか、俺の出番は!? 前回といい、今回といい、俺の出番は!?」

 

 

 

<今回の強敵ファイル>

オーク鬼・ブレイバー

柳也を基準とした戦闘力

攻撃力 防御力 戦闘技術 機動力 知能 特殊能力

主な攻撃:肉弾戦、棍棒

特殊能力:なし

 永遠神剣第七位〈隷属〉の契約者である謎の男に使役されるオーク鬼。EPISODE:22に登場した若いオーク鬼の戦士と同じ個体で、平均的なオーク鬼の一・五倍の身の丈と、三倍以上の体重という巨躯を持つ。そのパワーは青銅のワルキューレを一撃で粉砕するほどで、動きも素早い。高度に発達した知能は戦術的思考を可能にし、今回の話では人間のギーシュとも知略の応酬を展開した。

 肉体の強度自体は一般のオーク鬼と変わらないが、分厚い脂肪の層のおかげで、鎧を身に付けているも同然の防御力を有している。その守りを突破するには、脂肪の少ない頭部などの急所を狙うか、脂肪の層を突き破るほどの貫通力のある攻撃を繰り出すしかない。今回の戦いでは、ギーシュは前者の戦術を取った。

 

原作では:原作に登場せず




ギーシュ、頑張ったな。
美姫 「時間稼ぎどころか、まさか勝っちゃうとはね」
で、ここで赤毛が登場。一体、何をしたのかは分からないけれど、ギーシュたちは意識を失っていたみたいだな。
美姫 「どれぐらいの時間が経過したのかが問題よね」
確かに。うーん、この後ギーシュたちはどう行動するかな。
美姫 「柳也たちの動向も気になるわね」
次回も待っています。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る