突如として現われた仮面の男が取り出したのは猛禽の尾羽。

 唱えたるは雷の魔法を発動するためのルーン。

 はたして、はるかな高空からは無数の稲妻が降り注いできた。

 対する柳也は、暗く冷たい夜の闇を引き裂く閃光の刃を仰臥しながら、拳を作った右腕を天高く突き出す。

 呼吸を整え、腰を据え、五体に気力を充溢させて、咆哮する。

「オーラフォトン・バリア――――――ッッ!!!」

 柳也は天へと掲げた右手を中心にオーラフォトン・バリアを展開した。

 左右を岩壁に囲まれて自由に動けぬみなを守るべく、広く、厚く、オーラフォトンを練り上げる。

 柳也の拳からオレンジ色の光芒が広がり、ドームのように、ルイズ達の頭上を覆った。

 神剣士・桜坂柳也のオーラフォトン・バリアは、マナの集中次第では、戦車砲の直撃にも耐えうる防御力を発揮することが出来る。それこそ、メガジュール・クラスのエネルギーとて問題にならない。これが自然に発生した雷ならば危ないところだったが、人工的に生み出された稲妻など、取るに足らない攻撃のはずだった。

 ――とはいえ、いかんせん数が多い! 凌ぎきれるか!?

 一発々々の威力は低くとも、それが複数発、しかも広範囲に渡って降り注ぐとなれば厄介だ。

 雷の猛攻を前にオーラフォトン・バリアを維持出来るか否かは、己の集中力に懸かっている。しかし、カバーする範囲や守らねばならない対象が増えれば、その分、そちらにも注意を向けねばならなくなる。

 己は聖徳太子のような賢人ではない。多方向に同時に意識を向ければ、まず間違いなく、どこか隙が出来てしまう。その隙を衝かれれば、どんな脆弱な攻撃も致命傷となってしまう。

 ――素人のへなへなパンチも、気を抜いたところにぶち込まれれば、膝を着いてしまう。こいつは、一瞬たりとも気を抜けんな!

 柳也は好戦的に輝く眼差しで天を睨んだ。

 その口元には、凶暴な冷笑が浮かんでいる。

 柳也は、この窮地を存分に楽しんでいた。

 僅かたりとも気の緩みが許されない状況。守らなければならない仲間の存在。彼らを失う未来への恐怖が、甘い痺れとなって背筋をひた走り、やがて脳髄を酔わせる。

 危険? 上等だ。この程度の危険など、ねじ伏せてみせる!

 柳也の好戦意欲の昂ぶりに呼応して、精霊光の障壁が輝きを増した。

 稲妻が炸裂する。

 一発。

 二発。

 大丈夫。

 この程度の威力ならば、あと二十発は余裕で耐えられる。

 三発。

 四発。

 十。

 二十。

 稲妻の剣は、なおもオーラフォトンのドームを激しく殴打し続けている。

 柳也の額に脂汗が浮かび、男の呼吸が乱れ出した。

 攻撃の衝撃は、柳也にも確実に伝わっている。ダメージこそ皆無だったが、徐々に高いレヴェルでの集中が難しくなってきた。

  その時、柳也の耳膜を馬の嘶きが叩いた。

 背後を一瞥。苦みばしった表情で、歯噛みする。

 柳也の背後で、ギーシュが騎乗していた馬が怯えから暴れ出していた。無理もない。自分達が途中の駅で借りた馬は優駿だが、軍馬としての訓練を受けてはいない。馬は本来、草食性で大人しく、臆病な動物だ。次々と降り注ぐ雷撃の炸裂音や閃光に驚いてしまうのは、詮無きことといえた。むしろここは、いまこの瞬間までよくぞ我慢してくれた、と褒めてやるべきところだろう。

 暴れ馬は、一目散にその場から逃げ出そうとした。

 オーラフォトン・バリアの有効範囲の外へと、身を躍らせる。

 柳也は小さく舌打ちした。

 すでに展開しているバリアの有効範囲を広げることは、己の心身に多大な負担を強いることになる。それでなくとも、先ほどのオーラフォトン・ネットの展開で消耗著しい柳也だ。出来ることなら、馬一頭くらいは見過ごしたいところだが。

 ――それが出来れば苦労はしないっての!

 柳也は胸中で毒つきながら臍下丹田に気を篭めた。マナの力とは別に気力を全身に漲らせ、意識をよりいっそう研ぎ澄ます。

 脇の古傷が、不意に疼き出した。かつて現代世界の地球で、瞬や佳織を守って野犬に噛みつかれた古傷だった。極度の疲労とその状態でのさらなる集中は、柳也の最も弱い部分を苛んだ。

 ――〈戦友〉、強度はそのままに、オーラフォトン・バリアの展開面積、広げるぞ!

【む、無理ですよぅ! いまだって一杯々々やっているのに……しかも急に広げるなんて!】

「無理でも何でもやるんだよ! 負荷は全部こっちに回して、お前はバリアの展開にだけ集中しろ。……根性、見せろよ? ここであの馬助けられなかったら、俺も、お前も、人気下がるぜ?」

 畜生一匹救えずに、何が神剣士か、何が主人公か。

 気迫凛然。

 語気鋭く自らの決意を口にした瞬間、自分の肉体に寄生しているもう一人の相棒の方からも、力が流れ込んでくる。

「……〈決意〉?」

【汝の決意、たしかに聞かせてもらった。負荷は我に回せ。主は力を引き出すことだけを、小娘はバリアの展開だけを考えよ】

「……すまん。無理をさせる」

【よい。……なに、我とて読者の人気は欲しい。あのような、動物虐待を平気で行うような輩に、負けとうない】

 諧謔めいた口調と、ニヤリ、とほくそ笑む感情イメージ。

 脳幹を揺さぶる相棒の言葉に、柳也もまた冷笑を浮かべて頷いた。

「同感だ」

 天高く突き上げる右腕に左手を添える。

 突き出した右腕に、ありったけのマナを注いだ瞬間、暴力的に輝きを増した精霊光の光芒が、視界を席巻した。

 オーラフォトンのドームが、急激に膨張する。

 この場から一刻も早く立ち去ろうとする馬の頭上を覆い、渓谷一帯が燃え盛る炎の輝きに包まれた。

 不意に襲ってきた眩暈。そして、疲労からくる倦怠感。

 ともすれば僅か数秒で意識の手綱を手放しかねない眠気を気力で振り払い、柳也は咆哮した。

 荒牛の雄叫び。

 柳也の足下で魔法陣が燦然と煌き、降り注ぐ稲妻よりもまばゆい光芒を放った。

 二五。

 三十。

 三五。

 四十。

 やがて五十発も受け止めただろうか。

 稲妻の嵐が、不意に止んだ。どうやら、相手の精神力が尽きたらしい。

 崖の上を見る。

 仮面の男は、いつの間にかいなくなっていた。

 念のために神剣レーダーで周辺を走査する。

 やがて安全が確認出来た柳也は、安堵の息をついた。オーラフォトン・バリアを解く。オレンジ色のドームが霧散し、冷たい夜気が、柳也の頬を撫でた。

 途端、これまで気合で抑えてきた睡魔が、またぞろ己の中で騒ぎ出す。

 眠気を自覚すると、急速に四肢から力が抜けていった。

「……才人君」

 重たい唇を、ゆっくり、と動かす。

 背後の才人を振り返る余裕もなく、柳也は淡々と呟いた。

「申し訳ない。そろそろ、体力の限界だ。……あと、頼むわ」

 瞬き。

 しかし閉ざされた瞼が開くことはなかった。

 男の巨体が、ぐらり、と揺れ、うつ伏せに大地へと倒れこむ。

 転倒の衝撃はなかった。

 衝撃による痛みを感じる前に、彼の意識は闇色の世界へと飲み込まれていった。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:27「神剣」

 

 

 

「リュウヤ!」

 突然、倒れてしまった柳也のもとへ最初に駆け出したのはルイズだった。

 柳也が倒れる瞬間、彼女の脳裏ではあの破壊の杖事件で目にした光景が再生されていた。

 あの時、自分の召使は大切な人達を守るために無茶をして、倒れた。

 そして、今回もまた、自分達を守るために無茶をして、その果てに倒れた。

 うつ伏せに倒れてしまった柳也の安否を確認するべく、なんとか仰向けに寝転がせようとして、彼女は男の身体があまりにも重いことに驚いた。六尺豊かな大男の体躯は、完全に脱力していることも手伝って、鉛のように重たくなっていた。当然、ルイズの細腕では寝返りを打たせることも難しい。

 仕方なくルイズはそのままの状態で彼の手首を掴み、脈を取った。

 ドク、ドク、と膨張と収縮を繰り返す血管の運動を、指の腹に感じた。

 大丈夫。脈は正常だ。呼吸も安定している。

 どうやら彼自身が口にした通り、疲労からくる昏倒のようだった。それも命に別状があるほどの疲れではなさそうだ。

 ルイズの唇から、安堵の溜め息がこぼれた。

「……まったく、姫様からの任務はまだ終わってないのよ? それなのに、あんたってば……」

「言ってあげないでください」

 安心からか、思わず相手を非難する言葉を漏らしたルイズにマチルダが言った。

 破壊の杖事件では〈殲滅〉と契約し、一時的にとはいえ神剣士だった彼女だ。マチルダには柳也の負担が我がことのように理解出来た。オーラフォトン・バリアをあのように複雑な形状に構築したり、あのように巨大に展開したり……第七位の神剣士には、さぞたいへんな作業だったことだろう。

 ワルドの手前、マチルダは学園の秘書ミス・ロングビルとしての態度と口調で、続けた。

「立て続けに大きな技を使って疲れたんですよ。……まったく、第七位の神剣士が、無理をするから」

 マチルダは軽く溜め息をつきつつも微笑んだ。

  まったく、呆れた男だ。けれど、嫌いなタイプではない。

 マチルダは懐から杖を取り出すと短くルーンを唱えた。

 レビテーション。

 柳也の身体が宙に浮き上がり、そのまま一回転。仰向けの状態で、再び地面に寝かされる。

 正常な気道が確保されたからか、その呼吸は規則正しいものになっていった。

「マナを消耗しすぎたんでしょう。消費を抑えて、大気から出来るだけ多くのマナを取り入れるために、眠りについただけです。少し休めば、すぐに回復しますわ」

 元神剣士のマチルダの発言だけに、その説得力は大きい。

 彼女の言葉に、才人とギーシュ、そしてケティも安堵の表情を浮かべた。

 ただひとり、ワルドだけが、さっぱり、事情が飲み込めない、といった表情を浮かべている。

「ルイズ、いったい何の話だい? それに、先ほどから彼が使っていたあの力は……? 従者君は、メイジだったのか?」

「え、ええと……」

 婚約者の貴族に訊ねられ、ルイズは途端、困ったように視線を右往左往させた。

 柳也自身のことや、永遠神剣のことを、いったいどう説明したものか。いやそもそも、本人の許可なしに、彼らのことを話してよいものなのか。

「ワルド子爵、そのお話は、街に着いてからにいたしません?」

 困惑するルイズの様子を見かねてか、マチルダが言った。

「ここにいてはまた襲撃がないとも限りませんし、彼を休ませるにしても、土の上よりは、ベッドの上の方がよろしいでしょう」

 マチルダはさらなる襲撃の可能性を示唆した上で、柳也のことについても触れた。

 いまの彼に必要なのは、何より深い眠りだ。ならばここは、そのための環境を整えてやるのが先決だろう。

 マチルダの意見に才人とギーシュが賛意を示し、ルイズもまた、天啓を得たとばかりに、こくこく、と頷く。

「街に向かうのはいいが、しかし、彼をどうやって運ぶつもりかね?」

 ワルドがまた訊ねてきた。駅で借りてきた馬は稲妻の連打にすっかり怯えてしまい、もはや使い物になりそうにない。かといって自分のグリフォンは定員いっぱいだ。自分やマチルダのレビテーションでは目立ちすぎるし、ギーシュや才人の体力では、この大男を運ぶのは難しいだろう。

 その時、頭上から、ばっさばっさ、と羽音が聞こえた。

 また敵襲か、とみなが身構える。

 見上げると、双子の月を背景に、見慣れた幻獣が姿を見せた。ルイズが、驚いた声を上げる。

「シルフィード!」

 はたしてそれは、タバサの使い魔の風龍だった。ゆっくり、と降下してくる。

 やがてシルフィードの背中から赤髪の少女が、ぴょん、と飛び降りて、髪をかきあげた。キュルケだ。

「おまたせ」

「キュルケ! あ、あんた達、どうしてここに……」

「助けに来てあげたんじゃないの。朝方、窓からあんた達が馬に乗って出かけようとしているのが見えたから、急いでタバサを叩き起こして後をつけたのよ」

「事情は大体察している」

 シルフィードの背中で本に目線を落としたまま、タバサが言った。本当に寝ているところを叩き起こされたらしく、杖こそ持っているが、パジャマ姿のままだった。タバサは地面の上で昏々と眠り続ける柳也を示して言う。

「まずは彼を運ばないと。シルフィードの背中に乗せて」

 ウィンドドラゴンのシルフィードの体長は六メートル。六尺豊かな柳也を背中に乗せても、まだ十分なペイロードがある。馬力もあるから、長距離の飛行も可能だろう。

 タバサの言葉に才人とギーシュが揃って頷き、地面に横たわる男の身体を担ぎ上げた。シルフィードの背中に寝かせてやる。縄で固定したのを確認して、タバサは使い魔の風龍に飛行を命じた。

 

 

 ラ・ロシュールは、トリスティンから離れること早馬で二日ほどの、アルビオンヘの玄関口ともいえる町である。

 港町でありながら、狭い峡谷の間の山道に設けられた小さな町で、人口は三〇〇人ほど。しかし、アルビオンとを行き来する人々で、常に十倍以上の人間が街を闊歩していた。

 ラ・ロシュールに到着したルイズ達一行は、柳也を休ませるための場所と今晩の寝床を確保するべく、まず宿泊施設を探した。貴族の少女らのお眼鏡にかかった幸運な宿の名前は、“女神の杵”亭。港町で最も上等な宿で、貴族を相手にする豪華なホテルだった。

 いまだ気を失っている柳也を二階の部屋のベッドに寝かせ、一行は一階の酒場でくつろいでいた。といっても、杯を傾けるのはもっぱらマチルダとキュルケばかりだ。タバサはいつものように本を読んで時間を潰し、ケティは酒ではなくホット・ミルクで身体を温めている。ルイズとワルドの姿はない。二人はアルビオン行きの船への乗船の交渉をするべく、桟橋へと足を運んでいた。そして才人とギーシュは、昼間の疲労からテーブルに突っ伏していた。

 今日は本当に色々なことがあった。魔法学院を出発してからずっと馬の背に揺られ、襲撃を受け、そして柳也が倒れた。一日の間にたくさんのことが起こりすぎて、才人達はもうクタクタだった。いまベッドに寝転んだら、きっと十秒と経たぬうちに深い眠りに就けるだろう。

 才人達が、ダラダラ、過ごしていると、やがて桟橋へ出かけていたルイズ達が戻ってきた。

 ワルドは席に着くと、困ったように言う。

「アルビオンに渡る船は明後日にならないと、出ないそうだ」

「急ぎの任務なのに……」

 同じく席に着いたルイズは唇を尖らせて言った。

 魔法学院からここまで、本来は二日かかるところを一日で踏破したというのに。出航が明後日では、普通に来るのと変わらないではないか。

「あたしはアルビオンに行ったことがないからわかんないんだけど、どうして明日は船が出ないの?」

「明日の夜は月が重なるだろう? “スヴェル”の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最も、ラ・ロシュールに近付く」

 怪訝な表情を浮かべたキュルケを見て、ワルドが答えた。

 机に突っ伏したままの才人は、彼の発言から潮の満ち引きが関係しているのか、と思った。潮の干満は月と惑星の位置関係で決まる。天文については素人の才人だったが、それくらいのことは知っていた。

 ――けど、近付く、って表現は、どういう意味だろ?

 才人は疲れた頭で首を捻った。こんな山間の町に大陸が“近付く”とは……いったいどういうことなのか。

「従者君のこともある。明日は一日たっぷり休んで英気を養おう。……ところで」

 ワルドは居並ぶ全員の顔を見回した。天井を顎でしゃくる。天上一枚を隔てた向こう側では、柳也が安らかな寝息を立てているはずだった。

「そろそろ、上の階で寝ている彼のことや、君達が口にしていた永遠神剣とやらについて、話してくれないかい?」

 ワルドは、今度こそちゃんと話してもらうぞ、と意気込み強く言った。

 彼の発言に、それまでまったりと過ごしていた一同の表情が緊張から硬化する。

 思わず顔を見合わせた彼らの視線は、やがて才人とマチルダの二人に集中した。

 桜坂柳也という男の素性と、永遠神剣という特殊な武器の何たるかについてを話をするということは、必然的に才人達の故郷のことや、破壊の杖事件のことに触れなければならない。

 特に破壊の杖事件については、魔法学院ではなかったことになっている事件だ。事件の実行犯たるマチルダはもとより、事件そのものを闇へと葬ったオールド・オスマンらの名前が公になるのは不味い。目の前の子爵は、トリスティン王国が誇る魔法衛士隊の人間だ。ここでの会話の内容が、王女らに報告されないとも限らない。下手をすれば自分達やオールド・オスマンの立場までもが悪くなりかねない。それだけは、何としても避けたかった。

 好機にぎらつくワルドの視線を浴びながら、破壊の杖事件の関係者達は目線のみを駆使しての議論を展開した。

 ワルドの求めに応じるべきか、否か。応じるとしたら、どこまでを話すか。

 “女神の杵”は貴族ご用達の宿だが、一階の酒場は平民にも開放されている。

 男達の笑い声が騒々しい酒場にあって、一行が囲むテーブルだけが、緊迫した静寂に支配されていた。

 根気強く返答を待つワルドと、なかなか結論が出ないルイズ達。

 沈黙の時間は、しかし長くは続かなかった。

 重たい唇をなんとか動かし、舌先で言葉を選びながら口火を切ったのは、柳也の弟子であり、同じ異世界人の才人だった。

「……分かりました。ただし、他言無用です。それが、条件だ」

「サイト、あんた……」

 ルイズの咎めるような眼差しが、才人の頬を撫でた。

 当事者たる柳也本人が不在なままで話を進めるつもりか、ときつい視線。

 自分と同年代の少女のものとは思えぬ鋭い眼光に一瞬怯んでしまう才人だったが、彼は淀みのない口調で言った。

「話しておこうぜ、るーちゃん。柳也さんの言ったことが本当なら、どうやら敵には神剣士がいるみたいだし。るーちゃんだって、永遠神剣の恐ろしさは身を以って知っているだろ?」

「そりゃ、まぁ、そうだけど……」

 才人の言葉に二の句を失ったルイズは、気難しい表情を浮かべた。

 使い魔の少年の言う通り、破壊の杖事件を通じて永遠神剣の恐ろしさはルイズ自身よく理解していた。あの〈殲滅〉と契約した時のマチルダの強さは、まさしく規格外の一言に尽きた。自分を含めてメイジが五人がかりで挑んでも、有効打を叩き込めなかったのだ。しかも、柳也に言わせればあの時は、マチルダも〈殲滅〉も本調子ではなかったという。

「永遠神剣の力は強大だ。戦えば、きっと無傷じゃいられない。けど、事前に相手が神剣士だって知っていれば、大怪我を軽傷くらいに留められるんじゃないか?」

「サイト、あんた……」

「柳也さんの快方具合によっては、俺達だけであの神剣士と戦わなきゃいけないかもしれないんだぜ? だったら、子爵様にも知っておいてもらった方がいいだろ? 永遠神剣っていう兵器の威力と、その恐ろしさを」

「サイトの言う通りだな」

 才人の言葉に、柳也のもう一人の弟子であるギーシュが頷いた。

「仮にこの場にミスタ・リュウヤがいたとしても、同じ判断をしたと思う。いつだったか、ミスタ・リュウヤ自身が言っていた。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、と。まずは、この場にいる全員に、敵の情報を周知徹底させておくべきだ」

 ギーシュは以前、柳也から教えられた孫子の『兵法』謀攻篇の名文を引用して言った。土系統のドット・メイジの彼は、火系統や風系統の魔法を得意とするメイジ達と比べて直接的な攻撃力に劣る。ワルキューレを駆使した有効な作戦立案のために、ギーシュは師匠の柳也から異世界の戦術の抄を学んでいた。

 ギーシュは隣のテーブルに座るマチルダを見た。

 グラスに並々と琥珀色のブランデーを注ぐ彼女は、ルイズに言う。

「わたしは構わないよ」

 伝法な口調。ミス・ロングビルとしてではなく、ただのマチルダとしての発言は、包み隠さずすべてを話すといい、という彼女の意思表示に他ならない。

 当事者二人から了承の言葉を得たルイズは、渋々頷いて、ワルドを見た。

「分かったわ。私達の知っている限りのことを、全部話してあげる。……軽めの料理を頼みましょう? 少し、長い話になるから」

 

 

 男達の喧騒で賑やかな酒場にあって、その一画だけが異様な緊張と静寂に支配されていた。

 ルイズ達はワルドの求めに応じて、自分達が知りうる限りの情報を彼に呈示した。

 魔法学院伝統の、春の使い魔召喚の儀でルイズが呼び寄せた二人の男。異世界からやって来たという男達の言動に振り回される毎日。そんなある日のこと、魔法学院の宝物庫に何者かが忍び込み、マジック・アイテム・破壊の杖を盗み出した。杖を盗んでいったのは、土くれのフーケを名乗る盗賊メイジ。彼女との戦いの中で、ルイズ達は永遠神剣なる異界の兵器の存在を知る。第五位の永遠神剣の猛威との戦いの果てに、フーケことマチルダとは和解し、柳也は己が愛刀を取り戻した。戦いの後、オールド・オスマンは事件そのものをなかったことにし、マチルダは現在も魔法学院で暮らしている。

 自分達の持つすべての情報を伝えたルイズ達は、ワルドの表情を窺い見た。

 魔法衛士隊に所属する子爵の取った反応は、まず沈黙であり、次いで驚嘆の溜め息だった。

「ルイズとの再会といい、いまの話といい、今日は驚きの連続だな」

 ミス・ロングビルの正体が王国中を騒がせている大怪盗・土くれのフーケだということも驚きだが、それ以上に驚きだったのは、やはり異世界からやって来たという二人の男の存在だ。

「こことは違う別の世界、か……そんなもの、考えたこともなかった」

「それは僕達も同じですよ」

 ワルドの呟きに、ギーシュが同意した。

「ミスタ・リュウヤや、サイトのことを知るまでは、そんな世界があるなんて、想像すらしていませんでした」

「それでミス、あなたのことは何とお呼びすればよいのかな?」

 ワルドはイカの塩辛をつまみに酒を呷るマチルダを見て訊ねた。ルイズ達の話によれば、目の前の人物は状況に応じていくつかの名前を使い分けているという。本名はマチルダというらしいが。さて、そちらの名前を呼んでよいものかどうか。

「お好きにどうぞ。ただ、フーケの名前で呼ぶのなら、時と場所を選んでほしいけど」

 はたして、マチルダからの返答はさばさばとしたものだった。公共の場で犯罪者としての名前さえ呼ばなければ、あとは好きなように呼んでくれて構わないという。

 ワルドとしても、その方が余計な気遣いをせずに済む。

 彼はマチルダの申し出をありがたく首肯すると、続けて問うた。

「では、皆に合わせてミス・ロングビルと呼ばせてもらおう。ミス・ロングビル、あなたは破壊の杖事件で一時的に永遠神剣と契約を交わしたそうだが、元神剣士として、永遠神剣についてもう少し詳しく説明してくれないかね?」

「永遠神剣には大別して二つのタイプがある」

 マチルダは無頼な口調で静々と答えた。

 適度なアルコールのためか、その頬には紅色が浮かんでいる。艶っぽい熱を帯びた唇が動く度に、正対する才人はドギマギしてしまった。脳裏によぎるのは昨晩目撃した鮮烈な光景。昨夜、目の前の彼女はあの真紅の唇で、柳也のモノを……。

 と、そこまで考えて、才人は慌ててかぶりを振った。

 意識せずとも湧き上がってきた煩悩を振り払うべく、神妙な面持ちで眉間の皺を揉む。

 ふと視線を隣にやればギーシュも同じように眉間の皺を揉んでいた。どうやら、自分と同じことを考えていたらしい。

 目が合い、互いに苦笑。

 この場にあって卑しい雑念を抱いてしまった自分達を恥じつつ、二人の少年はマチルダの話に耳を傾けた。

「まず、純粋な戦闘力に特化した武器としての性質が強いタイプ。このタイプの神剣は、剣や槍といった武器の形をしていることが多いね。もう一つが、戦闘に関係あるなしに拘らず、特殊能力に特化したタイプの神剣さ。こっちのタイプの神剣は、武器に限らず、色々な形をしている。本だったり。指輪だったり。契約者の肉体と一体化していたりね」

「ミスタ・リュウヤの神剣は、典型的な後者のタイプですね」

 ケティが言った。アルコールの類はあまり得意ではないのか、ホット・ミルクを飲み終えた後も、彼女はもっぱら茶を啜っていた。

 医学や動物行動学が未発達なハルケギニアの世界に、“寄生”という概念はまだ存在しない。そこで柳也は、相棒の神剣達のことを、仲間には自分の身体と一体化している、と説明していた。曰く、自分の心肺器官や筋肉、全身を駆け巡る血液に、相棒の神剣達は宿っている、と。

 ケティの発言に、マチルダは頷き、続けた。

「そうだね。ついでに言っておくと、〈殲滅〉……破壊の杖は、例外的な前者のタイプの神剣だよ。あれだけの火力を持っていながら、武器の形態を取っていなかった」

「あの、仮面の男の神剣はどうです? ミスタ・リュウヤは、あの男が永遠神剣を持っていると言っていましたが?」

 ギーシュの質問に、全員の視線がマチルダに集まった。

 今後またあの仮面の男と対峙する可能性がある以上、敵に関する情報は少しでも欲しい。最良なのは、敵永遠神剣の存在を認めたという柳也に話を聞くことだが、その彼が眠っている現状では、元神剣士のマチルダの意見が何より重視された。

 頭の中に浮かんだ考えを整理するべく、マチルダはしばしの沈黙を次なる発言との間に置いた。

 自分が見たもの、聞いたもの、経験や知識から、考えをまとめる。

 やがて彼女は、重たげな唇をゆっくりと動かした。

「十中八九、特殊能力に特化したタイプの神剣だろうね。……仮面の男が現われる前に、犬のような怪物が襲ってきただろ? わたしの見たところ、あの怪物の首に巻かれていた首輪と鎖が怪しい」

「どういうことです?」

 ギーシュが身を乗り出して先を促した。

 見れば、才人も興味深そうにマチルダの表情を伺い見ている。

 桜坂柳也の弟子達は、師匠を苦しめた敵に並々ならぬ関心を示していた。

「どういう理屈かは見当もつかないけれど、たぶん、あの首輪と鎖で、怪物を操っていたんだと思う。怪物を倒した後、わざわざ鎖と首輪を回収していたくらいだしね。あの首輪と鎖が、神剣そのものか、神剣の特殊能力が生み出したアーティファクトなのかは分からない。けど、強力な幻獣を意のままに操る、っていうのが、あの男の神剣の持つ特殊能力だと思う」

「強力な幻獣……ミス・タバサの風竜や、僕のグリフォンのような、か」

 マチルダの言葉に苦い表情を浮かべてワルドが呟いた。

 風竜やグリフォンの戦闘能力は、よく訓練された歩兵の一個中隊に匹敵する。人間の何倍も巨大な体躯を持ち、鋭い感覚器官を持ち、強大な攻撃力を持ったこれらの幻想動物を敵に回すかもしれぬとあって、子爵の唇からこぼれた溜め息には憂いの感情が滲んでいた。

 マチルダはさらに続ける。

「脅威なのは特殊能力だけじゃないよ。あの仮面の男自身も、永遠神剣の力で強化されているはずなんだから」

 柳也達神剣士の肉体は、相棒の永遠神剣と契約を交わしたその瞬間に、高純度のマナで再構築される。新たに得た肉体には、細胞の一片々々にまで原生命力が漲り、常人をはるかに上回るパワーを発揮出来るようになる。それこそ、神剣の位階や性格によっては、音速で地上を駆け抜けることすら可能なほどに。

「リュウヤを見てごらんよ? 永遠神剣と契約を交わしているあいつは、特別足にマナを集中させなくても、風よりも速く走ることが出来る。不意打ちを食らって落馬しても、すぐに立ち上がって身構えられるほどに頑丈な身体を持っている。

 あの仮面の男が神剣士なら、同じようにその身体は強化されているはずだよ。神剣の位階や性格が分からないから、それがどの程度かは予想も出来ないけれどね。少なくとも、並の人間じゃあ太刀打ち出来ない程度には強化されているはずさ。パワーにスピード、タフネス、傷を治す自然治癒力、そして、精神力も……」

 永遠神剣は、契約者のあらゆる身体能力を増幅する。それは、この世界の系統魔法のエネルギー源たる精神力とて例外ではない。精神とは、他ならぬ肉体の一部なのだから。

 永遠神剣の力によって、精神力もまた強化される。

 他ならぬ元神剣士のマチルダの口からそのことを聞かされたメイジ達は、一様に表情を硬化させた。歴戦の勇士たるワルドは勿論、普段は無表情が常のタバサさえもが、驚愕から僅かに眉をひそめていた。ルイズとケティ、そしてギーシュにいたっては、はっきり、顔が青ざめている。

 そんな仲で、ひとり才人だけは訝しげにみなの顔を見回していた。メイジではない彼は、なぜマチルダの言葉がみなにそれほどの衝撃を与えたか理解出来なかった。

 やがてルイズ達の顔色から驚愕と恐怖の感情を見出した才人は、視線をマチルダに移して訊ねた。

「どういうことです? 精神力が強化されると、何がどうなるんすか?」

「……精神力は、メイジが魔法を唱えるのに必要な力の源なんだよ。無から有は生まれない。わたし達メイジは、精神力を消費して魔法っていう現象を起こしているのさ」

「その精神力が強化されればどうなるか? 答えは二つだよ、使い魔君」

 マチルダの言葉を、ワルドが継いで言った。

「強化された精神力の分だけ、多く魔法を使うことが出来るようになる。また、一つの魔法により多くの精神力を注ぎ込むことが出来るようになる」

「そういうことさ。仮面の男がわたし達に放った稲妻は覚えているね?」

 マチルダの問いに、才人は、おずおず、と頷いた。

「あれはライトニング・クラウドという、風系統の強力な魔法さ。標的に小さな雷を叩き落す攻撃魔法なんだけど……」

「ライトニング・クラウドは僕も得意な魔法だが、本来は単発の魔法で、強力なだけに精神力の消耗も激しい。仮面の男が見せたような発射速度で、あんな数の攻撃は到底不可能だ。その不可能なことを、あの男はやって見せた。おそらくは通常の何倍……いや何十倍もの精神力を投入して、ライトニング・クラウドを強化したんだろう」

 ワルドは苦虫を噛み殺したかのような表情で呟くと、重苦しい溜め息をついた。

「僕には、無理だ。あの稲妻の嵐を再現しようと思ったら、何人ものスクエア・クラスのメイジを揃える必要がある」

「つまりあの仮面の男は、たった一人でもスクエア・クラスのメイジ数人分の火力を持っている、ってことさ」

 そこまで説明されて、ようやく事態の深刻さを悟ったか、才人は慨嘆の唸り声を発した。

 自然と思い出すのは過日のギーシュとの決闘の様相だ。最下級ドット・クラス・メイジのギーシュにさえあれほど苦戦したというのに、相手はその何倍も強力だというのか。

 酒場のテーブル席に、みたび重苦しい空気がのしかかった。

「はははっ、これはいよいよ勝ち目がなくなってきましたね」

 ギーシュの寒々しい笑いが、むなしく木霊する。場の空気を少しでも明るくしようという配慮から口に出した笑い声は、しかし他ならぬギーシュ自身が怯えていたため軽く、成果はなかった。

 マチルダはギーシュの苦笑を無視して言う。

「唯一の頼みの綱は同じリュウヤだけど、それもいつ目覚めるか分からない。……たとえ目を覚ましたとしても、回復の程度によっては、戦えない恐れもあるしね」

 ハルケギニアに召喚される以前、己の使い魔は異世界で戦争に従軍していたという。その世界では、敵もまた永遠神剣を持っており、戦いの中でマナを消耗しても、敵からマナを奪うことですぐに回復出来たそうだ。しかし、ハルケギニアではそうはいかない。神剣士どころか永遠神剣自体が珍しいこの世界では、一度に大量のマナを補給する手段がない。そのため、失ったマナを取り戻すにはどうしても時間がかかってしまう。目を覚ましたからといって、それですぐに戦えるとは限らないのだ。

 元神剣士の見解を聞いたルイズは、憂鬱な気持ちになってしまい、思わず溜め息をついた。

 いまのところ自分達を取り巻く状況からは、良いと思える要素がまったくない。アンリエッタから託された任務は困難にして時間との戦い。立ちふさがる敵は強力で、我が方の最強戦力たる柳也は意識を失っている。おまけに、アルビオン行きの船は明後日にならなければ出港しないという。これだけ悪いことが重なると、まるで世に存在する森羅万象の一切すべてが、任務の遂行を邪魔しているかのように思えてしまう。

 ――わたしたち、無事にこの任務を遂げられるのかしら……?

 無事に任務を遂げられるだろうか。

 胸の内で呟かれた自問は、無事に生きて帰ることが出来るだろうか、という言葉に置き換えることが出来る。

 任務への不安と、生命の危機に対する恐怖を自覚したルイズは、テーブルの上に置かれたグラスを一気に呷った。

 いっそ酒に酔って、不安と恐怖を忘れてしまいたかった。

 

 

 ラヴァル山はラ・ロシュールの町を囲む渓谷を構成する山の一つで、標高三〇〇メートルほどの小さな山だった。およそ特徴と言えるような特徴のない山で、緑豊かというわけでなければ、野生動物の楽園というわけでもない。特に人間が利用出来る有力な資源もなく、ラ・ロシュールを囲む山という一事だけで、人の記憶に残る山だった。

 ラヴァル山の頂には、高さ六メートルほどの一枚岩が刺さっている。

 山頂からはラ・ロシュールの街並みが一望出来、男はそこで独り、一枚岩の影に座って、白亜の町と二つの月を眺めながら杯を傾けていた。

 長身の、若い男だった。癖の強い赤毛の髪。金色の眼差し。彫りの深い顔立ちは端整で、鋭利な剃刀を連想させる美貌の持ち主だった。シックな色合いの茶の上下を纏い、その上に白いマントを身に付けている。

 齢は二十代も半ばほどか。

 熱いモルトが喉を滑る感触に舌鼓を打つマスクには柔和な笑みが浮かんでいた。

「明日は“スヴァルの月”か……」

 薄い唇から漏れた声は、絹糸のように優しく大気を撫でるテノール。

 男は金色の視線を夜空に浮かぶ銀色の月に向け、優しく呟いた。

 今宵の空は快晴で、野暮ったい雲は一筋も見受けられず、星々と月の光が、よく見えた。

 杯の飲み口に口を付ける。 琥珀色のウィスキーが舌を焼き、喉を焼く感触に、赤毛の男は酔いしれた。

「今夜は、まあるいお月さんがよく見える。……知っているか? 月には、ウサギが住んでいるんだとよ」

 アルコールの作用か、それとももともとそうなのか。

 男は視線を上に向けたまま、饒舌に言の葉を次々と紡ぎ出した。

 その呟きは、頭上の月に向ける賛辞を載せた独り語りのようであり、また、誰かに向けられた問いかけのようでもあった。

 いや実際に、それは特定の人物に向けられたアプローチだった。

 背後から、静かな足音。

 聞き覚えのある長靴の靴音を耳にして、男は待ち人がやって来たことを悟り、口を開いたのだった。

 赤毛の男は、視線を寄り添い合う二つの月に定めたまま、徐々に近付いてくる気配の主に向けて続ける。

「俺の故郷に伝わる昔話でな……。昔、一匹の優しいウサギがいたんだ。ウサギは、人のためになりたいと思っていた。そんな時、ウサギは腹ペコで野宿している旅人を見つけたんだ。ウサギの奴は困ってしまった。友人の猿は木に登って実を採れるが、自分にはそんなこと出来ない。同じく友人の狐は獲物を狩って旅人に肉を与えることが出来るが、やっぱり自分にそんなことは出来ない。そこで、ウサギは自分から焚き火の炎の中に飛び込んだんだ。これで、自分を食べて、元気を出してくれ、ってな。その旅人は、実は神様で、ウサギの自己犠牲にたいへん感動した。そこで神様は、ウサギの魂を空に連れて行って、月の神殿に住まわせたんだとさ」

「いい話だな」

 背後から、男の声が応じてきた。聞きなれた声。この山の頂で落ち合うことを約束した、まごうことなき待ち人の声。

 彼は自分の背後で立ち止まると、自分と同じように、夜空に腰を据えた二つの月を見上げた。

 月の放つ銀色の光に照らされて、胡坐をかいた男の影と、やって来た男の長い影が一つに溶け合う。

 赤毛の男は相変わらず視点を月に置いたまま、待ち人の方を振り返らない。

 一方の男もまた、“スヴァルの月”を明日に控えて、五分の四ほどが重なって見える月に視線を向けたまま、眼下の男に「しかし……」と、続けた。

「しかし、俺には残酷な話にも聞こえるな」

「……何で、そう思う?」

 待ち人の男がどういう思考を経て、その結論に至ったのか。

 赤毛の男は興味深そうに、しかし、やはり男の顔を見ることなく訊ねた。

「月の神殿に連れて行かれたウサギは、しかし、友人だった狐や猿と離れ離れになってしまった。そんな悲しみを抱えたまま、孤独なウサギは月での暮らしを心から楽しむことが出来ただろうか? それに、残された狐と猿は? 彼らの悲しみは、いかほどのものだっただろうか。友人に先立たれ、その魂を連れ去られ、彼らの憤激はいかほどのものだっただろうか」

「……まぁ、な」

 首肯し、杯を干して、赤毛の男は苦笑混じりに言を紡ぐ。

「もともと神様が旅人に扮したのは、三匹を試すためだったんだ。神様が余計な意地悪をしなければ、三匹はいつまでも仲良く暮らしていただろう。それを考えると、ウサギは、決して幸せではなかっただろうな。月の神殿で、たくさんの従者に囲まれながら、何不自由のない暮らしの中で、けれど、そこにはかつて一緒に野山を駆け回った友人はなく、孤独に震えながら、神様への恨み言を呟くことしか出来ない……」

「哀れだな。あまりにも、哀しすぎる」

「ああ。孤独ってのは、恐くて、寒くて、哀しいモンだ……そうだろう? 心はいつだって孤独なジャン・ジャック?」

 赤毛の男がようやく背後に立つ男を振り返った。

 長身にして、堂々たる体躯の男だった。灰色の長髪。立派な顎鬚。黒いマントを羽織り、顔の上半分を白い仮面で覆っている。

 先ほど、ラ・ロシュールの玄関口の渓谷で、ルイズ達を襲った、あの仮面の男だった。

 「ジャン・ジャック」と、赤毛の男が親しげに呼ぶその名前は、本名なのか、偽名なのか。彼は男の問いに、否定も、肯定もしなかった。

 赤毛の男は懐中へと手を伸ばすや、新しい杯を取り出した。ウィスキーを注ぎ、ジャン・ジャックと呼んだ男に差し伸べる。

 仮面の男は杯を受け取ると、一息に飲み干した。

 アルコールの熱を伴う吐息が唇から漏れ、夜気と混じり合う。

 「相変わらず良い飲みっぷりだ」と、笑いながら、赤毛の男は明るい口調で彼に言った。

「それで、作戦の首尾はどうだった?」

「第一段階は失敗だ」

 失敗。その言葉を口にした仮面の男は、しかし苦々しさを感じさせぬ口調で応じた。

 他方、質問を投げかけた男は、意外そうに目を丸くする。

「失敗? お前さんが自ら出向いて、失敗したというのか?」

「ああ。……のみならず、ティンダロスを殺された」

「ティンダロスを?」

 赤毛の男の口調には、驚嘆の色が滲んでいた。

 彼は仮面の男が使役する奇怪な合成獣についてよく知っていた。自分や仮面の男ほどではないといえ、ティンダロスは強力な猟犬だ。正面からの戦いとなれば、スクエア・クラスのメイジでさえ苦戦は必至。そのティンダロスが倒されたなどと……。

「にわかには信じられないな。ティンダロスを殺せるような輩がいるなんて」

 赤毛の男はまた新たに注いだウィスキーの水面を一舐めして、思案顔で呟いた。

「……ラ・ロシュールに到着する直前の気の緩みを衝いて、邪魔な有象無象どもを片付ける。その後、お前さんは悠々目的を達成する。これが、お前さんの立てた作戦の概要だったな、ジャン・ジャック?」

「ああ」

「その、有象無象どもの中に、ティンダロスを打倒出来るほどの存在がいた、ということか?」

「ああ、その通りだ。俺の失態だ。連中の戦力を見誤った。有象無象と思っていた奴らの中に、神剣士がいた」

「神剣士が!」

 赤毛の男はまたも驚嘆の声を発した。

 仮面の男の放った言葉は、彼の耳膜だけでなく魂さえも震えさせた。

 なるほど、相手は神剣士だったか。それならば、ティンダロスが倒されたのにも頷ける。神剣士に対抗出来るのは原則神剣士のみだ。ティンダロスはたしかに強力な幻獣だが、神剣士と肩を並べられるほどではない。

 得心した様子でしきりに頷く赤毛の男は、不意に「しかし……」と、胸の内で反駁した。

 この世界に存在する永遠神剣とその所有者の所在について、自分は一通り把握している。はて、己の知る限り、この近辺に抵抗勢力になりそうな神剣士はいなかったはずだが。

 赤毛の男の怪訝な表情に気付いたか、仮面の男は静かに言う。

「件の神剣士は、ルイズの連れていた従者の一人だった」

 「ルイズ」と、その舌先が紡ぎ出した発音の、なんと滑らかなことか。普段から舌に、そして耳に馴染んだその名前に、赤毛の男が小首を傾げる。

「ルイズ……というと、お前さんのお姫様か?」

 赤毛の男の問いに、ジャン・ジャックを名乗る仮面の男は頷いた。

「そうだ。“俺の一人”が、連中から聞き出した情報だ。どうやらこの男、貴様と同じで、異世界からやって来たらしい」

 なるほど、と赤毛の男はまた得心した様子で頷いた。

 自分が把握しているのはこの世界にもともとあった永遠神剣の情報だ。別な世界から新たにやって来た神剣士の存在までは、想定の範囲外だった。

 仮面の男はなおも続ける。

「“俺の一人”が連中から聞き出した情報によれば、この男が契約している神剣は二振。ともに第七位の神剣で、特殊能力に特化したものらしい」

「“偏在”の魔法か……」

 仮面の男が口にした「俺の一人」という言葉に反応して、赤毛の男が呟いた。

 A地点にいながら、B地点の情報を正確に得る。ユビキタス(偏在)は風系統の強力な魔法だ。最低でもトライアングル・クラスのメイジでなければ使えない。それを操るこの男は、それ以上の使い手ということか。

 仮面の男が、空の杯を寄越してきた。ウィスキーを注いで、手渡す。

 次いで自分の杯にも琥珀色の酒を注ぎつつ、赤毛の男は口を開いた。

「それで、今後の方針は? 作戦は初っ端からつまずいちまったわけだが?」

「基本の戦略は変えん。邪魔な連中を分断し、俺が動きやすい状況を作った上で、一つ一つ目的を達成する」

 仮面の男はウィスキーを舐めて言った。

「幸いにして、まだ時間はある。明日中に、もっと多くの情報を集める。特に、件の神剣士についての情報をルイズ達から聞き出すつもりだ。……貴様はどうする?」

「俺か? 俺はまぁ、いつものようにお前さんの行動を見させてもらうよ」

 赤毛の男はあっけからんと言ってのけた。

 しかしすぐに表情を引き締めると、真顔で言った。

「でもまぁ、俺の力が必要な時は、遠慮せずに呼べよ? ……初めてお前さんと会ったときにも言ったよな、親愛なるジャン・ジャック? 俺は、お前さんに良い夢を見てもらいたいんだ。お前さんが良い夢を見るためなら、俺はどんなサポートも惜しまない」

 それが、我が主の望みだから。

 我が主、奇なる蛇神、ミカゲ様の望みだから。

「さぁ、見せてくれ、ジャン・ジャック。お前さんの夢を。お前さんの欲望を。お前さんの、お母さまへの想いの力を……」

 亡き母親の願いのために前へと進むお前の姿が、我が主には最高の見世物なのだから。

 赤毛の男は呟くと、嗤って酒を呷った。

 


<あとがき>

 うん。作品中の時間は進まないけど、説明は重要だと思うんだ。うん。

 どうも、読者の皆様おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。

 今回のゼロ魔刃はいかがでしたでしょうか? 今回は基本説明ばかりで、話が進まない! これじゃああんまりだ、ということで、当初書く予定はなかった仮面の男の描写を加えてみました。少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。

 ……しかし、ミス・ロングビルの台詞回しが難しいなぁ。タハ乱暴、基本敬語謙譲語、丁寧語を話すキャラは苦手です(泣)。

 読者の皆様、いつもゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございます! 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




柳也、まさかの昏倒。
美姫 「まあ、それだけ無茶をしたって事よね」
だろうな。当初は神剣ありの柳也が居れば、結構簡単に物事は簡単に進むかなとか思ったが。
美姫 「敵さんも神剣を手に入れちゃってるからね」
やっぱり苦戦するみたいだな。
美姫 「これから先、どうなっていくかしらね」
いやー、本当に楽しみです。
美姫 「次回も待ってますね」
待ってます。



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