魔法学院を出発した一行は、陸路を使ってまず港町のラ・ロシュールを目指した。ラ・ロシュールはアルビオン大陸との国交を繋ぐ玄関口の一つで、魔法学院からは馬を飛ばして二日ほどの距離にあった。

「というわけで、これから馬を投げたいと思う。……一球入魂! ジャイロぼぅぅぅぅぅ……!」

「そっちの飛ばすじゃない!」

「ぐぱああ!」

 お決まりのギャグをやろうとしてルイズに蹴られ吹き飛んだ柳也はさておき(投げられかけた馬はビクビクしていた。ちなみに名前はステファニー)、一行は各々馬に跨るや一路ラ・ロシュールを目指した。

 なお、ワルドとルイズだけは馬に騎乗していない。二人が騎乗しているのは、ワルドの使い魔のグリフォンだ。獅子の下肢を持つグリフォンは、陸上においても馬より速く駆け、かつ持久力もあった。その体躯は馬よりも大きく、ワルドは婚約者のルイズを自らの腕に抱きながら手綱を握った。

「君の召使いは面白い男だね」

 一行の先頭を進むグリフォンの背の上で、ワルドはルイズに言った。

 婚約の腕に抱かれるような形で前に座るルイズは、恥ずかしげに頬を染める。

「そんな……た、ただの馬鹿な平民よ。センスもないし」

「はははっ。たしかに、馬を飛ばす、というのはナンセンスなジョークだった」

 ワルドは、からから、と笑った。

 しかし、彼はすぐに真顔に戻ると、

「しかし、彼は途中まで、本当に馬を投げ飛ばそうとしていたよ? 馬体重が四〇〇キロはある、ステファニーちゃんを。普通の平民は、冗談でもそんな重い物を持ち上げようとはしない。事故の方が恐ろしいからね。冗談で怪我をしてはたまらない。しかし……」

と言って、後方を走る柳也を一瞥した。

「あの時の彼の目は、本気だった。自信に満ち溢れていた。自分にとって四〇〇キロぐらいはどうということはない。そう、言わんばかりの目つきだった。面白い男だよ、彼は」

 ワルドは愉快そうに笑って言った。立派に口髭をたくわえた豪快な笑みは、実際の年齢以上に歴戦の戦士としての風格が漂っていた。

 他方、ご主人様の婚約者から、面白い男、と評された男は、前方を行くグリフォンの背中を興味深そうに眺めていた。

 グリフォンといえば鷲の頭と前足、獅子の体躯と後ろ足を持ったキメラとして、地球でもよく知られた幻想動物だ。鷲の前足という前評判から、陸上での運動能力は低いと思い込んでいたが、なかなかどうして、健脚の持ち主ではないか。

 ――瞬間的なトップ・スピードは時速九五〜一〇〇ってところか。人間二人も荷物を背負った状態であのスピードなら、身軽な状態でなら一二〇くらいいくんじゃないか!?

 柳也は自らも乗ってみたい欲求に瞳を輝かせながら、先頭を行くグリフォンの走りをそう分析した。

 ワルド達の騎乗するグリフォンは、体格だけならインドゾウ並に大きい。その体重は、ゆうに五〇〇キロは下るまい。そんな巨体に時速一〇〇キロ近い加速を与えるグリフォンの心肺器官と筋組織がどうなっているのか、興味は尽きなかった。

 ――やべぇ。俺、ワクワクしてきたぞ……!

【主よ、その台詞は版権的に不味いと思うのだが?】

 ――気にしたら負けだって。……ところで、〈決意〉、いま、俺が跨っているステファニーちゃんに、お前達を寄生させることで、あのグリフォンと同じ加速を与えることは可能か?

【ふぅむ……難しいであろうな】

 ステファニーちゃんの手綱を握る柳也の頭の中に、〈決意〉の苦い声が響いた。

【馬というのは高度に発達した知性を持つ哺乳類だ。翻って、我らの位は第七位。契約者でもない高等動物の肉体を完全に支配出来るほどの力はない】

【せいぜい、身体器官の一部の操作くらいしか出来ません。たとえばステファニーちゃんの心肺器官を強化しても、脚の筋繊維の強度を底上げしなければ、速度は上がりません】

【……おい、小娘。我の台詞を取るでない】

 不機嫌そうな〈決意〉の呟き。これはまた喧嘩が始まるかな、と思った柳也は、慌てて話題を転じることにした。体内寄生型の永遠神剣同士の争いは、契約者の心身に直接ダメージを与えてしまう。

 ――そ、そういえば二人とも……気付いているか?

【……無論だ】

【ええ】

 真顔になって呟いた柳也に、〈決意〉と〈戦友〉もまた揃って真剣な口調で応じた。

 言葉とともに、柳也の脳にダイレクトに送られてくる感情のイメージは、警戒。

 柳也と〈決意〉、そして〈戦友〉の三人は、ラ・ロシュールへと続く山道をひた走るかたわら、周辺に対し油断のない気を配った。

 彼らは学院を出てすぐ、自分達を追って、何者かが尾行する気配に気が付いていた。数は二つ。一つは空から。そしてもう一つは、自分達と同じように地を駆けている。ともに自分達からは姿が見えないよう、絶妙な距離を保ちながらの尾行だった。そのうち地を駆けて迫る気配の方は、特に不穏な気を発していた。不穏な、マナの気配を。

 ――……二人とも、どう思う?

【空を飛んでくる方は、脅威とはなるまい。敵対的行動を取ったとしても、この戦力なら十分に対処可能だろう】

【問題は、地を駆けてくる方です。このマナは……得体が知れません】

 ――まさかとは思うが……神剣士、という可能性は?

【分かりません。普通の人間よりも、はるかに強大なマナを持っているようですが、かといって神剣士と断定できるほどでは……】

 ――マナの波動をコントロールする術を身に付けている可能性もある。何にせよ、油断はするな。

 「しかし……」と、柳也は呟いた。

 突如として耳朶を撫でた呟きに、ステファニーちゃんが、くすぐったそうに嘶く。

 ――少なくとも常時時速四〇キロは出している俺達に付かず離れず着いてくるとは……どうやら相手も、四つ足らしいな。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:26「襲撃」

 

 

 

 ラ・ロシュールの街は港町だが、険しい丘陵地帯を抜けたさらにその奥の山を越えたところにあるという。

 山道に入ったら馬の交換もままならない。そこで一行は、山道前の駅で馬を交換してから進むことにした。

 なおその際、柳也が「ステファニーちゃんと別れるなんて、俺にはたえられない!」と、お約束の文句とともにごねたのは言うまでもない。僅かな道程一緒に走っただけとはいえ、苦楽をともにしたステファニーちゃんのことを、彼はすっかり気に入ってしまっていた。

 別れを惜しむ柳也に、ルイズは懇々と説得をした。具体的には、ローファーの爪先が、柳也の顔面にめり込んだ。かくして彼はステファニーちゃんとの別れを承諾し、一行は山道へと入山した。

「ちょっと、ペースが速くない?」

 相変わらず抱かれるような格好でワルドの前に跨ったルイズが言った。

 彼女はグリフォンの後方を走るみなに気遣わしげな視線を向けながら続けた。

「ギーシュもサイトも、へばっているわ」

 ワルドも後ろを振り向いた。確かに、長の乗馬に慣れていないらしく、二人は半ば倒れるような形で馬にしがみついている。馬よりも先に人間の方が先にまいりそうな気配だった。あとの三人はまだ余裕がありそうだが。

「ラ・ロシュールの港町まで、止まらずに行きたいんだが……」

「無理よ。普通は馬で二日掛かる距離なのよ?」

「仕方がない。へばったら、置いていこう」

「そういうわけにはいかないわ」

「どうして?」

 ルイズは、困ったように言った。

「だって、仲間じゃない。それに……使い魔を置いていくなんて、メイジのすることじゃないわ」

「……やけにあの二人の肩を持つね。どちらかが君の恋人かい?」

 ワルドは笑いながら言った。

 「まさか!」と、ルイズは心外だとばかりに言う。

「そうか。ならよかった。婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうからね」

 ワルドは諧謔を含んだ口調で言った。しかし、ルイズを認めるその眼差しには、冗談は感じられない。

 ワルドの真摯な眼差しが直視出来ずに、ルイズは顔を背けながら呟く。力のない口調だった。

「お、親が決めたことじゃないの」

「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! きみは僕のことが嫌いになったのかい?」

 昔と同じ、古い記憶の中にあるおどけた口調で、ワルドが言った。

 彼の口にする「小さい」というフレーズが、まるで子ども扱いしているように聞こえたか、ルイズは頬を膨らませた。

「もう、小さくないもの。失礼ね」

「僕にとっては、いまだ小さな女の子だよ」

 ルイズは先日見た夢を思い出した。生まれ故郷のラ・ヴァリエールの屋敷の中庭。忘れ去られた池に浮かぶ、小さな小船。幼い頃、そこで拗ねていると、いつもワルドが迎えにきてくれた。親同士が決めた結婚。幼い日の約束。婚約者。

 あの頃は、その言葉の意味がよく分からなかった。ただ、憧れの人とずっと一緒にいられることだと教えてもらって、なんとなく嬉しかった。

 今なら、その意味がよく分かる。結婚するのだ。この男と。かつて、憧れたこの人と。

「嫌いなわけないじゃない」

 ルイズは、少し照れくさそうに言った。

「よかった。じゃあ、好きなんだね?」

 ワルドは、手綱を握った手で、ルイズの肩を抱いた。

「僕はずっときみのことを忘れずにいたんだよ。覚えているかい? 僕の父がランスの戦で戦死して……」

 ルイズは頷いた。

 ワルドは、遠い過去の記憶に目線を向けながら、ゆっくりと語った。

「母もとうに死んでいたから、爵位と領地を相続してすぐ、僕は街に出た。立派な貴族になりたくてね。陛下は戦死した父のことをよく覚えていてくれた。だからすぐに魔法衛士隊に入隊できた。最初は見習いでね、苦労したよ」

「ほとんど、ワルドの領地には帰ってこなかったものね」

 ルイズもまた遠い過去の記憶を思い出すべく、瞑目しながら言った。

「軍務が忙しくてね。いまだに屋敷と領地は執事のジャン爺に任せっぱなしさ。僕は一生懸命、奉公したよ。おかげで、出世した。なにせ、家を出るときに決めたからね」

「なにを?」

「立派な貴族になって、きみを迎えにいくってね」

 ワルドはまた豪快に笑いながら言った。

「冗談でしょ。ワルド、あなた、モテるでしょう? なにも、わたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくても……」

 ワルドのことは、夢を見るまで忘れていた。ルイズにとってワルドは現実の婚約者というより、遠い思い出の中の憧れの人、といった印象の方が強かった。

 婚約の約束も、とうに反故になったと思っていた。ワルドの父が存命だった頃、戯れに、両親の間で交わされた、あてのない約束だと思っていた。

 十年前に別れて以来、ワルドにはほとんど会うこともなかったし、その記憶は遠く離れていた。だから、先日ワルドを見かけたとき、ルイズは激しく動揺した。

 思い出が不意に現実になってやって来て、どうすればいいのかわからなくなってしまったのだ。

 「旅はいい機会だ」と、ワルドは落ち着いた声で言った。

「一緒に旅を続ければ、またあの懐かしい気持ちになるさ」

 自分は、ワルドのことを好きなんだろうか?

 嫌いではない。確かに憧れていた。その二つは、間違いない。だがそれは、思い出の中の出来事、思い出の感情だった。

 いきなり婚約者だ、結婚だ、などと言われても、どうすればいいのか分からない。現実味が湧いてこない。 

 そればかりか、離れていた分だけ、本当に相手のことを好きなのかどうかもまだよく分からない。

 ルイズはなんとなく後ろに視線をやった。

 いよいよ体力の限界らしいサイトとギーシュを気遣って、柳也が声をかけている。

 その顔を見て、ルイズは自然と顔が赤くなった。

 自然と思い出されてしまうのは昨晩の光景。ベッドの上で、裸の柳也とマチルダは体を重ねていた。自分の物を咥えてくれる女に、男はとても優しい眼差しを注いでいた。二人はいったい、いつからあのような関係になったのか?

 従者同士仲が良いのは結構なことだ。主としては、喜ばしいことといえる。

 そう、良いことの、はずなのだ。

 それなのに、

 それ、なのに……

 ――なにかしら、この気持ち……?

 胸の内に感じた、チクリ、とした痛み。そして腹の底から湧き上がる、ふつふつ、とした怒りの感情。

 昨晩の見た光景と、いつだったか見た夢の中の背中が重なって、なんだか胸がやきもきして、ルイズは苛立たしげに舌打ちした。

 自分以外の人間にあの優しい眼差しを向ける柳也が、なぜか腹立たしかった。

 

 

「才人君とギーシュ君は、いよいよ限界っぽいな」

 馬の旅を続けること半日以上。グリフォンに跨るワルド達はもとより、同じ馬に跨っている柳也達にも遅れがちになる才人とギーシュを見て、柳也は呟いた。

 二人は揃って、ぐったり、と馬の首に上半身を預けていた。手綱を握る手にも、ほとんど力が入っていない。

 乗馬という行為は、単に体力があるだけでは長くは続かない。自動車やバイクと違って、馬は人間と同じく生きた動物だ。それを長時間御し続けるためには、なんといっても馬に馴れていることが肝要だった。二人の場合はそもそも、馬という動物に馴れていない様子だった。

【かく言う主は、やけに馬馴れしているな?】

 ――昔な、瞬に強引にやらされたんだよ。……ったく、乗馬なんて上流階級のスポーツだってのによぉ!

 頭の中に響いた〈決意〉の声に答えながら、しかし、口にするほど柳也はその過去を後悔してはいないようだった。

 まったく、人生とはままならないものだ。どんな経験が、どこで役に立つか分からないから面白い。

 当時は少し鬱陶しくも思った過去の親友の強引な行為に感謝しつつ、柳也は、どちらか自分の後ろに乗るよう二人に言った。

 公平なジャンケンの結果、柳也の後ろにはギーシュが乗ることになった。

「……手間をかけます、ミスター・リュウヤ」

「なに、気にするな。弟子を背負うのも、師匠の務めだ」

 敬愛する王女殿下からの密命を帯びた身にも拘らず、この体たらく。青い顔のまま悔しげに呟かれた言葉に、柳也は莞爾と微笑んで言った。

 「それに……」と、彼は続けて言う。

「それに、稽古以外で君と話す、いい機会だ」

 柳也はギーシュを背後に乗せると、彼の乗っていた馬の手綱を取った。一人で二頭の馬を操るつもりだ。若干のスピード・ダウンは否めないが、脱落者を出すよりはマシだろう。

 柳也はギーシュの乗っていた馬を引きながら、背中に上体を預けてくる少年と言葉遊びに興じた。

 会話の内容は多岐に渡った。稽古の話は無論のこと、互いに異なる世界で生まれ育った二人は、稽古の時にはあまり語る機会のない、互いの身の上話に花を咲かせた。生まれ育った故郷のこと。そこで、どんな人達に囲まれ、どんな暮らしをしていたか。

「ほほう……ギーシュ君のお父上は、元帥府に列せられるほどの将軍なのか」

「はい。グラモンの家は代々軍人の家系なんですが、父は特に飛び抜けた人でした」

 それまでぐったりしていたギーシュだが、別段、乗り物に酔ったわけではない。会話を続けるうちに、徐々に本来の調子と饒舌さを取り戻していった。

「ミスター・リュウヤのお父上は、どんな人だったんです?」

「俺の父さんは、警官だった。俺の生まれた国ではな、警察と軍隊、そして裁判所はそれぞれ独立した組織なんだ。父さんは侵略者や叛徒よりも、もっと身近な犯罪者と戦う道を選んだ人だった。剣術の達人で、俺に、最初に剣の道を示してくれた人でもあった。子ども心にも憧れたよ。あの人の剣は、いまの俺の剣の何倍も、何十倍も凄かった」

「僕もそうでした。僕は父に憧れて、父のような偉大な将軍になりたいと思って、強いメイジであろうと思いました」

「お互い、偉大すぎる父親を持つ大変だな?」

「まったくです」

 柳也とギーシュは互いに顔を見合わせて笑った。

 異なる世界に生まれたとはいえ、自分達の境遇はどこか似ている。偉大な父が好きで、偉大な父に憧れて、偉大な父を目指すがゆえに、苦労する。いっそ父が矮小な人間であればこんなにも苦労しなかったのではないか、と思ったことは、二人とも一度や二度ではない。しかし、もし父親がそんな人間であれば、そもそも自分達は彼を目標にはしなかっただろう。

 桜坂柳也とギーシュ・ド・グラモンにとって、父親とは、敬愛する存在であり、複雑な感情を抱いてしまう存在でもあった。

 そんな共通点を発見したことが、二人にはなんとなく嬉しかった。

 

 

 一方、ジャンケンに負けた才人は、本来なら相も変わらず馬の上でぐったりしているはずだった。

 しかし、捨てる神あれば、拾う神あり、だ。

 三人のやり取りを眺めていたケティが、「よかったら、後ろに乗ります?」と、言ってきてくれたのだった。

 友人の善意からの申し出を受けた時、才人の頭の中では一瞬、男としてのプライドや見得などが葛藤した。しかし、正直にいってもう手綱を握っているのも辛くなっていた。

 こんなところで恰好つけてもしょうがない。

 才人はありがたくケティの後ろに乗せてもらうことにした。彼が乗っていた馬は、かたわらのマチルダが引いてくれることになった。

「悪い、ケティ……」

「それは言わないお約束ですよ」

「……それ、どこで覚えたんだ?」

「ミスタ・リュウヤが教えてくれました。こう言われたら、こう返すのが、サイトさん達の世界の常識だ、と聞きましたが」

「あの人は……!」

 驚嘆の溜め息をついて、才人は思わず頭を抱えた。

 異世界ハルケギニアに、地球について間違った知識が流布されている。あの人はいったい何を教えているんだ、と唐突に襲ってきた頭痛に、才人は米神をひくつかせた。なんとなく、同じ地球人として申し訳ない気分だった。

 ただでさえ体力をすり減らしたところに精神力まですり減らされた才人は、緩慢な動作で自分の馬から下りた。

 ケティの馬の側方に立つと、彼女の背後に騎乗する。

 とはいえ、鞍はもともと一人乗り用だ。必然、二人乗りをしようと思うと、すでに馬に跨っているケティの助けが必要になる。

 差し出された手に、男として情けない気持ちになりながらも、才人は掴んだ。

 小さな手だった。そして、柔らかな手だった。触れた手の温もりと感触に、ドギマギ、と胸が高鳴ってしまう。

 彼女の手を取るのはこれが初めてではない。あのフリッグスの舞踏会があった夜も、自分のこの手は、彼女の手を掴んだ。しかしあの時は、慣れないダンスに悪戦苦闘し、そのことにばかり意識が向いていた。ために、今日、この時まで気が付かなかった。

 自分とさして年齢の変わらない少女の手の小ささ。柔らかさ。手触り。そして、熱。薄い男の手ではない。ふっくら、とした女性らしい手だった。

 女の子の手を握るなど、どれくらいぶりだろう。小学校低学年のとき、集団登下校で隣の娘の手を握った以来か。あの頃はまだ思春期を迎えておらず、隣を歩く女の子の友人に対しても、異性という感覚は薄かった。

 しかし、いまは違う。

 掌の中に収めた小さな手の温もりに、急速に異性を意識してしまう。

 顔を真っ赤にした才人は、ケティにそれを見られまいと、勢いよく彼女の馬に飛び乗った。

 だが、あまりにも勢いがつきすぎたか、腰を下ろした瞬間、それまで大人しかった馬が急に慌てふためき出した。どうやら、吃驚させてしまったらしい。

 乗馬の経験が浅い才人は当然バランスを失い、振り下ろされまいと咄嗟にケティの腰に腕を回した。

 これまた細い腰だった。

 必然、才人がケティに抱きつく形となり、手を握った時には感じなかった彼女の体臭を、才人は強く感じた。柑橘系の香水の香りに混ざった、甘酸っぱい匂い。

 才人はますます顔を赤くしながら、

 ――やっぱ俺、かっこわりぃ……。

と、溜め息混じりに呟いた。

 せっかくのケティの好意を台無しにするかのような、乗馬の仕方だった。

 

 

 一行はその後も何度か馬を替え、出しうる限りのスピードで行軍を続けた。

 その甲斐あって、柳也達はその日の夜中には、ラ・ロシュールの街を視界に捉えた。

 険しい岩山の中を縫うようにして進んだその先に、峡谷に挟まれるようにして、街が見えてきた。街道沿いに、岩をうがって造られた建物が並んでいる。

 才人は怪訝そうに辺りを見回した。はて、ラ・ロシュールは港町だというが、ここはどう見ても山道だ。見渡す限りの、山、山、山。海なんてどこにもありはしない。一山越えれば、海が見えるのかもしれないが、潮風をまったく感じないのはどういうことか。

 小首を傾げる才人に、柳也は苦笑しながら言う。

「俺達の常識で判断しない方がいいぞ? この世界では、山の中にも港町があるんだ、と認識を改めた方がいいだろう」

「海の男ではなく、山の男がいる港ですか?」

「波止場じゃなくて、切り株の上でかっこつけるのが定番だぜ?」

 諧謔めいた口調で言った柳也の顔の筋肉が、緊張から硬化したのはその直後のことだった。

 脳幹を揺さぶる、相棒達からの警告音。

 魔法学院を出発してからずっと自分達を尾行し続けている二つの気配のうちの一つが、自分達の方へ急速に近付いてくるのを知覚する。二つの気配のうち、地上を進んでいる方の気配だ。

 凄まじいスピードだった。軽く見積もっても、時速二〇〇キロは下るまい。スポーツカー並の速さだった。ハルケギニアには、斯様なスピードで地上を走行出来る存在がいるというのか。

 人間よりもはるかに巨大なマナの気配の接近に、頭の中で鳴り響くガラスを割る音が、どんどん、強くなっていく。

 今朝、ワルドのエア・ハンマーを察知した時と同質の緊張感と恐怖が、背筋をひた走った。

 馬上の柳也は、脇差の柄に右手を添えると、自分達を挟み込む崖の上へと目線をやった。

 巨大なマナの気配は、自分達のいる場所よりも高い高度から感じられた。どうやら件の追跡者は、自分達の左右を囲む崖の上を走っているらしかった。

 やがて柳也は、マナの気配を、頭上に感じた。

 夜空に浮かぶ二つの月が発する月光だけが頼りの視界の中に、黒い影が映じた。

 四つ足の獣。

 制限された視界の中で、かろうじてそのシルエットだけを認識した刹那、柳也の身体が馬上から放り出された。

 右肩に、凄まじい衝撃。

 骨が砕け、筋繊維が引き裂かれた痛みに声を上げる間もなく、今度は背中に痛烈な痛みが走る。

 右肩に対する体当たり。そしてそのまま、地面に叩きつけられた。自分の身にいったい何が起こったのか、柳也が知ったのは背中を強打した後のことだった。

 ――速い……!

 いつ攻撃を受けたのか、まるで分からなかった。

 神剣士の身体能力と反射神経を以ってしても、対処出来ぬほどの高速だった。

 時速二〇〇キロどころの騒ぎではない。攻撃時の瞬間最大速度は、最低でもその二倍は出ているように思われた。

 陸上の生物で、これほどのスピードを出しうる動物とは、いったい如何な姿形をしているのか。

 柳也は激しい痛みを訴える右肩をなだめすかしながら立ち上がった。脇差を抜き放ち、正眼に構える。

 追跡者がこちらに友好的な存在でないことは、先の一撃からも明らかだった。柳也は油断のない視線を方々に飛ばして、襲撃者の姿を探した。

 他方、神剣士のようにマナの探知能力や卓越した五感の能力を持たない才人達だったが、柳也の尋常でない様子から何事か起こっていることを察したか、みな一様に警戒の姿勢を取った。 

 馬の上にいては、有効な反撃が出来ない。

 次々と馬から下りるみなに、柳也の緊迫した注意が飛ぶ。

「敵襲だ。相手は一体。人間ではない。だが、かなり動きが速い」

「野生動物ですか?」

 背中に背負った鞘からデルフリンガーを引き抜くや正眼に構えた才人が訊ねた。

 人間ではない、と柳也は言ったが、それが野生か、そうでないか、で取るべき対応が違ってくる。

 相手が野生ならば単純に撃退すればいい。しかし、相手が人間に飼いならされた存在であれば、捕獲に努めるべきだ。もしかしたら、何か飼い主の手掛かりを得られるかもしれない。悪意ある何者かが、意図的に自分達を襲わせた可能性もある。

 才人の質問に、柳也は小さくかぶりを振って応じる。

「分からん。誰か、メイジの使い魔という可能性も否めん」

「もし、そうだとしたら、相手はアルビオンの貴族派かも……」

 顔を蒼白にしてルイズが呟いた。

 アルビオンの貴族派に所属するメイジが、警告のために使い魔を放ってきた。なるほど、ありえない可能性ではない。しかし、もしそうだとしたら、一つ疑問が浮かぶ。

 ――もし、そうだとしたら、いつ、俺達の存在がばれた……?

 件の手紙の存在と内容は、アンリエッタとウェールズ皇太子本人しか知らないはず。そしてアンリエッタは、慎重を期して自分達に接触を図ってきた。もし、この襲撃者を放ったのがアルビオンの貴族派だとすれば、彼らはいったいどこで自分達の情報を手に入れたのか。

 柳也の思考は、後方より襲いかかる衝撃によって、中断させられた。

 またしても体当たり。

 しかも今度は、背後からの激突。

 肋骨が、ミシミシ、と悲鳴を上げる。肺胞の潰れる凄絶な痛みが、全身の痛覚神経を蹂躙した。口から吐く息に、鉄の匂いが混ざった。

「ぐぅ……!」

 苦悶の声とともに、胃液と、赤い塊の混ざった吐瀉物が口をついて出た。

 六尺豊かな巨体が、前へと吹っ飛ぶ。

 岸壁に激突し、落下。やはり受身を取ることは叶わず、今度は、胸をしたたかに打った。身体中の毛細血管が破裂する痛みに、柳也は悶えた。ただちに、〈決意〉と〈戦友〉が損傷箇所の修復を開始する。とはいえ、〈決意〉も〈戦友〉も、回復を得意とする神剣ではない。すぐに全快とはいかなかった。

 頭上よりまた、攻撃の緊迫を感じた。

 地面を抉りながら近寄ってくる足音。

 岩肌をのたうつ金属音。

 襲撃者は、岸壁を駆け下りて迫っている!

 うつ伏せに倒れる柳也は、全身を苛む苦痛をこらえながら横転。

 直後、つい一瞬前まで彼が倒れていた場所に、流星が墜落した。

 地響き。

 そして、濛々と上がる土煙。

 横転運動の反動を利用して立ち上がった柳也は、反射的にそちらを睨んだ。

 右手一本で保持する脇差を正眼に置いた刹那、斬撃の烈風が、彼の頬を激しく叩いた。

 土埃のカーテンを引き裂いて迫る、黒い巨躯。

 神剣士の動体視力を以ってしても捕捉出来ない、高速からの接近。

 羆のように巨大な爪が脇差を薙ぎ、次いでがら空きになった胴体を、鰐のように巨大な顎が襲った。

 柳也は反射的にオーラフォトン・シールドを展開。

 オレンジ色の精霊光の盾がバナナのような鋭い牙の進撃を阻み、襲撃者たる獣の動きが遅速した。

 それまで、黒い砲弾とした見えなかった獣の全貌が、視界に映じる。

 瞬間、柳也の黒檀色の双眸が、愕然と見開かれた。

「な、に……!?」

 そこにいたのは、異形、としか形容のしようがない生き物だった。

 一言でその姿を言い表すのならば、大型の猟犬の体格をしたワニ、というべきか。目に該当する器官が外部に見られず、舌が異様に長い。大きな上顎と下顎の間から、完全にはみ出ている。ダークブルーの歯茎には、熊の爪のような犬歯が並んでいた。四肢と腹、そして尻尾はブラウンの短毛に覆われているが、背中と頭は、爬虫類の鱗が、びっしり、と覆っていた。まるで鎧のような、硬い鱗だった。

 牛を一頭丸々引きずれそうな太い首には、鉄製のバングルが巻かれている。首輪は鎖と繋がっており、チェーンは、高く夜空の闇へと伸びていた。何らかのマジック・アイテムか。柳也やルイズが予想したように、やはり何者かに飼われている存在のようだが……。

「はっ、さすがファンタジー……こんな化け物まで出てきやがって!」

 自然と口をついて出た悪態は、慄然とした語気を孕んだもの。

 およそ自然界ではありえるはずのない形状、ありえるはずのない進化の形。

 いかに生物は環境に適応して進化するといっても、こんな異形への進化がありえるのか!?

 驚く柳也の隙をついて、異形の怪物はオーラフォトン・シールドを蹴って後ろに跳躍した。目の前の男を容易ならざる相手と認識したか、警戒の態度も露わに柳也との距離を取る。

 平静を取り戻した柳也は、反射的に前へと踏み込んだ。

 咄嗟に展開したオーラフォトン・シールドで防げた一事からも明らかなように、敵の攻撃力自体は大したものではない。しかし、それにあのスピードが加わると俄然脅威となる。神剣士の五感や運動能力、反射神経でも捉えられない高速で死角に回り込まれ、防御も回避の暇もなく攻撃されたら、どんなに弱い一撃でも、致命傷となりかねない。

 現に二度、自分はすでに攻撃を受けている。自分の頑健な肉体であればこそ耐えられたが、普通の人間なら、最初に落馬した時点で頭を打って再起不能に陥っていたはずだ。

 敵に態勢を整える時間を与えてはならない。

 柳也は着地の瞬間を狙って脇差を振るった。

 一尺五寸に満たない白刃が、尋常でない伸びを見せる。

 渾身の斬撃が、獣の脳天を打ち割らんとした刹那、ワニの大口が開き、咆哮が、柳也の耳朶を打った。

 途端、柳也の表情が苦悶に歪んだ。

 脇差の刀勢が目に見えて鈍り、奇獣は悠々斬撃を避ける。

 柳也が膝を着いた。

 頭を押さえ、掌までもが地面に着く。

 男の唇から、絶叫が迸った。

「ぐ、があああああっ」

「柳也さん!」

 師匠の異変に気が付いた才人が、デルフリンガーを八双に保持しながら奇獣のもとへとひた走る。

 しかし、援護に回ろうとした才人もまた、獣に近付いた途端、悲鳴を上げた。

「う……ああああ!」

「相棒!? こら、しっかりしねぇか!」

 才人の手から、デルフリンガーが滑り落ちる。

 その場に膝を着いた才人は掌で両耳を覆うと、激しくのた打ち回った。

 超音波の集中攻撃。

 奇獣は、コウモリやイルカといった一部の動物が、前方の障害物の有無を確認するためなどに使う超音波の音圧を上げ、武器として使用したのだった。

 本来、人間の耳には聞こえない超音波だが、音圧を高め、指向性を持たせることで、人体に有害なエネルギーを持つようになる。

 そもそも音波とは、振動する物体が発する運動エネルギーなのだ。振動数を高め、対象に集中してぶつければ、それは細胞を破壊する兵器となりうる。

 ――い、いかん……!

 奇獣を目前にしながら思うように動けぬ柳也は呻いた。

 自分達神剣士の肉体は、マナさえ補充出来れば相当の怪我でも回復することが出来る。しかし、いくら伝説の使い魔とはいえ、所詮、ノーマルの人間に過ぎない才人の身体は違う。破壊された細胞が元に戻るとは限らないし、目の水晶体や、鼓膜でも粉砕された暁には、取り返しのつかないことになってしまう。

 いやそればかりか、最悪、脳の神経細胞を傷つけられでもしたら……。

 ――俺はどうなってもいいが、才人君だけは……!

 威力を上げ、指向性を持たせすぎた反動か、超音波攻撃の射程自体は短い。

 柳也はなんとか敵の射程外に逃れようと立ち上がって、転倒した。

 超音波の影響は三半規管にも及んでいる。バランスが上手く取れなかった。

 そんな二人の様子を見て、ハルケギニアの人間達はうろたえるばかりだった。

 超音波はおろか、自分達の発している音の正体すら知らない彼女らだ。苦痛を訴える二人の身に何が起こっているのか、理解出来なかった。

 そんな中、ただ一人の例外がいた。グリフォンに騎乗したままのワルドだ。二人の身に何が起きているのか分からない彼だったが、なすべきことだけは理解していた。

「使い魔君、従者君、堪えてくれ!」

 ワルドはグリフォンに跨ったまま吠えた。

 サーベル状の杖を振るったかと思った直後、突風が二人の身に襲いかかった。

 ワルドが唱えた風の魔法だ。

 小さな竜巻に突き飛ばされ、二人はようやく超音波の射程から逃れた。

 のろのろ、と起き上がる柳也。

「ぐ……ぬぅ……すまん、子爵殿」

「なに。こちらこそ。……そんなことより」

 グリフォンに騎乗したままのワルドは、奇獣を睨んだ。

 奇獣は柳也達が超音波攻撃の射程から脱したのを認めるや、ワニの口を閉じた。どうやら超音波の発振器官は、喉の奥にあるらしい。声帯と一体化していると予想された。

「あれが貴族派の放った猟犬かどうかは分からないが、どうするかね? 奴のスピードと、いまの奇妙な能力は脅威だぞ?」

「……一応、手はある」

 柳也は青色吐息の形相で、しかし眼光だけは炯々とワルドに応じた。

「出来れば、あんまりやりたくない作戦だけどな。動物虐待は、読者の人気を下げるし」

「人気とか、言っている場合じゃないっすよ」

 柳也と同様、緩慢な動作で立ち上がった才人が言った。超音波を叩きつけられた時間は柳也よりも短い彼だが、ダメージはこちらの方が大きい。立ち上がりはしたものの、いまだに頭を抱え、視線にも力がない。

「人気がどうの言って躊躇っていたら、ここで作品終了です」

「ま、そうだろうな。……仕方ねぇ」

 柳也はグリフォンに跨るワルドに言った。

「俺が奴の動きを止める。子爵は奴にトドメを頼む」

「……止められるのか? 奴の動きを」

「止めてみせるさ」

 柳也は不敵に微笑むと前に出た。

 外部に目に相当する器官が見当たらない奇獣と、静かに睨み合う。

 ――〈戦友〉、オーラフォトン・バリアをいつでも展開出来るように準備しておけ。

【分かりました、ご主人様】

 ――〈決意〉、身体能力なんかは犠牲にしていい。とにかく、五感の機能強化に努めろ。

【領解した、主よ】

 相棒二人の返事に頷き、柳也は脇差を脇に取った。

 阿吽の呼吸を静かに、確実に行って、五体に気力を充溢させる。

 奇獣が、動いた。

 高速で。

 柳也の視界から、瞬く間に獣の姿が消えた。

 文字通りの、目にも留まらぬ速さだ。

 右かと思えば左。前かと思えば後ろに、すぐに移動してしまう。

 ――やはり、視認は出来んか……!

 ならばとばかりに、柳也は頭の中で吠えた。

 ――〈決意〉、視界から可視光線の情報を除外。赤外線情報のみを投影!

【領解した、主よ】

 頭の中に〈決意〉の声が響いた途端、柳也の視界が一変した。

 月明かりを頼りにしていた明瞭な視界から一転して、赤外線カメラのような黄緑色の視野を得る。肉体に寄生した〈決意〉の力で、視神経の機能を変えた結果だった。いまの柳也は、それこそ赤外線カメラのように、物体の発する熱線を鮮明に視認することが出来た。

 すべての物体は、その温度に応じた赤外線を放射している。

 この温度差を利用して、柳也は動き回る敵の姿を探した。

 奇獣の機動は、軽く見積もっても、時速二〇〇キロは出ている。それだけの高速で物体が動けば、周囲の環境に対し、必ず何らかの影響を与える。奇獣そのものを探すのではない。奇獣の移動によって周囲の環境に起こった温度の変化を探し、その情報から、相手の位置を割り出すのだ。

 はたして、攻撃の予兆は後方より感じられた。

 鋭い爪による斬撃。

 柳也は背後を振り向くことなく、オーラフォトン・バリアを展開した。

 網の目状に。

 オーラフォトン・ネット。

 バリアの強度はそのままに、糸のように細い精霊光を網の目状に形成した防御の技だ。

 直接、相手の攻撃を弾く防御力には欠けるが、弾性に富み、接近した相手を捕縛することが可能だった。

 目論見通り、奇獣の突進は、網の目に引っかかったことにより頓挫した。

 攻撃が失敗に終わったと判ずるや、すぐに離脱しようと地面を蹴る。

 すかさず、柳也は背後からの襲撃者を抱き込むに、ネットを動かした。

 精霊光で構築された糸と糸とが絡み合い、結び合って、ついに奇獣を捕らえることに成功する。

 どっ、と疲労感が柳也の身を苛んだ。

 オーラフォトン・ネットは普通にバリアを展開するよりも、高い集中を彼に強いる。また、消費するマナの量も、バリアとは桁違いに多い。

 ネットの中で獣が、また口を開いた。

 超音波攻撃を放つつもりか。

 柳也は疲労で重くなった体を動かした。

 後ろを振り返ると同時に、足元の獣に上顎目掛けて白刃を振り下ろす。

 手の内を整えた斬撃は硬い鱗に覆われた顎先を切断した。

 絶叫。

 黄緑色の血煙。

 なんと、奇獣の体内には血液さえ流れていなかった。

「従者君、よくやってくれた!」

 ワルドが杖を振るった。

 巨大な空気の鎚が、上空より振り下ろされる。

 何度も。

 何度も。

 執拗に。

 振り下ろされた。

 その度に、黄緑色の体液が迸った。

 ルイズとケティが顔を背ける。

 柳也と才人は、ほっ、と安堵の息をついた。

 自分達を苦しめた獣は原型を留めぬほどに叩き潰された。

 首に巻かれていた、鉄の首輪だけが、その場に原型を残していた。

 

 

 ひとまず窮地を脱した柳也達だったが、彼らに安息の時間は与えられなかった。

 柳也達が謎の奇獣を倒した直後、ミンチと化した獣の骸に繋がれた鎖が、うねうね、と蠢いた。

「な、なんだ!?」

 柳也の馬に跨ったままのギーシュが、唖然とその光景を眺めて呟いた。

 鉄の首輪が、引っ張られていく。

 上へ。

 崖の上へ。

 見れば、そびえ立つ岸壁に上に、黒いマントを羽織った貴族が立っていた。

 灰色の長髪。大柄な体格に見合った、長身の背丈。顔の上半分を白い仮面で覆っているが、どうやら男のようだった。

 黒マントの男の手には、奇獣の巻いていた首輪と繋がったチェーンが握られていた。長大な鎖を手繰り寄せるうちに、やがて男の手に、黄色い体液の滴る首輪が握られた。口元に、ニヤリ、と冷笑が浮かぶ。

 柳也とワルドが、警戒に身を強張らせる。

 この状況、このタイミングでの登場。加えてその手には、先ほどまで自分達を苦しめた奇獣の首輪が握られている。

 どう想像を膨らませても、自分達に友好的な相手とは思えなかった。

「貴様、いったい何者だ!?」

 脇差を正眼に構えながら、柳也が語気荒く叫んだ。

 無論、正しい返答を期待しての質問ではない。問いをぶつけることで相手がどんな反応を示すか、窺うための詰問だった。

「…………」

 黒マントの男は答えない。

 無言の態度を貫いたまま、懐中より羽ペンを取り出した。

 ルーンを唱え、羽ペンを振るう。

 瞬間、柳也の表情が凍りついた。

 男の取り出した羽ペンから感じられる、この気配。唱えた呪文はハルケギニアの系統魔法だが、それを強化しているこの力は――――――

 柳也は視線を相手に向けたまま、みなに叫んだ。

「みんな逃げろ! あれは永遠神剣だ!!」

 柳也の獅子吼が天を貫いた次の瞬間、上空の空気が急激に冷え始め、爆発した。

 頭上より降り注ぐ、無数の稲妻。

 照準も何もない、数に物を言わせた、雷撃の雨あられ。

 もはやこの場からの離脱は叶わない。

 即座に自分達が絶望的な状況に陥った認めた柳也は、苦みばしった表情で歯噛みするや、決然と、右腕を天高く掲げた。

 大地から。

 大気から。

 貪欲に、マナを啜る。

 相棒二人が内に抱えるマナ。

 自分の肉体を構成するマナ。

 周辺から無理矢理に奪い取ったマナ。

 そのすべてを右腕に集中し、柳也は、咆哮した。

「オーラフォトン・バリアアアア――――――!!!」

 掲げた右腕を中心に、オーラフォトンの壁が展開した。

 かつてない密度で。

 かつてない範囲に渡って。

 才人の。ギーシュの。

 ケティの。マチルダの。

 ワルドの、そしてルイズの頭上を、オーラフォトンの壁が、覆った

 


<あとがき>

 ゼロ魔刃の柳也はバリア張ってばかりだなぁ。

 いや、エスペリアもハリオンもいないから、仕方ないんだけど。

 どうも、読者の皆さん、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。

 さて、今回は風のアルビオン編最初の戦闘シーンでした。原作ではここでの襲撃者は夜盗でしたが、神剣士一人にメイジ五人、伝説の使い魔一人のパーティが相手じゃ、いくらなんでも夜盗が可哀想だということで、今回のような形になりました。ご満足いただけたでしょうか?

 いやはや、それにしても人外の怪物との戦闘描写って、難しいですねぇ〜。

 普通のチャンバラよりも、だいぶエネルギーを使った気がします。

 アセリアAnother本編での門番レーズとの戦闘もそうでしたが、人間とは身体つきも能力も、まして知能も異なった動物との戦いって、非常に難しい! いやはや、良い勉強をさせてもらいました。

 さて次回はようやくラ・ロシュールに到着です。原作でいうところの、二巻の第五章ですね。

 次回もお読みいただければ幸いです。

 ではでは〜

 

 

<今回の強敵ファイル>

ティンダロス

柳也を基準とした戦闘力

攻撃力 防御力 戦闘技術 機動力 知能 特殊能力
C C A D C

主な攻撃:スピードを活かした肉弾戦

特殊能力:超音波発振能力

 永遠神剣第七位〈隷属〉の契約者である謎の男に使役される獣。その姿は異形そのものの奇獣で、猟犬の体躯とワニの頭部を持つ。獰猛な性格の持ち主。眼球に相当する器官を持たず、外界の情報はもっぱら嗅覚と、声帯を兼用する発振器官から発する超音波で得ている。

 神剣士の柳也をして反応が困難なスピードを活かした戦法で、シクレー集団のオーク鬼や才人達を苦しめた。また、必殺の威力こそ持たないが、超音波は集中して放つことにより、人体の細胞を粉砕出来るだけの攻撃力を発揮する。今回は柳也の機転によって倒されたが、能力の活かし方次第では、一行を全滅させることも出来ただろう。

 なお、ティンダロスの名前から察しの方もいるかと思われるが、この幻想動物はタハ乱暴のオリジナルではない。元ネタはジェームズ・モートン博士が融合を図ったあの猟犬。登場の際に異臭がする、活動域が時間の角、といった大本の設定はオミットしたが、その容姿(目に相当する器官がない)から、超音波の設定を作らせてもらった。

原作では:原作に登場せず




いや、思った以上の力を有していた化け物。
美姫 「流石の柳也もかなり苦戦だったわね」
止めを刺す役としてワルドが居たから何とかなったか。
美姫 「まあ奇襲されたというのもあるけれど、それでもこの任務は楽に終わりそうもなさそうね」
だよな。現在もピンチな状況で、次回はどうなるのか。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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