オーク鬼はハルケギニアの生態系にあって、陸上動物としては人間に次ぐ食物連鎖の王だった。
彼らは他の陸上動物を圧倒する能力を三つ持っていた。第一にそれは驚異的な運動能力であり、第二にそれは人間並みの繁殖力を持っている、ということだった。つまり数が多い。加えて、群れをなす。そして何より、この動物の生態系での地位を揺るぎのないものにしている要因が、発達した大脳新皮質にあった。
一般に動物の行動は走性、反射、本能、学習、知能がある。大脳新皮質はこのうち学習や知能といった行動を司っている器官で、オーク鬼は脳のこの部位が人間並みに発達していた。オーク鬼は棍棒という道具を使い、殺した動物の皮を剥いで服を作り、経験則からちょっとした戦術を組み立てるだけの能力を持っていた。この知能こそが、オーク鬼の最大の武器だった。
高度な知性は、時に力で勝る動物達を押しのけ、食物連鎖の上位に立つ。
大陸にはドラゴンやサラマンダーといった強力な動物が他にもいたが、これらの動物の生息域は、オーク鬼のそれと比べて格段に狭かった。
平均身長二メートル。平均体重三〇〇キロ。猪の頭と熊の体躯を持ち、群れで行動し、武器を使い、作戦を練る。荒い気性の肉食動物で、こと狩猟に関しては高い学習能力を誇る。
斯様な生態のオーク鬼にとって、脅威と呼べる存在は自然界には人間しかいなかった。
その人間も、単体ではオーク鬼には敵わない。オーク鬼一体の戦力は、よく鍛えられた人間の兵士五人分に匹敵するとさえされていた。メイジ達でさえ、一対一では勝てるかどうか危うい相手だ。しかも、オーク鬼は獰猛な肉食動物で、特に人肉を好んで食べた。オーク鬼と戦う者は、文字通り食うか食われるかの戦いの中で、恐怖とも戦わねばならないのだ。
まさしくオーク鬼は、食物連鎖の頂点の座を虎視眈々と狙う、人間の敵に他ならなかった。
◇
トリスティン王国北部パドガレーの森に、人間達がシレクー集団と呼ぶオーク鬼の一群が生息していた。
パドガレーの森は古くから周辺農村の林業を支える重要な場所で、この土地にオーク鬼が棲み始めたのは、いまから一五〇年も昔のことだった。東の地方よりやって来たオーク鬼の一家が、この土地に移り住んだのだ。
この時に、当時の領主が兵を差し向ければ後々大事には至らなかったろう。しかし当時の領主は軍を派遣せず、パドガレーの森を放っておいた。その結果、最初八体だったオーク鬼は一〇〇年の間に徐々に数を増やし、いまではシレクー集団は二〇〇体もの大規模な群れへと化していた。
事態がここに至って、領主はようやく軍を派遣した。その戦力、メイジ二〇人を含む五〇〇人余り。多数のメイジを抱えた戦力に、領主は絶対の自信を持って自ら討伐軍に参加した。
しかし、シレクー集団のオーク鬼達は狡猾だった。
シレクー集団のオーク鬼は人間と自分達とがよく似た動物であることを知っていた。人間もまた自分達と同様、数を武器にする生き物だ。ならば、その数の暴力を活かせぬ状況を作ってしまえばいい。
オーク鬼達は討伐軍を森の中へと誘い込み、分断し、各個撃破を狙った。
その作戦は見事はまり、討伐軍は僅か二日で壊滅した。
軍の力さえも及ばぬ事態に、近隣の村の住人達は次々とこの地を捨てていった。
その後人間達はこの地を奪回すべく何度も軍隊を派兵したが、その度に敗北を喫した。
守りに徹したオーク鬼達は強かった。
彼らは地の利を巧みに活かし、人間達を追い返し続けた。
やがて八度目の討伐軍が壊滅したのを見て、領主はもはや領地の奪回は不可能と判じた。
領主はこの地区を封鎖し、以来、パドガレーの森とその周辺は、シクレー集団の完全な支配域となった。
それから五〇年間、パドガレーの森はオーク鬼達の楽園であり続けた。シクレー集団は三〇〇体を数える大規模な群れとなり、もはや国軍の精鋭メイジ達の力を以ってしても打倒は容易ならざる相手と化していた。パドガレーの森に好んで近寄ろうとする者はいなくなり、結果、オーク鬼達は縄張りを脅かされる不安を抱えず過ごすことが出来た。
時折、何も知らない旅人が彼らの生活圏を侵したが、そういった輩は大抵少数で、脅威たりえなかった。むしろオーク鬼達は積極的に彼らを迎え入れ、自分達の餌とした。
シクレー集団にとって、パドガレーでの生活はまさしく夢のような日々だった。
森にいる限り彼らは負けを知らず、また飢えを知ることがなかった。
この土地さえあれば自分達の未来は薔薇色だ。
オーク鬼達の発達した大脳新皮質は、未来に対し明るい展望を思い描いた。
しかし楽園の崩壊は、ある日唐突にやって来た。
その日、シクレー集団のテリトリーに、一人の男がやって来た。
人間のオスだ。
紫紺の服を纏い、マントを着こなしていることからメイジだということはすぐに分かった。
オーク鬼達はその男の侵入に警戒した。
人間は単独では弱い生き物だ。しかし、メイジは別だ。あいつらは奇妙な棒きれを振って、奇怪な術を使う。オーク鬼達はメイジの脅威を正確に把握していた。
オーク鬼達はまず、自分達の縄張りに侵入したメイジに敵意があるかどうか、揺さぶりをかけた。
大きな声を張り上げながら、両腕で自らの胸を叩くドラムリング。現代世界の地球では、ゴリラなどがよくやる威嚇行動を、オーク鬼達は男の周りで取った。
対する男のアクションは、杖を振ることだった。
杖の先端から、猛烈な竜巻が飛び出してオーク鬼の一体を吹き飛ばした。
三〇〇キロからなる巨体のオーク鬼は、地面に頭を打って絶命した。
相手が敵意を持った存在であることは、明らかだった。
男の存在は直ちにシクレー集団の全オーク鬼達に伝わることになった。
シクレー集団三〇〇体以上のオーク鬼のうち、オスのオーク鬼は二〇七体。そのうち、戦闘可能な年齢のオーク鬼は一七一体。その一七一体が、男を取り囲んだ。
メイジは確かに脅威だ。しかし、所詮は人間。魔法を使っている間は確かに強いが、隙も大きい。大きな魔法を使った直後、精神力を使い果たした時、杖を手放した時など、付け入る機会はいくらでも見受けられた。
オーク鬼の戦士達は棍棒を振り回して男に襲いかかった。
男は軽やかな身のこなしで殺到する攻撃を避けながら、オーク鬼達の急所に対し的確に風の小魔法を叩き込んだ。
小魔法は威力こそ低いが、それだけに精神力の消耗が少なく、呪文詠唱中、詠唱後の隙も少ない魔法だ。それに、いかに小魔法とはいえ、急所に叩き込まれればダメージは大きい。
どうやら男は熟練した戦士のメイジらしかった。
男の戦い方は隙なく、無駄なく、堅実で、着実に成果を挙げていった。
しかし、男の奮戦も長くは続かなかった。
たしかに男は強力なメイジのようだったが、所詮は一人。一七一体の数の暴力には敵わない。
とうとう精神力が尽きたか、オーク鬼の三十体ほどを殺した男は、ぱたり、と魔法の使用をやめた。
そんな男に対し、オーク鬼達は憎悪を剥き出しにした。
いかに発達した大脳皮質を持っているとはいえ、オーク鬼達に、腹の底から込み上がる怒りの感情を制御出来るほどの高度な理性は芽生えていなかった。
彼らは仲間達を殺した目の前の敵を八つ裂きにし、食べることに執念を燃やした。
そして、惨劇が始まった。
オーク鬼達にとっての。
追い詰められた男は、何を思ったか、目深に被っていた帽子に着いた羽飾りを手に取った。
ルーンを唱えるでもなく、無言で振るう。
オーク鬼達は、まだ魔法が使えたか、と警戒の姿勢を取った。
すると、男の目の前に、濃いマーブル模様の、鏡のような“何か”が出現した。楕円形の、高さ三メートル、横幅は最大で二メートルはあろう、巨大な“何か”だった。厚みはなく、よく見ればほんの僅かに宙に浮いていた。
オーク鬼達は初めて、それが何なのか分からず、興味を引かれた。
はたしてあれは、自分達に害をなすものなのか、そうではないのか。
そのうち一体のオーク鬼が鏡のような“何か”に近付いていった。
直後、マーブル模様の鏡面から、何かが飛び出してきた。
黒い影。
獣の影。
高速で飛び出した影は、これまでにオーク鬼達が見たことも聞いたこともない、獣だった。
一言でその姿を言い表すのならば、猟犬の体格をしたワニ。目に該当する器官が外部に見られず、舌が異様に長い。大きな上顎と下顎の間から、完全にはみ出ていた。ダークブルーの歯茎には、熊の爪のような鋭い犬歯が並んでいる。四肢と腹、そして尻尾はブラウンの短毛に覆われていたが、背中と頭は、爬虫類の鱗が、びっしり、と覆っていた。太い首には鉄製のバングル。首輪は鎖と繋がっており、チェーンは鏡面へと伸びていた。
およそ自然界ではありえるはずのない形状、ありえるはずのない進化の形。
少なくともオーク鬼達の生息域に、このような動物はいない。
鏡のような何かに近付いたオーク鬼は、本能的に危険を察知したか、踵を返し、退こうとした。
しかし、鏡の中から現われた奇怪な獣の方が、一瞬、速かった。
しなやかな後ろ足が軽やかに地面を蹴ったかと思った次の瞬間、件のオーク鬼の頭部がもぎ取られた。
犬のようなワニの顎に、丸呑みされたのだ。
着地と同時に、奇獣の首輪の鎖が地面をのた打った。
「……ティンダロス、思う存分、暴れてやれ」
男が酷薄に冷笑を浮かべ、呟いた。
ティンダロスと呼ばれた奇獣が、奇怪な唸り声を発した。
ワニの顎が牙を剥き、犬の手足が爪を立てた。
ティンダロスの動きは素早かった。
鉄の鎖は鏡面の中から如何様にも伸び、その俊敏な動きを妨げることは一切なかった。
オーク鬼達は必死に反撃したが、彼らの棍棒は空振りするばかりで、逆にティンダロスは確実に彼らの急所に喰らいついた。
シクレー集団のオス達の数が、徐々に減っていく。
このままでは埒が明かないとばかりに、何体かのオーク鬼がティンダロスではなく男の方を狙った。
あの奇獣は男の言葉に反応して動いている。ならば、あの男を先に殺してしまえ。頭を潰そうとするオーク鬼達の判断は正しかった。
「……出ろ、ポリュペモス」
男がまた羽飾りを振って呟いた。
直後、男の眼前に第二の鏡のような“何か”が出現した。マーブル模様の鏡面は変わらない。楕円形なのも変わらない。しかし、ティンダロスを生み出したものよりも、はるかに大きい。高さは六メートル、幅は最大で四メートルはあった。
また、鏡面から何かが飛び出した。
敏捷なティンダロスとは違い、のしのし、と地面を叩きながら、巨体がオーク鬼達の前に立ちはだかった。
岩のようにごつごつとした体表。五メートルはあろう巨躯。二足歩行のシルエットは人間よりもはるかに大柄で、特に上腕の筋肉が発達している様子だった。一つ目、そして頭部に生えた一本角。胸から下腹にかけては剛毛が覆っているが、巨大な男根を隠しきれていない。
太い首はやはり鉄のバングルが嵌められている。首輪には鎖が繋いであり、やはり鎖もマーブル模様の鏡面の中から伸びていた。
現われた巨人を、オーク鬼達は知っていた。
人間達がサイクロプスと呼ぶ一つ目の巨人。
自分達よりもはるかに大柄で、強大な力を持ち、聡明な頭脳を持っている。繁殖能力が低いため数は少ないが、その分、寿命が長い。自分達とは基本的に生息域を異とするため、直接戦ったことはないが、現存する陸上動物の中では最強クラスとされていた。
サイクロプスがなぜここに?
突然の一つ目巨人の出現に、オーク鬼達は怯んだ。
サイクロプスの平均的な大きさは体長が四・五メートル、体重が一・三トンだが、目の前の巨人は一回り以上大きい。おそらく体重は、一・七トンはあろう。三〇〇キロの自分達など、あの丸太のような腕を一当てされただけで吹っ飛んでしまう。
オーク鬼達の抱いた危惧は、次の瞬間、現実のものとなった。
男に直接襲いかかろうとしたオーク鬼、計八体が、あっという間に叩きのめされた。
サイクロプスは続いてティンダロスとともに、他のオーク鬼達にも襲いかかった。
パワーのサイクロプス。
スピードのティンダロス。
最初に男が倒した分も含めて、オーク鬼達の損害は一〇〇体近くになろうとしていた。
そんな時、一体の若いオーク鬼が果敢にも単独でサイクロプスに襲い掛かった。
そのオーク鬼は、シクレー集団内でも次代のボスは確実と期待される若い戦士だった。身の丈は他のオーク鬼より抜きん出た約三メートル、体重は約一トン。力だけでなく知恵も回り、何より勇気があった。
若いオーク鬼は咆哮を上げながら棍棒を振り回した。
直径五十センチはあろう巨大な棍棒の一撃が、サイクロプスの胸板を打った。
一つ目の巨人はよろめいたが、致命打ではなかった。
しかしその後も、若いオーク鬼は諦めることなく何度も棍棒でサイクロプスを打った。
サイクロプスも反撃する。
若いオーク鬼の腹に、巨大な鉄拳が叩き込まれる。
オーク鬼の戦士は悲鳴を上げたが、膝を着いたり、退いたりすることはなかった。
彼は、負けてなるものか、とばかりに、なおも棍棒を振るった。
「ほぅ……」
その光景を眺めながら、男は口元に好色な笑みを浮かべた。
まるで自分好みの美女を見つけたかのような眼差しが、若いオーク鬼を射抜く。
やがて男は、羽飾りを手に呟いた。
「なかなかやるな、あのオーク鬼……ふむ。私の手駒に、相応しい」
男が、羽飾りを振るった。
また新たな鏡が出現した。
今度の鏡は、サイクロプスを召喚したものよりもなお巨大だ。高さは十メートル近くある。
「出てこい、スー……あのオーク鬼を、私のもとへ」
男の唇が、ニヤリと歪んだ。
次の瞬間、第三の鏡から、また第三の獣が現われた。
それは――――――
それは、巨大な――――――
・
・
・
男が、シクレー集団のテリトリーに侵入して五時間後。
激戦を制した男は、巨大な屍が周りを取り囲む中、若いオーク鬼と向き合っていた。
血まみれのオーク鬼は、手足を引き裂かれ、抵抗する力を失ってなお、爛々とした眼光に強い敵意を宿し、男を見つめていた。
男は、そんなオーク鬼の態度がむしろ嬉しいのか、上品に微笑みながら、呟く。
「……永遠神剣第七位〈隷属〉が主、ジャン・ジャックが命じる。〈隷属〉が五本の鉄の鎖よ、この者をわが第五の獣とせよ」
男の目の前に、また鏡のような何かが出現した。
今度は、獣は飛び出さなかった。
その代わり、飛び出したのは鎖だった。
鉄の、太い鎖が、瀕死のオーク鬼の体に絡みつく。
もはやもがく力も失ったオーク鬼は、黙ってその陵辱を受け入れるしかない。
男が、また酷薄に微笑んだ。
「これからお前は、私の僕だ。名前を考えないといけないな。……そうだ」
しばしの熟考の末、男は手を叩いた。
鉄の鎖が、オーク鬼の首を絞める。
オーク鬼の口からくぐもった呻き声が漏れた次の瞬間、太い首に絡みつく鎖が、発光し始めた。
「お前の名前は、今日からブレイバーだ。……勇ましき者、お前にぴったりの名だ」
オーク鬼の首に巻きついた鎖が、発光を止めた。
するとそこには、鉄のチェーンはなく、鉄の鎖を繋いだ、太いバングルがあった。
永遠のアセリアAnother
× ゼロの使い魔クロスオーバー
ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃
EPISODE:22「連絡」
あの破壊の杖事件から二週間ほど経ったある日の朝。
今日も今日とて使い魔の才人を連れてルイズが教室に赴くと、最初にやって来た教員は、ミスタ・ギトーだった。
長い黒髪。漆黒のマント。全身黒尽くめの容姿の中で、唯一白人らしい白い肌が異彩を放っている。
ルイズの命令で椅子を与えられていない才人は、床の上で胡坐を掻きながら、「なんか不気味な先生だ」と、呟いた。
「……ハリー・ポッターでいうところのスネイプ先生だな、きっと」
続く独り言は昔読んだファンタジー小説の登場人物になぞらえた発言。生徒に人気のなさそうな雰囲気も、あの魔法使いの先生と共通しているように思われた。もっとも、ハリー・ポッターのスネイプ先生は出番が多かったが、この先生の出番は少なそうだ。なんというかこう……僅かに二巻で、レギュラー落ちしそうな気配が、ぷんぷん、漂っている。
「……いったい何の話よ?」
ルイズは小声で才人をたしなめた。
出番とか、レギュラー落ちとか、さっぱり分からない。分からないことにしておこう。そうしないと、何か嫌な予感がした。
ミスタ・ギトーの登場とともに、それまでおしゃべりに夢中だった生徒達は一斉に席に着いた。
ミスタ・ギトーが、教壇に立つ。
「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は“疾風”。疾風のギトーだ」
教室中が、しーん、とした雰囲気に包まれた。
その様子を満足げに見つめ、ギトーは言葉を続けた。
「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」
ギトーは後ろから三番目の席に座るキュルケを見て言った。
キュルケは面倒臭そうに答える。他の多くの生徒と同様、彼女もまたこの教員のことを嫌っていた。
「“虚無”じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」
いちいち引っかかる言い方に、キュルケはかちんときた。
「“火”に決まってますわ。ミスタ・ギトー」
キュルケは不敵な笑みを浮かべて言い放った。
険を帯びたその表情すら妖艶に映じる当たり、この女は天性の役者だ、と才人は思った。
ミスタ・ギトーもまた不敵に冷笑を浮かべた。
「ほほう。どうしてそう思うね?」
「すべてを燃やしつくせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」
「残念ながらそうではない」
ギトーは腰に差した杖を引き抜くと、言い放った。
「試しに、この私に君の得意な”火”の魔法をぶつけてきたまえ」
好戦的な発言。
キュルケはぎょっとして、ミスタ・ギトーの顔を見つめた。
いきなり、この先生は何を言うのか。
「どうしたね? きみは確か、“火”系統が得意なのではなかったかな?」
明らかな挑発。
キュルケは目を細めて言う。
「火傷じゃすみませんわよ?」
「かまわん。本気できたまえ。その、有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」
キュルケの顔から、いつもの相手を小ばかにしたような笑みが消えた。
家名への侮辱は貴族にとって最大の屈辱だ。家名とは、己個人の誇りではない。自身のみならず、先祖代々が築き上げた栄光の証、苦難の道程を意味する。ミスタ・ギトーの発言は、キュルケの血に脈々と宿る、先祖達の歴史への無礼に他ならなかった。
キュルケは胸の谷間から杖を抜いた。
炎のような赤毛が、ぶわっ、と熱したようにざわめき、逆立った。
杖を振る。目の前に差し出した右手の上に、小さな炎の球が現われる。ファイヤボール。しかしキュルケがなおも呪文を詠唱すると、その球は次第に膨張し、やがて直径一メートルほどの大きさにもなった。
“火”と“火”の、フレイムボール。
その威力は、小火球ファイヤボールの比ではない。
とばっちりを恐れた生徒達が、慌てて机の下に隠れた。
キュルケは手首を回転させた後、右手を胸元に引き付け、炎の球を押し出した。
唸りを上げて、ミスタ・ギトーに真っ直ぐ向かっていく。
黒衣のメイジは、飛来する炎の球を避ける仕草も見せずに、杖を振った。
瞬間、烈風が舞い上がった。
一瞬にして炎の球が掻き消え、その向こうにいたキュルケを、疾風がきりもみした。
圧倒的な暴風に飲み込まれ、キュルケの身体が宙に舞う。
あわや教室の壁に激突! ……という寸前、
「よっ、と」
小さな台風さながらの烈風が吹きすさぶ教室の中を、背中に背負ったデルフリンガーの柄を掴んだ才人が、駆け抜けた。
一瞬でキュルケの背後へと回り込むや、彼女の背中を受け止めた。
「大丈夫か?」
「ありがとう、ダーリン」
キュルケは十人男がいたら十人とも相好を崩すこと間違いない微笑を浮かべ、背後の才人を見上げた。
そんな二人の様子を、ルイズは不満気に見つめた。因縁のツェルプストー家の女が自分の使い魔に色目を使っていることが、彼女には腹立たしかった。
ミスタ・ギトーは才人達を無視して、悠然と言い放った。
「諸君、これで分かったろう? “風”はすべてを薙ぎ払う。“火”も、“水”も、“土”も、風の前では立つことすら出来ない。残念ながら試したことはないが、“虚無”さえ吹き飛ばすだろう。それが“風”だ。目に見えぬ“風”は、見えずとも諸君らを守る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となる。さあ、諸君、私の後に続けたまえ。最強の系統、それすなわち、“風”である!」
「……や、最強は“水”でしょう」
その時、ミスタ・ギトーの言葉に続くようにして、野太い男の声が教室に響いた。
全員が、声のした方に視線を向ける。
音もなく静かに教室の扉を開けて、柳也が立っていた。
その隣に、ミス・ロングビルが立っている。
破壊の杖事件の際に使い魔契約を交わした二人の関係は、事件の詳細を知らない大多数の学院関係者には、柳也がミス・ロングビルの補佐役に任命された、と説明されていた。無論、これは柳也とミス・ロングビルが常に一緒にいても不審がられぬようにするための措置で、事件から二週間、生徒達はすっかり二人が並んでいる光景に慣れてしまっていた。
「ミスタ・ギトー、授業中失礼します」
ミス・ロングビルは凛とした美貌に柔和な笑みを浮かべ、恭しく一礼して教室に入室した。
「実は先ほど、急な連絡事項が出来まして」
「能書きはよろしい。ミス・ロングビル」
授業を中断され、その上自らの論を真っ向から否定されたミスタ・ギトーは、ミス・ロングビルではなく柳也を睨みつけながら、不機嫌そうに言った。
「用件だけを、手短にお願いしたい」
「分かりました。では……」
ミス・ロングビルは教壇に立つと、怪訝な面持ちの生徒達を見た。
「皆さん、本日はトリスティン魔法学院にとって、よき日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、おめでたい日です。
恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見……我がトリスティンがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニア御訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」
ミス・ロングビルの発言に、教室がざわめいた。
魔法学院が誇る有能な美人秘書は、動じず続ける。
「したがって、殿下に粗相があってはなりません。急なことですが、いまから歓迎式典の準備を行います。そのため、本日の授業はすべて中止。生徒の皆さんは正装し、門に整列してください」
生徒達は緊張した面持ちになると、一斉に頷いた。
才人だけが、話についていけず、ぽかん、としていた。
ミスタ・ギトーは、相変わらず、むっ、とした様子で柳也を睨んでいる。
「連絡事項は以上です。……皆さんが立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですよ? 御覚えがよくなるように、ちゃんと杖を磨いておくこと」
ミス・ロングビルは上品に微笑んで言った。
柳也は苦笑をこぼした。彼女の正体どころかベッドの上での反応まで知っている彼としては、違和感のある笑みだった。
通達事項を言い終えたミス・ロングビルは、ミスタ・ギトーに一礼して、「では、私たちは次の教室へ」と、言った。
彼女の後に、柳也も続く。
しかしその背中に、制止の声がかかった。
「待ちたまえ」
柳也とミス・ロングビルは同時に振り返った。
ミスタ・ギトーが、険を帯びた表情で柳也を見た。
「そこの平民、貴様はいま、最強の系統は“水”だと言ったが……なぜ、そう思った?」
「至極簡単な理由ですよ」
柳也は向けられた憤怒の眼差しを、愛想笑いで受け止めた。
「人間は、水がなければ生きてはいけませんから。……何かを壊す力と、何かを生かす力。何かを生かすっていうのは、何かを壊すよりも、何倍もエネルギーを使いますから」
「だから、“水”が最強です」と、柳也は微笑んで言った。
口元に浮かべた微笑には、何かを壊すことしか出来ない自分への、自嘲が含まれていた。
◇
三学年すべての教室を回った柳也とミス・ロングビルは、二人だけで人気のないヴェストリ広場へと向かった。
その道すがら、すれ違う者はみな魔法学院の正門を目指し、やがて来る姫殿下の到着を心待ちにしている様子だった。
「……あんたは行かないのかい?」
ヴェストリ広場で二人きりになったミス・ロングビル……いや、マチルダは、地の口調で柳也に訊ねた。
対する柳也は、彼女の方を見ず、「興味はあるが……やめておく」と、答えた。
その手には自らの稽古用に用意した、特別製の木刀が握られている。中に鉄の棒を埋め込んだ、重量四キログラムにもなる木剣だった。
どうやらこれから、鍛錬にいそしむつもりのようだ。
「前にいた世界でのトラウマでな。王族に関わると、ロクなことがなかったんだ。王室なんてものとは、出来ることなら一切関わりを持ちたくない。遠巻きに見るだけ、ってのも遠慮したい。その時間は、鍛錬しているよ。
……そう言うマチルダは、行かなくていいのか? 平民の俺はいいとして、一応、学院の職員のお前さんは、出迎える義務があるだろう?」
「あたしも昔の経験さ」
マチルダはぶっきらぼうな口調で言った。
「べつに、トリスティンの王族には恨みなんてないんだけどね。……王族ってだけで、嫌気がするんだよ」
「……“白の国”、アルビオンだったか? お前さんの家名を辱めたのは?」
柳也の確認に、マチルダは忌々しげに頷いた。
メイジのマチルダがどうして盗賊などをやっていたのか。柳也は彼女と最初に寝たその日に、答えを聞いていた。それなりの地位にあったサウスゴータの家。王家の名の下に、家名を辱めたアルビオンの王室。彼女の父は自殺に追いやられ、サウスゴータの家は没落した。家族は引き裂かれ、マチルダは、生きていくためにその魔法の力を盗賊稼業に使わねばならなくなった。
「王族の連中に媚を売らなきゃならないのなら、あんたの稽古に付き合っていた方がましさ」
「……ウレーシェ」
「……何だい、それ?」
「俺の元いた世界の言葉で、ありがとう、って意味だよ。付き合ってくれて、ありがとう」
柳也は微笑んで、木刀を上段に構えた。四キロの木刀は重いが、かつては二〇キロの振棒を一日に千本素振りしていた柳也にはだいぶ物足りない。
しかし、異世界にやって来て一ヶ月未満、好きなように稽古具が手に入る段階では、まだなかった。
いまあるものを使って、鍛錬するしかない。
柳也は黙々と素振りを繰り返した。
十本。
五十本。
百本。
二百本を超えた辺りから、玉のような汗が飛び散った。
ちょうど五百本を数えた時、正門の方から、歓声が聞こえてきた。
<あとがき>
ふはははは、上手いこと文章が進まなかったぞ!
よって、お姫様登場は次回! ……チクショー。
はい。どうもおはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。
今回も、ゼロ魔刃、EPISODE:22をお読み頂きありがとうございました。
今回の話はいかがだったでしょう……って、訊くまでもないですね。すいません。
前回のあとがきで書いたように、今回、オーク鬼の生態描写に力を入れたんですが……力入れすぎて、アンリエッタの出番を奪う羽目に!
なんということだ! 今回、男分が多すぎる! ゼロ魔の二次なのに! っていうか、オスが多い!
次回は……次回こそはぁ……!
・
・
・
というわけで、 次回もお読みいただければ、幸いです。
ではでは〜
<今回の強敵ファイル>
オーク鬼
柳也を基準とした戦闘力
攻撃力 | 防御力 | 戦闘技術 | 機動力 | 知能 | 特殊能力 |
C | D | D | C | D | E |
主な攻撃:肉弾戦、棍棒
特殊能力:なし
ファンタジー小説はお馴染みの幻想動物。豚、あるいは猪の頭を持った亜人で、本作に登場したのは猪タイプ(原作は豚タイプだったが……個人的に猪タイプの方が好きなんで)。柳也達とは直接戦っていないが、五十年に渡ってパドガレーの森を死守し、謎の男に襲い掛かった。
優れた運動能力と、持って生まれた巨体、高い知性に加え、集団での行動にも慣れているという、とんでもない相手。その最大の武器は、やはり発達した知性で、パドガレーの森を長らく死守していたことからも、その能力の高さが窺える。
しかし、今回の敵はあまりにも悪すぎた。
原作では:原作では第三巻に初登場。本作におけるオークの生態描写は、まず原作における描写を基にしている。棍棒や獣の皮を剥いだ服など道具を扱っていることからも相当の知性を持った動物と考えられ、才人達と戦った時も、タバサとキュルケの奇襲攻撃からすぐに立ち直った。ハルケギニアでは相当に強い存在と推測される。しかし、本作同様、原作でも相手が悪すぎた。
新たな神剣の登場。
美姫 「第五の獣という事は少なくとも五体居るって事よね」
五本の鎖とあるから、最大数も五かもしれないな。
美姫 「だとしたら、まだ二体ばかりが分からないのね。
うち一体は更に巨大な可能性があるしな。
どちらにせよ、そう簡単にはいきそうもない感じだな。
美姫 「一体どうなるのかしらね」
そんな気になる次回は……。
美姫 「続けてすぐ!」