注)本作はタハ乱暴著『永遠のアセリアAnother』と『仮面ライダー電王』のクロスオーバーです。作中には『永遠のアセリアAnother』の登場人物が出演しますので、最低、同作のEPISODE:01を読んでおくことをお勧めします。基本的にEPISODE:02以降に登場するキャラは出てきませんので、その点はご安心を。
これまでの仮面ライダー夢王は!
「一球入魂っ! ジャイロボゥゥゥルゥゥゥゥッッ!!」
「今夜は屋台といわず、一緒にホテルにでも……」
「……その道の玄人から愛の告白された」
「あんたの望みを言ってごっ……」
「悪霊退散!」
「こちらも契約者の望みでな。わが親愛なる主は、この男が、『痛い』と無様に泣き叫ぶ姿が見たいらしい。……恨むなら、その男を契約者に選んだ、貴様自身を恨むんだな」
「何度言われりゃ気が済むんだ? 日本語話せ」
「正直な奴だな。でも、好きだぜ、そういうの」
「いいわぁ。すごくいい。爛々と光った凶悪な目つき。見ているだけでイッちゃいそうになるくらいよ」
「……本物の、戦艦大和が見たい! これでどうだ?」
「あたし、参上よん♪」
「あたしの必殺技、ラブ・ジェネシス・ストライク!」
「仰せのままに、マイ・マスター」
――二〇〇七年五月十一日、午前六時三分。
目が、覚めた。
意識を取り戻した桜坂柳也が最初に見たものは、見知った、しかし出来ることならばあまり見慣れたいとは思えない天井だった。
近所の市民病院。外科病棟の個室。剣術の鍛錬で何度も怪我をしては世話になった、馴染みの場所だ。
ベッドに仰向けに寝ていた柳也は、首だけを動かして辺りに視線を巡らせる。
状況が上手くつかめない。
記憶は、あの川原で怪物に襲われ、自らにも怪物が取り憑いて、それが実体化なる現象を起こしたところまでは憶えている。
あれからいったいどうなったのか。いたいいまは何時なのか。なぜ、自分は病院にいるのか。自分の負った怪我は、いったいどの程度のものなのか。見たところすでに適切な処置を済ませた後で、痛みもそれほど残っていないが、後遺症は大丈夫なのか。
【怪我のことなら心配いらないわ】
不意に、声が聞こえた。
空気の振動音が鼓膜を叩いたというよりは、頭の中に、直接響いてくるかの声。そう聞き慣れた声ではないが、記憶の中にある声だ。それもごくごく最近の記憶の中。
きょろきょろ、と見回してみるも、病室に人影はない。それどころか、人の気配そのものが感じられない。
不信に思っていると、くすくす、と、柳也の様子を面白がるかのように笑い声が聞こえてきた。
【ここよ。あんたの中】
「俺の、中……?」
頭の中に響く声に、茫然と呟き返す。わざわざ口に出して言ってみたのは、声帯が正常に機能しているかどうかの確認のためだ。
どうやらコミュニケーション・ツールの不足に悩まされる心配はなさそうだった。
【そうよ。あんたの中。あたしはあんたの中……正確には、あんたの記憶の中にいるんだけど……。あたしのことは、憶えてる?】
「……ああ」
柳也はゆっくりと頷いた。
本音を言えばその声が誰のものなのかすっかり忘れていたが、男らしく、重低音を孕んだ野太い声で紡がれる女口調のおかげで一気に思い出した。
「そりゃ、忘れたくてもちょいと忘れられない思い出だ」
柳也は静かに息を吸って、溜め息をつく。肺の動きは正常だ。思いっきり息を吸ってみても、痛みはないし、息苦しい印象もない。
「いくつか質問があるが、とりあえずまず、何時間経った、化け物?」
【十二時間ちょっと、ってところね。昨日の夕方から意識を失って、もう朝よ?】
言われてブラインドカーテンが下ろされた窓の方を振り向くと、僅かな隙間から透明な朝の日差しが漏れ出ている。
ついで、柳也は時計を探した。左手首に父の形見の腕時計が巻かれていないことは、すぐに気付いた。
ベッドの隣に設けられた冷蔵庫の上に目線をやると、探し物の時計はすぐに見つかった。
ゆっくりと右腕を伸ばして、自動巻きの腕時計を手に取る。その際、肩に走った痛烈な痛みが、これが夢でないことを教えてくれた。
手に取った時計に、目線を落とす。
時刻は午前六時。柳也のいつもの起床時間より、やや遅いくらいか。
柳也は形見の腕時計を本来の定位置に戻すと、小さく唇を開いた。
「約束は、憶えているよな? 話してもらうぞ、お前達のこと。実体化とか、契約のこととか、イマジンのこととか……けど、その前に」
柳也は瞑目すると、向かってベッドの右側に置かれたパイプ椅子に目線をやった。
ビニール革の腰掛けの部分には、先刻まで誰かが座っていたと思われる尻の跡がくっきり残っている。
「……実体化、だったか? 姿を見せてくれ。姿の見えない奴と話すのは、ちょっと恐い」
【仰せのままに、マイ・マスター】
声が聞こえてから、瞬きを一回。
再び瞼を開いた時、空席のパイプ椅子には、ムササビの怪物が座っていた。
時間の波を乗りこなせ
今すぐにダイビング この海の底
果てなどないさ いざ飛び込め Climax Jump !
いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん?!
いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん?!
叶えたい夢があるから 信じてる 自分だけの剣
Catch the wave 迷うことを恐れないで 明日へ向かって走り抜け
俺とお前の未来 もう In my hands
始まりはいつも突然 どうせなら楽しめよ Time tripin'ride
可能不可能 関係ないさ Climax
この出会いはすべて抱き締めて 忘れないよう鍵をかけておこう
時間も夢も この手の中に…… Claimax Jump !
いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん?!
いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん?!
いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん?!
いーじゃん! いーじゃん! スゲーじゃん?!
仮面ライダー夢王
EPISODE:02「もう、真っ昼間から、卑猥なんだからん」
――二〇〇七年五月十一日、午前六時八分。
ムササビの怪人がパイプ椅子に座ったことを確認して、柳也は口を開いた。
「……まず、お前達のことを聞かせろ。お前達はそもそもいったい何だ? どこから来た?」
「あたし達がやって来たのは、こことは違う時間軸。ここから少しだけ先の、未来の時間」
「未来、だと? じゃあ、お前達は時間を越えてやって来たというのか? お前達は、いわゆる、タイム・トラベラーなのか?」
柳也は茫然としながらも、矢継ぎ早に質問を投げかけた。
ミリタリー・オタクの柳也は、同時にSF好きでもある。SFとミリタリーは切っても切れない関係にある。SF作品に登場する科学技術以外にも、タイム・パラドクスやパラレル・ワールド、ワームホールといった単語の意味を、すぐに理解出来るだけの教養が彼にはあった。
「タイム・トラベラー……そういう呼び方もあるわ」
ムササビの怪物は小さく肩をすくめて言った。
「でも、あたし達自身は、自分のことをイマジンって呼んでいる」
「イマジン?」
「そう。あたし達は時間を越える際に、肉体を捨てているの」
怪物の説明は、簡潔にいえばこうだった。
昨日遭遇したドッグイマジンや、ムササビの怪人達は、未来から来たといっても、自由な時間移動が可能なほど高度な科学力を持った時代の住人ではないらしい。そんな彼らが時間を越えるためには、肉体を捨て去り、純粋なエネルギー体になる必要があったという。
「エネルギー体……あの人魂みたいな姿のことか?」
「そうよ。あんた、一応義務教育は終わっているんでしょ? だったら理解出来るわよね? あらゆる物質には固体、液体、気体の三形態がある。一般に物体は固体から気体へ近付くに連れてエネルギー量を増大させる」
「……そして気体の先には、物質の第四形態ともいえるプラズマ形態がある。プラズマは核融合の炎。そのエネルギーは、惑星の活動すら支えるだけの出力がある。……なるほど、それだけのエネルギーならば、時間を越えられるかもしれないな」
「ええ。事実、あたし達はそうやって時間を越えた」
「肉体を捨てて、か。……もしかして、実体化というのは?」
「頭の回転が速くて助かるわん。そうよ。実体化は、あたし達がこの時代に来るために失った、肉体の代わりを得ることなの」
エネルギー体となることで時間移動さえ可能にしたイマジン達は、しかし、肉体を持たないがゆえにその行動に多くの制限を受ける。
そこでイマジン達は新たな活動の器を得るために、実体化を行う。
そしてそのために必要な措置として、イマジン達はこの時代の人間に取り憑くのだ。
「人間に取り憑いたイマジンは、その人の記憶を読み取るの。そして、その人の記憶の中にあるイメージを使って、新しい肉体を構築する。それが実体化」
「……そんな歌があったな。イマジネーションの怪物。だからイマジンか。言葉のわりには、SF要素が強すぎる」
「あら? でも、嫌いじゃないって顔をしているわよ?」
「まぁな。SFは、読んでいる分には楽しい。『宇宙の戦士』とか、『二〇〇一年宇宙の旅』とかは、好きだ」
柳也は複雑な顔をすると、「次の質問だ」と、口を開いた。
「お前達イマジンの正体については、よく分かった。次に聞きたいのは、契約についてだ。お前はいま、人間に取り憑いて、その記憶の中にあるイメージを元に実体化する、と言ったが、俺に取り憑いた時、すぐには実体化しなかったな? 実体化するためには、契約を交わす必要がある、みたいなことを言っていたが……」
「契約は、文字通りの契約よ。あたし達イマジンは、取り憑いた人間の願いを一つだけ叶えてあげると約束することで、初めて肉体を得られるの。願い事は何だっていい。あんたが言っていた……戦艦大和、だったかしら? それを見たいっていうのでもいいし、次のテストで百点を取らせろ、っていうのでもいい。契約が成立するとイマジンは新たに得た肉体を使って、契約者の望みを叶えようとするのよ」
「あの犬の怪物も言っていたな。たしか、浩二さんが、俺が痛いと泣き叫んでいる姿を見たいとか、なんとか。……そういえば、代償がどうとかも、言っていた気がするが?」
「ええ。イマジンは、契約者の願いを叶えてあげる代わりに、契約者からある代価を貰うの」
「……まさか、命、とか?」
柳也は恐る恐る訊ねた。
自分はもう、目の前の怪物とその契約とやらを交わしてしまっている。もし契約の代価が命だとしたら、自分は願いを叶えると同時に死ぬことになる。
「違うわよ」
ムササビの怪物は、失礼な、とばかりに唇を尖らせた。
「イマジンはそんな野蛮な存在じゃないわ。契約の代償はたった一つよ。それは……」
ムササビの怪物が続けようとしたその時、廊下の方から足音が聞こえた。数は一つ。どうやらこの病室に向かってくるところのようだ。
医師か、それとも看護師か。どちらにせよ、この光景を第三者に見られるのははなはだ不味い。病院に未確認生命体が出た、と通報されでもしたら、洒落にならない。
「……この続きは、また後でしましょうか」
ムササビの怪物は声をひそめて言った。
その言葉に、柳也も賛意を示す。
「そうだな。……最後に一つだけ聞かせろ。どうして、お前は俺を選んだ? 取り憑く先なら、他にもたくさん居ただろう?」
柳也はやはり声をひそめてムササビの怪物に訊ねた。
怪物は、くすり、と笑って、
「一目惚れしたのよ。あんたの眼にね」
と、なかなかに背筋が寒くなる呟きをこぼした。
病室のドアが、開いた。
◇
――二〇〇七年五月十一日、午前六時二一分。
三回のノックの後、病室を訪ねたのは医師でも看護師でもなく、柳也にとって予想外の人物だった。
いまは亡き彼の父・桜坂雪彦の友人であり、しらかば学園の園長を務める柊慎二だ。
柳也にとって第二の父ともいえる男の登場は、彼に驚きを与えた。
「やぁ、起きていたのか」
「柊園長……いったいどうして……?」
朝一番に見慣れた人物と会った柳也は、軽い混乱に陥った。
なぜ、ここに柊園長がいるのか。なぜ、柊園長は自分が病院に運ばれたことを知っているのか。
頭の中で湧き上がる疑問の数々に、はたして、柊園長は一つの回答を携えて答える。
「簡単なことだよ。救急車を呼んだのが、僕だったからさ」
「柊園長が……?」
柳也は恐る恐るといった様子で、パイプ椅子に座った柊園長を見上げた。
救急車を呼んでくれたということは、柊園長はあの川原に立ち寄ったことを意味している。もしかして、ドッグイマジンとの戦いを目撃されてしまったか。
柊園長は元警察官、中途半端な嘘や誤魔化しはすぐに見破られてしまうだろう。もし、チラリ、とでもドッグイマジンの姿を見ていたとしたら、言い訳のしようがない。
胸の奥から込み上げてきた不安は、柊園長を危険な事態に巻き込みたくないという思いの上に成立している。
うなじを濡らす冷や汗の不快な感触を自覚しつつ、柳也はその時の状況について訊ねた。
「毎朝の君と同じさ。川原を走っていたら、君が倒れていてね。もう、慌ててしまったよ」
起きたばかりの自分を気遣ってか、柊園長は穏やかな口調で笑った。どうやら柊園長が川原に立ち寄った時点で、自分はすでに意識を失っていたらしい。だとすればドッグイマジンの姿は目撃していないはず。これは好都合だ。
「喧嘩でもしていたのかい? やけに出血していたけど」
柊園長は心配そうに自分を見つめた。
どうやら彼は、自分が何か厄介ごとに巻き込まれて、その果てに意識を失ったと想像しているようだ。
柊園長のことを信頼していないわけではないが、イマジンのことや、契約のことを正直に話したとしても、信じてもらえる公算はかなり低い。下手を打てば精神病院に送られかねないほどの荒唐無稽な話なのだ。ここはいっそ、その思い込みを利用するべきだろう。
「まぁ、そんなところです……いやぁ、ボロ負けでしたよ」
首肯して、力なく苦笑すると、元警察官の柊園長は複雑な表情を浮かべた。
「柳也君ももう大人だし、当人同士の問題だからあまり口を酸っぱくしたくないが……暴力以外の方法で、解決出来ないような事態だったのかい?」
「はい。残念ながら」
「そうか。相手は何人だった?」
「二十人ちょい……ですかね? 学校帰りの無防備なところを、武器持った連中にやられました」
やや大袈裟な数字を告げてみる。とはいえ、柳也にとってこの二十人という数字は現実味の薄いものではなかった。
四、五人が相手ならば、よほどの実力者か、銃器で武装でもしていない限り、無手でも打ち破るだけの実力が柳也にはある。過去に近所の不良連中と演じた立ち回りでは、鉄パイプや木刀、金属バット、特殊警棒、ナイフなどで武装した七人を翻弄したこともあった。
それだけに、二十人に襲撃されて気を失った、という柳也の嘘には、一定の信憑性が含まれていた。
「さすがの君も、二十人を一度に相手取ることは出来なかったか」
柊園長は深々と溜め息をついた。ちなみに彼自身は三十代の頃、木刀一振を携えて暴力団の組員三十人ばかりを打ち倒した伝説を持っている。
「三十人は嘘だよ」
その話を持ち出される度に、柊園長は苦笑してそう言った。そして、決まってこう続ける。
「本当は、四五人だった」
「ところで、園長はなんであんな時間に川原に?」
孤児院しらかば学園の園長を務める柊は多忙な毎日を送っている。その彼が、用もなく川原へ足を運ぶとは考えにくいが。
柊園長は「それなんだが……」と、切り出した。
「僕が川原に居たのは、柳也君に会うためだったんだ」
「俺に、ですか?」
「うん。実は最近、雪彦さんの遺品の整理をしていてね」
柳也の亡き父・桜坂雪彦は生前、自分に万が一のことがあった場合に備えて、息子が成人するまでの間、自宅を始めとする財産の管理を信頼する何人かに任せるよう遺言状を書いていた。その彼が交通事故で死亡したとき、柳也はまだ幼く、その財産を管理する術を持たなかった。そこで雪彦の遺産は、監督人の一人だった柊に、一部預けられたのである。
「成人までは至っていないが、柳也君ももう、物事の分別のつけられる大人だからね。いまの時点で何か渡せる物がないか、遺品を整理していたんだ。そうしたら、これが見つかってね」
柊園長はそう言うと、懐から長方形の箱を取り出した。文庫本一冊程度の大きさで、持ってみると意外に重い。
柳也は柊園長に確認した上で、箱を開けた。
「これは……?」
柳也は怪訝な表情を浮かべた。文庫本大の箱に収められていたのは、同じく文庫本大の長方形型のケースだった。二つ折りに畳むタイプで、やけに重厚な造りをしている。ベースカラーは黒。どうやらパスケースのようだが。
柳也は柊園長を見る。
「僕にもよく分からないんだ。見た目からしてパスケースのようだけど、それにしてはちょっとゴツイ造りだしね。生前、雪彦さんがこれを持っていたところも見ていない。……柳也君は?」
「俺も、見覚えはありません。けど……」
柳也は莞爾と笑って柊園長を見上げた。
「ありがたく頂戴します。嬉しいですよ。これを渡してくれたってことは、柊園長から少しは認めてもらえたってことですからね」
柊慎二は実の父以上に、多くの時間を共有してきた第二の父親だ。その彼が、実父の遺品を託してくれたということは、それに見合うだけの成長をしたと、彼自身が認めてくれたからに他ならない。
託されたのは用途不明のパスケース。
しかし父の遺品を、柊が自分に渡してくれたという事実が、柳也には何より嬉しかった。
◇
――二〇〇七年五月十一日、午前六時三五分。
半日を寝て過ごしたのは、柳也だけではなかった。
――昨日は厄日だったな。
富樫浩二は暗澹たる気持ちに囚われながら、ギプスで固めた右足を引きずっていた。
昨日は自分にとって本当に厄日だった。
いつものように明け方から親父狩りに精を出していたのが運の尽き。奇妙な男に目をつけられ、ボロ負けした。それだけならばまだよかったが、その上得体の知れない怪物と出会ってしまった。自分の望みを叶えるためにやって来たという怪物は、願いを叶えるためにと、他ならぬ己の首を絞め上げ、自分を殺そうとした。
――くそっ。
思い出すだけで震えが止まらない。
これまでの一九年の人生の中で、喧嘩は何度も経験した。殺意の混じった闘気を向けられたことも幾度となくある。しかし、あんな目を向けられたのは初めてだった。
首を絞める間、ドッグイマジンはずっと自分のことを真っ直ぐに見つめていた。
その瞳からは一切の感情が感じられず、ただただ、底冷えする冷気を感じた。
契約者の浩二のことを、まるで靴底にへばりついた鬱陶しいゴミか何かのように捉えた、強い視線。
射るような眼差しで見られただけで、全身から抵抗する力が奪われていくのを自覚した。
もし、契約という鎖がなければ、自分はあのまま絞め殺されていただろう。あの時のドッグイマジンは本気だった。人を人と思わぬ酷薄な態度が、ただ恐ろしかった。恐かった。
「なんで俺がこんな目に遭わなくちゃならねぇんだよ……」
力なく呟かれたその言葉からは、覇気というものが感じられない。
朝の戦いからドッグイマジンに首を絞められ意識を失うまで、神経をすり減らし続けた浩二はすっかり憔悴しきっていた。普段の強気な態度はもうそこになく、アパートへ帰る足取りも重い。
鉄橋下のトンネルに差し掛かった。
一五メートルほどの短い道のりを照らす電灯の数は四基、四方を人工の光に照らされて、浩二の影がどこまでも伸びていく。
――そういや、あいつ、どうなったかな……?
意識を失う寸前まで、ドッグイマジンに抵抗を続けていた男の顔を思い出し、浩二は思わず溜め息をついた。
彼が意識を取り戻した時、川原にはもうドッグイマジンの姿も、あの男の姿もなかった。
憎い男といっても、所詮はガキの喧嘩の果ての因縁だ。殺したいほど憎い相手ではない。出来ることならば生きていてほしいが。
「生きているぞ」
聞き慣れた声が、耳朶を撫でた。
浩二の肩が、ビクリ、と震える。
声のした背後を振り返ると、トンネルの出入り口に、犬頭の怪物が立っていた。
「あ…あ、あ……」
「半日ぶりだな。わが親愛なる契約者よ」
「ひぃ!」
浩二は腰を抜かした。
首を絞められた時の恐怖が蘇ったらしく、顔が青ざめている。
ドッグイマジンはそんな彼に一瞥くれると、静かに口を開いた。
「あのオカマ野郎にやられてから、再生にいくらか時間を要してしまった。結論から述べるが、残念ながらお前の望みを叶えることは出来なかった。だが、安心しろ。あの男はいまや手負いの身だ。明日中には、お前の望みを叶えてやれるだろう」
ドッグイマジンは酷薄な冷笑を浮かべると、腰を抜かし、その場にしゃがみこんでしまった青年の顎先を撫で上げた。
「望みを叶えた暁には……約束は憶えているな?」
「あ、ああ……」
「いい子だ。契約を果たすまで忘れるなよ。俺と、俺の姿と、お前の時間を」
呟いて、ドッグイマジンは砂と化した。
◇
――二〇〇七年五月一二日、午後四時一二分。
正式に入院が決まったその翌日の午後、柳也の病室を瞬が訪ねた。
学校が終わってすぐにやって来たらしく、見慣れた紺色のブレザーを身につけている。
「よぉ、元気にしているか?」
「見ての通りだ」
瞬が見舞いにやって来たちょうどその時、怪我人の柳也は早くもリハビリと称した腕立て伏せ三百回を終えたところだった。運動を中断し、汗に濡れた身体を拭く。同性で、しかも親友の瞬が相手だ。裸体を晒し、それを清めることに何の躊躇いもなかった。
「……安心した。見たところ元気そうじゃないか」
「元気も元気。もう、腕立て伏せも腹筋も遅滞なく出来る。入院は……まぁ、念のため、って側面が強いな」
「喧嘩でボロ負けしたそうだな。佳織も心配していたぞ?」
「知っている。部活が終わったら来るって、連絡もらった」
「もう、コメツキバッタのように謝ったよ」と続けて、柳也は寝間着代わりのジャージを羽織った。
ベッドに腰掛け、瞬にはかたわらのパイプ椅子を勧める。
瞬は見舞いの品にと持ってきたメロンを冷蔵庫にしまうと、椅子に深く腰を下ろした。優男然とした瞬だが、その実、彼はスポーツマン体型をしている。親友が腰を下ろすと、パイプ椅子は、ギギィィ、と鳴った。
「それで、喧嘩の原因は何だったんだ?」
「人助け」
嘘は言っていない。そもそも自分がこんな怪我を負った遠因は、近藤さんを助けたことにある。あの時、近藤さんを助けなければ、あんな怪物達に付きまとわれることもなかったのだから。
【怪物って、失礼しちゃうわね】
――黙れ、化け物。
表面上は笑顔を浮かべ、内心では悪態をつく。我ながら器用だと思った。
柳也の返答に、瞬はわざとらしく溜め息をついた。本当に呆れている風ではない。自分を見る眼は優しく、笑っている。
「相変わらずのお人よしだな。このガキ大将め。そんなんだから、人から恨みを買うんだ」
「別に売っているつもりはないんだけどな」
「相手は?」
「武器持った男が二十人ちょい。頑張ってみたが、無理だった」
「僕ならさっさと逃げる」
「賢明な判断だ。だが、俺はそうすることが出来なかった」
「軍オタ失格だな。戦力の不利を承知でいながら、逃げようとしなかったなんて。日頃戦術がどうこう言っている男とは思えない」
「手厳しいねぇ」
柳也は苦笑した。
対する瞬も、普段学園では見せることない屈託のない笑みを浮かべた。父親の愛情を受けられずに育った境遇から滅多に笑うことのないこの少年も、親友の前では自然な笑顔を浮かべる。
「まぁ、なんにしても無事でよかった」
名家の出身らしく、瞬は上品に微笑んだ。世俗の様々なしがらみを、一瞬とはいえ忘れさせてくれる、そんな爽やかなはにかみだ。眺めているだけで、痛む身体と心が和んだ。
「昨日、未確認がどうこう話をしたばかりだったからな。お前が入院したって聞いた時は、目の前が暗くなったぞ」
そういえばそういう話もしていたか。真実は当たらずも遠からずといったところだ。実際に自分を襲ったのは未確認生命体ではなくイマジンで、その圧倒的な力は、噂に聞く未確認やアンノウンに劣らぬものがあった。
正直なところ、よく生きて友と話が出来たと思う。
当のイマジンが自分にも取り憑くというアクシデントがなければ、間違いなく自分は殺されていた。
そう考えると、昨日、瞬が自分に未確認の話をしたのも、何か虫の知らせを感じたからなのかもしれない。
いくら世間で騒がれているからといって、朝一番の話題に、人の生き死にに関わる事をいきなり選ぶというのは、いまにして思えば確かに奇妙だった。
「心配かけたな」
「本当だ。退院したら、何か奢れ」
「お前、俺の懐事情を知ってて言ってるだろ? ……駅前のラーメン屋でいいか?」
「僕はそれで構わない。……ただ佳織の時は別のにしろよ?」
「そうだな。佳織ちゃんにも心配かけちまったもんな。埋め合わせを考えておかないと」
「ちょっと、窓を開けさせてもらうぞ」
瞬はそう言ってパイプ椅子から立ち上がった。
地球温暖化の影響か、昨今は五月の時分でも夏日になることが多い。今日もそんな日で、友人はカッターシャツの第二ボタンまでをはずしていた。
窓際に立った瞬はブラインドカーテンを上げた。ロックをはずし、窓を開けようとする。と、そこで動きが止まった。
驚愕に眦を釣り上げ、言葉を失う。
そんな親友の様子を不審に思って自分も窓を見た柳也の笑顔も、ほどなくして硬化した。
窓の外に、犬頭の怪人が立っていた。
◇
「瞬! 屈めッ」
窓の外にドッグイマジンの姿を認めた柳也は、咄嗟にベッドから飛び降りて瞬を抱きかかえた。
頭を低くし、窓際の壁に身体を摺り寄せる。
次の瞬間、二人の頭上でけたましい破砕音がして、窓ガラスが割れた。
病室内に飛び散るガラス片。同時に飛び込んできた黒い影。振り返った狂犬の赤い瞳と、目が合った。
立ち上がった柳也は反射的にファイティングポーズを取ろうとして、壁に叩きつけられた。背中に痛烈な衝撃。右腕一本で、首を締め上げられる。猛然と柳也に肉迫したドッグイマジンは、首を締めながら病室の壁に男の背中を押し付けた。
息が苦しい。
呼吸が出来ない。
額に冷や汗が浮かぶ。
酸素不足から視界が急速に狭まり、思考がまとまらなくなっていく。
「やぁ、親愛なる兄弟」
ドッグイマジンが、柳也の頬に息を吹きかけた。物静かな、優しい声だった。
「今日こそお前の口から、痛い、と言ってもらいたい」
「ぐぅ……ぁ……た……」
「た? 違うだろう? お前が口にするのは、痛い、だろう?」
「……助けろ、化け物!」
喉の奥を締め上げられながら、必死に搾り出した声。
頭の中で、この数日ですっかり聞きなれた野太い声が響き、病人服のあらゆる袖から大量の砂が溢れ出す。
無形の砂はやがて形をなし、鎧甲冑のムササビへと実体化した。
ムササビの怪物は室内で長物を振り回すのは不利と判じるや、即座に一尺五寸の脇差を抜き放った。
契約者の首を絞める太い腕を斬割するべく、袈裟から白刃を振り下ろす。
しかし怪物が初太刀を振り抜くよりも一瞬速く、ドッグイマジンは後退した。
返す刀が伸びやかに弧を描き飛び跳ねるが、それも避けられてしまう。
距離を取ったドッグイマジンは病室のベッドに跳び乗った。軽い舌打ちが、大きな顎から漏れる。
「……やはり契約を成立させる前にさっさと終わらせておくべきだったか」
「残念だったな。もう、こっちもお前に一方的にやられる側じゃないぜ?」
拘束から解放された柳也は、首を押さえながらその場に蹲った。
短い呼吸を何度も繰り返しながら、ドッグイマジンを睨み上げる。
そんな柳也を守るように、ムササビの怪物は彼の前に立った。
「柳也、大丈夫か!?」
苦しげに呼吸を繰り返す柳也の背中を瞬は抱いた。
自分達の身に降りかかった突然の事態に、親友の表情は困惑していた。
しかし、動揺が高じてパニックに陥るようなことはなかった。
秋月瞬という男は良くも悪くも徹底した現実主義者だ。たとえそれがどんなに突拍子もなく、現実離れした出来事であろうとも、目の前の現実を事実として認識出来る度量の持ち主だった。瞬がいま感じている困惑は、目の前の怪物二匹はいったいどういう存在で、柳也とはどういう関係にあるのか、という疑問だけだった。
「色々と訊きたいことはたくさんあるが、まず一つ聞かせろ。あの怪物は、僕たちの敵か?」
「……あの犬頭の方は敵だ。ムササビの方は一応、味方」
緊迫したしゃがれ声で紡がれた瞬の質問に、柳也は苦しげに答えた。それから、「ちなみに、あの犬頭の狙いは俺だ」と、付け加える。
「イマジンっていう怪物だ。それ以上の事情説明は、後にさせてくれ」
「そうね。いまは目の前の敵にだけ集中してもらえると助かるわん」
ムササビの怪物が前進しながら脇差を一文字に振るった。
ドッグイマジンはベッドのスプリングを利用しつつ、跳躍して斬撃を避ける。
宙へと躍り出たシェパード犬の怪物は、そのまま柳也のもとにダイブした。
いちばん長いもので七センチはあろう鋭い爪を立て、鉤のように振るう。
目の前の怪物の攻撃にガードが通用しないのは実証済みだ。柳也は咄嗟に回避運動を取ろうとして、その瞬間、全身をひた走る猛烈な痛みに顔をしかめた。
見れば、白い病人服の至る箇所で赤い染みが滲んでいる。
一昨日のドッグイマジンとの戦闘で受けた傷が、先ほどの衝撃で開いたらしい。
筋肉が不気味な緊張を覚え、反応が一瞬、遅れてしまう。
回避運動が、間に合わない!
「柳也!」
すぐ側で柳也の異変を察知した瞬は、彼の回避運動が間に合わないと悟ると、咄嗟に親友に対して体当たりを敢行した。
砲弾のように突っ込んでくるドッグイマジンの軌道上から柳也の姿が消える。
代わりに、斬撃の軌道上に瞬の身体が滑り込んだ。
瞬は柳也にぶつかりながら身を捻った。
心臓を狙ったドッグイマジンの爪が、ブレザーの肩口を掠めていく。
二人の男はもんどり打ってガラス片の撒き散る床に倒れた。と同時に、上へ向かって右足を突き出す。
ドッグイマジンの鳩尾めがけてダブル・キックが炸裂し、さしもの怪人も「うぅ」と、後ずさった。
その背中を、さらにムササビ怪人の袈裟斬りが襲った。
ドッグイマジンは咄嗟に四つん這いになって身を屈めた。
頭上を通り抜けていく斬撃の軌跡。
緊迫した刃風に頭頂部の両耳を撫でられながら、後ろ足に背後の敵を蹴った。
ムササビの怪物は摺り足で右に跳び、攻撃をかわした。
ドッグイマジンはすかさず体勢を整えた。ムササビのイマジン。立ち上がった柳也。そしてその隣に並ぶ瞬の三人に、油断なく視線を向ける。
「……ふむ。やはりイマジンが相手なのに加えて、敵が三人もいては分が悪いか」
「分かったならとっとと諦めてちょうだい。昨日のあんたじゃないけど、運が悪かったと思って、別な望みにしてもらいなさいよ?」
ムササビの怪物が脇差を正眼に置いて言った。
不気味な女言葉に、しかしドッグイマジンは破顔してみせた。
獰猛な大顎が、凶悪に嗤う。
「いや、まだ、手はある」
ドッグイマジンは柳也を見た。
床を蹴り、一直線に飛び込んでいく。
瞬のもとへと。
「な……!?」
「なに!?」
自分への攻撃を予想していた柳也は思わず声を上げた。
敵の狙いは自分にある、と完全に思い込んでいた。その油断を衝かれた。
ドッグイマジンの黒い鉄拳は、油断していた瞬の鳩尾を突き上げた。
銀髪の少年の口から赤い塊が吐瀉され、赤い瞳がいっぱいに見開かれた。そのまま、ぐったり、と脱力。ドッグイマジンの身体にもたれかかってしまう。どうやら気を失ったらしい。
ドッグイマジンは瞬を抱きかかえると、そのまま窓の外へと飛び出した。
「瞬!」
柳也は反射的に追いかけようと窓縁に手足をかけて、踏み止まった。彼の入院する病室は、三階にあった。
地面に着地したドッグイマジンは、瞬を抱えたまま柳也を見上げた。
「見たところこの男は貴様にとって大切な友人らしいな?」
「テメェ……!」
柳也は憎しみに血走った眼差しでドッグイマジンを睨んだ。
「テメェ、瞬に髪の毛一筋ほどでも傷をつけてみろ! マジでぶっ殺すぞ!?」
「安心しろ。この男を傷つけるつもりはない。この男は大切な、人質だからな」
ドッグイマジンは低い声で言った。絹糸のように優しい声だった。
「あの川原で待っている。この男を返してほしければ、ちゃんと来いよ?」
ドッグイマジンはそう言って、瞬を抱えたまま走り出した。
シェパード犬の怪人の足は疾風さえ巻き起こす。
鎧に覆われた背中は、あっという間に見えなくなってしまった。
◇
「クソッ……瞬!」
遠ざかるドックイマジンの背中を見送った柳也は、踵を返すや病室を出て駆け出そうとした。
しかし、そうはならなかった。
身を翻して初めの一歩を踏み出した柳也は、そのままガラス片まみれの床に突っ伏した。
「お……あ……ああ?」
下肢に力を篭める。思うように足が動かない。
両腕に力を篭める。上体を起こすことが出来ない。
どうやら自分の体は、思った以上に深刻なダメージを蓄積していたらしい。
「ああ……クソッ」
小さく吐き捨てて、阿吽の呼吸を繰り返した。
吸い込んだ空気を丹田に沈め、全身に気を漲らせる。
指先に力を篭め、足の爪先に力を篭め、立ち上がろうとして、失敗した。
なんとか上体を起こし、立ち上がろうとしたが、途中で力が抜けてしまった。
柳也はうつ伏せのまま首だけを動かして、ムササビの怪人を見上げた。男の額と米神からは、鮮血が幾条もの滴りとなって頬を滑り落ちていた。
「……おい、化け物、手ェ、貸せ」
「仰せのままに、マイ・マスター」
ムササビの怪人は脇差を納刀すると柳也に肩を貸した。なんとか、立ち上がることに成功する。
異形の怪物に体重を預けながら、柳也は言った。
「おい、このまま俺を、あの川原まで連れて行け」
「あんた、まさかこの状態で、彼を助けに行くつもり? 一昨日の時もそうだったけど、いまのあんたは、下手をすれば出血多量で死ぬわよ?」
「構わん。それで、瞬を助けられるのなら」
「あたしが、構うのよ」
ムササビの怪物は柳也の耳元に口を寄せた。
「忘れたの? いまのあたしは、あんたの記憶を借りてこの姿を保っているの。あんたに死なれたら、あたしも困るのよ」
契約者の記憶に拠るイマジンにとって、契約者の死は、すなわち自らの死でもある。
唇を尖らせたムササビの怪物に、柳也は冷笑を向けた。
「その時は、こんな契約者に取り憑いて、運がなかったと思って諦めてくれ」
柳也はムササビの怪物の視線を真っ向から受け止めた。
口腔内粘膜が傷ついたか、唇の端から、たらり、と血の糸が滴った。
彼は黒檀色の双眸に懇願の色を滲ませた。
「頼む。俺をあいつの……瞬のところに連れて行ってくれ。あいつは、俺の大切な友達なんだ」
交通事故によって両親を一度に失った柳也は、その時、暗闇の真っ只中に放り投げられた。わずか六歳の幼い少年にとって、両親は世界のすべてだった。その世界を失ってしまった時、幼い柳也の視界は深い暗闇に覆われてしまった。絶望という名の、闇だった。
そんな彼に、希望という光を与えてくれたのが、瞬と佳織だった。
「あの二人は、暗闇の中にいた俺に、光をくれたんだ。頼む。俺はあいつを、助けたいんだ」
切々と訴えかける言葉は、血とともに吐き出された。
異形の怪物は男の願いに、溜め息をついた。
「傲慢な男ね。……でも」
異形の怪物は男の願いに、莞爾と微笑んだ。
「好きよ、そういうの。やっぱり男の子は、多少は自分勝手でなくちゃ」
「……ありがとう」
怪物の浮かべた微笑に、柳也も笑みを浮かべた。
土気色の笑みだった。
◇
――二〇〇七年五月一二日、午後五時二五分。
ドッグイマジンが口にしたあの川原。
それは柳也と浩二さんが最初にやり合ったあの場所だった。そこは同時に、昨日の夕刻、ドッグイマジンと対決した場所でもある。
指定された川原に向かうと、そこにはドッグイマジンと気を失った瞬の他に、顔面蒼白の浩二さんがいた。ドッグイマジンの背後で膝を抱え、ガタガタ、震えている。
柳也の存在に気が付くと、浩二さんは、信じられない、といった様子で顔を上げた。
「お前……なんで、来たんだよ?」
茫然とした問いかけ。
ムササビのイマジンに肩を支えられながら、柳也は、ふん、と鼻を鳴らして応じた。
「友達一人、助けに来たんだよ」
「友達……って、所詮、他人だろうが!?」
「ああ、他人だ。べつに血を分けた兄弟ってわけでもねぇ。……けど、よ」
浩二さんと同様、青色吐息の柳也は、莞爾と微笑んだ。
この場にあって不釣合いな、屈託のない笑みだった。
「実の兄弟と同じくらいには、大切な存在だ」
「微笑ましい友情だな」
ドッグイマジンが酷薄に冷笑を浮かべた。
瞬はうつ伏せに、犬頭の怪人の足下に寝転がらされている。
ドッグイマジンは、鉤のような爪を備えた足で、瞬の背中を踏みつけた。
気を失った友の唇から、苦悶の叫びと、咳き込む声が吐き出された。
柳也が、眼を剥いて怒鳴る。
「テメェ!」
思わず駆け出そうとした柳也だったが、そんな彼を、ムササビの怪物は制した。
「落ち着きなさい! ……いまのあんたが行っても、何にもならないでしょ?」
もとより五体満足の状態ですら勝てぬ相手だ。疲弊したいまの柳也が挑んだところで、敵うはずもない。人質が増えるだけの結果に終わるだろう。
自身の契約したイマジンの冷静な声を聞き、短気に支配されることこそ脱した柳也だったが、無力感に苛まれた彼は悔しげに歯噛みした。
握り拳を作る手に、力が篭もる。
自分には何も出来ないのか。
親友の窮地を前にして、どうすることも出来ないのか。
憎き敵を睨みつけることしか出来ぬ自分が、悔しくてたまらなかった。
ドッグイマジンは、そんな柳也を前にして、さも愉快そうに嗤う。
「ふふっ。自分の立場というものが、よく分かっているじゃないか? それじゃあ、この調子で……」
ドッグイマジンは瞬の背中から足をどけると、ムササビのイマジンに支えられる柳也に歩み寄った。
近付いてくる犬頭の怪人を睨みあげる柳也。
そんな彼の耳朶を、絹のようにやわらかな耳ざわりの声が撫でる。
「イマジンは動かすなよ? ちょっとでも妙な動きをしたら……」
「分かっている。好きに、しやがれ」
険を帯びた声を、唇から漏らす。
ドッグイマジンは柳也の胸倉を掴み上げるや、強引にムササビのイマジンから彼の体を奪い取った。
そのまま、力任せに柳也の体を投げ飛ばす。受身すら取れぬほどに消耗していた柳也の口から、苦悶の悲鳴が迸った。
ドッグイマジンの追撃は容赦なかった。
犬頭の怪人は柳也の後頭部を掴むと、顔を地面へと叩きつけた。何度も。何度も。
口の中に広がる泥と、血の苦味に、柳也は顔をしかめた。
「さぁ、お前の友達を助けるためだ。……例の言葉を、言え」
例の言葉。言わずと知れた、浩二さんが聞きたいと願った、あの言葉。
地面に、ぐりぐり、と額を擦りつけさせられながら、柳也は必死に顔を動かして浩二さんを睨んだ。
膝を抱えていた青年の顔に、恐怖の表情が浮かぶ。
朱に塗れ、泥に塗れた柳也の顔には、凄絶な憤怒の表情が浮かんでいた。
この男さえいなければ。この男が、この怪物に、あんなことを願いさえしなければ、自分も、瞬も、こんな目に遭わずにすんだのに……!
八つ当たり同然の怒りと憎しみは、柳也の肺腑を満たし、心臓を暴力の鼓動で高鳴らせる。
炯々と輝く威圧的な憎悪の眼光に、浩二さんは身をすくませた。
蛇に睨まれた蛙。まさしくそんな形容がしっくりくる、震えようだった。
柳也はドスを孕んだ重い吐息を、血の滲む唇から吐き出した。
「おい……耳の穴かっぽじって、よく聞けよ……痛い、ぜ……」
柳也は、黒檀色の双眸に憤怒の炎をたたえたまま、悔しげに呟いた。
痛い。
傷つけられた身体もそうだが、何より、心が痛い。
親友を傷つけられて。
親友を、こんな事件に巻き込んでしまって。
何より、心が痛い。
ドッグイマジンに強制された言葉ではない。いまの柳也の、偽らざる本心からの言葉だった。
男の絶叫を聞いて、ドッグイマジンが満足そうに微笑む。
そして、高らかに哄笑した。それは楽しそうに。それは面白そうに。それは愉快そうに。
「聞いたか? いや聞いたな?」
ドッグイマジンは爛々と光る眼光を契約者の青年に叩きつけた。
「貴様に言われた通り、この男を痛い目に遭わせてやったぞ? ……これで、契約は完了だ!」
ドッグイマジンはそう叫ぶや、柳也の頭を放り出し、浩二さんの前に立った。
本能的に危険を察したか。浩二さんが尻餅をついたまま後ずさる。
奇怪な現象が起きたのは、その直後だった。
恐怖で表情を歪ませる浩二さんの顔に、真っ直ぐ亀裂が走った。比喩ではない。よく見ると顔ばかりか、人体の正中線に沿ってスリットが走っている。
柳也は愕然と瞠目した。
それはいったいいかなる超常の現象か。
浩二さんの身体に走ったスリットからは、薄らぼんやりと光芒が漏れていた。おどろおどろしい、深緑の光芒だ。
「いけない。そいつ、跳ぶ気よッ!」
ムササビのイマジンが叫んだ。
次の瞬間、ドッグイマジンが浩二さんのスリットに両手を差し込んだ。
指を曲げる。正中線に沿った裂け目から、まるで観音開きの戸のように浩二さんの身体が二つに割れた。
驚くべきことに、血も、内臓もこぼれ落ちなかった。
しかし真っ二つに裂けた身体の断面には、緑色のマーブル模様の異空間が広がっていた。
ドッグイマジンは、ニヤリ、と微笑むと、その中へ飛び込んだ。
真っ二つに裂けていた浩二さんの身体が、元に戻る。
そのまま彼は、茫然とした面持ちのまま、うずくまった。
◇
「……おい、化け物」
うつ伏せの体勢のまま何とか這って瞬のもとに辿り着いた柳也は、そのままの姿勢でムササビの怪物に訊ねた。
「さっき、跳ぶ、とか何とか言っていたな? ありゃあ、いったい……」
「言ったわよね? イマジンは、契約者の願いを叶えてあげる代わりに、契約者からある代価を貰う、って」
ムササビの怪物は柳也と、気を失った瞬を仰向けにさせると、淡々と告げた。
「その代価を貰いに行ったのよ。……あの男の子の過去に、ね」
ムササビの怪物は茫然とうずくまる浩二さんを見た。
「どういう意味だ?」と、柳也は怪訝な顔をする。
「イマジンは、契約者の望みを叶える代わりに、契約した人間の過去の時間を貰うの。その契約者にとって、最も印象深い過去の記憶、過去の時間をね」
「時間を、貰う……? また、タイム・スリップでもしたってのかよ」
柳也は諧謔を含んだ口調で呻いた。
しかし、返ってきた返事は、冗談を許さぬ口調だった。
「その通りよ。過去に行ったイマジンは、その時間の契約者の身体を乗っ取って、その時間での使命を果たす」
「使命、だと?」
「……始まったわ」
ムササビの怪物が、目線を川にかかる鉄橋へと向けた。
釣られて柳也もそちらへと視線をやる。
本日何度目かの驚愕が、柳也の頭を殴りつけた。
愕然と、両目を見開く。
いつも自分が朝のランニングコースに選定している鉄の橋。毎朝、走っていたはずの橋。その橋が、柳也の視界の中から、一瞬にして消滅した。
破壊、ではない。消滅、だ。
塵一つ残さず。
そこに、橋があった、という痕跡をまるで残さず。
見慣れた、そして走り慣れた鉄橋が、消えた。
◇
――二〇〇四年四月一五日、午後六時十五分。
十五歳の富樫浩二にとってのヒーローは谷川光という、一部の格闘技好きか、空手家以外にはあまり知られていない人物だった。
一九六九年生まれ。緑健児以来の、“無差別でも通用する軽量級”とされた空手家で、体格で勝る相手に真っ向から挑んで勝利を収める、小よく大を制する男だった。
浩二は小学生の頃、空手の大会で見た谷川の華麗な技に魅了された。特に風車戦法と呼ばれた谷川の足裁きに憧れ、自分も彼のような空手家になりたい、と思った。
浩二は小学校、中学校と空手部に所属し、県大会でもベスト8入賞という快挙を成した。
そんな彼だったから、高校進学の暁には当然、空手部に入るのだ、と決意していた。
その日の夕刻、浩二は両親に新しい道着を買ってくれるよう頼んだ。
校名と校章の刺繍が施された道着は、浩二が進学した高校の空手部に所属する上での必須アイテムだった。
高校でも当然、空手部に入ろうと思っていた彼は、しかし、父親から信じられない言葉を投げかけられる。
「浩二、空手はもう辞めなさい」
彼の通う高校は県下有数の進学校であり、在学には相応の学力が求められた。
学業を優先しろ。空手はもう辞めろ。父親が口にした言葉に、浩二は思わず家を飛び出した。
母親が慌てて追いかけるが、もとより空手家を目指す浩二と彼女の脚力の差は大きい。
少年は、ぐんぐん、母親を引き離し、気が付くと近所の川原に立っていた。
準備運動もなしに全力疾走した彼の呼吸は忙しなかった。
ひとまず呼吸を落ち着かせながら、彼はこれからどうしようか、と考え始めた。
その時だった。
不意に、浩二少年は自分の意識が遠のいていくのを自覚した。
小学生の頃、貧血で倒れた時に覚えた感覚にも似た、不思議な喪失感が襲ってくる。地面を足で踏んでいる実感が希薄になり、視界が、白い闇に包まれた。
服の中から、何かがこぼれ落ちる感覚。
肌の上を、砂が滑っているのだ、と気付いたとき、浩二少年は意識を手放した。
◇
十五歳の富樫浩二少年の体を乗っ取ったドッグイマジンは、己が無事に過去の時間にやって来たことを認めると、ニヤリ、と口角を緩めた。
その場で軽く屈伸運動をしつつ、四年前の契約者の肉体の具合を確かめる。
やはり現代にいた頃よりも若い分、身体つきが完成されていない。成長期の只中にあるため仕方ないことだが、この細腕などはいかにも頼りがいがない。
――こいつの身体を借りるより、自分で動いた方が効率的だな。
ドッグイマジンに憑依された浩二少年は、うむ、と頷いた。
直後、少年の身体から、大量の白砂が迸った。
服の裾という裾から。袖という袖からこぼれ落ちた砂が、異形のドッグイマジンの身体を形作る。
浩二少年が、がくがく、と膝からくず折れた。
ドッグイマジンは地面に倒れた契約者には一瞥もくれることなく、きょろきょろ、と辺りを見回した。何かを探しているのか。鼻も、くんくん、と動いている。
――どこだ? どこにいる?
異形のドッグイマジンは、川原の土手へと降りた。
油断のない視線を辺りに巡らせていると、不意にその視点が、一箇所に定まった。
肉食動物の巨大な顎が、ニヤリ、と歪む。
ドッグイマジンの視線の先には、一本の鉄橋があった。
昭和の終わりに作られた、やや古ぼけた橋だ。僅かにアーチ状になって膨らんだその頂上に、一人の男が立っている。ブラウンのコートを羽織り、フェルトの帽子を目深に被った中肉中背の男だった。帽子の影のせいでその表情を窺い知ることは出来ないが、ドッグイマジンを見ている様子だ。
異形の怪物を目にしても、いささかの動揺も見られないその態度に、犬頭の怪人は嬉しそうに笑った。
「見つけたぁ……桜井ぃぃ!」
ドッグイマジンが、爪を立て、牙を剥いて地面を蹴った。
犬頭の怪物がいた地点から鉄橋までは直線距離で十メートル近くあった。
しかしその距離を一瞬で詰めたドッグイマジンは、橋の上に降り立つや、件のフェルト帽子の男性に襲い掛かった。
猛然と踏み込む。コンクリートを塗りたくった路面に亀裂が走り、橋全体が揺れた。
袈裟からの斬撃を、男性は軽やかな身のこなしで、ひらり、と避ける。
勢い余って地面に炸裂した鉄の爪が、鉄橋をズタズタに引き裂いた。
また衝撃で、鉄橋が揺れる。なんといっても古い橋だ。あまり激しい震動や、高エネルギーには耐えられない。
「逃げるなよ、桜井!」
橋の耐久性には目もくれず、ドッグイマジンは吠えながらまた男性に襲い掛かった。
爪による斬撃。四肢を駆使しての打撃。時には体当たりすら交えた連続攻撃が、男性に殺到する。
しかし男は、軽やかな身のこなしを以って、次々と攻撃を避けていった。
異形の怪物の身体能力は、人間のそれをはるかに上回っている。その怪人の攻撃をすべて避け続けるこの男性も、只者ではない様子だった。
「ええい、面倒だ!」
攻撃を一発も命中させられないドッグイマジンが、苛立たしげに叫んだ。
両手を重ねて一個の鎚とし、轟然と地面に叩きつける。何度も。何度も。ドッグイマジンが地面を叩きつけるその都度、鉄橋に亀裂が走り、やがて、崩落した。
攻撃が命中しないのなら、足場を崩して、その崩壊に巻き込んで始末すればいい。
ドッグイマジンの乱暴な作戦は、しかしフェルト帽子の男には通用しなかった。
彼は橋が崩壊するよりも一瞬早く、驚異の身体能力を以って鉄橋から飛び降りていた。
鉄橋から地面までの高さは、ゆうに六メートルはある。しかも着地点は浅いとはいえ川だ。滑りやすい足場だったが、男は見事着地に成功した。
「ふん。チョコマカと動きやがって……」
同じく、崩落と同時に川に向かって飛び降りていたドッグイマジンが、忌々しげに男を睨んだ。
「いい加減、大人しく死んでくれよ……そうすりゃあ、この時間は俺達の時間に繋がるんだからよぉぉぉ!!」
咆哮一閃。
ドッグイマジンは水飛沫を散らしながら、男に向かって突進した。
◇
――二〇〇七年五月一二日、午後五時四二分。
何の前触れもなく、突如として視界から鉄橋が消滅するという異常事態に、柳也は最初声もなかった。
ただ愕然と、先ほどまで鉄橋のあった空間に、視線を向けるばかりだ。
やがて、たっぷり三十秒はそうしていただろうか。
柳也は、ゆっくり、と重たげな唇を動かした。
「……おい、化け物……いったい、何が起こったんだ?」
「……過去に行ったあのイマジンが、暴れているのよ」
ムササビの鎧武者は、小さく溜め息をついて言った。
「SF好きのあんたなら分かるでしょ? 過去に飛んだあのイマジンが、その時間で暴れて、あの橋を壊したとする。そうしたら、あの橋は、消える」
タイム・パラドックス。
過去に跳んだ人間が、その時代で自分の親を殺害すれば、当然、未来において自分という存在は生まれず、その瞬間に自分もまた消滅する。
ムササビのイマジンは、それと同じことが起こっている、と柳也に説明した。
「……ほら、また」
ムササビのイマジンが、今度は視線を土手の向こう側に転じた。
柳也もそちらを見る。
木造二階建ての家屋が、先ほど鉄橋が消えたときと同じように、消滅した。ご丁寧に、家の塀までもが。たしかあの家には、一人暮らしの老人がいたはずだが――――――
「今度は、あの家を壊したようね」
「…………」
柳也は必死の形相で立ち上がると、足を引きずりながら土手を上がった。
斜面を上りきると、そこには何もなかった。昨日まではあった家が、なくなっていた。昨日までは、そこにいた老人が、消えた。人が一人、家が一件、まるまる、消えた。
柳也は茫然とした面持ちのまま、辺りを見回した。
消える。
家屋が、人が、次々と消えていく。
この辺りは柳也の自宅の近辺だ。消滅していく住宅の中には、顔見知りの家もあった。
毎朝いつも挨拶を交わす近藤さんのおじいちゃん。冬の寒い日に、一人暮らしの自分を心配しておでんを差し入れてくれた飯塚さんの奥さん。小学生の頃から一緒に遊んだ中村君。中村君の愛犬のタロ。他にも、たくさんの、大切な人達。その人達の家が、日常が、時間が、消えていく。
「……おい、化け物。イマジンは、過去に行って、使命を果たす、とか言ったな? その使命って、何だ? お前達の使命って、何なんだ?」
「……あたし達イマジンの目的……それは、過去を変えて、今も未来も変えることよ」
過去を変える。そして、今も未来も変える。いま、自分達の生きているこの時間を、変える。変えられる。
自分や、瞬や、多くの人達が、精一杯生きている、この時間を、変えられる。
そんな、
そのようなことが、許されていいのか!?
柳也は、握り拳を強く固めた。
かつてない怒りが、背筋を駆け上り、彼の心臓に炎を灯した。
柳也は、いつの間にか隣に立っていたムササビの怪物に詰め寄った。
「奴を止める方法はないのか!? この時間を守る方法は!?」
「あるわ。でも、そうするための手段がない」
ムササビの怪物は淡々と呟いた。
曰く、過去に跳んだイマジンの凶行を止めるには、自分達もその時間に跳んで、イマジンを倒すしかないという。問題は、その過去に跳ぶための手段が、現状では一切ない、ということだ。
そもそも、イマジンが跳んだ過去が西暦何年の、何月何日で、何時何分かということも分からない。
「仮にあたしがあんたの願いを叶えたとしても、あたしがあのイマジンが跳んだのと同じ時間に跳ぶとは限らない。むしろ、その可能性はほとんどないと言っていいわ。あの男の子にとっての印象深い過去と、あんたにとっての印象深い過去が、同じでない限り、ね」
「くそッ。どうすることも出来ないってのか!?」
柳也は悔しげに吐き捨てるや、地面を叩いた。
硬いコンクリートがひび割れ、男の拳に血が滲む。
――無力だ。……なんて無力なんだ……!
かつて、野犬の群れから瞬と佳織を守れなかった自分。
そんな無力な自分が嫌で、今日まで自らを鍛えてきた。もう二度と、大切なものを守れないのが嫌で、剣を振るってきた。
その結果が、これだ。
――力が欲しい……力が……!
世界を救う力、などと大言壮語するつもりはない。
ただただ、自分の周りにある、大切なものを守るための力が。
自分の大切な人たちを、守れるだけの力が。
かつて、自分の命を救ってくれた両親のように、強い力が。
――欲しい! 欲しい!
柳也は願った。
切々と願った。
力が欲しい、と。
大切なものを守るための、力が欲しい、と。
その時だった。
不意に柳也は、病人服のトラウザーズのポケットから激しい熱を感じた。
ガスバーナーの青い炎のように熱い、それでいて炭火のように優しい温かな熱。
咄嗟にポケットへと手を伸ばした柳也は、その正体に気が付き、驚いた。
それは今朝、柊園長から渡された、父の遺品のパスケースだった。
ポケットから引き抜いたケースを見て、柳也は愕然とした。恩人から渡された時にも思ったことだが、いったいこれは何なのか。ただのパスケースではないだろう。それは、いま発熱している一事からも明らかだ。この現象はいったい……?
柳也以上に、愕然とする者がその場にはいた。
それは、ムササビの鎧武者だった。
「ら、ライダーパス!? な、なんであんたがそれを!?」
「ライダー……パス?」
柳也は怪訝な表情でムササビの怪物の顔を見た。
彼女はこのパスケースが何なのか、正体を知っているのか。
はたして、ダメモトでその旨を訊ねてみると、ムササビ頭の怪物は頷いた。
「ええ。知っているわ。……嫌というほどにね。そのパスがあれば、何とか出来るかもしれないわよ」
「なに?」
「あのイマジンを、止めることが出来るかもしれない」
ムササビ頭の怪物は、軽くウィンクしてみせた。
◇
――二〇〇四年四月一五日、午後六時三二分。
フェルト帽子の男とドッグイマジンの追いかけっこは、やがて男が犬頭の怪人に一方的に追い詰められる展開へと推移していった。
いかに男が卓越した身体能力を持っているとはいっても、所詮は生身の人間。傷も負えば、疲れも溜まる。
このままでは捕捉され、八つ裂きにされてしまうと踏んだか、男は入り組んだ道の多い住宅街へと逃げ込んだ。シェパード犬の健脚を持つドッグイマジンの動きは速い。その機動力を殺すべく、迷路のような市街地を逃走経路に選んだのだった。
しかし、男の決断は、かえって近隣住民の被害を広げることとなった。
ドッグイマジンは、足も速いが力も強い。
男が家屋の中に逃げ込めば体当たりで壁をぶち破り、逃げ惑う群衆の中に飛び込めば、人々を蹴散らし進む。
結果、のどかだった街並みの其処彼処から黒煙と悲鳴が上り、街は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
警察と消防が懸命に避難と救助活動を実施する。怒号。そしてつんざく泣き声。
やがてそれらの声は、街の中心をはずれ、郊外の住宅街へと移動していった。
養護施設しらかば学園。かつて柳也が育った孤児院の玄関を抜け、グラウンドに立つや、男は立ち止まった。振り返る。
後を追うドッグイマジンもまた、児童用の砂場を踏み荒らしてやって来た。
「ふんッ。ようやく観念したか」
ドッグイマジンの好戦的な呟きにも、男は応じない。
仁王立ちのまま、ただ無言で、羽織っていたコートを脱ぎ捨てる。
はたして、ブラウンのコートの下には、クラシックなデザインのスーツと、衣服に対してあまりにも無骨なデザインのベルトだった。焼けた鉄の黒色に、緑と黄色のライン。バックルの中心部には左側面に薄い板か何かを挿入するためのスリットがあり、男の右手には、その坑に、ぴったり、のサイズのカードが握られていた。
男の左手が、バックル上端のレバーを操作する。
どこからともなく竜笛の音色が奏でられ、男は低く口を開いた。
「変……」
その時だった。
竜笛の音に被さるようにして、轟々と汽笛の音が鳴った。蒸気機関特有の吸気と排気の歌声。そして、何本ものロッドに繋がれた転輪の駆動音が、快晴の空に轟く。
そう、空に。
ふと上空を見上げれば、空間に巨大なトンネルが出来ていた。
比喩ではない。
いったい如何なる超常の現象か、あるいは超科学の産物なのか。虹色の輝きを発する光の輪が、空に浮かんでいた。輪の中心はくり抜かれ、よく見ると奥行きの存在を確認出来る。
まさに大空に穿たれた穴。
トンネルの向こう側からは黒々とした煙が漏れ、やがて線路が飛び出した。これまた比喩ではなく、本当に空の穴から我々のよく知る線路が飛び出したのだ。
トンネルから飛び出した線路ははるかな高空に敷かれていった。
地面のない空に、線路が敷かれていくその光景は、異様と形容する他ない。
穴の向こう側から線路は延び続け、徐々に地上に向かって下降を始めていった。
最終的に線路は、しらかば学園のグランドにも敷かれた。
やがて線路の上を、黒い巨体が滑ってきた。漆黒のボディ。精悍な面魂。往年の名機関車C62形によく似た牽引車に引っ張られ、四両編成の汽車が、トンネルの向こう側からやって来た。
濛々と蒸気を上げながら、養護施設の砂上に滑り込んでくる。
勿論、四両編成の全車両を収容出来るほど、しらかば学園のグランドは広くない。
地上に降り立ったのは一両目の牽引車だけで、その運転席から、彼は降り立った。
「よっ」
軽い気合と同時に牽引車から飛び降りたのは、六尺豊かな大男だった。
長身の身の丈を実際の数値以上に大きく見せる大柄な体格。大振りな双眸。太い眉。凶悪な面魂を持った男は、まごうことなき桜坂柳也その人だった。それも、この時間、当時一三歳の少年・桜坂柳也ではない。二〇〇七年の時間でドッグイマジンも戦った、青年・桜坂柳也だった。
「貴様……なぜ!?」
ありえるはずのない邂逅。
この時間に、存在しない人間との遭遇。
過去の時間に現われた青年剣士を前にして、ドッグイマジンは驚愕に目を見開いた。
他方、フェルト帽子の男の視線は、現われた柳也ではなく、彼の乗ってきた機関車に向けられていた。茫然とした声音の呟きが、柳也の耳朶を打つ。
「……ドリームライナー……もう一つの、時の列車……」
「個人的には、列車……よりも、SLって呼び方の方がしっくりくるな。時を駆けるSL、それがドリームライナーだ!」
柳也はかぶりを振って会心の笑みを浮かべた。
ドリームライナー。父の形見のパスケースが呼び寄せた、文字通り時間を駆け抜ける蒸気機関車。行き先の時間さえ判明していれば、未来にも、過去にも行ける、まさしく夢の汽車だった。
柳也は自らが乗ってきた漆黒の汽車のボディを頼もしげに叩くと、改めてドッグイマジンを睨んだ。
犬頭の怪人に向ける視線には、烈々たる怒りの炎が灯っている。
「もうこれ以上、俺達の時間を好き勝手にさせやしない」
「貴様……電王かッ!?」
ドッグイマジンがわななく声で言った。
柳也はまた小さくかぶりを振った。その手には、ムササビのイマジンがライダーパスと呼んだ、黒塗りのあのパスケースが握られていた。
「違ぇよ。俺は、夢の王様だッ」
柳也が叫んだ途端、ジャージ姿の彼の腰元に、金属製の、無骨なデザインのベルトが出現した。
ドリームベルト。ムササビの怪物の説明によれば、これまたライダーパスが呼び寄せた、己の武器だという。出現したベルトを腰に巻くと、頭の中に、野太い声の、女口調が響いた。
【使い方は、さっき教えた通りよ】
「ああ。いくぜ、化け物!」
【イクだなんて……もう、真っ昼間から、卑猥なんだからん】
「卑猥なのはお前の頭ン中だ!」
頭の中に響いた気の抜ける声に応じて、柳也はベルト中央のバックル部へと左手を伸ばした。
ターミナルバックルには、四段のボタンが縦に並んでいる。上から、深緑、濃紺、薄い青、虹色という順番だ。柳也はそのうち最も上段の深緑のボタンを押した。
スピーカー機能が搭載されているのか、ベルトから流れ出す、勇壮な、雄叫のメロディ・ライン。
旧き良き大和歌の調子に闘志を燃やし、柳也は右手に握ったライダーパスを、ベルト中央のバックル部へとかざした。
「チェンジ・ドリーム!」
【Army form !】
ターミナルバックルが明滅し、セタッチ動作が正常に行われたことを示す電子メッセージが響いた。
次の瞬間、柳也は自らの肉体に稲妻が走るのを自覚した。
腰に巻いたベルトから放出された微弱な電流が細胞の一片々々を刺激し、活性化させる。
五体に眠る生命のエネルギー……チャクラが目覚め、全身がその力で満たされていく。
オーラスキンの第二の皮膚が、彼の身を鎧うように覆った。
ジャングル迷彩色のオーラメタルが、特に重要な胸部や肩部、肘、膝を装甲化した。
やがて頭部を走る線路を伝って、戦車をモニュメントに頂く電仮面が現出した。キャタピラが耳を覆い、回転式砲塔が、頭頂で踊った。
体の内で猛り狂う熱が、背部のスリットから噴出される。
新たな、戦うための姿となった柳也を見て、ドッグイマジンが嘶いた。
「き、貴様、その姿は!?」
「言ったろ? 夢の王様だってよ。……夢の王様、仮面ライダー夢王、とでも名乗ろうか」
柳也は絶対の自信に漲る口調で嘯きながら、左右の腰に両手を添えた。
ドリームベルトの左右の側面に、いつの間にか四つに分離したブロック・パーツが接続されている。
ドリームガッシャー。四つのパーツの組み合わせ次第で、剣にも槍にも、はては銃にもなる万能ツールだ。右腰に一番と二番、左腰に三番と四番を装備している。
柳也は初めて手にしたパーツを、手際よく組み立てていった。
どのパーツをどういう風に組み立てればどんな機能が得られるのか。すべては、ライダーパスと電仮面が教えてくれた。
やがて柳也の手の中に、中型サイズの銃が出現した。
ドリームガッシャー・マシンピストル。柳也のライフ・エナジーから精製したエネルギー弾を発射する、ドリームガッシャーのマシンピストル・モードだ。フル・オート、セミ・オートの二つのモードでの射撃が可能で、フル・オート射撃時の発射速度は一分間に八〇〇発。エネルギー弾に空気抵抗は関係ないから、最大射程は一キロメートルにも及んだ。
マシンピストルの銃口を正面のドッグイマジンに向けて、柳也は……否、仮面ライダー夢王は言い放った。
「さぁ、始めようぜ。面白い戦いをよぉ!」
夢王が残忍に微笑み、マシンピストルの銃口が火を噴いた。
いつの間にか、フェルト帽子の男はいなくなっていた。
◇
時と、時の狭間の異空間。
その場所から、二〇〇四年の時間を見下ろす男がいた。
灰色のコートを羽織った、鼈甲フレームの眼鏡をかけた中年の男性だ。
彼は、二〇〇四年の時間で繰り広げられる戦いの光景を見て、沈痛な面持ちで呟いた。
「また、新たな仮面ライダーが生まれてしまった……」
男の眼差しは、柳也の変身した仮面ライダー夢王に向けられていた。
マシンピストルを手に、ドッグイマジンと互角の死闘を繰り広げている。
摺り足を体裁きの基本とした独特の動きは、野性味溢れる犬頭の怪人の豪撃を次々といなし、的確に銃弾を叩き込んでいった。
「しかし、あのライダーは使える。あのライダーから感じられる闘争心。滾る攻撃性。あれは、ディケイドを倒すに相応しいライダーだ」
「それはよしてもらいたい」
背後からの声。
男性が振り向くと、そこには小柄な男がいた。一六〇センチに満たない痩身の、壮年の男性だ。
「柳也君を、ディケイドとの戦いに巻き込むのはやめてもらえないか、鳴滝さん?」
「……柊慎二か」
鳴滝と呼ばれた男は、自分に声をかけてきた男の名前を呟いた。
柊慎二。しらかば学園の学園長にして、桜坂柳也の育ての親。
はたして彼は、時の狭間の異空間にどうやって入り込んだのか。
自らの周りを取り囲む、マーブル模様の異空の空を平然と見上げながら、柊は言う。
「柳也君の攻撃性は危険だ。彼を、破壊者とぶつければ、どんな結果に終わるか分からない。……ディケイドとの戦いは、僕がやろう」
柊はそう言うと、ポケットから掌大のカードケースを取り出した。金属製で、表面に禍々しい龍のレリーフが彫られている。
柊の腰元に、金属のベルトが出現した。バックルの部分が大きく窪んだ、奇妙なデザインのベルトだった。
「……変身」
柊は静かに呟いて、手にしたカードケースを、バックルの窪みにインサートした。
次の瞬間、柊の体が、変わった。
漆黒の、龍騎士の姿に。
仮面ライダーリュウガ。
暴君龍ドラグブラッカーと契約した、漆黒の仮面騎士。
異空間への移動能力を持つリュウガは、その能力を駆使して時間の狭間にやって来たのか。
リュウガの姿に変貌を遂げた柊は、鳴滝に言う。
「ディケイドとの戦いでは僕を使え」
「……いいだろう。お前を、私の軍団に迎え入れよう」
鳴滝が頷いたその直後、彼の背後に、オーロラのカーテンが出現した。
奇妙なオーロラだった。勿論、太陽からの荷電粒子が起こした現象ではない。そもそも時の狭間の異空間に、太陽は存在しない。
オーロラは、僅か二秒ほど炯々と輝いた後、消えた。
そしてオーロラが消えた場所には、何人もの仮面ライダーが立っていた。
仮面ライダーキックホッパー。
仮面ライダーパンチホッパー。
仮面ライダーカイザ。
仮面ライダー王蛇。
その他にも、大勢いる。
全員、こことは違う、別な世界から、鳴滝によってスカウトされたライダー達だ。
鳴滝は新たに仲間となった漆黒のライダーに向けて、声高に言い放った。
「さぁ、リュウガよ。世界の破壊者ディケイドを抹殺するのだ!」
<あとがき>
読者の皆様、たいへん長らくお待たせしました!
仮面ライダー夢王、第二話、ついに完成です!
完成しました。しましたから石を投げないでー!
……この話を完成させるまでの間に、色々なことがありました。データが飛んだり。USBを落としたり……そんなこんなで完成が遅れに遅れ、結局、一年以上ぶりの更新に。正直、自分でも内容忘れていましたよー。
でも、ある男の要請と、トリロジーの影響から一念発起。一気に書いてみました。
出来はいかほどのものでしょうか?
正直、感想が恐いです。ていうのか、あるのかどうかも恐いです。
なので、例の決まり文句を言っときます。
今回の話は楽しんでくれた? 答えは聞いてない!
ではでは〜
柳也が変身。
美姫 「こうして新たなライダーが登場した、という所でお終いなのね」
最後に色んなライダーたちが終結、というのはあれだな。
美姫 「詳しくは知らないけれど劇場版か何かでライダーが揃って出演していたから、それへと続くって事ね」
かな。ライダーとなった柳也がこれからどうするのか、色々と想像してしまうな。
美姫 「そうね。何はともあれ、投稿ありがとうございました」
ありがとうございます。