「剣士の死に様」
自分でも薄々感じてはいた。
自分の身体のことは自分がいちばんよく分かっている、とは言うが、あれはあながち間違いではないらしい。
美由希との鍛錬の最中に感じた、わずかな違和感。はて、自分の身体はこんなに重かっただろうかと、ノエルとの戦闘訓練の際にも思った。海鳴を訪れる度に仕合っている薫との立会いでは、あやうく致命的な一打を受けるところだった。
不調の兆候は以前からあった。
久しぶりに帰ってきた美沙斗さんの勧めで病院に足を運ぶと、案の定、フィリス先生からは、もっとも聞きたくなかった言葉を宣告された。
「恭也くん、あなたの膝はもう限界を迎えようとしています」
「そう、ですか……」
自分でも薄々感じてはいたのだ。
だから、フィリス先生からその事実を告げられても、驚きは少なかった。
いまとなっては後悔の気持ちも薄い。
美沙斗さんから龍鱗を受け継いだ美由希は、もう俺の手元から巣立っていた。
純白の翼を得たフィアッセには、もう俺が付いていなくても大丈夫だろう。
晶は晶で大切なものを見つけてくれたようだし、もうレンの師匠をやっている意味もなくなった。
忍にはノエルがいるし、ノエルには忍がいる。
那美さんには久遠がいるし、久遠には那美さんがいる。
壊れかけの剣士の役目は、もうすべて終わっていた。
悔いがないといえば嘘になるが、そこに剣士としての生命を断たれた絶望はない。
「いままで、よく堪えてくれたな」
診察室を出て、病院の庭のベンチに腰掛けた俺は、今度こそ本当に壊れかけている右膝を撫でた。
今日まで、本当によく頑張ってくれた。
己の無茶な鍛錬に耐え、無理矢理の酷使に耐え、挙句一度は壊れてしまった。
それでもまた、無茶ばかりする俺のために、だましだましついてきてくれた。
友を、弟子を、大切な家族を護る時には、いつも俺に力を貸してくれた。
そればかりか、この壊れかけた右膝は、剣士・高町恭也のために、まだ力を貸そうしてくれている。
フィリス先生の話では、俺が全力で戦えるのはあと一回だけ、らしい。逆にいえばあと一回は、戦えるということだ。どうやらこの右膝は、剣士・高町恭也に、最後の晴れ舞台を与えてくれるつもりらしい。
わが身体の一部ながら、本当に心憎いやつだ。
「本当に、ありがとうな」
これまでの労をねぎらいながら、俺は頭の中である人物の顔を思い浮かべた。
この右膝が、最後に与えてくれたワン・チャンス。
御神の剣士・高町恭也の、正真正銘最後の戦い。
悔いが残らないようにするのは勿論だが、なにより全力を尽くしたい。そして、不完全な御神の剣士・高町恭也が生きた証を遺したい。高町恭也のすべてを、その人に見せてやりたい。
最後の対戦相手として、俺の脳裏に浮かんできた人物。それは……
◇
休日の高町家。
庭の道場では、俺と赤星の二人だけが向かい合っていた。
ギャラリーはなく、審判役もいない。美由希は那美さんとデートだと言って出かけていたし、かーさんは仕事の関係で家を空けている。なのはと晶、そしてレンも、みなそれぞれの用事で席をはずしている。
というより、そういう日を選んで赤星を招き入れたのだ。今日の立会いだけは、たとえ大切な家族といえど、茶々入れや邪魔をされたくなかったから。
フィリス先生の診断を受けた翌日、俺は家族と身近な友人達に、先生から聞いたことをそのまま伝えた。
俺の膝がもう保たないこと。全力で戦えるのはあと一回が限度だということ。そしてその一回を終えてしまえば、この男の剣士として生命は今度こそ絶たれてしまうこと。
そうしたことを洗いざらい白状した上で、俺はその場で剣士・高町恭也最後の晴れ舞台の相手に赤星を指名した。
みんなは俺が剣士としての明日を捨てでも、最後の戦いを望むこと自体は予想していたらしく、俺の言葉にも大きな反応は示さなかった。しかし、その相手に赤星を指名するのは意外だったようで、たいそう驚いていた。
普段は驚くといった表情を見せてくれないノエルさえもが、僅かながら目を見開いていたくらいだ。
しかし、いちばん驚いていたのは、他ならぬ赤星本人だった。
「俺なんかで、いいのか……?」
「いい、とは?」
「だって、俺なんかよりずっと強い人はいくらでも」
「晴れ舞台の対戦相手が、必ずしも強い必要はないだろう?」
赤星の抱いた疑問は、しかし愚問だった。
「俺は、お前と戦いたいんだよ」
高町恭也という変わり者と、対等に付き合ってくれた親友のこの男だからこそ、最後に全力で打ち合いたい。この男に、剣士・高町恭也の全てを見せておきたい。
これまでに、俺と赤星は何度も木刀を打ち合った。相手は県はおろか全国大会で上位の成績を収めるほどの剣道家だ。俺は本気で打ち込んだし、赤星も全力で戦った。
しかし、御神の剣士・高町恭也としては、俺は常に全力でなかった。
御神の剣士にとっての全力とは、小太刀以外の装備一式を身に付けた時に初めて発揮出来るもの。俺はこれまで赤星との立会いで、鋼糸や飛針を使ったことはなかった。それが、剣道家・赤星勇吾に対する、暗殺剣士・高町恭也の礼儀だと思ったから。
「けど、フィリス先生から、全力で戦えるのはあと一回と聞かされて思ったんだ。俺はいままで、赤星勇吾という親友にとても失礼なことをしてきたんじゃないか、と。暗殺剣ということを言い訳に、俺はいままでお前に全力でぶつかったことがなかった。それはいつも全力で木刀を打ちつけてきたお前に対し、礼を失した行為ではなかったのか、と」
「高町……」
見てほしい。
親友に。
親友のこの男に、剣士・高町恭也が到達した剣の境地のすべてを見てほしい。
「最後の機会なんだ。この最後の機会に、これまで礼を失した分を取り戻したいんだ」
「それに……」と、続く言葉を口にせず、俺は美由希を見た。
弟子であり妹でもある彼女に、親友が好意を寄せているのは明らかだった。そして、美由希自身も赤星のことを憎からず想っていることを、俺は知っている。
だからこそ、見せておきたい。お前の好きなった女の剣を。お前の好きになった女が身を置く剣の世界の片鱗を。
「準備はいいか?」
俺は赤星に訊ねた。
赤星がゆっくりと頷く。
すでに親友は年季の入った剣道着に身を包み、愛用の木刀を差して臨戦態勢を整えていた。
一方の俺は、いつもの木刀二振に加えて、ラバー製の飛針に小刀、十番の鋼糸という御神の装備一式を身に付け、これまた臨戦態勢を整えている。
俺の方も、すでに準備は終わっていた。
「それじゃあ、始めよう」
俺は二刀に差した木刀を抜き放ち、静かに身構える。
手に馴染んだ木の感触は、おそらく今日で最後のものとなる。
悔いが残らぬよう、恋人との別れを惜しむよう、しっかりとその感触を楽しみながら、目の前の敵を見据えた。
間合いは三間半。
敵の構えは正眼。その面魂は柔和にして鋭利な刃のよう。
決して油断をして良い相手ではない。
向かい合っているだけで、相手の覇気を肌に感じ、全身が総毛立つ。
意図せずして口元が緩んでいくのを自覚した。
見れば、赤星も油断なく構えながら笑っている。
あいつもこの瞬間を、楽しんでいるようだ。
「ルールは?」
赤星が訊ねた。
俺は答える。
「特に必要ないだろう。時間は無制限。どちらかが参ったというまで」
逆にいえば、どちらかが「参った」と宣言するまで、ずっと続く戦いだ。
赤星が腰を沈めた。
俺も腰を沈めた。
高町家の狭い道場に、二人分の剣気が充満する。
さぁ、始めよう、親友よ。
これが俺と、お前の、最後の戦いになる。
悔いの残らぬよう、誰もが納得する形になるように。
剣士・高町恭也の全力を。
剣士・高町恭也の死に様を。
とくとその目に焼きつけろ。
赤星が床を蹴った時、俺も床を蹴った。
<あとがき>
突発的に書きたくなった短編SSパート2。
自分のすべてを打ち込んできた剣術を、あと一回しか披露出来ないとしたら、恭也はいったい誰を選ぶんだろう……という疑問から生まれた話です。
相変わらず自分の文章構成力のなさを露呈するかのような話ですが、まぁ、生暖かい目で笑ってやってください。
お読みいただき、ありがとうございました。
ほ〜、思わず感嘆してしまいました。
美姫 「最後の戦いで誰を選ぶか、ねぇ」
意外でもあったけれど、呼んでいると思わず納得してしまう。
美姫 「本当よね。熱い友情よ」
うんうん。タハ乱暴さん、投稿ありがとうございました。
美姫 「ありがとうございます」