注)闇舞北斗すら出ません(テヘ♪)
上下左右の感覚が希薄な空間だった。
見渡す限りの世界は恒久の光に覆われ、純白の闇に包まれて視界はほとんどない。
文明が造り出した太陽に照らされているはずの地平はその果てはおろか足元に転がっている石ころの存在にすら気付けず、なり損ないの楽園は死臭に満ちていた。
地球から約三百万光年離れた先に、その白い闇に包まれた星はあった。
はるかな昔、そこは高度な科学文明を持つ人間達の実験場だった。
彼らはある日突然に自分達の星を照らしていた太陽を失い、光を失った文明人は、決して翳ることのない、星の寿命すら超越した永遠の光を創造しようとした。しかし、永遠の光を求めて打ち上げた一つ目の人工太陽は制御に失敗し、暴走した。人々が耐えられる限界をはるかに上回るプラズマの光は地上を焼き尽くし、以来その星は何一つ生命を宿さぬ“死の星”となった。地表八百度の世界ではいかなる命も誕生することなく、やがて干上がった惑星から実験者達は苦い教訓とともに立ち去っていった。
それからすでに十万年以上の時が経過し、今や恒久の太陽を得た文明人のほとんどは、現在の繁栄の陰にひとつの惑星を死に追いやったという事実を忘れていた。のみならず、かつてその惑星についていた、名前すらも……。
かつてその惑星は、『ヤプール』といった。
豊かな自然に恵まれ、数多くの生命が共生していた頃の楽園の面影は、今はない。
地表八百度の世界ではあらゆる大気成分が崩壊し、ただ純然たる熱のみが存在している。上空に向かうに連れて気温は増し、成層圏付近ともなれば2千度もの熱波が、この惑星に近付こうとする全てを拒絶する。大気圏ともなると気温はさらに増大し、一万度を上回る熱にはどんな隕石も地表に達することなく崩壊してしまう。
灼熱の焦熱地獄の大地を、ひとりの超人が歩いていた。
見渡す限りに白銀ゆえに分かりにくいが、明るいオレンジ色を基調とした清楚なイメージの制服を着た男だ。銀河辺境の未開の惑星……地球と呼ばれるその星に生きる、高等動物と似た姿をしている。
無論、似た姿をしているというだけで、彼が地球人でないことは明らかだ。現在の『ヤプール』は、地球に生きるようなたんぱく質で構成された脆弱な身体を持つ生命など一瞬で蒸発させてしまう。いやそれ以前に、現在の地球人の科学力では、母星からはるか三百万光年の彼方へと行く手段はない。
男が地球人の姿を模った、別な存在であることは間違いなかった。しかもそれは、1万度を超える大気圏を突破し、地表八百度の大気に耐える強靭な肉体を持った生命である。広大無辺の宇宙規模で考えても、有数の生命力を持つ種族だ。
「……」
不意に、男が立ち止まった。
どうやら目指す目的地に着いたらしい。
何の変哲もない窪地のようだが、男の目はかつてその場所に何か巨大な人工物があった痕跡を見逃さなかった。なだらかな斜面のクレーターは直径50キロはあり、その中心辺りには3つの深い穴がある。まるで岩削機でボーリングしたかのような真四角の径の穴だ。底の方はプラズマ太陽に照らされてなお暗く、果てがまったく見えない。
数時間をかけて斜面を下り、クレーターの中心部へと近付くと、そこには10万年以上の時を経てなお残る焼け跡が地面に刻まれていた。それこそ、かつてその場所に観測施設としての機能を持った巨大な宇宙船が停泊していた証拠だった。
かつては緑溢れた『ヤプール』の大地の深い部分にまで根を張り、どっしりと構えていた全長一キロメートルもの巨大な宇宙船は、人工太陽試作一号機の観測施設だった。しかしプラズマ太陽の暴走がどうしようもなくなった時、この星から離陸し、現在では十万年という時間の経過を感じさせぬ4つの真四角の穴と、離着陸の際に残した焼け跡だけを残している。
焼け跡に一歩足を踏み入れた男は、そこにしゃがみこむと、煤に汚された白熱化する大地をそっと撫でた。
灰の混じった砂の感触が、指に心地良い。だがその指も、圧倒的な熱量によって白煙を噴き、表皮はたちまちボロボロと崩れていく。
「……また、ここに来ていたのか」
背後から声をかけられて、男は振り向いた。
ロダン彫刻を思わせる逞しい肉体の、長身の男だった。やや癖の強い長髪と、思わずはっとさせられるような彫りの深い、端正な顔立ちの男である。歳は三十代も前半といったところだが、彼の実年齢を推測するのに外見的情報はまったく役に立たないだろう。
灼熱の『ヤプール』で生身のまま立つ彼もまた、決して地球人ではありえないのだから。
「ZOFFY……」
「久しぶりの出立の日だというのに、姿が見えぬものだからもしやと思って来てみれば……探したぞ」
ZOFFYと呼ばれた男は、制服の彼の隣に立った。
「『ヤプール』が死の星になって、もう十二万年か……」
「ええ…。私達の祖先が罪を犯してしまった日から、もうそれぐらいになります」
「宇宙警備隊に入る以前、科学者だったお前がこの星に寄せる思いが並々ならないことは知っている。しかし、何もこのような日にまでここに来ることは……」
「すみません。どうしても、出発する前にここに来たかったものですから」
「……やはり、気に病んでいるのか。お前の父が、犯した罪を」
ZOFFYは、しゃがむ男の肩にそっと手を置いた。
「私達の祖先……私の父は、プラズマ人工太陽開発チームの一斑のリーダーでした。父は功名心にかられ、十分なテストも行わないまま、運用実験に突入してしまった。その結果、『ヤプール』は……」
「しかしそれはお前自身が直接やったことではない。犯罪者の子は、親の犯した罪を必ずしも償わなければいけないというわけではないはずだ」
「たしかに、そうです……」
男は立ち上がると、「ですが……」と、続けた。
「ですが、私の父が、罪を犯したという事実に変わりはありません。そして私は、父の息子として、このような悲劇をもう二度と繰り返させたくはない。誰かの手によってその星が……その星に住むたくさんの生命の未来が、奪われるようなことはもう二度とあってはならない」
「……行って、くれるか?」
「……」
制服の男はゆっくりと頷いた。
ZOFFYを真っ直ぐ見つめるその眼差しには、強い決意が宿っていた。
「行きます。私が愛したあの星に、今、大きな危機が迫っている。私の愛した命が、危険にさらされている」
「そうだ。古の、神話の時代より彼らは蘇ろうとしている。かつての大いなる戦に際して、異次元の牢獄に封じ込められた彼らは、そこでずっと牙を研いでいた。苦痛に耐え忍びながら、粛々と、しかし着実に彼らは力を付けていた。そして今の人類には、そんな彼らの侵略に抗えるほどの力は、まだない」
「だからこそ、私が行くのです。愛する人々を…愛する地球を、守るために」
頷くと、男は制服の胸ポケットの奥からちょうど手のひらに収まるくらいのスティックを取り出した。上半分が半透明になった、ペンライトのような機械だ。側面には赤いボタンが付いており、制服の彼はスティックを天高く掲げると、ボタンを押した。
白銀の世界にあって、なお鮮烈な、まばゆい光が辺りに満ちた。
フラッシュ・ビームが男の身体を包み込み、あまりの閃光の前にZOFFYが目をしばたたかせる。彼が再び網膜に風景を取り戻した時、もう地球人に擬態したその男の姿はなかった。
ZOFFYの目の前に立っていたのは、身長40メートルになんなんとする銀色の巨人だった。弥勒菩薩を思わせる中性的な身体のラインに、鮮烈な赤いストライプ。それ自体が一個の太陽であるかのように燦然と輝く、胸の中央の蒼く透き通った宝石。アルカイックな印象を与える微笑みがZOFFYを見下ろし、その光の超人は「行きます」とばかりに、また頷いた。
超人は、地球防衛軍から、コードネーム“ウルトラマン”と呼ばれる光の巨人だった。
かつて地球人類はこの巨人に幾度となく救われ、地球人の最良の友としてきたのだった。
ウルトラマンは白熱化する大地を四十メートルの高さからもう一度だけ見渡した。絶大なパワーを持つ超人の視力をもってしても、プラズマの光が乱舞する世界の果ては見えない。しかし彼は、自らの祖先が犯した罪の歴史を胸に刻み、もう二度とこんな悲劇は起こさせはしないと決意を固めるべく、その凄惨な景色を金色の網膜に焼き付けた。
「ヘアッ!」
やがて、その長い足が黒焦げた地面を軽く蹴ると、宇宙空間に向かって銀色の肉体は舞い上がった。
「頼んだぞ、ウルトラマン……!」
部下を見送るZOFFYの後ろ姿もまた、いつの間にかウルトラマンと同じ銀色のそれと変わっていた。
〜漆黒の破壊王〜
――奪われた誇り――
人間の感覚でいえば悠久の過去、神話の時代、はるか大地の奥底にその監獄は築かれた。
音もなく、光もなく、重力すら崩壊し、時の停止したその世界は、どんな強大な力をも寄せ付けず、またどんな強大な力をもってしても抜け出すことはできない。
死という終末の瞬間すら与えられぬまま、未来永劫、永遠の苦痛を与えられ続ける運命が待っている。
果てしなく続く広大無辺の大地そのものを利用して築かれた闇の世界は、罪人達を収容する牢であると同時に、その罪を裁き、償わせるための虜囚の地でもあった。ダイヤモンドすらも一瞬にして燃え滓となってしまうような炎の空気に満たされ、たった一歩を歩くだけで百回は凍え死ぬ氷の大地は、いくつかの世界に分割され、落ちてくる罪人達は犯した罪によってそれぞれの断罪の場へと連れて行かれるのだった。
永遠に続く贖罪の作業はどれも決して軽くはなく、また救済の手を差し伸べてくれる者は誰一人としていない。
底のない絶望と孤独に並大抵の神経は焼き切れ、発狂する者も少なくはなかった。だが発狂する者はまだ幸せだった。かろうじて発狂することなく正常な神経を保った者には、永遠の苦しみが待っていた。
地獄。
まさしくそんな表現が、しっくりくる世界だ。
この世界にあっては、どんな美辞麗句も意味をなくす。友愛とか、幸福といった言葉は、この世界の住人の心をほんの数秒だけ慰める程度の効果しか持ち得ない。
この、幽冥の奥底では……。
絶望のみが価値を持ちうる世界にあって、気品と誇りに満ちた眼差しを失わぬ者がいた。
太陽のように燦然と輝く男だ。“美”という単語は、この男のためにあるのではないかと思わせるような美丈夫だ。まともな神経の持ち主であれば、ひと目見ただけで視神経が焼き切れていることだろう。古代ギリシアの彫刻家達が求めた完璧な肉体。多くの絵師がおぼろげながらも夢に見た完璧なマスク。そして多くの宗教家達が、至高の神と崇める完全なる光……。
比喩ではない。男は、まるで本当に太陽の化身であるかのように自ら神々しい輝きを放ち、纏っていた。それは光源など何一つなく、あったとしてもすべて奪い去る暗闇に閉ざされた世界にあって、本来ならありえない現象だった。一種の奇跡といっても、過言ではないだろう。
だが、男が放ち纏うそれは、地球から遠く離れたあの死の惑星で銀色の巨人が放っていたような慈愛の光ではなかった。地に生きる全ての者に恵みを与える穏やかな日差しではなく、霊長類の頂点と驕り高ぶって大地を汚し、貪り、破壊の限りを尽くしてきた人間達に、裁きを下す鋭い日差しだった。
その光が発する熱は、四方を取り囲む大気よりもなお熱く、煮え滾っていた。怒りで。人間の器では到底収め切れないであろう憎悪で。世界そのものを焼き尽くさんばかりに。
男が足を一歩踏み出す度に凍った大地は蒸発し、その場所にだけ“無”が生じていた。大地を燃やし尽くし、大気を燃やし尽くし、真空すらも燃やし尽くした結果、男の足跡の数だけ、文字通りの“無”が存在していた。
ギリシア神話は語る。
原始、世界には混沌(カオス)のみが存在し、そこから大地(ガイア)、冥府(タルタロス)、愛(エロス)が誕生した。
大地(ガイア)は独力で天空(ウラヌス)と海洋(ポントス)を生み、天空(ウラヌス)と交わることで多くの子をなした。13人兄弟の最後に時間(クロノス)が生まれ、また大地(ガイア)は天空(ウラヌス)との間に一つ目の巨人(キュクロプス)と五十頭百手(ヘカトンケイル)の巨人の三つ子をそれぞれ産み落とした。愛する夫と多くの子らに囲まれ、この頃の大地(ガイア)は幸福の絶頂にあった。
しかし、天空(ウラヌス)は自分以外の存在を許さぬ暴君だった。最初に大地(ガイア)との間になした子らを彼女の腹の中に押し込め、また三つ子の巨人達を醜いからという理由で冥府(タルタロス)の口の中へと追放した。
いくら愛する夫とはいえ、この所業を恨んだ大地(ガイア)は13人兄弟の末弟(クロノス)に金剛の鎌を与え、天空(ウラヌス)と自分が交わっている間に夫の男根を切断せよと、復讐の命令を下した。時間(クロノス)は忠実にその教えを守り、天空(ウラヌス)が大地(ガイア)に覆いかぶさった瞬間を狙って彼の生殖器を断ち切った。
子をなすことができなくなった天空(ウラヌス)は、世界の王たる資格を失い、その称号を己から王の資格を剥奪した者……時間(クロノス)に譲り渡した。時間(クロノス)は大地(ガイア)の腹に封印された兄姉達を救い出し、新世界を築くための組織を作った。ティタン神族の誕生である。
ティタンの何名かは近親婚を重ね、新世界を築く礎を作っていた。
そしてその中に、13人の中でも最も高貴なる輝きを放ち、並ぶ者なき究極の美の体現者とされた、男神がいた。
太陽の輝きを内に秘め、後に太陽と月、曙の、流転する三つの流れを生んだその神の名は、ティタン神族・太陽巨神ヒュペリオン。後の人々によって完璧なる男性像とまで謡われた太陽神アポロンよりもはるかに古き、太陽の神。
ギリシア神話はさらに語る。
後にティタン神族は自らの子孫たるオリュンポス神族との間で戦端を開き、十年もの歳月を費やして戦争を行ったと。そしてその戦争に敗れたティタンらは、そのほとんどが冥府(タルタロス)の底に幽閉された、と……。
一歩一歩を歩む巨神の眼は、自分達をこの世界に封印した子孫らへの怒りで激しく燃えていた。
すでに悠久の過去、神話の時代の出来事とはいえ、時間の止まったこの世界では、繁栄を極めた栄華の時代と自信と誇りに満ちた戦乱の時代、そして敗北から始まった屈辱の時代は、つい最近起きたばかりの、もっと身近な事件だった。
分割された世界の境界を一歩踏み出すと、ヒュペリオンを取り囲む景色は一変した。
先刻までは灼熱の熱風が吹き荒れる氷の荒野だった風景ははるか彼方へと遠ざかり、ヒュペリオンは自身の身の丈の百倍ほどもある渓谷の一画に取り残されていた。
ヒュペリオンのみならず、ティタンの神は総じて巨大である。足のつま先から頭のてっぺんまで、ゆうに人間の数十倍はあろうかという巨人ばかりで構成されている。
ヒュペリオンの身長は人間の単位に換算すると40メートルもの長身だが、その彼が見上げても果てが見えぬほど、切り立つ渓谷は巨大で、高かった。
ヒュペリオンは渓谷の岩肌に身体が触れぬよう、注意して足を運んだ。
彼は自分を取り囲むこの岩に、神々の力をも奪う特別な呪法が施されているのを知っていた。もし、指の一本でも岩肌に触れ、一秒もそうし続けていたらヒュペリオンはたちまち一歩も動けなくなってしまうだろう。
人工的に築かれた狭い歩道は、何千キロと果てなく続いていた。
ヒュペリオンが十日もかけて歩き続けると(もっとも、この世界に時間の経過という概念はないが)、突然、狭い歩道から一転して広い空間に出た。広い……といっても、それは人間の感覚で広いということで、ヒュペリオン達巨人にはさして広いとは感じられぬ空間だった。
東京ドーム数百個分はあろう平野は乾き、荒涼としていた。
平野の奥の方には渓谷とは違った茶色の高い岩山が見え、ヒュペリオンはその山を目指して歩いた。
巨人の足で歩くこと約二時間、ヒュペリオンは、ようやく目的地に辿り着いた。
ヒュペリオンが前に立つ岩山は丘陵の多い、山というよりは針のような形をしており、その山頂は神の視力をもってしても霞んで見えなかった。わずかに天空からハゲワシの小さな声が聞き取れるのみで、山頂付近がどうなっているのかは、彼にもわからない。よじ登って確かめようにも、岩山の斜面は渓谷よりもさらに強力な呪法が施されており、迂闊に登ることは許されなかった。
ヒュペリオンは岩山の斜面の中でも特に急な断崖の前に立つと、声高に叫んだ。朗々と紡がれるその言葉は古代の賢人を思わせ、もしこの場に聞く者があればあまりの幸福感に失神していたかもしれない。
「プロメテウスよ! 我が兄弟イアペトスの子にして我が兄弟オケアノス、テュミスの孫たる知恵の神よ!!」
それは声というより、ヒュペリオンの言葉を載せた光の粒子だった。
ヒュペリオンの言葉は空気を伝わって音が届くよりも速く、光の速さで断崖のはるか彼方で地獄の責め苦を受け続ける甥に届いたはずだった。後から追う音はヒュペリオンが立つ大地よりもさらに熱く、密度の濃い空気の渦によって消滅し、言葉としての意味を失っていた。
地上からどれほどの距離が離れているのかはヒュペリオンにも分からないが、はるか高空にいるであろう甥と会話のキャッチボールを楽しむためには、空気を震わせて互いの意思を伝える原始的なコミュニケーションよりも、光の粒子に伝えたいイメージや情報を託して飛ばす方が効率的であることは明白だった。
ややあって、ヒュペリオンの額に、光の粒子が触れた。
かつて悠久の時の流れの中で人間が失ったといわれる第三の目……仏教の世界では白毫と呼ばれる額に隠されたその器官で光の粒子に託された情報を読み取ったヒュペリオンの耳の奥で、久しく聞いていない甥の声が響いた。
「私の名を呼ぶのはいったい何者か!? 天空の神に逆らい、来るべき未来のその日までハゲワシどもに肝臓を差し出す罰を課せられ、いつからか訪れる者など誰一人としてなく、はるか北欧の嘘つき神よりも哀れな日々を送るこの私の下にやって来たそなたは何者か!?」
ヒュペリオンは唇の端をわずかに歪めた。とりあえず最初のコンタクトには成功したわけだ。
ヒュペリオンは自らの名を名乗ると同時に、自らの姿のイメージを情報として光の粒子に託し、はるか高空へと飛ばした。
「私だ、プロメテウス。お前の父・イアペトスの兄弟であり、お前の祖父・オケアノスの兄弟であり、お前の祖母・テュミスの兄弟である太陽の神……ヒュペリオンだ!」
「おお、叔父上であったか!」
上空から、驚きのニュアンスを孕んだ光の粒子が送信されてきた。
「この姿、この声……おお、間違いない。久しくその名を聞くのもなかったゆえ、すぐには思い出せなかった。許してほしい。なにせ、このような刑罰の真っ最中だ。長きにわたって他人の声や話など、聞いたことがなかったものだから…」
光の粒子が、言葉とは別の情報を送ってきた。
それははるか上空に囚われの身となっている甥の、哀れな姿のイメージだった。
神々の力を一瞬にして無力化する呪いの岩肌に重厚な鎖で括り付けられ、上空を飛ぶハゲワシどもに肝臓をついばまれる日々…。不死の神であるがゆえに失った肝臓は夜中のうちに再生し、また次の日の早朝についばまれる。未来永劫に続く痛烈なる苦しみ。
映像のイメージを受信したヒュペリオンは、それを脳裏に思い描いただけで吐き気をもよおし、また同時に憤りを覚えた。
「おお、なんたることだプロメテウス! お前がいったい何の罪を犯したというのだ!? お前がやったのは夜の寒さに凍え、夜の闇に怯え、獣達の声に震える人間達を救うために知恵を与え、炎を与えただけではないか。お前は本当ならば罪人などではなく、人間達から感謝されるべき救済者であったはず。それが……なんたる落魄ぶりであろうか!?」
「言わないでおくれ、叔父上よ。私は自らの取った行動に対して、少しの後悔もしていないのだ。例え私の行いが神々の法に従えば悪徳であったとしても、私は寒さに凍え、夜の闇に怯え、獣達の声に震える人間達を見捨てることができなかった。愛する人間達を、捨てておくことなどできるはずがなかったのだ。私はこうして裁かれることを承知の上で、人間に知恵を与え、火を与えたのだ」
プロメテウスが送ってくる情報の奔流は、粛々としながらも際限のない感情に満ち溢れていた。愛する者達を思う慈しみと、途方もない愛情が、地上のヒュペリオンには胸が痛むほど伝わっていた。
ギリシア神話は語る。
天空(ウラヌス)に代わって世界を治めたティタンの治世も、やがて終末の時を迎える。皮肉にも時間(クロノス)はかつて自分が父である天空(ウラヌス)に対してそうしたように、自らの子であるオリュンポスの神々に討たれてしまう。ティタンは、自分達の子孫にあたるオリュンポスの神々と戦端を開き、そして、敗れた。敗北したティタン達は神であるがゆえに死ぬことはなかったが、未来永劫、幽冥の闇の世界に繋がれることとなってしまった。
この天下分け目の大戦に際して、神々のほとんどはオリュンポスの側につくか、あるいはティタンの側についた。どちらの陣営にもつくことなく、中立の立場を保つ者はむしろ少なかった。勝てば世界の覇権が手に入り、戦いの果てに待っている栄光は敗れた際のリスクに勝るものがあった。プロメテウスは、このうちオリュンポスの陣営についた。
プロメテウスは偉大なる神々の中にあって稀少な未来を見通す能力を持っていた。彼には、この戦争の勝利者が誰になるか、最初から分かっていたのだ。
とはいえ、プロメテウスはオリュンポスの神々に対して心から与したわけではなかった。
その予知能力ゆえにオリュンポス側に着くことを選んだプロメテウスだったが、その内心では父達ティタンと戦わなければならない己の運命に対して、忸怩たる思いがあったのだろう。
プロメテウスはオリュンポスの神々に対して……特に父達を討った主犯である主神ゼウスに対して、並々ならぬ恨みを抱いた。プロメテウスはゼウスの治世の中で、数々の反逆行為に手を染めていった。
そうした数多の反逆の中でも、最もゼウスの怒りを買ったのが、人間に炎を与えたことであった。
プロメテウスは夜の寒さに震え、獣の声に怯える人間をみかねて、当時、神々にのみその所有を許された炎を人間たちに与えることにした。これがゼウスの逆鱗に触れ、プロメテウスもまた父達と同じように、オリュンポスの神々が用意した流刑の地に幽閉されることになったのである。それもただの幽閉処分ではない。
ゼウスはプロメテウスから自由を奪うとともに、彼に対して地獄の責め苦にも等しい重い刑罰を与えた。
神の力を奪う岩肌に四肢を拘束した上でその頭上にハゲワシを飛ばし、それらにプロメテウスの臓物をついばませたのだ。
皮膚を裂き、肉を刻み、あまつさえ内臓をブチブチと引き千切られる苦痛は、いかな神といえど耐えがたいものがある。並の神経の持ち主であれば肉を裂かれた時点でショック死を迎えてもおかしくない。しかし、プロメテウスにはショック死という、苦痛から逃れるための救いの道は開かれていなかった。
なぜならば、ギリシアの神々は不死身なのだ。
古代エジプトや日本の神話では、たとえ神であっても死ぬ。しかしギリシア神話における神々は、決して死ぬことはない。その体内に流れる神の血が、彼らに不死の力を与えているためだ。
ゆえにプロメテウスはこの死よりなお重い苦行に数千年もの間、耐えねばならなかった。英雄ヘラクレスに解放される、その日まで。
かつてティタンの誰からも愛されて生を受けた甥の堕ちた姿に、ヒュペリオンは深々と嘆息する。しかし今日、自分がここにやってきたのはそんな無意味な嘆きを口にするためではないと思い出し、彼ははるか天空を見上げた。
本題に移ろうとする叔父の態度が伝わったか、天より降り注ぐ光の粒子も、僅かに緊張を孕んだものになる。
「……して叔父上、本日はどのような用向きでこのような場所まで足を運んでこられたのか? まさか死よりなお苦しい冥府の難行に喘ぐ私の姿を嘲笑いに来たわけではあるまい」
「うむ。実は一年の過日――といっても、我々のように永遠を生きる者にとってはほんの僅かな過去に過ぎぬが――この冥府のはるか東の果てより、龍の使いが来たのだ」
「龍?」
「そうだ。き奴らは我らティタンに、協力を求めてやって来た」
ヒュペリオンは一年前にやって来た二匹の龍の使いと、彼らが自分達に求めた要請について語った。曰く、東方よりやって来た龍達は地上に返り咲くための企みを練り、近々それを実行に移すのだという。そしてその際に、彼らの地上回帰の邪魔になるであろう存在を、ティタンに討ってほしいと申し出てきたのだ。
「……我らとてこの冥府に縛り付けられた虜囚の身。地上復権を志す奴の気持ちも分からなくもない。また、あ奴らは自分達の地上回帰の暁には、我らティタンを地上に引き上げることを約束していった。ティタンの院は、龍への協力を決定したのだ。そして件の邪魔者を討つ役に、私が志願したのだ」
「事情は了解したが…して、叔父上らは私に何をせよと?」
天空からいぶかしげな感情を乗せた光の粒子が降り注ぐ。
オリュンポスの神々との戦に敗れて以来、冥府に拘束されたティタンが内心では地上への回帰を望んでいることは、プロメテウスも知っている。その彼らが同じように地上回帰を目指す龍達に協力することを決めたのも分かる。
しかし、同じティタンとはいえ、かつての戦争では敵に回った自分にその事を話すヒュペリオンの意図が、プロメテウスには読めない。
「案ずるな。かつての戦争の事はもはや我らの頭の中からはすっぽりと抜け落ちている。それにお前は私の可愛い甥だ。恨む気はない。……私が今日ここに来たのは、お前にも協力してもらいたいことがあるからだ」
「…私に? 神の力のほとんどを発揮できぬ状態にされ、己の臓物が猛禽についばまれるのを黙ってみているしかない、今の無力な私に、何を望んでいるのか?」
「知恵を借りたいのだ。その未来を見通す目と、広大な知識の鉱脈に裏打ちされた、お前の知恵を借りたい。
この世界にあっては我らもお前と同様、虜囚の身だ。かつて人間達から神と呼ばれていた頃の力のほとんどは封じられ、現世に戻ることもままならん。そこでこの一年、我らティタンは知恵を絞り、現世に行くための方法を探した。そして、ひとつの答えに辿り着いた」
「それは……」
「うむ。アンバランスゾーンだ」
ヒュペリオンはゆっくりと頷いた。
「我らの持つ神々の力は、この冥府の世界では行使できない。しかし、アンバランスゾーンを利用すれば、神の力を使わずとも、現世に戻ることは不可能ではない。アンバランスゾーンという異空の中では、世界の森羅万象が意味をなくす。この冥府の世界の拘束力すら、無力化することができる」
「そこで私のこの未来を見通す目をもってして、次にアンバランスゾーンが開くタイミングと、位置を特定せよ、と申すか」
「ああ。応じてはくれぬだろうか?」
ヒュペリオンは黄金色の眼差しを天空へと向けた。
天空で地獄の責め苦を負うプロメテウスから返事がくるまでに、少し間があった。
「…いいだろう。叔父上らの協力要請に応じよう。ゼウスによってこの岩に縛り付けられて以来、まともな会話など望むべくもなかった。僅かな時間とはいえ、その孤独を忘れさせてくれた叔父上らには、感謝せねばならぬ。叔父上らには、礼をせねばならぬ」
「プロメテウス…すまぬ」
ヒュペリオンは思わず頭を下げた。
天空のプロメテウスからは見えぬとわかっていながら、それでも身体で誠意を表さねば気がすまなかった。
やがてプロメテウスからは、莞爾とした笑みを浮かべる映像のイメージとともに、ヒュペリオンが求める情報の奔流が送られてきた。
――1975年6月27日、ハワイ。
ハワイ、パールハーバーの太平洋艦隊司令部は潜水艦基地に面した小高い丘の上にある。フォード島真下に湾内の半分……つまり東入江を一望できる位置だ。
太平洋艦隊司令官クルーガー大将は、現地時間でまだ午前3時、いつもならバーボンをストレートで飲んでぐっすり眠っている時間帯に、唐突に目を覚ました。隣で眠っている妻のヘレンを起こさぬようベッドから降りると、彼は夢の世界から自分を引っ張り出した原因を退治するべく、薬箱から頭痛薬を取り出し、二錠を水無しで飲んだ。
即効性の薬だがそれでも効果が現れるまでに五分はかかるので、彼は気を紛らわすべく宿舎のベランダに出てみた。フォード島東側泊地につながれた艦船群、手前側の潜水艦群が停泊する埠頭が、消えることのない島の灯りと月明かりによって、よく見える。
――ひどい夢だった。
クルーガー大将は自分を起こした頭痛のそもそもの原因……ついたった今しがたまで見ていた悪夢について思い出していた。
悪夢……といっても、なんのことはない。人間の想像力の限界を超えたゴーストが出るとか、過去の恥ずかしいエピソードの再録といった類のものではない。
ただひたすらに、真っ白に霞がかった視界の中、そっと耳元で何者かが同じフレーズを囁き続けるだけの、薄っぺらい内容の夢だ。とはいえ、話だけ聞くと大したことではないように思えるが、それが延々ずっと続くとなると、本人からすればたまったものではない。
結果、ベッドに身を埋めること三時間、こうもずっと同じフレーズを囁かれたクルーガーは、頭痛で目を覚ましてしまった。何遍も、何遍も、同じ事を囁かれた頭はズキズキと痛み、喉はからからに渇いていた。恰幅の良い、けれども海兵として鍛えられた身を包むガウンは、寝汗でびっしょりと濡れている。普通、夢なんてものは目を覚ませばほとんどの内容を忘れてしまうものだが、目を覚ましてもなおリフレインしている言葉を、クルーガーはもう憶えてしまっていた。
「……そうです。ここはすべてのバランスが崩れた恐るべき世界なのです。これから三十分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです」
夢の中、延々と語り続けてきたフレーズを、クルーガーは自らも口に出して言ってみる。
薬を飲んだというのに、頭痛はなお酷くなってしまったようだった。
そのとき、ベランダでたたずむクルーガーの耳膜を、電話のベルが打って、彼は寝室に戻った。
ヘレンはまだよく寝ている。
受話器を取ると、彼の副官のベレスフォード少佐の、やや興奮した声が飛び込んできた。
『司令官ですか? 夜分遅くに起こしてしまい、すみません。実は、奇怪な事態が起きておりまして……』
「なんだ少佐? 私は今、とびきりの悪夢を見て起きたばかりで、すこぶる機嫌が悪いのだが」
大将はぶっきらぼうに言った。
電話の向こう側から、ごくりと唾を飲むベレスフォード少佐の様子が伝わってくるようだった。
「す、すみません。本当にすみません。……ですが、本当に緊急事態なのです。実はさきほど、おかしな通信がマリアナ方面から入電しまして……それがなんと太平洋戦争時代の周波数を使っているので、なかなかキャッチできなかったのですが……『サイパン島に偵察機を出してみたところ、様子がおかしい。これから攻撃にかかることになっているが、勝手が違うではないか』と、言ってきたのです」
「サイパンを攻撃!? いったい何を言っておるのだ?」
クルーガー大将は舌打ちした。
「いったいどこの狂人がそんな電信を打っているんだ? 捕まえて厳罰に処してやらなければならん。相手の名前は? 分かっているのか?」
「そ、それが……」
ベレスフォード少佐は、一瞬絶句してしまった。
電話越しにも、彼の緊張が生々しく伝わってくるようだった。
「……第五艦隊司令長官、スプルーアンス大将の名前で、打ってきています」
「なんだと!?」
今度は大将が絶句してしまった。
思考が一瞬、停止状態に陥ってしまう。
第五艦隊のスプルーアンス大将といえば太平洋戦争時代に知将ニミッツ大将の参謀長を務め、その後緒は艦隊司令官に昇格、戦争も末期のマリアナ戦では“大海洋艦隊”と呼ばれる総数1000隻、四個空母群を含む大艦隊を率いて、猛将“ブル・ハルゼー”と交替で日本海軍と戦った人物ではないか。無論もう現役は退いているし、すでに逝去している。
だとすれば打電してきたのは幽霊か? いやまさか、そんなことがあるはずがあるまい。しかし、怪獣や宇宙人が実際に現れ、闊歩するような時代だ。幽霊という存在が絶対にないとは言い切れない。だがしかし……誰か、今日はエイプリルフールだと言ってくれ!
刹那の思考停止の後、クルーガー大将の頭の中にはどっと混乱の波が押し寄せていた。
混乱のあまり、かえって空っぽになったクルーガーの耳奥で、そっとあの……何度も夢に聞こえた、悪夢のフレーズが囁いた。
「……そうです。ここはすべてのバランスが崩れた恐るべき世界なのです。これから三十分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです」
――同日、ソ連。
ソビエト連邦という巨大国家を、南北に分ける巨大なウラル山脈。
そこは鉄鉱石を始めとする豊富な資源の宝庫であり、また様々な野生の動植物が生息する自然の宝庫であり、そして……人智を超えた超生命が身を潜める、魔境でもあった。
モスクワ大学で教鞭を振るうセルゲイ・ミハイレンコフは、すでに六十三歳という高齢ながら専科である植物学の研究者として現地での標本採集に余念がなかった。セルゲイは第二次世界大戦中にドイツ軍を相手に戦った古強者であり、今でも最近の若い研究員や助手達には、負けない健脚を誇っていると自負している。ウラル山脈は鉄鉱石や銅、石炭などの資源が豊富で、その採掘のためのインフラはかなり整備されているが、セルゲイのような研究者が進む道は大概が舗装されておらず、彼の教え子達の多くはその過酷さゆえに2時間も歩けば音を上げるのが常だった。
(まったく、不甲斐ないやつらばかりだ…)
二週間前に助手として雇った二十代半ばの若い研究員は、登山開始からわずか一時間で音を上げて、麓の宿に引き返してしまった。その前に雇った助手は一日もったが、セルゲイが山中でキャンプを張るというと逃げ出してしまった。
森の中を歩くセルゲイの背中は、孤独だった。
いや研究者としてだけでなく、セルゲイの人生はいつも孤独と隣り合わせだった。
二十六歳で結婚した妻は独ソ戦の折に流れ弾に当たって死に、忘れ形見の一人息子も五年前に病気で死んだ。妻が死んでからはずっと独身で、親族はおらず、数少ない友人達の中にもちらほらと他界する者が出てくるようになった。「セルゲイの今の恋人は葉緑素なんだな」と、冗談めかして言った、物理学の権威だった親友も一昨年に他界した。
孤独な彼の心を癒してくれたのは、“セルゲイの今の恋人”だった。
研究に没頭することで寂しさを忘れ、その結果、今では大学教授の地位も得た。
研究しかすることがなかったから、学会で提出した論文はすべて高い評価を得た。
皮肉なことに孤独との友達付き合いが、セルゲイに精力的な研究者としての名誉を与えたのだった。
研究のための山登りを始めて、すでに六時間が経過していた。
できるだけ活動を始めたばかりの標本を採集したかったため、早朝6時から山の散策を始めたセルゲイは、ちょうど昼時ということもあって休憩を取ることにした。
ウラルの山にはこれまでにも研究のため何度も足を運んでいる。感覚的には自分の庭のようなもので、セルゲイが休憩に適した場所を見つけるまでにかかった時間は短かった。
景色の良い川辺の、ちょうど椅子にするのに適した岩に腰を下ろした彼は、登り始めた時よりも少しだけ重くなった荷物の中から弁当を取り出した。宿の台所を借りて作った、セルゲイの手製だ。妻が他界してからというもの、男手ひとつで息子を育て、三十年以上も独身でいるセルゲイは一通りの家事をこなすことができた。
耐久性に優れた日本製の魔法瓶には、ロシアン・ティーが入っている。蓋をかねたコップに一杯注ぎ、たっぷりといちごジャムを入れてかき混ぜ、まずは一杯飲もうとした時、セルゲイはティーの表面に不自然な波紋が浮かんでいることに気が付いた。
長年の山歩きの経験から本能的に次にくる衝撃を察したセルゲイは、頭を抱え込んで椅子にしていた岩場の陰に隠れた。
次の瞬間、セルゲイの身体を……いや、セルゲイの身体だけではない。巨大なウラル山脈、ひいては広大なロシア連邦を、凄まじい震動が襲った。
それは二十世紀初頭に、セルゲイのいる場所から遠く東アジアの最果ての島国で起こった、大震災の第一波にも似た長い激震であった。
震動はたっぷり二十秒は続き、セルゲイはこれまで体感した中で最も大きな地震に、一瞬、この世の終わりがきたのではないかと錯覚した。
しかし、それは恐怖の前触れにすぎなかった。
セルゲイのいる開いた川岸からはるかに望む山間に、轟々と土の柱が噴き上がり、太陽を隠したかと思うと、突如として真昼の暗闇が訪れた。
顔を上げて太陽を隠すその正体を見たセルゲイは、腰を抜かした。
その場に座り込んでしまった彼の視線と、ぎょろりとした怪しい眼光が交わる。
セルゲイの何十倍もの巨体を揺さぶって、その、蝙蝠のような奇怪な巨獣は、天地に轟く産声を上げた。セルゲイにはそれが、地獄からやってきた悪魔の声に聞こえた。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
両腕と一体化した翼が突風を巻き起こし、古生物のサーベルタイガーを思わせる鋭い牙が、上下に動く。どことなく人間を思わせる暗い無表情が、年老いた科学者の顔を恐怖に染める。
もしセルゲイに、古代生物学……特に絶滅した動物の知識が少しでもあれば、その異形の生命が恐竜とは異なる種であることは一目瞭然だったであろう。その骨格は鳥盤目の恐竜よりもむしろ肥大化した人間のようだ。蝙蝠と、巨大化した人間が契りを交わしたなれの果て……まさに、そのような姿をしている。
――冷凍怪獣ペギラ。
かつて南極や東京を襲ったその怪獣の姿を、セルゲイはテレビを通じて見たことがあった。
しかしセルゲイは、目の前の怪獣がどれほど無慈悲で、暗く、己の欲求を満たすことに対して忠実であるかまでは知らなかった。
また、ペギラが口から吐く冷凍光線が、零下一三〇度という、物理の法則を無視した威力を持っていることも、セルゲイは知らなかった。
セルゲイが意識を失ったのは一瞬だった。苦痛がなかったことが唯一の慰めだった。苦痛を感じる前に、セルゲイの身体は凍結し、魂は消滅していた。
ペギラの口からなにやら白い熱線のようなものが吐き出された一瞬、最後の時を迎える寸前に、セルゲイは奇妙な声を聞いた。奇妙な声が、聞こえたような気がした。
「……そうです。ここはすべてのバランスが崩れた恐るべき世界なのです。これから三十分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです」
アンバランスゾーンが、開いた。
ソビエト空軍の戦闘機パイロット、ディミートリー・アンドポロフ中佐は、空を自由に飛びようになってもう十五年にもなるベテラン・パイロットのひとりだった。三八年の人生を通しての総飛行時間はゆうに四〇〇〇時間以上。単にベテランというだけでなく、中東戦争にアラブ側の軍事顧問として参加し、第三次、第四次の中東戦争では非公式ながらイスラエル空軍のミラージュ戦闘機を2機、F-4ファントムUを1機撃墜した、歴戦の勇士でもある。ベトナム戦争でも北ベトナム側の戦闘機パイロット育成のために何度となく実戦を経験しており、もしソ連がベトナム戦争、中東戦争に公式に介入していたならば、エース・パイロットの称号を与えられていて然るべき存在だった。
アンドポロフ中佐が所属する航空隊に、ウラル山脈に出現した怪獣に対して攻撃を行うべくスクランブル発進が命じられたのは、ちょうど午後1時を回ってすぐのことだった。出現した地点が山奥ということもあって、幸いにも人的な被害は最小で済んでいるらしかったが、すでに民間人が5名、犠牲になったという。
出撃命令が正式に下る二十分も前から緊急出撃の準備を始めていたアンドポロフと、彼とチームを組んでいる若い三名のパイロットからなる小隊が、命令が下ってから機体搭乗までに要した時間はわずか一分に過ぎなかった。
アンドポロフの指示を受けた整備班の手によってすでに対怪獣用の攻撃装備を整えて待機していた4機のMiG-27“フロッガー”戦闘爆撃機が、スクランブル発進をするのに要した時間はそれからさらに二分に過ぎず、アンドポロフの飛行小隊は命令からわずか三分で大空へと羽ばたいた。
MiG-27“フロッガー”は、MiG-21“フィッシュベッド”戦闘機の後継機として開発されたMiG-23に、対地攻撃用の装備を搭載したソビエト空軍の最新鋭機である。空戦用のレーダーこそ搭載していないものの、最大で4トンもの爆弾を搭載でき、また東側の戦闘機としては初めてVG型可変後退翼を備えた短距離離着陸性能に優れた機体でもある。
4機のMiG-27“フロッガー”は、全機が500キログラムのM62通常爆弾を6発、赤外線誘導方式の空対空ミサイル“アトール”2発からなる対怪獣用の攻撃装備を搭載して、マッハ1.2の速度でウラル山脈へと急行した。この対怪獣用攻撃装備は、『主に地上を移動する怪獣に対しては爆弾による対地攻撃が最も有効である』という、ソビエト空軍の上層部が作成したマニュアルに基づくもので、一個飛行小隊(4機)で爆弾の総量は12トン。第二次世界大戦の戦略爆撃機一機分以上の攻撃力を持っていることになる。しかも爆薬自体、強化されている。2発のアトールは万が一、敵怪獣が飛行能力を有していた場合のための自衛用の武器だ。
これらの装備内容を決定するマニュアルは、過去にソ連軍が怪獣と戦った時の教訓を基に作成されたものではなく、机上の論議によって作成されたものだった。実戦の教訓を参考にしようにも、ソ連軍は実際に怪獣と交戦した経験が極めて少なく、有効なマニュアルを作成するのに十分なデータが揃っていなかったのだ。
とはいえ、これは何もソビエトに限らず、世界中のどこの国の軍隊も同じようなものだった。
『ツァーリ(皇帝)1、こちらコトラス管制塔……』
無線を通して聞こえてくる管制官の馴染みの声は、いつにも増して緊張していた。
『キーロフの陸軍基地が飛ばしたMi-8ヘリコプター部隊が偵察を行い、目標の名前が判明した。過去に二度、その出現が確認されている。コードネームは冷凍怪獣“ペギラ”だ』
「ペギラ……? 60年代に南極と東京に出現した、あのペギラか?」
『その通りだ、ツァーリ1』
アンドポロフと同期のベテラン管制官は、彼のTACネームを呼んだ。
『西側から奪取した記録によれば、南極、東京で確認されたのは同一個体で、いずれの場合においても取り逃がしている。ウラルに出現した個体が、その時、取り逃がした個体かどうかは不明だが……』
『なんにせよ、この国に現れたことを後悔させてやりますよ』
アンドポロフとペアを組んでいるアントノフが無線に割り込んできた。昨年アンドポロフの飛行小隊に配属されたばかりの新人で、総飛行時間はアンドポロフの10分の1以下の二三〇時間。自信家だが野心家としての一面もあり、この一年でめきめきと腕を上げている期待の新人だ。
アントノフは今回が初めての実戦だった。いやアントノフだけではない。アンドポロフ達とは別のペアを組んでいるあとの二人も実戦は今日が初めてで、アンドポロフも実戦は初めてではなかったが、対怪獣戦闘を経験するのは初めてのことだった。三人の若きパイロット達はまさか初陣が人間相手でなく、怪獣相手になろうとは思ってもいなかっただろうし、アンドポロフもまた現役中に怪獣と戦うことになろうとは思ってもいなかった。
1954年に初めて怪獣と呼ばれる存在が確認されてすでに二十年以上の時が経過しているが、これまで、怪獣や異星人が主に襲来したのは日本かその周辺諸国ばかりで、ヨーロッパやアメリカといった各国に出現したケースはむしろ稀だった。
なぜ、そうした存在が日本ばかりを襲うのか、原因は不明だが、一部の研究者達の見解によれば『日本にはそうした存在を引き付ける“何か”がある』らしい。当の日本人にしてみれば迷惑千万な話だろうが、その説明を聞いた初めて耳にした時、アンドポロフは不思議と納得してしまった。あの国には昔からどこか不思議なところがある。あの蒙古が二度にわたって襲来した時ですら、日本はその侵略を跳ね返してしまった。おそらくは偶然だろうが、ちょうど良いタイミングで台風がやってきたのだ。
そうした理由から、現在のソビエト軍には、怪獣や異星人との戦闘経験を持つ者は数えるほどしかいない。なにせ、この二十年間で確認された怪獣や異星人との交戦記録はワルシャワ条約機構全体でも片手で数えられるほどしかなく、その記録も半数以上がソ連軍ではなく、ソ連国内に常駐する地球防衛軍の戦闘記録だった。
『ペギラは飛行能力を有した怪獣だと聞きます。こちらは対空ミサイルを4機合計で8発しか装備していませんが、大丈夫でしょうか?』
アンドポロフ達のやや後ろを飛ぶペアのリーダーの不安げな声が、無線を通してアンドポロフの耳に届く。「不安なのは自分も一緒だ」と、思わず口に出しかかったアンドポロフだったが、自分は飛行隊長なのだと言い聞かせ、彼は自制した。自分は飛行隊長なのだ。隊長が不安を漏らしたり、泣き言を言ってはならない。常に毅然とした態度でいなければ部下からの信頼は得られないし、下手をすれば無意味に部下を不安がらせ、実力を存分に発揮できないようなことに追いやりかねない。それだけは絶対に避けなければ。
アンドポロフはマイクを通して聞こえるであろう雑音混じりの自分の声が、冷静であることを祈りながら口を開いた。
「飛行能力を持つといっても、ペギラは“ラドン”などの飛行型怪獣と違って常に空を飛んでいるわけではないはずだ。南極に出現した時も、東京に出現した時もペギラは主に地上を歩行していたと、記録に残されている。対空ミサイルよりも、爆弾を投下する機会の方が多いはずだ。ミサイルは4機合計で8発しかないが、爆弾は4機合計で12トンもある」
アンドポロフはなけなしの怪獣に関する知識を結集して言った。
言いながらも、彼は自機に搭載された総量3000キログラムの爆弾と2発の対空ミサイル、固定武装の30mm機関砲といった諸々の武装に対して、全幅の信頼を置くことができなかった。これらの武装が、未だ実戦で怪獣に対して効果を挙げたという事例がなかったからだ。
『ツァーリ1、こちらコトラス管制塔。兵装満載時のMiG-27の航続力では、ウラルまでは片道が精一杯だ。針路を四―八―七に取れ。空中給油機が待機している』
「コピー、コトラス。……針路は四―八―七だ。各機、コピーしたか?」
『コピー、ツァーリ1』
アントノフの声は意気揚々としていたが、同時に焦れてもいた。やや特殊な初陣になってしまったとはいえ、ようやく待ちに待っていた実戦だ。若い彼には、今のこの一時すら惜しいのだろう。
対照的に、あとの二人から聞こえてくる受信報告の声は、不安と緊張とで強張っていた。
後方のペアのエレメント・リーダーは二五歳のモロトフ中尉で、ウィングマンは二七歳のワシレフスキー少尉。TACネームはナロード(人民)1と2。飛行時間はそれぞれ約七〇〇時間と、九五〇時間で、実戦経験は勿論ない。2人とも優秀なパイロットで、アンドポロフが練習機に乗り始めた年齢のときにはすでに、戦闘機の正式なパイロットとして航空隊に配属されていた。
二人は、多くの戦闘機乗りがそうであるように勇猛果敢で、ひとたび愛機に跨れば世界最強の男達のひとりになった。しかしやはり、そんな彼らも初陣への不安と緊張は隠しきれないのだろう。「コピー、ツァーリ1」と、答える短い言葉の端々に、どんな屈強な兵士の心にも宿る恐怖の影が現れていた。
だがアンドポロフはそんな二人を、臆病者だとなじる気にはなれなかった。彼らの反応は戦闘機パイロットであれば……というより、人間であれば当然のことであったし、何度もいうようにアンドポロフ自身不安だったのだ。
むしろ彼は、初陣にも拘らずやや調子に乗りすぎているきらいのあるアントノフの反応の方が危険だと感じていた。
怪獣の出現や異星人などの侵略者に対して、通常、各国の正規軍が動くことはない。正規の軍隊の本質は他国からの侵略を防止するための抑止力であり、実際に戦争を行うとしても、それは同じ人間同士の戦いが前提である。地球人の常識が通用しないことがしばしばある異星人や、そもそもコミュニケーションの手段すら確立されていない怪獣との戦闘は、よほどのことがない限り地球防衛軍が担当することになっている。少なくとも、1973年の初期までは、そうした体制が整っていた。
しかし1973年、異次元超人“ヤプール”を名乗る謎の侵略者の襲撃を受けて、地球防衛軍はその機能の大半を失った。これまでに数々の怪獣や異星人を撃退してきた地球防衛軍も、異次元世界の住人というまったく予想外の敵に対しては、有効な防衛手段を持ち得なかったのだ。地球防衛軍は事実上壊滅し、わずかに残された残存兵力も、そのほとんどが烏合の衆と化した。
この事態に最も慌てたのは、日本の除く各国の正規軍だった。これまで怪獣や異星人による侵略に対する防衛戦はすべて地球防衛軍が肩代わりをしてくれたが、これからは少なくとも自分達の国は、自分達で守らなければならない。1954年の“怪獣王”の出現以来、怪獣や異星人との戦闘を二十年以上続けていた日本人だけが、唯一、有効な対抗策を実行に移せる体制を整えていた。
アンドポロフ達のMiG-27飛行小隊は、途中で空中給油を受けて、午後1時15分に、800キロを越えてようやく目的のウラル山脈へと到着した。
そして彼らはそこで、まるでおとぎ話の絵本から飛び出してきたかのような悪魔の姿を目撃した。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
「目標を確認。これより、攻撃任務に移る!」
そう言ったアンドポロフの声は、道中に彼が感じた、そして現在もなお彼を内側から苛んでいる不安を微塵も感じさせぬほど、自信に満ち溢れ、凛とした張りがあった。なんだかんのと言っても彼はやはり優秀な戦闘機パイロットで、いざ戦闘となれば恐怖を克服し、勇気を親友とできるだけの精神力を持っていた。
アンドポロフがぐいっと操縦桿を手前に引くと、アフターバーナーを点火させたフロッガーは炎の尾をなびかせながら急上昇。急降下爆撃の体勢に入る。
「ナロード1、2、これよりツァーリ1と2は、急降下爆撃を敢行する! 援護しろ」
『ナロード1、コピー』
僚機のアントノフが遅れてアンドポロフの後を追い、さらに遅れてやってきた二機のMiG-27が、低高度を保ちながら二手に分かれて地上の怪獣を挟み込む。ペギラから向かって右から来るのがナロード1……モロトフ中尉で、左から来るのがナロード2……ワシレフスキー少尉の機体だ。
アンドポロフとアントノフの周囲を灰色の雲が包み込み、仲間達の姿が肉眼では見えなくなった。戦闘型のMiG-23と違い、戦闘爆撃型のMiG-27にはレーダーが搭載されていない。よって仲間達の安否は、航空管制と無線が頼りになる。
『ナロード1、距離1300』
『ナロード2、距離1170。フォックス・スリー! フォックス・スリー! ……なんてな!』
聞こえてきたのはワシレフスキー少尉の声だった。
「フォックス・スリー」と、アメリカ軍のパイロットを気取って機関砲を発射しているらしい。対地攻撃用の30mm砲は、アメリカ側の航空機のほとんどに搭載されている20mm口径の“フォックス・スリー(機関砲)”よりも、一発の威力と射程の面で優れている。身長四五メートルと的が大きいので、まずはずす心配はないだろう。
『ナロード2、右へブレイクしろ! ブレイク! ブレイク! ブレイク!』
若いモロトフ中尉が、年上のワシレフスキーに向かって叫ぶ。
ペギラは口から放マイナス一三〇度の冷凍光線を放つ能力を持っている。通常の怪獣が持つ熱線と違い、これは相手のエネルギーを奪う特殊な光線だ。命中すれば、ほぼ間違いなく助からない。幸いにもワシレフスキーは無事に離脱できたようだ。
アンドポロフは内心はらはらしながら次々と飛び込んでくる無線を聞いていた。
やがて機体に装備された高度計が6000メートルを示し、アンドポロフはマイクに向かって叫んだ。
「ツァーリ2、そろそろ行くぞ」
『了解です、ツァーリ1!』
腕力の限りに引いていた操縦桿を、今度は逆に押し戻す。
二機のフロッガーはさらに高度7000メートルまで上昇して、そこで一気に滑り落ちる。Gフォースが急速に高まって、アンドポロフの目は真っ赤に染まった。
急降下爆撃は優秀な対地攻撃用の照準システムが確立されていなかった時代から伝わる、最も命中率の高い爆撃方法のひとつである。大東亜戦争の初期、帝国海軍はいわゆる“月月火水木金金”の猛訓練を課して、88%という世界随一の急降下爆撃による命中率を誇った。この命中率が、インド洋における作戦成功の秘訣となった。
重力落下ではなく、飛行機の速度分の運動エネルギーしか上乗せされないので威力はそれほどでもないが、自由落下の爆撃がほとんど運任せであるのに対して、急降下爆撃は誕生した当時から高い命中率を確保することができた。そして現代の優れた機械式の照準システムと組み合わせることで、急降下爆撃はほとんど100%に近い命中率を叩き出すことも不可能ではない。アンドポロフは急降下爆撃の達人でもあり、彼は平均で90%以上の命中率スコアを保持していた。アントノフの命中率は66%。それでも、十分高い。
高度計の針が、2000メートルを示した。あと1200メートルで、アンドポロフが最も得意とする爆撃高度だ。
「よし、今だ。落とせ!」
『ローグ、ツァーリ1』
高度計の針が800メートルを指し示したところで、アンドポロフは6発のM62破壊爆弾のうちの2発を切り離した。アントノフも2発、切り離す。合計4発、2000キログラムの破壊爆弾が、ペギラに向かって真っ直ぐ落ちていった。
アンドポロフが落とした2発と、アントノフの落とした1発が怪獣の身体に炸裂し、残る1発がすぐ手前に落ちて、爆発した。
地上はたちまち紅蓮の炎に包まれ、ウラルの森林は北爆を受けるベトナムのジャングルさながらに燃え上がった。立て続けに炸裂音が轟々と重なり合い、爆発によって削られた山肌がどっと雪崩にように下界へと下っていく。山間に轟く、ペギラの絶叫。
濛々と立ち込める黒煙を眼下に、高度300メートルを維持しながらアンドポロフとアントノフは揃って機体を右方向に20度ロールさせて旋回機動を取りつつ、肉眼で地上の様子を覗った。3発もの爆弾の直撃を受けたペギラはうずくまるようにして膝を着き、身悶えしている。
その様子を見たアントノフは叫んだ。
『馬鹿な……! M62が4発だぞ!?』
さすがの自信家のアントノフも、自機が搭載する最大の武器によって相手が死んでいない事実に動揺を隠せなかった。
一方、自分達に機体に搭載された武装に対して、始めから懐疑的だったアンドポロフは冷静だった。所詮、今この機体に積んでいる代物は実戦を知らない上層部がすべて決定した物だ。
「……続けて爆撃だ。たしかに4発のM62では奴を片付けることはできなかった。だが、奴も無傷というわけではない。今の奴を見ろ。苦しんでいる。60年代に奴が最初に出現した時よりも、爆薬の威力も上がっているんだ」
『ろ、ローグ、ツァーリ1』
一発の威力が足りないならば続けて同時に複数を。ややどもりながら答えるアントノフの双眸には、すでに消沈しかけた自信が戻ってきていた。
うずくまっていたはずのペギラが突如としてむくりと起き上がり、恐るべき冷凍光線を吐いたのはアンドポロフ達が二周目の旋回機動から再び急上昇しようとする、まさにその時だった。
アンドポロフは反射的に機体のロール角を深め、機体を180度回転。力いっぱい操縦桿を引き起こし、スプリットSを応用した機動で飛んできた冷凍光線を回避する……が、度重なる実戦を経験してきたアンドポロフだからこそ咄嗟に取れたその回避運動を、僚機のアントノフは取ることができなかった。総飛行時間四〇〇〇時間以上と、二三〇時間の実力差だった。
「ツァーリ2、ブレイク! ブレイク!」
口に出して指示を伝えた時には、もう遅かった。
フロッガーの背後でもう一機のフロッガーは一瞬にして四散した。零下一三〇度の光線に貫かれた機体は原子が崩壊するほどのスピードで急速に凍結させられ、爆発すらせずに大気圧に揉まれて散りとなった。脱出装置が作動した気配はない。
粉々に砕けた結晶が、まるで舞台上の紙ふぶきの如く灰色の空を彩る。
若き戦闘機パイロットの命の炎は、あまりにも呆気なく、そしてあまりにも美しく砕け散った。
『アントノフ―――――――!』
ワシレフスキーがTACネームで呼ぶのも忘れて叫んだ。
背中を向けていたアンドポロフと違い、二機のナロードはアントノフの命が消え去る瞬間を、真正面から目撃したのだった。
『チクショウ! チクショウ!』
「ナロード2、先行しすぎだ。旋回して一旦距離を取れ! ……ナロード2、ナロード1を止めろ!」
『ッ! …ローグ、ナロード1!』
30mm機関砲をぶっ放しながら突進するナロード2のフロッガー。搭載している6発のM62を全部投下し、ウラルの大自然を焦熱地獄の如く変貌させる。しかし直撃した物は1発もない。ペギラは平然として冷凍光線を放った。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
『そうそう当たってたまるかぁッ!!』
ブレイクし、6Gの機動で旋回する。アントノフがやられた時は完全に奇襲だったが、今度は違う。ワシレフスキーには、回避運動に気を割くだけの余裕があった。
しかし、生物であるペギラの動きはあまりにも俊敏で、所詮、機械に過ぎないMiG-27の機動には限界があった。機械の戦闘機を手足のように動かすには、ワシレフスキーは絶対的に実戦経験が不足していた。
旋回性能を極限まで高めるため、最大に開いていた可変翼の左翼に、ペギラの冷凍光線が触れた。
瞬時に機体の凍結が始まり、なんとか離脱するワシレフスキーだったが、離脱の際にかかった圧力によって、左主翼の5分の1が砕け散っていった。
「ナロード2!」
『だ、大丈夫です。左の翼をやられただけで、まだ、なんとか飛べます。…左翼下の、ミサイルはもう使い物にならないでしょうが』
「エンジンは?」
『ダメージはありません。すこぶる快調です』
『ツァーリ1、こちらコトラス管制塔……』
現地に向かう途中で聞いた時よりも切羽詰った様子の管制官の声が、無線を通して乱入した。
「コピー、ツァーリ1」
『状況を報告せよ。お前達をモニターしていたら、突然ツァーリ2の反応が消えた!』
「……こちらツァーリ1、ツァーリ2は戦死だ。撃墜された」
コトラス管制塔から次の無線が入ってくるまでに、やや間があった。
『……了解した。M62はあと何発残っている?』
「各自報告。ツァーリ1、残り4発、ミサイルは2発」
『ナロード1、残り6発、ミサイル2発』
『ナロード2、爆弾の残数なし。ミサイルは2発ですが、実質1発しか撃てない状態です』
『ナロード2、トラブルか?』
『いいえ。対地攻撃中にペギラからの攻撃を躱しきれず、左主翼を損傷。なんとか飛行はできる状態ですが、主翼下のミサイルは使い物にならなくなりました』
残る爆弾は三機合計で5000キログラム。ミサイルの数は5発。すでに出撃時から攻撃力は半減し、30mm機関砲の弾薬も心もとなくなっていた。しかもペギラはすでに命中3発、至近弾7発もの爆撃を受けているにも拘らず、いたって平然としている。残る全ての攻撃力を集中させたところで、勝算は低い。
『今まで日本人や地球防衛軍は、こんな化け物達と戦っていたというのか!?』
「弱音を吐くな、ナロード1。……とはいえ、このまま戦っていても勝てる気はせんな。コトラス管制塔、こちらツァーリ1」
『コピー、コトラス管制塔。どうしたツァーリ1?』
「このまま戦っていても勝ち目は薄い。援軍を要請したい」
『お前達が出撃して五分後に、後続の飛行小隊を二個出した。それ以外でか?』
「それ以外でだ。実際に戦ってみて初めて分かった。こいつら怪獣は、500キロ爆弾を100発は撃ち込まないと倒せん。すでに我々は10発撃ち込んで、なおも平然としているペギラの姿を見ている。どこの基地からでもいい。出来るだけ早く対地攻撃機を……いや、戦略爆撃機をよこして……ッ!!」
淡々と800キロの距離を隔てての遣り取りを進めるアンドポロフの言葉が、不意に止まった。いや、アンドポロフだけではない。モロトフもワシレフスキーも、思わず口の動きを止めてしまうほどの衝撃的な光景が、彼らの眼下で繰り広げられていた。
烈風が吹きすさび、周辺の木々が激しく揺れる。
ペギラの暗い眼差しがある一点を捉え、大地を踏み鳴らす足が、大地ばかりか空をも揺るがす。
『ツァーリ1、どうした? 報告を続けろ!』
「…………こちらツァーリ1。……飛んだよ」
『……なに?』
「聞こえなかったのか!? ペギラが飛んだんだ!!」
『R-3を発射する! R-3を発射する!』
モロトフがミサイル発射のトリガーをつかんだ直後、アトールが獲物を求めて矢のようにミサイル・レールから飛び出した。冷凍光線を吐くペギラだから、赤外線によるロック・オンは不可能なのではという心配は、杞憂に終わった。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
アトールがペギラに炸裂した。
しかし、ペギラはアトールが尻に食い付いても平然と飛び続けた。冷静に考えれば500キログラム爆弾の直撃にも耐えたペギラに、脆弱な航空機を撃墜するためのアトールが効くはずもないのだが、MiG-27の武装でアトール以外に対空兵装というと30mm機関砲しかない。30mm砲とアトール・ミサイルとでは、威力を比べるまでもない。
ナロード1のフロッガーはなおもアトールを撃った。ナロード2もアトールを撃った。ツァーリ1も時間差でアトールを2発撃った。
立て続けに4発のミサイルがペギラの身体を滅多打ち、お返しとばかりに振り向きざまの冷凍光線が三機を襲う。
一発、二発と避け続けるうちに、ついにナロード2が被弾した。万全の二機と違って、すでに左翼を損傷していたナロード2のフロッガーであった。
『う、うわあああ―――――――ッ!!』
ワシレフスキーのフロッガーも、アントノフと同じように砕け散った。
きらきらと結晶が散る虚空の道を、アンドポロフとモロトフのフロッガーが駆け抜けた。
『ワシレフスキー……!』
「……コトラス管制塔、こちらツァーリ1」
『…ナロード2の反応が消えた。まさか……』
「そうだ…」
アンドポロフは、酸素マスクの下で言葉を搾り出すように言った。
「ナロード2も、撃墜された」
『チクショウ! チクショウ! 絶対に、絶対に仇を取ってやる!』
モロトフの双眸は怒りに燃えていた。
冷静を装ってはいたが、アンドポロフの瞳も紅蓮に燃えていた。しかしその瞳はどこか暗い眼差しをしており、皓々と不気味にぎらついていた。何か強い信念と、決意を秘めた眼だった。
「……ナロード1」
アンドポロフは、暗く、低く、静かで、しかし熱意の篭もった声でついにたった2人だけになってしまった小隊の仲間を呼んだ。コトラス管制塔との回線は、オフにして。
『コピー、ナロード1。どうしました、ツァーリ1?』
「管制塔との回線を一旦切れ」
『え?』
「いいから切れ!」
『は、はい!』
珍しく怒気を滲ましたアンドポロフの声に、モロトフ中尉は思わず無線を切ってしまった。
『回線を切りました。ツァーリ1』
「よし。これで今からの我々の会話は、我々だけの秘密となるわけだ」
『……ツァーリ1?』
無線越しに飛び込んでくるモロトフ中尉の、歳相応のきょとんとした声。何か飛行隊長が重大な決心を打ち明けようとしているのは理解できるが、何もこんな時にと、思う。しかし、アンドポロフは頭を振った。こんな時だからこそ固められた決意、固められた覚悟、打ち明けなければならない決心だった。
「これよりツァーリ1は、ペギラに対してデビル・ダイブを敢行する」
『デビル・ダイブ……って、まさか!?』
無線の先で、モロトフの声が引き攣った。
アンドポロフは淡々と返した。
「この機体はまだ2000キログラムの爆弾を抱えている。そしてフロッガーのトップ・スピードはマッハ1.5をやや上回っている。800キロを抱えて、時速600でやるよりも、効果的だとは思わないか?」 『駄目です、ツァーリ1! デビル・ダイブだけは……カミカゼだけはやってはいけません!!』
ナロード1からの無線に、ツァーリ1は答えなかった。
神風特攻隊の挙げた戦果と被害は、戦闘機パイロットのたしなみとして一応アンドポロフも学んでいる。かつて日本のゼロ・ファイターは、現在自分達の抱えている500キロ爆弾にも威力の劣る800キロの爆弾を1個だけ抱えて、時速600キロ以下の低速で敵に突撃した。自分の操るMiG-27は、第二次世界大戦当時の爆弾よりもはるかに威力のある500キロの爆弾を4個も抱えて、マッハ1.5のスピードで突撃することができる。
見たところペギラはマッハ1に到達してから速度をあまり上げていない。後方気流から逃れさえすれば、アフターバーナーをふかしたフロッガーなら追い着くことができるはずだ。
炯々と暗く輝くアンドポロフの視線は、もはや自機の計器を捉えていない。
彼は、ほとんど一方的に無線に向かって叫んだ。
「無線封鎖終了。これよりツァーリ1は、ペギラの下っ腹に潜り込む。ナロード1は援護しろ!」
『し、しかし…たとえカミカゼをしたとしても、ペギラを倒せるとは限らないではないですか!? やつはすでに5000キロを受けているのに……』
「だからといって! 放っておけるはずが、ないだろう」
アンドポロフの脳裏に、アントノフとワシレフスキー……いずれは自分の操縦技術の全てを叩き込み、ソビエト最強の防人となるはずだった戦友の顔が浮かんで、消えた。続いて今こちらに向かっているという第二、第三の飛行小隊の面々の顔が浮かんでは消えた。さらに基地でともに働く仲間達、ソビエトの軍事アカデミーの同僚、自分がまだヒヨッ子だったからの指導教官、厳しくしごいてやったシリアの軍人達、愛すべき家族、愛すべき隣人達、まだ会ったこともない祖国の、何の罪もない無辜の民達の顔が、アンドポロフの脳裏を駆け抜けた。
――彼らを守らなければ。
人間は最後まで、自分の安全を保とうとする自己保存本能に支配される動物だ。しかし、結晶化したひとつの純粋な意識は、時としてそれを軽々と突き抜けることができる。
「ここで我々が躊躇えば、あのペギラによってもっと多くの犠牲者が出る。軍人はもとより、民間人にも。ソ連人だけとは限らない。全地球人が、犠牲者にならんとも限らないのだ! ……貴様の言うとおり、ここでデビル・ダイブをしたところで、ペギラは倒せんだろう。しかし、その進行を遅らせることぐらいはできるはずだ。時間を稼ぐことができれば、その分、避難も進むし、対策を練る時間も得られよう」
『隊長……!』
「それに、ヤツを地上に叩き落すことができれば、後続の航空隊が24トンになんなんとする爆弾を落としてくれる。ヤツを地上に落としさえすれば、戦略爆撃機による攻撃が可能になる。ペギラを倒せる可能性も、ぐっと高まるのだ。私ひとりの命で、多くの人々の未来を守ることができるのであれば…少しでも長きにわたる平和の時を守ることができるのであれば……私はソビエトの軍人として、ひとりの地球人として、喜んで死を選ぼう!」
ツァーリ1のフロッガーが、アフターバーナーの炎をなびかせながら機首を下に向けた。
操縦桿を押し倒すアンドポロフの眼差しは、もはや目の前の巨大な怪獣の後ろ姿しか捉えていなかった。
衝撃波の影響圏から離脱し、抵抗がなくなったところでアンドポロフは機首を持ち上げ、機体を一気に加速させた。ペギラとの距離は、およそ3000メートル。
『チクショウ! チクショウ!』
ナロード1のフロッガーが、30mm機関砲を撃った。無茶苦茶に撃った。我武者羅に撃った。撃って、撃って、撃ちまくった。モロトフ中尉は飛行中にそうすることは戦闘機パイロットにとって命取りになると理解していながら、泣きながら撃った。
涙が視界を曇らせる。
機関砲のトリガーにかけた指が激しく震える。
鬼気迫るツァーリ1とナロード1の二機に野性の本能でただならぬものを感じたのか、ペギラが旋回機動で二機を離しにかかる。時折振り向いて放たれる白色の冷凍光線。
鋭いシザース反転運動でナロード1が光線を躱し、バレルロールでペギラの後ろに回り込もうとするツァーリ1。
そのとき、計器で阻まれたアンドポロフとモロトフの狭い視界の中に、黒い8つの影が映った。
空中給油を終えた八機のフロッガーが、二個小隊ずつに分かれて編隊を組んでやってきたのだ。
ペギラが目の前の虫けらどもを駆逐せんと冷凍光線を放つ。そしてその瞬間、光線放射の反動か、ペギラの飛行速度が、ほんのわずかに減速した。
そしてアンドポロフは、フットペダルを一気に踏んだ。
“ヴォォォオオオ――――――ッ!!”
散開する八機のフロッガー。
機関砲を撃つ一機のフロッガー。
そしてペギラに向かって猛然と突撃する、一機のフロッガー。
十機のMiG-27が同時に動き、ついにアンドポロフのフロッガーが、空中でペギラとひとつになった。
アレクサンドル・ヤルゼルスキ少佐はツァーリ1ことディミートリー・アンドポロフ中佐と同じ航空隊に所属する戦闘機パイロットで、アンドポロフに次ぐ実力を持った第二飛行小隊の隊長だった。彼はアンドポロフ同様中東戦争、ベトナム戦争に軍事顧問として介入し、その最中に実戦も経験している。アンドポロフとの模擬空中戦の勝率は三割を下回っていたが、これは部隊の中でもトップクラスの成績だった。航空隊の誰もがアンドポロフの後継者はアレックスだと認め、彼は羨望と称賛の眼差しを一身に浴びる男だった。 アレックスは最初、いったい何が起こったのか理解できずにいた。 見る見るうちに近付くペギラの不気味な面相から逃れようと操縦桿を切った直後、風防越しにも分かる凄まじい轟音が空気を裂いた。そして次の瞬間、レーダーから一機のMiG-27の反応が消滅した。それはアンドポロフのMiG-27だった。 最初はIFF(敵味方識別装置)の故障かと思った。 あの“皇帝アンドポロフ”が墜ちるはずがない。あの針の穴に糸を通すような精密爆撃と、狙った獲物は決して逃がさない不屈の男が、死ぬはずがない。 しかし、無線から次々と入ってくる報告と情報は、皇帝の最期を実感としてアレックスに伝えた。
『ナロード1、こちらコトラス管制塔。いったい何が起きた? ツァーリ1の反応が消失したが!?』
『コトラス管制塔、こちらナロード1。ツァーリ1は…隊長は、戦死しました』
『何ッ!? も、もう一度詳しく報告してくれ、ナロード1。ツァーリ1はどうしたと……?』
『聞こえなかったのか!? ツァーリ1は戦死した。ペギラに、デビル・ダイブを仕掛けたんだ!!』
「クソッ!」
アレックスは毒づいた。操縦桿を切り、未だ黒煙の塊が浮かぶ空へと機首を向ける。
「コトラス管制塔、こちらアルミード1。これより隊長の戦果の目視確認を行う。管制塔の方ではどうか!?」
『アルミード1、こちらコトラス管制塔。爆発の反応が強すぎて、ペギラの生命反応を特定できない!』
「アルミード1、了解。アルミード2、ケツは頼むぞ」
『アルミード2、ローグ』
アルミード2ことニコライ・トルストイは、まだ二十代になったばかりの若いパイロットだ。背後を任せるにはいささか頼りなかったが、残念ながら自分の部隊はアンドポロフの隊ほど充実していない。
アレックスのフロッガーは念のため大回りの旋回軌道を取って黒雲の様子を覗った。
全長四五メートルのペギラを覆い尽くすには黒煙の塊は小さく、覗いている足が徐々に落下していくのがアレックス以外の機体からも見て取る。
(やった……のか?)
いかに強靭な生命力を持つ怪獣といえど、アンドポロフの決死の特攻の前にはついにその命を散らしたか……。
無線機の向こう側から、安堵する男達の吐息が聞こえてくる。いやただひとり……ナロード1だけが、開きっぱなしにした無線の向こうで、すすり泣いている。
アレックスはやりきれない気持ちにかられた。
任務中の私語は厳禁だったが、慰めの言葉が喉から出掛かって飲み込むことができなかった。
アレックスはナロード1の機体へチャンネルを合わせると、口を開こうとして……
「ッ!?」
……黒煙の中から、何かが光る瞬間を目撃した。
ペギラの、冷凍光線だった。
「アルミード2、ブレイク!」
アレックスの反応は素早かった。
ニコライの反応も素早かった。
しかしペギラの冷凍光線は、アレックスの反応速度も、ニコライの反応速度も、上回る高速で放たれた。
一瞬にして二機のフロッガーが凍りつき、同時に二人のアルミードの思考も止まる。
飛行隊ナンバー2の実力を持つアレックスだったが、その腕前はまだアンドポロフには遠く及ばない。皇帝だからこそ、また皇帝に鍛えられた男達だからこそ躱すことのできたその攻撃を、アレックスは、そしてアレックスに鍛えられたニコライは、避けることができなかった。
レーダーから、また新たにMiG-27の反応が二つ、消えた。
残された男達は突然の事態に動揺し、混乱をきたした。
ただひとり、モロトフ中尉だけがそんな中で落ち着いていられた。
アルミード1と2の反応がレーダーから消えた刹那、仲間達の最期を見届けたモロトフ中尉は、状況説明を求めるコトラス管制塔からの通信が入るよりも速く無線機のスイッチを押し、静かな声で怒鳴った。
「コトラス管制塔、こちらナロード1。たった今、アルミード1と2が撃墜された。繰り返す。アルミード1と2が撃墜された。ペギラは……まだ生きている!」
受信確認の返答を待つことなく、一方的に無線を切ると、ナロード1は機体の操縦桿を一気に引き起こし、冷酷なる無表情を浮かべる怪獣に向かって機首を向けた。
人間の作り出した文明のすべてを破壊し、人の命を容易く奪う無慈悲な怪物に対して、もはやモロトフ中尉は怒りの感情すら覚えなかった。
(隊長…アントノフ…ワシレフスキー……)
脳裏によぎる、苦楽をともにした戦友達の顔。不思議なことに家族の顔は思い浮かばなかった。故郷に残した幼馴染の恋人の顔も、浮かんではこなかった。ともに地獄のような苦しみを経験し、生死の境を潜り抜けてきた仲間達との絆は、血の繋がりよりも濃くて深い。
頭の中は、怒りを通り越してむしろ冷静だった。
彼は、彼の隊長がしたのと同じこと……デビル・ダイブを、敢行するつもりだった。
「俺も……今、そっちに行きます」
モロトフ中尉は、目の前の怪物に対して、倒すべき仇敵に対して、むしろ穏やかな眼差しを向けた。
空中の激戦を、地上から見上げるひとつの影があった。
ロシア空軍のパイロット・スーツに身を包んだその中年の男は、傷だらけの表情に鷹のような眼差しをたたえ、はるか高空を仰ぐ。
男は何か決意を固めたようにひとつ頷くと、右腕を天高く掲げた。
グローブに包まれた握る拳の中指に、突如として燦然と太陽の輝きを放つ宝玉を嵌めこんだ指輪が出現する。
中年の男……ディミートリー・アンドポロフは、自らの手に出現した指輪に、思いのたけりのすべてを篭めて、叫んだ。
「イリオ――――――スッッ!!」
次の瞬間、アンドポロフの肉体を閃光が、天に輝く太陽よりもなお燦然とした、熱い光の渦が、包み込んだ。
人間に過ぎないアンドポロフの肉体は、光の持つ圧倒的な熱量によって瞬時に溶解し……そして、作り変えられていく。
巨人に。
その身に太陽の輝きと力を宿す、巨大なる神に。
身長四十メートルになんなんとするその巨躯で軽やかに宙を舞い、巨神は閃光とともに天を駈ける。
はるか蒼空では、今まさに勇者のひとりが決死の突貫をしかけようとする直前だった。
モロトフ中尉はMiG-27の可変後退翼を45度の角度に設定すると、操縦桿をめいっぱい引き起こして機体を急上昇。アフターバーナーの点火とともに押し倒し、鋼鉄の矢となったフロッガーを急降下、急加速させた。MiG-27の公称最大水平速度は時速1885km。効果の運動エネルギーを上乗せすれば、マッハ2.0はいくだろう。
しかし、依然として3000キロの爆弾を抱えたモロトフの機体は、思うように加速してくれなかった。
R-29B-300エンジンはお馴染みの振動と唸り声を発して頑張ってくれているが、脅威の一万トン怪獣を相手にしてやはり推力不足は否めない。
ペギラは高エネルギーの乱気流を発生させながら、悠々と飛翔している。
R-29B-300エンジンのマックス・パワーでは、乱気流に流されないよう機体を保持するので精一杯だった。
(隊長は、こんな世界で機体を飛ばしていたのか……!)
7Gの加速が、ともすれば意識を失いかけない重圧を生み、モロトフの身体を押し潰そうとしていた。
アンドポロフはこの気流の嵐の中を天才的な技術で飛んでいた。
しかし、モロトフにはそれだけの技量はなく、彼は加速のGと乱気流のエネルギーの両方に、真っ向から立ち向かっていかねばならなかった。
改めて飛行隊長の偉大さを痛感するモロトフだったが、諦めて意識を闇に手放すわけにはいかなかった。
ペギラの進行方向にはコトラスの街がある。
人口五万六千人の大都市だ。
もしこれ以上、ペギラの進行を許すことになれば、大惨事は必至だった。
なんとしても、奴の進撃を阻止しなければ。
モロトフは操縦桿を力の限り引いた。
重力への反逆と、乱気流に下っ腹を向けたことにより、速度計の針がみるみる減少していく。
しかし、気流の嵐から逃れた直後、速度計の値は再びみるみる上昇していった。
同時に、燃料系のメーターの値がぐんぐん減っていく。もはやモロトフとMiG-27に、残された時間はほとんどなかった。
モロトフはフラッガーの機首を再びぐっと下に向けた。
可変後退翼の角度を、72度に設定する。
ソ連製の全長14メートルの矢が、突撃した。
その時、悠然と空を飛行するペギラのもとに、六発の短空対空ミサイルが殺到した。味方の放ったアトールだ。6発のうち4発が命中し、ペギラの絶叫が天地を貫いた。
減速の好機を逃すことなく、モロトフは機体を滑らした。
刹那、モロトフの視界からペギラの姿が掻き消えた。
巨大な黒い影がモロトフのフロッガーの左翼を掠めていったかと思った直後、ソニック・ウェーブの渦がモロトフと、MiG-27を飲み込んだ。
「うぅ…ぬぅ……ッ!」
モロトフは咄嗟に背後を振り返った。
各種の機材で埋め尽くされた不十分な後方視界の中、モロトフは悪魔の姿を見つけた。
全長四五メートル、体重一万トンの冷凍怪獣が、特徴的な無表情をこちらに向けていた。
(インメルスマン・ターン!)
脅威の一万トン怪獣が見せた、驚愕の運動性だった。
ペギラはあの巨体を器用にひねらせ、空戦の原則通り、こちらの背後に回り込んだのだ。
モロトフが後方を振り仰いだのは僅かな一瞬にすぎなかった。
しかしその一瞬が何十秒にも感じられたモロトフは、その間に自分の死期を悟った。
ペギラが無表情な能面に、ニタリ、と笑みを浮かべた。
奇妙に人間らしく、生理的な嫌悪を生起させる笑みだった。
モロトフの背筋を恐怖が撫でていった。
ペギラの顎が、ゆっくりと開いた。
モロトフは前方へと視線を戻し、操縦桿を引き起こした。
MiG-27の機首が狙いを定めた猛禽の如く、ぐっと上を向く。
ペギラの口から、マイナス一三〇度の冷凍光線が吐き出された。
MiG-27の尾尻に、白色の光芒が触れる。
垂直尾翼が凍結し、強度の低下したエンジン・ノズルが、ソニック・ブームで砕け散った。
次の瞬間、フロッガーのコントロールが効かなくなった。
「……ッ!!??」
けたましい警告音とともに機体異常を示すランプが明滅する。
ただちに自動消火装置が作動し、エンジン内部へと消化剤を投下するが、おそらく効果はないだろう。エンジンからは別に火が噴いたわけではない。マイナス一三〇度の光線によって凍りつき、砕け散ったのだから。
F-4ファントムUい代表される多くの西側戦闘機と違い、エンジンが一基しかないフロッガーは、たちまち飛行能力を喪失し、失速していった。
「クソッ…クソゥ……!」
モロトフは必死の形相で機体のコントロールを取り戻そうと計器に指を走らせた。
脱出装置の存在が頭の中をよぎるが、3000キロの爆弾を抱えたままでは脱出できない。射出座席のレバーを引くにしても、まずはこの荷物を破棄しなければ。
モロトフは爆弾を安全圏で投下しようとしたが、できなかった。
操縦システムを統括する装置そのものが損傷したらしく、バックアップの操縦系に切り替えるも、うんともすんとも言わない。
そればかりか、可変後退翼の操作システムまでまったく言うことを聞かず、72度にロックされたまま、機体はどんどん加速を続けていった。
いまやモロトフのフロッガーは空飛ぶ火薬庫となって落下を続けた。
高度計の値が、一秒間に何百メートルという勢いで減少していく。
その時、モロトフは眼下に信じられない光景を目にした。
おそらくはペギラ出現の報を聞いて駆けつけたのだろう、フロッガーの進行方向先で、陸軍の高射砲部隊が展開しつつあった。
規模は一個大隊ほどか。彼らもまたコトラスの街に怪獣を近付けさせまいと、数百人もの人間が一つの意志の下で統率された動きをしていた。
――自分の機体で彼らを殺してはならない!
モロトフは夢中で操縦桿を切った。
しかし、フロッガーはもう彼の思うように動いてはくれなかった。
地表の景観が、段々と鮮明になっていく。
モロトフの視界の中で、対空機銃に取り付いた兵士の、驚愕の表情がはっきりと映じた。
彼の浮かべる絶望の顔を、モロトフはそれ以上見ていられなかった。
モロトフは涙目になって瞼を閉じた。
瞼を閉じる瞬間、彼は赤い光を見たような気がした。
機体に衝撃が走る。
モロトフは死を覚悟した。
しかし、予期していた瞬間は一向に訪れなかった。
機体が爆散した気配もない。
モロトフは恐る恐る目を開けた。
相変わらず警告音とともに各種ランプの明滅するコクピットの変わらぬ姿がそこにはあった。地面はなく、前方にはほの紅い空が広がっている。
後方からは、赤い光が差し込んでいる。
優しい光だった。
身も心もぽかぽかとさせてくれる、太陽そのものの温もりが彼の背中を照らしていた。
モロトフはわけもわからず後ろを振り返った。
次の瞬間、モロトフは息を呑んだ。
その、あまりに神々しい光景に、彼は言葉を、そして考えることを忘れてしまった。
それは巨大な顔だった。しっとりと艶めいた黒い肌を持ち、その双眸には優しい黄金色の輝きを宿している。額にはルビー色に輝く輝石が一つ。口元にたたえたアルカイックスマイルの微笑みは、モロトフが記憶している地球上のどんな美術品よりも美しく、完成されていた。
それは身長四十メートルになんなんとする巨人だった。
熱い太陽の輝きを全身から発し、力強い下肢を大地に根ざす、漆黒の闘神だった。
コントロールを失ったMiG-27の胴体を、巨人はそっと抱えていた。
『人よ……』
モロトフの頭の中で、荘厳な声が響いた。
それは耳を通して伝わってくるのではなく、モロトフの頭に直接語りかけているかのような感覚だった。
モロトフは直感的に、この巨人が話している、と確信した。
『勇敢なる人の子よ…汝の決意、そして無辜の民を守ろうとして汝が取った行動は、しかと我も見ていた。汝はすでに人をして、我らに限りなく近い英雄である。あとのことは……我に任せよ』
「あなたは……」
モロトフは、興奮でやや上擦った声を出した。
気が付くと自分の口は自分のものでなくなり、彼は自分の言葉を制御できなかった。
「あなたは……誰だ?」
『我は……』
漆黒の肌を持ち、全身に炎の紅いストライプを持った巨人は、モロトフに優しく語りかけた。
語りかけたような、気がした。
『我は、神である』
「う、ウルトラマン……」
漆黒の太陽巨神、ヒュペリオン。
現世に出現したティタンの神の姿は、モロトフに、宇宙より飛来し、何度も地球の窮地を救ってくれた、銀色の巨人の姿を連想させた。
ウルトラマンという、神の姿を。
モロトフのフロッガーを地面に下ろしたヒュペリオンは、いまだ空中を舞うペギラを睨むように見上げた。
“ジュワッ!”
軽く地面を蹴って跳躍すると、身長四十メートル、体重三万五千トンにもなる巨体は重力の拘束を受けることなく飛翔を続け、高度二千メートルで滞空するペギラと同じ世界に到達する。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
ペギラは奇声を発しながらヒュペリオンに向かって突進した。
体重一万トンの巨大怪獣が、時速数百キロの加速を得て体当たりをぶちかます。
空中でよろめいたヒュペリオンに向かって悪魔の顎をカッと開くと、猛烈な勢いで冷凍光線を迸らせた。
戦闘用の黒い皮膚が、一瞬、白色の光線に飲み込まれる。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
すべてが氷結し、白く染まる世界から、ぬぅっ、と黒い手刀が飛び出した。
マイナス一三〇度の冷凍光線をものともせず、ヒュペリオンの放った手刀がペギラの頭部を捉える。
今度はペギラが空中でよろめき、すかさずヒュペリオンは両手を絡めたハンマーパンチを垂直に振り下ろした。
一万トンのペギラは空中に浮く力を失い、みるみる高度を下げていく。
やがて地表に激突したペギラは、グロッキー状態で羽をばたつかせるという醜態をヒュペリオンに晒した。
ヒュペリオンはペギラを追って、ふわり、と大地に着地した。
ヒュペリオンの足下に根ざす植物が、ぼっぼっ、と燃え上がる。ペギラの冷凍光線を受けて傷一つ負わなかったヒュペリオンの、戦闘用の黒い皮膚が発する膨大な熱量が発火現象を引き起こしたのだ。戦闘時にヒュペリオンが発する体表の熱は、二千度を超える。
ヒュペリオンはじたばたと身悶えするペギラを踏みつけた。
ペギラの土色の体表から、ぶすぶす、と白煙が立ち昇った。
ヒュペリオンはうつ伏せに倒れたペギラの右羽根を掴むと、あらぬ方向に曲げ、捻じ切った。
“ヴャアアオオオオ―――ン!!”
天地を裂く悲痛な絶叫とともに、ペギラの身体から大量の鮮血が迸った。
続いてヒュペリオンはもう片方の羽根に対しても同じようにして引き千切る。
飛行能力を失ったペギラを、ヒュペリオンは蹴り、そして何度も踏みつけた。
「やれやれ!」
「そこだ! そんな化け物踏み潰しちまえ!」
「皇帝アンドポロフの仇だ! やっちまえ!」
暴力の応援が、ヒュペリオンの周りで上がった。
ヒュペリオンはそれに応じるように頷くと、仰向けに転がったペギラのマウントポジションを取り、顔面を何度も、何度も殴った。
ペギラの両目が潰れ、牙が折れ、顎が砕ける。
砕けた顎から冷凍光線の冷気がだだ漏れになって、周囲を凍りつかせる。
ヒュペリオンの攻撃の手が止まった。
ヒュペリオンはペギラの腹の上から降りると、額の赤いビームランプに意識を集めた。
次の瞬間、ヒュペリオンの額から赤色のルビノリム光線がペギラに襲いかかった。
光線の高エネルギーはペギラの強酸性の胃液がたっぷり詰まった胃に引火して、激しい爆発を起こした。
黒煙があたりを覆う。
どれほどの時が経過したか、熱と暗雲が辺りから引いた時、もうそこにはヒュペリオンの姿はなかった。
ただ、ソビエトの雄大な大地と、哀れな末路を遂げた怪獣の肉片だけがあった。
ペギラの爆発から僅かに数分後、ボロボロの飛行服を纏ったアンドポロフ中佐は黒煙が立ち昇る方角を振り仰ぎ、無表情に立っていた。
――と、不意にその顔がいかめしいものになり、アンドポロフは背後を振り向く。
いつの間に接近してきたのか、アンドポロフから三メートルを隔てて、一人の若い男が立っていた。
アンドポロフのように冬の国で育った白人ではない。四季豊かな東洋で育った、黄色人種の男だ。ボクサー体形というべきか、精悍な面構えの下の肉体は、細身だがよく引き締まっている。
アンドポロフにとっては初見の、しかし彼に宿る存在にとっては馴染みの顔だった
「……ゼウスの子か」
アンドポロフは、しかし彼のものではない声で言った。
その言葉から、かつての彼の存在を感じ取ることは難しい。
アンドポロフの言動に、男の眦が僅かに吊り上がる。
男の険を帯びた眼差しに射抜かれ、アンドポロフは酷薄な笑みとともに続けた。
「いや失礼。貴様はもうゼウスの子であることをやめたのだったな」
「……知っているのか、俺のことを?」
「当然だ」
アンドポロフはゆっくりと頷いた。
正確には、アンドポロフの身体に宿った、何者かの意志によって頷いていた。
「肉体は冥府に落ちても、我らの魂は常に地上に意識を向けていた。いつか地上に戻るその日を心待ちにして、常に情報収集は怠らなかったつもりだ。ゆえに、貴様のこともよく知っている。ゼウスの子よ……いや、いまは東光太郎と呼ぶべきか」
「なぜ…とか、どうやって地上にやって来たのか……とか、答えの期待できない質問はしない。だが、これだけは教えてもらおう。あの怪獣は羽根をむしられた時点で戦闘意欲を失っていた。それなのにお前は攻撃を続け、ついには殺した。…なぜだ?」
「民が望んだからだ」
アンドポロフはにべもなく答えた。
「我ら神のなすべきこと……それは守るべき民に救いの手を差し伸べること、その言葉に耳を傾けることに他ならぬ。あの場にいた人間達は、あの怪獣の死を望んでいた。我はその望みに応じただけだ」
「ウルトラマンは神なんかじゃない!」
激昂して叫ぶ若い男。
東光太郎と呼んだ青年の感情のたけりを、アンドポロフは無表情に受け止める。
「ウルトラマンの力は、神の力なんかじゃない。そんなおこがましいものじゃ、ない」
「ウルトラマンであることをやめた貴様に、その力について論じられるとはな……」
アンドポロフは侮蔑も露わな憫笑を浮かべた。
光太郎のことを、そして光太郎になじられる自分を嘲笑うかのように、邪悪な微笑みを向けながら、目の前の青年に語りかける。
「東光太郎、すべての人間が貴様のように強い意志を持っているわけではない。弱き心しか持ちえぬごく普通の民には、すがるべき強大な力が必要だ。そうした弱き民にとって、ウルトラマンの力は神の力だ。我が神を名乗らずとも、我らの力を目にした人間が勝手に神というレッテルを貼る。東光太郎よ、神という存在は、他ならぬ人間が求めているものなのだよ」
「その神というレッテルが、人の進化を阻む枷になると、知っていてもか? 知っていて、なお名乗るというのか?」
「進化などする必要はない。弱き者は、弱いままでよい。その間は、我らが守ってみせる」
「それは、強者の傲慢だ」
「認めよう。それが世の理だ。そしてその理を作ったのは、強者である。いつの時代も世界を築いたのは強き力を持った存在、強き心を持った存在だった」
アンドポロフは一旦そこで言葉を区切ると、どこか遠くを見つめるように視線を泳がせ、そして言った。
「人の力は、この数百年でずいぶんと進歩を遂げた。この勢いに乗れば、いずれは我々神の領域にまで成長するだろう。……しかし、力は成長しても、人はそれを操る心が未熟だ。彼らはまだ、世の理を作れるほどの存在にはなっていない。……なっては、いけない」
「それが…お前の目的か? 人間の進化の可能性を消すこと……それが、お前達の……?」
「……おしゃべりが過ぎたな」
アンドポロフは静かに瞑目すると、光太郎に背を向けた。
「止めたくば止めるがいい。もっとも、ウルトラマンの力を失った貴様に、それが出来れば、の話だがな」
「…………」
アンドポロフの言葉に、光太郎は恨めしげに唇を噛む。
彼の言う通り、ウルトラマンの力を捨てたいまの自分に、それを止められるだけの力はなかった。
遠ざかるアンドポロフの背中を、東光太郎……かつて、ウルトラマンタロウとして戦った男は、ただ見ていることしかできなかった。
“冷凍怪獣ペギラ”
身長:45m 体重:1万t
ウルトラシリーズの処女作「ウルトラQ」に登場する怪獣の一体。南極のペンギンが放射能によって巨大化した怪獣で、武器は口から吐く冷凍光線と羽ばたきによって生じる衝撃波。弱点はペギミンH。そのシナリオと特撮技術の高さから、同作最強怪獣の名も高い。
今回はタハ乱暴が「戦闘機と怪獣の空中戦を描きたい!」という動機から出演願った。
なお、本作に登場したペギラが、南極、東京に出現したものと同一個体であるかどうかは、読者の想像にお任せするという方針で(笑)。
MiG-27フロッガー”
米ソの冷戦が最大の緊張を迎えた1960年代にソ連で開発された戦闘機MiG-23の機体構造を活用して開発された戦闘爆撃機。原形機のMiG-23は1970年8月20日に初飛行に成功し、その発展型が本機MiG-27である。
MiG-23からの改良点としては、対空戦闘用のレーダーを取り外し、爆弾搭載のために必要なハード・ポイントを増設したことが挙げられる。機外最大搭載兵装は約4000kg。
映画「トップガン」で有名なF-14トムキャット同様可変後退翼を搭載した機体で、専門誌などにおいて両者はよく対比される間柄にある(それもそのはずで、F-14トムキャットはもともとMiG-23の対抗馬として開発された性格を持つ)。
なお、冷戦時代のソ連空軍基地の配置や、どんな部隊が編成されていたか、どんな機体が配備されていたかは資料が少なく、現在のロシア空軍の編成を基に妄想を加え、タハ乱暴なりに推測しました。
また、アトールなどの名称が、NATOコードなのはその方が通りが良いからです。同様の理由でTACネームもそのまま英語読みで表記しました。あとフォックス・スリーという言葉に関しても。はい、基本は妄想の産物です(苦笑)。
“東光太郎”
元宇宙科学警備隊ZAT(Zariba of All Territory)隊員の、プロボクサー。
その正体はいわずと知れた太陽の巨人、ウルトラマンタロウの適応者その人である。
バルキリー星人との戦いでウルトラマンとしての力を捨てた後、軍を除隊し、現在はプロボクサーとして目立たぬ生活を送っている。
本話ではソ連に出現したペギラと、それと交戦する別なウルトラマンの存在を感知し、例外的にテレポーテーションした。
“ウルトラマンヒュペリオン”
身長:40m 体重:3万5千t
アンバランスゾーンを通って地上に現れた謎のウルトラマン。
ギリシア神話の中で太陽神ヒュペリオンとして伝えられる神々の一人で、その体表は“漆黒の太陽”と形容されるように、黒い。
地上に来訪した目的・戦闘力はまだ不明な部分が多い。
どうもみなさんおはこんばんちは。最近、アセリアばっか書いてHeroes of Heartにまったく手をつけていなかったタハ乱暴でございます。
Heroes of Heart外伝一六・五話、お読みいただきありがとうございました。
今回の話は外伝の第一六話と、次回第一七話との時間的空白を埋めるための話でございます。当初のプロットでは本話が第一七話の予定でしたが、主人公不在の回を正式な話としてよいものかと思い、一六・五話という仕様にさせていただきました。お楽しみいただけましたでしょうか?
さて、今回のお話では最初期の空想特撮テレビ作品「ウルトラQ」に登場する怪獣ペギラ、そして軍オタ・タハ乱暴の大好きな旧ソ連戦闘爆撃機MiG-27を書かせていただきました。本編第十四話でのXライダー、ガイファード同様、キーを叩く作業が非常に楽しかったのを覚えています。
また、次回につながるお話として、いよいよHeroes of Heart外伝最強の敵が登場する話となりました。
次回、この黒いウルトラマンには大暴れしてもらいます。そしてあの漆黒の破壊王にも……。
それでは最後に、
「Heroes of Heart外伝」、今回もお読みいただきありがとうございました!
この物語を読んでくださったすべての皆様に、猛烈な感謝ぁッ!!
次回、急展開
親友同士による最悪の戦いから一年……
ソレは、唐突に目を覚ました……
最強にして最悪! 誰しもに死をプレゼントする恐怖のサンタクロース!
……ソレは、闇の組織が残した最後の遺産…………
彼の者の、名は――――――
俺の名は 俺の名は
ハカイダー02!!!
つぶせ
破壊!
壊せ
破壊!
破壊せよ!
ただ、壊すためだけの存在!!
胸の、回路に指令が走る
抗えぬ衝動 掻き消せぬ殺意
俺の 俺の使命 俺の宿命
この世界……己を拒絶する世界のすべてを……
破壊せよ!
破壊せよ!!!
次回
Heroes of Heart外伝 第十七話「漆黒の破壊王」
ウルトラQってのは聞いたことがあるけれど見たことないな。
美姫 「ペギラ、強かったわね」
うんうん。しかし、ウルトラマンにやられてしまったけれど。
しかし、自らを神と言うヒーローか。
美姫 「どうなるのかしらね」
だな。
美姫 「それじゃあ、今回はこの辺で」
ではでは。