注)この話はHeroes of Heartに登場するオリキャラ……闇舞北斗のストーリーであり、本編開始前の外伝的内容となっております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1973年3月25日

 

 

 

 

 

一時に比べれば随分マシになったとはいえ、初春の夜気はまだ肌寒い。

道行く人の影はとうに絶え、虫の音すら聞こえない閑静な住宅街は、沈黙と澱みを孕んだ夜闇に支配されていた。

数少ない街灯と人家の灯り、天より降り注ぐ月光がささやかな抵抗を試みているが、まるで歯が立たっていない。昼間のうちに撒き散らされた砂埃や排ガスの残滓が、空気を撹拌して光を通りにくくしてしまっているのだ。

度重なる怪獣の襲来にも終焉を迎えることなく、その度に街を再建させてきた人の力も、逃れようのない夜の闇だけは振り払うことが出来なかった。

深夜。

街の端から端までをすっぽりと覆う夜の長大な両腕を、一条の光線が切り裂いた。

増幅されたハロゲン光の刃が夜の闇を裂いた直後、夜の静寂を、路面を滑るタイヤの音、そして高速回転するエンジンの音が破った。

漆黒のロードスポーツバイクは見まごうことなきイスカリオテ。裏切り者の名を冠するモンスターバイクの背には、1人の長身の男と、2人の少女の姿があった。

闇舞北斗と新谷涼子、そして田村美香の3人だ。

明らかに定員をオーバーしているタンデムシート上の3人は、北斗が2人の小柄な少女を、車体から滑り落ちないよう抱え込む形で乗車していた。

2人を抱きかかえる北斗の両手は、無論ハンドルを握ってはいない。

運転はすべて、イスカリオテに内蔵された高性能コンピューターに任されていた。予め入力された座標を目指して自動的に車体が進んでいく、自動運転装置だ。

普段は一般車とのカモフラージュのためにも使わないようにしている機能だが、度重なる連戦で疲労困憊の今の北斗には、自分で運転する必要がないというのはありがたい。運転に神経を使わない分、回復に努めることが出来る。

とはいえ、バイクという乗り物で移動している以上、向かってくる風圧からはどう足掻いても逃れられない。

意思なく、実体なき彼らは繊維の隙間を通り抜け、容赦なく北斗の傷口を煽っていった。

 

「うッ……」

「……闇舞先生?」

 

狂奔する風の唸りにも掻き乱されることなく、耳に届いた北斗の苦悶の声に、美香ははっと顔を上げる。

心配そうに北斗の顔を覗き込むも、ヘルメットの偏光防弾シールド1枚を隔てた彼の表情を覗うことは出来なかった。

 

「…大丈夫です、田村さん。大事はありませんから、そんなに心配しないでください」

 

美香を心配させまいと穏やかな口調で語る北斗だったが、シールドの下に隠された表情は苦痛で歪んでいた。

やはり美香からはそれを見ることは出来なかったが、例え見ることが出来たとしても、医術の心得のない彼女にはどうすることも出来なかっただろう。

今や青色吐息の北斗を救えるのは、優れた外科医か、彼が愛する人の微笑みぐらいのものだった。

 

「でも……」

「大丈夫。ここに居る男は、普通の人間よりもよっぽど頑丈にできていますから。

それより2人とも、もうすぐじゃないですか?」

 

ヘルメットの僅かな隙間から漏れ出る北斗の言葉に、はっとして周囲を見回す少女達。

視線を巡らせると、流れる景色は見覚えのあるものに変化していた。

 

「停めてください!」

 

背後から飛ぶ涼子の声に、北斗は「しっかり掴まっていて」と一声かけてから、2人を抱く手をハンドルへと持っていき、自動運転装置を解除。時速100キロの高速でも空走距離、制動距離合わせて10メートル程度で済んでしまう優れたブレーキングをかけ、静かに停車する。

静止したその場所は、緑多き都営公園のすぐ側の、駅前の広場だった。すでに終電を向かえ終えた後の駅は暗く、人気もない。

 

「この辺りでよろしいですか?」

「あ、はい。ここまで来れば、あとは自分達で帰れます」

 

まだ北斗の身を案じて気にかける素振りを見せる美香だったが、ようやく我が家へ帰れると知って、その表情はどこかほっとした様子だ。

一方、北斗の背中に身を預ける涼子は……

 

「…………」

「? どうしたの、涼ちゃん? さっきからやけに静かだけど」

「え? いや、あの、さ……このまま降りるの、ちょっと勿体無いかなって」

「勿体無い?」

「うん」

 

美香の位置からでは、涼子の姿は北斗の胸板に隠れ、表情を見る事ことは叶わない。彼女は今、僅かに頬を赤く染め、目を瞑ってじっと北斗の背中に寄り添っていた。

 

「なんか闇舞先生の背中って大きくて、温かくて……こうして身を預けてると、なんだか気持ちいいんだよね」

「……オヤジ趣味」

「なんか言った?」

 

ボソリと呟く美香に対して、過剰な反応を示す涼子。他方、オヤジ呼ばわりされた北斗(30歳)の表情は複雑だった。

 

「だいたい、私がオヤジ趣味なら、そういう美香だって可愛い男の子が好きな人種のくせに〜」

「人種って……さも私が普通の人達と違うみたいなその言い方、やめてくれないかな?」

「このショタ好き…」

「なによ、このオヤジ好きのファザコン…」

「あの…2人ともそろそろ降りてくれませんか?」

 

2人からは見えないと分かっていながら、ヘルメットの内で苦笑を浮かべ、ほとほと困ったという調子で北斗が言う。(一刻も早く光の元に…“俺達の始まりの場所”へ急がねば)という、焦れる内心を押し殺しながら、彼は2人が自分から降りてくれるよう出来るだけやんわりと迫った。

しかし、2人は北斗の言葉など聞こえていないのか、少女達はなおのことますます北斗にしがみ付いてきた。

………………2人?

 

「……田村さん?」

「すません。もう少しこのままでいさせてください……」

 

涼子はまだ分かる。美香からオヤジ趣味だの、ファザコンだの指摘された彼女は、まだ北斗の背中に縋る理由がある。しかし、美香までもが自分にしがみ付くというのはどういうことなのか。

より強く自分の温もりを求める2人に奇妙なものを感じた北斗は、そこでようやく少女達の体が僅かに震えていることに気が付いた。寒さゆえの震えではない。恐怖ゆえの震えだった。

改めて考えるまでもなく、涼子も美香も、今日まで裏社会の事情を何ら知ることなく生きてきた平凡な普通の少女である。それがいきなり誘拐という犯罪に巻き込まれ、まして血で血を洗う殺し合いの現場に取り残されたのだ。犯罪に免疫のない彼女達が恐怖に怯えるのは当然で、むしろ今まで涙ひとつ流さなかったあたり賞賛するべきだろう。

かつては教え子だった少女達の怯える様子に、北斗は(なんとかして落ち着かせてやらなければ)という、教職者の義務感にも似た思いにかられた。そうでなくとも、事件に巻き込まれてしまった者達に対するアフターケアは重要である。

しかし、彼の胸の内には同時に(一刻も光達の居る場所へ、“俺達の始まりの場所”へ急がねば……)と、焦る気持ちも存在していた。

彼が焦るのには理由があった。

人質救出作戦は迅速な行動が重要……という以上に、あの戦闘員……『サンタクロース』から伝言を聞いたとき、彼の中であるタイムリミットが設定されたのである。それは“俺達の始まりの場所”に辿り着けるかどうか自体が危うくなってしまう、重要な刻限だった。

震える2人が落ち着くまで、このままこの場に留まっていることは可能だ。

しかし、あまり長い時間はかけられない。

朝になって人々が活動を開始し、路上に学生が溢れるようになっては(・・・・・・・・・・・・・・・・)、もう“俺達の始まりの場所”へと行きつくことは出来なくなってしまう。

さらには獅狼との戦闘があることを想定すれば、実質2人を慰めるのに割ける時間は皆無といって良い。もはや、一分一秒が惜しい状況なのだ。

 

「新谷さん、田村さん……」

 

北斗は、身の内に湧き上がる後ろめたい気持ちを感じながら、しかしあえて2人を突き放すべく言葉を紡いだ。

 

「気持ちは分かります。いきなりあんな目に遭って、さぞ恐かったことでしょう。…ですが、正直に言って、今、あなた達を慰めるのに割ける時間はないんです」

 

淡々と事実だけを述べることは、時に嘘をつくことよりも相手の心を傷つける。それが自分達を恐怖の場から救い出してくれた男の言葉であれば尚更だ。

普段の彼と変わらぬ口調で紡がれる言葉はあまりにもシンプルで、それゆえに鋭い刃となって2人の少女の心を抉った。

自分達を救い出してくれた男は、決して白馬の騎士などではなかった。救うだけ救って、後のことはほったらかし。ショックを受ける2人に追い討ちをかけるかのごとく、北斗は言う。

 

「俺には行かなければならないところがあるんです。一刻も早く、行かなければならない場所が…大切な約束があるんです」

「行かなければならない場所……」

「大切な、約束……」

「はい」

 

“俺達の始まりの場所”で、待っているという親友達。北斗にとってその場所は何処よりも優先して行かなければならない場所であり、その場所へ行くことは、何よりも優先して行わなければならない約束事だった。

力強い北斗の頷きに、はっと顔を上げる美香。

偏光シールドに阻まれた北斗の表情を、彼女が見ることは叶わなかったが、奇しくも2人の視線だけは交錯していた。

やがて美香が、震える声で言った。

 

「夏目先生を、助けに行くんですね?」

「はい」

「そのために戦いに行くんですね?」

「はい」

「なんでなんです?」

「え?」

「なんで、闇舞先生が行かなくちゃならないんですか?」

 

それまで事実の確認に終始していた質問の方向性が突然変わったことに、一瞬虚を衝かれる北斗。それは予め彼がそうなるよう周到に計算・用意された質問だったのか、彼の中に一刹那の思考の空白を生じさせることに成功した。

そしてその一刹那の隙を衝いて、美香はよりいっそう強い力で北斗の胸にしがみつき、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。

 

「なんで闇舞先生じゃなきゃいけないんですか? 別に夏目先生を助けるだけなら、他の人に任せたっていいじゃないですか。闇舞先生が所属しているっていう組織の人とか、他にも人材はいるはずでしょ?

それに、闇舞先生が戦いに行くってことは、先生がまた傷つくかもしれないってことじゃないですか。さっきだって闇舞先生は私達のためにたくさん傷ついて、何度も死にそうな目に遭ったんですよ? そのうえで、また傷つくなんて……!」

 

――このまま北斗を引き止めなければ、彼は戦場へと向かい、自分達はこの場に置き去りにされてしまう。今は北斗が側に居てくれているからなんとか平静を保てているが、その彼がいなくなったりしたら、自分は恐怖でどうにかなってしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。

孤独になることを恐れるあまり、少女は少しでも長く北斗をこの場に繋ぎ止めようと必死に言葉を吐き出した。

そしてその言葉のひとつひとつは、確実に北斗の心を打ちのめした。

孤独を恐れる少女の胸の内で渦巻く不安を感じ取り、北斗はいたたまれない気持ちにかられてしまう。

少女達をこの場に残していくことに対する罪悪感が頭をもたげ、彼の強き心を苛む。

しかし、北斗の決意は固かった。かつての教え子から切実な救いを求められても、彼の心は折れなかった。

彼は、かつての教え子達を見放した。

 

「――俺じゃなければならない理由なら、ちゃんとある……」

『え?』

 

突如として響いた北斗の、そのあまりにも冷静な声に、2人は同時にきょとんとする。

2人は、いつの間にか北斗の口調が敬語ではなくなっているのに気が付いた。そして彼女達は、教師の仮面を被ることなき闇舞北斗の、本当の素顔と遭遇した。

静かに一言告げた北斗はヘルメットの側面に両手をかけた。フルフェイスタイプのヘルメットがゆっくりと持ち上がり、少女達の前に、しばらくぶりに男の素顔が露わとなる。

汗で肌にまとわりつく前髪を振り払い、北斗は強い意志と決意を感じさせる眼差しを少女達に向けた。

切れ目の双眸に間近でじっと見つめられ、美香の頬が赤くなった。

2人の少女は、思わずゴクリと生唾を飲み、男の顔に見入ってしまった。茫然と見惚れる2人の女生徒に、北斗はかつて教壇に立っていた頃そうしていたように、諭すような口調を心がけながら口を開いた。

 

「俺じゃなければならない理由ならちゃんとある。それも複数な」

 

美香がひとつひとつ理詰めで攻めてくるというのなら、自分もまた理詰めで返すしかない。

北斗の眼光がギラリと凄みを増し、真正面から美香の心を射抜いた。

 

「第一に、今動ける人間が俺しかいないということ。今、新谷さんが言ったように、たしかに俺が与する組織には、優秀な人材が大勢いる。強力な装備を揃えた大部隊がいくつもある。だが、それを今すぐに動かせるかどうかは別問題だ。

人質救出作戦は時間との戦いだ。作戦はあくまで迅速に。準備は素早く確実に。行動は無駄のない正確さをもって。今、この国にいる戦闘者で、連中と事を構えられるだけの実力を持ち、すぐに人質救出のために動ける人材となると、俺以外いないのが現状だ」

「そんな……」

「悲しいがこれが俺達の置かれている現実だ。君達もミュンヘンで起きた事件の事は知っているだろう?」

 

1972年9月5日、西ドイツ・ミュンヘンで起きた『ミュンヘンオリンピック事件』は、パレスチナの武装組織『黒い9月』によって引き起こされたテロ事件で、様々な経過の末、当時開催されていたミュンヘンオリンピックに参加するイスラエル代表団11名、事件解決に尽力した警察官1名が死亡するという最悪の結末を迎えてしまった。

当時、事件を起こした犯人グループは8人。イスラエル選手村を襲撃した彼らは選手1名とコーチ1名を殺害後、選手9名を人質にとり犯行声明を発表。イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の解放を要求するも、当時のイスラエル首相ゴルダ・メイアはこれを拒否。国内での外国軍の活動を制限していた西ドイツは、自国の警察組織をもって事態解決に挑んだ。

 

「犯人グループをフュルステンフェルトブルック空軍基地にまで追い込んだ当時の西ドイツ政府の外交手腕には素晴らしいものがあった。だが、犯人を射殺するために動いていた狙撃手に問題があった。

さっきも言ったように、人質救出作戦には迅速かつ無駄のない正確さが求められる。だが、狙撃にあたった男に与えられた情報、装備は不十分だった。そして何より男の技量は、作戦遂行に必要なレベルを満たしていなかった。最初の狙撃で、犯人全員を倒すことが出来なかったんだ」

「…それで、どうなったんですか?」

 

事件の概要は知っていても、細部を知らない美香がおずおずと訊ねる。先ほど北斗を言葉で攻め立てた威勢はどこにいったのか、すでに彼女は彼の雰囲気に呑まれていた。

 

「……事件は最悪の展開を迎えてしまった。生き残った犯人達とは銃撃戦になり、犯人を基地に追い込むために使用したヘリコプターの1機が全壊。人質になった9人、そして警察官が1人死亡し、犯人も8人中5人が死亡した。

分かるだろう? ノロクサやっていては救出される方も、する方すら無用の危険に晒されてしまうのが、人質救出作戦だ。それで現状、俺しか動けないというのならば、俺がいくしかない。……これが第一の理由だ。

第二の理由は、敵の狙いが俺自身の命にあるという事だ。今回の誘拐事件は君達を狙っての犯行ではなく、俺をおびき寄せることを目的に実行されたものだ。敵の目的が俺にある以上、仮に別の人間が助けに行ったとしても、徒に相手を刺激するだけに終わる危険性が出てくる。下手をすれば、相手がどういう行動をとるかまるで予想がつかなくなる。ミュンヘンのときと同じように、無用の被害拡大を招く恐れがある。

なら、その可能性を少しでも低くするために、俺が出ていった方が得策だ。……これが、第二の理由。……ここまでの話は、理解してくれたか?」

「え、えっと…なんとなく……」

「なんとなくで構わない。俺でなければならない必要性についてだけ理解してくれれば、それでいい。

さて、第三の理由だ。とりあえず、長々しい説明はこれで最後になる。俺にとって、最も決定的な行動原理が、ここに集約されているからな」

「最も決定的な……」

「……行動原理?」

 

さっぱり意図の読めぬ北斗の言葉に、首を傾げる2人の少女。

彼女達は知らない。今、自分達の目の前にいる男と、自分達を誘拐した犯人との関係を。そして、犯人が連れ去った女と、男の関係を。

これまで北斗が彼女達に話してきたのは、全て『この戦いに赴くのが北斗でなければならない理由』であって、そこに彼が本当に戦場へ向かうことを良しとしているのか、そうでないのかという、彼自身の意思が介在する余地はない。

北斗自身、戦うことを望んでいるのか、いないのか。

戦いに対して、意味を見出しているのか、いないのか。

北斗の舌は、流れるようにその後の言葉を紡いでいった。

 

「なにより、俺自身があいつとの戦いを、望んでいる」

「え!?」

 

衝撃的な北斗の一言に、彼の胸にうずくまる美香が驚愕に目を見開く。

――彼は今、何と言った? 『あいつ』……と、言ったのか? 『ヤツ』でも、『犯人』でも、『連中』でもなく、『あいつ』……と、言ったのか? まるで犯人のことを、昔からの友人であるように形容したのか? 

そして頭の中に浮かぶ、犯人の中でも、極めて高い地位にあったと思わしきトレンチコートを着た男の、澱みのない爽やかな笑顔。

まさか……まさか、北斗はあの男の人のことを――――――

表情から美香の考えを読み取った北斗は、静かに彼女の疑問を肯定する。

 

「ああ、知っている。よく……な」

 

そう言う北斗の目の中に、一瞬優しげな光が宿ったのに、2人は気付いただろうか。

いつの間にか北斗の表情は、2人を突き放そうという固い決意に裏付けられた真剣なものから、穏やかな微笑へと変貌を遂げていた。細く開かれた目元がゆるみ、口調も心なしかさきほどよりも優しいものになっている。

北斗は……『世界を変えうる3人の男』と呼ばれる戦士は、裏社会に居を構える住人が絶対に犯してはならないタブー……自らの、過去について語った。

 

「親友なんだ。昔からの。大切な」

「え……?」

 

美香の背筋を、薄ら寒いものが駆け上った。

今日というこの日まで、自分達が過ごしてきた日常の裏で行われてきた非日常を知らなかった少女は、裏社会の過酷さと残酷さを、今、初めて知った。

 

「……知らずに…殺しあわなきゃいけない状況に……追い込まれたってことですか……?」

「いや。最初から気付いていたさ。俺も、あいつも」

「そんな……!」

 

美香の脳裏によぎる、あの男の青空のような笑顔。そして目の前でこれから決戦を前にしているというのに、穏やかな微笑を浮かべる目の前の

そんな――! そんな悲劇があっていいのだろうか!?

14年ぶりに再会した親友達の2つの笑顔の下には、いったいどんな思いが隠されているのだろうか?

美香は年齢のわりに聡明な少女だった。しかし、その彼女をして、北斗が打ち明けた事実には愕然とせざるをえなかった。

北斗の背中から覗く涼子と視線が絡み合う。もし、自分と涼子が同じような立場になったとしたら…もし、自分と涼子が命を賭けて殺しあわねばならぬ状況に陥ったとしたら……自分は、はたしてこの男のように笑っていられるだろうか?

 

「あいつには俺を殺すのに足る理由がある。そして俺にも、あいつと戦うのに足る理由がある。

経過はどうあれ、結果的に俺はあいつから愛する人とその未来を奪った。14年の時を経てなお燃え盛る俺への復讐心こそが、あいつの動機だ。

そしてあいつは、その復讐心ゆえに俺をおびき寄せるべく人質をとった。よりにもよって、俺とはほとんど無関係な君達2人と、俺が愛する人をな」

「愛する人って……」

「俺は光を愛している」

『!!?』

 

あまりにもさらりと紡がれた北斗の告白に、恋愛経験の浅い2人の少女は思わず頬を染める。特に北斗と真正面から向かい合っている美香などは、茹でダコ同然の状態だ。

光のことを愛していると語った男の顔はあまりにも優しく、穏やかで、そしてなにより、聡明な美香が見惚れてしまうほど男らしかった。

 

「光のことだけじゃない。俺は、復讐の憎悪という鎖でがんじがらめにされているあいつの心を、救ってやりたいと思っている。そしてそれは、あいつの復讐の対象であり、同時に、あいつと親友だった俺にしか出来ないことだ。

……それに、あの時、あいつの事に関しては頼まれてしまったし、約束してしまったからな」

 

大切なものを守るために、大切なものを殺さなくてはならないという、懊悩の果てに辿り着いた地獄で交わした、彼女との約束。

瞼を閉じ、そっと耳膜に意識を傾ければ、今でもあの時交わした会話の内容は鮮明に思い出すことが出来る。

 

『ヤンミ……最期にお願いがあるんだけど……』

『……分かった。俺に出来ることなら、何だって聞いてやる! だから最期なんて言うな!!』

『ワンちゃん……獅狼のこと…お願いね……北……斗…………』

 

――そうだ。自分はあの日、約束してしまったのだ。

誰よりも彼のことを愛した彼女と、約束したのだ。

 

「これが、第三の理由だ。第一、第二の理由は、俺でなければいけない理由だったが、この戦いは、俺自身望んだ戦いでもあるんだ。

……だから、間違っても誰かと代わるわけにはいかない」

 

穏やかな表情に、穏やかな口調。しかし瞳には烈々たる強い意志を秘め、北斗は2人に語った。

そして少女達は男の本心を聞き、悩み、考え、そして答えを出した。

戦闘服を掴む美香の手から、急速に力が抜けていった。

 

「……涼ちゃん、降りよう」

「うん……」

 

美香の提案に、涼子は素直に頷いた。

少女達の体は怯えからまだ震えていたが、自分達では北斗を繋ぎ止めておくことが出来ないと悟った彼女達は、自らイスカリオテの背中から地上へと降りた。北斗が申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すまない……ありがとう」

 

万感の想いが篭められた謝罪と礼を、はたして彼女達はどう受け止めたのだろうか。

2人の少女は、北斗の方を見なかった。彼女達は北斗に背を向け、震える声で言った。

 

「さあ、行くなら行くで、私達が背を向けている間に早く行ってください!」

「あたし達みたいに若くて可愛い娘の誘いを断ったんだから、絶対に光先生を助けてくださいよ!?」

「ああ」

 

無礼にも、背中を向けたまま北斗を送り出す少女達の態度に、しかし北斗は何も言わなかった。むしろ、心が温かくなるのを感じていた。

背を向けるのは彼女達なりの意思表示だ。面と顔を向かい合わせて見送ってしまえば、また引き止めるような真似をしてしまうかもしれない。だから彼女達は、自分のために背を向けてくれているのだ。

 

(ありがとう……)

 

辛い思いをしながらも自分を見送ってくれる2人に、心の中でもう一度感謝の言葉を述べて、北斗はイスカリオテのエンジンをキックした。

520馬力の心臓が轟音とともに起動し、黒いマシンの全身を電気と、オイルが駆け巡る。

次の瞬間、イスカリオテはゆっくりと走行を始めた。漆黒のオートバイはその身に備えられた圧倒的な加速性能から、すぐに時速100キロという高速を発揮し、あっという間に少女達の背後から消え去った。

高性能なサイレンサーですら掻き消せぬ排気音が夜の住宅街に鳴り響き、やがてそれが聞こえなくなったところで、2人の少女はようやく振り返る。

 

「……行っちゃったね」

「うん…」

 

恐怖と不安、そして孤独感からか、うっすらと目尻に涙を溜める少女達は、かつてその場所をひとりの男と、彼が操る最強のオートバイが疾走したことを証明するタイヤの跡を、いつまでも見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Heroes of Heart外伝

〜漆黒の破壊王〜

――奪われた誇り――

第十四話「レオウルフ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――????年??月??日。

 

 

 

 

 

奇妙な浮遊感が、闇の帝王を包み込んでいた。

眼前に広がるは漆黒の闇。あらゆる森羅万象を内包し、物質、エネルギーを含む時空連続体……宇宙。

プロフェッサー・ギルの周囲には、激動の大宇宙が広がっていた。

未知なる暗黒の力に絶えず膨張と収縮を繰り返す大宇宙を漂いながら、闇の帝王の視線はある一点にのみ向けられ、ソレを捉えて離さなかった。

太陽系銀河のはるか彼方、最速の光を以ってしても、そこに到達するまでは1000万年の歳月を要するはるか遠方の果てに、今にも滅びんとするその惑星はあった。

太陽よりも巨大なその惑星は、自らの重みに耐え切れず重力崩壊を起こし、収縮を続け、ついにはその膨大な質量の全てをただ一点の穴へと押し込まれていった。

ブラックホール。宇宙の落とし穴と呼ばれるその存在が持つ圧倒的な重力は、光速さえも捕らえて逃さない。

プロフェッサー・ギルが凝視するソレは、ブラックホールの中でも構造が単純な“シュバルツシルト・ブラックホール”と呼ばれる、静止した球体状の天体だった。

このシュバルツシルトに飲み込まれたら最後、中心へ向かって1兆Gを超える重力が足を引っ張り、やがてブラックホールの中心部……特異点へと引き込まれ、最終的に物質は消滅する。その際、物質の各点では重力がブラックホールの中心方向にはたらくため、物質内部では力のズレが起きてしまう。いわゆる潮汐力という現象だ。

この潮汐力の作用によって、ブラックホールに飲み込まれた物質は中心へ向かうにつれて、はてしなく引き伸ばされ糸のようになってしまう。これは単に“そう見える”というだけでなく、実際に“そうなってしまっている”のだ。

しかし、ギルが見つめるブラックホールは少し事情が違っていた。

といっても、ブラックホールが持つ普遍の機能は健在だった。貪欲な宇宙の落とし穴は、側に寄るモノが何であろうと躊躇せず、圧倒的な力を振るってあらゆる物質をその内へと引き込んでいた。現に今、ギルの視界の中では、ブラックホールの中に数個の惑星が飲み込まれていた。

だが、それらの惑星は身の内と外で荒れ狂う潮汐力の膨張によく耐えていた。

そればかりか、ブラックホールの特異点を中心に、ひとつの銀河を形成していた。常識的に考えるならば、それは到底ありえないことで…しかし、そんな非現実的な光景を前にしながら、闇の帝王は眉根ひとつ動かさなかった。彼はその非常識な事実を、すんなりと受け入れていた。

プロフェッサー・ギルは、その銀河に向かってそっと手を伸ばした。

するとどうしたことか、帝王を包む宇宙が流転し、なんとギルの体はブラックホールを中心とする異端の銀河へと迫っていた。

特異点を太陽に公転する惑星の数は、全部で10個にも及んだ。やがてその中のひとつが光り出し、眩さのあまり瞼を閉じたギルが次に目を開けたとき、眼前にひとりの男が立っていた。

奇妙な風貌の男だった。長身にして筋骨隆々、上下がツナギのようになった銀色のスーツをぴっちりと着込み、その顔は人間……というよりは、ゴリラやチンパンジーといった類人猿そのものの骨格、そのものの顔立ちをしている。まるでハリウッド映画に出てくる、異星の住人のようだ。

プロフェッサー・ギルは、このSF映画に登場するようなキャラクターを前にしてさして動じることもなく、堂々と右手を差し出した。

 

「こうして面と向かい合うのはこれが最初かね。初めまして。ワシが『ダーク』の総帥、プロフェッサー・ギルだ」

 

口元に慇懃な笑みを浮かべて会釈するギル。

その態度からは微塵ほどの誠意も感じられなかったが、男はそれでも社交辞令だとばかりにギルの右手を握り返した。

 

「初めまして、プロフェッサー・ギル。私はΣ374号……“ブラックホール第3惑星”の、外宇宙外交官だ」

 

機械化された中性的な声が真空の宇宙に響き、闇の帝王と暗闇の住人との密談は、今、始まった。

 

 

 

 

 

――1973年3月25日

 

 

 

 

 

闇の中をさまよう帝王の目を覚ましたのは、天蓋付きの古式豊かな寝台になじまぬ機械の電子音だった。

クラシックにまとめられた室内の調和を掻き乱す赤色灯の点滅にうんざりとしながら、老いたる闇の支配者は頭上で鳴り響く機械へと手を伸ばす。老人のものとは思えぬほど黒々とした剛毛に覆われた手が手探りに掴んだのは、100グラムとない小型軽量の通信端末だった。

『ダーク』本部基地地下某所に設けられたプロフェッサー・ギルの仮眠室は、それ自体が対NBC兵器用のシェルターとして機能するよう、一個の独立したブロックになっている。NBCとは、Nuclear Biological Chemical の略で、それぞれ“核兵器”、“生物兵器”、“化学兵器”を意味し、ABC兵器とも称される大量殺戮兵器のことだ。

仮眠室は、原水爆に代表されるこれら既存のNBC兵器に対して鉄壁の防御を誇っていた。

中でも、際立って優秀なのは核兵器に対する防御力で、外壁は分厚い装甲板とコンクリートによってメガトン級の爆発にも耐え、50センチ以上の厚みを持つコンクリート壁によって、あらゆる放射線が透過しないようになっている。

まさに文字通りの鉄壁であるが、放射線を通さないということは通信用の電波さえも通さないということにほかならない。放射線であると同時に電波と属性を同じとする“ガンマ線”を、仮眠室は通さないのだ。

ゆえにこの部屋に大掛かりな通信機を置くことは出来ず、外部との連絡手段が限られるというのが、この仮眠室唯一にして最大の欠点だった。そのため外部との連絡はもっぱら携帯用の小型通信端末に限られ、しかもこれさえも通信には電波を使用しているため会話を行うことは出来ず、ただ呼び出し音を発するだけの機械にすぎなかった。

通信機を正常に起動させるためには、仮眠室の外へ出なければならない。プロフェッサー・ギルは通信端末を握ったままノロノロと寝台から降りた。

老人の裸体が、露わとなった。

細くやせ衰え、せり出した下腹は肉体に忍び寄る老いを如実に現していたが、元来は筋肉質の体型だったのだろうか、均整美とでもゆうべき肉体を保っている。全身の剛毛は未だ黒々としており、とても60を過ぎた男の体とは思えない。

ギルは、ソファに掛けられた愛用のローブを手早く身に纏った。通信端末は未だうるさく鳴り続けている。

翼を広げた蝙蝠か何かの装飾が施された長杖を手に取り、帝王はようやく仮眠室の外へと出た。

堅牢なシェルターとしても機能する部屋を一歩出てみると、殺風景な廊下がどこまでも続いていた。

警備のアンドロイドマンの姿はない。そんな人員がなくとも、廊下には監視カメラと、その映像に連動して反応する対侵入者用のトラップが、いくつも設置されている。

ギルは念のため自分がひとりであることを確認してから、端末の受信ボタンをプッシュした。

 

「ワシだ。今、仮眠室から出たところだ」

『こちらは本部交換台。こちらは本部交換台。プロフェッサー・ギル、開発研究局の石黒博士より通信です』

 

通信を入れてきたのは、『ダーク』本部基地の交換台だった。ここには直通回線を使用した通信以外の、『ダーク』本部基地におけるあらゆる通信が中継される。

アンドロイドマンの合成された中性的な声で『開発研究局の石黒博士……』と、聞いたとき、ギルの目がギラリと光った。そこには寝起きの様子も微塵に感じさせぬ、凶悪かつ残忍な闇の帝王としての顔が見え隠れしていた。

 

「分かった。開発局にはワシも用がある。石黒博士には通信ではなく、直接にそちらに向かうと伝えておけ」

 

アンドロイドマンの報告に簡潔に答え、ギルは一方的に通信を終了した。

相手の返事は聞かずとも、ちゃんとその指示を相手に伝えてくれることは分かっている。機械で完成された彼らは、マスターである自分を裏切ることは絶対にないのだから。

機械人形との味気のない短い会話を終え、帝王は外套を翻して深淵の闇へと続く廊下へと躍った。

『ダーク』本部基地は組織の本拠地であると同時に、一個の要塞としての側面も持っている。敵対勢力の侵入を想定して設けられた廊下はパリの下水道のように入り組んでおり、同じような道が何本もある。

しかし、そこは流石自身の城。迷うことなくギルはエレベーターまで辿り着き、下って、上って、『第4開発研究局』と書かれたプレートが張られた部屋へと入った。

部屋は、実際の広さよりも狭く感じられた。テニスコート半分ほどの面積の室内には様々な機材が置かれており、資料が乱雑に積み上げられている。人の歩けるスペースは、広さのわりにほとんどない。

研究室では、白衣を着た5・6人の研究員達がギルに背を向けたまま作業をしていた。コンピューターを扱ったり、資料を整理したりと、やっている事は全員バラバラだったが、みな一心不乱に作業に没頭している。

やがて研究員のひとりが帝王の来訪に気付き、「プロフェッサー・ギルがお見えになられました!」と、跪いた。あとのみなもそれに習って一度作業の手を止め、帝王に対して頭を下げる。

ギルはうむ…と、重々しく頷いてから、跪く研究員のひとりの肩に手をかけた。50台も半ばと思わしき、壮年の男性だ。白衣の胸元に、『石黒光雄』と書かれたネームプレートを付けている。

 

「あとの者は作業を続けろ。ワシは石黒博士に用がある」

 

ギルの命令に、研究員達は一斉に立ち上がると元の作業へと就いた。

ギルは、組織の帝王を前にして額から冷や汗を流す石黒博士を立たせた。博士の身長は165センチ前後といったところで、ギルよりも頭2つは小さい。

ギルは、石黒博士の表情にはっきりとした怯えがあるのを見逃さなかった。自分を前にしたことによって生じた恐怖からくる怯えだ。しかしギルはそれを腹立たしいとも、不快であるとも思わなかった。むしろ自分に怯えるこの矮小な男を見ていると、快感すら覚えた。

ギルは、人間の『恐怖』という感情はなによりも強力な武器であることを知っている。その『恐怖』を相手に自在に覚えさせることのできる自分を、誰よりも帝王の座に相応しい男であると確信していた。

ギルは、わざと相手が恐怖を覚えるようなドスを孕んだ声で、彼の肩を優しく叩いた。声と肩を叩く手のギャップが、石黒博士の恐怖をさらに駆り立てる。

 

「石黒博士、ワシに何か話があるそうだな」

「は、はい。プロフェッサーにとっては、まごうことなき朗報です」

「ほう……」

 

ギルの瞳に、廊下で見せたあの凶悪な輝きがまた宿った。

 

「れ、例の光明寺博士が設計した『システム01』のデータを基に開発中でした試作型“システム02”、01ベースの量産型“システム03 Red”、“04 Blue”、“05 Silver”の開発・製造が終了いたしました」

「そうか!たしかにそれは朗報だ!!」

 

石黒博士の報告に歓声を上げるギル。大声を上げた彼に対して研究員達が訝しげな視線を送るが、そんなものは完全に無視である。

ギルは、まるで欲しかった玩具を買ってもらった幼児のようにはしゃいだ。

帝王の意外な側面に触れたことに少々の困惑を覚えながら、石黒博士は報告を続けていく。

 

「まず、量産型の03、04、05システムですが、これは01システムの反省から、プロフェッサーのご要望通り『悪魔回路』と『服従回路』を直結させることで、組織に対する絶対服従のプログラムを定着させることに成功いたしました。

また、当初からの計画されていた通り、これら量産型の携行武器には、01システムが携行していた『高周波炸裂弾』型の特殊拳銃ではなく、03には“ミサイルボーガン”、04には“電磁ムチ”、05には“ウルトラスティック”を標準武装とし、現在これらの武器に関しては実戦テストの段階に入っております」

「“合体機構”の方はどうだ?」

「は、はい……。合体機構に関しましては当初の予定に反して01システムをベースに、03、04、05システムが01システムの増加装甲になるという形で定着いたしました。……なにぶん、01システムがなかなか研究室に顔を見せないものですから、他の合体機構が組み込めなかったものでして……」

「苦肉の策しか出来なかったということか?」

「申し訳ありません!」

 

石黒博士はその場に土下座した。この後の仕打ちを恐れてか、僅かに体が震えている。

 

「当初の計画通りに事が運ばなかったこと、プロフェッサーには何とお詫びしてよいやら……」

「まあ、よいわ。新兵器の開発に失敗は付き物よ。……顔を上げろ」

 

ギルに促され、石黒博士が顔を上げた。その表情は未だ恐怖で震え、冷や汗をかいていたが、処罰を免れた安堵からかほっとしていた。

一方、石黒博士を立ち上がらせたギルは、研究者達が格闘するコンピューターのディスプレイに映る映像に釘付けになっていた。彼にとってはよほど重要なものなのか、厳しい表情をしている。

ディスプレイには、同じ形状、同じ型式の人造人間が3D画像で4体表示されており、それが変形し、一体の人造人間へと合体していくシュミュレーションが、細部にわたって克明に表示されていた。変貌を遂げた人造人間の姿が画面いっぱいに投影され、次々に諸元、予想性能が表示されていく。最後に『GATTAIDER』と表示された画面には、もはや元のスマートな印象は微塵もない、最強の人造人間の姿があった。

 

「……しかし、“ガッタイダー・システム”か…。実際、現実問題としてどの程度使えるのだ?」

「それについては、今は判断しかねます。何しろ、まだテストも行っていませんから。……推測なら、申し上げることも可能ですが」

「推測では意味がない」

「確実な実戦データを得るにはまず03、04、05の起動に必要な“脳髄”を確保しなくてはなりません」

「そんな事はわかっておる。……それで? 02システムの方は?」

 

ギルが、ディスプレイに鋭い視線を注いだまま言った。

コンピューターの画面に反射して映る帝王の射るような視線を受けて、石黒博士の額からどっと冷や汗が噴出する。『あれは自分に注がれているのではない』と、必死に自分に言い聞かせながら、石黒はデスクの上から1枚のクリップボードを手に取り、束ねられた書類をめくった。

 

「……システム02に関しましては、当初の計画通りに事が進み、すでに本体ボディは99%の完成を果たしております」

「計画通り? 何も問題が起こらなかったということか?」

「はい…いえ、勿論、小さな諸問題はいくつも噴出してきましたが、特に深刻な問題はなく、我々研究局の方でも、こんなにも事がスムーズに運ぶとは思っておりませんでした」

「……どうやら、運命はワシの忠実な下僕らしいな」

「は?」

「いや、気にするでない。周辺機器の方は?」

「こちらの方は総合的に見てまだ70%といった完成度です。新型の“高周波炸裂弾”装填型散弾銃、“超振動高周波ブレード”の開発は予定通りのスケジュールで完了したのですが、02システム支援用の“大型バイク”、それから例の装置(・・・・)の開発が滞っています。

特に例の装置の開発遅延は深刻です。なにしろ、あのようなコンセプトの装置を開発するのは、ハード、ソフトの両面において、前例がありませんから」

「分かっておる。しかし、例の装置が完成しなければ02システムは真に完成したとは言えぬ。

我ら『ダーク』は『黒十字軍』や『デストロン』に比べれば、組織としての規模は弱小だ。その我らが、かつての〈ショッカー〉のようにこの世界の覇権を握るためには、そして強大な地球防衛軍に打ち勝つためには、何か一発、強烈なパンチが必要なのだ。

ガッタイダー・システムを搭載した01、03、04、05の4体、例の装置を搭載した02、そしてすでに開発・製造が完了した“白骨ムササビ”の6体は、我々が今後の活動をするうえで、絶対に必要となる戦力なのだ」

「はい。それは十分心得ております」

「うむ。それならば、よい。例の装置の開発、くれぐれも頼むぞ」

「はッ……」

 

石黒博士は一礼をしてから、元いた自分のデスクに戻り、作業を再開した。

そんな彼の背中に向かって、ギルは唐突に、思い出したように言った。

 

「ああ、そういえば……」

 

部屋中に響き渡る荘厳な帝王の声。石黒博士達はギルの方を振り向いた。

 

「ワシからも連絡することがあった。予定では本日明朝、この基地に02システム搭載用の脳髄が届くことになった」

「それは素晴らしい!」

 

研究員のひとりが、喝采をあげた。まだ30代前半の、若い職員だ。まるで無邪気な子供のように、体いっぱいで喜びを表している。

彼には自分が人殺しの道具を作っているのだという意識はなかった。彼は、ただ純粋に自分達の努力がようやく実ったことに喜びを感じていた。闇の組織にあって彼らは純朴な科学者であり、そこにそれ以上の他意はなかった。

若い研究員の喜びが伝染したかのように、他の研究員達の間でも歓声があがった。ギルを前にして怯えていた、石黒博士も顔を輝かせている。

 

「……いずれその人物のデータが届くだろうが、念のために貴様達も目を通しておけ。システムに人間の脳を組み込むのは外科医の仕事だが、いつ不足の事態が起きるとも限らぬ」

「は、はい! 分かりました!」

 

みな代表して、石黒博士がやや喜びで上擦った声を出す。ギルは満足そうに頷くと踵を返し、部屋の外へと出ようとした。

 

「あ! お待ちください、プロフェッサー・ギル!!」

 

帝王の背中を、誰かが呼び止めた。

振り向くと、あの若い研究員が顔を綻ばせながら、

 

「――それで、いったい何者なんですか? その脳髄の持ち主というのは。下手な人間じゃ許しませんよ。システム02は、僕らにとっては子供みたいなものなんですから」

 

と、言った。

なるほど、たしかにそうだ。彼らにとって自分達が苦労の末に完成させたシステムはまさしく彼らの子供であり、親である彼らとしては、それがどこの馬の骨とも知らぬ輩の下へ嫁ぐとしたら、それは許せないだろう。

しかし、プロフェッサー・ギルは大きく首を横に振りながら、「心配するな……」と、言った。よほど件の人物ならば大丈夫だろうという思いが強いのか、表情に自信が満ち溢れている。

 

「たしかにシステム01は優秀だったが、それは“光明寺”という天才の頭脳を組み込んで初めて発揮されたもの。

“ハカイダー・システム”はその全能力が搭載される脳の質によって大きく左右される。凡人の脳を組み込むのと天才の脳を組み込むのとでは、あらゆる点において大きく優劣が出てしまう。

しかし安心せい。貴様達の子供に搭載される頭脳は、光明寺に負けるとも劣らぬ天才のものだ。……きっと、貴様達の子供の性能を十二分に発揮することだろう」

「ほう…それはいったい……?」

 

石黒博士が興味深そうに訊ねた。ギルがここまで太鼓判を押すほどの人物に対して、興味が湧いたのだ。

ギルは、重々しく頷いてから芝居のかかった口調で雄弁に語った。

 

「たしかに、光明寺は天才だった。しかし、あやつはロボット工学者としては天才だったが、戦闘者としては凡人だった。ゆえにシステム01は最高クラスの戦闘能力を獲得するに至ったが、あとひとつ、何かが足りなかった。

しかし、今度の脳は違う。その男はこの裏社会において『最強』の称号を欲しいままにする戦闘者。戦闘の天才よ。光明寺とは違った意味での天才だが、システム02にこの男の頭脳が搭載されれば、必ずや現時点における想定スペック以上のデータを叩き出すことだろう。大船に乗ったつもりで、安心するがよい」

「はあ……」

 

そうは言われても、戦闘のことなど石黒にはまったく分からない。それに科学者の本分は『疑うこと』から始まるのだ。大船に乗ったつもりになることなど、不可能だった。せいぜい、小型の蒸気船に乗った程度の安心しか持ち得ない。

しかし、そんな石黒でも、プロフェッサー・ギルがその人物のことを高く買っていることだけは分かった。プロフェッサーは尊大で、無駄に気位の高い男だ。同じ組織の人間でさえ、人を褒めることなど滅多にない。自分だって、まともに評価されたことは一度もない。

その彼が、『戦闘の天才』という形容を使ってまでその人物の事を高く評価しているということは、それだけその人物が戦士として優秀であるということを如実に示している。

――本当にいったいその人物は何者なのか? それ以前に、本当にそんな人物が実在するのか?

石黒博士の中で疑問は加速度的に膨らんでいき、気が付くと彼は自然と口を開いていた。

 

「……それで、その人物の名前は?」

 

言ってから(しまった!)と、少し後悔する。自分に名のある戦闘者の名前は分からない。それは『ダーク』という組織に属している以上、ジェームズ・ボンドや、コナー・ウィルソンといった名前ぐらいは聞いたことがあるが、まさか彼らのような人間の脳を回収するなど、現実的に不可能だろう。

しかし、石黒博士の質問に対するギルの答えは、彼の予想をはるかに超えていた。

 

「……闇舞、北斗だ」

「!?」

 

石黒博士の手が止まった。

否、石黒博士だけではない。

室内にいる全研究員が、今行っている作業を止め、驚愕の表情でギルを見た。

それは、戦いに関してはドが付くような素人である彼らをして、その名を聞けば身も心も震え上がらせる男の名前だった。

 

「システム02には、闇舞北斗の頭脳が組み込まれることになるだろう」

 

ギルが、放心する彼らに向かって念押しするようもう一度言った。

石黒博士達の手は、しばらく止まったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1959年2月10日。

 

 

 

 

 

気温30度を超える真夏日であろうと、雪降り積もる真冬日であろうと、基本的に小島獅狼の朝は早い。平日は部活の朝練があり、休日は休日で自主トレに励んでいるためだ。平日でも部活のない日は、何か特別な事でもない限りやはり自主トレに精を出している。

いつからそれが習慣になったのかは、彼自身よく憶えていない。空手を習い始めたのは小学校に入る直前ぐらいからだが、その頃はまだ自主トレはしても、それは早朝ではなく夕方ぐらいだったと思う。それがどういう経過をたどって早朝にシフトを移動させたのかは、よく分からない。

確かなことは、最近ではこの朝の練習を欠くとどうも一日調子が悪いような気がしてならない、ということだ。

今や獅狼にとって朝の練習は、彼が心身ともに調子を整え、一日を快適に過ごすための通過儀礼といっても過言ではなかった。

その日は平日で学校の授業はあったものの、部活の朝練はなかった。基本的に如月学園は進学校であるため、部活にはそれほど力を入れていない。都内強豪の空手部ですら、毎日練習があるわけではなかった。

そのため獅狼は、自主トレに励むことにしていた。

前日から雪が降っているため足場の状況は悪かったが、これも鍛錬のうちだと思い、彼はパーカーにジャージといういでたち(・・・・)で家を出た。

獅狼の自主トレは、まず体を温めるためランニングから始まる。

コースは自宅から区民公園までで、その後は広い公園の敷地を使ってひたすら練習だ。

区民公園へと向かうと、そこには見知った顔があった。見まごうはずがない、彼の親友だ。

 

「こんな朝っぱらから、何やってんだよ?」

「小島か。いや、ちょっと仕事……というか、バイトの帰りでな」

 

開口一番無遠慮に訊ねる獅狼に、北斗は特に気分を害した様子もなく答えた。

 

「バイトって……こんな時間までか? もしかして徹夜かよ?」

「……ん? ああ、まあ、な」

 

要領を得ない返事をする北斗の表情は、見るからに疲労困憊といった様子だ。よほどキツイ内容の仕事だったのか、心身ともに疲弊している。

 

「いったい何やってたんだよ? ……あ、分かった。工事現場のバイトだろ? たしかに土木作業は体力使うからな。それも徹夜となりゃかなりキツイだろうし」

「いや、土木作業じゃない。……まあ、何かを建設するという意味では、一緒かもしれないが」

「? どういう意味だよ?」

「いやなに、大したことじゃない。何か建物を建設するためには土地が必要だろう? 俺は、その土地を使えるよう綺麗にしてきたんだ」

「……雑草抜き?」

「そんなところだ。建物を建てるにあたって邪魔なモノを排除してきた。……ところで、お前は? こんな朝っぱらから、何やってるんだよ?」

「俺か? 俺は自主トレだよ」

「……こんな足場の悪い中でか?」

 

前日からの雪で地面は非常に滑りやすくなっている。基本的に空手は道場の床の上、畳の上で行う競技だ。あえて足場の悪い所で練習する必要はない。

しかし獅狼は憮然として言い放った。

 

「いくら畳の上、床の上で上手く動けても、実戦で試合通りに動けなきゃ意味がない。そして実戦の場では足場なんて選んでいられない。いつ、いかなる状況でも100%の力が引き出せるようになってこそ、初めて本当に技術をものにしたと言えるんだ……って、言ったの、闇舞じゃねぇか」

 

去年の暮れ、今日のように雪の降る日に外で訓練していた北斗に言われた言葉だ。

何度も何度も見知らぬ誰かに踏み固められ、非常に滑りやすくなっていた地面の上を、彼はまるで舞台上に立つダンサーのように自在に舞っていた。その動きは速く、躍動感に溢れ、道場で対峙しているとき以上の動きを見せていた。

それを獅狼に言ったとうの本人は、彼から言葉を聞かされてようやく思い出したらしく、

 

「……そういえばそんなこともあったな」

 

と、相槌を打った。

獅狼は、底意地の悪い笑みを浮かべながら大仰な仕草で言葉を継ぐ。

 

「おいおい! まだ2ヶ月前のことだぜ? ボケるには早すぎるぞ、少年。

それとも、とうとう酒に脳までやられたか?」

「……何を言っているんだ、お前は? 酒で頭が冴えるのならいざしらず、アルコールが脳細胞を破壊するわけがないだろう。

酒は生命(いのち)の水、この地球が俺達に与えてくれた大いなる至宝だぞ」

「……まぁ、個人の嗜好に関してはあんまりとやかく言うつもりはないけどよ、アルコールが脳細胞を云々……って、辺りの考えは、矯正しといた方がいいぜ」

「何故だ?」

「闇舞、お前“急性アルコール中毒”って知ってるか?」

「……何だ? その名前からして不愉快な病名は」

 

本気で腹立たしげに訊ねてくる北斗に、もはや説明してやる気にもならず獅狼は苦々しく嘆息する。

この男はいつもそうだ。こと“酒”が絡むときの闇舞北斗はいつも真剣で、冗談というものがまるで通用しない。かつて彼の妹はこの酒好き未成年のことを「お酒が恋人みたい」などと形容したが、酒の飲めない獅狼からしてみればそれよりも、「酒を崇拝している」と、表現した方が、よほどしっくりくる。自身の肝臓が極めて強靭であるためか、アルコールの悪弊についてまるで考えが及んでいない。

殺気さえ滲ませた視線で自分を睨みつける北斗を視界に入れないよう体の向きを変え、獅狼はこの公園に来た当初の目的を果たすことにした。北斗と話し込んですでに5分。折角ランニングで温まった体も、また徐々に外気によって体温を奪われつつあった。

獅狼は両足を肩幅より少し広めに開き、明心館空手の基本の構えをとった。攻撃にも防御にも、少ないモーションで移行することのできる万能の構えだ。

獅狼は今にも拳を突き出さんとする体勢のまま、背後の親友に言う。

 

「俺はこのままちょっと練習していくけど、お前はどうする? 家に帰るのか?」

「ああ。……さすがにこの恰好のまま学校へ行くわけにもいかんし、留美にも心配をかけているだろうからな」

「今年で中学だっけ?」

「ああ……」

 

先ほどまでとは打って変わって優しげな北斗の声。

相手に背中を向けているため、獅狼にその表情を読み取ることは出来なかったが、おそらく今、彼は困憊の様相を顔に浮かべながらも、穏やかな面持ちをしているに違いなかった。

 

「ちょっと前までは俺の腹ぐらいの背丈しかなかったあいつが、気が付けばもう立派な中学生とは恐れ入る。月日が経つのは早いものだ」

「…だから! …老けるには! …まだ! ……早いっての!!」

 

踏み込みの速度も十分に、腰と肩を回転させながら連続で拳を突き出す。

爆発的呼吸とともに吐き出される言葉は白く結晶し、薄い陽光に照らされてたちまち掻き消えた。

ひとつの型が終わっても休むことなく、二手、三手と獅狼は背後からの視線を感じつつも型取りに励む。

小さく鋭い踏み込みから牽制の左拳を数発打ち、トドメとばかりに大きく踏み込んで右の正拳を放つ。

天より降る白い結晶のひとつに拳が触れ、霧散し、腕が引き戻される。なきに等しい重さの手応えを己が拳で確かに捉えたのを実感し、少年は満足げに微笑んだ。今朝は心なしか技の冴えが良い。踏み込みから拳を引き戻すまでの動作が、自分でも信じられないほどスムーズに進んでいく。体に無駄な力が入っていない証拠だ。

ふと、背後から注がれているはずの視線が消え去っていることに気付く。いつの間にか仕事帰りで困憊している親友は、獅狼の目の前で、彼と対峙する形で空手の構えをとっていた。

北斗の視線が、正眼に獅狼を射抜く。獅狼は彼の意図を察し、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「悪いな、疲れてるところ」

「なんのなんの」

 

こうして対峙しているだけで、筋肉はおろか全身を駆け巡る神経さえもがじりじりと緊張に焼かれていくのが分かる。

ただの型取りも、目の前に居るのが頭の中に思い浮かべた仮想の敵でなく、実在する宿敵であれば行う意味はまるで違ってくる。

獅狼は、腰を低く落とした。

最高の重心バランスから、最高のタイミングで、最高の連撃を放つ。

標的を正確に狙うストレートが数発、ほぼ間断なく北斗を襲い、やはりトドメとばかりに放たれた、KO率が最も高いフックが彼の前髪を鋭く撫でる。

対峙する北斗はそれらの連撃を、様々なディフェンスを巧みに活用して見事躱してみせたが、その偉業に反して、北斗の表情は驚愕に染まっていた。獅狼が元の構えを取り直すや、口から感嘆の吐息を漏らす。

 

「驚いたな……」

「あん?」

「前に闘ったときよりも技のキレが数段増している。それに拳速が早い。空手というよりはボクシングのレベルだ」

「そりゃ! …どう! …も!」

 

北斗の賛辞に耳を傾けながらも、集中を乱すことなく一手、また一手と型をなぞる。

すでに北斗と対峙するようになってからゆうに二十手は繰り出しただろうか、不意に技を受ける北斗の表情が「おや?」と、訝しげなものになった。それを視界の片隅に捉えた獅狼は、会心の笑みを浮かべて間断なく拳を突き出す。

強烈な踏み込みとともに放たれる右のストレート。手首を手刀で内側から弾き飛ばし、なんとかパンチの軌道を逸らすも、継いで北斗の身を襲う左からの五連打。顎、心臓、鳩尾と、急所を的確に捉えた本命の拳撃にフェイントの2発を交えた、完全な実戦用の連続突きは、素早く、そして間というものがまったくない。咄嗟に後方へと跳躍することですべて回避するが、着地の瞬間、あらかじめ狙いすましていたかのように獅狼は素早く左拳を引き戻し、腿力の限りを尽くして大きく踏み込み、肉体の全ての力を振り絞って拳を突き出した。

 

 

――吼破!!

 

 

最高のタイミング、最高の状況で放たれる最高の一撃。防御らしい防御を一切捨て、攻撃にのみ全力を注いだ必殺の一打は、たとえ五体満足の体であったとしても一撃の下に相手を戦闘不能へと誘う。

一方、そんな一撃を無防備な着地の瞬間に放たれた北斗はたまったものではない。

この立ち合いはただの型取りとして防戦一方に終始していた北斗も、対峙する男の体が一個の砲弾となって自分に牙を剥いてきたとあっては、「攻撃は最大の防御」として立ち向かうしかなかった。

北斗の利き腕は、彼が意識するよりもなお早く動き、誰しもが眠りに就くときそうするように自然体で開かれた五指が、鋭く閃いた。

 

「……ッ!」

 

手と手が触れ合ったのは刹那の一瞬、1000分の1秒。

しかし、互いの接触はたった1ミリ秒に過ぎなかったにも拘らず、獅狼の触覚は親友の放った五指が自分の両腕を優しく撫でさすった瞬間を知覚した。

そしてその直後、必殺必中の奥儀を繰り出した少年は唖然とした。

 

「……は?」

 

突き出した両拳から、手応えらしい手応えがまったく感じられない。いや、そればかりか、視界に捉えたはずの北斗の姿さえもが感じることができない。完全に視界から消失してしまっている。

獅狼は親友の姿を求めてきょろきょろと辺りを見回した。

 

「こっちだ……」

 

緊張のせいか硬い声は背後からした。

茫然とした表情で体ごと振り返る獅狼。はたして、目当ての人物はそこに居た。

わずか1ミリ秒という刹那の対決で相当消耗したのか、北斗は軽く息を切らしながら立っていた。

逞しい2本の大木が根をはる場所は、連撃の最中に獅狼が見極めた着地点と寸分の狂いもない。どうやら北斗が消えたと思ったのは、彼が移動したからではなく、獅狼自身が大きく立ち位置を移動してしまったために起こった錯覚だったようだ。どうやら、自分の放った必殺技は不発に終わったらしい。

自分の身に起きた一連の出来事が未だ信じられず、獅狼はしばし放心した。その間に北斗は横隔膜を上下させて呼吸を整え、やがて茫然と立ち尽くす獅狼に毒づいた。

 

「おい、あんな型、明心館の空手にあったか?」

「……あん?」

 

北斗の言葉を耳にして、ようやく正気に戻る獅狼。

たっぷり5秒は北斗の言葉の意味を考えてから、しどろもどろに答えた。

 

「え? ……い、いや、あれは俺のオリジナルだよ。実戦でも十分使えるようにって、今、研究中の型だ」

「だろうな。いくらなんでも、門外不出の『吼破』を組み込んだ型なんて俺も聞いたことがない。

しかし、不意打ちとはいえ今のはあぶなかった。連撃の展開の仕方といい、攻撃のタイミングといい、100点満点中の80点以上は取れていたぞ」

「そうか…ありがとよ」

 

述べられた賛辞も、あまり耳に心地よいものではない。その「100点満点中の80点以上は取れていた」技を不発へと追いやったのは、他ならぬ自分を褒め称えるこの男なのだ。

北斗の賛辞に軽く落ち込みながら、しかしようやくいつもの調子を取り戻した獅狼は、すっと構えを解いて、側にあったベンチへと腰を下ろした。

 

「……もう、いいのか?」

「ああ。結構動いたからな。満足したよ」

 

獅狼の回答に、北斗は短く「そうか…」と、呟き、彼の隣へと座った。

 

「……おい」

「俺も結構動いた。あから、少し休憩していこうと思ってな」

「留美ちゃん、きっと心配してるぞ。早く帰ってやれよ」

「勿論家には真っ直ぐ帰るさ。……けど、その前に、少し仕事の垢を落としていこうと思ってな」

「?」

 

北斗の遠回しな発言に首を傾げ、彼の顔を見る獅狼。

純白の結晶が天より降り注ぐ現在にあって、すぐ側で不可解な言動を口から発する親友の表情は、心なしか暗い翳りを帯びているような気がした。まるで決して償うことのできない罪を背負っているかのような表情は、初めて見るものではない。

場所が学校であれ、プライベートの場であれ、闇舞北斗という少年は時折、普段の態度からは想像もできないような暗い顔をすることがあった。気にかけて、「何故そんな表情をしているのか?」と、質問しても、まともな答えが返ってきたことはない。何か悩み事なり何なりがあることは間違いなかったが、決してそれを教えてくれようとはしない。言えば大概答えをはぐらかされるか、酷い時などは質問自体うやむやにされてしまう。

事実、獅狼自身彼に対して何度も質問を浴びせているものの、一度としてまともな回答が返ってくることはなかった。

心配は心配だったが、質問をしても取り合ってくれないことが分かっているため、獅狼は無理に聞き返すことはしなかった。代わりに彼は、暗い雰囲気を払拭するように、あからさまなぐらい明るい声で、話題を変えようと口を開いた。

 

「ところでよ――――――」

「ところで……」

 

奇しくも重なる2人の切り出し。特に北斗の方から話を振ってくるなんて珍しい。

獅狼は開きかけた口を一旦閉じ、自然な笑みを浮かべてから彼に言った。

 

「……なんだよ?」

「いや、お前の方から話があるのなら、それを聞くが……」

「いいって、いいって。どうせつまらねぇ話だから。それより、闇舞の話を聞かせてくれよ。俺の話なんかより、そっちの方がよっぽど面白そうだ」

 

事実、話題転換のため頭の中に浮かんだのは、どうでもいいジョークのネタだった。そんなものを披露するよりは、珍しく自分から切り出してきた親友の話を聞いていた方が、よほど建設的であろう。もっとも、相手の話もまたどうでもいいジョークという可能性もあるが。

 

「別に面白くもなんともないんだがな。……そもそも話ですらない。俺が言おうとしたのは、お前に対する質問だよ」

「あれ、そうなのか?」

 

どうでもいいジョークではないようだったが、獅狼が期待するような話でもなかったらしい。

少しばかり残念そうに唸る獅狼に、北斗は苦笑しながら口を開いた。

 

「いや、ふと、お前のことでひとつ気になったんだが……」

 

そう前置きしたあと、北斗はあの翳りの帯びた暗い表情を顔から消し、

 

「小島が空手をやり始めた理由って、いったい何なんだ?」

「え?」

 

唐突な質問に、獅狼は目を見開いた。まさか北斗がこんな質問をしてくるとは予期していなかったのか、表情から笑顔が消えている。

そんな彼の表情の変化を見て、慌てて北斗は言葉を濁した。

 

「…すまん。どうやら言いたくない事だったようだな」

「ああ、いや、そんな事はないけどよ……」

 

ただ少し、驚いただけだ。あまりにも唐突に北斗が奇妙な質問をしてきたものだから、一瞬茫然としてしまった。

獅狼はゆっくり頭を振って否定したあと、再びにっこりと笑顔を浮かべた。

 

「えっと、質問は俺が空手をやり始めた理由について聞きたい……だったよな?」

「ああ」

「なんでまた急にそんな質問を……」

「いや、特に深い理由はない。言っただろ? 『ふと、気になったんだが』と」

 

言われてみればたしかに今しがた、彼はそんな事を言っていたような気もする。ということは、本当に質問は北斗の中で突発的に生じたものなのだろう。これ以上質問を思い至った理由に追及したところで、まともな答えは返ってこなさそうである。

獅狼は諦めたようにひとつ溜め息をついた。白く結晶した息が2人の間を彷徨い、霧散していった。

 

「……あんま大した話じゃねぇぞ」

「構わない。別に昔山で遭難した際に熊に襲われ、旅の空手の達人に助けられて空手家を目指すようになった……とかいう話を期待しているじゃないからな」

「さいですか」

 

軽薄に答えながら、すでに獅狼の意識は10年近い歳月を隔てた過去へと飛んでいた。

 

「もう10年以上も昔になるか……」

 

自分や春香が、まだ小学校にも通っていなかったあの頃の記憶。わずか5歳を数えたばかりの子供だった自分が、今でも鮮明に思い出すことができるほど正確に記憶した、大切な思い出。

もし、今あの頃の自分がこの場に居たとしたら、自分と春香の関係を見て目を疑っただろう。

なにせあの頃、自分は彼女のことを…………

 

「実はさ、俺、昔は春香のこと、そんなに好きじゃなかったんだ。――というか、あの頃は俺、春香のことをむしろ嫌っていたな」

「……冗談だろう?」

 

北斗はてっきり獅狼が自分をからかっているものと思い、苦笑しながら彼を見た。しかし、過去を回想する親友の表情からは、当時のことを思い出してそうなったのか、明らかな嫌悪感が滲み出ていた。どうやら、先ほどの獅狼の発言は本当のことらしい。

北斗は目を見開いて獅狼を見つめた。現在、恋人同士である2人の良好な関係を見ても、とてもではないが彼の発言が信じられない。

しかし獅狼は、そんな北斗の思惑などどこ吹く風、はるか悠久の過去に置き去った記憶の断片を掘り起こすのに夢中で、北斗の言葉を耳にすることはできても、彼がどんな表情をしているかは分からなかった。

 

「本当のことさ。ほら、春香って結構なお嬢様だろ? 今でこそあいつはあんな性格で、誰にでも仲良く接しているけど、昔は仲良くどころか俺達庶民のことを見下している感があった」

 

そう、あの頃の彼女は獅狼にとって……いや、獅狼を含めた同年代の子供達にとって、鼻持ちならない傲慢な部分があった。

 

「近所の子供はみんな春香のことを嫌っていた。我が侭で傲慢で、自己中心的でさ、『俺達はみんなわたしの子分』――みたいなところがあった。出会ったばかりの頃は、ケーキとか、アイスとか、あの頃の日本じゃ俺達には絶対に手に入らないような菓子を餌に、無理難題ふっかけられたり、惨めな思いさせられたり。

断ったら断ったで、すっげえ虐められるし。正直、本当に嫌なヤツだったぞ」

「お前が嘘を吐いているとは思わんが、とても信じられないな」

「はははっ。だろ? 実際、今の俺もそうだ。けど、それがあの頃の春香の実像だったんだよ。

……で、何度も何度もコキ使われているうちに、怒りが爆発しちまったんだよなぁ。俺達はみんな、ある日を境に春香のことを無視するようになった」

「それはまた狡猾な子供だったんだな」

「あの時代を生き抜くためには、ガキだって知恵は必要だったんだよ。…お前だってそうだっただろ?」

 

殴られたり蹴られたりして肉体が負う傷はいずれ治る。しかし、言葉の暴力や、無視といった行為で心に負った傷はなかなか治りにくい。まして、その経験が幼い頃であれば尚更だ。相手の心を傷つける暴力は、時に相手の体を傷つける暴力よりも、相手の心身に深いダメージを与える。

当時小学校にも入る前の子供達がその考えに至っていたとはさすがに思えなかったが、当時の自分が同じ立場だったらと思って、北斗はぞっとした。

 

「最初の2・3日ぐらいは、あんまり成果はなかった。実際春香の周りには使用人の人達とか、話し相手はたくさん居たから。けど、同年代の話し相手は確実に減っていた。1週間経って、2週間経って、だんだん春香の声がいつもの高圧的なものから、縋るような声になっていった。あいつが幼稚園で、ひとりで寂しそうな表情を浮かべるたびに、心がスカッとした。……今思えば、すっげえ性格の悪いガキだったんだな」

「安心しろ。今も決して良いとは言えない」

「へッ、言ってくれるねぇ…」

 

獅狼は自嘲気味に笑いながら、そこで一旦言葉を区切って、ややトーンの低い声で話した。

 

「1ヶ月が経った。まだ、俺達のイジメは続いていた。ホントはもう少し早くに切り上げるはずだったんだが、春香の反応が楽しくて俺達は続けていた。

ところで、話はちょっと変わるんだけどよ、当時春香は犬を飼っていたんだ」

「犬?」

「そ、犬。シェパード犬っていうのか? とにかく大きいヤツ」

「俺達が今日明日の食べ物にも困っている毎日を送っていた頃に、あの娘は犬なんぞを飼っていたのか?」

 

まだ朝鮮戦争も始まる前で特需も何もなかった時代、多くの日本人は犬を飼うなんて余裕を持ち合わせてはなかった。それこそ、自動車を手足のように使い、冬でもアイスクリームを食べるアメリカ人と同じで、そんな生活は異星(アナザー・プラネット)での出来事も同然だった。

 

「言ってやるなって。アメリカさんが何と言おうが、世の中ってなんだかんだいって不平等なんだからよ。

――それでな、ある日、そのシェパード犬が川に落ちちまったんだ」

 

意外な獅狼の告白に、北斗は眉をひそめた。

 

「……小島、いくらなんでもそれは……」

「いやいや、俺達じゃないって。さすがにそこまで酷い事はしない。……俺達はたしかに春香のことが嫌いだったけど、春香の飼っている犬が嫌いだったわけじゃないんだから」

「ガキはガキなりに、最低限の道徳は持っていたわけだ」

「そういうこと。春香が嫌いだっていう理由で、その犬まで虐めちゃさすがに可哀想だろ。

……でも、ある意味で俺達は加害者だったな。春香が嫌いだっていう理由で、あいつの『助けて』って懇願も無視して、ただ川の流れるがままに翻弄されていくあいつの飼い犬を黙って見ていた。やっぱり、ガキだったんだよな。意地張っちまってさ、春香の言う事なんて、絶対聞いてやるもんかって、ずっとそっぽを向いてた。

ま、最終的には飛び込んだけどな。川」

 

今、思い返してみても、我ながら無茶な事をしたものだと思う。なにせ当時5歳に過ぎなかった子供が、大型のシェパード犬さえ流されてしまうような急流の中に飛び込んだのだ。風車に挑むドンキホーテも同然で、勝ち目なんてあるはずもなかった。

とはいえ、そのままずっと黙って見過ごすことも幼い自分にはできなかった。結果的に春香の言う事を聞いてしまう羽目になったのは癪に障ったが、犬に罪はないのだ。

だんだん小さくなっていく鳴き声を聞いているうちに、獅狼の体は彼の理性の制御下を離れて、気が付いたときにはもう自分は川の中にいた。

しかし、勇ましく飛び込んだまではよかったが、いつしか彼の小さな体はシェパード犬ともども河口へと追いやられていった。所詮5歳の子供が勝てるほど、川の流れは甘くなかったのである。

 

「ちょっと他人より早く泳げるからって、調子に乗ってたんだよな。他人っていうのは、あくまで俺と年の変わらない子供のことで、そんなのより多少上手く泳げたところで、川ン中じゃ話にならなかった」

「……お前、よく生きているな」

「いやはや、お恥ずかしい限りで」

「それで?」

「ん? ああ、あとはいたって簡単な話だよ。春香の言う事を聞くのは嫌だって言ってた他の連中も、さすがに俺まで溺れちまったところで大人の人呼びに行って、犬ともども助けられ奇跡の生還ってやつ。

……んで、そん時自分の無力さを感じた少年は、手っ取り早く力を手に入れるために空手を始めましたとさ」

 

本当は別にもうひとつ理由があるのだが、それはあえて言わないでおいた。言ったら言ったでこの男のことだ、末代まで苛めのネタにされるに違いない。

それに、その理由は改めて口にするも恥ずかしい内容なのだ。それこそ自分の中だけの、セピア色の思い出にしておいた方が吉といえよう。

 

(言えるわけねぇって。助け出されたときに、泣きながら「ありがとう、ごめんなさい」って、繰り返していた春香の泣き顔を、もう二度と見たくないから……なんて、さすがに恥ずかしくて言えないっての)

 

子供心にも、あの泣き顔は衝撃だった。あの傲慢な少女が泣いているだけでも驚きだったというのに、その少女の涙が自分を心配して流しているものだという事実は、わずか5歳の獅狼の心を叩きのめした。てっきり自分のことなど、どこにでもいるただの下僕のひとり程度の認識でしかないとばかり思っていたのに。

悲しみの感情を前面に押し出して泣き咽びく少女を見ていると、手足の不自由な状況の中にあって獅狼は不思議と冷静でいられた。

そして初めて気が付いたのだ。目の前の少女が、実はかなりの美人であることに。そういえば自分は、彼女の顔など今まで一度としてまともに見たことがなかった。彼女はこんなにも可愛らしい顔をしていたのかと、初めて気が付いた。

大人達の手で病院まで運ばれていく中、彼は思った。もう、二度と彼女にあんな顔はさせたくないと。彼女は、笑っていた方が断然美人なのだからと…。

 

「それ以来、俺達の春香のイジメはなくなった。事件以来春香もすっかり変わって、俺達と仲良く遊ぶようになった。……自分で言うのもなんだが、あの頃の俺達グループの中で、あいつといちばん仲が良かったのは俺だったと思う」

「……それはノロケと受け取っていいのか? 彼女持ちの親友」

「おう、いいぜ。独り身の親友」

 

獅狼と北斗はしばし見つめ合った。そして、同時にふっと微笑を浮かべた。

 

「嘘吐きだな。熊から助けられるのとさして変わらない。大した話じゃないか」

「はっ。じゃあ、そういう闇舞はどうなんだよ? お前が空手を始めたそもそものきっかけって、何なんだ?」

「俺の場合は、そうだな……一言で言ってしまえば、留美を守るためだ。今なら別の方法もあったとは思うが、コッチに来たばかりのとき、俺は留美を守るための力欲しさに色々な格闘技を片っ端から習っていた。その中に、空手があったんだよ」

 

穏やかな口調であっさりと告げられた回答。

獅狼は言葉にはしなかったが、(そうだったのか……)と、心の中で深く北斗に共感した。

彼も自分と一緒だ。守りたいものがあったからこそ“力”を求めた。しかし守りたいものを見つけたのが何も知らない子供だったから、実質的な力以外の“力”が、視界に入らなかった。

不意に獅狼は、羞恥心からもう一つの理由を口にしない自分が馬鹿らしくなってきた。自分は何を恥ずかしがっているのだろう。自分と同じで、守りたいものために力を欲したこの男が、自分の話を聞いて茶化してくるわけがないではないか。

獅狼は器量の小さな自分を自覚しながら嘆息し、意を決したように口を開いた。

 

「実はよ……」

 

言おう。言って、この男の反応を確かめてみよう。なにより、親友であるこの男には自分のすべて知っていてもらいたい。

はたと気付けば、胸の内から羞恥の心が完全に消えてしまっている自分に獅狼は苦笑する。本人はまったく意識などしていないのだろうが、闇舞北斗という少年には不思議な包容力というか、頼りがいがあった。

周囲の人間は闇舞北斗という少年のことを、クールだとか、恐いだとか、彼の表面的な部分だけを見て形容するが、実際にこうして親友同士になってみると、その印象がまったくのデタラメとは言えずとも、かなりの部分で違っていることに気付く。人は彼のことをクールというが、それは単に人間関係において不器用なだけで、自分から人と接しようとしないだけ。実際の闇舞北斗は、クールに見えて内心かなりの情熱家で、仲間想い良いヤツなのだ。

 

「……小島? 何をそんなに笑っているんだ?」

「いいや、何でもねぇよ」

 

この男を友としていらることが我が身の幸。いつの間にか闇舞北斗は、獅狼にとって掛け替えのない友人となっていた。

彼は北斗には、自分が空手を始めたもうひとつの理由を知ってもらいたいと、静かに口をを開いた。

 

 

 

 

 

――1973年3月25日。

 

 

 

 

 

14年の歳月を経て脳裏にまざまざと蘇る過去の記憶は、唐突に薄れていった。

一際大きな振動に体を揺さぶられ、高級シートに背中を預ける獅狼は目を覚ました。

未だ小刻みに身を震わす振動が眠りへと誘う中、起きたばかりの彼は虚ろな視線で辺りを見回すや、突然はっと表情を硬化させる。

慌てて首を巡らすと、目下の捜し人はちゃんと隣の座席に座っていた。シートベルトをしっかりと締め、両手でハンドルを握ったまま、フロントガラスの向こう側に広がる夜の町並みに視線を注いでいる。

胸の内でほっと安堵の息を吐く彼だったが、安堵の表情はすぐに崩れた。唐突に獅狼の中である疑問が生じ、彼は顔に怪訝な表情を浮かべた。

 

「……なんで逃げなかったんだ?」

「え?」

 

正面に視線を向けたまま、上品に小首を傾げる仕草に思わず獅狼はドキリとする。

自分と彼女とでは育ちが違うのだなと実感した瞬間。そういえばなんだかんだで上流階級の家に生まれた春香も、時折、見ているだけで胸の動悸が高鳴る表情や仕草をして、彼を困らせることがあった。

獅狼はなんとなく光を見つめているのが照れくさくなって、彼女同様フロントガラスの向こうを見据えながら、言葉を継いだ。

 

「いや、今、俺、寝てたんだぜ? 逃げ出すチャンスは、いくらでもあったろ?」

 

さすがに人質の目の前で熟睡するなどという失態は晒さずにすんだとはいえ、少なくとも自分は、夢を見るほどには浅い眠りの渦中にあった。幸いにして振動のおかけで目覚めることはできたが、そっとドアを開けられた程度の物音で覚醒できたかどうかは怪しい。ほんの数秒前までの自分の状態は、人質である光からしてみれば逃走を計るのに絶好のチャンスであったはずだ。

しかし、そのチャンスを棒に振って、彼女は獅狼の目の前に居る。あまつさえ自分に代わってハンドルを握り、車を動かしている。誘拐犯である獅狼からしてみれば、その事実は到底信じられるものではなかった。

 

「正直な話、俺、完全に寝ていたぜ。注意深くそっと足音殺して物音殺して逃げられたら、多分朝まで気付かなかったと思うし……」

「でも、気が付いた後は確実に私を見つけますよね?」

 

不意に大きく車体に制動がかかり、2人が乗っているジャガーXJ6が停車する。光の視線の先では、三つ目の長身が赤い光を放っていた。

光は助手席に座る獅狼の方へと首を回し、一方の獅狼は直接光の視線を真っ向から受け止めようとはせず、集光範囲の広いバックミラー越しに彼女の表情を覗った。

ほどなくして、意志の強さを感じさせる、真一文字に閉じていた唇がそっと開く。

 

「小島さんがいったいどの程度の能力を持っているのか、私は知りません。ですが、改造人間にとって人ひとりを捜し出すことは、そう難しいことじゃないですよね?」

「……そっか。闇舞から聞いているんだな」

「ええ、ほんの少し、触り程度ですけど」

 

『ほんの少し、触り程度……』と、彼女は言うが、改造人間が普通の人間に、自分達の体の秘密を語るということは、それだけ相手のことを信頼しているということだ。それだけでも、ミラー越しに見てもなお美しい彼女と親友の関係が、密接なものであると窺える。

おそらく……いや、間違いなく、これから自分がなすべき事は、彼女を酷く傷つけ、悲しませることになるだろう。改造人間同士の、手加減なしの本気の戦いの果てに待っているのは、唯一逃れようのない運命のみだ。そして自分は、春香のためにも、自分の復讐のために今日この瞬間まで付いてきてくれた仲間達のためにも、負けるわけにはいかない。

この美貌が悲しみの涙で染まった時のことを思い浮かべ、バックミラー越しに光を見つめる獅狼の表情は暗かった。

 

「そんなに便利なもんじゃねぇよ。改造人間っていったって、万能じゃないんだ。俺にできる事なんて、高が知れてる。……俺の能力じゃせいぜい、車内に残った匂いを辿って行方を追うぐらいのことしかできねぇ」

「匂いって……そんなに私、臭いますか?」

「いや、そういうわけじゃねぇけど…………」

 

すんすんと可愛らしく鼻を動かして、車内や自身の着ている服などを嗅ぐ光。女性にとって自分の体臭が周囲からどう捉えられているのかは、やはり大問題なのだろう。

獅狼は何かフォローの言葉を投げかけなければと思い、口を開いてはみたが、何を言えばいいのか分からずまた閉じてしまった。この世に生を受けてすでに30年、残念ながらこういう場合に口にするべき言葉が見つからない。そもそも、自分は女性と話す事自体苦手だ。どんな話題が女にとって楽しいものなのか、どんな言葉が女にとって嬉しいものなのか、まったく分からない。

それでも何とか舌先で言葉を探しながら、獅狼は歯切れも悪く再び口を開いた。

 

「その…俺の鼻は、特別製なんだ」

 

信号が赤から青へと変わり、獅狼へと注がれていた視線が前方へと向けられる。イギリス生まれのジャガーXJ6は右ハンドルとはいえ、暦とした大排気量の外車。ただでさえ慣れない車種を運転している光に、助手席に意識を向けながら運転をする余裕はなかった。

停車していたジャガーがゆっくりと発進する。

ぽりぽりと鼻頭を掻きながら、獅狼は言った。

 

「難しい話は俺もよく分からないんだけどよ、俺を改造した技術者の話によると、俺の嗅覚細胞の数は100億個を超えているんだと。普通、人間の嗅覚細胞は約500万個で、犬でも多くて30億個ぐらいが限界だから、俺は訓練された警察犬とかの数十倍、普通の人間の数十億倍の嗅覚能力を有しているらしいんだ」

 

特に体臭がキツイだとかは関係ない。改造手術によって強化された自分の鼻は、精神を集中し、機能を限定してもかなりの感度を持っている。それこそ、本人が望む望まない関係なしに、臭気に関するあらゆる情報が、鼻腔に容赦なく侵入してくるのだ。

 

「だから特に夏目さんの体臭がキツイとかそんなじゃなくて………………あ!」

「どうかしましたか?」

 

必死に弁解する獅狼の言葉が突然ピタリと止まり、光が一瞬だけ視線を彼に向ける。獅狼は何かに気付いたように、ポカンと口を開けていた。

 

「ごめん、夏目さん。前言撤回する。よく考えてみたら、街ひとつ分ぐらいの広さなら見つけられるわ、俺の鼻」

「ほら、やっぱり」

 

乾いた笑いを顔に張り付ける獅狼に釣られ、光もまたぷっと吹き出して苦笑する。

いつの間にか2人は、一方が誘拐犯、一方が人質であるという関係も忘れて、互いに笑い合った。

ちょうどその時、コンクリートの地面を滑るように駆けるジャガーの前に、赤信号が立ちはだかった。光がゆっくりとブレーキペダルを押し込み、巨大な車体が静かに停止する。

光はまた獅狼の顔を見た。今度は獅狼も、彼女の視線を真正面から受け止めた。

そして彼らは、ふっと真顔に戻った。

 

「改造人間を相手に鬼ごっこをしたら勝ち目がないってことは、普通の人間の私がいちばんよく理解してますから。

それに、仮に運よくここから逃げ出せたとしても、あなたの狙いが北斗にある限り、あなたは私を人質にすることをやめないでしょう? 他に北斗をおびき寄せる手段がないとは言いませんけど、私を餌にするのが今のところいちばん確実な方法のようですし…。

逃げ出しても逃げ切れる可能性は限りなく0に近い。例え逃げ切ったとしても無駄に終わってしまう可能性も高い。なにより、逃げたところで状況は何も変わらない。私が逃げたところで、あなたが北斗を追うのをやめることはない。――だったら、私は逃げません。逃げずに、この場に留まって、私なりの方法で戦います」

 

銃をとるだけが戦いではない。剣をとるだけが戦いではない。

自分に注がれる真摯な視線と、投げかけられる強い語調の言葉は、今や銃弾に撃たれたところで何の痛痒を感じぬ獅狼の胸を強く打った。

獅狼は思わず光の視線から顔を背けた。おそらく、かつて高校生であった頃の自分であれば背けられずにいたのだろうが、今の自分は闇の世界に魂を置いた身。真っ当な光の下で生きる彼女の、真摯なその視線を真正面から受け止めるのが恐かった。自分はこの真っ直ぐな視線を注がれるのに相応しい人間ではないと、思った。

 

「……まいったな。夏目さん、教師やってるだけあってやっぱ頭良いわ。それに、度胸もある。普通の女だったら、ここでびーびー泣き出してもおかしくないのに……。まったく、肝が据わったお嬢さんだ」

「度胸があるというより、人質になるのは初めてじゃないので、慣れてしまったというべきでしょうね。まぁ、褒められたものではありませんけど」

「はっ、違いねぇ」

 

北斗の事を調べているうちに知った、四国で起きた事件の顛末。山口達部下の戦闘員が情報を収集し、A4の用紙8枚にまとめてくれた事件の資料には、夏目光が『機動戦士S.T.』に攫われたという事実もはっきりと記載されていた。

 

「でも、まぁ、こんな状況でも冷静でいられるっていうのは良いことだぜ。本当に正しい判断が求められるのは、こういう危険な状況、いざって時なんだから」

「……とても誘拐した当の本人の台詞とは思えませんね」

「そりゃそうだ。誘拐なんてやったの、今日が始めてだし。俺は誘拐って犯罪に関しちゃまったくの素人だよ。誘拐の要領ってもんが分からない。

しっかし、まぁ、あんたの考えはよく分かった。実際、逆の立場だったら俺も逃げ出すことはしなかったと思う。逃げ出したとしても状況が好転することはないだろうし、それぐらいだったらこの場に留まった方がまだチャンスはあるだろうからな。

……けど、それはあくまで俺だったらっていう仮定の下での話だ。失礼だけど夏目さん、あんたには例えチャンスがあったとしても、状況を好転するだけの力はない。もっと失礼な事を言うと、このまま俺に付き合っていたら、あんたは闇舞の足枷になる可能性だってあるんだ。俺にはあんたがベストな選択肢を選んだとは到底思えない。なのに、あんた……」

「たしかに、このまま小島さんと一緒に戦場へ行ったところで、私には何も出来ないかもしれません。でも、何も出来なくても、私にはあなた達の戦いを最後まで見届ける義務があります」

「……どういう意味だ?」

 

獅狼は顔を上げて光を見た。一度は顔を反らしたその視線の先には、強い意志をたたえた瞳があった。恐怖の改造人間を前にしても臆することのない、強い女がいた。

 

「私は改造人間同士の戦いを見たことがありません。ですが、そんな私でもひとつ分かることがあります。今度の戦いでは、勝った方も負けた方も、決して無事ではすまないということ。……違いますか?」

 

2人の横顔を、信号機の青い光が照らした。しかし、イギリス生まれの豹は路上を動こうとはしなかった。

世界には彼ら2人しかいなかった。獅狼には光だけが、光には獅狼だけが視界に映っていた。信号が青になったのに、いつまで経っても動こうとしないジャガーに浴びせられる罵声も、今の彼らには聞こえなかった。

 

「違う……と、言いたいところだな。勿論俺は楽勝で勝つつもりでいるけど、多分…いや、間違いなくそれは無理だ。下手すりゃ、お互いに相討ちって事になりかねない」

「相討ちというのは、お互いに疲れてしまったからダウン……じゃ、ないですよね?」

「夏目さん、あんた何が言いたいんだ?」

 

光の質問には答えることなく、獅狼は逆に彼女に問うた。彼女の質問の意図が、まったく分からなかった。

 

「北斗は……彼は、私に言ってくれました。自分にとって私は、もうひとりの自分、自分の半身である、と。闇舞北斗という人間は、闇舞北斗と、夏目光の2人で“1つ”なんだ、と。……そして、今から夏目光の名を忘れ、闇舞光の名を胸に刻んでくれ、と」

「……あいつが、そんな事言ったのか?」

「はい」

 

とてもではないが信じられなかった。

柏木初穂の例を見るまでもなく、自分の知っている闇舞北斗という男は、こと女性関係においては罪に問われても仕方がないほどの鈍感で、正直なところ、彼がそんな気の利いた台詞を口にできるとは、到底思えない。

しかし、僅かな時間の交流とはいえ、獅狼はすでに夏目光という人物の人柄についてよく知りえていた。彼女は、嘘を吐くことのできる人間ではあるが、無闇矢鱈にそうするような、まして置かれているこの状況を茶化すために嘘を吐くような人間ではない。

――彼女の言葉は、信用するに足るものだ。

浮かび上がった疑念は、光への信頼によって霧散した。

そして同時に彼は悟った。北斗が……かつて親友と呼んだ男、今は復讐の対象である男が、どれほど彼女のことを愛しているのかを。

 

「他の誰が何と言おうと、私は闇舞光です。そして闇舞光という女は、同時に闇舞北斗でという名の男でもあります。

小島さん、あなたが夕凪春香さんの復讐のために彼と……闇舞北斗と戦うことを望むのなら、どちらが勝つにしろ――勿論、私は北斗を信じていますが、私はその戦いを見届けなければなりません。なぜなら、私は……」

「俺が殺そうとする相手……闇舞北斗でもあるから、か」

「はい」

 

力強い頷きからは、揺るぐことのない決意が感じられた。

もしかすると、愛する者が目の前で死ぬことになるかもしれない戦場へと、自らの意思で向かうことを選んだ女の決意だった。おそらく、場所さえ知っていれば彼女は自分が誘拐などせずとも、自ら戦場に現れたことだろう。

先ほど、自分は彼女を「度胸がある」と、形容した。それに対して、彼女は「恐怖に慣れてしまった」と、答えた。自分はその言葉に納得した。

ああ、なんと自分は愚かだったのか。恐くないわけがない。恐怖を感じないわけがないのだ。彼女は誘拐された人質の身で、北斗から話を聞いていたとはいえ、犯人はまったく見知らぬ男で、しかもその男は改造人間で、そのうえ男の目的は、彼女が愛している男を殺すことなのだ。

「度胸がある」どころではない。「慣れてしまった」なんてとんでもない。

自分がこのシートで惰眠を貪っていたその時から、彼女は愛しい人を失うことになるやもしれぬという恐怖を戦っていた。

恐怖と戦いながら、自分と行動をともにすることを選んだ。

恐怖と戦いながら、愛しい人を失うことになるやも知れぬ戦場へ向かうことを選んだ。

……すべては、闇舞北斗への愛ゆえに。そして、闇舞北斗を信じるがゆえに。

なんと強い女であろうか。

それと比べて、自分は……

 

「――それに、逃げ出さなかった理由はもうひとつあります」

 

思考は、突然の声に中断させられた。

いつの間にか2人が乗るジャガーは路上を滑るように走っている。

光はハンドルを握り、アクセルを踏んだまま獅狼の方へと顔を向けた。先ほどまで余所見運転などもってのほかだったというのに、もう、4200ccジャガーXJ6の挙動に慣れてしまったらしい。

改造手術によって強化された肌の触角が視線を感じ、獅狼は反射的に光を見て、(見なきゃよかった)と、後悔した。物凄い既視感を覚えた。

獅狼の視線の先で、光は、

 

(……そういや春香も、昔、よく俺を苛めようとしたとき、こんな顔したっけなぁ)

 

「小島さんをひとりにしたら、せっかくの高級車がスクラップになりかねませんから」

 

と、光は僅か100メートルを進む間に8回エンストを起こし、5回歩道に乗り上げ、2回ガードレールに車体をぶつけた挙句、人質の女に運転を代わってもらった情けない誘拐犯に、悪戯っぽく笑いかけた。

 

 

 

 

 

「……学校?」

「そ。夏目……じゃ、なかったな。闇舞さんの職場で、俺達の母校」

 

倉庫街からジャガーXJ6を走らせること2時間、辿り着いたその場所では、白い校舎がいつもと変わらぬ巨大な威容をたたえていた。

高級外車であるジャガーをボロボロにさせながら――主に獅狼のせいで――2人が行き着いたのは、如月学園如月高等学校の校舎だった。

来賓用の駐車場にジャガーを停めた彼らは、辺りに誰も居ないことを確認してから、職員用の通用路の前に立った。

 

「……ここが、“始まりの場所”なんですか?」

「ああ。俺と春香と、闇舞が出会った最初の場所だ。……俺達の付き合いは、この学校の、屋上から始まった」

 

「変わってないなぁ…」と、昔を懐かしむように目を細め、校舎を眺めながら獅狼は歩を進めた。光も彼の後を追う。

当然ながら扉には鍵がかかっていたが、外側へと観音開きする扉の僅かな隙間を狙って、獅狼は手刀を一閃。直接手は触れていないにも拘らず、留め金は手刀の風圧だけでいとも簡単に切断されてしまった。

 

「……」

「どうかしましたか?」

 

自由に開くようになった扉と手刀を放った右手を交互に見比べ、複雑な表情を浮かべる獅狼に光が訊ねる。

獅狼は扉を引きつつ苦笑を浮かべ、

 

「いやさ、まさか手刀の風圧一発だけで切れるとは思ってなかったから、ちょっと驚いた。かなり古くなってたんだろうな」

「ええ。もう十何年と校舎の建て直しはおろか、窓も張り替えていないぐらいですから」

 

少なくとも自分がこの学校に勤めるようになって数年、そうした場面は見たことがないし、校舎建て直しの話などは聞いたことがない。

 

「へぇ……ってことは、俺達の代からずっと変わっていないってことか。物持ちがいいんだな。時代は変わっても、如月の学生は優秀だ」

 

にっこりと笑みを浮かべながら、うんうんと頷く獅狼。さりげなく自分が優秀な生徒であったとアピールする彼に、光は苦笑した。

校舎に入ってまず2人は、屋上へと続く扉の錠を開けるための鍵を手に入れるべく、職員室に向かった。10年以上の昔から決して変えられることのなかった南京錠の鍵を手に入れた彼らは、獅狼の希望により、屋上へは回り道をしながら行くこととなった。

道中、久々に中へと入った学び舎の変わらぬ風景に見惚れる獅狼の表情は一喜一憂、あの教室では とか、あちらの理科室では顕微鏡をひとつ駄目にして、先生にしこたま怒られたとか、色彩に溢れていた。

 

「――ほら、俺達の時代は長さはヤード、重さはポンドだろ? それが高校になって突然メートルとか、キログラムとかに変わっちまって……闇舞とか、春香は順応高かったからよかったけどよ、いちいち頭ン中で単位換算するのがすっげぇ面倒臭くて、イライラしながら操作してたら……」

「壊れてしまったんですね? 顕微鏡」

「し、仕方なかったんだよ!」

 

見た目と実年齢にそぐわぬ子供っぽい態度で、ムキになって言い訳する獅狼。その様子が可笑しくて、光は笑いを堪えるのに必死だった。

 

「体表を1センチ四方……約0.4インチ四方に切断しろって、分かるかよ。そもそも、俺は昔から機械系は苦手だったんだ。電気通ってない物でも、通ってる物でも。

だいたい、あれは顕微鏡そのものにも欠陥があった。微調整ノブ動かしてもステージはうんともすんともいわねぇし、反射鏡なんて無茶苦茶曇ってたし。

今にして思えば、あれは絶対顕微鏡そのものに問題があった! 俺の扱い方に、落ち度はなかった!!」

 

言い訳の次は始めから物言わぬ、ましてすでに壊れてしまった顕微鏡に対する責任転嫁である。

とうとう堪えきれなくなった光は、ぷっと吹き出した。

 

「あ! クソッ、笑いやがったな」

 

光の反応に憤慨する獅狼だったが、無論、本気で怒っているわけではない。

2人は、この状況を楽しんでいた。

何事にも全力で真っ直ぐぶつかっていく獅狼の思い出話は、時に笑いを誘うもその分純粋で、少なからず感動を覚えるものだったし、聞き上手の光の反応は、雄弁に過去を回想する獅狼にも気持ちの良いものだった。

しかし、蜜月の時は長くは続かなかった。

所詮2人の関係は決して馴れ合うことの許されないもの。男は愛する者の仇討ちのために、かつての親友を殺すことを胸に誓い、一方の女はその親友を愛してしまった身である。

屋上へと続く最後の階段を登り切った時、2人の間からは完全に会話が消失していた。

獅狼が職員室で手に入れてきた鍵で南京錠の錠前を解き、ゆっくりとドアノブを回す。

夜間とはいえ、開け放たれた入り口から覗く屋上からの景色は、相変わらず壮観であった。

ホールの中ほどまで歩いた獅狼は、そこで一旦立ち止まると、眼下の夜景に視線を注いだ。

 

「……こっからの景色は、ずいぶん変わっちまったな」

 

14年ぶりに再会した故郷の町並みが、自分の記憶の中にあるそれとまるで変わってしまったことはすでに確認済みだ。しかし、こうして改めて上からものを見てみると、やはりショックは大きい。

形あるモノは例外なくいつかは滅びていく……獅狼とて頭では理解している道理だが、こればかりはなかなか受け入れられるものではない。

らしくもなく、一瞬だけ口元に自嘲の憫笑を浮かべる獅狼だったが、踵を返し、光の方へと振り向いたときには、もういつもの彼に戻っていた。

振り向いた獅狼は、「闇舞さん……」と、一声かけてから、右手でボロボロのトレンチコートのポケットをまさぐり、中から取り出した、月光に照らされて黒光りするソレを、光へと投げ渡した。

美しい放物線を描き、くるくると回る1100gの鉄塊を、彼女は少し難儀しながらも両手で受け取った。そして、手の中でその正体を確認して、彼女は表情を強張らせた。

渡されたのは1挺の自動拳銃だった。アメリカ・コルト社製M1911A1。天才銃器工ジョン・M・ブローニングが設計し、1911年にアメリカ陸軍の制式サイドアームに選定された、コルト・ガバメントとも呼ばれる大型拳銃である。強力な45ACP弾を7発装填する、シングル・アクション・オンリーのピストルだ。全長は20センチもあり、光の手にはオーバーサイズといえる。

表情も厳しいまま、光は手の中の武器と獅狼の顔を見比べた。

 

「そんな顔すんなよ。せっかくの美人が台無しだぜ?

……別に深い意味があるわけじゃねぇよ。ただ、念のための護身と、後始末の時ために渡しとこうと思ってな」

「後始末?」

「ああ」

 

頷いて、獅狼は今度は屋上を見回した。見下ろす景色は一変してしまっていたが、屋上の風景自体はほとんど変わりがないように思えた。もっとも、14年前から変えようがない風景でもあったのだが。

彼は再び光に背を向けながら、

 

「憎しみの連鎖は、どっかで終わらせなきゃならないだろ?」

 

と、あっさりと言い切った。

そしてその一言が指す意味を悟って、光は愕然とした。心臓を鷲掴みにされたかのような不快感に続き、どうしようもない息苦しさが彼女の豊かな胸の内で広がった。

光に背中を向けながらも、獅狼は改造人間の感覚で彼女の変化を敏感に感じ取っていた。急激な心拍数の変化をその耳で確認した彼は、(無理もないな……)と、苦笑を浮かべつつ、視界の片隅に古ぼけたベンチを見つけて、振り返ることなく口を開いた。

 

「世間では小島獅狼という人間はすでに死んだ人間、もしくは行方知らずの男って、なってる。だから今更俺が死んだところで悲しむような人間はいないし、まして殺した相手を憎んでくれるようなヤツもいない。……ついでに言うと、両親も俺の死を知る術がない」

 

獅狼はベンチの方へと歩を進めた。一歩一歩踏み出すごとに、徐々に縮まっていく距離。彼は、どこか懐かしいような、郷愁にも似た思いを感じていた。

 

「けど、闇舞のヤツは違う。闇舞も俺と同じで、公式にはすでに死亡扱いだけど、あいつには、死んで悲しむ人間もいれば、殺されて相手を恨む人間もいる。……現にそんな人間の代表格が、今、俺の目の前にいる」

 

ベンチの前に立つと、獅狼はおもむろに振り返って、光をじっと見つめた。表情こそ穏やかであったが、その瞳には強い意志を……何かしらの覚悟と決意の意思が宿っていた。

 

「もしもこの戦いで――勿論、闇舞さんとしては考えたくはないことだろうけど――俺が、闇舞のヤツを殺してしまったとしたら…………その時は、そいつで俺を撃ってくれ」

「……それは本気で言っているんですか?」

 

返す言葉には、無意識のうちに怒気が篭もってしまっていた。

光は一瞬、自分の耳を疑った。何事にも全力投球し、真っ直ぐにぶつかっていく彼の口から、自らの命を軽んじているとも取れる発言があったことが信じられなかった。

しかし、強い語調の光とは対称的に、獅狼はにっこりと笑顔でその問いに答えた。

 

「俺の体のことを心配しているのか? 大丈夫。改造人間としての機能は全部カットしておくから。45口径なら、俺を殺すことは十分可能……」

「そういう事を言っているんじゃありません!」

「……分かってるよ」

 

突然割り込んできた光の言葉に、獅狼はガシガシと頭を掻きながら溜め息をついた。

本当に彼女が自分に訊きたいことは、彼女に注意されるまでもなくよく分かっている。

そして、それに対する明確な答えを自分はちゃんと持っている。ただ、あまりはっきりと言葉にしたくはないだけだ。

しかし、彼女はあえて自分の口から答えを聞くことを望んでいた。それは同時に彼女が、人質と誘拐犯という関係以上に、まだ数時間しか交流のない自分のことを、本当に心配してくれているのだということを示していた。――でなければ、あんな怒った風には言葉を発さないはずだ。

獅狼は、観念して自らの想いを話すことにした。それでも、彼女の目を真っ直ぐ見ながら話すのは気後れしたので、彼は空に浮かぶ更待月を見ながら口を開いた。

 

「殺されたから殺して、殺したから殺されて……そんな事はさ、もしかしたら、俺の自己満足なのかもしれないけど、これ一回こっきりにしたいんだ」

 

憎しみが憎しみを呼び、際限なく肥大化し、果てしなく続く暗い循環の輪。そんな悲しすぎる連鎖は、どこかで終わらせなければならない。

しかし、自分は春香の事で北斗を許すことは出来ない。

自分はそんな風に割り切れるほど、器の大きな人間ではない。

ならば、すべては自分の次の者に託そう。

自らの命を捧げることで、この復讐劇にピリオドを打とう。

それはたしかに、聞き様によっては利己的で身勝手とさえ取れる考えだった。

自分の目的だけは達成し、後の責任はすべて別の者に一任する……これが利己的でなく、何であろうか。自己満足でなく、何であろうか。

一方、自虐を孕んだ獅狼の告白に、光は納得しなかった。

光は衝撃の発言に驚きを通り越して怒りすら覚えていた。

彼女の脳裏には、あの時(・・・)の北斗の言葉が蘇っていた。

 

『小島は俺にとって親友だ。……例え、ヤツに恨まれることになっても、必ず生かしてみせる』

 

彼は自分に嘘をついてまで、目の前の男のことを救おうと考えていた。

直接言葉にはしなかったが、そのためなら仮に自らの命を落としたとしても構わないとさえ思っていたであろうことは明白だった。

あの時ほど、光は北斗が……世界最強と呼ばれる男が、頼りなく見えたことはなかった。

数々の修羅場を踏み越えてきた歴戦の猛者が、あれほど戦うことに対して苦悩する姿を、彼女はそれまで見たことがなかった。

その事に対しては純粋に驚きもしたが、それ以上に、自分を恨む親友のことを大切に想う彼の優しさに触れ、心温まる思いをした。

しかし…しかし……それでは誰も救われない!

これでは北斗の決心も、どう転んだところで無駄になってしまう!!

たしかに獅狼が北斗を殺し、光が獅狼を撃てば、憎しみの輪廻は絶つことが出来るかもしれない。

しかし、それでは誰も救われることなく終わってしまう。

苦渋の決断をしてまで戦いに挑んだ北斗も。復讐を達成した獅狼も。2人の戦いを見届けた光も。そして、もうこの世にはいない、夕凪春香さえも……。

所詮、復讐とは虚しい自慰行為でしかない。遂げたところでかつてあったものが戻ってくるわけでもなく、復讐者の傷が癒されることは決してありえない。

しかし、それでもそこには何かしらの“救い”がある。

生き延びた者にのみ与えられる、何かしらの救済がある。

しかし、死者しか生まない復讐に、“救い”などあるだろうか?

その果てに得るものなど、あるのだろうか?

怒れる自分を宥めながら、光は手の中の自動拳銃をじっと見つめた。

重い。使い方次第で、人の命を奪うも守るも出来る道具ゆえの重さだ。

そして今度は獅狼の顔をじっと見つめる。強い決意と覚悟をたたえた双眸が、月齢20.1歳の更待月を捉えて離さない。

ややあって、光は意を決したように歩き出した。右手でガバメントの銃身を覆うスライドを掴み、銃口を自分の方へと向けながら、彼女は獅狼に拳銃を突き出した。

 

「……これはお返しします」

 

獅狼は視線を光へと戻した。

 

「使い方が分かりませんし、使えたところで、小島さんに当てられるとも思えません。それに私自身あなたには死んでほしくありません」

「……俺は、闇舞を殺そうとしている男だぞ?」

「それでも、です。それに私は、信じていますから」

「?」

「北斗の勝利を、です」

 

そう言って光は、今の時点で出来る精一杯の笑顔を浮かべた。

 

「やれやれ、惚気かよ…」

 

光につられたように、獅狼も笑った。

そして彼は光からガバメントを受け取ると、今度は彼が銃口を自分に向け、突き出した。

 

「夏目さんの考えはよく分かった。でもこれは、一応持っておいてくれよ。

言ったろ? 護身の意味もあるって。それに、多分持っていた方が闇舞のヤツも安心するだろうぜ?」

 

そう言われては光としても受け取らないわけにはいかない。たしかに、まともに扱えなくとも、丸腰よりはいくらか安全なのは間違いないのだから。

光は右手を伸ばし、ガバメントのグリップを握った。

獅狼はにっこり笑うと、背後の古ぼけたベンチへと指を這わした。この場所に置かれてからもう何年経つのか、長年にわたって雨風に晒されたプラスチックのベンチはボロボロで、獅狼のようながっしりとした体格の男が座ったら、すぐに崩れてしまいそうだ。

獅狼はニヤリと唇の端を吊り上げると、壊れかけのベンチに腰掛けようとして――――――

 

「おい!」

 

先刻から感じていたその気配が放った声に、ゆっくりとそちらの方を振り向いた。

 

 

 

 

 

「そのベンチはかなり老朽化している。危険だから近付かない方がいい」

 

その男は、あの時(・・・)と同じように屋上と校舎内を繋ぐ建物の屋根の上から叫んでいた。

その男は、あの時と同じようにステップを踏んで屋根から跳躍し、自分の眼前へと降り立った。

そしてその男は、あの時と同じように古ぼけたベンチへと手刀を振り下ろした。

 

“パキィッ!”

 

乾いた音を響かせ、ベンチの背凭れが割れた。あの時と違って、ベンチは木製ではなくプラスチックだった。

 

「……な?」

 

問いかける視線の先にある顔は、あの時の少女ではない。

しかし、向けられた視線に対して獅狼はわざわざ驚いた表情を顔に作り、

 

「あ、ありがとよ…」

 

と、礼を述べた。

 

「べつに礼を言われるほどのことはしていない。ただ…注意しただけだ」

 

憮然とした返答は照れからくるものなのか、それとも別に何か考えがあっての態度なのか。しかし彼がそれについて訊ねようとした時には、すでに男は踵を返し、屋上を立ち去ろうとしていた。獅狼は慌てて、あの時彼の隣に立っていた少女のように、男の背中を呼び止めた。

 

「ちょ、ちょっと待てよ!」

「……なんだ?」

 

無愛想に振り向く男。その仕草は細かなところまで完璧に再現され、まるであの時の記録映像を流されているかのような錯覚さえ覚えるほどだった。

 

「お、俺は1年2組の小島獅狼。お前は……?」

 

男は、あの時の少年そのままの、うんざりとした様子で答えた。

 

「……1年1組、闇舞北斗」

 

 

 

 

 

俺達はしばし顔を見合わせた。そして、どちらからとなく笑い出した。小島の後ろで光が何事かと目を丸くしている。

 

「たいした演技じゃないか。いっそのこと暗殺者なんて辞めて、役者にでもなったらどうだ? きっと、今の仕事よかずっと割の良い仕事だと思うぜ?」

「ふむ、役者か……それなら小学校の学芸会で懲りている。やめておこう」

「へぇ…ちなみに演目は?」

「『白雪姫と七人の小人達』。ちなみに役は鏡の精」

「……そりゃまた微妙な配役だな」

 

小島はそっと崩れたベンチから離れると、硬直した状態にある光の背中を優しく押した。

戸惑いがちに小島と俺の顔を交互に見比べる彼女に、あいつは相手を安心させるように笑いかけ、光の歩みをそっと促す。

 

「ほら、行ってやれよ」

 

どこまでも邪気のない笑顔からは、打算など微塵も感じさせない不思議と安心出来るオーラのようなものが漂っている。言葉以上にそれが効いたのだろう、最初はそろりそろりとしていた歩みは、次第に加速し、最後には彼女は、俺の胸へと飛び込んできた。

 

「北斗ッ!」

 

遠慮なしに飛び込んでくる彼女を、精一杯の力で受け止める。

普通なら重荷にしかならず、煩わしい存在でしかない温かな重みも、不快とは感じない。そればかりか、この重みをずっと感じていたいとすら思っている自分に気付き、思わず苦笑が漏れる。

無意識のうちにより強く彼女の存在を感じたいと背中に回した両腕に、さらなる笑みがこぼれた。

あれほど一刻も早くと気を急いていたというのに、もっと長くこうしていたいと願う自分がいる。事はまだ、終わってはいないというのに、安らぎを覚える自分がいる。

ようやく理解出来た。あの頃の小島達が感じていた気持ちが。

一緒に背負ってくれる人がいる。辛く険しい道でも、笑いながら、励ましながら、隣を歩いてくれる人がいる。

その喜び、その至福が、どんなに嬉しいものか――――――

 

「すまない。遅くなった」

「いいえ。あなたがここにいるだけで、私は……」

「光……ありがとう」

 

謝罪の言葉は、いとも簡単に受け入れられた。

恐くなかったはずがないのに、笑顔で俺を迎えてくれた光に、心から感謝の言葉を述べる。

 

「光……」

 

確認の言葉は必要なかった。

俺が自分の唇を光のソレへと近付けると、彼女は拒むことなくそれを受け入れた。

傷つき、凍てついた唇に熱い吐息がかかる。俺達はより深く、より強く互いを感じていたいがために、相手を抱き締めた。

 

「……なんか俺、蚊帳の外だなぁ」

 

ゆうに5分はそうしていただろうか、さすがに直視していられなくなったのか、赤面した小島がわざとらしく咳払いをしながら言った。

名残惜しかったが、外野がそう言うのでは仕方がない。俺達はしぶしぶ体を離した。

離れ際、光の頬が赤く上気していたのは、おそらく俺のみ間違いではないだろう。

俺と小島は、改めて互いに向き合った。ヤツは、かつての記憶そのままの微笑を浮かべていた。

 

「へぇ……ここに来るまでの間に、随分と男前になったじゃねぇか。良い男が、さらにカッコよくなったぜ」

 

小島は俺の体を、それこそ頭頂から足の爪先にいたるまで舐めるように見回した。

楽しげに品定めするヤツの真意は、正直なところ分からない。基本的に熱血漢で直情型の小島は、直接的な戦闘では先の行動が読み易いものの、高度な心理戦においては考え方がシンプルな分、逆に本心を推測するのが難しい。

 

「……H&K・G3アサルト・ライフルに、FNモデル・ハイパワーのカスタム銃。電磁ブレードに……おっと、その戦闘服自体防弾性能付きかよ。――ったく、物々しい装備だな」

 

どうやら、現状の俺の戦力を測っていたらしい。

卑怯な振る舞いとは思わない。俺自身ヤツと同じように目視での観察は行っているし、そもそも実戦の場で卑怯も何もあるまい。

俺としてはむしろ、小島が銃についての知識を持っていたことの方が重要だ。その分、手の内が知られてしまう。

 

「敵がお前ひとりとは限らなかったし、お前の能力自体未知数だったからな。もっとも、山口達の相手で相当量の弾薬を消費してしまったが」

「オヤジ……いや、『サンタクロース』達は、全滅したのか?」

 

俺は無言で頷いた。

小島の顔から笑顔が消え、ヤツは俯いた。

 

「……馬鹿野郎! 命を粗末にするなって、あんなに言ったじゃねぇか」

 

自分との約束を破った山口達への怒り、そしてそれ以上に、今回の一件に彼らを巻き込み、結果的に彼らを死へと追いやってしまった自分への怒りで苦しむ小島に、かけてやるべき言葉が見つからない。

いや、気安く言葉なんてかけられるはずもなかった。

今の彼には、どんな気の利いた台詞も意味はないだろう。

 

「……トーマス・ゴードン…ノーマン・バルフェルム…ラウ・ポチョムキン…ジェガノフ・ガルフ・シュバリエ…カセム・ダーウード…ブランドン・グラハム…李苦真…モハメド・ファラ・サーギリアム…山口燐道……」

 

俯いたまま小島が語り出したのは、どうやら人の名前のようだった。その中にはあの男……山口林道の名もあった。

 

「お前と戦ったあいつらの名前だ。……憶えておいて、くれないか?」

 

下を向いたままで、ややくぐもった声だった。しかし、改造人間の聴力を使わずとも、その言葉はひしひしと俺の胸に届いた。言葉から感じられる小島の必死さは本物で、ひとつひとつの語が耳を通り越して心に直接響いてくるようだった。

 

「俺達改造人間は、世間からは抹殺された存在だ。けど、あいつらはとっても良いやつらなんだ。だから…あいつらが……あんな素晴らしい連中が、この世界に居たという事実を否定しないために、あいつらが、この世界にちゃんと居たっていう照明のために……」

 

堰を切ったように吐き出される言葉は、やがて懇願へと変わる。

 

「……あいつらの名前を、憶えてやってくれないか? 頼む!」

「小島……」

 

憎い仇敵に対する言葉とは、とても思えない。

だが、今、この一瞬だけは互いの立場を忘れるほど、小島の言葉は真摯で、誠実だった。

俺の知らない14年もの間、ヤツを支えてきたもの……それは決して俺への憎しみだけではなかった。山口達仲間の存在が、彼の繊細な心を支えていた。彼らのおかげで、小島は今日まであの日の少年のままで生きてこられた。その事について、親友として彼らにはどれほど感謝するべきなのか……

だからこそ俺は、そんな彼らのためにも、小島の願いに誠実に応えてやらねばならなかった。

俺の記憶は、ほんの十数秒前の過去へと遡っていた。

 

「……トーマス・ゴードン…ノーマン・バルフェルム…ラウ・ポチョムキン…ジェガノフ・ガルフ・シュバリエ…カセム・ダーウード…ブランドン・グラハム…李苦真…モハメド・ファラ・サーギリアム…山口燐道」

「……ありがとう」

 

顔を上げた小島の表情は、晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「――んじゃ、そろそろ始めるか」

 

その一言で、場の緊張が一気に高まった。

それまでの穏やかな空気が一変し、たちまち肌を刺す殺気が支配する剣呑なものへと姿を変える。14年前の小島からでは到底考えられないほどの、膨大な殺気だ。

素人でも十分感じ取れるほどの殺気に当てられて、不安げな表情を浮かべる光を後ろへと下がらせる。今の小島の前では、例え1ミリでも間合いの中にいては危険だと、本能が告げていた。

 

「唐突だな。まだ、お互い準備が整っているとは言いがたいと思うが?」

「準備ならとっくの昔に終わってるだろ? お互い、目視だけで測れる範囲は限られてるし」

「……気付いていたのか?」

「闇舞、お前俺のこと馬鹿にしてるだろ? 俺だって改造人間なんだぜ? 気付いていないわけないだろうが」

 

特に気分を害した様子もなく、軽薄な笑みを浮かべる小島。だが、それに対してこちらも愛想笑いをくれてやれる余裕はない。

背筋をしゃんと伸ばして立つヤツの姿勢はニュートラルでありながら、付け入る隙がまったく見当たらなかった。

すでに小島の意識は戦闘用に切り替わっているらしく、もはやヤツの姿からは、一瞬たりとも目が離せない状況になっている。

俺は光に背中を向けたまま、口を開いた。

 

「光、もう少しだけ離れていてくれ」

「北斗…でも……」

「大丈夫。最初に言っただろう? 俺は死なないし、あいつも死なせはしない」

 

不安の表情を浮かべているであろう彼女に、左手でサムズアップを送る。後ろを振り向くことが出来ない以上、今の俺がしてやれる事はこれぐらいしかない。

親指を立てた左手を、何か柔らかいものが包み込んだ。

光の手だ。初春の夜気に晒されて冷たくなった指が、節くれ立った俺の手に絡まっている。

振り返り、今すぐ抱きしめたいという欲求を、頭から必死に振り払う。振り向くことが出来ないという状況以上に、振り向いたらきっと自分は戦えなくなってしまうという、奇妙な確信があった。

サムズアップを解き、光の手を強く握り締める。

握り返してくる力の強さに安らぎを覚えながら、俺は口を開いた。

 

「闇舞北斗は、闇舞光のところへ、必ず帰ってくる」

 

ふと気が付けば、いつの間にか俺の帰るべき場所は数多の敵が待つ戦場でなく、ガンオイルの漂う一室でもなく、彼女がいるそこ(・・)が俺の居場所になっていた。

だから、俺はまだ負けられないし、死ねない。

そこに帰るべき場所がある限り、俺はまだ死ぬわけにはいかない。

彼女とのこれからの未来のために…親友とのこれからの未来のために……俺は、勝つ。

 

「北斗……お願い。勝って……!」

 

俺は振り向かずに頷き、光の手を強く握った。

繋いだ手と手がゆっくり離れ、背後の気配が遠ざかる。

彼女が一応の安全圏に退避したのを確認し、俺は改めて小島を見据えた。ヤツは相変わらずの笑みを顔に貼り付かせ、自然体に立っていた。

14年ぶりに再会した男の実力は、こうして何もせず、ただ対峙しているだけでもその成長ぶりを予感させる。

 

「闇舞さんとの別れの挨拶は、済んだか?」

「いいや…。それに、別れの挨拶などする必要はない。俺と光は、どの道また会うことになるだろうからな」

「やれやれ、随分と自信満々だな。生きて帰れるとでも、思ってるのかよ?」

「生きて帰る……さ。俺と、彼女の約束だ」

 

小島の表情から、さっと笑顔が消えた。

無表情に俺を睨むヤツの瞳は、烈々たる怒りの炎で燃えていた。これまで対峙してきたどの強者よりも恐ろしい、復讐鬼の眼だった。

 

「守れない約束なら…始めから約束なんてしない方がいいぜ?」

 

耳にした瞬間、背筋がぞっとするような声だった。これが本当に小島獅狼のものなのかと、思わず疑ってしまう。目の前に居る男は小島獅狼の皮を被った別の何か……そう、思わねば納得出来ないほど、今の小島と笑顔を浮かべている時の彼とではギャップがありすぎた。

しかし、戦慄に身を震わせている暇などない。

それまで自然にただ立っているだけだった小島が、その言葉を合図にとうとう空手のスタンスを取った。

直後、空間に充満する殺気が一気に爆発した。

膨大な殺気がさらに膨れ上がり、明確な殺意となって俺を襲った。

無論、それは単なる殺意のみであって、実体を伴わぬ攻撃であるから実害はない。しかし、圧倒的な殺意に触れたことで一瞬、気を失いそうになってしまったのも事実だった。

これが14年もの間蓄積されてきた憎悪の念かと思うと、自責を通り越して恐怖しか感じられない。

未だ思考が定まらず、くらくらしている頭を必死に正気へと戻しながら、俺はいつ攻撃があってもおかしくないヤツに対し、身構えた。

格闘家はより強い攻撃力を持つほうの半身を前にする。

左構えの両膝はリラックスした状態でやや曲がり、足刀は相手に対して45度の位置をキープする。

人体の急所が集中する正中線を守りつつ、重心はバランスよく、そしてリラックスして……ただし、即座に反応できるように。

リングの上ではなく、過酷な状況下での使用を前提とした、実戦の構え。14年前、ヤツに一度だけ見せたスタンスだ。

構えを取った瞬間、小島の表情が激しく動いた。どうやらこの体勢のことを憶えていたらしい。

他意はなかった……と、思う。この構えを取ったのは、単にこれがいちばん体に馴染んだ構えだったからで、別に過去の出来事を意識したわけではない……はずだ。

しかし、完全に故意でなかったとは否定出来ない。もしかしたら俺は、自分でも意識せぬうちに心理的な動揺の効果を狙って、彼の前でこの構えを取ったのかもしれない。

だが、真相がどうあれ俺の行動がヤツの神経を逆撫でしたことは間違いなかった。

怒りで僅かに表情を歪ませる小島に向かって、俺は早くも乾きつつある唇を動かした。

 

「守る……さ。光との約束も、この俺の命も」

「…大した自信だな」

 

ゆっくりと…摺り足で間合いを測りながら接近する小島。

俺もまた摺り足で間合いを取りつつ、戦いの弊害が光へと確実に届かない位置まで移動する。

 

「ある程度の自信がなかったら、この業界では生きていけない。99%の自信と1%の不安……それさえ常に心に留めておけば、大概の状況は切り抜けられる」

「はっ、違いねぇ」

「――そういうお前は、どうなんだ?」

「何がだよ?」

「最後に遣り合ってから14年も過ぎている。ちょっとは成長したんだろうが……自信の程は? 親友?」

 

軽口を叩き合うも2人の間に流れる緊張は隠しようがない。

小島は怒りで釣り上がった唇を無理矢理笑みの形に直して、自信ありげに頷いた。

 

「おう。かなりあるぜ。俺だってこの14年、何もしてこなかったわけじゃない。お前を倒すために空手以外にも色々研究したしな。あん時みたくはいかないぜ? 親友」

「期待している。…しかし……」

「あん?」

 

何故、そんな事を口にしようと思ったのかは分からない。

もしかした決戦を前にして、頭がおかしくなっていたのかもしれない。

……ただ、下手をするとこれでヤツと顔を合わせるのが最後になるかもしれないと思ったら、もう一度だけ見ておきたいと、思ったのだ。

 

「しかし、『親友』と言っておきながら未だに名字で呼び合うというのも、何か趣がないな」

「…そうだけど、趣ってお前……」

 

呆れた視線で俺を見る彼の顔に、先の怒りの色は見当たらない。基本的にこの男は過去のことはあまりこだわらない、さばさばした性格をしているのだ。

 

「じゃあ、どうするってんだよ?」

「そうだな……互いに、『ワンちゃん』、『ヤンミ』とでも呼び合うか?」

「……頼む。勘弁してくれ」

 

まだ戦ってもいないのに疲弊しきった様子の小島。どうもヤツはこの名前があまり好きではないらしい。俺などは、最初は嫌だったが、慣れていくうちにこれ以外の呼び名はありえないとすら思ったほどだったが。

 

「それじゃあ、こうしよう。普通に下の名前を、呼び捨てで」

 

結局、無難な俺の提案に小島は頷いてそれを承諾した。

頷いた後、小島……否、獅狼は相変わらず疲れた表情で、

 

「やみま……北斗、お前昔と性格変わってないか?」

「そんなことはない。俺は昔からこういう性格だったよ」

 

ただ、あの頃は素のままの自分、ありのままの自分を表に出すことが出来なかっただけだ。

闇舞北斗という男の本質は、14年前から……いや、初めて人を殺した9歳の、あの少年の頃から何ら変わってはいない。ただ、俺がそれに気付いていなかっただけだ。

そしてその事に気付かせてくれたのは、他ならぬ俺の背後に居る彼女だ。

知らず知らずのうちに、俺は微笑を浮かべていた。

「なに、笑ってるんだよ?」という、獅狼の不機嫌な声でようやく気が付いた。

俺は「いや、別に」と、答え、改めて獅狼の顔を見た。

 

「……なんだよ?」

 

獅狼は……あいつは、不愉快そうに顔を歪めていた。かつて夕凪のヤツに用もないのに「ワンちゃん」と呼ばれ、腹を立てていたあの頃、そのままの表情だった。

本人も気付いていないであろう、口元に、微かな笑みを浮かべながらのそれを見て、俺はほっと安堵する。

 

「……よかった」

「あん?」

 

――もしかしたら最後になるかもしれないこの機会に、お前の、怒りで歪んだ以外の表情が見れて。

口から出かかった言葉を飲み込み、俺達はようやく立ち止まった。

お互いを隔てる距離は約4メートル。改造人間がフルにその運動能力を発揮すれば、あってないような空間の隔たり。

そして後ろへと下がらせ、俺自身離れた光との距離は約12メートル。最初から広さが制限されている屋上の構造上、決して完全な安全圏とは言えなかったが、それでも、互いの技量を顧みるに、彼女への弊害はありえないだろう。一応、安心して戦える距離だ。

 

「……それじゃあ、やろうぜ」

 

そう言いながら、獅狼はゆっくりと呼吸を細くしていった。

最初から無酸素運動、フル・パワーで来るつもりのようだ。

対する俺も、ゆっくりと呼吸を細くし、いつでも最大の力が発揮出来るよう体の筋肉を躍動させる。

先の戦闘で負った傷は未だ俺を苦しめていたが、漂う緊張のせいか、痛みはそれほど感じなかった。

 

「明心館空手巻島流・小島獅狼……」

 

裏社会に身をやつしながら、なお空手家としての意地を忘れない男……小島獅狼。

今の彼の姿をランバート少佐が見たら、いったいどんな反応を示すだろうか。わざわざ名乗りをあげることで、自分から不意打ちのタイミングを捨てた獅狼の心意気は、ある意味尊敬に値する。

しかし、かといって俺がそれに習う必要はない。

獅狼は空手家だが、俺はあくまで戦闘者だ。空手家にとってのリングは道場の床の上、あるいは畳の上だが、戦闘者にとってのリングはまごうことなき実戦の場。そこに厳守すべき礼儀などありはしない。

その事は獅狼も重々承知しているようで、ヤツは俺が名乗りをあげないことに対して特に文句をぶつけてくることはなかった。

ただ、この14年間、空手家であると同時に戦闘者でもあった男がやったのは、存分に拳を振るうことだけだった。

 

“ヒュン……ッ!”

 

それまで静謐を保っていた大気が、突如出現した風圧の刃によって引き裂かれる音。

何の予備動作もないフリッカージャブは、迷わず最短距離で俺の急所を狙っていた。

 

「……ッ!」

 

両足に力を篭めた瞬間、“ズキン…”と、強化筋肉に激痛が走った。

体が発する危険信号を無視し、俺は両足を動かしてストレートを回避する。

しかし攻撃は一発だけで終わりはせず、その後も数発のストレートが無駄なく間断なく、俺の胴体を襲った。

 

(……胴への攻撃は囮。本命は顎先への一撃!)

 

体捌きと両腕のブロックで連続パンチを躱しながら、ヤツの狙いをそう(・・)判断する。獅狼にしてはいささか単調なコンビネーションであるが、シンプルな連撃はその分極まれば強力だ。当たり所が悪ければ、一撃で再起不能になりかねない。

だから俺も、単調な攻撃だからといって油断はしない。

本命の攻撃は当然一撃必殺であろうとするだろうから、その挙動は他の攻撃とは違ってくるはずだ。耳目に意識を集中し、ヤツの動きを余すことなく観察し続けていれば、見極められないはずがない。

 

「フゥッ!」

 

爆発的呼吸とともに伸びる右腕。

しかし、よくよく肩の辺りを観てみると、ストレートパンチの挙動ではないことが分かる。かといって下から掬い上げるようなアッパーカットではない。上からの大降りのスイングでもなければ、まして裏拳でもない。

放たれた一撃は、ボクシングなどでKO率の高い右フックだった。

強烈な踏み込みに加えて回転する腰、肩、肘、手首。中心から内側へとコークスクリューがかかった一撃は、螺旋に揺れ動く大気の流れを見ただけでも、その威力の程が窺える。絶対に防ぐか、回避するかしなければならない攻撃だった。

俺は迫りくる攻撃に対して咄嗟に左手を伸ばした。左手は中心から外側に向かって化剄の回転を加え、襲いくる脅威の回転に対抗するべく伸ばした。

俺の左手と獅狼の手右が触れ合い、まるで正反対の方向へと回る2つの渦がぶつかり合う。

その勢い、速度、威力は――――――ほぼ、互角といっていいだろう。

膠着する利き手同士の戦いの帰趨を決めるのは、残されたもう一方の腕……その事に俺達が気付いたのは激突が始まった直後のことで、それはほぼ同時のタイミングだった。

しかし、先に反応し、非利き手を繰り出したのは俺の方が早かった。

考えるよりも先に、肉体は最も効果的な攻撃を繰り出していた。

 

「ハァッ!」

 

互いに手と手が交差するほどの至近距離であるために、ストレートやフックでは100%の威力を出し切ることが出来ない。踏ん張りが重要なこの状況で足技を繰り出すなどもっての外だ。

そう(・・)判断したらしい俺の体が繰り出したのは、他のパンチに比べて多少出が遅いものの、この近距離からでも十分な威力が見込めるアッパーカットだった。

鉄板入りのグローブに保護された右手が狙うのは、勿論獅狼の下顎だ。

 

「……ッ!?」

 

グローブを嵌めているため、殴っても肉を捉えたという感触はない。しかし、返ってくる手応えは本物だった。

ゆうに地上から5メートルは高空に舞い上がる獅狼の体。

次の瞬間には落下していったヤツは、あわや地面に激突! ……というところで、空中でくるりと一回転し、コンクリートの上で見事な着地を見せた。

 

「へへッ…ウルトラCってな!」

 

気取ったポーズを取って悦に浸る獅狼。なんというか、余裕綽々だ。どうやら顎への一発だけでは大したダメージにはならなかったらしい。

 

(……そういえば、昔からタフだったな。この男は)

 

精神的にも、肉体的にも、とことんタフなのが小島獅狼という男だった。

とりわけ肉体的なタフネスは、身体的強度そのものだけでなく、その身に収めた数々のディフェンス・テクニックによって、高校生の時点で達人のレベルにまで到達していた。

あれから14年……再びあいまみえるにいたった親友のタフネス、ディフェンスの技術にはさらに磨きがかかっているようだ。相当の修練を重ねてきたことは間違いない。

俺は獅狼の軽口には応えず、ヤツの無事な様子を確認するやすぐに肉迫した。

この場に至るまでの連戦で消耗している俺の体は、長期戦に耐えられるほどスタミナが残っていない。やるならば短期決戦だが、一応安全圏に退避したとはいえ、射程内に光が居るためブローニングやG3を使うことは許されない。追撃には必然、ヤツの元へと接近する必要があった。

獅狼との距離は最短の直線で約5メートル。

接近はほんの一瞬で完了し、俺は踏み込んだ左足を軸にコンパクトな足払いを放った。

 

「おっと!?」

 

大げさな声を上げながら、咄嗟に後ろへと一歩退いて回避する獅狼。しかし、その行動は予測済みだ。

俺は足払いを放った右足でそのまま踏み込み、ヤツの顔面を狙って連続攻撃。

獲物を狩ろうとする虎が爪を立てるように五指を折り、爪と指の力を以って敵を傷つける“弓歩虎拳”を放つ。

獅狼は当然の如くそれを躱そうと摺り足をステップへと転じ、さらに背後へと一歩後退した。

しかし、爪を立てた虎の一発目は確実にヤツの顔面を捉えた。

 

「っ痛ぁッ!」

 

視界の中心で舞い散る、赤い飛沫とかつて人の皮膚であったモノ。

俺はより深く相手の顔に爪を、指を食い込ませるべく、さらに小さく一歩踏み出す。

二撃目がヤツの頬に炸裂し、今度は視界の端を肉片が飛んだ。

獅狼はこれ以上はどう足掻いたところで避けきれないと判断したのだろう、腰を沈めて距離を稼ぐや、両腕を眼前でクロスさせた。

次の瞬間、虎の爪が抉ったのは、男の太く、硬い強化筋肉だった。獅狼のブロックが間に合ったのだ。

軽く舌打ちして俺はすぐさま後退し、距離を取った。

相手から一旦離れることで稼いだ距離を利用して、俺は大地を蹴って跳躍。

今度は爪撃でも拳撃でもなく、腕からの攻撃よりも格段に威力のあるハイ・キックを放つ。あえて側面ではなく後頭部を狙っての左足刀は、俺自身が宙で回転しながら放つことで格段に威力を増す。

獅狼は、両腕のガードはそのままに機敏な反応を見せ、右へと跳んだ。だがそれは、またしても俺の予想範疇内での回避運動にすぎない。

着地してから間髪入れず、今度は右足でハイ・キック。

両腕をそのままにしておくことでガードには成功した獅狼だが、攻撃を受けた拍子によろめいたところを、さらに俺は左足のハイ・キックで狙う。

 

 

――飛燕三連脚!

 

 

獅狼の右肩に、ハイ・キックの一撃が食い込んだ。

たまらず横転する獅狼の体。

さらに俺は、転がるヤツに向けて中国拳法“翻子拳”仕込みのラッシュで追い討ちをかける。

 

「しゃああッ」

 

14年前、空手部の練習試合でヤツに放ったものとは比べ物にならぬスピードと威力の連続拳。あの時放ったラッシュは見様見真似だったが、今度のは違う。

今放っているのは、本物の“翻子拳”の使い手に師事した結果得たものだ。

この十数年の間に成長したのは、獅狼だけではない。

内容の密度は異なれど、等しく同じ時を過ごした俺も、ちゃんと成長しているのだ。

秒間五十数発を超える連続拳を、獅狼は寝ながらという不自然な体勢でよく防いでいた。しかし、そのうちの数発は確実にヤツの体にヒットしていた。

ラッシュを放つこと僅か5秒、すでに二百を超えるパンチを繰り出し、負傷している右腕が自らの運動で悲鳴を上げ始めたそのとき、不意に獅狼の眼がギラリと危険な輝きを放った。

放ったような、気がした。

 

「オラァ!」

 

ヤツが放ったのは掬い上げるようなノーモーションからの右足払い。

背後へと後退が間に合わず、咄嗟に真上へと跳躍して躱すが、予めそれを見越した上での攻撃だったのだろう。

宙へと体を浮かせた瞬間、今度は獅狼の左足が宙へと躍り、俺の体を蹴った。よりにもよって命中した箇所は、先の戦闘で特殊ME弾の直撃を受けた場所……右の脇腹だった。

獅狼から1メートルと離れていない近場で、俺は横転した。

さすがに受身は取ったものの、横転の衝撃で一瞬体が硬直する。

刹那、獅狼はぐるりと寝ながら体をこちらに向けるや、今度は俺の負傷した右肩目掛けて渾身のパンチを放った。

一方の俺は、それを躱すことも防ぐことも出来なかった。

 

「ぐぅッ!!」

 

灼熱の痛みとともに噴出する真っ赤な血潮。

反動で2人の体がさらに離れ、俺達はようやく立ち上がった。

立ち上がり始めたのは同時だったが、先に構えを取り、再び襲い掛かってきたのは獅狼だった。

 

「おおおおお――――――ッ!!」

 

爆発的呼吸とともに踏み出す右足。

例えテレフォンだと見破れたとしても、回避を許さぬ超スピードの右ストレートが、未だ構えの取れぬ俺の顔面を襲う。

俺は痛む両足を叱咤して、後ろに下がった。

獅狼はさらに左足を前にして、高速の左ジャブを放った。それも5連発。

ヤツの目線から5発のうちの3発の狙いは顎、心臓、鳩尾であることは分かったが、あとの2発の狙いは分からない。おそらくフェイントだろう。

フェイントの2発は無視し、俺は本命の3発を躱すべく、右手で手刀を作って伸ばし……

 

(待て……)

 

唐突に既視感を覚えた。

この連続攻撃は、どこかで見たことがある……?

そう思った刹那、伸ばされた左腕は5発の拳の残像だけを残し、引き戻された。

 

(まずい……!)

 

完全に失念していた。

この攻撃は、14年前の時点でヤツが研究中だと言った――――――

 

 

――吼破!

 

 

改造人間が有する全身の圧倒的な力で、弓を放つように繰り出される正拳突き。

あの時(・・・)はかろうじて化剄の回転で力のベクトルを無理矢理変えて、狙いを逸らすことに成功したが、今回はそんな事をしている時間的余裕はない!

俺は咄嗟に両腕をクロスして攻撃を受け止めた。

次の瞬間、俺の両腕に、明心館空手最強の奥儀の、圧倒的な威力が炸裂した。

 

「ぬおおおおお――――――!!!」

 

最初から踏み止まるつもりはなかった。

通常の攻撃なら衝撃をさらなる力で押し込んでもよかっただろうが、吼破の威力は別格だ。あえて大地から足を離すことでなるべく衝撃を受け流すぐらいしか、ダメージを軽減する術はない。

ゆうに50メートルは吹き飛とばされてもおかしくはない衝撃に襲われ、俺の体は落下防止用のフェンスをあっさりと突き破った。

遠くの方で、光の息を呑む音が聞こえた。俺は慌ててフェンスの無事な部分へと腕を伸ばした。

如月学園の校舎は3階建てで、高さは約15メートル。落下したところで即死するような高さではないが、それでも大怪我は必至である。下手をすれば、両足骨折ぐらいの事態はありえるかもしれない。

左手でフェンスを掴んだ瞬間、まだ体内を抜け切っていない衝撃が全身を駆け巡った。傷口から血液のマグマが噴出し、痛みで気が遠くなるのを、やはり痛みで繋ぎ止める。

地獄のような一時は、ほんの一瞬で終わった。

あまりにも強烈すぎる衝撃は、しかし空手打ちで放たれていたため、急速に遠ざかっていった。

フェンスから手を離し、屋上へと戻る。

降り立った瞬間、立ちくらみのような眩暈を感じたが、構っている余裕はなかった。

敵はすぐそこまで迫っていた。

 

「はぁッ!」

 

眼前まで迫っていた右拳を、両の拳で挟んで受け止める。

そのまま腕力だけで獅狼の体を持ち上げ、俺は渾身の力を振り絞ってヤツを地面へと叩きつけた。

 

“バキバキバキィッ!”

 

獅狼の体を叩きつけた、ただそれだけで粉砕するアスファルトの大地。

俺はそのまま間髪入れずに獅狼の後頭部を掴み、地面に顔面を押し付け、そのまま一気に引き摺った。鼻の強化骨が砕ける音が、何故か余韻を持って耳の中で反響した。

5メートルほど引き摺って、俺は獅狼の体を放り投げた。ヤツの体は10メートルほどきりもみしながら宙を舞い、最終的にうつ伏せになって地面に転がった。

俺はヤツの体が静止したのを確認し、大きく息を吐いた。そうして、今更ながら獅狼が放った吼破の一撃によって、脇腹の傷口が完全に開いているのに気が付いた。

 

「……傷が痛むのか?」

 

地面に突っ伏する男から、傷を労わる優しい声が響いた。

5メートルもの距離を引き摺って、顔面の各種器官を徹底的に破壊してやったにも拘らず、さっきまでと寸分変わらぬ鮮明な声だった。

 

「……山口達に撃ち込まれた特殊ME弾の影響だ。弾丸自体はとうに摘出したが、未だにナノマシンの機能は回復していない」

「そんな友達に、言ってやる言葉がひとつ」

「何だ?」

「ザマぁ、見ろ」

「……」

 

沈黙する俺に、ゆっくりと立ち上がり、振り返った獅狼はニヤリと笑みを浮かべた。

傷ひとつない、綺麗な顔がそこにはあった。

 

「――ったく、結構高かったんだぜ? このコート。それをズタボロにしやがって」

 

ズタズタになったトレンチコートを脱ぎ捨て、獅狼は平然と言ってのけた。

ヤツの背後で、初めて改造人間の再生能力を間近で見た光が驚愕の表情を浮かべている。

 

「そんな事情を俺が知るわけないだろう。第一、そんなに大切な物なら、戦場になんて持ってくるな」

「トレンチコートなんだから、逆に戦場以外の場所で着る方がおかしいだろ?」

「そうでもない。最近はファッションの一環で着る人もいるらしい」

 

自分がそうではないので、確信を持って言うことは出来ないが。

 

「ま、いいさ。どうせコイツともいつかはお別れしなきゃならねぇわけだし。虫とかに喰われるより、お前に破かれた方がまだ諦めもつく」

「そうか…それで?」

「あん?」

「ダメージは大体回復したようだが、まだその姿で戦うつもりか?」

「……やっぱ、気付いてたか」

 

ガシガシと頭を掻き毟りながら、悪戯がばれてしまった子供のように笑う獅狼。

先ほどからヤツの強化細胞の活動を観察していたが、獅狼の細胞はその全機能の30%も使っていない。残りの70%以上の機能は、この決戦において未だ眠ったままなのだ。

そして俺は、その残りの70%以上の機能について、おおよその見当をつけていた。

それはおそらく、戦闘員の俺達には基本的に搭載されていない、あの……

 

「変身しろ、小島獅狼」

 

俺の発言に、獅狼は真顔に戻った。

そんな表情の変化にも構わず、俺はもう一度同じ台詞を口にした。

 

「変身しろ、小島獅狼」

「良いのか? 敵である俺にそんな事言って」

「お前は夕凪の仇を討つと俺に言った。光との会話も聞こえていた。お前は、最初から死を覚悟してこの戦いに挑んでいることを知った。自らの全力を以って戦いに臨む決意を知った。

なら、俺はお前のその決意を打ち砕く。全力のお前を倒して、この復讐劇に終止符を打つ。……そして、今日を生き延びてみせる」

 

「殺す…」という言葉は使わない。あくまで「倒す」だけだ。

復讐の鬼と化した獅狼を生かしながら俺も生き延びるためには、相手を殺すのではなく、倒すだけに留めなければならない。例えそうすることで、誇り高い獅狼に恨まれたとしても、彼が再び復讐の刃を俺に向けてきたとしても、ヤツが今日を生き延びてくれさえいれば、それでいい。

正直なところ、彼我の戦力差を考慮するにそれは不可能に近い芸当である。

もっと言えば、俺と獅狼とでは覚悟が違う。

かつて、漢の武帝は言った。

 

『今や戦場は、立てる屍の原と化した。

死を覚悟している者は生き、無事逃れようとする者は死ぬ』

 

死を覚悟している者の力は、強い。

ましてその力の源が、強い想いであれば尚更だ。

そして俺は、無事とはいかずとも、逃れようとする者である。

自らの命を救い、獅狼の命までもを救おうとする愚か者である。

武帝の言葉を借りるなら、そんな俺が獅狼に敵う道理はない。

しかし、そうと知りながらあえて俺はその道を行こうとしている。

それでは根本的な問題解決にはならないと理解しながら、浅ましく今日を生き、明日を欲している。

すべては、自分の、獅狼の、そして光の、無限の可能性を秘めた未来のために…………

 

「分かったよ」

 

獅狼は、静かにそう言った。「後悔すんなよ」と、愛する者の仇に向けたものとは、到底思えぬ言葉を付け加えて。

 

 

 

 

 

獅狼は、眼前で両腕をクロスした。

それは彼にとっての、精神統一の構えだった。

 

「変、身――!」

 

獅狼はその言葉を口にした。戦慄の響きを孕んだ、一言だった。

そしてその言葉をスイッチに、獅狼の中で何かが切り替わった。

細胞の雲に、稲妻が走る。

血の河が逆流し、肉の大地が震えた。

全身に張り巡らされた神経の森に烈風が吹き荒び、彼の遺伝子の中に眠る野獣の本能が、静かに目覚める。

骨の小枝に、芽が吹いた。

頭部は狼、胸には獅子。腰に巻かれたベルトのバックルには、鷲に絡みつく蛇の意匠が彫られている。

金色の毛並みが月明かりに照らされて冴え、銀色の爪が凶悪に光る。狼の顔と、獅子の顔のそれぞれが携えた2対4個の瞳の、その青銅のなんと誇り高きことか。

気高きライオンのパワーと、孤高の狼のスピードを兼ね備えた、その姿……

 

「……これが、今の俺の、本当の姿だ」

 

レオウルフ。

復讐に燃える少年に、〈ゲルショッカー〉が与えた強大なる“力”。

人間と、獅子と、狼の特性を持った改造人間は、ついにその真の姿を月明かりの下に晒した。

北斗達――特に初めて改造人間が変身する姿を見た光――は、その光景に見惚れていた。

それはほんの一刹那の間に起きた変容であったが、2人は一個の生命の中で起きた爆発に心奪われ、それを美しいと思った。

奇形美は、一部の人間を虜にする魅力を持ってはいるが、大部分を虜にするほどの力を有してはいない。

しかし今の獅狼……否、レオウルフの体は、生命の賛歌で溢れていた。それは、万人を魅了するに足る美しさを醸し出していた。

 

「ガオオオオオ――――――ンンンッ!!!」

 

レオウルフが吠えた。

ライオンのものとも、狼のものとも取れる雄叫びであった。

それは自らの肉体に宿る全ての力を、彼が持てる全ての力を完全に引き出すための、儀式的な意味を持った叫びだった。

北斗の視界が、真っ赤に染まった。レオウルフの体内で爆発的な熱が生じている証拠だった。

 

「オオオオオオ――――――ンンンッ!!!」

 

北斗は、猛々しく吠えるレオウルフを美しいと感じながら、同時に悲しみの感情が湧き上がるのを抑えられなかった。

かつて自分が親友達にひた隠しにしてきたひとつの嘘、ひとつの所業の結果、その親友のひとりが今のような姿になってしまった事実は、北斗の心を強く打ちのめした。

 

「ウオオオオオ――――――ンンンッ!!!」

 

やがて全身に力を滾らせたレオウルフは、最後に月を見上げて大きく吠えた。

彼の青銅色の瞳は、銀色に輝く月の表面に、今は亡き仲間達の姿、そして愛する少女の姿を捉えていた。

流星がひとつ、夜空を流れた。

まるで異形の獣の誕生を、祝福しているかのようだった。

 

 

 

 

 

〈ゲルショッカー〉合成怪人。

〈ショッカー〉の改造人間が基本的に『ひとりの素体+一種類の動植物の能力の付加』であるのに対し、〈ゲルショッカー〉の改造人間は『ひとりの素体+二種の異なる動植物の能力の付加』という法則で作られる。

これには異種の動植物を組み合わせることで素材の持つ欠点を互いに補い合えるという利点があり、さらには作戦用の能力、戦闘用の能力と住み分けを行うことによりオールマイティに活躍出来る改造人間を製造出来るというメリットがある。

反面、素体となる人間の選別は〈ショッカー〉のソレよりも難しく、はるかに厳しい。

文武両道であることは勿論、過酷すぎる改造手術や術後の訓練に耐えられるだけの、強い精神力を持っていることも条件となる。

すなわち、〈ゲルショッカー〉の改造人間であるということは、すでにその時点でその者の実力が証明されているようなものなのだ。

 

 

 

 

 

完全に変身を遂げたレオウルフは、予告もなしに地面を蹴った。フルコンタクト空手の流派に見られる、体当たり攻撃である。

力強い跳躍だったが、直線的で単純な動きだ。北斗は余裕でそれを躱そうとして――――――気が付くと、コンクリートの地面に背中を強く打ち付けていた。

 

「ッ!?」

 

何故、こんな事になってしまったのかという思考も、背中の痛みですべて吹き飛んだ。肺の中の空気が一気に外へ流出し、酸欠で意識が一瞬飛びそうになる。

闇の中へ歩き出した北斗の意識を必死で呼び止めたのは、背中の痛み以上に胸の痛みだった。

自分が仰向けになって倒れているのだと気付いた北斗は、まずどういうわけか猛烈に痛む胸筋に手をやって……愕然とした。

彼の胸の骨は、完全に砕けていた。幸いにして心臓や肺などの器官は傷ついていないようだったが、北斗の胸部は一部が陥没していた。

そしてその瞬間、北斗は自分の身に何が起きたのかを悟った。

 

(馬鹿な……!)

 

胸部の強化骨は改造人間の身体の中でも、最も強硬な部位である。胸部には人工心臓を始め様々な重要器官が集中しているため、そこを守る胸骨には他よりも強靭なパーツが必要とされる。

それゆえに改造人間の胸部は一枚の装甲板に匹敵する防御力を有している。事実、北斗の胸部に使用されている強化骨は、1発のみならばアメリカ・ヴィッカーズ社製の51口径105mmライフル砲の直撃にも耐えることが出来た。

その強化骨が、いかに連戦で消耗していたとはいえ、ただの体当たりの一撃で砕かれるなど……到底、信じられることではなかった。

しかもその一撃を、自分は視界で捉えていながら、躱すことが出来なかったのである。

北斗は、茫然としながらもとにかく立ち上がった。

未だ夢心地の彼だったが、目の前に敵が居るという事実は変わらない。彼は再び構えを取ると、気高き獣人の姿を見据えた。レオウルフとの距離は、僅かに3メートル。

再びレオウルフが動いた。

北斗は、(今度こそ回避してみせる)と、決意も新たに、迫り来るレオウルフの一撃をじっと観察した。

レオウルフの第二撃は、なんと何の捻りもない右ストレートだった。牽制の左ジャブもない。

圧倒的な獅子のパワーを宿した剛拳は、たしかに高速ではあったが、所詮それだけである。北斗にとってその軌道を見極めることは容易く、彼は当然それを回避しようとして――――――動こうとしたその矢先、突如加速したレオウルフの拳に打ちのめされた。

 

「っ…があ……ぐっ!」

 

再び地面に倒れる北斗の体。

先ほどは体当たりの一撃で攻撃を中断したレオウルフも、今度ばかりは動くのを辞めない。

瞬時にマウントポジションを取った彼は、三度獅子の圧倒的パワーを北斗の体へと叩き込んだ。

 

「ぐおああああああ――――――ッ!!?」

 

北斗の口から、絶叫が漏れ出る。

そして、

 

“ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………………ッ”

 

北斗達を支える大地が、割れた。

 

 

 

 

 

数十センチもあるコンクリートの岩盤を砕いて行き着いたその先は、普段生徒達が授業をする教室だった。

ほとんど生き埋めになりながら、北斗はのしかかったコンクリート片を砕くと、墓場から蘇った死者のように土砂を掻き分け、起き上がる。

土埃は凄まじかったが、目を開けていられないほどではない。

状況を確認するべく視線を巡らせたその先に、無傷の怪人の姿を捉え、北斗は身構えた。

そこには、余裕の表情を浮かべたレオウルフが立っていた。

 

「へっ、そんなに警戒するなって」

「警戒したくもなるさ。あんなのを見せられた後じゃな」

「ちょっとは今の俺の力、理解してくれたかよ?」

「十二分に」

 

まさかこれほどまでとは思わなかったがな……心の中で言いながら、北斗はホルスターから電磁ブレードを抜いた。

崩落の衝撃でひび割れた窓から差し込む月明かりに照らされて、刀身が鈍い輝きを放つ。

北斗は床を蹴り、跳躍した。右へ。

北斗は右側の壁まで一気に跳躍するや、新たな足場を左足で蹴って旋転。

机や椅子といった障害物によって勢いを殺されることなく、一個の砲弾となってレオウルフへ突撃した北斗は、件の怪人の前に着地するよりも早く、横薙ぎの一閃を放った。

 

“ガキィッ!”

 

しかしレオウルフは、北斗が放った斬撃を余裕で受け止めた。

レオウルフの両手の指先から生えた爪は伸縮自在で、北斗が斬撃を放った瞬間瞬時に伸び、長さ10センチほどの刃となって電磁ブレードを受け止めていた。

咄嗟に電磁パルス発生装置のスイッチを押す北斗。

しかし、電磁パルスがレオウルフの体内へ流れるよりも早く、またブレードに流れ出すよりも早く、レオウルフは徒手空拳の左の手刀で、特殊合金製の刀身を叩き折った。

 

「な!?」

 

驚愕の声を上げると同時に着地した北斗を、レオウルフはもはや刀身を受け止める必要のなくなった右手で殴り飛ばした。

北斗の体が宙を舞い、教室の窓を突き破る。

虚空へと投げ出されながら、北斗は見た。

きらきらと粉雪のようにガラス片が舞い躍る視界の中で、レオウルフが教室の床を蹴るその光景を。

そして次の瞬間、レオウルフは圧倒的な狼のスピードで北斗の眼前まで迫った。

北斗の眼前で怪人は、狼と獅子の顔、両方で冷笑を浮かべていた。

 

「オラァッ!」

 

レオウルフは、重力の流れに従って落下する北斗に何発ものパンチを叩き込んだ。秒間百発は超えているであろう猛烈なラッシュである。

北斗は防御すら出来ずに猛襲を全身に浴びた。

猛撃が全身を滅多打ちにする中、北斗は叫んだ。

 

「イスカリオテ―――――――!」

 

その声に引かれるように、正門の前に停車していた漆黒のマシンが一気に駆け抜ける。

立ち塞がる壁もフェンスも突き破り、裏切り者の名を冠するマシンは、主人の窮地を救うべく最短距離を疾走した。

グランドに出たイスカリオテは、一直線に白い校舎へと向かい、校舎の外壁を駆け上った。特殊高分子の働きによって粘性を最大限に発揮したタイヤが、垂直な壁でも車体に摩擦力を与えていた。

イスカリオテはあっという間に落下する2人の改造人間を追い越すと、虚空へと舞った。

そして次なる足場を求めたマシンは、レオウルフの広い背中に突撃した。

 

「がうッ!」

 

獣のような苦痛の声を上げ、レオウルフは空中でバランスを崩した。

ラッシュの嵐が止んだ間隙を縫って北斗はレオウルフの体を蹴って跳躍し、同じくレオウルフの体を足蹴にして宙へと舞ったイスカリオテのハンドルを掴み、そのまま地面へと降り立つ。

一方、北斗に蹴られ、イスカリオテに踏まれたレオウルフは、さすがに体勢を整えることも出来ず、無様にも顔から地面へと激突した。

とはいえ、3階の教室から地上までの距離は10メートルと少し。普通の人間にとっては即死の高さでも、改造人間からすればダメージは負っても致死の高度ではない。例え頭から落下したとしても、である。

レオウルフは、顔を地面にめり込ませながらも動いていた。

北斗はイスカリオテの武装スイッチを押した。カウル下に隠されていた2門の50口径機関銃が銃身を露わにし、サイド・ポッドに偽装された2基のマイクロ・ミサイル発射管が口を開き、グレーの弾頭を覗かせる。

北斗は、武装攻撃システムを自動(オート)にし、自らもG3を構えた。

一斉射撃が始まった。

2門の50口径機関銃が火を噴き、マイクロ・ミサイルが白い尾をたなびかせながら宙を舞った。北斗のG3がフル・オートで咆哮した。

北斗の72キロの体を、激しい反動が揺さぶった。特に12.7mm弾の連射の反動は強烈で、全身に痛烈な痛みを覚えるほどだった。

特に痛んだのは、開いた傷口とレオウルフになってからの第一撃を喰らった胸、そして脇腹だった。どうやら先ほどのラッシュで、肋骨を何本か折ってしまったらしい。体内で粉砕した強化骨の破片が暴れ、強靭な人工器官を傷つける。

北斗が身のよじれんばかりの苦痛と引き換えに放った銃火は、その強すぎる反動ゆえにグルーピングは高くなかったが、確実にレオウルフの体へと命中した。

三条の火線がレオウルフの体へと吸い込まれ、一斉射撃が始まって一秒後に、2発のミサイルがレオウルフ自身の放つ熱に誘われて飛び込んでいく。

次の瞬間、オレンジ色の閃光が繚乱した。

 

“ドゴオオオオオッ!!”

 

爆発に飲み込まれるレオウルフの体。

巻き起こる炎の渦と爆風。もうもうと立ち込める煙と粉塵。大口径ライフル弾の掃射に加え、2発のミサイルの爆発によって完全にその姿が見えなくなったところで、北斗は射撃を止めた。

必要以上の攻撃は獅狼を殺めてしまう可能性もあるし、なにより、こう視界が遮られては正確な照準は期待出来ない。

さしもの北斗の眼も、この状態では役には立たない。可視光線による視界はもとより、赤外線を用いての透視も、爆発の熱が邪魔をして満足な視界が得られない。X線にいたっては、そもそも射撃に利用出来るだけの精度がない。

仕方なく北斗は、せめて土煙が立ち退くまで待つことにした。

無論、空になったG3の弾倉を交換し、襲撃に備えることは忘れない。レオウルフの圧倒的なパワーとスピードから繰り出される攻撃の威力は、身を以って経験済みだ。

――と、そこで北斗はある事に気付いた。

最初の体当たり攻撃を含め、屋上で自分に放った攻撃は、改造人間の胸骨を砕いたり、コンクリートの床をぶち抜いたりと、改造人間であることを差し引いても異常としか言い様がないほどの威力を持っていたのに対し、先ほどのラッシュはあれだけ打ち込んで何本かの肋骨しか折れていない。

渾身の一撃と、一発の威力はそれほどないラッシュの違いはある。しかし、それにしたってこの威力の差は異様だ。

いったい前者と後者の間には、いかなる隔たりがあるのだろうか?

 

「……ん?」

 

思考を中断させたのは、目の前で揺れ動く粉塵のヴェールだった。

それはほんの些細な変化であった。普通の人ならば気付くことすらなく、例え気付いたとしても普通は気にも留めない、微細な変化である。

しかし、それが視界に留まったとき、北斗は不思議とその現象を見過ごすことが出来なかった。彼の戦闘者としての第六感が、北斗に何かを告げていた。

 

(粉塵が…粉塵の揺れ動く流れが、変わった……?)

 

次の瞬間、北斗の肌を異様な寒気が襲った。

北斗は慌ててG3を投げ出し、イスカリオテのハンドルを握るや一瞬で反転。その場から逃げるようにマシンを動かした。

 

「“気拳砲弾”――!」

 

直後、土煙の中から1発の青白い光弾が飛び出した。

光弾は先ほどまで北斗とイスカリオテが居た場所まで一直線に突き進み、空中に放り出されたG3に当たって……鋼鉄で作られた凶器を、粉々に粉砕した。

 

「今のは!?」

 

危機一髪。気付くのがあとコンマ1秒遅ければG3と同じ運命を辿っていたであろう男は、爆発のあった場所を凝視した。

 

「……っつぅ〜〜〜! さすがに今のはやばかったぜぇ」

 

粉塵の中から、レオウルフは飄々と現れた。

信じられないことに、彼の体には傷らしいはなかった。あれだけ銃弾を撃ち込み、ミサイルまで放ったというのに、銃創ひとつ、火傷ひとつ見当たらない。一応、身体のあちこちから血を流しているものの、それさえも微々たる量に過ぎない。

 

「馬鹿な……」

 

ほとんど無傷に近いレオウルフの体を見て、北斗は愕然と呟いた。たしかに、それは馬鹿げた光景に違いなかった。

100発以上の12.7mm弾、20発の7.62mm弾に加え、『ダーク』特製の高性能炸薬を積んだマイクロ・ミサイルを2発ぶち込んだ。いくら殺すつもりがないとはいえ、並の改造人間であれば肉片ひとつ残らさずにこの世から消滅させられるだけの火力を投入した。

それだけの火力を叩き込まれながら、しかし再び姿を見せたレオウルフは無事だった。それも傷らしい傷ひとつ負っていない美しいその姿を、月光の下に晒しながら、直立の姿勢で。

それはもはや「最新型の改造人間であるから」とか、「ナノマシンのおかげ」とか、そんな言葉では片付けられない、未知の現象だった。

 

「馬鹿な……」

 

北斗は、もう一度同じ言葉を呟いた。その声は、目の前の光景に対する恐怖のため、微かにわなないていた。

生まれて初めて改造人間と遭遇したあの日の恐怖すらも上回る、圧倒的な“恐れ”が彼の中を駆け巡った。

圧倒的な恐怖に駆り立てられるまま、北斗は再びイスカリオテの射撃スイッチを操作した。

しかし、今度はレオウルフも無抵抗ではなかった。

レオウルフは勢いよく地面を蹴った。滑るように地面を疾走し、一目散に北斗の元へと向かう。助走なしのその動きは、時速100キロを超えているようで、その動きにイスカリオテの自動照準装置のコンピュータはついていくことが出来ず、吐き出される2条の火線は虚空を薙ぐばかりだった。

次の瞬間、北斗はイスカリオテごと宙へと放り出された。

レオウルフの放った鉄拳が、イスカリオテの装甲――90mm砲弾の直撃にも耐えるほど強靭な――をぶち抜き、蹴り飛ばしたのだ。

今度は、北斗がグランドを転がる番だった。レオウルフの時とは違い、北斗には空中で体勢を立て直すだけの余裕があったので、顔面からは激突しなかった。

受身を取りながら、北斗はホルスターからブローニング・ハイパワーを引き抜き、連射した。両者の距離は約8メートル。バネッサほどではないとはいえ、北斗の腕前なら狙いをはずすような距離ではない。

 

“ドドドドドドンッ!”

 

脅威の秒間六連射。

しかし、音速をはるかに凌駕しているはずの銃弾は、ただの1発もレオウルフの体に触れることはなかった。

まるで予め銃弾の来る方向が分かっているかのように、レオウルフは必要最小限の動きのみで叩き出された6発を全弾回避した。

 

「なッ!?」

 

そしてお返しとばかりに、彼は8メートルほどの距離を隔てたまま反撃をしてきた。

胸の獅子が、大きく口を開き、咆哮した。

 

「ガオオオオオ――――――ンンンッ!!!」

 

いっぱいに開かれた口から、灼熱の炎が吐き出された。

北斗は咄嗟にイスカリオテの車体に括り付けられたソレを掴むと、右へ跳んだ。

ライオンの口から伸びた炎の舌がイスカリオテの車体を舐める。真っ赤な炎に触れたハンドルが、ぐにゃりと飴細工のように曲がった。そして直後、エンジンか、サイド・ポッドのミサイルが誘爆したのか、イスカリオテは盛大な炎を上げ、爆発した。

 

“グワアアア――――――ンンッ!!”

 

北斗とともに、数多の強敵と戦い続けてきたモンスター・バイクの、凄絶な最期の瞬間だった。

 

「イスカリオテ――――――ッ!!!」

 

今日まで自分の手となり、足となってともに戦ってきたマシンの最期に、絶叫する北斗。しかし、今の彼に相棒の死を悼む暇は与えられなかった。

炎を吐き終えたレオウルフが、すでに迫っていた。

北斗は別れの際、イスカリオテの車体から捥ぎ取ったソレを腰に差した。一見しただけで相当な業物が納められているであろうことは想像に難くない、見事な黒鞘である。

――備前長船五郎入道正光。

四国での激戦の後、夏目源三郎から正式に譲り受けた、稀代の名刀であった。

北斗は打刀の柄を左手で握りながら、右手でブローニングを撃った。

先ほどとは違い、レオウルフは特にこれといった回避の動作は見せず、しかし突進の勢いを殺すことなく向かってきた。

 

「オオオオオオ――――――ンンンッ」

 

レオウルフの右手の爪が、空を抉って振り上げられた。

不自然なほど大きすぎるその挙動を、北斗はフェイントであると見破った。案の定、彼の左手はちゃんと拳を作っている。利き手をフェイントに使うことで、非利き手の存在を忘れさせようというのだろう。

すかさず北斗は後ろへと跳んだ。滞空中に未だ正体不明のあの青白い光弾や、高熱火炎を受けるわけにはいかないので、移動は迅速に、最小限の動作で行われた。

10センチまで伸びたレオウルフの烈爪が、つい今しがたまで北斗が居た空間を薙いだ。風圧が北斗の前髪を散らし、額の皮膚を小さく裂く。

次の瞬間、レオウルフは隠していた――少なくとも本人はそのもりだった――本命の左拳を放った。

だが、とうの左のアッパーカットも、虚空を薙いでいくのみ……

 

「…“気拳砲弾”!」

 

北斗の双眸が、突如大きく見開かれた。

虚空を振り抜くばかりと思っていた左拳が、いきなり青白い燐光を放ち始めたのだ。それはあの粉塵の中より突如飛び出し、G3を破壊したあの光弾と、同じ色の輝きだった。

そして次の瞬間、青白い輝きはレオウルフの左手を離れ、彼の言葉通り砲弾のように高速で、北斗の体へと炸裂した。

咄嗟に右手で弾くようにガードする北斗。

正体不明の光弾と、彼の拳がぶつかり合った刹那、北斗の体に電流が走った。

 

「うがあああああ――――――っ!!」

 

光弾と真正面からぶつかり合った右手を中心に、全身を駆け巡る灼熱の激痛。

右腕のあちこちに亀裂が走り、そこから赤いマグマが一斉に噴出する。すでに右腕を覆う戦闘服は存在せず、黄土色の校庭は一瞬にして赤黒く染まった。

あまりの苦痛に、北斗は膝を着いた。左手で右腕を押さえると、強化骨だけでなく、右腕の人工筋肉、神経さえもが完全に破壊されているという事に気付く。すでに右腕は、指の一関節ひとつ動かすのもままにならなかった。

 

「馬鹿な事したなぁ」

 

レオウルフがゆっくりと近付いてくる。

間違いなく、これまで北斗が戦ってきた数多の敵の中でも最強の改造人間は、彼を小馬鹿にするように言った。

 

「俺の“気拳砲弾”は、フルパワーで撃てば戦艦の装甲だってぶち抜けるだぜ? それを真正面から受け止めるなんて、愚挙もいいところだ」

「今のは、いったい……?」

 

息も絶え絶えの北斗の問いに、レオウルフはにっこりと笑った。その表情は異形の面にはなったものの、親友に大切な秘密を聞かせる少年の、不思議な興奮を宿していた。

 

「今のはな、“気功弾”だ」

「“気功弾”?」

「ああ、そうだ。……知らねぇかな? “気力”のエネルギーを光弾に変えて撃つっていう、一部の内家拳法の技なんだが…」

「内家拳法だと……!?」

 

さらりと言ってのけたレオウルフの言葉に、北斗は愕然とした。改造人間が内家拳法を使う……それは本来、決してありえるはずのない事だったからである。

武術の体系は、大別して2つの系統に分類される。

空手や南派小林拳など、肉体を極限まで鍛え抜き、外面的な力を以って敵を討つ外家拳法。

合気道や北派小林拳など、肉体の内面から超常的な力を発揮する内家拳法。

両者を隔てる最大の壁は、型や修練の方法ではなく、その根底の思想にある。

内家拳法の場合、その根底には、肉体をただひたすらに練磨するだけでなく、世の森羅万象と一体となることで宇宙の神秘の力を得るという、中国の“気”の思想がある。

すなわち、心を静謐にし、呼吸などの手法を用いて大自然のパワーを体内に取り込み、全身の経絡に巡らせることで肉体を内側から強化する。外からの刺激により筋骨を強化する外家拳法とは、根本的に異なる思想により成り立っているのだ。

改造人間が内家拳法を使うことの出来ない最大の理由は、この経絡にある。

経絡とは、人間の体を駆け巡る、不可視のエネルギーが流動する循環経路であり、それは全身361箇所からなる経穴……一般に“ツボ”と呼ばれる、点と点を結ぶことで形成される。経絡には一般的に“気”や“霊力”など、生物が生きるために必要な生体エネルギーが通っているとされ、古代中国では“血液”さえもが、経絡の流動物であると考えられていた。

経絡は人間が生まれながらに体内に備えているものであり、その位置は死ぬまで絶対の普遍。ゆえに、人体に機械的、あるいは呪術的な処置を施された改造人間の経絡には、基本的な欠陥がある。経穴そのものが消滅してしまったり、経絡の流れを途中で断たれていたりするからだ。

そのため、改造人間に内家拳法を極めることは出来ない。内家拳法を修める上で重要なファクターである“気”の巡る道筋が、正しい形で存在していないのだから。

かつては北斗も、“吼破・静月”に見られる内家の技をいくつか会得していたが、改造人間となった今ではそれももう使えない。改造人間となったその日から、北斗が拳に宿した吼破は、1つだけになってしまった。“吼破・水月”は、外家の技なのだ。

改造人間では決して内家拳法を極めることは出来ない……それは常識以前の理であった。決して覆すことの出来ない、世の決め事だった。

少なくとも、今、この時までは――――――

 

「孫子曰く、『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』ってな。この14年間、お前を倒すために色んな事をやった。自分を磨き上げるって意味もあったけど、お前が習得している格闘技を知るためにも、色んな武術に手を出した。

そのうち、“赤龍拳”っていう流派に出会った。内家の拳法で、ちょっとだけ空手に似ているところが気に入った。そこで知ったんだ。内家拳法の何たるかについて」

 

“赤龍拳”は、同じく中国拳法の“龍拳”にも似たパンチによる打撃系を主体とした中国拳法である。その起源は6000年も昔に遡るとされ、“ダイ族”の『天火星』と呼ばれる一族が代々世に伝えていた。

レオウルフ……獅狼が出会ったのは、中国も河北省の山村に住む、鉄面臂張遼(てつめんぴちょうりょう)と名乗る男だった。漆黒の鎧甲冑に身を包んだ男は、“赤龍拳”の圧倒的なパワーによって当時改造人間になって4年が経つ獅狼を、滅多々々に打ちのめした。

 

「俺は張遼に“赤龍拳”……内家拳法を教えてくれって頼み込んだ。けど、素っ気無く断られた。『何故だ!?』って、聞いたら、『お前には無理だ』って、言われた。当然だな。俺はそん時すでに、改造人間だったんだから。

けど、自分で言うのもなんだか俺は諦めが悪いからな。どうにかして内家拳法を扱えないものかと考えた。……んで、考え抜いた結果、ある事を思いついたんだ」

「ある事……だと?」

「何も“気”を通すパイプは、純粋な経絡じゃなくてもいい」

 

レオウルフはそこで一旦言葉を区切った。

目に見えて色を失う北斗の形相に理解の兆しを見出したのだろう、彼は大仰な身振り手振りを交えながら、芝居のかかった口調で語った。

 

「俺が求めているのは“気功”を使うことによる強さだ。“気”さえ流れるのなら、循環経路は経絡じゃなくても構わない。

だが、かといって、新しく経絡の代わりになるような物を埋め込むには、俺の体は完成しすぎていた。361箇所の経穴の代用品を埋め込むだけで、軽く見積もって70%の戦力ダウンと推定された。もう、俺の体に余分なモノを積むだけの余裕はなかった。

そこで、もうひとつ閃いたんだ。新しく代用品を入れるのが不可能なら、今、体の中にあるモノで何とか出来ないか……ってな。幸い、俺達の身体の中には、ナノマシンっていう限りなく生体に近い便利な機械があったしな」

「獅狼……まさか、お前……」

「――んで、実際やってみたら……何とかなっちまった」

「……」

 

茫然と立ち尽くす北斗に、レオウルフは嫌味のない笑顔を向けた。

体内のナノマシンを使っての人工経絡の形成。

言葉にするだけなら易しいが、実際にやってみせようものなら、どれほどの時間と労力を費やす作業であっただろうか。

実際、それは気の遠くなるような遠大な作業だった。

いかな〈ゲルショッカー〉のナノマシンといえど、決して全能ではない。

いくら『ナノマシンに経絡の代わりを務めさせたい』と、思っても、予め命令を実行するための機能と、下されたコマンドを処理するためのプログラムが備わっていなければ、それは用をなさない。

――ナノマシンに経絡の代わりを務めさせる。まずは、この機能を果たせる、まったく新しいナノマシンを一から造らなければならなかった。それは機械オンチの獅狼にとって、苦行以外の何物でもなかった。

また、人工経絡が完成しても、その後にはナノマシンの開発以上に莫大な時間を必要とする内家気功術の修練が待っていた。日本における外家拳法の筆頭格・空手道を修める獅狼にとって、内家の修行はあまりにも勝手が違いすぎた。

結果として獅狼は、人工経絡の形成・内家気功術の修得に6年の歳月を要した。

それは強い信念を心の支えとし、努力を苦と思わない小島獅狼だからこそ成し遂げられた偉業だった。

 

「今の俺は、この拳で戦艦の装甲をぶち抜くことが出来る。今の俺は、この足で千里の距離を1日で駆け抜けることが出来る。今の俺は、この体でミサイルだって受け止められる。

空手の使い手としては悔しいが、これは全部、内剄の賜物だ。改造人間の体で内剄を繰れば、俺みたいに内家の才能がないヤツでも、“気功弾”――俺は“気拳”って呼んでいるんだが、ああいう達人にしか使えないような技も扱うことが出来る」

 

改造人間の持つ人外の身体能力・特殊能力に加えて、“内剄”によって得た超常の力……今やレオウルフは、神秘の領域にある存在だった。

ただの改造人間――それも究極的に見れば戦闘員クラスに過ぎない――自分では、とてもでないが追いつけるような存在ではなかった。

北斗は、恐怖を顔に張り付かせたままレオウルフを見上げた。

御伽噺に登場する怪物の域にまでその存在を昇華させた改造人間は、すでにちょっと手を伸ばせば触れられるほど近くまで、北斗との距離を詰めていた。

北斗の視界の中で、閃光が走った。

自分は宙を舞っているのだ…と、悟った直後、爆音が北斗の耳膜を打った。

はたして、レオウルフが放った内剄を篭めた獅子の一撃は、音速を超えていたのである。

拳撃のダメージと衝撃波に呑まれ、北斗の体はきりもみしながら校舎の壁に激突した。

痛みで揺らぐ視界の中、人差し指大まで小さくなったレオウルフとの距離は推定約40メートル。後ろに校舎が無ければ、あと10メートルは飛んでいたかもしれない。

北斗は、使い物にならなくなってしまった右腕をダラリと揺らしながら、必死に立ち上がった。未だその表情は恐怖で慄然としていたが、戦意を失ってはいなかった。

レオウルフが、40メートルの距離を秒とかけずに疾走した。元々100メートルを2秒で駆け抜けるレオウルフの健脚であったが、内家拳法の軽功術を用いることによって、彼はそれを際限なく発揮することが出来る。

北斗は圧倒的な加速で迫るレオウルフを視界に捉えながら、左手で備前長船の柄を握った。自らも素早く3歩前に出て、抜刀の際に邪魔になる校舎の壁から少し離れる。

愛好家達の間で“幻の名刀”と詠われる白刃が鞘走った。

北斗は長身の刀を左手ひとつで支えながら、中段に構えた。レオウルフほどではないが、北斗の腕力ならば片手だけでも剣を操るのに支障はない。

北斗の刀に対抗するためか、レオウルフは自らも両手の爪を伸ばした。伸縮自在の爪の長さは今や約60センチ。長身の小太刀や脇差と同じサイズである。

5本の指をフレキシブルに動かしながら、レオウルフの烈爪が、左腕を狙って袈裟に走った。伸ばした爪の先端まで気力が充溢していないのか、追いつけないほどの速さではない。

北斗は校舎の壁すれすれまで身を引き、左手を頭上へと天高く掲げ、袈裟の斬撃を躱した。

次の瞬間、北斗は左腕にぐっと力を篭め、一度は天高く掲げた刃を再び地上へと振るった。

 

 

――柳生新陰流剣術・天狗抄「乱剣」!

 

 

柳生新陰流の極意は“まぼろし”。敵の攻撃を受け流し、巧みに攻撃に転化して、敵を斬るという、守勢が流動的に攻勢へと回る、“後の先”の剣技。

振り抜いた刃は、レオウルフの手甲をザックリと切り裂いた。

そしてそのまま流れるような動作で前へと踏み込み、眼前の獅子目掛けて白刃を躍らせる!

 

“ガキィッ!”

 

……しかし、追討の刺突は5本1対の刃によって阻まれた。さすがの彼も、一度に左右両方の手を制するのは不可能だった。

左手で刀身を受け止めながら、レオウルフは右腕に力を溜めた。丸太のように太い腕がほのかに青白く発光しているのは、そこに気力が集中しているからだろうか。

レオウルフは、渾身の一撃を振るった。校舎の外壁ごと敵を粉砕する、強烈な右フックが北斗の左胸に炸裂した。

綺麗に掃除された床に瓦礫を散らしながら、北斗は再び教室を転がった。

 

「ぐぅ…っ痛ぁ……!」

 

常人であれば何度もショック死を迎えてもおかしくないほどの激痛。

だが、レオウルフは彼に苦痛に悶える暇すら与えない。

 

「“気拳銃弾”!」

 

先の2発の気功弾よりもやや小振りな光弾が、しかし何発も連続で撃ち出され、北斗を襲う。

“気拳銃弾”と名付けられた気功弾は、1発の威力こそ“気拳砲弾”のソレに劣るものの、マシンガンやアサルト・ライフルのように連射が可能なため、複数の目標や動きの素早い敵を狙うのに適していた。

 

“ガガガンッ! ガガガンッ! ガガガガガガンッ!!”

 

青白い火線に触れぬよう北斗が動き回るその都度、教室の机や椅子、床、はてまた天井や壁すらもが破壊されていく。“気拳砲弾”に劣るといっても、その威力は硬い木材やコンクリートを抉る程度の破壊力は持っているらしい。

戦闘服の防弾機能がまったく通用しない銃弾に対し、逃げる以外の手段を持ちえない北斗は、負けじとブローニングを撃った。9mm特殊徹甲弾が“気力”を充溢させたレオウルフの体に通用するかどうかは分からなかったが、それでも劣勢の状況を打破する手段はこれしかなかった。

気功弾とすれ違うように黄金の特殊徹甲弾が空を裂き、自ら穿った巨穴の前で立ち尽くす、月下の改造人間を襲う。

すでに数多の戦闘で傷つき、疲れ果てているはずの彼だったが、ここにきて射撃の精度はますます向上していた。

しかし、そんな北斗の精密な射撃を嘲笑うかの如く、レオウルフは撃ち出された銃弾を全て躱していった。

 

「やめとけ、やめとけ。弾の無駄だって。いくら撃ったところで、はっきり言って無駄だ。フル・オートの連射ならともかく、手動じゃ今の俺には当たらねぇよ。

外家の“技”は“意”よりも遅い。こいつを攻撃してやるっていう意識が、実際に技を繰り出すよりも早く先行してしまう。それは拳銃射撃にも言えることだ」

 

あとは聴剄などの方法で、その“意”を感じ取りさえすればよい。“意”を察することさえ出来れば、攻撃が来る方向も、次に繰り出してくる技の正体さえ知ることが出来るのだから、対処法を考案するのは容易となる。

攻撃を躱すことも、攻撃を防ぐことも、攻撃をわざと受けて相手を油断させることも、攻撃に対してカウンターを喰らわすことも、あらゆる手段の選択が自由になる。

 

「そう、例えば……」

 

視界に映るのはただの虚空。まだ、北斗はブローニングを撃ってはいない。

そんな虚無の空間に対して、レオウルフは“気拳銃弾”の青白い光を走らせた。

次の瞬間、オレンジ色のフラッシュファイヤが次々に、照明のない教室に躍った。

 

“ボボンッ! ボボンッ! ボボンッ!”

 

ぶつかり合う黄金の弾丸と青白い弾丸。

なんと放たれた“気拳銃弾”は、その全弾が北斗の撃った9mm特殊徹甲弾を全て撃ち落したのである。それはレオウルフが、予め北斗が撃とうとしていた方向を知っていなければ出来ない芸当だった。

 

「……こんな具合に、な。だからこれ以上、いくら撃っても無駄だ。

さっきの剣戟だって、本命が二撃目にあることは分かっていた。だから一撃目はわざと受けて、二撃目を防ぐことの方に全力を出したんだ。

もう止めろ、闇舞北斗。気力を身体に充溢させた時点で、お前の攻撃は俺には通用しない」

「かもしれん……いや、実際そうなんだろうな」

 

不意に、それまで口を閉ざしていた北斗が言った。

言いながらも彼は、レオウルフに無駄だと指摘されながらブローニングを撃ち続けた。

 

「その姿のお前に……内剄を充溢させているお前に、これ以上、いくら撃ったところで弾は当たらないだろう。なんとなくだが、気付いていた」

 

ブローニングが一弾倉を撃ち尽くし“カシャンッ”と、小気味良い鉄と鉄の擦れる音が鳴って、スライドが後退したまま動かなくなる。

右手の使えない北斗は、歯で噛んで銃を固定しながら、弾倉を交換しなければならない。代えのマガジンを持ったまま、マガジンキャッチのボタンを操作。滑り落ちる空の弾倉を掌で受け止め、すかさず弾薬満載の弾倉を掌底で押し出し、装填する。

 

“ガシャンッ!”

 

歯だけでなく、顎全体に伝わる痛烈な衝撃。最後に、スライドストップのレバーを操作して、ブローニングは再び戦闘準備を整えた。

しかし北斗は、戦闘準備の完了したブローニングを手に取ろうとはしなかった。

彼はブローニングを口に咥えたまま、

 

「予め攻撃の軌道、正体……その全てを知られているのなら……」

 

前髪を掠めていく“気拳銃弾”の一発をバックステップで躱しつつ、北斗は視線だけを教室全体へと巡らせる。

照明のない暗い教室の中で、ほどなくして探し物は見つかった。

顔面を狙った気功弾を屈んで躱し、そのまま床を小さく蹴って低く疾走。空気抵抗のかかる面積を最小に保ちながら、教室に転がり込んだ際に手放してしまった備前長船の元へと急いだ。

北斗の“意”を感じ取ったのか、それとも行動から彼の意図を察したのか、レオウルフの“気拳銃弾”が、掃除用具箱の前に転がる打刀と、その主人の間を割くように注がれる。

北斗は、側にあった机を左手で殴り上げた。

普段どんな学生が使っているのか、最大サイズの机はくるくると回転しながら宙を舞った。

放物線を描きながら、定められた軌道上を飛翔する机は、やがて無数の気功弾にその身を打たれ、木片の砕け散る音、金属の凹む音を響かせながら破砕した。1秒をかけて。

おそらく、“気拳砲弾”の一撃であれば、机は秒とかかることなく瞬時に粉砕されたことであろう。

しかし、一発の威力、制圧面積では“砲弾”に劣る“銃弾”では、粉砕にはどうしても1秒間かかってしまう。

そしてその1秒があれば、机がまだその形状を保っている間に盾として使い、愛刀の元へ近付くことは、北斗の健脚ならば造作もないことだった。

北斗は、備前長船の柄をしっかりと握った。

疾走の勢いを殺すことなく、そのまま掃除用具箱の蓋を蹴って無理矢理方向を変えるや、レオウルフを目指して床を蹴る。

教室の角から、自ら穿った巨穴の前に立ち尽くすレオウルフまでの距離は約8メートル。

北斗は途中あった机を第二の足場にしてさらに跳躍。二段ロケットのように加速して、宙へと躍り、レオウルフに向かって逆袈裟に振り下ろす!

だがしかし、予め北斗の“意”を汲み取り、回避のモーションを取ろうとしていたレオウルフには、その一撃も通じない。

北斗の斬撃は肉ではなく空を裂き、半歩移動して彼の側面に回ったレオウルフは、反撃の拳を放――――――とうとして、突如飛び込んできた北斗の“意”に、攻撃を取り止めた。

 

「……例え次の攻撃が分かっていたとしても、躱せない攻撃をすればいい!」

 

北斗の手から、北斗の口から、備前長船と、ブローニングがそれぞれ滑り落ちた。

備前長船は前に出た北斗の左足が器用にキャッチし、ブローニングは先ほどまで備前の剣を握っていた左手が受け止める。

そして、レオウルフの視界の中で、オレンジ色の光芒が繚乱した。

 

“ドドドドドドンッ!!”

 

人工筋肉に力を集中させる間も、気力を集中させて防御力を上げる間もなかった。

先行する北斗の“意”を読み取ったレオウルフであったが、銃口から肉体まで数十センチという至近距離では、さすがの彼もディフェンスが間に合わない。

最大の運動エネルギーを保ったまま飛び出した6発の銃弾に撃たれたレオウルフは、優れた貫通性能を持つ9mm弾が体内から飛び出ていくのと時同じくして、至近距離からの射撃による衝撃で自らも宙へと舞った。

 

「……ッ! “レオバーニング”!!」

 

意図せず空中に飛び出し、身動きの取れなくなってしまったレオウルフに、さらなる追撃を仕掛けようとする北斗を、“レオバーニング”……胸部の獅子の口から放つ、超高熱火炎で牽制する。

咄嗟の反撃だったため、事前の準備も何もなかったとはいえ、吐き出された炎は少なくとも300度以上の高熱を保っていた。

最大で500度の熱に対する耐熱性能を持つ戦闘服を着ている北斗だったが、真っ向からそれに向かっていくのは愚行である。500度に耐える……といっても、それはほんの数秒間の間に過ぎない。何度も何度も、長時間炎に触れるのは危険だ。

北斗は、左足でキャッチした備前長船を改めて鞘に納めながら、教室から離れた。

レオウルフが炎を吐きながら着地したのを見届け、間髪入れずに接近する。

互いの距離は、およそ10メートル。

 

「“意”を感じ取ることの出来るお前なら、次の俺の攻撃が分かるだろう!?」

「“吼破・水月”……ッ!!」

 

ブローニングをホルスターにしまい、全ての武器を自ら封じた北斗が取ったのは、“箭疾歩”の構え。

それはかつて、数ある闇舞北斗の技の中で、小島獅狼が唯一破れなかった必殺技。

14年前、あの戦いの最中、闇舞北斗と小島獅狼の戦いに、決着を着けた北斗の“吼破”……。

たしかに、“吼破・水月”ならば例えレオウルフが北斗の“意”を読み取ったところで、それは大した意味をなさない。“吼破・水月”は、ただ強力な打撃を放つ技に非ず。相手の距離感と時間感覚を狂わせ、その上で放つ必殺の拳。いくら内家の拳士が“意”を読み、そのタイミング、方向を計ろうとしても無駄である。

 

「俺の攻撃が通用しないと言うのなら……」

「ッ!?」

 

北斗の足が、地面を離れる。

レオウルフには、その動きがコマ送りのように感じられた。

 

「こいつをどうにかしてから言ってみろッ!!」

 

 

――吼破・水月!!

 

 

風が嘶いた。

北斗の体が一個の砲弾と化し、触れたら最後、改造人間でさえ一撃の下に粉砕する剛拳が放たれる。

 

「こいつは……ッ!?」

 

レオウルフは驚愕した。

14年前に最後に見た時よりも、格段に速く、そしてあらゆる意味で捉え難くなっている。

“気拳砲弾”で迎撃しようにも、どのタイミングで撃てばよいのか分からず、“レオバーニング”で牽制しようにも、炎が北斗に身に何らかのダメージを与えるまでの間に、自分が打ちのめされているであろうことは必至だ。

もはや今の北斗の“吼破・水月”の前では、14年前の時にやったような、視覚を閉ざすという対処法も、まったく通じないだろう。

しかし……

 

「ははっ、やっぱ凄いな、この体は」

 

レオウルフは驚愕した。

格段の進化を遂げた親友の必殺技に。

内剄をまったく無用の長物とする、“吼破・水月”の恐ろしさに。

そしてそれ以上に、内剄すら無力化させる超絶奥儀の全てを、寸分の途絶もなくレオウルフの脳に伝える改造人間の超越感覚に。

己が動きによって荒れ狂う風切の轟きの中、北斗はたしかに聞いた。自らの身体能力の優秀さに感嘆しつつも、それを呪う、親友の自嘲めいた乾燥した笑い声を。

その構えは柔靭にして無形。静かなる不動の中に、無限の変化を秘めたカウンター狙いの防御型。

明心館空手にも、“赤龍拳”の中にも、その存在を見出すことは叶わない。何故ならその構えは、レオウルフ……小島獅狼が、未だ終着駅の見えぬ研鑽の中で編み出した、まったくオリジナルの構えなのだから。

流転する視界の最中、北斗はたしかにそれを目視し、そして思い出した。

決して敗北することなき“吼破・水月”と、過去に唯一引き分けた、その技の存在を……

 

 

――吼破・春舞!!

 

 

それは愛する少女と、愛する親友の名から一字ずつを拝借し、その名とした、必勝のカウンター。迎え撃つ攻撃が強力であれば強力であるほど、強大な力を発揮する破壊の鎚。

14年の歳月を経て、今一度激突する2つの吼破。

はたして、その勝敗は……

 

「いりゃああああああッッッ!!!」

「うぉおおおおおお――――――ッッッ!!!」

 

 

 

 

 

桜の花が月夜に繚乱し……

 

 

 

 

 

「ぐぁああああっ……!!」

 

 

 

 

 

湖面が抱く月が、砕けて消えた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の攻撃が通用しないと言うのなら……」

「……」

「こいつをどうにかしてから言ってみろ……って、言ったよな?」

「……」

「どうにかしてやったぜ? この野郎!」

「……」

 

返ってくるのは絶対に敗北することはないと思い込んでいた技が破られた事実に対する驚愕の眼差しと、荒い息継ぎの音。

会心のカウンターを炸裂させ、得意気に鼻を鳴らすレオウルフとは真逆に、地面に膝を着き、左胸を押さえる北斗は荒い息をつくだけで、無言だった。過去、一度として破られることのなかった必殺技が敗北したという事実に対する精神的ショックもさることながら、肉体を苛むあまりのダメージに、口を開くことすら苦痛だったのである。

自ら放った“吼破・水月”の威力に加え、“内剄”の限りを篭めたレオウルフの渾身の一打に打ちのめされた北斗は、今や満身創痍の疲労困憊。カウンターの直撃を受けた左上半身はもとより、五臓六腑の悉くを破壊され、その身はすでに生きながらにして死んでいる(・・・・・・・・・・・・・)も同然の状態だった。

 

(……左人工肺機能停止、肝臓及び腎臓大破、各消化器系全中破。左神経系4割寸断、強化筋肉は……6割が断裂!)

 

本来ならばここでナノマシンが即座に機能し、破損箇所を直ちに修復するのだが、頼みの綱の極小機械群も、未だその作用強く残る特殊ME弾の影響下にあっては、麻酔機能で痛みを和らげる程度の働きしかしてくれない。しかも、度重なる連戦による消耗で、とうの麻酔機能さえも満足に機能しなくなりつつあった。

今や北斗の身体能力は本調子の2割程度。イスカリオテやG3といった武器を失い、総合的な戦力では1割以下にまで低下していた。

拳撃の直撃を受けた左胸を中心に、全身を芯から揺さぶる傷みに堪えながら、北斗はレオウルフを見上げた。それは眼光だけで獲物を射るような鋭い視線ではなく、焦点の定まらぬ虚ろな視線だった。

いや、実際北斗は視界の中心にレオウルフを補足し続けることが、困難になりつつあった。白く霞がかったような視界は、はるか高空から豆粒のような獲物に狙いを定める猛禽の、ソレ以上の精度を誇っていた優秀な改造人間の視界ではない。今や北斗の肉体は、義眼に満足なエネルギーを供給出来ぬほど消耗していたのである。

完全なホワイトアウトこそ間逃れていたものの、今や北斗の視界はまさに一寸先は闇。白い闇に視界の大半を奪われ、彼の視力はあってないような状態だった。

とはいえ、五感のすべてを野生動物以上に強化した改造人間にとって、視覚を失うことはハンディキャップにはならない。視覚で捉えられない部分は、聴覚と触覚、それに嗅覚が補ってくれる。

ゆえに、北斗は見ることが出来ずとも“感じる”ことが出来た。レオウルフの逞しい健脚が地を踏み締める音を聴き、ごく微細な大気の流れを肌で感じ取れば、レオウルフの、無限に加速する足取りも掴むことが出来た。

 

「改めて言ってやるよ。今の俺に、お前の攻撃は通用しない」

「クッ……!」

 

手を伸ばせばすぐに届くほどの超至近距離。しかし傷つき、疲れ果てた今の北斗に、この距離でレオウルフの体に命中させうる攻撃手段はなかった。現に、歯噛みする北斗が苦し紛れに放った足払いは、見事に躱されてしまった。

 

「正確な狙いだが俺に当てるにはまだちょっと遅いな。その程度のスピードなら、この距離でも十分躱せるぜ!」

 

対称的にレオウルフが放つ拳撃は鋭く、速い。“吼破・春舞”という大技を放った直後で、内剄が充溢していないのか、その拳速は音速にこそ至っていなかったが、秒速200メートルはあろうかという高速だった。

痛みに身悶えする暇もなく、北斗の体が宙を舞う。

飛翔する彼を追って地を蹴れば、はたして、レオウルフはすぐに追いついた。

空中で2人の改造人間は激突した。両手を束ねたレオウルフの槌が一方的に炸裂し、再び北斗の体を地面へと叩き付ける。

校庭の土を何十センチも抉り取り、受身すら取れずに地面に仰向けになった北斗に、レオウルフは間を置くことなく拳を打ち続けた。

 

「オラオラオラァッ! さっきまでの強気な態度はどうしたんだよ、北斗!?」

「ぐぅ……ッ!」

 

傷つき、すでに振るうことすら困難な両腕を必死に動かし、レオウルフのラッシュを受け続ける北斗。身体機能の低下が激しいとはいえ、その動きは並の兵士とは比べ物にならないほど速い。

しかしそれでも、1発1発の拳を打ち出すごとに徐々に加速し、音速へと迫るレオウルフのラッシュをすべて捌き切ることは不可能だった。北斗が1発の拳を防ぐ間に、少なくともレオウルフは20発ものパンチを、彼の体に炸裂させている。

秒間数百発を数えるパンチの狙いを、決して急所へと向けないのは、無論レオウルフの手心だ。レオウルフがその気ならば、たちまち数百発のパンチは北斗の急所を貫き、彼の体を一変の肉塊も残さずに粉砕することだろう。

もはや彼我の力量差は絶対的だった。頼みの綱の“吼破・水月”まで敗れ、北斗にレオウルフを倒すことの出来る攻撃手段は残されていない。

今この場に、陸軍の一個師団でも居ようものなら話は別だが、そんな都合の良い話があるわけもない。

このまま戦っても敗北は必至だった。今やどう足掻いたところで、内剄の充溢したレオウルフに勝つ可能性は万に一つもない。

にも、拘らず――――――

 

「……!」

「ウオオオオオオォォォォォォ――――――ッッッ!!!」

 

決して命中することはないと理解していながら、北斗はマウントポジションを取るレオウルフに蹴りを放った。両足から最も近い急所である股間ではなく、あえて背中を狙ったハイ・キック。しかし案の定、彼の右足は虚空を薙ぎ、標的であるレオウルフは真上に跳んで攻撃を回避する。

そして空中に一時避難した彼は、“気拳銃弾”の連射を、逆に振り上げられた北斗の右足に集中させた。その一分間の発射速度は約700発。銃器でいえばアメリカ製M1A1トンプソン・サブ・マシンガンに匹敵する発射速度である。しかし銃弾を撃つサブ・マシンガンと違って気功弾は反動がないため、その精度は極めて高い。

光弾の銃火に晒された北斗の右足は、コンマ秒とかからずに砕けていった。

しかし北斗は、ただ地面に倒れ続けるのを良しとはしなかった。

強化筋肉や人工骨はもとより、今の“気拳銃弾”の連射で腱すら断たれた右足と違い、まだ余裕のある左足の腿力だけで体を動かし、銃弾の嵐から逃れるや、右足を引き摺りながら、北斗は果敢に立ち上がった。

その上彼は、どこにそんな力が残っているのか、すでに自身の制御下にない両腕を持ち上げ、ファイティングポーズまで取った。

 

「へぇ……」

 

着地と同時に獣の唇から漏れ出た言葉は、わずかに感嘆の色に染まっていた。

 

「急所をはずして殴ってるとはいえ、まだそんな力が残ってるとは……さすがだな」

「…………言った…はずだ!」

 

一言言葉を紡ぐ度に、臓腑を苛む焼けるような内傷の痛み。同時に口から吐き出される大量の鮮血。

今の北斗にとって、言葉を発することは確実に自らの寿命を縮める行為でしかなかった。

 

「闇舞、北斗は……闇舞…光の元へ…………必ず帰る! ……それにはまず、この戦いに勝たなければならん…………」

 

力無くファイティングポーズを取る左手が、おもむろに正光の柄へとのびる。

鯉口の切られた白刃の切っ先は天を向き、八の字に開かれた両足は、一見すると八相の構えに見える。しかし、構えを取る北斗の体勢は低く、よく見てみると、明らかに八相のそれとは違っていた。

 

「何度倒れようとも…その度にその数だけ立つ……! 何度崩れ落ちようとも…その度にその数だけ立ち上がる! 例え勝ち目が万に一つしかなかったとしても、その万に一つの可能性を信じて、俺は戦う!」

 

引の構え。

柳生新陰流などの素肌剣術が盛栄を極める以前、鎧甲冑を着た者同士の立ち合いを前提に、剣聖・塚原ト伝が開発した、鹿島新當流の構え。

 

「俺と! 光と!! 大切な人達との、未来を守るために!!!」

 

その一念潰えぬ限り、自分は決して倒れるわけにはいかない。今の自分を戦いへと突き動かす最大の理由。それがある限り、自分がこの手から刃を手放すことはない!

鎧甲冑を着た者同士が振るう古流剣術の一撃は、甲冑の継ぎ目を縫うような精度を持ちながら、狙いを外しても甲冑ごと相手を叩き斬るパワーを持った、二の太刀要らずの豪快な剣技。

傷つき、朽ちていく体を必死に奮い立たせ、北斗は大きく前進しつつ鹿島新當流“清眼の構え”に移行。

さらに身を沈めながら疾駆し、レオウルフの喉元目掛けて白刃を突き出す!

 

 

――鹿島新當流・霞之太刀「遠山」!!

 

 

本来は相手との鍔迫り合った後、機を見て放つ刺突の一撃だが、今回はレオウルフの顎部動脈を切り裂くため、喉元向けて真っ直ぐにソレは放たれた。

しかし、剣聖考案の渾身の一手も、内剄を繰るレオウルフには通用しない。

狙いすました刺突の一手も、予めその向き、スピード、狙いを見越されていてはどうしようもない。いや、それ以前の問題として、内剄を充溢させたレオウルフのスピードはすでに音速を超えているのだ。音速を超えるスピードで的確な回避運動を行う相手に攻撃を命中させるには、自らもまたそれに匹敵するスピードを出すしかない。

白刃の切っ先は肉の感触を捉えることなく虚空を裂き、逆に音速の速さで背後へと回りこんだレオウルフの剛拳は、刀を振るう男の背中に、ストレートに炸裂した。

 

「ぐぅッ!」

 

再び地面に叩き伏せられる北斗の体。

レオウルフはさらなる追い討ちをかけようとしたが、次の瞬間、彼の鋭敏な感覚が、そして心が感知した“意”によって、それは中断させられた。

 

「ッ――――――!」

 

軽い舌打ちで憤りを表しつつ、後方に飛び退くレオウルフ。

間もなく、彼が居た空間を、鉄塊を握ることで威力を増した北斗の右手のハンマーパンチが、物凄い速さで薙いでいった。

――と、同時に、腕だけでなく体全体を振るようにして、北斗は起き上がった。ハンマーパンチはただの囮。当たってダメージを与えられればそれでも良いが、当たらずとも体勢を立て直すことさえ出来れば、本来の目的は完遂される。

膝立ちで起き上がった北斗は、まさに着地しようとする寸前の、レオウルフの足下目掛けて、右手で握るブローニングを撃った。

 

「おおっと……!」

 

着地の瞬間に足場を崩され、バランスを失ってしまうレオウルフ。

なんとか転倒寸前のところで持ち直すが、結果として2人の距離は開いてしまった。

体勢を改めた北斗が、十分な踏み込みを取って、袈裟に斬りかかる。

 

「いりゃあああ――――――ッ!!!」

 

当然その攻撃はレオウルフにはお見通しであったが、予定外の場所に着地したばかりというタイミングがいけなかった。

瞬時に回避運動が間に合わないことを悟ったレオウルフは、咄嗟に爪を伸ばして応戦。40センチほどにまで刃の丈を増すと、迫り繰る白刃を迎え撃った。

 

“ガキィッ!!”

 

ぶつかり合う人の作った刀と、同じく人の作った爪。

片や古来より連綿と続く備前の技術の結晶と、片や最新の生体科学が創造した何物をも切断する鋭い刃。

いかに剣士としての北斗の技量が優れていたとしても、いかにレオウルフの内剄による強化が優れていたとしても、実際の金属の強度までは変わらない。

両者の得物が悲鳴を上げるほどの鍔迫り合いの最中、レオウルフは、彼我の力量差は関係なく、真剣勝負ゆえに額から流れる汗を拭うこともせず、呟いた。

 

「なるほどな……」

 

一見鍔迫り合いは拮抗しているように見えるが、体格の優劣、膂力の差、踏ん張りの効かない右足……これらの要素を考えれば、どちらが有利であるかは明白である。加えて、自分には気力という無限に自身の力を高めるエネルギーを自在に操る術があるのだ。自分がちょっと本気を出せば、両者の戦いは鍔迫り合いにすらならない。

しかし、だとすればこの状況はどう考えればよいのだろうか?

急所をはずして攻撃しているのは相手をいたぶるためであって、それ以外の他意はない。だから鍔迫り合いという、長々と膠着状態が続いてしまう状況は自分としても望むものではない。ゆえに自分は先程から100%の力を以って押しているのだが、自分が力を篭めれば篭めるほど、反発する力は肥大化していくばかりで……

 

あん時(・・・)の俺と、同じってわけか」

「何……?」

 

返答は肯定でもなく、否定でもなく……しかしレオウルフには、それだけで十分だった。

 

「闇舞北斗、お前は強いよ」

「獅狼……?」

 

突然切り出した言葉の内容に、北斗が怪訝な表情を浮かべる。

レオウルフは気にすることなく、腕へと篭める力はそのままに言葉を続けた。

 

「実際、お前は強い。人生のほとんどを戦いに捧げてきたお前の強さは、俺なんかが真似出来るものじゃない。さすがに『世界最強』の称号を持つ男は、伊達じゃねぇってことだな」

「持ち上げるな。それに、今、その『世界最強』の男を圧倒しているのはどこのどいつだ?」

「実際そうでもないぜ?」

 

まったく転化の兆しが見えぬ状況に焦れたのか、獅子の胸甲が大きく口を開ける。目には見えずとも風を切る音で感じ取ったのだろう、北斗の表情が苦々しく歪んだ。

至近距離からの火炎の渦に呑まれるのを恐れた北斗は、即座に刃を弾き、身を低くして側面に回り込もうとする。

しかし、開口は先行きの暗い状況を強制的に動かすためのフェイクだった。いつまで経っても、獅子の口からは一向に炎の舌は出てこず、側面から放った斬撃は、いとも簡単に躱されてしまう。

そしてカウンター気味に放たれた気拳砲弾が北斗の体を打ち、72キロの長身が吹き飛ばされた。

 

「まだ〈ゲルショッカー〉が存続していた頃だけどよ、俺も同僚の改造人間と何度も戦ったが、みんな今のお前ほどの強さは持っていなかった。少なくとも、変身した上、内剄の充溢した俺の攻撃をあれだけ受けて、そんなに動けるヤツはいなかった。

……つまり今のお前は、最新の〈ゲルショッカー〉怪人よりも、強いってことになる」

「そいつは光栄だ!」

 

全身を傷だらけにしてなお振るわれる白刃、なお振るわれる拳。まさに執念を原動力として放たれた技の数々は速く、重く、なにより正確だ。

しかし、それら攻撃の悉くも、内剄を充溢させたレオウルフ相手には、薄皮一枚を削ることすら叶わない。逆に迫り来る攻撃を時に受け、時に避け……時に捌き、時に“吼破・春舞”のカウンターで返すレオウルフの一手一手は、例え防戦といえども確実に北斗を消耗させていた。

だが、レオウルフが一撃を捌くごとに、気力・体力ともにすり減らしているはずの北斗の攻撃は、よりいっそう勢いを増し、よりいっそう鋭さを増していった。

(これが戦闘の天才・闇舞北斗の底力ってやつか)と、内心で驚嘆の唸りを上げながら、極力表面上は心の動揺を表情に出さぬよう努め、レオウルフは言葉を続ける。

 

「闇舞北斗、お前は間違いなく最強だよ。今も、昔も、俺が戦ってきた連中の中でも文句なしのダントツだ。特に、今、俺が戦っている闇舞北斗って男は、今まで戦ってきた中でいちばん強い闇舞北斗だ。

……けどな、その強さはお前が今まで戦いの中に身を投じてきたとか、自分を鍛えてきたからとか、そんな理由から来るものじゃねぇ。勿論、そういう要素も、お前の強さを形作る一因なんだろうが、今のお前の強さを説明するには、それだけじゃ決定的に足りねぇ」

「何をわけの分からんことをッ!」

「ははっ、わけが分からん……か。やっぱこういうのは、自分では気づかないものなのかねぇ?」

 

あの時……14年前のあの日、自分には命を賭してでも守らなければならないものがあった。だから自分は本来の実力以上の力を発揮し、最強の闇舞北斗相手に互角以上の戦いを演じてみせた。

同様に、あの日の北斗もまた、命を賭してでも守らなければならないものがあった。それは彼のたったひとりの肉親であり、たったひとりの妹だった。獅狼はその事を後から知ったが、だからこそ北斗は、当時限界以上の力を発揮していた獅狼さえもを圧倒し、あの死闘の中で生き延びることが出来たのだろう。

人は、自分の大切なものを得た時…そして、それを守ろうとする時、自らの限界を超えた力を、強さを発揮する――14年前、自分自身で経験した以外にも、その事は多くの歴史が証明している。

そして今、おそらく北斗は――――――

 

「今のお前がそんなに強いのは……守るものがあるからだ」

「何……?」

「守りたいものがある。守らなければいけないものがある。守るべきものがある。守るべき何かを背負っている人間は、実力云々関係なしに強い。祖国を背負った350万人のイスラエルは、1億人のアラブ諸国を打ち負かした。愛する人の命を背負ったイタリア人は、個人の力で戦艦を撃沈させた。今のお前は、まさにそれだよ」

「……」

 

「違うか?」と、レオウルフの視線が無言で問いかける。

それに対して北斗は、自らもまた無言を通すことで肯定した。

レオウルフは満足そうに喉を鳴らすと、1メートルと離れていない近距離で、秒間700発超の拳撃を畳み掛けるように浴びせた。

 

「勝ち目がないと分かっていても、耐えられる限界以上のダメージを受けていたとしても、何度でも自分の足で立ち上がる。例え戦うための牙を折られたとしても、砕けた歯で何度も噛み付いてくる。あの時の……14年前のあの日の俺がそうだったように、守るものがあるお前の強さは……」

 

脳裏によぎる過日の思い出。

まだ何も知らなかった頃の自分と、嘘を突き通していた親友と、そして守るべき大切な少女との、楽しかった日々。そして、地獄のようなあの屋敷での出来事。

ほんの一瞬のうちに過去の長い時間を追想したレオウルフは、最後にあの日自ら口にした言葉と、愛する少女の笑顔を思い出しながら、拳を振るう。

 

『それで春香を殺すってか? だったらそんなの願い下げだ。……俺はなにがなんでも、お前から春香を守る』

『春香のいない世界に、未練なんてない。天国だろうが、地獄だろうが、それが春香のためなら、どこへだって行ってやる!』

『お前が何て言おうと、俺はお前を守る。闇舞がどんなに強くて、例え万に1つも勝ち目がなくても……絶対に、お前だけは……』

 

「……反則だよ!」

「ならば――――――ッ!!!」

 

しかし、放たれた拳は北斗にダメージを与えることはなかった。

突き出された右拳を右腕で受け流し、未だ刀を握るだけの力を残す左手で放つは中国拳法・蟷螂拳が“七星天分肘”。元々左手で繰り出すよう編み出された一手は、左利きの北斗が放ったところで、なんら威力の衰えはない。

だが、またしてもレオウルフは、攻撃を流された瞬間には足を動かし、体を動かして、迫りくる手甲の一撃を当たり前のように回避する。

ならばとばかりに間髪入れず、手を休めることなく放ったのは、片方の手だけで一度に顔面と胴体を狙う蟷螂拳の連環劈。

しかしそれすらも回避してみせるレオウルフに、再び剣柄を執り、肉迫しながら北斗は吠えた。

 

「そう言うのならば、あえてもう一度聞こう! その反則の男をこうまで痛めつけ、その男の攻撃を悉く躱していく今のお前は何だ? そんな男をこうまで圧倒する、今のお前が守ろうとしているものは何だ!?」

「さて…な。……いやホント、今の俺っていったい何なんだろうな?」

 

不意に飛び込んできたのは親友の、いつになく冷め切った声。

とうに視界を失った北斗であったが、その一言を区切りに、レオウルフの表情から決定的な何かが剥ぎ取られたのを、彼は本能的に察知した。

そして次の瞬間、北斗が振るった白刃は、本来なら決して味わうことのない、改造人間の血をその刀身に滴らせていた。

 

「……何?」

 

捉えるはずのなかった肉の感触に思わず顔を上げ、自分の瞳がくすんだ真鍮のような色をしているのも忘れ、レオウルフの相貌を覗き込む北斗。

完全にホワイトアウトした視界には何も映らなかったが、何か異様な気配が、彼の肌を刺した。

 

「守るものもなく、信じるものさえなく……ただ復讐心を糧にして、今日まで生きてきた。地獄みたいな訓練も、地獄みたいな戦場も、全部、何とかなってきた。お前への恨み辛みだけが、今日まで俺を支えてきた。……自分で言うのもなんだけど、たしかに今の俺は強いと思う。けど、だからといって、俺は自分が復讐鬼だとはどうしても思えないんだ」

 

たしかに、ただ復讐心に身をやつした鬼にしては、小島獅狼という男は優しすぎる。

目的を完遂するためならば手段を選ばぬのが復讐鬼だが、彼はその過程で多くの仲間達が死んでいったことに涙を流し、関係のない人々を巻き込むことを嫌った。これでは、真の意味での復讐鬼とは到底言えまい。

 

「〈ゲルショッカー〉合成怪人? 内功を繰ることの出来る空手家? どれもイマイチしっくりこない。今の俺を一言で表す言葉が見つからない。俺はいったい何なのか。自分で自分が分からねぇ。俺という人間を構成する上で何か決定的な、大切なモンが欠けちまっている気分だ。……いや実際、今の俺からは何か大切なモノが欠けちまっているんだろうな」

 

それは言うまでもなく、今はもう居ないあの少女。

かつて、少し腕を伸ばすだけの労を費やせば、すぐ手の届くところにあったあの笑顔。

もはや二度と現世では会うことの出来ぬ彼女の事を思うたびに、北斗の胸は鋸の刃で切り裂かれたような痛みを感じてしまう。

今宵もまた、悔恨の念にかられた最強の戦闘者は、激闘の最中だというのにレオウルフの虚ろな視線から思わず顔を背け、剣柄を握る両手から僅かばかりの力を抜いてしまう。

だが、そんな絶好のチャンス到来にも拘らず、レオウルフは、そんな事には一切関心を向けず、ただただ舌の赴くまま、心の赴くままに、狼の口を、獅子の胸口を動かし続けた。

 

「山口達と話してる時、俺の心はそれを楽しいと感じた。北海道で獲れた新鮮な蟹を食った時、俺の舌はそれを美味いと感じた。……けど、俺が感じたのはそれだけだった。

どんなに楽しいことをやっても、どんなに美味いものを食っても、俺の心はそれを楽しい、美味いとは感じるが、満足感を覚えることが出来なかった。すっげぇ強敵を倒した時も、難しい技を自由自在に扱えるようになった時も、俺の心は充足感を得ることが出来なかった。

何をやっても満足出来ない。何をやっても心から喜ぶことが出来ない。何でだろう……って、考えてみたら、思い至った。今の俺には、大切な何か(・・・・・)が欠けているって」

 

結果的にそれを奪ってしまったのは自分。

結果的に彼をそんな過酷な道に引きずり込んでしまったのは自分。

いくら後悔してもしたりない絶望と、決して変えることの出来ない過去というジレンマ。

 

「どんなに楽しい話を聞いても、それを本当に聞かせてやりたいヤツが側に居ない。どんなに美味い食い物を食べても、本当に食べさせてやりたいヤツが側に居ない。だから満足感を得られない。胸に…ぽっかりと穴が開いた気分だ!」

 

レオウルフの手が、音もなく(・・・・)そっと自らの肩に食い込む白刃に伸びる。

優しく包み込むような手つきで、しかし力強く血を滴らせる刃を握ると、ようやく北斗もレオウルフの行動に気が付いた。

 

「真に側に居て欲しいと願う人がそこに居ない! 真に側に居て欲しいと想う人は、絶対にそこには居られない!! そしてそれは闇舞北斗、お前が原因で起きてしまった事!!!」

「ッ!」

 

日本刀の刃はその素材を軟鉄で構成している。軟鉄はその名の通り柔らかい鉄であるが、その分一方向からの力に対して粘り強く、ちょっとやそっとの事では折れはしない。だがそれも、改造人間の握力で握られては……

はっと顔を上げ、慌てて刃を引く北斗。

だが白刃は、レオウルフの手の皮一枚すら裂くことなく……

 

“ガキィインッ!”

 

その長きに渡る生涯を、まっとうした。

 

「俺が俺であり続けるために必要な大切なモノを奪ったのがお前なら、答えろ! 今の俺はいったい何だ!? あいつら(・・・・)が側に居ない今の俺は、いったい何なんだ!!?」

「グッ……!」

「答えやがれ! 闇舞北斗!!」

 

とうとう最強の刃さえ砕かれ、もはや本当に打つ手なしといった北斗に、なお襲い掛かるレオウルフ。かつてない速さで繰り出される技の数々は、その悉くが急所を狙った必殺の攻撃だ。

とうとうレオウルフが、本気を出したのだ。

正光が折られたと同時に大きく飛び退いた北斗との間合いを詰めるのに要した時間は僅か0.03秒。

明心館に伝わる数々の套路を繰り出すのに要した時間はさらに短い0.001秒。

もはや改造人間・闇舞北斗の超感覚を以ってしても知覚不可能なスピードで放たれる攻撃に急所という急所を貫かれ、破壊され、ついに満身創痍の戦士は追い詰められる。

 

「“気拳散弾”――――――!」

 

その名の通り、散弾銃のように広範囲にわたって放たれた気拳の一発が、北斗の右腕を捉える。

直後、鮮烈な閃光がスパークし、肉の焦げる嫌な臭いが辺りに充満した。

真っ赤に染められた地面に、“ゴトリ…”と、それなりの質量を持った何かが無造作に転がる。

北斗の、右腕だ。

見れば、彼の肘から下……本来そこにあるべきはずのパーツは、完全に消失してしまっていた。鋭い刃で切られたというよりは、圧倒的な力で捻じ切られたと表現する方がしっくりくる切断面だけが残されている。断面からは人工骨にへばり付いていたであろう強化筋肉がだらしなく垂れ下がり、太く細かい筋繊維の上を、筋に沿って鮮血が滴っている。

痛みは、あまりなかった。

ナノマシンの麻酔作用の影響か、それとも単に連続して襲い来る激痛に肉体が慣れてしまったのか、ショック症状を起こすほどの痛みは感じられない。

しかし、ダメージは確実に彼の体に蓄積されていた。

右腕を失ったことで崩れた身体の重心バランス……転倒しそうになるのを必死に堪え、取り戻そうと踏ん張りを効かした直後、つんのめるようにして蹲る北斗。

敵を目前にして晒した醜態は、溜まるに溜まった内傷の疼きゆえの結果だ。もはや致命的なまでに累積した肺腑へのダメージが、右腕の寸断をきっかけに一気に爆発したのだろう。

必死に転倒だけはするまいと、笑う左脚を叱咤して、辛うじて体を支える彼だったが、それも杖代わりの、中ほどまで折れてしまった正光を取り払ってしまえば、地に腹を付ける破目になるのは必至である。

そして無情にも復讐に燃える改造人間の音速の攻撃は、満身創痍の改造人間の体を容赦なく滅多打ちにする。

今やマッハ3を軽く凌駕する攻撃の数々は、受けた瞬間はそれほどでもなく、受けて数瞬後に、ようやく痛みが一斉に甦る。その苦痛の、なんと凄絶なことか。

しかし今の北斗を、肉体の痛み以上に苛むのは攻撃とともに吐き出される獅狼の言葉だった。

もはや急所に弾丸を受けたところで何の痛痒も感じぬ北斗の胸を抉る言葉という鉄拳は、秒間数千発という速さで繰り出される猛襲以上に、北斗の心を追い詰めていた。

 

「痛いか?」

「痛くて意識が飛びそうか?」

「でもな、俺もあの時は……いや、今でも痛い思いをしてるんだぜ?」

「身体の痛み以上によぉ……」

「胸が…すっげぇ痛いんだ」

「お前を殴るとき」

「お前に殴られるとき」

「夜、ひとりで春香のことを思い出すとき……」

「何でこんな事になっちまったんだろうって、思うその度に、すっげぇ痛むんだよ。胸が!」

 

決して埋めることの出来ない胸の穴。

至上の快楽も、至高の幸福を以ってしても塞ぐことの出来ない心の傷。

それは絶望という名の虚ろな死病だった。自分の半身とでも言うべき少女の喪失と、もはやどれほど願ったところで絶対に彼女が自分の側に居てくれることはないという悲しい現実から生じた、決して癒えぬ病だった

盲目の改造人間は悟る。

今の小島獅狼は、彼自身言うように非情の復讐鬼などではなかった。

今、目の前の男を突き動かし、戦いへと駆り立てる原動力は、この世全ての憎悪の念を集めて煮て溶かした炉の中の、焦熱の復讐心などではなかった。

果て無き絶望と、決して満たされることのない心の飢え。

憎しみよりもなお強く、一層禍々しいエネルギーに突き動かされる今の彼は、『復讐鬼』などという形容で、その総てを言い表せるような存在ではない。

他者では決して目視することの叶わぬ暗黒の牢獄に心を囚われ病魔に蝕まれ、その実体を知れば鬼哭啾々甚だしいことは確実であろう異端の科学にその身を犯された今の彼は、鬼ですらない。

どうしようもない絶望と圧倒的な虚無に心を蹂躙されながら、なお気迫凛然、憤怒に身を焦がす今の彼を、一言で言い表すのは難しい。だが彼自身が望むように、あえてその試みを成すのならば、それは『亡国の英雄』とでも形容しようか。

自らの大切なものを失い、戦う気力の失せた体を、それでもなお必死に奮い立たせ、もはやとうに失われた己の信ずるもののために戦う、悲劇の騎士

その笑顔を守るためならば、この身を悪鬼羅刹にやつしても構わぬとさえ思った少女を失い、魂のない抜け殻同然の肉体を、絶望と虚無から湧き出る力で必死に奮い立たせ、復讐の名目の下戦う王者の風格をたたえた異端児。

はたして、物語に語られる数々の勇者と、今の獅狼との間に、いったいどれほどの違いがあるというのだろう?

はたして、小島獅狼が復讐鬼でないのなら、そもそもこの戦いはいったい何だというのだろう?

 

「俺は誰だ?」

「俺は何だ!?」

「一度で一気に大切なモンを全部なくして!」

「自分というものさえ見失った今の俺は!!」

「いったいなんなんだ!!!」

 

狂おしいほどの痛みを浴びながら、隻腕の改造人間は思う。

いやそもそも、小島獅狼をそんな亡国の英雄同然の身に落魄させたのは他ならぬ自分だ。

親友の心の内には露ほどの関心も向けず、その青銅色をした気高き瞳の奥にあった地獄のような懊悩と失意に気が付かなかった愚か者は、他ならぬ自分だ。

悔やんでも悔やみきれぬ罪の意識。

もはやどうすることも出来ない現実を前にして、世界最強の男は心身ともに打ちのめされる。

拳に。

そして言葉に。

 

「俺はもう、小島獅狼なんて男じゃない。大切なあいつら(・・・・)を失った今の俺は、生ける屍も同然だ!」

 

戦闘の天才と呼ばれた改造人間は絶望する。

親友が胸の内に抱え込んでいた心の闇の、そのあまりの深さと暗さ、狂奔する失意の旋風の、過酷さに。

そして、もはやどう足掻いたところで、決してそんな親友の心を救うことなど出来はしないという、突きつけられた悲しい現実に。

 

「なら、それでも良い! あいつら(・・・・)が居ないこの世界に、俺が生きている意味なんてない。未練もない。お前を喰らって、俺も死んでやる。それで、すべての幕引きにしよう!」

 

決して誰も救われることのない、最悪の結末。

片腕を失い、今や心さえも打ち砕かれる寸前の改造人間は、しかし、その優れた聴力を以ってしても、その言葉の中に隠された、ある事実に気付かない。

小島獅狼という男が小島獅狼であるために欠かせない、彼の大切なもの……それが、複数形で言い表されているという事実に。

そしてその事が、この状況の中、どれほど重要な意味を持っているのかに。

改造人間は、気付かない。

 

「今日この場所で! 俺達が出会ったこの学校で!! 全部の決着を着けてやるッ!!!

闇舞北斗ぉぉぉぉぉぉおおおッッッ!!!!!」

 

咆哮するレオウルフ。

総身を苛む苦痛に翻弄される北斗には、その雄叫びが救いを求める悲鳴のように聞こえた。

 

 

 

 

 

自分の発言に対して、過去、今夜ほど後悔したことがあっただろうか?

ほんの数十分前、快活に笑う男に、自分には2人の戦いを見届ける義務があると自ら告げた女は、目の前で繰り広げられる凄惨な光景から、目を逸らしたくなる自分を律するのに必死だった。

初めて間近で見た改造人間同士の戦いは、今日まで彼女が抱き、構築してきた常識や価値観を徹底的に破壊し、2人が流す夥しい量の出血は、彼女の強い意思を揺るがせる強力な武器となっていた。

しかし、それでも最初のうちは光も、2人の戦いから目を背けようなどとは思わなかった。

むしろ己の全てを……命を賭けて戦う男達の姿に心を揺さぶられ、『変身』した獅狼の姿から聞こえてる生命の賛歌に、聞き惚れ、見惚れさえした。

それが変わってきたのは、数秒として留まることなく、転々と戦場を移動する2人を追って階段を駆け下り、校庭の、出来るだけ目立たない場所に身を潜めてすぐのことだった。

『変身』した獅狼に容赦なく撃ち込まれる無数の銃弾。2発のミサイル。

連続して夜闇に繚乱するオレンジ色の光芒を見つめながら、そのとき、光は言い様のない不安を感じた。

いわゆる、女の勘というやつだろうか。

軍事に関してはまったくの素人である光にも、いかな改造人間といえど、それだけの砲火に身を晒しては無事では済まないということぐらい分かる。2発のミサイルは確かに小型だが、『ダーク』で開発された特殊な高性能火薬を弾頭に使用しており、1発で装甲車を沈黙させるだけの威力を有しているとは、四国での一件の後北斗から聞かされた知識だ。

にも拘わらず、彼女は胸の内で込み上げる不安を拭い去ることが出来なかった。

はたして、漠然とした不安は的中すると同時に形を成した。

 

「……っつぅ〜〜〜! さすがに今のはやばかったぜぇ」

 

粉塵の中から飛び出してくる青白い砲弾と、その直後現れた無傷の改造人間。

“何か”が狂い始めた瞬間であると、光の直感が告げていた。

そして次の瞬間、彼女の直感は現実のものとなった。

それからはあっという間だった。

互角と思われていた戦いの形勢が僅かに傾き始め、次第に手の付けようがないほど大きく動いていく。

愛する男の攻撃は、美しき改造人間には何も通じず、

愛する男の反撃は、美しき改造人間の前に無為と化し、

愛する男の防御は、美しき改造人間には通用しない。

美しき改造人間の防御は鉄壁で、

美しき改造人間の反撃は的確で、

美しき改造人間の攻撃はあまりにも強力だった。

戦いは次第に2人の男の命を賭けた決闘から、異形の改造人間による一方的な私刑の様相を極めていった。

そして、

 

 

 

 

 

「いりゃああああああッッッ!!!」

「うぉおおおおおお――――――ッッッ!!!」

 

 

 

 

 

2人の改造人間の必殺技が激突して、

 

 

 

 

 

「ぐぁああああっ……!!」

 

 

 

 

 

2人の形勢が、この戦いを見守る女神の天秤が、どうしようもないほどに傾いてしまった。

自らの持つ最強の技を破られ、本格的に打つ手のない状況に追いやられた北斗は、その上さらに追い詰められていった。

獅狼の手から放たれた無数の光弾が、北斗の右足を貫いた。

獅狼の放った光弾の弾幕が、北斗の右腕を切断した。

平時ならば喜んで耳に入れたであろう愛する人の熱烈な言葉も、もはや光の耳には届かない。

彼女の耳に飛び込んでくるのは、愛する人の悲鳴と、絶叫と、怨嵯の叫びと、そして美しき破壊者の巨大な顎から吐き出される、痛切な言葉ばかりだ。

 

「俺は誰だ?」

「俺は何だ!?」

「一度で一気に大切なモンを全部なくして!」

「自分というものさえ見失った今の俺は!!」

「いったいなんなんだ!!!」

 

あの、見ていて飽きない笑顔を浮かべていた男の声で、一枚の絵画を思わせる美しい合成獣の姿で、しかし、あまりにも醜悪で、哀しみに溢れていて、それでいて力強い感情を剥き出して、狂ったように拳を振るう獅狼。

まだ直接会って1日と経っていない相手であったが、光はその短い時間の中ですでに彼の溢れんばかりの魅力の虜になっていた。

底抜けに明るくて、笑顔が良く似合う男の人で……誰よりも一途で、誰からも好かれる小島獅狼という男のことが、あの山口達同様好きになっていた。

だからこそ光は獅狼の哀しみに咽びきながら拳を振るう姿は見たくなかったし、彼の悲哀に満ちた言葉を聞きたくはなかった。

また、そんな彼の手によって追い詰められ、とうとう右半身全ての機能を奪われた北斗の無惨な姿を、愛する人の、後悔と自責の念に苦しむその姿を、見たくはなかった。

出来ることなら、今この場で自らの両目をくり抜いて、両側の耳に蓋をしてしまいたいぐらいだった。

けれども、光は目を逸らそうとはしなかった。耳を塞ごうともしなかった。

この場からすぐに逃げ出すことを理性に勧める本能を、必死で叱咤して自制し、2人の戦いを見つめ続けた。

それは自分の言った言葉に対する責任感というよりは、この戦いの全てを見届けた後に続く未来を……北斗が夢想し、自分もまた欲している、自分と、北斗と、獅狼の、3人の未来を信じているからこその行動だった。

戦いの先で待っている未来……ただそれを信じて、光は男達の死闘を見つめ続けた。

自らは牙を持たず、ただただ自分の無力さに嘆くしかない女は、愛する男を信じて、2人の死闘を見つめ続けた。

その真摯な視線を向ける姿は、獅狼の嘆きも、悲しみも、怒りも、その心の虚無も許容し、そして北斗の憤りも、後悔も、自責も、その心の慟哭さえも抱き止める、聖母のようですらあった。

 

 

 

 

 

レオウルフの手元で、無数の閃光が迸った。

といっても、すでに北斗の視界は完全に真っ白な闇で覆われていたため、彼自身がその光を見ることは出来なかった。

しかし、仮に視界が鮮明であったとして、その虹色の閃光を北斗はどうにかすることが出来たであろうか?

おそらく、何も出来ないに違いない。

レオウルフの拳速は内功によって際限なく加速し、すでにマッハ4を超えていた。

対する北斗の拳速は、万全の状態であってもせいぜい秒速26.1メートルが関の山。カウンターはおろか、まともなディフェンスすら間に合わない。

まして今の北斗は満身創痍に加えて盲目の状態である。

レオウルフの攻撃が必中し得ない道理はなく、肉体を滅多打ちにされた北斗は、一撃一撃を受けるその都度、体から生きるために必要な、大切な“何か”を削ぎ落とされていった。

レオウルフの手刀が唸り、北斗の左腕が切断される。

悲鳴は上げなかった。

痛みという感覚は、今や彼の体からはとうに消え失せてしまっていた。

それは正常な機能を失ったナノマシンの作用ではなく、この世に生を受けて30年の間、未だ誰にも手を触れさせていない不浄の脳が、限界許容量を超えた苦痛を拒んでの反応だった。

もはや北斗は、レオウルフに対して有効な手だてを失っただけでなく、襲いくる攻撃から自らの身を守り、抵抗するだけの力すらも失っていた。

ただ生きることに貪欲な身体だけが、一秒でも長く生き続けるために必要なメカニズムを起動させるばかりだった。

とうの北斗自身の理性は、すでに生きることを半ば諦めかけているというのに……

そう、彼の体は勝つための手段を失っただけでなく、戦う気力さえ失いつつあった。

 

(俺は……)

 

立ちはだかる強大な力の壁。

だがそれ以上に、今の北斗に重く圧し掛かる過去の罪業。

それらの要因が大きな荒波となって、彼の思考を虚無の世界へと押し流していく。

 

(俺は、間違っていたのか? 俺の行動は、そんなにお前を追い詰めてしまったのか?)

 

愛する者のための決断だった。

愛する者のための裏切りだった。

だが、その結果はどうだ?

親友を傷つけ、自分までもを傷つけ、挙句の果てに、大切な親友を、掛け替えのない友達を、人外の化生にまで陥れてしまった。

いや、それだけではない。

これまでにも自分は、多くの人間を傷つけ、多くの人間を裏切ってきた。

今回の一件は、そんな過去の罪業のほんの一部……氷山の一角が表出したにすぎない。

仮にこの場をしのいだところで、これからも悲劇は続くだろうし、また、これからも自分は戦い続けなければならないだろう。

自分がこれからも、浅ましく生き続ける限り……

 

(光……)

 

思えば、今夜の死闘は彼女に累が及んでしまったことから始まった。

いつ何時も襲撃者の影に怯えねばならない生活……だがそれも、自分だけに火の粉が降りかかるのであればまだ許容出来る。

しかし、実際に起きてしまったのは、愛する人と、何の関係もない人々の誘拐。

自分ひとりをおびき寄せるために引き起こされた茶番劇。

今回はたまたま誘拐犯が人格者だったおかげで危害こそ加えられなかったが、それはむしろ僥倖と言って良いだろう。

普通は誘拐されたら、無傷では済まない。

もし、これからも自分が生き続け、悲劇が続くのだとしたら、そんな暮らしに、これからも彼女は巻き込まれることになる。

そんな過酷な日常を、これからも彼女に強いてしまうことになる。

そして、そんな生活の中で自分達が天寿をまっとう出来るかどうかは、絶望的だ。

 

(……俺は、光のためにもここで死ぬべきなのかもしれない)

 

あれほど“生きる”ことに執着し、光に、『闇舞北斗は闇舞光と2人で1人なんだ』と、告げた男は、目前に迫る死を前にして、そんな考えすら抱いていた。

少なくとも、今ここで自分が死ねば、もうこれ以上彼女に累が及ぶことはない。

光にはとても悲しい思いをさせてしまうことになるだろうが、彼女の命が失われるよりはマシだ。

抵抗を諦めた北斗は、レオウルフの攻撃のされるがままになって、ついには部活棟の外壁に激突した。

新雪に飛び込んだようにコンクリートの壁に埋没しながら、北斗はとうとう最期の時が、間近に迫っているのを感じた。

 

「無様だな。北斗」

 

蔑みの言葉もほとんど聞こえない。

視力だけでなく、聴力までもが低下している証拠だ。

 

「……やるなら、一思いにやってくれ」

 

壊れかけの自分の耳では、上手く発声出来たかどうかは分からない。

実際、北斗の声帯はすでに損傷し、言葉はちゃんとした発音を伴ってはいなかった。脅威の集音力を誇るレオウルフの耳だからこそ、聞こえているようなものだ。

レオウルフの眦が、かっとつり上がった。

 

「闇舞さんとの約束はどうしたんだよ? 裏切るつもりか?」

「光にはすまないと思っている……」

 

北斗の言葉に、狼の瞳が、獅子の眼差しが、静かな怒りに染まった。

人外の化生、正体不明の改造人間にまで身をやつしても、やはり小島獅狼は小島獅狼だった。

愛する人との約束を反故にする北斗の、生きることを諦めたような態度に、彼は腹を立てていた。

しかし、レオウルフはその事であえて北斗を怒鳴りつけようとは思わなかった。

自身口下手であると自認する彼は、代わりに、虚しかった14年もの月日をかけて編み出した、自らの持つ最強の牙を剥くべく、気息を整えた。

“気功”を扱う上で感情がもたらすパワーはむしろこの場合悪影響を及ぼす。

自分はまだ、人の烈々たる感情が生むパワーと、人の静謐なる集中力から生まれる“気”のパワーとを、上手く融合させる境地には達していない。

集中するのだ。

心を静謐にし、ただ相手を倒すことだけを考えろ…。

 

「……安心しな。痛くはしないからよ」

「頼む」

 

全身を駆け巡る宇宙の神秘のパワー。

それを、ただひとつの拳にのみ集中させる。

極限の集中力から生まれた圧倒的な“気”は、レオウルフの右腕を赤く、燃え盛る太陽の色に発光させた。

その眩い輝きを北斗が目にすることは出来なかったが、一種幻想的な光景は、肌に触れる光の温もりを経て、彼の脳裏に明確なビジョンとしてしっかりと焼きついた。

 

(光……春香……ごめんな……)

 

北斗は、胸中で2人の女に謝りながら、その時を待った。

 

 

 

 

 

そして……

 

 

 

 

 

――明心館巻島流空手・赤龍拳改

 

 

静謐な獅狼の心に、真っ赤に燃える太陽が浮かんだ。

太陽の像に重なって、北斗の顔、そして春香の顔が脳裏に浮かんだ。

獅狼は、自分にしか見えない太陽に向かって、万感の思いを篭めて極限まで“気”を集中させた拳を突き出した。

 

 

――――吼破・太陽!!!

 

 

音速の何十倍もの境地に至った改造人間の拳が、

圧倒的な攻撃力を有した無数の打撃が、

ありえない伸びを見せて、

ありえない熱と輝きを伴って、

最強の戦闘者の身に、

獅狼にしか見えない太陽に、

襲い掛かる!

 

(光……)

 

万を超える攻撃の前に北斗の意識は、闇へと呑まれていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜設定〜

 

 

“小島獅狼(1973年ver)”

 

身長:180cm 体重:90kg

 

14年の歳月を経北斗の前に現れた獅狼。その身体は、暗黒科学の粋を結集して生み出された異端の改造人間であった!

基本的な顔立ちは変わっていないが、怪人クラスの改造手術を施されているからか、歳相応の外見の北斗と違い、その容姿は20代前半にしか見えない。

 

 

“レオウルフ”

 

身長:195cm 体重:90kg

動力出力:約895hp/3400rpm

最高視力:約4.5km先の人間の顔を識別可能

最高聴力:約3km四方の囁き声を識別可能

ジャンプ力:ひととび約20m

走力:100mを2秒

パンチ力:約13t/m^2

平均拳速:53.2m/s

キック力:約40t/m^2(ロー)、約30t/m^2(ハイ)

武器:獅子のパワーと狼のスピード、伸縮自在の爪、鋭い牙、胸からの高熱火炎

必殺技:吼破・春舞、吼破・太陽

 

改造人間となった小島獅狼が変身する、獅子と狼の特性を備えた合成怪人。

特定の任務のために製作された特殊な怪人ではなく、最初から戦闘用として改造されているため、高い戦闘力と汎用性を誇る。

その戦力は猫科最強の動物たるライオンのパワーと、犬科最強の動物たるオオカミのスピードを兼ね備えた、高いスペックを有したボディに支えられ、特に近接戦闘・格闘戦・白兵戦闘を得意としている。主な武器は伸縮・硬軟化自在の爪と鋭い牙。胸部の獅子の口から放たれる高熱火炎。

第1回の改造手術施行は1959年の11月で、かなり古いが、以降も全11回に及ぶ強化改造手術により、最新型の改造人間にも負けない戦闘力を持っている。

攻撃力・防御力・機動性といった矛盾する性能を、高いレベルでバランス良く備えたレオウルフであるが、その戦力は素体となった小島獅狼の努力によって、さらに飛躍的に高まっている。

特筆すべきは改造人間で初めて“気”を操れるということで、内功を全開にしたときの戦闘力は、1対で大国の陸軍1個師団にも匹敵する。

単純なスペックだけならば大幹部クラスの怪人にも匹敵する能力を持っているが、素体による性能の個体差が激しく、量産はされなかった。

現存する個体は小島獅狼ただひとりであり、その意味で本話登場のレオウルフはかなり貴重な存在といえる。

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

 

 

 

タハ乱暴(以下“タ”)「いよいよ『北斗VS獅狼』の戦いも佳境です」

真一郎(以下“真”)「長かったよなぁ。最初は一話限りの一発キャラとして作ったはずの獅狼さんとの因縁が、まさかここまで続くとは……」

タ「うん。まったくもって予想外だった。まさか俺の中で小島獅狼というキャラクターが、こんなに大きくなるとは思わなかったよ」

真「……さて、『Heroes of Heart外伝』第十四話、お読みいただきありがとうございました!」

タ「今回の話はいかがだったでしょうか? 今回もこの駄目人間の、読者置いてきぼりの駄文にお付き合いいただき大変恐縮であります」

真「いやホント。読者置いてきぼりなのはいつものことだけど、今回の話は特に読者置いてきぼりの展開だったな。ちゃんと最後まで読んでくれた人……っていうか、この文を読んでくれてる人いるのか?」

タ「いやいや、そんなの気にしてたら文章なんて書けないって! 俺らは、この世界に住んでいる、名前も知らないどこかの誰かが、きっと読んでくれているって信じて書かないと。端から読んでいるはずがないなんて思ったら駄目だよ真一郎クン?」

獅狼(以下“獅”)「そうだぜ真一郎? 人と人が仲良く付き合っていくためのだ一歩は、お互いが相手を信じることだ」

真「う〜ん、タハ乱暴が言うから認めたくないけど正論だな……って、獅狼さん!?」

獅「おう。……そういや、君とはこうしてちゃんと顔を合わすのはこれが最初だったな。初めまして。小島獅狼だ。今回のあとがきは俺と、タハ乱暴と、真一郎の3人で進行するってことだから」

真「そ、そうだったんですか(聞いてないぞタハ乱暴〜!)。……と、ところで、俺達の3人でってことは、闇舞さんは?」

タ「あいつは今回おやすみ。今、本編で大変なことになっているから」

獅「北斗はこの話の主人公だからなぁ。ピンチも仕事のうちってことさ」

真(大変な状況に陥れた張本人がそれを言いますか……)

 

 

 

真「ところで今回の話はいつもより5割増しで拳法色の強い話でしたね」

獅「そうだな。突然中国拳法の流派とか内家拳法とかの話が出たりで…なんかタハ乱暴の知ってる中国武術総出演! ……みたいな感じだったな」

タ「いや、べつに突然出したつもりはないんだけど……ちょっと説明して良い?」

獅「説明っつうか言い訳だろ? 駄目だ駄目だ」

タ「酷い言い草だな、おい。……まぁ、今回内家拳法の話を出した理由は、読者の皆さんに調べていただくとして…」

真「コラコラ」

獅「yahooの検索で“赤龍拳”で調べてくれれば、察しの良い人ならすぐにピンとくると思うぜ。ヒントは、北斗は超能力者だってこと」

タ「特撮ヒーローの世界では6千年以上続く因縁の戦いなんだよね。超能力者と、気功武術家の戦いってのは。

……と、まぁ、中国拳法の話は置いとくとして、実際今回の話は作者の俺が呆れるぐらいバトル色の濃い話だったな」

獅「そうだな。比率としては前話の方がバトルの文章量自体は多かったけどよ、今回は内容が濃い」

真「しかも主人公やられっぱなしだし…読んでいるコッチが悲しくなるぐらいボロボロだな、闇舞さん」

タ「いやぁ…俺も両腕を捥いだのはやりすぎだったとちょっとだけ後悔している」

獅「ちょっとだけかよ。しかもその残虐非道な真似を俺にやらせやがって……」

タ「HAHAHAHAHA! それはレオウルフの強さをより際立たせるための趣向さ。実際、プロットの段階ではレオウルフはここまで強くはなかったし、内家拳法も使わない予定だったんだから」

 

 

 

タ「実際、現実問題として最近の北斗は強すぎたからな。生身でマルダーやヒュイコブラと戦ったり、普通の人間だった頃ですら、改造人間とタイマン張って相討ちに持ち込んだり。ここらで一発特別強力なのと戦わせようと思ったんだ」

獅「ああ…それで俺があんな強くなっちまったのか」

真「でもそれだとパワーバランスのインフレで、下手すると話がマンネリ化しないか?」

獅「ああ、それは俺も思った。そこんところはどう考えてんだよ?」

タ「どう考えるも何も……このままの路線でいくよ」

真「良いのか? 『北○の拳』とか『ドラ○ンボール』は話が面白かったからそれなりの人気を保ってたけど、正直この話、そんなに面白くないぞ」

タ「ズバリ痛いところを突いてくれるなぁ。…でもまぁ、外伝の物語ってのは、ただでさえ強力な男が、より強力な超存在に立ち向かい、乗り越えていくっていう、昔の少年漫画の王道的パターンを踏襲した物語でもあるからな。だから、これでいいのだ!」

獅「ちなみに考えなしのタハ乱暴は外伝中にもうひとつ、超強力なのを用意しているらしい。好ご期待ってやつだな」

 

 

 

タ「さてさて、早いもので今年(2006年)ももう12月。去年に続いて今年は色々なことがあったものです」

獅「おいおい。まだ一年を振り返るには早いって!」

真「そうだ。お前は一刻も早くこの話の続きを世間様に公表出来るよう手を動かせ」

タ「いやいや、そうは言ってもだな。なかなかこれで忙しい身なんだよ」

真「本当か?」

タ「本当だ! 最近はパソコンの前に座ること自体稀だし…」

獅「……まぁ、眼の健康のこと考えれば良い事だと思うぜ?」

タ「そ、そうだろうそうだろう!」

獅「けど、早く続きを書いてくれってのには賛成だな。……ということでタハ乱暴、さっさと手ぇ、動かせ」

タ「むぅ……人の苦労も知らずにこの息子達は……」

真「俺のお父さんは違う人だろうが。

……はい! 『Heroes of Heart外伝第十四話』、今回もお読みいただきありがとうございました!」

タ「次回もまたこの愚か者の駄文をお読みいただけるのなら、これ以上の幸福はありません」

獅「それじゃあ皆、また次回会おうぜ!」






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