注)このSSは独自の設定に基づいて構成されています。原作とはまったく違う設定で書かれておりますので、そういったものが嫌いなお方はプラウザの『戻る』を押して下さい。それでも読んで下さる奇特な方は、どうぞ下へとお進み下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレビを見る時は部屋を明るくして離れて見てね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――生田市・市民病院病棟前広場――

 

 

 

 

 

「それじゃ…いこうか!」

 

誰よりも早く先陣を切ったのは恐怖の吸血蝙蝠……TYPE-Bat

大仰に腕と一体化した両翼を展開した赤い瞳の蝙蝠は、“ふわり”と、地上10メートルの辺りまで舞い上がるや一気に急降下急加速。

さながら漆黒の砲弾の如く、Batはホッパーキングに襲い掛かる。

 

「ッ!」

 

鋭敏化された五感とヘルメットに完備された各種センサーを用いて、脅威の接近を知覚したホッパーキングは、当然それを躱そうとして――身動きが取れないことに気が付いた。

 

「これは……糸!?」

 

手足を物凄い力で無理矢理締め付けられる感覚。力の正体はなんであろう、ピアノ線よりも細い糸だった。

剛性と柔軟性を兼ね備え、粘着力すら有した細い糸が、ホッパーキングの両手両足を拘束していた。

 

「クッ!」

 

手首の動きだけでクリスタルソードを一閃し、とりあえず両手の拘束を解くホッパーキング。

続いてすぐさま両足を絡めとる糸を切断しようとしたそのとき、ホッパーキングは胸に大きな衝撃を受けた。

 

「余所見はいけないなあ、相川君」

 

Batの、聴く者を戦慄させる甘い声に包まれながら、ホッパーキングは大地に伏せる。

 

「真一郎さん!」

「伊波田、お前ェッ!!」

 

Batの体当たりでブチブチと千切れてしまった糸を巻き取るSpiderに、怒りで声をわななかせ、リスティ――デルタホワイトが挑みかかる。

 

「ブーメラン……シュート!」

 

空を裂くホワイトブーメラン。

それに遅れて前方より襲い掛かるデルタブラスターのビーム。

そして天より降り注ぐ稲妻。

初撃はおそらく回避されるだろう。しかしブーメランは躱されても空中で旋回し、第二撃を背後から見舞う。三方からの攻撃の前には、Spiderはなす術もなく焼け焦げるに違いない。

しかし、事態はホワイトの狙い通りには進まなかった。

Spiderの運動能力は、彼女の予想をはるかに上回っていたのである。

 

「あら、危ないわね」

 

高速で飛来するブーメランをなんと素手でキャッチし、Spiderは一直線に伸びるビーム粒子を奪ったホワイトブーメランで捌く。ビームの熱でブーメランの表面はたちまち黒く染まり、煤を散らしながらSpiderはブーメランを天へと投げた。

 

“バチィッ!”

 

避雷針。

自らの放った攻撃の全てを、めいめいの方法で防がれ、さすがのホワイトも愕然とする。

そして、意識がそちらに逸れたその一瞬の隙を突いて、Spiderはホワイトへと肉薄した。

 

「駄目じゃないの、エルシー。こんな危ない物を私に向けたら」

 

まるで我が子をたしなめる母親のように優しい口調で、しかし乱暴にもSpiderは左手の巨大な鉤爪でデルタブラスターを弾き飛ばす。

そして、必然がら空きになったボディに攻撃を――

 

「リスティッ!」

 

ホワイトとSpiderの間に、強引に割り込む四条の閃光。

ブラッククローを滑らせる美緒――デルタブラックは、2人の間に割って入るや、特殊合金製の刃をクロスし、Spiderに挑みかかった。

特殊合金製のブレードと鍵爪が激しくぶつかり合い、火花を散らす。

 

“ガキィッ! ガンガンッ”

 

「あら? 誰かと思ったらもしかしていつぞやの子猫ちゃん? ……大きくなったわね」

「アンタはいつの間にかすっかりオバさんだねッ」

「オバ……ちょっと! 私はまだそんな歳じゃないわよ」

「でも、あたし達から見たら十分オバサン……」

「…美緒、年増を苛めるのはよしなよ」

 

ブラックとSpiderが激突する間に、体勢を立て直したホワイトはメタルブレードを抜く。

 

「年増って……まったく、いつからこんなに口が悪くなったのかしらね、この子は」

「安心してよ。少なくとも、アンタに似たわけじゃないから…………さ!」

 

2人の斬撃の応酬の最中、僅かに生じた刹那の隙。その隙を突いて、ホワイトもまた再び参戦する。

これで戦況は2体1の勝負。単純な手数のみで考えれば、Spiderは先刻までの2倍の数の攻撃を受けねばならない。

 

“ガキガキガキィンッ! キィンッ、キィンッ”

 

「アンタに似たわけじゃない、か……。親としてはちょっとショックな台詞ね」

「誰が親だって? 誰が?」

「あら、私に決まってるでしょ?」

「…………」

「ちょっと、なんでそこで黙るのよ?」

「……違う」

「え?」

「絶対に違う! ボクの親は耕介と、愛と……さざなみ寮のみんなだけだ!!」

「あたし的にはリスティみたいな娘はやだなぁ」

「ボク的には美緒はどっちかっていうと……手の焼ける妹?」

「私的にはあなた達2人は小生意気なクソガキってところかしら」

「伊波田、キミも結構……いや、かなり口悪い」

 

素早い身のこなしから生まれるブラックの連続攻撃と、トリッキーなホワイトの攻撃。

しかし、Spiderはその2人の連携攻撃を相手に、普通に会話するだけの余裕をまだ失ってはいなかった。

むしろ劣勢なのは攻撃を加える2人の方だった。息切れが目立ち始め、攻撃の手も徐々に鈍りつつある2人は、一見優勢なれど一瞬たりとも気の抜けない、奇妙な状況に追い込まれていた。

真一郎達のように人体の構造そのものを変化させるのではなく、身体能力を強化服で増幅しているにすぎないデルタハーツの面々は、スタミナ面において常人とそれほどの差はない。『人外の存在との戦闘』なんて激しい運動を行えば当然筋肉は疲労し、動きは緩慢になってしまう。

日々の鍛錬で誰よりもその事をよく知っている美由希――デルタイエローは、2人の様子がおかしいことに気付くや、反射的に2人を助けるべく刃を躍らせていた。

……しかし、忘れてはならない。敵は、BatSpiderだけではないのだ。

イエローの救済の刃は、決して届かない。

 

Now lording……Weapon call……Emerald dagger !

 

振り下ろされた2本1対の刃を受け止めるは、同じく2本1対の刃。刃渡り20センチほどの刀身に鮮やかなエメラルドグリーンの輝きを秘めた、2本のダガー。

TYPE-Vixenがイエローの動きを察知して、反応から運動するまでに要した時間は僅かコンマ1秒。驚愕に値する神経伝達速度であるが、イエローは構わず小太刀を振るい、一刻も早くVixenを退けてホワイトとブラックの2人を救おうと身を躍らせる。

 

「はあ―――ッ!」

 

 

――小太刀二刀御神流・花菱!

 

 

連続的に繰り出される斬撃の嵐。

 

「あら、よっ、ほっ、ていっ」

 

気の抜けた気合ながら、両手のダガーを流れるような動作で振るい、Vixenは繰り出される攻撃を捌いていく。

 

「なら……!」

 

驚愕はなかった。イエローは花菱を放ったときよりもさらに高速で、迷わず奥儀を放つ。

 

 

――虎切!

 

 

「あら、まだ速くなるんですの?」

 

即応性に優れる分、一撃に篭める力を分散しているがゆえに威力、剣速の両面で劣る“花菱”と違い、斬撃を一発に絞った“虎切”のスピードは、“花菱”のそれよりも段違いに速い。加えて、美由希の技量の下放たれた斬撃は、凄まじい技の鋭さを有している。

しかし、驚愕の声とは裏腹に、放たれた斬撃をVixenはこともなげに左のダガーで受け、肘の反動で威力を殺しながら、すかさず右のダガーで刃そのものを弾く。

 

「ッ!」

 

人は見かけによらないというか、なんというか。

変身前は3人の中でも最も普通で、最もか弱そうな印象の少女は、その実、他の2人と比較しても遜色のない戦闘力を有していたのだ。

少なくとも、スピードだけなら3人の中では群を抜いている。イエローとVixenの技量の差は、一連の攻防からも明らかであり、本来ならVixenはイエローの斬撃を捌くことはおろか、避けることすら不可能なはずである。そのVixenが、イエローの攻撃をことごとく捌き続けているという事実は、彼女のスピードが圧倒的力量差をも跳ね除けるだけのものであるという事に、ほかならない。

その速度は、デルタスーツのヘルメット・バイザーのディスプレイに、はっきりとした数字で、冷酷に表示されていた。

 

「ダガー先端部の最大速度、秒速400メートル……って!?」

「美由希さん、今、援護を!」

 

2本1対のダガーが鳴らす刃風は、音と実像がすでに剥離していた。

実際に振るわれるダガーの速度はそれより数段劣るとはいえ、いずれホワイトやブラックのようにイエローもまたスタミナ切れに陥るとすれば、このスピードは脅威だ。

レッドとブルーは、イエローのスタミナが切れる前に何とか状況を打開しようと、ホルスターからデルタブラスターを引き抜くが――――

 

Now lording……Weapon call……Ruby saber !

 

突如響いた電子音が、彼女達の意識をそちらへと向けさした。

 

「……切り刻んであげるよ」

 

それはBatの甘い声だった。その声は不吉なことに、2人の少女達の背後でした。

陶酔に振り向く間も与えられなかった。突如として背中に鋭い衝撃を受けた2人は、飛来した人間大の何かに巻き込まれ、大地にうつ伏せになって倒れてしまう。痛みに苦悶の悲鳴を漏らしながら振り向くと、そこには――

 

「あ、相川さん!?」

 

――Batに投げ飛ばされたホッパーキングが、2人の上に覆いかぶさっていた。レッドの悲痛な叫びが、病院の庭に響き渡る。

しかし悲しいかな、飛蝗の王がその絶叫に反応を示してくれることはない。ただ口から苦痛の呻きとともに濁った血を漏らす王は、2人の細い身体に拠りかかることでしか、その身を襲う激痛に耐えられないでいる。

 

「いけないなぁ、紳士としてなっちゃいないよ。いきなり女の子を、後ろから2人とも押し倒すなんて…」

 

右手に真紅の輝きを放つ刀身のサーベルを携え、まるで演劇の舞台上にいるかのように、優雅な立ち振る舞いでBatはゆっくりと3人……否、ホッパーキングへと近付いていく。

サーベルにはBatの……氷村遊の性格を繁栄してか、過剰なまでの煌びやかな装飾が施されていた。美しい黄金の細工と、色とりどりの宝石の輝きは、紅い刀身の輝きをも隠さんとしている。本来は目を奪われるような美しさに、しかしBatの接近を見つめるレッドとブルーは、背筋が凍るような恐怖感を覚えた。

本来、人殺しのための道具である武器に過度の装飾は必要ない。しかし、“儀礼用”という使用目的のために造られた刀剣の、なんと神聖で美しいことか。その姿からは『人殺し』という言葉は連想されず、ただ儀礼のために用いられることで生じる厳かな雰囲気と、『美しい』という印象しか残らない。

だが、ひとたびその儀礼のために装飾された武器が、『人殺し』という目的のために使われたとしたら…………過度な装飾は、人の生命を奪う凶器の禍々しさを強調させるだけの、不要な存在でしかない。

 

「女の子を押し倒すのなら、それなりの順序ってものを踏まないとね」

「ウ…グゥ……アァ……ッ」

 

無防備な背中を天に晒し続けるホッパーキングを、戦慄の美しさを持つ夜の貴公子は容赦なく凶刃を振るう。

 

「まずはその心を蹂躙して!」

 

“ズシャアッ!”

 

「それから肉体をゆっくり支配していくんだ」

 

“ブシュッ ザシュッ”

 

「心と身体に絶対なる服従と絶望を与え……」

 

“ズパァアンッ!”

 

「女のすべてを支配するんだ。そのうえで、最後に押し倒す」

 

“グォシャアッ!”

 

「ポイントはそれまで自分からは何もせず、相手の方からしてくるように仕向けることだね。――でないと、無理矢理は犯罪になってしまうから」

「グッ…この……悪趣味野郎……ッ!」

 

破砕したヘルメットから覗く牙が“ギチギチ”と震え、ホッパーキングは呻くように言葉を吐き出す。全身のあらゆる箇所を斬られ、突かれ、醜く裂かれ…何度も言葉にしようとして、その度に身を襲う激痛に阻まれ……ようやく声帯を震わせ、声に出したのがそれだった。

Batは、ニヤリと残酷な笑みを浮かべた。異形の顔になってなお、その仕草は元の氷村遊その人のものであることを連想させた。異形の表情からはホッパーキングの言葉に対して、彼が何を思ったのかを察することは出来ない。ただ彼は、レッドのブルーの眼前で、痛みに苦しみ、もがき続ける哀れな王の身体を、天高く蹴り上げた!

 

「ッ!?」

 

二重の衝撃が、ホッパーキングを襲った。ひとつは、突如として重力を見失ったことに対する驚愕。そしてもうひとつは――――

 

Time up ! Time up ! TYPE-grasshopper’s mode is forced to cancel !

 

空中で、不意に“ガクン”と奇妙な制動がホッパーキングの身を襲う。それは、シンデレラにかけられた魔法が解ける瞬間だった。

見る見るうちに、激痛とともに強靭な甲殻がしなやかな肌色の皮膚へと変貌する。肥大化した複眼や牙が人間のそれへと戻り、たちまち変身解除の苦痛に苦しむ美貌の青年の表情が、露わとなった。

正規の動力源を使用していない『M.R.ユニット』が、活動限界を迎えたことによる強制変身解除。それは最悪のタイミングで、訪れてしまった。

そして万有の法則は、すべての者に対して、あまりにも平等であった。質量は関係ない。大きさも関係ない。ただ宇宙の重量は…地球の引力は、真一郎の体を求めた。

 

『相川さんッ(先輩)(しんいちろー)!!』

 

予期せず5人の悲鳴が重なるも……

 

「余所見をしている余裕が、あるのかしら?」

 

紅の刃が地を向くことはなく……

 

「――あら? これは……」

 

重力に引き寄せられる真一郎の落下が、止まることはなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Heroes of Heart
〜ハートの英雄達〜
第拾肆話「それぞれの戦場」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ドサッ”

 

生身の体でゆうに5メートルは落下し、痛みのあまり受身すら取れなかった真一郎は地面に激突したその瞬間悶絶し、気を失った。

 

「……いったい何のつもりだい?」

 

獲物――それも憎き復讐の対象――にトドメを刺し損ねたBatは、紅の刃を地面へと向けたまま、彼の腕に指を絡めたVixenに喰ってかかる。口調こそ穏やかではあったが、全身から隠しようのない殺気を放つBatは、目の前の同胞に対して明らかな敵意の視線を向けていた。

常人ならば歴戦の勇者であろうとたちまち戦意を失うような恐ろしい視線を真っ向から受け止めて、しかしVixenは物怖じすることもなく、冷たく言う。

 

「つい今しがた、“多聞天”からの撤退命令が下りました」

「撤退命令だと?」

 

Vixenの言葉に、怪訝に聞き返すBat。彼は詳しい説明を求めてVixenの返答を待ったが、彼女は沈黙のまま頷くだけだった。そんな彼女の態度に、Bat口調に自身の苛立ちを篭めながら、

 

「そんな命令、僕には関係ない。命令だって? いったい何の権限があってそんな事が出来るんだ。僕達4人は全員が同格の『ヘルショッカー』“四天王”。互いに命令を下すことはおろか、お互いのやる事にだって不可侵のはず……」

「あら、“多聞天”は別よ」

 

いつの間に回り込んだのか、SpiderBatの背後から耳元で囁くように言った。Spiderの爪なら、秒とかからずに相手を刺殺出来る至近距離だ。

見ると、戦っていたはずのホワイトとブラックは、満身創痍の状態で息を切らしながら、こちらを見ている。

 

「“多聞天”は私達の中でも特別な存在だもの。……それともなにかしら? あなた、まさか彼を敵に回すつもり?」

「そうですよ。“多聞天”を怒らせると、後が恐いですよ」

「う……」

 

2人の言う“多聞天”とやらのことを思い浮かべたのか、Batの異形が青ざめる。その様子を見、彼らの会話を聞いていたホワイトは愕然とした。(――あれだけの戦闘力を持つあいつらが、あそこまで恐れる存在なのか? その、“多聞天”というのは……)と。

 

「……分かったよ。“増長天”、“広目天”」

 

未だ納得のいかなそうなBatであったが、彼は真紅のルビーの輝きを放つサーベルを剣と一緒に召喚した鞘に納め、“ふわり”と地面を蹴った。

それと同じくして、SpiderVixenも、病院の壁を登り、建物の屋上へと至る。つい先刻は、ホッパーキングが梟男達と戦っていた、その場所に。

茫然と見上げる5人を眼下に見下ろし、3体の悪魔は冷たく言った。

 

「――今回はこれで退くけど…決して僕らのことを忘れるな。僕は『ヘルショッカー』四天王のひとり、東の“持国天”」

「私は西の“広目天”。先輩方、またお会いしましょう」

「私は南の“増長天”よ。憶えておいてね、エルシー」

 

それぞれがそれぞれ、めいめいの言葉をその場に残し、3体の悪魔は、彼女達の視界から消え去った。

……後に残されたのは――――

 

“ドサッ”

 

荒廃した大地と、

 

「り、リスティさん!? 美緒ちゃん!?」

 

絶望する人々。そして、

 

「…! 私は相川さんを運びます。那美さんと我那覇さんは2人を!」

 

……傷ついた戦士達だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――生田市・市民病院屋上――

 

 

 

 

 

「……どういうことだ、アレは?」

 

給水タンクの上から事の成り行きを静観していた牙龍は、怪訝な視線を隣に立つ男に向けた。

表情にはいかようにでもトドメを刺すことのできる状況にありながら、あえてそうしなかった“持国天”達の行動に対する不信の色がありありと浮かんでいる。

龍臣の視線を真っ向から受け止める男……“多聞天”は、飄然とした態度で牙龍の問いに答えた。

 

「どういうことも何も、最初に言っただろうが。デモンストレーションだと。…別にあの場でトドメを刺しても何の問題もなかったが、まだそちらの返事を聞いていないからな」

 

いったい何がそんなに可笑しいのか、多聞天は冷笑を浮かべて、向き直る。

 

「さて、もう一度最初から言おうか。我々『ヘルショッカー』は、あなた方『龍』に対して同盟協定を申し出たい。我々からの要求は、あなた方が仮面ライダーネメシスから手を引くこと。アレは元々我が組織からの脱走者でね、アレの後始末は、我々に行う義務がある。アレがあなた方に対して攻撃を仕掛けてきた場合は仕方がないが、それでも出来る限り反撃は控えて、その際は我々を呼んでもらいたい。

その代わり、我々はあなた方の目的遂行の手助けをしよう。ネメシスと三心戦隊デルタハーツ。世界の空を守る国際空軍U.A.と、母なる大地を守護する地球平和守備隊。そしてそれ以外の、あなた方の目的遂行の邪魔をするすべての輩を、我々が一手に引き受けよう」

「まるで我々の目的が何であるのか、知っているような口ぶりだな」

 

無表情で牙龍が言った。

今や彼の胸中に下界で起きた出来事に対する不信はなく、あるのは、目の前の男と、その背後にいる、全容のつかめぬ組織に対する、より大きな不信だった。

多聞天は牙龍の言葉に、『待っていました』とばかりにニヤリと笑った。

 

「……東の空に千の魂を送りしとき、龍の王なる魂が、高きところより青の宝玉へと舞い降りる」

「貴様……」

 

うすらぼやけた不信は、はっきりとした敵意へと変わった。

 

「何故、『断魂』の意味を知っている?」

「勉強したのさ。お前達について」

 

一触即発の緊張した空気が、屋上を蹂躙する。

自分達の最終目的は、外部の者には絶対に知られてはならない機密中の機密。それを知り、何の躊躇いもなく語ってみせるこの男、そして〈ヘルショッカー〉は、どう好意的に捉えても、『龍』に仇なす敵以外の何者でもない。

召還した青龍刀に剣呑な気配を纏わせ、牙龍は、そして背後の翼龍は、臨戦態勢に即座に身構えた。状況は二対一で明らかに牙龍らの方が優勢だ。

触れればそれだけで切れてしまうような鋭い切っ先を向けられながら、しかし状況不利な多聞天は平然と言葉を紡いだ。

 

「邪推するなよ。俺達はお前達の狩りの邪魔をするつもりはない。少なくとも、組織の狙いはあくまで仮面ライダーネメシスひとりだけだ。他の事は、正直どうだっていい。お前達の存在にしたところで、本来なら我々の関与するところではなかった。

だが、当のネメシスがお前達を狙っているのなら、話は別だ。街のひとつふたつといえばそれまでだが、『木を隠すなら森』という言葉もある。アレ一体だけを捜索するのは、なかなか困難だ。膨大なエネルギーが必要になる。しかし、お前達が暴れているところに奴が必ず現れてくれるのなら、捜索なんてやらずとも、お前達の周辺に網を張っておけば、それだけの労力ですむ」

「……我々は貴様らの釣りの餌というわけか」

「気に障ったのなら、申し訳ない。…しかし、釣りの餌か。上手い表現だな。ネメシスという大物が釣れるまでには、デルタハーツのような小物も釣れるだろう。そのときは釣り人の我々を呼んでくれ。その際、餌のお前達がどんな行動を取ったとしても、こちらは決して介入しない」

「我々が『断魂』の儀を行っても、手は出さないと?」

 

多聞天は頷いた。

 

「悪い話ではないだろう? 我々が一切の敵を引き受け、お前たちは『断魂』の遂行にのみ全力を集中させることが出来る。リスクはむしろ、我々の方にのみあり、お前達の方には、メリットしかない」

「上手い話には、何かしらの裏があるのが世の常だが……」

 

言いながら、牙龍は警戒の態度をいっそう強くしながらも、青龍刀の切っ先を地面に向ける。

未だ牙龍の中で多聞天は油断ならぬ相手であったが、組織の代弁者を自称する彼が嘘を言っているようには思えない。

それに、多聞天からはまったくといっていいほど敵意が感じられず、相手がどのような存在であれ、敵意なき者に刃を向けるのは、牙龍の戦いの流儀からは遠く外れていた。

牙龍は、視線を下界に注いだ。

眼科では、比較的軽傷ですんだ三人の少女が、重傷の仲間達を助け起こそうとしている。

 

「……」

 

互いに助け合おうとするその姿を見ているだけで、虫唾が走った。

“ギリリ”と噛み合う歯を鳴らす牙龍の胸中では、静かな怒りの炎がめらめらと燃え盛っていた。

憤怒に燃える龍臣の眼差しは、同時に深い哀しみをもたたえていた。

 

「牙龍……?」

 

自分を心配してくれているのか、不安げな翼龍の視線に自らもまた視線で応えると、彼は隣にいる男へと向き直った。

 

「仮面ライダーネメシスは、俺達の敵だ。そしてデルタハーツ、ホッパーキングは……」

 

蟲龍から聞いた話によれば、()に実際にトドメを刺したのはネメシスの『カーズド・ライト・キック』だ。しかし、()が無抵抗のままその技を受けなければならぬほどにを追い詰めたのは――――

 

「……甲龍の仇だ」

 

甲龍は、自分が傷を癒すため眠っている間に、ネメシス達の手にかかったのだという。そして自分は、彼が倒れたその直後に、目覚めた。

もし、あの時、一日でも早く自分が復活していれば……そんな“たられば”がもう遅いことは分かっている。しかし、分かっているからこそそう考えずにはいられない。そして、その時その場に居合わすことが出来なかった自分の身が、呪わしくて仕方がない。

 

「個人的な感情から言わせてもらえば、俺自身は自分達の手で仲間の仇を取りたいと思っている。だから、貴様らのその申し出は、とてもではないが受け入れられるものではない。

しかし、純粋に組織の利害を考えるのなら、貴様らの申し出は一考する価値のあるものだろう」

 

憤怒を言葉に孕ませ、口から憎悪を吐き出した牙龍は、男に背を向け、歩き出した。慌てて翼龍も、それを追う。

 

「……残念だが俺の一存では決められん。しかし、同盟が無事成立するようには努力しよう」

「そりゃあ、よかった」

 

牙龍の前向きな返答に、男は表情をほころばせた。少年のようなその笑顔が向けられる背中は、しかし多くの戦友を失った悲しみゆえか、どこか泣いているようにも見える。

 

「みなに話してみよう。……翼龍も、それでよいな?」

「わたしは牙龍が決めたことなら……」

「良い返事を、期待しているだぎゃあよ。それと――――」

 

振り返る牙龍に、多聞天は何かを投げ渡した。

牙龍が手の中を見てみると、それは小型のトランシーバーのような機械だった。

 

「俺達と連絡を取りたいときに、使ってちょお。電波の届く範囲は、良好な状態で200キロメートルは届く。…ああ、勿論発信機の類ではないで」

「……分かった」

 

正直、人間の機械について牙龍は何ら知識を持っていなかったが、とりあえず彼はそう答えた。洞に帰ったらまずこの機械の使い方について、蟲龍から指導を受けなければ。

 

「連絡係はワイっちゅうことだから、一応常に海鳴には居るつもりだぎゃあ。電波が届かなくなることは、ないと思うで」

「……それも了解した」

 

要領のつかない返事をして、二体の龍臣は歩みを再会した。

改めて背を向けた牙龍達が、再び立ち止まることはもうなかった。

 

 

 

 

 

 

――海鳴市・私立聖祥学園初等部校舎――

 

 

 

 

 

教員用の昇降口にある下駄箱で、持参してきたスリッパに履き替え職員室へと向かう。途中出会った何人かの生徒達に道順を訊ね、3分と経たずに着いたその場所で、手短に用件を告げた北斗はしばしの間待たされた。

校門を潜る前にも確認した時計が指す時刻はまだ3時7分。もっと大勢の教員や生徒の姿があって良いような気もしたが、春休みに入ったばかりの職員室は、その広さのわりに人の姿が見えない。女子校だからか、目に見える範囲に居る教員はみな女性ばかりだ。……妙に肌にまとわりつく視線を感じるのは、北斗の気のせいではないだろう。

やがて5分ほど待つと、学年主任兼教頭の秋永祥子が姿を現した。やや白髪の混じった頭の、初老の上品そうな女性である。ぱっと見ただけだったが、北斗はその立ち居振る舞いから気品のようなものを感じた。

 

「闇舞北斗先生ですね?」

 

丁寧な口調だが、決して慇懃なものではなく、柔らかな物腰の話し方である。

 

「はい。急なお電話の上急な来訪…失礼とは重々承知していますが、お通しいただきありがとうございます」

「いえいえ、私どもこそそちらの都合も考えずにすぐに来てほしいだなんて。……ああ言われては、断りたくても断れなかったでしょう?」

「いえ。その点はご心配なく。今日都合が良かったのは、本当のことですから」

 

言いながら、持ってきた免許証と履歴書、書類の束を手渡す。

秋永教頭は素早く免許証に目を通すとすぐにそれを北斗に返し、継いで書類の方に目を通し始める。

 

「……書類の方に不備はないようですね。闇舞先生は、以前は高校の方で働いていたようですけど、小学校での勤務経験は?」

「いえ。教育実習のときに少しばかりやった程度です。後はずっと、高校に勤務していました。高校の方では、何度か担任も務めさせていただきましたが…」

「部活動の顧問は?」

「一応、空手部に」

 

まぁ、こんなお嬢様学校に空手部があるわけもないだろうが……と、内心で苦笑を浮かべる。

 

「そうですか。……それで、いつから来られますか?」

「……は?」

 

思わず間の抜けた声を上げてしまう北斗。

 

「ですから、いつからならこちらで働くことが出来ますか?」

「……必要な書類や、情報さえあれば明日からにでも」

「では、明日から来てください」

「はぁ!?」

 

今度は大声を上げてしまい、周りから注目されてしまった。慌てて口を塞ぐがもう遅い。

とりあえず北斗は、恐ろしく速いスピードで流れていく状況を把握するべく、目の前の女性に対して語りかけた。

 

「あの、それは採用された…と、考えてよろしいのでしょうか?」

「ええ。そうですよ。……何かご不満でも?」

「いえ、不満はありませんが。普通、こういうものはもう少し時間をかけて、ちゃんとした手続きを踏むべきではないのか……と」

「闇舞先生は真面目な方ですのね」

 

やんわりとした笑みを浮かべる秋永教頭。たしかに、このような名門校に就職しようとして、何の審査もちゃんとした手続きもなしに教師として採用されるというのは、普通は両手を上げて喜ぶべき幸運なのかもしれない。

とはいえ、甘すぎる話には何か裏がある……それが常識であったのが、北斗の生きた世界だ。疑ってかかるのは、仕方のないことといえた。

だが、次に浮かべた秋永教頭の、泣き笑いのような困った表情を見ては、さすがの北斗も疑念という刃を鞘に納めざるをえない。

 

「まぁ…普通はそうなのかもしれませんが……今は、少し普通とは状況が違いますから」

「……」

 

『龍』を名乗る謎の怪集団と、続発する怪事件。加速度的に悪くなる治安。今、この海鳴市に生きる住人、すべてが抱える不安。とりわけこの学園に集う人々には、僅か数週間前に初等部のスクールバスの停車場で起きた、北斗自身も直接関与した“雷龍”に関する事件の衝撃はひとしおであったことだろう。

 

「若い先生の中には、今のこの状況が恐くて辞めてしまった人達もいます。初等部ではありませんが、高等部の先生で、繁華街の事件に巻き込まれて亡くなった方もいます」

「……ッ!」

 

繁華街の事件……“針龍”によって引き起こされた、最初の『龍』による惨劇。それによる、極めて初期の段階での被害者の中に、この学園の教師がまぎれていた。

それは北斗にとって衝撃の事実だった。知らぬうちに両の拳を硬く握り、ダイヤモンドの硬度の歯を強く噛み締める。

――あの時、自分がもっと早く不破に指示を出しておけば……あの時、自分も一緒に現場へ向かっていれば……もしかしたら、助けられたかもしれない命。自分の身に何が起こったのかも分からずに、ただ圧倒的な暴力を前に抗う術すら与えられなかった、無罪の命。

その事を思い、どうしようもない後悔と自責の念に苦しむ北斗。

消えてしまった命はもはやどうすることも出来ない……おそらくこの場において、自分自身が最もよく知るその道理を、彼は呪わずにはいられなかった。

 

「それでも春休みまでは若い先生方も頑張って1年を終わらせてくれました。ですから一度に何人もの先生方が辞められても、文句は言えませんでした。

……緊急の募集を学園のホームページに載せたのはもう2週間も前のことですが、申し込みがあったのは闇舞先生を含めてまだ2人だけです」

 

聖祥女学園という名門ゆえの知名度を鑑みれば、募集を始めて2週間でたった2人という数字は、本来ありえるものではない。おそらく、現在の海鳴の近況を知って外の都市の人間はおろか、海鳴市に在住する人々も、怯えてしまったのだろう。

そして、未だ海鳴がそうした状況から脱せないのは、自分達が『龍』を始めとする諸々の敵を駆逐出来ていないからで……

 

(すみません……)

 

胸の内で紡がれた謝罪の言葉は、当然目の前の秋永教頭には聞こえない。だからといって、声に出して言うわけにはいかなかった。

代わりの北斗は、意を決したように精悍な目つきで彼女を見た。もはや彼の瞳に、今更自分が教壇に立って何を教えるのか……という、迷いはなかった。

 

「……明日からの仕事に必要な書類をください。それと、春休み中の業務内容と部活動についての資料も」

「……闇舞先生?」

「明日から出ます。部活動の顧問については、出来る範囲で前向きに検討します」

 

そう言って北斗は、その表情に力強い笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

――さざなみ女子寮――

 

 

 

 

 

国際空軍U.A.極東支部の輸送部隊に所属するUH−1“イロコイ”汎用ヘリコプターが、ゆっくりとホバリング状態からさざなみ寮の前に降りてくる。増槽を装着した際のこのヘリの最大航続距離は500kmを超える。途中で給油さえしっかりすれば、富士山麓に基地を構える極東支部からはさざなみ寮までは、余裕で辿り着くことが出来る。

分厚い防弾ガラスの向こう側にあるその顔を見て、出迎えのために外に出た真雪は、複雑な表情を浮かべた。

キャビンには190センチを超える大男の姿はなく、その妻だけが座っていた。普段の見慣れた格好ではなく、空軍の制服に身を包んだ愛は、二割増ぐらいで凛々しく見える。襟首に付けられた階級章は、今朝出発するときに真雪が見たときより、ラインが一本増えていた。

UH−1の足が、黒い地面にそっと着地した。

メイン・ローターがゆっくりと回転のスピードを緩め、やがてエンジンの唸りだけがやけに耳に残るようになる。

スライド・ドアが開いて、キャビンから愛が降りてきた。

彼女は二・三ヘリのパイロットと言葉を交わすと、丁寧にお辞儀をした。おそらくここまで運んでくれた彼に礼を言っているのだろうが、上官から頭を下げられて、むしろヘリのパイロットは焦ったように恐縮している。

真雪は苦笑しながらその様子を眺めていた。

やがて愛がヘリから荷物を降ろすと、ヘリのパイロットはおっとりとした上官から逃げるように、UH−1の高度をぐんぐん上げた。500メートルほどの高度を取ると、ゆっくりと巡航速度で前進を始める。時速204kmのスピードで空の疾走を始め、たちまちその姿が見えなくなっていく。

しばし時間が過ぎて、その姿が見えなくなると、真雪は愛のもとへと近付いた。

 

「ただいま帰りました」

「うん。お帰り」

 

真雪が一応の上官に軽く敬礼し、愛がそれに答礼する。

それっきり、ふたりはそれ以上の言葉を交わすことなく、互いにしばし見つめ合った。

愛も真雪も、相手に訊きたい事はたくさんあったが、それを上手く言葉に出来なかった。互いに相手に遠慮している……というのもある。

遠くの方で、遠ざかるヘリのローター音が鳴っている。

やがて真雪が沈黙に耐えかねたのか、複雑な面持ちのまま口を開いた。

 

「あ〜…その……どう、言葉にすればいいのか、よく分かんないんだけどさ……とりあえず、昇進おめでとう。新長官(・・・)殿」

「ありがとうございます……って、ここはいうべきなんでしょうね」

 

愛は複雑に微笑した。

真雪は、溜め息をついて少し寂しげなその笑みを見つめていた。普段、見ているだけで自然と優しい気持ちにさせてくれる愛の笑みも、今日ばかりはかわいた印象しか感じられなかった。

 

(素直に喜べるわきゃねぇよな…)

 

友の心中を察して真雪の表情は、自然と憂いの色に染まってしまう。

実際当事者でない真雪自身もまた、複雑な心境なのだ。

 

「耕介は? 病院?」

「はい。一足先に、みなさんの様子を見てくるって」

「そう…」

「真雪さんの方は? 例の組織について、何か分かりましたか?」

「いいや。まだ、調査途中」

 

真雪は首を横に振った。

 

「空軍のマザー・コンピュータにアクセスしたけど、あたしの階級じゃ引き出せる情報も高が知れているからね。それでも、過去に〈ショッカー〉の名を冠する組織の情報は、いくつか引き出せた。今度の連中……『ヘルショッカー』が、これら他の組織と関係があると、いいんだけど」

 

『龍』に続いて突如出現した、『ヘルショッカー』なる謎の組織。報告を受けた真雪は、過去にその組織の活動記録がなかったか、空軍のコンピュータで調べていた。『さざなみ』を始めとする東アジア圏に存在する、国際空軍のコンピュータは、ローカル・エリア・ネットワーク(LAN)によって極東支部のマザー・コンピュータと繋がっている。

 

「リスティが帰ってきたら、そっち方面からも調べてみるよ。軍の方にはなくても、警察の方には何かデータがあるかもしれないし」

「わかりました。私も、大佐権限で出来るだけ調べてみます」

 

国際空軍内における真雪の階級は大尉。本日付で大佐に任命された愛がコンピュータから引き出せる情報量は、真雪のそれとは比較にならない。もっとも、決して機械が得意とはいえない愛だから、別の意味で引き出せる情報量は限られてしまうだろうが。

ふたりは荷物を持つと、我が家までの短い道のりを歩いた。

さすがに寮の手前にヘリを下ろすわけにはいかなかったので、ふたりが今いる場所はさざなみ女子寮からは少し離れている。現在寮の留守を預かっているのは、勇也と愛歌の双子の姉弟だ。

 

「ところで……」

 

玄関の手前まで歩いて、真雪が言った。

彼女の手には、この場にいない耕介の荷物がある。

 

「耕介の降格の理由は?」

 

やや間があって、愛は静かに答えた。

 

「……司令官の立場にありながら指揮を自ら放棄したこと。それからジェットホーク・Mの無断使用だそうです」

「そう…」

 

愛の明瞭な返答――正確には、愛の口から語られた上層部の至極当然な論理――に、しかし真雪はやりきれないものを感じた。

あのときは誰が舵を取っていたとしても、ああ(・・)するより他になかった。あのとき耕介がジェットホークに乗って戦場に駆けつけねば、対怪獣戦闘の経験のないデルタハーツは間違いなく全滅していただろう。

耕介の勇敢な行動は5人の命を……いや、彼女達が倒された後、レッドキングがもたらす破壊によって犠牲となっていたであろう多くの命をも救ったのだ。彼の行動は褒められこそすれ、罰せられるべきではない。

しかし、組織という一個のシステムの中で、耕介の取った行動は決して賞賛されるものではない。司令長官が司令室から勝手に居なくなることは、決して犯してはいけない罪だ。

この場にいない耕介の胸中を思うと………………真雪は、凝り固まった表情を緩めることが出来なかった。

 

 

 

 

 

――生田市・市民病院――

 

 

 

 

 

 

襲撃の後の市民病院は、さながら野戦病院へと早変わりしていた。

『ヘルショッカー』四天王・多聞天曰く、『デモンストレーション』に利用された人々は、幸いにも死者こそ出さずにすんだものの、入院患者14名、外来患者25名、見舞い客17名、病院関係者10名、その他3名の、計69名が大なり小なりの怪我を負うという、大惨事を引き起こしてしまった。

あまりの怪我人の多さに突如フル稼働を余儀なくされた病院側は、医者の数が足りず、今日は非番の医師や看護師までもが駆り出され、その対処に当たることとなった。

特に重傷だったのが、真一郎、リスティ、美緒の3人だった。

『ヘルショッカー』四天王2人の執拗な攻撃を直接その身に受けた3人の傷は、那美達と比べてもはるかに重く、収容されて即座に緊急手術が行われることになった。

赤く点灯する『手術室』のライトの王冠を頂く扉の前で、3人は長椅子に腰掛け、ドアの向こう側で戦う3人と、彼らの命を救うべく懸命に戦う医師達に、必死の祈りを捧げていた。手術室で眠りながら戦う戦友達に、彼女達がしてやれることはもうそれぐらいしかなかった。那美や耕介の心霊治療や、普段鍛錬で怪我をすることの多い美由希のファーストエイド程度でカバー出来る範囲は、もうとっくに過ぎていた。

リスティ達に何もしてやれない無力感にも苛まれながら、美由希と舞はもう二時間も、後から合流した耕介も、かれこれ一時間以上そうしていた。

手術室の前に那美は居ない。一応動物の久遠を連れている彼女は、傷の手当てを済ませた後、デルタアクセルの番を兼ねて、病院の外で吉報を待っている。不安に思うのは耕介達も同じだが、手術室から遠ざかっている分、彼女の方が不安は大きいだろう。

みなが同じように不安と悲しみで身を引き裂かれんとしている中で、ひとり自責の念にも胸を痛めている男がいた。

耕介だ。

彼は三人――特に真一郎――がこんなことになったのは、自分のせいだと思っていた。

まだ若い彼女達を戦場へと向かわせ、結果、大切な身体に傷を負わせてしまった自分。7年前のときはともかく、今となっては民間人の真一郎や、完全に民間人だった美由希を戦いに巻き込んでしまった自分。義理の娘と、自分のことを本当の父親のように慕ってくれる娘を、むざむざ死神の鎌が振り下ろされるその場所へと送り込んだ自分……耕介は過去の自分を呪わずにはいられなかった。さざなみの()長官として、己が下した判断を悔いた。

 

「美緒ちゃん達……大丈夫でしょうか?」

 

耕介は膝頭の上で組み合わせた両手から、視線を隣に座る少女へと向けた。

口を開いたのは舞だった。

二時間以上にわたるどんよりとした沈黙が、彼女の舌を動かしていた。何か喋っていないと、気が落ち着かないのだろう。その心理は自分もよく分かる。

年上であり寮の管理人であり、彼女の仮初めの父であり上官でもある彼は、舞がこれ以上不安にならぬよう精一杯の笑みを浮かべながら、言った。

 

「大丈夫さ。真一郎君はフランス外人部隊の叩き上げだし、美緒の生命力はほとんど野生の動物並だ。リスティは病弱だけど、それでもすごいバイタリティに溢れている。3人とも、普通の人間と比べたら、よっぽど丈夫な体をしているよ」

 

本人達の目の前で言えば、失礼なことこの上ない単語で言葉を飾り、耕介はさらに続ける。

次に唇から漏れ出た言葉は、自分自身にも言い聞かせるような、そんな響きを孕んでいた。

 

「先生達も頑張ってくれているんだ。……だから、大丈夫さ」

 

そう、大丈夫だ。大丈夫の、はずだ。

この病院に勤める医療スタッフは優秀だ。重症患者の二人や三人、ちょちょいと魔法みたいに治してくれる。そうに違いない。

耕介は舞の顔から視線をはずすと、いくつも連立して並ぶ手術室に続く遠い道とを隔てるクリーム色の扉を、縋るような眼差しで見た。

――お願いだ。みんなを助けてくれ!

しかし、複合素材で出来た扉は、さらに一時間が経過しても耕介の心の訴えに答えてくれることはなかった。

 

「ところで耕介さん……」

 

3人の緊急手術が始まって、あと10分で4時間になろうとしていたとき、再び舞が口を開いた。もともと活発な性格の彼女は、こうした淀んだ沈黙を嫌う傾向がある。

耕介はそんな普段明るい彼女の表情が、暗く落ち込んでいるのが悲しかった。

 

「空軍をクビになったって、本当ですか?」

「…べつにクビになったわけじゃないよ」

 

耕介は苦笑した。過激な言葉遣いは、彼女なりに場の空気を少しでも軽くしようという気遣いだろう。

 

「大佐だったのが中佐に降格して、長官職を降ろされただけ。そりゃ、しばらくは謹慎って話だけど、今まで通りちゃんとお給料は振り込まれます」

「それで、愛さんが大佐に昇格して長官になって、稼ぎは奥さんの方が上と」

「ぐはぁ」

 

耕介は思わず呻いた。

隣で美由希がくすくすと小さく笑っている。

ほんの僅かではあったが、場の空気が少しだけ軽くなったのが実感できた。

舞はさらに続けて、普通だったら聞きにくいことを訊ねた。

 

「でも、愛さんが長官になって、耕介さんが降格ってことは……さざなみの副官は誰になるんです?」

「さあね。その辺りのことは、まだ人事部の方から辞令が下ってないから、何とも言えないな。俺の降格と愛さんの昇格だって、厳密にはまだ正式なものじゃないし」

 

耕介は少しだけ表情を曇らせた。

改めて自分の長官職降格の事実を突きつけられて、彼の心はどんより重かった。

しかし、それを表情に出して美由希達に心配をかけさせるようなことを、耕介は拒んだ。

彼は務めて平静を装いながら、言葉を続けた。

 

「新しい副官が来るか、それとも真雪さん辺りが昇格して副官になるか……どちらにしろ、問題を起こした俺がなることはないだろうから、当分は辞令待ちだな。……ああ、そういえば美由希ちゃん」

 

不意に、話の矛先が自分に向いて、美由希がきょとんとする。

 

「給与申請、どうする? 美由希ちゃんが参加してそろそろ一ヶ月が経つけど、申請さえ出せば今まで分のお給料、貰えるよ?」

 

2月の終わり頃から3月の今日までの約一ヶ月、デルタハーツに参加する美由希の扱いは、未だ超法規的措置による民間からの協力者ということになっている。正式な空軍の隊員ではないから、当然正隊員の那美達に比べれば振り込まれる金額は劣るが、申請さえ出せば普通に給金は入る。

しかし美由希は、今のところその申請を出していなかった。

 

「べつにお金目的で戦っているわけじゃないですから…」

「それは分かっているんだけどね。事務局の方がうるさくて。『払うなら払うでさっさと手続きをすましてくれ』って、極東支部の事務局の曹長殿が、連日のように電話をかけてくるんだ」

「事務局の曹長さん?」

「長崎に居た頃からの、ちょっとした知り合いなんだ。奇妙な男でさ、高校卒業と同時に『戦車乗りになって俺が日本を守るんだー!』って、自衛隊に入って、気が付いたら国際空軍の方に入隊していた。

びっくりしたよ。こっちはてっきり、陸自で戦車乗り回していると思ってたから、空軍の事務局で働いているって聞いて。なんでも、今は空軍の戦闘機パイロットを目指してるらしい」

「それは、また……」

 

いったいどこをどう間違えれば戦車乗りが戦闘機乗りになるのか、名前も顔も知らない耕介の知人に、美由希は苦笑するしかない。

手術が始まって、ついに四時間が経過した。そして同時に、ようやく『手術中』のランプが消えた。

耕介達は儀仗兵のごとく立ち上がった。

扉が開いて最初に出てきたのは、いかにもベテランといった風格を顔から滲み出している、年配の外科医だった。耕介はかつてこの医師が警察病院にも勤め、銃創の処置をした経験があるのを、看護婦長から聞かされていた。

 

「医師としてやれるだけのことをやらせてもらいました。結論から言えば、三人とも手術は成功しました」

「本当ですか!?」

 

耕介が歓声を上げた。

美由希と舞も、彼の大きな身体に隠れてほっと安堵の息を漏らす。

老外科医は、医師としての壮絶な半生の年輪を刻んだ顔に柔和な笑みを浮かべると、

 

「さすがに国際空軍の特殊戦隊に所属するだけのことはあって、みなさん、かなり鍛えていらっしゃる。良い身体をしています。この分なら、そう遠くないうちに起き上がることが出来るでしょう。…ただ、4・5日は入院してもらう必要がありますが」

「ありがとうございます! ……よかった」

 

耕介の瞳から、大粒の涙がこぼれた。

白亜の扉が全開になり、患者搬送車が三台、立て続けに出てきた。

抗生剤と栄養剤を同時に体内へと送る点滴が痛々しいが、麻酔によって深い眠りに落ちている彼らの顔色は、決して悪いようには見えなかった。

耕介は心の中で何度も、何度も、目の前に立つ老医師、搬送車を運ぶ看護士達、少し遅れて手術室から出てきた医師達に、感謝の言葉を述べた。

三人は老医師による入院手続きの説明を受けながら、搬送車の行く末を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

――国際空軍U.A.極東支部――

 

 

 

 

 

「あんな突き放すような言い方で、我々の真意が伝わったでしょうか?」

 

耕介達を帰し、さらに超力戦隊の他のメンバーを退室させ、吾郎と三浦、2人だけになった執務室でかつての英雄の一人は、たった今送られてきた報告書に目を通す上官に向かって静かに言った。

A4の再生紙に印刷されたグラフやら文書やらに視線を注いだまま、三浦は確信の篭もった力強い口調で答える。

 

「仮にもひとつの戦隊を預かる身だ。あの言い方で伝わらないほど、頭の悪い男じゃないさ。今は気付かなくても、いずれは我々の言葉の意味するところを、理解してくれるはずだ。…それより、たった今、科学班から送られてきた報告書だが……」

 

そう言って、吾郎に手渡されたのは、ほんの数時間前までの、この部屋を各種センサーでモニタリングした結果がまとめられた資料だった。

過去に起きたいくつかの事例から、三浦参謀長の執務室のみならず極東支部のほとんどの部屋は、監視カメラを始めとする各種センサーによって24時間体制のモニタリングが行われている。これは内部の反乱や侵入者による工作活動の抑止、過去に幾度となくあった異星人による高級軍人への成り代わりを防ぐための措置で、その監視体制は高級将校が出入りすることの多い部屋であればあるほど、厳重なものとなっていた。

三浦参謀長の執務室には、赤外線やX線を照射できる高解像度監視カメラの他に、放射能を測定するためのガイガーカウンター、生体が発する微細な臭気の差分を検知する臭気センサー、10メートルの距離で人間の心音を検知することが可能な超高感度マイク、量子レベルの波動関数の微妙な差異まで再現してみせる生命アナライザーなどの、どれひとつとっても超一流の技術の産物が備え付けられていた。

吾郎や三浦が特に注目したのは、生命アナライザーの探知結果であった。

全ての生物には固有の生命波動があり、その波形を量子レベルで検出する生命アナライザーが弾き出したデータは、『バラノイア戦争』の英雄ふたりを唸らせるのに、十分な数字を提出していた。

 

「これは……どうやら、我々の予想、そして我々の選択は、間違っていなかったようですね」

「ああ…。槙原大佐、いや中佐の中には今、間違いなく“彼”がいる」

 

8名中の7名が、地球人類として正常な生命波動を発していることを示すデータに視線を落としながら、三浦は確信に満ちた声で断定した。

男達の視線は、異常な生命波動を発している残るひとりの男のデータに集中していた。

執務室の生命アナライザーは、槙原耕介の身体から地球人としての正常な生命波動を検出すると同時に、もうひとつ、地球人類とはまったく別種の、異なる生命波動をも捉えていた。通常、一個の生体からはひとつの生命波動しか検出されないのだが、A4の再生紙に印刷されたデータは、耕介の身体からふたつの生命波動が検出された事実を、個性のないゴシック体の文字で示していた。

そして、その生命波動の波形パターンを、三浦は、吾郎は、よく知っていた。

いや2人だけでなく、三浦達地球防衛の任に就く者であれば、その生命波動を発する存在のことは誰もが知っていなければならないことだった。

前例のない地球防衛の最前線に立ち、自らの体を張って全人類を守ろうとしてくれた、異星からやってきた巨大な超人達。地球人の親友。

彼らのことを知らぬ者など……今の国際空軍には、ひとりして居ない。いや、居てはならない。

 

「…おそらく、槙原中佐はまだ完全に“力”を使いこなせていないはずだ。前回と、前々回の戦闘による2つの戦果だが、“光の巨人”が本調子であれば、事態の収拾はもっと迅速だったはずだ」

「自分もそう思います。過去の資料に記されている彼らの活躍、先日アメリカで出現したコードネーム『パワード』の力は、あんなものじゃなかった」

「うむ。今の槙原中佐には、時間が必要だ。彼が、彼自身の中に宿るあの絶大な力を、使いこなせるようになるまで、自分を鍛えるための時間がな」

 

何か遠い昔のことでも思い出しているのか、妙に生々しく耳に残る三浦の発言に、吾郎は深々と頷いた。

 

「槙原中佐の長官解任と、結果的にそれと重なってしまった本日の病院襲撃事件によるデルタハーツの戦力低下については、すでに()を現地に向かわせた。あとは……」

「例の案件について、ですね?」

 

頷きながら卓上のコンピュータに接続されたキーボードを操作し、三浦は室内の監視カメラとマイクによるモニタリングを停止させる。現在も部屋を覗いている監視員が、星人の成り代わりでないとも限らない。いかに基地の防衛力強化のためとはいえ、それによって重要な機密が外部に漏れるなどあってはならないことだ。そのため、限られた佐官以上の将校にのみ、日ごとに変更される特別なコードを入力することにより、一部のモニタリングを一時的に停止させることが許されていた。

盗聴の心配がなくなったことにより、2人は、それまであえて言うのを避けていた固有名詞を、ようやく口にのぼらせた。

 

「“特別遊撃班チーム・セイバー”、その隊長に、槙原中佐が務まるかどうか……」

「その辺りの資質も、彼に見極めさせるつもりだ。神敬介に……」

 

 

 

 

 

――海鳴市・臨海公園――

 

 

 

 

 

海水浴場と隣接した海鳴市の臨海公園に吹く風は、潮の香りを芳醇に抱えて、男の鼻腔に強い刺激を残した。

春のうららかな陽光に撫でられてきらきらと輝く海洋に時折目を眩ませながら、男はじっとよせる波、かえす波が織り成す、多彩な海の表情の変化を、もうかれこれ一時間も、飽きもせずに見てつめていた。

長身の、大柄な男だった。

古代ギリシアの彫像を思わせる逞しい肉体を薄汚れたブルーグレイのジャケットとジーンズで隠し、隆起するヘラクレスの肩甲骨の先にある大きな手は、革製のライダーグローブに包まれている。若い頃はさぞかし女性にモテたであろう甘いマスクは、長髪によってほとんど目立たぬよう隠蔽されていたが、時折吹く潮風が、男の前髪を掻き乱す瞬間だけ、その端正な顔立ちは衆目の下へと晒された。

誰かと待ち合わせをしているのか、それともこれから演劇にでも行くのか、手にした花束の美しさが、男の一種神性を含んだ美に、さらに拍車をかけている。

広大な海洋を背景にたたずむ男の姿は、まるで一枚の絵画のように、遠目に眺める者達の時間を忘れさせた。

そして、ただ漠然と海を眺め続ける男の時間もまた、そうすることで悠久の彼方へと遡り、止まらせることが出来た。

脳裏に思い浮かぶのは、この地球に住むすべての生命の母たる海の太古の記憶であり、出来るはずもないのに我が物にしようとした人間達の愚かな争いの記憶であり、そして海に夢を託し、海に散っていった男の、亡き亡父の記憶であった。

 

(オヤジ……)

 

あらゆる邪念を振り切って、漠然と海を眺めていると、男は今は亡き父にいつでも会うことが出来た。

人一倍研究熱心で、家庭のことなどてんで顧みず、どうしようもないガンコ者で、その上変人だった。しかし男は、そんな父のことを心から愛していた。

優しい父のあの思い出を、厳しい父のあの言いつけを、いかつい父のあの掌の温もりを、忘れた日は一日としてない。

血の涙を流しながら、愛する息子を戦場へと送り出したあの日の父の、憂いに満ちた表情を、忘れた日は一度としてない。

 

「……」

 

男は、無言で持っていた花束を海へと放った。

男にとって海は父の墓標であり、過去の自分の墓標であり、愛する者達すべてが眠る、神聖なる場所だった。

そしてその海を汚す者達を、男は決して許さなかった。

 

(それじゃあオヤジ、俺はもう行くよ…)

 

胸の奥底で、誰の耳にも届くことのない言葉を発し、男は広い背中を父の墓標に、母なる海に向けて歩き出す。

今、この海鳴には、父の墓標を汚さんとする者達がいる。父が自分に託した思い……平穏なる人々の明日を築くことを邪魔する者達がいる。

忌まわしき地獄の軍団の名を継ぐ異形の群れと、穢れた神話の眷属達。

そして、父が自分にくれた第二の生、第二の肉体には、それらを打ち破るだけの力が備わっている。

ならば、自分のやるべきこと、架せられた使命は、ひとつしかない…。

男の足は、傍らに停められた一台のオートバイへと向けられた。

古臭いデザインが今となっては魅力の、スズキのTM250。

しかし、30年近く過去のモデルにも拘らず、男が跨るそのマシンからは、最新のオートバイの流麗なデザインすらも圧倒する、言葉では言い難い“何か”があった。

男はヘルメットを深く被ると、エンジンをキック。249ccのコンパクトな、しかし力強いエンジンが雄叫びを上げる。

 

(俺が守ってみせる。この海を…この街を……)

 

男は、もう一度だけ海を振り向いて、胸の内で呟いた。

きらきらと輝く水面に映る父の顔が、男には「それでいい」と、笑っているように見えた。

 

 

 

 

 

――????――

 

 

 

 

 

「俺は反対だ」

 

牙龍から『ヘルショッカー』との同盟の話を聞かされて、最初に口を開いたのは蟲龍だった。

 

「甲龍達の仇は俺達自らの手で取るべきだ。仮面ライダーネメシスも、デルタハーツの有象無象どもも、俺達の手で倒すべきだ。そんなわけの分からん連中と同盟を結ぶ必要などない」

「俺も蟲龍の意見に賛成だ。そんな同盟など結んで、わざわざ獲物を減らす必要もない」

 

純粋に甲龍らの仇を自分の手で取りたいと望む蟲龍と、純粋な破壊への欲求ゆえの毒龍の回答。

動機となる理由は違えど、重要なのはそこではない。

彼らの言葉で注目すべきは、2人とも同盟締結は反対しているということただ一点のみだ。

 

「俺の意見は……」

 

みなの視線が、牙龍に集中する。

今のところ翼龍と一緒に、実際に『ヘルショッカー』の人間と接触を果たしている唯一の男は、少なくとも表面上は蟲龍達のように自身の感情を露わにすることはなかった。

 

「メリット・デメリットのみで言えば、このタイミングでの同盟締結は検討の余地あるプランだと思う。すでに10人いた“龍臣”のうち半数以上が倒され、今や我々の手数は決して多いとは言えん。その上で仮面ライダーネメシスや、デルタハーツに構う必要がなくなれば、その分本来の目的である“断魂”に全力を注ぐことが出来る。それに、未だ原因不明の雷龍の死、その背後にいると思われるあの人形めについての調査にも、人員を割くことも可能だろう。だが……」

 

牙龍はそこで一旦言葉を区切った。

脳裏に、散っていった針龍ら仲間達の顔が浮かんでは消えていく。

 

「個人的な、私情を挟んだ意見を述べさせてもらえば、思うところはお前達と一緒だ」

「翼龍はどうだ?」

「わたしは……」

 

皆と一緒だ。本来の目的ひとつのみに全力を以って集中出来ることのメリットが、どれほど大きいかは自分もよく理解している。

しかし、そんな合理的な考えでは割り切れない思いが、牙龍達同様、自分の中にもある。

 

「……うん。わたしもみんなと一緒の意見。頭では同盟を結んだ方がわたし達のためになるって分かってるけど、本当は嫌だって思ってる。なにより、甲龍やみんなの仇を取りたいって思ってる」

「……そうか」

 

全員の意見を聞き終えて、牙龍は小さく嘆息する。

結局のところ、この場に居る全員が、同盟締結の重要性について頭では理解しているものの、しかし内心ではそれぞれの理由から同盟締結について反対しているというわけだ。仮にこのまま同盟を結んだとしても、今のままでは、それが有名無実になる可能性はかなり高い。

自分も含めて、まさか全員が同盟締結には反対しているとは……さてはて、返事を待っているであろう多聞天に、どう説明してやるべきか。

――と、その時、深い洞窟内に、不意に威厳のある重い響きの声がこだました。

 

「どうやら意見は出揃ったようだな」

「そのお声は……!?」

「大祭司ッ!」

 

いつから様子を窺っていたのか、いやそれ以前にいつ帰ってきたのか、長らく龍達の洞窟を留守にしていた大祭司は、再びその姿を配下の“龍臣”達の前に晒した。

突然の大祭司の登場に、しかしその帰還を待ち詫びていた龍達は、少しも心を動かすことなく、身体に慣れ親しんだ動作を取った。

 

「ご帰還、お待ちしておりました」

 

ひざまずく4人の龍臣達。

恭しく垂れた頭の数は3つ。

唯一顔を上げる牙龍は、大祭司の目を見ながら言った。

 

「ご用事の方はもうよろしいので?」

「うむ。その事については、後でみなに話がある。だが、それよりも……」

 

居並ぶ面々の顔を見回す大祭司。

自身が行方をくらました直後、5人居たはずの顔ぶれは、爪龍が1人減って4人になってしまっていた。活動を開始した頃の、半分以下の戦力である。

 

「わたしのいない間に、随分と変わり果てたものよのう。…まさか、あの爪龍さえもがやられるとは……」

 

自身が行方を眩ませる直前、“断魂”の儀を執り行うよう指示を下した龍臣の顔を見れないことに、仮面の大祭司は重い失望の吐息を漏らす。

この場に居並ぶ4人を除けば、爪龍は10人の龍臣の中でも上位に位置する実力の持ち主だった。単純に戦力のみで見れば牙龍や毒龍には劣るものの、任務遂行のためならばどこまでも忠実になれるその性格に、大祭司は絶大な信頼を寄せていた。

 

「その上、『ヘルショッカー』なる怪しげ者どもまで現れおったか…」

 

それまで事の成り行きを傍観していた大祭司は、しばしの間腕を組み、思索にふける。牙龍たちと違って実際に『ヘルショッカー』の使者と接触していない彼は、僅かな情報から現状を把握しなければならない。

やがて思考をまとめ終えた大祭司は、牙龍の目を見ながら口を開いた。

 

「……気に入らぬな」

「は?」

「その、『ヘルショッカー』なる者どもが持ち込んできた同盟の話だ。たしかにメリット・デメリットだけを問題にするのなら、この同盟和睦は我らにとって有益なものだ。それは良い。しかし、何故、き奴らはこの時期にそんな申し出をしてきたのか……」

 

何故、この時期になって彼らは姿を現したのか? 牙龍が話す多聞天の口ぶりからは、『ヘルショッカー』がかなり以前より自分達と仮面ライダーネメシスの戦いを監視していたことが窺える。ということは、本当に自分達に仮面ライダーネメシスを倒されたくなければ、もっと早い段階で何らかのアクションがあったはず。しかし、現実には彼らはよりにもよってこの時期……『龍』の戦力が半減し、圧倒的に手駒の数が不足しているこのタイミングで、姿を見せた。

 

「おそらく、き奴らが仮面ライダーネメシスを我らに倒されては困るというのは、本当のことだろう。しかし、『ヘルショッカー』が我々の組織の戦力が著しく低下するのを見計らっていたかのようなタイミングで現れたのまた、事実だ」

「……たしかに」

 

たしかに、偶然の一致という言葉で片付けることは簡単であろうが、それにしてはあまりにも出来すぎている。

今や自分達の戦力は爪龍の死亡によって当初の4割まで低下し、完全な定数割れを起こしている。人間どもの会社に例えれば、通常の業務すらまともにこなせぬほどの人数しか残っていない。まさに、猫の手も借りたい状況だ。

しかし、『ヘルショッカー』の同盟締結案を受け入れれば、話はまるで違ってくる。失った6割の戦力はあちらが肩代わりしてくれるし、残った4割の戦力は“断魂”にのみ集中することが出来る。逆に同盟締結案を受け入れなければ、このまま4割の戦力で以降の活動をせねばならず……その場合の苦戦は、必至である。

 

「今回の同盟案は、あらかじめ我々が決して無下には出来ぬよう、戦力が低下するのを見計らって提出された可能性がある。『ヘルショッカー』とやら、どうも全面的に信頼出来る相手ではなさそうだ」

「では、同盟締結の話は拒否するのですか?」

「いや……」

 

牙龍の問いに、大祭司は首を横に振って答えた。

 

「『ヘルショッカー』なる者どもは、決して信用出来る相手ではない。しかし、我々の手駒の数が不足しているのもまた事実だ。件の人形の調査。ネメシス以外の何者かによって殺された雷龍の調査。そして、我らが神を呼び寄せるための“断魂”の儀を、すべて同時に執り行うには、手勢が足らん」

「……では、やはり同盟締結を受け入れるのですか?」

「いた仕方あるまい」

 

蟲龍と毒龍があからさまに不満げな顔をし、牙龍もまたわずかに表情を強張らせる。全員、自分達の手で仲間の仇を取りたいと思っているだけに、同盟を結ぶことに対しては少なからぬ抵抗があった。

しかし、大祭司の話はまだ終わったわけではなかった。

 

「とはいえ、先も言ったように『ヘルショッカー』が油断ならぬ相手であることは確かだ。そこで……牙龍よ」

「はっ」

 

威厳どころか威圧感すら感じさせる大祭司に名前を呼ばれ、牙龍は直立不動の姿勢を取った。

 

「お前には苦労をかけるな。人形の調査と、雷龍の謎の死の調査に加えて、汝に命令する。『ヘルショッカー』の使者……“多聞天”と直接接触の機会を持ったのは汝と翼龍のふたりだけだ。汝は我らと『ヘルショッカー』とを繋ぐ架け橋となってもらう」

「はっ」

「そして同時に、汝には『ヘルショッカー』の動きを監視してもらう。不穏な動きがあれば、逐次報告せよ。その際に、もし、『ヘルショッカー』が、自分達から申し出た同盟の内容を反故するような事や、我らに対する裏切り行為、我らに対して敵意を持つようなことがあれば、そのときは……」

「心得ております」

 

牙龍の真っ直ぐな視線が仮面の下に隠された大祭司の、石炭色の瞳を射抜き、“龍臣”を統べる長は満足げに頷く。

続いて彼は視線を蟲龍へとやると、刺々しい命令の口調の中に、どこか穏やかな調子を加えながら言った。

 

「それから蟲龍……」

「はっ」

「汝に問おう。汝は、甲龍の仇……散っていった仲間達の仇を取りたいと思っておるか?」

「勿論です」

 

蟲龍はきっぱりと言い切った。

 

「私のみならず、この場にいる全員が同じ考えを胸に抱いていると、確信しております」

「うむ。ならば汝にもまた、指示を下そう」

 

大祭司の宣告に、蟲龍は身を強張らせる。直立不動の姿勢を取り、長の言葉を一語一句として聞き逃すまいと、耳目に全神経を集中させる。

 

「よいか、これから言う私の話をよく聞け。

蟲龍よ、お前は私が同盟和議についての決断を下したとき、すでに与えられた任務に従事していたがためにこの場に居なかったのだ。また任務の性質上それ以後も他の“龍臣”たちと接触するわけにいかず、同盟に関してはまったく知ることが出来なかった……よいな?」

「……はい」

 

蟲龍がニヤリと口元を歪め、頷いた。

蟲龍は次に大祭司が下す命令を心待ちにした。

 

「では、その汝にすでに与えられた特別な任務について、説明しよう。それはたった一言の説明で済む」

 

大祭司の力強い言葉が、地の底へと続く洞窟内にこだまする。

次に仮面の下に隠された唇が紡いだ言葉に蟲龍は歓喜の表情を浮かべ、対照的に任務に選ばれなかった毒龍はやや悔しそうに、牙龍と翼龍は、自分達の意を汲み取ってくれた大祭司の寛大な措置に、感謝の笑みを浮かべた。

 

「我らの仇敵……仮面ライダーネメシスの首を取れ」

「お任せください。大祭司……!」

 

蟲龍は力強い語調で応じた。

 

「必ずや吉報をお持ちいたします。同盟の話は、そのときにでも…」

「うむ。期待しておるぞ。……ところで、皆の衆」

 

唐突に大祭司が話題を変えた。

 

「みなにひとつ朗報がある。私がここ数日の間、『龍』の洞を留守にしていた一件についてだが……」

 

大祭司はそこまで言って一旦言葉を区切ると、佇まいを直して4名の龍臣達全員の顔を見つめながら、頭を下げた。

 

「まずはみなに礼を言っておこう。今日までの粉骨砕身の働き、ご苦労であった」

「そんな…大祭司!」

 

自分達はべつに大したことはしていない。自分達が今日まで組織のために働いてきたのは、それが自分達にとっては義務であり、当たり前のことだったからだ。やって当然のことをしたまでなのだから、何も大祭司が頭を下げる必要はない……牙龍はそう言おうとした。

しかし、大祭司はそんな牙龍の口を手で制し、ゆっくり首を横に振った。

 

「大祭司という役職は関係ない。これは社交辞令ではなく、私の正直な気持ちだ。今日までありがとう。そして、明日からもまたよろしく頼みたい」

「祭司……」

「汝らのよきはたらきによって、今やこの東の最果てで我らが神に献上する魂は、500個を超えた。そろそろ我らの“断魂”の儀も、次の段階に進まねばならぬ。そこで、雷鳥様から、これをお預かりしてきた」

 

そう言って、大祭司は外套の懐中から、小さなメロンが入るぐらいのサイズの木箱を取り出した。何か特殊な塗料が使われているらしく、すべての面を深い海の色に染められた木の箱は、それ自体が薄らぼんやりと発光している。藍色の燐光に照らし出されて、大祭司の仮面のディティールが、はっきりと見えた。

大祭司が木箱を取り出した瞬間、4名の龍臣達はそれぞれ緊張の面持ちで息を呑んだ。彼らにはその箱の中身が何であるかが手に取るように分かり、そしてそれゆえに額から流れる汗を止められなかった。

龍臣達は、畏怖していた。

彼らは一様にして大祭司の持つ木箱に、まっすぐ畏敬の視線を注いだ。

青の光が照らす範囲は狭く、それは大した熱量を持ってはいなかったが、4名の龍臣達には洞の気温が一気に、十何度も上昇したように感じられた。

仮面の大祭司は額の龍玉を輝かせながら、言った。

 

「見ての通りだ、皆の衆。我らが神の魂の器……“千年石”は、この瞬間をもってこの場に顕現した。この上は“千年石”を収める肉の器と、贄たる魂の残り329個を、揃えるだけだ!」

 

大祭司が、声高に宣言した。

その声に呼応するかのように、龍の洞窟が自ら唸りをあげた。

 

「我らが神の復活も間もなくぞ。汝らのより一層の働き、奮戦に期待する!」

 

 

 

 

 

……二日後、多聞天と密に連絡を取り合った牙龍の尽力によって、『龍』と『ヘルショッカー』の間に同盟協定が結ばれた。

協議は互いに組織の長が不在という奇妙な環境の下で行われ、『龍』に対する『ヘルショッカー』の全面的な支援の実施が決定された。

そして、さらに数日が経過した。

 

 

 

 

 

――海鳴市・ホテル『ベイシティ』近辺――

 

 

 

 

 

『龍』、『ヘルショッカー』間で同盟が成立してさらに数日後、まだ高い位置にある太陽の下、ホテル『ベイシティ』の屋上から翼龍は、下界の光景を見下ろしていた。

『ベイシティ』の建物は首都・東京の高層ビル群に比べると見劣りするものの、それでも海鳴市では有数の高さを持った、高層建築だ。

地上から少女の姿をした龍の影を見咎めるものは誰一人としてなく、対照的に翼龍の龍臣としての優れた視力は、彼女の網膜に下界の日常の姿をまざまざと提供していた。

まだ昼の空気が抜けきっていない地上では、サラリーマンなどの姿こそ見当たらないものの、その分、多くの主婦層で賑わいを見せていた。翼龍が今立っているホテルにも、平日とはいえそれなりに人の出入りはある様子だ。

その人数、ゆうに百人は下るまい。半分逃したとしても、少なくとも50人分の魂が得られる計算だ。『断魂』の儀を執り行うには、もってこいの場所だろう。

しかし、格好の獲物、絶好のポイントを発見したにも拘らず、翼龍の表情は暗かった。……というより、少々不機嫌そうな顔している。

何がそんなに気に入らないのか、貯水タンクのメタリックなパイプに映る歪んだ表情は、どこか忌々しげだ。そしてその理由は、彼女自身よく理解している。自分の隣に立つ、男のせいだ。

 

「……そんな親の敵を見るような目で、睨まないでくれないかい?」

 

『ヘルショッカー』四天王、東の持国天。すれ違う女性の何人かに一人は、確実に振り向かせる甘い美貌をたたえた夜の皇帝。

 

「ほら、また……それじゃあキミの可愛い顔が台無しだよ?」

「……」

 

――心にもないことをいけしゃあしゃあとこの男は!

女と見れば誰にでも愛想をふりまき、平気で見え透いた世辞を言う…同盟締結の場で初めて顔を合わせたときから思っていたが、やはり気に入らない男だ。

いくら大祭司の命令とはいえ、なぜ、こんな軟派な男と一緒にいなければならないのか……これなら、あの奇妙な喋り方がまた気に食わないが、あの多聞天と一緒にいたほうがまだましだったろう。

どうして人間の女どもはこんな男に惹かれるのか、まったくもって理解できない。

 

「それは僕が外見だけじゃなく、中身もイイ男だからさ」

「……人のモノローグを勝手に読まないでほしいのだけど?」

「べつに君の心を読んだわけじゃないよ」

 

遊は妖しい微笑みを浮かべながら、血のように赤い唇をそっと動かす。

不覚にも翼龍はその微笑に、思わずドキリとしてしまった。

 

「君の顔にそう書いてあったからね」

「女の顔をいちいち覗うなんて、先行き不安な人生ね」

「おやおや、これは手厳しい」

 

「ククク……」なんて、含み笑いを漏らす姿も絵になる男だ。不思議とそんな風に思ってしまう自分が、翼龍は妙に腹立たしかった。

 

「……それより、本当にこんな事で来るの?」

 

子供のようにそっぽを向き、翼龍は無理矢理話題を変える。

まるで多くの言葉を知らない幼い子供が、大人たちの難しい話に自分も入り込もうと背伸びして、自分の知っている言葉で必死に話題を作ろうとするのに似た翼龍の話の展開に、しかし遊がからかいの言葉を述べることはなかった。

不審に思って翼龍が振り向くと、そこに世の女性を魅了する微笑みは跡形もなく、男の甘い美貌には、酷薄な印象が漂っていた。

あまりの変わりように戸惑いを隠せない少女に、夜の王子は言う。

 

「来るさ……」

 

それは確信に満ち足りた声だった。

 

「奴の狙いは十中八九、君達『龍』にあるんだ。君達が景気良く暴れてくれれば、奴は必ず騒ぎを嗅ぎつけて、この場所にやってくる。……今までも、そうだっただろう?」

「……」

 

思い当たる節は、確かにある。

最初の針龍の『断魂』のときからずっとそうだったが、ネメシスは自分達が活動を開始するといつもどこかで嗅ぎつけ、颯爽と自分達の前に立ちはだかってきた。翻って、先日、『ヘルショッカー』が病院を襲撃した際、あれほどの被害が出たにも拘わらず、奴はやってこなかった。

判断材料となるデータがあまりも少ないので早計は出来ないが、自分達と『ヘルショッカー』に対するネメシスの態度を比較すると、敵の狙いは明らかに前者に偏っている。

そう考えると、今更ながら『ヘルショッカー』が『龍』に接触してきた理由も、納得がいく。

 

「大物を釣り上げるための撒き餌は、出来るだけ大きくて活きの良いヤツがいい。ただ大きいだけじゃ、大物は引っかからない。……出来るだけ大きな騒ぎになるのを期待しているよ」

「……餌がいくら上等でも、釣り人の腕が悪かったら小物も釣れないわよ?」

「その辺りは、頑張らせてもらう」

 

遊は、氷の印象の美貌にまた軽薄な笑みを浮かべた。

 

「全力で守らせてもらいますよ、お姫様」

「……期待しないでおくわ」

 

また元の軟派な印象を放つ男に戻ってしまった青年に、明らかな蔑みの一瞥をくれて、翼龍は不機嫌に言った。

翼龍には隣に立つ男が、姫君を守る騎士としては頼りがいのないもののように思えた。もっとも、自分はただ騎士に頼るだけの、か弱い女ではなかったが。

 

「せいぜい、大物を釣り上げてよね」

 

翼龍は流し目で言うと、視線を再び下界に転じた。

高い場所から見下ろす地上では、人間達が当たり前のように日常という大切な宝物を謳歌している。しかしその胸中には、自分達得体の知れぬ殺人者に対して、身の毛もよだつほどの恐怖を隠しているはずだ。

そして自分に架せられた使命は、その恐怖を暴き出し、苦悩のまま彼らの命を絶つことだった。

翼龍は口元に薄く笑みを浮かべると、隣に立つ男に、振り向かずに言った。

 

「少し、離れていてくれる?」

「……そんなに危険なのかい? 君達の変身というのは。周りの人間が避難しなければならないほど?」

「違うわよ。ただ、私の場合は変身すると横に伸びるから…」

「ああ、なるほど」

 

妙に納得した様子の遊が、視線を背けながら言う。

 

「たしかに、女性にとって、そんな変身を見られるのは辛いだろうねぇ」

「……何か勘違いしてない?」

「え?」

「まあ、いいわ……」

 

翼龍は溜め息をついた。

確かに横に伸びるとは言ったが、別に際立って体形が変わったり、太るといった意味での発言ではない。ただ体形は変わらないものの、自分の戦闘形態は、他の龍臣達のそれに比べると、横に占める空間の割合がどうしても大きくなってしまうのだ。

遊が後ろに5歩ほど下がったのを確認して、翼龍は静かに呟いた。

 

「戦闘体、移行……」

 

言い終えると同時に、変容を始める翼龍の体。

少女の背中から栗色の翼が一対、勢いよく突き出し、たちまち160センチに満たない身長を無数の羽根が覆い隠す。そこに一陣の突風が吹き、無数に散らばった栗色の羽根が、背後の遊の視界を埋め尽くす。

ジャケットのポケットに両手を突っ込みながら、青年は“ピュー”と、口笛を鳴らした。なるほど、これは確かに横に大きく伸びている。

次の瞬間、片翼だけで3メートルはあろうかという翼を翻し、人と龍、そして鷹のキメラが、太陽の下降臨した。

その姿は、女に関しては百戦錬磨の遊をして、思わず賞賛の口笛を吹き鳴らしてしまいたくなるほどに、美しかった。

変身を終えた翼龍は、改めてじっくりと下界の様子を覗う。鷹の眼は、彼女の脳に、まるで距離感を感じさせぬ鮮明な映像を送っていた。

さぁ、まずは最初に誰から狙おうか?

あのスーツを着た男にするか、それともあのベビーカーを引く女にしようか。

ネメシスをこの場におびき出すためにも、騒ぎは出来るだけ大きくせねばならない。その際、騒動を最も拡大させるには、いったいどのように登場すればいちばんインパクトを与えられるだろうか……?

様々な算段を頭の中で巡らせながら、翼龍は“トン”と、軽くコンクリートを蹴った。

鋭い眼差しが見据える先には、年端もいかぬ幼い命がある。

翼龍の爪が、鉤のように立った。

 

 

 

 

 

――生田市・市民病院――

 

 

 

 

 

『龍』と『ヘルショッカー』が同盟締結までに要した数日という時間は、デルタハーツの面々にとって十分なインターバルの時間でもあった。

二つの組織が活動を休止していた5日間、静養に勤めた那美達の傷は何の問題もなく癒え、生田の市民病院に入院することになった三人も、本日退院という異例の速さでの回復力を見せた。もっとも、さすがにまだとても完治とはいえず、退院の名目はあくまで、以後の治療は自宅療養で、ということになっている。

入院した三人の中で最も傷が深かったのは真一郎だったが、最も傷の治りが早かったのも彼だった。

空手の練習と外人部隊の訓練によって鍛えられた彼の体は、同世代の平均的な若者に比べて高い生命力を持ち、真一郎自身、どうすれば肉体が最も効率良く回復するか、その術を心得ていた。

術後のリハビリでも、看護師の力を借りず積極的に行った結果、退院の日の彼は、医師達の方が驚くぐらいのキレのある動きで、病室を動き回っていた。

 

「相川先輩」

 

退院の手続きを手短に済ませ、荷物の整理をしていた真一郎の元にやってきたリスティは、ノックもせずに病室のドアを開けた。

 

「リスティ……なぁ、もし俺が着替えの最中だったらどうするつもりだったんだ?」

「そのときはじっくり鑑賞させてもらうよ。ビデオにも撮ってね。あの相川真一郎の着替えシーンのテープなら、元風ヶ丘OGに高く売れるだろうし。……いや、OBにも売れるかな?」

「OBもって……男が男の着替えなんか見て、何が楽しいんだよ?」

「相川先輩の着替えだから楽しんだと思うけどね。その手の人達は」

 

首を傾げる真一郎にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるリスティ。

まったく、自分と同じ学び舎にいた頃はあんなに可愛かったのに、いつの間にこんなオヤジな性格になってしまったのだろう。

 

「……真雪さんだな」

「ん?」

「いや、何でもない。……ところで、どうしたんだよ? 俺に何か用事?」

「べつに用事ってほどのことでもないんだけどね……」

 

リスティはバツの悪そうな表情を浮かべた。

 

「ちょっと、話がしたくなって。先輩と」

「は? 俺と?」

 

リスティの意外な申し出に、思わず素っ頓狂な声を上げる真一郎。

見た目はともかく、彼も男だからリスティのような美人と会話するのは決して嫌ではない。嫌ではないが、はて、いったい何の話だろうか?

 

「うん。あれから先輩とはちゃんと話をした事がなかったからさ、一度しっかり聞いておこうと思って。フランスに行った理由とか、そこで何をしていたかとか。ちょっと詳しく」

「……」

 

リスティの言葉に、途端真一郎は暗い面持ちになる。

正直なところ、真一郎はフランスに居た頃の記憶はあまり思い出したくなかった。

いや、外人部隊での生活が思い出すのも嫌になるほど辛い経験だった……というわけではない。確かに訓練は辛かったし、教官達の鬼のようなしごきには、当時彼も相手を殺してやりたくなるほど恨んだものだったが、今では海よりも深く感謝しているし、部隊の仲間達はみな、気の良い連中ばかりだった。苦労も多かったが、それと同じだけの充実した日々の思い出が、フランスにはある。

しかし、地中海で過ごした日々の事を思い浮かべると、どうしても外人部隊に入るきっかけとなった出来事……6年前の、あの事件のことを思い出してしまう。

自分達が民間人の協力者としてデルタハーツに参加し、『龍』と戦った日々のこと…。その中で失ってしまった、大切なひとつの命のこと……。真一郎がフランスでの出来事を進んで思い出したくない理由は、つまるところそこに集中していた。

だが、どうやらリスティは、本当に心からフランスでの日々の事を聞きたいわけではないようだった。いや、リスティもこの数年間、自分が何をやっていたかについては大いに興味があるようだったが、今日のところは、本題は別にあるようだった。リスティの言葉は、こう続いた。

 

「それから、ほら、この間のこと……」

「?」

「ほら、この間ボクを寮まで運んでくれたのは先輩だっただろ? どうもあの時はお酒を飲みすぎたみたいで、記憶が曖昧なんだ」

 

リスティはそこで一旦言葉を切ると、一転して真剣な、いかにも切実そうな切羽詰った表情になった。目が、据わっている。

銀髪の彼女が全身から放つ異様な雰囲気に気押されして、真一郎は思わず一歩退こうとしたが、出来なかった。がっしりと、女の細腕とは思えぬ万力を発揮するリスティに肩を掴まれた真一郎は、動きたくても動けなかった。

 

「り、リスティ…?」

「ねぇ、先輩。あのときボク、何かおかしなことを言ってなかったかい?」

 

……なるほど、本題はそっちか。

真一郎はリスティの訊きたいことの本命が自分の過去にあるのではないと知って、苦笑を浮かべながら、頭の中に数日前の彼女の、ひどい有様を思い浮かべた。

 

「…確かに、あの日は酷かったなぁ」

「……そんなに、酔ってた?」

「ああ」

 

真一郎はきっぱりと言い切った。

その口元が僅かににやけているのは、彼が普段背の低い方の幼馴染に対してよく抱く悪戯心を、この年下の後輩に対して抱いてしまったからに他ならない。

 

「リスティ、すごく酔ってたぞ。天下の翠屋でよくまあ、あんな事大声で言えたものだって、店のみんな全員で関心してた」

「あんな事!?」

 

大いに声を上ずらせるリスティの反応に、若干の罪悪感を覚えつつ、しかし真一郎は、普段は見せない後輩の慌てた様子を、困ったことにもっと見たくなってしまった。

 

「ぐ、具体的にはどんな事を……?」

「まぁ、八割方悪酔いにかまけてつい口を滑った愚痴だったよ。それが前半。後半の方は…その……俺が、口にしていいかどうか……」

 

真一郎はいかにも深刻そうな表情を作った。

小学校の学芸会でクラスの女子を差し置いて、お姫様役をゲットした彼の演技力が、今、真価を発揮しようとしていた。

 

「……駄目だ。とてもじゃないが、口に出来ない。リスティが悪酔いして眠ってしまったとき、寝言で『う〜ん…耕介ぇ……ボクの○○を△△△△して、耕介の□□□□□を奥まで入れてかきまぜてぇ……』なんて、言ってたなんて、とてもじゃないが言えない!」

「言ってるじゃないか!?」

 

真一郎は「しまった!」と、迫真の演技を見せた。現役の警察官であるリスティを騙してしまうほど完成された表情は、もはやほとんど素人の技ではない。

気が動転してHGSの能力を使うことも忘れているリスティの様子に、真一郎はひそかに胸の内で、してやったりと怪しく笑った。

 

「……っていうか、この場合それはどっちがセクハラになるんだろう?」

「……さぁ?」

 

病室の前を通りかかった美緒の突っ込みにとぼけて答え、真一郎は、そういえばリスティの今の職は警官だったなと、今更ながら気が付いて、自分の行く末に若干の不安を覚えるのだった。

 

 

 

 

 

――フィアッセのマンション――

 

 

 

 

 

コンビニから帰ってきた恭也を最初に出迎えたのは、フィアッセの微妙な視線だった。

 

「恭也、ソレ、やめた方が良いと思うよ?」

「ソレって……」

「そのサングラスのこと」

「ああ……」

 

恭也はつい今しがたコンビニで購入したばかりの、無骨ながら頑丈な造りのサングラスをはずすと、黒い色眼鏡とフィアッセ、そして鏡に映る自分の顔を順番に見比べた。

 

「……そんなに似合っていないか?」

「ううん。そうじゃなくて……」

 

的外れな恭也の言葉に、フィアッセは困ったように苦笑する。

コンビニで売っているような安物のサングラスなので、そのデザインはお世辞にも秀逸とは言いがたい代物だったが、それが恭也に決して似合っていないわけではない。むしろファッションには疎い彼にしてはよく考えて選んだものだ、と思う。

問題はそこにあるのではなく……

 

「…恭也がサングラスをかけるのは、知り合いに自分の正体を気付かれないようにするためなんだよね?」

「ああ。一応、俺も赤星もまだ行方不明ってことになっているからな。迂闊に素顔は晒せないよ」

 

世間ではまだ高町恭也は今現在もなお行方不明中の人間だ。しかも、迂闊に他人には話せないような過酷な戦いに身を投じている。素顔のまま外を出歩くわけにはいかず、素性を隠すために、恭也は久しぶりに海鳴の街に足を踏み入れた際、サングラスをかけていた。

そのサングラスが激闘の最中に壊れてしまったから、つい先刻、新しい物を買ってきたのが、いったいそれのどこに問題があるというのだろう?

首を傾げる恭也に、フィアッセは残酷な現実を突き付けた。

 

「サングラスかけてても、バレバレだったよ。正体」

「……なんだって?」

 

恭也は目を点にしながら聞き返した。

どうやらフィアッセの言葉は右の耳から左の耳へ、脳に到達する前に流れ出てしまったらしい。

恭也はややオーバーリアクション気味に右手を耳元へ持っていき、「フィアッセ、もう一度言ってくれないか?」と、言った。

 

「えっと…大変言いにくいのですが、サングラスをかけていても、わたしも美由希も、なのはやレン、それから那美達も、みんな一目で恭也だって気付いたよ」

「…………」

 

恭也は愕然とした。

長い間信じ続けていた事が実は間違っていたという事実に、彼は強い衝撃を受けた。

 

「えっと……それじゃあ、俺が今までやってきたことは……」

「あ〜…うん。あんまり効果なかったみたい」

 

恭也は両目を猫のように大きく見開いた。

驚きのあまり力加減を間違えた改造人間の握力が、“ペシャリ”と手の中のサングラスを意図せず握り潰してしまう。

しかし恭也は、自分の掌中で起きた惨事に気付かず、ただ茫然と立ち尽くしていた。

まるで最愛の人を不慮の事故か何かで突然失ってしまったかのような喪失感が、恭也の胸の内で冷たい風となって吹きすさぶ。

 

「クリステラさん」

 

居候の二人にあてがわれた部屋の一室から、北斗の声が響いた。

フィアッセはそちらの方を向くが、恭也の方は微動だにしない。よっぽど、フィアッセの的を射た発言がショックだったのだろう。一時的な思考停止状態に陥っているらしく、目の焦点が合っていない。

 

「恭也はときたま精神的に物凄く弱くなるから」

「……何の話だい?」

 

かつて忍が高町家最強ランキングを決める際に起こったあの悲劇(・・・・)のことを思い出したのか、茫然自失の体極まる恭也に向けられるフィアッセの視線は、どこか生温かい。

一方、そんな過去を知らない北斗は首を傾げるばかりだった。

 

「……まぁ、いいか。ところでクリステラさん、今日俺はこれから学校に行かなければならないんだが、クリステラさんの方は?」

「わたしは今日はオフの日です」

「そうか。今夜は少し遅くなりそうだから、夕飯は待ってくれなくていい。恭也と2人で食べてくれ。…それとも、今夜は高町さんの家の方でご馳走になるんだったか?」

「う〜ん、高町さんの家でお夕飯をご馳走になるか、ならないかは、ほとんどその日の気分ですから」

「そうだったのか…。てっきり、決まった日にちがあるのかと思っていたが」

 

そこで北斗は何か思いついたように、未だ時間の止まっている恭也を指差した。

 

「それなら、今夜高町さんの家に行くのなら、不破を連れていくといい」

「……いいんですか?」

「ああ。基地から脱出して以来、まともな物を食わせてやれなかったからな。本名を名乗ることは出来ないが、久しぶりに家庭の味を食べさせてやりたい。クリステラさんの友人ということで、連れて行ってやってくれ。……サングラスもしているし、正体露見の危険は少ないだろう」

「もしかして……」

 

フィアッセは、北斗のその発言にピンときた。

 

「もしかして、恭也にサングラスを薦めたのって、闇舞さんですか?」

「ああ」

 

北斗は即答した。

そして、自信ありげに言った。

 

「我ながら良いアイディアだったと思っているんだ。正体も隠せるし、同時にファッションとしても使える。いや、こんな便利なものはないぞと、不破に言ってやった」

 

北斗は輝くような眩しい、会心の笑顔を浮かべていた。

一方、フィアッセは自信に満ちたその返答にどう返してやれば良いのか分からず、とりあえず当たり障りのない愛想笑いを浮かべた。

だがその愛想笑いは、次の瞬間凍りついた。

快活に笑っていたはずの北斗の表情が、冷徹な戦士のそれへと一瞬にして変貌していた。

 

「これは……ッ!」

 

乾いた、奇妙な余韻を残して耳の中で響く、北斗の声。

他者の感情の起伏に敏感なフィアッセでなくとも見れば一瞬にして理解出来る、その瞳がたたえる皓々とした輝きは、熱い憤怒の色だ。

北斗は射るような視線を恭也に向けた。

先刻まで己を失っていたはずの青年は、しかし尋常でない北斗の様子に、すでに剣士としての表情を作っていた。

 

「北斗さん……!?」

「半径12キロ圏内。方角は東。数は1で、敵は龍臣」

 

北斗の口から語られる、簡潔かつ無機質な情報。それでいて美しい調べを持った単語の羅列に、フィアッセはようやく何が起きているのか事態を悟る。

2人の改造人間は、フィアッセ達常人には知覚出来ない、はるか遠方の惨劇の様子を、この場にあって刻一刻と感知していた。

 

「…水の流れる音がする。近くに、噴水があるな。それから、人の出入りが激しい施設がある。音の反響具合から察するに、かなり大きな建物がある場所だ。それも、別段高層ビルがいくつも並んでいるような場所ではない……。不破!?」

「分かりました」

 

はるか12キロメートル先の現場の情報を伝え終え、北斗は恭也の名前を呼んだ。

歴戦のふたりはそれだけで意思の疎通に成功したらしく、恭也は懐からポケットサイズにまで折り畳んだ海鳴市の地図を取り出すと、現在地より東に12キロ先で、北斗が言った情報と合致する場所を探した。すでに何度となく使い込まれているらしい地図は変色が目立ち、そんな中で、街中に走る濃い何本もの赤い線が、ひときわ異彩を放っている。

新たにマーカーで書き込んだ赤い線が示した場所は、恭也にとって、そしてフィアッセにとっても、思い出深い、忘れられない場所だった。

 

「ホテル・『ベイシティ』……!」

「そんな…あの場所に『龍』が!?」

 

そこは2人だけでなく、多くの人々にとってとても大切な場所。『世紀の歌姫』がこの国に残した、最後の“うた”が眠る聖地。

まさか、あの場所が戦場になるなんて……!!

悲鳴を上げるフィアッセの隣で、恭也はその場所で起こっているであろう叫喚の地獄絵図を想像し、眦を歪めた。

その場所に現れた龍臣に、そして彼らの行う行為に対し、明らかな怒りを宿した瞳は、燃える石炭のように熱い眼光を放っていた。

恭也はだっと身を翻すと、たった今歩いたばかりの廊下を駆け戻り、玄関を飛び出した。

階段もエレベーターも使わず、7階の高さから飛び降りた先には、彼がそうして下りてくるのを最初から知っていたかのように、親友の心を宿した、黒いオートバイが待っていた。

恭也はオフ・ロード車ならではの薄いシートに深々と腰を下ろすと、最先端の超科学の塊にしてはいささか古風な、キック式のスターターを始動させた。

 

 

 

 

 

――ホテル『ベイシティ』前――

 

 

 

 

 

翼龍が『断魂』を行う現地へやって来たのは、恭也よりもデルタハーツの方が一足早かった。

 

「こんな……!」

 

那美が思わず目を背けるのも無理はない。

少女達の眼前に広がる惨劇の光景は、いつにも増してむごいものだった。

針龍のときのように大規模な破壊の爪跡こそないものの、辺りに倒れる善良な人々の変わり果てた姿は、共通して心臓をひと突きされているという、苦しみの長引く、あまりにもむごい殺され方をしていた。

 

「痛い…痛いよぉ……」

「寒い……」

「殺してくれ……殺してくれ……」

 

いっそひと思いに頭を吹き飛ばされたほうが、どんなにマシだっただろうか。

鋭利な刃物か何かで貫かれたと思わしき彼らの中には、まだ心臓の活動が完全に停止せず、無念の声を上げる者も少なくなかった。

生ける屍達の暗い声は重く響き、舞は涙を流して耳を塞いだ。

ホテル・『ベイシティ』の前は地獄と化していた。

地獄で生きるということは絶望しか生まず、希望は死ぬことでしか手に入らない。

そして、またひとり……新たな犠牲者が、美由希達の目の前で生まれようとしていた。

 

「助けてくれー!」

 

若い男の声だった。

振り向くと、避難に遅れたらしい『ベイシティ』のボーイが、何かから逃れるように必死の形相で走っている。

那美達の姿を見つけると、まるで言葉の分からない遠い異国の地で、同じ祖国の人間を見つけた旅行者のように、安心した表情でこちらの方へ――――

 

“トスン……”

 

――やってこようとして、数歩、前に出たところで、心臓を串刺しにされた。

 

「あ……」

 

美由希の唇から、茫然とした、言葉にならぬ声が漏れた。

那美も舞も、同じように茫然とした面持ちで、自分達の目の前で起きた悲劇を受け入れられずに立ち尽くしている。

急上昇から急降下。落下のエネルギーを全て槍の先端に集中して突き下ろした翼龍は、まるで三人の少女などこの場に居ないかのように、無関心にボーイの身体から槍を引き抜こうとした。

 

「やめ……!」

 

美由希の悲痛な懇願も、最後まで紡がれることなく絶叫に遮られる。

赤い刀身がずるりと引き抜かれ、ボーイの口から絶叫が、傷口からは鮮血が飛び出した。

ボーイの目から、徐々に光が消えていき、悲鳴が、唐突に途切れた。

 

「……これで27人目」

 

愛らしい少女の声そのままに、鷹の龍臣は呟いた。

美由希の目から、涙があふれた。

――助けられなかった!

たった今、消え去った命。ほんの数十分前まで、この世の春を謳歌していたかもしれない命。自分達が来るのがあと一分早ければ、救えたかもしれない命。

それを、コイツが、自分達の目の前で、まるで物のように……!!

 

「ああああああ――――――ッ!!」

 

美由希の中で、何かがぷつんと音を立てて切れた。

 

「三心覚醒!」

 

一瞬にして美由希の身体を特殊繊維の糸が包み、黄色い稲妻が大地を滑る。

那美と舞はそれに慌てて続いた。

赤と青のスーツが二人を包み、三人の戦士達は、翼龍に敢然と立ち向かった。

 

 

 

 

 

「おやおや、『AA−07』よりも、あのお嬢さんたちの方が早かったか」

 

眼下で繰り広げられる戦いの光景。

その中に本命の獲物と宿敵の姿が見当たらず、遊はがっかりと失望の溜め息を漏らした。釣り糸を垂らすこと数十分……釣れた魚は大物には違いなかったが、自分達が真に狙っている本命ほどの大きさではない。一回目の釣りは、どうやら失敗のようだ。

 

「まぁ、いきなり成功するとも思ってはいなかったけど」

 

もっとも、長期戦は最初から覚悟の上だ。

それに餌の魚さえ無事ならば、まだ釣りを続けることは出来る。翼龍さえ健在ならば、戦っているそのうちに、ネメシスも現れるだろう。

今はとにかく、餌の安全を確保しなければ。いかな龍臣も、万が一の事がないとも限らない。早速同盟協定が役に立つときがきたようだ。

 

「さぁ、出番だよ。僕の可愛い僕達…」

 

遊は首だけ動かして振り返ると、背後に控える自分の部下達に告げた。

青年の後ろでは、太陽の下惜しげもなく裸身を晒す若い女達が、整然と列を作っていた。

羞恥という言葉を完全に忘れてしまったのか、彼女達は吊り鐘状の乳房も、ウェストからヒップにかけてのくびれのラインも、女の大切な部分へといたる三角州も、そこに生息する黒い木々の茂みすらも剥き出しにして、妖しく輝く青年の黄金色の目を愉しませていた。

女達は共通して顔立ちとプロポーションが秀逸で、そのことは彼女達が氷村遊の性的な嗜好の末に生まれた軍隊であることを物語っていた。

物言わぬ虚ろな瞳が捉えるのは、純血の吸血王子が持つ魔眼のみ…。

 

「さぁ、みんな……変身だ」

 

遊が言い終えると同時に、女達の身に劇的な変化が訪れた。

女の柔肌がびっしりとした剛毛に覆われ始め、顔の二個の水晶体が、巨大な複眼へと変貌を遂げる。額の皮膚の表層を突き破って二本の触角が飛び出し、半透明の二枚の羽根が、肩甲骨からねっとりと粘液を滴らせ、生えた。

……蜂女の、完成だ。

部下達の変身が完了すると同時に、夜の王子もまた、彼女らに前線で指示を下すべく、そのための最も相応しい姿へと変わる。

遊は、ベルト状に展開した『M.R.ユニット』に、メモリーカードを挿入した。

 

 

 

 

 

「ッ! こいつ……!」

「この……黄色いの!」

 

デルタイエローのイエローブレードの双剣が大気に満ちる分子を裂き、真空の軌跡をいくつも描きながら、翼を持った龍臣の身体に一太刀刻むべく翼龍に迫る。

一方の翼龍は、小太刀の届く間合いへの接近を許すことなく、ひたすら己の武器……槍の間合いを保ちながら、接近する黄色いスーツの少女を迎撃する。

無駄のない動きで小太刀の一刀が鋭く迫り、それを迎撃するべく突き出した槍の穂先を、もう一刀が柄の部分から切断しようと伸び、それに対応した槍は変化無限の軌道を見せて、振り抜かれる二刀をそれぞれ、ギリギリのタイミングで回避する。

秒とかからぬ一瞬の間に繰り広げられた攻防の後、二人は瞬時に距離を取った。

正確には、距離を取らざるをえなかったというべきだろう。

二人が互いに己の持つ技を、僅かな時間ぶつけ合っていた空間には、レッドとブルーが援護射撃で放つデルタブラスターの閃光が二条、虚空を掠めていった。

 

(この人……強い!)

(この娘、人間にしてはなんて……!)

 

視界を横切る二つの光線の軌跡を眺めながら、人間と龍臣は、同時に同様の感情を抱いていた。

機械で強化した人間と龍臣という身体的な能力の差を覗けば、両者の力量は伯仲し、拮抗していた。

彼女達の視界には互いの敵の存在以外何もなく、イエローにとっては頼るべき戦友の二人の存在すら、時折援護をしてくれるだけの、外野でしかなかった。

大きく開いた距離を詰めるべく、イエローは大きくステップ。

右手を閃かせ、突進する彼女を迎え撃つ長槍の動きを牽制すべく、飛針が翼龍の眉間を狙って宙を舞う。

だが翼龍は、それを弾いた。槍ではなく、素手で。

栗色の羽毛に包まれた龍臣の腕は細く、しなやかだったが、発達した筋肉と鎧に恵まれ、高速で飛来する飛針を弾く程度には頑強であった。

デルタイエローは、牽制の飛針が無為に終わったにも拘らず、しかし突進のエネルギーを殺すことなく、そのまま突っ込んだ。

 

 

――小太刀二刀・御神流・裏・奥儀之三

 

 

ただでさえ小太刀に比べて間合いの長い槍に対して、槍が最も得意とする攻撃で挑むことなど、本来は愚行でしかない。

しかし、デルタイエローに与えられた小太刀は、一刀だけではない。

偉大なる御神の先人達が長い年月の中で築き上げてきた技、義兄が血潮にかけて己に伝承してくれた技、義父が、自分のために遺してくれた刀の生まれ変わり……それらすべてに魂を篭め、打ち放てば、間合いの差など、いかほどのものであろう。

翼龍の槍が、動いた。

同時に、美由希の刃も動いた。

翼龍の放つ刺突の連打。

その軌道を逸らすべく動くイエローの一刀。

そして空気を突き破って、利き手に構えた一刀が、閃光のように閃き……

 

 

――射抜!

 

 

“キィィィィン!”

 

……だが、その一撃は、イエローにとって、レッドにとって、そしてブルーにとって、完全に予想外の闖入者によって阻まれた。

 

「……おやおや、駄目じゃないか。女の子がこんな物を振り回したら」

 

……その刀身が放つ輝きは、真紅のルビー。

血のように赤い…赤い……残酷なまでに装飾された西洋のサーベル。

刺突にも斬撃にも対応した厚い刀身で細い小太刀の刺突を受け止めたBatは、甘い陶酔の声で言った。

 

「油断大敵だね、翼龍。たかが人間と、侮っていなかったかい?」

「その気持ちがなかったといえば、嘘になるわね」

 

纏わりつく一刀を振りほどき、弾き飛ばし、翼龍とBatはイエローから大きく距離を取る。

デルタイエローは、居並ぶ二体の異形を見て、信じられない…といった声音を、口からこぼした。

 

「何で、『龍』と『ヘルショッカー』が一緒に……」

「その理由は簡単さ」

 

Batは短く言い放った。

 

「僕達『ヘルショッカー』と『龍』は義兄弟の契りを交わした仲だからね。兄弟の窮地を見過ごすわけにはいかないよ」

「それって……」

「そう。僕達『ヘルショッカー』と『龍』は、同盟協定を結んだ」

 

祈りを捧げるように屹立し、ルビーセイバーを掲げ持つBat

天に向けられた紅の切っ先には、羽根を震わせ宙に留まる蜂女が、一体、二体……計十五体。

Batは自身もまた薄い皮膜の羽根を広げると、蝙蝠の能力を持った改造人間は、空へと羽ばたいた。

 

「『ヘルショッカー』四天王・東の“持国天”。またの名を、『ヘルショッカー』空軍元帥、Type-Bat。同じ空を駈ける者としては、個人的にも彼女のことは放っておけない」

 

デルタハーツの視界を、赤い真空の軌跡がよぎった。

それはBatが持つルビーセイバーもまた、彼女達の武器と同じように刀身が高周波振動を起こしている証だった。

 

「さぁ、翼龍、『断魂』を続けたまえ。このお嬢さん達は、僕達が始末するから」

「……そうね」

 

翼龍はチラリとデルタハーツの背後に建つ巨大な建物……ホテル『ベイシティ』の、ガラス張りの出入り口の向こうにあるロビーに、避難した人々の群れを見て、薄く笑った。

 

「それじゃ、任せるわ」

 

そう言って、翼龍は背中から生えた両翼をいっぱいに広げた。

栗色の羽根が空を覆い、まるで天使と見まごうほどの美しさを見る者達の心に印象付けながら、しかし、翼龍はその槍をガラス張りの玄関へとまっすぐ向けた。翼龍の身体が地面からふわりと離れ、秒と数える間もなく急上昇。一気に、ホテルのロビーへと降下移動する。

 

「そんな事、絶対にさせません!」

 

デルタレッドがデルタブラスターを構え、降下しつつ前へ進む翼龍に照準を合わせて、トリガーを引き絞る。

光線が大気を焼きながら空を泳ぐ龍臣を狙って進むも、しかし降下中にも機敏に旋回する翼龍には、命中しない。

 

「那美ちゃん……!」

 

レッドの射撃の腕前では、高速の翼龍を捉えることは困難だ。

加勢に加わろうとしたデルタブルーだったが、ブルーアローを電送した瞬間には、空中から無数の毒針の雨が彼女を襲っていた。蜂女の体内で精製した毒を仕込ませた、連続発射可能の飛針だ。

それはあまり身のこなしが軽敏でないブルーにとって、大きな脅威だった。幸いにして一発一発の命中精度は、弾道特性が安定していないことも手伝ってそれほどでもなかったが、数を揃えることで弱点を克服している。

ブルーは自分の身を守るのに手一杯で、とてもではないがレッドの援護に向かう余裕をなくしてしまった。

頼みの綱は、三人の中で最も戦闘力の高い、イエローだが……降り注ぐ毒針の雨を必死に避けながら、ブルーはチラリと一瞥をくれて、失望した。

自分達の中で最も戦力になる少女は、同じくそれを承知している敵によって、足止めを受けていた。

 

「どうやら君達の中では、黄色い君が最も手強いようだからね。僕直々に、相手をしてあげよう」

「そんなの……!」

 

“ザシュッ! カカカカッ! キィンキィン!”

 

鋼と鋼のぶつかり合う音が狂奔し、紅のサーベルとイエローセイバーが交錯する。

リスティも美緒も、真一郎もいない現状のデルタハーツの戦力では、罪なき無辜の民の命を奪わんとする翼龍の進行を阻むことは、不可能なのか……。

レッドは、ブルーは、イエローは、己の無力を嘆いた。

 

 

 

 

 

戒厳令の発令された道路は非常に空いていた。

翼龍が行動を開始してからまだ十分しか経っていないというのに、交通封鎖を完了した海鳴市警の手際の良さに舌を巻きつつ、しかしこれから自分のする行動を思って、恭也は心の中で職務に忠実な彼らに謝罪した。

 

「……ん?」

 

最初に異変に気が着いたのは、まだ20代半ばの若い巡査だった。

Uターンして来た道を引き返す自動車の群れの中に、聞き慣れない排気音を見つけた彼は、首からぶら下げていた笛を鳴らすのも忘れて唖然とした。

 

「嘘だろ……」

 

そのオフ・ロードバイクは、一瞬にして黒いカラーリングから赤い流星へと『変身』した。いやそればかりか、高速で走っているため細部の確認は出来なかったが、カラーリングだけでなく車体のディティールまで変化しているようだった。

バイクの前輪が、地面からゆっくり離れる。

続いて後輪も、地面からゆっくり離れていく。

前輪が着地し、後輪も足を着けた。

壁に。

建物の壁に!

 

「いくぞ、レッドスター」

 

赤い流星は滑るようにコンクリートの壁を駆け上がった。

重力を無視して赤い車体が天へと登り、山の頂上付近でジャンプした。

若い巡査の視線は、その鮮烈な光景に釘付けになった。

 

「コラぁ! 早く笛を鳴らさんか!!」

 

ベテランの巡査長の雷に、ようやく若い巡査ははっと正気を取り戻す。

彼が吊り下げた笛を手にしたのと、レッドスターが封鎖線の内側へと着地したのは、ほぼ同時だった。

“ピピー!!”と、けたましい音が鳴る。

しかし恭也がその音を間近で聴くことはなかった。

笛の音が鳴る頃には、すでにレッドスターは封鎖線のはるか彼方を走っていた。

 

 

 

 

 

……それより、少し後。

若い巡査がこっぴどく叱られている最中に、また、物凄いスピードで封鎖線に近付く一台のバイクがあった。

今度も最初にそのバイクの接近に気が付いたのは、あの若い巡査だった。

 

「おい、キサマ!」

 

先ほどは壁をよじ登る赤いバイクの姿に、茫然と立ち尽くしているしかなかった彼だったが、今度のオートバイは普通に地を滑っていたこともあって、平常心を失うことはなかった。

若い巡査は素早く笛を鳴らした。

しかし、接近するオートバイは速度を緩めようとはしなかった。

 

「コラ待てェ。ここから先は危険だ!」

 

声や笛の警告だけでは効果なしと判断したベテランの巡査長が、身体を張ってそのオートバイ……若い巡査が見たこともない、古臭いデザインのバイクの歩みを止めようとする。

しかしバイクは、なおも速度を上げ、封鎖線を突破しようとしていた。

巡査長とオートバイの距離が、ぐんぐん迫る。

若い巡査が息を呑む。

そのとき、オートバイの前輪がふわりと浮いた。

続いて、後輪も。

若い巡査の目の前で、あの壁登りほどのインパクトは持ち得なかったが、衝撃的な光景が展開された。

軽く見積もっても150キロはあるオートバイが宙に躍り、ベテラン巡査長の頭上を飛び越えて、封鎖線の内側へと着地した。

若い巡査が振り返る。

頭上を飛び越えられた巡査長も振り返る。

オートバイが去っていく。物凄いスピードで駆け抜けていく。オートバイとライダーの姿は、あっという間に見えなくなってしまった。

若い巡査は、そして今度はベテランの巡査長も、唖然として立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

目指す『ベイシティ』の建物が、遠目にだが少しずつ見えてきた。

大雑把な目測で直線距離は約2キロメートルといったところだろう。

レッドスターの最大速度なら、20秒とかからぬ計算だ。途中道が入り組んでいたりしていたとしても、この道路の空き具合なら3分とかかるまい。

恭也はエンジンの回転数を最高出力の領域まで上げた。

デジタル表示のタコメーターの数字がぐんぐん上昇するにつれ、デジタル速度計の数値もぐんぐん上がる。

エンジンの回転数が上昇するにつれて車輪の回転速度も急速に上昇し、レッドスターはコンマ秒刻みでその速度を上げていた。

だが、エンジンの回転数の上昇は、最高速度を待たずしてまた下降していった。

レッドスターの進路上……二車線道路のど真ん中に、ひとりの男が……戒厳令が発令され、一般人の許可のない外出は禁じられている状況下で、明らかに一般人と思わしき服装の男が、立っていた。

レッドスターのエンジンが素早いレスポンスで回転を駆動の最低限度まで下げ、男のわずか5メートル先で、車体が止まる。

レッドスターから降りた恭也は、ダブルスーツに身を包んだその男を、鋭く睨みつけた。

彼は一目で、目の前に立つ男が、人間ではないことを看破していた。

 

「貴様……『龍』!」

「甲龍の、そして散っていった仲間達の仇、討たせてもらうぞ!」

 

その男……蟲龍は真っ赤に燃える憤怒の瞳で、剥き出しの憎悪を恭也にぶつけた。

殺意に血走ったその眼差しに見つめられただけで、恭也の背筋を薄ら寒いものが走った。“あのとき”と同じだ。あのときも、復讐に身をやつした彼女を前に、自分は実力差以上の恐怖を覚えた。今回も、あのときと同じ……

復讐心に、心のみならず肉体すらも焦がすような憎悪の念に支配された者の強さを、恭也は知っている。

知っているからこそ、恭也は実力以上に目の前の龍臣を恐れた。

そしてだからこそ、逃げるわけにはいかなかった。

たとえ敵とはいえ、彼はもう、二度と、復讐に身をやつし、身を焦がす者を、出来ることならば見たくはなかったから……

恭也は精神を統一し、両手を掲げた。

次の瞬間には振り下ろし、まるで実際に手の中に刀があるかのように二刀差しに構え、叫ぶ。

 

「……変身!」

 

胸の紋章は紅蓮の紅。

大きな複眼は悲哀の蒼。

全身を覆う装甲は絶望の闇。

仮面に走った2本のラインだけが、申し訳程度に彼の心中を映し出す。

そして、腰に携えた二振りの小太刀!

その姿はまさしく――――

 

「出たな…神に逆らう夜鬼の子がぁ!」

「グォォォォォォォォォォオオオオオオッッ!!」

 

漆黒の復讐鬼は、咆哮する。

彼の者の名は――

 

「仮面ライダー……ネメシス!」

 

海神オケアノスの娘にして復讐の女神……ネメシス。

 

「ぬぅうん!」

 

変身を終えたネメシスに、蟲龍はいきなり襲い掛かった。

仮初めの人の姿のまま、拳を突き出し、ネメシスに挑みかかる。

あくまで人間の身体能力・機能をコピーし、模倣した肉体から放たれた拳は、決して遅くはなかったが、ネメシスにとって避けるまでもない攻撃だった。

ネメシスはその拳を右手で受け止めると、そのまま左手で蟲龍の手首を掴んで、投げ回した。

 

「ぐぅッ!」

 

地面に背中を強打し、呻く蟲龍。

マウントポジションを取ったネメシスは、そのまま追撃の拳を振り下ろそうとして……止めた。

ネメシスの蒼い複眼の多重視界のひとつは、蟲龍の体内で起きる細胞の変化の映像をつぶさに捉えていた。

本能的に生命の危険を察知したネメシスは、折角手にしたマウントポジションを早急に手放した。

 

“ガガガガガッ!”

 

まさにネメシスが退いた次の瞬間、蟲龍の背中から延びた一本の足から、物凄い発射速度で超音速の弾丸が放たれた。あとコンマ1秒でも脱出の判断が遅れていれば、今頃ネメシスは蜂の巣になっていただろう。

 

「チッ……はずしたか」

 

なるほど、戦闘体に移行しなかったのは今の射撃を狙っての、油断を誘うためだったか。もし、あのとき、ホテル『ベイシティ』で“あの人”と戦っていなければ、たしかに自分はその姿に騙されて、油断してしまったかもしれない。強い執念を持つ相手を敵に回した場合、ひと時たりとも気を抜いてはならないことを、あのときの戦いで学んでいなければ…。

得心したネメシスは、同時に蟲龍の狡猾さに内心舌を巻く。

復讐心に身を支配されてなお、策を練るほどに冷静でいられる蟲龍は、間違いなく強敵だった。

起き上がった蟲龍は、もう人間の姿をしていなかった。

龍と、百足と、人間のキメラ……完全なる龍臣、戦闘体の、蟲龍の姿がそこにはあった。

全身から突き出した百足の足のような銃身が、ネメシスを狙ってフレキシブルに蠢いている。

 

「喰らえィッ! “弾矢嵐招”!!」

 

“ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!”

 

……その数、ざっと見ただけで百本はあろうか。とにかく、その百余りの銃身が一斉に火を噴いたので堪らない。

蟲龍が言い終えるよりも早く、彼自身の体内で精製された銃弾は、巨大な波となってネメシスとレッドスターを襲った。

赤い流星が急発進して弾幕の射程圏外へ逃れようと走り出し、ネメシスはその強靭な生体装甲と健脚を頼りに津波から逃れるべく疾走する。

それぞれ正反対の方向に散開した両者に反応して、百足の足が機敏に動く。

 

「ハァッ!」

 

“ヒュン!”

 

空を切り裂く飛針の飛翔音。

しかし激しい銃撃の銃声に巻き込まれ、掻き消されたそれは、蟲龍の体に到達する前に撃ち落されてしまう。

ならばとばかりにネメシスは、多少のダメージは覚悟の上で蟲龍に肉迫しようと突進した。

どっと押し寄せる銃弾の嵐を、時に二本の足を頼りに、時に携えた二刀の刃を頼りに、一歩進むにつれて苛烈になっていく弾幕の中を、駆け抜ける。

そしてついにその姿を己の持つ双剣の間合いに捉えたとき、ネメシスは迷わず己の持つ奥儀を放った。

 

 

――小太刀二刀・御神流・奥儀之六!

 

 

その剣尖の速度は、銃弾によるダメージでやや鈍っていたものの、それでも十分に速く、鋭く……蟲龍はその軌跡を、閃光としか認識出来なかった。

 

「――薙、旋!!」

 

四条の閃光が、蟲龍の視界の中で繚乱した。

 

 

 

 

 

――海鳴市・ホテル『ベイシティ』前――

 

 

 

 

 

毒針の雹雨は少しずつ勢力を弱めていった。

蜂女が毒針を発射し、再装填を果たすまでには若干のタイムラグがある。

そのことに気付いたデルタブルーは、その間隙を縫って青の光矢を放つうち、すでにひとりで三体の蜂女を撃破していた。

 

“ビュンッ……ジュパン!!”

 

「キシャアアアアアアッ!」

 

……これで四体目。

高密度に濃縮された高出力のレーザー矢に肢体を貫かれ、蜂女は絶叫を迸らせながら地面へと墜ちていく。

飛行可能であるがゆえに軽く、脆弱に出来た蜂女の身体は、当たり所によっては通常の銃弾でも十分致命傷となりうる。狙撃仕様のデルタスーツの各種センサーによって強化されたブルーの射撃の腕前はまさに百発百中。しかもデルタブラスターも、ブルーアローも、通常の歩兵小火器とは比較にならぬほどの高威力を有している。狙撃の機会さえ得られれば、十五対一の戦力差を引っくり返すことも決して絵空事ではない。

 

「デルタブラスター!」

 

毒針の再装填に手間取っている一体に、すかさずホルスターから大型光線拳銃を抜き、ブルーはトリガーを引き絞る。

何条もの高出力レーザーの刃がその身を貫いたかと思うと、一瞬にして蜂女の身体は猛火に飲まれ、焼け爛れる羽根では飛ぶための揚力を得ることが出来ず、必死の羽ばたきの甲斐もむなしく落ちていく……。

 

(ごめんね……)

 

決して見ていて気持ちの良いものではない。

いくら人間の姿からは遠く離れた異形とはいえ、焼ける肉の異臭、高感度マイクを通して耳を打つ悲鳴は、容赦なく舞の心を痛めつける。

ブルーは胸の奥で燃え盛る亡骸に謝罪しながら、なおも襲いくる毒針を避け続けた。

とにかく、これで五体目。

ようやく当初居た敵の3分の1を撃破出来た。

しかし、デルタブルーに戦友の援護に回れるだけの余裕は、まだ与えられない。

3分の2にまで減少したとはいえいまだ針雨の勢力は強く、現状ではまだそれを防ぎながらレッドのバックアップに回ることは不可能だ。せめて、あと2・3体……敵の戦力を、半分にまで削らなくては。

ほっと息つく暇もなく、間髪入れずに襲ってきた毒針を弓で弾きながら、ブルーは孤軍奮闘する赤い戦友に視線を送った。

デルタレッドは……

 

 

 

 

 

デルタレッドは、もはや地上からデルタブラスターを撃っているだけでは翼龍は止められないと、ひとつの決断を下そうとしていた。

 

(わたしの射撃の腕前じゃ、あの『龍』を止めることは出来ない……)

 

そして、自分の霊力を篭めた技では『龍』に致命傷を与えられないことは、針龍との戦いで証明済みだ。

とすれば、今や自分に残された、翼龍を止める方法はただひとつ……

デルタレッドは、両手を広げて立ちはだかった。翼龍の飛行進路上……ホテル『ベイシティ』の、ガラス張りの出入り口の前に。

デルタレッドは、己の小さな身体を盾にしてでも、翼龍を止める腹積もりだった。

ヘルメットのバイザーに表示されたデジタル速度計は無慈悲な数値を出力している。

時速750キロメートル。それが、今の翼龍が発揮している飛行速度だ。そんな高速で突進されては、小柄なレッドの体などひとたまりもないだろう。盾になってでも……とはいうが、結果がどうなるかは、実際にその時が訪れずとも分かりきっている。彼女が自分の身を犠牲にして翼龍を止められる可能性は、かなり低い。

しかし、だからといって……

だからといって、“何もしない”なんて、レッドには……那美には、出来なかった。

自分の力は親友の眼鏡の女の子や、尊敬する義姉に比べればはるかに非力だ。そんな自分に出来ることなど、高が知れている。無理して、背伸びして、失敗してきた数々の実体験の記憶を、自分は決して忘れていない。

けれど、それでも、少しでも可能性があるのなら……

“あの時”もそうだった。祟り狐と化した久遠を救おうと奮戦した、あの時も……。

叫んでいるばかりじゃ何も変わらない。行動しなければ。それも、より可能性の高い方に……小さな胸に大きな決意を秘め、デルタレッドは、翼龍の進路上に立ちはだかる。

一方の翼龍は、目の前に現れた邪魔なその壁を避けようと旋回機動を取ろうとする。

しかし、機敏に羽根の動きを察知したレッドは、翼龍が旋回して避けようとするその未来位置に、すかさずデルタブラスターを撃ち込んだ。余裕でそれを避けた翼龍は、ならばとばかりに急上昇。デルタレッドの頭上を通過し、一気に急降下してホテルの中に突入しようとする。

だが、それすらも見越していたレッドは、ガラス張りの景色すべてを守るように、レーザーの出力を臨海レベルまで、エネルギーの集束率を最低レベルにまで変更し、デルタブラスターを撃った。

瞬間、拡散されたレーザーのシャワーが翼龍の体にまとわりつき、光芒が、龍臣の視界を広く覆いつくした。

 

「そう……」

 

マキシマム・レベルまで出力を上げたとはいえ、拡散されたレーザーでは、翼龍の体を傷つけるには至らない。

槍を手にした龍臣は、あくまで自分の行く手を阻もうとするその娘の姿に、嗜虐の笑みをこぼした。

敵わぬと分かっていながらなお他者を守ろうと、己の前に立ちはだかる少女の姿は美しく、気高く……翼龍は、そんな彼女の、自分の足元に這いつくばり、泣いて許しをこう姿を見たくなった。

 

「あなたが、28人目になりたいのね…」

 

翼龍は、槍を構えた。

急降下によって時速1000キロメートル超にまで加速した翼龍が持つ、すべての運動エネルギーが、槍の先端に集中する。

 

「那美さん!」

 

デルタイエローが悲鳴を上げる。

イエローブレードの一刀が閃いて、ルビーセイバーの斬撃を弾きながら、黄色い下肢がしなやかに躍る。

しかし……届かない。

デルタイエローのスピードでは、レッドの援護に間に合わない!

 

「ケケェーッ!」

 

怪鳥の嘶きが、空を泳いだ……

 

 

 

 

 

“ブオオオンンンッ!!”

 

……そのエンジンの絶叫に、誰もが耳を傾ける。

デルタハーツの面々も、イエローを追うBatも、そしてデルタレッドに向かって突撃する翼龍さえもが、一斉にそちらの方を向き、動きを止める。

……いや、ひとりだけ違った。

翼龍は自ら動きを止めたのではなく、“誰か”に動きを止められていた。

古臭いデザインのオートバイに跨るその“誰か”は、翼龍が突く槍の穂先を躱し、柄の部分を両手で掴んで、龍臣の持つ運動エネルギーをその一身に受け止めていた。

 

「ナ…ニ……?」

 

時速1000キロものスピードで突進する龍臣の動きを見切り、あまつさえ自分とデルタレッドの間に割り込んで、槍の穂先の部分だけを避け、柄を握って動きを止める……人間離れしたその男の行動に、翼龍は思わず驚嘆の吐息を漏らしてしまう。

男は、そのまま上腕に力を篭めると、腕力の限り両腕を振るった。

翼龍の身体がくるくると宙を舞い、慌てて龍臣は双翼を動かして姿勢を正した。

地上10メートル。空中で体勢を整えた翼龍の高度は、そんなところだろう。投げ飛ばされた高度の高さは、取りも直さず、男の両腕が発揮した力の強さを示している。

その、明らかに人間離れした身体能力の一端に、デルタハーツの面々は息を呑んだ。

ただ驚愕に身を震わせるだけでなく、男の身体から放たれる貫禄に、少女達は背筋を震わせた。

アサルト・スーツを着込んでいるわけでも、道着を着ているわけでもない男だったが、ヘラクレスを彷彿とさせる逞しい体躯は、まさに歴戦の戦士と呼ぶに相応しい風格を纏っている。彫りの深い端正な顔立ちが滲ませる苦悩の表情は、その男が歩んできた半生が、どれほど過酷な旅路であったのかを無言で主張している。

……アサルト・スーツも、軍服も着ていない?

やがてはっとした様子でデルタレッドが、

 

「み、民間人は早く非難を……!」

「すまない。そういうわけにはいかないんだ」

 

バイクの背から降りた男は、そう言って両腕を大きく広げ、天高く掲げた。

 

「俺は、君達の手伝いをするためにやってきた。その俺が、逃げ出すわけにはいかないだろ?」

「え……?」

 

その男……神敬介は居並ぶ異形の群れに悲痛な視線を向けた。

特に、上空に舞う蜂女達に、はてしない悲しみをたたえた眼差しを向けた。

敬介の耳膜を、はるか遠い波の音が、打った。

 

「大・変・身!!」

 

……男の身体が、変わる。

仮初めの温もりを脱ぎ捨て、冷たい、機鎧の躯(きかいのむくろ)が世に降り立つ。

その鉄の拳を包むは深海の黒…。

その厚い胸板を守護するのは真紅の鎧……。

銀色の仮面が照りつける日の光を反射し、眩い輝きを放っていた。

電流を走らせる黒いマフラーが、烈風にたなびいていた。

……我々は知っている。

…………ひとつの伝説を。

………………『人間でないこと』に誇りを持ち、孤独な戦いにその身を投じた勇者の伝説を。

……………………我々(ぼくたち)は、知っている。

 

「え……!?」

「うそ……!」

 

デルタレッドとブルーの口から、愕然とした驚きが漏れた。

国際空軍のデータベースにアクセスする権限を持つ2人の少女は、他の民間人や一般市民よりも、決して表舞台には上らぬその戦歴についてよく知っていた。

深海の奥深く、闇に潜む悪鬼との戦い。穢れた神話の眷属達との、悲劇に満ちた闘争の道程。古の時代より蘇った、悪魔達との死屍累々たる死闘。

己の青春のすべてを投げ打って、その鋼鉄の戦士は戦ったのだ。

男の名は神敬介。

またの名を―――――――

 

「仮面ライダー……X!」

 

自ら名乗りを上げるや、鋼の勇者は大地を蹴る。

自分の背丈の何十倍もの高さを跳躍し、戦士は……Xライダーは、己の放つ最強の技を放つ。

 

「ライドル・スティック!」

 

ベルトの風車が、燃え盛る炎のように回る。

腰から引き抜いたライドルが、Xライダーにさらなるパワーを送り込む!

 

「ッ! 蜂女達――――――」

 

Batは、10体にまで消耗した己に忠実な部下達の名を呼んだ。

名前を呼んだだけで、明確な指示など何もなかったが、夜の王子に陶酔する彼女達には、それだけで十分だった。

Xライダーが、回る。

まるで鉄棒の大回転のようにライドルを基点に、銀色の風車を回す。

そしてXライダーは、跳んだ。

最初の跳躍によって飛び上がった高度数十メートル。その場所から、さらなる高みへと、飛翔した。

空中に、小さな、小さな、十字架が出現する。

鮮烈なる閃光を放ちながら、巨大な“X”が降下する!

 

「Xキイイイ――ック!!」

 

翼龍の前に、10体の蜂女が列を作った。

主の命令に何ら疑問を抱かぬ彼女達は、そのしなやかな肢体を惜し気もなく盾とした。

自分の意志で、ではない。今の彼女達に、自分の意志はない。

Xライダーの漆黒のブーツが、最初の一体に炸裂する。

縦に並んだ蜂女達の身体を、一本の矢と化した鋼鉄の戦士が、貫いていく。

やがて最後の一体を貫き、Xキックが、翼龍の眼前に肉薄した。

翼龍の体を、衝撃が襲った。

 

 

 

 

 

「これは……」

 

閃光の抜刀撃は、しかし、初太刀からして止められる。

圧倒的なネメシスの怪力で振るわれた斬撃の突風を阻んだのは、不気味に蠢く百足の足だった。

秒間百発は下らぬ弾丸の放出をぴたりとやめ、必殺の斬撃に反応して俊敏に動いた不快な足は全て、甲龍の装甲ほどではないが頑強な甲殻に包まれていた。

また、百足の足は単に自らを盾としただけでなく、前面に生えた微細な柔毛の一本一本を巧みに動かすことで、ネメシスの渾身の一撃の威力を大幅に削ぎ落としていた。

ほとんど間断なく放った第二撃も同様に止められ、必然、悲しみに染まったネメシスの蒼の複眼と、復讐の炎に燃える蟲龍の視線が間近で絡み合う。

 

「ふ、ふ、ふ」

 

蟲龍は不気味な哄笑を浮かべた。

間近に迫ったネメシスに、緑色の唾を飛ばしながら叫んだ。

 

「止めたぞ、貴様の最強の攻撃を!」

「クッ!」

 

勝ち誇ったその言葉を否定するかのように、ネメシスは一旦二刀の刃を引き戻し、そこから自らの持つ技の中で、そして御神流の奥儀の中でも、最速に位置する斬撃を放つ。

 

「虎切!」

 

本来は遠間からの抜刀術だが、動作を限りなくシンプル・コンパクト化し、至近距離で放てばそれは最速となる。

 

「無駄だ」

 

“ギィン!”

 

その言葉通り、ネメシスが放った斬撃は、またも俊敏な百足の足によって阻まれる。

あまりにフレキシブルなその動きは、もはや関節の限られた足というより柔軟な触手に近い。

 

「俺の体表を覆うこの毒虫の足は、貴様がその刃を振るうよりも速く、貴様がその拳を突き出すよりもさらに速く……貴様の筋肉の微細な動き、その躍動によって生じる大気の僅かな揺らぎを感じ取って、俺の意志とは無関係に、自動的に反応している。貴様のスピードでは、俺の防御を突破することは出来ん!」

 

方向と同時に、巨大な龍の顎から緑色の洪水を吐瀉する蟲龍。百足のキメラたる龍臣必殺の、濃縮されたヒスタミン系の毒液だ。

至近距離で発射された狂乱の液体を、ネメシスは頭を動かしてなんとか躱す。

距離を取りつつ二度・三度と盛大にぶちまけられる吐瀉物を回避していくが、一定以上の距離が離れたところで加えられた百の銃火が、ネメシスの軽快なその動きを阻害する。

やがて一発の銃弾が、ネメシスの右肩を掠った。

それ自体は直撃ではないから大したダメージにはならなかったが、衝撃でネメシスはほんの少しだけバランスを崩してしまう。

そしてその隙を逃すことなく、毒液の奔流が弾丸の掠めていった右肩を濡らした。

 

「あ……ああああああああああああああ――――――ッ!」

 

ネメシスは、彼のものとは思えないひきつった声を上げた。

ヒスタミン系の猛毒が、右肩を中心にネメシスの身体に激痛と高熱の洗礼を注いでいた

 

「あ…う……」

 

ネメシスは、ガクリと膝を折った。

毒液が及ぼした改造人間の肉体へのダメージは、決して深刻なものではない。

ネメシスは、ただ激痛と発熱の苦しみから、地面に膝を着いたのだった。

常人であれば秒とかからずに気がふれてしまいかねないほどの激痛に叩きのめされ、廃人同然のネメシスは、かすかに震えていた。

 

“ジャキ……”

 

そして無防備な彼に、百の銃口が狙いを定めた。

 

「死ねェ! “弾矢嵐招”!!」

 

蟲龍は、咆哮とともに天災の銃火をネメシスに放った。

 

「ぬっ!?」

 

蟲龍は、唸り声とともに頭上を見上げた。

廃人同然の身になりながらなお僅かな気力だけを頼りに跳躍したネメシスは、銃火を回避するやくるりと空中で一回転。蟲龍の背後に降り立ち、すかさず拳を振るう。

 

“ギィン! ギィン! ギィン!”

 

……百足の足は、蟲龍の背中にまで生えていた。

 

「無駄だと言っているのが、まだ分からないか?」

 

侮蔑の色も露わに、蟲龍は振り返る。

……だがそこに、ネメシスはいない。

 

「ぬっ?」

 

――どこに行った?

口から出かかったその言葉を、蟲龍の声帯が紡ぎ出すことはなかった。

口にするまでもなく、ネメシスの居所はすぐに判明した。

 

「ここだ……」

 

本人が、教えてくれた。

ネメシスは蟲龍の5メートル先で、まだ少し震えながら立っていった。

 

「……馬鹿なやつめ」

 

蟲龍は、“フン”と鼻を鳴らした。

 

「そのまま逃げておれば、よもや助かったかもしれぬものを」

「そういうわけにはいかない。お前をここで倒しておかないと、また、多くの犠牲が出る」

 

ネメシスは、震える両腕で必死に小太刀を支え、二刀を構えた。

 

「お前達の行為は、単なる人殺し以上に恐怖を与える。何の罪もない、ただ毎日を過ごしているだけの人達に、絶望を与える。許すわけにはいかない」

 

恐怖のうちに死んでいった人達の無念。

遺された人達の悲しみ。

恐怖を呼ぶ者達(テロリスト)が招いた恐怖(テラー)によって人生を狂わされた少年は、知っている。

知っているからこそ、眼前の龍臣を許すことは出来ない。

 

「……それに、最初から逃がす気なんてないだろう?」

「当然だ。甲龍の、そして散っていった仲間達のためにも、お前は、ここで、俺が倒す!」

 

蟲龍は、そう叫ぶと、突進した。銃弾をばら撒きながら。

 

(――遠間からの射撃では奴に致命傷を与えることは出来ない。弾丸が最大のエネルギーを有している距離からの射撃でなければ)

 

そのための最適な距離。

弾丸の持つスピードが、最高値に達する距離。

弾丸の運動エネルギーが、最大値に達する距離まで、一気に接近する。

5メートルという距離が、あっという間に詰まる。

 

「“弾矢嵐招”!」

 

百足の足が、躍り狂った。

必殺必中の距離で。

ネメシスは……

 

「ッ!!」

 

ネメシスは、蟲龍の眼前で、消え去った。

 

「……なにっ?」

 

気が付くと、蟲龍は青空を仰臥していた。

右足の内腿をザックリ切られ、強く背中を地面に打ちつけていた。

視界の中に、黒い陰が差し込む。人影だ。抜き身の小太刀を手にしたネメシスが、自分を見下ろしている。闇色の生体装甲に、銃弾による傷はない。

 

(馬鹿な――!?)

 

口から出かかった言葉を、蟲龍は必死に飲み下した。

仲間の仇討ちに燃える龍臣の頭脳は、この不可解な事態を前に冷静だった。自分の身に何が起きたのか、一体全体、ネメシスが自分に何をしたのか、状況を分析する。

己の放った必殺の銃火は、確かに回避不可能の距離で異形の戦士の姿を捉えたはずだった。しかし、今、自分を見下ろすネメシスに、銃弾による目立ったダメージはなく、それはすなわち、仮面の剣士が自分の攻撃を何らかの方法で回避したことを示している。そして、いつの間にか自分は倒され、あまつさえ触手の防御を抜けて右足を切られてしまった。

 

(あの距離で俺の攻撃を躱し、その上触手の防御を抜けただと……? いったいどんな魔法を……)

 

……蟲龍は、考え違いをしていた。

ネメシスは、別に特殊な方法や、小手先だけのトリックを使って攻撃を躱し、防御を抜けたわけではなかった。

ネメシスがやった事は、己の引き出せる最大のスピードを発揮し、その上で最速の斬撃を放ったに過ぎなかった。

それは、『薙旋』や『虎切』、『射抜』などの奥儀よりもなお速く。より正確にいえば、それらの技の速度をさらに上げる――――――

――と、そこで蟲龍は気が付いた。

自分を見下ろすネメシスの視線……はて、あの漆黒の悪鬼羅刹の瞳は、あんな色であったろうか?

蟲龍が見上げるネメシスの複眼がたたえるのは、悲哀の蒼ではなく、超感覚の世界に生きる者がたたえる、無心の白色だった。

 

 

 

 

 

……襲ってきた衝撃は、しかし、予想していたものほど大きくなかった。

そして襲来した衝撃は、真正面からではなく、横からやってきた。

 

「……え?」

 

翼龍は、わが目を疑った。

突然の衝撃に突き飛ばされ、落下していく彼女は、その光景に愕然とした。

 

「牙、龍……?」

「これ以上、仲間達をやらせはせん……!」

 

次の瞬間、翼龍の視界の中で、自分を守るために割って入った牙龍の、防御のためクロスした両腕に、Xキックが炸裂した。

 

「ヌゥオオオオオオ――――――ッ!!!」

 

絶叫が、天地を貫いた。

十体の蜂女を貫いてなおいささかの威力の減退も見せぬ必殺の蹴りが、男の両腕を破壊する。

細胞の一片々々、それを構成する原子核を砕かれながら、牙龍は、吠えた。

 

「おおおおおお――――――んんんッ!!!」

「ッ! これは……!?」

 

本能的に何かを察知したXライダーは、咄嗟に突き出した右足を引き、逆に左足を突き出した。

牙龍の両腕を足場に、銀色のボディが宙を舞い、弧を描いて落下する。

Xライダーが着地した。

牙龍も着地した。

やや遅れて、翼龍も地上に降り立った。

Xライダーは、ハイスチールの金属繊維で編みこまれた黒いブーツに包まれた、己の右足を見た。膝から下が、ブーツ本来の色とは別に黒く染まっている。Xライダーの、血だ。ハイスチールの強靭な金属繊維ごと、右足の肉がズタズタに引き裂かれている。

 

「この傷…それにその腕は……」

 

Xライダーは、視線を牙龍に注いだ。

未だ人間の形態のままでいる牙龍だったが、両腕だけが奇妙に変形していた。

人間の皮を、肉を、突き破って、ナイフのような鋭い“牙”が、何本も、何本も、両腕から生えている。ピカピカとした眩い煌きではない。打たれ、鍛えられ、強くなった鉄の、鈍い輝きをたたえた“牙”の先端は、血で僅かに濡れていた。

 

「その右脚、完全に食い千切ることは叶わなかったか」

 

牙龍は、ゼェゼェと肩で息をしながら言った。

不完全のまま終結したとはいえ、Xライダーの放った一撃は、彼に深刻なダメージを与えていた。

 

「両腕の変化を感知してすぐに攻撃をやめたか……的確な判断だ。仮面ライダーNo,5」

「……知っているのか? 俺達のことを」

「大した情報量ではない。あのネメシスなる不逞の輩が、最初に我々の前に姿を現したとき、その名前を名乗った。だから調べた。そして、お前達のことを知った。……翼龍!」

 

牙龍は、Xライダーの背後に回って槍を構える翼龍の名を呼んだ。

 

「……一時撤退だ」

「ッ! そんな、牙龍!」

「撤退だ! ネメシスやデルタハーツはともかくとして、この男は何の準備も策もなしに、勝てるような敵ではない。……『ヘルショッカー』の、貴様もそれで良いな」

「…仕方ないな」

 

Batの語調は忌々しげであったが、牙龍の言うことが正論であるためか素直に従った。

 

「残念だけど、“本物”の仮面ライダーを相手にするのに、今ある戦力じゃ不足している。逃げる方が、最善の策だね」

「……分かったわ」

「話がまとまったところ悪いが、俺が素直に『はい、そうですか』と、見逃してやると思っているのか?」

 

ライドルホイップを脇に構え、Xライダーが言う。

それに対して牙龍は、

 

「逃げ切ってみせよう。全力でな」

 

翼龍とBatが飛び立ち、それぞれ別方向へと散開した。

牙龍の両足が地を蹴り、Xライダーが大地を滑った。

 

 

 

 

 

――小太刀二刀御神流・奥儀の歩法『神速』。

人間が意識集中を極限まで高めると、通常の数倍の長さに時間そのものを『引き延ばして知覚する』ことが出来る。その際に知覚する“感覚時間”は、普通に日常を過ごしているときとは比べ物にならないほど鋭く、速い。

その、感覚時間の引き延ばしが一定限界を超えると、今度は肉体のほうが感覚との矛盾に着いてこようとして、それまで無意識にかかっていた筋肉のリミッターを外すようになる。この瞬間は骨格や腱、対抗する筋肉の強度限界を無視した『人間の100%』の能力を、引き出すことが出来るようになる。いわゆる、『火事場の底力』というやつだ。

この『火事場の底力』を、意図的に発揮出来る“技のレベル”まで昇華したのが、御神流『神速』である。

『ヘルショッカー』に拉致され、改造手術を受ける以前の恭也は、この『神速』状態で放つ『薙旋』を、最速にして最強の技としていた。

そして、改造人間となった今、恭也は……

 

 

 

 

 

改造人間の知覚、骨格、筋肉で『神速』を発動させたネメシスは、モノクロの世界に自身を置いていた。

自分との距離を詰めようと駆け出す蟲龍の足音。

大気を揺らし、地を鳴らす一連の筋肉の躍動の音を強く、遅く聞きながら、ネメシスは、ゆっくりと両足に力を篭めた。

やがて、ゆるりゆるりと(・・・・・・・)蟲龍が肉薄し、総身から生えた百足の銃口が、射撃のために僅かに動く。

射撃の起点を見切ったネメシスは、動いた。

直後、非常にゆっくりとした速さで音速の銃弾が無数に飛び出し、ネメシスの居た虚空を、その空間の大気を震撼させた。

流し目に見ながらネメシスは、左腕で蟲龍の右脚を掬い上げた。と同時に、左手の一刀を垂直に立て、触手の自動防御が発動するよりも速く、龍臣の大腿部を切り裂いた。

刃を引き、左手を抜く。

蟲龍の体が仰向きに倒れ、龍臣の貴い血が、アスファルトに飛び散る。

ここまでで、僅か1秒間の攻防。

かつて右脚を砕いた恭也の、『神速』の限界時間。

だが、改造人間となった今の彼ならば、さらにその先の領域へと辿り着ける。

横たわる蟲龍を見下ろしながら、白眼の鬼は言った。

 

「突破したぞ。その防御を」

「くぅッ!」

 

蟲龍の口から、毒液が吐き出された。

ジェット水流のような勢いで噴出した緑色の液体は、しかし、今のネメシスにとって、回避はいたって容易だった。

ネメシスは蟲龍の身体を蹴り上げた。

そして『神速』の世界で、今度こそ『薙旋』を放った。

 

 

――小太刀二刀御神流・奥儀之六『薙旋』!!!

 

 

閃光が、閃光すらも超越した銀色の煌きが、一閃、二閃、三閃、四閃。

蟲龍の四肢が切断され、遅滞する感覚時間の世界で、残された胴体が宙を舞う。

ネメシスは、『神速』を解いた。

色彩と同時に通常の時間が世界に戻り、胴体だけの蟲龍が大地に突っ伏する。

その刹那、ネメシスの右足が光り出した!

右膝からゆっくりと光は全身に浸透して、再び右足に収束される。

そして、彼は跳躍した。

空中でくるりと一回転し、彼は、右足を突き出す!

 

「――カーズド・ライト・キック!!!」

 

力の名は水。

季節は冬。

その色は黒。

“呪われた右足”が、総てを眠らせる!

光り輝く右足で背中を蹴られ、地面に押し付けられ、蟲龍は……

 

「す、すまない……甲…龍……!!」

 

……今は亡き、親友の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

“グワオオオオオオンンンッッ!!!”

 

爆発。

炎上。

総ての存在を眠らせ、安息へと導く炎。

背後に爆音を聞きながら、ネメシスは変身を解いた。

戦いを終えた恭也の表情は、勝利という結果とは裏腹に、冴えなかった。

恭也の耳の奥では、未だ最期の瞬間に蟲龍が残した言葉が残響していた。

 

『す、すまない……甲…龍……!!』

 

最期の瞬間、断末魔の蟲龍が声を振り絞って叫んだのは、自分に対する恨み言でも、非業の死に対する悲観の言葉でもなかった。

蟲龍が残したのは、仇討ちを果たすことが出来なかった仲間への、謝罪の言葉だった。

たしかに、蟲龍は決して許してはならない敵だった。人間を命として見なさず、自分達の身勝手な独善のために無辜の人々を襲い、殺す、悪魔の死者……『龍』の手先。

しかし、仲間のことを想う純粋なその気持ちに、嘘偽りはなかった。

仲間を想うその純粋な気持ちは、自分達人間が抱くそれとまったく同じだった…。

 

(クッ…迷うな……)

 

恭也は、未だ耳の中で何度も繰り返す蟲龍の声を、振り払うように頭を振った。

 

(迷ったら負けだ。後悔や懺悔は、後でいくらだって出来る)

 

今は、自分を信じて、自分を助けてくれた北斗を信じて、行動するしかない。

恭也はレッドスターに跨ると、ホテル『ベイシティ』の方角へとフロントを向けた。

ヘルメットを脱いだままの恭也の両目が、大きく見開かれた。

恭也だけでない。彼が跨る意志を持つマシン……恭也の親友の、魂を宿したオートバイも、アイドリングとは別の震えを引き起こしていた。

恭也と、レッドスターが向くその先に――――――彼は、居た。

その、長身の男は、メタリックな青色と白色で塗られたロードスポーツバイクに跨っていた。身長以上に大柄な男だ。フルフェイスのヘルメットをしっかりと被り、じっとこちらを見つめている。

乗っているオートバイはスズキのGSX1400で、恭也にとってそれは思い出深いバイクだった。1401ccの油冷式4気筒エンジンに自分もかつて憧れ、大排気量のオートバイを手足のように乗り回す親友の姿に、自分も大柄に生まれたかったと思ったものだ。

男が、ゆっくりとヘルメットを脱ぐ。

外気に晒された端正な甘いマスクに、恭也は、言葉を失った。

 

「よう……」

 

男が、気さくに挨拶をしてきた。

まるで親しい友人にそうするかのように。

 

「あ……」

 

喉が、カラカラに渇いていた。

あまりの驚きに、脳が理解を拒んでいた。

頭の中で、強烈な衝撃とともに優しいその微笑みがフラッシュバックする。

何人もの女の子を虜にし、自分と、自分の家族に幾度となく、安らぎと、優しい時間をプレゼントしてくれたその微笑み……。

恭也は、ようやくのことで声を搾り出した。

 

「あ、赤星……?」

「久しぶりだな。高町」

 

その男は、何人もの女の子を虜にし、自分と、自分の家族に幾度となく、安らぎと、優しい時間をプレゼントしてくれた、その微笑みを浮かべた。

恭也の前に、赤星勇吾が立っていた。

 

 

 

 

 

――二月下旬・香港――

 

 

 

 

 

「……今ので、二割の出力だ」

 

そう言って、雷鳥は静かに風裂を折り畳んだ。

強大な震天の力によって蹂躙された世界は、まるで局地的な台風に遭遇したかのように悲惨な光景を、雷鳥の網膜に映していた。

その、台風の直撃を真っ向から受け止めた泊龍……弓華は、自らの分泌液でアスファルトを赤黒く汚し、沈黙とともに倒れ伏していた。

物言わぬ彼女の傍らでは、彼女が己の身を捧げて守った二人が、必死に身体を揺さぶっていた。

 

「弓華! しっかりすんだ。弓華!」

「……案ずるな、人間よ。出力を抑えた上に加減はしてやった。死にはすまい」

 

簡潔であるがゆえに重みを孕んだ声が、都会の喧騒から離れた香港の夜気を裂く。

 

「気を失っているだけだ」

 

雷鳥は、そう言うと美紗斗達に背を向けた。

 

「目が覚めたら、伝えておけ。『今一度選択の猶予を与える』とな。『一度は裏切ったお前を、再び迎えようという我の心中を、察してくれ』ともな」

「お前は……」

「素直に伝令役を頼まれてくれるのなら……我らの神が蘇った際には、苦しまずに速やかな“死”を与えよう。それが我らの慈悲……ッ!!」

 

突然、雷鳥が身を翻した。

一度は畳んだ風裂を展開し、一閃する。

指向性のカマイタチが発生し、雷鳥の三白眼が睨むその先……無人の民家の壁を、切断する。

泥の壁が斬割され、もうもうと土埃が舞い上がった。

その土埃の噴煙の中から、雷鳥目掛けて巨大な光弾が飛び出した。

風裂を盾とし、雷鳥は襲いくる光弾を防ぐ。

 

「“気”の光弾……この独特の波形は、“王気七星破”か」

「へぇ…“極星拳”を止めるとはな」

 

雷鳥の頭上で、声がした。

満月を背に、ひとりの武神が立っていた。

月明かりに照らされて映える真紅の異形に、美紗斗と啓吾が息を飲む。

 

「貴様は……」

「七星闘神、ガイファード」

「……なるほど。すでに我らの動きは監視されていたわけか」

 

雷鳥は、風裂を全開にまで広げた。

真紅のボディに宇宙生命体の緑の光輝を宿したメカ改造戦士は、全身に闘気(オーラ)を纏わせながら、構えた。

 

「お前達『龍』の存在は、『バラノイア戦争』の直後からずっと監視していた。俺だけじゃなく、多くの戦士達が、世界中でお前達『龍』の動向を見守っている」

「不愉快な話よ」

「今、お前達が日本で行っている事、行おうとしている事、簡単にいくと思うなよ」

「ふ……」

 

雷鳥は、薄く冷笑した。

風裂が巻き起こす暴風が、彼の身体を包み込んだ。

 

「その言葉、憶えておこう。七星闘神よ…」

 

雷鳥の声が、どんどん遠ざかっていく。

烈風の腕に抱かれたその身体が、どんどん透けて見えなくなっていく。

風が、ぴたりとやんだ。

同時に、雷鳥の姿も完全に掻き消えた。

 

「逃げたか……いや、向かったのか。日本…もしくは、アメリカへ」

 

ガイファードは、呟くと立っていたビルの屋上から飛び降りた。

美紗斗達のすぐ側の辺りで着地すると、敵を見失った闘神は、茫然とする彼女達に、

 

「大丈夫か? 手ひどく、やられていたようだが」

「あ、ああ。僕らの方は問題ない。けど、弓華が……」

「……どいてくれ」

 

ガイファードは、か細く息を繰り返し、小さく胸を上下させる弓華の下腹に、そっと黄金の五指を這わした。

 

「俺の“気”を送り込む。残念だが俺の力じゃ傷そのものを回復させることは出来ないが、“気”を送り込むことで、彼女の自然治癒能力を高めることは可能だ」

 

怪訝な顔をする二人に説明をして、ガイファードは右手に意識を集中する。

黄金の五指が輝きを増し、光輝が、生命の源たる子宮から、弓華の全身へと流れ込む。

弓華の身体に“気”を送りながら、ガイファードは言った。

 

「色々と訊きたいことはあるだろうけど、今はやめてくれ。今は、彼女の回復を手助けするのに、専念したい。……救急車は?」

「今、呼んだよ」

 

携帯電話を片手に美紗斗が言った。

秘話機能を搭載した携帯電話のメモリの、最新の通話履歴は病院との通話となっていることだろう。

ガイファードは頷くと、視線を弓華に戻し、また、美紗斗に移した。

「ひとつだけいいかな……」という、前振りとともに美紗斗が口にした質問が、闘神の視線を再び彼女に戻させた。

 

「なんだ?」

「いまいち事情がつかめないし、状況も判然としない。訊きたい事はたくさんあるけど、ひとつだけ答えてほしい。さっき、あなたは日本と口にしたね……?」

「…ああ」

 

美紗斗は、ガイファードの琥珀色の瞳を真っ直ぐ見据えながら訊ねた。

 

「それは、日本のどこ……?」

 

ガイファードは、言うべきか、言うまいか、やや悩んでから、

 

「N県に所在する生田市、宇津木市、来咲市、奈賀島市、それから……」

 

ガイファードは、知らない。

目の前のこの女性に最愛の娘が、最愛の家族が居ることを…そしてその家族が住む、街のことを……。

 

「……海鳴市の、五箇所だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回予告

 

 

念願であったはずの再会は、剣士の心を押し潰す。

突如宣告された剥奪は、巨人の心を絶望に染める。

空を埋め尽くす地獄の使者達。

急ぐ少女と剣士の前に、男は、立ちはだかる。

 

「約束しただろ? 俺と、赤星と、フィアッセの三人で、ツーリングに行くって」

 

次回

Heroes of Heart

第十五話「荒れる竜」

 

 

 

 

 

設定説明

 

“蟲龍”

 

身長:220cm 体重:157kg

 

第九話、第十話、第十四話に登場。

龍と、人間と、百足の龍臣。

同盟協定違反と知りながら『大祭司』から仮面ライダーネメシス抹殺の密命を受け、暗躍した。

遠近問わず戦闘が可能なマルチファイターで、最大の武器は全身から生えた百足の足状の銃口から放つ弾丸。また、口からヒスタミン系の毒液を吐き出すなど、多くの攻撃ヴァリエーションを持っている。

防御面も優秀で、角龍や甲龍のように堅牢な装甲を持っているわけではないが、全身から生えた百足の足をフレキシブルに動かすことで、様々な攻撃を防ぐことが可能。

必殺技は全身の銃口から一斉に射撃を行う“弾矢嵐招”。

 

 

“蜂女”

 

身長:147〜167cm 体重:31〜51kg

 

中期改造人間。

珍しい飛行能力を有した改造人間で、〈ショッカー〉の蜂女とはほとんど別種の性能を持っている。

空中における高い運動性を確保するために過剰な軽量化がなされており、身体はかなり脆弱。そのため格闘戦能力も低く、唯一にして最大の武器は毒針。

 

 

“デルタブラスターについて”

 

全長:200mm 本体重量:1050g カートリッジ・バッテリー重量:300g

 

デルタハーツの基本兵装であるデルタブラスターは、かつての“鳥人戦隊ジェットマン”に装備されていたバードブラスターに発展・改良を加えた光線銃で、基本構造は同銃のものがほぼ流用されている。ただし、生産性・整備性を考慮してデルタブラスターは作動原理をコンパクト化したガラス・レーザーとしているため、その威力はバードブラスターを比較するとかなり劣る。

デルタブラスターの射撃モードの基本は2つで、断続的にレーザー光を発射する『パルス』モードと、連続的にレーザー光を発射する『CW』モードがある。このうち『パルス』モードには『セミ・オート』、『3発バースト』、『フル・オート』の3つのオプションがあり、デルタブラスターの射撃はこの4つのモードを組み合わせて行われる。

また、レーザー光の出力、集束率の調整も可能で、本話にてデルタレッドがしたように、レーザー光をスプレーのように発射することも出来る。

また、デルタブラスターは、単体の威力ではバードブラスターに劣るものの、対怪獣用オプションを装備することでレーザー光の最大出力を3倍にまで引き上げることが可能で、その際の出力は原型となったバードブラスターさえも凌ぐ(もっとも、バードブラスターもブリンガーソードと組み合わせることでより威力の大きいジェットハンドカノンという形態があるが)。

なお、デルタブラスターの電源ユニットはカートリッジ式で、バッテリーのエネルギーが切れた際は、通常の火薬作動式銃器の箱型弾倉と同じように、カートリッジ・タイプのバッテリーを交換することで再装填を行う。

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

 

Heroes of Heart 第十四話、お読みいただきありがとうございました!

最近外伝ばっか書いているタハ乱暴でございます。

……ハイ、勿論今回のお話は外伝ではありません。ちゃんとした(?)本編です。

当初『本編→外伝→本編→外伝』の順番で執筆する予定だったのが、本編1クールが終了して設定を書こうとしたところ、どうも外伝を終わらせないと書けないという事実に気が付いてしまい、とりあえず外伝を先に終わらせてしまおうと公言していたのですが…………ハイ。嘘を吐きました。本編、書いてしまいました。自分で言ったことなのに、約束を破るような真似をして申し訳ございません。

外伝の第十五話を書いている途中に、突発的に書きたくなってしまったんです。Xライダーとガイファードを。

……ええ、Xライダーとガイファードですとも。恭也や耕介ではありません(コラ)。カーズドライト・キックではなく、Xキックを書きたかったんです。ほんの少しの文量でしたが、書いていて、物凄く楽しかったです(いや、楽しかったのは事実ですけどね)。

さて、本話についてですが、全体的に話の展開が大分シリアスです。というより、重いです。もし実写映像化するとしたら、幼稚園以下には見せられない内容になってしまいました(とらハ自体18禁だけど)。

特に耕介と恭也。ただでさえ耕介は怪獣が出ないと出番ないので薄幸なのに、この上長官の称号を剥奪されてしまいました。そして、一方の恭也は……

恭也は、本話、次回、そしてさらに次回と、しばらく大変な目に遭います。

輝かしい未来が待っているのは、何気に真一郎だけかもしれません。あとXライダー(笑)。

 

ではでは、今回もHeroes of Heart を読んでいただき、まことにありがとうございました。

この話を読んでくれた全ての人に、感謝ぁッ!!!


ヒーローものとのクロス〜。
美姫 「タハ乱暴さん、投稿ありがとうございました〜」
ました〜。連続投稿。
美姫 「申し訳ありませんが、感想はまとめてここで」
この本編とは別に外伝も一緒に投稿してもらったぞ。
美姫 「ヒーローは熱く!」
ヒーローだから勝つのではなく、勝ちつづけるからこそヒーローなんだ!
とぼやきつつ、この辺で。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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