――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、青、いつつの日、深夜。

 

オペレーション・スレッジハンマーの第一段階を成功させ、敵国バーンライト王国内で潜伏していた柳也達スピリット・タスク・フォース(STF)は、夜のうちにヤンレー・チグタム将軍麾下の方面軍と合流を果たした。

これによりエトランジェ二名、スピリット三八名、人間の兵士約二五〇名にまで戦力を巨大化させた報復軍は、進路を南に行軍を再開した。

オペレーション・スレッジハンマーの第二段階……リーザリオ制圧のための行軍だ。

人間の兵が随伴しているため、その行軍速度は時速五キロと低速だったが、夜を徹して歩き続けた甲斐あって、午前二時にはリーザリオまであと二十キロの地点に到着した。

リーザリオ住民の生活を支える湖の付近で、ヤンレー将軍らはそこに司令部を置いた。

午前二時半。

野戦司令部としての役割を与えられた天幕には、今回の作戦に参加する主要な人員が集められていた。

彼らの名前を列記すると、

 

ラキオス王国軍第三軍司令、ヤンレー・チグタム将軍。

第三軍参謀長、イダウト・ラムノク。

三〇一スピリット大隊隊長、ズカサマ・ベワカ。

三〇一スピリット大隊副隊長、ルーシー・青スピリット。

三〇二スピリット大隊隊長、クトウコ・ウトサ。

三〇二スピリット大隊副隊長、アイシャ・赤スピリット。

三〇一歩兵大隊大隊長、ミフサマ・チウノマヤ。

三〇二歩兵大隊大隊長、ジョウキ・ガナミト。

STF隊長、高嶺悠人。

STF副隊長、桜坂柳也。

特別アドバイザー、セラス・セッカ。

 

以上の十一名となる。

なお、この中に第三軍副司令の名前がないが、これは、そもそも今回のオペレーション・スレッジハンマーに副司令が参加していないためだ。方面軍の副司令は、ヤンレー将軍不在のエルスサーオの留守を任されていた。

また、各部隊の始めに付いている“三”という数字は、エルスサーオ方面軍の所属を意味している。ヘッド・ナンバー一が王都直轄軍の所属で、二がラセリオ方面軍の所属を意味していた。

天幕に集まった十一人は、早速軍議を開いた。

主要な議題は勿論、目前のリーザリオを如何にして制圧するかについて、だ。

オペレーション・スレッジハンマーの第二段階は、STFと第三軍が協同で取り組むことがラキオス王より事前に通達されていた。どちらかが一方の指揮下に入るわけではないから、互いの意思統一は作戦前の段階で行っておかなければならない。

軍議はオペレーション・スレッジハンマー第一段階の成果確認から始まった。

最初に柳也が、第三軍合流以前に簡単にまとめておいた戦果の資料を読み上げる。

「我々が確認出来た敵の戦死は青が六、赤が三、緑が四の、計一三体。遭遇した敵の総数が二四ですから、まぁ、五五パーセントの損害を与えた計算になります」

一三体を撃破、という数字は、値だけ見ると少ないように思えるが、その実、敵に与えた損害はかなりのものだ。

スピリット一人の戦力は人間の兵士一〇〇人のそれを上回る。それが一三人ということは、敵は少なくとも一三〇〇人に匹敵する戦力を失ったことになる。現代世界の軍隊に例えれば、一個連隊を失ったにも等しいダメージだ。

「我々が遭遇したこの敵が第三軍主戦力の全部だったという保証はありません。ですが、かなりのダメージを与えられたのではないかと」

「ふぅむ。それが真であれば、まさしく今こそが攻め入るべき好機ですな」

柳也の言葉にそう応じたのは三〇二スピリット大隊隊長、クトウコ・ウトサだった。

身の丈五尺と少しの小柄な男だが、強気で知られる軍人で、齢は三五歳。うなじの辺りまである長い黒髪をオールバックにした額には、敵地特有の緊張も感じていないのか、汗の一滴さえ浮かんでいなかった。

「問題はどのように攻めるか、という具体案だが」

「なあに。正攻法で攻め立てて良かろう」

若いクトウコの声に応じて、ややしわがれた男の声が天幕内に響いた。

面長の顔にギョロリと爬虫類じみた双眸、薄くまぶした口髭が特徴的な男だった。ジョウキ・ガナミト、四五歳。三〇二歩兵大隊の大隊長を務める男だ。セラスやリリアナと同様騎士の身分にあり、軍歴二五年の大ベテランでもある。しかし、いまだ実戦を経験したことのない軍人でもあった。

なお、有限世界の軍制では、歩兵は十人前後で一個小隊を作り、それが三〜五個集まって一個中隊を、中隊が二〜四個集まって大隊を編成するのが一般的だった。

ラキオス王国軍の場合は、十人の小隊が五個集まって一個中隊を、中隊が二個集まって一個大隊を編成する。大隊の定数はぴったり一〇〇人。現代世界でいえば小型の中隊規模の戦力だ。もっとも、現代世界の歩兵と、有限世界の歩兵とでは、火力の差が歴然としているから、両者を比較したところであまり意味はないが。

「リーザリオを守る戦力はもはや少数。他方、我が方は我ら第三軍のスピリット三〇に加えて、エトランジェ二匹を含むSTF十の戦力を保有している。戦力の差は圧倒的だ。一太刀振るえば鎧袖一触は間違いあるまい」

「はたして、そう上手くいくものか?」

ガナミトの言葉に否定的な意見を述べたのは同じく歩兵大隊長のミフサマ・チウノマヤだった。

ラセリオ出身の職業軍人で、齢は四一歳。スピリットを指揮した経験も持ち、これまでに四度の実戦を経験したことのある、叩き上げの軍人だった。高地で育った体は長身で体格も良く、体力壮健にして一日に三十キロを歩き抜く。口と顎の鐘馗髭が野生的な風貌に貫禄を与えていた。

「たしかに、彼我の戦力の差を鑑みれば我が軍は優位に立っている。しかし、それは敵とて承知のこと。その上で敵が抗戦の構えを崩さぬということは、余程の策があるのか、あるいは、すでに決死の覚悟を固めているかのどちらかだ。

死を覚悟した兵ほど厄介な敵はない。捨て身でやってくるのに何の躊躇いも持たない彼らは、思いきった行動が取れる。それこそ、我々の側からすれば、失敗した際のリスクが大きすぎて口にするのも憚られるような作戦が、だ。鎧袖一触などと、軽々しく口にするものではない」

チウノマヤは溜め息混じりに呟くと、ガナミトを軽く睨んだ。

「それに、一太刀とは言うが、その太刀自体なまくらではどうしようもあるまい」

大軍を擁する側は、自軍の兵力が敵よりも優越していることから慢心し、油断しがちだ。そして油断は、名将知将をして時に思わぬミスを生む。

チウノマヤはいまの侵攻軍がその傾向にあると断じていた。

「……チウノマヤ殿の言う通りですな」

一同の視線が、呟きをこぼした柳也に集まった。その中には、剣呑な感情を宿すものも含まれている。エトランジェ如きが軍議に口を挟むな、と無言のうちに語っていた。

隣では悠人がはらはらした様子でこちらを覗っている。

柳也は「心配するな」とアイ・コンタクトを交わして、構わず続けた。

「大軍は慢心しやすく、寡兵は少数ゆえに覚悟を決める。なるほど、チウノマヤ殿の言うことはいちいちもっとも。私の元居た世界でも、同じような戦例がありました」

柳也はそう言って穏やかに微笑んだ。

軍議にはアドバイザーとして出席しているセラスが、「戦術講義の出張版だな」と、苦笑する。第一回の開講以来、柳也とリリィが不定期に催す戦術講義には欠かさず出席しているセラスだった。なお、今回戦場に立つにあたって、彼は、要所々々をプレート・アーマーで補強したチェイン・メイルを着込み、グレート・ヘルムを被るという完全武装の装いをしている。

柳也が口にしたのは永禄三年(一五六〇年)に尾張の戦国大名・織田信長と駿府の今川義元の間で起きた戦い……すなわち、桶狭間の合戦での戦例だった。

当時、“海道一の弓取り”の異名を欲しいままにしていた今川義元を、尾張統一の悲願を果たしたばかりの弱小勢力、織田家が破ったことであまりにも有名な戦いだ。

永禄二年(一五五九年)、美濃の斎藤義龍と結んだ信長は織田家中をまとめて尾張をほぼ平定、次なる目標を尾張の完全制圧と三河進出に定めた。当時の三河は今川義元の領地であり、また義元自身も東尾張への進出を狙っていた。二人の対決は、両者が信念を曲げぬ限り避けられない必然だった。

「永禄三年五月一二日、宿敵北条氏と講和し、背後の脅威を除いた今川義元は信長の三河進出を挫くために駿府を発った。その兵力は二万五〇〇〇の大軍だ。これに対し、当時の織田家の動員兵力は五〜六〇〇〇が関の山だった。義元はおそらく、自分の勝利を信じて疑わなかっただろう」

この時の義元の出陣には、信長打倒のみならず上洛をも意図していたという説がある。今川家は足利将軍家の一門であり、他の一門の多くが没落した現状、幕府の建て直しを目論む野望が、義元になかったとは考え難い。

しかしこの時点で義元が抑えていたのは東尾張までにすぎず、美濃には斉藤、近江には浅井、六角といった強力な戦国大名が健在だった。義元が彼らに根回しをしていた事実がない以上、その目的が上洛だった可能性は低いと見るべきだろう。

それはさておき、進撃は今川勢の一方的なものとなった。織田勢の前哨点を次から次へと叩き、義元の本隊五〇〇〇も東海道を西上していった。一方の織田勢は、部将クラスの討ち死にが相次いだ。

「決戦の前夜、信長は拠点の清洲城で軍議を開いたが、これといった打開策が思い浮かぶこともなく、軍議は閉幕した。

実はこの軍議は偽装だった。信長は今川勢への内通者の存在を疑い、戦闘部隊には別に指示を下していた。特に徒歩の兵に対して、まだ確保している前哨点への集結を命じていたことが推測出来る」

決戦の当日、信長は「人間五十年……」のくだりで有名な敦盛の曲を舞うと、直ちに馬を駆って清洲城を飛び出した。出発時点で供の者は小姓が五人。しかしこれは、集結地点……善照寺砦へと向かうにつれて、途中で二人三人と加わっていき、やがて二〇〇〇へと達した。

単騎同然での出発から集結までのあざやかな手並みからも、あらかじめ集結地点を決めていたことが窺える。

信長のもとへ届けられる報告は、前哨点の陥落、あるいは守備していた部将たちの討ち死にといったものばかりで、明るいものは一つとしてなかった。しかしながらやや遅れて、梁田政綱配下の忍びから、義元の本隊が桶狭間に移動中という情報が入った。

信長はこれを好機と捉えた。

鳴海から桶狭間にかけては、小さな起伏が続いている。この地形を巧妙に利用すれば、敵に気付かれることなく接近し、奇襲攻撃をかけられるはずだった。

信長は桶狭間での奇襲を部下たちに明かすと、田楽狭間を眼下に出来る太子ヶ根の丘の確保を狙った。そこから斜面を三町(約三〇〇メートル)下れば、もう敵陣という地点だった。しかも驚くべきことに、今川の兵はまったく配置されていなかった。

「一方の義元本隊は、進撃の途中に地元有力者から陣中見舞いに贈呈された酒樽を開けて、酒宴を催していた。戦勝の前祝いのつもりだったんだろうが、仮にもそこは敵地だ。自軍の圧倒的兵力、相次ぐ快進撃に、今川は油断の極みにあったという他ない」

折からの強い雨が、織田勢の行軍の音を掻き消した。

今川の物見が田楽狭間から太子ヶ根を見上げると、白い煙が昇り始めた。織田軍二〇〇〇の精鋭だった。

戦いは一方的なものとなった。何が起こったのか分からず呆然とする今川勢の者達は、勢いよく突入してきた織田勢にたちまち討たれていった。

昼餉の時間帯で、強い雨、敵との距離は指呼の間、なにより酒が入っているという悪条件が重なった。義元の本陣では当初、雑兵たちが喧嘩でも始めたのだろうと考え、敵襲の可能性などまったく視野に置いていなかった。

五〇〇〇の大兵力も、田楽狭間のような狭い場所ではまとまった行動が取れない。

思うような反撃も取れぬまま、五騎十騎と見慣れぬ騎馬武者が突入し、ついで徒歩の者が駆け込んできた。今川勢の者達は、ここにきて初めて何が起こっているのかを悟った。完璧な奇襲だった。

義元は太刀を掴み逃れようとしたが、この時、信長の馬廻、毛利新助良勝が本陣陣幕内に姿を見せ、呆気なく総大将の首を落としてしまった。

「信長の勝因のポイントは大別して三つだ。

第一に、今川本隊が桶狭間に進軍中との正確な情報を梁田政綱配下の者が掴んだこと。正確な情報は何よりの宝だ。もっとも、その情報を生かすも殺すも人物次第だが、信長は情報を活かせる人間だった。

第二に、信長の徹底した軍事行動のカムフラージュと、その成功。重臣たちを集めた軍議の席でも、本当の作戦を一切明らかにせず、実戦部隊だけを前哨点に集結させた。これによって、作戦が外部に漏れるのを防いだわけだ。

第三に、寡兵ゆえに思い切った作戦行動を取ったこと。信長の手勢は二〇〇〇に対し、今川の総兵力二万五〇〇〇、本隊だけでも五〇〇〇だ。並の将であれば、まともに戦う気すら起きなかっただろう。けど、信長は違った。小勢力織田は大勢力今川と違って、一度負ければ後がない。だからこそ、あえて大博打を打つことにした。敵陣からたった三〇〇メートルの太子ヶ根に布陣したわけだ。

他方、今川義元の敗因は、油断の一言に尽きる。昼餉時に酒盛になったのもとんでもないが、わずか三、四〇〇メートル先の小高い丘に、見張り番を置いていなかった。まったくもって、間が抜けている。

そもそも桶狭間南部の田楽狭間は、大軍を置き、迎撃に適した場所じゃない。こんなところで、しかも敵の襲撃が十分に予想される場所で、酒盛なんかしていたわけだ。これを油断と言わずして、何と言う?」

この戦いの後、織田信長の名前は全国区となり、天下人への第一歩を刻む。

逆にこの時、今川勢が勝っていたら、義元か、彼の息子の氏真が天下人として幕府再興を果たしていたかもしれない。それほどの影響を持った合戦だった。

「なるほど。たしかに、大軍にとって油断ほど恐い敵はない」

セラスが得心した様子で頷いた。馬を使っているとはいえ、昨日から一〇〇キロ近い距離を行軍している戦友の顔には、濃い疲労とともに無精髭が浮いていた。

「先の鉄の山戦争でも、ラジード山脈攻略部隊を壊滅させたのは、当時スピリット大隊の大隊長だったトティラ・ゴートの強襲だったと聞く。目の前で包囲されるリーザリオを放って、まさかラジードにはやって来るまいというわが軍の油断が招いた結果だった」

「……その話はよせ」

この軍議の場にあって決定権を持つヤンレー将軍が不機嫌そうに呟いた。

苦虫を噛み殺した表情。なぜ、将軍がこんな顔をしているのか、柳也にはすぐに理由が察せられた。ダグラス通産大臣から貸してもらった鉄の山戦争に関する資料には、当時ラジードの鉱山を攻略していたヤンレー・チグタム大隊長麾下の部隊が、トティラの二個小隊にさんざん痛めつけられたと記されていた。

ヤンレー司令にとって鉄の山戦争での敗北は、触れられたくない話の一つなのだろう。

――愚かな話だ。真の名将は、失敗から学んで強くなるというのに。

失敗は成功の母である。トーマス・エジソンの名言を借りるまでもなく、そんな当たり前のことをヤンレー将軍は知らないのか。そうして過去の失敗から耳を背けているばかりで、この先戦っていけるのか。

柳也の不信の目線に気付いたか、ヤンレー司令は、ごほり、と空咳をした。

「ともかく、セラス・セッカやチウノマヤの言う通り、油断は禁物だ。それで具体的な攻撃方針だが……」

「包囲戦は止めるべきでしょう」

攻城戦の常道、包囲戦の方針を、チウノマヤ大隊長は、ばっさり、切り捨てた。

「オペレーション・スレッジハンマーは、実戦部隊の我々でさえここに来るまでは目的を明かされなかった秘密作戦です。長期戦に耐えうるだけの兵站線を確保していない。それでなくとも、三〇年前の鉄の山戦争で、我々はリーザリオの包囲に失敗している。包囲殲滅などという長期戦の構えは捨てるべきです」

包囲殲滅は、敵に対して三倍以上の兵力を有し、かつそれだけの大兵力を長期間戦場に留めておけるような兵站システムを構築した上でなければ、実施したところで意味がない。

チウノマヤは今回の侵攻軍には、それだけの兵力も兵站もないと断じていた。

そして、その考えは柳也も同じだった。

もともと柳也も、長期戦を想定してクルセイダーズ・プランやオペレーション・スレッジハンマーをプランニングしていない。

「戦力を一方向に集中させた一点突破。これがベストな選択でしょう」

「チウノマヤ殿に賛成です」

柳也が言った。戦力の集中運用は兵法の大原則、基礎中の基礎だ。強大な兵力を抱えながら、主戦場への集中が出来なかったがために敗北した軍隊は、世界戦史上枚挙に暇がない。

柳也とチウノマヤの意見に、セラスが頷いた。

「ふむ。だとすればどの方面を衝くかが問題となるな」

「うむ。ラムノク参謀長、どう考える?」

ヤンレー司令は隣に座るイダウト・ラムノク第三軍参謀長を見た。身長一六二センチと低身長だがレスラーのようにがっしりとした体格の持ち主で、顔立ちも戦場での槍働きが似合う野性味を帯びたものだ。しかしその頭脳は本物だった。

ラムノク参謀長はやや間を置いてから、口を開いた。

「まず、チウノマヤ殿の一点突破の意見ですが、これには本職も賛成します。エトランジェとスピリットの打撃力は、集中してこそ意味があります」

日露戦争の旅順攻略戦において、日本軍は当時最大の野砲だった一五二ミリの榴弾砲に耐えられるよう設計された旅順要塞を陥落するべく、本来は海岸防衛用の二八センチ砲一八門を内地より運び入れた。しかし、乃木希典大将麾下の第三軍は、当初この強力な砲を各師団に均等に配備するという愚を犯してしまう。全三回の総攻撃が失敗に終わった後、一時的に第三軍の指揮権を預けられた児玉源太郎参謀総長の命令により、二八センチ砲は要地・二〇三高地を集中的に叩いた。児玉大将赴任から十日後、旅順要塞は陥落した。

「次に、どの方面を衝くか、という点ですが、まずはこちらをご覧ください」

ラムノク参謀長はそう言うと、古い羊皮紙を取り出した。黄ばんだ紙面上にはリーザリオの全体像が記されている。現代世界の衛星写真や航空写真の精度には程遠いものの、ポイントを絞った地図は異世界出身の悠人や柳也にも分かりやすかった。

図面で見たリーザリオは、一見して古代のヨーロッパや中東圏で見られた城塞都市の印象が強かった。都市機能の中枢たる市街地と隣接する形で軍事基地としての城砦が置かれ、それらを城壁がぐるりと囲んでいる。それ自体が一個の国ともいえるような存在だ。外界とを繋ぐ城門の数は、東西南北の方位に各一つずつあった。

「ご覧のように、リーザリオは、わが国の王都やエルスサーオと同様城砦都市です。ほぼ長方形型に城壁が街を囲んでおり、城門は東西南北に一つずつ置かれています」

「定石通りの戦法で挑むのなら、西門から攻めるべきですな。現在、我々が陣を張っているこの湖は、リーザリオにとっても重要な水源の一つです。現実問題として、何本もある支流のすべてを封鎖することは不可能ですが、そちら側から攻め立てれば、いかにも我が軍が水源を押さえているかの印象を与えられる。かなりのプレッシャーになるでしょう」

セラスが言った。モーリーン・ゴフとして大陸中を武者修行していた彼は、かつて帝国サイドの国家にも足を運んだことがある。図面を一目見ただけでリーザリオの弱点を言い当てたのは流石だった。

水源地を押さえることは戦略・戦術のレベルを問わない有効な作戦の一つだ。

言うまでもなく、水は生命が生存する上で不可欠な資源である。しかしながら水は希少で不安定な代物であり、二一世紀を迎えた現代であっても、世界人口の四分の一は十分な量の水を得ていない。ゆえに人類は、古来この貴重な資源を巡って数多くの争いを繰り返してきた。

国内に数多くの水源を持ち、水道設備が充実している現代の日本人には馴染みの薄い考え方だが、水は有限の資源である。現在、世界には国家間の境界を横断する河川や湖といった流域が二〇〇以上あり、少なくとも十以上の河が、同時に六つの国を横断している。この中には、イスラエルとパレスチナ、シリアとヨルダンといった、互いに敵対的な関係にある国家も含まれている。

「逆に、攻め難しと思われるのは東側や南側の門ですな。我々がキャンプしているこの場所から、これらの門までは距離がありすぎます。また、東門の方はリモドアとの交通の関係で、普段から頻繁に利用されていることが推察されます。民間人保護の点から考えても、警戒は厳重でしょう。

……また、我々がリーザリオを制圧すれば、敗走する敵の逃げる先は、東側か南側となるでしょう。逃げ道を塞ぐ我々に、敵は死兵となって挑みかかってくるに違いありません」

「提案がある」

チウノマヤ歩兵大隊長が挙手をした。

「騎士セッカ殿の西側より攻める方針には本職も賛成する。が、少しでも攻略戦を楽にする上で、一つ陽動作戦をしてはどうだろうか?」

チウノマヤ歩兵大隊長はそう言って、居並ぶみなの顔を見回した。

「陽動作戦、ですか?」

ラムノク参謀長が訊ねた。どうやら彼は大隊長の作戦に興味を抱いたらしい。

チウノマアは頷いた。

「いかに現状の第三軍が疲弊しているといっても、手持ちの兵力すべてを一箇所に集中されると面倒だ。敵が戦力を分散せざるをえない状況を作りたい。我々の本命は西側からの攻撃だが、これを出来るだけ秘匿し、別方向から攻めようとしている、と敵に思わせるのだ」

「具体的には、どのようにして?」

これは柳也からの質問だ。

リーザリオ攻略の際には、我が方は戦力を一点に集中し、敵方には謀略をも併用して戦力を分散させる、というのは彼自身考えていたプランでもあった。

「たとえば、偵察飛行のスピリット達の機動に工夫を加えるのはどうか? リーザリオ上空へ真っ直ぐ飛ばず、迂回機動を取って北から、南からと侵入するのだ。初歩的なテクニックだが、それだけに普遍的な作戦でもある。我が本隊の所在を隠し、敵に我々の位置を錯覚させるのだ。

あとは……音を使うも良いな。剣に槍、盾に兜を、がちゃがちゃ、鳴らし、喚声を上げ、進軍喇叭を吹き鳴らす。西側以外の方向から、とにかくこれから攻めゆくぞ、というアピールをするのだ。こちらの期待するような戦力の分散は無理でも、敵はその方向に目線を向けざるをえなくなる。

もし、この作戦を採用していただけるのなら、陽動は言いだしっぺのわが三〇一歩兵大隊が実施しよう。リーザリオ一番乗りの栄誉は、他の隊にお譲りしたい」

チウノマヤ大隊長の発言に、その場に集った大隊長同士が顔を見合わせた。

上手いテクニックだな、と柳也は思った。自らには出世の野望や、名誉心はない、とはっきり表明することで、反対意見を出しにくい空気を作ってしまった。

「チウノマヤ大隊長殿に質問がある」

三〇一スピリット大隊隊長のズカサマ・ベワカが口を挟んだ。

ガナミト歩兵大隊長よりも二期上のベワカ大隊長は現在四七歳。端整な細面が特徴的な中年だった。痩せた小柄な身体はどこか病気がちで、性格的には静かで用心深く、軍人というよりはむしろ学者的な印象を抱かせる。酒も女も好まず、真面目一方、諧謔や冗談を日常の素振りにも出さない軍人として知られていた。

「仮に貴官の作戦を採用するとして、歩兵大隊だけを単独で動かすわけにはいくまい」

スピリットに対抗するにはスピリットをぶつけるしかない、というのが有限世界の軍事の常識だ。敵がそのスピリットを投入してきた方面に、我が方のスピリットがいないのでは対処のしようがない。ベワカ隊長の意見は理路整然としていた。

「護衛のスピリットが必要だが……」

「二個小隊で十分です」

ベワカ大隊長が最後まで言い終えるより先に、チウノマヤ大隊長は言い切った。

「それ以上の迷惑はスピリット隊にかけん。ここにきて戦力分散の愚を犯す必要はない。リーザリオ攻略戦ではなにより拙速が求められる。二個大隊以上のスピリットを一箇所に集中させてこそ、迅速な制圧が可能となる。陛下の望みは、早期決着ですぞ」

チウノマヤは優秀な軍人であると同時に、強烈な王族シンパだった。自らを王国軍随一の忠臣と公言して憚らないことからラキオス王の覚えも良く、重要な場面ではいつも起用されている。

チウノマヤ大隊長の言葉に、ラムノク参謀長は頷いた。

「早期決着。なるほど。北方の小国に過ぎぬラキオスが以後の戦いを楽に進めるためには、それがベストですな」

ラムノク参謀長はヤンレー司令を見た。

「どうでしょう、閣下? 本職としては、チウノマヤ大隊長の提案した作戦を取るのがベストな判断かと思いますが」

「ふむ。ラムノクがそう言うのなら、それでいこう」

ヤンレー司令は鷹揚な仕草で頷くと言った。部下達の能力を信頼しての決断というよりは、ほとんど惰性で首を傾けただけのように思える。

アメリカの大統領R・ニクソンは、その著書『指導者とは』の中で、「リーダーは何をすべきかを決断する責任は委譲できないし、委譲するべきでない。決断にいたる過程を部下に代行させれば、それはもう指導者ではなく、追随者になってしまう」と明記した。どうやらヤンレー将軍は、指導者向きではないらしい。

「作戦の実行にあたって、もう一つ考えなければならないことがあります」

柳也が挙手をした。彼は得意の情熱的な弁舌を存分に振るった。

「我々はいま、自分達の作戦がツボに嵌まることを前提に議論していますが、これをその通り成功させるためには、敵の動向についても考えておくべきでしょう。

私がトティラ将軍ならば、ここは一つ、一か八かで夜襲を仕掛けます」

「夜襲を?」

セラスの問いに、柳也は頷いた。

「ああ。いまの第三軍は、かつてない大きな打撃を受けている状態だ。この状況で何より優先するべきは、リモドアの第二軍とのいち早い合流だが……距離が距離だ。どんなに急いでも、一日以上かかるだろう。時間稼ぎが必要だ」

「なるほど。それで夜襲か」

「その通り。幸い、押し寄せるラキオスは布陣したばかりで隙も大きい。精鋭を選りすぐって小部隊を編成し、夜陰に紛れて攻撃、相手を混乱させる。勿論、その場合はヒット&アウェイが基本だ。寡兵が大軍を迎え撃つ常道だな。上手くいけば敵を恐怖の坩堝に追いやることが出来る」

夜襲は極めてリスクの高い戦術だが、ツボに嵌まれば凄まじい効果を発揮する。漆黒の暗闇の中では、人間の脳や神経には昼間と比べて数倍のストレスがかかるから、その隙を衝かれた際のダメージは大きい。事実、太平洋戦争の陸戦で米軍が最も警戒したのは、日本軍の夜襲だった。日露戦争の弓張峯夜襲のインパクトがあまりにも大きかったのだろう。

「全軍に夜襲を受けた際の心構えを徹底させておくべきです。動揺は、敵の攻撃を成功させる栄養剤となります」

柳也が発言した、次の瞬間だった。

一同が集った天幕に、「失礼します!」と、慌ただしく一人の兵士が駆け込んできた。

三〇一歩兵大隊の兵士らしく、チウノマヤ歩兵大隊長の姿を見つけるや、そっ、と彼に耳打ちする。

兵士の報告を聞くにつれて、チウノマヤの顔が強張っていった。

何事か、と思う間もなく、歩兵大隊長が立ち上がる。

「申し上げます。我が軍野営地にバーンライトのスピリットが侵入。糧食庫に火を放ちました」

その場にいた全員が、思わず顔を見合わせた。

夜襲を警戒するべき、と口にした柳也さえ、あまりのタイミングの良さに呆気に取られてしまう。

ヤンレー司令などは、この場において最も顔色に気を付けねばならない立場にあるにも拘らず、あからさまな狼狽を口にした。

「な、なんだと?! それで、被害は?」

「幸い、STFのアセリア・青スピリットが敵の存在に気付いたため、小火程度で済みました。敵は逃走したとのことです」

「……悠人、あと、頼むわ」

「え? あ、おい!」

短く言って立ち上がった柳也に、みなの視線が集中した。

「現場に行って指揮を執ります。アセリアは、我が隊の人員ですので」

猪突猛進の傾向があるアセリアだ。逃げる敵を追って、うっかり、敵の待ち構えている真っ只中に飛び込むなどという未来は容易に想像が出来た。彼女の手綱をある程度握れるストッパーが必要だろう。

それに今日、自分はアイリス・青スピリットばかりにかまけて、敵の一人も倒していない。そろそろ敵の返り血を浴びたかった。

――ふふふ。今宵の同田貫は血に餓えているわ。

【わわっ。ご主人様、アドレナリンの分泌量がたいへんなことになってますよ?】

柳也はオリーブドラブの戦闘服の襟を正すと、ヤンレー司令に一礼して、天幕を後にした。

 

 

柳也がいなくなった天幕内では、悠人がひとり、さめざめ、とした視線をセラスに向けていた。

「……なぁ、この状況に俺一人って、おかしくないか?」

悠人はラムノク参謀の広げた地図を眺めながら、げんなりした様子で呟いた。

有限世界にやって来て一〇〇日以上、言葉は喋れるが、いまだ文字の読み書きはまったく出来ない彼だった。

「…………まぁ、頑張れ」

哀れみに満ちたセラスの眼差しが心に染み入った。

軍議はその後も着々と進み、結局、オペレーション・スレッジハンマーの第二段階では、チウノマヤ大隊長の案を元にリーザリオ攻略の計画が立てられた。

陽動役は三〇一歩兵大隊が務め、その護衛には三〇一スピリット大隊から二個小隊を抽出してこれに充てる。

西門への攻撃部隊には、方面軍司令部と三〇二歩兵大隊、STFを含む三四名のスピリットが参加することになった。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第二章「蠢く野心」

Episode43「熱」

 

 

 

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、青、ひとつの日、深夜。

 

混乱。

喧騒。

停滞。

怒号。

バーンライト王国軍第三軍の本拠、リーザリオ砦は、深夜にも拘らず騒然とした空気に包まれていた。

数時間前に軍司令の口から直接伝えられた命令に、誰も彼もが本来の持ち場を離れ、新たに与えられた任務を慌ただしく遂行している。

スピリットを除いた第三軍の総兵力は約四五〇。それだけの男達が、一つの目的のために各々行動する様子は、一種壮観でさえあった。

ある者は訓練途中のスピリット達を呼びに走り、ある者は物見櫓の上を目指してラッタルを急ぐ。

ある者は馬匹に引かせた荷車に糧食を積み、そうかと思えば、ある者は糧食庫に火を点けていた。火力が足りないと見るや、大団扇で風を送り、薪を放り投げる者もいる。

食堂から持ち出した鍋の中に、その火をすくい上げる者もいた。鍋の中では燃料の藁と薪が燃え盛り、男はそこに次々とペーパーをくべていった。

「各書類の焼却を急げ!」

「持ちきれぬ物はすべて処分! 時間がない! ぐずぐずするな」

「一番倉庫、二番倉庫の焼却を完了しましたッ」

「五番、六番倉庫の火の回りが遅い。もっと薪をくべろ。風を起こせ! ラキオスの連中に麦一粒残してやるな!」

オレンジ色の光芒に頬を照らされ、屈強な男達の口からは次々と怒鳴り声が飛び交った。

予定より作業が二〇分近く遅れている。マン・パワーが足りない。こっちも人手不足だ。自分達で何とかしろ。敵はもうすぐそこまで来ているかもしれない。根性を見せろ。

そんなやりとりが、砦の其処彼処から聞こえ、耳朶を打つ。

活力に漲った戦友達の声を頼もしく思いながら、バクシー・アミュレットは足早にトティラ将軍の執務室へと向かっていた。現在、基地内のあちこちで行われている作業の経過報告をするための訪問だ。通い慣れた道を歩き、扉の前に立つ。ノックを三回、返事を待たずに入室した。普段のバクシーであれば絶対にやらない行動だ。しかし、あいにくといまは有事の真っ只中。この際、細かい礼儀など気にしてはいられなかった。

「失礼します。閣下」

入室したバクシーは早速トティラ将軍の姿を探した。

将軍の執務室は、ちょっとした小会議場としても機能するよう設計されており、万事間取りが広く作られている。

その中央に置かれたデスクで、トティラ将軍は食事を摂っていた。

昨晩は不意の交戦後の後始末でごたごたとして、結局食べられなかった夕食の余り物を夜食にしてもらったらしい。

六二歳という、すでに老齢に差し掛かったトティラ将軍だが、平素からケカレナマ(レスリングのような競技)の稽古に余念がないだけあり、将軍の胃袋は若い頃の勢いをいまだ失っていなかった。特に、脂をよく好む傾向がある。舌の嗜好がアメリカ人的で、大味の肉料理が大好きだった。

「む。バクシーか」

ちょうど五〇〇グラムのステーキを平らげたところだった。トティラ将軍は副官の来訪に気が付くと、ナプキンで口元を拭ってから顔を上げた。傍らには赤ワインのボトルが鎮座しているが、さすがにそちらに手を出した様子はない。

六二歳の老将の顔には、濃い疲労の色が浮かんでいた。岩石をそのまま削ったかのような頬には、ぽつぽつ、と無精髭が見て取れる。

昨日は突然の交戦から一睡もしていない、トティラ将軍だった。「将帥たる自分が一時間眠れば、それだけ兵士達の迷惑をかけることになる」というのが、彼の弁だった。

「作業の進捗具合について、ご報告に参りました」

「うむ。話せ」

トティラ将軍から発言の許可を得たバクシーは、小脇に抱えていたファイルに目線を落とした。ファイルといっても、作業中の現場各所で見聞きした事柄を簡単にメモしただけの紙片を集めた物で、正式な書類ではない。正式な書式を起こす寸暇を惜しんだ結果のメモ書きの束は、書かれている内容も時系列もまちまちだったが、バクシーにはそれで十分だった。

「一番から四番までの倉庫の焼却処分が完了しました。五番から八番までの倉庫は現在焼却中で、平行して機密書類と、武器庫の処分も進めています。幸い、今夜は良い風が吹いておりますので、夜明け前には全工程が終了するかと予想されます。それから午前三時、リモドアに向けて脱出の第二陣の一二〇名が出発しました。護送のスピリットは、午前九時にはリーザリオに帰還出来るかと思われます」

バクシーはそこで一呼吸分、間を挟んでから、言を紡いだ。報告を躊躇ったのは、それが悪いニュースだったからだ。

「最後に、閣下の発案で夜襲のため送り出したスピリット隊ですが、つい先ほど帰還したので戦果報告を聞きに向かいました。残念ながら……」

「失敗したか?」

「はい。……一応、最優先目標の糧食庫には火を放てたようですが、主目的たる時間稼ぎにはならなかった、とのことです。また、損害も甚大でした。夜襲に参加した緑スピリットが一体、敵に撃破されてしまいました」

「そうか。仕方がないと言えばそれまでだな。夜襲などというものは、もともと成算の薄い戦い方だ。一縷の望みに賭けてはいたが、この状況では失敗しても仕方があるまい」

「仕方がない」と口にしながら、トティラ将軍の表情は険しかった。

国王陛下より与えられた大切な戦力を、また一体失ってしまったことに対する自己嫌悪からか、その口調は苦々しい。

「……過ぎたことを悔やんでも仕方がない。それよりも、夜襲を仕掛けた部隊は迎撃を受けたとのことだが、敵と接触した時の話は聞いていないのか?」

「閣下がそうおっしゃると思い、そちらの報告も受けております。閣下の予想した通り、敵はエルスサーオ方面軍と合体したらしく、スピリット約四〇体に加えて、人間の兵士二〇〇人以上の兵力で侵攻軍を編成しているようです」

「スピリット四〇か……やはり、まともに殴り合っても勝ち目は薄いな」

「はい。ですから、我々は一秒でも早く全作業が終了するよう尽力し、一秒でも長く時間を稼ぐよう頭を捻られねばなりません」

バクシーはそこで一旦言葉を区切ると、静かに、しかし決然と続けた。

「リーザリオを一時放棄し、戦線を一度、リモドアまで下げる。同地の第二軍、あわよくばサモドアの第一軍と合流し、戦力を集めた上で改めて奪還する。閣下の練った作戦計画を、成功させるためにも」

リーザリオを放棄し、リモドアに戦力を集めた上で、侵略軍を迎え撃つ。

これこそ、STF との不意の遭遇の結果、戦力の半数近くを失ったトティラ将軍が打ち立てた秘策だった。

現在の第三軍の手持ちの戦力では侵略者ラキオス軍と正面から戦うことは難しい。かといって、リモドアの第二軍、サモドアの第一軍とは敵間諜の妨害のせいか連絡が上手く取れず、援軍はまったく期待出来ない。であればこそ、援軍は諦めて第三軍の方がリモドアに向かう。そのために、リーザリオを一時放棄する。

並の軍人であれば下せる決断ではない。鉄の山戦争以来、三〇年に渡って堅持してきた、いわばトティラ将軍の半生そのものといっても過言ではないリーザリオを放棄するのだ。ましてや戦った末の放棄ではなく、戦う前に放棄する覚悟を定めたのである。軍人にとって、斯様に辛く、また不名誉な選択はない。しかしそれでも、トティラ将軍はリーザリオの放棄を選んだ。選ぶことが、出来た。

トティラ将軍が考えた脱出計画の概要は、おおよそ次のようなものだった。

現在、リーザリオ第三軍には、人間の兵が四五〇、戦力として数えられるスピリットが九、まともな戦力として数えられないスピリットが五体いる。このうち、人間の兵士五〇と、外人部隊所属のスピリット七体を殿部隊として置き、残りの兵力をリモドアへ脱出させる。但し、四〇〇の人間の兵に対し、護衛に出せるスピリットの数は限られていることから、脱出は必然ピストン護送となる。トティラ将軍の計画では、四〇〇の兵を三回に分けて脱出させる予定だった。

リモドア第二軍は、現在、人間の兵士二〇〇と二一体のスピリットを戦力として抱えている。また王都サモドアの第一軍は、人間の兵士七〇〇と山岳大隊を含むスピリット四〇を基幹戦力としている。トティラ将軍の脱出計画が上手くいけば、合流後はリモドアに七〇体のスピリットを擁する大軍が出現するはずだった。リーザリオから脱出した第三軍は敵の情報も持っているから、迎撃態勢を作るのに役立つだろう。

勿論、この計画はトティラ将軍の独断だ。各方面との通信が途絶している現状、王都からは何の命令も下っていないし、受け入れ先のリモドアの状勢さえ不明な点が多い。

しかし、そんなことは所詮、些末な問題だった。自分は王国軍の軍人で、最終的にバーンライトが勝てるよう努力するのが仕事なのだ。

それに、なんといってももう、バスは発車してしまったのだ。

リモドアへ向けては二回に渡るピストン護送で、すでに三〇〇の兵を送ってしまっていた。運びきれない兵糧や武器、書類には火を放った。もう、引き返すことは出来ない。

「唯一、気掛かりなのはこの地に残していく兵達と、国民のことだ」

バクシーの発言を受けたトティラ将軍は、苦渋を口調に滲ませながら呟いた。

先述した通り、脱出部隊は護衛に回せるスピリットの数が限られていることから、三回に分けて将兵をリモドアに向かわせる手はずになっていた。すでに第二陣が出発し、残るはトティラ将軍を含む第三陣のみだったが、護衛のスピリットがピストン移動でリーザリオに帰還するまでの時間を考えると、第三陣の出発は日が昇ってからにならざるをえない。

そして日が昇れば、ラキオス軍の侵攻が再開することは容易に想像がついた。

安全な脱出のためには、少しでも時間を稼ぐための殿部隊を置く必要があった。

その殿部隊を、トティラ将軍は五〇名の兵力と、外人部隊のスピリット七体で編成した。十死零生はほぼ間違いない、必死悲壮の部隊だ。

この殿部隊を編成するに当たって、トティラ将軍は脱出第一陣の出発前に四五〇人の将兵全員を集めてブリーフィングを行った。

現在、第三軍とバーンライトが陥っている状況、リーザリオを放棄することの戦略的重要性を十分言い含めた上で、彼はその困難さ、殿部隊の必要性と危険性を訴えた。

そうしてすべての手続きを終えた上で、トティラ将軍はしゃがれた声を紡いでいった。

「言うまでもなく、この殿部隊はあくまで志願による。決して強制はしない。つまり、命令という手段は取らない。

……したがって、諸君に志願の意志がまったくない場合は、殿部隊の話そのものをなかったものとしたい」

「自分は志願しますよ」

ガムを、くちゃくちゃ、噛みながら、ひとりの男が立ち上がった。第三軍に三個ある歩兵大隊の一つ……第三三歩兵大隊の大隊長を務めるアリソン・フォードだった。

「あまり時間もないことですし、訓練はいますぐ始めればいいんですよね?」

続いて何人もの男が挙手をした。その数は次第に膨れ上がり、ついには四五〇人中の二〇〇人近くが殿部隊に志願した。

この時、トティラ将軍は不覚にも目が潤むのを覚えた。彼らがバーンライトの勇者達だ。彼らこそが王国の軍人達だ。

勿論、二〇〇人もの人間全員を、必死と目される殿部隊に選出するわけにはいかない。軍籍名簿を片手にバクシーが人選を行い、五〇人に絞った。人選の基準は未婚者、一人っ子ではなく兄弟がいること、技量優秀なことなどの項目で選ばれた。

この地に残す彼らのことを思うと、トティラ将軍の胸は切々と痛みがやまなかった。

なぜ、斯様に勇敢な兵達に、負けが決まっている戦闘を強いねばならないのか。自分自身が情けなくてならなかった。

また、現在リーザリオには、未成熟な戸籍制度によって確認されている限りで、約三万人の国民が暮らしている。兵糧の備蓄量から鑑みても、三万もの人間を引き連れてリーザリオを脱出することは不可能だ。必然、彼ら無辜の民はここに残していかざるをえない。

彼らの存在もまた、トティラ将軍には気掛かりなことだった。

「愛民には、しばらく忍従の時を過ごしてもらわねばならぬ。出来ることなら、彼らに斯様な屈辱を味わわせたくはないが」

「ですが、どの道このまま戦ったところで我々の敗北は必至です。占領下の屈辱が早く訪れるか、遅く訪れるかの違いでしかない。それならばむしろ、少しでも勝利の可能性がある方向へと突き進むべきでしょう」

「そうだな」

長年の片腕から支持の言葉を受け、トティラ将軍は穏やかに微笑んだ。

「バクシーの言う通りだ。我々軍人は、少しでも勝利の可能性がある道を歩むべきだ」

「私はもう一度作業現場に向かいます。実は、五番と六番の倉庫の焼却が遅れているんですよ。若い男手が一人でも必要でしょう」

「若い、というのは、儂に対するあてつけか?」

「いいえ。そんなことは」

苦笑しながら睨んだトティラ将軍に、バクシーははにかんで首を横に振った。

ファイルを小脇に、踵を返す。

「行きます。……本当は、エーテル火薬が使えたら良かったのですが」

「仕方があるまい。エーテル火薬はとかくカネのかかる代物だ。第三軍の備蓄量は少ない。……それに、いまはまだ、その使い時ではない」

「そうでしたね」

トティラの言に応じて、バクシーは静かに部屋を退室した。

夜の帳はまだ深まり始めたばかりだ。

トティラ将軍にとって、バクシーにとって、第三軍の将兵スピリット全員にとって、長い夜は続いた。

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、赤、ひとつの日、朝。

 

結論だけを述べれば、敵スピリットの夜襲は損害軽微の段階で撃退に成功した。

夜襲を仕掛けてきた敵の戦力は二個小隊。いずれも外人部隊と思しき精兵だったが、そこにアウステートことアイリス・青スピリットの姿はなく、ラキオス最強のアセリアの敵ではなかった。加えて、追撃戦に入った段階で柳也までもが合流し、緑スピリット一体を撃破するに至った。それ以上の追撃は深追いになると判断した柳也の指示で、追撃戦は終わった。

損害軽微の“軽微”に関しては、糧食の一部――具体的には、小麦粉を詰めた袋いくつかが燃えただけで終わった。パンが主食の王国軍だから深刻といえば深刻な事態だが、迅速な消火活動もあり、無事で済んだものも多い。せいぜい今日の朝食からパンとホットケーキが奪われた程度だろう。もっとも、大食漢の柳也からすればそれでも大打撃だったが。

夜襲の被害確認を終えたラキオス軍は、大休止を三時間たっぷり取った午前五時よりリーザリオに向かって南進を再開した。

柳也やチウノマヤ大隊長の本音を言えば、人間の判断力が低下する夜明けの時間帯に攻撃を開始出来る態勢を整えておきたかったのだが、敵地という緊張感の中歩き続けている兵士達の疲労を鑑みるにそれは難しかった。兵聞拙速はあらゆる軍事行動の鉄則だ。しかし、だからといって無理を強いてまで行軍速度を上げても、それが原因で大怪我をされては元も子もない。十分な休息が必要との見解は、柳也もチウノマヤも共通していた。

ラキオス軍は時速四キロの行軍ペースを保ちながらリーザリオに向かって南下を続けた。

時速四キロというのは、大人の平均的な歩行速度と同じスピードだが、敵勢力圏内で常に周囲を警戒しながらこのペースを保ち続けるのは難しい。湖からリーザリオの街までが平坦で開けた地形だからこそ可能なスピードだといえた。

ちなみに、二〇〇九年現在において、実戦における地上戦部隊の進撃速度としては、二〇〇三年のイラク戦争での米陸軍第三歩兵師団が史上最速の記録を作っている。イラク南部の砂漠地帯をクウェートから西に進軍した同師団は、三日間で五六〇キロを前進。イラク軍を驚かせたが、米軍自身驚いた。あまりの進撃速度に補給が追いつかなかったほどだ。

歩兵が機械化されていない時代の行軍速度として有名なのは、やはり本能寺の変の後の秀吉の機動だろう。なんといっても備中高松から姫路までの約八〇キロの道程を、たった一昼夜で踏破してしまった。

閑話休題。

行軍に際しては敵の襲撃や妨害工作、ブービー・トラップの類とも遭遇せず、ラキオス軍は、午前九時にはリーザリオまであと五キロメートルの地点に到達した。夜明けどころか、挨拶が「おはよう」から「こんにちは」に変わりつつある時間帯での到着だったが、脱落者は一人もなく、むしろスムーズな移動といえた。

三〇一歩兵大隊と、方面軍司令部を含む西門突入部隊は、そこで二手に分かれた。

三〇一歩兵大隊はそのまま南下を続け、他方、西門突入部隊は進路を大きく西へと転進、迂回してリーザリオへと向かう。迂回しながらの行軍は、少しでも本命西門突入部隊の発見を遅らせるための作戦だ。

順調にいけば、午前十時には三〇一歩兵大隊がリーザリオを射程に捉え、飛行可能な青、ないし黒スピリットによる偵察飛行隊を飛ばす予定になっている。

なお、セラスと駿馬ウラヌス号は、西門突入部隊に参加することとなった。といっても、三〇二歩兵大隊の指揮下に入るわけではなく、スピリット隊の訓練士としてSTFに随伴する形での参戦だ。

午前十時、リーザリオ湖から流れ出る支流の一本に沿って行軍を続けていた西門突入部隊は、ようやく折り返し地点に到達した。あとは進路を東へ取り、三〇一歩兵大隊が陽動を行っているところへと全速力で突入するだけだ。

「念のため、作戦手順の最終確認をしておこうか」

行軍の最中、柳也とエスペリアはSTFの面々を集めると、みなの顔を見回した。

「と言っても、俺達STFの仕事は、西門ぶち破って敵のスピリットを無力化するだけなんだけどな。

今回の作戦の目的はリーザリオの制圧にある。リーザリオは古いタイプの城塞都市で、砦と都市部が隣接した形で城壁の内側にある。当然、市街戦を視野に入れた戦術展開が求められるので、各小隊長にはその点を留意して行動してほしい」

「なぁ、柳也……」

隣を歩く悠人から声をかけられた。

ひっそり、とした静かな口調で、相談をもちかけられる。

「市街戦を視野に入れた戦術展開って言われても……俺、さっぱりなんだけど?」

「……そういえば、ウチではまだそういう訓練はしていなかったな」

リリアナら正規の訓練士とともに、STFの訓練メニューを作成している柳也は、思い出したように呟いた。

それから、指を三本立てて、悠人に説明する。

「まぁ、簡単にポイントだけ挙げれば、三つだ。第一に、ハウス・クリアリングの徹底。市街戦ではどうしても障害物が多くなるからな。死角に敵が潜んでいる可能性を考慮して、家屋は一つ一つ、ちょっとでも目の届かない場所があったら全部チェックする。第二に、後方警戒を徹底すること。街の造り方や構造によっては、一度クリアリングした建物に敵がこっそり近付く場合がある。最後に、民間人は一箇所に集めて常に監視しておくこと。この三つをやるかやらないかで、生存率は、ぐっ、と変わってくる」

「情報部からの情報によれば、リーザリオを守る城壁は焼成煉瓦を積み上げた高く、厚みのあるものだそうです」

柳也の説明の後を、エスペリアが続けた。

「王立図書館にリーザリオ城塞都市の設計図が残っていました。まだバーンライトが聖ヨト王国領だった時代の資料ですから、かなり古い数字になりますが、リーザリオの城壁は高さが六メートル、厚みは三メートルもあるそうです。門は鉄の扉で閉められ、この扉は五〇センチの木の戸を、八ミリの鉄板で被覆した構造になっています」

「……おそらく、この数字は、少なくとも十パーセントは増強されていると見るべきだ」

エスペリアの説明の続きを、今度は柳也が継いだ。

彼自身、エスペリアの口にした設計図には目を通していた。これには若干の趣味も入っている。男という生き物は、ビルとか鉄道とか、とにかく大きな構造体が大好きなのだ。

「それに、鉄の精錬技術も当時と比べて格段に進歩している。仮に同じ八ミリのままでも、実際の強度は二倍近くにアップしている可能性もある。……人間の兵が、これを力ずくで突破するのは容易なことじゃない」

「そこで俺や柳也……つまり、エトランジェの攻撃力の出番ってわけか」

悠人は溜め息混じりに苦々しく呟いた。西門突入部隊の先鋒は、悠人達STFが務めることになっている。

人間の兵はもとより、スピリットをも上回る攻撃力と防御力、機動力を併せ持ったエトランジェは、現代世界における戦車に近い運用が可能だ。頑強な要塞や天然の要害を相手取ってこそ真価を発揮する。

第四位の神剣士たる悠人ともなれば、第三世代戦車の複合装甲だろうが、十メートル厚のコンクリートだろうが飴細工のように容易く破壊出来るだろう。

自分とてその気になれば、戦後第二世代戦車の装甲くらいならば斬割出来るかもしれない。

柳也は莞爾と笑うと頼もしげに胸を叩いた。

「ま、そういうことだ。実際、俺達の攻撃力なら煉瓦の壁如き、一撫ででぶち壊してやれるしな。……いや、ホント、俺達って、真面目に要塞作っている工兵部隊の皆さんには、申し訳ない存在なんだぜ?」

実際、柳也や悠人達エトランジェに限らず、スピリットを含む神剣士の攻撃力はかなりのものだ。一見非力そうなオルファでさえ、砲兵一個小隊分の火力を持っている。

「門を叩き壊す、あるいは城壁をぶち破るのは、俺達エトランジェか、次点でそれに匹敵する攻撃力のアセリアの役目だ。従って、突入の順番はSTF、三〇一スピリット大隊、三〇二スピリット大隊、三〇二歩兵大隊、方面軍司令部となる。俺達スピリット三隊は先行して、歩兵大隊の安全を確保するぞ」

有限世界の市街戦は、まずスピリットで敵の防衛力を奪い、それから人間の兵士による制圧戦が開始される。ハウス・クリアリングならぬエリア・クリアリングをした上で、悠々歩兵の出番となるわけだ。

 

 

――同日、昼。

 

午前十時、三〇一歩兵大隊が青スピリット三名からなる偵察飛行小隊をリーザリオへと差し向けた。

初期の航空機に与えられた任務がそうだったように、高度を取って飛行可能な青スピリットほど偵察任務に適した存在はいない。

キオス王国軍の一般的な青スピリットの最大飛行速度は時速四〇〇キロ前後。第二次世界大戦以前の、いわゆる戦間期に作られた戦闘機と同程度のスピードだ。同じく飛行能力を持つ黒スピリットの場合は、瞬発力に優れる分、五〇〇キロを出せる者も少なくないが、青スピリットと比べて持久力がなく、ごく短時間に限定されたスピードとなる。

なお、ラキオス最強のアセリアは時速五〇〇キロを長時間キープして飛ぶことが出来た。この値はあくまで水平飛行速度だから、急降下時や瞬発力を全開にした場合には、八〇〇キロから亜音速での機動が可能だろう。アセリアはいまだ発展途上のスピリットだ。末恐ろしい娘だった。

ちなみに帝国海軍が主力とした零式艦上戦闘機……いわゆるゼロ戦の最大速度は、最初の正式量産型の二一型で時速五三三キロ。軽快な運動性から格闘戦では負け知らず、増槽を搭載すれば三〇〇〇キロを飛べる足の長い戦闘機でもあった。

速度ではアセリアがやや劣るものの、青スピリットはウィング・ハイロゥの力で上下左右の機動は勿論、ホバリングやバックといった特殊な機動も可能だ。もし戦わば、アセリアとゼロ戦はいい勝負を展開出来たかもしれなかった。

偵察に出た三名の青スピリットは北の空からリーザリオに侵入すると、上空を三周旋回した。

敵軍が迫ろうとしているのは明らかなはずなのに、リーザリオの街は奇妙なくらい静かだった。

街だけではなく、防衛の拠点たる砦までもが静寂に支配されている。

戦力を温存しているのか。上空から視認出来る限りで、視界に映じた敵兵は物見の数名だけだった。

偵察隊の青スピリット達は奇妙に思いながらも、あまり長居しては迎撃のスピリットが上がってくると判断し、情報を持ち帰るべく翼を翻した。

考えるのは人間の仕事だ。自分達は命じられた仕事を淡々とこなせばよい、という心理が、その行動の底辺にはあった。

 

 

リーザリオ上空を偵察する敵スピリットの存在は、当然、バーンライト側も補足していた。

この日の天候は両軍にとっても幸いする快晴で、上空からは見晴らしよく、また地上からも空に浮かぶ三つの黒点がどう機動するか、裸眼で視認出来た。

ラキオス側の偵察飛行を最初に発見したのは、北門城壁の上によじ登った物見の兵だった。

彼は同僚の兵に上空の監視を任せると、早速、トティラ将軍のもとへと報告に走った。

「ふむ。敵の偵察飛行が始まったか」

報告を受けたトティラ将軍はしゃがれた声で唸りを発すると、かたわらのバクシーに目線をやった。

「バクシー、お前の考えはどうだ?」

「来るべきものが、来たということでしょう。偵察飛行が始まったということは、ラキオスが進軍を再開した証拠です」

「うむ。儂の見立ても同じだ。……撤収作業の進行状況はどうなっている?」

「準備は着々と進行しています。もはや当基地に残す物は何もありません。出発は、十二時きっかりを予定しています」

「ぎりぎりだな」

トティラ将軍は苦々しく呟いた。

「ラキオスが攻め入るのが先か、我々が逃げ出すのが先か……」

トティラ将軍はまた難しい顔をして唸り声を上げた。

その時、執務室の戸がノックされた。正確に三回。「誰か?」と、問うと、板戸一枚を隔てた向こう側から、若い男の声で、「カール・ビンソン通信兵です。将軍閣下にお伝えしたいことがあり、参上しました」と、返事がした。

聞き覚えのある名前だった。トティラ将軍自らが選抜した五〇人の殿部隊の名簿に、たしかその名前があったはずだ。

「入れ」

「はっ。……失礼します」

ドアノブを押し開いて入室したのはまだあどけなさを残す顔立ちの青年だった。

カール・ビンソン、一九歳。農家の三男坊で、今年の春に王国軍に入隊したばかりの新人だった。

カール青年は、がちがち、に緊張した様子で将軍の前に立つと、ぎこちない挙手敬礼をした。

「西門と、北門の物見に当たっていた兵からの伝令です。北と西の両方面より、当基地に迫る敵軍を発見。数は、北が推定約一〇〇、西が約二〇〇。北側より進行する部隊の方が、やや突出しているようです」

「そうか。ご苦労だった」

トティラ将軍は大きく頷いて、バクシーと顔をつき合わせた。

「お前の言う通り、来るべきものが来たぞ」

「おそらく、北と西の部隊のうち、片方は我々の意識と戦力を分散させるための囮でしょう」

きっぱり、とした口調でバクシーは断言した。

流石にトティラ将軍の後継者と目されているだけあり、敵の作戦を一目で看破してしまった。勿論、トティラの見解も同じだ。

「もっとも、いまや我が軍には、分散させるだけの戦力もないわけですが」

「問題は北と西のどちらが本命で、どちらが囮か、ということだ」

「敵の偵察は北からやって来ました」

「ならば、本命は西だな」

今度はトティラ将軍が、きっぱり、とした口調で断言した。

「おそらく、北からやって来たのは偽装だろう。北側の敵の方がやや突出しているという報告も気になる。我々の目をそちらに向けようとする意図が感じられる。北の部隊は、囮だ。わが左翼に戦力を集中させよ」

「聞いたな。ビンソン通信兵」

「は、はい!」

カール青年はしゃっちょこばって背筋を伸ばした。

「殿軍全部隊に伝えろ。わが左翼に戦力を集中せよ。繰り返す。わが左翼に戦力を集中せよ」

「はっ。ビンソン通信兵、了解しました。自分の命に代えましても、閣下のお言葉を全員にお伝えします!」

「うむ。では、行け」

最高司令官、そしてその副官直々の命令だ。カールは緊張した面持ちで命令を賜るや、踵を返した。

しかし、部屋から出ようとはしなかった。トティラ将軍が「待て」と、告げたためだ。

「ビンソン通信兵、貴公にはもう一つ、特別な任務を与えたい」

「特別任務、ですか?」

「うむ。君にしか出来ないことだ」

振り返ったカールを、トティラ将軍は見なかった。彼は椅子から立ち上がると副官のバクシーを見た。まるで親が子を見るかのような柔和な表情が、いかつい顔に浮かんでいた。

「バクシー、お前とは長い付き合いになるな」

突然の言葉だった。

バクシーはトティラの発言の意図が分からず怪訝な表情を浮かべたが、答えた。

「……ええ。最初に出会ってから、もう二十年になります」

「そうか。…………撤収作業は、順調だと言ったな」

「はい。第二軍へ送る兵員、スピリット、兵糧、武器。その他すべての準備が着々と進行しています。脱出準備がまったく進んでいないのは、閣下と私の二人くらいでしょう」

「うむ。儂らも、そろそろ手をつけねばな」

バクシーの目の前で、トティラ将軍の身が沈んだ。

短くステップ・イン。鋭い右フックが、バクシーの顎先を狙った。痛烈な一打。物凄い衝撃が、バクシーの脳を揺さぶった。急速に意識が遠のいていく。バクシーの身体が、ぐらり、と揺れ、床に向かって倒れていった。

「――か、っか……!」

茫然と見上げてくる視線。

トティラ将軍は沈痛な面持ちでそれを受け止めながら、小さく呟いた。

「許せよ、バクシー。儂にはまだ、第三軍の司令としてやらねばならぬことがあるのだ。……レフィーナを頼む」

トティラ将軍は意識を失ったバクシーを抱き上げると、唖然としているカール通信兵に目線をやった。

「ビンソン通信兵、脱出の最終陣が現在準備中だ。バクシーをそこに放り込んできてくれ」

「か、閣下は?」

「儂はここに残る」

トティラ将軍は力強く言った。

岩石をそのまま削り取ったかのような風貌には、強い決意が漲っていた。

「バクシーは若く、有能な軍人だ。これからのバーンライトに必要な人材だ。他方、儂は後先短い老兵よ。この命、敵にくれてやったところで何ら惜しくはない。

最終陣の指揮を執るカーネル大隊長には、出発の時刻になり次第、儂が来なくてもリーザリオを発つよう伝えてくれ」

「……了解、いたしました」

カールは革靴の踵を打ち鳴らして挙手敬礼した。

将軍の烈々たる決意と覚悟を前に、彼はそれ以外何も言えなかった。

 

 

――同日、昼。

 

午前十時半、三〇一歩兵大隊が、とうとうリーザリオの城門・城壁を五〇〇メートル前方に捉えた。

事前の偵察飛行から得られた情報通り、敵軍は城壁の外に部隊を展開していなかった。それどころか、城壁の外にも上にも、一兵の守備兵も置いていないようだ。どうやら敵は、戦力を温存したまま、ラキオス軍をぎりぎりまでリーザリオに引きつける腹積もりらしい。つまりは市街戦の構えだ。

チウノマヤ大隊長は、いよいよ敵を射程に収めた、と見るや傍らの喇叭手に進軍喇叭を吹き鳴らすよう命令した。

甲高い「進め。進め」の命令が朗々と鳴り響き、一〇〇人の男達が一斉に喚声を上げた。

整然と一歩大地を踏みしめるその度に砂埃が舞い上がり、国旗であり軍旗でもある龍の幟が翩翻と翻る。

あたかも古代ギリシアで奏でられたドリア風の調べを連想させる勇壮な音色に合わせて、林立する槍が、蝟集する兜が、延々と並ぶ盾が咆哮した。

五〇〇メートルの距離が、見る見る詰まっていく。

敵の弓の射程に入った。

しかし、城壁の向こう側は相変わらず沈黙したままだ。

チウノマヤ大隊長は、ここに至って何やら薄ら寒いものを背筋に感じた。

おかしい。いくらなんでも静かすぎる。

先の偵察飛行は、わざと敵の目につくようリーザリオの頭上を三回も周回させてやった。こちらの進軍の様子は、敵方にはすでに筒抜けのはずだ。それなのに、物見の兵一人見当たらないとは……。

――よもや、こちらが囮だと見抜かれたか。

仮にそうだとしても、こちら側に見張りの兵が一人も、守備隊が一個小隊もいないというこの状況はやはりおかしい。本命の攻撃を防いだとしても、囮部隊の攻撃が防げないのでは本末転倒というものだ。

――あるいは、戦力分散の余裕すらないほどに、現状の第三軍は逼迫しているのか?

だとすれば、なぜ、そんな状況が出来上がってしまったのか、という疑問が残る。

確かに、オペレーション・スレッジハンマーの第一段階で、ラキオス軍は敵第三軍に少なくないダメージを与えた。しかし、その戦いで敵が失ったのはスピリットだけで、人間の兵はいまだ一兵たりとも損失していないはず。戦力分散がまったく出来なくなるとは考え難いが。

怪しいところには弾丸をぶちこめ、とは第二次世界大戦の名将エルヴィン・ロンメルの教えだ。有限世界にロンメル将軍はいないが、チウノマヤ大隊長はものは試しと、兵の一人に城壁の向こう側へと矢を射るよう命令した。

一条の矢が天空に向かって放たれ、鋭い放物線を描いて城壁の向こう側へと落下する。反撃に備えて、兵達が盾を頭上に構えた。

一秒。二秒。ゆっくりと時間が経過する。

やがて、十秒が経った。

反撃の矢は、いまだ飛んでこない。

チウノマヤ大隊長はもう一度兵に矢を射るよう命令した。結果は同じ。十秒経っても、敵からの反撃はない。

大隊長の疑念は、いよいよピークへと達した。

しかめっ面の大隊長が疑念に頭を悩ませる間にも、三〇一歩兵大隊は進軍を続けた。

迎撃らしい迎撃が一切ないから、あっという間に城門に取り付いてしまう。

鉄の扉は、さすがに閉ざされていた。鉄板を鋲で留めた扉は、剣も矢も通さない。

「破砕杖を持って来いッ」

頭上を鉄の盾で守りながら、六人がかりで太い丸太が運ばれた。片方の先端が緩やかに尖った、城攻めのための装備だ。尖っている方の先端を、鉄板で被覆している。

歩兵大隊の男たちは細心の注意を払って運んだそれを、鉄の扉に向けて豪快に叩きつけた。

鈍い快音。

一回、二回と鳴り響く。

一〇回。二〇回。五〇回。

やがて一〇〇回も叩きつけただろうか、鉄の扉の向こう側で、何かがひしゃげ出す気配を感じた。おそらく、城門を閉ざしている閂が変形を始めたのだろう。

「それ皆の衆、ここが踏ん張りどころだぞ!」

そう言って、丸太を打ちつける男達の士気を鼓舞したのはギャレット・リックス小隊長、かつて柳也達とともにバトル・オブ・ラキオスを戦った、屈強な兵士だった。

彼は自らも丸太を抱え込むと、部下達と呼吸を合わせながら突進を繰り返した。

鋲の隙間から木っ端が飛び、男達の発する汗の蒸気がもうもうと煙を上らせた。

そのうち、めきめき、という音。

百何十度目かの突き込みが炸裂した直後、鉄の扉が、ゆっくり、と開いた。

扉の向こう側には、誰もいなかった。

 

 

三〇一歩兵大隊が城門を開け放ったその頃、西門攻撃部隊の先鋒を務めるSTFが、リーザリオの城門・城壁を二キロメートル前方に捉えた。そしてそれは、城門を守備する敵兵との遭遇をも意味していた。敵は城壁の外側に、多数の兵力を展開していた。

「約二キロメートル前方に、人間の兵を含む敵軍の姿を視認。数は……目視出来る範囲で二〇以上。スピリットの数は不明だ」

第七位の神剣士ながら、体内寄生型永遠神剣の恩恵で特に身体能力に優れる柳也は、隣を走る悠人に言葉短く報告した。ここでいう身体能力には、視力や聴力といった五感の機能も含まれている。柳也は裸眼ながら、二キロメートル先に展開する敵軍の様子を正確に見取ることが出来た。

とはいえ、その視力にも当然、限界はある。敵兵の多くは、直径一〇センチほどの丸太の杭を何本も束ねて作った盾を地面に穿ち、その後ろに隠れている様子だった。さすがの柳也の視力も、盾の向こう側を見透かすことは出来ない。幸いにして開けた平野だから、伏兵の心配をする必要はないが、敵軍の正確な数が把握出来ないまま突撃すれば、悲惨な結末が待っているのは容易に想像がついた。

「上空からもう一度偵察する必要があるな。悠人、STFの副隊長の立場から具申する。アセリアを飛ばそう」

「アセリアを?」

柳也の意見具申に、悠人は訝しげな表情を浮かべた。

偵察飛行は自分も賛成だが、なにゆえその人選がアセリア一人だけなのか。アセリアには何にも増して、真っ先に敵陣へ飛び込もうとする悪癖がある。偵察飛行なら、他に適正のあるスピリットがいるのではないか。

「……アセリア一人で大丈夫か?」

「むしろ、アセリア一人の方が気楽だろう。……ネリーやシアー、ヘリオンは、まだ偵察任務が出来るほど訓練をしていない」

柳也は、途中から声を潜めて言った。偵察任務では一人でも多くの敵兵を倒すより、生きて情報を持ち帰ることの方が優先される。そこで必要となるのは、引き際を誤らない優れた判断力だ。しかしこれは、一朝一夕で身につくものではない。

「アセリアは猪突猛進の嫌いがあるが、馬鹿じゃない。引き際くらいは心得ているさ。逆に経験の浅い連中は、『まだいける』とか、『もう少しだけなら』とか、助平根性出してその場に留まって、挙句迎撃される公算が高い。それに、万が一、敵に補足されても、アセリア一人なら逃げ切れる公算が高いからな」

「……分かった。柳也の言う事を信じるよ」

柳也の提案に、悠人は頷いた。

ファンタズマゴリアにやって来る以前は、軍事とはほぼ無縁に過ごしてきた自分だ。こと軍事に関しては、そんな自分が下した判断よりも、柳也の判断の方がよっぽど信頼出来る。柳也の判断の方が、きっとみんなをより良い方向に導いてくれる。悠人は友人の判断に全幅の信頼を置いていた。

そして柳也も、そんな悠人の信頼に全力で応えたい、と思っていた。

悠人は自分の背後を走るアセリアを振り返った。

「アセリア、話は聞いていたな?」

「ん」

「必ず、戻ってきてくれよ?」

「まかせろ」

頼もしい返答。青の少女の背中にウィング・ハイロゥが出現し、軽く地面を蹴った。揚力を受けたその身は天高く舞い上がり、あっという間に小さな黒点となった。

 

 

――同日、昼。

 

時間は僅かに遡る。

脱出部隊の第三陣は、出発の時をいまかいまかと待ちわびていた。

糧食庫の焼却や、持ち切れない機密文書の処分といった作業はすべて終了していた。一部将校の移動用や、物資の輸送のために必要な馬匹はすべて馬屋から解き放たれ、軍馬達はみな、我の出番はまだかまだかと鼻息を荒くしている。護衛のスピリットは一時間も前にリーザリオに帰還し、いまは短い休息を取っていた。あとは、トティラ将軍とバクシー副官が加わるのを待つばかりだった。

殿部隊としてリーザリオに残る予定のカール・ビンソン通信兵が、脱出部隊の指揮を執るカーネル・ビンソン歩兵大隊長のもとを訪ねたのはそんな時のことだった。同じビンソン姓の二人は実の兄弟で、三一歳のカーネルが長男、一九歳のカールが三男だった。カール青年はビンソン家の将来を長兄に託し、自らは殿部隊として散ることを望んだのだった。

カール青年は脱出部隊に一向に加わる気配のないトティラ将軍の命令を携えていた。加えて、実弟は背中に気を失ったバクシーを背負っていたから、カーネル大隊長は仰天した。

カーネルはひとまず人目につかぬよう、自分専用の馬車の荷台に、カール青年を招き入れた。上級将校用の荷台は、すっぽり、とテントで覆われ、外からの視線を遮断することが出来た。

二人きりになったカール青年は、実兄であり上官でもある大隊長にトティラ将軍からの命令を伝えた。

「出発の時刻になり次第、自分が来なくてもリーザリオを発て。それが、閣下のご命令です。大隊長には、バクシー様を頼む、ともおっしゃられておりました」

「……そうか。閣下は、ご自身を餌にするおつもりなのか?」

「はっ。おそらくは」

「わかった。閣下のご意向に従おう」

「バクシー様をよろしく頼みます」

「うむ」

兄弟の、今生最後のやりとりにしてはあまりに素っ気無い、淡々とした会話だった。

別段、二人の兄弟仲が悪い、というわけではない。カーネルもカールも、感情的になってはならない、と自分に言い聞かせながら言葉を選んでいたためだ。ちょっとでも感情を出せば最後、目からは滂沱の涙があふれ、言葉は後から後から止まらないことが分かり切っていた。

カール青年は気を失ったバクシーを藁束を敷いて作った簡素な寝台の上に寝かせた。さらにその上に藁束を被せて、外からは見えないようにする。一緒に脱出を予定しているトティラ将軍が来られず、また副司令の男が気を失って運ばれたことが知れ渡れば、全軍に動揺が広がってしまう。せめてリモドアの勢力圏に入るまでは、秘匿する必要があった。

「では大隊長、自分は行きます」

「ああ」

カーネル大隊長は重々しく頷いた。その、一呼吸の内に完結した仕草の中には、いったいどれほどの葛藤が詰まっているのだろうか。しかし所詮、余人には窺い知れぬ懊悩だった。

カーネル大隊長は実弟の後姿を無言で見送った。

 

 

カーネルは、そしてカールは知らなかった。

脱出部隊にトティラ将軍が参加出来ない事実と、気を失ったバクシーの存在を秘匿するために乗車したテント付きの荷馬車。たしかにそれは、外部からの視線を完全に遮断していたが、内部から漏れ出る音までは遮蔽出来なかった。

といっても、話の内容が内容だ。カーネルもカールも気を遣って、声量は極力抑えた上で口を開いていた。実際、外に漏れ出た音も囁き声といった程度で、本来なら気にする必要はなかっただろう。

しかし、この場においては、二人はもっと周りの目や耳に注意するべきであった。

脱出部隊に参加しているのは人間の兵士だけではない。人間よりもはるかに優れた五感を持つスピリットも、脱出部隊にはいるのだ。

――閣下が、残る……?

一五メートルの距離を隔てて耳膜を撫でた不穏な単語に、ジャネット・赤スピリットは顔を硬化させた。

魔龍討伐作戦の失敗でシェル・ショックに陥り、神剣の力を引き出せなくなってしまった彼女だが、それでも、スピリットとしての身体能力は人間のそれを上回っている。

幕の中からかすかに漏れ聞こえた会話の内容に、ジャネットは顔面蒼白になった。

途方もない喪失感が、彼女を襲った。

トティラ将軍。戦えないスピリットの自分を生かし、誇りある一個人として認めてくれた唯一の人間。強面だが、笑うと誰よりも魅力的な顔をする老齢の男。このままでは、あの笑顔が、もう、見れなくなってしまう……?

――閣下が……このままじゃ閣下が!

いても立ってもいられなかった。

神剣の力を使えない自分に出来ることなど高が知れている。戦えない自分が行ったところで、何の役にも立たない可能性すらある。しかし、それでも、ジャネットは、じっ、とはしていられなかった。

役に立つ、立たないの問題ではなかった。もう二度とトティラ将軍とは会えないかもしれない、と思った瞬間、彼女は駆け出していた。

いまはもう、その声も聞こえない相棒の永遠神剣を小脇に抱え、ジャネットはリーザリオの砦を駆け抜けた。

 

 

――同日、昼。

 

偵察のため空へと舞ったアセリアが戻ってきた。

「敵の大体の数が分かった。門の外に人間の兵士が五〇、スピリットが七人いる」

「五〇人と、七人か」

アセリアからの報告を受けた悠人は、城門・城壁へ向かって前進を続けながら、怪訝な表情を浮かべた。

「多いのか少ないのか、さっぱり分からないな」

ファンタズマゴリアにやって来る以前は、軍事とはほぼ無縁に過ごしてきた悠人だ。アセリアの口にした五〇の兵力が、多いのか少ないのか、いまいちピンとこなくとも無理はない。

そんな彼に、柳也は視点を前方の敵に置いたまま言った。

「多い方さ。一国の総兵力が二〇〇〇人に満たないこともザラにある、こっちの世界じゃな」

「ということは、陽動作戦は失敗か?」

「さぁな。その辺りは、まだなんとも言えん。……アセリア、スピリットの陣容は?」

「青が二、赤が三。緑が二人だった。……それから、リュウヤには嬉しい報せ」

「うん?」

「敵の中に、アイリスがいた」

「アイリスか……」

柳也は思わず弾んだ口調でその名を呟いてしまった。なるほど、たしかにそれは、STFの副隊長としては凶報だが、桜坂柳也個人としては朗報だ。またあの戦乙女と戦うことが出来ると思っただけで、心臓が疼いてくる。

柳也の顔が輝いた。

「そいつは吉報だ。悠人、アセリア、あの女は俺の獲物だ。手は出すなよ?」

「出来れば、そうしたいんだけどな」

好戦的にぎらつく柳也の眼光に、隣を走る悠人は鋭く睨んできた。

「基本、手は出さないつもりだ。柳也の戦い好きは、いまに始まったことじゃないし。……でも、やばい、と思ったら、手助けするからな?」

「まぁ、柳也がやばくなるような相手に、俺が勝てるはずないけど」と、呟いて悠人は小さく溜め息をついた。

敵との遭遇が近付く中、STFは高い緊張感を保ちつつ進軍を続けた。

リーザリオの城門・城壁まで、あと六〇〇メートルの距離に迫る。

敵の神剣魔法が襲来する気配はまだなかった。誰が使っても原則威力と射程の変わらない弓や銃、火砲といった射撃武器と違い、神剣魔法の威力や射程は術者のスピリット次第で大きく異なる。同じファイヤボールの魔法でも、第八位のオルファと第六位のヒミカとでは、その性能は後者の方に軍配が上がった。それゆえに、敵の位置が分かっても、敵の射程範囲が分かりにくいから、安全な距離を算出するのは難しい。

但し、敵が人間の弓兵と神剣魔法の混合射撃を戦術ドクトリンに組み込んでいるとしたら話は別だ。一般的に弓の射程は三〇〇メートル前後が最大とされる。勿論、有効射程はもっと短いし、必中を期すならば一〇〇メートル前後まで引き寄せる必要があるだろう。敵の神剣魔法による射撃が、弓兵の射撃と同時に行われるとしたら、一〇〇〜一五〇メートルの範囲が敵の射程と考えられた。

――不思議な話だよな。地球の裏側まで届く弾道ミサイルで戦争やろう、っていう世界から来た男が、交戦距離が一〇〇になるか二〇〇になるかで神経使っているんだからよ。

自分を取り巻く環境の特異性に今更ながら気が付いて、柳也は思わず苦笑した。

城門まで五〇〇メートルの距離に近付いた。しかし、いまだ敵から攻撃の気配はない。

四〇〇メートル。まだ、安全圏らしい。

三〇〇メートル。そろそろ危ないか。

二八〇メートル。二五〇メートル。二四〇。二三〇。二二〇。二一〇。二〇〇まで接近した時、東の空に、無数の矢が舞い上がった。どうやら敵は、この距離まで近付いたら射撃を開始する、とあらかじめ決めていたらしい。かなりの射角を取っているらしく、鋭い放物線を描いて飛来する。

「敵弓兵の射撃を確認!」

柳也は後続のスピリット大隊と歩兵大隊にも聞こえるよう、大声で叫んだ。

矢継ぎ早に、エスペリアが頭上の防御を固めるよう指示を下す。

「みんな落ち着いて。大丈夫。人間の放つ矢です。ちゃんと防御すれば、私たちに実害はないわ。それに、これだけ離れているんですもの。危険な矢は多くないはずよ? 落ち着いて、向かってくる矢をよく見て」

エスペリアの言う通りだった。

襲来する矢はかなりの数だったが、途中で風に流された物も多く、その散布界はかなり広かった。まともな命中弾は、一発もない。

柳也は悠人を振り向いた。

「おそらくこれは威嚇射撃だ。こちらの心理的なプレッシャーをかけるための射撃に過ぎない。こちらを動揺させ、少しでも行軍速度を遅らせるのが狙いだろう。先鋒の俺達が足を鈍らせれば、西門攻撃部隊全体の進軍が鈍ることになるからな。

足を止めさせるな。このままのペースを保つよう、命令を下せ」

「わかった。みんな足を止めるな! この程度の攻撃は、恐れるほどじゃない!」

柳也の意見を受けた悠人は、すぐさま命令を下した。

こうした戦場では正確な判断よりも素早い決断を下す方が正解だ。指揮官の指示が一分遅れれば、それだけ士気は下がるし、隊長への信頼感も減る。凄まじいストレスを強いる戦場で、この人になら舵を任せても大丈夫だ、と思わせるには、何より即断即決が重要だった。

実際は、飛んでくる矢に最も怯え、最も動揺していたのは悠人だった。空気を引き裂く鏃の摩擦音が近付いてくるだけで、気を抜けば失禁してしまいそうになる。だが、いまは部下達が見ている前だ。なけなしの度胸を振り絞り、悠人は足の筋肉を動かした。

STFは時速四〇キロの戦闘速度で前進を続けた。

一五〇メートルの距離まで近付いたところで、また敵の射撃が襲ってきた。今度は、敵赤スピリットの神剣魔法も一緒だった。

突如として灼熱の雨雲が空中に出現し、燃え盛る炎の飛礫が雨あられと降り注ぐ。フレイムシャワー。広範囲に小さな火球をばら撒く神剣魔法だ。火球一発々々の威力は大したことないが、なんといっても面制圧が可能なのが厄介な魔法だった。しかも、弓兵の射撃よりも散布界は狭い。

柳也は鋭く上空を睨み見据えた。

一度発動したフレイムシャワーを青スピリットの消滅魔法で無力化するのは難しい。自分一人なら、サイレント・ストリュウムの変形でなんとかなるかもしれないが、いまは赤の神剣魔法が弱点の緑スピリット二名を含む九人の仲間を抱えている。加えて、後続には人間の兵士を含む一七五名の部隊がいる。彼らを無視して、自分一人だけが助かるような真似は出来ない。

――スピリット隊だけで駆け抜けるしかない。風より疾く走り、いち早くフレイムシャワーの効果範囲から脱出する。そしていち早く、敵スピリット部隊を殲滅する。ダメージを最小にとどめる最良の方法は、それしかない。

柳也はまた悠人を見た。

「悠人、俺達だけでまず先行しよう。敵の赤スピリットを叩いて、安全を確保するんだ」

STFだけでか?」

「勿論、後ろの二個大隊も前に出してもらうさ」

柳也は軽くウィンクを返すと、後ろを振り返った。最後尾を走るハリオンの、さらにやや後ろで駿馬ウラヌス号を駆るセラス・セッカに向かって叫ぶ。

「セッカ殿、スピリット大隊長のベワカ殿とウトサ殿に、両スピリット大隊を先行させるようSTFが要請している旨を伝えてくれ。スピリット隊の総力を挙げて敵を揉み潰す」

今回のオペレーション・スレッジハンマーはSTFとエルスサーオ方面軍の協同作戦という建前になっている。どちらか一方が、どちらかの指揮下に入るわけではないから、STFが方面軍所属の部隊の協力を必要とした場合は、命令ではなく要請という形になる。そして多くの場合、エトランジェやスピリットからの要請は、人間達には無視される。

完全武装のセラスはその辺りの事情も汲み取ってくれたのだろう。彼はグレート・ヘルムを被った頭を、力強く縦に振ってくれた。

「分かった。必ず説得してみせる。サムライ、武運を祈るぞ」

セラスは青銅の篭手を嵌めた手でウラヌス号の手綱を引いた。四肢の蹄が大地に食い込み、三〇〇キロ超の馬体に猛然と制動の力がかかる。ブレーキをかけるや否や、前足で地面を蹴ったウラヌス号は身を翻すと、後続の部隊を目指した。王国軍の龍の紋章を描いたマントを翻らせて疾駆するその後ろ姿は、勇気凛然としてどこまでも頼もしい。

――これでよし。人間のセラス殿の口から要請されれば、両大隊長も無下には断れまい。

柳也は改めて正面の敵を見据えた。

セラスに要請の依頼をしていた間にも、炎の雨は降り続けていた。先頭を突き進む悠人やアセリアを筆頭に、僅かずつダメージが蓄積されていく。柳也自身、直撃弾こそなかったものの、すでに何発か身を掠めていた。エーテル技術を取り入れた軍服でなければ、たいへんなことになっていただろう。

敵のフレイムシャワーはSTFの全員に何らかのダメージを与えていた。しかし、誰も致命傷は負っていない。みな戦闘に支障がない程度の傷だった。出来ることなら、このままの状態を保ちたいところだが。

「悠人、スピードはこのまま、一気に駆け抜けるぞ」

一〇〇メートルまで迫った。みたび、弓兵の射撃が襲い掛かってきた。この頃になると、散布界はかなり狭くなっていた。炎とともに、敵の矢にも気を配る必要が出てきた。

神剣魔法による射撃にも変化が生じていた。脅威のフレイムシャワーが止み、敵の射撃が、詠唱時間が短く発射速度に優れるファイアボルトに切り替わる。これまた一発の威力に劣る神剣魔法だが、同時に一〇発、二〇発と火球が放たれるため防御が難しい。

どうやら敵は、確実にダメージを与えてこちらを少しでも消耗させる戦術を採用しているようだ。本格的に命中弾が出始め、行軍速度が僅かに鈍る。

「エスペリアとハリオンは俺と柳也の後ろを走れ。アセリア、ネリー、シアーの三人は、消滅魔法で出来るだけ敵の攻撃を無力化してくれ」

マナの属性効果の影響を受けないエトランジェには、これといった弱点が存在しない。

柳也と悠人はバイオレンス・ブロックとオーラフォトン・バリアを正面に向けて広域展開、壁役となりながら前へと進んだ。

とはいえ、防御に気を割きながらの前進だ。その足取りは奮わない。それでも、徐々に、確実に距離を詰めていった。

やがて、五〇メートルの距離まで肉迫した。

弓兵の射撃が止む。

また同時に、赤スピリットの神剣魔法による攻撃も止まった。

代わって打って出てきたのは、アセリアが確認した七体のスピリット達だった。射撃による牽制後の白兵戦は、古今東西あらゆる戦場の常道だ。

STFの進軍の足が止まった。

悠人が、柳也が、そしてエスペリアが、各員に素早く迎撃態勢を取るよう指示を下す。

アセリアが前に出た。

柳也も前に出た。

一直線に、獲物を探す。

背後からはオルファとヒミカの、まるで歌っているかのような呪文詠唱の調べ。

神剣魔法の援護射撃に勇気付けられ、柳也は、己のつがいを求めた。

そして、見つけた。

青い髪。凛々さを感じさせる端整な顔立ち。昨日の戦闘で自分が斬りつけた胸当ては、ざっくり、と割れ、新品と取り替える余裕もない敵の台所事情を窺わせる。両手に握った武器はバスタード・ソード。純白の翼を広げ、真っ直ぐこちらに向かってくる。

柳也の眼前に、青の戦乙女が迫っていた。

 

 

互いに互いを獲物と定めた二人の剣士は、他の敵には目もくれず、相手に向かって肉迫した。

一方の進撃は大地を踏み鳴らす猛牛の如く。

一方は蒼空より爪を立てて殺到する猛禽の如く。

地から天へ。

天から地へ。

ほぼ同時に抜き放った神剣を、等しく八双に構えた両者は、またほぼ同時に敵を間合に捉え、袈裟への一刀を放った。

アクアマリンの剣身と、鋼の刀身が一条の光線となって炸裂する。

「アイリス――――――ッ!!!」

「守護の双刃!」

鋼と鋼の打ち合う音。黒檀色の眼差しと、瑠璃色の眼差しが束の間、交錯する。鍔迫り合いには持ち込まず、両者は反時計回りに回転して、体の位置を入れ替えた。

素早く剣を引いた柳也は、間髪入れずに上段に構え直すや神速の豪撃を振り下ろす。

他方、アイリスは、バスタード・ソードの〈苦悩〉を握る手の内を整え、厚い剣身で受け止めた。

重い一撃。衝撃を無理に受け止めず、後方へ思いっきり跳躍することで受け流す。ハイロゥの推進力で制動をかけて着地するや身を低くし、右腕一本で横に払った。

さらなる追撃のため踏み込んだ柳也が、咄嗟に跳躍する。

脛から下を狙った足払いの一文字一閃を避けた柳也は、そのままアイリスの頭上を飛び越え、彼女の背後に着地した。

アイリスが振り返り、〈苦悩〉を正眼に構える。

柳也も、〈決意〉を宿した同田貫を正眼に構えた。

互いに睨み合う。敵の一挙一動に注視し、僅かな隙も逃すまいと、男と女の眼光が炯々と輝く。

全身が、異様に熱かった。

僅かな攻防の果てに、柳也は早くも額から汗を流し、呼吸を荒くしていた。

心臓の鼓動。疲労とは別な次元で、心拍数が高まっていることを自覚する。

全身の筋肉が、神経が、血管が、彼女との戦いを求めていた。

柳也は思わず、唇の端を釣り上げた。

「また会えて嬉しいぜ、アイリス・青スピリット」

「わたしはうんざりだ、守護の双刃」

「つれないこと言うなよ? 俺はいま、最高に良い気分なんだぜ? また、君と戦える。君みたいな美人で、強い女と、もう一度戦うことが出来る。今度こそ君のその綺麗なうなじに一刀叩き込めるかと思うと、胸の高鳴りが止まらない」

「熱烈なアプローチの言葉、嬉しく思うが、迷惑だ。お前は、わたしの好みじゃない」

「今度は勝つぜ」

「やってみろ」

冷たい声が、何度も、何度も、耳朶を撫でる。

その度に、柳也の背筋は熱く燃え上がる。

灼熱の鉄柱が、背骨を突き抜けたかのようだった。

それくらいの熱情が、情欲が、柳也を戦いへと駆り立てていた。

「アイリス・青スピリット。君は最高だ。君となら、俺はもっと高みに至ることが出来る」

「安心しろ。貴様が、その高みに立つことはない」

アイリスが、ウィング・ハイロゥを背中に展開した。青の燐光を纏った翼に、次の瞬間、稲妻がのたうった。目を開けているのが辛いほどの、ハイロゥの活性化現象だ。

Speak Mode gear on . 残念だが今日は、貴様一人にばかり構っている暇はない。速攻で、終わらせる」

Speak Mode。神剣に自我が飲み込まれる限界点ギリギリまでハイロゥの出力を搾り出すことで、通常より多くの青マナを取り込み、そのすべてを攻撃力に変換するアイリスの奥儀だ。神剣にもハイロゥにも、アイリスの肉体にも大きな負担を強いる形態だが、パワーで六割、スピードで四割の戦力強化が狙えた。一回の限界継続時間は約五十秒間。

アイリスが、バスタード・ソードの〈苦悩〉を地擦りに構えた。

その剣尖は不動。切っ先に、遊びや誘いはない。宣言通り、速攻で……一呼吸の内に柳也を斬割する腹積もりのようだ。

対する柳也は攻防自在の正眼を崩さない。しかし、かます切っ先は水平に落ち、アイリスの喉元を、ぴったり、狙っていた。こちらも太刀筋に、遊びや誘いはない。小手先だけのテクニックが通用しない相手なのは、先の一戦で互いに承知していた。

対峙の時は、一瞬だった。

最初に仕掛けたのは、先手必勝、桜坂柳也。

「しゃあああッ」

裂帛の気合が迸り、滾るオーラフォトンの光芒が陽炎を生んだ。

アイリスの前面の空気が、熱波となって襲ってくる。

最短の距離を衝いて、刺突が迫った。

地擦りの剣が、のびやかに弧を描いた。

しかしその軌道を、対峙する柳也は目視することが出来なかった。

気が付いた時にはもう、肥後の豪剣二尺四寸七分は撥ね上げられ、頭上に、刃が出現していた。

「――――――疾風剣っ」

涼しげな声が、耳朶を打った。

地擦りから切り上げた一刀で相手の攻撃を無力化し、素早く返した刀で、上段より雷鳴の一刀を叩き込む。なるほど、先の戦いで見せた逆風剣といい、この女はよほど後の先を取るのが好きらしい。

稲妻の上段斬りが、柳也の顔面に雪崩れ落ちた。

 

 

――同時刻。

 

意図せずして西門攻撃部隊よりも先にリーザリオの街に突入した三〇一歩兵大隊の面々は、順調すぎる制圧戦にむしろ不信感を覚えていた。

北門を突破して市街地に足を踏み入れてからというもの、戦闘らしい戦闘が、まったく起こらないのだ。

市街地には敵兵の姿はなく、民兵の姿すら見えない。異様な静けさを保った街の様子に、チウノマヤ歩兵大隊長は早速先遣隊二個小隊を編成した。すると、リーザリオに住む三万人の住人のうち、八割以上が避難施設に退避していることが分かった。どうやらトティラ将軍は、かなり早い段階で避難勧告と戒厳令を出していたらしい。市内の避難所の数は膨大な数に上り、そのすべてに監視員を置くことは不可能だった。

チウノマヤ歩兵大隊長は熟慮の末、民間人の監視を後回しにすることにした。たった一〇〇人ぽっちの兵力で、三万人を監視するのは難しい。西門攻撃部隊との合流を果たさなければ不可能だといえた。

チウノマヤ歩兵大隊長は、大隊をリーザリオの砦へと向けた。

本命の西門攻撃部隊が突入する前に、砦に対して威力偵察を試みようと考えたのだ。幸い、大隊長の麾下には、一〇〇人の歩兵の他に六体のスピリットがいた。正面からの城攻めは不可能でも、偵察任務くらいなら十分にこなせる戦力だった。

砦に接近した三〇一歩兵大隊は、そこでまた静寂と遭遇した。

軍事基地にも拘らず、敵兵が一人も見当たらなかった。情報によれば、リーザリオにはスピリットとは別に四五〇人の人間の兵がいるはずだった。その人間の兵さえも、見当たらない。

――まさか、基地を放棄したというのか!?

ありえない。このリーザリオは、トティラ将軍が三〇年に渡って堅持し続けた、いわば敵将の半生そのものと言っても過言ではない土地だ。戦術・戦略的も重要な地である。そんな要地を、一戦もすることなく敵が見捨てるはずがない!

チウノマヤ大隊長はかぶりを振った。

当初の予定通り、偵察隊を出す。程なくして戻ってきた偵察隊は一人の欠員もなく、その結果は、『リーザリオの砦に敵兵は見当たらず』という信じられない結果だった。

チウノマヤ大隊長は、自然と込み上げてきた笑いを抑えなかった。

敵将の弱気を疑う考えは、もう彼の頭の中には存在しなかった。

「ははははは! なにが猛将スア・トティラだ。とんだ腰抜けではないか!? 馬鹿にしやがって!」

笑いと同時に込み上げてきた怒りの感情を、チウノマヤ大隊長は側にあった壁に叩きつけた。

猛将の名に踊らされ、慎重を期して作戦を立てた結果が、これだ。馬鹿にされているにも、程がある。

「歩兵小隊二個と、スピリット小隊一個、着いて来い。リーザリオ砦の、司令部を制圧するぞ!」

チウノマヤ大隊長は怒りの形相で命令した。

肩で風を切りながら、司令部へと向かう。

はたして、司令室に入室すると、

「……ふむ。存外、早かったな」

そこに、敵将が悠然と待っていた。

 

 

「一番乗りは、あの守護の双刃だと思っていたのだがな」

齢六二歳の老将だった。その顔には過ごした年月の数だけ皺がより、野性味を漂わせる髪は白かった。しかしその足取りは、しっかり、と重く、体は、がっしり、と大きかった。

トティラ・ゴート将軍は落胆の溜め息をつくと、入室したチウノマヤ大隊長からは視線をそらした。悠然と、窓の外の景観を眺めている。

自分達の存在など気にも留めないその態度が、チウノマヤ大隊長の怒りをさらに刺激した。

しかし、その怒りを表に出すほど、チウノマヤ大隊長は子どもではなかった。相手は仮にも将軍だ。それなりの態度と礼節を以って、接しなければならない。

「……バーンライト王国軍第三軍司令、トティラ・ゴート将軍ですね?」

「いかにも。儂がそのトティラだ」

トティラ将軍は岩石をそのまま削ったかのような造作に微笑を浮かべて答えた。

しかし、その視線はあくまで窓の外に向けられている。

チウノマヤ大隊長の顔は、見る見る紅潮していった。こうまでコケにされ、馬鹿にされたと感じたのは、生まれて初めてだった。

トティラ将軍はそんなチウノマヤ大隊長を気にすることなく、マイペースに問う。

「貴公の名と所属は?」

「ラキオス王国軍エルスサーオ方面軍所属、三〇一歩兵大隊隊長ミフサマ・チウノマヤです、閣下」

「なるほど、大隊長殿か。……しかし、聞かぬ名だな。今世の最期に言葉を交わしたのが、無名の大隊長とは、儂も不幸な男だな」

「不幸だ」と、口にしながら、トティラ将軍は笑みを浮かべることをやめないでいる。

チウノマヤ大隊長は、ここにきて怒りを忘れた。代わりに込み上げてきたのは、薄ら寒い恐怖。得体の知れない悪寒に、背筋が震えてしまった。

トティラ将軍は気にせず続けた。

「もっとも、あのヤンレー・チグタムめの馬鹿面を見なくて済むだけ幸運か」

「いいえ、閣下。あなたには嫌でも我らの司令に会ってもらいます。そして、あなたが最期に言葉を交わす人間は、私ではない。わが国の国王陛下です。戦時法廷に立ったあなたを裁くのは、わが国の最高司令官たる陛下です」

「戦時法廷か……残念だが、それに立ってやるわけにはいかんのだ」

トティラ将軍は、不意に窓の外から視線をはずすと、ゆったりとした歩みで執務用のデスクに座った。

机の上で両の掌を組み、薄い唇を小さく開いた。

「時にチウノマヤ大隊長、君はいくつになる?」

「今年で、四一になりました」

「そうか。……短い人生だったな。恨むなら、儂を恨んでくれ」

トティラ将軍が、にっこり、と笑った。

次の瞬間、オレンジ色の光芒と、激しい爆音、そして灼熱の風が、チウノマヤ大隊長と兵達を襲った。

トティラ将軍とバクシーが、あらかじめ執務室の床下に持ち込んでいた自爆用のエーテル火薬。その総量六〇キログラムが、一斉に爆発したのだ。

自らが引き金を引いたオレンジ色の光に包まれながら、トティラ将軍は、たしかに愛する女の姿を見たように思った。サモドアの邸宅で、コデマリの花のように可憐な微笑を浮かべて、自分の帰宅を迎えてくれる、褐色の瞳を、彼は見ていた。

――サラ……儂の戦いが、終わったぞ。

熱くはなかった。高熱の奔流に細胞のひとつひとつを焼かれても、彼は愛する女の腕が広げられ、自分を抱きとめるのを感じていた。

もう、この腕の中から飛び立つことはない。そう、確信しながら、老将は、意識を失った。

 

 

紅蓮の炎が、塔の最上階で花開いた。

その大音響は、トティラ将軍の姿を求めて近くまで戻ってきていたジャネットには、この世の終わりが来たように感じられた。

反射的に耳を押さえ、爆音のあった方向に視線をやる。

そしてジャネットは、目を見開いた。

リーザリオの砦。

対ラキオス戦の最前線を維持するために、頑強な要塞として築かれた塔の一つが燃えていた。まるで大輪の花を咲かせた菊のように、途中から塔の形状が捻れ、変形している。炎の舌が天を舐めるその部屋の位置を、ジャネットは知っていた。あの部屋は、たしか……

「あ……あああ……」

ジャネットは、自分の口から漏れるうめきにも気付かず、ただただ、最後に彼のいた空間を見つめ続けた。

脳裏に、巌のような、いかめしい顔が思い浮かんだ。岩石をそのまま削ったかのような強面は、どこまでも厳しく、どこまでも優しく、自分を見つめていた。

『ならば儂は、儂の誇りに掛けて宣言しよう。儂は貴様を生かす。処刑などは許さん。貴様を生かすことは、陛下へのわが忠孝の証だ』

彼から聞かされた言葉が、耳の奥で何度も、何度も蘇った。

ジャネットは、絶叫した。

「か、閣下――――――!!!」

その叫びに、答える者はもういない。

彼女は涙の粒を散らしながら、膝を着き、拳で地面を叩いた。血が出るほどに噛み締めた唇は、ぶるぶる、と震えている。

「ッ! 敵……!」

甲高い声が、耳朶を打った。

顔を上げたジャネットは、そこに、敵のスピリットの姿を捉えた。数は三体。いち早く自分を発見した青スピリットは、まだ幼い顔つきをしている。

「お、お前たちが……」

ジャネットは悲しみと憎悪でぎらついた眼差しを、眼前の敵に叩きつけた。

こいつらが。こいつらが閣下を。閣下の、優しい眼差しを、奪った。

そう思っただけで、かつてない怒りが、かつてない憎しみが、ジャネットの身体を駆け巡った。

ジャネットは、ゆっくり、と立ち上がった。

相棒のダブルセイバーを掴み、その湾曲した切っ先を向ける。

その背中には、満月を思わせるシールド・ハイロゥが出現していた。

黒い、ハイロゥだった。

「お前たちが――――――ッ!」

ジャネットはダブルセイバーを下段に構え、地を滑った。

唇から迸る感情は怒り。憎しみ。そして、殺意。

凍てついた〈紫雲〉の、炎の刃が閃光と化した。

 

 

敵の上段斬りがやってくる!

その事実を脳が認識した時点で、柳也はすでに同田貫の柄から右手を離し、頭上へとかざしていた。

それは無意識下の反射的行動であり、自らの命を守ろうとする生存本能からくる行動だった。

稲妻の斬撃は、するり、と柳也の右腕に食い込み、そして、丸太の腕を切断した。

「え――――――?」

痛みはなかった。

切断面はあまりにも鋭利で、出血自体ほとんどなかった。

ただ、感覚が失われた。

生まれたその日から、常にともにあった右腕。その感覚が、突然なくなった。それだけのことだった。

肉片が、地面に落下した。

奇妙な感覚だった。

見慣れた自分の右腕が、地面の上に、転がっているというのは。

【ッ! 小娘、アドレナリンの分泌サイクルを二倍に上げろ。主に痛みを感じさせるな!】

【分かってる! 駄剣、あんたはコレチゾールの分泌量を増やして。ご主人様の出血を止めるの!】

頭の中で、相棒二人の声が、けたましく、響いた。

その声が、一瞬、呆けてしまった柳也の意識を、正常に戻した。

じわじわ、と、痛みが込み上げてくる。

じわじわ、と、右腕を切断された、という実感が込み上げてくる。

柳也は、声にならない絶叫をこぼした。

「が、あああああああ――――――――――ッ!!!」

痛い。

痛い。

痛い。

そして、熱い。

肉が裂けた時よりも。

骨が砕けた時よりも。

内臓の一部を持っていかれた時よりも。

痛い。

熱い。

熱くて、堪らない。

細胞の一つ々々が、小さな太陽になったようだ。

意識が、遠のく。

――馬鹿、野郎! ここで、意識を失ったら……ッ!

追撃の第二刃が、迫っていた。

袈裟斬りの一閃。

遠くで、悠人の絶叫が轟く。

左腕一本で同田貫を振り、ぶつけて止めようとした。

しかし、敵の斬撃は速かった。

血煙が、自分の胸板から噴出した。

身体の中から、どんどん血が失われていくのが分かった。

――やばい! こいつは、やばい!

頭の中で、最大級の警報が鳴っていた。

これまでにも、自分は何度か死の気配を身近に感じたことがあった。

最初にメダリオと遭遇した時。

タキオスと戦った時。

エルスサーオで、オディール達と戦った時。

オペレーション・スレッジハンマーの第一段階で、アイリスと戦った時。

これまでの戦いの中でも、自分は何度も死に近付き、しかしその度に生き残ってきた。

しかし、今回のそれは、違う。

死が、いつもよりもっと近く、生が、いつもよりずっと遠くに感じてしまう。

――やばい! 今回ばかりは、本当にやばい!

やばい。

やばい。

やばい。

やばい。

体に思うように力が入らない。

剣を握る左腕が、思うように上がらない。

血が、マナと一緒にどんどん失われていく。

死が、近い。

生が、遠い。

やばい。

やばい。

けれど、本当にやばいのは、こんな状況にも拘らず、戦いを楽しむ、己の心だ。

「は、はは……」

苦笑が、自然とこぼれた。

死が、近い。

心地良い。

生が、遠い。

楽しい。

心臓が高鳴る。

血は、どんどん、失われているはずなのに。心臓の鼓動は、より激しくなっていく。

――そうだ。

ドクン。

心臓が高鳴る。

その音が、やけに甲高く響く。

――そうだ。

ドクン。

心臓が熱を生む。

この瀕死の状態にあって、かつてない熱量が、全身に満ち溢れる。

――そうだ。

そうだ。

――俺が、本当に求めていたのは。

己の肉体が、心臓が、本能が、魂が、本当に求めていたのは。

――こういう戦いだ。

生を遠く。死が近く。そんな風に感じられる戦いを、自分は求めていた。

自らの痛みを、滅びを、求めていた。

己に痛みを、滅びを、与えてくれる存在を、ずっと、求めていた。

そんな極限の状況に、自分を追い込んでくれる敵を、ずっと、求めていた。

そんな相手となら、自分はきっと、もっと………………。

「強く、なれる!」

「なに?」

訊き返す声はあくまで涼やかだった。

言葉とともに放たれた斬撃も、どこまでも鋭かった。

柳也は、ゆっくり、と眼前に迫る横一閃を、僅かに身をかがめて、避けた。

「なに?!」

二度目の問いかけには、僅かな焦燥が滲んでいた。

稲妻を纏った斬撃が頭上を掠めたと思った瞬間、右腕に熱を感じた。熱だけではない。感覚もあった。大型の爬虫類を思わせる爪の生えた青い体表の右腕を、柳也は無造作に振り抜いた。

ちょうど背後にいたアイリスの脇腹を、爪が擦った。

服の生地と一緒に、僅かに皮膚を剥ぐ感触。

気の遠くなるような恍惚感が、背骨を貫いた。

甘い体液の匂いが、脳をくすぐった。

「ぐっ……!」

バランスを崩したアイリスだったが、ウィング・ハイロゥの推進力でなんとか態勢を持ち直した。

バスタード・ソードの〈苦悩〉を正眼に構え、愕然とした眼差しを向けてくる。

「き、貴様……その手は……!?」

「…………」

柳也は無言で同田貫を握る手の内を整えた。左手の手の内を。柳也は左腕一本で肥後の豪剣二尺四寸七分を地擦りに構えた。爪の目立つ右手は、掌を相手の方へと向け、水平に持ち上げている。胸からの出血は、すでに止まっていた。

頭の中に、神剣魔法の呪文が響いていた。

これまでに聞いたことのない呪文だった。

柳也は頭の中に鳴り響く旋律を、たどたどしく復唱した。

「世界の門番たる龍の骨肉の所持者として命ずる。マナよ、すべての力を無とせよ。凍れる光の槍となり、すべて凍てつかせろ」

青の掌から、水色の光芒があふれ出した。掌の中に、パチンコ玉大の青い光球が出現していた。熱は感じない。むしろ、物凄い勢いで周囲の空間からエネルギーを奪う凍気を自覚する。最初、パチンコ玉程度の大きさだった水色の光球は、空間からエネルギーを奪うごとに急速に成長していき、やがて、ゴルフボールくらいの大きさになった。

「……アイス・ブラスター!」

掌から、光の奔流が放たれた。鮮烈な閃光だった。真正面に立っていたアイリスが、直視出来ないほどだった。レーザービームだ。光の槍は、アイリスを目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。

アイリスは、咄嗟にハイロゥを羽ばたかせ、空へと舞った。

光速に程近いレーザービームを、なんとか寸前のところで避けた。

しかし、左のブーツの爪先部分だけが間に合わなかったらしく、彼女は慌ててブーツを脱ぎ捨てた。地面に落下した皮のブーツは、バラバラ、に砕け散った。破片からは、なんと冷気が立ち上っている。

アイリスは戦慄した。

いかなる超常の現象か、本来高熱を伴うはずの……いや、伴っていなければならない高出力のレーザーは、なんと冷気を宿していたのだ。それも、自分の体温で温められたブーツを、刹那の速さで氷点下までエネルギーを奪うほどの冷気を。もし、回避運動に入るのがあと一瞬遅れたら、自分は氷像になっていたのか。そう考えると、ぞっ、とした。

アイリスに与えられた安堵の時間は短かった。

彼女が上空に飛び立つのと同時に地面を蹴っていた柳也が、同田貫を八双に構え、肉迫した。

「おおおおおお――――――ッ!」

裂帛の気合。

斬撃の緊迫が、アイリスの前面の空気を裂いた。

袈裟斬りの一刀だ。

アイリスは反射的にウォーターシールドを展開した。咄嗟のことで、強度も防御面積も不足していたが、コンマゼロ数秒の時間稼ぎにはなるはずだ。その間に、自分もまた剣を振りかぶる腹積もりだった。

水の盾は、案の定、難なく斬割されてしまった。

水飛沫のはねが、少女の頬を濡らした。

その時には、アイリスも〈苦悩〉を脇に構え、切り上げていた。

両者、必殺の間合。

天から地へ。

地から天へ。

二条の光線が激突し、血煙が空に舞い散った。

アイリスの、肩から。

Speak Modeの限界時間を迎えたアイリスの剣はパワー負けし、柳也の一刀の軌道をそらすことには成功したものの、斬撃を完全に撥ね上げるには至らなかった。

黒檀色の双眸が、好機を見出し、ぎらついた。

柳也はすかさず追撃にしてトドメの一文字一閃を、返す刀で放った。

その手の内は、同田貫の柄とともに、勝利の実感を掴んでいた。

「俺の、勝ちだぁぁぁああああああ――――――――――――ッ」

確信を篭めた獅子吼。

かます切っ先が、稲妻の如く閃いた。

その時だった。

自分達が身を置く空よりもさらに高空より、轟然と爆発の音が聞こえた。

 

“BACOOOM!!!”

 

「――――――ッ!」

大量の火薬が、一気に爆発したかのような轟音。

音は、柳也達の目指すリーザリオの砦の方から聞こえた。

追撃の一刀を振り抜く柳也の集中が、僅かに乱れた。

音速に迫る太刀筋が、僅かに一瞬、遅滞した。

その一瞬の隙を、アイリスは見逃さなかった。

ウィング・ハイロゥがはためき、柳也の眼前からアイリスの姿が消えた。そうかと思った次の瞬間には、もう、柳也の頭上へと回り込んだアイリスの蹴りが、背中に炸裂していた。

「ぐっ」

苦悶の声が、肺腑から漏れた。

無防備な背中に、痛烈な一撃。

バランスを失い、落下する。

地面が、静かに揺れた。

着地した柳也は、すかさずアイリスの姿を探した。

はたして、敵の姿はすぐに見つかった。

血を流し、肩で息をつくアイリスは、いまだ空にあった。

高度は一五〇フィートほどか。それは柳也の手が届かない間合だった。

 

 

寸前のところで窮地より脱したアイリスは、いまだ好戦的な眼差しを自分に叩きつけてくる柳也に細心の注意を払いながらも、高空よりざっと戦場を見渡した。

戦況は明らかにわが方が不利な状況だった。

もともと数で負ける上に、敵には〈求め〉のエトランジェと、ラキオスの蒼い牙がいるのだ。オディールとオデットはいまだ健在なものの、当初七人いた外人部隊はいまや五人に減っていた。守護の双刃のとの戦いに集中していたせいで気が付かなかったが、いつの間にか赤スピリット二人の姿がなくなっていた。

さらにアイリス達に不利な事態が起ころうとしていた。

後続のラキオス軍スピリット大隊が、猛然とこちらに向かってきていた。その数、目視出来るだけで二四。これが守護の双刃らと合流すれば、敵の戦力は三四。五対三四では、もはや勝ち目はない。

――この辺りが引き際だな。

殿とはいえアイリス達スピリット部隊には、トティラ将軍から撤退を視野に入れた戦術展開をするよう命令を受けていた。経験を持ったスピリットは貴重だ。リモドアでの戦力集結を望むトティラ将軍は、殿部隊のスピリットにも、なるべく戦場を離脱し、一人でも多く第二軍と合流するよう、作戦の前に自らの希望を口にしていた。

――先ほどの爆発音は、おそらく閣下の執務室に仕掛けたエーテル火薬が爆発した音だろう。無人の執務室にどれだけの敵を引き寄せられたかは分からないが、閣下の作戦はおおむね成功したようだな。

敵軍がリーザリオの占拠を完遂するためには、第三軍の司令部を掌握するために、否が応にも司令執務室を制圧しなければならない。その執務室を、あらかじめ無人とし、自爆用のエーテル火薬を時限信管と繋げればどうなるか。

リーザリオの砦の、文字通り最後の城までもを餌にしたトティラ将軍の作戦は、見事、成功を収めたようだった。そして逆を言えば、すでにラキオス軍はそこまで進出しているということ。

「やはり、ここが潮時だ」

殿部隊に残った七人の中で、最先任はアイリスだ。撤退の判断・命令を下す権限は、彼女に託されている。

アイリスは小さく呟くと、次いで、戦場に轟く大声で、言い放った。

「バーンライト・スピリット部隊! 我らはこれより当戦場を離脱する!!」

凛、と、戦場にこだました命令に、気心の知れた仲間達のレスポンスは速かった。

オディールが、オデットが、眼前の敵との戦いを、ぴたり、と止め、一箇所に集まる。アイリスもその一群に加わり、殿部隊の残存スピリット五名は、五人で一個の塊となった。あらかじめ、アイリスの撤退の指示が下った際には、そう行動するよう、決め事をしていたのだ。

三四対五のこの状況では、ばらばらに逃走したとしても、各個撃破の末全滅させられる可能性が極めて高い。それならば、少しでも生き残る可能性を上げるために、全員固まって行動した方がよい。たかが五人、されど五人。三四対一と、三四対五では、一人当たりの負担は八割も違う。

当然、アイリスの撤退命令は、柳也達STFにも聞こえていた。

のみならず、後続のスピリット大隊にも聞こえていた。

いち早くアセリアとヒミカが、逃走を図る彼女らを追撃しようとする。

しかしそこに、アイリスらスピリット隊の進出と同時に進発し、ようやく前線に到着した殿部隊五〇人の歩兵が立ちはだかった。

「待て、スピリットども!」

「閣下の会心の秘策のためにも!」

「この者達に手出しはさせんッ」

槍を持ち、盾を持ち、アセリアらの行く手を遮るべく割って入った歩兵部隊の面々。普段、スピリットを毛嫌いしている彼らだが、敬愛するトティラ将軍の命令とあれば話は別だ。自らの命を投げ出すのも、惜しくはない。

忠義の士はその数五〇。とはいえ、数は多いが所詮は人間、スピリットのアセリアらとは、比較しようもない戦力だ。

しかし、突如として妨害に入った歩兵部隊を前に、アセリアらは――特に空を飛べないヒミカは――苦渋に満ちた表情で、進撃の足を休めざるをえなかった。

追撃のため振り上げた神剣の矛先を、地面に向ける。

スピリットは人間を攻撃出来ない。少なくともラキオスのスピリット達は、そういう動機付けと、教育を受けている。

人間と戦えるのは、同じ人間と、異世界からやって来たエトランジェのみ。この大原則は、有限世界の常識だった。

歩兵団は長柄の槍を一斉にスピリット達に向けた。直径五〇センチほどのラウンド・シールドで胴体を隠しながら、槍衾を形成、猛然と突き込んでくる。

アセリアとヒミカは同時に障壁を展開した。ウォーターシールドとマインド・シールドは、敵歩兵の攻撃を難なく防いだ。

慌てて守護の双刃が援護に回ろうとするが、その時にはもう、アイリス達は戦場を離れようとしていた。

「アイリス!」

眼前に立ちはだかる歩兵達を薙ぎ倒しながら、守護の双刃を名乗る男が吠えた。

「アイリス・ブルースピリット!」

アイリスは反射的にそちらに視線をやった。戦場で出会い、二度戦った。そして二度とも、命を取れなかった。そんな敵は、アイリスの軍人経験の内で初めてのことだった。

桜坂柳也は、口角泡を飛ばして叫んだ。

「今日の戦いを忘れるなッ。お前とは二度戦い、二度引き分けた。全体で見れば、俺の敗北だ。だが、俺は生きている! 俺のこと忘れるな。俺の名前を忘れるな。俺は、お前を倒す男だ!!」

側方より突き入れられる槍。

寸前で軌道を見切り、穂先を斬り捨て無力化した柳也は、咆哮した。

「俺は、守護の双刃、リュウヤ・サクラザカだ!!!」

「……ああ。忘れないさ。守護の双刃……いや、リュウヤ。お前は、私が殺す男だ」

応じた呟きは、凛としながらも小さく、静かに紡がれた。

自然と口から漏れた剣呑な響きの言葉に、ぎょっ、としてオディールが振り返る。

アイリスは、自らの心にその一念を刻み付けるよう、もう一度呟いた。

「お前は、私が殺す」

 

 

 

――同日、夕方。

 

アイリスらスピリット部隊を逃がすべく殿を務めた歩兵部隊との戦闘は、後続のスピリット大隊との合流によりラキオス優勢へと傾いた。三〇一、三〇二両スピリット大隊とともに、セラスが援軍として駆けつけてくれたためだ。スピリット達も、人間に対し攻撃は出来ないが、防御行動は取れる。スピリット達が敵歩兵の攻撃を吸収しているところに、セラスと柳也、そして悠人が切り込むことで活路を開いた。

さらにそこに、三〇二歩兵大隊を含む一五〇人の兵力が加わり、敵軍は一八人が戦死、一四人が重傷を負った。残る一八人を捕虜となり、戦闘はラキオス軍の大勝利で終わった。

戦闘の後、リーザリオの西門は歩兵大隊が開門作業に当たることになった。本来は柳也達STFが実施する予定の作業だったが、敵防衛部隊の無力化により、歩兵が危険と遭遇する可能性が低くなったことから、急遽一番乗りの栄誉を人間の兵に譲ることになったのだ。

鉄の城門に一個小隊が丸太を打ちつける様子を、桜坂柳也は遠くから眺めていた。

胸の傷はすでに塞がっていた。戦闘中に失い、また生えてきた青の右腕も、いまは爪も短くなり、皮膚の色も見慣れた小麦色に変色しつつある。戦闘終了後、もう戦う必要はないな、と柳也が思った途端、異形の右手は変形を始めたのだった。

戦闘中は特別、違和感を覚えなかった。それは戦時特有の興奮がもたらした作用だったのだろう。戦闘が終わり、昂ぶった闘争本能が鎮まれば、急速に、右腕に対する違和感と不快感、そして、恐怖が込み上げてきた。

いくらエトランジェの回復力が並外れているといっても、一度切断された右腕がまた生えてくるなどありえない。それも、あんな異形の腕が生えてくるなど……。

いったい、己の身体はどうなっているのか。己の身体は、いったいどうなってしまったのか。

――なぁ、〈決意〉、〈戦友〉、俺の身体は、いったいどうなっているんだ?

【主よ……】

柳也は懊悩の滲む眼差しを自らの内側に向けた。

自分の身体のことを、自分以上によく知るのが相棒の永遠神剣二人だ。文字通り一心同体の間柄にある二人に、柳也は縋るように訊ねた。

【すまぬ。我らにも分からぬのだ。主の身体には、たしかに変化が起きている。それだけは間違いない。しかし、その変化が如何なるものなのかが分からぬ。主の身に、いったい何が起こっているのか。我らにも分からぬのだ】

しかし、相棒から返ってきた答えは、柳也の望むものではなかった。そればかりか、〈決意〉の苦悩に満ちた返答は、柳也に衝撃の絶望を与えた。

自分で、自分のことが分からない。

たしかに何が起きている、ということは分かっているのに、その正体が分からない。

恐怖を感じずには、いられなかった。

そして得体の知れない恐怖は、焦燥と、苛立ちを生んだ。

「くそッ!」

柳也は力任せにリーザリオの城門を殴った。血の滲む拳。エトランジェの怪力を以ってしても、神剣の強化なしには三メートルの厚みを持つ城壁はビクともしなかった。しかし、それでも、柳也は何度も、何度も、城壁を殴り続けた。

「くそッ、くそッ、くそォッ」

血潮が、灰色の城壁に飛び散った。

柳也の、頬にも。

悲しみと、怒りと、恐怖とで歪んだ男の凶相は、物悲しげですらある。

「俺は……俺の身体は、どうなっているんだ? 俺の身体で、何が起こっているんだ?!」

【主よ……】

【ご主人様……】

叫ぶ柳也の問いに、答える者はいなかった。

 

 

そんな友の様子を、悠人は無言で眺めていた。

自分はいったいどうしてしまったのか。自分の身に何が起きているのか。得体の知れない恐怖に震える友の背中は、長身大柄にも拘らず、いつもより小さく見えた。

――柳也……。

悠人は、一つの答えを知っていた。

柳也の疑問に対する、一つの答えを。

しかし、それは本来ならば絶対にありえるはずのないこと。友人の身に、起きえるはずのない事態だ。

――あの時、新しく再生した柳也の右腕。そして、その右腕が放った冷凍光線。あれは……。

あの青の右腕と、万物のエネルギーを奪う超常の光線とよく似たものを、自分は過去に見たことがある。なにより、実際に刃を叩き込んだことがある。

あの鋭い爪。あの青い体表。あの冷凍光線。あれは、間違いなく――――――

「……リクディウスの守り龍、サードガラハム」

かつて、ラキオス王の命令で討伐した、青の魔龍。

アセリアとエスペリア、オルファの三人掛かりでも敵わず、自分が加わってようやく倒せた強敵中の強敵。あの水龍の爪と牙、口から吐くアイスブレスの恐ろしさは、身をもって知っている。決して忘れるはずがない。決して、間違えるはずがない。

あの時、柳也の右腕に現出したものは、まぎれもなく水龍の腕だった。

――柳也の身体が、水龍と同じものになろうとしている……?

頭の中を過ぎった突飛な空想を、悠人はかぶりを振って否定した。

馬鹿々々しい。ファンタジーにも程がある。そんなこと、ありえるはずがない。第一、柳也と水龍とでは接点がないではないか。

たしかに、柳也は以前、静かなる海の洞穴へ龍の調査に向かわされたことがある。しかし、その時の調査では、水龍の存在の痕跡すら確認出来なかった。まさか柳也が、自分やラキオス王に嘘の報告をするわけがない。

「きっと、気のせいだ。俺の、早とちりだ。取り越し苦労だ」

そうであってほしい。いや、そうであってくれ。

悠人は、友の身に起きている異変が間違いであることを、切に祈った。

視界の片隅で、歩兵部隊が城門に丸太を打ちつける。

リーザリオの城門が、開いた。

 

 

――同日、昼。

 

自分の肉体を構成するマナが失われていく感覚を、ジャネット・赤スピリットはたしかに感じていた。

痛みはなかった。

心臓を突き刺す白刃の刃筋は、敵ながら惚れ惚れとするくらい綺麗に通り、無駄な出血も、苦痛も、ジャネットに与えなかった。

「……ごめんなさい」

耳朶を撫でる声は、まだあどけなさを残す少女のもの。

レイピア型の永遠神剣を突き立てる青の少女の幼い目には、涙の雫が浮かんでいる。

脳の神経細胞までもが黄金のマナの霧へと昇華する中、二人まで斬ったことは覚えていた。しかし、若いながら小隊長を務める青スピリットには、怒りに任せた太刀筋は通用しなかった。

気が付けばジャネットは敵の剣技に翻弄され、心臓を貫かれていた。

「ごめんなさい」

また、謝罪の言葉が、耳朶を撫でる。

いったい彼女は、何に対して謝っているのだろう。

自分と世界とを隔てる境界が徐々に薄くなっていく奇妙な感覚の中、ジャネットは思った。

「あなたも、大切な人を失ったんですよね。ごめんなさい。でも、わたしは、ここで死ぬわけにはいかないんです。……だから、せめて、あなたの命は無駄にしない。あなたの命を、あなたのマナを吸って、わたしは強くなるから」

「あなたの、名前は……?」

「セシリア・青スピリット」

「そう」

思考する力は、もうなかった。

ジャネットは反射的に頷いた。

頷いた時には、もう、ジャネットは……かつて、ジャネットだったマナは、セシリアの神剣と、一つになっていた。

 

 


<あとがき>

 

タハ乱暴「アセリアAnotherのあとがきの切り出しがこんな話題で申し訳ないんだけどさ、ゼロ魔刃を書くに当たって、ゼロの使い魔の単行本を隅から隅まで読んだんだけど」

 

柳也「うん」

 

タハ乱暴「二巻のあとがきで、原作者のヤマグチさんが言っているのよ。『僕は冒険がしてみたい』って。それってさ、円谷英二が映画監督になろうと思ったきっかけの一つに通じるところがあるんだ。ほら、あの人は飛行機に憧れて、特撮の神様になったんだ。自分の夢を追って、追い続けて、『ゴジラ』や『ウルトラマン』、『戦艦大和』なんかの作品が生まれたわけよ。

翻って、今回の話を書くに当たって、タハ乱暴はアセリアAnotherで何をしたかったのか、ということを、改めて考えてみたわけ。アセリアというガチガチのSFファンタジー作品の舞台で、自分は何をやりたかったか。考えて、考えた結論が、やっぱり戦争を書きたい、ってことだったのよ」

 

北斗「その結果が、今回の話か?」

 

タハ乱暴「うん。べつに戦争そのものを肯定するしないじゃなくてさ、戦争っていう事象の中にはたくさんの人達のドラマがあるわけよ。今回の話では、いきなり何人もの新キャラが出たけど、あれはそういう、たくさんの人達のドラマを書きたかったからなんだよね。柳也や、悠人だけが戦争をしているんじゃないぞ、っていう。もっと言うと、今回の話ではジャネットがやけにあっさり戦死したけど、戦争という行為の中には、こういう目立たない死もあるんだぞ、っていう」

 

柳也「なるほどな。さて、読者の皆さん、永遠のアセリアAnotherEPISODE:43をお読みいただき、ありがとうございました! 今回の話はいかがだったでしょうか?」

 

北斗「今回の話ではついにトティラ将軍率いる第三軍との決着がついたな。振り返ってみれば、EPISODE:14のラース襲撃事件から続く因縁の相手だったわけだが」

 

タハ乱暴「トティラ将軍自身の登場はEPISODE:16からだけどね。もっと言うと、EPISODE:6の時点で、すでにアイリスは登場していたけど。あ、そう。まったく関係ないけど、この間、アセリアAnotherに登場する人物で、名前のあるキャラの人数を数えてみたんだが、軽く一〇〇人越えてました」

 

柳也「アイリスといえば、今回の一騎打ちで、なんか俺、たいへんなことになっていないか?

 

北斗「ああ。あの右腕か」

 

柳也「切断&再生って、なんか主人公っぽくない逆転劇なんだが……」

 

タハ乱暴「文句を言わないでちょうだいな。あの右腕の現象については、今後アセリアAnotherの中心になっていく話題だから、あれでも何度も書き直したんだよ?」

 

北斗「そうだったのか。……さて、タハ乱暴、今回の話でついにリーザリオが陥落したわけだが、次回の予定は?」

 

タハ乱暴「次回は、柳也と、ある意味でタハ乱暴にとっての鬼門、ハリオンがメインの話になる予定さ」

 

柳也「あぁ……いまだにキャラが掴みきれてないんだって?」

 

タハ乱暴「どうなることやら、タハ乱暴がいちばん不安じゃけえ」

 

北斗「なるべく、読めるような話にしろよ。……さて、読者の皆様、今回も永遠のアセリアAnotherをお読みいただき、ありがとうございました!」

 

タハ乱暴「次回もお付き合いいただければ幸いです」

 

柳也「ではでは〜」

 

 

 

 

 

<おまけ>

 

あまりにも一方的な戦いだった。

いや、それは戦いと呼ぶのもおこがましい惨劇だった。

永遠神剣第七位〈決意〉のリュウヤ。黒き刃のタキオス。街の踊り子貂蝉。

この三人を先頭にして突き進むジョニー・サクラザカ軍は、巨大なエネルギーの塊となって白装束の一団を次々と蹴散らしていった。

「ふんぬっ! ふんぬっ! うっふぅぅぅぅんんん!!!」

次々と繰り出す褐色の拳の前に、白装束の男達は次々と宙を舞い、

「ぬおおおおおっ! 空間、断絶ッ!」

空間の位相そのものを歪める漆黒の刃が振り抜かれるその都度、百や二百の単位で白い屍がうずたかく積み上がっていく。

そして誰よりも先陣を行き、誰よりも多く敵を屠るのが、この男――――――

「桜坂柳也の必殺剣んんッ! スパイラル大回転斬りぃぃぃぃ!!」

右手に握るは肥後の豪剣同田貫上野介二尺四寸七分。

左手に握るは無銘なれど業物の脇差一尺四寸五分。

右の大刀で時に攻め、左の脇差で時に守り、好機と見ては両の二刀を振り乱す。

タキオスから与えられたマナによって、神剣士としての本来の戦力を取り戻した柳也は、まさに鬼神の如き活躍で先鋒を務めた。

【ご主人様、後ろですッ】

「おおおおおおッ!」

脳裏に轟く警告音。

ついで、背後より迫る斬撃の緊迫。

裂帛の気合とともに一文字に豪剣を振り抜き、襲い掛かってきた敵の胴体を一閃。胴を真っ二つに斬割された白装束の身体から血煙が噴出し、返り血が、柳也の身体を濡らす。

――ありがとう、〈戦友〉。

【いえ。ご主人様がご無事で何よりです】

タキオスが寄越した膨大なマナを使って覚醒した新たな相棒に礼を述べながら、柳也はなおも疾走した。

〈戦友〉を名乗った永遠神剣は、この戦いの最中で突如として目覚め、柳也に、ずっと以前から自分の体内で眠っていたのだ、と説明した。ゆえに現在、柳也達が置かれている状況も分かっていると言い、覚醒してすぐにも拘らず自分と契約を結び、実戦へと躍り出た。

〈決意〉と、〈戦友〉とを、父の形見の大小に宿し、柳也は敵陣の中をひた走った。

その速きことは狼の如く。

その力強い刀勢は巨象の如く。

そして猛々しい剣気は、獅子の如く。

まさしく一匹の獣。剣の道に生きる獣。

その背中に勇気付けられた麾下の軍勢は士気高く、白装束の一団は瞬く間に駆逐されていった。

 

 

洛陽の町から無事に白装束の一団を駆逐したジョニー・サクラザカ軍。

その中でも特に目覚しい活躍を示した柳也、タキオス、貂蝉の三人は、しかしいま、揃いも揃って正座していた。

その前では、小さな胸を精一杯張り、ぷんすか、怒っている僕たちのチビッ子軍師ががなり声を上げている。

「ご主人様もタキオスさんも貂蝉さんもやりすぎです! 特にタキオスさんとご主人様! なんで人一人を倒すのに家三軒を壊す必要があるんですかッ!」

朱里は背後に広がる荒野を示して言った。

二人の神剣士と貂蝉の活躍によって、白装束の一団は確かに駆逐した。しかし同時に、三人が繰り広げた破壊の饗宴によって、洛陽は街の半分が吹っ飛んだ。文字通り、爆弾が炸裂したかのように、家屋が吹っ飛んだのだ。

朱里の示す方向には、一面の焼け野原が広がっていた。

「いや、だって、なぁ……」

柳也は流し目で隣で正座するタキオスを見た。

二メートル近い長身の背後には、彼の空間断絶の必殺剣によって破壊し尽くされた街の景観が見て取れる。

柳也の言葉にタキオスは頷いた。

「う、うむ。神剣士の力は絶大だ。人一人を倒そうとして、家の二三軒を壊すことなどザラにある……」

「言い訳をしないでください!」

ぴしゃり、と言い放った朱里の言葉に、柳也とタキオスは、びくり、と肩を震わせた。

ともに身の丈が六尺以上ある大男達だ。そんな二人が肩身を狭くし、縮こまる姿は一種滑稽ですらあった。

「い・い・で・す・か! お二人ともお強いのは分かっています。ご主人様が戦狂いの病持ちだということも分かっています。ですが、いくらなんでもこれはやりすぎです! お二人とももう少し加減ということを覚えてください」

「ちょ、戦狂いて……」

「手加減など、武人にあるまじき所業に……」

「わ・か・り・ま・し・た・ね!!?」

「「さー・いえす・さー!」」

黒き刃のエターナルと守護の双刃は背筋を伸ばして挙手敬礼した。

さしもの神剣士二人も、このチビッ子軍師の正論には逆らえない様子だった。

「それでジョニーのアニキ、保護しやした民間人はどうしやす?」

お説教が一段落したのを見て、程遠志のアニキが言った。

長の正座で痺れた足をさすりながら、柳也は保護した民間人をここに連れてくるように命じた。件の貴人らしき者達から、何か有用な情報が得られるかもしれない。

程なくして、柳也達の前に二人の少女が連れてこられた。

一人は眼鏡をかけたおさげ髪の少女。自分を睨みつける釣り上がった眉と金色の瞳が、気の強さを感じさせる娘だった。

そしてもう一人は、天女と見まごう美少女だった。一見しただけで身分の高さが窺える瀟洒な衣装に身を包み、線の細い美貌に儚げな表情を浮かべている。小さく俯いたその姿は、可憐な美しさとあいまって、あたかもカタクリの花を思わせた。

「……いかん。思わず恋をしてしまった」

二人を前にした柳也は、自然と呟いていた。

隣から注がれる朱里と愛紗の視線が刺々しい。

冷たい視線に気が付いた柳也は空咳を一つしてから、口を開こうとした。

しかし彼が二人に話しかけるよりも早く、背後にいた恋と華雄が声を上げた。

「董卓様っ! それに賈?!」

「月……詠……」

「呂布に、華雄!?」

恋と華雄の発言、そして眼鏡をかけた少女の反応に、柳也は思わず目を剥いた。よもや確保した二人が、探し求めていた董太尉だったとは……。

経緯はどうあれ、目の前の少女は洛陽を治める立場の人物だ。

柳也は自らの姿勢を律した。目の前の二人と、情報を交換する。

「月はただの神輿よ。あんた達ジョニー・サクラザカ軍をこの洛陽におびき寄せるためのね」

「霊帝の死から反董卓連合の結成にいたるまでの一連の流れが、すべてあの白装束たちによって仕組まれたものだとはな……俺達は、とんでもない過ちを犯したわけだ」

「この戦いで、たくさんの人たちが死にました。すべては……すべては、わたしが弱かったから」

「そんな! 月のせいじゃないってば!」

「その通りだ。今回の一件で、誰か一人に責任を負わせることは出来ない。俺も、罪人の一人だ」

自分が弱かったせいで。自分の意思が弱かったせいで戦争が起き、そのために多くの命が散ってしまった。この上は、死んで彼らに侘びを入れる他ない。そう嘆く董卓に、柳也は言う。

「一緒に罪を償っていこう……なんて、軽々しい言葉を、俺は口に出来ない。罪は、たとえそれがどんなに重くても、背負って、生きていくしかないんだ。罪と向き合いながら、生きていくしか、ないんだ」

己もまた罪深き人間だ。佳織のために、悠人のためにと言い訳をしながら、本当は自分のために戦い続け、多くの人を殺めてきた。戦いを愛し、戦いを望み、死を振り撒くことを喜んだ。

「俺達は咎人だ。だから生きようぜ、董太尉。いずれ待っている死の瞬間まで、罪と一緒に生き続ける。それが、俺達罪人の義務だ」

「……わたしは、生きていていいんでしょうか?」

「いい、じゃない。生きなければならないんだよ。浅ましく。卑しく。俺達のような人間はな」

柳也は莞爾と微笑んだ。

この男は董卓を討つ手柄よりも、目の前の少女を生かすことに価値を見出したのだった。

他ならぬ罪人の一人は、同じ罪人の同志の肩を優しく叩いた。

これから一緒に罪を背負って生きていく、大切な仲間の肩を。

かくしてここに、霊帝の死に端を発する一連の騒動は終結したのだった。




柳也、謎の腕。
美姫 「単純にパワーアップって訳でもないでしょうし」
一体、何が起こっているのかだよな。結構、重要っぽいみたいだし。
美姫 「とりあえずはリーザリオ攻略って所ね」
熱いバトルがあったり、トティラ将軍の最後だったり。
美姫 「今回も楽しませてもらいました」
次回も楽しみにしています。
美姫 「待ってます」



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